「甲斐」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 甲斐とは

2019-01-30

橋本治

ブコメが図らずも橋本治レファレンス様相となっているが、自分にとって意外なIDが影響を受けている。さすがにファン裾野も広いのだなと思う一方で、お前は影響を受けてその仕上がりなのかという驚きもある。もちろん大きなお世話ではあるが。

ブコメ界のミソジニー王子様ことKoshianX、橋本治に影響を受けてアレだとしたら、もし少量でも読んでいなかったら王子様どころか非モテミソジニーの暗黒帝王になっていてもおかしくないだろうと戦慄する。読んでくれてよかった。橋本治も山ほど文章を書いた甲斐があろう。いやしかし、橋本治を読んで影響を受けてアレってある種すごい強固だ。影響を受けたと言いたいだけで影響受けてないんなら別に良いのだが、いや俺は確実に影響を受けたのだというのなら編み物編んで出直してほしいところではある。

あとはtokage3だ、私にとってのtokage3は、過剰な嫌中韓、マイルド極右自称現実派その実態は脇が甘いキュートナイスガイという印象なのだが、橋本治若い頃に摂取して今の仕上がりというのはなかなか興味深い。どこをどう読んで今の仕上がりになっているのか一度じっくり話がしてみたい気もする。

2019-01-29

楽しさとやる気

上司に「今の仕事どう? 楽しい?」と聞かれた。

やり甲斐はあるんだけどイマイチ成果につながってないし、まだまだ坂の途中だなって感じなんで「今は楽しくないですね」って答えた。

そしたら、激昂された。

「やる気あるのかお前、ないなら辞めちまえ」だって

いや、楽しい楽しくないの質問が、なんでやる気の話にすり替わってんのよ。サイコパスか。

2019-01-24

MUFJカードシステム担当社様ありがとう

増田はいつもヤングジャンプ公式アプリヤンジャン!』でゴールデンカムイを読んでいる。

なんといっても、一話ごとに購入できるのが魅力。わざわざヤンジャンコンビニまで買いに行く手間も、読み終わった雑誌の処理に困ることもないなんて、画期的アプリだ。看板作品の他にも、新連載はキャンペーンなどもあり無料で読めるのもありがたい。


さて、そんなヤンジャン!に今週の本誌分が更新されていたので、前回の続きを頭に浮かべつつゴールデンカムイを購入するためにアプリ課金をしようとしたら、Apple payがピコーンした後にカードエラーが出て弾かれてしまった。

あれ?電波悪かったのかな?それともiTunes規約でも変わったのかな?と不思議に思いつつ、とりあえずiTunesカード情報入力画面を開き、特に問題がないことを確認してもう一度購入画面へ。Apple payがピコーンを見届け、早く早く!とぐるぐると回るインジケータを見ていたら、またカードエラーが出てしまいました。え!?なんで!?


それから何度かカード情報を正しく入力し直しても、このカードは利用できないといった文が出てくるのでパニックになる増田

あとはゴールデンカムイを読んでコタツを消して寝るだけだったはずなのに、なんでゴールデンカムイが読めないの!?なんで!?

限度額オーバーや支払い遅延はしたことないし、カードの利用停止なんてはじめてだし、原因が全くわからない・・。

とりあえず明日のお昼休みカード会社に電話してみるか・・。とゴールデンカムイの最新話が読めなかった悲しみからふてくされて眠りについた。


次の日、お昼を食べて気合いを入れてからカード会社に連絡。

詳しく伝えた方がオペレーターの方も対応やすいかなと思って、「普段から利用しているスマートフォンアプリアプリ課金をしようとしたら、エラーが出てしまカードが利用できないと表示されました。心当たりがなかったのですが、念のためMUFJのWebサービスで利用履歴や限度額などを確認してみたのですが、やはり問題がなさそうだったので、なぜカードが利用できないのかお調べしていただきたいです。」と伝えた。

オペレーターの方が「お調べいたしますので、少々お待ちください」といって保留音に切り替わる。すごいゴージャスな保留音を聞きながら今週のゴールデンカムイのことを考えていたら、オペレーターの方が戻ってきた。少し慌てた様子で「システム担当電話繋ぎますっ」というと同時に、また電話が保留に。

システム担当?なんでだろう??と少し不安に思いつつも待つこと数十秒、優しそうな男性の声で「・・・あ、増田さんですか?すみませんシステム担当のAです~」と低姿勢すぎる自己紹介があり、なぜカードが利用停止になったのか、わかりやす説明してくれた。


Aさんによると、はじめてiTunesカード情報登録する際に、このカード存在している・有効的なカードか確かめるために1円を請求して、すぐに戻すというやり取りが発生するらしい。

わかりやすく図解されている記事を見付けたので貼っておく。

https://vandle.jp/hello/1yen-authorization/

登録が済めば、あとはアプリで決済すれば直接カード会社に請求が飛んでくる仕組み。なのだが、どういうわけか今回の利用では通常利用なのに前途した1円のやり取りが発生。フィッシング詐欺などにあった方の多くが、この1円のやり取りが変なタイミングで発生するそうで、システムが「不正利用かもしれないよ!」と危険を察知しカードを利用停止にしたという説明だった。


感情が抑えきれず、「え!!じゃあ不正利用だと思って未然に防いでくれたんですか!?すごい!!」と思わず職場廊下で叫ぶ増田

「あっ、そういうことになる・・なります・・そう言ってもらえると、仕事してる甲斐があるというか・・安心します・・ご迷惑をおかけしてしまってすみません・・」とどうしたらいいのかわからない様子で照れながら謝罪。謝ることなんてなくない!?


不正利用ではないことが確認できたので、利用停止を解除してもらい一件落着。なんだか無性に嬉しくなってしまったので、最後に「今後も安心してMUFJカードを利用していこうと思いますありがとうございます!」と挨拶をしたら、「こちらこそありがとうございます安心して、ガンガン課金してください!」といわれ、必死になってソシャゲしてる人と思われたかな・・とちょっと恥ずかしくなりつつ、元気よく返事をして電話を切った。


仕組みがわかると不安なことはひとつもなかったし、しっかりと管理しているか不正利用をされそうになっても事前に守ってもらえたりすることもあるんだなと、Aさんや管理しているシステムを作ってくれた方に感謝した。


あ~~~!早く帰ってゴールデンカムイを読みたい!!待っててねアシリパさん!!!

Aさん、本当にありがとうございました!!

2019-01-23

世の中理不尽すぎて働く気になりません

もっとフェアな世界だったら頑張り甲斐もあるってもんです。

しかしなんですか。

世の中理不尽です。

ブラック企業だらけですし、搾取ばかりです。

嘘吐きもたくさんいます

そして、それらがまったく是正されません。

私はもうこの理不尽社会ウンザリして、働く気になりません。

バイバイみんな。

2019-01-22

anond:20190122110348

あんたがあんまり頑張ると逆効果だよ。まじで。

今は恋に恋する乙女状態から、どんな合理的手段をとっても無駄

正常な頭があれば彼女持ちの同僚よりあんたのほうが良いに決まってるんだから

認識を変える必要がある。

今はあんたより相手の男のほうが大事。負けてんの。

から旦那としてではなく、自分は恋バナを聞く男友達くらいのつもりで相手しないとだめ。

そんで「君が辛いと僕も辛い。僕は我慢するから彼に気持ちを打ち明けてみるべきだ」

とかなんとかうまいこと言って異動前に告白させんだよ。フラレりゃ目がさめるでしょ。

そんで恋バナを聞く男友達のごとくなぐさめまくって持ち帰りよ。まあ持ち帰りも何もあんたら二人の家なんだけどさ。

そんくらいの、落とし直すくらいの認識でな。

万が一OKももらったら相手の男に「彼女持ちのくせに人の女になめたことしやがって」で殴り込んで終わり。

彼女いるくせに人妻に手を出すアホがあんたか奥さん奪う甲斐性なんてないっしょ。

まあ一般的にはそういうアホの子とは別れることをおすすめするけど、愛してたしょうがないわなあ。まあがんばって。

2019-01-15

フリーランスサラリーマン自分

最近はてなフリーランスサラリーマン話題ぽかったので、遅ればせながら書いてみることにした。

といっても、主要なところは先人の方々によってキレイにまとめられているので、自分のケースと所感をつらつらと書こうと思う。

アドバイスというより自分に対しての反省や振り返りだが、読んでくれた誰かの参考になれば少し嬉しい。

自分場合は、フリーランスサラリーマンといった過程を経て現在に至っている。

初めはフリーランスとして、特定クライアントと月々いくらという契約で色々な企画仕事をしていた。いわゆる業務委託というものだ。

定期的に事務所に集まって他の人たちと作業したりするので、感覚的は会社に行っているのに近い感じだったと思う。

ここでの仕事は楽しかった。好きな仕事をして毎月お金がもらえるからだ。

数年後、若気の至りや内外の様々な事情により、そことの契約を切ってひとりでフリーランスをすることになった。

そして、ここから自分は大きく痛感することになる。

仕事を取ってくる大変さとお金の大切さを。

当時は企画提案での実績もあったので、ひとりになっても仕事は取れると思っていた。

だが、それは完全に見当違いだった。いくら実績があっても、クライアントとの接点がなければ仕事は発生しないのだ。

今まではクライアントとの接点は他の人が作ってくれていたが、これから自分で作らないといけないのだ。

そんな当たり前のことに気づき、なんとかクライアントとの接点を作って仕事をはじめたが、今度は別の問題が発生した。

お金ほとんど入ってこないことである

そう簡単に毎月まとまった金額仕事が入ってくるはずがない、ましてや個人でできる規模なんか知れてるわけで。

同時に、今まで毎月当たり前のように入ってきたお金が入らなくなることがとてつもない恐怖だということを実感した。

そんなの普通分かるだろと言われれば至極ごもっとなのだが、当時の自分は慢心しており、自分なら上手くいくんじゃないか、今まで知り合った誰かが助けてくれるんじゃないかと非常に都合のいい考えでいたのである

