はてなキーワード: 威圧的とは
「〇〇の見分け方」の記事がハラスメントにより消えた後で以下のような記事を投稿して、アカウント一時停止の通知が3時間後に来た。
インフォメーションチームからは利用規約に反しなければ公開してもいいといわれたので、書いた文章を晒してみようと思う。なお、一部分は当該属性の人を傷つける可能性があるので引用の部分以外は伏字にしてあります。
このたび、XXXX年XX月XX日までにFINAL FANTASY XIV, The lodestoneで確認されたお客様の行為が、以下の禁止事項に該当すると判断いたしました。
停止期間:翌0時より3日間
ファイナルファンタジーXIVに関連する利用規約については、以下のURLをご参照ください。
そのため、該当箇所を削除し、お客様のファイナルファンタジーXIVの利用を一時停止いたしました。
「〇〇の見抜き方」という記事は運営の禁止事項によると「その他、他者に深く精神的苦痛を与えると一般的に見なされている行為」に該当するようだ。
環境型ハラスメントでは就労環境と書いてあるが、これはゲームに置き換えても成立し、ゲーム自体を阻害するものとなる。これにはチラシや記事も含まれ、当該記事によって〇〇に対するアプローチも当然増えることになる。
労働者の意に反する性的な言動により労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなどその労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じることです。
一般的には意に反する身体的接触によって強い精神的苦痛を被る場合には、一回でも就業環境を害することとなり得ます。
継続性または繰り返しが要件となるものであっても、「明確に抗議しているにもかかわらず放置された状態」または「心身に重大な影響を受けていることが明らかな場合」には、就業環境が害されていると判断し得るものです。
また、男女の認識の違いにより生じている面があることを考慮すると、被害を受けた労働者が女性である場合には「平均的な女性労働者の感じ方」を基準とし、被害を受けた労働者が男性である場合には「平均的な男性労働者の感じ方」を基準とすることが適当です。
https://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/danjokintou/dl/120120_05.pdf
〇〇は一般的に弱者××によるアプローチ――話しかけたり、デートに誘うことを非常に嫌う。例えば社会的地位の低いものやコミュニケーション能力や運動能力が低いもの、年収の低いもの、容姿が優れていないものの行動は容易にセクハラと判断しやすく、そうでないもの――スパダリという――はセクハラと判断しにくくなる。もちろん、スパダリであっても、アウトなラインはあるがデートに誘ったり、話しかけたりするだけではアウトと判断されることはない。
そして人間は客観的に自己の判断や感覚を内省出来ない。具体的には「ある行為がセクシャルハラスメントか否か?は行為自体ではなく相手の属性に大きくバインドされる」という事を認識出来ないのだ。
実証的な研究を幾つかあげると、2009年にニュージャージー州において女子大学生128人が、架空の男性プロフィールを説明されオンラインデート上でメッセージのやり取りをしたところ、「オンラインハラスメント」に対する女性の耐性の最も強力な予測因子は、架空男性の魅力と社会的地位であったという。
勿論オンラインだけでなく現実空間においても、このような「女性が男性の言動にハラスメントを感じるか否かの最も強力な予測因子は男性の属性である」傾向は示唆されている。アメリカにおいて平均年齢28.11歳の女性1277人に対して「見知らぬ人からの望まない性的注意を受けた事があるか?」「見知らぬ人からキャットコールや凝視された経験はあるか?」とのアンケートに加え、それが起きた時の相手の肉体的魅力・人種・年齢、場所、時刻等の17のコンテキストを提示した。そのうえで女性がこうした経験を心的外傷を伴うハラスメントとするか、楽しい体験とするか判断する主な要因は「肉体的魅力」「年齢」「人種」である事が判明した。
また別の研究では女性は医学生やロックスター等の職業的地位の高い男性による嫌がらせを想像したときの動揺が最も少なく、清掃員や建設労働者等といった職業的地位の低い男性による嫌がらせを想像した時に最も動揺する事が示唆されている。(David Buss & Jennifer Semmelroth 1994)
所謂「非モテ男性」が彼女を作る方法又はセックスを獲得する方法はあらかた答えが出揃ってしまった。それは雑にまとめれば
・とにかく試行回数を稼げ
の3原則が基本となっているだろう。
弱者××に対し、積極的なアプローチを推奨する記事が出てしまった以上、これらのアプローチをする人は弱者××と判断されやすくなり、アプローチすること自体がセクハラなってしまった。
以上のことにより「〇〇の見分け方」という記事を読んだ弱者××がff14の〇〇と思われるプレイヤーにセクハラをすることは容易に想像でき、コミュニティチーム目線だとセクハラを誘発しかねないので、当該記事を書いたプレイヤーを処罰したものと思われる。
なお、このルール自体が望ましいかは別問題で、現実でも労働法にセクハラ防止義務を定めたり、男女雇用機会均等法でセクハラ防止の義務を労働者と経営者に設けたりしているが、平等性や法適用の平等の観点からして異論があるのは事実である。
興味がある人は「国家試験のためのよくわかる憲法」「国家試験のための行政法」「Vマジック 司法書士 憲法」など解説書があるので、一読するのをお勧めする。
ネットでも「憲法の無料テキスト|行政書士」など無料の記事があったりする。
最高裁も要件事実や民事執行を行うために手引きを 民事裁判教官室、刑事裁判教官室、民事弁護教官室で、公開していたりする。しかも、これがなんとタダである。
https://www.courts.go.jp/saikosai/sihokensyujo/sihosyusyu/syusyugaiyou/minsaikyoukan/index.html
この記事を書いた当初は、どこのハラスメント講習でも同じようなことを言われるんで細かく解説することは問題ないと思っていた。
(ある女性の講師が「立ち位置を考えないからセクハラになるのです」といっていたのは有名である)
だが、処分されたということは何かしらよくない点があるのではないかと思い始め、あるサイトで質問をしたところ、以下のような答えが返ってきた。
4.「〇〇の見分け方」でBANされた奴が出た後でそのような解説をする奴がいるか。空気を読め。
確かにどれもありそうな答えではあるし…
「〇〇の見分け方」という記事が通報したきっかけもこのような感じだったと聞く。
やはり、俺はコミュニティチームや大多数のff14プレイヤーからすると異常者側の人間なんだろうか…?
