はてなキーワード: リピーターとは
http://anond.hatelabo.jp/20160611073946
のブコメについて
まどか、ラブライブ、エヴァがファン搾取映画って言ってるのは何をもって言ってるのか不明。特典のことならそもそもガルパンのほうがえげつないと思うが。エヴァは特典とかやってたっけ?ちなみに俺は全部好きです。
リピーター特典があるか否かじゃなく、映画の内容が既存のファンから搾取する前提で雑に作られているものだからファン搾取映画という話。
リピーター特典あるから搾取映画という定義で話していたら昨今の深夜アニメ系映画は殆どそういうことになる。
(ていうか、作品内容の話ばかりしてきて何故リピーター特典商法の話だと思ってしまうのか…。)
まどかなんてアニメ放映後大した時間が経ってないのに総集編映画を前後編で作ったり、新編も元々虚淵が新作に乗り気でなかったとかいう話も聞くが、そのせいかやはり蛇足な話で軽い二次創作の延長っぽいチープさがあった。
ラブライブという作品は、本当はそんなに穂乃果中心的な作品じゃなく総合的なキャラクター作品のはずだが、アニメや映画においてはグループの活動において穂乃果が中心的な立ち位置になりすぎていて茶番化していた。
結局はライブシーンで客を呼べるからライブシーン以外の内容はおまけで作ったような映画だった。
元々新作ライブシーンが主題だから内容は雑でも無罪というのであれば、極端に言えば劇場版プリパラみたいなライブすることを目的にした構成にすればよかったのでは。
まあラブライブはアニメに限らずコンテンツ全体がファン搾取の象徴のような作品だから仕方がない。
エヴァはそもそも旧作で終わっているのに、最近のアニメがエヴァと比べてクソだからと言い訳にしながら旧作エヴァの焼き直し+αを作り始めた所が滑稽で、ファンから搾取できることを分かっていてまた作っただけなのをそう高らかに言われてもという印象がある。
実際の内容も絵的には綺麗になっているが、内容等はさほど良い意味で衝撃を受けるような変わり映えはないと個人的には感じる。
声優自体も旧作の当時から既に実力者だった人が多いおかげで、演技が格段に良くなってるとはそんなに感じなかった。
一方で劇場版リリカルなのはシリーズは完全にTVのリメイク総集編映画で、特典的にもまさにファン搾取のための映画だと思いながら観たが、作画や演出、声優の演技が進化していたので別の作品のように感じられた。
映画のグッズでもなのは2ndとまどか前後編は同時期にやっていたのでつい比較してしまったが、パンフレットがほぼ同じ値段なのにボリュームが倍以上違った。なのはの方が豪華という意味で。
そういう意味でもまどかの映画は本当にファン搾取という感じがした。
エヴァやなのはの場合は旧TV&映画版の画質の面の問題があるので現在の技術と画質で総集編や総集編+αの新作をファンのために作ったという価値も分かるが、
まどかはTV版から殆ど時間が経ってない状態で規格等が変更されたわけでもない総集編映画化だった上に合計上映時間がTV版全話を通して見た時間とほとんど差のない前後編という構成だから擁護しにくい。
したがって、エヴァはそういう意味では搾取映画としての問題性が弱くなるから搾取というのは言い過ぎで、濡れ衣を着せてしまったかもしれない。申し訳ない。
けいおん!やガルパン、ハルヒなども結局はファン搾取目的で映画にして作ったのだろうが、ハルヒは待望の未映像化原作を映画化した新作だったし、
けいおん!やガルパンは開き直って、来てくれるファンに従来の延長線上の新たな楽しさを全力で提供しようと奉仕するような作品だった。
ラブライブやまどかはファン搾取の間に合わせ映画のくせに開き直りもせずに中途半端な内容で誤魔化して蛇足らしい蛇足に終わった所が残念だった。
そんなわけでラブライブやまどかの映画こそ売れたから売れただけの作品と感じるから、それらとは対照的なガルパン映画を売れたから売れただけの作品と呼んだ元記事の増田には思う所があった。
それぞれ元から人気があると分かって映画化が決まった作品達で、普通に作るだけで最低限以上の観客動員と興行収入は見込めると作る前から分かっていたはずなのだから、安心しながらいい作品を作ろうとしてくれたらいいものだと思うが、何故か変に焦ったような作品が出来上がることが多い。そういう意味でもガルパンやけいおん!らはそれを分かった上で、観に来るファンを喜ばせるためにノルマを超えた作品を作ってきた印象がある。
一方、ファンだからこそ考え無しの絶賛に終始せずにもっと上の作品を求めるべきという元記事の増田の意見も一理ある。
ただその中でもガルパンやけいおん!は比較的妥協が許される方の出来だったということと、他の多くの劇場版アニメはファンならファンだからこそこんな間に合わせのもので余計に金とりやがって、と怒っていいくらいの出来だったように感じた。
他に劇場版の評判がよく、かつ客観的に評価にある程度納得できる作品といえばたまこラブストーリーがある。ファンサービス映画としても出来が良かったといえると思う。
ファンの求める要望、続編を映像化するという良い意味で出来の良い公式二次創作といった印象。
ただ個人的にはTVアニメ版たまこまーけっとが嫌いではないし、たまこともち蔵のカップリングが好きというわけでもなかったので、「そうそう見たかったのはこれなんだよ」などとは思わず、まとまったいい話という程度にしか思わなかったが。
今頃こんなこと言ってるってことはTV版見てないんだなー
追記で見てるって書いてあるけど見てないわこれ
(好きではないのに劇場版見に行ったってのもよくわからんが 文句言うためか?w)
「批判すんな」つってんじゃないよ
ガルパンは設定やシナリオ自体にツッコミどころかなりあるから批判大アリだw
だが悪いが、的外れだと感じた批判にはツッコミ入れさせてもらうw
ジョージ・ミラーの世界観を説明するのに1、2(ロードウォーリアー)、3(サンダードーム)、フューリーロードの4つも撮ったってのが重層的という意味ならそうなのかもしらんけど
笑った
そんなのTV版のときさんざっぱら言われてたんだけど
ストーリーが進むにつれてそんなんどーーでもいいわってなってった
むしろ「紹介します」があと2回ある(「紹介します!3」が11話と12話の間にもある、だったか?)とか10話と11話のブランクの方が話題だったわw
確かに劇場版パトレイバーの黄瀬和哉絵に慣れてる人には違和感ありまくりだろうな
まあグラフィックがしょぼいからってドラクエ1や2(まあファミコン・スーファミゲーね)が楽しめなかったかっていうと楽しめたわけで
黄瀬キャラ押井演出でガルパンのようなスポ根やって面白いものが出来るかなあと考えれば答えは出るんじゃないの
「謎カーボン」で死人出ませんよみたいなギャグ、黄瀬キャラじゃムリだろw
ついでに言っとくと劇パトは2が好きだな
劇パト1はゆうきまさみの漫画準拠なアニメって感じでまあ普通、廃棄物13号の劇パト3も往年の刑事ドラマを踏襲しつつの怪獣映画だから好きだね
髪の毛もピンクだったり紫だったりにするはず
キャラ原案にフミカネ使ってるんだからストライクウィッチーズみたいな作りにするに決まってる
基本的に地味で今風じゃないキャラデザイン及び制服他小物のデザインなのは、オッサンかつそんなにアニメ見てるわけでもない世代に合わせてるからだ
(↑この意味で言えばオッサン世代に媚びてるキャラデザインと言えるかもしれない)
売りは戦車
それも小さいころ戦車とか戦闘機のプラモデルでブンドドやってたおっさんの夢かなえましたよ的なね
(3DCGのモデリング及びレンダリングと納期の関係もあったんだろうが)
実車と見まごうばかりのCGもできるだろうが、大元がブンドドなギャグアニメにそぐわないだろ
シナリオが弱いのもしょーがない
50人とか登場人物がいるのも戦車動かす人員のためで12話しかない深夜アニメで甲子園優勝!みたいな結末にする以上キャラの掘り下げなんか無理に決まってんじゃんね
だが軍事考証は正確性を期してるって点から見てもこのアニメの売りは戦車であることが分かると思うんだがな
岡部いさくがエンドカードまで描いてるってとこでどんなアニメか分かるんじゃないのwww
「お前ん中じゃそうなんだろう」的なw
そんなもん内容によるとしかw
ガキの頃模型でブンドドやってたオッサンが仕事から帰ってきてビールでも呑みながら見るようなスポ根の深夜アニメに難解なストーリー要らんだろ
シナリオに凝ったところでキャラがついてこれないってのは分かるはずなんだが
ついでに言っとくと俺は逆で「大衆娯楽にはわかりやすさが重要」だと思っている
だからこそ大洗町の商店街の人たちにも理解できて今に至る展開になったんだと思ってるんだがな
映画に限らないが熱狂的なリピーターを生み出す作品ってのはとっかかりこそシンプルながら、ギミックとかプロップとかの仕掛け・演出がマニアックだよな
ガルパンの場合は画面情報量がとにかく多かったことと音響にも凝れたことで4DXとの親和性が高く、アトラクション的な映画になったのがロングランに繋がったと思う
前売り券商法(及び色紙・フィルム特典商法)は正直どーだろって冷めた目で見てたが、3回は見ないとダメだなって初回のとき思ったもんな
よくわからん
どういうレイアウトなら良いのか描いてみてくれよ
具体的なシーン挙げてもらって、この構図にした方がいい、てな赤ペン先生みたいな感じでな
ついでにゆがんでないガルパンキャラってのも描いて( http://imgur.com/ )にあげてみてくんねえかなあ
「普通にデッサンが崩れてる」って言い切ってるから描けるんだろ?