つまるところ、自分フリーランスのことを全然分かっていなかった。確かに自分フリーランスでやれていた。実績も評価もあった。だがそれはフリーランスとして極一部の部分だったのだ。いざひとりでやるとなると、足りないものだらけだったのである。当然その中にはやりたくないことだってあった。

取れない仕事、毎月着実に減っていく貯金不安無力感がどんどん大きくなっていく中、せめて何か勉強しようと思っても、それが実際の現場ではどう使われているなんてネットや本だけでは分からないし、でも実践的なスキルがないと仕事にならないといった堂々巡りを来る日も来る日も繰り返していた。

悩み悩んだ結果、今の自分には足りないものが多すぎる、フリーランスとかサラリーマンとか関係なくお金スキルを手に入れないと詰んでしまう、ということで就職活動をはじめることにした。

そこからあり合わせの知識技術作品を作りはじめ、その甲斐あってなんとか就きたい職に就くことができた。

おかげで今は、その会社でやりたいことをそれなりに楽しくやっている。

とはいえ、当然フリーランスとは違い不満や理不尽など、思うことも色々あったりするが、やはり毎月お金が確実にもらえるということは非常にありがたいことだと思う。

他にも仕事が降ってくる以上、実践的な技術強制的に身につくことや、何かあっても会社フォローしてくれることなど、フリーランスにはない様々なメリットがあることも実感した。

あと、不規則だった生活規則正しくなったことで肉体的にも精神的にも健康になった。

フリーランス時代サラリーマンなんかやってられないと考えていたが、思っていたよりサラリーマンも悪くないというのが現在の心境である

といった感じで、フリーランスを経てサラリーマンになった自分が得た答えとしては、サラリーマンフリーランス目的のための手段であって、やりたいことができればどちらでもいいのでは、ということである

サラリーマンとかフリーランスとか色んなもので世の中が回っているんだから、人それぞれでいいんじゃないかなと思う。

働いてる人みんなえらいとみんなが思えるようになればいいな。

2019-01-14

から漫画にありそうな話だが

もう還暦近くになる知り合いに、慇懃無礼俺様キャラおっさんがいる。

コミュ力があって割とマメなんだけど、一方でスキあらば相手マウントを取りたがり、自分のノリに巻き込みたがるタイプ

からマウンティングされつつもそういう構図を大して気にしない、コミュ障っぽい性格の俺はともかく、周囲のオヤジ連中の反感を買い、気がついたら疎遠になってしまっていた。

そんなふうだから、当然のように女性のことは全般的に見下している。

でもマメなうえに男としての甲斐性はあるような言動が取れる(=言動だけ見たら甲斐性ある男ってことになるし、相手から見れば言動人格のもの)と。

から若い頃は泣かした女は数知れずを地で行く「悪い男」だったらしい。


そんなおっさんでも、奥さんには敬語使いまくりで「恐妻家っすか?」みたいな話し方をいつもしていて、奥さんは常にすまし顔。

聞けば、奥さんはそれまでの人生で生まれて初めて心底尊敬できて「俺なんか絶対敵わない」と思い知らされた人だったそうな。

そんな相手を持ち前のマメさで惹き付け、土下座外交orお願い営業を仕掛け続けて結ばれたと。

まあ冷静に考えれば、タイトル通り昔から漫画にありそうな、クズ運命の人出会って改心した系の話の一つでしかないと思う。

でもこういうおっさんが、多分相手へのマウンティング目的も込みで虚実ないまぜに話すと、妙に美談に聞こえてしまうのだから始末に負えない。

そもそもコミュ障から見ると生きてる世界が違いすぎて、コメントにも困るレベルだったり。

2019-01-13

anond:20190112150155

この問題を突き詰めて考えると、「男は社会的強者なのだから多少の不満は我慢してほしい」という要望を受け入れるかどうかの話になる。

男性からすれば、そんな与太話は断じて受け入れられないということになる。

女性社会進出改革や、男女平等理想の実現は女にとって良いことだけではない。

男性は草食化するので、恋愛結婚では女からアプローチしなければ一生独りになる。

男性側は女に対して当たり前のように経済力甲斐性を要求する。

まり女は「強者」として振る舞うことが出来るかどうか、男性から試されているのだ。

2019-01-12

男が女を容姿判断しなくなるには

まず女が男を経済力甲斐性で選ばなければいいんじゃないですかね。

からすれば、自分経済力匹敵するものを女に求める。

それが容姿若さになるのではないか

なので、ブスに人権がない状況なのは女の責任

2019-01-09

グリットマン面白かったよね

すごく面白くて考察甲斐のある作品で、個人的どんぴしゃ作品だったんだけど、終わった後にウィキ見て一番驚いたのが、ボラーが男だったって事!

まさかゾンビサガのまさお枠だったとは…

記憶喪失といい、男の娘といい、同じテーマまで競いあってたんかグリッドマンゾンビランドサガは

2019-01-04

声優オタクをやめた理由

年が明け、2019年が始まった。早速有名人たちのご報告が飛び出している。

僕は昨年いっぱいで声優オタクをやめてライトファンとなったのだが、やめる前からこのことは記事にしようと思っていた。

上手く、綺麗に、見やすくまとめようと思ってたんだけど、気持ちの整理がついていないのでごちゃごちゃで分かりづらい文章になると思う。それでも書きたいので書く。

ちなみに僕のざっくりとしたオタク略歴は、ゆるゆり ⇒ 七森中ごらく部 ⇒ 大久保瑠美さん(以降大久保さん) ⇒ 青春学園GirlsHigh↑↑(以降ガルハイ) ⇒ 原紗友里さん(以降原さん)という流れ。

オタク定義は人によると思うけど、僕が思う声優オタクというのは、出演番組へのメール投稿、出演イベントへの参加、ファンレターを送る、プレゼントを贈る、イベント舞台出演時に祝い花を贈る、年賀状寒中見舞いを送る、グッズとかCDを積む、などをやっている人。


声優オタクをやめた理由


ご報告が怖すぎた

ご報告と言っても色々。この場合は、熱愛報道後の声明結婚妊娠出産など。

声優として、人間としてを超えて、異性として好きになりすぎてしまった。

これまでの共演者とのご報告があったらキツイ

推しペットになりたいとか気持ち悪いことを考えたときもあったが、目の前で推しとその恋人とのセックスを見せられたら生き地獄だなと思った。

メインで活躍しているコンテンツ共感できなかった

大久保さんならFateFGO(違いは分からない)、原さんならアイマスデレステデレマス(違いは分からない)。

推しが出ているので、当然アニメや関連動画番組ラジオ番組を視聴した。ライブビューイングにも参加したものの、全く共感できなかった。

関係ない別のコンテンツなのにFateとかアイマスのことを持ち出すオタク達が嫌だった

実質〇〇〇〇とかキャラ名前とか。なんなんだよ飯屋って。

僕の好きな歌で「好きになれないものを見つけたら わざわざ嫌わなくていい そんなもののために時間割かず そっと離れればいい」という歌詞があるのだけど、こっちが離れているにも関わらず好きになれないものが目についてしまうので、とても不快だった。

ファンサービスが少ない

お渡し会、ハイタッチ会、サイン会など、直接触れ合ったり話せる機会。いわゆる接近。事務所方針とか本人の好き嫌いとかあると思うけど。そもそもアイドルではなく声優なのでやらなくてもいいのかもしれない。でもどうしても接近が多い声優と比べてしまう。

