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2018-10-11

anond:20181011040543

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作面白かったから読んでほしい.オススメ

理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。

論文数で無能認定文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.

あと歴史学文学だと,いちばん大事仕事論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角ニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族日記活字に起こして誤字脱字を訂正して単語意味解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代歴史文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……

で,引用数については問題点が2つあって,

1.どうやって数えるのか

これは技術問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.

あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10国語翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?

2.それ数えて意味があるのか

そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃう不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるとき学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋引用された数で勝負したら小林よしのり惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.

というか,文系だと「他人の書いた文章研究対象にする」というのがあるので,村上春樹研究なら当然村上春樹引用するわけで.さら学問分野によっては,「文献リストに先行研究研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本排外主義』という日本極右研究した本の文献リストには,日本欧米社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠櫻井よしこ西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用形式からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.

追記

id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するとき論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。

もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞ときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないかダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないかあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.

id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチ引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないもの査読で落とされるので

これは文系でもあるあるメジャーテーマ研究していてもつまら論文しか書いてなければ意味はないしマイナーテーマでも面白論文が書ければ就職が決まる.

id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまからまれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。

「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.

でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究ダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.

id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてます

なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.

で,文系論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的妥当だがこの部分の解釈問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分論文の意義や新規性アピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー

id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが

たくさん引用されたか価値がある研究! とかいローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいか問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正たかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界普遍的問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.

すごい大事追記

id:rci このシリーズはとても面白い。

面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田ちゃんと読んでる? このトラバリーの中で,私は何度も自分オタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系オタク対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.

正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリ保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由社会だよ.

とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みる絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.

2018-09-09

カウチサーフィン(Couchsurfing)って知ってる?

無料Airbnbみたいなやつ。

https://www.couchsurfing.com/

先日、北米への海外旅行で初めて使ってみたんだ。

まずプロフィール文とか、他の宿泊者が書き残してくれたレファレンス写真などによーく注意してホストを選び、リクエストメッセージを送る。

テンプレート機能もあるから似たようなメッセージ大量生産することができる。

コピペみたいな文章を嫌う人もいるので要注意だが、タイミング重要と考え、数人に送ってみた。

そして私のリクエストアクセプトしてくれたのは、髭モジャのおじさんだった。

以後、敬意を込めてモジャモジャと呼ばせていただきます

待ち合わせの場所でおろおろしてると、モジャモジャがやってきて、満面の笑みを浮かべながら「Nice to meet you!!!」って言われた。

そんでお宅へ案内された。

Couchソファで寝ることも覚悟していたが、「ここが君の寝室だよっ!!」と個室を用意してくれてたので一安心

夜は晩ご飯をごちそうになり、テレビをぼーっと眺めながら談話する。

私の英語はまだまだ拙くて文章を構築するのに時間がかかるが、モジャモジャは気長に待ってくれる。

お酒が進むにつれて、お互い饒舌になっていくのを感じながら、私達は話し続けた。夜が深まっていく。

はじめは不安も大きかったが、結果としてモジャモジャは何から何まで親切なおじさんだった。

他人危険」みたいな刷り込みがあるけどさ、案外、世の中には善意が溢れているのかもしれないな~って思った。

日本に帰ったらホストに挑戦してみたい。

2018-03-22

anond:20180322005037

はい

別に自分あなたを嘘つき呼ばわりしたい訳ではなく、

ネットでは探しにくい物も探せるレファレンスやら、国会図書館やらで資料が見つかるなら万事解決

しろ大変有用だし発信してほしいぐらいだと思います

ここまで見た人が居ないんですよ、もしかしたら思い違いではないですか? というオプション提示しているだけ。

それに対して、間違っているのは世界のほうだというのは、いかにも危ういと。そういう指摘なわけです。

2017-08-02

知らない間にDebian9がリリースされてた

Dockerバズるくらいだから今どきハードウェア仮想化なんて流行らないのだろうが、Windows10 Proの安いPCを1つ購入してHyper-V有効化したのでCentOSUbuntuのどちらを入れようかと考えてた時に、昔インストールに苦労したDebian 3.1 Sargeのことを思い出して本家サイトに行ったら今年の6月Debian 9が正式リリースされたと聞いてすごく懐かしくなり、こいつを選択することにした。

随分バージョンが上がったものだなあ。しかも今はamd64インストーラーのリスト最初に上がってるし。昔は64は人柱用だったのに。

10年ほど前、玄人志向玄箱というNASOSDebianに入れ替えて単なるファイルサーバから用途サーバにするのが流行ったことがあった。今でも後継品のBuffaloNASDebian化する好事家は細々ながら活動しているが、UbuntuベースであるDebian最初に触れたのがその頃で、当時のバージョンは3.1、通称Sargeだった。タイミングのいいことに、Sarge対応の分厚いDebian入門書存在していたのでレファレンスには事欠かなかった。まあそれでも、スペックの貧弱な玄箱インストールして少しでもパフォーマンスをよくするにはカーネルを書き換えて再コンパイルしたりといった悪戦苦闘があったわけだがもう忘れた。

Hyper-V仮想マシンへのDebianインストールトラブルらしきトラブルもなく、インストールしてすぐに使えるようになっていてまあこれが普通だよなと。OSは使いこなしてなんぼで、インストールで苦労するのは不毛だと当時も思ったし。

