「WAC」を含む日記 RSS

はてなキーワード: WACとは

2021-06-04

続 自衛隊のメシ

昨日書いた日記にたくさんの人がコメントをしてくれて嬉しかったです。ありがとう

平成の米騒動あたりは記憶曖昧だが、たしか食堂タイ米を食べてました。

多分、入隊してすぐくらいだったか…この辺りは、半年以上教育期間だったので、

TVも見られず、もちろんスマホも無い時代なので、世間がどうなっていたのか全く知りません。

知らないうちに総理大臣が変わっていたことにはびっくりした。

米騒動は終わっていたかもしれない。

マズかったメシ以外にも、自衛隊の楽しみだったり、心に残ったメシをつらつらと書いていこうと思う。

20年間で5回くらい転属してあちこち臨時勤務等もあったので、ひとつ食堂の話ではありません。


① テッパンオブテッパン 「カレーライス

カレーライスは間違いなくアタリの日だった。どこの駐屯地でもうまかった。

ただ、訓練後のカレーは午後がむちゃくちゃ眠くてキツかった。

だが、午前中の訓練のモチベーションを上げてくれるのもまたカレーだった。

新人の頃は午後、ウトウトして先輩からよくどつかれたものだが、

先輩になると、どつく側になった。

そしてまたそれを超える年になると、どつきどつかれしている後輩達を生暖かく見守る立場になった。

昔、料理長に聞いたカレーの隠し味「焼肉のたれ」は、今でも家でカレーを作るときに入れている。


② 自分ひとりじゃない 「クリスマスケーキ

12月24日だか25日の昼には可愛いクリスマスケーキピースが出た。

恋人がいない隊員はあえてこの日に当直を入れ、寂しさを紛らわした。

もちろん自分積極的に勤務についた。

この日あたりから年末休暇が始まるので、ウキウキと帰隊する既婚者がなかなか憎たらしかった。

ケーキはうまかった。


③ しんみりと故郷の母を思う 「おせち

元旦の昼はおせちが出た。大皿に少しずつ黒豆とか、なます田作りなんかが適当な感じに盛り付けられていた。

まあ、おせちは出来あいなので大してうまくはないし、おかずになりにくい。

数年に1回は元旦勤務があったが駐屯地にはたくさん人がいるので寂しくはなかった。



④ 全員平等の 「チョコレート

バレンタインデーには昼飯にチョコレートがついた。不二家ハート形のチョコレートが多かった気がする。

男女関係なくみんなにもらえるチョコレートはなんだか嬉しかった。


自衛隊女性モテるというが、頭が良くて優しくて素敵な、妙齢独身の先輩はたくさんいた。

自衛隊の男の目が節穴だと思っていた。

自衛隊イケメンはなぜか民間女性とばかり結婚していた。

少し年を取るとWACモテなかった。常にすっぴんだし、男女平等階級社会なので言葉遣いも荒くなることもあった。

女性とみなされないのかもしれない。

WACですぐ結婚する子は新人ばかりでした。


⑤ 3月ボーナスステージ 「ステーキ

3月になると、予算に余裕が出るのか使い切ろうとするのか、メニューがわりと豪華になった。

ステーキの日は朝から駐屯地中の営内者が浮足立っていた。

なんせ隊員数百人分のステーキなので、朝から焼き始める。

午前中から匂い駐屯地中に漂ってくるので仕事にならない。

料理長が大きな鉄板で手のひらサイズの肉をジャンジャン焼き上げ、横にうずたかく積んでいく。

外で焼くパターンもあった。

もう焼きあがっているので熱々とまではいかないが、本当に美味しくて年に一度のパーティタイムだった。


その他、創立記念日には紅白饅頭が出ることもあったし、節分には小袋の豆が出た。

夏にはスイカが出たしアイスも年に1回くらい出たかな?

美味しいメシは本当に訓練のやる気に直結していた。


ただ、唯一不満があるとすれば、白米がまず出てこなかった。

健康留意してか、常に玄米とか粟とかヒエとか謎の穀類が混入していたので、ただただ真っ白な白米が食べたかった。

同期なんかは「また鳥のエサが入ってる…」と、よくぶつぶつ言っていたことを思い出す。

あと、駐屯地食堂では目玉焼きが出ないので、外で食事をするときはひたすらベーコンエッグ定食を食べていた。

生の卵は出るので玉子かけご飯は出来るが、半熟目玉焼きに飢えていた。

あとはなぜかクリームシチューが出てこなかったなあ。


自分除隊する前の数年で糧食班がなくなり、民間業者が隊員食堂を切り盛りするようになった。

団塊の世代だった古い栄養士糧食班長も定年を迎え、若くて新しい世代栄養士さんに代替わりした。

男性若い栄養士さんは、自衛官の心をグッとつかむ旨いガツメニューが上手で、とても人気がある。

辛くて悲しい出来事任務もあったけど、仲間と自衛隊メシを食べれば元気になれた。

自衛隊メシよありがとう

2020-09-19

あと、レノボの一部ノートについて、平均消費電力が45Wを超える場合があり、ACアダプタが45Wの小型のもの場合フルパワーで使用すると、ACが容量不足になり電気的に見て危険であるので、