原さんは朗読劇や舞台の時の物販に立ってくれる時くらい。会うたび好きになってしまうので逆に全くない方がいいのではとも思ったがそれも悲しい。大久保さんは接近は皆無。

ファンレターやプレゼントや祝い花を撮影して自身ブログにアップすることがほぼ無い。事務所の決まりなのかもしれないけど。そういうファンサービスをやってくれる声優オタクが羨ましかった。

単純にお金を使いすぎたし、その見返り(お礼とか)を求めすぎた。

この世に推し存在しているだけでありがたいという境地には達せなかった。

大久保さんがインスタグラムを始めてくれたのは嬉しい。

他の声優活躍を素直に喜べなくなった

この人よりも自分推しの方が凄いのに何で?推しを出せよ推しを、ということが多くなりイライラすることが多くなった。

それまで楽しめていた推しコンテンツが楽しめなくなった

観たい!聴きたい!送りたい!から、観なきゃ…聴かなきゃ…送らなきゃ…という義務感に駆られるようになった。

自分理想を押しつけてしまい、以前は全て肯定していた推し意見に対し、批判的な考えに至ることが増えた。



ガルハイ感のある番組が現れることはなかった

今思えば、始めてメール投稿をして声優オタクになるきっかけとなった番組ガルハイが終わった時点で声優オタクはやめるべきだったのかもしれない。でも急すぎて辛かったので難民と化し半ば惰性で推しを追ってしまった。

声優オタクを始めてからやめるまで約3年ちょいだった。飽き性の僕にしては続いたほう。

他の番組のノリがイマイチ合わないときが多々あった。まりさゆりオフラインセッション(以降オフセ)もそう。なんなんだよシンデレラ一門って。

単独でのラジオ番組もしくは動画番組があればまた違ったかもしれない。大久保さんはあるけど。

推しを増やせなかった

単推しガチ恋勢をやめられなかったのが運の尽き。

地方民なので他の声優アイドルイベントなどに行きにくい。

2次元2.5次元ときたので3次元オタクになるのかと思ったが興味が湧かなかった。


探せば他にも出てくるかもしれないが、大体こんな感じ。こうして書き出してみると、独りよがりでどうしようもないクソキモオタっぷりが浮き彫りになったなー…。


声優オタク活動で達成できなかったこ

いやらしい言葉を盛り込んだメールや軽めの下ネタ採用されなかった。

そういうノリの番組がもう無いのだからしょうがないのかもしれないが。誰か達成したら教えてください。メールじゃないけど、随分前にオフセで原さんがバイアグラという単語を口にしたときは驚いた。

私生活垣間見れるようなメール採用されなかった。

大久保さんは自分からそこそこ話していたこともあったと思う。原さんは謎が多かったがすでに実家暮らしではなく一人暮らしっぽい。誰かあぶりだせたら教えて下さい。まあもしやばいこと言ってしまってもカットされるか。今となってはどうでもよいことだけど。たとえ恋人同棲していても。

さらなる遠征をしてみたかった。

イベントに行くのは主に東京だったので、それ以外の全国各地に新幹線飛行機などを使って行ってみたかった。

今思いつくのはこのくらい。達成できたことに関しては、これまでのまとめで書いたと思うので割愛


グッズについて


駿河屋に売り払った。安心買い取りを依頼したのだが、見積もり依頼時に出てこない商品は全て詳細を調べて手入力した。向こうとのやりとりも含めてくっっっそめんどくさかったものの、その甲斐あってかそこそこの値段になった。部屋も片付いたし金に困っていたので助かった。

何より推し名前検索したときに表示される商品件数が増えて達成感があった。

0円のものや買い取り不可のものは近所のブックオフに持ち込んだ。とてもスピーディーだった。

2018年末に発表された、原さんとアパレルメーカーとのコラボアイテムについては買うかどうか迷っている。


現状と今後について


番組を観ないなど、他界覚悟推しに関する情報をなるべく遮断し、推しのことを考えない日々を送っていたら、推しへの尊さが減ってきてだいぶ心が楽になってきた。いずれ太陽地球くらいベスト位置まで離れてその距離を維持したい。

オフセのおまけ放送おふしかいにて、原さんが「そのコンテンツを思いっきり過剰摂取すれば卒業出来るよ」と言っていたのが印象に残っている(この回はオタク卒業というテーマだった)。確かに僕は過剰摂取したのかもしれない。

応援される側からすれば、ファンなんてただの数字しかないし赤の他人なので、熱狂的なオタク10人いるより、ライトファン100人いた方がいいんじゃないかと思う。例えばだけど。熱量ありすぎると向こうも怖いだろうし。

嫌いになったり飽きたわけではないので、ライトファンとして番組を観たり聴いたりしていきたい。

今後もしご報告が来ても、推し恋人と心を通わせて気持ち良いセックスが出来ているならそれでいい、と心の底からお祝いできるようになりたい。


さて、空いた時間で何しようかなー(晴れやかな表情)。

ネットは広大だわ

anond:20190108235635

某SNSの友人が、やっぱりOver30で、ご主人も同じくらい。

実際はほぼアラフォーだったのかなぁ。

新婚だったけどなんかすぐに妊活不妊治療になってしまったみたいで

明るいしおしゃれな感じの方(女子会写真やらときどきUPされてて)

無事にその甲斐あってお子は産まれてよおかったんだけど、

それまでの期間、やっぱり辛かったみたいで、内容を書いたりはなさらなかったけれども

心理的にもきつそうだなって、ちょっとはらはらしてROMしてる処がありました。

なんにせよ、ちゃんと元気なお子ができて、幸せみたいです。

増田さんもお幸せに。

2019-01-08

オン専同人における責任感の話

私は昨年夏にあるアイドルジャンルwebアンソロ企画した。

執筆者発表後一ヶ月半以上の余裕を持った締切を設定し、執筆者全ての方から了承を得ていた。

しかしその中の一人から締切をすぎても一向に原稿が上がってこず、遅れるといった連絡も一切なかったのだ。


気になって相手ツイッターを見てみれば、毎日のようにオンラインゲームをしているツイートで埋まっていた。

遡ってみると、「原稿やらなきゃ」「各方面〆切すぎててすんません」などといった全体ツイート発見した。

本人はそれで「やってはいる」というアピールをしているつもりなのかもしれないが、恐らく私以外にも待たされているであろうアンソロ主催者はたまったものではない。

遅れそうだと思った時点で連絡が欲しいし、せめて〆切前日、あるいは最悪当日にでも直接連絡が欲しかった。


まら原稿はどうなっているのかと確認ピクシブメッセージを送ったのだが、「私情で執筆する時間がなくなった」という後出し言い訳、「執筆期間がたくさんあったのに不甲斐ない自分が悪い」という卑下、「半分はできているからあと一ヶ月あればできる」という自分勝手な新たな〆切の提示

こちから連絡を取るまで一切連絡をしてこなかった相手の返事がこれである

原稿を出せるか出せないかが聞きたかっただけなのに、聞いてもいない事柄が書き連ねられた無駄しかないメッセージが返ってきたので愕然としてしまった。

既にアンソロサイトは公開済だったが紙のアンソロとは違って性質上あとからでも作品は追加できるので、一ヶ月ぐらいなら待ってみてもいいだろうと判断した私は待ってみることにした。

しかそれから、年が変わった今でもその執筆者から原稿は送られてきていない。

更に遅れるなどの何かしらの連絡すらも来ず、ただオンラインゲームを楽しんでいるツイートけが増えていくのみであった。


webアンソロは紙とは違って印刷代はかからないし、誰かが欠けても穴埋めを必ずしも必要としない場合があるといった気軽さからトンズラをする人間がいるという話をよく見掛ける。

かに金銭的、物理被害はないかもしれないが、確実にトンズラした人間信頼性が失われる行為だ。

主催者被害は出ないだろうからやりたくなくなったらトンズラをすればいいと「オンライン同人活動」が下に見られていることも悲しいが、連絡をせずに沈黙すればなかったことにできるという考えで動いている人間が多数いることも悲しい。

まだ子なのだろうと思いきや、恐ろしいことに件の相手場合社会人である

おおよそ社会人とは思えない連絡のできなさに、きちんと社会に適合できているのか甚だ疑問にも思うが、実際にまだ未成年一般的常識が身についていない場合もあるのでその場合は極力教えてあげるか、成人のみとやりとりをした方が良いと思う。

もちろんどんな成人よりもしっかりとしている未成年も多いことは知っているが、自衛のためには仕方がないということをご理解いただきたい。


webアンソロの件は相手のことをよく知らずに依頼した私も悪いと思うので忘れることにするが、今後もしまアンソロ企画することになった時は過去問題を起こしていないかなどきちんと相手を見極めてから依頼をしようと思う。