ちょこちょこ説明口調なセリフもあったのによ どーこ見てたんだよコイツwww
そこはせめて「FURY」とか「タリ=イハンタラ1944」とか「ホワイトタイガー」なんかを挙げろよw
チラン戦車対アフガン民兵(とソ連脱走兵)の映画 戦車兵の描写もアフガン民兵の描写もかなり好みだが
パットン大戦車軍団の戦車戦も資料映像的なロングショットで戦車戦も米英軍とドイツ軍はカット別だし、戦車は出てくるが戦車内の描写はほとんど出てこないよな
同じ古典でも戦車の魅せ方なら「バルジ大作戦」の方が「大戦車軍団」より上だし(個人的な好みで 「大戦車軍団」好きの方スマン)ガルパンと比べるならこっちを挙げるべきだろう
ガルパンはキャラのデッサンが狂ってるから見るに耐えないってんなら「大戦車軍団」登場のチャーフィーとかブルドッグとかパットン戦車が北アフリカやヨーロッパ戦線でドカドカやるのはもっと見るに耐えないんじゃねーの?w
はEXCELが「文句のつけようがないくらい良いってことじゃなくて、作り手を超える知識がないから「ガルパンはいいぞ」って言うしかない」って漫画にしてたが
https://twitter.com/EXCEL__/status/738015382884126721
↑が正しいな
??
http://crowdworks.jp/public/jobs/635787
② リピーター続出!本気で痩せる青汁ランキング! | ランキングシェア byGMO
③ NYで大流行のダイエット法♡ダイエットエクササイズをランキングにしてみました!
④ 【ダイエット】いま1番注目度高めなダイエット法!~最新ダイエットエクササイズ~
⑤ ダイエットするならこれ!いま話題のダイエットエクササイズの効果が凄い☆ | ギャザリー
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別にネットで宣伝とかしてるわけでもないのに口コミと紹介だけで1年以上先までカレンダーに予定がビッシリらしい。
なんか疲れるから1日に4人も5人もは無理らしいから、人数的には多くて1000人ぐらいなんだろうとは思うけど。
私も知ってた有名な漫画家とかにも会ったって言ってた。
なぜサインをもらってこなかった!ってちょっと思ったけど、親戚本人も我慢したらしいからそこはそれなんだろう。
たまーにどこかの占い館でセッション?ってのをやるとかで行ったりするみたいだけど、50枚とか100枚とかのチケットがあっという間に売り切れるとかで、人気あるんだなーと。
頑張って探したらセッションを受けたという人のブログが1件だけ見つかったけど、内容は詳しく書いてないからよくわかんなかったけど、
なんか期間開けてリピートしてたし、お客さんは満足してるみたいだった。
暮らしぶりを見る限り荒稼ぎしたりはしてなさそうだから、良心的な方なんだろうか。
世の中にはいろんなことができる人がいて、いろんな生き方があるんだなーって思う。
でも、私がまだ乳児の頃に初めて会ったときに、その親戚が私の親に、
「あの子はソッチ系に結構高いポテンシャルがあるけど、そのポテンシャルを防御全振りにしてる感じでガチガチだから、
ソッチ系の世界にチャンネルが開くことはないし信じたりもしないだろうけど、
多少のことは気付きもしないでバンバン跳ね返すから放っておいて大丈夫(意訳)」みたいなことを言ってたらしい。
怖いの苦手だけどオカルト好きだから、ちょっとさびしいような、ありがたいような。
まあ、それだけならふーんって感じだったんだけど、高校を出て関わる人の数が増えたあたりから、
なんか数年に一度ぐらいのペースで関係ない人からも同じようなことを言われるようになったので、段々その親戚もシックスセンスガチ勢なのかなー?と思うようになった。
1)
座るなり「あ、アナタは大丈夫だから安心して。それよりそっちのアナタ……」って感じで私の占いが2秒で終わった。
まだ何も言ってねえよ!何がどう大丈夫なんだよ!
何に安心すればいいんだよ!!いや、確かに年齢相応にさしたる悩みもなかったけどもさ!
で、ぐぬぬ……って思いながら聞いてたら、なんかその友達は家庭環境が相続がらみで不安定になって、親族と親が揉めてて結構悩んでたとか言って泣き出すし。
うわーお爺さん亡くなったとは聞いてたけどそんなことになってたの、大変だねえって思って聞いてたら、
「少し落ち着くまでなるべくこの人のそばにいなさい、あなたの家で一緒に遊んだりとかは……?あ、するなら大丈夫、それで悪いようにはならないから」だった。
なんだよ!私は魔除けか座敷童かよ。私だって進路をどちらにしようかなで選んだことが担任にバレて進路選びなおせって言われて悩んでたんだぞ。
まあ、友達はさっきまで泣いてたのに顔パァーってなってるし、そういう感じの演出なんだと思って諦めて受け入れた。
2)
沖縄に遊びに行ったときに、店先の置物になってたおばあちゃんに呼び止められて、何やらホアァフワァと言われてさっぱりわかんなかったんだけど、
お店の人の通訳によると、なんか久しぶりにオーラが光りまくってて姿形がわかんないレベルの人を見たから思わず呼び止めたとかいうことだったらしい。
なんかよくわかんないまま握手したりして、謎の感謝されて、おがまれて、サーターアンダギーもらった。おいしかった。
お店の呼び込みの一種かと思ったら、なんか様子が違ったのでこの件はいまだによくわからない。
3)
友人と商店街を歩いてた時にインドネシア(だったかな?)人に突然話しかけられて、「アナタ、オゥラのパワーが凄いネ」的なことを言われる。
へーそうふーんって返してたら、なんか母国の祈祷師?の話をされたあと、
「日本は便利だけど、日本にいるとアナタみたいな人、とても少ない。
久しぶりに故郷を思い出したヨ、日本に疲れたら良ければ私の母国にも一度行ってみて、きっと気に入るヨ!」と握手を求められて終了。
新手のキャッチか旅行会社の回し者だろうけど、それにしちゃ押しが弱いし遠まわしだなーと不思議に思ってた。
4)
近所のインドカレー屋にカレー食いに行ったら「近所で見かけるメチャ光ってる人だ!」と子供が店長にチクりにいって、
奥からテンションの上がったネパール人の店長が飛びだしてきて話しかけてきた。
インド人じゃないことにショックを受けてたら、「きっといいコトあるから、アリガトです」とラッシーと甘いナンをサービスしてくれたので、
ありがたくいただいたけれども、何だよ光ってる人って。私そんなハデな恰好しないし、もちろんハゲてもいないぞ。カレーとナンは超おいしかった。
そういう感じのリピーター獲得策なんだろうと思ってたけど、沖縄のばーちゃんとインドネシア?人の時も一緒にいた友達から、
「前もこんなことあったなw」と言われて、ええー?と思いつつちょっと意識するようになる。
店長はその後半年くらいで系列のもっと儲かる店に栄転したらしい。
5)
大阪のバーの隅っこで一人おとなしく飲んでたら、常連らしい自称霊感女子さんが席を移動してやたらと近寄ってきて、
「え、ウソやん、顔が(オーラで)見えへん……え?え?」と超至近距離まで顔を近づけられたり、頬をペタペタ触られるという謎のプレイを実施される。
そのあとその人が勝手に話し出したところによると、この人も沖縄出身(祖母がシャーマン?かなんかそういうの、言い方忘れた)な人だったらしい。
しこたま身の上話を聞いたあと、めっちゃ癒されたわ~ありがと~と言って彼女は去って行った。
新手の逆ナンかと思ってちょっとドキドキした私の期待感を返して欲しい。
大体みんな「パワー強い」「オーラ凄い」「光ってる」とか言ってくるんだけど、
私自身は全然明るい方とかじゃないし、元気とかハツラツとかと対極の、根暗でおとなしくて、
通信簿に「元気がない」とか書かれるレベルの光合成諦めたモヤシみたいな人間を捕まえてその言いようなので、多分単なる見た目の印象ってことではないんだろうと思う。
流石にこれだけ回数がかさんでくると、自分じゃよくわからないけどソッチ系の人にはそんな感じに見えることもあるのかなー?とだいぶ思うようになった。
皆様の口ぶりからいくと悪いことではないらしいけど、鏡には映らない自分の姿を(カレー屋の親子のように)誰かに見られているかも、と思うと少し恥ずかしい気がする。
消費に物語が付与されてなければいけないという、ちょっと古い方法かもしれないけれど、地方に人を呼びこむにはもっと物語を生み出す人が必要なのではないか、と思っている。
アニメの聖地と同じフォーマット、ということになるのかもしれないが、観光は予め調べておいた物語などを確かめにわざわざ時間とお金をかけていくのであって、