45WACアダプターを使う場合で、ノートの消費電力が45W超えるモードが有る場合利用者でご注意ください。オーバーロード危険です 大したことはないですが、御理解の上ご利用ください。

2014-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20140420144004

本当はヤバイ!韓国経済―迫り来る通貨危機再来の恐怖 三橋 貴明 (2007/6/15)

世界いちばん!日本経済の実力 三橋 貴明 (2011/8)

完全にヤバイ韓国経済 三橋 貴明、 渡邉 哲也 (2012/5/1)

ユーロ崩壊! 三橋 貴明 (2012/2/8)

“脱グローバル化"が日本経済を大復活させる 三橋 貴明 (2012/12/15)

いよいよ、韓国経済崩壊するこれだけの理由 (WAC BOOK) 三橋 貴明 (2013/1/9)

本当にヤバイ中国経済バブル崩壊の先に潜む双頭の蛇 三橋 貴明(2013/5/24)

韓国経済が抱える深い絶望 三橋 貴明 (2013/8/2)

良識派 vs 常識派で徹底分析 これが日本経済<<世界「超」最強>>の仕組み なぜ日本世界とこれほど違うのか 三橋 貴明、 岩本 沙弓 (2013/2/20)

いい商売だな。

2013-11-01

コナミまたやらかし

以下転載

--------------------------------------------------------------------

つらくても、音楽ゲーム人生を過ごしていた。音楽ゲームのおかげで、音楽が更に好きになって、作曲もそれをきっかけに始めた。

正直、かなりBEMANI音楽ゲームに恵まれた。さようならって言いたくない。BEMANIがオレの人生を変わった。人々と出会って、人生の理を体験して、そして音楽がオレの中の一番高い位置を定めた。

何回も何回も、KONAMIがやっちゃったことが、オレみたいなBEMANI信者を傷つけ、絶望させ、そして諦めたくなってた。が、結局なんだかんだの理由を見つけて、自分を説得して、ゲームを引き続いて好きになることにした。

たとえポップンが2作間(TUNE STREET、FANTASIA)稼働してなくても、たとえ未だにe-amusement gateの使用がかなり不便としても、たとえ今回のKAC2013に海外待遇がどんなにひどくても、たとえKONAMI公式と香港代理がどんなにプレイヤーに冷たくても、たとえKONAMIアーティストさんとプロデューサーさんがどんなに働かされてネタ尽きになっても、BEMANI信者達はまだ希望を持って、きっとこれから楽しくなるよと、いろんな意見を提出し、ゲームを支えるように動力した。

この音楽ゲーム界において、オレはさまざまなでき事があった。海外プレイヤー達をつながって、コミュニティを作った。自分なりの面白いやり方を宣伝し、日本プレイヤーまで感染させた。ポップンを復活させるために、意見書を直接にサウンドディレクターであるwacさんに渡して、果たして海外ポップンSunny Parkを遊ぶことができた。BEMANIゲームの愛と努力といえば、オレは少なくはないはず。

しかし、ある事情があって、もうBEMANIゲームが好きになれなくなった。KONAMIが、ほんのすこしの決定をして、オレの夢を破壊した。

それは先日、10月30日のこと。8月に行われた、サンボフロア自由研究コンテストにで、オレが一員としているチームが、KONAMIから本収録通知きて、契約書をサインしてKONAMIに送った。

だがしかし10日30日に、公式ページが結果を発表したところ、オレのチームが入ってない。リーダーからメッセージが来て、楽曲不採用になりましたとのこと。

共同制作者のうちに、日本在住ではない方がいらしゃる、と。

そう。その理由で不採用に。ルールにはっきり記載してない理由で。

ルール最初にあった、「参加者資格は、日本国内在住の方のみ」ってもちろん知ってる。しかし共同制作者についての制限は一切記載されてない。

それより、すでに韓国アメリカ在住のアーティストサンボルに参加している。チーム内の話し合って推測した結果は、申し込む人が日本在住であれば大丈夫だと。それに基いて、チームの一員として、このコンテストを参加した。

もちろん結果はご覧の通り。不採用

ちょっと昔話だけど。10年ぐらい前、プレステで家庭用のダンレボギタフリちょっと遊んで、そして9年前ごろからキーマニを触れ、合わせて10年以上BEMANI音ゲー遊んだキーマニギタドラ楽曲の影響を受けて、15歳ごろから作曲を始めた。だんだん成熟になって、音楽ゲーム以外の分野でも曲を作ってみた

しかしたら、いつか、オレの曲がこんなすばらしい音楽ゲームにも収録させ、楽しい曲と楽しい譜面をみんなに遊ばせるのかな、と思っていた。これは、音楽ゲームプレイヤークリエーターとしてのほんのすこしの夢だった。それを叶えるために努力していた。

