はてなキーワード: Wikipediaとは
https://www.youtube.com/watch?v=grVLn6RcwPE
臓器移植ツアーに中国へ多くの人が行っている。中国では生きた人から臓器を取り出し中国に来た人に移植している。
https://www.youtube.com/watch?v=MhjCoJHh0BQ&list=PLxejGDsVviQiGHf1YssU8iRVBHVkzufSY
このことが、wikipediaのhistory of cannibalism in China にかなり詳細に記録されている。
先日某ゲーム会社の社長さんが「『「ケモナー」という言葉はCC2が生み出したようですよ』とツイートし炎上する事件がありました。
起源主張は「だいしゅきホールド」炎上事件があったばかりなのに……!
では実際のところどうなのか?
今後また炎上騒動が起こらないように、主観とおぼろげな記憶で申し訳ないですがわかる範囲で記します。
時期的にも同人のほうが早く、過去記事で「ケモナーという言葉を意識していたわけではない」とあるなら生み出したわけでもないので、CC2が生み出したとは言いにくい。
でもコンシューマーでケモゲー出してくれたしソシャゲや自社プロジェクトでケモ界隈作家採用してるのでボコボコにするのも気が引ける。
・CC2が初なのはコンシューマーゲームで「ケモナー」という単語を入れたこと。
(2002~2003の.hack vol.1〜vol.4のどれか)
・ファミ通2013年の記事より引用「じつは松山氏や、CC2のスタッフたち自身は、“ケモノ”、“ケモナー(ケモノ好きな人)”という言葉をそれほど意識していたわけではなかったそうなだ。」(原文ママ)
ttps://www.famitsu.com/news/201308/10038243.html
・wikipediaのケモナー欄に『「.hack//G.U.」作中で取り上げられたことがきっかけで~』ってあるけどミアのことだから第一部じゃなかったっけ?(違ったらごめん)
・wikifurのケモナーズ欄が無印と02がごちゃまぜになってるみたい。98~99冬コミ?まで無印 2000年夏コミから02。
・テイルコンチェルト制作がCC2前身のCCで1996年から。
・社長が目覚めたきっかけが宮崎監督の名探偵ホームズなので世代としては古参。
・ソシャゲやケモノプロジェクトでケモ界隈の作家を拾ってくれてるので貢献度は高い。
ttps://note.com/piroshi3/n/nefaf2b5efaa6
ttps://www.youtube.com/watch?v=thrcbv-lrEM
しかし繰り返しになりますが、「ケモナーという言葉を意識していたわけではない」とあるなら「ケモナーという単語を生み出したわけでもない」でしょう。
・.hack当時はオタクが他ジャンルの情報を広く得られるニュースサイトとかあったっけ?
(2chも同じ板ですら他スレの話題とか全くわからないし、他スレに出っ張るものならスレチで叩かれる)
・前述の、.hackにケモナーという単語を入れたことは当時ケモスレで話題になったが、他ジャンルに広まったという認識はない。
・それ以降のまとめブログ全盛期でケモエロ絵がマジキチコンテンツとして他ジャンルのオタクに紹介されたこと、pixivで検索したりランキングを見ると半強制的にケモ絵も表示されうること のほうが影響大きかったんじゃないかと。
(ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルてで2chAAネタが出て祭りになったけど一般に知られるわけもなく、ネオ麦茶やのまネコ騒動みたいなスキャンダル的なほうが一般層に2chが知られるきっかけになった…みたいな)
日本人はフランスの女性の美しさに驚嘆する。しかし、彼女たちの美の大部分は彼女たちの自立と関連していて、主としてその自立は彼女たちが生殖に関わる問題、ひいては自分の運命を自分で決める力を持っていることに由来するのではないか。フランスの女性と比較して、日本の女性は性と生殖に関する権利に関する限りいまだに縄文時代に暮らしていると言える。
実際、性と生殖に関する権利という表現は日本版Wikipediaのページに載ってさえいない。日本の女性はあまりに大きな暗闇の中にいるので、自分たちが暗闇にいることがわかっていないのだ。
フランスと日本の避妊の歴史を比較すれば、日本の女性読者はどれだけ自分たちが遅れているのかを自覚できるかもしれない。フランスでは経口避妊薬は1969年から利用可能になっていて、2013年からは女性の未成年者は無料かつ匿名で入手できる。1999年に、事後用経口避妊薬が医師の診察を受けずに入手できるようになり、2002年には無料化、未成年者は匿名で手に入れられるようになった(学校の保健室で手に入る場合が多い)。
フランスの女性は敏感に自分の体を意識しており、最新の健康情報に従って生活している。最新の調査によると、フランス人女性のピル使用率は33.2%、子宮内避妊器具の使用は25.6%、コンドームの使用は15.5%だった(ちなみに、出産に関わる費用は全額払い戻される。72%の女性は麻酔を利用し、無料で出産を行っている)。
中絶についても、現在フランスでは中絶に関する合意が大きく広まっているため、2017年のフランス大統領選挙の11人の候補者のうち、選挙公約で中絶の禁止を訴えた者は1人もいなかった。ある候補者は妊娠中絶の権利を憲法で保障すべきだという提案まで行った。
フランスでは中絶は1975年から認可され、1982年以来社会保障制度給付金によって費用の大半が払い戻されるようになり、2013年以降は全額払い戻しが受けられるようになっている。中絶は外科手術によって行われるほか、より安全で安価な経口妊娠中絶薬と呼ばれる1988年にフランスの厚生大臣によって認可された経口薬によって行われることが多くなってきている。
当時、ある製薬会社は強い主張を展開する中絶反対団体への配慮から、当初は経口妊娠中絶薬の販売を拒んでいた。しかし、フランス厚生相は次のように述べて販売を命令した。「その薬に対する政府の認可が承諾された瞬間から、RU486(経口妊娠中絶薬)は製薬会社の資産であるだけでなく、女性の道徳的な資産にもなったのである」。