確かに、
――GMサポート業務について、いわゆる“監獄案件”で印象に残っていることなどがあれば差し支えない範囲でお聞かせいただけますか?
モルボル氏 印象に残っている案件にはいろいろなものがあります。個別の案件についてのお話は控えさせていただきますが、いわゆる“監獄案件”と呼ばれる、GMが関わるような懲戒処理の大半は人間関係のもつれによるものです。これまで長いこと『FF14』でゲーム内サポートを行ってきましたが、GMから注意を受けたときに改善しようとする人としない人が明確に分かれてくるなあ、と感じております。
現在は「あなたの活動は周りの方を何らかの意味で不快に陥れているので、言動を顧みてほしい」ということで指導を行うことが多いのですが、多くの場合は改善していただける一方で、それを受けて改善しようとしない人は「(GM側のポリシーがどうであろうと)どこまでならOKなのか?」と探るようなリアクションをする傾向があります。「どうしたら周りに迷惑をかけないか?」ではなく「どうすればペナルティを受けないか?」という点にフォーカスしてしまっているので、そういう方は再び同じようなトラブルを起こしやすいです。
また、「言ってくれなきゃわからない」「自分の発言のどこが暴言なんだ」というような発言をする方もいらっしゃいますが、その一連の発言の中に暴言が含まれているパターンもあったりします。
みたいな傾向はあり、法律を扱う仕事――弁護士、司法書士、裁判官、行政書士、土地家屋調査士、検察官、警察官などはラインを探ったり、GMみたいな仕事をしていたりして、プレザンス事件みたいなことをやる人もいる
スタートはそれダメでもトライしてじゃあこういう形でやってみますだったらまだ分かりますけれど、あなたの場合いきなりその学校法人の貸付だっていう前提で話してるように聞こえるのね。
はなからあなたは社長騙しにかかっていったということになるんだけど、そんなことする普通。
いや、そうじゃありませんか。
しないね。
普通でなんでそんなことしたの。
プレザンス事件の場合、伊藤塾の刑事訴訟法の古いテキストには被疑者には受忍義務があり、多少の威圧的な言葉も取り調べには必要なのでと書いており、被疑者ノートの存在やある検事が郵便関係の事件で証拠を捏造したりして、アウトなラインが時と場合によっては変わるので、ラインを探らないと検察官として必要な仕事はできない。
行政書士だと入管の審査基準を読めばある程度はわかるが、それでもわからない場合は調べたりしなければならず、調べて分からない場合は入管にメールなどで聞いたりするので…。
どうしてもラインを探る癖がついてしまうことがある。そして、ガチのトラブルを起こすことがある。たとえば、プレザンス事件だと引用のようなことをしたせいで国家賠償事件に発展し、証拠を捏造した検事も何かしらの罰を受けた。司法書士や弁護士もセクハラとパワハラで同僚を自殺させたり、横領する人もたまにいるし、行政書士も入管法違反の虚偽申請で捕まることがある。あと、高橋雄一郎先生や福永克也先生みたいに名誉棄損の判例を熟知し、同定可能性の要件を満たしつつ名誉感情の侵害を繰り返している弁護士もちらほらいたりする。
俺も◯◯書士の仕事をしており、仕事上はトラブルを起こしたことはないが、職業病のせいもあってかついついラインを探ってしまう。
やはり、俺はコミュニティチームのトップであるモルボルが言うように異常者のようだ。
コミュニティチームの処分理由と文章内容が一致してないので、念のため再調査を求めたが、覆らなかった。
運営はラインを探るような行いを嫌う傾向にあり、ラインを探る=異常者と考えている。
特にセクハラがらみだと禁止規定にも凶悪犯罪と同じ扱いをすると解釈できるようなことが書いてあり、
「ハラスメント行為」は、他者に深く精神的苦痛を与える言動を指します。基本的に「サービスアカウントの一時利用停止」以上のペナルティが科される、非常に重い禁止行為です。
これは、チャット(クイックチャット、マクロ、エモートなども含みます)、マーカー、コメント、名称など、すべての表現できる箇所において禁止されています。キャラクター名に関しては、姓名にまたがってハラスメントに該当するフレーズが形成されていたり、反対から読むと意味が成立するようになっていたりする場合などもハラスメント行為とみなされます。また、集団における行為の場合、関与した全員がペナルティの対象となります。
ファイナルファンタジーXIVで、ハラスメント行為と判断するガイドラインは以下のとおりです。
・人種/国籍/思想/性別/性的指向・性自認に基づく差別的表現
・過去の事件や犯罪に関する内容を用いて精神的苦痛を与える行為
・現実世界の出会いなどを目的として自らの連絡先等を公開・開示等する行為
・その他、他者に深く精神的苦痛を与えると一般的に見なされている行為
https://support.jp.square-enix.com/faqarticle.php?kid=68216&id=5381&la=0&ret=rule
