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2021-09-14

自民党支持者と決めつけられた人間からの回答

から貴方への回答です。

= 回答ここから =

Q.01:最初から共産党投票していることを明確にしろ

A.01:拒否します。自分の支持する政党政治家公的な場においてカミングアウトするか否かは、自発的意思によってなされるべきだと私は思うからです。もしも、自民党の回し者に違いないという一方的な決めつけが無ければ、私も私の投票先を告白せずに済みました。本来不要であった労力を割くようにと、私は強いられたのです。関東大震災発生当時、自警団を名乗る人間たちが彼らの目に怪しく見えた通行人に対して「十五円五十銭」と言ってみろと迫ったそうですが、貴方の振る舞いと自警団の行動の間には、果たしてどれ程の差異が有るのでしょうか?

Q.02:単なる野党叩きと区別がつかん。

A.02:私や他の誰かが野党批判した場合、それが「単なる野党叩き」なのか、それとも「正当な野党批判」なのかを判定する能力権限を、貴方はお持ちなのでしょうか?野党の支持者でない人間には、野党批判する権利付与されないのでしょうか?では貴方は、貴方自民党支持者ではないという理由で、自民党に対する批判を控えていらっしゃるのでしょうか?

Q.03:なんで現在進行形でクソが展開されていることをスルーしてifの話に夢中になってるの?(原文ママ)

A.03:貴方の書き方が曖昧なので、何について仰られているのか分かりにくいのですが、おそらく自民党政治に対する批判を私がしていないもの貴方が考えておられるのだろうと推測・仮定した上で答えます。何を根拠にして貴方は、私が自民党問題スルーしていると決めつけられたのですか?はてな匿名ダイアリーだけに限っても、数々の自民党批判する投稿が有るはずですが、それらが私によって書かれた可能性は考えなかったのですか?あるいは、はてな以外の場で自民党批判していると、貴方は考えなかったのですか?

Q.04:俺は立憲信者でもない。

A.04:そんなことを、私は少しも貴方に対して質問してはいません(嘘だと思うならば、私の書いた文章を読み返して下さい)。私と同じく貴方も、投票先を告白しなくて結構です。貴方自民党に対して(それ以外の、どの政党政治家に対しても)行なう批判は、貴方が支持する政党政治家が何れであるかに関係なく、権利として守られるべきであり、批判への反論批判の内容それ自体に対して行われるべきだと私は思います

= 回答ここまで =

から貴方への回答は、とりあえず以上です。

次は、私が貴方質問することにします。

野党を育てることとは、野党に対する批判を控えることと、イコールだと貴方は思いますか?思いませんか?

anond:20210914120842

から貴方への回答です。

= 回答ここから =

Q.01:最初から共産党投票していることを明確にしろ

A.01:拒否します。自分の支持する政党政治家公的な場においてカミングアウトするか否かは、自発的意思によってなされるべきだと私は思うからです。もしも、自民党の回し者に違いないという一方的な決めつけが無ければ、私も私の投票先を告白せずに済みました。本来不要であった労力を割くようにと、私は強いられたのです。関東大震災発生当時、自警団を名乗る人間たちが彼らの目に怪しく見えた通行人に対して「十五円五十銭」と言ってみろと迫ったそうですが、貴方の振る舞いと自警団の行動の間には、果たしてどれ程の差異が有るのでしょうか?

Q.02:単なる野党叩きと区別がつかん。

A.02:私や他の誰かが野党批判した場合、それが「単なる野党叩き」なのか、それとも「正当な野党批判」なのかを判定する能力権限を、貴方はお持ちなのでしょうか?野党の支持者でない人間には、野党批判する権利付与されないのでしょうか?では貴方は、貴方自民党支持者ではないという理由で、自民党に対する批判を控えていらっしゃるのでしょうか?

Q.03:なんで現在進行形でクソが展開されていることをスルーしてifの話に夢中になってるの?(原文ママ)

A.03:貴方の書き方が曖昧なので、何について仰られているのか分かりにくいのですが、おそらく自民党政治に対する批判を私がしていないもの貴方が考えておられるのだろうと推測・仮定した上で答えます。何を根拠にして貴方は、私が自民党問題スルーしていると決めつけられたのですか?はてな匿名ダイアリーだけに限っても、数々の自民党批判する投稿が有るはずですが、それらが私によって書かれた可能性は考えなかったのですか?あるいは、はてな以外の場で自民党批判していると、貴方は考えなかったのですか?

Q.04:俺は立憲信者でもない。

A.04:そんなことを、私は少しも貴方に対して質問してはいません(嘘だと思うならば、私の書いた文章を読み返して下さい)。私と同じく貴方も、投票先を告白しなくて結構です。貴方自民党に対して(それ以外の、どの政党政治家に対しても)行なう批判は、貴方が支持する政党政治家が何れであるかに関係なく、権利として守られるべきであり、批判への反論批判の内容それ自体に対して行われるべきだと私は思います

= 回答ここまで =

から貴方への回答は、とりあえず以上です。

次は、私が貴方質問することにします。

野党を育てることとは、野党に対する批判を控えることと、イコールだと貴方は思いますか?思いませんか?

2021-09-12

anond:20210912181850

ストレスを貯めてるのは自分だ、ということに気づけたらなあ。

別の言い方をするとイライラしているのは自分であって他人ではない。

他人がどれだけイライラさせようと念力を送ってもあなたイライラさせることは出来ない。

あなた自発的イライラしない限りあなたイライラする事はない。

anond:20110910131804

自発的病院行ったタイプなんだけど、広い真っ直ぐな道なのに端の細い電柱にぶつかるとか部屋の鍵の開け方が分からないとか上司言葉がわからなくて仕事にならなかったか受診したよ。傍から見てそこまで酷いのに仕事できてる元増田凄いし不思議

2021-09-11

anond:20210911185712

できてるよ。というか、奥歯の方が隙間がでかい

親知らずの少し歪な生え方と相まって余計に歯垢がたまりやすくなってるみたで、ほんとに化膿したっぽい血が臭い

前述した知覚過敏もこの親知らずの部分が一番ひどい。

ほんと、若いうちから口腔ケアは気をつけるべきだし、定期的に歯医者に行って検診と歯石取りした方がいいと思う。


自発的な検診と歯石取りって保険適用外なんだっけ?

2021-09-10

(9/10 22:41追記) 「野党共通政策が酷すぎて~」に含まれデマ検証

id:fellfield です。例の記事 anond:20210909200622 すべてに反論する時間はないので、部分的反論します。

安保法制などの違憲部分を廃止

集団的自衛権自国を守るものではなく、集団に属する他国を守るものです。自国を守るのは単なる自衛権ですよ。

増田が書いている「台湾サイドに立つ」が具体的に何を指しているか不明瞭だけれど、一般的には集団的自衛権行使できる状態のほうが、他国からは「台湾サイドに立っている日本」と見做されると思います。もしも集団的自衛権がなければ、たとえ台湾攻撃されていても日本は手出しできないわけです。言い換えれば、手出しできない日本に対して中国攻撃する理由がなく、日本にとってはリスクが低いことになる。

そして集団的自衛権があれば、外国戦争日本が巻き込まれリスクは高くなる。増田が書いている「集団的自衛権行使できない日本が国を守るために~」は前提から誤っているし、ここから野党批判につなげるのは論外、デマというよりほかにない。あるいは日本自国を守るために核武装すべきだと主張するなら、集団的自衛権とは切り離して議論すべきでしょう。野党共通政策核武装云々について特に触れていないので、ここでは取り上げないけれど。

集団的自衛権日本を守るなどと嘘をつかずに、外国戦争に参加するリスクを負えるかどうかと真正から問えばいいと思います。なぜ嘘をつくんだ増田

格差貧困是正

韓国最低賃金の引き上げによって云々と、反対派が必ず韓国を持ち出してくるのには飽きています。たまには他の国を取り上げてほしい。

ちなみに菅義偉が重用していたデービッド・アトキンソンでさえ、最低賃金は引き上げるべきだ、「韓国の大失敗」説は間違いだと書いています一時的には雇用悪化が生じたものの、長期的には失業率が下がって元の水準に戻ったと、東洋経済記事 https://toyokeizai.net/articles/-/366243 にあります

さて、増田は以下のように書いていました。

最低賃金現実を見ながら緩やかにあげていけばいいことで、経済成長を実現してくれれば自然に達成されるもの

安倍政権ときに史上最長の好景気喧伝されていたけれど、多くの人々にとっては実感の薄い好景気でした。たとえ経済成長していたり企業収益を上げていても、賃金が「自然に」上がっていくことは、ほとんどありません。

賃金を上げないことで従業員が次々やめていく状況なら別ですが、ほとんどの人は低賃金でも我慢して働きます。とくに日本場合には転職を重ねることがよく思われないから、なおさらです。

そのような状況で一部の企業けが自発的賃金を上げることもありません。ほかの企業に先んじて賃金を上げれば、自社だけコストが上がってしま競争力が落ちるからです。国が強制的に&一律に最低賃金を上げることで、企業はようやく賃金を上げます。「自然に」上がることはありません。

そして経済成長にかかわらず最低賃金は上げるべきです。現状は、憲法25条の定める「健康で文化的な最低限度の生活」を営めない水準だからです。緩やかな引き上げでは、十分な賃金水準に達する前に人生が終わってしまう。経済成長にかかわらず最低賃金の引上げを求める権利が、憲法に定められています

ちなみにワタミ経営者渡邉美樹でさえ「経済成長しなかったら国は破産してよいのか。そんな崖っぷち経営をすべきではない」と言っているよ。最低賃金とは別の文脈での話だけれど。自民党経済成長ありきかといえば、個々の議員の主張は必ずしもそうではない。

https://www.sankei.com/article/20190213-UC6OKF6KRFPJDNNQQRPMEG6DZA/

さらに言えば、野党経済成長を目指さないなんて一言も言っていないですよね。そんなソースがあるのなら教えてほしいです。

経済成長を目指しつつ最低賃金も引き上げる、そして賃金が上がれば、さら経済成長につながる好循環ができる、というのが野党政策だと俺は解釈しています

野党最低賃金の引上げを目指す = 野党経済成長を目指さない」と印象づけるのは、悪質なデマじゃないのか。なぜそんなデマを流すんだ増田

原発の無い脱炭素社会を追求

原子力発電はもともと扱いづらい電源です。電力需要への負荷追従運転が難しいから、出力調整のために他の電源と併用する必要がある。

そして廃棄物処理まで含めるとコスト予測不能なほどに膨れ上がるから、まったく経済的ではない。ほとんどメリットのない発電方法です。

以上は脱炭素社会とは別の話だけれど、一刻も早く原発を手放さないと未来はない、という話です。原発お金を吸い取られていたら、それこそ経済成長どころじゃなくなるんですよ。

