はてなキーワード: 多種多様とは
その他、自宅じゃないと出来ない趣味は自宅でこもってやってほしい。
他者に見せないで良い。
オタクだって、オタクで集まってTwitterとかで話せば良いし、秋葉原とか専用の所に行けば良い。
通常の考え方の人だったら、「趣味は大っぴらにやるものではない」と理解しているはずだ。
多種多様な考えを持った人が居る世の中に、「これは俺の趣味だ!」とぶちまけるのはいかがなものか。
全然知らない他人が「俺の性癖はこれだ!」と叫んでいるようなものだ。知りたくも無い情報を伝えてくるな。
オタク向けの踊りを、わざわざ外で練習するようなものだ。人目の無いカラオケでも行け。恥を知れ。
でも、何故そんなに人に見せたがるのか?
一部の「もっと他人に認められるべき(同じ趣味の人を増やしたい)」という馬鹿が
知人でもなんでもない他人にばら撒こうとしているだけではないのか。
外の特殊環境じゃないと出来ない趣味(サーフィンとか)なら仕方ない。
だが、公共の「それ専用の施設」でも何でもないのに「俺の趣味ー!バーン!」とか出すのは変態でしかない。
恥を知らないんだろうな。俺の趣味は認められて当然!
こないだ転職したんだが、転職活動の中で見かけたやばい会社のパターンを後進のために残しておく。
CTOにするとは言っていない。
つまり釣り餌なので、この文言を使用している会社は警戒すべし。
多種多様な客先常駐案件を手当たり次第に受注したいので、とにかく放り込めるエンジニアを探しています。
契約社員の募集でこの文言を持ち出してきたら、家族だからと無理難題を押し付けてくる可能性大。
命を落としても知らんぞ。
○昼食:うどん、卵
○間食:柿の種
○調子
はややー。
なんといってもまずは餅。これを確保できただけでも、もうお正月の勝利はほぼほぼ確定しているのに
ここにチーズ、お吸い物、マヨネーズ、栗餡、みたらし、ずんだ等のお餅と合わせると美味いものも買っておいた。(あっ海苔忘れてた)
うひひ…… 顔がニヤけるね!
さらに、カップ麺やカップ焼きそば、袋ラーメンなどの日持ちするものも今のうちに購入。
スナック菓子にクッキーにチョコに乾き物に、と多種多様な間食の類。
などなど、とにかく食い物を大量に買った。
それだけじゃなく、紙コップや割り箸に使い捨てスプーンといったズボラグッズも買っておいた。
だけど、まだまだ足りないですよこれは!
餅と双璧を成す正月勝利への食料「みかん」はもう少し近くなってから買うにしても、
アイスクリームなんかも外せないよねえ…… 箱アイスだけじゃなくて、高いアイスも買いたいし……
ズボラグッズも紙皿も欲しいとこだし……
うひひ…… 楽しい…… やばい…… 今人生で一番楽しいぐらいテンションあがってる…… うひひっ。
なんだろうね、こう、自分の部屋に食べ物が増えるのってしあわせーって感じがして、とても満たされる。
○ポケダン時
ルリリを助けて探検隊の日常パートをイベントをいくつかプレイ。
今はドクローズと戦ってるところ。
しょうがないんだけど、僕の好きな悪ポケは悪役が多いね、いやもうマジでこればっかりはしょうがないんだけど。
●iOS
○グラブル
いいな
私のことも褒めてくれよ!
一人でうんこした!
おしっこもした!
飯も食ったよ!
わかってるよ
犬猫は人間に可愛らしさを提供してるから見返りがもらえるんだってことは
言葉が通じないから犬猫が飼い主のこと嫌ってようと都合よく解釈できる
私は可愛いわけでもない
人が怖いからなるべく接しない
なにも与えられないから、なにも返ってこないだけ
【追記】
反応欄では文化の違いの話〜カニバリズム〜多種多様性の尊重とか大それた話にまで内容が逸れているけど
私は犬猫になりたいわけじゃない 犬猫には犬猫なりの苦しみがあるだろうから
来世は生を受けたくない
その分どうにか今をなるべく楽しく生きたい
でもそれが難しくて悲しくなってこんなことを書いた
そして犬猫を食べたいと私は思わない
善悪で判断するものではないし、そういう文化の違いの中に自分も入っていると思うから
反応来て嬉しくなって読んだのに冷やかしから難しい話にまで話が広がってて色々考えてしまってしんどくなった
おわり!!!!!
外資系企業(米系/NOT金融)に転職してもう10年経つが日本企業に戻りたいと思うことはもうない。
はっきり言って給料が安すぎる。もはや日本企業の給与水準は東南アジアにも負けていることを社会は広く認識すべき。
この前のNTT退職の件にもあったけどあまりに多くの人が不当に搾取され続けているので、人道的見地から人民を奴隷的低賃金労働から解放すべく真実を記す目的でこのエントリを立ち上げる。
給料は日系と比べると天と地ほどの差がある(除く商社・キーエンスなど)。うちの会社に新卒で入るとだいたいこんな感じ。
2年目 700 = 基本給550 + ボーナス150
3年目 900 = 基本給700 + ボーナス200(昇進後)
5年目 1100 = 基本給900 + ボーナス300(昇進後)
10年目 1500 = 基本給1100 + ボーナス400(昇進後)
これが年間総支給額かというとそういうわけではなく現物株が支給されたりストックオプションがもらえたりする会社も多い。大体現場レベルだと200万 - 500万くらいの付与が毎年されてそれを4分割とか3分割で1年毎に行使できる権利が確定する。
なので、気前のいい会社でかつ会社全体の業績が上げ調子であれば新卒3年目でも余裕の1000万円超えも狙える。いい時期に入ると10年働いただけで資産3億とか無いこともない。これは正直運。
また、営業のコミッションが大きめの会社だと基本給は上記の1 - 2割引きということもあるが、コミッションが売上金額の10%程度もらえる。中にはコミッションが「青天井」の会社もあって、億単位のディールを決めるとそれだけで家が建つほどだ。
ちなみに当然給与水準は業界・職種によって大きく左右されるが会社の規模はあまり関係ないことが多い。例のGAFAのエンジニアだと上記水準の1.5 - 2倍が相場になる。人によってはもっと。
※追記
自分の中であまりにも当たり前過ぎて書かなかったのだが勘違いしている人がいるので追記。
基本的には成果主義なので入社年数と給料は直接的にリンクしない。あくまで上は例であって大体新卒で入って上から25−40%くらいの評定をコンスタントに取っていて、かつ、2, 3年に一回順調に昇進している場合のモデルケースである。
だから、同じ入社年数であっても3年目でいうと +/- 200〜300万円、5年目なら +/- 300〜500万円、10年目なら +/- 500〜1000万円くらいの上下の幅があってもおかしくない。
繰り返すが重要なのは仕事のパフォーマンスを発揮することを通じて定期的に昇進していくこと。その人の職位と職種によって基本給は決まり、さらに仕事の出来によってボーナスや株の割当数が変化することを忘れないでほしい。
中途の場合は、前職の給料と実質的に背負っていたであろう責任を勘案して現職での職位が決まることが多い。あと、採用時点でこの空きはこれくらいのレベルの人を取ろうと決まっている事が多いので要注意。
外資系はすぐクビになるとよく言うが本当だろうか。
半分正解で半分不正解。
確かに外資金融やコンサルなど暗黙的にアップオアアウトの人事制度が採用されている業界もある。上にあげたコミッション高めの営業職の場合もこれに近い場合もある。
しかし、それ以外の大多数の外資系企業はそこまで苛烈な首切りをシステムとして採用していることは少ない。意外にも、のほほんと仕事をしている外資系社員が大多数なのだ。