間接証拠(ハラスメントをしているであろうとうかがわせる証拠)でも処罰し、逆にフラッシュ暗算やVCなどほとんどのツールに関しては間接証拠では処罰しない傾向にある。
そして、コミュニティチームのトップであるモルボルは空気が読めない人間、常識がわからない人間が大嫌いである。
空気を読みましょう。
「◯◯の見分け方」が消された後に「「◯◯の見分け方」がセクハラな理由」を投稿したら、空気が読めないやつという理由で即消される。
【要約】
道路工事現場で、ガードマンが横断歩道を渡る自分に無理に停止を促したため、法律に反する行為であると指摘し謝罪を求めたが、現場責任者や市の担当者からも誠意ある対応は得られなかった。現場で工事看板がなく、許可証の掲示もされていないなどの問題があり、警察にも確認を求めたが、対応は煩雑で効果がなかった。その後、市の担当者に改善を求めたが、結局大きな変化は見られなかった。この横断歩道は自分の息子が通る場所で、将来の事故が心配だが、社会の現状に対して無力感を感じている。それでも、歩行者の安全を無視しない姿勢を持ち続けているが、70代の母親に「無駄で幼稚な行動」と言われたことで怒りを覚え、自分の信念と現実とのギャップに苛立ちを感じている。
【批評】
この話、歩行者の安全とか社会の問題についての不満がめっちゃ強く出てるんやけど、いくつか気になる点があるわ。
まず、ガードマンに対して正論をぶつけてるんはええねんけど、ちょっと威圧的すぎるんちゃうかな。相手も反発してくるやろし、話が進まん原因になってる気がするわ。もうちょい冷静に、相手の立場も考えながら話し合う方が建設的やったんちゃうかと思うねん。
あと、警察とか市の担当者に相談して問題を解決しようとしたのはええんやけど、もっと早い段階でしっかり対応を頼んでたら、もうちょいスムーズに事が進んだんちゃう?なんか、途中で無駄に時間と労力使ってる感があって、そこももったいないわ。
自分の息子が通る道やから、そら安全に気ぃつかうのは分かるけど、「強引に渡って車に急ブレーキ踏ませる」ってのは、いくら啓蒙活動や言うても危ないやん。他にもできる方法、考えてみてもええんちゃう?
そして、70過ぎのお母ちゃんに「そんな幼稚なことして」って言われたんが一番ムカついたらしいけど、大人の行動ってのは、ただ諦めるんやなくて、もっと冷静に解決方法を見つけて動くことも含まれてると思うねん。感情的になって突っ走るんやなくて、ちょっと落ち着いて話し合う方が、結果的にいい方向に行ったかもしれんなぁ。
全体的には、社会に対する問題提起としては共感できる部分もあるけど、感情が先走ってるせいで、逆に解決が遠のいてる面が目立つな。
について書こうとしたら桜井政博が完璧な動画を挙げていたのでもうこれを見て終わりにしよう
同じ職域でプレーヤー→プレイングマネージャー→マネージャーと順調に狭い世界の中を渡ってきた管理職にありがちな勘違い。
自分の経験や能力を過信して「俺と同じことが出来るやつが集まったらそれが最強のチームなのに・・・」と意味不明な苦悩を抱え込みだしたら完全にアウト。
その職域で最もメジャーなスキルについては一番長くやってる自分が一番得意ということは確かにあるけど、それだけで人を見て「俺と同じことが出来ないから駄目」とやっていくと誰もついていかなくなる。
長くやってるからこそ出にくいアイディアや、職域の外にある固有スキルとかをちゃんと活かしていけないならチームでやるメリットが薄れる。
というか、管理職にいる人間がプレーヤーの目線だけで部下を評価しているのがそもそも間違い。
チーム全体の雰囲気作りや、数字は出にくいけど組織に必要とされてる業務の貢献などの、全体を俯瞰してようやく全容が見えてくる仕事をちゃんと物差しに加えていけないと駄目。
そうしたらとてもじゃないけど「同じタイプの人間だけで構成された部隊が最高である」とは言えないことに気付けるはず。
不機嫌な態度で部下をコントロールしようとしたり、威圧的なオーラを出しながら頼み事をしたりすると部下の気持ちはドンドン離れていく。
単に自分がウォーターフォールの中間地点にいるだけであっても、多くの仕事は自分が部下に頼む側となる。
定型業務を淡々と割り振るだけですまない仕事の分配について、ついつい「なんで俺がここでストレスを抱えなきゃいけないの?理不尽じゃない?」と不機嫌になることもあると思う。
でもそこで自分のストレスを安易に「こんな仕事が来たよ!本当に許せないよね!俺は忙しいからやってよ!暇でしょ!?」なんてやってたら部下からの信頼はあっという間に無くなる。
要は頼み方一つなんだけど、「こんな仕事が来ちゃいました・・・ごめんなさい・・・上に現場のことをちゃんと見てもらえるように努力しきれませんでした・・・本当に申し訳ないのですが手伝って頂けないでしょうか?」ぐらいに弱気にいった方がまだ部下からの印象はいいよ。
上司からの泣き落としとか断れ無さすぎて最悪ではあるんだけど、どうせ上司から振られる仕事って断れないもんなんだから、せめて相手側に「申し訳無そうな空気」ぐらいは貰っておきたいと考えるもんでしょ?