今やオンライン上でのアンソロイラスト合作動画作成などといった複数人での合同作業がたくさんあると思うが、依頼する場合相手は信頼できるかを見極めた上で、ツイッターピクシブなどのSNSアカウントを消されても連絡ができるようにメールアドレスなども聞いておくことをオススメする。

2019-01-07

から書けばいいかからない

昨日、今日卒業してしまアイドルライブに行った。

今日卒業の日、記念公演も行われるがその場に私はいない。今はアパート玄関にいる。

ももち(嗣永桃子さん、Berryz工房でした)に次ぐ円満卒業卒業先のレールが見えた卒業スムーズな移行、その子卒業を前のように称す人は多々いる。

実際にそうである。華々しいのかは見る人によるだろうが、ファンの贔屓目込だろうと言われてもこんなに華々しい卒業はないと思う。

昨日は卒業匂いをさせないという意志に楽しさを纏わせて色とりどりにした塊をぎゅうぎゅう詰めにしたカプセルを弾けさせるような、楽しすぎてせつないライブだった。

新メンバーの加入やメンバー卒業・脱退を機に最近はあまりライブイベントに通うこともなく、新曲リリースエアチェックする程度だった。いわゆるヲタ卒だろう。

それでもその子推し ※以後「推し」と書く のことは大好きで気がかりで(心配する余地がないくらいに幸せそうでもある、心配すべきなのは自分の将来なのだが)ブログをよんだりラジオをきいたりしていた。

話は戻るが、卒業の発表は突然だった。来るか来るかと〇〇推し ※ファン がソワソワする機会は何回もあった(結婚も)ため、こんなことを言ったら〇〇推し失格だと言われてもおかしくないと思う。なんだか笑えてくる。

その後ポップアップストアに行き、ひたすら眺めて、寄せ書きを書き、写真を撮り、自撮りを友人に送った。少ない小遣いをかき集めて親を説得しライブに行ったり、Twitterでできたコミュニティ友達と話したりしたのが懐かしかった。おすすめCD欄を見ると、推しきっかけで知ったいろいろな趣味を思い出しいつもいつもきっかけを作ってくれていたんだなと感じた。

どこにでもあるハート型のダイカットのふせん、あんなに小さい紙切れにすらうまく気持ちを乗せられず手が震え、3枚無駄にした。有名レコード店さんごめんなさい。後からSNSに行ったよ〜の報告があり、それに映る寄せ書きは自分が見たときより遥かにたくさんで誇らしくなった。愛されていることが嬉しい。

昨日の話に戻る。

新メンバーを嫌ってしまうと思ってライブに行けていなかったが杞憂だった。めちゃめちゃいい子。

会場は空席が見つからいくらいに埋まっていた。初めて行く会場がこの子たちのライブで本当に嬉しい。

演目はこれまでの歴史を凝縮したようだった。グループごと終わりに向かっているな、などと感じてしまったが元からタイムリミットが近いと言われてきたことを忘れていた。これだけ続いていること自体奇跡なのだろう。

これ以上書くとネタバレ感がある。

エアチェックでフルで聴くのがほぼ初めてのような曲ばかり脳内リピートしている。まだまだ続くんだね。

帰りのバスでは推しの子の本を読んだ。一緒な時間をたくさん過ごせて幸せだったなと思う。ステージからペンライトまでの距離が遠くなっても狭い会場でのライブをやろうと努力してくれるところが好きだ。わけのわからないダンスも歌も大好きだ。隣にいたカップル子供も口上を歌う空間が優しい。あなた美学あなた達の美学がかっこよくて好きだ。

悩み悶えるあの頃の私にたくさんの面白いものを教えてくれてありがとう。たくさんのきっかけを作ってくれてありがとう。その時の悩みを笑い飛ばせるようになった私には新しく辛いことが生まれ生きることが辛いけれど生きています。今までなんとかやってこれたのは本当に本当にあなたあなた達のおかげです。

感謝は尽きないけれど、笑って見送ることができない自分を不甲斐なく思う。アイドル必要なくなるくらい幸せになってほしいと言うけれど、まだまだ私には必要だ。

私の家はスカパーがつながらない。

行けるホテルにはすべて電話したが、見れないらしい。

カーソルの上に来るバーの色。

明日から人生が辛くて怖くて仕方がない。

手紙を書こうと思うが、何から書けばいいかからない。

推しが増えたとしても、寂しいよ。

2019-01-06

追記ありコミュ障婚活マッチングアプリ出会い別れるまでの一部始終

この日記対象読者は恋愛経験の少ない30歳以下の男性のみです。それ以外の方は時間無駄なのでブラウザバックしてください。

かにまれることを想像すると恥ずかしさで死にそうですが、何らかの形でアウトプットしなければ心が潰えてしまいそうなので、今の心の内を書き残そうと思います

恋愛婚活初心者。2ヶ月間、心の一部を占めていた彼女と別れてしまい、とにかく辛い気持ちでいっぱいです。彼女はとても女性的で、ユーモアに溢れた魅力的な方でした。

出会いきっかけはマッチングアプリでした。4歳年下の彼女毎日メッセージを交わすこと約2週間。彼女提案で実際に逢ってみようという話になり、その後はおよそ週1回のペースでデートしました。4度目のデート自分から告白をしてOKを貰い、一緒にマッチングアプリを退会し、手を繋いで駅まで歩きました。幸せなひと時でした。

しかし、5度目のデート彼女に会うと、彼女は終始退屈そうでした。微妙空気のまま、4時間足らずで解散。その2日後、彼女からLINEで、やっぱり告白OKしたことは取り消したい、と言われました。敢えて気にしないようにしていた、彼女が別れ際に放った「お疲れ様でした」という言葉違和感が、頭に蘇りました。

彼女最初最後電話しました。なぜ取り消すのかと理由を尋ねると、今はやはり自分趣味に集中したい、というような意味のことを言いました。実際に彼女は多趣味で、宿泊旅行を含む予定や様々な友人との約束が頻繁に入っており、忙しそうでした。無論、単にそれらに優先するだけの魅力が僕になかったことを、オブラートに包んで伝えてくれたのでしょう。恋愛偏差値低めな僕のことをあまり傷つけず、後腐れなく(彼女にとってもリスク低く)別れられ、告白OK自体を無かったことにすることで「元カレ」という立場さえ与えない、という言葉選びの巧みさに彼女らしさを感じました。彼女は文才に恵まれるとともに、相手の心を慮ることのできる、とても知的な方でした。そんなところが好きでした。

彼女は、電話で「本当に良くして頂いて」と僕に言いました。これが真の理由なのかもしれません。僕は、彼女の行きたいであろう場所デートスポットとして提案し、ディナーの予約では彼女の苦手なものを先立って抜いてもらうようお願いし、それらの代金も全部持っていました。結局のところ、いい人だけど、それだけだったのでしょう。彼女との距離を縮めることではなく、上手に “接待” することが目的になってしまっていたのかも知れません。彼女は、最後まで僕に対して丁寧語でした。

今の僕の気持ちは、彼女を失った喪失感もさることながら、自分否定されてしまったという挫折感(人間としての魅力の無さや、彼女ときめきを与えられない男性としての魅力の無さ、という、自分でも漠然と分かっていた事柄を明確に突きつけられたことによるショック)、2ヶ月間彼女のことだけを考えてきた努力が無に帰してしまったという徒労感(これは僕がもうすぐ30歳を迎えるという婚活に対する危機感から来るものだと思います)、そして、最後デートでの自分ちょっとした言葉選びや態度が彼女の心を閉ざしてしまったのだろうなという反省と後悔が大きな部分を占めています

最後デートで、僕は何を誤ったのか。自分の中にはいくつか心当たりがありましたが、それらが正解なのかどうか、分かりません。堪えきれずに電話彼女にも聞いてみましたが、はぐらかされてしまいました。もしかすると、最後デートに来た時点で既に彼女の心は決まっていて、僕にそれとなく気づかせるために敢えてそっけない態度を取っていたのかな、とも思います。これまでパンクチュアルだった彼女が、最後デート理由なく10遅刻して来たことの違和感を、僕は今まで見過ごしていました。

最後電話を終えた後、僕は彼女LINE非表示しました。結局一度も使われることがなかったメールアドレスや、一緒に撮った写真などのデータは、普段目につかないところにバックアップしてから削除しました。全てを完全に削除する勇気は、まだありません。彼女クリスマスプレゼントしてくれたマフラーは、どうすれば良いのかわかりません。身に着けてみると、彼女と一緒にいるかのような多幸感を与えてくれていたはずのマフラーが、今は自分の首を絞めてくるかのようです。