そして脱炭素社会原発は、その二つだけを天秤にかけられるような単純な話ではないです。

あらゆる発電方法検討すべきだし、残念ながら、環境に負荷をかけない発電方法というのは存在していません。

火力は言うまでもなく、石油石炭を燃やせば温室効果ガスが出る。気候変動や海面上昇のリスクを考えれば、将来的に縮小を目指すしかない。

風力・水力・潮力・太陽光などはクリーンエネルギーのようでいて自然環境への負荷がかかる。プロペラやタービンに生き物が巻き込まれたり、ダムを作ったり山林を切り開いたりする。環境負荷を低減した発電方法の開発と、電力需要を充たすほどの発電所開発には、時間がかかることは確かです。

原子力発電破滅的な災害リスクと、先述のとおり廃棄物リスクがある。それも段階的な縮小ではなく即時停止しないと、国の存続にもかかわる。

それではどうすべきかといえば、「原発の無い脱炭素社会を追求」しかないと思います

まずは電力需要の緩やかな削減を目指すべきでしょう。リニアモーターカーなんか新設している場合ではない。あとは、たとえば消費地に近いところで発電すれば送電ロスを減らせる。そういう細かな改善も積み重ねていく必要がある。

風力・水力・潮力・太陽光などは環境負荷とのバランスをとりつつ増やしていくしかない。火力発電を一気に断つことはできない。2050年までのゼロは難しいだろうけど、ゼロに近づける努力をするしかない。

炭素社会を実現するには原発の存続しかないと思わせるような書きぶりは、デマや嘘とは違うにしても、二者択一でないもの二者択一のように見せかけていて不誠実だと思いますいかがでしょうか増田さん。

追記1 (9/10 21:56)

以下、ブコメに返信します。

studio-conquer ちょっとググれば分かるが、最低賃金自民党政権下でも上がり続けてるから自分デマや嘘をばら撒いてるのだが、何がしたいの?

自民党政権下で最低賃金が上がっているのは知っているし、だからこそデービッド・アトキンソン記事リンクしています

問題は、緩やかな上昇でしかないことです。最低限度の生活必要な水準へ達するまでに、このペースでは何十年もかかるし、そのあいだにも海外ではさら賃金物価が上がっていく。国内格差解消のためにも思い切った引き上げが必要だし、海外との格差解消のためにも必要です。

augsUK 「手出しできない日本に対して中国攻撃する理由がなく、日本にとってはリスクが低い」これを堂々と主張できる人でないと野党連合を支持することは難しいと。香港で何があったか知った上でこれ

香港のことも含めて、中国共産党の横暴に対しては、野党(とくに日本共産党)は強く批判しています中国政府に対して腰が引けているのは、どちらかといえば自民党のほうですよね。アメリカでも派手に動いていたトランプより、むしろバイデンのほうが中国に厳しい姿勢をとっていたりします。

自民党中国に対して強いことを言えないのに、集団的自衛権があれば急に強くなって、武力行使できるのでしょうか。

kuro_pp "電力需要の緩やかな削減を目指すべきでしょう。リニアモーターカーなんか新設している場合ではない" 由緒正しきオール左翼という感じがする。老朽化した東海道新幹線代替とか考えていないのだろう。

老朽化対策工事のため東海道新幹線を全面ストップするわけでもないですよ。日本中に老朽化したインフラはたくさんあるけれど、代替ルートを開通させないと対策できないなんて話はない。みんな運用しながら工事している。

リニアモーターカーを作ってしまえば、あとで老朽化対策必要に迫られるインフラ無駄に増えるだけです。

iyashi33 日本集団的自衛権存立危機事態限定されるので他国を守るだけでは不足で自国を守るためのもの台湾有事が存立危機事態になるかは別として、一行目から日本と異なる制度説明して何がしたいのか。

存立危機事態かどうかを恣意的解釈されうるか問題なんだと思います自国領土を守るためなら個別的自衛権で十分です。そして仮に集団的自衛権必要事態になったとしても、それは現在憲法では行使が許されていない。最高裁ちゃん違憲立法審査権に基づいて審査する国なら、日本集団的自衛権行使は認めないはずです。

rag_en “まずは電力需要の緩やかな削減を目指すべきでしょう”…いきなりトンデモでわろ。まぁ、根っこの部分に『「資本主義的な消費社会」の否定』でもあるんですかね。

2030年度の総発電量の1割削減を目指すと経産省が言っています原発を推進してきた経産省が、ですよ。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021071301042&g=eco

wapa 前回陰謀論トップコメの方の反論デマ云々の流れが若干強引。普通に意見ぶつけ合えばいいのに。原発無しでの脱酸素推進は、現実的にはかなりハードル高いと思う。原発無しなら脱酸素はある程度妥協すべきかと

普段から少しでもエネルギー政策に関心を持っている方であれば、脱酸素という誤字は書かないかなと思います

monotonus 一般市民は意外と外交安全保障政策にも強い関心があるってことを左派理解した方がいいかもね。中国日本を殴る理由がないとか馬鹿にするのも程々にしてほしい。

上にも書いたけれど、中国に対して自民党はべつに強硬な態度をとっていないし、台湾にも香港にも目をつぶっているんですよ。日本共産党のほうが、よほど中国に対して強い態度で批判していますよ。

Hige2323 驀地に陰謀論に走る輩に相応しい知能の持ち主だった様子

「驀地」が読めないくらいの知能ではありますまっしぐら、と読むんですね。

high-speed-soba 安保格差の論は”なぜだ増田”と強い調子で締めているが、原発話題は柔らかく増田「さん」付けという文章に、自己原発論の弱さを自覚している姿が見え隠れしてかわいい

褒めてくれてありがとうかわいいんですよ俺。ただし「原発論の弱さを自覚」は誤りです。

最初文章中に書いたとおり、「二者択一でないもの二者択一のように見せかける」のは不誠実な態度なんですよ。だから本当に俺は怒っているし本気で書いていますいくらかでも和らげるために敬体で書いているんです。

thesmophoros 脱原発かつ脱炭素をどうやるかについて、「とにかく頑張る」しか書いてなくてワロタ

あの文章を要約して「とにかく頑張る」になってしまうなら圧縮新聞のほうが優秀だと思います

以上です。あとでまた続きを書くかもしれません。

追記2 (9/10 22:41)

naga_yamas リニアまでちゃんと反対する事で典型的オール左翼とわかりやすくて良い。こいつらにむちゃくちゃされない様にきちんと選挙行く必要がある

選挙には行ってください。俺も行きます

インバウンド需要消滅したり生活様式が変わったことで、新幹線リニア存在意義が問われている昨今、リニア建設反対は普遍的意見になりつつあると思います。「典型的オール左翼」の枠に無理やり押し込んで解釈するのは勝手ですが、価値観アップデートができていない印象はあります

lont_in 海を渡った向こうではリアル弾圧が始まってるのに、安全保障の話になると頭お花畑になるの勘弁してくれ

上に何度か書いたとおり、中国共産党の「リアル弾圧」に対して強く抗議しているのは野党です。自民党ではありません。

peta0227 集団で攻められづらい状況を作るより、台湾見捨てて中国に見逃してもらうことを是とするの、さすがに人道的にも合理的にも低レベルすぎんか?マジで言ってるのか?普段人権一家言ある人達が?そういうとこだぞ。

台湾見捨てて」が具体的に何を指しているかからないんですよ。仮に台湾中国戦争を始めたとして、日本が何をすべきと言っているのでしょうか。

海外戦争が起きて、日本に逃げてきた難民たちを強制送還したり、入管に閉じ込めたりしている非人道的な国なんですよ日本は。あなたが言う「人道的」は具体的に何をすることなのか教えてほしいです。

まずは難民を受け入れて、対等な人間として接する。この最低限のことができないかぎり人道的云々だなんて話はできないです。

daigan この人の頭では、尖閣諸島に何千もの中国船団が突っ込んでるニュースは無いことになってるんだろうか…?まぁIDを書いてるだけでも潔いけど、工作員を疑う前に自分の頭を疑ったらとは思う。

尖閣諸島日本領土ですよ。個別的自衛権で十分じゃないですか。

flowing_chocolate 元増田はアレだけど、これはこれで雑な気がする。これ、立憲の主張と合ってる?

俺は無党派層で、選挙では共産か立憲に入れることが多い人間です。どこの党派に属しているわけでもない個人ですので、立憲の主張と合っている必要もとくにありません。

njamota 「出力調整のために他の電源と併用する必要がある」のは原発よりむしろ太陽光風力なのでは。太陽光なんて夜になるだけで出力0%だから原発ベースライン電源として使う分には負荷追従できなくてもいいんじゃね?

ベースライン電源の「ベースライン」がどのくらいなのか、って問題はありますね。原発がたくさん動いていたときは夜間に電力が余ってて(ベースラインを超えていて)、調整のために揚水発電を利用していたので。

太陽光の発電量が夜にゼロとなるのは、その通りです。水力や風力と併用する必要はあります。それも自然条件によっては発電量が大きく上下するからいかにして安定させるかが課題ですよね。

turanukimaru 立憲やリベラル勢力台湾を見捨てる気だってぶち上げられると枝野さんが困ると思うんだけど…あと単に集団的自衛権判断問題なのに嘘とかデマとか言うの良くないよ。最近みんな対立意見デマ認定しすぎ。

日本を守るために集団的自衛権があると書いていた元増田は、明らかにデマです。対立意見からデマ認定しているわけではありません。

そして上にも書いたけど「台湾を見捨てる」って具体的に何を指していますか? 難民強制送還している自民党と、難民人権尊重を呼びかける野党戦争が起きたとき台湾人にやさしくできるのはどちらの党だと思いますか?

今日はここまで。また明日

指示待ちになるな、自発的に行動せよ

ということは上司側も報告待ちではいけない。

よって、私はできるかぎり「○○はどうなってる?」などと尋ねることにしているし、いわゆる逆質問を用いて"考える”ことを促すようにしている。

そのような対処法が書籍ネット記事などで紹介されているのを真似てみたのだ。

すると、効果が見られる場合もあるが、いくらかはそういうやり取りや考えること自体を面倒と思うのか、1つ1つの行動がすごく適当になり、それに伴って成果・成果物適当になる場合も…。

内容次第だが大抵の仕事なんて求められる結果・結論は1つなんだから、それを満たしさえすればそのプロセスなんて興味あるわけないよな。

逆質問や考えることなんて不毛なやり取りにしか思えず、「こうせよっ!!」の通りやって終わったほうが時間もかからないし楽に決まってる。

2021-09-09

anond:20210909200622

まり、これを言い換えると、新安保法案で制定された集団的自衛権を削除して行使をさせないという事でしょう?

