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2024-11-19

1泊2日ディズニー旅行

1日目

到着

9:00

JR舞浜駅

ホテル手続き

9:05

ウェルカムセンター

手荷物預かり

この場所のメイン業務荷物の運搬。

スーツケースを預ける。

ホテルに着いたらベルデスクへ取りに行ってくれ」と言われたが、「今までは部屋に入れてくれてたよね?」と聞くとやってくれるとのこと。

多分人手不足裏メニュー扱いになってる。

オンラインチェックイン

この場でチェックイン可能フロントに寄らずに部屋へ直行できる。

事前に公式サイト宿泊情報入力しておく必要がある。

チケット購入

ファンタジースプリングスマジックを購入。

ファンタジースプリングスホテル宿泊者特典(購入する権利が)。

宿泊証明書の受取り

ファンタジースプリングスホテル宿泊者用の証明書

ディズニーシーの、ファンタジースプリングスエントランスを通るために必要

ハッピーエントリー通行証の受取り

ディズニーホテル宿泊特典。開園15分前に入園できる。

備品レンタル

加湿器の貸し出しをお願いした。

正直言うとデフォで部屋に置いて欲しい。

ディズニーシーへ移動

9:30

リゾートゲートウェイステーション

妻子と合流

先にモノレールの駅へ向かわせて、フリー切符(2日分)を購入させていた。

以前はディズニーホテル宿泊特典で滞在日数分のフリー切符をもらえたのだが数年前に廃止された。

特別な絵柄だったか転売対象になってしまったのだと思う。

9:45

ベイサイドステーション

駅を出てホテルへ。ホテル敷地入り口宿泊証明書確認をされる。

9:50

ファンタジースプリングスホテル

ブラブラ見学。ついでにトイレ借りる。

ディズニーシー

10:10

ディズニーシー入園

ファンタジースプリングスエントランスから

手荷物検査後、宿泊証明書確認がある。

10:15

ファンタジースプリングス

エルサとアナが出歩いてた。

小腹が空いたのでモバイルオーダーで直近の時間を押さえる。

10:20

ルックアウトクックアウト

子供が食べたがっていたバターカレーチキンを注文。

曰く「KFCクリスピーの方がうまい」とのこと。肉自体にあまり旨味がなかったらしい。

10:40

ファンタジースプリングス

小腹が埋まったのでエリア内を散策

10:50

ネバーランドアドベンチャー

6月に乗って子供が気に入り、今回最初に乗ろうと言っていた。

なお6月に来た時はこれのスタンバイパスしか取れなかった。

11:10

ランタンフェスティバル

乗船時の注意事項アナウンスがサバサバしていてカサンドラみが強い(が、園崎未恵自身は出演を否定している)ので、これはO社側が狙ってやったか

11:30

フローズンジャーニー

ラプンツェル役の中川翔子が5年前に声を録ったとポストしていたので、多分このアナは存命中神田沙也加の声。

ちょっとした落下が数回あり、絶叫系が苦手な子供は驚いていた。

ホテルで昼食

11:50

ディズニーシー退園

ファンタジースプリングスエントランスから

このエントランスの利用自体宿泊限定のため、出る際にも宿泊証明書提示必要

入園手続きは、ハンドスタンプ廃止されチケット二次元コード登録する形となっている。

12:00

ファンタジースプリングスホテル

ラウンジで昼食&おやつ

ホテル建物を模したムースが食べたかったのだが、季節でメニューが切り替えられてしまい無くなっていた。残念。

ディズニーシー

13:20

ディズニーシー入園

ファンタジースプリングスエントランスから

手荷物検査と、宿泊証明書確認

手荷物検査は1年ほど前から新しい機械が導入されている。

荷物を持ったままゲートを通り、引っかかった人だけが荷物の中身を改められる。

俺は必ず引っかかる。

13:30

ファンタジースプリングスギフト

お土産屋さん。

6月に来たときは長蛇の列だったので入店を諦めた。今回は特に列も無く、さらっと入れたので良かった。

ホテル内に土産屋を置かず、パーク内にのみ設置しているのはおかしいと思う。

13:50

ファンタジースプリングス

またブラブラエリア内を散策

14:10

ジーバギー

子供小学生男子)は可愛いものが大好きなので、新アトラクションの中でこれが一番気に入ったとのこと。

マジックパスは超速で乗れるが、通常スタンバイの進まなさが酷い程度には乗車効率が悪い。

14:20

ファンタジースプリングス

ブラブラ散策

ホテルの部屋へ

14:50

ディズニーシー退園

ファンタジースプリングスエントランスから

宿泊証明書提示。再入園手続き

15:00

ファンタジースプリングスホテル

ファンタジーシャトー

チェックイン済みなので、フロントに寄らず部屋へ直行

荷物ちゃんと届いていることを確認

途中の通路フレグランス匂いが強すぎる。多分バラベース香り

あとでホテルの外に出た際、服に匂いが染み付いているのに気づくレベル

しばらく部屋でだらだらする

ディズニーシー

16:20

ディズニーシー入園

ファンタジースプリングスエントランスから

手荷物検査と、宿泊証明書確認

16:30

フローズンジャーニー

これの人気・混雑度合いを考えると、再び乗るのはしばらく先になりそうなので、気が済むまで乗ることにする。

子供は怖くて乗りたくないとのことだったので妻に任せ別行動。

16:45

フローズンジャーニー


17:00

フローズンジャーニー


17:20

ロイヤルバンケット

城の中を見たかったので、妻子と合流してお茶にする。

別行動中、妻子はネバーランドアドベンチャーとビジーバギーに乗ってきたとのこと。

子供から夜のビジーバギーが大変良かったと聞き、このあと一緒に乗ることに。

17:40

ジーバギー

照明の雰囲気が良い。デート向き。

(別の)ホテルで夕食

18:00

ディズニーシー退園

ファンタジースプリングスエントランスから

宿泊証明書提示。再入園手続き

18:05

ベイサイドステーション

夕食へ移動

18:10

東京ディズニーシーステーション

ミラコスタ側改札から出る。

18:15

ホテルミラコスタ

レストランで夕食

19:15

レストランテラスビリーヴ鑑賞

このあと妻子はミラコスタから入園してファンタジースプリングスまで散歩するとのことで、またも別行動に。

ディズニーシー

20:00

東京ディズニーシーステーション

降りる時は楽だが、乗る時はちょっと大回りになって面倒くさい。

20:15

ベイサイドステーション

戻ってきた

20:20

ディズニーシー入園

ファンタジースプリングスエントランスから

もう従業員も俺の顔見て「ああ、またアンタかい」という顔してる。

手荷物検査と、宿泊証明書確認

やはり手荷物検査に引っかかる。

20:25

フローズンジャーニー


20:40

フローズンジャーニー


20:50

花火


20:55

フローズンジャーニー


ホテル

21:10

妻子と合流

ディズニーシー退園

ファンタジースプリングスエントランスから

宿泊証明書提示

21:15

ファンタジースプリングスホテル

部屋へ戻り、風呂入って寝た。

2024-11-17

幼少期に形成される身内との信頼関係

あんまり覚えてないんだけど、俺は幼年期に同居してる父方の祖母によく外に連れてって貰い、都内のあちこちに連れて行って貰っていたらしい。

年子の弟もいたので、嫁の負担を減らしてあげる心算もあったのだろう。

俺が一つ覚えているのは、祖母電車に乗って出かけ改札を出かけた時の事だ。祖母が一人で先に改札を抜けてスタスタと先に行ってしまった事があった。「おばあちゃん!」と呼びかけても振り向きもせず、切符概念も把握も改札のシステムもわからない俺はどうすればいいかからなかったので、そのまま改札を突っ切り祖母に追いついた。