幸いなのは彼女LINE以外のSNSで繋がっていないことです。彼女が何をしているのか、これからどうするのか、全く分かりません。いつか彼女マッチングアプリで再び出逢ってしまったらどうしよう、という一点だけが不安です。

ここまでの文章自身客観的に読み返すと、恋愛話としてはあまりにも単調で、ありふれていて、馬鹿馬鹿しい、読んで損した、と思われるのだろうな、と思います。たったの2ヶ月、5回逢っただけの相手だろう、どれだけナイーブなのか、と。こんなレベル失恋高校生大学生のうちに経験しておくべきだったのだろうなとも思います。僕は学生時代自分趣味を優先してしまった(あるいは、それに逃避してしまった)ばかりに、仕事ではそれなりに成功したものの、十分なコミュニケーション経験を積むことができず、恋人はおろか友人さえ両手で足りるほどしかいません。その代償を今払っているのだと思いますが、結婚というゴールに至るまでにそのツケがどれ程残っているのか分からず、ただひたすら怖いです。何遍こんな辛い思いを繰り返さねばならないのでしょうか。人間的魅力、男性的魅力とは何なのか。この答えを見つけて自分を磨かない限り、何度やっても同じ結果になる。そのことに薄々気づいてはいますが、今から何をしたら良いのか見当がつきませんし、相談できるような人もいません。一方で、誰かがありのままを受け入れてくれるのではないか、という甘い期待をしている自分がどこかにいて、そんな向上心のなさに自己嫌悪を覚えます

気持ちを切り替えて前に進もうと、再びマッチングアプリ登録しましたが、このままのやり方で相手が見つかるのか、分かりません。いいね!が来ると、一瞬だけ自己肯定感回復して彼女のことを忘れられますが、メッセージの返信が1時間来ないとひどく憂鬱になる、というジェットコースターのような気持ちの揺れが続いています。この3日間は、彼女のことを考えたり、泣き腫らしてしまったりして、夜は殆ど眠れませんでした。月曜日から仕事ちゃんと勤まるのか、心配です。

文章をしたため、推敲に集中することで、心が整理されて少しだけ楽になりました。この日記を公開するのは、こうして経験を共有することで誰か1人でも人生の参考にしてくれれば嬉しい、という承認欲求の現れですが、彼女にいつかこ日記を見つけて読んで欲しい、という僕のとても幼いエゴのためでもあります今日だけ、悲劇のヒロインのように振舞うことを、どうか許してください。エピファニーのこの日に、あなた人生がより幸せものになることを祈っています。僕も幸せになれるよう頑張って生きてゆきます

《2019/01/07 追記

想像していたよりも遥かに多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます。数箇所、表現を微修正しています

多くの方に励ましやコメントをいただいて、涙が出ました。また、このような極めてプライベート事柄コンテンツ昇華することについて、彼女には(当然ながら)何の断りも入れていないので、彼女のことは非難しないであげてください。あくまで僕の主観をもとにした記述です。

敬語を使っていたのか、というご指摘について。すみません、これは「丁寧語」と書くべきでした(本文は直しました)。ただ、僕から彼女へは徐々にフランクな口調へ移行していたつもりなのですが、彼女最初メッセージから最後電話まで殆ど丁寧語さん付けのままでした。2、3度目のデートで「そろそろやめよ?」とか「〇〇って呼んで欲しいな」というように伝えても良かったかな、と思っています。この反省は “次” に生かします。

無理に結婚しなくてもよいのでは、というご指摘について。幸い両親や親戚からプレッシャーは無く、少し前まで僕もそう思っていました。ただ、先輩や同期の子供たちを見ていてとても愛しく思うのと、やはり両親には家庭を持ったところを見せて安心して貰いたいな、という想いが高まり婚活を始めました。踏むべきステップがもう少しあるのではというご意見も当然あるかと思いますが、残された時間もそう多くはありません。もうちょっとだけ、このまま頑張ってみたいと思います

エピファニーきもい、というご指摘について。夜のテンションで書いたので、ごめんなさい。

《2019/01/07 追記 その2》

自分ブログでは400ブックマークも頂いたことがないので緊張しています。誰にも自慢できないのが残念ですが、自己肯定感が満たされる上に色々な観点からコメントを頂けて勉強になる増田は素敵ですね。このためにはてなIDを取得した甲斐がありました。でも、本当に彼女の目に触れてしまいそうです。

文章に書き下して客観したこと想像以上に気持ちの整理がつき、一晩寝たら何故あんなに悩んでいたのか既に分からなくなりました。マフラーはただの熱を帯びる布に戻り、寒い思いをせずに出勤して仕事始めができました。それなりに高級なもののようなので、この冬は大切に使わせてもらおうと思います

5回しか逢っていない女性と別れて泣くのは重すぎる(anond:20190107082818)、というご指摘について。僕自身、こんなに感情が揺さぶられたのは久々なので驚いています対象読者以外の方には青臭すぎて理解できない、ということかと思います。ちょうど長期休暇の時期だったので、仕事に逃避できず考え込んでしま時間が長かったことも、熱量が高くなってしまった一因かなと思います。この日記で伝えたかったのは、人生選択肢を広く持つためにも対象読者の皆さまは同じ思いをしないで済むように早めに動き始めた方が良いよ、ということです。また、自己憐憫というご指摘は、悲劇のヒロイン自分でも書いている通りで、反論余地がありません。「彼女にいつかこ日記を読んで欲しい」と書きましたが、僕が彼女立場だったら「やっぱりこいつと別れて正解だったな」と感じると思うので、全体的にはご意見同意します。

マッチングアプリよりも結婚相談所の方が向いているのでは、というご指摘について。選択肢として考えてはいますが、なにぶん口下手なのと、経験値がモノを言う分野だと思っているので、いきなり限られた数の相手と対面からスタートするお見合い婚活パーティーの類よりも、多数の相手と事前にメッセージで相性を確認しつつ関係性を深めてから逢えるアプリの方が向いていると現時点では考えています。実際に、アプリではかなり幅広くマッチングさせて頂いていて、色々なバックグラウンドの方とメッセージを交換することで雑談力や話題ストックが鍛えられました。また、彼女と初めて逢ってから告白するまでの間に、他の女性電話をしたり、お逢いしたりしたこともありました。所謂同時進行なので、これを快く思わない方がいらっしゃるであろうことは承知しています綺麗事かもしれませんが、その方々とお付き合いする可能性がゼロだったわけではないということをご理解いただければと思います告白後には同時進行は一切していなかったことを念のために申し添えておきます

業者サクラだったのでは、というご指摘について。これは明確に否定しておきます。月定額数千円のマッチングアプリで、相手と5回も真面目にデートしていたら大赤字です。少なくとも、彼女デートプレゼントに費やしてくれた時間お金はそれ以上です。

セックス(しようと)しろ、というご指摘について。相手意識させろ、という意味であれば、「最近スマホ変えたんだけど、これ凄く綺麗に撮れるから一緒に撮ろ!」と言って肩を寄せてセルフィー、という程度のボディタッチはしていました。このあたりもやはり経験値が求められる感じがあり、自然にこなせるようになるまで時間がかかりそうです。艶のある話をしろ、という意味であれば、殆どできていませんでした。あるいは、もっと直接的な意味で仰っているのであれば… それは、告白する前段階で相手にそこまで想って貰えるほどのルックステクニックセクシーさを持った方向けの助言なのかな、と思います

あと、文章を褒めてくださる方もいらっしゃって、驚いています普段技術書しか読まない完全な理系なのですが、恋愛表現力を高めてくれるのだなと思います

《2019/01/07 追記 その3》

様々な方にご助言いただけて大変嬉しいです。ついに追記パートの方が長くなってしまいました。

仕事を終えて皆さまのブックマークコメントを読んでいたらどんどん冷静になってきて、本文の自己陶酔感が恥ずかしくなってきました。昨日書いた文章のはずなのに、中学生時代ノートを開いてしまたかのような感覚です。「彼女を失った喪失感」などと書きましたが、僕の中の彼女への気持ちは、まださほど大きく育っていなかったのだ、涙の理由は全く別のところにあったのだと、改めて気づかされました。

「人としてはいい人だし、真面目そうで色々な条件も合う…清潔そうでもある…けどセックスする気になれない!!みたいな人かなと思う」(anond:20190107131655)というご指摘について。女性目線でのコメントありがとうございます。かなり腹落ちするご意見でした。ただ、これを単に相手との相性の問題として片付けてよいのか、あるいは男性的魅力の底上げ必要なのか、必要なのだとしたらどうすればよいのか… など悩みが尽きません。この観点で今行っているのは香水を付けることくらいです。僕は嗜好などに女性的な面があるので(文章にすると気持ち悪いですね)、アピールを抑えめにしようかな、とか、美容室へ行って髪型を変えてみようかな、などと思いました。結婚相談所だとアドバイザー女性の方にこういうカウンセリングもお願いできたりするのでしょうか。お勧めしてくださる方が多いので真剣に考えたいと思います