とはいえ、日本の大企業ほどのルーズさはない。例えば、セクハラ/パワハラの常習犯や軽犯罪者が解雇されることもなく社史編纂室でヒモのように会社に養ってもらえるようなことは断じて無い。こういったケースは外資系では容赦なくクビになる。
一方、仕事の出来がいまいち振るわないくらいであれば結構長くいられる。仕事の出来が悪くてどうも使えないからクビになる事例は50人に1人あるかないかくらいではないだろうか。
こればっかりは職種や部署によるとしか言えないが、まあ日本企業よりはサラっとしてるんじゃないですかね。自分は自分で他人は他人というスタンスの人が多いので、私生活に干渉されないように一定の距離を保つことは簡単。
飲み会もあんまり無い。あっても行かなくても別にいい。行きたければ行けばいい。
あとは、前職で後輩だった/部下だった人が現職では上司なんてこともあったりするので、上下関係で縛るようなコミュニケーションは基本的には得策ではないかな。
部下であっても後輩であっても一人の人間として接する態度を心がける方が後々トラブルを避けられる。
前提として、その会社の本社の言語、少なくとも英語は喋れるに越したことはない。ただし、営業など英語ができなくても人手不足であればタイミング次第で入れることも多い。
とはいえ、社内資料、メールは基本英語なのでどのみち英語力は必要。
順番はどっちでもいいから英語は勉強しよう。それだけで給料2倍になる。
残業代は一定職位になるまで基本出る。もちろん意味なく残業してると評定が下がったりするから要注意。金融やコンサルはガチで3時間睡眠1ヶ月とかあるらしいが普通の事業会社ではそんなこと普通無い。9時とか10時に出社して6時とか7時に帰れる職場って結構ある。
そもそも本社とか欧州のオフィスに出張してみればすぐわかるけどビックリするぐらいみんな遅く来て早く帰る。アメリカ人なんかは昼飯はデスクでサンドイッチで済ませてその分早く仕事終わらせることに命かけてたりする。
そもそも成果主義だからデスクに座ってりゃいいというもんじゃないのでその辺は人それぞれで適当。
ただし時差は乗り越えられないので本社とのコールで朝早く起きなきゃいけなかったり、夜遅くに家から会議ということは仕事上発生する部署や職位もあったりする。こればかりはどうしようもない。
事業会社だとある程度までは誰でも頑張れば行けるラインってのが何となくある。
ただし、人によってそこに到達するまでの時間が大きく前後する。
数年で部長格まで行っちゃうサイヤ人級の人もいれば、同じ期間で1回しかプロモーションできない人もいるのは事実。
まあ、中にはオレは昇進には興味ないよって感じで好き勝手やってそこそこの給料って人もいる。
そもそも入って1 - 2年すれば自分はどこまで行けるか・行きたいかってのが大体分かったりするもんなので、必死で最短距離でそこにめがけていく人もいれば、それを受け入れて気楽にやろうぜって感じの人もいる。
何が言いたいかと言うと出世に対するスタンスは自分で決める必要がある。これが非常に重要。昇進したいなら上司にいつ頃昇進したいですと宣言した上で必要な条件を満たしていく必要がある。重要なのは自分のスタンスについて上司とすり合わせを行うこと。
ちなみに管理職になるのは結構難しい。なぜなら管理職ポストは外から採用されることが多いから。担当レベルと管理職は明確に異なるスキル、責任、職務内容が定義されているため、担当から管理職に昇進するには高いハードルがあることが一般的。
一度でも管理職を経験しているか否かはその後の転職の際にも大きく関わるので、運良く管理職になれそうなタイミングが来たら全力で取りに行くことが大切。
こいつばっかりは人によって多種多様なので一言で言えない。よくあるパターンは次の通り。
これまで観察した限り、会社を辞めてものすごい不幸に陥った人は見たことがない。転職した先が業績悪化に伴い解雇されたりするケースはままあるが、その後すぐ再就職できるケースがほとんど。
同業種であればどこかで再会することも多いのでやっぱり人間関係は大切にしたほうが良い。あと、今の会社でダメでほとんどクビみたいな人でも次は結構見つかる。何なら会社を変えたら全然前より偉くなることもある。
よくやった。
女子刑務所に入れることができるほど、お前たちはトランス女性を女性と思わせることに成功した。
お前たちはレイピストを女子刑務所に入れた。お前たちは女子の囚人たちがレイピストに暴力を受けることをよしとした。
お前たちが許可を与えた。トランスの承認願望を満たすほうが大事だったからだ。
よくやった。
その女性たちが男性(ペニスと睾丸を持つ人間)をセーフスペースに入れることを拒んだからだ。
よくやった。
女性をTERFと呼びさえすれば、それも許されるようになった。トランスフォビアのクソアマは殴ってやれ、そうだろう?
その女はそういう奴だ。デモに参加する女性を殴っても問題ない。なぜなら奴らはTERFだからだ。
よくやった。
お前たちはお前たちとのセックスを求めない人々に嫌がらせをする。トランスフォビアと呼ぶ。
トランスフォビアのレッテル張りをしてやれ。お前たちの承認欲求のほうが大事なのだから。
お前たちは女性専用のスペースにどんな男性でも入れる法律を作った。
その男性が「私は女性」と言いさえすれば、それは尊重され、入室を許可される。
安全のために作られた女性スペースは誰でも入れる場所になった。
よくやった。
お前たちは「インクルーシブな言語」を使えと脅し、FGM(女性器切除)、妊婦、バギナという言葉を口にする人々に嫌がらせをした。
世界に対し女性の体について語ることがインクルーシブでない、ヘイトスピーチだと思わせた。
よくやった。
お前たちはトランス女性こそが女性の権利について語り、女子スポーツに参加し、女性を押し退けて政治の場に進出する権利があると思わせることに成功した。
男性が女性であると思わせることに成功した。その間、女性は犠牲となったが。
なぜなら、お前たちのナルシストで、エゴイストで、ミソジニーな考えでは、お前たちこそが重要で、尊重されるべき対象だからだ。
お前たちはトランスのスペースを求めなかった。お前たちは女性のスペースを求めた。そして、女たちを追い出すことに成功した。
お前たちは「私はトランスで、それでいい」と言うだけでは満足しなかった。女性と呼ばれ、女性のアイデンティティを得ることを求めた。それを拒否する人々は、脅した。
お前たちは世界がひれ伏すことを求めた。お前たちは自分たちの要求が誰よりも優先されることを求めた。特に、女性よりも。
女性とは何か?と尋ねるとお前たちは「気持ち」だと答える。女性とは、“adult human female”という意味なのに。
お前たちはバギナを「前の穴」と呼び、手術で裏返したペニスを「バギナ」と呼ぶ。なぜなら、お前たちは女性よりも女性になりたいからだ。女性の定義では、決してお前たちは女性になれないというのに。
私はトランススペースの権利のために戦う準備ができていた。トランスは恋人を見つけるのも難しい、と文句を言っていたときも、支援をするつもりだった。
それで気持ちがよくなるなら、と「she」と呼ぶこともいとわなかった。医療の権利、尊重を得る権利のため、そして男性による暴力に対して一緒に戦う準備ができていた。
アライになるつもりだった。多くの女性は同じ気持ちだった。多くのTERFはアライから始まっていた。
なのにお前たちはNOをつきつけた。トランススペースなんかいらない、お前のスペースをよこせ、と言った。
