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はてなキーワード: 日本語訳とは

2022-11-30

筑波大学言論封殺し、言論の自由と学問の自由犠牲にしている。

東京都立大学宮台真司教授が何者かに襲われたという衝撃的な事件が起きた。言論暴力によって封じることは当然許されない。強い憤りを覚える。

さて、大学構内で大学教員が襲われたという事件で有名なもの中大事件、そして筑波大学の「悪魔の詩訳者殺人事件だろう。

サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』に対してホメイニ師が反イスラーム的とし、関係者死刑を宣告するファトワーを発令し、日本語訳訳者であった筑波大学助教授が何者かに殺害されたという衝撃的な事件だ。最終的に迷宮入り犯人が捕まっていない。

ラシュディも近年アメリカで襲われたりといまだに尾を引いている事件である。なおインドムスリムとして生まれラシュディの『真夜中の子供たち』は最近岩波文庫入りして読みやすくなり、とても面白いので是非読んでみることをお勧めする。

中大事件個人的怨恨であるのに対し、本事件は明確な言論の自由、学問の自由への挑戦であるし、多くの人の印象に残っている事件だろう。

当然、学問の自由言論の自由を守るべき大学としては語り継いでいき、定期的なセレモニーなどを通して大学として言論の自由、学問の自由を再度確認すべきメモリアル事件である


……が、筑波大学は明確にこの事件無視している。

筑波大学歴史が浅い大学ブランド力の弱さを気にしているらしく、前身である東京高等師範学校東京教育大学権威を借りようといろいろと嘉納治五郎(師範学校教授)の銅像を建てたり、朝永振一郎顕彰したりしている。そんなに東京教育大学が素晴らしかったというなら潰すなよ。

それはともかく、その最たるもの筑波大学ギャラリーなのだが、ここには筑波大学の「悪魔の詩訳者殺人事件の展示・記述は一切ない。誰もが認める大学史、言論史上に残る大事であるにもかかわらずだ。

https://www.tsukuba.ac.jp/about/campus-gallery/

秋野豊博士というタジキスタン国連政務官として平和維持活動中に凶弾に倒れた先生の展示はある。

寡聞にしてこの秋野先生という方は存じ上げないが大事な方だったろうとは思うが、ニュースバリュー・事件重要性を考えればここに並んで悪魔の詩訳者殺害事件で倒れた五十嵐助教授の展示がないのはかなり解せない。

遺族側と仲悪いのか?とも考えられるが、近年出た記事では遺族側は事件の風化を気にされており、大学側の顕彰を拒むとは思えない。

では、何故筑波大学歴史からこんな重要事件が葬り去られているのか。その答えは、近年の大学(ひいては文科省)の方針にある。

筑波大学指定国立大学として、国から高い目標を掲げさせられている。その中で重要KPIとして設定されているのが留学生数だ。

留学元は大抵の大学がそうである通り、アジア圏が多い。中国韓国はもちろんだが、筑波大学中央アジアアラブ圏とのつながりも強く、学内でもイスラーム圏の留学生を観ることは多い。

これで答えが出ただろう。イスラームから留学生を受け入れ大学として数値目標を達成するためには、殺された五十嵐助教授は闇に葬られなければならないのだ。

本来であれば、大学として許されざるテロであることをイスラームから留学生にも理解してもらう努力をすべきだと思うのだが、その努力放棄大学言論の自由と学問の自由犠牲にして大学としての達成目標をとったということだ。

学生運動渦巻く東京教育大学を潰して、文科省肝いりで作ったトップダウン大学である以上、仕方ないかもしれない。だけれども、五十嵐助教授大学短期的な利益のため大学からも葬られていることに強い憤りを覚える。

カラマーゾフの兄弟読破した

・読むきっかけは、世界的に有名な文学作品であったからという安直ものであった。

2020年10月に買って中断を挟み今月読み終えた。2年もかかってしまった。

面白かったかどうかというと、微妙だった。

特に日本語訳表現が独特であり、あまり見慣れない言い回しが多用されており、意味を掴むのに苦労した部分が多かった。

・また、大して重要でもない人物の掘り下げを延々と行なっていたり、なぜここがと思えるような場面描写が延々と続いており、苦痛に感じるところもあった。

・やはり、この本が発表された時代の背景や状況を考慮に入れる必要があるのかな、と思った。

・どういった点に注目すれば面白く読めるのか、といった事前調査が不十分だった。

・かといって、長すぎるのでもう一度読みたいとはあまり思わない。

未読の方へ

読むとき人物相関図を横に置くべきである。作中で同一人物に対して複数呼び名が使い分けられており、途中で誰が誰だかわからなくなる。

追記1

・読んだのは原卓也訳です。

追記2:完走した感想

物語序盤が特に苦痛であり、中断ポイントだったように思う。途中からサスペンス要素が入ってきて面白くなった。

・大審問官の部分の重要性については、後書きの訳者による解説を見た方がわかりやすいと思った。

蜘蛛の糸元ネタが出てきたところで「これって蜘蛛の糸じゃん!」と思い「こっちの方が古いか」と思い直した。ただしこちらではネギだった。

物語中、途中から3000ルーブルって日本円にするとどのくらい?という疑問がついて回った。

女性キャラグルーシェニカとカテリーナ)の情緒不安定すぎだと思った。

長男ドミートリイは不憫であるがやむなしと思った。金を工面するために奔走するシーンは、作中で最もスピード感があった。

次男イワンは終盤精神崩壊してとにかく不憫であった。

・三男のアリョーシャが萌えキャラであり総受けであり癒しキャラであった。

コーリャは別にいてもいなくてもよいと思った。彼は熱心なアリョーシャ推しだったので続編前提のキャラだったのかもしれない。

最後裁判で、結局なぜドミートリイが全員一致で有罪となったのか読み取ることができずもやもやした。

・作者がこの物語登場人物の一人として裁判に参加した体験記として書かれているというメタ構造面白かった。

2022-10-21

スパルタ人はわざと重い鉄貨を使ったのか?

友達最近藤村シシンさんがFGOギリシャ史と絡めて解説する動画にハマったらしい。ヲタトークをしていたらシシンさんの動画面白かったという話をしていて、それはいいんだけど、「古代スパルタだとお金をわざと重くして人々が堕落しないようにしてたんだって!」と楽しそうに語りだしたので「そんなことある???」と思ってしまった。古代ギリシャ史については素人だけど、流石にちょっと胡散臭くないか

ということで調べてみました!