他にもあちこち連れて行って貰った記憶はあるが、楽しかった記憶というのは正直あまりない。辛かったのか、行きたくなかったのかもよく覚えてない。

俺は愛想だけは良かったので、あちこち祖母について行くお婆ちゃん好きなおばあちゃんっ子だと言われていたので「俺はおばあちゃん好きなおばあちゃん子なのか〜」と当時は刷り込まれていたが、気づいた時には祖母のことはどちらかと言えば好きではなかった。同居家族としての割切りと諦念があった。こういう事を言うのもあれだが、正直に言って尊敬できる所を探すほうが難しかった。俺が歳を重ね、比較対象となる大人が増えていく度に、祖母デリカシーの無さや常識の無さ、相手気持ちに立って考える事が出来ない思慮の無さや軽薄さ、衝動で動く計画性の無さ、被害妄想に由来する攻撃性の高さ、感情の起伏の激しさなどが浮き彫りになって行き、悪い所ばかり目につくようになった。

俺は母方の祖母が寡黙で勤勉で優しくて好きだったし、母方の祖父は村一番の頑固者で難しい人だったが尊敬できる所もちゃんとあった。父方の祖母が好きではなくなったのはいからなんだろう。小さい頃はよく出かけてたよな……とぼんやりと思うことはあったが、正直どうでも良かったのであんまり考えた事も無かった。

そんな祖母ボケだした。実の親なのにノータッチな父(休みの日は酒のんでヤニ食って寝てるだけなので祖母からの呼びかけもガン無視、家のことは何一つやらない)と、ボケは甘えだと思ってる弟(祖母の呼びかけに対しても「なにいってんのかわけわかんねえよ」と足蹴にし、家のことは何一つやらない)は我関せず。母はパートをしながらわけのわからんことを言い続ける祖母の世話をしていて顔色を一つ変えず明るく振る舞っていたが、俺はこのままでは母が潰れると思い、実家に戻って祖母の世話の手伝いをする事にした。祖母は要介護1になっていた。「実母の世話もしない旦那なんて見切りつけてさっさと離婚しても誰も文句言わんよ。カフカの変身みたいにお母さんが居なくなったら残された家族がしっかりしだすかもよ」なんて言いながら、母の溜まりに溜まった愚痴を聞いていた。

そんな中で、母から俺が子供の頃に祖母に外につれてかれていた話を聞かされた。

祖母は俺を人混みに連れて行って、俺を撒いて泣きながら祖母を探す俺を隠れて見る趣味があったらしい。泣きながら「おばあちゃんどこ」と探し回る俺が可愛くてしょうがなかったらしい。母がそれを知った経緯は、父と母と俺の三人で出かけた時に、父が母を連れて俺を撒いて泣いて親を探す光景を母に見せたことがあったそうだ。母は大激怒したらしい。後に祖母も全く同じ事をしていたと知って唖然としたそうだ。

俺はその話を聞いて、改札で俺を置いて先に行く祖母記憶が、今までの曖昧感覚が、全てが繋がった気がした。そうか、俺はどこかのタイミング祖母が嫌いになったんじゃなくて、もともと祖母が好きじゃなかったのか。おばあちゃん子という刷り込みが、小さい頃あちこち出かけていたおぼろげな記憶が、俺の判断を鈍らせていた。なんなら父への不信感や信頼が皆無な事までも繋がった。

心理学用語に「安全基地」という概念がなんか書いてて面倒くさくなってきた。

2024-11-12

anond:20241112172457

いや、俺もシステムトラブルはつきものって業務とかで経験してるからこそ、

いきなりマイナ保険証もどうかと思うし、ずっとマイナンバーカードの代替案は必要だと思ってるよ…😟

関係ないけど、自動改札切符QRコード化もなんかイヤな予感がしてる…😟

2024-11-05

なぜ、大半の人が守れないルールを定めて処罰するのがいけないのかというと

http://hhttps//www.nikkei.com/article/DGXZQOUA043PA0U4A101C2000000/

NY市で「信号無視合法に 違反切符人種差別配慮

ニューヨーク=長尾里穂】米ニューヨーク市で4日までに、信号無視横断歩道のない道の歩行を認める法案が成立した。これまで違法だったが、違反切符を切られる対象有色人種に集中しているとの批判配慮した格好だ。一方、市民から交通ルールが緩むことで道路上の安全が確保できなくなることを危惧する声が出ている。

お仲間である白人無視し、仲間でない有色人種いじめる口実として使われることが多々あるからである

2024-11-01

また変な署名やってる…

JR旅客6社に対し、「青春18きっぷ」を従来の制度に戻すよう要望します。

27,151人が坂井 啓一さんのオンライン署名賛同しました。目標賛同数35,000を一緒に目指しましょう!

ワンクリック賛同

JR旅客6社は2024年10月24日、「青春18きっぷ」について2024年冬季から制度を大きく改定(改悪)する発表を行ないました。

【変更点】

 ・従来の5日間用に加え、3日間用を追加。

 ・自動改札対応

 ・5日用or3日用の連続利用に限る。

 ・1枚の切符複数人使用不可

以前は5日間自由に使え、また一つのチケット複数人の利用が可能であったこパスが、新制度では3日間用が追加された上で、5日用と3日用の連続利用に限定さらに、複数人利用の可能性が失われました。

これにより、「青春18きっぷ」の大きな魅力であった、自由で共有可能使用が大きく制約されることになります。これらの変更は、「青春18きっぷ」の本来目的とも言える、自由気ままな旅や友人・家族との共有旅行を実現させる大きなメリットを大きく削ぎ落とすものです。その結果、使用者はその魅力をほとんど感じられなくなってしまうのではないでしょうか。

まりにも利用者利便性を損なうものであることに強い不満を感じています

そのため、私たちJR旅客6社に対し、2025年春季には元の制度回復するよう強く求めます私たち楽しい旅のひと時を、「青春18きっぷ」によって奪わせません。

この声を届けるため、皆さんの署名をお願いします。

鉄オタってマジで仕事してないの??

社会存在価値ある???