自分探しでなにか新しいものが見つかるかもしれないという、ぼんやりとしたものじゃ見つかることもなく、リピーターにもならない。
ユーチューバーのようにアクセスを稼ぐために全国区共通の話題を取り上げるというのではなく、
地方でなんでもないものに物語を付与する人。そういう人が望まれている気がする。
非日常を旅行に求める人を相手にしようとすると、ディズニーやUSJのように大規模なお金をかけないといけないし、
動画を編集する環境は増えてきた気がするが、MADを作る技術などが増えただけであり、
Aribandbに対応したり、WIfiを増やしたりするのも必要かもしれないが、まずはフックになる部分だろう。
ネットで知り合った人に合うということに、もっと寛容になれば、知り合いが地方にいるから実際にあって案内するということが出来たのだろうが、
いかんせん先行きが良くなるような気がしない。
問題点として以下があげられる。
といったところか。
地元としては、中国人観光客のように、大量にまとめ買いしてくれる客の方がいいはずである。
実際日本橋にいくと、バスに乗ってまとめ買いする中国人によく合う。
日本橋が既に地元大阪人が買い物に行く場所という感じではない。(梅田にいく)
少しでも人が集まってくれればということで、辞めるにやめれない状況なのだろうが、望んでない客ばかりが集まってしまって困っているといったところか。
前回、今回のを見ていると、悪い箇所が目立ってしまい、やっぱり地方は治安が悪いという悪影響の方が大きいような気がする。
http://crapp.hatenablog.com/entry/2016/02/25/232621
これを読んで、思ったことをつらつら書く。
久しぶりにクラウドワークスにログインしてみると、期間半年で130万円の案件が最後だった。
割に合う案件がない
今までクラウドワークスで請けてきた案件を時給換算したら、最低時給を下回るのは当たり前で、中には「3桁円にすら達しない」「そもそも報酬自体が貰えないこと」すら普通にあった。もちろん在宅で働けることを踏まえたら多少は安くてもいい。しかし、問題は、あまりにも安すぎるのだ。それも論外なレベルで。
募集金額自体は低くないことも多い。月50万とかの案件も普通に飛び交っていた。でもそれは、現実世界では200万以上貰わないといけないレベルの仕事だったりする可能性が高い、というか200万で済めばまだいいほうだ。俺は500万は覚悟している。
こういう案件はよくあるのだが、依頼詳細の文面を機械的にフィルターすれば避けられる。
例えば https://crowdworks.jp/public/jobs/546507 これ。(今たまたま見ただけ。例に出してごめん。)
▽その他コメント
※実際のWebサイト開発/アプリケーション開発の進め方・別途詳細は、
結局何の言語使うんだよっていうのと、多数のエンジニアを募集している点で、分かってない感がつよい。
こういうのはスルー。なんかテンプレでもあって【変更してください】の箇所を変更しないまま登録するとかあるのかね?
良い例は https://crowdworks.jp/public/jobs/549950 これとか。
まあ値段は安いんだけど、この案件で自分がコンタクトするなら「取り敢えず5万円でバグつぶしだけするけどどう?」っていう感じのメッセージを出すかな。だいたいスルーされるけど最初はこういう軽い感じでやる。
初回で10万円以上のものは受けない。5万円が実は10万円分の案件だった、って判明してもダメージ低いしね。
続けてお願いってなったら、ちょっと予想より大変だったので次は8万円で、って言う。
これは、手数料分を上乗せして、20万円のところを25万円でって何回目かのやり取りで言っちゃう。
そうすると相手から「直接取引にするので安くできない?」って言われる。仕事をもらう立場としては断りづらいよね~。
SIerっぽいスカウトは断るようにしていたのでよく分からんのだが、熱意があるのが一番だと思う。
このネットショップの売上をもっと上げたい!的なやつとか。やる気が出る。作って売上が伸びればこちらも顧客も嬉しい。
多数の案件流してる流れ作業的なのは、疲れるし作っても特に喜ばれることもなくやる気が出ない。
(略)
そもそも、エンジニアやIT企業がクラウドワークスを利用する場合って、決まって「①自分が引き請けた案件を横流しする」「②炎上中の案件を押し付ける相手を探している」ケースだ。
(略)
①はまだマシだ。
(略)
②は地獄だ。
そもそも初回で10万円以上のものは受けないという前提があるので、まず誰も解決できなかった小さなバグを直したり小さな機能を実装する。
あとは、前回は初回限定割引価格ですよ~と言って、値段を上げる。
本当に困ってたらそのまま通るし、高いから無理ってなってもまた後でやっぱり頼むって言われたりもする。どこかの他人が作ったバグなら、こちらが主導権を持ちつつ進められる。
と、ここまで書いて、実際は年1顧客なんだよなー、とも思う。ただリピーターで価格と開発効率がどんどん上がっていくっていう。
1年間だと200~300万ぐらいだろうか。
会社の飲み会や合コンや…居酒屋を探すときに気をつけていることがある。
たいてい判を押したような残念さがあることから、こう呼ばせていただいている。
特徴としては下記の通り。
・「全席個室」と謳っているが、個室でない
・店名がキラキラしている(天空・月・庭・響・桜・色…etc)
・食事を持ってくるペースが尋常でなく速い 又は 遅い
ぐるなびなどの飲食検索サイトではそれなりに引っかかりやすいのでタチが悪い。
自分では選ばないようにしているが、後輩などが選んでしまうときがあると遣る瀬なくて。
歓送迎会、合コンなど、出会いや別れの場がお店選びでドジャアアーーンと台無しになるリスクは避けたい。
…ので、自分なりの対抗策を書き出して整理してみることにした。
都合の悪いことは当然書かれません。
ということで、お客さん視点のコメントがある食べログは目を通しておく。
サクラ的な書き込みでお茶を濁した点数になっていることも多い。
対応が悪いとか、席が狭いとか、それが2件3件とあるようだったらそれが常態。
一部のクレーマーかもしれないけど、何かしらそう言われるような店にわざわざ近寄ることはない。
あとは、店名に「元:◯◯◯」とあるような店も要注意。
店の看板をかけかえて、低評価の書き換えをしている可能性が高い。
察するになんだけど、雑居ビルに同じような業態の店を複数構えて、
とりあえず一見の客で回転させていくだけのスタイルなんだと思っている。
リピーターなんか必要としちゃいない、その場しのぎの集金装置。
ただ、同じような金額でしっかりやっているお店もあるわけだし、そんなお店が幅を利かせるようにはなってほしくない。
ぶっちゃけ、和民や魚民、北海道などのチェーン店のほうが接客・料理とも質が高いと思う。
渋谷だと、ちょっと駅から離れてしまうけどJR南口にあるGEMSの各店舗は店内もキレイだしお料理も良い感じだった。
恵比寿だと東口から出たところのDK恵比寿ビルの店舗が安心できる。
楽蔵とか入っているところ。
ひとつ安心して使える店舗があると、その系列か、同じ建物に入っているお店など幅を広げられるのでいいかもしれない。
都会が人口過密で、特に満員電車が異常な日本社会では、痴漢被害がとても多いのです。
しかし、痴漢被害はトラウマ体験であり、現場でも言い出せないのはもちろんのこと、時間が経ってもなかなか、他人に公然と話せることではありません。また日本では、男だけ、女だけ、といったかたちで交友関係が構成する傾向が強く、性別を超えたコミュニケーションが断絶しがちです。言い換えれば、日本社会には性別のセクショナリズムがあります。そのため、痴漢被害に遭ったことのある人は多いのに、そうした事実が話題にのぼるのは概ね、女同士の会話ばかりです。
そして、人口比率で男と女が概ね半々であるのは当然として、日本は、社会的に表立っているのが男中心であるいわゆる男社会です。そうすると、痴漢被害の体験がある女の数は社会の半数にまでは満たないうえに、男の方が外に出てくる日本社会ですから、あまり認識されていません。
わいせつ被害に遭ったことが知られたら「女としての値打ちが下がる」とさえ思われているところすらあります。公然とは言うな語るなという話になりますし、また被害者自身も「話したら損だ」と思うこともあります。