動画はこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=1R-hpr7FJdI

まあトーク番組だから出典をいちいち挙げないのは当然として、じゃあ何がソースなんだろうと思ってちょっと検索してみたら、元ネタプルタルコスの『英雄伝』なのね……『英雄伝』はギリシャローマ英雄たちの逸話を紹介してる本で、日本語訳複数出てるけど、増田素人から手元になくて近所の図書館にもなさそうなので、ネット英訳版を見てみることにする。具体的にはリュクールゴスの章に書かれているらしい。

Not contented with this, he resolved to make a division of their movables too, that there might be no odious distinction or inequality left amongst them; but finding that it would be very dangerous to go about it openly, he took another course, and defeated their avarice by the following stratagem: he commanded that all gold and silver coin should be called in, and that only a sort of money made of iron should be current, a great weight and quantity of which was very little worth; so that to lay up twenty or thirty pounds there was required a pretty large closet, and, to remove it, nothing less than a yoke of oxen. With the diffusion of this money, at once a number of vices were banished from Lacedaemon; for who would rob another of such a coin? Who would unjustly detain or take by force, or accept as a bribe, a thing which it was not easy to hide, nor a credit to have, nor indeed of any use to cut in pieces? For when it was just red hot, they quenched it in vinegar, and by that means spoilt it, and made it almost incapable of being worked.

In the next place, he declared an outlawry of all needless and superfluous arts; but here he might almost have spared his proclamation; for they of themselves would have gone after the gold and silver, the money which remained being not so proper payment for curious work; for, being of iron, it was scarcely portable, neither, if they should take the means to export it, would it pass amongst the other Greeks, who ridiculed it. So there was now no more means of purchasing foreign goods and small wares; merchants sent no shiploads into Laconian ports; no rhetoric-master, no itinerate fortune-teller, no harlot-monger, or gold or silversmith, engraver, or jeweller, set foot in a country which had no money; so that luxury, deprived little by little of that which fed and fomented it, wasted to nothing and died away of itself. For the rich had no advantage here over the poor, as their wealth and abundance had no road to come abroad by but were shut up at home doing nothing. (...)

http://classics.mit.edu/Plutarch/lycurgus.html

なるほど、シシンさんのトークプルタルコス記述に忠実だ。少なくとも彼女は盛って話していたわけではない。

で、プルタルコスの『英雄伝』が書かれたのは後2世紀初頭と言われているんだけど、ここで逸話が語られているリュクールゴスはだいたい前9世紀頃に活躍した人物と言われているのね。彼はスパルタの半ば伝説的な立法者。要するにプルタルコスは直接スパルタで鉄貨を見たんじゃなくて「1000年くらい前のスパルタではそういうことがあったらしいよ」っていう伝承を語っているのよ。古事記かな?

ところで根本的に、古代ギリシャでは鉄の棒を通貨として使っていた地域があったらしいんだよね。「わざと鉄の棒を通貨として採用した」んじゃなくて「もともと鉄の棒をお金として使ってた」だと、かなりイメージ変わってこない?

https://www.brown.edu/Departments/Joukowsky_Institute/courses/greekpast/4792.html

ちょっと古い文献だけど,Charles Seltmanっていう貨幣専門家が書いたA Book of Greek Coinsっていう本にも次のようなくだりがある。

Certain it is that before coined money was used in Greece other states as well as Sparta, chief among them Sparta's great rival Argos, regularly employed iron spits as currency.(34頁)

https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.280124

なんでかというと、スパルタがあったラコニア地方は単純に鉄が採れる地域なんだってさ。そら、鉄が採掘できるなら鉄貨使うわな。

Iron was mined in Laconian territory, in the southern spurs of Taygetus and Parnon which end in Capes Taenarum and Malea. It was, therefore, but natural that the Spartans, with the wealth at their disposal, should employ bar-iron as currency; and their conservatism, combined with their lack of any more precious metal, led them to continue the employment of iron money for four centuries after other Greek states had adopted coin(33頁)

さらにこうも書かれている。

a currency which was possibly kept in use for reasons of economic convenience rather than for the enforcement of a stern rule of life(34頁)

要するに、

ってことね。

質実剛健さを重んじてわざとコインを使わなかった」のが仮に史実だとしても、「あえて鉄の棒を採用した」んじゃなくて「鉄の棒を使い続けた(=コイン採用しなかった)」というのが本当のところなんだろうなぁ。

あと,「偉い人の論文読んでみたら、普通にスパルタでは外国通貨使ってたらしいよ」というブログ記事も見つけた。ただ元の論文がなかなか見つけられないので確定的なことは言えないけれど……

https://hoferjonathan14.medium.com/the-iron-money-of-sparta-likely-a-myth-97d95d431a62

このエピソード英語で色々ググってみたけど全部出典がプルタルコスに行き着くので、考古学裏付けはあまりないっぽいんだよね。まあプルタルコスおもしろネタが満載なわけだけど、そこしか出典がないとなると結構胡散臭いんじゃないかな。

もちろん増田古典ギリシャ語とか読めない素人から、実際には他のところにも記述があったり、考古学証拠が見つかっていたり、リュクールゴス時代古文書が発掘されている可能性もあるわけだけど、個人的にはシシンさんのスパルタの鉄貨に関するトークを信じる気にはなれないかなと思いました。

追記

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/2907/

この記事に鉄の串の写真があって、シシンさんが解説を寄せている。解説の文面はまあ納得のいく見解なので(串がコインに先立つことや、コイン出現後もスパルタでは串が使われていたと書いている。そこに異論はない)、動画でのトークネタに振り切った感じなんだろうか……

シシンさんの動画のそこ、笑ったw 増田調査サンキューやで / その上で、動画FGOというゲームを楽しむユーザー向けで、論文ではない。そこでネタとして紹介してくれたものに目くじらを立てる気に私はならんな

FGOファン向けなら史実かどうかは怪しいおもしろエピソード史実かのように話していい…ってコト!? ワ…ワァ…FGOファンにもシシンさんにも失礼すぎて泣いちゃった!