2024-10-28

anond:20241028034542

国内旅なんて金さえあれば大抵の事はどうとでもなるんだから荷物なんて気にするな。

服がなければ現地で買え。充電器忘れたら買え。切符なかったら買え

2024-10-26

どこに投票すればいいのか誰か教えてくれ。助けてくれ。

誰か教えてくれ、衆議院選挙投票先を。

どの党に投票すればいいかを。

経済政策政治とカネ非公認社会保障外交国防選択夫婦別姓表現規制、反ワクチン政治家や支持者の発言で、SNSではあらゆる論点俎上にのぼっている。

だって選べるのだ、論点がこれらだけなら。

20年近く選挙投票してきたから。自分だって政治思想があるから普段だったら選択できたはずなのだ

でも、今回ばかりはどうすればいいのか分からない。

なぜなら、多くの政治家、それに支持者、政治ちゃんと関心がある人でも、ごく一部の人を除いてほとんどが正面から向き合っていない、それとも気づけていないリスクがあるせいで。

『どうも再来週11月5日の米国大統領選で、トランプが割と勝ちそうな情勢になっている』ことだ。

衆院選をめぐる様々な論点の中で、「ハリスが勝ってもトランプが勝ってもちゃんと付き合える首相・党を選びましょうね」と無難に言っている人もたまに見かけるが、そのくらいのテンションで語れるのは、たぶん、ドナルド・トランプという危険人物大統領選勝利する可能性をかなり低く見積もっていて、本心ハリスだろうと思っているのではないか

たぶん、少なくない人が、うっすらと「ハリスが勝つ情勢になったんでしょ?」と思っているだろう。それは、そうなるはずだったのだ。今は違うということをまだ知らない。

7月13日に選挙集会中のトランプが一度暗殺されかけた後、バイデン高齢による不安と低支持率問題視され、7月21日にバイデン大統領選を断念した。そして8月6日にハリス正式大統領候補として指名を受けた。もともとは国民の人気が低く、大統領選に立った場合支持率不安視されていたハリスも、実際に大統領候補になると想像はるかに超えて善戦若さもあってトランプに対して完全に優位に立ち、トランプ再選リスクは大幅に低くなった。

普通に政治への関心がある人」程度なら、米大統領選についての認識は、この辺りで終わっていると思う。まあハリスが勝つ流れになったんでしょ、と認識しているだろう。トランプマック店員やったりヒトラー関連の失言したくらいは流れてきただろうが。

そういう認識は、9月中くらいまでは正しかった。9月11日にあったハリストランプ第一回目の討論の後も、ハリスの優位はほとんど揺るがずに、トランプは二回目の討論を拒否した。9月15日にトランプが二度目の暗殺未遂にあったが、アメリカでさえ前回ほどの話題にならなかった。この辺りまでは、確実にハリスが優位だった。

その後、保守派が「カマラハリスの業績」という題名白紙の本を売り出してハリス揶揄したり、イーロン・マスクトランプ応援キャンペーンを打って選挙違反と批判されたり、大統領候補がずっと出席してきたカトリックの晩餐イベントハリスが欠席してトランプ揶揄されたり、この時ハリス批判した枢機卿リベラルから叩かれたり、ハリス庶民層の支持者を得るためマクドナルドで働いていた過去を語ったり、保守側が嘘だ証拠を見せろと叩いた挙句それに乗ってトランプが一日マクドナルド店員を務めたり、トランプヒトラーの部下みたいな部下が欲しかったと語って案の定叩かれたり、泥仕合みたいなしょうもない選挙戦が繰り広げられるうち、何一つ劇的な事件も決定打も無いまま、なぜか10月の間ハリス支持率がジリジリ、着実に下がっていった。もちろん、ハリス支持率の方が上がった州もあるが、全体の傾向としてはトランプの方に天秤が傾き始め、支持率だけでなく、各州の予想される選挙結果を総合してもトランプ当選確率が徐々に上昇していき、とうとうCNNやWSJなども互角かトランプ勝利可能性が僅かに高いという結果を出し始めた。

ウクライナ情勢を軽視するトランプに度々接触を図っていたゼレンスキーは今週、「make russia small again」というシャツを着て演説した。どう見ても欧米リベラルには評判が悪いであろうことが容易に予想のつくこの行動を選んだ背景には、トランプ当選可能性の上昇を踏まえてトランプの歓心を買うための苦渋の決断があっただろう。

こういう状況が、国内政治に関心のある人さえリーチしきっていない事情も分かる。日本から米大統領選の情報を得ようとすると、Qアノン日本保守党支持者みたいな連中が、郵便投票不正だのバイデンジャンプだの陰謀論デマばっかり流すし、バラモン左翼バラモン左翼で、如何にトランプとその支持者が非民主主義的な言動を繰り返していて愚劣であるかという情報しかさない。あと、賭けサイト勝利率を見てこっちが優勢!と触れ回るような短絡的な人々の狂騒。そういうノイズが大きすぎるので、正気人間ほど情報仕入れようとしないせいだ。

それでもごくごく一部の、CNN的な世界観とFOX的な世界観の双方の選挙報道や世論調査淡々分析し続けている人たちは、どうも10月に入ってからトレンドトランプに傾き始め、どちらの世界観から見ても、2020年のバイデン勝利時よりは明らかに2016年のトランプ勝利時に、問題となる州こそ違うけれど構図が似てきていることに気づき始めていた。ちなみに一部世論調査最初トランプ有利に傾き始めた頃、米国民主党支持者とそれに追従する一部の日本人は、「世論調査共和党組織的なハックをされ始めたのでもう信用できない」と主張していて、Qアノンみたいになるありさまだった。

何が最悪かといえば。

さっき書いた通りハリス指名されたのは8月6日で、直後にハリス有利の世論調査が出て、岸田文雄が次期総裁選不出馬を表明したのは8月14日だってこと。

分かるだろうか。

きっと岸田はハリス大統領選に勝つという前提のもと、総理大臣の座を降りている。

バイデン政権の後半は、バイデン大統領選で再度トランプに勝てるか怪しいとずっと疑問視されていたので、トランプ政権再誕というリスクが一番低くなった瞬間に、岸田は不出馬選択したということになる。さらに。自民党総裁選は、9月12日告示、27日投開票だった。ハリス優勢は揺らいでいなかった。自民党総裁選に投票できた党員議員の中で、トランプ絶対支持の一部のやばい人間を除いて、次の米国大統領トランプになることを前提に投票できた人間はほぼいなかっただろう。

今の首相は、ここ二年間くらいで一番、トランプ大統領があり得なさそうなタイミングで選ばれてしまった。

その結果、靖国参拝日韓関係破壊し、極東自由主義圏の連帯を揺るがしかねない高市早苗と(トランプ米大統領になった場合日本自由主義国家として信頼の置ける首脳が、尹錫悦のほか極東にいるだろうか?)、中国観が習近平国家主席就任以前で腐り落ちていて、日米地位協定改定アジアNATO設立など鳩山由紀夫生霊のような大東亜共栄圏レベルに終わった極東観を持つ石破という、外交の二大リスク………大統領トランプなら絶対に選んではいけない二人を残してしまった。そして、自民党は第二次鳩山政権を選んだ。驚くべきことにこの鳩山二号、アジアNATO設立喧伝してアメリカ外交筋だけでなくインド外相から批判され、一旦ひっこめたかと思いきや主張を再開、その結果つい二日前に中印首脳が会談し劇的に両国関係改善させており、麻生安倍菅岸田が15年積み上げてきた対中包囲網を一か月足らずで破壊するという最悪の結果を生み出している。

一方で立憲民主党はといえば、代表野田佳彦に変えた結果、民主党政権とは違う現実的外交政策に転換したというイメージを持たれている。だがそれは単なるイメージ戦略に過ぎない。というのも2006年に国と県知事合意していた普天間から辺野古への移設について、2009年に鳩山目玉政策ひとつとして最低でも県外移設宣言して政権交代、移転先の候補が無いままオバマトラストミーして信頼を失い迷走した挙句2010年に鳩山自身辺野古撤回を断念して米国合意するというプロセス日米関係を滅茶苦茶にした、その民主党の後継政党たる立憲民主党が、改めて「辺野古移設撤回」するという日米関係を今度こそ木端微塵に砕く内容を、公約の目玉に入れている。公約には更に安保法制違憲部分を廃止する宣言とセットで、石破と同じく日米地位協定改定も入れているという、どう見ても民主党鳩山政権外交政策復活を声高にうたっているのだ。