虚勢を張って「強いボス」をアピールするのが自分の仕事だと勘違いしてる管理職がいるけど、これはよくある間違い。
「あくまで腰は低く対応しつつ、譲れないところはガンとして譲らない」ってスタイルを確立していくのがひとまずの理想形。
今の時代に横柄な態度を取って相手を威圧しても、そんなのは風邪気味で不機嫌になってる子どもみたいなモノとしか扱われないからね。
ある程度上の立場になって仕事をやっていると否が応でも見えてくるのが「絶対的なリソース不足」。
全ての項目を完璧にするのなんて絶対に不可能なんてのは下っ端のうちから見えていたけど、偉くなるほどにそれがどこまで絶望的に足りてないかが見えてくる。
その足りてなさについて下は全然見えてないから上の方から共有していかないと駄目。
でもそこでちゃんと妥協点を共有しないと「そこで手を抜いちゃ駄目でしょ。なんでわからないの?」って話を何度でもする必要がある。
漠然と自分の中にある「コレはここまで妥協できる。こっちはこの辺まで妥協できる」ってラインを部下に共有できないなら、それは管理しているとは言えないと思う。
管理って最終的にはリソース配分に対して行うものであって、そこにおいて重要なのは「何をどこまでサボったら赤点になってしまうか」という情報なんだよね。
これを自分の頭の中にある複雑な「俺様専用経験値方程式」みたいのだけで全部やろうとしてもそれは部下には伝わらない。
入ったばかりの新人はともかく3年以上いた人間なら皆理解できるレベルまで複雑を落とした「妥協点の方程式」を作り出して、それを積極的に共有していくのが管理職の仕事。
つーかこの内容でもだいぶ被ってるわ。
https://note.com/naru_oriko/n/n9b127bbd18e0
本記事の内容は数年前の状況で、現在は修繕されている可能性があります。
また、入社希望者を止めたり、Cygamesの各ゲームタイトルへのイメージを下げる目的はございません。
Cygamesは企業イメージを落とさないよう社員による内部情報の漏洩やSNS投稿等にかなり厳しく網を張っています。
特定されたらどうなるのかが怖くて、離職から数年間は何もせずただCygamesのCMを目にする度に軽いPTSDを発症していました。
現在、労働中に患った軽度な精神疾患が元となり精神障害へと発展した為、本記事を書こうと決めました。
まず初めに所属した部署で、上長からセクハラ行為を受けました。
→その時私は所属から1週間程度だった為、断ることが出来ませんでした。
→部署内のLINEグループがあるとのことで所属して直ぐにLINEを登録していました。
これらを人事に相談したところ、私が別の部署へ異動となりました。
これらを人事に相談したところ、この方は降格処分となりました。
翌朝出社した際、まだ原因が解明出来ておらず、疲弊しきったリーダーが謝罪していました。
→私はこの時の怒声を今でも鮮明に覚えており、若干のトラウマとなっています。自身がリリースする際にかなりのストレスを感じていました。
→エンジニアリーダーと食事をした際、リーダーは会話中でもApplewatchに通知が来る度すぐに開いて確認しており、常に緊張状態にあるようでした。
→私はこれをきっかけに一過性の鬱状態となり、その方と話した後にトイレで嘔吐したり、一時他人と話すことが出来なくなり、別室で作業をするようになりました。
その後、そのプランナーリーダーと関わらない部分の実装を担当するようになりましたが、鬱状態が治らず、限界がきて離職する運びとなりました。
今や他社のゲームも盛り上がっておりあまり目立たなくなりましたが、一時期はウマ娘やゾンビランドサガ、グラブル等の広告や話題が街中・TVCM・SNS等で目にすることが多かった為、その度にフラッシュバックして嫌な気持ちになる事が多かったです。(現在進行形)
このせいで佐賀県に個人的な苦手意識が芽生え、大好きなお笑いのキングオブコントでスポンサーとなった時はショックを受けました。
繊細さんの行動原理を読んで、とある職場の同僚についての理解が少しできた。
とあるトラブルで話し合いの際、他のチームメンバーの見解に対し「自分はそう思わない、私はこう思う。逆の立場になって考えてみたら同じように思うのか」と言っていた。
チームメンバーとは入社歴も待遇も同じで、立場による差はない。
自身が相手の見解に同意しないのは自由であるが、自身の主張は相手に理解を求める。
事あるごとに傷付き、すごく辛くて、もう嫌なのだと言う。
なぜなのかと思ったが、“自身は弱者である”という認識が強いのだと考えると、腑に落ちたところがあった。
>配慮されることは特別扱いなのではなく、生存のための大前提なのだ。
>だから常に配慮されている「べき」で、それが無いということは加害されているのと同義である。
彼女にとって、何もしないということは加害と一緒なのだ。とんでもないな。
>生存のための武器として、態度や間接的な言葉で他人をコントロールする術に長けている。
>罪の意識も無ければ、相手の自由を奪っているということに気付くこともない。
彼女は「自分は人より出来る」「人の相談を受け、感謝されている」というような話を自ら伝えてくる。
事実、話しの中で矛盾が大いにあるが、彼女はおしゃべりで弁が立つ方だと思う。
その思考が平等な観点なら良いのだが、突き詰めると自身の主張を通すことが主題であったりする。
共同業務の中で効率的なやり方を提案した際、彼女のポリシーとは違ったようで、威圧的な言動で提案内容を詰めて来た。
別に提案しただけなので、彼女のやりたいようにして良いと思い身を引いたが、「私に理解できるように説明して、言ってくれれば良い」と大声で返してきた。
これは彼女とまだ知り合って間もなかった時であったので、私は萎縮してしまった。
結局私の提案は無かったことにして、彼女をリーダーに作業を終えたが、彼女は嫌な思いをしたようだった。