キチガイに刃物、ゴミプログラマに継承。危険なものは取り上げるべきだ。
オブジェクト指向プログラミングにおける継承は強力な手法であるが、これを正しく使えるプログラマは残念なことに極めて少ない。たいていの場合、継承を使うことで却ってプログラムの保守を困難にしてしまう。継承のアンチパターンの最たるものは、単なるメソッドやメンバ変数の共有のために継承を使うパターンだ。これを行うとデータが密結合になってバグの原因になり、プログラムを把握することも極めて困難になる。
そもそも、熟達したプログラマの感覚では、業務で書くアプリケーションの実装に継承を使うべき局面などほとんど無い。ライブラリ等のより低レベルな処理で仕様が確定しているものについては、継承が効果的となる場合もあるが、複雑なアプリケーションのロジックに継承を使うのはほとんどの場合、時期尚早な抽象化となる。
また、凡庸なプログラマが継承で実現したいと思うことは、ほとんどの言語でより適切な手段が存在する。
継承を誤って用いるプログラマが多いにも関わらず、実は継承の使い時ははっきりしている。以下は、一定水準のプログラマならば、誰でも答えられる質問である。これに答えられないプログラマは不勉強を恥じるべきである。
答えられない人、自分の答えが正解の内容と一致しているか即座に判断できない人は、継承を使うべきではない。医学知識ゼロの素人が外科手術をするようなものであり、非常識極まりない。
リスコフの置換原則は、オブジェクト指向の文脈で言えば、以下のようになる。
「Baseを基底クラス、DerivedをBaseの任意の派生クラスとするとき、Base型として生成されたオブジェクトをDerived型のオブジェクトに置き換えても問題なく振る舞うようにしなければならない」
ゴミプログラマが継承を使いたがる理由の99%は、以下である。
東京都心に住まうハイソサエティな人々や地方民は、東京にこれだけ近いところに、これほどモータリゼーションが発達した都市があることをほとんど知らない。
東京でも横浜でもない、車を中心にした世界がここにある。
嘘だと思うなら、カーシェアでも借りて一度センター北・センター南界隈を走り回ってみるといい。
東京と横浜の中間でなおかつ東海道線と東名の中間ぐらいの位置関係と言えばぼんやりとイメージがわくだろうか?
詳しい歴史とかはwikipediaを見ろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3
元は森と原っぱしかなかったところを開拓したニュータウン開発としては最後発に近い再開発事業だ。開発が始まったのが実質80年代以降なので、近代的なモータリゼーションをがっちり取り入れた都市計画に基づいた街が作られている。
ざっくり言えば、港北ニュータウンはショッピングモールの集合体だ、少し小さめの濃縮されたイオンモールクラスのショッピングモールがぼっこぼこと乱立している、センター北・南両駅に中規模のショッピングモールが3棟(港北東急、港北阪急、ノースポートモール)、立体模駐車場を持つ小規模ショッピングモール(どでかい商業ビル)が4棟、さらに商業ビル多数。近隣にはホームセンターも幾つもある。
そんな中途半端なショッピングモールじゃあね、という向きには、車で3~40分圏内に大規模ショッピングモールが3か所(ららぽーと横浜、ラゾーナ川崎、トレッサ横浜)、もう少し小さい規模でグランツリー武蔵小杉、たまプラーザテラスとか、横浜圏までいれると本当に数えきれなくなる。
とにかく車があれば買い物を行く先に全く困らない、毎週末・毎日がショッピングモール巡りだ、車で複数のショッピングモールを梯子することなんかもザラ。
それから、この二駅だけでスーパーが大小とりまぜて10軒前後ある、あほか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kohoku_New_Town_-02.jpg (写真)
まず道幅が広い、一般道で3車線があたりまえにある。狭い細路地がほぼ存在しない。一方通行もほとんどない。車の取り回しで困ることが無い。
駐車場も安くどこにでもある。商業施設の駐車場はほとんどがスロープ式立駐で、だいたい割引で足りるか、最初から無料。
ある意味センター北・南が猛烈に充実しているため、車無しで滅茶苦茶快適に生活できてしまうのだが、当然車の所有率も高い。
そして、いい車が走っている。外車率が異様に高く、軽が少ない。都心みたいにポルシェとベンツ、アストン・ベントレーにあれはマクラーレンか、みたいなバブリーさは無いが、ドイツ勢、ラテン勢など欧州車がかなり多い。レクサスも多い。港北ニュータウンにいると、日本の不景気とは? という気分になるぐらい、日本で失われつつある豊かさがまだここには生きている。
そして、ニュータウンらしく、車歩道分離や、公園が充実しているのもすばらしい。センター北・南から徒歩圏にもちょっとした森のような大きな公園が幾つもあるし、車で移動すれば自然もスポーツ施設も遊戯施設も多数あり子供の遊び先の選択肢に事欠かない。大きな公園に行くと、テント族っていうの? ミニバンにカートとテント載せてやってくる親子連れが広場にテント広げてゆったり遊んでる。ああいうの、都内育ちからみると全く未知の世界で軽いカルチャーショックがある。わざわざ、ひーこら奥多摩まで行ってバーベキューする必要ないんだ、みたいな。
それから、第三京浜・東名高速が至近というのも大きい、レジャーとなったときの選択肢が都心とはけた違いに多く、海と山にすぐ行ける。箱根・鎌倉・三浦・伊豆・富士・東海方面が東京よりすべて一回り近い。渋滞のボトルネック一つ分少ないことで、車での日帰り旅行もめちゃくちゃ快適。
都内でマンションや戸建てをサラリーマンが買うのが現実的でなくなって久しいが、港北ニュータウンとその周辺の横浜市営地下鉄沿線はまだ選択の余地がある、さすがに新築マンションの造成は減ってきているが、中古なら3~4000万円代から選択肢がある。しかもニュータウン故、ほぼすべてが築浅なので都心に比べれば程度が全然いいし広い。駐車場も当然ついているし、駐車場代も都心みたいにん万円なんてことはない。