そう、今、何の因果日本自公政権立憲民主党中心政権、どちらを選ぼうと第二次鳩山内閣外交になる政治状況なのだ。そのうえで今回は、五割超の確率で、相手正気オバマではなく、共和党の抑えさえきかず個人的世界観に生きるドナルド・トランプだ。

投票は人を殺す。

小泉純一郎政権支持に投じられた票は、非正規雇用を爆増させ、間接的に多くの人を殺しただろう。民主党政権誕生支持に投じられた票は、円高不況就職率の低下で、間接的に多くの人を殺しただろう。

でもそれは、反対側に投票していれば、加担することを回避できていた殺人だ。

ドナルド・トランプ大統領になった場合、それは万が一ではなく、もはや、半が一以上の確率で起こりうるのだけど、私が入れる一票は、どちらに入れても恐らく人を殺す。

一部ネトウヨの中では対中強硬派ということになっているが、「中国台湾占領したら200%の関税をかける」という、一見脅しのようで「中国台湾占領しても交戦はしない」かのような宣言を一週間前にしたばかりで、台湾有事リスクを既に高めているトランプだ。

もともとプーチン尊敬していると発言していて、自分大統領になったら速やかにロシアウクライナ戦争が終わると主張し、つい今月、プーチンとの関係を問われて大統領辞任後に私的な連絡を取っていた可能性を否定しなかったトランプだ。

もともとイスラエル擁護的であり、今週、ネタニヤフに会談で「あなたがやるべきことをやればいい」と伝えたばかりのトランプだ。

そういう人間米国大統領になった場合米国軍事力に頼らなければ生きていけない日本国の首相が、米国インド丸め込みながら自由主義サイドで中国牽制して台湾有事を起こらないようにし、ロシア侵略虐殺抗うウクライナ欧米韓国とともに支援し、アメリカ庇護される状況にありながらイスラエルガザ虐殺を最大限非難するという、戦後80年平和主義を貫いてきた国家代表としてあるべき舵取りができるだろうか? 一手間違うだけで、不正義と虐殺自由主義社会崩壊に加担することになる、そんな綱渡りをやり遂げることができるだろうか?

信念の岸田か、トランプになぜか信頼された安倍なら、できるか少なくともやろうとしただろうし、上川とか林とか、総裁選の序盤で散った人にも、もしかしたらできたかもしれない。

でも、目の前に示されたのは、どちらにも「鳩山由紀夫首相」と書かれた二枚の切符だ。

彼らが何もしないとか、トランプ妄言追従するということさえ最悪でないかもしれない。自分ならロシアウクライナ戦争を終わらせられると豪語して親露派議員を連れてプーチンに電撃面会、まんまと丸めまれ日本首相としてプーチン片棒を担がされるくらいまであり得る。きっと鳩山ならそうした。

からこそ、聞きたい。私は誰に投票すればいいんだ。

与党に入れても鳩山政権

野党に入れても鳩山政権

大統領ドナルド・トランプ

高市早苗支持者は、「自民党下野しない程度に負けたら石破が退陣して別の首相になる」という夢物語を語って戦略投票を気取っているが、そんなのは都合のいい現実逃避だ。大負けしても石破総裁のままだったらどうする気だ。議席が狙っていたよりも減って立憲民主党政権になったらどうする気だ。今回もし政権交代が起きて、立憲が民主党政権の失敗を踏まえて絶対衆議院解散しなかった場合、四年先まで、つまりあなた達の大好きなトランプ大統領になった場合任期四年間、ずっと立憲民衆党政権である可能性を想定しているのか。

国民民主党をはじめとする第三極支持者は、自分たちに入れろと言うかもしれない。でもそれって現実的自民か立憲のどちらかが第一党になる状況下では単なる甘言で、単純に自公政権議席を減らして野田内閣誕生アシストするか、総選挙自公政権と連立して石破内閣アシストするか、そのどちらかでしかない。

与党に入れれば、第二次鳩山政権になる。

野党に入れれば、第二次鳩山政権になる。

米国大統領トランプになった瞬間………それはほぼ五割以上の確率で起こりうるのだけど、私の投票は、きっとどこかの国で人が殺される未来に加担することになる。

絶対白紙投票棄権はしない。それは普通選挙保証された自由主義国家で生きられる人間にとって、致命的な恥だ。

でもだからこそ教えて欲しい。私は誰に投票すればいい? 四年後、すべてがグチャグチャになっているかもしれない世界で、胸を張っていられる投票はあるのか?

最後に言わせてほしい。私はトランプ再選が現実にならないことを祈っている。ただトランプが次の大統領に本当に選出された場合日本がどちらの鳩山政権であったとしても、当面の間、首相をはじめ主要な政治家与党野党わず、どうかできる限り今以上にSPを増やしてほしい。熱狂的なトランプ信者日本人が「こいつを排除したら日本トランプとの関係が良くなる」とか、熱狂的な反トランプ日本人が「こいつを排除して日本トランプ化を阻止する」とか行動を起こしかねない。絶対そいつらの企みを成功させるな。これ以上日本を二・二六の時代に戻さないでくれ。

ネットオープンな箇所に長文を書いたことが一度もないから、どうすればこの記事が人に読んでもらえるか分からなかった。昼にこれと同じ文章を上げたけれど全然まれなかったので、ヤケになって上げ直し、はてなブログにもnoteにも上げた私を許してほしいい。

誰に投票すればいいんだ。誰か教えてくれ、助けてくれ

誰か教えてくれ、衆議院選挙投票先を。

どの党に投票すればいいかを。

経済政策政治とカネ非公認社会保障外交安全保障選択夫婦別姓表現規制、反ワクチン政治家や支持者の発言で、SNSではあらゆる論点俎上にのぼっている。

だって選べるのだ、論点がこれらだけなら。

20年近く選挙投票してきたから。自分だって政治思想があるから普段だったら選択できたはずなのだ

でも、今回ばかりはどうすればいいのか分からない。

なぜなら、多くの政治家、それに支持者、政治ちゃんと関心がある人でも、ごく一部の人を除いてほとんどが正面から向き合っていない、それとも気づけていないリスクがあるせいで。

『どうも再来週11月5日の米国大統領選で、トランプが割と勝ちそうな情勢になっている』ことだ。

衆院選をめぐる様々な論点の中で、「ハリスが勝ってもトランプが勝ってもちゃんと付き合える首相・党を選びましょうね」と無難に言っている人もたまに見かけるが、そのくらいのテンションで語れるのは、たぶん、ドナルド・トランプという危険人物大統領選勝利する可能性をかなり低く見積もっていて、本心ハリスだろうと思っているのではないか

たぶん、少なくない人が、うっすらと「ハリスが勝つ情勢になったんでしょ?」と思っているだろう。それは、そうなるはずだったのだ。今は違うということをまだ知らない。

7月13日に選挙集会中のトランプが一度暗殺されかけた後、バイデン高齢による不安と低支持率問題視され、7月21日にバイデン大統領選を断念した。そして8月6日にハリス正式大統領候補として指名を受けた。もともとは国民の人気が低く、大統領選に立った場合支持率不安視されていたハリスも、実際に大統領候補になると想像はるかに超えて善戦若さもあってトランプに対して完全に優位に立ち、トランプ再選リスクは大幅に低くなった。