彼女は人一倍できると豪語しており、私はまだ経験が浅かったので彼女を立てたのだが、どうするのが円滑であったのか分からなかった。何気なく提案してしまった自身の言動を後悔した。
私自身、彼女に聞かれたことを教えたり、教える際も私も横で実践しながら親身にしていたのだが、こういった積み重ねというか、彼女は持ちつもたれつの考えが無いように思えた。
罪の意識も相手の自由を奪っていることも気付かないという認識ならば、理解できる。
>我々はもうすでに、あの人が恐ろしくなっている。
>コミュニティに繊細さんが入ってきたとき、自分が善人でいたいなら、そのコミュニティのことは諦めろ。
私は現在もう彼女に完全に嫌われているので詰んだのだが、職場の同僚であるため、完全に関係を断てない。
過去チームメンバー間でトラブルがあり、その際に上司は彼女の特性について認識している。
一度お互いが円滑に仕事をするため、上司含む同僚全員と話しをする場を設けようとしたが、彼女は固辞した。するならば私抜きでと。
そのため、彼女の気持ちが落ち着くまで一旦話し合いの場は延期になったが、その場がいつになるのかは未定である。
彼女と一緒に居ると大変ストレスを感じる。彼女も居心地は良くないと思うのだが、仕事を辞めたくはないらしい。この職場はもう終わりだ。
例の知事もそうだけど、パワハラしてる人って大体この思想を拗らせてる。
他人に対しての暴力性を「必要悪としての厳しさ」として正当化し、他人に対してのあらゆる要求を「生ぬるい忖度をしない優しさ」として変換していく。
威圧的な物言い→伝えるべきことはハッキリと言葉にする厳しくも優しい俺
やたらと狭い了見→直すべき所をちゃんと指摘する厳しくも優しい俺
勘違いからの開き直り→伝わりにくいということをちゃんと教えてあげる厳しくも優しい俺
↓
結論:相手の今後を考え「ここが分かりにくくて勘違いする人が続出していたかも知れませんよ」を逆ギレされるリスクを恐れることなくハッキリとした口調で伝えてあげる厳しくも優しい俺
上位者への忖度要求→ポイントを稼げる時に稼ぐことの大切さを教育
↓
結論:自分のことを知ってもらいつつポイントを稼ぐことも出来るお土産チャンスを逃してはいけないことをより多くの領民に伝えるために日夜頑張る教育熱心な俺
そもそもなんでこんな勘違いをするのかと言えば、そもそもコイツらの異常行動を正当化出来る謎の常套句がすでにあるのが良くないんだよね。
長になる人に求められる考え方は「厳しくも優しい俺様マジカッコイイ」ではない。
「厳しいというのは、どんな理由があっても厳しいなんですよね」
「優しいというのは、相手がそれに感謝して初めて優しいなんですよね」
こういった考え方が出来るような、フラットな考え方の人がこれからの時代を引っ張っていくべき。
よく分からん理屈をこねくり回して「つまり、俺は正しいし賢いし素晴らしいし人格者なんだ!」と言い張ろうとすると屁理屈モンスターではない。
聞いてくれ。
まず私(男)の文章は下手くそです。初めに謝っておきます。読みにくくてごめんなさい。一応、事実の経緯と、思ったことを書く部分を分ける努力をしました。
(経緯)
2年前、親族を巻き込む大騒動を経て、私の母(債権者)より委託を受けて、私のいとこ(債務者、男性)の債権を管理することになった。
母の債権額は1000万円。いとこは私より3歳年上。工業高校卒で地場の自動車部品メーカーの子会社に勤務。給料は高くない。
いとこは15年ほど前に、副業相談で知り合った人にだまされて、サラ金で数百万借りた金を渡してしまい、それで債務者になった。その後、ずるずると借金が増えて多重債務者になった。
しかし5年前、「結婚したい」と思い立ち、知人友人からお金を借り、サラ金をいったん完済し、住宅ローンで一戸建てを購入すると同時に、420万円の新車をローンで購入。結婚するも2年で離婚。
その後、紆余曲折を経て、また一時期闇金にも手を出したりした結果、私の母がいとこに対して1000万円の債権を有することになる。
(ここで、多くのなぜ?があると思うが、身バレ防止で詳細は割愛。)
母は、可愛がっていたいとこ(母からすると甥っ子)への対応がしんどいので、息子である私に依頼し、債権管理をすることに。
まずはじめたのは、状況把握。
当初私は、こう考えていた。
「いとこは、複雑な家庭環境で辛い経験をしている。また、多重債務者となったきっかけも騙されたことが理由。なんとか助けてあげたい」
そう思い、いとこに給与や生活費の詳細を聞いたうえで、Excelで債務額と返済額、利息をシミュレーションした。作成完了には10時間以上かかった。
そして、金利の高い一部ローンの返済が終わるまでは、母への返済は猶予する内容の借用書を作成した。また、当座のお金を30万ほど「20年後払いでいいよ」といって貸した。
借用書に捺印させたときに、「一緒に考えて、借金に立ち向かっていきましょう。応援しています。隠し事なしでともに頑張りましょう。いう通りにやれば、家も守れますよ」と話し、いとこは「ありがとう」といって泣いた。私も泣いた。
理由は、生活費の使い道について、事前に決めた内容が無視される、また無断で不明の出費があるためだ。
金利の高いサラ金を優先的に返済するには、「特段メリットのない年払いや、少し支払い期限を遅れても利息が取られない税金等の支払いを後回しにする」ことや、「なくても食うに困らないサブスクをやめる」「携帯代削減のため格安スマホに乗り換える」といったコスト削減や我慢が必要だ。
年払いメリットがないものを「昨年も年払いだったので」といって年払いし、税金の通知がきたらすぐに支払ってしまう。そして、複数入っているサブスクもやめないし、格安スマホは「変更すると困るので」といってやめない。
十分説明を尽くしたにも関わらずだ。
それから、支払いを猶予する条件として、家計を包み隠さずに教えてください、といったにも関わらず、隠す。予定外の数万円の支出の理由を聞いても、よく分からない。