最初からキーボードから五線譜入力し、そしてFLStudioを使い始め、音楽ゲーム楽曲が収録され、自分アルバムを作り、ゲーム音楽をいろいろ作った。すべて実際の行動で自分の作品の品質証明させ、聞く方に楽しませるためだった。

BEMANIにも3回投稿したが、すべて落選した。毎回でも出した作品を聞き直して、進歩を目指し、今度もっと素晴らしい曲を作れるようにがんばった。

音楽ゲームの楽しさを知るため、何年間も研究して、名無しのガキから海外音ゲー代表の一員になった。3回でも公式大会に出た。日本台湾中国アメリカなど、いろんな国のプレイヤー方と話し合って、各地の音楽ゲーム文化プレイヤーの実力を理解し、音楽ゲームプレイヤーほしいもの、そして楽しんでいることは一体なんなのかをたくさん聞いた。

ついにBEMANIアーティストと直接に話す機会があった。彼らの世界はいったいどんなものなのかを知りたい。そして自分の夢への正しい方向を見つけたい。

KACA2011のギタフリ部門に優勝して、AOU2012に行くことになった。バックステージに、dj TAKAさんと話した。もちろんBEMANIに曲出したいって話をした。そしてdj TAKAさんは、これからIIDX17のリミックスコンテストみたい、いろんな公募をやるつもりなので、どんどん参加してください、って励んでくれた。審査担当dj TAKAさんがいうから説得力あるかと信じて、いつか参加できるじゃないかな、と思ってた。

そして、2012年4月に、SDVX FLOORが開設した。2013年4月海外のSDVXも稼働し始めた。今は2013年11月で、もう一年半経った。海外プレイヤーはまだSDVX FLOORを参加することができない。

2013年5月に、台湾BEMANI座談会を参加した。台湾関係者がオレの友達で、ポップンについての意見をその場で述べようと誘った。もちろんポップンだけではなく、すべてのBEMANIゲームについての意見も考えた。SDVX FLOORを海外にも対応させるの話ももちろん。

そして座談会に来たBEMANIの方は、おおたPさんだった。そこで、海外はいつFLOORに投稿することができるか、とおおたPさんに言った。「日本人のフリにして参加したほうが早いですね」と答えた。ほぼBEMANI最高責任者かつプロデューサーであるから教えてくれたので、信じてた。ずっとこの日を待っていた。

しかし、コンテストは何回も行われたけど、応募資格はまだ日本在住のプレイヤーのみ。

今回、日本アーティスト4人とチーム名義で、自由研究コンテストを参加した。事前はもちろんちゃんとルールを読んで、過去海外在住のアーティストが参戦した作品も収録されてることを確認して、参加することになった。ついに、時が来た。あと一歩で夢が叶う。本当に最後の一歩だった。

10月のはじめ頃に、仮採用通知がリーダーに来た。約1週間前、KONAMIからもらった契約書をサインして、回送した。10月28日、こっちから送った書類が届いてると確認した。

2日後(10月30日)、公式ページに掲載された当選リストには、チームの名義がなかった。同時に、スカイプからリーダーメッセージが来て、公式からメールによると、

「弊社宛に確認書及びデータを拝受し確認させていただきましたところ、共同製作者の方が日本国外に在住されていることが確認できました。(中略)応募資格がない方がご参加されているが確認できましたため、この度は大変残念ではございます採用を取り消しとさせていただく運びとなりましたのでご連絡いたします。」

外国在住者立入禁止」のドアがいきなりしまって、その一歩を踏み出すことができなかった。実力が足りないのわけではなくて、ただただオレが日本に住んでいないだけだ。

チーム全員もパニックになって、対処方法を考えた。リーダーは早速KONAMI側と交渉したけど、当日には何も変わらなかった。翌日にはKONAMIからの連絡がなかった。

この文を書いてる時点(11月1日)には、もうKONAMI希望を一切持ってない。

もうBEMANIゲームを遊ぶ理由がなかった。騙されたかも?dj TAKAさんに、おおたPさんに、KONAMIの人に。

多分、海外の人は全然目に入らないだろうか?日本人だけで十分だ、と。

これからはもうBEMANIゲームから思い出を作ることができないだろう。ゲームクオリティだんだん不評になって、コストダウンがまるまるになって、新しい遊び方とか考えず、連動イベントで貢がせる気が満々に。尊敬していたアーティストさんも、この1、2年間に曲作り過ぎで、もう印象に残る衝撃な楽曲がなかなか作れなくなった。ゲームの面からでも、音楽の面からでも、BEMANIが昔みたいな魅力が、音楽ゲーム業界おいての代表役が、もうなくなった。

オレにとっては、今はBEMANIから引退するタイミングから、落下式音楽ゲーム世界からしばらく離れて、世界各地の音楽ゲームを楽しもうと思う。これから音楽ゲームを愛してる。音楽自体も愛してる。音楽ゲーム風の曲も作る。ただ、他のメディアを通して、音楽ゲームゲーム音楽を楽しみたいのだ。

以上。これからもみんなのちからで、音楽ゲーム世界を支えるように。

Iceロキ

平成25年11月1日

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん