はてなキーワード: 料理学とは
はてなに限らずネット民ってたいていSTEM系はそこそこ真面目に向き合うけどそれ以外の分野は適当に思いつきで話すからきらい
jamira13 確かに。単に料理スキルだけじゃなく料理史や文化人類学やマーケティング、ブランディングなどの領域も込みにするのがいい。
dynamicsoar 料理も生物/農林水産/化学/熱流体/調理/栄養/生理学/心理学(?)など、様々な要素が別個には研究されているはずで「これらが料理大としてまとまっていないのはなぜか?」という意味なら歴史的な経緯が強いのかなぁ?
sakuragaoka99 今年一番頷いた増田。仰るとおりで化学、芸術、比較文化、料理史があり、超巨大産業であり、家庭の重要な要素でもあり、飲食店としては経営学でもあるので、それらを統合した学問領域として体系化すべきと思う
ブクマカが秒で思いつくような範囲は先人がとっくに考えてて教科書もある
https://www.jatcc.or.jp/works/teaching_materials/
食堂の明るさと風通しとか、食器の文化とか、和やかな雰囲気の大切さとか
第3巻 食品の安全と衛生
熱い汁物に入れる木の芽はどうせ香りが立つので叩く必要はない、などいろいろ有益なことが書いてあった
第5巻 調理実習
そばの打ち方が詳しく載っていた。エスコフィエなどの歴史的なシェフについても書いてあった
大量調理に必要なグリストラップの手入れとか、飲食店のケーススタディ(箱の中でおとなしくしてる魚を選べと助言されたのに「ピチピチはねてるほうが活きがいいに決まってる」と思い込んでピチピチのを買ったが生簀に入れたら案の定元気がなくなった事例など)があった
なんで統合しないのかって、そりゃオーナーシェフみたいなのは一人で全部こなさないといけないからこうして全部勉強するけど学問は狭く深く細分化に進むって
音楽や美術には対位法なり遠近法なりを体系的に包括した理論があるのに対し料理には理論と呼ばれてるものがない。
栄養学とか家政学はあるが料理すること自体の学問がないのが気になる。
学問として料理学なるものがないのと料理に理論と呼ばれるものがないのはリンクしてる気がする。メイラード?反応のような化学の成果の援用ならあるが、料理人が料理人の視点で発見したものの集大成としての、客観的に共有可能な形でよりよく作るための技法みたいなものは理論化されていない。どんなにプロ向けのレシピ本も専門書扱いはされてても学術書扱いされてない事がそれを裏打ちしている。
しかし冷静に突き詰めて考えるとたとえばゲーム攻略本は学術書かもしれないと思う。
編集者が誤認してない限りはゲームの挙動に関する事実しか書いてないし、記述内容に対する反証可能性もゲームをプレイするという形で明確に開かれているからだ。
ゲーム攻略本でさえそうなのなら学術書かどうかの判定基準のハードルは案外低く、レシピ本も学術書たりえるのかもしれない。じゃあ料理は学術書はあって理論はなくて学問ではないということになるのだろうか(料理は科学とはよく言うがこれを額面通りに受け入れると馬鹿を見る気がする)よくわからない
「おまえ、ちゃんと味見してる?」
「あとで自分も食べなきゃならないのに味見なんてしないしレシピ通りに作ったからこれで正しい」
おのれクックパッド
増田はクックパッドのせいにしているが、クックパッドが悪いのか?
メシマズは味見をしない。これは2ちゃんねるメシマズ板にも集約された偉大なる結論のひとつである。とにかくあいつら、ご飯を人に出す時に味見をしないのだ。
まだ完食する人間は善良だ。最悪のメシマズは「自分で料理を作っていたらおなかいっぱいになっちゃって」と味見していないものを人に出してくる。で、後で本人は菓子パンを食べていたりする……。
メシマズは味見をしない。ではなぜ、そうなのか?
「とにかくあいつら、ご飯を人に出す時に味見をしないのだ」
という書き方だと、まるで一種の人種みたいに見えるが、そういう先天的なものなのか?
私の考えを言えば、メシマズというのは、先天的な人種でもないし、先天的な性格でもない。では何か?
