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2022-12-17

人力車夫の寿命は5年問題

いまや観光名物となった人が車を引き人を運ぶ人力車。その普及当時、引き手の車夫は過酷仕事から心臓や肺が5年ほどで死んでしまうといわれたらしい…あぁ恐ろしい恐ろしい。おぉショッギョムッギョ。運動は足りてるので睡眠瞑想野菜不足だろうか。


ことの情報源イザベラ・バード日本奥地紀行。

本文を引用してそうな文章では

https://twitter.com/noa_izumi1998/status/1405647209043922950

人力車を引けばほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者農業従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まってきます。』

とはいえ車夫になってから平均寿命は五年しかない、その多くが心臓または肺の重い疾患に罹かかると言われています。まずまず平坦な地面の上を、優秀な車夫は時速四マイル[約六・四キロ]で一日五〇マイル[約八〇キロ]走ることもあります。』

とある

ん…どうなんでしょう。儲かるから就職するとしても死亡率が極端に高い…まあ現代でもベーリング海カニ漁などがあるのでありえるのでしょうか。

気になる点はいくつか。

まず人力車が登場した時期。これはツイッターの前の文章にもあり別途調べることもなかったのですが。

あなたも知っているとおり、この乗り物日本の特色のひとつで、日に日にその重要性は増しています。七年前に発明されたばかりなのに、すでにある都市ではその台数が二万三〇〇〇近くに達しており、』

7年前に生まれ職業平均寿命が5年と言われても感覚としてはちょっと引っかかる気がしますな。

なんだか仕事を始めて数ヶ月でバッタバッタと死んでいかないとこういうイメージはできあがらないのかな。

人を運ぶことの過酷さについても、そもそも人力車が初めての人を運ぶ仕事ではないわけで、大名行列イメージかな?日本には駕籠があった。

人力車はそれと入れ代わるように入ってきたはずだ。

人力車安全性の高さと運賃の安さ、玄関先まで届けられるという小回りの良さが大衆に受けて急速に普及し[16]、1872年までに、東京市内に1万台あった駕籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで増加して、日本代表的公共輸送機関になった。これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫に転職した。1876年には東京府内で2万5038台と記録されている[17]。19世紀末の日本には20万台を越す人力車があったという[18]。人力車夫は明治都市流民した下層社会の細民の主要な家業となり、明治20年代には東京市内に4万人余も存在したが、その後都市交通の発達により数を減少させていった[19]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A

二人以上で運ぶ駕籠車輪の力を借りる人力車のどちらが過酷労働かはわからない。しか運送業として駕籠から人力車へと系譜があると見れば駕籠時代から平均寿命が短かったのでは?そんな業態で長年何万人と働き文化職業が残り続けた。しかも(車夫と比較して裕福な?)他人と接する接客業で。これは発展途上国ゆえの残酷さなのか、実際のところは致死的とまではいかない重労働程度だったのか。気になりますな。

次に、おそらくなのだが、お抱えでなく流しの人力車ならばいわゆる自由業的な働き方になるのかなと思う。

ひとまず自由意志で体を動かす労働を体が壊れるほどする必要があるということは、それは貧乏暇なし。働けど働けど…ということなはずだ。

"ほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者農業従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まって"くるならば、他の職より稼いだ金で休息に充てられないものか?

まあ数の伸び具合を見るに過当競争だったかもしれない。

そもそもかるといっても底辺の争いだったのかもしれない。

かにこの5年に言及している文章があった。

19世紀末の 日本労働観一

https://darch.isl.or.jp/il/cont/01/G0000002rouken/000/019/000019561.pdf?log=true&mid=940004&d=1579046400437

久保田重孝'6)はこのバード旅行記をとりあげて,これは人力車夫の職業病にふれたものだとしたが,筆者'7)は当時の日本人の平均寿命が40幾歳という時代で,人力車夫の若死を職業病としてしまってよいかどうかわからないと書いたが,現在作業関連疾患に関係があると考えてもよさそうである

横山'8)は当時の人力車夫には「おかかへ」,「やど」「ばん」「もうろう」の区別があるとする。「おかかへ」は月に幾程と約束を定めて紳士の家に「おかかへ」となった者,「やど」とは一名部屋住み車夫で,挽子がこれにあたる。「ばん」とは一定駐車場所属する株車夫である

そして人力車夫中最も多いのが,貧民窟に住んで,車を借り,ひどい者は筒袖股引の衣裳まで借りて働く「朦車夫」で,車の借代は上等10銭,中等8銭,下等6銭で,3,4年前より2銭宛高くなった。この車夫の収入は日によってちがうが1日平均50銭くらいにはなる。

「家に女房あり,子供あり,如何に節約するも四十銭は之を要せん。残れる十銭を以て屋賃,衣服料,子供の小使等を除けば餘す所幾何なるべきか,特に規則労働に従ひ不定収入に服する人力車夫の常として,途中不用飲食物に金を捨てること多きを思へ、ば,束京市中五萬の人力車夫,知らず一日の生活

を能くし行くもの果して幾何ぞ。(原文のまま)'9)」

と書いている。1ただ,当時の入力車夫が,どんな意識で働いていたかは,判然としないが,生きて行くことがや

っとという生活だったことは確かである

まったくもって儲かってないという。自由業ゆえの収入不安定さまで述べられている。

バードさんに話した内容とは食い違うものがあるのか、やはりこれでも「他よりマシ」レベル貧困さだったのかもしれない。バードさんに話した人が誰か、あるいは複数聞き取りをまとめたものなのかはネット上ではからないが、明治9年東京府管内統計表とほぼ同じ台数を述べておきながらの賃金寿命への言及をしていたとしたら両方とも正しいと見るかちょっと変と見るべきか。