痴漢というのも、触るだけではありません。触らせるというのもありますし、道端で露出するというのもあります。そうした被害のトラウマがありながら、トラウマであるだけに他人に打ち明けられる機会もなく心の内に抑圧していなければなりません。
性被害体験の精神的外傷が癒やされないから、「女性蔑視だ」という批判行動の衝動に表れるのだということもあるわけです。そしてさらには、あれもこれも「男根のメタファーだ」という人すら出てきかねないわけです。その人はもしかすると過去に、露出狂に、膨張したモノを見せられたことがあるのかもしれません。
こうした社会状況を、批判者の単なる個人的な特異性だとしてバカにしているだけではいけないと、思います。想像力や配慮、コミュニケーション力があれば、侮蔑する人格批判は、到底言えないはずです。
今の日本社会では、男女間の現実の交際の代わりとなるものが商品化されています。それは、「アダルトビデオ」などは言うまでもなく以前からありますが、「アイドル」やアニメやゲームの類でも、現実の交友の代わりとして消費されている時代になっているわけです。
例えば「アイドル」というのも、商売として展開されています。男性向けも女性向けもあるわけで、例えば「ジャニーズ系」だろうが「AKB」だろうがあるわけです。この手の商売は、顧客の熱中、より本質的に言えば「依存」、それを利用しているわけですから、成功すれば売上規模は大きいです。とりわけ数十年にわたって底無しの経済後退にある日本では、こうした商売を批判することも、タブーとなってきています。
「アイドル」というのは元来は神々しい偶像であったはずですが、とりわけ男性向け市場では、グラビアモデルの類までもが「アイドル」と呼ばれていて、アイドルのインフレ化が悲惨なくらいです。
もちろん、これらの多くは、「アダルトビデオ」などとは異なり、非わいせつの範囲で行われています。しかし本質的には「性の商品化」です。たとえ性欲処理用でなかったとしても。
そしてこうした一種の「性の商品化」は、実在の人物、いわゆる「三次元」に留まらなくなりました。具体例を挙げなくてもいいと思いますが、男性向けであれ女性向けであれ、アニメやゲーム等の「二次元」でも、「性の商品化」は進んでいます。
近年のアニメについて、以前に押井守氏も「オタクの消費財になっている」と言って批判していますが、そうして「こころのスキマを埋める依存性商品」になっているわけです。それにその方が売上が出るわけで、この経済退潮の日本で、少しでも収益性があればまるでビジネスの「救世主」として扱われるわけですから。
このような動向がありますから、「アニメ=依存性商品」という、一般論としてはあてはまらない、事実と異なる偏見ももたれています。それ自体が誤解であったとしても、その誤解が起こる背景に目を向けるべきです。
アニメタイアップで観光客を呼び込んで「地域活性化」「街興し」とかいうことが増えて、もうけっこう経ちます。そのタイアップ作品の中にも、「性の商品化」の範疇にある作品もあるかもしれません。
しかしそうでなかったとしても、その作品に依存性があるからこそ、わざわざ遠くの人を呼べる、そういうことがあるわけです。「聖地巡礼」とかいう表現は明らかに異常ですが、本当にそれくらいの認識でやっている人達すらいるわけですから……。(そしてたかがその程度の動機で来るレベルにとどまってしまったら、リピーターになってくれないので、一過性の経済効果しか出ないわけですが。)
タイアップ例のなかでは、「ユーフォニアム」だとか、その元ネタとでもいうべき「けいおん!」だとかは、それほど「男性専用」という作品ではありません。いわば、性的なセクショナリズムは、低い方です。
それでもその作品を嫌がる人がいるのは、たとえ作品自体がニュートラルであったとしても、その熱狂的な(依存している)ファンこそが当地に来てカネを落としていくという現実があること、そしてまた前述のように偏見をもたれているということから、作品自体に対しての批判にすり替わっているからなのでしょう。
そして、熱狂的な(依存性の)男達を嫌がる女が少なくない背景には、過去に性被害の体験があることから恐怖を覚えるというのも原因としてあるわけです。
去年の夏、ヒキガエルのげっぷの様子をYouTubeにアップした。一年半付き合った彼女と別れた矢先のことだった。
あれから一年ちょっと経つ。再生数は49。その内、自分で再生したのがおそらく10回くらい。単純計算すれば39回は、俺以外の誰かが見ているということになる。
だからと言って39人の人間が、各々べつべつのタイミングで再生したとも限らない。リピーターだっているはずだ。一人で5回見た、なんて物好きもいるかもしれない。
純粋に、カエルのげっぷなぞに興味を持つ人間がいるとは思えないし、いたとしたらそいつはきっと生物学者かなんかだろう。いや、今更カエルのげっぷなんかを研究する学者がどこにいる。それはきっと、世界にとっては分かりきったことだし、それでもなお、カエルのげっぷについて研究したいという生物学者がいるとしたら、手近なYouTubeなんかで済ませようとせずに、自分の足で、野に分け入ってカエルを捕まえるべきだ。お前は研究をナメている。向いてない。
「この宇宙はカエルのげっぷによってあらかじめ記述された世界なのです!! 私たちはカエルのげっぷによって生み出されたオタマジャクシ。ほら私たち生物には、染色体の配列によって性を二分する基準がありますでしょう。XY、いわゆるオスと呼ばれる生き物たちは皆、ザーメンというものを持っています、ね、アレ、オタマジャクシに似てるでしょ、ほら、ちょろちょろ、ちょろちょろって」
さあさあ、手と手をとり合って、これより宇宙開闢のときへと立ち返るのです――君、YouTubeを開いてくれないか、そうあの動画だ――さあ、耳を澄ませて、オオガエル様のげっぷが私たちを因果の輪から解脱させるのです……、なんてこともあり得るかもしれない。でも、そうだとしたらそもそも49回しか再生されていないのはかなり深刻な問題だろう。信者何人いる。運営方針を見直せ。
もちろん、カエルに対して異常な愛情を示す博士も、目の付け所がいささかシャープなカルト宗教の教祖も、ぜんぶ俺の妄想だ。基本的に、こういうくだらない妄想だけをしてきた。そして気がついたら一年とちょっとの月日が経っていた。新しい恋人はいない。俺の彼女いない歴は、ヒキガエルのげっぷをYouTubeに載せた彼の日から、延々と引き伸ばされつづけている。付き合っている当時は、彼女との日々が優先順位のてっぺんに位置していたため、自ずと友達も減っていった。毎日がヒマだ。そして今、俺は、ちょうど50回目の再生をしようとしている。記念すべき今日、この瞬間だ。
ときおり俺は、妙な想念にかられる。俺以外の誰かによる39回の再生が、全てひとりの人間によって行われたことなのではないか、と。
「ヒキガエル げっぷ」などと律儀に検索をかける人間は、俺の妄想の外側、つまりはこの現実には存在しない。だとしたら、あの動画を投稿したのがこの俺であると知っている人間、が見ていると考えたほうが理にかなわないだろうか。そして、そのことを知っている人間は、おそらくこの世界にひとりしかない。昔の動画は全て消した。今や俺のチャンネルに登録された動画はヒキガエルのげっぷのみだ。楽しかった日々の思い出は、今や虚ろな宝石、石ころ、石ころ、石ころだ。でも、もし。もしも、彼女が、今も何処かでスクリーンに映るカエルのげっぷを見ているのだとしたら、それはきっと、終わりきったふたりに許された小さな逢瀬だ。
スープカレーの札幌での大成功の原因を考えてみると、あれが札幌におけるカフェブームだったんじゃないかと思う。
オシャレっぽい店でオシャレぽいものを食べる。
それがスープカレーだった。
札幌の物価水準からすると、一食あたりの単価として高いと思う。
そのぶん、ボリュームを出して、薄利多売よりは客あたりの粗利を追求した。
加えて、スープカレーの店舗が札幌中心部ではなく、郊外にあることも多かった。
最近の郊外型喫茶店、つまり星乃珈琲、コメダ珈琲に代表されるような、暇で小金を持った層に時間をたっぷり潰すような場所を提供するような店と構造的には似てたかもしれない。
コーヒーのマグが大きく、豆菓子や朝ならトーストがついてて満腹は得られる。
原価を考えると、コーヒーを倍のサイズにしたって、トーストをつけたって、値段をほとんど上げる必要なんかなく、むしろ長居されることだけが問題なのだが、それを郊外に店舗を置くことでクリア。
それと同じことを、やってたと思う。
居心地のいい空間を求める層と、オシャレフードを欲する層を取り込んで、満腹感を与えてリピーターにする。
でも、それを都心でやろうとするとけっこうきつい。
値段はボッてるとは思わない。
世界中のほとんどの国では、出汁も発酵調味料も使わず、具材を水で煮込んで塩と香辛料を入れただけで料理として成立する。
具材から出る出汁と、それに合わせた香辛料の組み合わせで料理が成立するわけだが、料理の基本技法であるにも関わらず、日本においてこの技術は半分途絶えてる。
出汁取りは別の材料を使い、そこに発酵調味料で味を決める。香辛料はあってもなくても構わないアクセントでしかない。
一言でいうと、スープカレーはスープ料理としては未熟な部分がある。
具材は別に調理して乗せるだけであり、具材から出るエキスは考慮したわけではない。
メニューの違いはトッピングの違いであり、スープの違いではない。
それをやると死ぬほど金がかかるので仕方がないのだが。
スパイスについても未熟なところはあった。
巷のカレー屋では、○○種類のスパイスとか書いてあって、どうもスパイスの数が多いほど上等かと勘違いしてる場合が多い。
店側がそうおもってるのか、客がそう思ってるからそんな書き方をしているのか。
スープカレーはそれがひどくて、20種類以上は当たり前、30種類とか40種類とかを売りにしている。
複雑さと美味しさはイコールではないはずなく、むしろ味をボケさせ、またコストに跳ね返ってくるわけだが。
殆どの店で、シーフードカレーとチキンカレーで、スパイスの構成がガラリと変わったりはしない。
アクセントとなる部分は変わるが、ベースはスープに合わせてつくられている。
スープカレーは悪くはない、悪くはないのだが、食材の旨味を活かしきれず、出汁取り用の食材の大量投入の力技で旨味を、スパイスの大量投入、多種投入で複雑さをプッシュしすぎている。
食材を殺しているとは言わないが、もっと安いコストで同じかそれ以上のものを作ることは可能である。
総括すると、札幌近郊と都内の客層、地価等、外部環境の違いにより、札幌で取り込んでいた客層を都内では取り込むことができなかったこと。
スープ料理としての未熟さが、美味しさ以上のコストを生んでいる。
スープカレーだけではないが、カレー屋、あるいはインド料理店の評価は食べログにおいてはかなり甘いと思う。
イタリアン、フレンチは辛辣なレビューもあるが、カレーについては好意的な書き込みしか目立たない。
食べログが街の評判とは思っていないが、いまだカレーというジャンルはボーナスステージであるといえる。
今でこれだと、たぶん10年後には消えてる。
ぶっちゃけて言うと、サイトでいくら無料公開しても殆ど反応がない。
相当数PV稼いで、毎日何十人何百人も踏んでっても、リピーターがそこそこいる場合でもだ。
うちは更新後ならweb拍手が日に十件ほどくるが、それにはコメントはない。
今までもらった※、大事に保存してあるが、勿論数えるほど。
弱小の書き手でも、やっぱりクリエーターの端くれなんで、感想なりお褒めの言葉なりが欲しい訳でね。
たとえ少数部であっても、イベントでの対面実売にこだわる理由はそこにある。
自分の作品を待っててくれた人の顔を直接見れるじゃん。顔のないホントに読んでるかどうか分からないカウントじゃなくて。
売れた冊数や売り上げって、自分の作品が支持されたって言う喜びに直結するからな。
あまり深刻な赤字にならずに売れた、在庫がはけたってのはモチベになるんじゃない?
しかも高すぎる場合だけでなく、何故か安すぎても無料でも買ってくれないんだな。これが。
適度な値段が必要らしい。
だから皆値付けに悩んでるんだよ。
多くの人が価値を感じているし、歳をとってから価値が最大化する。
歳をとってから欲しいと思っても手に入らない。産むリスクは上がるし、産めなくなる。
手に入れてもランニングコストが高くつく。主に体力がついていかない。
あえて物として語るならそれは既製品でオーダーメイドじゃない。
少なくとも、子育てには永遠に終わらない社会的価値のあるプロジェクトという側面がある。
そこから得られる充実感や満足感はなかなか代替のきくものではない。
継続して運営するコミュニティーとしての側面もある。気に入ったメンバーで快適に過ごせるコミュニティーには価値がある。
でも事業の永続性は疑わしい。また多くの人は事業なんてやってない。
その人が後になって子供を作れば良かったと思うのではないか、
一週間で同じ虫を三回くらい見た。本を読んでいると腕に飛びのってくるのである。そのたびに「うわああああああ」と言って払いのけている。
虫は蜘蛛みたいな形をしていた。それがなおさら嫌悪感を生む。しかし、床にじっとしている姿を見ると、そこまで憎む気にはなれない。
殺るか? と考えているうちにスススとどこかへ行ってしまう。部屋のなかにいるというのは不気味だが、いなくなってしまうとそこまで気にならない。僕は神様から目の前にないものを全力で見ない才能を授かっていた。片付けなくてはならない問題を未来へ送ることに関してはAmazonより早いのだ。
それにそのうち部屋から出ていくだろうという楽観的な気持ちもあった。これまで両手で数えられるほど多くの友人がやってきたが、リピーターは一割にも満たない。
しかし虫は気にいってくれたらしい。出現するたび腕に飛びのってくるのを見ると舐められているとしか思えないが、虫にさえ見下されているという事実は精神衛生上認められるものではなかった。
僕はこれを虫なりのスキンシップととる。つまり、この部屋の主は僕である。虫は客人であるから当然僕を敬わなくてはならない。
とはいえ虫は喋ることもできなければ宿泊のお礼に金銭を支払うこともできない。ちょっとこれは不義理だなあ、そういうのってわたし許せないタイプだなあ、と当然のことながら虫は思う。その結果があの熱いハグであるということだ。
モテ期来ましたね。
Apple Watchを使っている奴が馬鹿なのではなくて、Apple Watchを使っているユーザーの中にいるとある馬鹿に煽られたので書く。
俺は機械式時計を昔から使っているが、その馬鹿が「腕時計なんて携帯があればいらないだろ」と一方的に突っかかってきていて鬱陶しかった。
携帯を見れば問題ないと思っている人にとって腕時計は必要ないものだ。そしてそういう人はたくさんいるだろうし、彼がそう思うのは全く否定しない。
そいつが馬鹿なのは、その主張にもかかわらずApple Watchを買い、お世辞にも使いやすいとはいえないインターフェースで、メールとかの通知を必死に読もうとしていることだ。
諦めて携帯出せよw
その馬鹿のことはともかく、Apple Watchのおかげで機械式腕時計も注目度が上がってきて嬉しい限りだ。
せっかくここまで読んでくれた人に、俺の「主観的な」機械式腕時計の良い所と悪い所を挙げてみたいと思う。
機械式腕時計は電池がいらない。充電もいらない。ゼンマイを巻けばすぐに時計が動き出す。これが一番大きなポイントだ。
久々にクオーツ時計を使おうとしたときに、電池がなくて使えなかった経験をした人は多いのではないだろうか。
USB充電式の時計だと、充電忘れなんて日常茶飯事だ。携帯ですらたまに忘れるのに、さらに充電が必要なアイテムを増やすのは辛い。残り容量を気にして生活するのも辛い。
機械式だと、リューズと呼ばれる横のゼンマイをチャチャっと巻くだけですぐに動き出す。
自動巻きの機械式腕時計ならば、腕につけているだけで自動的にゼンマイを巻いてくれるので、腕に着けている限り巻き直す必要もない。
すぐに動き出さないという難点はあるが、ソーラー時計も似たような特性があるので、毎日ゼンマイを巻くのが面倒な人は、自動巻きかソーラー式が良いだろう。
自分はメインでは手巻きの機械式時計を使っていて、それをつけている時は夜寝る前に巻いてから寝ている。USBよりはよほど楽だし、一日の最後に時計を巻くのは楽しい。
機械式時計は時間が狂う。超精密な時計であっても、月に15秒くらいは狂う。
クォーツ時計もその程度は狂うのだが、携帯電話や電波時計などはいつも正確な時間を指すので、それらに比べると明らかに時間が狂う。
機械式時計には「トゥールビヨン」と呼ばれる、重力の影響を可能な限りキャンセルして時間を狂わせなくしようとする機構もあるが、それでも機械式である以上狂う。
なので機械式時計を使う以上、時刻を合わせる必要がある。自分の時計は1ヶ月で1分ほど狂うので、1ヶ月に1回くらい合わせているが、この頻度をどう判断するかは人それぞれだ。