様々な論点があるので100字に入りきらないが,スパルタ貴金属貨幣禁止していたということと,リュクルゴス制の成立を前9世紀とするのは後世による「伝統創造であるこことは指摘したい。

書き方が悪かったかもしれませんが、鉄貨の存在貴金属貨幣禁止否定していません。

動画では、シシンさんは「スパルタお金をどんどん重くしていって、賄賂や贅沢を抑止していた脳筋国家である(少しでも金額が大きくなると持ちきれないほどの重さになるから袖の下は渡せないし、持つことで鍛えられるから)」と言っています

これ、前提知識なしで聞くと「バーベルのような鉄貨は堕落を嫌ったスパルタ発明」と聞こえるんですよ。実際に増田にこの話を面白そうに話した友人もそう理解していましたし、増田トークを聞いてそう理解しました。そして実際にプルタルコスはそう書いています

でも実際には、単にコイン発明からスパルタやその周辺地域には棒状の貨幣があって、スパルタはそれをコインに置き換えなかった、という話なんですよね。で、参考文献に挙げた本にも「マッチョイズムじゃなくて経済的から使ってたんじゃない?」と書いてある(最後引用したセンテンス)。これ絶妙史実勘違いさせるトークになってません? って思っちゃうんですが、どうでしょう

(もちろん、副次的効果として賄賂の抑止や筋力増強はあったかもしれませんが、それが主目的であるかのように論じられると……都会民は電車通勤ゆえに自家用車通勤地方民より体力があったりしますが、都民の体力を増強させるために都はメトロを整備したんだ、と言い出したら違う話になるでしょう?)

リュクールゴス実在人物であるかのような筆致はご指摘のように不用意でした。

2022-10-16

プログラミング勉強でなにが嫌気さすかって英語意味わからんことなんだよ

なにやってるかわからんし、覚えられない

それで、選択すると日本語訳がすぐ出る翻訳アドオン入れたら、その場で意味がわかってなんとなくその箇所がなにやってるかわかるようになった

いろんな動画や本をみたけど誰もこんなこと教えてくれなかったんだが、アレか?

そんな低レベルなやつが勉強することなんて想定外ってことか?

チクショーふざけんなよ、ばか野郎

2022-10-07

これはAI技術なんだよ(追記あり

ちょっと話題になっていたものブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/news/articles/2210/05/news181.html

このトップコメ

「数年前なら同じシステムでもAIって言葉は使ってなかっただろ。」

とあるんだけども、槍玉に挙げて申し訳ないんだけども、これはAI技術のものなんだよ。

というか、これをAIと言わなかったら何をAIというのか、というものなんだけども。

(強いAI弱いAIかいうややこしい話があって、まだAIはないとかい議論はあるけども、

 とりあえず世の中のAIと言われるものの筆頭技術だよ、という意味で。)

これは、ディープラーニング物体認識技術を応用しているんだけども、

その精度がすごく上がって、今では人間識別するより精度が高くなっている、というもので、

それを応用して、人間が残っていないか識別できるようにした、という事なんだよね。

からバスワードから、そうじゃないものにも勝手に当てはめてる例はあるだろうけども、

少なくともこれは、そうじゃないのね。って事で。

追記

トップコメの人、消しちゃった。晒しちゃったからかな、ごめんねー。

でも他にも同じような事書いてる人は散見されるので。

それで、センサーとか動体検知のようなローテクでもできるんじゃねって意見はあるけども、

それより人の目でざっと見た方が正確って話もあるんだよね。それだけ視覚情報情報量が多いんだけども。

それを人の目以上の精度で認識できるようになったから、これだけ持て囃されてるのね。

という意味です。

ブコメに返信

機械学習アルゴリズムディープラーニングAI人工知能の違いがわからない

AI人工知能は一緒(Artificial Intelligenceの略がAI日本語訳人工知能

AI構成する要素技術としてそれ以外がある、という関係

機械学習関数パラメータフィッティング方法の事、ディープラーニングニューラルネットワークという関数での機械学習の事

(正確には多層のNNに対してだけど、どこから多層とするかは曖昧だし実質ニューラルで機械学習すればDLって事になってる)

アルゴリズム問題を解く方法の事で、それをプログラム言語で書いてコンピュータで実行できるようにしたのがプログラム

そしてアルゴリズムプログラムの中で機械学習ディープラーニングを使ったりする、という関係になるかな。

これで良い?

>「バスワード意図的にいれたのかな?

ごめん、ミスタイプです。出かけ前に慌てて書いたので(なので2重投稿してしまってる)。

バス話題からバスワードなのか

申し訳ないけど、そんな余裕なかったです。単なるミスタイプです許して。

>「バスワード」これが言いたかっただけやろw バスなだけに

からゴメンて。いっぱい指摘されてかかってるの気づいたよ。

ディープラーニング使うAIは第四世代AI

あれ? 第三世代じゃなかったっけ?

(推論と探索が第一エキスパートシステムが第二で)

AIというバズワード安易に使いすぎてるんだと思う。

AIという言葉にいろんな色付けをして使いまくった結果、本来の使い方をするとツッコミが入るパターン、よくある。

それは確かにそうなんだけども、言葉流行ちゃうしょうがない部分はあるのと、AI自体定義が定まってない用語なんでね。

>実際にAIが使われているか否かではなく、一昔前なら人体検知機能とか命名してAI主題にもってこなかったよねってことを言いたいのでは?

それはそうかもしれない。でも「本来AIではないものにまでAIという用語が使われている」ってニュアンスはあったよ。

(今残ってるコメントにもそういうの散見するし。意味なく名前だけ使う、とか。)

それに対して、DL物体認識は今のAIブームのど真ん中だよって指摘したかった訳です。

物体認識深層学習を使ってるだけなんで「人工知能」でないことは明白なんだけど

今は深層学習ディープラーニングの事ね)使えば人工知能って事に普通はなると思うんだけど、「明白」なんですか?

逆に何ならAIになるか、聞いてみたいです。

(強いAI以外はAIじゃない派なら、それはそれで一つの見識です。でも他の見識の人も認めてね。)

電卓だってAI

実は私も賛成です。AI定義は色々なんだけども、私は「面倒だからAI=コンピュータで良くね」派です。

2022-10-02

アメリカ核兵器使用前例を作った」を公式発表?の英文で読む

https://anond.hatelabo.jp/20221002090419

↑の元増田です。

トラバでやり取りしてるうちに、

そもそも前例」は翻訳された言葉であって、ロシア語でどういうニュアンスだったか調べたか

と言われたので、こいつめんどくせー!と思いつつ、調べたよもー。

まあ俺もちょっと気になってたから良いけど。

クレムリン公式と思われるプーチン演説全文は↓ね。

(どうでもいいけどhttpなんだね。ロシアってそういうサイト多いのかな?)

