この件に限らず、理想を現実にすり合わせる必要は感じる。理想だけで決めた法なんて守られない、それは身にしみて感じる。
しかし、それにしても、コミュニティを逸脱した人間はここまで憎まれるのかと戦慄する。なぜだろう。内部の一人の暴走で、上からコミュニティごと潰された恐怖が、今も日本を取り巻いているのだろうか?
無課金(名前を隠して楽しく日記コース)の場合、1ヶ月の書き込み上限を10回とする
他人の目を気にしがちとか友達が他の友達と仲良くしてると嫉妬してしまうとかコミュ障ぽいエピソードとか
ブランド物の時計とブレスレットつけた腕(ほっそりしてて白い)をあげててそこに旦那がどうとか惚気が書いてあって一気に冷めた
月に28日くらいは出してるんですよ
あのまま恋人のままでも良かったよねと言っていた。
結婚してなかったら別れてたって結婚した当初言ってたじゃないか。
と言いつつも、俺も同感だ。
そろそろ離婚の時期かな。
今度は離婚したくないとか言うんじゃないぞ。
そんなことないだろ
正直週40時間の定時内だけでもキツい
本当に日本「だけ」かは知らないけど。
今回の事件だけでなく過去の類似案件でも自己責任論でのバッシングがありまして、同様の帰還者を「英雄」として迎えた国との温度差で海外メディアがびびったとか。
そもそも日本はアメリカみたいに多民族が入り乱れる社会じゃないので「地域唯一のコミュニティに入れない=死」みたいなところがありました。出る杭は叩かれたら終わり、必死に叩かれないように生きてきた。
そんな所謂「恥の文化」の中で、最も重い罰はコミュニティからの追放です。「村八分」といいます。
そんな価値観があるため、わざわざ忠告も無視すらして捕まりに行った安田さん、「自分からコミュニティを抜けた奴とか知るか」、「自己責任だ」ってのはわりと自然な感情だと思います。
国の機能としてはもちろんそうやって無視するわけにはいかないので、救う方向で動き、そこで感情的な価値観と現実に差が生まれるわけです。
唯一の例外として国の機能が感情的な価値観に基づいているのが死刑肯定論です。国際的には死刑廃止の方向に動いている中、「コミュニティからの逸脱者には人権が適用されなくなる(死刑が許される)」のは今も日本的な価値観に基づいているのではないでしょうか。外患誘致には死刑しかないってのがわかりやすい。
何が言いたいかってこの案件を第一印象として「自己責任だ」と思うのはわりと自然なことだって話です。感情としてそう思う、ということ自体はなかったことにするべきではない。
仕事柄、残業が多くなりがちな業界にいるけど、世の中には30時間の残業でも辛い、よもや残業が発生すること自体にストレスを感じる人がいるって知った。
頑張ってるって思って良いよね?
いや、いろんな人いたよ