自分にばかり原因を求めるのは良くない、というご指摘について。改めて冷静に考えると、彼女デートで少し選択肢を間違えたくらいで一旦OKした告白を急に取り消すほど非常識な方ではなかったかなという思いに至りました。影響力の強い身内から年末年始に「長男は止めておけ」と言われたとか、如何ともしがたい外的要因の可能はいくらでも考えられそうです。そう思うと、また少し気が楽になりました。

結婚をゴールと捉えない方がよい、というご指摘について。少し表現が雑でしたが、結婚(書類を提出する作業)の前後連続である、ということは理解しているつもりです。

《2019/01/07 追記 その4》

anond:20190107162510説明に、すごく納得しました。彼女の話ぶりとも完全に当てはまっているように思います。そういうことだったのか、と感動して思わず泣きそうになりました。彼女は、正式に付き合うことになれば僕の接し方が変わるのではないかと期待していたのですね。こういったことが直感的に理解できていないことがコミュ障たる所以なのだろうと思います言語化していただいたことに感謝します。そのまま引用させていただきます

彼女は多趣味で、宿泊旅行を含む予定や様々な友人との約束が頻繁に入っており」ってあるけれど、友人が多い人は「旅行に行くときはこの友人」とか「悩んでいて話を聞いて欲しい時はこの友人」というようにどんな友人かによって付き合い方を変えていると思う。増田デートしているときに、増田がどんな人か知りたかったけれど、尽くしてくれるばかりで人となりがわからずに、どんな付き合い方をすれば良いかからなかったんじゃないかな。それを彼女なりに表現したのが「本当に良くして頂いて」なんだと思う。人となりがわからいから、イマイチ打ち解けられずにずっと丁寧語だったんだと思う。彼女は同じ人と深く付き合うよりも、多くの人と浅く付き合いたい。もう彼女がそういう人間関係を構築してしまっているので、今更変えられない。一方で、増田もっと彼女と深く付き合いたかった。

彼女上記のようなことを直感にわかっていたけれど、うまく説明できなかったんだと思う。もしくは、わかっていたけれど、詳細に説明するには彼女のことをいろいろと話さないといけないので、デートを5回しただけの相手にそこまでしたくなかったのかもしれない。

《2019/01/07 追記 その5》

5回しか会ってない相手に対して距離感がおかしいのでは(anond:20190107183800)、というご指摘について。彼女への思い入れで泣いていたわけではなかったことは上の追記に書いた通りです。なお、対象読者以外の方は「5回デートした相手に振られた30歳男性」を「生まれて初めてちゃん告白した相手10日で振られた15歳高校生男子」くらいに希釈してお飲みいただくと良い塩梅の甘酸っぱさになるかと思いますので、お試しください。

ひとまず、この記事更新はここでおしまいにしたいと思いますアドバイスコメントをくださった皆様、本当にありがとうございました。大きな進捗があったらまた投稿させていただきます

《2019/01/08 追記

サイドストリーを書きました。

コミュ障の初恋。片思い6年間の一部始終

仮面ライダーは私の救いだ

心がどれだけ沈んでいても、世の中に絶望して死にたくなっても、仮面ライダーはいつでも私のヒーローだった。

どんなに辛いことがあっても、仮面ライダーを観ていると少しだけ現実の辛さから逃れることができた。

ヒーローの輝きや葛藤、力を持つ人間の苦悩、そして仲間たちとの絆。その姿は私に足りないもので満ち溢れていて、辛い時には正義象徴である彼らの姿に縋るように生きてきた。

今日の朝からも、仮面ライダー放送される。

やっぱり私は早起きをして、全国の子どもたちと一緒に年甲斐もなく仮面ライダーを見て心を踊らせるんだろうな。

2019-01-05

本当の自分さらけ出すのが怖い

身バレ防ぐために、フェイク混ぜてます

学生時代を振り返ると、割とイケてる方だったと思う。

顔がイケメンなのかっていうと、よくわからないけど、少なくともブサイクではないと思う。

子供の頃から、足が速かった。

特に距離ではすごくて、小学校マラソン大会では毎年一桁台だった。

親も陸上関係でメシ食ってる両親で、俺の才能っていうよりかは、親の影響が大きかった気がする。

親父のジョギングに、保育園の頃からついていって走っていて、いつの間にか俺も走るのが好きになってた。

小学五年生ときマラソン大会で一位をとった。

俺は特に感動しなかったけど、周りの狂喜乱舞を覚えている。

俺にしてみれば、一位という結果は本当にたまたまだった。

周りが喜んでいるのを見て、俺も「自分がすごいことをしたんだ」と嬉しくなった。

そういえばその後、学校女子告白されたことがあった。

一ヶ月付き合って、なんかよくわからないまま関係消滅した。

まあそれは、そんなもんだ。

で、そのまま中学では陸上部入って、県大会まではいけた。

大会ではじめて挫折を味わった。

周りが全然俺よりはやい。

俺が全力で走ってるのに、周りがどんどん俺を離していく感覚を、生まれてはじめて味わった。

甲斐ない成績だった。

それでも家族部活の皆は優しかった。

でもその頃から、たぶん俺の心の中で、走ることに対して、迷いが生まれたんだと思う。

この挫折きっかけに、もっと速くなる奴が、きっとプロになったり、駅伝ランナーになったりするんだろう。

でも俺はたぶん違う。

14歳や15歳のガキでも、自分に対してそのぐらいのことはわかる。

俺は単に周りに褒められたくて、長い距離を走ってただけなんだ。

走ることそのものに、深いところで情熱を持てていなかった。

特に大会に出て、ホンモノたちに会ってしまうと、俺がいかダサい存在かはよくわかった。

親が何とか連盟の何とかさんだとか、そんなの関係なくて。

その親と5歳から近所のコースジョギングしてました、とか、関係なくて。

ホンモノは違うんだよ。

なんていうか、オーラでわかる。

正直スタートライン立った時点で、もうホンモノとニセモノははっきりわかった。

ニセモノだったのは俺だけじゃない。

俺の感覚だと、ホンモノなのは1割ぐらいの連中。

ほとんどはニセモノ。

俺はそっち側だった。

でも、もう、マジで感覚的に全然違うのがわかったから、どうしようもなかった。

その後、走り始めたら、自分感覚が正しいのがわかった。

努力? 才能? なんなの? 何が違うんだ?

マジでわかんないけど、全然違う。

仮に俺が途中でぶっ倒れてもいいから、全力ダッシュしたとしたら、

何人かは抜かせただろうけど、それでも抜かせない選手っていうのが、結構な数いた。

あいう奴はなんなの?

意味がわかんなかった。

いや、今もわかんないけど。

箱根駅伝とか絶対見ねーもん。怖くて。

実際その場で一緒に走んないとわかんねーよ。そういう奴らと走る感覚って。

まあその話はいいや。

で、俺は陸上の成績でスポーツ推薦をとれて、高校行くわけ。

地元ではかなりいい高校

普通に受験したら、俺の頭では間違っても入れないような私立高校

そこの陸上部入ったら、まあ、周りは全然したことなくて、すぐエースになった。

俺みたいに陸上スポーツ推薦だった奴いたけど、長距離は3人しかいなくて、俺以外の2人は全然ショボかった。

てか、このレベルで推薦とれるのか、って失望するレベルだった。

エース扱いで、相当チヤホヤされてたと思うけど、心の中ではどんどん冷めていった。

俺は県大で、自分のショボさを思い知って、自分限界を感じたのに、周りの奴らは俺を神かなにかみたいに崇めてるわけ。

なにこれ?

は?

お前らはバカ

偏差値xxあって何を見てるの?