お前のバギナがほしい、女性スペースがほしい、女性を限定する言葉を使うな、体のことについて話すな、スポーツで順位を奪ってやる、政治の場から、学校から、組織から追い出してやる、 と言った。
お前たちの女性性をよこせ、と言った。そして私達が従うことを求めた。すべて明け渡すことを。そして、多くの女性にそれをさせることに成功した。
だけど、女性は影で本当のことを話している。性別を変えるなんて本当はできないということを。
女性のステレオタイプや体は真似しても。子宮、卵巣、子宮頸部、クリトリス、骨盤はうまく真似できていないみたいだけど。
顔を「女みたいに」作り変え、ボイスレッスンを受け、ウォーキングレッスンを受けても、お前たちは女性として生まれたものの経験を決して体験することはできない。
男性を女性に変えることなんてできない。本当は、性転換っていうのは間違った言葉なんだ。女として生まれる経験なんてできやしないのだから。
でも、それでも大丈夫なはずだった。自分が異性でないこと、自身をトランスと認めることに、問題なんてあるわけがない。
生まれた性に違和感を持つのも、全然不自然なことじゃない。あなたは、あなただけのユニークな存在になれるはずだった。
トランスの人たちが自身のトランス性を見せる時、それは本当に多種多様だ。しかし、すべてのトランスがトランスであることに変わりはない。
でも、お前たちはそれでは十分ではない、と言った。「ユニークな存在」になるだけでは満足しなかった。
少なくとも、最も声の大きく、影響力のある男性のトランス活動家にとっては。お前たちは、社会をお前たちの違和に適合するよう変えようとした。しかし、聞いてほしい。
私達は拒食症の人たちに、その「太っている」という不安が本当のことだ、と伝えたりはしない。
重篤なアレルギーを持つ人が多くても、ピーナッツをこの世から消し去ることはしない。
レイチェル・ドレサル(黒人と自称する白人活動家)をトランスレーシャルと呼ぶことはしない。
私達は世界の50%を占める人々の要求や問題を、お前たち極少数の、定義も不可能なグループのために犠牲にする必要はないはずだ。
社会規範に違和感を持つほとんどの人々は、対処法を見つけたり、自身でサポートグループを作る。
ほとんどの人々は、人生はみんなが満足できる公平なものではない、と知っているからだ。お前たちが女性の権利を破壊しようとするだけ、お前たちは敵を作り出している。
お前たちは、レズビアンやヘテロ男性に「レディーディック」を求めないのはトランスフォビアだ、と喚いた。
お前たちは女性から女性性を奪い、女性たちが権利として勝ち取ったスペースを我が物にすることに成功した。
お前たちは従来の性別の概念に合致しない子供たちの親に「その子供はトランスだ」と思い込ませ、第二次性徴を止める薬物を使用し、不妊の原因となる医療介入が必要だと信じ込ませた。
子どもたちの将来の子を産むチャンス、セックスライフがなくなる可能性があっても、だ。
純粋な疑問から来る質問をはねのけることで、お前たちはアライを敵に変えることに成功した。
お前たちは有色人種の女性、白人女性、男性、保守、リベラル、中道、レズビアン、ゲイ男性、そしてトランジッションをやめたトランスの人々までをも敵にまわした。
よくやった。
The Trans Ego: Why Allies are Becoming TERFsの日本語訳
出展:https://womenarehuman.com/the-trans-ego-why-allies-are-becoming-terfs/
もう『プリン』って言葉じゃ定義できないくらい多種多様になってない?
昔から甘いものが得意でなくて、プリンも年に数回食べるか食べないかだった。
ところが、ランニングを始めてからなぜか無性にプリンが食べたくなる。
プリン=黄色=卵=プロテインだから?理由は分からないけど、すっかりハマってしまい、出先で新商品を見つける度に買ってしまっている。
そしてプリンの種類の多さに驚いた。
コンビニでは季節に合わせたプリンが並んでいるし(切替が早いので買い逃すこと多数)、スーパーの安価なものでも焼きプリンに極みプリンにチョコミントプリンと、一昔前では考えられないほどバリエーションが豊かになっている。プリン=プッチンプリンのまま生きてきたからびっくり。
高級スーパーに足を運べば北海道から取り寄せた瓶詰めのプリンがあったりするし、ケーキ屋パン屋喫茶店もみんなプリン完備。
当たり前だけど、メーカーやお店によって食感もカラメルの苦さも違うのね。この1ヶ月で10種類ほど食べ比べしたけど、同じ味わいのものに出会ったことがない。
ちなみに私の暫定1位はセブンイレブンの『窯焼きとろ生カスタードプリン』。本体ちょいかたカラメルほろ苦ですごく美味しい。個人的には北海道産の500円近くするプリンより美味しい。ちょっと大きめなのもいい。
回し者じゃないよ!
グリコ、ローソン、ファミマ...オフィス系3大プチコンビニ※に出会うことができたので感想を書いておく。
※オフィスの片隅に置いてある無人コンビニ。おやつなどが常備されている。
※まだ昼前だけど仕事飽きた。
支払方法が100円の現金で統一されているせいか、どや顔坊やの定番おやつに混ざって
プリッツなんだけどプリッツじゃない(でもプリッツの味)謎のパッケージのおやつが時々ある。でも美味しい。ただ量がちょい物足りない。
ケロちゃんの集金箱も可愛い。あのカチカチいう口は餌付けをするひな鳥を思わせる。時々10円玉で払ってごめんなさい。
150円払えばアイスも手に入る。ひと頃はたい焼きのアイスしか口にしてなかった。
我が体はたい焼きでできていた。
期待の新生。
支払方法はスイカなどの交通系ICのみ。ただし、グリコと違っておやつに限らず多種多様である。
お勧めは冷凍食品であるが、ライスバーガー。レンチンしたときの飯テロに違い香ばしさは誰もいないオフィスで残業する自分へのご褒美である。
仕事が組み込み系技術者なので、正直商品よりも電源スイッチがいつも気になって仕方がない。
「機器が反応しなくなったときはこの電源ボタンを押してリセットください」
まさかおばちゃんスイッチを実用化させるとは...思い切った仕様だけど、このためにボタンをタブレットと別の機器にしてまで用意した心意気がいい。
団地の階段にある赤い非常ベルを見上げては、押してみたくなってうずうずしていたあの頃を思い出して和やかな気持ちになる。押す機会は残念ながらまだない。
支払方法が現金のみなのに190円とか最大公約数的な釣り銭要求する時点でまじ最悪。本当に最悪。
タイムスリップをしたり平行世界を行き来する輩が、そんなのでよく今までやってこれたな。
「あの世界線は夏時間っていうのが導入されているんだ。夏の特定の時間帯、意図的に時刻をズラしているんだよ」
「……何でそんなことを?」
「夏って太陽が照っている時間が長いだろう。だからそれに合わせて時刻設定を柔軟に変更して、仕事とかの効率化を図るんだよ」
「……何でそんなことを?」
説明をしても全く同じ返しをしてくるあたり、ガイドはかなり困惑している。
まあ俺の生きる時代でも、「そういうことをやっていた国もあった」と授業で習う程度だからな。
後世に伝わっていないのも仕方ないか。
元の世界に戻る際、ガイドは『別世界の時間』をそのまま反映させてしまっていた。
普通ならそれでも問題なかったのだが、その『別世界の時間』は『夏時間(サマータイム)』だったんだ。
夏時間のない俺たちの世界と繋いだ際にズレが生じ、時間軸が分裂しかけたってわけだ。