普通に政治への関心がある人」程度なら、米大統領選についての認識は、この辺りで終わっていると思う。まあハリスが勝つ流れになったんでしょ、と認識しているだろう。トランプマック店員やったりヒトラー関連の失言したくらいは流れてきただろうが。

そういう認識は、9月中くらいまでは正しかった。9月11日にあったハリストランプ第一回目の討論の後も、ハリスの優位はほとんど揺るがずに、トランプは二回目の討論を拒否した。9月15日にトランプが二度目の暗殺未遂にあったが、アメリカでさえ前回ほどの話題にならなかった。この辺りまでは、確実にハリスが優位だった。

その後、保守派が「カマラハリスの業績」という題名白紙の本を売り出してハリス揶揄したり、イーロン・マスクトランプ応援キャンペーンを打って選挙違反と批判されたり、大統領候補がずっと出席してきたカトリックの晩餐イベントハリスが欠席してトランプ揶揄されたり、この時ハリス批判した枢機卿リベラルから叩かれたり、ハリス庶民層の支持者を得るためマクドナルドで働いていた過去を語ったり、保守側が嘘だ証拠を見せろと叩いた挙句それに乗ってトランプが一日マクドナルド店員を務めたり、トランプヒトラーの部下みたいな部下が欲しかったと語って案の定叩かれたり、泥仕合みたいなしょうもない選挙戦が繰り広げられるうち、何一つ劇的な事件も決定打も無いまま、なぜか10月の間ハリス支持率がジリジリ、着実に下がっていった。もちろん、ハリス支持率の方が上がった州もあるが、全体の傾向としてはトランプの方に天秤が傾き続け、支持率だけでなく、各州の予想される選挙結果を総合してもトランプ当選確率が徐々に上昇していき、とうとうCNNやWSJなども互角かトランプ勝利可能性が僅かに高いという結果を出し始めた。これは一時の、一社統計のまぐれでは無く10月の間ずっとトランプ支持拡大の方へ推移していって、今週、遂に喫水線を超えたものであり、そして、大統領選までもう二週間を切っている。

ウクライナ情勢を軽視するトランプに度々接触を図っていたゼレンスキーは今週、「make russia small again」というシャツを着て演説した。どう見ても欧米リベラルには評判が悪いであろうことが容易に予想のつくこの行動を選んだ背景には、トランプ当選可能性の上昇を踏まえてトランプの歓心を買うための、被侵略国の指導者としての苦渋の決断があったのだろう。

こういう状況が、国内政治に関心のある人さえリーチしきっていない事情も分かる。日本から米大統領選の情報を得ようとすると、Qアノン日本保守党支持者みたいな連中が、郵便投票不正だのバイデンジャンプだの陰謀論デマばっかり流すし、バラモン左翼バラモン左翼で、如何にトランプとその支持者が非民主主義的な言動を繰り返していて愚劣であるかという情報しかさない。あと、賭けサイト勝利率を見てこっちが優勢!と触れ回るような短絡的な人々の狂騒。そういうノイズが大きすぎるので、正気人間ほど情報仕入れようとしないせいだ。

それでもごくごく一部の、CNN的な世界観とFOX的な世界観の双方の選挙報道や世論調査淡々分析し続けている人たちは、どうも10月に入ってからトレンドトランプに傾き始め、どちらの世界観から見ても、2020年のバイデン勝利時よりは明らかに2016年のトランプ勝利時に、問題となる州こそ違うけれど構図が似てきていることに気づき始めていた。ちなみに一部世論調査最初トランプ有利に傾き始めた頃、米国民主党支持者とそれに追従する一部の日本人は、「世論調査共和党組織的なハックをされ始めたのでもう信用できない」と主張していて、Qアノンみたいになるありさまだった。

何が最悪かといえば。

さっき書いた通りハリス指名されたのは8月6日で、直後にハリス有利の世論調査が出て、岸田文雄が次期総裁選不出馬を表明したのは8月14日だってこと。

分かるだろうか。

きっと岸田はハリス大統領選に勝つという前提のもと、総理大臣の座を降りている。

バイデン政権の後半は、バイデン大統領選で再度トランプに勝てるか怪しいとずっと疑問視されていたので、トランプ政権再誕というリスクが一番低くなった瞬間に、岸田は不出馬選択したということになる。さらに。自民党総裁選は、9月12日告示、27日投開票だった。ハリス優勢は揺らいでいなかった。自民党総裁選に投票できた党員議員の中で、トランプ絶対支持の一部のやばい人間を除いて、次の米国大統領トランプになることを前提に投票できた人間はほぼいなかっただろう。

今の首相は、ここ二年間くらいで一番、トランプ大統領があり得なさそうなタイミングで選ばれてしまった。

その結果、靖国参拝日韓関係破壊し、極東自由主義圏の連帯を揺るがしかねない高市早苗と(トランプ米大統領になった場合日本自由主義国家として信頼の置ける首脳が、尹錫悦のほか極東にいるだろうか?)、中国観が習近平国家主席就任以前で腐り落ちていて、日米地位協定改定アジアNATO設立など鳩山由紀夫生霊のような大東亜共栄圏レベルに終わった極東観を持つ石破という、外交の二大リスク………大統領トランプなら絶対に選んではいけない二人を残してしまった。そして、自民党は第二次鳩山政権を選んだ。驚くべきことにこの鳩山二号、アジアNATO設立喧伝してアメリカ外交筋だけでなくインド外相から批判され、一旦ひっこめたかと思いきや主張を再開、その結果つい二日前に中印首脳が会談し劇的に両国関係改善させており、麻生安倍菅岸田が15年積み上げてきた対中包囲網を一か月足らずで破壊するという最悪の結果を生み出している。

一方で立憲民主党はといえば、代表野田佳彦に変えた結果、民主党政権とは違う現実的外交政策に転換したというイメージを持たれている。だがそれは単なるイメージ戦略に過ぎない。というのも2006年に国と県知事合意していた普天間から辺野古への移設について、2009年に鳩山目玉政策ひとつとして最低でも県外移設宣言して政権交代、移転先の候補が無いままオバマトラストミーして信頼を失い迷走した挙句2010年に鳩山自身辺野古撤回を断念して米国合意するというプロセス日米関係を滅茶苦茶にした、その民主党の後継政党たる立憲民主党が、改めて「辺野古移設撤回」するという日米関係を今度こそ木端微塵に砕く内容を、公約の目玉に入れている。公約には更に安保法制違憲部分を廃止する宣言とセットで、石破と同じく日米地位協定改定も入れているという、どう見ても民主党鳩山政権外交政策復活を声高にうたっているのだ。

そう、今、何の因果日本自公政権立憲民主党中心政権、どちらを選ぼうと第二次鳩山内閣外交になる政治状況なのだ。そのうえで今回は、五割超の確率で、相手正気オバマではなく、共和党の抑えさえきかず個人的世界観に生きるドナルド・トランプだ。

投票は人を殺す。

小泉純一郎政権支持に投じられた票は、非正規雇用を爆増させ、間接的に多くの人を殺しただろう。民主党政権誕生支持に投じられた票は、円高不況就職率の低下で、間接的に多くの人を殺しただろう。