とか思ってた。

当時俺みたいな中途半端な奴って学校結構いて、自然とそういう連中とつるむようになった。

特待生学校入ってきたけど、周りのレベル低すぎてうんざりしてる優等生とか、

すげーサッカー上手かったのに部活顧問とか先輩とかと合わなくて帰宅部になった奴とか、そんな連中。

高二になってからは、そいつらといるのがとにかく楽しくて、練習サボって遊ぶくらいになった。

マラソンってくだらなくね?」

とか俺に向かって言っちゃうような奴らだった。

はじめて聞いたとき、本当に新鮮だった。

だって家族友達で、陸上否定する人間なんて、それまでの人生で会ったことがなかった。

陸上=すばらしいは当然の感覚で、それで15年間生きてきた。

いろいろ悩みながら陸上部を続けてきた俺だったが、遂に決意する。

「ごめん。陸上部辞めさせて」

家に帰って、俺は親に言った。

親が買ってくれた、1万円以上するランニングシューズエナメルバッグに入れたまま。

スポーツ推薦で部活辞めると色々大変で、揉めに揉めた。

けど俺の決意は固かった。

たくさん説教された。

俺の陸上の才能を認めてくれて、もったいないって言ってくれる人もいた。

それが一番心が痛かった。

でも俺はもう決めていた。

本当の自分で生きたい、って思っていた。

陸上は、俺が本当にやりたいことじゃないんだよ、親父、お母さん、先生

そんなことを何回も言った。

陸上の成績でスポーツ推薦を決めた奴が、陸上辞めるなんて前代未聞だろうな、と思っていたが、それはそうじゃなかった。

スポーツ推薦で入っても、挫折する奴は結構いる。

心が折れなくても、ケガでそのスポーツ続けられなくなる奴も多い。

から、俺の陸上辞めるという選択で、退学になるようなことはなかった。

俺はそこから、本当にやりたかたことにうちこむようになった。

俺が本当にやりたかたこと。

それは音楽だった。

あるとき、いつもつるんでる友達から、「バンドやりたくね?」と言われた。

最初冗談みたいだったが、いつの間にか皆楽器を買っていて、本気でやることになった。

俺はボーカル

休みの日に、皆で県で一番賑わってる駅のスタジオに行って、死ぬほど練習した。

スタジオの人がいい人で、ホントは2時間料金なんだけど、何時間でも練習させてくれた。

これが本気で楽しかった。

陸上とは全然違った。

あ、これだ、って思えた。

陸上がつまんない、っていうことはない。

だって、それなりに走るのは楽しかった。

でも、心のそこから楽しんでるか? と言われたとき、即答はできなかった。

親の影響でやってるんじゃないのか? 自分が脚速くなかったら続けてたのか?

長距離走について、そんな質問をされたら、俺は答えれないと思う。

音楽は違う。

親は音楽なんて聞かなかった。

俺は特に歌がすごく上手いわけじゃない。

それでもめちゃくちゃ楽しい

時間でもやっていたい。

どんどん上手くなりたい。

俺の他にもっと上手い歌手がいても、そいつよりも上手くなりたい。

どうして県大会とき、こんな感覚になれなかったのかは、今でもわかないけれど。

たぶん、陸上をやってる俺は、本当の自分じゃなかったんだと思う。

親が望む、自慢の子供を演じていた。

親に褒められるのはたしかに嬉しかった。

けど、俺が本当に嬉しいことじゃなかった。

俺は親の喜ぶ顔で喜んでただけだ。

音楽は、俺に直接喜びをくれた。

最高の友達が、楽器演奏する。

全員初心者からミスも多いし、リズムだってひどいもんだ。

けど、その三人が生み出すグルーヴの上に、俺の歌を乗せる。

それで曲が完成する。

時間にしてみれば、ほんの数分。

それまで長距離を走破してきた俺にしてみれば、ほんの一瞬だ。

その一瞬に、陸上の何倍もの喜びがあった。

で、忘れもしない文化祭

俺の高校文化祭は、応募制の野外ライブというのが何年か前からあった。

軽音楽部とかフォークソング部とかのバンド演奏するステージだったが、

他にも教師が組んだバンドとか、有志で組んだバンドとかが応募して、出演していた。

俺たちもそこに出ることにした。

はじめてのステージだった。

その頃になると、もう俺たちの演奏レベルもかなりのものだった。

実際その後、ドラム叩いてた奴は音楽関係に進んで、今は有名ミュージシャンのバッグで叩いて飯を食ってる。

結局そいつが一番すごかったのかも。

野外ライブで、俺らの番が来た。

バンド名はさすがに恥ずかしいので秘密だが、司会が俺らのバンド名を呼んだときちょっと肌が粟立ったのを覚えてる。

ここから将来ミュージックステーション出たり、紅白出たりしたらめちゃくちゃカッコいいな、と一瞬思った。

観客は結構集まってた。

ボーカルを俺がやっていたので、陸上とき同級生・後輩が結構いた。

ギターサッカー部の人気者だったので、それ目当ての女子結構な数いるのが見えた。

けど俺は全然ビビってなかった。

自信があった。

後輩も、もしお前らが俺を尊敬してるとしたら、単に足が速いか尊敬してるだけだろ、

でも、これから音楽を通じて、尊敬してくれ、と本気で思っていた。

それまで偽りの自分評価を得ていた人間が、本当の自分で戦うのは、本当に気持ちいいものだった。

MCで何を喋ったかもよく覚えてるが、これはマジでイタいことを言ったので、敢えて記載はしない。

四人で目を合わせて、軽く頷いて、ギターイントロを弾いた。

演奏してすぐに、違和感に気づいた。

俺が想像していた観客の表情ではない。

なんか笑いをこらえているというか、笑ってる奴もいる。

俺が想像していたようなステージじゃなかった。

当時はビジュアル系全盛期で、俺たちが選んだ曲は、L'Arc~en~Cielの『花葬』だった。

俺はHydeに全力で心酔していた。

ていうかHydeよりカッコいい人間は今でもこの世にいないと思っている。

けど俺はHydeじゃなかった。

俺の裏声は、皆の失笑を誘った。

俺はそれまで自分のことを正直カッコいい部類だと思っていたが、Hydeではなかった。

結局演奏微妙な感じで終わった。

バンド活動も、それをきっかけに終わってしまった。

それから俺は、高校卒業して、親のコネがあった地銀就職した。

数年前に結婚して、あと何ヶ月かで子供生まれる。

今年はじめて箱根駅伝を見た。

もうずっと長距離は走っていないから、落ち着いて見れた。

駅伝CMで、バンプの『ロストマン』が使われていた。

それで内心「うわああああああああああ」となったが、嫁に気取られることはなかった。

俺は生まれてくる子供に、何を伝えたらいいだろう?

俺が人生で学んだ人生訓は、「本当の自分とか言ってねーで、人から褒められることをひたすらやっとけ」だった。

でも、そんなこと子供に言う訳はない。

願わくばの子供が、ホンモノの才能を持っているか、ニセモノの自分に何の疑問も抱かないウスノロのどちらかでありますように。

こんな中途半端ダサい存在は、俺だけで十分だ。

anond:20190105190541

増田くんに家政婦雇う甲斐性があれば万事解決なんだけどなー

2019-01-04

自分他人を分けると落ち着くで? anond:20190104162442 anond:20190104161755

承認否定の話ではないけど、他者自分を分けると落ち着くで?例えばこんな感じ

状況

3117:00 までに完了しなければならない仕事 XX を 29日になっても増田チームは手をつけていない。
手助けが必要かを繰り返し確認しつつ、全チームの進捗を全社公開しプレッシャーも掛けたが、問題ないとの回答。なお社員1200名中、未完了なのは増田チームだけである
増田チームマネージャー曰く部下(メンバー)が悪い。

 

▼まずは一言

ナメてんの?

 

▼どこにムカついたのか:

1. 増田マネージメントうんこなのにメンバーのせいにしているか

2. なんで増田マネージャーになってみようと思ったのか?誰が推薦/承認をしたのか?

 

他者自分課題の分離:

1. 『マネージャーならXXは当然』は他者には関係ない。自分のMy仕事ルールでありMy人生ルールである

2. うんこでもマネージャーになりたいと思っていいし、推薦/承認されてもいい。増田仕事の取り組み方や人生を決めるのは増田であって他者ではない

3. 増田マネージャーを許容するかは『会社(雇い主)』が決める事であって自分ではない

 

▼ムカつくの感情を掘り下げみる(だいたい不公平と不甲斐ないに落ち着く)

 

1. 増田仕事をしないことが許されるが自分は許されない、不公平である

2. 増田適当な働き方/キャリアでも生活を維持できるが、自分はそうはいかなかった、不公平である

3. レベルの低い組織に身を置いている自分自身が不甲斐ない

 

 

▼じゃあどうしよう(自分でやっちゃう回避するに落ち着く)

1. 期限のバッファーは設けてある/準備はしてるので「そっすか」と巻き取る

2. 積みたい経験が積めたらとっとと転職する

2019-01-03

[]1月2日

○朝食:なし

○昼食:おせち

○夕食:おせち

○間食:いろいろ

調子

はややー。

日中むっきゅりしていた。

今日は、僕が好きなゲーム配信やったりとか記事とかブログを書いている人たちの、飲み会配信をずっと見ていた。


iOS

グラブル

ガチャピンガチャピンモードから10連で、SSR召喚石のグラニ

ガチャ欲が抑えきれないので、明日100連は当たらないと踏んで、270回まで回した。(ガチャピンで40連までいくか、100連引かない限り溢れないから、OKでしょ。まあもし、万が一100連踏んで溢れたら、もういっそガツンと課金してもっかい天井するって線も…… さすがにねえか)

結果は……

SSRキャラ

闇ユーステス、クビラ、アギエルバ、ラカム

(金月二つ)

SSR

サテュロスポセイドン

こんな感じ。

十二支の人も引けたし、PUの人も出たし、レジェンドフェス限定のラカムも引けたしで、良い感じじゃないかな?