(2022-10-19 12:46 追記今日ロシアにおけるインターネット事情を踏まえ、プーチン演説全文の外部リンクは削除した。各自自己責任の上で探して欲しい)

で、「核兵器使用前例」に関して述べたと思われる箇所はここ。

США – единственная страна в мире, дважды применившая ядерное оружие, уничтожив японские города Хиросиму и Нагасаки. Кстати говоря, создали прецедент.

えっと、最後単語прецедентが日本語訳で「前例」に当たるんだけど、Google翻訳によれば古フランス語語源

実際прецедентの発音英語のprecedentに割と近い。

また、英語動詞precedeの語源

https://www.google.com/search?q=precede+meaning

late Middle English: from Old French preceder, from Latin praecedere, from prae ‘before’ + cedere ‘go’.

とある

さらに、クレムリン公式(仮)は英語訳も公開していた。

何せ公式が既にWebの海に放流した文章なので、仮に多少演説原文とはニュアンスが違ってロシアから「ちがうそうじゃない」と言われても「いや、あん英語でこう書いてるんやから」で通るだろう。

また、世界的に言えばこちらの方が読まれる回数は多いのではとも思われる。

個人的英語の方がまだ読めるという事情もあり、当初の予定とはズレるけれども、英語訳の方を読んでみることにした。

さて。

下記が上記の原文と同じ箇所。

The United States is the only country in the world that has used nuclear weapons twice, destroying the cities of Hiroshima and Nagasaki in Japan. And they created a precedent.

ちなみに、原文・英文ともに引用部分で一つのパラグラフになっている。

ここでまず、precedentを目的語に取る単語としてcreateが使われていることと、precedentの冠詞としてaがついていることがちょっと気になった。

特に後者については、さっと調べてみるとロシア語には冠詞がないそうなので、原文と英文でささいなニュアンスの違いが生まれるかもしれない。

create

https://www.google.com/search?q=create+meaning&oq=create+meaning

ま、普通に考えて

bring (something) into existence.

ということでいいだろう。

precedent

https://www.google.com/search?q=precedent+meaning&oq=precedent

これもまあ、普通に

an earlier event or action that is regarded as an example or guide to be considered in subsequent similar circumstances.

ということだろうな。

ていうか、ここまで長々と書いたけど、引用文をパッと見ても単語定義調べた上でためつすがめつ見ても、俺には「お前が最初にやったんだから"誰か"がそれに続いても文句言えめえ?」と言ってる様にしか読めない。

「その"誰か"はロシアである」とこの文から決めつけるのはさすがに難癖かと思うものの、発言責任はやっぱりロシアにあるので、俺の主張は変わらないかな。

みんなはどう思うだろうか?

ちなみに、直後の文では

Recall that during WWII the United States and Britain reduced Dresden, Hamburg, Cologne and many other German cities to rubble, without the least military necessity. It was done ostentatiously and, to repeat, without any military necessity. They had only one goal, as with the nuclear bombing of Japanese cities: to intimidate our country and the rest of the world.

と言ってる。

余談(余談ではない)

英語で全文読むのもきついから、日本語訳読もうかなあ。

実はほとんど読んでないんだよね。

anond:20221002140905

んー、調べてくれねーの?

日本語訳の方で諭そうとしてんなら言葉の受け取る側の問題で結局平行線からロシア語の方はもう自分で調べるよ。ちょっと待ってな。

てか、あなたにとって1の意味のみを指すんならはじめからそう言いなさい。二度手間だろ。

そりゃ下手すりゃ自分人生かかってるんだから必死にもなるよ。どうでもいいならいちいち噛みついてくるなよ。同じ穴のムジナじゃん。

ついでに、俺がこうやってほとんどのトラバリアクションしてるのは、なるべくたくさんの人に見てもらいたいからだからね。

今日今日とて暇だし俺はいくらでも付き合えるけど、あなたあんま付き合ってくれない方があなたにとって都合がいいんじゃない

[]2022年9月はてブあとで読むトップ30リスト

はてブホットエントリ(総合)で月内に数多く[あとで読む]タグを集めたエントリ

最終回

最後に今まで出してきたはてブあとで読むトップ30リストが正しかったのか校正するためにはてな公式リスト比較してみる。

見比べてみるとトップ6に同じエントリが入ったが並び順が異なる。

このトップ30リストでは[あとで読む]タグの数で順位を決めてきたのだが、はてな公式あとで読むランキング順位ブックマークの多い順に並んでいるようだ。このトップ6よりブクマ数の多いエントリが多数あり、どのエントリにも多かれ少なかれ[あとで読む]タグが付けられている中でこのトップ6を選んだということは、その段階では[あとで読む]タグの個数で選んだはずであるはてな公式ランキングは2つの異なる順位付け方法が分かりづらい形で混ぜ合わされた形になっている。中途半端ランキング名称から受けるイメージとずれているので純粋な[あとで読む]タグの個数順に変えたほうがいいんじゃないかと思う。

追記: 純粋ブクマ数順のリストと比べてみたが、はてな公式あとで読むランキングトップ6の選び方からして純粋ブックマーク個数順なのかもしれない。引き続き検証しなければ分からないが面倒臭すぎる。

はてなは『「あとで読むタグが付けられたエントリーのブックマークランキングです』と説明しているがこの文章文字通りに受け取らなくてはいけなくて、[あとで読む]タグを1人でも付けたら集計対象に入ってあとはブックマーク個数順に並べただけなのだろうか? それでは今までのホットエントリと代わり映えしない集計期間がただ伸びただけのものになってしまうな。

2022/10/01 00:00頃 https://b.hatena.ne.jp/掲示されていたはてな公式の「あとで読むランキング

1位 3284USERS 150 分で学ぶ高校数学の基礎 speakerdeck.com/e869120

2位 2877USERS 【アメリカ話題】ただ座るだけ!股関節がみるみる柔らかくなる「90/90ストレッチ」 | ヨガジャーナルオンライン yogajournal.jp

3位 2342USERS ハーバード大コンピュータサイエンス講座「CS50」の日本語化完了し、無償公開 edu.watch.impress.co.jp

4位 2079USERS 「この食べ方に出会たから、この食材を買うようになった」エピソードを教えてください togetter.com

5位 1875USERS みんなが教えてくれたAmazonプライムビデオのマジのおすすめ | オモコロブロス! omocoro.jp

6位 1755USERS 「のどが渇いた」というユーザーに何を出す? ユーザーの「欲しい」に惑わされない、本当のインサイトを見つけるUXデザインUXリサーチ www.slideshare.net/storywriterjp