あと、エンジニアが多いと聞いているはてな界隈でも個別ディストリトピックはあまり話題にならないんだなというのがちょっと面白かった。

2016-10-25

wikipediaレファレンスっぽく使えばいい

http://anond.hatelabo.jp/20161024205233

に関連して。

wikipediaレファレンスっぽく使えばいいいいじゃねと。本文自体は紹介した本の個人的な要旨みたいに受け取って、参考文献を見つけるために使えば良いんだよと。

まあそのために検証可能性必要ってことだろうけど。

2016-07-02

レファレンスデータベース面白い

結構前にどこかの図書館レファレンス事例を紹介していたウェブサイトホッテントリ入りしていた気がする。

ここでいうレファレンスというのは、図書館資料を調べてくれたりするレファレンスサービスのこと。

このレファレンスについては、レファレンス協同データベースというものがあり、色々なところのレファレンスの事例が紹介されているんだけれど、これがなかなか面白い

面白いのは特に小・中学生

小・中学生質問は、授業や自由研究のためであろうと思われるものと素朴な疑問・欲求に基づくものがあるが、面白いのは断然後者である

いくつか目にとまったものを紹介したい。

今の私にぴったりな、おもしろくて、ぐっとくる本を紹介してください。(4年生児童

http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000160218

児童質問抽象的すぎるけど、率直で微笑ましい。

回答する方も大変だろうなと思うけど、児童の好みを探ってオススメを紹介しつつ、自分で目利きができるようにもなってほしいという姿勢が素晴らしい。

父が言っていることと違う事実が書いてある

本があります本棚に並べておいてよいのですか?

(4年生児童

http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000167347

「日頃からお父様に尊敬の念を抱いている児童」とのこと。

問題となった記述というのが、「日中戦争に関する説明文」というのがちょっと引っかかるかるが、「置いていて良い」という回答を出すまでに発達心理学図書館の自由に関する宣言が出てくるところがプロらしい。

タヌキって、妖怪なんですか?(2年生児童

http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000168077

妖怪らしい。

飼っているカマキリを戦いに強くしたいです。どうやったらできますか?

http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000161836

できないらしい。

図鑑では分からなくて昆虫館にまで問い合わせており、もはや図書館レベルを超えている感がある。

胸がキュンとするようなお話を教えてください。

(4年生児童

http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000180085

良いエピソードすぎる

魔法がつかえるようになりたい。

http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000188753

きちんと魔法使いになるための本を紹介してあげている。

備考欄を見ると着実に修行をしていて微笑ましい。

神様というものはほんとうにいるのか?(3年生児童記述そのままに)

http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000169298

対応しにくそうな質問

授業の一環として一冊だけ参考図書を紹介した模様。

大人質問では、けっこう専門的な質問にもできるだけ回答してあり、感銘を受けました。

また、上記の事例の大半は京都女子大学附属小学校図書館であり、良さそうな学校図書館だと思いました。

レファレンス協同データベースにどこまで積極的に協力しているかというだけの問題かも。)

2016-05-01

社会人数年目で年収2000万越えた私が考えるプログラマキャリア

こんにちはシャイニング増田(シャイ増)です♥町中で良くリクルートスーツ就活生を見るようになりましたね。先日後輩の紹介で○○大学学生からグーグルに入りたいという相談を受け渋い気持ちになりました。○○大学ではTopCoderRed Coder相当の実績でも残していないと入れないでしょうし、ネームバリューだけでなんとなく「ビッグデータ♡」「人工知能♡」と言っている様は山師スタートアップの「フィンテック事業部を新設しました」のIRと同等クラスの浅ましさです。そこで若者に捧ぐ私が考えるプログラマキャリア論を参考にしていただければと思います

と、シャイニング丸の内さんの年収1000万越えの記事

http://www.shiningmaru.com/entry/2016/04/29/212824

を見て、あんまりプログラマがどうやって高給取りになれるかというキャリアの話って見たこと無いな、と思ったので書いてみます

全てのプログラマ給料を一杯稼ぐことを目指すべきだとは思いませんが、私のように、研究職でもなく、マネージャー職でもなく、コード書いてお金が貰えるならなんでも書くよ、という節操のないプログラマ志望の大学生にはとてもおすすめの高給取りになるための方法です。

プログラマで高給取りになりたかったらどんな仕事すればいいの?

まずは目標である高給取りになるにはどうすればいいか考えてみましょう。どんな能力があれば年収1000万円もらえるの?と思われるかもしれませんが、そもそも残念ながら給与というのは純粋あなたスキルによって上下する余地はあまりありません。

年収500万円のプログラマが頑張って仕事後も勉強会などへ行き、頑張ってスキルアップしても、会社年収を1000万円にしてくれることはほぼ無いと考えてください。年収500万円のプログラマ年収1000万円のプログラマの一番大きな違いは職場です。大抵の会社はどんなに優秀なプログラマでも給料大金を払うことはできません。

身も蓋もないんですが、高給取りになりたいと思ったら、自分磨きなんて糞くらえで、自分給料を一杯払ってくれる会社を見つけて入社するのが一番重要です。

じゃあどんな会社で働けばいいの?

金回りがいい会社が一番です。どういうところがいいの?というと、ざっくり2つのグループにわかれると思います

1. 世界的にシェアのあるサービスプロダクトを持っている会社

2. 金回りのいい業界企業の社内システム

1の典型的企業は、ベイエリアとかにある、世界向けのプロダクトを持っていて、競争力のある会社です。とても金回りがいいです。有名どころではGoogleFacebookAppleや若干株価が心もとないTwitterなんかがあります。何故これらの会社プログラマ大金を払い、何故日本の大抵の会社プログラマ年収1000万円を払えないかについてはhttps://note.mu/whynotgetrich/n/nd71f86a3e0cbを御覧ください。