中国日本に対して、台湾有事台湾サイドに立つならば核を使う事も辞さないと言ってる状態なんですよ。

日本には核はありません、中国には日本を狙える中距離弾道ミサイルが2000発以上ありますが、アメリカ軍基地も含めて日本から中国攻撃できる中距離弾道ミサイルは一発もありません。

日本が既にQUADに参加し、日本自身自由で開かれたインド太平洋戦略で、対中包囲に参加して国を守ろうとしてる時に、集団的自衛権行使できないとか正気の沙汰じゃない。

核を使うと言ってる中国相手に、集団的自衛権行使できない日本が国を守るためには、それこそ中国に隷属するしかない。

冗談じゃないですよ。こんなもん、絶対賛同できない。

この集団的自衛権の部分の理屈がさっぱり理解できないんだけど、つまり増田が言いたいのは、「台湾有事とき日本集団的自衛権行使すべきだ」ということ? 行使すると、どうなるの? 台湾有事ときには自衛隊中国攻撃するぞ、ってことだよね? 中国には日本を狙える中距離弾道ミサイルが2000発以上あるのに? アメリカ軍基地も含めて日本から中国攻撃できる中距離弾道ミサイルは一発もないのに?

集団的自衛権というのは、ようするに他国同盟国とその敵国)がやってる戦争自発的に参加する権利だよね。そして日本には、その権利行使して台中戦争に参加した〈後〉に、中国から自国を守り切れる防衛体制はないわけでしょ。なんで集団的自衛権が「日本が国を守る」ことにつながるの? 俺にはぜんぜんわからない。

売買春について、「買われたことない人間がなんか論じるのいい加減やめろ」っていうけれど

それだと売買春嫌悪するごく普通女性も論じる資格がないことになっちゃうんですけれど。

こっちからしたら寧ろ「売ったことのある人間がなんか論じるのいい加減やめろ」と言いたい気持ちなんだが。

男の性欲を満たす仕事大金をもらってWin-Win関係になっていたくせに、今更どの面下げて買う側の男を批判できるんだ?

いや論じるなとまでは言わないが、含蓄のある言葉として周囲が妙に有り難がるのは違うでしょ。

なんで「買う側のおっさん」は無条件に悪で、売る側の女は純粋無垢被害者みたいな扱いになるのか意味不明だよ。

売買は売る側と買う側の双方がいなきゃ成り立たないんだから批判するとしたら両方を批判すべきでしょう。

少なくとも現代日本において「売った」女は自発的意思によってそれを選んで大金を稼いでいたんだから、「買った」男を叩く資格ないだろ。

それこそ昔の遊郭従軍慰安婦みたいに管理売春の下にあって当事者には利益が入らなかった場合とは全然違うので、同列に並べちゃいけないよ。

なんで身体を売らずに自力で地道に稼いだり頑張っても貧困に陥ったり、死んだり、そもそも売りたくても売れないようなブスな女性とかよりも、安易身体を売った女の言葉が有り難がられるの?

2021-09-08

anond:20210908223424

月経的な都合で自発的ピル飲んでて生セックスOKしてくれる優しい彼女探すか

結婚して妊活すればいい

ポジには気を付けなされ

パパ活のような自発的売春までをも「性加害」に分類するの、意思に反して性被害にあった大勢女性に対する侮辱でしょ。

一緒にされたくないと思うんだが。

未成年者には十分な判断能力がない」は正しいが、それならば

「そこに付け込む大人が悪い」だけじゃなくて

判断能力がないのに性行為したがる未成年者が悪い」も言うべきだと思うんだけど…

これが未成年飲酒喫煙無免許運転だったら絶対にそう言われるでしょ。

なんで性行為の話になると未成年者の罪は完全に無視されて、自発的に行った行為にも関わらず純粋被害者であるかのように語られるのか。

AVの出演強要意思に反して出演させられたという主張だから

その主張が正しいならば全面的被害者になるのは分かる。

でも「買われた」展の場合別に意思に反して売春強要されたって言ってるんじゃなくて

あくまでも自分意思で行った自発的売春に対して仕方がなかったって正当化しているだけだよね。

じゃあそれは被害者とは言わないだろう。

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート6

収集品の属性

人類は小規模で、ほぼ自給自足し、互いに敵対する部族進化してきたので、好意の追跡の必要性を減らし、これまで検討してきた他の人類の富の移転制度可能にするために、収集品を使用することは、人類の種の期間のほとんどにおいて、物々交換の規模の問題よりもはるか重要であった。実際、収集品は互恵利他主義の仕組みを根本的に改善し、他の種にはない方法人間が協力することを可能にした。他の種では、記憶信頼性が低いために互恵利他主義は大きく制限されている。他の種には、大きな脳を持ち、自分で家を建て、道具を作って使うものもいる。しかし、互恵利他主義の仕組みをこれほどまでに改善した種は他にない。その証拠に、この新しい開発は紀元前4万年には成熟していた。

メンガーはこの最初貨幣を「中間商品」と呼び、本稿では収集品と呼んでいる。刃物のように他の用途にも使える道具は、収集品としても使える。しかし、富の移転を伴う制度価値を持つようになると、収集品はその収集性のためだけに製造されるようになる。その性質とは何か。ある商品価値ある収集品として選ばれるためには、収集品としての価値が低い製品比較して、少なくとも次のような望ましい性質を持っていなければならない:

1. 偶発的な損失や盗難からより安全であること。歴史ほとんどの場合、これは持ち運びが可能で隠しやすいことを意味していた。

2. 価値を偽造することが難しい。これらの重要な部分は、以下に説明する理由から、偽造できないほど高価であり、それゆえに価値があると考えられる製品である

3. この価値は、単純な観察や測定によって、より正確に近似していた。これらの観測は、より信頼性の高い完全性を持ちながら、より低コストであっただろう。

世界中人間は、これらの特性をよりよく満たすアイテムを集めたいという強い動機を持っている。この動機の中には、おそらく遺伝的に進化した本能が含まれている。このような物は、(特に優れた明確かつ近接した理由ではなく)集めることを純粋に楽しむために集められ、そのような楽しみは人類文化においてほぼ普遍的である。直近の動機の1つは装飾であるアリゾナ大学考古学であるメアリー・C・スタイナー博士によると、"装飾は現代人の採集者の間では普遍的ものである "という。進化心理学者にとって、このように、自然淘汰という観点からの最終的な説明はつくが、快楽以外の近親的な根拠がない行動は、遺伝的に進化した快楽が行動の動機になっているという有力な候補になる。例えば、このエッセイの推論が正しければ、希少品や美術品、特に宝石を集めるという人間本能がそうである

(2)については、もう少し説明必要であるコストが高いという理由商品生産することは、一見すると非常に無駄なことのように思える。しかし、永遠にコストのかからない商品は、有益な富の移転可能にすることで、繰り返し価値を高めていく。取引可能になったり、コストが低くなったりするたびに、コストはより多く回収される。最初は全くの無駄であったコストは、多くの取引償却されていく。貴金属貨幣価値は、この原理に基づいている。また、収集品は、希少性が高いほど、また、その希少性が偽造できないほど、価値が高くなる。また、芸術品のように、証明可能技術独自人間労働力製品に加えられている場合にも適用される。

我々は、この3つの要素を兼ね備えた製品発見したり、作ったりしたことはない。アート収集品(この言葉現代文化で使われている意味ではなく、この論文で使われている技術的な意味で)は、(2)を最適化するが、(1)や(3)は最適化しない。一般的ビーズは(1)を満たしているが、(2)や(3)は満たしていない。宝石は、最初は最も美しく、あまり一般的ではない貝殻で作られるが、最終的には多くの文化において貴金属で作られるため、3つの特性をよりよく満たすことができる。偶然ではないが、貴金属の宝飾品は鎖や指輪のような細い形をしていることが多く、無作為に選んだ場所安価に鑑定することができた。貨幣さらに改良されたもので、小さな標準的な重さと商標を鑑定の代わりにすることで、貴金属を使った小さな取引コストを大幅に削減した。貨幣は、収集品の進化のほんの一歩に過ぎない。

旧石器人が作っていたモバイルアート(小さな置物など)も、この特徴によくマッチしている。実際、旧石器人が作ったものの中で、実用性がなく、(1)〜(3)の特徴を備えていないものほとんどない。

ホモ・サピエンスには、役に立たない、あるいは少なくとも使用されていない火打石の不可解な例がたくさんある。我々はクロヴィス族の使えない火打ち石について述べた。Culiffeは、ヨーロッパの中石器時代発見された数百個の火打ち石について述べているが、これらの火打ち石は丁寧に作られたものであるが、顕微鏡写真分析により、切断には使われなかったことが明らかになっている。

リントは、宝石のような特殊目的を持った収集品に先立つ、最初収集である可能性が高いのである。確かに最初火打石コレクターは、刃物としての実用性を求めて作られたはずだ。富の伝達手段としてのフリントの付加価値は、本稿で紹介する制度を開花させるための偶然の副次的効果であった。このような制度は、特殊目的収集品を製造する動機となったであろう。最初は切削工具として実際に使用する必要のないフリントであり、その後、ホモ・サピエンスサピエンスが開発した他の様々な種類の収集である

新石器時代中近東ヨーロッパの多くの地域では、一部のジュエリー標準化され、美しさより標準的サイズやアセイ性が重視されるようになった。商業地域では、このような宝石の量が伝統的な宝石の量を大きく上回ることもあった。これは宝飾品と貨幣中間的な段階であり、収集品の一部が貨幣的な形態をとるようになったのである紀元前700年頃、リディアンの王たちは前述のようにコインを発行し始めた。標準的な重さの貴金属は、市場で、賃金労働者が、あるいは徴税者が、ランダムに選ばれた場所コイル状のワイヤーを切断する代わりに、商標、すなわち造幣局ブランドを信頼して「評価」することができるようになったのである

収集品の属性が、貴金属コイン、そしてほとんどの非現金通貨を支えてきた準備商品共通しているのは偶然ではない。本来貨幣は、これらの特性を、人類先史時代ほとんど全ての時期に使用されていた収集品よりも純粋な形で実現したものである

20世紀新機軸は、政府による不換紙幣の発行である。(「フィアット」とは、それまでの金や銀をベースにした通貨のように、基軸商品裏付けられていないことを意味する。) 不換紙幣は、交換手段としては一般的に優れているが、価値の保存手段としては非常に劣ることが証明されている。インフレで多くの「たくわえ」が破壊された。前述の収集品に共通する希少品やユニークアート作品市場が、前世紀にルネッサンスを迎えたのは偶然ではない。我々の最も進んだハイテク市場の一つであるeBayは、これらの原始的経済性を持つ物を中心にしている。進化過程重要役割果たしていた頃に比べて、我々の富に占める収集品の割合が減ったとしても、収集品の市場はかつてないほど大きくなっている。収集品は、我々の本能的な欲求を満たすと同時に、安全価値の貯蔵庫としての古代役割果たしている。