歴史が浅いということは、世代・年齢層も若いということだ、周辺の戸建て地域もおんぼろの昭和な住宅や空き家・廃屋なんてほとんどない。街がぴかぴか、古い家はだいたい地主さんの邸宅。
港北ニュータウンのある都筑区は首都圏でも数少ない出生率が高く人口が増え続けている自治体だ。まぁ、40年50年先のことはしらん。
人種的には、ややマイルドヤンキー寄りだがヤンキーではない、リア充だけどうぇーいじゃない、ぐらいの層が厚い。所得がそれなりにあると思われるおされな人も多い。スポーツ観戦が好きで子供もサッカーやらせてます、目指せJリーグみたいな感じ? なにしろ、手軽にスポーツをできる環境がある。
そして、BOOKOFFに行くと、売られている本の質が違うんだ、ひたすらベストセラーやジャンプ掲載作品で埋まってなくて、それなりに面白かったり、マニアックな作品もごろごろしてる、実用書の質も高い。つまり、本好きが沢山いて、本を買い、BOOKOFFへ放流するというフローが成立しているわけだ。
総じて、平均してそれなりの所得があり、家と車を持ち、自分の生活を等身大で生きている、そんな世界が港北ニュータウンだ。
東京都心へは電車で40~50分、車で1時間前後、というところ。
港北ニュータウンの中央駅はセンター北とセンター南の二駅、センター中央駅は無い。この二駅を貫くように横浜市営地下鉄ブルーラインと同グリーンラインが通っている。
残念ながら東京都心直通の路線は無く(計画はあったんだ...)、都心に出るにはブルーラインであざみ野に出て田園都市線もしくはグリーンラインで日吉に出て東横線へ乗り換える必要がある。横浜・新横浜・みなとみらいへはブルーラインで直通だ。
車でのアクセスは、東名 横浜青葉ICもしくは第三京浜 都築ICから15分弱。
都心に直通の電車がないなんて田舎だよね、という向きには田園都市線沿線のたまプラーザ・あざみ野・青葉台を勧める。半蔵門線直通で都心まで30分前後だ。通勤時間的には都内の多摩地区と変わらない。
全体に若干割高にはなるが、車があれば、港北ニュータウンの利便性は享受できる。
ご存知のように殺人的な通勤ラッシュでおなじみ田園都市線だが、大井町線の乗り入れで改善してきているし、オフピークして、渋谷以前の半蔵門線から乗ればそれほど大したことはない。
ただし、歴史が一回り深い分高齢化が進んでいるのも確か。モータリゼーション第一世代が高齢化で免許―返上して駅から遠い戸建てを手放すみたいな話が出てきている。
都心と比べて東急グループや大手資本がなんとかしようとしている点がちょっと違うところで、たまプラーザの再開発なんかがその例、興味があるなら行ってみるといい。
東横線沿線は良くも悪くも東京都心に近い属性がついてくる、居住費や駐車場も高くつくし、狭い道も多い。武蔵小杉・元住吉・日吉あたりは車でも住みやすいが水害が心配なのは去年の台風でわかっただろう。
そんな感じで、首都圏にでもモータリゼーションが発達して発展している都市がある、ということをわかってもらえると嬉しい。東京都心と地方のロードサイドの二元論なんてナンセンスだ。
都内勤務だけど、リモートワークも進んだし、ちょっと都心から離れてみるのもいいよね、車の運転好きだし、という層にはぜひ一度訪れてみてほしい。
港北ニュータウンに無い物? うーん、歴史とか、超高級ブランドショップとか、それから下北や吉祥寺みたいな個性かな。あーあと、あれあれ、イオンが無いよ。
マニア向けが何を指すかわからんが、ここでいう「Wikipediaに長々書いてあるような細かい設定が少ない(設定語りたがるようなオタクが喜びそうなやつ)」は少なくないか?斬魄刀とか、一人ぶんのキャラの解号と能力とビジュアル覚えるだけで目が回りそうだが、鬼滅はそのへん呼吸と型番号と名前位で覚えやすい。エフェクトだけで超能力もないし。
鬼滅が傑作だと評されることへの個人的違和感を言語化すると「面白いのに凄い傑作と言われると首を捻ってしまう」であり、その理由は「巨悪と戦う漫画の割に世界観が壮大でない」からだと思う。
ナルトにしろブリーチにしろワンピースにしろ、個々のエピソードが面白いのとキャラがいいのは勿論、世界観の情報量が膨大(露骨な言い方をすればWikipedia読み込まんといかん位用語が多い)で、これの真似は確かにできんわって思うのが大きいと思うんだ。二次創作するには楽しいけど、これ1から自分で作れって言われたら時間いくらあっても無理だと思ってしまう。キャラとかエピソードは思い付くけど、世界構築はできない。
でも鬼滅の世界観は割と狭めなのだ。鬼がいる以外は現実に近く、チャクラだの念だのといった説明が必要な特殊設定はなしで技のエフェクトは※あくまでイメージである。
組織については敵味方双方、あまり複雑ではない。階級はあるが、主に「柱とそれ以外」でありたとえばワールドトリガーのような部隊ごとの特色や上司部下関係といった要素は少なめである。敵も強さはヤバイが、無惨というトップの他は序列はあるものの複雑な組織体型はなく派閥や上司部下の無惨を介さない関係性も(元からセットの鬼以外では)あまりない。例外である蜘蛛山も、独裁者と奴隷という割と単純な図式である。
武器や戦法や技についても、呼吸とか型とか確かにかっこいいんだけど、斬魄刀や血継限界やスタンドに比べると設定的に語れるところは少なめである。
敵の目的に関しても、ただの長生きしたい性格の悪いやつのわがままでありぶっちゃけ無惨の言うとおり小規模な災害なので、考察の余地も少ない。似た悪役にからくりサーカスのフェイスレスがいるが、あれの場合「滅茶苦茶壮大な悪事だからさぞ遠大な計画がと思ったのに女にふられたからとかふざけんな」というオチなので、最初から小物の私欲というのとはまた別である。
勿論、設定が複雑であればあるほど素晴らしいと思っているわけではない。設定を扱いきれない位ならない方がよいとさえ思う。規模だって、世界を救わなくても町一個をサイコ殺人鬼(たまに殺す以外は小市民)から救う話だって全然面白いのだから。ただ、ガワが王道少年漫画で千年の巨悪に立ち向かう話なのでどこかに壮大さを求めて読んだら肩透かしを食らった、というだけの話である。