2はあまりプログラマの人は縁がなく、存在すら知らない会社が多いのではないでしょうか?とても勿体無いですね。例えば金融系の企業はとても金回りがよく、社内システムの開発でもその恩恵を受けることができます。例えば外資金融系ではGoldman Sachs、Merrill Lynchは給与がよく、保険系では東京海上とかもまったり年収1000万越えるらしいんで、狙うといいんじゃないですかね。あまり詳しくないので、具体的な業務内容はインド発注管理するプログラマというよりはSEなのかもしれないですけど。

では他のドメスティックネット企業はどうなの?というと、残念ながらあまりいい話は聞きません。

数年前に年収1000万円で新卒採用(http://news.livedoor.com/article/detail/5997716/)、みたいな話が数社から出てきて、ようやく日本でも人材獲得競争が激しくなってきたな!と思いましたが、どうなったんですかね?全然うまくいかなかったからもうやっていない、という話を聞きましたが、実際どうなのか現場の話を聞いてみたいものです。

私が最近聞いた中ではLine年収1000万円を軽く越えるオファーを出していて、他のインセンティブもついてたら、上場したあかつきには軽く2-3000万円はいくんじゃないかと思われますLineくらいになってくると、1のグループに入ってる感じですね。景気いいですね。うらやましいです。

そんな会社全部よくわからないよ!無理だよ!私が志望しているこれらの会社の中からだったらどれ選べばいいの?と思ったら技術部門の最高責任者っぽい人とかの給与を調べましょう。それより多くは絶対にもらえません。あとは平均給与を調べてみましょう。プログラマは社内の中でも特に多く給料が貰える職であることは少ないと思われるので、平均給与が1000万円越えてなければ、プログラマとしてキャリアを積んで1000万円の大台に達することは難しいかもしれません。

大学卒業までにどんなスキルを身に付ければいいの?

と、1000万円を稼げる企業がおわかりいただけたかと思いますので、次にこれらの企業入社するにはどうすればいいかについて考えてみましょう。

まず先に2のグループ企業についてですが、私は全く明るくないので、どんな採用プロセスなのか全然わかりません。とりあえず英語憶えてたほうが外資系選択肢に入ってくるのでいいんじゃないですかね?

次に1ですが、こちらもやはり英語がわかると、海外での勤務が選択肢に入ってくるので同じくおすすめです。新卒日本法人に入る場合は、企業によってはちゃんと英語習得のためにフォローが入るので、技術力優先だったりもします。

ここまできてようやく技術の話が来ましたが、具体的に何ができればいいの?というと、まずポインタ再帰呼び出し理解できるか調べてみましょう。

Joel先生が書いてますが、ポインタ再帰呼び出しはどんだけ優秀なプログラマでも何故か書けなかったりするので(http://local.joelonsoftware.com/wiki/Java%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%8D%B1%E9%99%BA)、まずこれらをちゃんと理解してるか見てみましょう。私も世界中の100を越えるプログラマ面接を行ってきましたが、再帰呼び出しを書かせようとすると絶望するプログラマはとても多いです。

ポインタは使う機会は大分減ったと思いますが、再帰呼び出しはまだ現役なので、理解できなくて、プログラマになりたいわけではなく、ただ高給取りになりたいのであれば、別のキャリアを目指した方が楽かもしれません。

採用において重要なのは履歴書の実績と面接での技術力です。ベイエリアなどの企業プログラマ採用面接では、「あなた自身動物に例えると何ですか」みたいな質問を聞いてくることはありません。技術的な質問、又はコードを書かせる問題を出してきますTop Coderのような競技プログラミングと似てるので、練習しておくことをおすすめします。各種データ構造アルゴリズム計算量を憶え、うまく適用できるよう勉強しましょう。

面接官によってはコンピュータネットワークの仕組みについて聞いてきたりするので、ヘネパタ、オペレーティングシステム、詳解TCP/IPあたりは読んどくといいかもしれません。後々色々な技術を学ぶ時に理解が深まりやすいので、どちらにせよ読んでおいて損はないです。

面接対策だけでなく、プログラムはよほど専門的な内容でなければ、レファレンス引きながら問題なく実装できる、というレベルには達しておきましょう。履歴書に華を添えるなら、オープンソースプロジェクトに参加するかソフトウェアサービスを公開してみてください。githubアカウント名やプロダクト名、サービス概要URLを書いておけばあなた技術力がより上手く伝わるはずです。

外資だと必要になる英語ですが、技術的な話がを中心であれば、一般会話より必要ボキャブラリが限られており、習得は思われているほど難しくはありません。かつ、メールテキストベースでのやりとりが中心であれば、最初のうちは大変ですが、ゆっくり時間かけることもできます

採用された!どうすれば1000万貰えるの?

あなた技術力が認められ、年収1000万円はないかもしれませんが、結構な高給取りになれました。おめでとうございます!さてここから昇給するにはどうすればいいのでしょうか?

(シャイニング増田先生次回作にご期待だくさい!)

お金が大好きなシャイニング増田先生過去作品はこちら:https://note.mu/whynotgetrich

2016-04-03

エクセルバカ」は煽り文だらけのアドバイス(笑)ページを見るか?

http://www.mermaid-tavern.com/indexs.html

ちょっとバイナリデータのヘッダー解釈データ処理をExcelやらせようとググっているときに引っかかり、中を見て驚愕した。

最初に見た一瞬はイラッとし、ちょっと読むとあまりに低レベル煽りっぷりに笑い、しかしそれが数百ページもあって、常軌を逸したレベルの量の煽り文を書ける人間性にドン引きした。

人をバカにする文章を書きながら、「ごっこネタ」と言い逃れているあたりが滑稽であり、しかし笑えない。

検索で飛んでくる99%までがオバカExcel屋とその同類C#屋とAccessである。その実態企業内低能パソコンユーザーである。ここではそれらを総称して「エクセルバカ」としている。これは ©Microsoft が作り出す産業廃棄物粗大ゴミである