ここで私は熱意をなくして、母の借金の返済開始日までは何も聞かないことにしようかと思ったが、突然破産したり、自〇されても困るので、2か月に一度だけ状況を聞くことにした。
最初は確認のため電話をかけていたが、何度かけても出ない。かけなおさない。
よって、別な親族をつかって圧力をかけて、電話をかけなおさせたが、あまりに口調が脅迫的で、私が参ってしまいそうだったので、LINEでやり取りをすることに。
しかし、そのLINEは、「お金を貸してください」という丁寧なメッセージが来る一方、それ以外のメッセージは、威圧的かつ脅迫めいたもの。一度だけ、返す当てがありそうな話だったので3万円貸したが、無断で期限より1か月遅れた返済だったので、以後は貸さないことにした。
そして借用書を書いてからちょうど2年が経過した今日、こういうメッセージを頂いた。
「あなたの2か月ごとに来る連絡が非常にストレスです。私をバカにしているのですか。私は毎日〇にたいと思いながらも、頑張って暮らしています。仕事も大変です(以後愚痴が続いた後で)。あなたしか頼れる人はいません。助けてください。5万円だけ貸してください。」
(思ったこと)
いとこが多重債務者に陥ることになったきっかけは騙されたことだが、立て直すチャンスはあった。
多重債務者のなかには、困難に真摯に立ち向かい、借金を返していく人もいると思う。しかし、私のいとこのような特徴を持つ人も多いのではないだろうかと推察した。
というわけで、いとこは終始不誠実な対応を続け、私からの信頼も失った。多重債務者を救おうとした私の試みは失敗に終わった。おそらく母の債権1000万円も戻ってこない。母にはまだ言ってないけど。
昔にやった「YU-NO」というエロゲーで、「シュヴァルツシルト半径」という用語があった。これは「この半径の中にいる人に対しては、タイムマシンで時空を捻じ曲げて救おうとしても、決して救うことはできない」といった意味だったと思う。まさに、私にとってのいとこは「シュヴァルツシルト半径の中にいる人」だった。
なんか一行目で自分の答えを出してその答えありきで全文かいてるけど
たぶんそんな怒り狂って我を失って見境なく攻撃してるとかみたいな事はないと思うよ
ものすごい形相で異常なまでの剣幕でまくしたてて怒り狂ってるように見えると我を失って本気で怒ってるんだろうと想像してるんだろうけど
そんな人間めったにいないと思うよ
私にはねえ、だれが主張しようと出張ってこようと正論っとか右とか左とか関係なくただ目についたら
それに対しして「正義になりきってゆるされた暴力を我儘にふるえる何者か」になりたそうだと見えるよ
まず第一に怒るって感情がどんなものかというのが日常にほとんどないだろうしそんな事をした人なんて稀有なんじゃない?
しょっちゅう怒号を聞くしわめいたり他人を罵倒したりしているのをみる、という人もいるだろうけどそれって「怒り」からくる態度に似てるけど
その人が怒っていると思う?
怒っているとしたら何に?どうしたくて怒ってると思う?
どうもしたくないのに怒る人なんていないんじゃない?
彼らがしたいのは怒りによって相手をどうにかする、その結果相手が成し得ようとしていた何かを妨害したり方向を変えたりして結果を変える事じゃないよね
それは怒りじゃないんじゃない?まあ異常に興奮して攻撃的な状態を怒りって格ゲーでは長く言われてたから怒りなのかもしれないけど
自分の気に入らなかったことを周知させるために、あたかも自分が周知される正当性や権利を持っているように暴れているようすがほとんどの「怒り」ってやつじゃない?
デモを妨害してその目的を挫くことによって得られる未来とか他人の主張に反対してそれを広めることをさせず、じゃあ何を広めたかったのかとか
そんな結果を求めて「怒り」ってもってる人いなくない?
なんか自分の気に障るから、自分の気が済むように騒いで妨害して、相手の困惑する様子をみて自分が満足するために怒るのだったら
それは怒りっていう複数の関係者がそれぞれたどり着くべき場所をもっていて交渉する手段じゃなくて「自己主張の一種」だと思うよ
結果を変えるためだとしても、また違って自分の為だけだったとしても、暴力とか直接的な物理の交渉で威圧的にくることが「怒り」ってひとまとめでも
それでも別にいいんじゃないかんとは思うけど「それぞれ個人がなにかの思想や考えをもっていて嫌っていて、それを主張するために怒る」ってものじゃなくて
「ただ自分が何者かになりたくて、主張をするような何者かに正論にのって正義として威力を発揮するなにかになりたくて」怒る人が多いんじゃないかって気がするよ
原因なんてなんでもいい、その場の正義に乗れたらなんだって声を荒げて執行しちゃうぞって、日々見る事がない自分の腕力とか実力を試してみたい
そんな人が多いんじゃないの?
聞け、兄弟たち!俺はここに立って、『しかのこのこのここしたんたん』を擁護するために来たんだ!インターネットのどこかで、このアニメが「つまらない」とか言ってる奴らがいるって聞いたぞ。そんなこと、絶対に認められないぜ!
シャツを豪快に引き裂きながら
見ろよ!俺がこのアニメを愛しているってこと、忘れちゃいないよな!?この『しかのこのこのここしたんたん』は、ただのアニメじゃないんだ。これは心の奥底に響く、魂を震わせるマスターピースなんだぜ、兄弟!
キャラクターたちの深さ、プロットの緻密さ、そしてアニメーションの美しさ。これを見逃してるなんて、正気の沙汰じゃない!このアニメを「つまらない」とか言ってる奴らは、真のエンターテインメントが何なのか、全然分かってないんだ!
拳を振り上げながら
お前たちがこのアニメを支持するか否か、どっちかを決める必要があるってことだ。『しかのこのこのここしたんたん』を批判する奴らは、このアニメの本当の力を理解してないだけなんだ。お前たちが理解してないからって、このアニメの価値が下がるわけじゃないぜ!
力強くポーズを決めて
だから、聞けよ!このアニメは真のファンのためにあるんだ。心を揺さぶられ、感動し、興奮する者たちのために作られているんだ。『しかのこのこのここしたんたん』のファンを舐めてかかるとどうなるか、覚悟しておけよ、兄弟!
威圧的に歩き回りながら
お前たちがこのアニメを「つまらない」と言うたびに、俺の怒りが増していく。だから、もう一度言わせてもらうぜ!『しかのこのこのここしたんたん』は、最高のアニメだ!それを認めない奴らは、俺と俺のファンの怒りを買うことになるんだ!
そして最後に言っておくぜ、兄弟たち!『しかのこのこのここしたんたん』を批判する奴らは、俺たちのエネルギーと情熱を分かってないんだ。だけど、俺たちはそんな奴らを止められない。なぜなら、俺たちはこのアニメを愛しているからだ!
拳を振り上げて
だから言わせてもらうぜ!「つまらない」とか言ってる奴らよ、覚悟しろよ。俺たちファンがこのアニメの真価を証明してみせる!そして、俺たちは決して諦めない!これが俺たちの信念だ!
決めポーズを取りながら
最後に言わせてもらうぜ。お前たちの批判なんて、俺たちには通用しない!俺たちファンは、『しかのこのこのここしたんたん』を永遠に支持し続けるぜ!信じる者には、限界なんてないんだ!これが俺たちの力、俺たちの誇りだ!LET'S GO, BROTHER!
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、 ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。
大人になって先生という立場でクラスを持ってみると、先生の指示に従わない人が現われるとどんな感じなのかが良く分かった。
まずしぬほどめんどくさい。子どもからすれば一人の人格を持った人間なので当然、指示に従わない人間もいて然りと思っていたが、先生からすると毎日きれいにブロックを作ってくれる機械が突然一個ふにゃふにゃの形になっちゃった、みたいな感じだ。介入、調整という手間が発生する。そういう「面倒くせえな、壊れんなよ」って感じ。先生が思い描く計画通りに事が進めばノンストレスだ。だから、それを乱すヤツがストレスなんだな、と分かった。
自分の価値観を変えるより、生徒に強制させた方がラクなタイプ、仕事のゴールが自分の思い通りに進めて終わらせることなタイプの先生は、そのルールの内容はどうでもよく、どんなに意味が無いルールでも考えずに生徒に強制させる。
しかも先生はしぬほど忙しい。あれやれこれやれと国からの指示が気ままに来るし保護者はうるさいし、対応しなきゃいけないことが多すぎる。そうすると、最初から文句が出にくい雰囲気があった方がラクになる。そのため先生はどんどん威圧的になり、管理主義になる。本人は全くそんな自覚ないのだが…。そうなるとその息苦しい雰囲気は生徒に伝染し、閉塞感が強まってはけ口としてクラスでは陰湿ないじめが発生する。そしていじめは悪化して先生はさらに忙しくなるという悪循環に陥る。
教頭はふた昔前くらいの価値観で仕事をしてきているし、矢継ぎ早に来る国からの指示を頭に入れるほどの柔軟性は年齢的に支障が出始めている。そうすると柔軟な組織運営なんてできる訳がないし、外部からの客観的な声も聞き入れられない、問題は問題じゃないことにしてフタをして職業人生生きていきたいところ。
ずーーーーっと溜め込んできたからここで吐き出させてほしい。
(段落の開け方を調べるのも億劫なので、読みにくいかとは思いますがご容赦ください)
24時間体制の部署だが、自分は日中シフト9時~18時休憩1時間で夜間勤務は基本なし。デスクワーク。
さて、掲題の同僚と日中シフトで毎日2人きりになることが苦痛で仕方ない。
その同僚Aは私と同年代だが古株で、昼間の業務は大体何でも出来る故に上司や他の同僚からも頼りにされている。
対面においてのコミュ力が絶望的に低いことを除いては、Aは完璧である。
Aと出会って初めて気になったのが、話のテンポが異様に遅いことだ。
業務上の連携の一環として「この○○って△△ですよね?」と確認を取るとする。
Aは1、2秒間を置いて威圧的に「…ん~?」と聞き返す。
そして更に数秒おいて、もったりと「あ~…ん~…」と返す。
非常に不可解だが、NO=「…ん~?」らしい。
相手が正解を言うまで何度も聞き返す、極めて陰険な手法を取ってくる。
最初は耳が遠いのかと思って配慮し、同じ質問を繰り返していたが、どうやら一回目で話の内容は聞き取れているらしい。
だから私は今では同じ事は2回以上聞かないようにしている。
1回質問をするたびに、「…ん~?」が発動され、さらに数秒かけて無言で処理され音声としてのレスポンスがようやく来る。
この仕組みさえ分かっていれば最終的な答えは得られるのだから。
また、AはYes/No以外の文章型回答も「…ん~?」から始める。
内容は理路整然としているものが多いが、どうにも皮肉っぽく、鼻につく言い方をする。
台詞だけ見れば普通であるが、小学生がする演劇のわざとらしいトーンのような、
アニメキャラのセリフを素人が真似して失敗しているような、独特な言い回しと抑揚の付け方をAはする。
「〇〇はぁ~(少しトーンダウン)、△△だからぁ(ちょっと吐息を吐く)、こうするのがぁ(トーンをぐいっと上げる)、普通だと私は思うけどぉぉぉ~~~↑↑↑??(何故か声がひっくり返る)」
文字起こししたら過呼吸のような喋り方に見えるが、実際はもっと早口だ。
上記のセリフを2倍速で脳内再生すれば実際の喋り方に近いと思う。
最近は慣れてきたが、勤務して数か月はこの「ん~?」を聞くたびに心臓がバクバクして仕方がなかった。