特に、ラッシュアワーとかの乗り換えで秒単位を認識しながら行動している人にとっては、電波時計やスマートウォッチ(Google WearやApple Watch)を使ったほうがいいだろう。
機械式時計にSiriはついていないが、それでも日頃必要になる機能は大体ついている。
一番よくあるのがデイト、すなわち今日が何日かを表示する機能だ。外回りとかで入館証明を書かされたりするとき、デイトがあると便利である。
高価なのになると永久カレンダーと言って、30日31日の判定はおろか閏年までしっかり対応してくれる。安いやつは月初に自分で合わせることになる。
次に、好きな人が多いクロノグラフ。乱暴に言うとストップウォッチ内蔵腕時計だ。これは機能よりも見た目の格好良さで好まれることが多い。
ワールドタイマーは、海外とのやりとりの多い人には便利だろう。時差のある国の時間も同時にわかる機構だ。2国だけの場合もあれば、複数の国の時間が一気にわかることもある。
自分は仕事で日本以外に海外二拠点とやりとりが必要なことがあり、その時にはワールドタイマーの腕時計を着けているが、大変重宝している。多分スマートウォッチより見やすいと思う。
ミニッツ・リピーターという、時代遅れの機能も人気だ。光が一切ない夜に時間を知りたくなったことを想定して、今が何時何分か音で知らせる機構である。
今のご時世、電気のつかない暗闇なんてものはそう滅多にないので実用性はほとんどないが、ゼンマイ式なのに音を出せるその複雑な機構のファンは大変多い。
これらの機能はみな電池式の時計でも可能なものばかりだが、機械式のメリットを享受したままこれらの機能が使えるのが嬉しい。
機械式時計ならでは機能もある。ドレスウォッチは薄型がフォーマルだが、機械式だと電池の厚さ以上に薄いフォーマルな時計もある。(充電型だともっと薄いものもあるにはあるが)
スケルトンの時計も電池だと格好わるいだろう。ミステリークロックの腕時計版、ミステリーウォッチなんてものは、スマートウォッチでは到底実現出来ないだろう。
こういった機能はもう自己満足の世界かもしれないが、電気を使わずカラクリだけでこういった機能が実現出来るのに魅力を感じる人は多い。
実際の所、今まで挙げてきた色々な機能は、ソーラー式の電波時計を買えば大体まかなえる。
ソーラー式の電波時計は、充電の必要もなく、常に正しい時刻を刻んでくれる。そして機械式時計に比べればまだ安い値段で買える、大変良い選択肢である。自分も1本持っている。
それに比べて、機械式時計は高い。ちょっとしたものでもノートパソコンくらいするし、50万円くらいの時計もたくさんある。数百万から1000万円超えも高級時計のラインナップに普通に並ぶ。
機械式時計は大体3年に1回オーバーホールに出す必要があり、そこで費用がさらに発生することもある。色々と高くつくのだ。
一方、機械式時計の価格の大きなメリットの一つとして、価値が落ちないというものがある。ノートパソコンは10年も経ったら間違いなくゴミだが、高級な機械式時計は50年くらいは余裕で動作する。
結婚生活でずっと身につけて欲しいという思いから結納返しの定番商品であるし、親から子供に自分の使っていた時計をプレゼントするのも機械式時計ならよくある話だ。
生活を一緒に歩む、気持ちを込めた道具としての腕時計、という側面は、機械式時計ならではのものだと思っている。
これを読んで、機械式時計もちょっといいな、と思う人が出てくれたら嬉しい。ソーラー電波がいいなと思ってくれても嬉しい。やっぱりApple Watchいいじゃん、でも結構嬉しい。
・完全予約制では、新幹線需要の一見客や、以前からの客だが予約してまでは利用したくない準常連客が、利用しなくなるのではないか
それが続く様では、おそらくは今後の評判にも響く。
故に、何らかの変革を要した。
・店側の対応能力に合わせる(=キャンセルを減らし、有意な回転率を改善する)べく、席数を減らせばどうか
→席数を減らした場合でも、満席状態ならば、時間内に入れない人の方が多い。
改善前と同様で、「利用出来ない/利用し辛い」のは同じ事。
現状、大勢の客が来る状況は変化しないならば、折角の固定客である常連を含め、食事したい客の利便性を損なう。
特に、昔からの常連が利用し辛い状況は、オーナーの理想に反する。
利益率向上にも繋がらない。常連のみならず、一見客であるが急いではいない客、評判を聞いて訪れた新規の客が利用し辛くなる状態は、機会損失。
行列が出来る状況になるとして、それは、予約制に近いものである。
ならば、より徹底して完全予約制とし、確実に食べたい客が利用し易い様に(及び、その様な客の過剰状態も調整出来る様に)して、即刻入りたい飛び込み客・時間が無くて持っていられない新幹線需要の客は、最初からお断りする方が堅実で誠実(なお、作り置きのサンドウィッチやお弁当のテイクアウトとかでの対応なら、アリかも知れない)。
・店側の対応能力に合わせる(=迅速に提供し、キャンセルを減らし、有意な回転率を改善する)べく、メニューを減らせばどうか
それを損なえば、常連客を失望させ、オーナーの理想にも反する。
・予約して入店した常連客が、ナポリタンなど注文していたが。客数は減ったのだから、客がもっと高額な料理を注文してくれないと、客単価が上がらず、営業利益が減少するのではないか。
→あの常連客は、サイドメニュー2品と、食後のコーヒーも注文している。サイドメニューやドリンクは、粗利率が高いものである。メニューの斯様な構成によって客単価を上げる手法も存在するのである。
なお、あの常連客には、塩分控えめというきめ細やかな対応も行なっている。数を熟す慌ただしい店では困難なサービスである。
→常時混雑しているなら兎も角、新幹線需要の一見客は、新幹線の時間に応じて波状に押しかける。
だが、従業員に一日中居て貰ったら、一日全体から見ると、費用対効果的に、無駄になってしまうかも知れない。
また、少数でどうにかしてくれる優秀な人材など、そうそう都合良く確保出来る訳が無い。創真や秘書子級の、修羅場を少数で何とかしてくれる人材は、滅多に居ない。
数だけを増やせば、当然更に人件費が嵩む(料理人の場合はなおの事であろう)。機材の増強も要される。売り上げが増えれば増える程、経費も嵩み、営業利益が減り、赤字となる理不尽な状況すら有り得る。
なお、創真や秘書子らは、遠月茶寮学園の教育課程である「スタジエール」の制度によって派遣された人材であり、おそらく給料は不要である。
・来店客数が、店側の対応能力を超え掛けたら、席が余っていても、満席の札を出し、入店制限を掛ければどうか
→それは、席数を減らす手と、あまり変わらない。
・客が多くて困るなら、いっそ引っ越せばどうか
→立地の良さは、完全予約制であっても有意である。宣伝面での負担も激減する。
現店舗を、三田村オーナーが所有しているとして、それを売却するか賃貸に出し、もう少し地価の低い所へ、新店舗を買うか借りるかして移転するなら(適切な飲食店向けの建物を居抜きで確保出来るなら、なおの事)、賄えるやもだが。
もし、現在地からごく近い場所なら、地価もさして変わらない。或いは、居抜きで移転可能な適切な建物が無いかも知れない。然るべき改装も伴い、一大出費になりかねない。
・常連や、評判を聞いて来た新規客は、空いてる時間帯に来て貰えばどうか
→客にも、それぞれの都合が有る筈。客が合わせろという態度は、ホスピタリティを無視している。それはオーナーの理想から外れる。
ずっと店を支えてきた、一番固い常連客の軽視は、営業的にも悪手。
・完全予約制ではなく、予約優先制ならどうか
→結果として、大量の客(特に新幹線需要の一見客)の波状殺到が店側の対応能力を超えるならば、現状とさして変わらない。
・そもそも、一見客の切り捨ては損ではないのか
そして、オーナーの理想は、討論によって再確認されたが、常連客の重視である。
『洋食の三田村』の苦境の本質は、三田村オーナーが、どの客層を対象とし、どの様な店にするかを決めかね、見失って居た事に起因する。
オーナーが常連客こそが重要と改めて認識した事により、あの店の最大の問題点は、「新幹線需要の一見客を捌きかねていた事」ではなく、「常連客が寛ぐどころか入店も困難となり、折角の常連客・固定客・リピーターが離れていきかねない状況になって居た事」となったのである。
よって、店が対応しかねる大量の一見客は、商機ではなく、むしろノイズの様なものとなったのである。