つまり、鬼滅とは「いろんな意味で設定が壮大で(かつ細かく)ない傑作」なのだと思う。逆説的にいえば「巨悪と戦うバトルもので設定が異様に凝っていて壮大なうえでそれがおおむね生かされていて面白い」という、これまでのバトルもの傑作の特徴を持たずに売れたという点ですごい漫画なのだと思う。
生粋の田舎者である自分にとって「広告の汚さ」が東京の第一印象だった。新卒でようやく都会に触れる人間というのも今時珍しい気がするので記録しておきたい。
都心に向かう電車から見えるのは、もはや慣用句と化している「高収入バイト」の嵐を手始めに、クソデカ極彩色で0(ゼロ)の文字が並ぶ謎の不動産屋、いつ切れたのかもわからないのにこちらを向いているラブホのネオン管など。漫然と見ていると不意に現れたTENGA(正確にはエムズ)の看板がオアシスに見えた。
車窓から見えるそれは、地方都市の駅周辺では地元の大企業が手掛けた綺麗なものが多く、都心へのベッドタウンに近づくにつれ汚さを増し、都心の周縁でピークに達し、そこから急速に金の塊のような意匠の凝ったきれいな広告に置き換えられる。元から規制が厳しそうな屋外広告という条件に加え、おそらく携帯やスマホの普及でボーっと窓の外を見る人が減り元から低い広告価値が下がりきっているのだろう。内容の低俗さよりも「更新の無さ」のほうが印象的だった。
その中で、一番自分の目を引いたのはボロボロの「日本一のテレクラ」の看板だった。
さぞかし有名なのだろうと検索してみてもほぼヒットしなかった。自分の感性を否定されたようで悲しい。が、これやこれなど、数件はあった。だいたい似たようなことを感じてる人も一応居た。安心。看板のみてくれからその実態にも興味が湧いてきた。
まず「テレクラ」というワードからして高ポイント。一応若者である自分にとって、ほんのり聞いたことがあるだけで実態は全く分からないが"古い"ことだけは伝わる。Wikipediaのテレフォンクラブの項目を見ると、テレクラの個室に入って待ってると女性から電話がかかってきて成年未成年関係なくセックスに発展しまくってたらしい。草。どんな時代だよ。流行ったのはバブルの前後?で、法改正と規制条例で一気に廃れたようだ。平成初期のtinderといったところだろうか。ただこの辺の基礎知識は老人の巣窟であるはてなの住人の方が余程詳しいだろうから割愛する。
看板の下部に社名らしきものがあるがイマイチ読めないし、勿論フリーダイヤルも検索に引っかからなかった。ただこのツイートにそれらしき社名がある。規模感が分からないが34店舗というのは大きい部類に入るのだろうか。18歳未満の利用を禁じる記述があるので、先述のwikipediaと照らし合わせるとツイートにある店舗は2002年の風俗営業法の改正以後まで営業していたということになる。意外と最近の話で草。とはいえ20年近く前で自分は小学校にも入ってない時代だけど。
このグループ名で検索すると2002年の2chのスレ(正確にはbbspinkか)が出てきた。レスはどれもテレクラを完全に過去の存在として扱っている雰囲気だが、この時点でもまだ一応現役の存在だったというのは興味深い。各レスが業者の宣伝という可能性も全然あるけど、間接的にではあるが過去の盛り上がりのようなものが伝わってくる。
このスレの44に、まさにボロボロ看板の主たる店舗の記述がある。
『またーり、ほんわか、かつ、しゃきしゃき』がどんな状態なのかは私の想像力が及ばないところであるが、ともかく看板の店は実在し「日本一」かは分からないにせよある程度の盛況を極めた場所であったようだ。
なぜか後で寄った四ツ谷駅で、いかにも上級な雰囲気を纏った小学生たちを眺めていると(犯罪)、都会はこんな広告がいっぱいで子供たちが見たらどうするんだろうとか思ったが、中央線で都心に出てくる人間なんて長い通勤でくたびれたおっさんか、金は無いが都会への夢に満ちた田舎の若者くらいかもな、という偏見もあり、それなりにターゲティングされた広告なんだろうなと勝手に納得した。怒涛の高収入バイトを見る限り今も昔も変わらない傾向なのかもしれない。
ボロボロ看板の出元を探るのはそこそこ面白かったが、この調べものごっこのせいで自分の中での「都会の第一印象としてのテレクラ」がゆるぎないものになってしまったのはかなり後悔している。
このサービスがデフォルトでないのがとても不満だったので最高に素晴らしい!公式に取り入れられたらその時点で終わりだとも思う。とは言え、公式に取り入れられればそれはそれで最高なのでどっちにしてもこのサービスは最高である。Spotifyで再生している楽曲に表示されれば最高!なのだけれど、まさか表示したら楽曲がいきなり強制的に再生されて、再生中の音楽が止まるとは思ってなかった。最低でも任意にしてほしい、聞きたければSpotifyで再生する。音楽を再生しながらこのアプリを開くってことのほうが多いケースだと思う、知らんけど。
その楽曲に対する情報が欲しいというニーズと、その楽曲に対する思いを共有したいというニーズは別だと思うのでそこを分けるのが必要だと思う。YoutubeのMVのコメント欄ってめちゃくちゃどうでもいいもので溢れかえっているじゃないか、感情を共有したい人とその楽曲について理解を深めたい人を分けられるようにしてほしい。それが今後実装予定のハッシュタグなのかもしれないけど。
アプリをインストールするときにフォローを促されるのは思いのほか強いストレスになるのでやめてほしい。Twitterの新規登録の画面を参考にしているのだろうが、その人が自分の好きな音楽について言及しているのかがわかっていれば問題ないのだけれどひげ面の若いにいちゃんがおすすめといわれても、戸惑いしかない。ドナルド・トランプはクソって言うのはわかってるからフォローしないってのはあり得るだろうけど、初対面の人を評価するのに顔写真だけだとつらい。最低でもこの人が好きなのはこういったバンドなりミュージシャンなのだよというのが分かればいいと思う。レコメンドの理由がわからないのにフォローすることがあるとも思えない。しかもフォローしないと先に進めないってのは嫌な感じ。