このセクションはそのエクセルバカが大好きな「ごっこネタであるエクセルバカが能もないのにやりたがる「文字コードごっこ」「バイナリごっこ」「UTF-8ごっこ」「改行ごっこ」「エンディアンごっこ」「16進数ごっこ」「CSVごっこ」「暗号ごっこ」などを総称したものである1)。小学校程度のアタマしかない者が微分方程式を解こうとするのに似ている。なお、私はExcelBASICなどには興味も関心もない。頭の体操のためにそれで遊んでいるだけである

能のないエクセルバカが大好きな語は「バイナリUTF-8、改行、CSVである。いずれもネコに小判、ブタ真珠である


確かに不必要に余計なやり方をしている人は困るが、検索してたどり着く人の中には能があり本当にそれが必要から調べている人がいるだろうに、ひっくるめて全員を罵倒しているのが悲しい。

能がある人は知識を持ってるからググらない?レファレンスを見るからググらない?近くの人に聞くからググらない?本当かな。

というか、文字コードなんてcgi(php,perlあたり)の初学者WindowsUnix系の違いを理解していないがために最初に躓く話じゃないの?今はそうでもないのかな?

Excel自体は万能ツールではないし、Excel方眼紙を使う人とか報告書を全部Excelで作れとかい要求には俺も辟易としている。

けれど、そんなレベルじゃない。明らかに言い過ぎで拡大解釈である


しかしこの全方位をバカにして煽っていくスタイルはいったいどういう精神構造をしていればできるのだろう。

このドメイン配下のページにリンクしている人、飛んできた人を全員バカ扱いしているようだ。

トップへのアクセスや変な階層直リンで飛んできた輩は、別のドメインや別ページに飛ばしたうえでIP検索ワードを取って晒し者にしているらしい。

バカにするだけのためにExcelBASICを学んだとまで言う。すごい熱意だ。

それに加えて最高に面白いポイントは、ちょっとググっただけで本人らしき名前が簡単に出てくる程度のITリテラシーで、よくここまで言い切れるものだと思った。

実は偽名なのかは知らんが。

これが釣りなら素晴らしい釣りだと思うけど、徹底的に人をバカにする仕方と熱意の強さのせいで釣りに見えない。

そんな素晴らしい能力がある人には見えないけど、こんなことを公言している人がどれだけ仕事ができる人なのか見てみたいもんだ。

どんなオッサンなんだろう。

まあ、仕事ができようとできまいと、ネタでもこんなことを言う人とは仕事したくないし関わりたくもないのだが。

2015-11-19

電子図書館についての提言

全ての本を電子化して、電子データ国立電子図書館管理して、ネット経由で貸し出せばいい。

データ形式pdfDRMはかけない。(図書館で借りた本をコピーできないなんて事は無いわけだし)

未返却と除籍、汚損・破損

未返却のまま除籍される図書館の本は全国でものすごい量に登る。そんな未返却問題が一斉に解決する。

図書館員の憂鬱仕事の一つにその督促業務がある。それも一切無くなる。

また、本が破損したとか、汚れたとか、そういうことが一切起きない。

児童書ボロボロなのを見たことある人もいるだろう。

それを補修するのも図書館員仕事だが、これ一切無くなる。

またそれに伴い、貴重な閉架図書もガンガン貸し出せるし、高額な本も余裕で貸し出しOKとなる。

利用者の利便

図書館の大きな役割の一つに、知を広く市民に広めるというものがある。

だが、図書館は基本日しか開いていない。サラリーマンは土日しか知に触れられない。

多くの図書館月曜日が定休だ。月曜日市民は知に触れられない。

人気のある本は何百人も貸出を待っている。待っている間はその本には触れられない。

図書館が遠くにある人は、図書館までわざわざ出向かないと知に触れられない。

運転免許が無かったら? 怪我をしていたら? 悪天候だったら?

そんな問題も一気に解決だ。

そして何より、「借りたいと思っていた本が図書館にない」なんてことがなくなる。

借りたい本が具体的に決まってるなら、他のどこよりも、この国立電子図書館にある確率が高い。

当然、借りたいと思い立ったらすぐに借りられる。

文化や知識の保存

図書館の大きな役割の一つに、文化や知識の保存というものがある。

この役割に大きな足かせとなっている問題が二点。

まず一点目は図書購入予算。二点目は図書館物理空間だ。

電子図書館ができれば、全国の図書館で同じ本を買う必要がなくなる。ここでまず購入予算が大幅に浮く。

そして、物理的な空間も一切不要となる。棚も不要。そもそも図書館という建物不要になる。

全国にある公共図書館は3200以上。これらのほとんどがいらなくなるのだ。司書も大いに減らせる。

都道府県に一つ中央図書館くらいは残しておくべきだとは思うが)