「タイマーを見たとき、体感よりも時間の進みが違うなあとは思っていたけど、違和感の正体はそれだったのかあ」
「寝起きの悪い人間が早く起きるために目覚まし時計をズラして設定するが、ウッカリそのことを忘れて急いで学校に来てしまったみたいな感じだな」
「その例えは分かりにくいけど、これでやっと原因は分かったよ。すぐにその時差を反映させて再設定するね」
ガイドはそう言うと、本当にすぐ設定を反映させた。
辺りに漂う、言い知れない違和感がなくなっていくのが分かる。
多種多様なドッペルも一つに集まっていく。
元に戻ったドッペルは、未だ足元がおぼつかない。
吊り橋の上で揺られすぎた後の弟みたいだ。
「……なんか変な感じ」
「分裂しかけていた世界を繋げたからね。分かれかけた世界で起きた記憶と混濁しているんだろう。まあ、直に馴染むさ」
有り得たかもしれない可能性ってものを、もっと楽しめるものだと思っていたが。
俺自身は別世界でも代わり映えせず、細かな世界の差異は不和しか引き起こさず。
これならテーマパークで遊んでいたほうが幾分かマシだったな。
「そういえば……なあ、ドッペル。お前は別世界でも、趣向こそ違えど変装はしているんだな」
マニッシュっぽくもあり、フェミニンっぽくもある、中々シャレた着こなしだった。
「変装バリエーションを増やすために、あの世界での格好も参考にしてみたらどうだ?」
予想外の答えが返ってくる。
俺の知っているドッペルの服装からして、明らかに傾向が違うんだが。
「ということは、俺と会うときはいつも変装しているってことか」
「だって……なんか恥ずかしいし」
ドッペルは人見知りが激しい性格で、それを抑えるために変装をしている。
そうすることで違う自分を装ったような気分になり、何とか他人とも接することが出来るからだとか。
そのことは知っていたが、俺が今まで見てきた姿は全て変装だったっていうのは驚きだった。
最近はかなり打ち解けてきたと思っていたんだが、どうやら気のせいだったらしい。
別世界の俺なら、もう少し上手くやれているのだろうか。
あれだけ長々とやった割に、この世界では2時間ほどしか経っていないらしい。
「今年ってサマータイム導入されたんだよな?」
「いや、一応確認してみたが、されてないっぽいぞ」
「ええ? サマータイムあったと思うんだけどなあ」
多くの人たちが、あるはずのないサマータイムを「あった」と認識していたんだ。
その他にも電気ネズミの尻尾のデザイン、お菓子のロゴにあるハイフンの皆無。
微細な記憶違いを起こす人が多くいた。
どうやら世界の再結合による弊害は、俺たち以外にも起こっていたらしい。
確か、こういう現象には名前が付いていた気がするが……思い出せないな。
……久々にSF小説でも読んでみるか。
Twitterで定期的にバズる話題に、同人作家さんは反応ないと辞めちゃうから感想を送ろう!というものがある。
ほとんどの書き手は感想に飢えてると思うんだけど、ごく稀に私のような感想いらない派もいる。その感想いらない派の理由は多種多様だろうけど、私の場合は感想をもらってしまったために書けなくなったためだった。
最近ちょっとその時のことを思い出してしまったので、ここに殴り書きで書き逃げしようと思う。
誤解の無いように書いておくと、感想なんか送るな!と主張したいわけじゃない。むしろガンガン書いて送っていい。まず喜ばれるから。これはただ、書き手にもたまに面倒臭い奴がいるだけの話で、こんなのに出遭うのは交通事故に巻き込まれるより低い確率だと思う。
当時は個人サイト全盛期で、私もサイトを持っていた。旬のジャンルのマイナー気味なカップリング。取り扱いはそれだけ。そのカップリングの話が書きたくて始めた。
もとから交流は苦手だったから交流ツールはWeb拍手とメールフォームだけの割と簡素なサイトで、サーチエンジン系の登録も当時としてはかなり抑えめだったと思う。当然ながら反応は少なかったけど、自分のペースで書きたいものを書けて、少ないながらも読んでくれる人がいるとわかるだけで十分に楽しくて、充実していた。
そうしてそのカップリングの話を書き慣れてきた頃、長編を連載することにした。それはサイトを始めた時からいつか書きたい!と温めてあった話で、連載を始めるといつもよりWeb拍手の数が多くなった。
で、話が中盤に入って来た頃、サイト開設から1度も使われたことのないフォームからメールが届いた。
内容をまとめると、前からサイトを見に来ていて、連載中の話の更新を楽しみにしている。といった感じだったけど、とにかく1つ1つの言葉がとても丁寧に書かれていた。この先、これだけの感想を頂戴することは2度と無いだろうと思うぐらいには。
だから、最初は本当に、心の底から嬉しかった。話の続きをこんなに楽しみにしてくれる人がいるんだ!って。
そのメールにお返事はできたものの、交流がダメな私は感謝の気持ちの1割も伝えられなかったと思う。その分、連載の方はより一層頑張ろう!となったんだけど、それがいけなかった。
元々ラストシーンがきっちり決まった話で、素人なりにプロットも組んでいた。だけど、もらった感想が嬉しくて、少しだけ後付けをした。その人が好きだって書いてくれた、別の短編の話から要素を少しだけ引っ張ってきた。分かる人には分かる、程度のほんのちょっとの匂わせ(のつもり)だったけど、その更新の後、Web拍手がすごく増えた。
気付いてもらえた!と勝手に思い込んだ。嬉しくて、だから、もう少しだけこっちの方向を掘り下げてみようと、更に予定外の更新が増えた。
そうやって調子に乗って、気がついた時には、最初に思い描いた、私が本当にたどり着きたかったラストシーンにはどうやっても繋がらなくなっていた。
そのラストに繋げるために、頑張っていたのに。そこまでの過程が少しずつ形になっていくのが、楽しかったはずなのに。そうなるまで気がつかなかった当時の私はあまりにもバカだったと思う。
その後、悪あがきでなんとか軌道修正を試みたけど、書くのが辛くなる一方で、更新頻度はどんどん下がっていった。気分転換にと短編を書いてみても、モチベーションは上がらなかった。原作は好きだったから最後まで追いかけたけど、もう二次創作を書こうという情熱が沸き上がってこなくなっていた。
結局その長編は未完のまま、サイトは放置。閉鎖するために管理画面にアクセスすることさえ億劫になっていた。
今は某所を作品の保管庫代わりに使っている。ロクにタグ付けをしてなくても、時折いいねがつく、それで十分なんだなと思うし、正直なところ、言葉で感想を頂くのがちょっと怖い。自分がそういうレベルのコミュ障だともっとちゃんとした自覚があれば、あの話も書ききれたんだろうか。
こんなところに書き逃げしてもどうしようもないけど、あの時に感想をくれた人もWeb拍手を送ってくれた方も、感想や反応を頂けてとても嬉しかったです。それだけ更新を待っていてくれたのに、書き上げられなくてごめんなさい。
って、知り合った女子高生が言ってたのがショックだった
俺の中で援助交際は「貧困にあえぐ未成年がしかたなく手を染める性的犯罪」だったわけで、なにか重い感情が背景には隠れており、その裏にはまた複雑な社会問題が隠れているのだった
でも彼女はあっけらかんに言うのだった「彼氏が最近構ってくれないから」
たしかに、彼女を幾通りにも深読みすれば「複雑な社会問題」を取り出せるのであろうが、俺にはそれをする意味も理由も動機もない気がした
彼女からすれば所詮ただの変態親父が意味不明なことを言っているに過ぎない
なんというか、当たり前ではあるんだけどこの世の中は岩波文庫やちくま文庫じゃ覗けないものがあるんだなってわかった
俺はそれなり高学歴の世界に身をおいてきてその世界しか見れなかったように、彼女たちもその世界しか見えないのだろうな
そりゃそれぐらいの高尚な世界、高い高い目線で世界を見下ろせば全てわかった気になる。でも、俺は全然わかっていなかった
なにも、そう言った文書にすべてが書いてあると思って見てたわけじゃない
「ああ、現実はもっとひどいんだろうな」とか「もっと多種多様、一人や二人では形容できないようなことが現実では起こっているんだろう」とは考えていたのだ
俺の文章を読んで鼻で笑うのは自由だし、以前の俺ならこの怪文書に対して「なんとなく気に入らず」ひたすらマウントして記憶の隅からも追い出そうとしていただろう
だがそれをしれただけでも良かった。世界は無数にあるのだ
問題は複雑であり、また経験から来る主観的視点になりやすいため議論が噛み合わない亊が多いように思う。
今となっては嗜む程度ながらも一応現役の格ゲーマーとして、パズル、TPS、RTS、DTCGなどいくつかの対戦ゲーに触れてきた身として、何人もの初心者と向き合っては失敗と後悔をしてきた身として、自分なりに考えてみたい。
勝負に勝つという行為は無条件に楽しい。本能に根ざした快感がある。
だが、勝てないと楽しくない、『俺が勝てないゲームはクソゲー』というのは短絡的だ。
勝てば楽しいし、負ければ悔しい。
実際には、悔しいで済んでいるのであればかなり良い方である。充分楽しんでいると言って良い。
クソーもう一回!とまた勝負を挑むだろう。
問題は、実力差を如実に感じるため悔しくすらない、ゲームを理解していないため次に打つ手が無いとなった時である。
こうなってはもう無感情に、一方的に、ただ倒されるだけだ。それはもう遊びとして成り立っていないだろう。
つまり、楽しくない。もういいやと投げ出してしまうのも道理だ。
チーム戦のゲームであれば、味方のおかげでなんとなく勝ててしまう亊がままあるし、
DTCGでは相手が事故ったり自分のドロー運が噛み合ったりするとなんとなく勝ててしまったりもする。
しかし格ゲーは誤魔化しの効かない一対一の対戦であり、これを重く感じてしまう人も多いように感じる。
「最初勝てないのは当たり前だよ。」
合わせて、教えてやるから知識を詰め込め、まずこれを練習しろ、とまくし立てる。
「スタート地点すら遠い!もっと気軽にゲームを楽しみたいだけなのに!」
経験者は考えている。
勝てるようになれば楽しいはずだ。まさに「勝てないから楽しくない」と言われた亊すらある。
だったら勝つための方法を懇切丁寧に教えよう。
初心者は考えている。
練習しろと言われると、今のままではダメだと言われているようで息苦しい。
CPUと戦うアーケードモードはもちろん、キャラを掘り下げるストーリーモード、簡単なものから手強いものまで揃ったミッションモードなどなど。
ところが経験者ほど、トレモとオンライン対戦しかしてなかったりする。私もそうだ。
初めてプレイするシリーズのゲームでもストーリーなんてそっちのけ。黙々とトレモに勤しむ。
何故なら格ゲーを対戦ツールとして認識し、勝てるようになれば楽しいと考えているからだ。
格ゲーとは人対人で対戦をするものなのだという認識が経験者にとってはあまりにも当然の亊なので、同様の認識を初心者も持っていると考えてしまう。
自分がプレイしていないモードを初心者が楽しんでいるとも思わずに。
楽しみ方は人それぞれなのだ。初心者には初心者なりの楽しみ方がある。
経験者は練習をしないと勝てなくてつまらないし、練習も楽しめるが
初心者は練習なんてしなくても楽しめるし、練習はつらいのである。
初心者の言う「勝てないから楽しくない」には、「実力差があり過ぎて対戦する意義を見いだせない」という意図があるのではないかと思う。
どうせ勝てないし、一矢報いるためのカードも持っていない。
そもそも初心者はなんとなくプレイするだけで充分に楽しめるのであり、別に強くなりたい、勝てるようになりたいとは思っていない。
これを経験者が「勝ちたいとは思うが練習はしたくない」と捉えて憤慨してしまうのはよく見る光景だが、そもそもお互いの認識にズレがある。
初心者だって別に練習も何もなしに楽して勝ちたいとも勝てるとも思っていない。
格ゲーは対戦ツールでありそれ以外の何物でもないという風潮があるように思う。
そんな亊はない。
もちろん対戦ツールとして人対人の生きた勝負が出来るのは格ゲーの大きな魅力だ。
しかし、単純にアクションゲームとして格ゲーはまた大きな魅力を持っている。
ひとつのキャラクターが多種多様な動きを、それも紛れもない自分の操作でキャラクターがすぐさましてくれるというのは他のジャンルに類を見ない。
これもまた格ゲーの持つ魅力であり、初心者がまず楽しめるのはこちらだ。
表題のような話になるのは、対戦ツールとして遊ばねばならないという押し付けがましい風潮にあり、それこそが最大の問題だと私は思う。
動かすだけで楽しい。CPUに勝って嬉しい。それだけで充分なのに。
なので経験者が持つ心得として、対戦ツールとしての遊び方を押し付けない亊が肝要だと私は考える。
最初に教えるのは、このボタンを押すと強いよ、この技が強いよ、といった程度で良い。
そして、まずは自分が楽しいと思うようにプレイしてご覧よと言ってやる。
対戦しなくても、練習に時間を割かなくても、楽しむ方法はありますよ、と。
初心者だって初心者なりに自分で考えて自分なりのプレイを見出していくし、それがゲームが持つ楽しさ、その本質のひとつであるだろう。
一から十までシステムを把握しろだの、全キャラの主要技を知っておけだの、そんな亊を始めから教えて飲み込むのは尋常ならざるモチベーションを持った人だけであり、その人はきっと独学でも一端の格ゲーマーになる。
そして、「勝てないから楽しくない」と言葉通りに考えている亊だろう。だから勉強をし、練習をするのだと。同じ発言でもこの記事で想定している初心者とは意図が異なっている。
こうした人は実際に存在し、また存在するが故に問題がややこしくなっているようにも思う。
現代の格ゲーはそんな強いモチベーションを持った人しか始められないと考えている人も居るのではないだろうか。
私もかつてはそうだったのだが、今は考え方を改めこの記事を書いている。
格ゲーを初心者なりの楽しみ方で遊んでいたら、もしかすると対戦をしてみたいと思う日が来るかもしれない。
それは、プレイしているうちにそのゲームがもっと好きになり、対戦ツールとしての側面を知りたくなったからかもしれない。
或いは対戦動画を見て自分もやってみたくなったからかもしれない。
ともかくも、そうして自分から対戦がしてみたいとモチベーションを持って臨めるようになったなら、きっともうその人にとって練習はつらいものではなく楽しいものになっているだろう。
知識を仕入れ、練習をし、対戦に活かす、その手助けを経験者は存分にすると良い。
もし対戦ツールとして遊ぶ日が訪れなかったのなら、その人に取って自分が当事者として対戦をする亊は魅力的ではなかったというだけの亊だ。
それでもその人にとって格ゲーはつまらないものとは限らないし、格ゲーの魅力をわかっていない、楽しんでいないという亊にもならない。
経験者が憤慨する亊は何も無いのだ。
一人の格ゲーマーとして、まずは是非にやってみて欲しい。
魅力的なキャラが居て、動きを見ているだけで楽しいかもしれない。
演出が綺麗で自分がこの技を出したんだと思うと気持ち良いかもしれない。
なんとなく動かして、なんとなく楽しんで欲しい。
始めから対戦なんて見据えなくて良いし、むしろオンライン対戦なんて狩られるだけだからやめておけとすら思う。