それに、作中の改善は、一見客の完全な切り捨てではない。美味いという評判を聞いて、予約してでも来たがる、新しく常連客に成ってくれるかも知れない客も居る筈(作中明記はされていないが、予約即入店も、余裕が有るなら可能かも知れない)。
また、現在の新幹線需要の一見客激増は、バブル的なものかも知れない。
その時は当然、新幹線需要の一見客は、相対的に減少するかも知れない。
また、大手のチェーン店が出店すれば、其の方が、大量客を手際良く捌く方向には向いているであろうから、勝機は薄い。
その事態において、常連客が、もし粗末にされ、離れていたら、営業的にも不都合。
なお、上述したが、飛び込みの客(及び、待ち時間が無い客)への、テイクアウトでの対応は、アリかも知れない。
・繁忙時においては、時間が掛かる旨の告知を行えばどうか
→それは、実質、待ち時間が限られている新幹線需要の一見客、或いは長時間待つだけの熱意の無い準常連客への、切り捨てに近い。その意味では、完全予約制への対案には成り辛い。常連客の利便性の面でも万全ではない。
・半年間無策で通したあの無能達が、完全予約制にしたところで、上手く経営出来るのか
以前は、新幹線需要の一見客増加という要素無しでも、常連客が付いていて、経営を支えていた。
また、相応の数の従業員を抱えていた事象が、その必要性(相応の来客の存在)を示している。
この半年間の宜しからざる状況でも経営出来てきた事象も、店の評判や経営的な体力の存在を示してる。
遠月茶寮料理学園が生徒のスタジエール先に選んだという事象も、料理面では優れているという状況証拠になるかも知れない。
特に、料理の美味さについて、作中の設定的に絶対の信用が置ける感覚を持つ創真・秘書子らも認めている。
新幹線需要発生以降において、駅周辺に飲食店が複数有る中で、あの店に客が殺到する事象も、あの店は美味いという評判が立っている証拠かも知れない。
料理が美味いなら、客は来る。
客が来るならば、完全予約制の方が、サービス・ホスピタリティの強化なども含め(上述したが、完全予約制故に可能なサービスも存在する)、状況を制御し易い。
完全予約制は、仕入れなどでの無駄が出辛く、従業員も休みを取り易くなるなど、客が来る自信が有るなら、経営面でも好都合である。
料理の腕以外は頼りないオーナーには、その意味でも向いているかも知れない。
なお、今後更にオーナーの思案に余る問題が発生すれば、外食コンサルに問題解決を外注すれば良い(特にこの作品世界では、遠月グループが、その部門も備えている筈。そもそも、創真らに助言を仰ぐ手も有ろう)。
要するに。
・三田村オーナーには、貫きたい理想が有る。創真達は其れを尊重せねばならない
「洋食の三田村」の改善について、これらの要素の無視は、NGである。
追記
『洋食の三田村』は、完全予約制移行後、客の減少により(従来の常連客が、速やかに復帰するとは限らない)、従業員のリストラが必要になるのではという意見が有るが。
完全予約制移行より後の『洋食の三田村』においては、従来の常連客の或る程度の復帰のみならず、リピーターになるかも知れない新規客の微増も見込まれる。
あれだけ大量に来ていた一見客の流れが完全に絶無になる事は、考え辛いからである。
美味いという評判も有ったが故に来店していた新規の客も居た筈だからである。
故に、そこまでせねばならない営業利益・経常利益の低下は起こり得ないのではないか。
ただし、あの従業員達が、新幹線需要の一見客の殺到していた時期以前からあの人数だった訳ではなく、一見客の激増後、それに対応すべく多少は増員していたなら、また別かも知れない。
9ヶ月にわたった戦いも、はや過去のこととなり、わが清水エスパルスは、今やその任務を果して、ここに今シーズンを終了することとなった。
しかしシーズンは終了しても、そのために我らサポーターの務めや責任が、軽減するということは、決してない。
この残留で収めた成果を、永遠に生かし、さらにチームを強豪にするには、シーズン序盤、終盤の別なく、まずもってチームの主力層に対し、
重要な役目を持つ若手・ユース層が、常に万全の戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる構えが必要である。
ところで、その戦力であるが、戦力なるものはただ年俸や名声の物や数によってだけ、定まるのではなく、
百発百中の砲は、一門よく百発一中、いうなればスタジアムに毎節行くサポーターは年間に1度しか応援に来ないサポーター34人と対抗することが
できるのであって、この理に気づくなら、われわれサポーターは無形の実力の充実、即ちリピーターに主点を置かなければならない。
先般わがエスパルスが残留を得たのは、もちろん大榎監督の奮励によるとはいえ、一面また危機的状況下のサポーターの応援によるものであって、
それがあのような事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終ったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。
考えるにクラブの一生は戦いの連続であって、その責務は優勝争いであれ、残留争いであれ、
その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。スタジアムで試合があれば、声を枯らして戦力を発揮するし、
試合が無いときは、チームの状況を見つめ、ひたすらその本分を尽くすことにある。
過去数ヶ月かの間、風雨と戦い、寒暑を冒し、しばしば強敵とまみえて生死の間に出入りしたことは、もちろんたいへんなことではあったが、
考えてみると、これもまた、長期の一大演習であって、これに参加し、多くの知識を啓発することができたのは、サポーターとして、
この上もない幸せであったというべく、なんで残留で苦労したなどど、いえたものであろう。
もし選手が太平に安心して、目前の安楽を追うならば、補強の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも、砂上の楼閣のようなものでしかなく、
ひとたび引き抜きにあえば、たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである。
むかしJリーグ創立当初無敵の強さを誇っていたヴェルディ川崎が、数年間は日本を代表するチームであったけれども、一たびオーナーが手を引くと、
たちまちこれを失い、また近世に至っては、ジュビロ磐田が太平になれ、世代交代をおこたると、数人の主力の扱いにもフロントが苦しみ、
また過去様々な下位チームは資金力のあるチームから主力をねらわれても、これに立ち向うことができなかった。
目を転じて西洋史を見ると、スペインサッカー初期から存在するレアルマドリードは、毎年一人はビッグネームを獲得することで強豪チームをゆるぎない
案泰なものとしたばかりでなく、それ以後、下部組織の後進が相次いで、よくその能力を維持し、世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く
伝統を守り、名門を伸張することができた。
考えるに、このような古今東西のいましめは、チームのあり方にもよるけれども、そもそもはサポーターが平安な時にあっても、戦いを忘れないで、
チームを愛しているか、どうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである。
われ等残留後のサポーターは、深くこれ等の実例を省察し、これまでの応援の上に、残留の体験を加え、さらに将来の進歩を図って、
時勢の強豪チームにおくれないように努めなければならない。そして常にスタジアムに足を運び、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、
時節の到来を待つならば、おそらく、永遠に王国の大任全うすることができるであろう。
神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、
昔のことわざにも「勝って兜の緒を締めよ」とある。
さっき、「増田さんみたいに白米を食って出すだけの穀を潰すマシーンつまりは穀潰しでも楽しそうにやってる増田ってどうすればいいですか?」という質問をいただきました。
質問というか女子会的侮蔑の視線で覚悟完了って感じですが、掘江 罪子さんって素敵ですよね。
しかしせっかくなので、穀潰し的増田投稿のコツやテクニクーをご紹介したいと思います。
穀潰しは怖くない!みんなもやってみよう!
増田投稿で大切な事は、出来る限り著者のインパクトを薄くすることです。
可能な限り記憶に残らないような、個体を識別する記号を薄くするような、強烈な語尾や判りやすい識別子は外しましょう。
圧倒的多数のエロゲーの主人公達と同じように、読む人がそこに投影できるような「ぼんやりとした感じ」が大切です。
右を向いても左を向いても叩かれる、カラスを白いと言ってもイイネ!される状況というのは意外にあるものです。
反発させる、共感させる、馬鹿にさせる、優越感を持たせる、粗を探させる、思い出に浸らせる、自分語りをさせる、
ノーバン始球式でもアートメーク被害でも、引っかけた後にそれを罪悪感無く吐き出させる。
なんにせよ、つい一言いいたくなるような構成や主張が不可欠です。
匿名です。色や味は一発勝負のスパイスであって、一貫した主張を求められることもありません。
XXXさんがAAAについて触れているから、と判断する読者は存在しません。
過去の自分のスタンスも、現在の自分のポジションも無視して構いません。
ただし、無記名匿名であるからこそ、可能な限り罵倒等の口汚い言葉遣いは慎みましょう。
増田は「楽しく」日記を書く場所であって、呪詛や落書きを残す場所ではありません。
内輪すぎれば匿名での個人攻撃感は強まりますし、誰にでも伝わるネタでは拾ってもらえません。
イケダハヤトを知らずんばネットサーファーにあらず、程度の視野狭窄感がベストです。
世間では無風だがはてな村でホット、本音を正論と言い換え、差別を巧妙に小町話法に書き換える。
増田を読むのは、たまたま通りかかった一般人ではありません。村民です。
まあ、結局の所、ホッテントリ入りしたところでせいぜい数百、伸びても1000ってことは、吹けば飛ぶような数字です。
人気なんて陽炎みたいなもので、それを追っても良い事なんて一つもありません。
必要なのは匿名で日記を書ける場所であって、気軽に穀潰しになる勇気です。
おわり
なんで、吉本ユータヌキさんは、idがhorahareta13だったり、@gonnakill_utaだったりするんでしょう。
u_tanukiとかが良いと思うのですが、なぜベストを尽くさないのか。
思い返せば、自分にとってのアニメ・オブ・ジ・イヤーは春に出現することが多かった
春になると桜が咲くように、春になると出現するのがアニメ・オブ・ジ・イヤーだった
各陣営が最も力を入れているのが春アニメなのかもしれないとも思っていた
とにかく、今年の春もアニメ・オブ・ジ・イヤーと言っていい出会いがあった
放送前は全く期待していない作品だったというのもアニメ・オブ・ジ・イヤーの特徴だった
注目度や期待が高いところからのスタートと、低いところからのスタートの違いってやっぱり大きいなと思う
なんにせよ、「これいい」と思ってからの突き上げと、面白さと、次回の待ち遠しさは他の追随を許さないことが多かった
「これいい」と思ってから、自分なりの作法をもって敬意を払うようになるというのもアニメ・オブ・ジ・イヤーの特徴だった
まず、どんなに眠くても必ずリアルタイムで観なければと思うようになる
視聴前にきちんと空腹を満たして、口が寂しくないようにお菓子とジュースを用意して
きっちり禊(入浴)を済ませて、目を覚まさせて万全の状態で観なければダメなんだという感じになっていく
(酒を飲むと酔ってしまって作品を楽しめなくなりそうな気がしているが、場合によっては変わる)
他にも、大画面高画質テレビで、邪魔が入らない一人の空間で、部屋を暗くして、ノイズを排除して観るのは基本だし
公式であっても最初にネット配信で観てはいけないし、アニメを観ている最中にネットで色々するのも絶対に御法度
その時間は、目の前で放送されているアニメだけに集中することが何より求められる
アニメ以外のノイズがほとんどしないというのは本当に願ったり叶ったりな時間帯だった
とにかく、ちゃんと万全な状態を作って観なければいけないと思ってしまう
「これいい」と思ってからは、次の放送まで我慢できなくて何度も何度も何度も同じ話を再生してしまう
放送期間中に最新話までの一挙放送をやることも一度や二度では済まない
何度も何度も何度も観て楽しんで1クール終わりには相当なリピーターになっている
でも何度も何度も同じ話を観ると、さすがに磨り減ってしまう
最初の新鮮な気持ちが磨り減っていくし、初回特有のあの感覚が薄らいでいくのを味わってしまう
観る度にすり減っていくのを実感してネガティブな気持ちになってしまう
一回目に近いほど、その新鮮な気持ちを忘れず噛みしめることが求められる
磨り減るから繰り返し観たくないんだけど、何度でも観たいというジレンマもある
自分の場合ピークまでの期間はそんなに長くはないから、余計に、その短い期間のうちに楽しまなくてはとも思ってしまう
その短い期間こそ作品を最も楽しめる最高の時期であり、もう二度と今と同じ気持は味わえないんだと思ってしまう
今この時にちゃんと楽しむことが、最大限の楽しみ方なんだと思っている
だから早い時期にリリースされるCDは本当に嬉しいし、手に入れてから何度もリピートしてしまう
この先磨り減ってしまうことがわかっていながらも、繰り返さずにはいられない
ちゃんと新鮮な気持ちを味わうために、繰り返し観た内容をいい感じに忘れたいという願望もある
その部分だけをキレイに忘却できる薬か何かがあったら迷わず手を出してると思う
アニメ・オブ・ジ・イヤーは、放送が終わったらその時が来るまで絶対に再視聴はしない
放送開始日からちょうど一年後、同じ日の同じ時間に同じように鑑賞して楽しむために封をしておく
あの感覚をまた味わうために、あの時の心境を思い出すために、あえて触れないようにしておく
毎週、あのときと同じ時間に、同じ状況を創りだして、一話ずつ鑑賞するっていうのが大事になってる
きちんと作品関連のCMだけを残して編集してあるのも、その時期の感覚と状況を思い出すのに必要だから
ちゃんとCMもあってこその本編だと思うし、欠かせない大事なものになっている
だからアニメのBD・DVDにも、本編再生中にCM(話数に合ったやつ)を挟んでくれる機能をつけてほしいと思っている
家にテレビがなくて、ネットカフェでアニメ・オブ・ジ・イヤーを観ていた時の話
ネットカフェを出た後の夜道を歩いていると、自分の体にタバコのにおいが付いているのがわかった
いまでもネットカフェのタバコのにおいがちょっと気に入っていたりする
夜道を歩きながら、その匂いを感じたいがためにネットカフェに行きたくなる
そんな感じ
アニメ・オブ・ジ・イヤーは完全に一人で楽しんでいる
自分だけの思い出として胸に秘めるのが絶対の掟
必然、manalloc関数を必要とする。引数にはアナル拡張する直径mmを指定する。戻り値はアナル拡張によって得られた快楽指数「ヘゲナ」を返す。「ヘゲナ」はfloatの拡張であり、doubleの性奴隷である。decimalとは竿兄弟である。reanalloc関数も必要であろう。というのも、アナル拡張は必ずしも1度ではない、否、むしろリピーターが多いのではないか?おれはそう思っていて、やはりreanallocは需要がある。引数は2つ必要だ。拡張対象のアナルへのポインタ(どちらも表記は*だし実にちょうど良いと考える。C言語の創始者もそれを想定していたのではないか・・・?と思うほど、実に調和の取れていて、不気味に符合するのだ。閑話休題。2つ目の引数は再拡張するためのサイズを示す。ここではsize_tが型になる。tとは勿論ちんぽのことで、直径cmを意味する。しかし考えてみると、各種アナルを開放するfree関数は実に意味深だ。何から開放するのだろうか?ちんぽだろう。おれは、そう考えている。C言語は楽しいぞ。