あと、俺はじじいなので楽曲単位でなくてアルバム単位で言及ができると嬉しいと思った。もちろん現代の感覚とは逆行するのだろうけれど必要なものの一つと思う。バンドそのものへの思いが投稿できても良いと思う。
製作者が"投稿があるとその曲を聴き、アーティストについて調べ、MVを見る"といっているけれど、それならそれがこのアプリで完結されてあるべきだろうと思う。アプリ内再生じゃなくてSpotifyのアプリでフル再生できるようにして、WikipediaやPitchforkやらの評論サイト、それにGeniusとYoutubeに飛べるようにできるようにするべきと思う。スマホアプリでそこまでしたいと実はおれは思わないので、ゆっくりでいいと思うが。
なんにしても良いものだと思う。300文字って言うのがけち臭いと思う以外はこっからどんどん良くなっていくんじゃないかって期待しかない。
最近のGTXは下2桁がグレード、その上の桁が世代を表している
1050~1080は同世代で、1050がその世代の一番下、1080は一番上
その次に出たのが16xxシリーズ
世代が上がると下2桁のグレードが1つ上がる感じ
つまり1060は1650とだいたい同じ性能。消費電力が違ったりするから高性能な型落ちが安くてもお得かどうかは一概にいえない
RTXも下2桁がグレード、その上の桁が世代というのは同じ
https://togetter.com/li/1605085
のコメント欄より
また誤字脱字が明らかな場合はそれを補った
箱のなかの海 @kawa_machi
”他者の権利を侵害すべきでない”という一般的な道徳観を動物まで広げるなら、ヴィーガンのような主張になるのは自然なことではある。
人と動物は違うと言うなら、その線引きをどこに置くかの明示は必要だけど、論理的に妥当な基準を出すのはかなり難しいよ。
自分はリバタリアニズムの消極的自由から肉食を正当化できるか悩んだことがある。
今のところ子供(→契約の主体になりえない存在)に対する パターナリズム的対応を援用して考えてるけど、お肉を食べたいがために無理してないと聞かれたらちょっと困る部分も無いとは言えない。
お肉美味しいから食べるけど。
「倫理判断は普遍化可能である」「遺伝的差異自体は差別をする理由にはならない」「動物も人間と同じように苦しむ」「認知能力や契約能力等、動物と人間を区別する道徳的に重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)」「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」、これらの組み合わせから容易に「動物にも「人権」があり、危害を加えてはならない」という結論が導ける。 (Wikipedia 動物の権利)
他者を食べることを倫理的に正当化するには、これらの前提のどれかを弱める必要がある。
ヴィーガンの多くは「植物も動物や人間と同じように苦しむ」を弱めて、植物を食べているように思うし、 自分は「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」を弱めて肉を食べている。
kusorip @kusorip2
人権は人の作った道具に過ぎないので、人が快適に過ごすために如何様にも定義変更可能なんだが 勝手に都合よく定義を狭めて理論ぽく仕立ててるだけでガキの屁理屈止まりなんだよなぁ
箱のなかの海 @kawa_machi
人が作った道具であり、適宜変更ができると言うのはそのとおりなんだけど、その快適に過ごすべき”人”って何なのかという話。
人と動物の違いは何を基準にどこで線引きすべきか? 遺伝情報? 認知判断能力? 苦痛を感じる能力? YHWHがそう定めた?
他者に危害を加えることを正当化するのってちゃんと考えるとホント難しいよ。
誤: 人と動物の違いは
スリーS @Super_S_Shoborn
箱のなかの海 @kawa_machi
危険性を保証し合うと言うのは、法律(してはいけないこと)の概念をを持つという理解で良いですか?
そうなると、ある種の知的障害者や1, 2歳までの子供は人間ではないので殺していいことになりますがそれで良いですか?
逆に、ルールの概念を持てる動物(例えば、ある程度以上の哺乳類はそうでしょう)は”人間”なので殺してはいけないことになりますね。
スリーS @Super_S_Shoborn
知的障害者だろうが幼児だろうが、その家族が報復しうるし、その境遇に陥るかもしれない人間が次は我が身次は我が子と考えて排除しうるので、危険性は保障されてますので問題ありません
危険性が保障されてるから、危険だからやってはいけないという簡単なロジックです
大ざっぱに言ってしまいますと、全ての人間は任意の人間から危険性を保障されているので、その危険性が保障された人間を安全に取り扱う為に人権に沿う必要があります。言い換えれば、人権は人間を安全に取り扱う規範だと言っています
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。しかし、「危険だからやってはいけない」は「危険でないならやってもいい」に繫がりますよね。
例えば、家族がいないまたは家族が報復しないことを約束して譲る場合はどうでしょうか。悲しいことですが、親から虐待を受けている子供や障害者など、可能性は十分考えられると思いますが。
食用の豚は殺されていますが、だからといってペットとして豚を飼っている飼い主(保護者)が「次は自分の豚が殺されるかも」とは考えないでしょう。
親が自分の子供を殺す(故意または未必の故意)場合も報復の危険は無いので問題なくなりますね。
パチンコ中に車の中に放置されて亡くなった子供がいたとして、その親が近くに暮らしていたとしても、「自分や自分の家族が殺されるかも」とは思わないでしょうし。
危険性を保障されているという言葉の定義がよくわかりませんので、もう少し詳しく説明ください。
周囲の人が次は自分と思って排除してくる危険→そう思わないような場合は?
また、 「人権は人間を取扱うためのものである。人間とは人権で取り扱われるものであ(動物はそうではない)」 はトートロジーです。何を基準に人権で取り扱われる”人間”を決めるのか?と問うています。
スリーS @Super_S_Shoborn
家族が居ない、または見捨てられた等の天涯孤独者は天涯孤独者同士危険性を保障し合っています。では天涯孤独の乳児はどうか。普通の子供でも親が死ぬ等で天涯孤独になります。親の危険性の保障から外れえる子供を守るために「危険でないならやってもいい」という人間を排除するでしょう。
親からも見捨てられ誰も報復せず次は我が身我が子だと考えて誰も排除してくれない子供はどうか。子供にそういう危険性がないことを調べる必要がありますが、それを調べることもまた危険であるのでやってはいけまん(続く)
『家族が報復する危険→報復しない、できない場合は? 周囲の人が次は自分と思って排除してくる危険→そう思わないような場合は?』
確かに必ずしも家族や同じ境遇の人が報復や排除をしてくれる訳ではありません。そのような危険性が保障されない人間が潜在しています。彼らは自身に危険性が無いと判断されることは死刑宣告にも等しい。従って危険性を判断するような人間を排除するでしょう。つまり危険性がないことを調べる事自体、危険でやってはいけないことなのです
さながら、危険性が保障されない人間が危険性を保障された人間に擬態するように。山に生えるキノコが可食か毒か見分けがつかず、見分けることも危険であるならば、山に生えるキノコは全て毒と判断して食べてはいけないと判断するように
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。 ある程度以上の知能を持つ動物も、自分や自分の家族、群れを傷つける他者を排除しようとしますが、それらの動物は危険性を保障しあっていないのでしょうか。
人間がそれらの動物を傷つけた時に報復の危険性を感じないのは単に人間がそれらの動物より強いからですが。
動物の(勝手な?)代弁者である動物愛護団体などからの報復の危険性を感じないうちは動物には”権利”がなく、彼らが強大な力を有した段階で”権利”が生じるとなりそうです。
それは、過去に王侯貴族が下々の者の人権を決めていた時代と何が違うのでしょうか?
実際のところ、権利は力の獲得とともに増えてきたという歴史はそのとおりではあるものの、
少なくとも理念上は、
力の有無や数の大小ではなく、一人ひとりが等しい人権を有しているというのが現代では概ね合意であるはずです。
動物には力がないから人間にとって危険性がなく、だから動物を傷つけても良いという”危険性の論理”はこの合意に反しますし、弱者やマイノリティへの攻撃に容易に繋がりかねないのではないでしょうか?
スリーS @Super_S_Shoborn
医療食料問わず動物資源は人間の生命線であるので、その使用禁止は生存手段の放棄であり自殺行為です。また、人間から動物資源という生存手段の剥奪はその人間から排除対象となるので、これもまた自殺行為。二重の意味で危険な行為なので動物に権利を与えてはいけません。
全ての人間は任意の人間から危険性を保障されている(自分はそう主張している)ので、弱者やマイノリティへの攻撃に容易に繋がりません。
動物も報復しますが、人間にとって大した危険ではなく、それ一頭を銃等の動物では認識出来ない武器で殺せば再報復されません。人間が危険なのは動物と異なり火や毒、自動車銃火器等の過剰な攻撃力を持っているからです。毒を使う動物はいますが、それを報復には使いません。『過剰な攻撃力』を持ち、かつそれを『報復等に使用する』生物はただ一種、ヒトのみです。故に人間にとって人間が特別です。他に該当する動物が居るのでしょうか?
箱のなかの海 @kawa_machi
2点教えてください。
1. 過激な動物保護団体は多く居て、その中には銃火器などで武装しているものも有りますよね。 単に危険性の大小なら、下手な人間のマイノリティよりもよほどある種の動物のほうが危険性を保障されている(報復の可能性が高い)と思いますがいかがでしょう。
2. 本当にすべての人間同士で危険性を保障しあっているのでしょうか。 例えば、ウイグルの人々が中国共産党の上層部に報復できるとは思えないのですが。 仮に米国を動かして、米中戦争が起きたとして中国が勝った場合は?
端的に言うと、 「どうしていじめはダメなの」という問に対して、 「先生に怒られるから」と答えられてるような感覚があります。
スリーS @Super_S_Shoborn
1. 危険性の保障を代行・専門化・強化した警察・司法という組織の方が基本的に有能です。
2.国家という組織は人間が運用すれども人間そのものではありません。人権は『人間が』人間を安全に取り扱う規範ですので、国家対個人では基本的に機能しません。中国みたいに強い国家にとって人間は脅威ではないので、中国は人権を守る必要がありません。では何故人権を守る国家があるかというと、国家が比較的弱いか国民が運用している国民主権国家だからですね
箱のなかの海 @kawa_machi
1. 確かに、警察、司法のほうが優秀です。しかし、危険性で問題になるのはどちらが大きな力を持っているかではなく、ある閾値以上の力を持っているかでしょう。
戦車や戦闘機よりマシンガンの方が弱いですが、普通の人にとってはどちらも脅威です。
2. 人権とは、単に人間であるということに基づく普遍的権利。「対国家権力」または「革命権」から由来している。ブルジョア革命(資本主義革命)によって確立された権利であり、「近代憲法の不可欠の原理」とされる。 人権は人が生まれつき持ち、国家権力によっても侵されない基本的な諸権利であり(略) Wikipedia 人権
えっと、その人権の定義は少なくとも一般的に受け入れられている定義ではないですよ。 対国家、つまり自分より強い相手に対するものです。
箱のなかの海 @kawa_machi
人と動物との違いはなにか?という問いに対して、
1. 傷つけた時に報復される危険があるのが”人”で危険がないのが”動物”
2. この危険とは殴る、噛むなどではなく、銃火器などの過剰な武力を指す
3. 報復するのは傷つけられた本人ではなく、それを見た他人でも良い
という基準が出されました。
それに対して、
1.例えばクジラを傷つけた相手に銃火器を用いて報復すると宣言する愛護団体が存在したら、クジラは”人”の基準を満足しますよね?
2.銃火器などを苦にしない強い個人や団体(国家)は、弱い立場のホモ・サピエンスを傷つけても倫理的に問題ないとなりませんか?
スリーS @Super_S_Shoborn
警察・司法の方が基本優秀なので、過激な動物保護団体はテロリスト認定して取り締まってその保障を無効化してますね。
銃火器などを苦にしない強い個人(超科学異星人だろうがスーパーマンだろうが)や団体(国家)が弱い立場のホモ・サピエンスを傷つけても、その個人や団体(国家)にとっては問題ありません。同じように強い力である台風が我々の人権を慮ってくれるんです?
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。そこまで力を信奉し、強者は何をやってもいいとお考えならそれはそれで筋が通っていると思います。
願わくば、その考えが弱い立場に向かないように、また貴方が強者に蹂躙されませんように。 どちらにしても、中国には住まないほうがいいと思いますよ。
攻め方と守り方は非対称で、普通は攻め方が大幅有利です。本当に取り締まりが完璧にできるなら、アメリカは911を受けずにすみました。
スリーS @Super_S_Shoborn
自分はスーパーマンでも独裁者でもないことを知ってますし、立場が弱かろうが強かろうが人間にちょっかい掛けて好き好んで危険を被ろうだなんて思ってないのでご心配なく。
それに『安全』というのはリスクゼロという完璧を表す言葉ではありません。人間を対象に限らず、危険性を小さくする為に安全な取り扱いを行っていますが、自動車を安全運転してたって事故は起きます。警察を信用しないのは自由ですが、警察という抑止力がなければもっと被害を受けていたのは想像に難くないでしょう
箱のなかの海 @kawa_machi
警察がなければもっと被害を受けていた と 警察があっても被害を受ける危険がある は矛盾しませんよ。
報復される危険があるなら(実際に日本では太地町が有名ですし、海外ではもっと大きなテロも起きています)、あなたの基準ではそれは”人”であり、傷つけるべきではないのでは?
スリーS @Super_S_Shoborn
報復や排除による危険性を無制限に正当化するのもまた危険です。極端なことを言ってしまえば『貴方の周りの空気を保護する。吸えば貴方に対して報復する』ということも殺人の正当化に悪用されてしまいますね。従って人間への危険性が最小になるように線引きする必要があります。今の所設定されているベターな線引きはヒト及びヒトに所有される(動物含む)物ですね。
その線引きに動物まで含めてしまうと、動物資源によって生存している人間及び今後そうなるかもしれない人間(つまり万人)は生存手段を奪われた形になります。鯨も飢饉時は立派な食料です。狩猟には継続的な経験が必要ですので、飢饉時だけは鯨を殺していいと言われても狩猟出来ずに餓死ですPermalink | 記事への反応(1) | 10:35
僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国の文学作品部門でAmazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧の想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。
で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトル・コトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名の新人だ。
しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中の司教だ(いい人だがな)。
とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。
そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年はジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。
めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役にステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。
で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかい?ジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会の天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍の兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。
でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコーストの歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年はユダヤ人だ。家族もユダヤ人だ。家族は父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族の少年の物語だ。ホロコーストでは、ナチスはユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのである。アウシュヴィッツにユダヤ人が強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルでユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族はペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解が大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人の強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツだけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。
あと、この映画の舞台は映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語もインタースラブ言語(インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語を使用している。故に言語はそれっぽいのに地域は特定できないようにしてある。この映画は史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易に英語にしなかったのはナイスアイデアだ。
冒頭、ペトル君(この少年の名前は最後の最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線。
しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年のホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤの儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年を疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。
その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである。少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人の名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通のホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。
多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習と迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子は悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア、助手が欲しかったのである。そして少年は助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババアの少年に対する治療施術なのである。少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフスに罹患したらしかった。
でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババアが少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。
確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年が放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キアが世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。
とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである(意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓で食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁とセックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。
で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分の荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。
エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人の移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初は教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教が病気で少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズに司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしまう少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴だけが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事用トーチカを発見します。そこで二つの重要な発見をします。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカの天井部分の天辺に開いた口径1メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年はサンズの家に戻ります。で、色々あって少年は拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまいます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせます。サンズをうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズはネズミに食われて死亡。
そしてその後、もっかいカイテルの教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。
思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス。
で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年とおっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由は不明ですが、これが映画の原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?
そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。
もうね、三時間もある映画だから、エピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連のコサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍の駐屯地に少年が保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーはライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーはライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校は少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。
出てきた内容も誰かが叫んでるだけの中身ばかりで中身ない。
叫んでるだけの中身を信じてるの?それとも、あんたネトウヨにハマりすぎて変な陰謀論サイトでも大量にかかってるの?
こちらのないようは、note,note,池田信夫、共産党の記事、赤旗が告発したというyahooニュース、一方的に叫ぶだけのyahooニュース、任命拒否教授の正体というyoutube動画、日本学術会議のwikipedia
私は元増田なのですが、アウシュヴィッツ火葬場の謎の回答を書いたら、結構それに対する異論もあったように思います。私は専門家でもないし確かめたわけでもないので、理屈については不正確かもしれませんが、概ねは否認論者の主張を参考にして否認論の主張を理屈として述べただけでした。マットーニョ先生は同時代の養豚場の火葬の論文まで持ち出して批判してきます。これは的外れの事例なので比較になんないのですけど、でも否認論者が如何に必死かということがわかるかと思います。
正確な知識が必要と、タイトルで断っているのは、決して否認論者を舐めてはいけない、ということです。例えば、火葬炉の回答についたブコメで「絶滅収容所以外では死体を埋めていた」という話をされた方がいますが、そんなの当然知っているのです。アインザッツグルッペンの話かと思いますが、実はこのアインザッツグルッペンはたしかに死体を埋めていましたが、その後に掘り返して焼却処分にしたのです。焼却方法は現地で野外火葬したのですが、鉄道レールを利用した即席焼却場を作っていました。この作業にあたったのが1005アクションと呼ばれる部隊です。パウロ・ブローベルという親衛隊員(元アインザッツグルッペンの一人)が指揮を取って遺体焼却作戦に当たり、アウシュヴィッツのユダヤ人囚人などから特別作業班を作って現場を連れ回っていたのです。当然このユダヤ人はいらなくなったら現場で銃殺刑です。
但し、全部焼却処理できたというわけではなさそうです。近年でもマンション建設現場からアインザッツグルッペンの埋葬遺体は発見されています。ちなみに、ホロ否認派はこのアインザッツグルッペンの虐殺は、「パルチザンだったからいいのだ」と主張します。8割以上ユダヤ人なんすけどね・・・。ともかくも、1005アクションは存在し、ナチス親衛隊はとにかく徹底的に証拠隠滅をしようとしたのは間違いのない事実なのです。ところが、否認論者はこの1005すら否定してきます。
http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/sofia/sofia_s36-1.html
古いサイトですが、元ネタはゲルマー・ルドルフのようです。このルドルフもマットーニョと並ぶ、否認論量産人ですが、ルドルフはマックス・プランク研究所で働いておりましたが、首になってしまいます。そしてホロ否認に手を出したがために、刑法犯になってしまい逃亡します。結局イギリス定住だそうですが、最近では公然わいせつ罪で逮捕されています。ルドルフ先生は知名度が高いため世界的ニュースになっています。詳しくは英語のWikipediaを見ましょう。ルドルフくんは真面目に働いていたら博士号も取れたはずなのに博士号持ってないんです。なのに否認派は「有能な化学者」と思ってるそうです。あの噴飯もののロイヒターレポートを称賛するというレベルなのに・・・
かのロイヒターレポートを書いたフレッド・A・ロイヒター・ジュニアも詐欺師でしたし、ゲルマー・ルドルフも上記の通りの人物ですし、否認論本濫造人(軽く100冊!を超えます)カルロ・マットーニョは素性がよくわかりませんが、どうやらイタリア国内のどこかの教師職のようですが、ともかくろくな人物はいませんけど、奴らも生活かかってますので必死です(笑)。多分歴史見直し研究所(IHR)などから金が出ているのだろうと邪推しています。でも、十年ほど前にIHRの会長は、ホロ否認戦略を見限ったという情報も得ています。ホロ否認がいくらやっても世間に受け入れられないので、もう直球で反ユダヤ主義を訴えようではないかと言っているそうです。
例えば、青酸ガスの元となるチクロンBペレットのガス室への投入口など存在しない!というものがあります。これ、実は結構厄介な問題なのです。反否認論側としては、くっそムカつく否認論の一つです。
何故ならば、1)アウシュヴィッツの最初のガス処刑室(クレマトリウム1)の天井には3つか4つほどのちクロン投下孔があけてあったが、このクレマトリウム1は1944年に防空壕に改修されてしまっているのです。1941年9月末〜1942年末くらいまでしか運用しておらず、もっぱら基幹収容所でソ連兵などの処刑(ユダヤ人も含みますが)に使ってただけのガス室だったのです。で、防空壕にしたときに天井を塞いでしまいます。が、戦後にポーランドが収容所を博物館にしようということで、このガス室の再現工事を行ってもっかい屋根の穴を開け直すのです。ところが、この再建工事、内部工事を含め杜撰な工事だったので、ガス室当時を正確には再現しておらず、否認論者のフォーリソンらに見抜かれてしまいます。博物館の案内も杜撰で「当時のままだ」と言っていたらしいのです。そして、このクレマトリウム1のガス室捏造疑惑が発生するのです。
ね? 厄介な話でしょう? そして、2)ビルケナウの方のクレマトリウムはどうだったかというとこれ、親衛隊はダイナマイトで爆破し原型をそもそも留めていません。クレマⅡとⅢにはクレマⅠ同様、天井にチクロンペレット投下孔があったのですが、現在瓦礫しかなく、よくわかんないのです。そして否認派は、1980年代頃に公開されたのであろう、1944年代に撮影された航空写真(連合軍やドイツ軍のもの)を利用し、ビルケナウのガス室には「チクロン投下孔などない!」と言い出します。でも、実は当時の航空写真は解像度が低くてよくわからないのです。また、そもそも論として、親衛隊が残した建設図面には一切このチクロン投下孔が記載されていないのです。
そして、映画『否定と肯定』でお馴染みのデヴィッド・アーヴィングもこの実際の裁判でこの穴のことを裁判中に持ち出すのです。一日中、肯定派側の学者とこの件で裁判中に議論の応酬をしていたこともあったらしい。で、肯定側のリップシュタットを応援する研究者たちが「じゃぁ、この際きっちり調べてきてやろう!」と現地調査に乗り出すのです。結局裁判にはこれは不要でしたが、ビルケナウ・クレマトリウムⅡの跡地の瓦礫から、天井のチクロンペレット投下孔の痕跡を4箇所中3箇所見つけ出したのです。クレマトリウムⅠの投下孔も現在の穴の位置で間違いないと、写真解析により断定しました。
これに対し否認派は、クレマトリウムⅡの残骸にある穴は「戦後にポーランドが内部を調べるためにあけた穴であり、当時のものではねぇんだよ、バーカ」とこれまた適当な反論を抜かしやがるわけですが、どう考えてもその穴は後で開けたものではないと既に証明しているので、言いがかりに過ぎないものでした。こちらに日本語翻訳解説があります。
ホロコースト否認論を否認するテスト-16「毒ガス落とす孔がないんですが」の件|蜻蛉|note
ま、こんな感じで、重箱の隅突きじゃないですが、あらゆる論点でホロコーストなどなかった・ガス室などなかったという主張を辞めないのが否認派です。実態をご理解いただけたらなぁと思います。