ひとつ付け加えると引用横山1871年まれで、バードさんが居た時代ではまだ8歳?時代に多少ずれがあることは覚えておく。

あと平均寿命も。19世紀末で40ちょっとというのはわかっていたようなでも結構驚く数字で、重労働できる年齢になって酷使して平均寿命も短いとなると数年が寿命ないし廃業ラインとなるのも一理あるのかなと覚えるしだいだ。


2,3のwebページを見ただけだが、自分感覚としては5年説はそういう印象が流布程度には信憑性があって、でもまあ誇張や比喩のようなものも感じて100%統計事実として平均5年で死ぬと言った訳ではないのかな、と受け止めておく。

そもそも(バードさんに)誰が言ったかがわからないので町人世間話採集かもしれん。

ひとまず自慢げにトリビアとして吹聴できるレベルではないなと記憶しておく。

そもそも気になった原因の漫画版では、知識階層ではないが勤勉で聡明な作劇上、日本文化解説する立場キャラクター自分の持つ知識としてセリフ披露している。だからまるで歴史的事実のように感ぜられてしまって調べたのだ。

作中では人力車が広まって何年かは書かれていな…かったと思うので、受け取りかたしだいではもう十何年も人力車が続きそのなかでの収束した寿命とも取れかねない印象だった。

原文のもひとつまえの「七年前に発明されたばかりなのに」というセリフも含まれていれば舞台が78年なので即座にまあうろんげだなと留保立場で流せたのだ。

そんな感じで時代劇はすべからくそうなんだろうけど適度に信じつつ適度に疑いつつ楽しんでおくことにする。

2021-05-21

anond:20210520160147

40代、好みがあいそうなおっさんです。

不思議の国のバードはいかがでしょう。

開国間もない日本を旅した実在イギリス人イザベラ・バード旅行を描いたものです。ここから少し読めますhttps://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_EB06000011010000_68/

蛇蔵つながりで - 「日本人の知らない日本語」、「天地創造デザイン部」もよいです。

イムリ」壮大なSFです。絵に抵抗を感じる方が多そうだけど、だんだん美しく思えてくると思います

あとはご趣味に合うかわからないですが「じこまん」、「バーナード嬢曰く」、「女騎士経理になる」、「山と食欲と私」、「サトコとナダ」、「僕らはみんな河合荘」が私は大好きです。

挙げられたうち以下は好みが被っているので、もしかするとお役に立てるかもしれないと思って書いてみました。科学数学じゃなくてごめんなさい。

高浜寛 - ニュクス角灯

冨樫義博 - HUNTERxHUNTER

岡本健太郎 - 山賊ダイアリー

蛇蔵 - 決してマネしないでください。

九井諒子 - ダンジョン飯

森薫 - 乙嫁語り

あずまきよひこ - よつばと!

元増田が挙げてくれた他のは知らないのも多かったので読んでみたいと思います。どうもありがとう

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2019-01-12

anond:20190112215642

今まで文化的に生きてたのを「悪は死ね!」と何千人も殺して、そんでいなかの文化ガチ死亡。生きるので精一杯になり餓死者を出しまくる。

イザベラ・バードの書いた本とか読むと「まじかよ政府サイテーだな!」ってなるぞー

まあ昭和がいいとは思わんけど市街地空襲メリケンだし

2016-12-17

イザベラ・バード漫画について

あれって典型的な「外国人日本を褒めさせて気持ちよくなる」系の漫画なんだけど

オススメツイートRTしまくってる村長ちょっと脇が甘いんじゃないの?

2011-08-19

ソウルの方が発展していたか

http://en.wikipedia.org/wiki/Korea_under_Japanese_rule

このwikipedia日本統治時代の韓国のページを見ていると、

"Seoul became the first city in East Asia to have electricity, trolley cars, water, telephone, and telegraph systems all at the same time"という記述があり驚いた。

そのソースhttp://orias.berkeley.edu/summer2007/Summer2007Summaries.htm#SUNG

Angus Hamiltonという人の記述によるものとなっている。

ちなみに”the first city in East Asia to have electricity”でググると2100件ほどヒットするが、

http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Seoulにも使われている記述でもあり、ほとんどがソウルとなっている。

正直、日本植民地前の韓国がどの程度発展してたのかという下衆な興味で調べており、

植民地支配による近代化やそれ以前の未発展さによって植民地支配を正当化することなどできないと分かってはいるが、

東京あるいは京都よりもソウルの方が発展していたのであれば、その時代の近代化の程度の認識を変えうるものでもあるし

そうでなければ、誤りを正す必要があるものであり、

その時期の歴史認識において、かなり重要な点であると思える。

どこそこの方が早かったでも、"all at the same time"という意味ならそうだとか、この本が学問上基本だろとかでもいいので

何か情報があったら是非教えてください。

(ついでに、そのhttp://orias.berkeley.edu/summer2007/Summer2007Summaries.htm#SUNGの上の記述

ウヨ側にもサヨ側にもコピペで使われることで有名なイザベラ・バード記述が用いられているが

1894年に初めて訪れた時の発展のひどさから1897年の再訪時のきれいな都市へのソウルの急変化の記述として引用されており

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080827/copipeの話と一致する。

まあ、”the Japanese certainly played a role in Korean modernization. However, looking at the dates above, clearly a lot of development happened before the Japanese annexation”

というソース元に続く下の記述が結局落とし所っぽいのではあるが。)

 
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