集計期間 : 2022/08/31〜2022/09/30

2022-09-05 ブラウザ版のトップページに「あとで読むランキング」を新設しました(ほか改善1件) https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2022/09/05/162939

いつもの

524あとで/3291users 150 分で学ぶ高校数学の基礎 | E869120 | SpeakerDeck

375あとで/2882users 【アメリカ話題】ただ座るだけ!股関節がみるみる柔らかくなる「90/90ストレッチ」 | ヨガジャーナルオンライン

366あとで/2343users ハーバード大コンピュータサイエンス講座「CS50」の日本語化完了し、無償公開 | こどもとIT

270あとで/1759users 「のどが渇いた」というユーザーに何を出す? ユーザーの「欲しい」に惑わされない、本当のインサイトを見つけるUXデザインUXリサーチ | Yoshiki Hayama | slide share

253あとで/2083users 「この食べ方に出会たから、この食材を買うようになった」エピソードを教えてください | Togetter

251あとで/1879users みんなが教えてくれたAmazonプライムビデオのマジのおすすめ | オモコロブロス!

238あとで/1237users 手を動かして学べるAWS日本語講座まとめ AWS日本法人が公開 165コンテンツを一覧に | ITMedia

232あとで/1719users 眼鏡オタク解説する、絶対に似合う眼鏡の選び方|mkm00077|note

182あとで/1565users いし🏔️今日もゆるく活動します✌ on Twitter: "40代以上は聞いてください。いつかは訪れる親の死。前触れもなく突如おきる。お葬式保険証の返却、年金相続税財産調査相続人確定、遺産分割銀行の解約、不動産名義変更。「何から始めたらいいかからない‥」急な対応にも焦らないよう相続手続きの流れをリプ欄に並べておきます。"

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129あとで/1418users モーリー・ロバートソン on Twitter: "完全に国際情勢や社会情勢からかけ離れた私事について失礼いたします。このところ縁あって高校卒業までの時期について取材を受けるインタビューが相次いでいます。おそらく日本多様性が進む中でヒントを見つけようという取材意図があると思います。ここである問題が頻繁に起こります。"

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117あとで/492users 安全安心ソフトウェア開発を行うためのDesign Doc導入ガイド面川泰明|note

116あとで/1077users 元キーエンストップ営業が、新規事業バンバン売るためにやっていること|鶴岡 友也/BLUEPRINT, inc. 最高事業責任者note

岸田首相は今すぐプーチンの「核使用前例発言に対し撤回を求めろ

追記

https://anond.hatelabo.jp/20221002180756

前例」は日本語訳だろ?ロシア語ニュアンスは調べたんか?と言われてムカついたので調べました。

クレムリン公式サイトっぽいところに演説全文が英語掲載されてたので「もう大して変わらんやろ」と妥協してロシア語でなくて英語で読みました。

結果として、俺の主張は変わりません。以上。

本文

広島長崎前例ではない。最初最後の例でなければならない。世界唯一の被爆国として、悲惨歴史目撃者当事者の一として、ロシアには発言撤回を強く求める」

アメリカからじゃなかなか発信できないなら、日本じゃなきゃできないことだろ!

一人で決断できねえなら閣議決定でもなんでもしろ国葬あんだけ決断早かったのになんで今回はだんまりなんだよ!

(すでにそういう発言があったなら記事URL教えてください)

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-09-21

「水は低きに流れる」は本当に誤用されているのだろうか?

「水は低きに流れる」はもともと「そうなることが自然であり止めることはできない」というふうに肯定的に使われる言葉である

から「水は低きに流れる」を「人はすぐに堕落してしまう」といったような意味で使うのは誤用である

という説がある。

このことわざは、孟子の「水之就下」という言葉が出典とされる。

孟子はこの言い回しが大好きだったらしく、いろんなところで使っている。

孟子 梁恵王上』

誠如是也,民歸之,由水之就下,沛然誰能御之?

本当にこのとおりならば、民がこれに付き従うのは水が低きに流れて激流となるようなもので、いったい誰が止められるだろうか。

孟子 離婁上』

民之歸仁也,猶水之就下,獸之走壙也。

民衆が仁者に付き従うのは、水が低きに流れ、獣が野を走るようなものである

孟子 告子上』

人性之善也,猶水之就下也。

人の本性が善であることは、水が低きに流れるのと同じである

いずれの「水之就下」も、その意味するところは「そうなることが自然であり止めることはできない」であり、

なるほど、これをネガティブ意味として捉えるのは誤用であろう。

しか辞書を引いてみると、「水は低きに流れる」という項目は立てられていない。

辞書掲載され、「孟子」が出典であるとされているのは、「水の低きに就くが如し」である

これはちょっとばかり言い回しが変わっただけ、なのだろうか?

水の低きに就くがごとしとは - コトバンク

また一方で「水は低きに流れ、人は易きに就く」という形で使われることも多い。

「水が低いところに流れるように、人も安易なほうに流されてしまう」といったような意味合いであり、

この場合の「水は低きに流れる」はネガティブ意味で使われているはずだ。

これは誤用なのだろうか?

「人は易きに就く」とはどこから出てきたフレーズなのだろうか?

結論から言えば、おそらく「人は易きに就く」は中国の成語「避難就易=難きを避け易きに就く」から来ているのだろう。

まり、この言葉本来「水は低きに流れる」とワンセットで使われるようなものではなかったのである

避难就易(中国語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 中日辞典

「水は低きに流れ、人は〜」という言い回しについては別のバリエーションがある。

たとえば田中角栄日本列島改造論』の冒頭で印象的に使われている「水は低きに流れ、人は高きに集まる」である

この言葉は、人々が地方から出て東京へと集まることを述べたものであるが、実はこれも中国の成語に元ネタがある。

「人往高処走 水往低処走」である

人往高处走,水往低处流の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典

直訳すると「人は高いところへ走り、水は低いところへ走る」、

人はよりよい場所を求めるものだ、高い目標を目指すものだ、といった意味であり、

向上心を持たない人間を激励するときに使われることが多いらしい。

まり、そこには「水のように低きに流れてはいけない」といった含意がある。

整理しよう。

  • 水之就下(水の低きに就くがごとし)
  • 人往高処走 水往低処走(人は高きを目指し、水は低きに流れる
  • 避難就易(難きを避け、易きに就く)