でもそれは、反対側に投票していれば、加担することを回避できていた殺人だ。

ドナルド・トランプ大統領になった場合、それは万が一ではなく、もはや、半が一以上の確率で起こりうるのだけど、私が入れる一票は、どちらに入れても恐らく人を殺す。

一部ネトウヨの中では対中強硬派ということになっているが、「中国台湾占領したら200%の関税をかける」という、一見脅しのようで「中国台湾占領しても交戦はしない」かのような宣言を一週間前にしたばかりで、台湾有事リスクを既に高めているトランプだ。

もともとプーチン尊敬していると発言していて、自分大統領になったら速やかにロシアウクライナ戦争が終わると主張し、つい今月、プーチンとの関係を問われて大統領辞任後に私的な連絡を取っていた可能性を否定しなかったトランプだ。

もともとイスラエル擁護的であり、今週、ネタニヤフに会談で「あなたがやるべきことをやればいい」と伝えたばかりのトランプだ。

そういう人間米国大統領になった場合米国軍事力に頼らなければ生きていけない日本国の首相が、米国インド丸め込みながら自由主義サイドで中国牽制して台湾有事を起こらないようにし、ロシア侵略虐殺抗うウクライナ欧米韓国とともに支援し、アメリカ庇護される状況にありながらイスラエルガザ虐殺を最大限非難するという、戦後80年平和主義を貫いてきた国家代表としてあるべき舵取りができるだろうか? 一手間違うだけで、不正義と虐殺自由主義社会崩壊に加担することになる、そんな綱渡りをやり遂げることができるだろうか?

信念の岸田か、トランプになぜか信頼された安倍なら、できるか少なくともやろうとしただろうし、上川とか林とか、総裁選の序盤で散った人にも、もしかしたらできたかもしれない。

でも、目の前に示されたのは、どちらにも「鳩山由紀夫首相」と書かれた二枚の切符だ。

彼らが何もしないとか、トランプ妄言追従するということさえ最悪でないかもしれない。自分ならロシアウクライナ戦争を終わらせられると豪語して親露派議員を連れてプーチンに電撃面会、まんまと丸めまれ日本首相としてプーチン片棒を担がされるくらいまであり得る。きっと鳩山ならそうした。

からこそ、聞きたい。私は誰に投票すればいいんだ。

与党に入れても鳩山政権

野党に入れても鳩山政権

大統領ドナルド・トランプ

高市早苗支持者は、「自民党下野しない程度に負けたら石破が退陣して別の首相になる」という夢物語を語って戦略投票を気取っているが、そんなのは都合のいい現実逃避だ。大負けしても石破総裁のままだったらどうする気だ。議席が狙っていたよりも減って立憲民主党政権になったらどうする気だ。今回もし政権交代が起きて、立憲が民主党政権の失敗を踏まえて絶対衆議院解散しなかった場合、四年先まで、つまりあなた達の大好きなトランプ大統領になった場合任期四年間、ずっと立憲民衆党政権である可能性を想定しているのか。

国民民主党をはじめとする第三極支持者は、自分たちに入れろと言うかもしれない。でもそれって現実的自民か立憲のどちらかが第一党になる状況下では単なる甘言で、単純に自公政権議席を減らして野田内閣誕生アシストするか、総選挙自公政権と連立して石破内閣アシストするか、そのどちらかでしかない。

与党に入れれば、第二次鳩山政権になる。

野党に入れれば、第二次鳩山政権になる。

米国大統領トランプになった瞬間………それはほぼ五割以上の確率で起こりうるのだけど、私の投票は、きっとどこかの国で人が殺される未来に加担することになる。

絶対白紙投票棄権はしない。それは普通選挙保証された自由主義国家で生きられる人間にとって、致命的な恥だ。

でもだからこそ教えて欲しい。私は誰に投票すればいい? 四年後、すべてがグチャグチャになっているかもしれない世界ウクライナガザ惨禍が加速拡大して、台湾やその他の地域をも焼いているかもしれない世界で、胸を張っていられる投票はあるのか?

この記事を書き始めたとき、26日の零時ごろで、書き終える今までに、Xでもぽつぽつと「トランプが勝ちそうになっているのでは」という指摘が広まり始めた。ただそれはもっぱら右派のごく一部での拡散で、理性ある中道左派の間にこの状況が伝わるのは、衆院選当日には間に合わないだろう。右派が「トランプが勝つ」と喧伝するのはこれまで多くの場合希望的観測であり妄言だったのだから。彼らは余りにも信頼を失いすぎた。

最後に言わせてほしい。私はトランプ再選が現実にならないことを祈っている。ただトランプが次の大統領に本当に選出された場合日本がどちらの鳩山政権であったとしても、当面の間、首相をはじめ主要な政治家与党野党わず、どうかできる限り今以上にSPを増やしてほしい。熱狂的なトランプ信者日本人が「こいつを排除したら日本トランプとの関係が良くなる」とか、熱狂的な反トランプ日本人が「こいつを排除して日本トランプ化を阻止する」とか行動を起こしかねない。絶対そいつらの企みを成功させるな。これ以上日本を二・二六の時代に戻さないでくれ。

①朝から晩まで普通電車に一人で乗ってる異常な電車オタク

友達と一緒にディズニーへ行く若者グループ

がいたとして、普通に考えたらJRとしては②の方を大事にするものだと思ってたのに

今般の18切符の変更はむしろ②を切り捨てる方向になるのはなんか驚きだ

しろ①を切り捨てるために複数人利用限定になるとかだったらまだわかるんだけど

真珠の耳飾りの少女」と元鈴木さんとRosalind

鈴木さん@Motosuzukisan

東京地方では文化資本が違うというのは別に美術館が沢山あるって話だけじゃないんだよね。

例えば美術館真珠の耳飾りの少女を見て真珠に興味が湧いたら、そのあと何ができるかに差が出てくるのよ。

東京だとミキモトにタサキ百貨店個人宝飾店に御徒町電車で安くすぐに行ける。ハイブランドからモールビジネス問屋街、全部の中から自分の行きやすいお店を選んで行くのもできるし、1日で全部見ることもできる。選択肢があるし目の前のリアルものに触れられるんだよ。

でも地平線まで田んぼな私の田舎では、個人の宝飾店にアコヤか淡水があれば良いって感じ。ハイブランド見たいなら地元なら質屋しかないし、片道1時間かけて地方都市に行ってミキモトがあれば御の字です。切符代も惜しかったらネットで見て学ぶしかないわけよね。リアルな学びを得るのが難しかったのよ。

経験上、線の上で滑らかに情報やモノに触れられるのは間違いなく東京だった。

ちなみに「フェルメール見て油絵やりたくなった!」と思っても同じような選択肢問題が出てきます。ハッキリ見えない選択肢に差がありすぎるのを私も大学生になってから知ったのでした。

https://x.com/Motosuzukisan/status/1845493760689680499

Rosalind@idiomsinaction

大のフェルメール好きを自認してるけど、真珠の耳飾りの少女を鑑賞して、じゃあ次はミキモトに行こうって発想が1ミリも無かったから新鮮な感想でびっくりした。

私もまだまだ人生修行が足りないな💦

https://x.com/idiomsinaction/status/1849386254166548755

鈴木さん@Motosuzukisan

なんであんな大粒の真珠を描いたんだ!?ってなったら、当時の真珠はみんな天然で…貝は何で…日本は御木本のアコヤ養殖が…養殖技術向上で価値が…ってみんな調べて見にいくもんだと思ってましたが、皆様そんな興味ないし私がオタクなだけでした😂