ただ、これまで日本全国で図書館に使われていた予算のうち相当な部分が浮くことになるのは間違いない。

そのお金で、世界中の本、地方の零細出版社の本、昔の本などをガンガン電子化していこう。

知識の森はどんどん豊かになる。

メディア

CDDVD(やBD)も、一部は図書館にあり、貸し出されている。

少ししかない理由は図書購入予算円盤は高い。

だがそんな制約ももう無くなる。全国に一つだけの国立電子図書館で購入すればいいからだ。

これでまた知識の森が豊かになる。

レファレンス

図書館司書が大量に余る。

が、これで彼ら彼女らは本来業務レファレンスサービスだけに特化できるようになる。

pdfデータOCRしておけば検索が極めて楽になる。

Yahoo!知恵袋みたいな形でレファレンス履歴を蓄積していけば、優秀な司書も分かるようになるだろう。

そのうち、利用者レファレンス履歴検索すれば望む本にたどり着けることも多くなるはず。

本来レファレンス業務がぜんぜんできない」などと嘆いている司書の皆様には、

是非競争原理のなかで切磋琢磨して生き残りを目指していただきたい。

その他

書店死ぬ出版社死ぬ、そして著者が死ぬ問題

この文章は、「図書館役割を究極的に考えた場合」の思考実験なので、このあたりはスルー

公共貸与権を設けるなり、一年猶予を設けるなり、対策必要だろう。

2015-09-25

選書検閲

なんだか最近図書館関連で選書についてよくわからない言説を見かけるようになったので,自分理解をまとめておく。

簡単に言うと,やばい本は避けて購入するけれど,それは選書によるものであり検閲では断じてないという論理


まず,全ての図書館は(少なくとも建前として)「検閲」を嫌う。

図書館における憲法として「図書館の自由に関する宣言」があり,

その第4では「図書館はすべての検閲に反対する」と明記されている。

従って検閲連想させるような言葉,例えば

「適切」「不適切」「良書」「悪書」などは図書館員基本的に使わない(はず)。

ちなみに図書館の自由に関する宣言はまるで反戦スローガンかよと思うほどに

臭い自由を切望する文なので未読の方は是非読んで欲しい。


理想としてはこの建前に基づいて,右の本も左の本も中の本も全部置き,

利用者がその内容を判断する,ということをやりたい。

しかし今のご時世,どこの図書館金も場所もない。

しかも図書は毎日2桁以上刊行されている。

そこで出てくるキーワードが「選書」。


選書とは自館の役割目的考慮しつつ,実際に購入するものを選ぶ作業のことである

ただし,どの図書館ガッツがあるというわけではないし,連日のクレームは避けたい。

従って例えリクエストがあろうと,特定思想ギンギンの本やエロ本は入れない。

しかし,それはあくまでも予算とスペース等の都合という建前で行う。


ついでに小ネタ3つ。

実際問題として,選書単独仕事になることは予算の都合上まずない。

よって,他の業務をつつがなく行いつつ,新刊情報リクエスト,同都道府県内にある

他館の所蔵等々を考えながら選書するのは難しい。

従って取り次ぎからお勧め本セット」などを購入することは多い。


図書館職員はこの選書という作業にものすごいプライドを持っていて,

業務依託とかの話になったとき真っ先に反対材料としてレファレンスとセットで出てくる。

図書館員を黙らせるためにはこの2点をしっかりやっていると見せかけることは非常に重要


何かの思想流行らせたいとき図書館に本をばらまくのは宣伝としてアリだと思う。

ただし単にリクエストをしても予算等を理由により却下されることは多い。

そこで使うべき方法が寄贈。しかし,コストや所蔵の問題であっさり廃棄されることは非常に多い。

とりあえず最低限の条件はクリアしておきたい。是非試して欲しい。

・新品である

・当該館未所蔵である

カバーフィルムがすでにかかっている

目録データ付き

2014-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20140523085811

単行本サイズとか、何巻ものだったかとかは覚えてませんか?

しかし、これってまんまレファレンスだよなぁ…

米沢記念図書館に勤めておられるありらいおんさんを呼んでは…

2014-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20140515232539

俺も考えとこうと思って、さがしたら資料があったかシェア

国立国会図書館調査及び立法考査局レファレンス(2009.1)より。

我が国政府は、集団的自衛権(right of collective self-defense)を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」としている。

成立経緯についてのこの人の説明としては、

大国拒否権によって集団安全保障機能麻痺し、地域機構の自立性が失われることに対する中小国危惧から生み出された権利

具体的にはこれからみんなで国連憲章つくろうねってサンフランシスコ会議が開かれたときに、ラテンアメリカ諸国安全保障理事会の許可なしでお互いの身を守れるようにしたいって言うから憲章内に盛り込まれたとのこと(wikipedia参照)

集団的自衛権の法的性質については、(1)他国権利防衛するとする正当防衛論、(2)個別的自衛権の共同行使とする自己防衛論、(3)攻撃を受けた他国安全独立自国にとって死活的に重要場合防衛行為をとることができるとする議論の3つに分けられる。現在の通説は(3)であるといえるが、攻撃を受けた国と集団的自衛権行使する国の関係が具体的に明らかではなく、軍事介入を幅広く認める結果となる恐れがある。

(3)の「攻撃を受けた他国安全独立自国にとって死活的に重要場合防衛行為をとることができる」っていうのが増田への回答になるんだろうか。

今、AがBに喧嘩売られてて、負けるとAが持ってる舟はBにとられちゃう

俺は毎朝その舟に乗って仕事に行ってる。

じゃあAがやられたら俺仕事いけなくなるじゃねーか。

「A殿、助太刀いたすぞ。」

っていう感じかね。

けどこれはあくまでも通説の(3)による理解なので、(1)(2)の理解もあるし、安倍政権がどういう解釈をしてんのかはわからん

あとそれから

その濫用が疑われてきたことは否めない。

ってのも書いてあるねー

以上参考になればとシェア

これから本文読んでみる。

集団的自衛権の法的性質とその発達

国際法上の議論―

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200901_696/069604.pdf

2014-05-02

東京23区と政令市地方との図書館格差

http://anond.hatelabo.jp/20140502221658

読破したのは、薬師院はるみ「名古屋市の1区1館がたどった道」という本だが、

 このタイトル自体東京23区居住者には違和感がある。

 というのは、名古屋横浜大阪のような政令市では「1つの区に1~2館」というのが実情だが、東京23区では

 「区内で7館とか10館」というのが、ごく当たり前の状況になっている。

 