結論

一方的もの相互的なものも、自発的もの強制的ものも、多くの種類の富の移転には取引コストがかかる。自発的取引では、双方が利益を得る。真に無償の贈り物は、通常、親族利他主義行為である。このような取引は、何かを作るという物理的な行為と同様に、一方または両方の当事者価値を生み出す。貢物は勝者の利益になり、損害賠償判決被害者利益になるだけでなく、さらなる暴力を防ぐことができる。遺産相続は、人間次世代親族財産を渡す最初動物となった。これらの家宝は、商品取引担保や代金、飢えをしのぐための食料、あるいは結婚の際の花嫁代金などに使われた。このような移転を行うためのコスト取引コスト)が十分に低いかどうかは別問題である。このような取引を初めて可能にしたのが、収集である

ほとんどの動物が非親族との遅延互恵的な協力関係を築けないという「囚人のジレンマ」を解決するために、収集品は我々の大きな脳と言語を増強したのである。それは、どの人が何をしたかというエラーと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際のエラーである一族部族のサブセットを形成する、小さくてすぐに地元に帰れる親族グループ、または大家族)の中では、我々の大きな脳はこれらの誤差を最小限に抑えることができたので、世間の評判と強制的制裁が、相手が将来協力したり欠陥を犯したりする能力によって提供される限定的動機に取って代わり、遅延した互恵関係の主な執行者となったのであるホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスホモ・サピエンスサピエンスも、同じように脳のサイズが大きかったので、地元一族の全員が、他の地元一族の全員の好意を把握していた可能性が高い。小さなローカル親族グループの中では、収集品を取引に使うことは最小限だったかもしれない。部族間では、好意の追跡と収集品の両方が使用された。部族間では、評判に代わって収集品が完全に互恵関係執行者となったが、暴力は依然として権利執行に大きな役割果たしていたし、高い取引コストのためにほとんどの種類の取引ができなかった。

一般的な富の貯蔵と富の移転手段として有用であるためには、収集品は、少なくとも1つの制度に組み込まれ発見製造コスト複数取引償却されるような閉ループのサイクルを持つ必要があった。さらに、収集品は、単なる美しい装飾品ではない。身につけられる安心感、隠したり埋めたりするためのコンパクトさ、変えられない高価さなど、一定機能性を持っていなければならない。そして、その高価さは、現代コレクター収集品を鑑定するのと同じように、譲渡を受けた人が確認できるものでなければならなかった。

本稿で示した理論は、これらの文化で交換される「貴重品」にこれらの特徴があるかどうか(あるいはないかどうか)を調べ、これらの貴重品が移動するサイクルから得られる経済利益を調べ、(現代を含む)さまざまな文化でこれらの特徴を持つ物に対する嗜好を観察することによって、検証することができる。

前例のない協力の技術により、人類地球上で最も恐ろしい捕食者となっていた。彼らは移り変わる気候適応したが、一方で、アメリカヨーロッパアジアでは、狩猟気候の変化によって、何十もの大きな群れの獲物が絶滅に追い込まれたのである現在地球上のほとんどの大型動物投射物を恐れているが、これはたった1種の捕食者に適応したものである。また、狩猟よりも採集を中心とした文化も大きな恩恵を受けた。ホモ・サピエンスサピエンスは、骨が弱くなり、脳の大きさが変わらないにもかかわらず、地球上のより多くの地域に、ネアンデルタール人10倍以上の人口密度で住むことができた。この増加の多くは、効果的な富の移転言語によって可能になった社会制度、すなわち貿易結婚相続、貢ぎ物、担保、そして復讐のサイクルを弱めるために損害を評価する能力に起因していると考えられる。

原始時代貨幣は、我々が知っているような現代貨幣ではなかった。現代お金機能の一部を担っていたが、その形は家宝宝石などの収集品であった。これらの使用は非常に古くから行われており、収集品を探求し、収集し、作り、展示し、鑑定し、大切に保管し、売買するという欲求人間普遍的ものであり、ある意味では本能的なものである。このような人間欲望集合体を「収集本能」と呼ぶことにする。多くの古代人は、貝や歯などの原材料を探したり、収集品を製造したりすることにかなりの時間を費やしていたし、多くの現代人は、趣味としてこれらの活動にかなりの資源を費やしている。その結果、具体的な実用性とは異なる、初めての確実な価値の具現化、そして今日貨幣の先駆けとなったのである

原始人がネックレスをつけた理由 パート5

戦争戦利品

チンパンジー部隊狩猟採集民の文化では、暴力による死亡率が現代文明よりもはるかに高い。これは、少なくともチンパンジーとの共通祖先にまで遡ると思われるが、チンパンジー軍隊も常に戦っていた。

戦争には、殺し、傷つけ、拷問し、誘拐し、レイプし、そのような運命を避けるために貢ぎ物を強要するなどの行為が含まれていた。隣接する部族同士が戦争をしていないときは、一方が他方に貢ぎ物をしているのが普通である。貢ぎ物は、同盟関係を結び、戦争規模の経済を実現する役割も果たした。ほとんどの場合、それは勝利者にとって、敗者にさらなる暴力を振るうよりも有利な搾取形態であった。

戦争勝利すると、敗者から勝者へ即座に支払いが行われることもあった。多くの場合、これは熱狂的な勝者による略奪という形で行われ、敗者は必死収集品を隠した。また、定期的に貢ぎ物を要求されることもあった。この場合には、敗北した部族の財やサービス供給能力と勝者の需要を一致させるような、精巧現物支給スケジュールによって、三重の偶然性を回避することができたし、時にはそれが実現した。しかし、このような解決策であっても、原始的貨幣はより良い方法提供することができた。つまり共通価値を持つ媒体として、支払い条件を大幅に簡素化することができたのである。これは、条約の条件を記録することができず、暗記しなければならなかった時代には非常に重要なことであった。イリコ連合使用されていたワンパムのように、収集品が原始的記憶装置役割果たしている場合もあり、そのままではないものの、条約の条件を思い出すための補助として使用することができた。勝者にとっては、収集品はラファー最適値に近い形で貢物を集める手段となった。敗者にとっては、収集品を隠しておくことで「過少申告」が可能となり、勝者は敗者がそれほど裕福ではないと信じて、要求額を少なくすることができた。また、収集品の隠し場所は、熱狂的な貢ぎ物収集者に対する保険にもなった。原始社会の富の多くは、その秘密性の高さゆえに宣教師人類学者の目に触れることはなかった。このような隠された富の存在を明らかにできるのは、考古学だけである

隠蔽などの戦略により、貢ぎ物を集める人たちは、現代徴税人と共通する問題を抱えていた。それは、いかにして自分たちが取り出せる富の量を見積もるかということである価値の測定は、多くの種類の取引において厄介な問題であるが、敵対関係にある税や貢ぎ物の徴収においては、これほど厄介なことはない。このような非常に困難で直観的でないトレードオフを行い、それを一連の問い合わせ、監査徴収行為の中で実行することで、貢ぎ物の徴収者は、たとえその結果が貢ぎ物の支払い者にとって非常に無駄ものに見えたとしても、効率的収入最適化することができたのである

ある部族が、以前に戦争で敗れた近隣の部族数人から貢ぎ物を集めているとする。その際、各部からどれだけの金額を引き出せるかを見積もらなければならない。推定値が悪いと、一部の部族の富が控えめになり、他の部族は実際には持っていない富の推定値に基づいて貢ぎ物を払わなければならなくなる。その結果、被害を受けた部族は縮小する傾向にある。利益を得た部族は、得られるはずの貢ぎ物よりも少ない量を支払うことになる。どちらの場合も、勝利者にとっては、より良いルールで得られるかもしれない収入よりも少ない収入しか得られない。これは、ラファー曲線を特定部族運勢適用したものである。この曲線は、優れた経済学者アーサー・ラッファーが所得税適用したもので、税率が上がると収入額は増えるが、回避、逃避、そして何よりも課税対象となる活動従事する意欲がなくなるため、税率に比べてますます遅い速度となる。このような理由により、ある一定割合で税収が最適化される。ラファーの最適値を超えて税率を上げると、政府収入は増えるどころか減る。皮肉なことに、ラッファー曲線は、政府収入に最適な徴税理論であって、社会福祉や個人の選好満足度に最適な徴税理論ではないにもかかわらず、減税を主張する人々に利用されてきた。

もっと大きなスケールで言えば、ラッファー曲線政治史の中で最も重要経済法則と言えるかもしれない。チャールズ・アダムスはこの法則を使って、帝国の盛衰を説明している。最も成功した政府は、自分たちインセンティブ短期的な収入への欲求と、他の政府に対する長期的な成功)によって、暗黙のうちにラッファー曲線に従って収入最適化するように導かれてきた。ソビエト連邦ローマ帝国のように納税者に過剰な負担を強いた政府歴史の塵となり、最適な収入を下回った政府は、資金力のある隣国征服されることが多かった。民主党政権は、資金力のない国家征服するよりも、もっと平和的な手段で、歴史的な時間をかけて高い税収を維持することができるかもしれない。民主党政権は、外部からの脅威に比べて税収が非常に高く、税収のほとんどを非軍事分野に使う余裕がある歴史上初めての国家である。彼らの税制は、これまでのほとんどの政府よりも、ラッファー最適に近い形で運営されている。(このような贅沢は、民主主義国家徴税最適化するインセンティブを高めたのではなく、核兵器攻撃を抑止する効率性を高めたことで可能になったとも考えられる。) ラッファー曲線を応用して、様々な部族に対する条約上の貢納条件の相対的な影響を調べてみると、収入最適化したいという願望から、勝者は敗者の所得や富を正確に測定したいと思うようになるという結論が得られた。価値を測ることは、富を隠したり、戦いや逃亡によって貢ぎ物を回避したりする支那人インセンティブ判断する上で極めて重要である。一方,支那人は,収集品を隠しておくなど,さまざまな方法でこれらの測定値を偽装することができるし,実際にそうしている。貢ぎ物を集めることは,インセンティブが一致しない測定ゲームである

収集品があれば,支流供給できるものや勝者が必要としているものではなく,戦略的に最適なタイミングで貢ぎ物を要求することができる。勝利者は、貢ぎ物を取られた時に富を消費するのではなく、将来的に富を消費するタイミングを選ぶことができる。その後、紀元前700年頃には貿易が盛んに行われていたが、貨幣貴金属製の収集品のような形をしていた。これを変えたのが、アナトリア現在トルコ)のギリシャ語を話す文化圏、リディアである。具体的には、リディアの王たちが、考古学的・歴史学的に最初の主要な貨幣発行者となったのである