Rosalind@idiomsinaction

その調べる行動は素晴らしいと思いますが、それを調べる事は図書館美術書でも出来ますよね。ミキモトが近くにあるかどうかは文化資本とぜんぜん関係無いと思いますミキモト17世紀ネーデルラント真珠養殖についての資料があるなら別ですが。ただ絵の鑑賞に正解は無いので元鈴木さんの視点否定するわけではありません。

ただあまりにも自分と違う鑑賞方法だったので驚いただけです。

美術鑑賞に新たなら視点提示していただきありがとうございました。

鈴木さん@Motosuzukisan

私は予算の少ない地域で育ちましたが、図書館の蔵書も予算がないせいか限られていましたし親の手助けなしで行ける本屋も小さな1店舗しかありませんでした。欲しい本は買う前提で取り寄せしかありません。本を選ぶ選択肢から違うのです。

仰るように本が文化資本であるなら、単純に蔵書数で私の地元文化資本が少ないと言えるかもしれませんね。

そしてだいたいどんなブランドでも東京本店があるせいか優秀な販売員の方が多い印象です。商品知識だけでなく関連する歴史についても造詣が深い方もいらっしゃるのでお話ししていて学びがありますよ。(御木本は西洋アンティークも扱っていたので特にです)

真珠ブランド名が並ぶと皆様拒否反応を示される傾向がどうやらありましたが、単純に絵画物語に出てくる物を実際のお店に見に行ってみるのは楽しいですよ!😉

Rosalind@idiomsinaction

なぜ絵画鑑賞をしてハイジエリー店員さんと話すと為になるのか私は理解できないのですが、元鈴木さんなりの鑑賞方法なのですね!

一昨年「フェルメール17世紀オランダ絵画展」にて背景が塗りつぶされていた作品を新たに修復した『窓辺で手紙をみる女』を鑑賞したのですが、数年前にドレスデンで鑑賞した時とは額縁が違っているような気がして、その場にいた学芸員さんに質問したところ額縁が以前の物と変わっていると正しい答えを教えていただきました。

絵画周りの知識を深めたいなら、店員さんより資格のある学芸員さんの方が良く無ですか?

と私は思うのですが、これは私の鑑賞方法なので、鈴木さんは鈴木さんの思う絵画鑑賞をされればいいと思います

あと情報格差や図書館蔵書ですが、今はネット上でいくらでも情報が得られますし、それこそどうしても読みたい美術書自分で購入して取り寄せる事もできますよね。それをしないのは、その文化にそこまで情熱が無いだけだと思います

鈴木さん@Motosuzukisan

しか絵画芸術なら学芸員さんに伺えば良いと思います

しかし私は絵画から真珠自体に興味が移ったら…という話をしていたので、その絵画自体理解を深めたいと言う話をしていません。やはり我々の興味は別の場所にあるのでしょうね😉

ちなみにその場合社員である販売員美術館で言う学芸員に当たると言えるでしょう。

Amazonで今は何でも取り寄せられますが、それは商品を買う前提なんですよね。

実物を開いて比較検討をすることができるのは体験としての差であると私は考えてるので、地元本屋や蔵書の話をしました。

情熱はもちろん大切ですが、根性の話をしだしたらキリがないかと思います

Rosalind@idiomsinaction

フェルメールの絵を観ることと、宝飾屋さんの広告を見ることが同じ視座の人もいるのだと大変勉強になりました!

私の人間理解がまだまだのようです😊

自分視点スノッブで嫌味すぎるのかなと混乱しましたが、美術批評しいては文学批評も鑑賞者が創作物にふれて己の内面を外在化する事で作品が完成すると言う基本に立ち帰れました!

鈴木さんがパワフルにアイディアを即実行商品化できる一端に触れられた気がします。憧れって大事ですよね✨

2024-10-13

anond:20241013205306

警察スピード違反みたく張り込みして

痴漢違反切符を切って違反国庫に納めさせればいいんじゃないかな

税収が増えてみんな嬉しい

2024-10-12

チンポ咥えたらスターへの切符をもらえるなら安いもんだと思うけどな

こんなこと書くと怒られるかもしれんけど。

でも気色の悪いジジイのチンチンを咥え込むくらいでテレビ出演の機会がもらえるなら安い買いもんだろ。

だってスターを目指してるんだろ?

そのためなら何だって出来るじゃん。

だいたいスターって何なんだよ?って話もあるじゃん

気色悪い女どものお気に入りになる。

それがスターじゃん。

そりゃ中には食えそうなファンも居るだろうけどさ。

でもほぼすべてのファンスターから眺めたら気持ちの悪い奴らだよ。

そんなやつらの機嫌をとることとジジイのチンポコ肛門にいれて腰をふることと何が違うっていうんだろ?

俺だったら迷わずえこむよ。

2024-10-02

そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎もっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙あいだに、棒になって出る。 「ありがとう書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題わからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生あくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんものだと思ってるから若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎社員に知った者があるからその男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分雑誌で十分反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか存在無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞記事もっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまたから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子かぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙法則は変らないが、法則支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操教師竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレット結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子結婚信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しか先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生ハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

https://anond.hatelabo.jp/20241002005940

一二

 演芸会は比較寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。

 それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由説明して聞かせた。三四郎承知した。

 夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。

「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しか三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。

「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから

 先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである

「雨になるかもしれない」

「降ると困るでしょう」

「出入りにね。日本芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」

「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかいからでしょう」

「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」

 三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。

「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋簡単な芝居ができそうなものだ」

先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」

「君ギリシアの芝居を知っているか

「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」

「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」

 また与次郎悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しか斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。

 先生それからギリシア劇場構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいドイツ人の説によるとアテン劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうであるもっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。

 さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である

「どうです、せっかくだからはいりになりませんか」

「いやはいらない」

 先生はまた暗い方へ向いて行った。

 三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである

 入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである

 舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっと与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。

 幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かい談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどもも与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。

 あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。

 隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。

 すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。

 そのそばにいる男は背中三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいあいその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎あいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。

 すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎背中をたたいた。与次郎くるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。

 この連中の一挙一動演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分ひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。

 そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレット写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。

 このハムレット動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。

 その代り台詞日本である西洋語を日本語に訳した日本である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎ハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうであるしか三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。

 したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。

 ハムレットオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなもの結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。

 幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下からはいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。

 本来は暗い夜である人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。

 夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……

 あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎はいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。

「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」

 三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。

「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」

演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」

「いけないたって、しかたがないじゃないか

しかたがないったって、いけない」

 三四郎言葉だんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、

「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである

風邪だろう」

風邪だろう」

 両方で同じ事を言った。しばらくしてから三四郎与次郎に聞いた。

「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」

「美禰子さんの事を? どこで?」

学校で」

学校で? いつ」

 与次郎はまだ思い出せない様子である三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、

「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。

「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか

「きまったのか」

「きまったように聞いたが、よくわからない」

「野々宮さんの所か」

「いや、野々宮さんじゃない」

「じゃ……」と言いかけてやめた。

「君、知ってるのか」

「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。

「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

https://anond.hatelabo.jp/20241002005552

一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

2024-09-29

JR西日本切符

e5489で新幹線特急の予約したんだけど、切符が都区内でないと受け取れないらしい。切符受け取るだけに電車賃払うのも癪なんで何が用事作りたい。アテスウェイケーキ買いに行くか、山猫軒でランチするとか今のところ考えてるけど、他何かない?

