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2023-11-08

アンドロイドは電気羊の夢を見るか、みたいなやつ

ボッキしたちんちんを振ると正円を描くか

みたいなやつ

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -2-

1(https://anond.hatelabo.jp/20210828215226)のつづき

プログラムされた意思

 第九話では、トップジョイの正体と過去が明らかにされる。もともとダークスポーツ財団で「作られた」トップジョイは、ショックサーキットという枷を掛けられ、スパイ行為を「ほとんど」強制されていた。これまで意思を持ち、それを自由行使できると思われていたロボットが、実はそうではなかったということが、ここで明らかになる。

 もちろん、ショックサーキット自体第一話の時点でマッハウインディに埋め込まれた形で登場している。ダークスポーツ財団ロボットたちに背反を許さないようにし、彼らの自由を奪っている事実は、物語の冒頭から提示されていた。

 だが第九話から続くトップジョイ物語は、マッハウインディがショックサーキットに苦しみ、そして克服した第一話・第二話とは少し様子が異なる。マッハウインディが自らダークの元を去り、早々にショックサーキットを切除して完全にダークとの絆を絶ったのに対し、トップジョイはそこから十三話まで、「自らの意思で」ダークとの関係を持ち続けているのである

 トップジョイが――シルバーキャッスル好意を抱き、マグナムエースから手を差し伸べられていたにも関わらず――なぜ十三話までダークとの縁を切らなかったのかについては、明確な描写がなく、少々解釈が難しい。ここから先は憶測比重が非常に大きくなるので、ご容赦いただきたい。

 第九話で、トップジョイはフェアプレーを重んじるシルバーキャッスル、及びそれに共感する子どもたちを「理解できない」と言った。「ラフプレーをすれば客は喜ぶ」「客を喜ばせるのがアイアンリーガー」だと。

 これは、シルバーキャッスルを内部から撹乱するというスパイ行為による言葉ではない。トップジョイ本心だ。彼は本心ラフプレーを正しい行為と捉えているのである。同じ本心で、第八話でキアイリュウケンオーナーの絆に涙し、子どもたちと純粋交流を楽しんでいる一方で。

 同時に、九話ではトップジョイ過去と思いが垣間見える。「楽しむ」ことを大切にした結果、バスケットチームから放逐された過去。それでも忘れられない、バスケットリーガである自分に向けられた観客の歓声。あの場所に戻りたいという思いが、トップジョイ根底にある。

 彼がぎりぎりまでダークとの絆を絶てないでいたのには、この思いが大きいのではないだろうか。トップジョイがダークに従っているのは、ショックサーキットけが理由ではない。もっと根底の、自分存在のものに関わる意思ーーあるいは、心ーーである

 これは完全に僕の推測であるが、第八話で示唆された「ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される」という事実を踏まえると、トップジョイのこの「意思(心)」もまた、ある程度製造者によってプログラムされたものではないだろうか。

 作中で、ロボット意思思考、心が人間プログラムされたものだという直接的な言及は(現状)ない。だが彼らが「注文に応じて製造される商品」としての一面を持つ以上、ロボット人間赤ん坊と同じようにまっさら状態で納品されるとは思えない。彼らは製造された時点である程度の機体性能、そして知能と知識を有し、そこには人間意向が相当程度反映されていると考えるのが自然である

トップジョイ」という名前であるがーー彼らがある程度完成された状態で世に出るとしたら、彼らの名前は、その機能・性能にちなんだものであるのだろう(もちろんまったく関係のない場合もあるかもしれないが)。ロボット機能・性能は、つまり製造者が彼らに込めた役割と期待である。「ジョイ」つまり「喜び」。彼は、人に「喜び」をもたらす存在としての役割を期待されたのではないか。故に、ああいった明るい性格に設定され、他者の喜びを自分の喜びとするような性格プログラムされたのではないか。そして、そのプログラムされた心でラフプレーに喜ぶ観客たちを見て、それを自分の喜びとして、そして正しいこととして学習したのではないだろうか。

製造された時点でラフプレーを正しい行為としてインプットされていた可能性もあるが、第九話のトップジョイの「教わった」という言い振り的に、その可能性は薄そうである。)

 だが、その期待は裏目に出た。明るく楽しくを第一義とする性格チームメイトの反感を買い、彼は本来活躍するはずだったバスケットコートに立つことができなくなった。その後、シルバーキャッスルにおいてはーー彼自身純粋から本来スパイという立場を越えて、彼らに好意を抱いているにも関わらずーー逆にラフプレーを許すことができないシルバーキャッスルの皆の心を理解できず、孤立してしまう。

 そして、ダークから虐待を受けても、マグナムエースたちから手を差し伸べられても、本当に自分が望むことに気づきかけても、プログラムされた心で過去に学び、感じた喜びを忘れることができず、ダークとの繋がりを断つことができなかったのではないか

 人間の都合によってプログラムされた「心」によって、トップジョイは傷つき続けていたのではないか

 人間と全く同じように喜び、悲しみ、悩み、傷つく「心」を、人間の都合によって作り出すというこの世界の不気味さが、トップジョイによって突きつけられる。

 そして、第十一話でのS-XXXの結末が、それを決定的にする。

 S-XXXはこれまでのロボットたちとは違い、意思感情の乏しい存在として描かれる。それは本来、僕たちが「ロボット」と聞いて思い浮かべるイメージに近い。

 S-XXXはテンプレート的な「ロボット」として、命令だけを忠実に実行し、サッカーフィールドで「戦争」を繰り広げた。そして最後は、マグナムエースによって破壊される。

 第十一話では、これまでよりも明確にロボットが「商品であることが語られる。S-XXXはアイアンソルジャーという「商品」として、敵を殲滅する者としての役割として与えられ、その破壊力を期待され、品定めされる。彼のロボット然とした意思感情の薄さは、兵士として忠実に命令を実行することを求められ、そうプログラムされた結果なのではないだろうか。

 しかし一方で、S-XXXは「敵を倒す」という目的に対し非合理的シルバーキャッスルの行動に困惑し、動揺する。そして、マグナムエースの「新しい道」という言葉に、ほんの一瞬であるが、本来あるはずのなかった「迷い」を見せた。

 S-XXXにも、心は存在した。

 なぜS-XXXの製造者が「兵器であるロボット「心」が生まれるような知能を搭載したのか、その理由はよく分からない。スポーツ選手であるアイアンリーガーであれば、人間がある種のカタルシスを得るための機能として、人間と同じような心や感情を搭載する理由もある程度理解できるが、迷いが命取りとなる戦場に送り込む兵器に、それは不要のはずである

 もしかしたら「心」というものは、それは製造者意図的ものではなく、自分学習し、アップデートしていくことができるほど高度な知能には、逃れられない副産物なのかもしれない。

 いずれにしても、例え人間ほとんどをプログラムされたものであったとしても、兵器であったS-XXXにさえ、心は存在した。そして僅かに、けれど確かに「新しい道」へと進む可能性があった。

 にも関わらず、第十一話の商人たちは、彼を徹底的に「商品」として扱った。そしてS-XXX自身も、「戦場でない場所には存在不可能」と語っている。

 ロボットは、人間によって役割定義されている。そしてその役割を果たせなければ、彼らは自らの存在意義すら失いかねないのである

 この『アイアンリーガー』の世界に横たわる現実を受け止めるのに、相当な時間を要した。いや、実際まだ受け止められてはいないのかもしれない。人間は自らの都合によって、自分たちとほとんど変わらない心や感情を持つロボット役割という枠に押し込めて生み出し、その存在をも人間の都合によって左右する。この神の模倣とも思える傲慢さに、幾たび怨嗟を吐いたかしれない。

 一方で、自らの意志で生き、誇りを持って戦っているロボットたちを哀れみ、同情を寄せるようなことは、彼らに対する侮辱ではないかという思いもずっとあった。

 僕の心は千々に乱れ、分裂し、二転三転し、自己矛盾に苦しむ日々が続いた。「ロボットスポーツをする子ども向けのアニメ」を観てそんな感情に取り憑かれるなど、一体誰が予想できよう。

 しかし、である。一通り憎悪煩悶に身を投じた後に、ふと気づいたことがある。

 ロボットたちが置かれた現実は、結局、僕たちの生きる現実と同じなのではないか、と。

人間ロボットロボット人間

 僕が七転八倒している時、僕に『アイアンリーガー』を教えてくれた先達は、一つの問いを僕に投げかけた。「ならば、アイアンリーガーはどうなったら幸せなのか」と。

 頭を殴られたような衝撃を受けたせいで、僕がその時どのように答えたのか、正確には記憶していない。「彼らが、やりたいことをやりたいようにやれる」のようなことを言ったような気がする。

 月並み言葉を振り絞りながら、僕はぼんやりと「どこかで聞いたような話だな」と思った。よくある話。人間幸せを語るときに、よく言われるような言葉だと。

 そして、僕の思考は再び振り出しへと戻った。『アイアンリーガー』に最初に感じた、違和感にも似て、それでいて温かかった感覚人間ロボットが、同じ意志や心や感情を持つ存在として、同じように生きている世界

 第一話でマッハウインディはこう言った。俺たちロボットも「人間と同じなんだよ」と。

 それはつまり人間もまたロボットと同じであることを意味する。

 この国で生まれれば(その実態はどうあれ)、僕たちは一応、自由意志(ここでは各種の哲学定義無視して、単に「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択自発的に決定しうる意志」という意味で用いる。)を認められた存在である

 しかし、完全に自由人間など存在しない。人間もまた、さまざまな制約の中で生きている。親、夫、妻、上司、部下、教師学生、老人、若者、友人……そういった役割立場を与えられ、家庭環境ジェンダー経済力文化時代価値観……そんなあらゆる枠に押し込められながら、社会の中での「あるべき姿」「あるべき意志」を定義され、それに応える「社会人」に育てられてゆく。それは、人間、あるいは「社会」の要請意思や心をプログラムされるロボットと、実はそう大差ないのではないか(語弊を恐れずに言えば、教育とは一種プログラミングである)。

 真に自分の望むように生きている人間などほとんどいない。皆、社会の中で折り合いをつけながら成長し、社会の中で生きている。そして、労働市場の中で自らの価値を計られ、自己存在意義を証明し続けることを要求される。

(そうあるべき、と思っているのではない。ただ事実として、それが資本主義社会の一側面であることは否定できないとも僕は考えている。)

 その姿は、役割を与えられ、商品として売買されるロボットに重なる。

 もちろん、『アイアンリーガー』においてロボットたちが置かれている状況は、僕たち人間より深刻だ。彼らは自らの存在の前提として役割がある。役割がなければ彼らは存在し得ないし、その役割への期待に基づいてプログラムされた意志や心の拘束度は、人間のそれよりも遥かに強い。

 しかし、あらゆる寓話がそうであるように、度合いが強いからといって、それが全く違うということにはならない。制約の中で、それでもなお自らの意志を貫き通そうとするロボットたちの姿に、僕たちは僕たちの姿を見るのである

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに書いてあったことだが、アンガス・テイラーという人は、フィリップ・K・ディックの書くアンドロイドについて(「機械的な行動パターンに侵された」、あるいは「内面的に阻害された」)人間隠喩象徴であると述べたそうだ。そして訳者浅倉久志氏は、この作品の中に「人間とは何か?」というテーマに取り組んだとしている。『アイアンリーガー』も、それと似たような物語ではないかと、僕は思う。つまり、『アイアンリーガー』に登場するロボットたちもまた、僕たち「意志を持つモノ」、つまり人間隠喩であり、『アイアンリーガー』は、「意志あるモノが自由を手に入れる」物語ではないかと。

 こんなことを考えているうちに、僕は『BEASTARS』のことを思い出した。『BEASTARS』の登場「動物」も、姿形は動物のそれであるが、やはり人間と同じような意思感情を持つ。彼らを通して描かれているのは、そういった心を持つモノたちのドラマだ。人間と同じ意思感情を持つモノたちが、しかし肉食・草食動物それぞれの身体特性、言い換えれば宿命という強制と制約を背負いながら、学校という一つの閉鎖社会の中で苦悩し、ぶつかり合い、時には折り合いをつけながら生きていく。負った宿命の中身や程度は違えど、そこに描かれているのは紛れもなく心を持つモノーーつまり僕たちの物語である

 と、このような書き方をしたが、あくまでこれは『アイアンリーガー』(や『BEASTARS』)という作品に僕たちが心を動かされる「絡繰」、結果論をそれっぽく言い募っているだけである。『アイアンリーガー』は(恐らく)寓話ではないし、アニメスタッフが彼らロボット人間象徴、あるいはその苦悩の投影先として選んだ、というのも(なんとなくだが)違うような気がする。正直、単にロボットが好きなだけな気がしてならない。

 これについては、象徴隠喩というよりも、同じく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがき引用されていた、次のような表現が相応しいように思う。(原典に当たっておらず申し訳ない。)

ディックにおいて、人間アンドロイド生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。(中略)ディックは、『アンドロイド』と『人間』の形式上区別には関心がない。(中略)ディック世界では、そもそも人間機械自然と人工といった単純な二分律は棄却されている」(『銀星倶楽部12 後藤将之氏「フィリップ・K・ディック社会思想」)

アイアンリーガー』に描かれているロボットたちの生き様を語るのに、彼らが生み出された経緯や理由に潜む人間の驕慢さなどは、意味をなさない。彼らの前で、人間自分たちと同じ心を持つモノを恣意的に生み出すという行為の是非を問うことは無意味であるいかに彼らのルーツに薄ら寒い人間欲望が渦巻き、彼らの意志人間によって指向性を持たされているとしても、それは彼らが「その」自らの意志決断し、戦い、生きてゆく征途の輝きを何ら曇らせるものではない。

 彼らは、ロボットとしての宿命を背負う自らの存在を呪うことはない。背負った宿命の中で、心を持つ故に葛藤に苛まれながらも、心を持つ故に抱いた意志で、自らの宿命を乗り越え、未来を切り開いていく。フェアプレーをしたい。スポーツをしたい。道を極めたい。この場所にいたい。君と一緒にいたい。たとえ世界がそれを許さなくとも、世界がそれを笑おうとも、自らの意志で在りたいように在る。その姿は僕たちと地続きのものだ。彼らはロボットであるから尊いのではない。僕らと同じであるから、眩しいのである

3(https://anond.hatelabo.jp/20210828220439)につづく

2020-06-29

anond:20200629103534

ロリコン白昼夢のような展開だ。

これ100%同意なんだけど、さらに補足すると何がキモいかって

主人公大人の女性とはうまく行かない

しか無知で純朴で従順ロリと結ばれる

・そのような作品を書いてるハインライン

一方では『宇宙の戦士』みたいなバリバリ武闘派作品を書いていて

ありていに言えば政治的にはウヨマッチョ

(異物は排除すべし、男は闘うべし、男性原理万歳

これはマジでキモい

ちな、そんなハインラインを、思想的には正反対と自認しつつも尊敬してた

ディック作品では、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とかでは

主人公少女に手を出したものの後で痛い目を見て

しぶしぶ大人の女の古女房の所へ帰ってきたりする

女に対して都合良い幻想を見てもうまく行かない

自分のショボさへ最低限の自覚がある

2020-06-15

あー、ほら、よくいうんじゃん、あれ

「なんとかはなんとかのなんとかを見る」ってさ

そういうことだよ

 

Google検索したら「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」って5個目ぐらいに出てきてビビった)

2020-05-17

タイトルが秀逸な作品教えてくれ

小説でも映画でもアニメでもいい

何なら美術作品でも

ちなみにワイが秀逸なだと思うのは

・恋に至る病

アンドロイドは電気羊の夢を見るか

・たったひとつの冴えたやり方

2018-07-25

SF初心者おすすめSF小説を教えてください

SFクラスタの皆さんよろしくお願いします。夏の課題図書します。

参考までに、今まで読んだSF小説の好みを四段階に分けると下記のような感じでした。

SFすごい!めちゃくちゃ面白かった本

コーマック・マッカーシーザ・ロード

ミシェルウェルベックある島の可能性

伊藤計劃虐殺器官

面白かった本

ジョージ・オーウェル1984年

フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか』『流れよ我が涙、と警官は言った』

テッド・チャンあなたの人生の物語

チャイナ・ミエヴィル都市都市

森博嗣 100年シリーズ、Wシリーズ

神林長平戦闘妖精・雪風』『絞首台の黙示録

普通……

レイ・ブラッドベリ華氏451度』

カズオ・イシグロわたしを離さないで

神林長平あなたの魂に安らぎあれ』『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風

伊藤計劃ハーモニー

ロバート・A・ハイライン夏への扉

スタニスワフ・レムソラリス

合わなかった&挫折した本

カート・ヴォネガットタイタンの妖女

伊藤計劃円城塔屍者の帝国

アントニイ・バージェス時計じかけのオレンジ

野々原々『最後にして最初アイドル

2018-01-13

お前らって小説原作映画に対しては原作レイプに寛容だよな

漫画と比べて原作レイプ批判される頻度が1/10ぐらいにまで減っているように感じる。

特に海外小説原作だとビックリするほど寛容。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか → ブレードランナー みたいに題名レベルで別物にされている作品いくらでもあるじゃん

その中には本当にすっかり別物になってしまっている作品も多いのに文句言われているのはとんと見かけぬよ。

原作との差異について触れている感想は全体の5%もあるかどうかぐらい。

ところが漫画原作だと半分ぐらいの感想が「原作では~~」という文章がさも当然のように入ってくる。

この違いは何なんだYO!

2017-11-11

アンドロイドは電気羊の夢を見るか勧める奴は信用しない

面白くないもん。

アシモフ短編レベルの話をうすーくうすーく引き伸ばしてるだけだもの

あれを読む時間があったらその時間攻殻機動隊映画を何度も見返したほうがいいよ。

「あの時代にあれを書けたのが凄いんですよ」なんて話を新入りにして何の意味があるの?

今読んで面白いものを紹介するのが大事でしょ。

自分意志時代を少しずつ遡って、そしてふとした時に「この時代にもうここまで考えが進んでいたのか!」ってなるから面白いんだよ。

それを他人ネタバレしても面白くないよ。

よくあるエゴイズムだ。

人に作品を勧める時は、とりわけ新入りにとって何が良い入口となるかを選ぶときは、自分がなぜその作品を勧めたいと思ったのかをキチンと整理すべきだ。

そしてそれが単なる自分エゴの押しつけになってないかを精査しなければいけない。

基本的なことだからちゃんと守れよな。

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170808214242

図書館で見たリドリー・スコット監督作品の方は最後まで見れなかった

集中力がある時に見るべき映画なのか

1回目よくわからなくても2回見れば楽しめるのだろうか

本当に最初のほうで見るのやめたんだよな

ちょっとグロい感じしたし

原作アンドロイドは電気羊の夢を見るかとか難しそうで手をつけなかった

2011-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20110811123817

なるほど、思いついた事を書いた訳ね。面白い

個人的には関係性が薄い2つの言葉や反対のイメージを持つ言葉の組み合わせって面白いと思う。

名前なら

吉田戦車

椎名林檎

本のタイトルなら

人魚猛獣

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(これは電気羊だけでも充分インパクとがある)

とかは頭にドパドパ刺激が入ってくる。

2009-07-20

キュンッってくる格好いいタイトル(再掲)

ほかに知っているのあったら是非教えていただきたいです。

「何を見ても何かを思い出す」

「二つの心臓の大きな川」

キリマンジャロの雪」

「勝者に報酬はない」ヘミングウェイ

「美しく呪われし者」

「雨の朝パリに死す」

「楽園のこちら側」フランシスコフィッツジェラルド

「壊れものとしての人間

燃え上がる緑の木」

「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」大江健三郎

幸福な死」アルベール・カミュ

世界の中心で愛を叫んだ獣」ハーラン・エリスン

「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ

「感情教育」ギュスターヴ・フローベール

「美しきセルジュ」クロード・シャブロル

突然炎のごとくフランソワ・トリュフォー

「街の灯」チャールズ・チャップリン

失われた時を求めてプルースト

「悲しき熱帯」レヴィ=ストロース

百年の孤独ガルシアマルケス

「長いお別れ」

「大いなる眠り」

さらば愛しき女よチャンドラー

アンドロイドは電気羊の夢を見るか」ディック

時刻表2万キロ宮脇俊三

 
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