第1には、後天的な料理経験の不足だ。誰だって料理能力を持つには、十分な経験が必要だ。メシマズの人は、まともな料理経験がない。修業不足だ。これが根底にある。
第2には、(経験不足による)能力不足を、認めないことだ。これが決定的に大きい。味見をしないのはなぜかというと、味見をすることで料理の不味さと直面するのを避けているのだ。比喩的に言えば、学力不足の人がテストを避けるようなものだ。テストをすると、自分の能力不足があらわになる。それが怖いから、テストを避けたがる。……そういうのと同様に、自分の料理の不味さと直面するのを避けたがる。だから、味見をしないのだ。
上の二つについて、どう対処するか?
第1に、料理経験の不足については、学習することで上達が可能だ。ただし、もともと自分の無能を暗黙裏に感じているので、学習を厭がる。そこで、夫婦で協力したり、ゲーム感覚でやったり、あれやこれやと楽しい料理学習をするといい。たぶん、現時点では、料理をするのが苦痛になっている。この苦痛を取り除いて、楽しい料理ができるように、何らかの案内人がいるといい。(本やウェブだけでは無理だろう。)
第2に、能力不足を認めないことは、これはもう、一種の病気である。精神病。プリントアウトしてお医者さんへ……と言いたいところだが、お医者さんももてあますだろう。
(1) アメというのは、料理の下手さをはっきりと認識させた上で、「でもきみは料理は下手でも、女らしくてかわいいから好きだよ」と褒めたり、「今は下手でも努力するところが好きだよ」と支えたりすることだ。料理の下手さを、別の点で補って、相手の不安を取り除く。(これは一種の精神科医的な治療だ。)
(2) ムチというのは、自分のメシマズを直視しないでいる点を、はっきりと直視するようにひっぱたくことだ。具体的には? 彼女たちはこう思っている。「私は料理は下手だけど、かわいくなるように、お化粧やファッションですごく努力している。彼に愛されるように努力しているんだから、お料理ぐらい下手でも大丈夫よ」。こういう認識を崩壊させるといい。具体的には、こう言う。
「僕はきみのことがすごく好きだよ。かわいいし、優しいし。だけど、メシマズの点だけは、どうしても我慢できない。きみのことは好きだけど、このままでは死んでしまうか、病気になる。だから、きみのことは好きだけど、離婚してくれ」
これだけはっきり言えば、否応なしに、自分のメシマズ具合に直面するだろうし、泣き出すだろう。女が泣き出したあとで、慰めて上げればいい。目的は、離婚することじゃなくて、自分のメシマズ具合に直面するようにすることだ。現状を変えるには、いったん、現状を破壊するしかない。現在の安定した状況を破壊すること。そのためには、離婚の申し出は必要だ。
(ただし、「嫌いだから」と言ってはならない。「好きだけど仕方ない」というふうに言う。)
(泣いた嫁さんが「これからは頑張るから離婚しないで」と言ったら、万事丸く収まる。「努力するくらいなら離婚する方がマシ」と言ったら、離婚した方がいいね。こういうタイプは、子育てもできないし、子供も餓死するかもしれないぞ。)
※ ブコメについて。
eqph 結局、飯が不味いのが気に入らないなら離婚しちゃえよ、という、極論。離婚まで持ち出した時点で、すでに関係が終わっていると思います。
ちゃんと読んで。離婚は、口に出すだけです。実行する気はないんだよ。
実行するとしたら、相手が「メシマズを直すくらいなら離婚する方がマシ」と言い出した場合。
この場合には、当然、慰謝料ゼロでしょ。向こうが離婚したがっているんだから。
こっちが慰謝料をもらえるかも。
まさしくその通り。私の趣旨を正しく読み取っているね。こういうふうに読み取る人が、頭がいい。
で、「飯まずは指摘を受け入れることができないのが問題であって」ということの対処として、「離婚を口に出す」というショック療法を取るわけ。それだけです。
これを読んで、「現実の離婚に進む」と読み取る人は、どうかしている。目的は、喧嘩することじゃなくて、夫婦で仲良くすることだ。正しく読み取ってほしい。
guinshaly うわーん!これ、ダイエットにも言えるやつだー!!信頼関係にある相手ならビシっと言ってくれたほうが、問題と直面しやすいかも。信頼関係にあればの話だけど!