こんな態度を取られたら、この人は不機嫌で、自分が何かやらかしたのではないかと委縮してしまうのも無理はないだろう。
一度、「何かAさんの気に障るようなことでもしてしまいましたか?」と恐る恐る聞いたことがある。
「…ん~?……別に怒ってないけどぉ~~??↑↑」とのことなので実際の真偽は不明。
ここまで来たらもう怒ってるかどうかなんてどうでもいい。
自分が完璧でいることが当たり前であり、人に弱味を見せたら〇ぬとでも思っているのだろう。
誰も責め立てたり怒ったりしていないにも関わらず、Aは自分が犯したミスに対して一通り言い訳をして、
それでもまだ気が収まらないのか、怒りを鎮めるかのように気が済むまで自席で一人ブツブツ言っている。
なお、この手の人間にありがちだが、他人がやらかしたミスは重箱の隅をほじくるかのように責め立ててくる。
責め立てる台詞は上記の人を煽るような演劇調早口である。不愉快を通り越してもはや不気味で怖い。
当然そんなAと日常会話なんてできない。
推測するに、Aは興味のない人間や、見下している人間の話を聞くことができないのだ。
相槌さえまともにできない。
まあ仕事で友達を作りに来ているわけではないから、そこは別に良いとする。
好きなものはあるし、それを共有する仲間もいる。
そのグループ間においては、Aは正常にコミュニケーションは取れているように見える。
Aの趣味はソシャゲ等のスマホゲームであり、同じ趣味を持つ夜間シフトの同僚と話す時は途端に饒舌になる。
早口すぎて呂律が回ってないが、本人は楽しそうであるし、この時ばかりは「…ん~?」も封印されている。至って結構なことだ。
本音としては、頼むからそのコミュ力を10分の1でもいいから業務上の会話に充ててほしい。
この間、Aが有給を取って、普段は夜間シフトに入ってる別の同僚Bと一緒になった。
Bは私が話しかけるとすぐに答えてくれた。相槌も打ってくれた。
コミュニケーションが爆速で進み、QOLが頂点に達し、その場で感極まって泣きそうになった。
■右折入庫車両がそろそろウザいので斬りたい
彼らの動きは非常にワガママなことが多く、また右折入庫がどこでも通じると勘違いしている人間も見かけるようになった。
右折入庫OKとも書いていないパーキングに入ろうとしてクラクションで威圧的に警備員さんに注文をしているのも見かけた。
無理やり入庫ざまに「してやったぜ」とニヤリと笑われたりもした。
右折入庫禁止なのにしてくる車両の動きを見ていると、やたらとセカセカとしている。左折で堂々とできないストレスを発散しているかのようだ。それを見て萎縮している歩道通行者たちを見るのも哀しい。
自分は右折入庫全体について言っているのではない。「右折入庫禁止なのに無理やり入庫してくる変人」のみを指している。彼らは道交法を守って来ているのではない。
「自分がヤクザになったかのように傍若無人に振る舞っても許されて、しかもやり遂げた感などは保たれているし、自分だけが違反しているわけじゃない」という自分に酔っていると思っている。
正直排斥したい。打壊しというのはこういう気持ちから起こったのではないかという心持ちだ。
今のところ警備棒で打撃しようなどとは思っていないが、ときどきこれがレーザーサーベルだったらと思うときがある(これは冗談)
自分は交通誘導が少しできるので彼らの顔の表情を見ることができるが、警備員をバカにしている者をときどきみる。警備員は全員が反撃ができないとナメているのかもしれない。
彼らは観光地やショッピングモールに多い。本当に歩道通行者や自転車を避けない。自分が彼らを捌いていると「歩道通行者を確認していない運転免許保持者もいるのか」と仰天したような挙動をする。常にいて本当に危険である。
絶対にクルマが止まるとおもっている歩行者や絶対に衝突せず避けて走れるとおもっている自転車のように振る舞っているクルマが多い。
道交法を厳守する立派な運転者が堂々と振る舞っているならともかく、ただクルマがあるというだけで道交法もへったくれもない危険運転者にデカい顔をさせてこちらをヒヤヒヤさせている現状に腹が立つ。
街を歩いていると外人が非常に多くなってきた。
彼らの動きは非常にワガママなことが多く、また英語がどこでも通じると勘違いしている人間も見かけるようになった。
英語OKとも書いていないレストランに入って英語で威圧的に店員さんに注文をしているのも見かけた。
すれ違いざまに「fuck」や「jap」と言われたりもした。
外人の動きを見ていると、やたらと堂々としている。母国で堂々とできないストレスを発散しているかのようだ。それを見て萎縮している日本人たちを見るのもうざい。
自分は外国人全体について言っているのではない。「外人」のみを指している。彼らは日本が好きで来ているのではない。
「自分が貴族になったかのように傍若無人に振る舞っても許されて、しかも清潔感などは保たれているし、治安が安全な国」という天国のような場所に来ていると思っている。
正直排斥したい。尊王攘夷運動というのはこういう気持ちから起こったのではないかという心持ちだ。
今のところ倒幕しようなどとは思っていないが、ときどき斬り殺してやろうかと思うときがある(これは冗談)
自分は英語が少しできるので彼らの話の内容を聞くことがあるが、日本人をバカにしているのをときどき聞く。日本人は全員が英語ができないとナメているのかもしれない。
彼らは観光地や東京に多い。本当に道を避けない。自分が道を歩いていると「道を避けない日本人もいるのか」と仰天したような挙動をする。常にいて本当に邪魔である。
立派な人間が堂々と振る舞っているならともかく、ただ金があるというだけで礼儀もへったくれもない外人にデカい顔をさせてヘラヘラさせている現状に腹が立つ。