その日から今日まで、コインの発行は民間鉱山ではなく、自ら独占権を与えられた政府鉱山が中心となっている。なぜ、当時の半市場経済圏に存在していた民間銀行家などの私利私欲による鋳造が行われなかったのか。政府コインの発行を独占してきた主な理由は、政府けが偽造防止策を実施できるからであるしかし、現在も当時も商標権行使するのと同様に、政府は競合する民間鋳造所を保護するために、そのような措置を講じることができたはずである

コイン価値見積もることは、収集品の価値見積もるよりもはるか簡単であった。物々交換ではなく貨幣を使った取引の方がはるかに多く、実際、取引から得られるわずかな利益が初めて取引コストを上回ったため、多くの種類の低額取引が初めて可能になったのである収集品は低速度貨幣であり、少数の高価値取引に関与していた。コインは速度の速い貨幣であり、多数の低価値取引を促進した。

これまで見てきたように、原始貨幣が貢納者や徴税者にとって有益であることや、そのような支払いを最適に強制するためには価値測定問題重要であることを考えると、徴税者、特にリディアの王が最初貨幣を発行したことは驚くべきことではない。徴税によって収入を得ている王には、臣下保有し交換する富の価値をより正確に測定する強い動機があった。また、交換のための媒体商人安価に測定することで、効率的市場に近いものが生まれ個人が初めて大規模に市場に参入できるようになったことは、王にとっては偶然の副次的効果であった。市場流れる富が増え、課税対象となったことで、国王収入は、通常のラッファー曲線効果である税源間の誤計測の減少以上に増加した。

徴税効率化と市場効率化が相まって、税収全体が大幅に増加したのである徴税人たちは文字通り金鉱を掘り当てたのであり、リディア王のミダス、クロイソス、ギゲスの富は今日まで有名である

数世紀後、ギリシャアレキサンダー大王は、エジプトペルシャインドの大部分を征服したが、その壮大な征服資金は、低速度の収集品の集合体であるエジプトペルシャ神殿を略奪し、それらを溶かして高速度のコインにすることで得られた。彼の後には、より効率的包括的市場経済と、より効率的徴税が生まれた。

貢物の支払いは、それだけでは収集品の閉ループ形成しない。貢物は、最終的に勝者が結婚交易担保など何かに利用できる場合にの価値があった。しかし、勝者は、たとえ敗者の自発的利益にならなくても、収集品を得るための製造を敗者に強要することができた。

争議と救済策

古代狩猟採集民には、現代のような不法行為法や刑法はなかったが、現代法でいうところの犯罪不法行為に該当するような紛争解決するための類似した手段があった。紛争当事者一族による罰や支払いによって紛争解決することは、復讐復讐戦争のサイクルに代わるものであった。アメリカイリコイ族からキリスト教以前のゲルマン人に至るまで、ほとんどの近代以前の文化は、罰よりも支払いの方が良いと考えた。些細な窃盗から強姦殺人に至るまで、すべての実行可能犯罪には価格ゲルマン人の「weregeld」やイリコイ人の血税など)が設定されていた。お金があれば、支払いはお金の形で行われた。牧畜文化では家畜が使われた。それ以外では、収集品の支払いが最も一般的な救済策であった。

訴訟などの損害賠償の支払いには、相続結婚年貢などと同じように、事象供給需要三位一体問題が発生した。訴訟判決は、原告損害賠償能力と、被告損害賠償による利益を得る機会と願望が一致する必要があった。原告がすでにたくさん持っている消耗品を救済措置とした場合、救済措置は罰としての役割は果たすが、被告を満足させることはできないであろうし、したがって暴力連鎖抑制することはできない。このように、収集品には、紛争解決したり、復讐連鎖を断ち切るための救済策を可能にするという付加価値がある。

紛争解決は、支払いによって復讐心が完全になくなるのであれば、閉ループ形成しない。しかし、支払いによって復讐心が完全に消滅しない場合、支払いは復讐連鎖に続くサイクルを形成する可能性がある。このような理由から、より密に接続された取引ネットワークが出現するまでは、復讐のサイクルを減らすことはできても、なくすことはできないという平衡状態に達していた可能性がある。

原始人がネックレスをつけた理由 パート2

鑑定や価値測定の問題は非常に幅広いものである人間にとっては、好意の返礼、物々交換貨幣、信用、雇用市場での購入など、あらゆる交換システムに関わってくる。また、強要課税、貢ぎ物、司法上の刑罰の設定などにおいても重要である動物互恵利他主義においても重要である。例えば、サル背中を掻くために果物を交換することを考えてみよう。相互に毛づくろいをすることで、個人では見えないし届かないダニノミを取り除くことができる。しかし、どれだけの毛づくろいとどれだけの果物を交換すれば、お互いに「公平」だと思える、つまり離反しないお返しになるのであろうか?20分間のバックスクラッチングの価値は、果物1個分であろうか、それとも2個分であろうか?また、どのくらいの大きさの果物であろうか?

血と血を交換するという単純なケースでさえ、見かけよりも複雑なのだコウモリは、受け取った血の価値をどのように見積もっているのだろうか。重さ、大きさ、味、空腹を満たす能力、その他の変数価値見積もるのだろうか?それと同じように、「あなたが私の背中を掻いてくれたら、私があなた背中を掻く」という単純な猿の交換でも、測定は複雑になる。

大多数の潜在的な交換において、動物にとって測定問題は難題である。顔を覚えてそれを好意に結びつけるという簡単問題以上に、そもそも好意価値推定値について双方が十分な精度で合意できるかどうかが、動物相互利他主義の主な障壁となっているのではないだろうか。

現存する旧石器時代初期の人類の石器は、我々のような大きさの脳には複雑すぎる面がある。誰が誰のためにどのような品質の道具を作ったのか、したがって誰が誰に何を借りているのかなど、彼らに関わる好意を記録しておくことは、一族境界線の外ではあまりにも困難であっただろう。それに加えて、おそらく残っていない多種多様有機物や、身だしなみなどの刹那的サービスなどがあるであろう。これらの物品のほんの一部でも譲渡され、サービスが行われた後には、我々の脳は膨れ上がっていて、誰が誰に何を借りているのかを把握することはできなかった。今日、我々はこれらのことをよく書き留めているが、旧石器人には文字がなかった。考古学的な記録が示すように、氏族部族間での協力が実際に行われていたとすれば、問題さら悪化する。狩猟採集民の部族は通常、非常に敵対的相互に不信感を抱いていたかである

貝がお金になる、毛皮がお金になる、金がお金になるなど、お金法定通貨法に基づいて政府が発行した硬貨紙幣だけでなく、さまざまなものであるとすれば、そもそもお金とは何なのであろうか。また、飢餓危機に瀕していた人類は、狩猟採集もっと時間を割くことができたはずなのに、なぜネックレスを作って楽しんでいたのであろうか。19世紀経済学者カールメンガーは、十分な量の商品交換から自然に、そして必然的貨幣進化することを初めて説明した。現代経済用語で言えば、メンガーの話と似ている。

物々交換には利害関係の一致が必要であるアリスピーカン栽培してリンゴを欲しがり、ボブはリンゴ栽培してピーカンを欲しがる。たまたま果樹園が近くにあり、たまたまアリスはボブを信頼していて、ピーカンの収穫時期とリンゴの収穫時期の間に待つことができたとする。これらの条件がすべて満たされていれば、物々交換はうまくいく。しかし、アリスオレンジ栽培していた場合、ボブがピーカンだけでなくオレンジも欲しかったとしても、運が悪かったとしか言いようがない - オレンジリンゴは同じ気候では両方ともうまく育たない。また、アリスとボブがお互いを信頼しておらず、仲介してくれる第三者を見つけられなかったり、契約を履行できなかったりした場合も、運が悪いと言わざるを得ない。

さらに複雑な事態も起こりえる。アリスとボブは、将来的にピーカンリンゴを売るという約束を完全に明確にすることはできない。なぜなら、他の可能性として、アリスは最高のピーカンを独り占めし(ボブは最高のリンゴを独り占めし)、他の人には残りかすを与えることができるからである。2つの異なる種類の商品の質と量を比較することは、一方の商品状態記憶しかない場合には、より困難になる。さらに、どちらも凶作などの出来事予測することはできない。これらの複雑さは、アリスとボブが、分離した互恵利他主義が本当に互恵的であったかどうかを判断する問題を大きくしている。このような複雑な問題は、最初取引互恵的な取引の間の時間的な間隔や不確実性が大きいほど大きくなる。

関連する問題として、エンジニアが言うように、物々交換は「スケールしない」ということがある。物々交換は、少量であればうまく機能するが、大量になるとコストがどんどん高くなり、労力に見合わないほどのコストになってしまう。取引される商品サービスがn個ある場合物々交換市場ではn^2個の価格必要になる。5つの商品であれば25個の価格必要となり、悪くはないが、500の商品であれば25万個の価格必要となり、一人の人間管理するには現実的ではない。貨幣を使えば、500の製品に500の価格というように、n個の価格しかない。この目的のためのお金は、交換媒体としても、単に価値基準としても機能する。(後者問題は、暗黙の保険契約」とともに、競争市場存在しなかったこから価格が近しい交渉ではなく、長い間進化してきた慣習によって設定されることが多かった理由でもある)。)

物々交換必要なのは、言い換えれば、供給スキル、好み、時間、そして低い取引コストの偶然の一致である。そのコストは、取引される商品の数の増加よりもはるかに速く増加する。物々交換は、確かに全く取引をしないよりははるか効果的であり、広く実践されてきた。しかし、お金を使った貿易に比べれば、その効果はかなり限定的である

原始的貨幣は、大規模な貿易ネットワークよりもずっと前から存在していた。貨幣には、もっと早くから重要用途があった。貨幣は、信用の必要性を大幅に減少させることで、小規模な物々交換ネットワークの働きを大きく改善した。好みが同時に一致することは、長い時間の間に一致することよりもはるかに稀だった。お金があれば、アリスは今月のブルーベリーの熟度に合わせてボブのために採集し、ボブは半年後のマンモスの群れの移動に合わせてアリスのために狩りをすることができ、誰が誰に借金をしているかを把握したり、相手記憶や誠実さを信用したりする必要はない。母親の子育てへのより大きな投資を、偽造できない貴重品の贈与で担保することができる。貨幣は、分業の問題囚人のジレンマから単純な交換に変えてくれる。

多くの狩猟採集民が使用していた原始的貨幣は、現代貨幣とは全く異なる姿をしており、現代文化の中では異なる役割果たしており、おそらく後述する小さな交易ネットワークやその他の地域的な制度限定された機能を持っていた。私はこのような貨幣を、本来貨幣ではなく、収集品と呼ぶことにする。人類学の文献では、このようなものを「お金」と呼んでいるが、これは政府印刷した紙幣硬貨よりも広い範囲定義されているが、このエッセイで使う「collectible」よりも狭い範囲定義されている。また、曖昧な「valuable」という言葉もあるが、これはこのエッセイ意味でのcollectiblesではないものを指すこともある。原始貨幣名称として他の可能性がある中で、コレクティブルという言葉を選んだ理由は明らかであろう。コレクティブルは非常に特定属性を持っていた。それらは単に象徴的なものではなかった。コレクティブルとして評価される具体的な物や属性は、文化によって異なる可能性があるが、恣意的ものではない。収集品の第一の、そして究極の進化機能は、富を貯蔵し、移転するための媒体であった。ワンパムのようなある種の収集品は、経済的社会的条件が貿易を促進するところでは、現代人が知っているような貨幣として非常に機能である。私は、コイン時代以前の富の移動手段議論する際に、「原始的貨幣」や「原始的貨幣」という言葉を、「収集品」と同じように使うことがある。

富の移転による利益

人々、一族、あるいは部族自発的貿易を行うのは、双方が何かを得ることができると信じているかである価値についての彼らの信念は、例えばその商品サービスについての経験を積むなどして、取引後に変わることがある。交易の時点での彼らの信念は、価値についてはある程度不正であるものの、利益存在については通常正しいものである特に初期の部族貿易では、高額商品に限られていたため、各当事者自分の信念を正しく理解しようとする強い動機があった。そのため、貿易ほとんどの場合、双方に利益をもたらした。貿易は、何かを作るという物理的な行為と同様に、価値を生み出した。

個人一族部族はそれぞれ好みが異なり、これらの好みを満たす能力も異なり、これらの能力や好み、そしてそれらの結果として得られる物について持っている信念も異なるため、貿易から得られる利益は常にある。このような取引を行うためのコスト取引コスト)が、取引価値あるものにするのに十分低いかどうかは別問題である。我々の文明では、人類歴史上の大半の時代よりもはるかに多くの取引可能であるしかし、後述するように、いくつかの種類の取引は、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生した頃まで、一部の文化にとっては取引コスト以上の価値があった。

取引コストが低いことで利益を得ることができるのは、任意スポット取引だけではない。これが、貨幣起源進化理解する鍵となる。また、家宝担保にすることで、取引の遅延による信用リスク回避することもできた。勝った部族が負けた部族から貢ぎ物を取ることは、勝った部族にとって大きな利益となった。勝利者の貢ぎ物を集める能力は、貿易と同じ種類の取引コスト技術恩恵を受けていたのである。慣習や法律に反する行為に対する損害賠償請求する原告や、結婚斡旋する親族集団も同様である。また、親族は、タイムリー平和的な相続による富の贈与の恩恵を受けていた。現代文化では貿易世界から切り離されている人間の主要なライフイベントも、取引コストを下げる技術によって、貿易に劣らず、時にはそれ以上の恩恵を受けていた。これらの技術のうち、原始的貨幣収集品)よりも効果的で重要ものはなく、また初期のものでもなかった。

H.サピエンスサピエンスがH.サピエンス・ネアンデルターレンシス駆逐すると、人口爆発が起こった。紀元前4万年から3万5千年の間にヨーロッパ占領した証拠からサピエンスサピエンスはネアンデルターレンシスに比べて環境収容力を10倍にしたこと、つまり人口密度10倍になったことがわかる。それだけではなく、彼らは世界初の芸術創造する余裕があった。例えば、素晴らしい洞窟壁画多種多様精巧な置物、そしてもちろん貝殻、歯、卵殻を使った素晴らしいペンダントネックレスなどである

これらは単なる装飾品ではない。収集品や、その時代進歩したと思われる言語によって可能になった、新しい効果的な富の移動は、新しい文化制度を生み出し、環境収容力の増加に主導的な役割を果たしたと考えられる。

新参者であるH.サピエンスサピエンスは、ネアンデルタール人と同じ大きさの脳、弱い骨、小さい筋肉を持っていた。狩りの道具はより洗練されていたが、紀元前35,000年の時点では基本的に同じ道具であり、2倍の効果10倍の効果もなかったであろう。最大の違いは、収集品によってより効果的に、あるいは可能になった富の移動だったかもしれない。H.サピエンスサピエンスは、貝殻を集めて宝石にしたり、見せびらかしたり、交換したりすることに喜びを感じていた。ネアンデルターレンシスはそうではなかった。これと同じことが、何万年も前にセレンゲティで起きていたのである

ここでは、コレクションアイテムが、自発的無償相続自発的相互取引結婚、法的判断や貢ぎ物などの非自発的移転など、それぞれの種類の富の移転において、どのように取引コストを下げたか説明する。

これらの種類の価値移転はすべて、人類先史時代の多くの文化で行われており、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生したときから行われていたと考えられる。このような人生の一大イベントである富の移転によって、一方または両方の当事者が得られる利益は非常に大きく、高い取引コストにもかかわらず発生した。現代貨幣比較して、原始的貨幣の速度は非常に低く、平均的な個人の一生の間にほんの数回しか譲渡されないかもしれない。しかし、今日では家宝と呼ばれるような耐久性のある収集品は、何世代にもわたって持ち続けることができ、譲渡のたびに相当な価値を付加することができたし、しばしば譲渡可能になることもあった。そのため、部族は、宝石収集品の原料を製造したり、探索したりするという、一見すると軽薄な作業に多くの時間を費やしていた。

富の移転重要な要素となっている制度では、次のような質問をする:

1. 事象移転された財の供給移転された財の需要の間には、時間的にどのような偶然の一致が必要だったか?偶然の一致があり得ないことは、富の移転にとってどれほどあり得ないことか、あるいはどれほど高い障壁になるか?

2. 富の移転は、その制度だけで収集品の閉ループ形成するのか、それとも循環サイクルを完成させるために他の富の移転制度必要なのか。貨幣流通の実際のフローグラフ真剣に考えることは、貨幣の出現を理解する上で非常に重要である多種多様取引の間で一般的流通することは、人類先史時代ほとんどの期間、存在しなかったし、これから存在しないであろう。完結したループが繰り返されなければ、収集品は循環せず、価値がなくなってしまう。作る価値のある収集品は、そのコスト償却するのに十分な取引価値を付加しなければならない。

まず、今日の我々にとって最も身近で経済的重要取引を見てみよう。

2021-09-03

受け身上司

受け身というと少し違う場合もあるが、基本的自分以外からの発信を待ち、それに返すかたちでしか意思表示をしたがらない上司がいて正直困っている。

明らかに自分の中で結論を決めているが、相手がそれに沿った発信をするまでは肯定否定もせずに待ち続け(ケースによってはのらりくらりと明言をかわし続け)、ようやく相手からそれが出てきたら待ってましたと言わんばかりに承認する、といった様子だ。

自分から自発的主体的に発信して賛同を得ようとするのではなく、自分賛同したい発信が相手から出てくるまで待つ、ともいえる。

自分が労することなく、相手から自分の思惑通りの発信があればこれほど楽なことはない。

また、そのような配慮ができる部下を育てよう、育てたいという方針なのかもしれない。

しか自分から発信したものでない以上、「私ではない、お前が言い出したことだ」などと簡単言い逃れができてしまう…いや、そんな器の小さな発想は決して持ち合わせていないと信じたい…。

2021-09-02

anond:20210902101006

別のトラバでも書いたけど判断基準や思慮分別といったもの知識の集合にすぎないぞ。

たとえば「なんとなく虫がかわいそうだから逃してあげる」といったような自発的感情は「常識」とは呼ばれないぞ。

2021-09-01

anond:20210901114016

改造もeスポーツとして大事文化だという話。

古いゲームからネット対戦ができない? なら作ってしまえ、と。

ユーザーが対戦を求めて自発的に動くのは素晴らしい。

任天堂が残念なのはeスポーツ消極的なところ

任天堂から要請海外eスポーツイベントでの『スマブラX』改造ゲームが取り下げに。「Project+」は容認されず

https://automaton-media.com/articles/newsjp/20210828-173969/

この処置に対するブコメ群が「公式NGなら仕方がない」で呆れてしまった。

公式がなんと言おうが、自分たちコミュニティを成長させてきたアメリカ

自立心が違うな、と。

スマブラXもDXも古いゲームだ。

しかし、ユーザー自発的イベントを興し、今でもeスポーツとして人気がある。

すごいのは、MODを開発するなどゲームを改良してることだ。

海外で有名なeスポーツタイトルも、有志のMODから始まったものがある。

対戦ゲームとは、ユーザーの手で作り上げていくもんだ。

有志の働きを阻害せず、支援する姿勢任天堂には望みたい。

これだけ答えて:どうなれば自粛マスク終わるの?

ワクチン打っても「感染して無症状で周りに移す確率ゼロじゃないから」という理由で行動制限やめさせてくれない。

政府もみんなも「もう少し我慢」って言い方をよく使ってるけど、我慢しまくって感染者減ってもそれで経済復興させるために行動制限を緩和したら感染者増えるんだから一生我慢が終わらない。

ワクチン集団免疫あっても日本ぐらい貿易経済人口も大きい国はコロナ根絶(ゼロコロナ)は絶対に無理。

じゃーどうなれば自粛マスク生活は終わるの?答えられる人いる?


もしこの質問に答えられななら経済がどんどん死んでいくのを「今はしょうがない、今は我慢」と言い続けるのって頭おかしいってこと理解してる?


※ちなみに「じゃーいま緩和して医療崩壊してもいいのか」みたいな意見論点うからやめてね。どうすれば終わるのかだけ聞いてるから


追記

コメントの一つに「インフルエンザ歴史でも勉強すれば?」と書いてあったのでスペイン風邪について軽く調べました。アドバイスありがとうございます

 1918年の多くの死亡は細菌二次感染による肺炎によるものであったとされていますが、一方、スペインフルは、広範な出血を伴う一次性のウイルス性肺炎引き起こしいたこともわかっています。非常に重症でかつ短期間に死に至ったため、最初の例が出た際にはインフルエンザとは考えられず、脳脊髄膜炎あるいは黒死病の再来かと疑われたくらいです。

...