 政令市だと「図書館から半径1キロ圏内の人口より、半径1キロ圏外の人口の方が多い」、

 つまり図書館が徒歩圏外にしか存在しないエリアの住民の方が多い」のだが、

 東京23区では「図書館から半径1キロ圏内の人口の方が、半径1キロ圏外の人口より多い、

 それだけ図書館網が区内をくまなくカバーしている」状況である。 

 東京23区の図書館環境に慣れてしまった身には、政令市図書館状況というのは「まことにお寒い状況」に見えてしまうし、

 おそらく図書館利用率も、徒歩で図書館アクセスできる23区と、そうでない政令市では、全然違っていると思う。

 ましてや、図書館が整備されてない通常の市、或は郡部とでは、利用率は月とスッポンだろう。

 多分、23区住まいの方が、読書欲が多く、かつ経済的にも余裕があって、

 本来なら「小説家にとって、お客様を多数抱えているハズの商圏」なんだが、

 そういうエリアでくまなく図書館ネットワークが構築されちゃっているから、小説家の怒りも相当なんだろう。

★あと、「住民1人当たりの図書館館数1位は富山県だ、だから富山が進んでいる」という言説があったが、

 これには違和感がある。

 

 利用者にとっては、人口当たりの館数なんていう数値はあまり意味がなく、

 「徒歩圏内に図書館があるかどうか?」それが大きいと思う。

 

 クルマを運転できる大人なら徒歩圏云々はあまり関係ないが、クルマ自力で運転できない小中学生にとっては、

 「徒歩圏内に図書館があるか否か?」は、「図書館を気軽に利用するようになるか、否か?」の分水嶺になってしまう。

 その意味では「徒歩圏内に図書館サービスが行き届いている23区が、圧倒的に進んでいる」と思う。

名古屋図書館整備の歴史より、

 「なぜ東京23区は、ここまで図書館王国になったのか?歴史的背景は何か?」

 という歴史の方が、はるかに興味深い。

図書館プロって、この「徒歩アクセスできるかどうか?」の観点をあまり重視してないような気がする。

 図書館関係者って、「図書館が果たすリファレンス役割」とか、とかく大上段に構えがち。

 でも、図書館利用者の9割は、そういうことを気にせずに、「タダで本を読める、読書欲を満たせる」という単純な理由で

 利用していて、図書館関係者の高尚な想いと、ズレてる気がする。

 だから図書館関係者が「図書館役割向上」という場合

 「リファレンス機能の向上云々」という話に飛んでいくが、

 利用者目線だと「徒歩圏内にサテライト館が欲しい、貸出冊数・期間を拡大してほしい、開館時間を延長してほしい」

 という利便性の話になっちゃう。

 この辺の意識のずれは、何とかならないか?

★そもそもレファレンス機能アーカイブ機能は、国会図書館都道府県中央図書館が主に担えばいい話であって、

 市区町村図書館、それもサテライト館は、とにかく利便性向上につとめればいいのでは、とも思う。

 本を読む、という場合

 1.明確な目的意識で、何等かの調査をする場合

 2.なんとなく、読書欲を満たしたい

 という2つがあって、1.の場合レファレンス機能アーカイブ機能重要になる。

 また、蔵書数は多ければ多い方がいい。

 (逆に利便性はさほど問われない。閉架や禁帯出でも仕方ない)

 でも2.の場合は、他館からの取り寄せ機能さえしっかりさせておけば、

 蔵書数にはこだわることはない。リファレンス機能もあまりいらない。

 それより利便性が命になる。

 プロは1.ばかり見て、市民は2.を渇望している。

2013-12-04

Re: http://anond.hatelabo.jp/20131203184609

公共財価値を損ねることには抵抗があります。父は貧乏ではないですが、読む本を全て買っていたら本棚の整理頻度(処分)が高くなりすぎてめんどうだろうし、やはり節約意味もあるとおもいます。買った本も、参考書の類以外は付箋すらつけていないですね。新聞書評欄が主な情報源だと思うので、大抵は置いてあるのだと思います。待つことには抵抗なさそうです。

俺は貧乏なので、雑誌文庫新書以外の単行本は購入前に一度じっくり読みたいです。専門書やレファレンスなどは買いますが、例えば友人の病気の専門書を読んでみたいというような場合には図書館を頼りますね。手間がかかるがじっくり読める立ち読み、みたいなものでしょうか。

愛書というか、物理的な書籍に関するフェチズムみたいなものは理解はできます。俺にはないけど。電子化から製本はまだコモディティとは言えないでしょう。ぼろぼろになるまで読んだ本は、岩波文庫の薄いの((ショウペンハウエル読書について、とか))くらいなら数冊ありますね。

図書館ボロボロになるのはベストスラー小説くらいだとおもいます。ここで言うのはあくまで綴じ部の近くの開き癖ですね。背表紙が軽く曲がるような感じの。

2013-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20130726203837

いちいち誰が何借りたかなんて覚えてないだろ

レファレンスサービスでも頼めばちょっとは話せるんじゃないの

2013-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20130703205623

元増田大学での人文系に主眼が置かれてるように見受けられるから的外れな話かもしれんけど、たとえば、たとえばだぞ、近世期に作られた鼈甲の簪とか掛け軸とかを市民レファレンスで持ってきた場合、①これはどういったものか、や②どうやって今後保存すべきか、といったものを学んだ知識体系から正しく判断できるってのは大事なんじゃないだろうか(すなわち、こうした判断ができる人物に対してある程度賃金が発生してもまあ良いんじゃないか)。「二次創作」的側面以外の点を何とか見出そうとしてこんな例を挙げてみる。

2013-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20130521211635

俺の例で言えば、親が使ってるパソコンが転がっていて、プログラムコマンドレファレンスが転がっていて

当時はインタプリタだったから、コマンド打ち込んだらそのとおり動いて

後は勝手にいろんなプログラム組んで遊んでたよ。

初歩のプログラム組むのに、マニュアル以外読んでない。

つか、俺の当時はプログラムはまだマイナーで今みたいに、ネットもなかったし、それ以外無かった。

小学生だったから、プログラムの本も買ってもらえなかったからな。

 

教えるも何も、教えてくれる人がいないし、今みたいに使いやすくもないパソコンプログラム組めたし

そもそも、こども科学館とかでのルートパスワードも、普通に 子供から安心して目の前で打つから覚えて知ってたし。

そんなもんだよ。デジタルネイティブというのは。

 

たとえば、テトリス作るのに、テトリスの作り方を教えて貰う必要がない。自分アルゴリズムを考えて作り出せる。それが、デジタルネイティブ

生まれた時からデジタルがあったというより、生まれた時にあったデジタルに、母国語と同じレベルで理解して使えるネイティブな才能の事だと思ってる。

 

言いたいことはわかるけど、教えられないとパソコンが使えないというのは、わかるけど。もう、そこに壁がある。

使いやすいから使えるのではなく、自分の腕と同じような感覚で使えるのがデジタルネイティブ。 ネイティブなんだから

全員がデジタルネイティブじゃないという主張はその通りで、飛び級しろ わけないともはや無理なのは周知の事実では有ると思うよ。

お互い 混ぜられると どっちも苦労すると思う。

2013-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20130415190011

あなたが本当に行きたい会社は、リクナビマイナビパンフレットには載ってない。

そこから話をはじめたらどうかな。行きたくもない会社に祈られても本来ダメージないんだよ。

 

お見合い斡旋会社ホームページにいったらみんなつまらない化粧顔しかのせてないのとおなじ。

趣味読書とお散歩体重が軽くて若いほうがモテる。そんな情報でよく結婚しようとおもうものだ。

そうじゃない個人ブログ検索ワードでひっかけたほうが気のあう人を見つける確率ずっとたかい。

グルさまに聞いてみようよ。論文データーベースかIPDLでもいい(卒論レファレンス調べがてらでもいい)

 

兄弟親戚のツテ、教授のツテ、研究室の先輩はどうしたの。

四季報にのってる会社けが会社だとおもっちゃいけない。

今の時代、個人経営で従業員もってがんばってやってる会社ゴマとあるよ。

親の、教授名刺入れ覗かせてもらえ。記憶も覗かせてもらえ。

今まで生きてきたなかで覚えきれないほど社会人同士会話してきてるはず。

遠くにいくのが苦痛でも身近な人がつきあいがあるのなら自宅から通えるとか土地勘のある場所だろ。

まあ、小さい分思い切りブラックかもしれないけど、

そんなかでも楽しいブラックならブラックじゃなくてグレーくらいになるだろうし。

一般人にはホワイトでも自分にだけはブラックなんてよくある話しだし。

 

理系の院卒がリクナビなんてあり得ないみたいな話きいてたけど釣りじゃないのかい

院で学歴ロンダの話で理系は院卒じゃなきゃといってた人に意見を聞いてみたいものだ。

ふー。

2011-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20111016142052  追記

>取っておくべきと考える人達は、自分たちで買って保存するしかないだろう。

実際、現実的に考えると、ここが結論かなと思う。

情報をどれだけ抱え込めるかって処は、図書館存在意義の一つだから

多分電子化できるものなら、がっつり電子化したいだろうさ、雑誌なんかは特にな。

図書は多分しばらく無理。活版印刷並みの革命起きてても、それを拒む層がいる。

>ところで「運営費が出ない」と言いながら「希少本を売らない」のは何で? 売れば利益が出る本もあるんだろ?

これ、いろいろ事情がな……。あるんだ。

恥かしながら、うろ覚えを箇条書きするので、

図書館学法律精通している方に突っ込んでいただけると有難い。

図書館は金儲けをしてはいけない機関

  じゃなかったか?金儲けしたら貸本屋だろ。

  ILL(文献取り寄せサービス)の手数料とかは、儲けとはちょっと違う。

  このあたりは、調べたいとか言ってレファレンスカウンターに行くといい。

  海外の事例は他の増田に任せる。延滞料金の取り扱いはちょっと知りたいところ。

・そもそも、資料の転売ってありなのか?

  個人としてはあり。元記事の処理がされてれば、盗難本とは思われない。

  amazon図書館の廃棄本(ペーパーバックとか)が出てたらとりあえず買う。

  ブッカーで保護されてて、丈夫で汚れにくく使い勝手がいいんだよな。

  組織としては難しい。グレーゾーンだが、グレーだからこそ「無い」という結論を

  出す館は多いんじゃないかな。

  資料は、税金ないしは学費などで賄われているケースが大半だ。

  クレームを入れる方々もいらっしゃるだろう。

  そもそも、自分所属する機関の「財産」として計上されている資料の扱いは難しい。

  「廃棄処分」するならともかく、「転売」となると、相当面倒な手続きを経るだろう。

  千冊処分するために、千冊それぞれ個別に起案を出さんといけないとか、ありえて嫌だ。

  新刊の整理なんぞする暇はなくなるから、新しい本も雑誌もしばらく諦めてくれ。

  なんて事は本末転倒なわけで。

  だから財産」扱いしない費目で買う雑誌新聞の廃棄は、楽っちゃ楽だ。

  廃棄数=タイトル数ではなく、廃棄数>>>タイトル数だから

  いざって時に「ここからここまで捨てるけど誰か要る?」と聞きやすい。

  で、「別にいいや」→「じゃ、チリ紙交換に出しますわ」ってなる。

  個人的には、シュレッダーにかけるなら電子化しようぜ!って思うんだけど

  著作権者さん達がな。

  一応図書館って、著作権を守る砦?とやらの一つらしいからな。



追記。

 図書館間で、「廃棄するけど誰かいる?」という寄贈のしあいっこがある。

 MLだったり色々なんだけど、古くて入手できないような資料を分け合える機会がそれなりにある。

2010-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20100814172914

その本はよんだことないけれど、あなたの実力と目的次第。

htmlレファレンスはほっとんど、ネット上のレファレンスで事足りるからなぁ。

手元の本がいいという人もいるだろうし、好き好き。

2009-06-18

図書館員をピくっとさせる10の発言

一般論として、われわれ「図書館員(読書オタク)」はかなり穏やかな性質の人間が多い。物事を1人で徹底的に考えるのが好きで、他人と激しく意見を対立させることは滅多にない。だが、うまく挑発され、一旦議論のスイッチが入ってしまうと、もう止められない!思いつく限りの言い分をとことん、最低2冊のレファレンスブックスを参照してから言い尽くすまで、話すことをやめようとはしないのだ。

では、図書館員連中(の一部)を正しく挑発するには、どんなことを言えばいいのだろうか? よくぞ聞いてくれた! その台詞を10個紹介しよう。

第10位:「本物の図書館員なら、絶対にGoogleは使わない」

第9位: 「漫画なんて子どもが読むものだ!」

第8位: 「QアンドAサイトは、現実世界で人付き合いができない人間がやるものだ」

第7位: 「小説図書館戦争シリーズは、とてもリアルだ」

第6位: 「娘が『プリキュア』の漫画を読めるように『利用者カード』を作ったよ。あれって、それ以外にいい使い途があるのかい?」

第5位: 「『インパクトファクター』に『H-index』に『EigenFactor』?どれだって同じだろう?」

第4位: 「最初の『日本図書館協会政策文書』三部作の一番いいところは『読書案内』だね」「図問研が先に貸出しを重視したんだよね!」

第3位: 「有山崧? うーん、前川恒雄の方が好きだな」

第2位: 「(図書館職員養成所以降のOBOG作家名)は三文文士だ!」

第1位: 「貸与権がそんなに悪いことだとは思わないよ!」

内輪ネタサーセン

元ネタ: http://wiredvision.jp/news/200906/2009061721.html

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

2008-01-04

勘弁してくれ

http://anond.hatelabo.jp/20080104140956

取り巻く利害関係や状況がそうさせてしまうだろう

それを取り締まろうともしなかったことが、複数の高級軍人の残した資料から明らかなんだけど。

「そうなってしまう」のだとしても。それを取り締まらなくてよいという話にはならない。

実際に資料の捏造が行われていた証拠もあるから(証拠写真が加工された関係ない物だったり)。

現代において間違った写真が掲示されることはあるが、そもそも「証拠写真」なんてものはない。

写真を決定的な証拠とすることは研究ではあり得ない。

つまり、写真があるから虐殺があったということを言う人間は、研究者では日中ともいない。

そもそも、問題の指摘が日本側から発生していること。

間違ってはいないが、それは日本側が「大虐殺なんてなかった」って言い出したからだぜ。

戦後の流れとして敗戦国側からの反論を殆どしてこなかったこと。

反論もなにも、なかったなんてことを言い出す浮かれ馬鹿が出てこなければ、中国もことさら言い立てなかったよ。

>>

中国国民の半日意識操作は有る程度可能なこと。

<<

4年前の反日暴動、中共は沈静化するのに必死だったんだぜ。

中国のお得意様である日本のご機嫌損ねて、一番困るのは誰だ?

あれは反日を名目にしてるただの吹き上がり。

そんな虐殺があったら日本朝日新聞は嬉々として南京で大勝利と報じただろうし…一般人は殺していないように捏造して。

当然虐殺などなかったかのように大勝利と報道しましたがなにか?

組織的にコストをかけて行う規模でしょう。命令書や通達、実行決定までの議論や反論者の意見など、そういう証拠が残っていないのだから、「差分はなかったのだろう」と思うよ。それをもみ消そうとするほうが「ボロ」がでるんじゃない?

命令書や通達、実行決定までの議論なんかあるわけないでしょ。中国人南京から駆除するのが作戦目的じゃないんだから。

単に皆がそういう空気を読んで空気に従って行動したわけで。赤信号みんなで渡れば怖くないって話。

反論者の意見は残ってるよ。軍中央が、あんまり軍紀の弛緩がひどいんで、たいがいにしろと中国に要望を送っている。

「就中、軍紀、風紀に於て忌々しき事態の発生近時漸く繁を見、之を信ぜららんと欲するも尚疑わざるべからざるものあり。

惟ふに、ー人の失態も全隊の真価を左右し、一隊の過誤も遂に全軍の聖業を傷つくるに至らん。

(中略)

然れ共、実際の不利不便愈々大なるに従て、益々以て之が克服の努力を望まざるを得ず。或は沍寒に苦しみ、或は櫛風沐雨の天苦を嘗めて日夜健闘しある外征将士の心労を深く偲びつつも、断じて事変の完美なる成果を期せんが為、茲に改めて軍紀風紀の振作に関して、切に要望す。

本職の真意を諒せよ。

昭和十三年一月四日

           大本営陸軍幕僚長 載仁親王

支那方面軍司令官宛」

アジア歴史資料センター レファレンスコード:C04120161000)

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