などといった成語から、時を経て混同されたのか、あるいはアレンジされたのか、

いずれにせよ「水は低きに流れる(人は易きに就く)」という言い回しが生まれた。

あるいは「水之就下」を語源とする「水は低きに流れる」と、

「水往低処走」を語源とする「水は低きに流れる」の二種類がある、

と考えたほうがいいかもしれない。

そして「水之就下」の場合であればネガティブ意味で捉えるのは誤用と言えるかもしれないが、

「水往低処流」の場合であれば必ずしも誤用とは言い切れないのである

2022-09-18

念のためにお知らせしておきます

しかネタで99割・95割って書くよ。うん

もついにそれを真に受けている同人界隈の人が出てきたようなので念のためにお知らせしておきます

 

割合 → その名の通り割合なので割ります割合は比べたい量を全体の量で割って求めよう

百分率 → percentage (%)の日本語訳です。無理やり100に全体をおとしこんだとき、どう見えるかを表したのが百分率です。

     今回のケースではこちらが適切です

2022-08-18

anond:20220818073917

無能Wikipediaすら読まないのか。

SF評論家大野万紀は『S-Fマガジン1997年12月掲載の「ティプトリー、この3篇」において前述の書評家の評を紹介すると共に、本作のストーリーと作者であるジェイムズ・ティプトリー・Jr.の自殺日本語訳掲載後の1987年5月19日自殺ジェイムズ・ティプトリー・Jr.#死参照)と関連づけたイメージを思い描いている。

こう書いてあるんだから大野万紀じゃないのは自明だろ。

ちなみに「ティプトリー、この3篇」は本人がネットで公開してる。

http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/doc/article/SFM9712.htm

「この小説を読み終わる前にハンカチがほしくならなかったら、あなた人間ではない」というのは有名な書評者のことばだが、ぼくにいわせれば、この小説最初の三ページを読みながらコーティ感情移入し、自己同一化し、「そのとおり!」と心の中で叫びたくならなかったら、あなたSFファンではないのだ。

この「有名な書評者」というのは実は大野万紀自身なのだという壮大な叙述トリックなのか?

2022-08-16

ポアンカレ予想解決された論文日本語訳で見ることは出来るのでしょうか?

サイトで調べてましたが、どうにも出てきません。

まだ日本語訳存在していないようです.

また英語が出来るレベル研究者でないと証明理解できないかと思われます.

いや英語がどうしてもだめだけど数学死ぬほど得意って奴もいるかもしれへんやん

その得意と不得意の差が激しいのが自閉症で、そのうちのギフテッドと呼ばれる奴ならあるいは

でもギフテッドで異国語一切ダメな奴っているのかな

2022-08-13

Twitterで考えを発信しても大抵むちゃくちゃになるし、頭がバカになる。

Twitterはとにかく哲学社会学的な思考思想の発信に向かないし、その上それを続けていると頭がバカになってくる。

あんなに怒ってる人がいるのに絶望的に向いていない。

その原因は文字制限にある。

 

まともな哲学書とかを読むとわかるが、100字以内に収まる文章があったとして、

その文章に使われている単語一つ一つをどのような意図文脈意味で使っているのかをグダグダと書いていかないといけない。

 

例えばマルクスガブリエル「なぜ世界存在しないのか」などは

世界という概念はこの世の全ての属性を包括した概念だけど、一元的な全てを包括する概念としての世界というもの意味として成立し得ないよ。世界というのはいっぱいあるよ。」

ということを、日本語訳で356ページかけて喋っている。

この356ページを必死こいて理解してやっと、どういう文脈世界存在しないとかい意味不明な事をこのドイツ人あんちゃんが言い始めたのかということが共有できるのだ。

それぐらいやらないと所謂「作者の気持ち」はわからないとも言える。

 

ところが文字制限があると、どうしても文章を短くしなければならなくなる。

文章が短くされる事象を考える上で大事な点は、「どこを削るのか」ではなく、「何を残すか」だ。

残されるのはほぼ間違いなく主張になる。

 

主張が残りがちというのは、例えばカレーが米と合うということをどうしても伝えたくて

日本式カレーは辛さの中にもたまねぎの甘さがあって味も濃いから米と相性がいい。」

という文章を考えたけれどもどうしても短くしなければならない場合

カレーは米と相性がいい。」とするのが妥当だろうという話だ。

カレーにはたまねぎの甘さがある。」だと「で?」となってしまう。理由だけでは何が言いたいのかさっぱりになってしまうし、自分としても言いたいことはこれではない。

農協ポスターになら使えそうな文章だが、言いたいことは米と合うという話なので全く適当ではない。

 

そうやってトリミングしていった文章は最終的に理由が薄くて主張から主張に八艘飛びする文章

そう、Twitterでよく見るあの押し付けがましいうるせえ~文章になる。

  

そうなると読み手は間の文脈自分価値観で埋めるしかなくなる。

例えばカレーインドカレーしか知らない人が、「カレーは米と相性がいい。」という文章を見た時、

日本式」という補足がトリミングされているので日本式カレーという文脈で考えることが出来ず、「いや、ナンとも合うけど何言ってんだこいつは。バカか?」となりかねない。

 

カレーの例えだとバカバカしさが際立つが、思想社会問題の場になってくると「これぐらい知ってるだろ…」みたいな丸投げが読み手にも書き手にも発生するので、

「作者の気持ちを書け」どころの話ではなくなってしまう。

 

そしてもう一つ文字制限が悪さをし始める。

それは「文字制限に収めるために省略した部分を、そのうち書き手が考えなくなってくる」

という事だ。これが「バカになる」という部分になる。

 

さっきも述べたように文章トリミングする際は理由や具体例が削られやすい。

そこを書かずに、論理的な構築が文章の中で完結していない文章を書くというのは実は危険行為になる。

 

思考というのは、言語化するまでは案外フワフワしている。

自分の中で「完璧に筋が通っている」と思っていても、言語化すると意外にスカスカだったり矛盾があったりすることが多い。

しかし、文字制限があるとそこを「書かなくても良い」という風になり、次第にそこの言語化自体が省略され始める。

 

そうでなくても、書いているうちに「あれ文字数足んねえな」と駆け足で結論を書き始める場合もありうる。

なんとなーく見覚えがあるだろうが、「前半と後半で全然違う主題になっているようなツイート」というのはこのように成立しうると言える。

 

こうなるともはや思考は肝心の検討すべき部分が言語化されていないフワフワの状態で終わってしまう。

 

「いやリプライにつなげたりメモ画像化すりゃいいじゃん」という反論もあるだろうが、Twitterは短い文章のほうがウケる

まり、回ってくる文章は長いものではなく短いものばかりになるのだ。

こうなるとまず作者の気持ちすら読み解けない文章から議論スタートすることになるし、

ウケるということは共感されやすいということでもあるので、最初は長く文章を書いていても徐々に短いほうが良いのかなみたいな誘惑が読み手にも発生する。

 

長文がウケないわけではないが、打率の差がある。

 

そしてそもそも長文自体Twitterに毒されていた場合は、「ただ論拠に乏しい長い主張」になり得る。

周囲にそのような文章が溢れかえっているので、Twitter思想の発信を始めた人はこうなりがちだろう。

こうやって徐々に徐々にバカになっていくので、Twitter思考には全く向かないという話。

2022-07-30

anond:20220730095146

日本語訳マジで痛いので殴るの止めてもらっていいですか(涙目

2022-07-28

anond:20220728153547

詳細ってそうだったんだ。

騒がれたのは知ってたけど、報道に何か違和感あったのはそういう事か。


日本語訳だけどハリポタ読んだり、映画見てると、色々にじみ出てて

この作者って男にトラウマあんのかよ、サザエさん家族像に近いものを実感として知らなそう、というかエグイところだけを煮詰めて再構築したみたいとか思いながら読んでた記憶あるんで。

児童書なのにコレなの?カルチャーの違い?とか思ってた。


からゴメンだけど、腑に落ちた。いや実際どういう経歴の人かは知らんけど。

2022-07-27

ジャンプ外国人に乗っ取られそうな件

ジャンプルーキーと言う漫画投稿サイトがある。

そこの「連載争奪ランキング」は月間でPVを1番稼いだ人間ジャンプ+での連載権を獲得できるんだけど、

とにかくPV数だけで決まるので、読んでどう思ったかはどうでもいい。

まり有名人組織票を動員したら、もしくは有名人友達にうまくバズらせてもらえたら、誰でもジャンプの冠が付く場所で連載できて原稿料がもらえると言う危ういシステム

そこに今月「日本人では無い作者」が大勢トルコ人支援を得て現在一位になってる。(*月間ルーキー賞ではなく連載争奪の方ね、サムネ赤背景)

なぜわかったかと言うと大量についてる外国語コメントが主にトルコ語から

肝心の内容は…絵は上手いけど他はまだまだ。

日本語訳が下手過ぎるのは置いといても、流れがギクシャクしてて正直だいぶ読みにくい。

でもPV数だけ見るルールな以上、この人は母国応援で連載権を取れるだろう。

ただ、今のシステムのままだと…手順が知れ渡ると、他の国も組織的に来るかもしれないなと。

いま中韓漫画はぱっと見ではわからない位に日本風で上手いし、日本語訳出来る人も多い。

今回の様に外国語コメント爆撃などせずに黙っていればバレないし、海外組織票日本人投稿者は気付かぬうちに駆逐されジワッと入れ替わっていく…現時点では妄想だけど、やろうと思えば普通に出来そうなのでちょっと怖い。

別に海外じゃ無くても、宗教とかがほんのり教義を入れた漫画信者組織票で…とかも出来るからルール変えた方が良いんじゃ無いかなぁ。

まぁ、あくまジャンプルーキーと言う場だけの話だけどね。

2022-07-15

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい(クソ長文)

創価中高ですごした増田https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。

今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構インパクトがある出来事のような気がする。

たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。

増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。

生誕とほぼ同時に入会

うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。

父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。

私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。

このシステムがまずすごいよなと思う。自発的意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権蹂躙っちゃそうだろという気がする。

入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプル理由

幼稚園(『お寺』との断絶)

私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリ活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。

地域役員地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。

人がたくさん集まってて、同年代の子ももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだ絵本よんだりしてるくらいの感じ。

ちなみにこのころは、まだ学会日蓮正宗破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。

が、破門されたとたん日蓮正宗邪宗筆頭みたいな扱いになる。

戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。

小学校(自宅で会合が始まる・合唱団入団選挙活動

自宅で会合が始まる

母が地区役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。

家が創価学会会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶しかない。

家に人がたくさん来るのがシンプル楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。

嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。

会合最初にみんなで法華経方便自我偈をとなえたあと、唱題する。

低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。

あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。

会合座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。

学会歌を歌う時間とかはもちろんあった。

家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。

https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8

朝この曲で起きてました。奇特すぎ。

役職についてる人がいるとはいえ子どもの目には会員同士の関係あくまフラットな感じに見えていた。

合唱団入団

今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。

しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。

母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。

ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。

一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。

入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日文化会館指導があった。

指導学校音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的合唱曲練習をしていた。

たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポ別にいらない…。

小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。

創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃん外国歴史上の偉人リスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。

小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。

なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。

このとき練習普段練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。

あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。

今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。

なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補

練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき自分でやるっていったんだから責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通ダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。

選挙活動

学会二世には「選挙祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。

実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたし投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。

でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。

私は自分友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。

とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。

話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。

完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。

あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラス候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。

若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。

今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?

中学校(活動に疑問を持つようになる・教学試験

活動に疑問を持つようになる

小学生のころから国語社会歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。

母の蔵書である古典文学全集解説書、文学文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。

円地文子清少納言枕草子解説している文章リリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。

腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語現代語訳を読んで、平経正守覚法親王関係都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え

絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語随筆舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。

しか学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。

寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。

教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様名前が書いてあるのに謎すぎる。

(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)

私は母に、はるかから善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。

訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。

そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。

世間一般学会偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。

中学友達立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち

政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。

でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動生活破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。

(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。

ちなみに、法華経方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)

読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)

日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。

教学試験

教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。

一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるいかそういうもんでもないらしいがよくわからない。

上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。

ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。

さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強シンプルおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるからしかったし、普通に合格した。

でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。

母親は一番上まで持っていて、父親は未受験

高校同級生に会員がけっこういることに驚く・創価大学受験して進学しない)

同級生に会員がけっこういることに驚く

高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。

信教の自由であるとか、折伏新聞啓蒙選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。

やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分あんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。

親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。

高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。

けっこういるのにおどろいた。

多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。

創価大学受験して進学しない

学会員の間では、創価大学は超絶いい大学東大にも負けない日本最高峰大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。

めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。

活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期から刷り込みしか言えないと思う。

偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。

当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。

同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。

親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。

大学学会ネットワーク驚愕偏見を感じる)

学会ネットワーク驚愕

そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。

ネットワークマジで驚いたしちょっと怖かったよな…。

ちなみに大学には創価学会サークルがあって普通に活動していた。

極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会サークル普通に野放しになっていた。

別に実害ないってことなの? 今思ってもちょっと謎。

どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。

この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。

名前は忘れたけれど、今でも大好きで大切な一冊を勧めてくれた人がいたことはずっと覚えていたい。

続き(https://anond.hatelabo.jp/20220715032335

2022-07-14

anond:20220714220346

芸能界だけじゃなく一般企業職場でも穴が埋まるのなんてすぐだよ。

空いた穴として埋まらず寂しがってくれるのは家族、友人、配偶者だけ。

からみんな自分の居場所を求めて人と接するんだよ。

全然話変わるけど『ダリウス今日も生きづらい』という海外小説があって(日本語訳あり)、海外に居る会ったこともない親戚からあなた場所空っぽ』と言われる描写があるんだけど(産まれた時から親戚のあなたと言う居場所があって、会えない今はあなた場所空っぽで寂しい、という文脈自分にはなんだかそれが響いたなぁ。

自分で居場所を作らなくても、生まれた時からかにとっての何かだったんだなぁとか、寂しく思う必要はないのかも、とか、誰かの場所ちゃんと大切にしてきたいなぁって。

あったか気持ちになれるいい本だと思うから、興味あったら読んでみて〜

2022-07-13

うわぁ・・・いよいよ根本的なところまで議題に上ってくるのか。

統一教会キリスト教ではない

近年では、キリスト教諸派の間で相互対話や協力が盛んになったと聞きます。それではなぜ、「統一協会キリスト教ではない」と言って排斥するのですか。

https://sophia-catholicjesuit.jp/qa/68/

もともとキリスト教にとって、「主は一人、信仰は一つ」(エフェソ4・5)です。そして、神の和解と愛を世界に告げ知らせる使命をもった教会が分裂していることは、キリスト教本来のあるべき姿ではありません。このことに心を痛めるキリスト教の諸教派には、「エキュメニズム」と呼ばれる、信仰の一致を促進する運動が高まってきています日本でも最近、諸教派が協力して、聖書共通日本語訳を完成させました。教派の区別なく同じ聖書をもっているのだから、同じ邦訳聖書を使いたい、という望みからです。このように諸教派が一緒に仕事をしたり、話しあったりする機会をもって、互いの伝統のよさを学びあうことは、とても有意義なことです。それによって自分教会に足りない所などにも気づかされますし、キリスト教信仰のもっている生命もっとかにすることができます

ところが残念ながら、このようなエキュメニズム対象にはなりえない、キリスト教の名を語って人を惑わす新興宗教があります。「統一協会」もしくは「原理運動」(正式の名は「世界基督教統一神霊協会」)も、その一つです。巧妙な手段を使ってキリスト教学校や諸機関にまぎれこみ、騙された人を引きずりこんで、あちこち被害が出ていますから教会指導部では警戒せざるをえません。

統一教会は、文鮮明という教祖によって一九五四年に韓国で創立された、陰陽道シャーマニズムが一体となった新興宗教です。文鮮明聖書勝手解釈して、自分の都合のよいように用いますが、つまるところは、自分こそが再臨のメシアだ、と主張します。イエスがなしえなかった救いを、自分がもたらす、と言います。『原理講論』という教典があって、これが真理を初めて明らかにするものとされます

統一協会の教えについてはここで詳述しませんが、どのような教えであれ、私たちにはキリスト教の正統信仰を見わけるために一つの鍵があります。それは、イエス・キリストをだれと言うか、を見ることです。イエスを通して神が歴史の中でただ一回限り、決定的なしかたで御自身を啓示されたのだ、イエスこそ神の絶対的仲介者だ、と信じるのがキリスト教です。もしイエスがなしえなかったことを他の人がなす、と言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。また、聖書が明らかにしなかったことを、他の書物が啓示すると言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。これはキリスト教信仰の真髄をなすことです。

anond:20220713162726

なぜ統一教会キリスト教ではないのか

Q.

近年では、キリスト教諸派の間で相互対話や協力が盛んになったと聞きます。それではなぜ、「統一協会キリスト教ではない」と言って排斥するのですか。

https://sophia-catholicjesuit.jp/qa/68/

A.

もともとキリスト教にとって、「主は一人、信仰は一つ」(エフェソ4・5)です。そして、神の和解と愛を世界に告げ知らせる使命をもった教会が分裂していることは、キリスト教本来のあるべき姿ではありません。このことに心を痛めるキリスト教の諸教派には、「エキュメニズム」と呼ばれる、信仰の一致を促進する運動が高まってきています日本でも最近、諸教派が協力して、聖書共通日本語訳を完成させました。教派の区別なく同じ聖書をもっているのだから、同じ邦訳聖書を使いたい、という望みからです。このように諸教派が一緒に仕事をしたり、話しあったりする機会をもって、互いの伝統のよさを学びあうことは、とても有意義なことです。それによって自分教会に足りない所などにも気づかされますし、キリスト教信仰のもっている生命もっとかにすることができます

ところが残念ながら、このようなエキュメニズム対象にはなりえない、キリスト教の名を語って人を惑わす新興宗教があります。「統一協会」もしくは「原理運動」(正式の名は「世界基督教統一神霊協会」)も、その一つです。巧妙な手段を使ってキリスト教学校や諸機関にまぎれこみ、騙された人を引きずりこんで、あちこち被害が出ていますから教会指導部では警戒せざるをえません。

統一教会は、文鮮明という教祖によって一九五四年に韓国で創立された、陰陽道シャーマニズムが一体となった新興宗教です。文鮮明聖書勝手解釈して、自分の都合のよいように用いますが、つまるところは、自分こそが再臨のメシアだ、と主張します。イエスがなしえなかった救いを、自分がもたらす、と言います。『原理講論』という教典があって、これが真理を初めて明らかにするものとされます

統一協会の教えについてはここで詳述しませんが、どのような教えであれ、私たちにはキリスト教の正統信仰を見わけるために一つの鍵があります。それは、イエス・キリストをだれと言うか、を見ることです。イエスを通して神が歴史の中でただ一回限り、決定的なしかたで御自身を啓示されたのだ、イエスこそ神の絶対的仲介者だ、と信じるのがキリスト教です。もしイエスがなしえなかったことを他の人がなす、と言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。また、聖書が明らかにしなかったことを、他の書物が啓示すると言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。これはキリスト教信仰の真髄をなすことです。

2022-07-07

anond:20220707130112

日本語訳転売したいけどなんか転売って世間で叩かれてるから背中押してください

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