もしかすると周りにいろいろとアドバイスを頂戴して目が回ってしまうかもしれないが、無視して良い。
そんなの知るかと自分なりの遊び方を見い出せば良い。
上から目線でそんな遊び方してるんだと言われるかもしれない。もちろん無視して良い。
仲の良い友人と、全く同じタイミングで同じく初心者として始めてしまえば何も考えず楽しめる。
何かネットで炎上した案件があると、必ず出てくる「切断処理」信者。特徴的な発言は以下のとおり。
このような主旨の発言をしたやつらは、ぜったいに、かならず、一人の例外もなく知能が低く卑怯者です。
間違いはありません。
しかしこの言葉を好んで使う人たちから推察するに、切断処理とは、
ある属性・思想・趣味・主張――ここからは簡単に「グループ」と呼びます――に属する一部の人を、「この人は私のグループではない」「この人の行動はグループ全体の意向とは異なる」と表明し、あるいは攻撃することだと思われます。
さて、この時点で知能の低くない皆さんはお気づきかと思います。
一体、誰が、どの立場で「同じグループか否か」「このグループの意向は何か」を決めるのでしょう。
男、女といった属性はいうまでもなく、フェミニズムやヴィーガニズムなどの思想だってスタンスや解釈は多種多様です。
たとえ宗教であっても、教典を定めているにも関わらず、解釈や時代によって多くの派生が生まれますし、その派生のなかでもどれだけ敬虔かには個人差があるでしょう。
例えば企業の社長のような、メンバーのはっきりした集団の長でもない限り、あるグループを代表して意向を述べたり、あるグループのメンバーかどうかを他人が決めることは不可能です。
こんなこと、おそらく知能の高い皆さんには当たり前のことと思いますが、
切断処理を他人に迫る人たちというのは、こんな当たり前のことさえわかっていないのです。
かわいそうですね。
「何もグループを代表して言えというんじゃない、お前自身が何に賛同するか/何に反対するかを言え、俺が求めている切断処理とはそれだ」と。
でも彼らは気づかないのです。
その「個人個人の主義主張」は、彼らの目の届かない範囲で日々無数に当たり前に行われていることに、
そしてそれを「切断処理信者」の目の前でやれ、と強要する大義などどこにもないことに。
いえ、その切断処理信者が、たとえばものすごい影響力のあるジャーナリストだとか、何万人にも発信できるメディアをもっているとか、そういうことであれば、「個人の主義主張」を伝えることに、人によっては意味を見いだせるかもしれません。
しかし、「切断処理しろよ」と喚いているのはただのブックマーカーとかただの増田とかせいぜいただのブロガーです。
そんなただの人に、「私個人はこう考えている」となんの代表でもない個人が伝えること。
それの、どこが、「切断」なのでしょう?
ある個人が、個人の主張を言うことを強要した。残った事実はそれだけだというのに。
けれど彼らはわからないのです、そんな程度のことが考えられないのです。
彼らは、ひとつの「グループ」に見えるものでも、実際には色々な立場と考え方があるということに耐えられないのです。
そういう処理能力の弱さを、知能が低いと言わずしてなんと言いましょう。
そんな知能の低い彼らは、どうして他人に切断処理を迫るのでしょう?
前述のとおり、ひとつの「グループ」に見えるものでもそのなかには無数の考えと立場があります。当たり前ですね。
しかしそんな当たり前のことを、切断処理信者は理解できません。
それは知能が低いのが理由だとお伝えしましたが、もうひとつ理由があります。
彼らは、本当はその「グループ」に興味がないのです。
炎上する問題が出た背景も、その「グループ」にどんな考えの人たちがいるかも、全然興味がないのです。
彼らは、ただ炎上した案件に飛び付き、気持ちよく叩ける相手を叩きたいだけなのです。
しかし、その「グループ」をまるごと叩いてしまうと、他の人から自分が叩かれるのは目に見えています。
「いっしょくたに叩かれたくないのなら、問題を起こしたやつらを内部批判して別の名前をつけろ」と。
つまり、気持ちよく叩いても誰にも非難されない、そういうサンドバッグを作って自分に差し出せ、と言いたいのです。
だから同じ「グループ」に見える人たちに、「叩いていいグループ」の切断を迫るのです。
なお、実際にはそんなことは不可能です。
前述のように、なにかを代表して発言することは、現実の組織でない限りはほとんどすべての人にとって不可能だからです。
また、炎上案件というのは傍目には分かりやすく誰かが悪者でも、その「グループ」に近しい人にとっては非常に複雑で簡単には解決できない問題が絡んでいたりします。
あるグループについて深く知れば知るほど、簡単に誰かを「切断」すれば済む問題など存在しないことに気づきます。
大抵の問題は、まったく興味のない人間が勝手に断罪できるようなものではないのです。
これも、知能が高くできうる限り公正であろうとする善男善女のみなさんには当たり前のことなのですが、切断処理信者にはわからないのです。
悲しい生き物ですね。
しかし、切断処理信者はバカで卑怯なくせに声だけは大きいので、
時に哀れな人たちが騙されて、言われるがまま「切断処理をした」と言おうとします。
たとえば以下の増田です。
コミケで禁止されている「徹夜組」、つまり前日から会場に列を作り並ぶ行為は禁止されています。
深夜に大量の人がたむろすることで近隣住民の不安を煽り、また現金精算が基本の即売会に並んでいるとあって犯罪の温床にもなりやすいからです。
しかし毎年徹夜で並ぶ人たちはあとを絶たず、これには毎年ネット上でも批判の声が上がります。
まだ13日なのにコミケ徹夜組が大量発生か!? 徹夜組へのメッセージが(画像で)集まる - Togetter https://togetter.com/li/860094
では、これでオタク、コミケ参加者の「切断処理」は終了しているのでしょうか。
答えは「お前んなかではそうなんだろう、お前んなかではな」です。
いくら画像大喜利で徹夜組を批判してみたところで徹夜組はいなくなっていませんし、近隣住民の不安は消えません。
徹夜組対策のために実際に汗をかいているコミケ運営についたは畏敬の念に堪えませんが、
コミケ徹夜待機が「オタク」というグループが起こしている問題だということに一切変わりはありません。
仮に「切断処理をした!」と主張したところで、せいぜいがインターネット議論ごっこの武器程度にしかなりません。
そもそもがくだらないのです。
誤解しないでいただきたいのは、ルールについての草の根啓蒙を否定するわけではないということです。
明確で正統なルールがある場合においては、みんなで少しずつ意識を高めていけるのはいいことです。
しかしそれを「切断処理」と呼ぶの馬鹿げています。オタクが関係ないことになるわけでは、ありません。
このように、切断処理信者は頭が悪く卑怯でインターネット上の議論にしか興味のない、大変残念な人たちです。
では、同じ「はてなユーザー」というグループにそのような残念な人たちを抱えてる善男善女の読者の皆さんは、いったいどうしたらいいのでしょう?
答えは簡単です。
どうもしなくて、いいのです。
あなたは、あなたの主義主張を、あなたのしたい場所であなたのしたい相手にしていけばいい。
あなたが賛同したいと思った意見に賛同し、反対したいと思った意見に反対し、発言したくなければ発言しなければいい。
「切断処理信者のような残念な人たちを放っておいては、はてなユーザー全体がレベルが低いと思われ」ますか?
もし万一そんなやつがいたら、そいつもおろかな切断処理信者というだけです。
ただ、ルールや法に抵触していたら、善男善女の義務として粛々と通報しましょう。
いま話題、ビ・ハイアの社長と同じ大学を卒業した。数年後輩にあたる。友達の友達のそのまた友達、みたいな遠さだ。
あんな田舎のしょぼくれた大学から、全国的に有名になる人が出てきて驚いた。
出身大学は、以前からあった短期大学を4年制に改組する形で1995年に開学した大学で、あの社長の年齢だと2期生に当たると思う。
キャンパスはずいぶん田舎の湖畔に位置し、冬の風の強い日はキャンパスのスロープを暴風が吹き抜けていた。田舎の自然のダイナミックさを学んだ。
私立大学のような多種多様な人間が集まるわけでもなく、偏差値で輪切りにされた人たちと、ほんの少しの地元高校からの推薦枠から来た学生がいる程度で、おとなしい人たちが多かった。手近な遊び場は駅前のショッピングモールしかないんだから仕方ない。環境が人を選ぶのか、環境が人を作るのか。
研究者の質は高くて、私のいた当時は引退されていたものの日高敏隆先生もご存命で集中講義をされていた。休憩時間中にタバコをプカプカふかしておられたのを覚えている。「レポートを5行以上書いたら成績を下げられるらしい」という噂が流れたのの、5行以上書いてもそれなりの成績をもらった。その他、謦咳に接する機会はなかったが、脇田晴子さん(文化勲章受章)や黒田末寿さんも現役だった。
だけど世間的な評価は必ずしも研究者のレベルと一致するわけではない。就職状況の悪さがそれを物語る。
偏差値的には産近甲龍と関関同立の間ぐらい。しかし人数も少なく歴史もなかったので、私の在籍していた当時でも就職状況はさんざんだった。産近甲龍よりも悪かったんじゃないか。就職支援室でOB・OGの就職先一覧をみたとき、ずいぶん危機感を覚えた。公立大学なのに地元の役所や有力企業への就職すら、ほぼなかった。地元出身の学生は「県外には行きたくない」と言っていて、毎日県外から通っていた私には衝撃的だった。そんな狭い世界で満足するのか、と。
私は県外のそれなりの職場に就職したけれど、同じ大学の出身者はおろか、「出身者を知っている」という人にすら会ったことがない。
一般的な県下出身であの大学を卒業した人間は、東京なんかで企業することなど考えない。ギラギラした向上心はなく、のんびり暮らせたらいいや、という人がほとんどだ。
ここから先は完全に妄想だけど、あの社長は県下2位の大都市で生まれ育ったようなので、将来への危機感があったのかもしれない。結果、ベンチャーの立ち上げに参加して、自分も小さな企業を起こした。だから「世間的な常識」を学ぶ機会がなくここまで来てしまったのかもしれない。起こした結果はひどいものだし、身の丈に合わなかったことをしたんだなと思う。
○○という物質が血中に多い/少ない→だから××という病気になっている可能性がある、というのがバイオマーカーだよね。
例えば白血球が多いから風邪かなとか、ヘモグロビンが低いから貧血かな、みたいな。
で、気分障害にもそういう物質があれば、より客観的な診断ができる、という話らしい。
でも、例えばアルコールって精神に作用する物質だけど、それが少なくても精神状態が悪いときがあるし、多くても精神状態が普通の人もいるよね。
また、多くて精神状態が通常時と違うとしても、その状態は多種多様だよね。しゃべる人、笑う人、泣く人…。
極端に多ければもちろん意識不明とか混濁とかはっきりした症状が現れるんだろうけど、その状態ならわざわざバイオマーカーに頼らなくてもわかりそうな気がするし。
その辺って、どうなってるんだろう。
気分障害を抱えてて、でも周りにはわかってもらえない身にとってはバイオマーカーが確立してくれたらとても助かるんだけどなぁ。
――手法としては経済学に影響を受けつつ、世界観としてそれ採用するのではないわけですね。
山口 ないですね。社会学というわれわれの学問は自由なわけですね。悪く言えばいい加減。分析の最終的な評価にあたっては方法論的厳密さが求められるけれど、その背後には多種多様な研究者がいるんですね。エスノグラフィーをやっている人や街へ出てインタビューする事例研究をやっている人なのです。そういった研究はある意味で科学的ではないと僕は思っているけれど、彼らは時々すごくいい洞察をする。すると、彼らの洞察はデータで裏づけできるか、一般化可能か、といった問題へと発展していくので、分業だと思っています。
ただ、そういう観点から見ると、日本の社会学は総じて科学的ではないということになってしまいますね。相変わらず古典的理論家が何をどう言ったという文脈の解釈とエスノグラフィーが中心ですから。例外はたくさんいますが、やはり少数です。4000人ぐらいが所属している日本社会学会では、計量分析に真面目に取り組んでいる研究者は1割程度しかいないと聞きました(笑)。アメリカ社会学会では逆に計量分析が7割程度、エスノグラフィーや純粋理論は非常に少ない。ましてや古典理論の解釈をやっている人はほとんど希少価値を帯びているといっていいです。
山口 日本の社会学教育、研究では、社会学とヒューマニティと分離していないんでしょうね。ヒューマニティ自体は重要ですが、それと社会科学としての分析は意識的に分けなければいけません。たとえば僕の本『ダイバーシティ』にもヒューマニティと呼べる内容が入っていますね。それから、たとえば大学の学部の教養教育では人に考える力を与え、人を育てることを考えますから、ヒューマニティを含め雑多な要素が全て入ってくるわけです。それはいいんですよ。ですが、大学院は研究の専門家を育てるための訓練をする場所のはずです。日本の研究者は、しばしばその境界を意識せずヒューマニティと科学をまったく区別しないんです。その結果、研究においてさえ、たとえばドメスティックバイオレンスの研究をしている研究者が、計量的分析などほとんどせずに、被害者から聞いた話だけに基づくフェミニスト的解釈で男はこんなものだといった論評をしたりするわけです。まったく科学ではないよ。そういった論評は、自分はこう考えるという意見として発言しても構わない。アメリカであっても思想や政策を中心とした雑誌でそういった意見を発表して社会的影響を与えている研究者は多いですし、総じて尊敬を集めています。けれど、科学者としての分析とは区別しなければならないですね。論文を書くときは思想部分は禁欲的に落とし、検証しえた分析結果だけを書かなければならない。
社会「科学」としての社会学に対する意識が希薄な背景には、日本では多くの社会学科が文学部にあることも影響しているのかもしれませんね。計量なんかやったって人の本音のところはわからないよ、みたいなことを言う人もかなりいました(笑)。僕は実証しなければ、一般的なことは何も言えないよって言うんですが。
お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベルの査読が行われていなければ再検証の対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文の価値を実質決定する。
被引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国の歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究者人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメな研究を引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用の多寡は直接的には論文の価値とリンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的にリンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。
そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文が価値があるとみなされる構造に問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文のクオリティを担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。
偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者の放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学に限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?
お気持ち表明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算も時間も考えられない程かかる。
先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究で引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークのデータに依拠する以上原理的に完全な再現が不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別の事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論だから、再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学と天文学と生物学と理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系がスタンダードな研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。
逆を言えば、文系の場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。
ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物が発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアルな新規性もあるし、独創的な理論や解釈を提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象を研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから被引用数を重視する文化が存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/DA3S13709603.html
今やネトウヨ=排外主義者、差別主義者と言う状況じゃないし、そうして来たのはカジュアルに他者をネトウヨと批判して来た人々なのだけど、このブコメ欄を見ても一度ネトウヨと認識して仕舞えば差別されて然るべき差別主義者として扱い、全く話も聞かない人が結構な割合で居る。
それこそが差別性を含んでる事に何故気付かないのか。
自身がネトウヨだから自分達を擁護してるとかじゃないんだよ。どこに属すでもなく私は私だ。
私なりの意見として、ネトウヨと言う共通敵を作って暴走を見せるアンチネトウヨのファシズム化を危惧してるだけだ。
ネトウヨじゃないならほうっとけば良いと言う意見もあるけど、最近はよくネトウヨとされる人達のコメントよりも、ネトウヨならこうだろうと言った極端でステロタイプなネトウヨ像の妄想を基にした発言にスターが集まったりもするので辟易してる。
無論右派に差別的な人間はいる。しかし右派もそうだからと言って左派を腐すのはやめて欲しい。
差別主義者に対し反差別を訴えて来た人達が差別主義者のように腐っていくのは見たくない。
個人的にはネトウヨと言う言葉はもう捨ててしまえば良いと思ってる。
そればかりか多種多様な人を勝手なネトウヨ像を作り批判したことで、新聞なら一読者、政治なら一支持者になり得る人をずっと遠ざけて壁を作ったように思う。
使い勝手のいいカジュアルな蔑称はウヨサヨ論争を激化させ、右翼と左翼の溝を広げ、多くの人はその状態を敬遠して政治から遠ざかり、その実、日本の分断工作としてしか実を結んでいない。
今日ネトウヨと呼ばれた人はそのステロタイプからほど遠く、いろんな意見や思想を持っている。
新聞も政治もそんな一人一人と対話するように、基本に立ち返って自分達の利となるように言葉を届けた方が余程有意義じゃないかと思う。
いや、単に「昔の人が言った正しそうなこと詰め合わせ」にすぎん。
支配し、され、円滑に社会をまわすのもあり、各々が自分を律することもあり。
というか、宗教自身が「昔の人が言った正しそうなこと詰め合わせ」だ。
1700年台のデカルトの科学的思考がみな素晴らしいと、科学的に取り扱いやすいやつは宗教からでていった。
昔は人類がどこからきたかとか、宇宙はどうなってるかも宗教の範疇だった。
ただ、道徳の良さは科学的に立証しづらいから、「何となく正しそうなこと」という曖昧のままに今もなっているだけのこと。
前回の日記が界隈で若干賑わいを見せてしまったために、「SKIMAって危ないところなんだ」という印象をあらゆる方々に植え付けてしまっているかと思われる。
正直、版権作品の二次創作の出品が可能だったり(出品者個人ではなく企業として訴えられたらどうするつもりなのだろう)、相談コンテンツでたまに見る風俗勧誘やきな臭い取引を野放しにしていたり、葉星ヒトミ事件だったり、色々と危ないところはあるのだが、それだけではないことを書き記しておきたい。
その前に、以前の日記で書いた仲介料だが、運営費として活用している「利用料」が正しいことを記しておく。つまり円満に解決してもしなくても、名義上は関係ないようだ。
一個人の日記とはいえ勝手に悪名を売ってしまったことをお詫び申し上げる。
(それでも金銭が絡んでいる時点で、問題を完全に放っておいて自分達にダメージがないと考えるのはかなり悠長な気もする。もし被害者側が一般にも名の知れた大きな会社だったらそれなりの痛手があったのではないだろうか)
ジャンルがバラつきすぎておらず、さっぱりとシンプルでいて堅くないデザインは、出品者側としても購入者側としても好印象だ。
仲介料ではなく利用料を取っているためか、自社関連以外の広告は一つもなく、例の浮かび上がってくる広告等もないのでストレスを感じさせない。
入力の面倒さを感じさせることはなく、金額入力においても手数料を差し引かれた分を即座に計算してくれる。
商品サンプルは自動的にある程度劣化・切取が行われ、無断転載に対する予防にも買っているかと思われる。
イラスト特化型と自称していたこともあり、イラスト関連の商品のジャンルは他のサイトに比べて多岐に渡っており、ごく特定のジャンルのみ受け付けることも可能である。
ギャラリーという機能には、商品サンプルとは別にサンプルを掲載できる。
個人的にはこれが一番の強みだと思うが、ギャラリーには制作時間を入力することによって、大体の時給を換算してくれる機能もある。初心者にはかなり良い目安になる。
イラストの技術は長年の積み重ねにより形成されていくため、それが安いと思えば参考にしなくても良い。ただ、右も左も分からない人間には有難い機能であることに違いない。
この機能は出品者側が商品を出品するのとは逆に、購入者側が依頼を提示して出品者を募るというものである。
コンペディション式、プロジェクト式と二種類あり、プロジェクト式は出品者側の自己PRのみを送る形だが、なんとコンペディション式は完成品のサンプルを事前に見ることができるのだ。
その分、コンペディション式はキャンセルを行なった場合、キャンセル料というものが発生するのだが、一発でお気に入りの絵を見つけられる絶好の機会でもある。
他のクラウドソーシングサイトにもリクエスト機能はあるのだろうが、SKIMAのシンプルで見やすいデザインは商品の良さを更に引き立てるのに一役買っている。
また、利用料についてだが、前回述べた通り20%。少々値は張るのだが、金額が上がるにつれて15%、10%と下がっていく仕組みだ。
当然そこまでの金額にすると顧客はかなり狭くなるのだが、とても有難いシステムであることは間違いないだろう。
利用者に関しても、今回の事件で減ってはいるのだが、それでもSNSアイコンはゆうに3000を超える出品があるあたり、まだまだ根強く、多種多様な絵師がいる。
必ず好みの絵師に出会えるとは限らないかもしれないが、検索の仕様も豊富であるため、理想に近い絵師に出会えるだろう。
如何だっただろうか。
まだまだ魅力はあるのだが、前回の日記が思わぬ広がりを見せているため、急拵えではあるが思いつく限りを書き記してみた。
「その機能は他のサイトにもある」と言われるかもしれないが、見方を変えれば、「土台がしっかりしている」とも言えるのではないだろうか。
切り出しが前回と似た形になるが、これから数々のクラウドソーシングサイトが増えると思われる。
それでもSKIMAは今現在、知名度とデザイン性で圧倒的な居心地を感じる場所だ。
たまに質問や問い合わせへの回答が適当になったり、規約をサイレント変更したり(バレてちゃんと表明した)、唐突にコンテンツを追加したり、運営が運営自身の尻拭いを出来なさそうだったりするが、なんだかんだと言いつつこれから一年は続けるかも知れないので、一利用者としてより良い運営を目指してくれることを願おう。
書いている途中でSKIMAを確認すると公式のアナウンスが表明されていた。利用者としては有難いことなので、一年と言わず二年くらいは続けてもいいかもしれない。
事なかれ主義な面も見受けられたがしっかり良い面もあるので、初めての方は一点だけでも商品を出品しに登録するのも良いし、退会した方もより良い環境になれば戻ってきても良いのではないだろうか。
前回の日記を当人が見てしまったのか、トミーウォーカー側の被害者にも謝罪をするそうだ。謝罪文とは名ばかりの言い訳を並べている彼女の文章でちゃんとした謝罪を述べられるのかどうかはわからないが。
深い意味がなく購入者やプレイヤーを怒らせていた時点でもう滅茶苦茶なのだけど、どうなるのやら。
それと前回の日記だが、まだ一日もたっておらず全くブックマークもコメントもなかったのにも関わらずどこから見つかったのか。当人がツイッターでひたすらに隠蔽を図っている理由を少し理解できたかもしれない。
そのように半端に隠すから更に広まるということは、当人はわからないのだろう。自分で自重すると言いつつ普通にココナラでリクエストに提案してるそうだし。