 もちろん当時は抗生物質発見されていなかったし、有効ワクチンなどは論外であり、インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかったわけです。このような医学的な手段がなかったため、対策は、患者隔離接触者の行動制限個人衛生、消毒と集会の延期といったありきたりの方法に頼るしかありませんでした。多くの人は人が集まる場所では、自発的にあるいは法律によりマスクを着用し、一部の国では、公共の場所で咳やくしゃみをした人は罰金刑になったり投獄されたりしましたし、学校を含む公共施設はしばしば閉鎖され、集会禁止されました。患者隔離接触者の行動制限は広く適用されました。感染伝播をある程度遅らせることはできましたが、患者数を減らすことはできませんでした。

( http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QA02.html より )

上記のように1918年1933年までパンデミックが続いた一方、イギリスアメリカなどの国は第一次大戦後 1918~1929年大恐慌まで)の間はしっかりと成長してますね。そこには極端な行動制限はなかったし、もしこの期間ずっと極端な行動制限を敷いていたら経済成長の歴史はだいぶ変わっていたかもしれませんし第二次世界大戦にも影響していたかもしれません。

上記のことからスペイン風邪インフルエンザ)の歴史に学べることの一つとして「パンデミックが長引いて人が死にまくってでもちゃん経済を成長させよう」という結論が言えてしまますね。

2021-08-30

クソニートだけど

反抗期ないとニートになりやすいってマジなんだな。

俺は反抗期なかったわ。

から自分のやりたいことやら主張やら趣味やらを人に知られるのがなんとなく嫌で、ならそういうものを持たなければいいと従順なフリをしてた。

勉強も結果がニートじゃ意味ないがまぁやるにはやったし、進学校地方国立ならまぁ最低限くらいの頑張りはしたんじゃないかなと思う。

部活も小中高あんまりきじゃなかったけど続けたし、大学時代サークルもちょくちょく顔を出していたし4年近くバイトも続けていた。

引きこもりがちだけど普通に外に出れるし店員と会話できるし友人に誘われれば遠くに遊びに行くこともできるが、自発的な行動がとにかく面倒で仕方がない。

大学出るまで自己主張を禁じるような風潮やら価値観やら大人に囲まれて、いざ働くとなると面接などで自己主張をしなければ職に就けないってバグだろ。

「そういうの誰に言われたの?親?先生?」とかよく訊かれるけども、誰に言われたかなんて重要じゃないと思うんだ。

鬱病とか精神病とかの類ではなくただただ学生時代からずっと内に篭りがちのニート気質だったのを誰から咎められず、いざ出荷という段に至った際にそれが表出したにすぎないんだと思う。

「やりたいことはないの?」

そういうのは10年前に訊いてほしかった。

anond:20210830012708

人と居て「どこかで休もう」ってなった時に、行先がスタバだとコーヒー以外の選択肢が多くて助かるから好き、って言う話

コーヒー飲めないんだから自発的にはコーヒーチェーンなんて行かんわ

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -2-

1(https://anond.hatelabo.jp/20210828215226)のつづき

プログラムされた意思

 第九話では、トップジョイの正体と過去が明らかにされる。もともとダークスポーツ財団で「作られた」トップジョイは、ショックサーキットという枷を掛けられ、スパイ行為を「ほとんど」強制されていた。これまで意思を持ち、それを自由行使できると思われていたロボットが、実はそうではなかったということが、ここで明らかになる。

 もちろん、ショックサーキット自体第一話の時点でマッハウインディに埋め込まれた形で登場している。ダークスポーツ財団ロボットたちに背反を許さないようにし、彼らの自由を奪っている事実は、物語の冒頭から提示されていた。

 だが第九話から続くトップジョイ物語は、マッハウインディがショックサーキットに苦しみ、そして克服した第一話・第二話とは少し様子が異なる。マッハウインディが自らダークの元を去り、早々にショックサーキットを切除して完全にダークとの絆を絶ったのに対し、トップジョイはそこから十三話まで、「自らの意思で」ダークとの関係を持ち続けているのである

 トップジョイが――シルバーキャッスル好意を抱き、マグナムエースから手を差し伸べられていたにも関わらず――なぜ十三話までダークとの縁を切らなかったのかについては、明確な描写がなく、少々解釈が難しい。ここから先は憶測比重が非常に大きくなるので、ご容赦いただきたい。

 第九話で、トップジョイはフェアプレーを重んじるシルバーキャッスル、及びそれに共感する子どもたちを「理解できない」と言った。「ラフプレーをすれば客は喜ぶ」「客を喜ばせるのがアイアンリーガー」だと。

 これは、シルバーキャッスルを内部から撹乱するというスパイ行為による言葉ではない。トップジョイ本心だ。彼は本心ラフプレーを正しい行為と捉えているのである。同じ本心で、第八話でキアイリュウケンオーナーの絆に涙し、子どもたちと純粋交流を楽しんでいる一方で。

 同時に、九話ではトップジョイ過去と思いが垣間見える。「楽しむ」ことを大切にした結果、バスケットチームから放逐された過去。それでも忘れられない、バスケットリーガである自分に向けられた観客の歓声。あの場所に戻りたいという思いが、トップジョイ根底にある。

 彼がぎりぎりまでダークとの絆を絶てないでいたのには、この思いが大きいのではないだろうか。トップジョイがダークに従っているのは、ショックサーキットけが理由ではない。もっと根底の、自分存在のものに関わる意思ーーあるいは、心ーーである

 これは完全に僕の推測であるが、第八話で示唆された「ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される」という事実を踏まえると、トップジョイのこの「意思(心)」もまた、ある程度製造者によってプログラムされたものではないだろうか。

 作中で、ロボット意思思考、心が人間プログラムされたものだという直接的な言及は(現状)ない。だが彼らが「注文に応じて製造される商品」としての一面を持つ以上、ロボット人間赤ん坊と同じようにまっさら状態で納品されるとは思えない。彼らは製造された時点である程度の機体性能、そして知能と知識を有し、そこには人間意向が相当程度反映されていると考えるのが自然である

トップジョイ」という名前であるがーー彼らがある程度完成された状態で世に出るとしたら、彼らの名前は、その機能・性能にちなんだものであるのだろう(もちろんまったく関係のない場合もあるかもしれないが)。ロボット機能・性能は、つまり製造者が彼らに込めた役割と期待である。「ジョイ」つまり「喜び」。彼は、人に「喜び」をもたらす存在としての役割を期待されたのではないか。故に、ああいった明るい性格に設定され、他者の喜びを自分の喜びとするような性格プログラムされたのではないか。そして、そのプログラムされた心でラフプレーに喜ぶ観客たちを見て、それを自分の喜びとして、そして正しいこととして学習したのではないだろうか。

製造された時点でラフプレーを正しい行為としてインプットされていた可能性もあるが、第九話のトップジョイの「教わった」という言い振り的に、その可能性は薄そうである。)

 だが、その期待は裏目に出た。明るく楽しくを第一義とする性格チームメイトの反感を買い、彼は本来活躍するはずだったバスケットコートに立つことができなくなった。その後、シルバーキャッスルにおいてはーー彼自身純粋から本来スパイという立場を越えて、彼らに好意を抱いているにも関わらずーー逆にラフプレーを許すことができないシルバーキャッスルの皆の心を理解できず、孤立してしまう。

 そして、ダークから虐待を受けても、マグナムエースたちから手を差し伸べられても、本当に自分が望むことに気づきかけても、プログラムされた心で過去に学び、感じた喜びを忘れることができず、ダークとの繋がりを断つことができなかったのではないか

 人間の都合によってプログラムされた「心」によって、トップジョイは傷つき続けていたのではないか

 人間と全く同じように喜び、悲しみ、悩み、傷つく「心」を、人間の都合によって作り出すというこの世界の不気味さが、トップジョイによって突きつけられる。

 そして、第十一話でのS-XXXの結末が、それを決定的にする。

 S-XXXはこれまでのロボットたちとは違い、意思感情の乏しい存在として描かれる。それは本来、僕たちが「ロボット」と聞いて思い浮かべるイメージに近い。

 S-XXXはテンプレート的な「ロボット」として、命令だけを忠実に実行し、サッカーフィールドで「戦争」を繰り広げた。そして最後は、マグナムエースによって破壊される。

 第十一話では、これまでよりも明確にロボットが「商品であることが語られる。S-XXXはアイアンソルジャーという「商品」として、敵を殲滅する者としての役割として与えられ、その破壊力を期待され、品定めされる。彼のロボット然とした意思感情の薄さは、兵士として忠実に命令を実行することを求められ、そうプログラムされた結果なのではないだろうか。

 しかし一方で、S-XXXは「敵を倒す」という目的に対し非合理的シルバーキャッスルの行動に困惑し、動揺する。そして、マグナムエースの「新しい道」という言葉に、ほんの一瞬であるが、本来あるはずのなかった「迷い」を見せた。

 S-XXXにも、心は存在した。

 なぜS-XXXの製造者が「兵器であるロボット「心」が生まれるような知能を搭載したのか、その理由はよく分からない。スポーツ選手であるアイアンリーガーであれば、人間がある種のカタルシスを得るための機能として、人間と同じような心や感情を搭載する理由もある程度理解できるが、迷いが命取りとなる戦場に送り込む兵器に、それは不要のはずである

 もしかしたら「心」というものは、それは製造者意図的ものではなく、自分学習し、アップデートしていくことができるほど高度な知能には、逃れられない副産物なのかもしれない。

 いずれにしても、例え人間ほとんどをプログラムされたものであったとしても、兵器であったS-XXXにさえ、心は存在した。そして僅かに、けれど確かに「新しい道」へと進む可能性があった。

 にも関わらず、第十一話の商人たちは、彼を徹底的に「商品」として扱った。そしてS-XXX自身も、「戦場でない場所には存在不可能」と語っている。

 ロボットは、人間によって役割定義されている。そしてその役割を果たせなければ、彼らは自らの存在意義すら失いかねないのである

 この『アイアンリーガー』の世界に横たわる現実を受け止めるのに、相当な時間を要した。いや、実際まだ受け止められてはいないのかもしれない。人間は自らの都合によって、自分たちとほとんど変わらない心や感情を持つロボット役割という枠に押し込めて生み出し、その存在をも人間の都合によって左右する。この神の模倣とも思える傲慢さに、幾たび怨嗟を吐いたかしれない。

 一方で、自らの意志で生き、誇りを持って戦っているロボットたちを哀れみ、同情を寄せるようなことは、彼らに対する侮辱ではないかという思いもずっとあった。

 僕の心は千々に乱れ、分裂し、二転三転し、自己矛盾に苦しむ日々が続いた。「ロボットスポーツをする子ども向けのアニメ」を観てそんな感情に取り憑かれるなど、一体誰が予想できよう。

 しかし、である。一通り憎悪煩悶に身を投じた後に、ふと気づいたことがある。

 ロボットたちが置かれた現実は、結局、僕たちの生きる現実と同じなのではないか、と。

人間ロボットロボット人間

 僕が七転八倒している時、僕に『アイアンリーガー』を教えてくれた先達は、一つの問いを僕に投げかけた。「ならば、アイアンリーガーはどうなったら幸せなのか」と。

 頭を殴られたような衝撃を受けたせいで、僕がその時どのように答えたのか、正確には記憶していない。「彼らが、やりたいことをやりたいようにやれる」のようなことを言ったような気がする。

 月並み言葉を振り絞りながら、僕はぼんやりと「どこかで聞いたような話だな」と思った。よくある話。人間幸せを語るときに、よく言われるような言葉だと。

 そして、僕の思考は再び振り出しへと戻った。『アイアンリーガー』に最初に感じた、違和感にも似て、それでいて温かかった感覚人間ロボットが、同じ意志や心や感情を持つ存在として、同じように生きている世界

 第一話でマッハウインディはこう言った。俺たちロボットも「人間と同じなんだよ」と。

 それはつまり人間もまたロボットと同じであることを意味する。

 この国で生まれれば(その実態はどうあれ)、僕たちは一応、自由意志(ここでは各種の哲学定義無視して、単に「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択自発的に決定しうる意志」という意味で用いる。)を認められた存在である

 しかし、完全に自由人間など存在しない。人間もまた、さまざまな制約の中で生きている。親、夫、妻、上司、部下、教師学生、老人、若者、友人……そういった役割立場を与えられ、家庭環境ジェンダー経済力文化時代価値観……そんなあらゆる枠に押し込められながら、社会の中での「あるべき姿」「あるべき意志」を定義され、それに応える「社会人」に育てられてゆく。それは、人間、あるいは「社会」の要請意思や心をプログラムされるロボットと、実はそう大差ないのではないか(語弊を恐れずに言えば、教育とは一種プログラミングである)。

 真に自分の望むように生きている人間などほとんどいない。皆、社会の中で折り合いをつけながら成長し、社会の中で生きている。そして、労働市場の中で自らの価値を計られ、自己存在意義を証明し続けることを要求される。

(そうあるべき、と思っているのではない。ただ事実として、それが資本主義社会の一側面であることは否定できないとも僕は考えている。)

 その姿は、役割を与えられ、商品として売買されるロボットに重なる。

 もちろん、『アイアンリーガー』においてロボットたちが置かれている状況は、僕たち人間より深刻だ。彼らは自らの存在の前提として役割がある。役割がなければ彼らは存在し得ないし、その役割への期待に基づいてプログラムされた意志や心の拘束度は、人間のそれよりも遥かに強い。

 しかし、あらゆる寓話がそうであるように、度合いが強いからといって、それが全く違うということにはならない。制約の中で、それでもなお自らの意志を貫き通そうとするロボットたちの姿に、僕たちは僕たちの姿を見るのである

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに書いてあったことだが、アンガス・テイラーという人は、フィリップ・K・ディックの書くアンドロイドについて(「機械的な行動パターンに侵された」、あるいは「内面的に阻害された」)人間隠喩象徴であると述べたそうだ。そして訳者浅倉久志氏は、この作品の中に「人間とは何か?」というテーマに取り組んだとしている。『アイアンリーガー』も、それと似たような物語ではないかと、僕は思う。つまり、『アイアンリーガー』に登場するロボットたちもまた、僕たち「意志を持つモノ」、つまり人間隠喩であり、『アイアンリーガー』は、「意志あるモノが自由を手に入れる」物語ではないかと。

 こんなことを考えているうちに、僕は『BEASTARS』のことを思い出した。『BEASTARS』の登場「動物」も、姿形は動物のそれであるが、やはり人間と同じような意思感情を持つ。彼らを通して描かれているのは、そういった心を持つモノたちのドラマだ。人間と同じ意思感情を持つモノたちが、しかし肉食・草食動物それぞれの身体特性、言い換えれば宿命という強制と制約を背負いながら、学校という一つの閉鎖社会の中で苦悩し、ぶつかり合い、時には折り合いをつけながら生きていく。負った宿命の中身や程度は違えど、そこに描かれているのは紛れもなく心を持つモノーーつまり僕たちの物語である

 と、このような書き方をしたが、あくまでこれは『アイアンリーガー』(や『BEASTARS』)という作品に僕たちが心を動かされる「絡繰」、結果論をそれっぽく言い募っているだけである。『アイアンリーガー』は(恐らく)寓話ではないし、アニメスタッフが彼らロボット人間象徴、あるいはその苦悩の投影先として選んだ、というのも(なんとなくだが)違うような気がする。正直、単にロボットが好きなだけな気がしてならない。

 これについては、象徴隠喩というよりも、同じく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがき引用されていた、次のような表現が相応しいように思う。(原典に当たっておらず申し訳ない。)

ディックにおいて、人間アンドロイド生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。(中略)ディックは、『アンドロイド』と『人間』の形式上区別には関心がない。(中略)ディック世界では、そもそも人間機械自然と人工といった単純な二分律は棄却されている」(『銀星倶楽部12 後藤将之氏「フィリップ・K・ディック社会思想」)

アイアンリーガー』に描かれているロボットたちの生き様を語るのに、彼らが生み出された経緯や理由に潜む人間の驕慢さなどは、意味をなさない。彼らの前で、人間自分たちと同じ心を持つモノを恣意的に生み出すという行為の是非を問うことは無意味であるいかに彼らのルーツに薄ら寒い人間欲望が渦巻き、彼らの意志人間によって指向性を持たされているとしても、それは彼らが「その」自らの意志決断し、戦い、生きてゆく征途の輝きを何ら曇らせるものではない。

 彼らは、ロボットとしての宿命を背負う自らの存在を呪うことはない。背負った宿命の中で、心を持つ故に葛藤に苛まれながらも、心を持つ故に抱いた意志で、自らの宿命を乗り越え、未来を切り開いていく。フェアプレーをしたい。スポーツをしたい。道を極めたい。この場所にいたい。君と一緒にいたい。たとえ世界がそれを許さなくとも、世界がそれを笑おうとも、自らの意志で在りたいように在る。その姿は僕たちと地続きのものだ。彼らはロボットであるから尊いのではない。僕らと同じであるから、眩しいのである

3(https://anond.hatelabo.jp/20210828220439)につづく

2021-08-25

行雲流水蛍原主催雨上がり決死隊お別れの会

蛍原:さぁ、そして〜本日はですね、皆さんにですね、2人から報告したいことがあります

え〜雨上がり決死隊平成元年コンビを結成しまして、約32年たちまちしたが、本日を持ちましてコンビ解散いたします。

成り行きに身を任せる主義蛍原。"雨上がり決死隊"としての売れっ子芸能人生活においてほぼ全てを宮迫が主導してきた。これまでコンビ同士であまりコミュニケーションを取らず、宮迫判断蛍原全面的尊重してきた。

宮迫:まぁ、コンビとしてなにか決めるとき、僕はこうしよう!っとデビュー当時からそうなんですけども、それに蛍原さんはついてきてくれたとこがあったんで、今回のことに関しても、逐一説明すべきとこだったと思うんですけども、そういうとこの僕の至らなさが、やっぱりそういうズレを生んでしまったので。

2019年5月宮迫の嘘をきっかけとした一連の闇営業騒動半年ほどをかけて一定の決着が付いた。しかし"宮迫処遇"と"雨上がり決死隊処遇"については2年経っても終着点が全く見えない状態にあった。

浅薄自分勝手宮迫は多くの誤った判断により自分自身雨上がり決死隊処遇について宮迫自身では解決できない難題に仕立て上げてしまった。

そして1年半以上が経ち状況の好転が見通せない中で、多くの人々(蛍原自身も含む)が抱えている様々なモヤモヤを晴らすために蛍原は「雨上がり決死隊解散」と「アメトーーク 特別雨上がり決死隊解散報告会」を主導した。

蛍原:え〜、もしかしたら、この「雨上がり決死隊」の屋号ですね、外してしまったほうが、みんなすっきりと進むんじゃないかな〜っと。いうことで気持ちがそっちの方へ行っていきました。

え〜、それで宮迫さんに今年の4月ですね、会って頂きまして、僕の方から解散しよう」ということを切り出しました。

っていうのが割と簡単な経緯でございますはい

解散を決めたりアメトーーク特別編の準備をしたりする中で2人はしっかりとコミュニケーションを取った。アメトーーク特別編で宮迫短所が昔通りに発揮されていたのは事前に蛍原コミュニケーションをしっかり取ってきた故に(2年ぶりのアメトーークにも関わらず)リラックスして本番に臨めたからだろう。

アメトーーク 特別雨上がり決死隊解散報告会」は雨上がり決死隊という概念を支えている膨大な数に及ぶ様々な立場人達全員のモヤモヤやしがらみを各々最低限は清算させるための場となった。

出川:びっくりしたのは、ホトちゃんから言ったことにそこに一番最初にびっくりして〜。ホトちゃん宮迫には言わないとは思うけど、「雨上がりは宮迫のおかげなんです。宮迫がいての雨上がりなんです」って、あなたが(宮迫が)いないとこで裏で言ってた人だから、それが、ほんとにびっくりしたっていうのがある、それが一番最初感想ですね

まりコンビとして初めて蛍原決断して自発的に主導した行動が雨上がり決死隊解散であり、コンビとして初めて密なコミュニケーションを取って実現したことが「アメトーーク 特別雨上がり決死隊解散報告会」なのだ

おまけ

宮迫:これについては、頑固ですからコンビでやってる番組をすべて降りるって言ってたんですよ。

でも生活もあるからそんなわけにはいかない、そこは家庭でも話したみたいで、解散してやめてくれって言うれたら降りるってお話になったんですが、ただアメトークだけは、「俺はできない。俺は降りる」ってずっと言ってたんです。

4月にコンビ解散の話をしている中でそこだけは絶対にやめるって。

後半は「アメトークはやめんといてくれ」と説得の時間のほうが長かったくらい。

蛍原宮迫さんのおかげで今の僕があるんです。これは、ほんとに僕が思っていることで。別れて僕だけ残るっていうのはあまりに都合が良すぎるんじゃないかって気持ちが。

蛍原 : でもさ、なんか、フジモン宮迫もさ、「全部宮迫が悪い」みたいなこと言ってたけど、それはまた違う話で。ね、コンビですから。もちろん。コンビのことやからコンビのどちらかが全部悪い」とかないのよ、これは。それは…俺も悪いし。っていうところは…うん。そこは俺はフジモン意見ちょっと違うかなと思ってんねんけどね。…それこそ「熟年離婚や」って言ってたけど、夫婦もね、片一方だけ100%悪いですとかなかなかないやろし。

解散報告会収録直後 皆様へメッセージ期間限定配信アメトーークCLUB“より

参照

雨上がり決死隊 解散のご報告 https://www.yoshimoto.co.jp/corp/news/media/media210817.html

雨上がり決死隊屋号を外す」コンビ揃って解散報告、アメトーーク!は現在の形で継続 - お笑いナタリー https://natalie.mu/owarai/news/441276

雨上がり決死隊解散会見をほぼ全文文字起こし!アメトーーーク | PECOログ https://pecopeco0721.com/archives/6740

解散報告会収録直後 皆様へメッセージ期間限定配信】 22日(日)23:59配信終了 https://ametalk-club.tv-asahi.co.jp/movies/60622

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