2024-09-25

増田だけど恋山形駅ピンクに塗られた経緯についてもうちょっと書くよ

anond:20240924231628

山形最初からピンクだったわけではなく、当初は特に特色も味わいもない地方の過疎駅だった。来いと言われて行っても何もない。

ところが開業してしばらくたった2013年名前に恋が付く4駅(恋山形駅、母恋駅、恋し浜駅恋ヶ窪駅)による連携企画「恋駅プロジェクト」というのが立ち上がった。

そこで「恋駅きっぷ」という、4つの駅の入場券を集めると1つの絵が完成する特殊きっぷを売った。

https://news.mynavi.jp/article/20130115-a030/

これが完売。「バレンタインプレゼントに」という無理なマーケティングがなされていたが、たぶんこのきっぷ買った奴は恋を叶えたいわけではなく特殊なきっぷが好きな切符鉄だろう。あるいは切符鉄の彼氏や夫を持つ女が買ったかもしれない。

ともあれ、それなりに反響もあり、話題になったことに気を良くして、智頭急行は恋山形を「恋が叶う駅」として大々的に売り出すこととし、駅舎をあのピンクに塗った。

そして、途中下車して記念写真取る人のためにわざわざ5分停車させた。

さらに恋の駅を盛り上げるべく、ハート型の絵馬掛けモニュメント記念撮影スポットを作り、ピンクに塗った「恋ロード」という道をつくり、カップルで鳴らせる鐘や、恋ポスト手紙を入れるとハート消印がついて届く)など

徹底的にハートピンクにこだわったアクティティを加え、恋人聖地的な方向を狙って年々進化させてきて今に至っている。

要は、地元年寄り(たぶん。違ったらごめん)が1980年代清里センスによって「若者「恋」乙女ちっく」といったイメージを散りばめた結果爆誕したというか錬成されたのがあの駅である

今回の件では、あたか萌えキャラに合わせて萌え萌えピンクに塗ったかのような誤解があるようだけれど、宮本えりおは智頭急行全体のキャラなので言ってみりゃおまけでそこにいるだけなのだ

っていうか、本来ドル箱であるスーパーはくと車掌って設定のえりお、僻地バイトさせられた挙げ句気持ち悪いとまで言われとんだ風評被害である

まあ、その成立からして完全に「ダサピンク案件であり正直微妙ではあるものの、10年以上にわたるこのような努力と工夫の結果、週末には人も来るし、イベントともなるとそれなりに観光客で賑わう駅になったので、一応の成功をおさめているとも言える。

もちろん、わざわざ恋を実らせるために訪れるカップルなんてのはレアで、訪れるのは「過疎地特殊な駅」という一種色物っぽい位置づけの駅に興味を惹かれた鉄オタと好事家、集客効果としても、鉄道むすめとか駅メモとか鉄オタ兼萌えオタをターゲットにしたイベントがやっぱり強いんじゃないかな。あのへんの人たちはどんなに過疎な場所でも頑張って行くから

絵馬掛けモニュメントにぶらさがってる絵馬の内容は現実の異性との恋を祈るものではなく、電車2次元キャラ、あとはペットへの愛が綴られたものほとんどらしい。

2024-09-23

「おい、切符買っとけよ。負けて明日帰るんだろ?」

切符?」

2024-09-20

anond:20240920132853

狂ったように(もともと狂ってるが)強襲揚陸艦量産してるけど、潜水艦定数を事実上20まで増やすことにした海自の防御網を突破するのは難しい

台湾海峡には海自潜水艦入れんよ

浅すぎるし敵の対潜哨戒機だらけだから片道切符になる

2024-09-12

anond:20240911181742

郡山かな?盛岡かな?と思ってたのでだいたいあってた(岐阜県民)

社会人最初出張先が郡山で、会う人会う人ぶっきらぼう東北弁なのにみんな世話焼きなので、あそこはいいところだと思っている

あと、地元切符を買ったときに「きたこおりやま?」と聞かれたのがとても印象に残ってる

2024-09-11

anond:20240910184720

18切符でどこまで行けるか?

とか、夜行バスでどこまで行けるか?

みたいなんを知りたい感じ?

2024-09-07

三大カチカチするもの

パン屋のトング

切符切るハサミ

2024-09-05

海外学会に参加した。大都市郊外の2つの会場に分かれていて、どちらの会場のプログラムにも参加する必要がある。宿泊大都市でとった。

さてこの国の公共交通機関ゾーン制だ。空港大都市郊外を全部カバーするとゾーン2になる。大都市郊外だけだとゾーン1。しかしながら、ゾーン1の普通切符だと、会場2つを行ったり来たりするのにいちいち切符買う必要がある。一方、ゾーン2の1週間券というのを買うと、1週間乗り放題。会場の往復しやすいし、なんと空港への行き帰りもカバーできる。総合的に見て、ゾーン2の1週間券がどう考えてもお得。

が、この1週間券、帰国後に精算できなかった。

宿泊出張に含まれる日当には、自治体をまたがない交通費が含まれているとみなされているが、乗り放題券だとそこと重複するからだって

いやいやいや。

つの会場間の移動は、ゾーン1内だけど市町村界はまたいでいるので、請求すれば支払われる旅費。それを節約するために、乗り放題券買ったんですけど。乗り放題券を精算するなら日当支給しませんって、意味わからん普段、いらん経費使うなっていろいろ行ってくるのはなんなん?

ほんとに国立大学の旅費精算はクソ。

2024-09-01

anond:20240901001914

私より若かったらいいんじゃないですか。

若いって、希望なく生きないといけない時間が長いだけという気もしている。


死んでも生きても社会に何の影響もないってことも

なんかツラいんですよねぇ

自分もその辛さというか虚しさは感じている。「働いていること」で「社会自分が影響、貢献している」って思えて自尊心のようなものを保てるタイプとそうでないタイプ結構はっきり分かれていると感じている。

自分は「働いていること」は基本的代替可能歯車に堕ちてしまったという絶望感でしかなくて、働いてる自分社会への影響力は正直ゼロだと思ってる。

しろ趣味で絵を描いていいねをもらうとか、そういう活動のほうが自分社会への影響力を感じて自尊心が満たされる。(いいね数個しかもらえない程度だけどね。それでも「自分が死んでも他の人がまったく同じアウトプットができる労働」より「自分が死んだら全く同じアウトプットはこの世に出てこない創作活動」のほうが生きてるって感じられる。もっと身近なものでいえば「新しい料理レシピを完成させた時」とかい家事活動でも労働よりは生きてる実感を個人的には得られる)


ここはほんと、かなり根本的な価値観の違いだろうけど、せっかく不労所得がそんなにあるなら、自分みたいな考え方をした方が、労働に苦しまなくていいハッピーライフ漫喫できるんじゃないかなあ。せっかく心ひとつ幸せになれる切符を持っているのだから、ぜひ、我々無能社会歯車への感謝の心は忘れないようにしながらいい意味バカにして、高等遊民ライフ満喫してほしい。ちなみにワイはマインドだけはこれなのに底辺労働者なので二重にしんどい。オワタ

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