そうですねー。だから、「アメとムチ」というセットです。信頼関係を構築すると同時に、厳しいことも言って、現状を打破するというわけ。決して鞭だけでひっぱたくわけではない。まして離婚をめざすわけでもない。本稿を読んで「離婚が目標だ」と勘違いしている人もいるけどね。
・完全予約制では、新幹線需要の一見客や、以前からの客だが予約してまでは利用したくない準常連客が、利用しなくなるのではないか
それが続く様では、おそらくは今後の評判にも響く。
故に、何らかの変革を要した。
・店側の対応能力に合わせる(=キャンセルを減らし、有意な回転率を改善する)べく、席数を減らせばどうか
→席数を減らした場合でも、満席状態ならば、時間内に入れない人の方が多い。
改善前と同様で、「利用出来ない/利用し辛い」のは同じ事。
現状、大勢の客が来る状況は変化しないならば、折角の固定客である常連を含め、食事したい客の利便性を損なう。
特に、昔からの常連が利用し辛い状況は、オーナーの理想に反する。
利益率向上にも繋がらない。常連のみならず、一見客であるが急いではいない客、評判を聞いて訪れた新規の客が利用し辛くなる状態は、機会損失。
行列が出来る状況になるとして、それは、予約制に近いものである。
ならば、より徹底して完全予約制とし、確実に食べたい客が利用し易い様に(及び、その様な客の過剰状態も調整出来る様に)して、即刻入りたい飛び込み客・時間が無くて持っていられない新幹線需要の客は、最初からお断りする方が堅実で誠実(なお、作り置きのサンドウィッチやお弁当のテイクアウトとかでの対応なら、アリかも知れない)。
・店側の対応能力に合わせる(=迅速に提供し、キャンセルを減らし、有意な回転率を改善する)べく、メニューを減らせばどうか
それを損なえば、常連客を失望させ、オーナーの理想にも反する。
・予約して入店した常連客が、ナポリタンなど注文していたが。客数は減ったのだから、客がもっと高額な料理を注文してくれないと、客単価が上がらず、営業利益が減少するのではないか。
→あの常連客は、サイドメニュー2品と、食後のコーヒーも注文している。サイドメニューやドリンクは、粗利率が高いものである。メニューの斯様な構成によって客単価を上げる手法も存在するのである。
なお、あの常連客には、塩分控えめというきめ細やかな対応も行なっている。数を熟す慌ただしい店では困難なサービスである。
→常時混雑しているなら兎も角、新幹線需要の一見客は、新幹線の時間に応じて波状に押しかける。
だが、従業員に一日中居て貰ったら、一日全体から見ると、費用対効果的に、無駄になってしまうかも知れない。
また、少数でどうにかしてくれる優秀な人材など、そうそう都合良く確保出来る訳が無い。創真や秘書子級の、修羅場を少数で何とかしてくれる人材は、滅多に居ない。
数だけを増やせば、当然更に人件費が嵩む(料理人の場合はなおの事であろう)。機材の増強も要される。売り上げが増えれば増える程、経費も嵩み、営業利益が減り、赤字となる理不尽な状況すら有り得る。
なお、創真や秘書子らは、遠月茶寮学園の教育課程である「スタジエール」の制度によって派遣された人材であり、おそらく給料は不要である。
・来店客数が、店側の対応能力を超え掛けたら、席が余っていても、満席の札を出し、入店制限を掛ければどうか
→それは、席数を減らす手と、あまり変わらない。
・客が多くて困るなら、いっそ引っ越せばどうか
→立地の良さは、完全予約制であっても有意である。宣伝面での負担も激減する。
現店舗を、三田村オーナーが所有しているとして、それを売却するか賃貸に出し、もう少し地価の低い所へ、新店舗を買うか借りるかして移転するなら(適切な飲食店向けの建物を居抜きで確保出来るなら、なおの事)、賄えるやもだが。
もし、現在地からごく近い場所なら、地価もさして変わらない。或いは、居抜きで移転可能な適切な建物が無いかも知れない。然るべき改装も伴い、一大出費になりかねない。
・常連や、評判を聞いて来た新規客は、空いてる時間帯に来て貰えばどうか
→客にも、それぞれの都合が有る筈。客が合わせろという態度は、ホスピタリティを無視している。それはオーナーの理想から外れる。
ずっと店を支えてきた、一番固い常連客の軽視は、営業的にも悪手。
・完全予約制ではなく、予約優先制ならどうか
→結果として、大量の客(特に新幹線需要の一見客)の波状殺到が店側の対応能力を超えるならば、現状とさして変わらない。
・そもそも、一見客の切り捨ては損ではないのか
そして、オーナーの理想は、討論によって再確認されたが、常連客の重視である。
『洋食の三田村』の苦境の本質は、三田村オーナーが、どの客層を対象とし、どの様な店にするかを決めかね、見失って居た事に起因する。
オーナーが常連客こそが重要と改めて認識した事により、あの店の最大の問題点は、「新幹線需要の一見客を捌きかねていた事」ではなく、「常連客が寛ぐどころか入店も困難となり、折角の常連客・固定客・リピーターが離れていきかねない状況になって居た事」となったのである。
よって、店が対応しかねる大量の一見客は、商機ではなく、むしろノイズの様なものとなったのである。
それに、作中の改善は、一見客の完全な切り捨てではない。美味いという評判を聞いて、予約してでも来たがる、新しく常連客に成ってくれるかも知れない客も居る筈(作中明記はされていないが、予約即入店も、余裕が有るなら可能かも知れない)。
また、現在の新幹線需要の一見客激増は、バブル的なものかも知れない。
その時は当然、新幹線需要の一見客は、相対的に減少するかも知れない。
また、大手のチェーン店が出店すれば、其の方が、大量客を手際良く捌く方向には向いているであろうから、勝機は薄い。
その事態において、常連客が、もし粗末にされ、離れていたら、営業的にも不都合。
なお、上述したが、飛び込みの客(及び、待ち時間が無い客)への、テイクアウトでの対応は、アリかも知れない。
・繁忙時においては、時間が掛かる旨の告知を行えばどうか
→それは、実質、待ち時間が限られている新幹線需要の一見客、或いは長時間待つだけの熱意の無い準常連客への、切り捨てに近い。その意味では、完全予約制への対案には成り辛い。常連客の利便性の面でも万全ではない。
・半年間無策で通したあの無能達が、完全予約制にしたところで、上手く経営出来るのか
以前は、新幹線需要の一見客増加という要素無しでも、常連客が付いていて、経営を支えていた。
また、相応の数の従業員を抱えていた事象が、その必要性(相応の来客の存在)を示している。
この半年間の宜しからざる状況でも経営出来てきた事象も、店の評判や経営的な体力の存在を示してる。
遠月茶寮料理学園が生徒のスタジエール先に選んだという事象も、料理面では優れているという状況証拠になるかも知れない。
特に、料理の美味さについて、作中の設定的に絶対の信用が置ける感覚を持つ創真・秘書子らも認めている。
新幹線需要発生以降において、駅周辺に飲食店が複数有る中で、あの店に客が殺到する事象も、あの店は美味いという評判が立っている証拠かも知れない。
料理が美味いなら、客は来る。
客が来るならば、完全予約制の方が、サービス・ホスピタリティの強化なども含め(上述したが、完全予約制故に可能なサービスも存在する)、状況を制御し易い。
完全予約制は、仕入れなどでの無駄が出辛く、従業員も休みを取り易くなるなど、客が来る自信が有るなら、経営面でも好都合である。
料理の腕以外は頼りないオーナーには、その意味でも向いているかも知れない。
なお、今後更にオーナーの思案に余る問題が発生すれば、外食コンサルに問題解決を外注すれば良い(特にこの作品世界では、遠月グループが、その部門も備えている筈。そもそも、創真らに助言を仰ぐ手も有ろう)。
要するに。
・三田村オーナーには、貫きたい理想が有る。創真達は其れを尊重せねばならない
「洋食の三田村」の改善について、これらの要素の無視は、NGである。
追記
『洋食の三田村』は、完全予約制移行後、客の減少により(従来の常連客が、速やかに復帰するとは限らない)、従業員のリストラが必要になるのではという意見が有るが。
完全予約制移行より後の『洋食の三田村』においては、従来の常連客の或る程度の復帰のみならず、リピーターになるかも知れない新規客の微増も見込まれる。
あれだけ大量に来ていた一見客の流れが完全に絶無になる事は、考え辛いからである。
美味いという評判も有ったが故に来店していた新規の客も居た筈だからである。
故に、そこまでせねばならない営業利益・経常利益の低下は起こり得ないのではないか。
ただし、あの従業員達が、新幹線需要の一見客の殺到していた時期以前からあの人数だった訳ではなく、一見客の激増後、それに対応すべく多少は増員していたなら、また別かも知れない。