あともう30連回して、天井のでロゼッタを入手するぜ!!!

ガチャじゃないゲームプレイの方は、ずーーーっとエンジェルヘイローを周回してた。

その甲斐あって、四属性の四凸マグナ武器ほとんどレベル150にできた。

あと一本、リヴァ短剣だけまだだけど、これはまだ上限解放すら出来てないので、ちかたない。

上限解放のためには、水のエレメントが180個ほど必要なので、ガチャで出たグラニを砕こうかな? と一瞬思ったのだけど、まあ急ぐ必要もないから、この辺でひと段落

2019-01-02

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

2018-12-28

発達障害者だけど年末自殺することにした

予定通り、本日身辺整理を終えたので、記念に書き残していく。

 

 

この2018年は、一昨年末退職した直後から悪化した鬱病治療に徹する一年だった。

失業保険いただきながら、求職活動と並行して、障害治療をしながら、トラウマ緩和ケア自力で行った。

よくなったと思ってはまたドン底に沈み、を繰り返し、あっという間に一年が過ぎた。

 

どんなに自分の心と向き合っても、フラッシュバックのつらさは少しも軽くならなかった。

しろ次のステップに進もうとすると悪魔の囁きみたいに、何気ないことから連想されて一気にグルグル思考に突き飛ばしてくる。

 

毎朝フロア全体に響く声で叱責されたこと。

深夜二時まで会議室で「なんで出来ないんだ」と責められ続けたこと。

毎日深夜残業しても私一人の能力では業務が収まらなくて土日祝日関係なく出社していたこと(私もホワイト化を妨げたくてしていたわけじゃない、ただ本当に必死だった)

「未経験で、部下も持ったことがありませんが大丈夫ですか?」と何度も確認したが「うちは未経験しかいない部署から大丈夫」と言われ入社を決めたが、フォローしてくれるどころか毎日経験業務について出来ないことを責められ続け、この会社には仲間など誰もいないのだと入社半年絶望したこと

(思えば東京にいた半年間で私は完全に鬱病になっていた。自殺を考え始めたのは丁度9月くらいだったので)

同僚たちの「仕事しろよ」「病気理由にするな」「言い訳するな」「発達障害じゃなくて性格から、それ」という言葉

藁にもすがる思いで信頼して相談していたマネージャーKさんの、退職意向を伝えた際の嬉しそうな表情。

 

病院先生は「脳の障害なので、性格とは違います」と言い聞かせてくれたが、私は今も自分を責めることをやめられずにいる。

なんでこんな欠陥品の自分が生きているのだろう?申し訳ない、申し訳ない…と、そんなことばかりが頭を巡る日々だった。

 

かに発達障害は、脳の機能障害なのかもしれないが、世間見方はそうではない…と、私は感じている。

今の世の中は、タレントなどの有名人や、著名人、成果を創出する優秀な発達障害者だけが、「私は発達障害です」と言っていいのだと思う。

そうではない凡人の発達障害者が公言すれば、「逃げている」「言い訳だ」と責められる。

少なくとも私はそうだった。

 

 

ごめんなさい。

ミスを繰り返して本当にごめんなさい。

席にじっとしていられなくて、すみません

独自のもの見方をして申し訳ございません。

チームの和を乱すようなことをして本当に申し訳ございませんでした。

 

こんな出来損ないな自分が、生きていて、人並みに働こうなんておこがましいことを考えて、皆さんに多大なご迷惑をおかけして、本当に、ごめんなさい。

 

 

 

マネージャーKさん

とても転勤できる状態にないのに、「東京にまた転勤するしかない」と言い渡され、それがきっかけて依願退職することになりましたが、「やっと辞めてくれるのか」と言わんばかりの嬉しそうな表情が忘れられません。

その時になってようやく、「辞めてほしがっていたんだ」と気が付きました。

察する能力に欠けるので、ずっと気づいてあげられなくてごめんなさい。

 

口では「力になれず申し訳ない」と言っていましたが、目はらんらんと輝いていたので、正直な人だなと思いました。

ただ、そのあと退職届の提出を催促してきたのには、裏切られた思いがしました。

「○○さんも決めたら色々動くこともあるだろうから手続きを急ごう」とおっしゃっていましたが、私が、ではなく、Kさんが「○○の気が変わらない内に既成事実にしなければ」と焦っていたのですよね。

 

一年たった今思い返すと、あの転勤命令は、解雇通告だったのだと納得しています

転勤できる病状ではないことは、お伝えしていましたので。

会社的にダイバーシティを推進しており、『誠実』『仲間』といったコアバリューを掲げている手前、外堀から固めていくほかなかったのだと思いますが、本当なら「すまん、今の状況的に面倒見きれん」とハッキリ仰っていただいた方が、よっぽど誠実で仲間思いだったと思います

少なくともこれほど裏切られた感じは強くなく、傷も浅かったと思います

会社の情勢的に今そういう(ダイバーシティを実現する)馬力はないのだ、と納得できますから

 

 

リーダーSさん

きつい言葉を私に投げつけさせてしまってごめんなさい。

私が不甲斐いから辛く当たるしかなかったのですよね。

けど、「仕事しろよ」と言われたのは本当に、今も日に何度も思い出されます

また、皆の前で叱るのだけは辞めてほしいと何度もお願いしましたが、聞き入れてもらえなかっただけでなく、インターンシップ実施中に学生の前でも辛く当たられたのは血の気が引く思いでした。

とにかく学生会社に対して悪印象を持たれないように取り繕うのに必死でしたが、あの時の態度は後々ボディブローのように効いてきました。

 

 

同じくリーダーKさん

皆で行く予定だったスノボ旅行最後に形だけでも参加できればと思っていたので、Facebookアカウントブロックされたのは本当に悲しかった。

あの頃にはもう、記憶障害も進行していたのだけど、皆と過ごす時間の楽しさだけは覚えていたから、なんとか参加できればと体調調整していたのだけど、新入社員歓迎会も参加拒否されたうえのブロックだったので、本当にとても悲しかったです。

治療しようと決めたのはあなたのおかげで、なんとかうまくやるためにも一時的にチームと距離を置くような形になると思う、と話していて、納得してくれていると思っていたけど、心の中では嫌悪していたこと、まったく気が付かなくてごめんなさい。

あなた健康で、バリバリ働けるからこそ、ハンディキャップを持っている人のことな理解できなくて当然です。

(私も自分ハンディキャップを持っているという言い方をしたくない、そんな自分が嫌にもなる…けど、この隔たりをどう伝えたらいいか今の私には他に思いつかない)

あなたがこの先、体調を崩すことがあったときに初めて、私がどんな思いでいたか理解してもらえるんじゃないかと、そんな期待をほんの少しだけ、まだ持っている自分がいます

 

 

当時拠点代理だったIさん。

私怨から事あるごとに因縁をつけられ、その都度こちから歩み寄る努力をしていましたが、徒労に終わっただけでした。

また、拠点代理という立場になると、今度は因縁をつけるのではなく明確に排除しはじめたのも印象的でした。

心の弱い人間権力を持つとどうなるか、よくない方の典型的パターンだと思いました。

責任ある立場の方なので、迷惑をかけまいと、また理解を得るために私の治療状況についても早い段階でお伝えしましたが、それがかえってよくなかったと思い知るのに時間はかかりませんでした。

あなたが抱えている弱者蔑視女性軽視、年齢差別、依怙贔屓といった数々の排他的行動原理は、どう取り繕っても人間から滲み出てしまものだと思います

願わくばあなたが、自分感情を優先しない冷静で平等管理者となりますように、お祈りしています

 

 

 

あと、この会社に限らず、ダイバーシティ推進とかいって障害者雇用だの多様性を活かすだのと、そんな包容力もないのに表面上だけ推進すると、(私が色んな人に迷惑をかけたように)無実の罪を量産することになると思うので、能力が低い発達障害者にあまり期待を持たせないでください。

 

 

 

長々と、しかもとりとめもなくて、すみません

もう死ぬのだし、言いたいことを吐き出してやろうと思い、心の中に溜まっていたことを綴らせていただきました。

 

 

私の人生は、特に意味はなかったです。

それでいいと今は思っています

意味があったほうが今の私には重すぎて逆に辛いので、無意味に死んでいけることを幸せに思います

 

 

はてなブログさん、こんな上長無意味エントリーを読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん