はてなキーワード: エゴイストとは
みなさん、こんばんは!最近思うんですけど、この世の中、「皇帝」みたいに振る舞う人、多すぎません?特にSNSで!
「私はこれが正しい!みんな、ひれ伏せ!」みたいな投稿を見るたびに、「いや、あなた、フォロワー200人のエゴイストじゃん!」って思っちゃうんですよね。もう少し謙虚に生きましょうよ!
で、最近僕も少しエゴイストになりかけてるなって思うことがあって。先週、競馬に行ったんです。いや、正確には競馬場に行った友達からオススメされた馬券を買ったんですけどね。
その馬がすごくて、「三冠ジョッキー」を目指してるんですって!「これは絶対当たる!」って思って、もう全財産をつぎ込む勢いでした。でも、結果はどうだったと思います?そう、全滅!
その瞬間、僕の中の「秋の物悲しさ」がピークに達しましたよ。「秋はセンチメンタルな季節」とか言うけど、競馬で負けるとそのセンチメンタルさ、3倍増しですから!
競馬場から帰る途中、難民みたいな顔してましたよ、僕。財布の中身、スッカラカン。で、その後、バーに行ったんですよ。「ちょっと飲んで立ち直ろう」って思って。そしたら、隣の席のオーナーが、「君、大丈夫?」って声をかけてくれたんです。いや、その時、「大丈夫じゃない!」って琴みたいに心がピンと張り詰めましたね。でも、そのオーナーが、「飲み物、1杯サービスするよ」って言ってくれて…それが僕の再スタートのトリガーになりました。
人生って不思議ですよね。競馬で負けて絶望してたのに、ただの1杯のビールで復活できるんですから!それにしても、あの馬のジョッキー…次はベスト尽くしてくれよな!
ありがとうございました!
つまり「この人にはこれぐらい失礼なこと言ってもいい」と判断して無礼な言ってるわけである。それ以降その人のことが人に見えなくなっちゃった
俺は酷いエゴイストなのかもしれないが、一緒に過ごしたり仕事したりする人間ぐらいは選んでもいいよね
たまにわからなくなるんだよね 人の心が見えないと おそらくそれは心の性質が遠すぎるからだろうと思うから ある程度は心が近い人と過ごすことにしようと思った
よく考えると「本気を出せば適切な振る舞いができる」ということなので当人にとってはいいことだ。何も心配することはないな
なんでそんなことになるんだろうと一晩考えてたけど「偉い人には丁重に言葉を選んでそうではない人には無礼な言葉を発する」という自身の態度を見て周りの人がどう思うかを考えられないという意味では「人の気持ちに鈍い」の類型であるのかもね(だからなんだという話だが………)
アプリで知り合った男。30代くらいって聞いてたけど、まあアプリの写真では普通だったんだよ。
待ってたらさ、すっごいピッチリした燕尾服を着た男がこっちに歩いてくるのが見えた。
いや、もう、ピッチリどころじゃなくて、皺ひとつない、まるで貸衣装か何か? しかも白手袋までしてて、コスプレかよ!って。
渋谷のど真ん中、ハチ公前でだよ? マジで「え?は?」って二度見しちゃったもん。
こっちはエゴイストで揃えた白のオフショルダーに、リゼクシーのブラックのタイトスカート。
あと足元はダズリンのヒール。 だけど燕尾服と並ぶと、もうなんかコスプレ大会の参加者みたいでめっちゃ浮いてたんだよね、私。
そいつが近づいてきて、いきなり「増田さん?」って声かけてきた。
いや、あんた誰よって。絶対間違えてるでしょ?って思ったけど、相手が名乗ってきて間違いないってなった。写真となんとなく顔も似てるし。
仕方ないから、「はぁ…」って頷いた。そしたら、「良かった!僕も少し早く着いちゃって!」とか言って、近くのスタバ渋谷モディ店で一緒にお茶しない?って誘われたの。燕尾服で。
そりゃ、ついていくしかないじゃん? でも、スタバよ? もう、周りの視線が痛い痛い。
私も恥ずかしさで顔真っ赤だったけど、燕尾服はそれを「照れてるんだね」って勘違いしたのか、ドヤ顔で笑うんだよ。
「照れなくてもいいよ」って、完全に勘違いしてる。
「今日は特別な日だと思って、これを選んできたんだ。どう?カッコいい?」とか言われて、いや特別な日じゃないし…って心の中で叫びつつ、うんざり。
でもあいつ、燕尾服のくせにドヤ顔で延々と喋る。まるで自分のファッションセンスが神レベルだと思ってるみたいに。
もう最悪だった。なんで燕尾服なんだよ?って聞きたかったけど、怖くて聞けなかった。いや、だってさ、エゴイストに燕尾服って、どう考えても合わないでしょ?
スタバに入っても私たち、完全に浮いてた。燕尾服と一緒にいるだけで、まるで私もコスプレ仲間みたいな雰囲気になっちゃってさ、もう痛すぎた。
とりあえずレジに並んで、何か注文しようってなったんだけど、燕尾服がなにを頼むのか気になった。
そしたら、いかにも「僕、センスいいでしょ?」って感じで、「キャラメルマキアートのトールサイズ、ホイップ多めでお願いします」って、完璧な発音で注文。
トールサイズのキャラメルマキアートがこんなに威圧感ある飲み物に見えるなんて思わなかったわ。
で、私はというと、もうどうでもよくなって、「カフェラテのショートサイズ、シロップ少なめで」と、いつも通り無難なやつを注文。
シンプルなラテが一番だし、頭の中は「とにかく無難に過ごせ、無難に帰れ」って思考がグルグルしてた。
横にいる大学生っぽい女子二人組がクスクス笑ってるのが聞こえて、ふとそっちを見ると、二人とも全身がレディアゼルで固められてた。
よく見るとバッグはシャネルのクラッチ、だけど靴はアースミュージック&エコロジーみたいなミックスで、いかにも見栄を張ってる感じが見え見え。
こっち見て笑ってるけど、正直私からすればそんなに大差ないじゃん?って思いながらも、やっぱり痛いものは痛い。
ようやく席に座ることに。彼はなんと、座る瞬間もまるで貴族みたいに燕尾服をさばきながら、ふんわりと腰掛けた。
私はそれを横目で見つつ、「なんでこんな格好でここにいるんだろう…」って頭を抱えたくなった。
で、会話が始まったんだけど、正直何を話してたか全然覚えてない。
燕尾服が何か一生懸命話してるのは分かってたけど、私の頭の中は自分が注文したカフェラテと、目の前でマキアートを飲んでる燕尾服しか入ってこなかった。
会話なんてもう無理。燕尾服がずっと頭にこびりついてた。
「ここは僕が払うよ」って、燕尾服でカッコつけながら支払いをしてくれて。
美味しかったカフェラテをタダで飲めたってことだけが唯一の救いだったわ。
燕尾服、悪い奴じゃなかったと思う。
・義母ですら嫌なのに義父
・自称「現代の育児法に感覚アップデートできてる」←出来てるわけがない
・加齢で注意力・視聴力その他感覚器の機能が激落ちしてる←そんな奴が三つ子の乳幼児を見られるわけねーだろ
孫に関わるな、息子の嫁に気を遣わせるな、黙って息子の嫁に金出す以外の一切の干渉禁止
お前のヒロイズム願望を他人と孫で満たそうとすんなクッソ邪魔なんだよこのエゴイストが
なにが「俺が格好いいジイジになるため助言くれ」だ、ふざけんな
母親がストレスなく我が子を触らせられる親族は、関係のかなり良い実母と育児経験のある仲の良い実の姉妹だけ、と心得ろ
どうしてもマンパワーとして役に立ちたいなら、役所の手続き係とか、シッターや家事代行サービスを手配する執事的役割に徹しろ
それ以外に出番はない
※ネタバレしか含まないので未視聴の方は読まないことをおすすめします
三階 ペジンス
30代の青年。投資詐欺によって巨額の借金を追い、漢江に身投げしようとしていたところにショーの招待を受ける。
時々滑稽なところもあるが、物価を暗記していたり、最終的にはゲームを終わらせる機転を利かすなど頭は悪くないキャラクター。
自ら一線を越えようとする性格ではないので、彼のシーンは安心して見れた。
「平凡な青年の役」はかなり難しい役だと思うので、演じたリュジョンヨルさんに拍手!
八階 サラ
気分屋で、一瞬の享楽のために、残酷なことをやり尽くす美女。彼女が八階になってしまったのが運の尽き。もちろん、彼女がいないとこのドラマは面白くない。
次に何をしでかすかわからないエキセントリックなところが非常に魅力的。
私は食事中にドラマを見ていたので、彼女が提案した不眠拷問のシーンは、思いっきり食欲をなくしたが…
演じたチョンウヒさんは「スマホを落としていただけなのに」で拝見しており、役が違いすぎて驚く。
七階 パクジョンミン
映画監督。お金が必要な経緯は不明だが、新しい映画の制作費のため?
エピソード5の彼が「殴れ!」といったシーンが、カタルシスを感じてよかった。
それだけに、足を銃で撃たれたシーンは不憫。
ただし、三階にちゃっかり投票していたり、上層階に支配されている間残酷なゲームを提案していたのは彼だったので、善人というわけでもない。
演じたパクジョンミンさんは、「地獄が呼んでいる」で拝見していたので、役が違いすぎてまたも驚く。
一階
サーカスの劇団員。娘の高額な治療費を自分の生命保険で補うために、事故に遭おうとしていたところショーに招待される。
優しい性格なだけに、虐げられてきた怒りも強かった。一番お金に狂わされたキャラクター。
イントロで火だるまの男性のシーンがあるんですが、あれは最終話の伏線だったんだな。
二階
職業不明。お金がない患者の手術費の肩代わりのため、ショーに参加。
参加の動機から分かるように、正義感が強く、勇敢なキャラクター。一見暴力的だが、参加者の中で最大の良心。
四階
元練習生、現駐車場の誘導員?馬鹿にした同級生を見返すために、ショーに参加?
とわざわざ言うなど、一貫してずるい。
でも、八階や七階ほど頭は回らないし、六階ほど力も強くないので金魚のフン状態。
一階が「部屋を交換したい」と言わなければ、拷問に手を貸し続けていたと予想できるので、かなりのエゴイスト。
看護師。冷え切った夫婦関係を癒すために出会った男に、全財産を貢いでしまう。献身的な性格が作品の中で仇となる。
愛情深いが、感情的なために冷静な判断ができないという印象。彼女の判断から起きるストーリーの転換は、本当に最悪だった。
得た賞金で、また他の人に貢ぐ羽目にならないといいが…。
六階
違法賭博で失墜した元野球選手。中古車販売店で暴力事件を起こしたことがきっかけで、高額なお金が必要になる。
やくざ者。毎話誰かをボコボコにしていたが、最終的に腰の骨と睾丸を損傷しているので、因果応報はきっちりと受けた模様。
ストーリーについて
展開が読めず、非常に面白かったです。
イカゲームに似ているとの声もありますが、ほとんど似ていません。
観戦型スポーツ特有の「感動の押し売り」って結局はマスメディア主導の誇大広告だよな
「番組」を素晴らしい物にするために、ありのままを許せず「感動」というワードで「糊塗」することを始めた
だけどここ最近で一番やばいのは、日本のスポーツ選手自身がマスメディアに感化されて「感動の体現者」として立ちふるまい始めたところ。
たかが数秒、他人より早いかどうかくらいで順位決めるようなエゴイスト共なのに、それで世界を救ってるような気で居るのが怖すぎる。
もちろん、ファンが居て彼らに影響力がある、ってのは別にいいんだけど。
マスメディアは多数を取り込んだほうが儲かるからって、「ファン以外」への影響力を強めようとしてるんだよな。
さすがにそれは不遜だろと。おまえは俺の神でも指導者でもないだろと。
MLBでは戦力均衡の観点から「総年俸が一定の金額を超えた場合、金を徴収して機構に収める」という仕組みがある。
かなり複雑なので、詳しく知りたいかたは下記推奨。日本語で書かれたウェブ文書の中でたぶん一番詳しい。
本来払うべき贅沢税を圧縮し、戦力均衡を傷つける行為であるとされるため。
具体的には、贅沢税を算出する際にインフレ率を考慮し、後払いの分は現在価値に換算して払うためというルールがあるためだ。
インフレが全くしていない社会(日本は長いことデフレなので肌感としてはこちらに近いかもしれない)では、現在の100万円と10年後の100万円の価値は変わらない。だが、年間3%のインフレをしている社会では通貨の価値が年々目減りしていくので、現在の100万円は10年後には74万4千円の価値しか持たない。贅沢税の計算は、このインフレ率を考慮して行われる。
分かりやすくするために極端に考えると、以下のような契約があったとする。
このとき、100年後には現在の1円の価値が18.66分の1まで圧縮されるので、この選手の年俸は現在価値において5億3000万円と計算され、これが贅沢税の対象となる。球団は100億円のうち94億7000万円圧縮でき、その分を補強に回せる形になる。
年数 | 支払われる金額 | インフレ率(複利) | 現在価値 |
1 | 200万ドル | 1 | 200万ドル |
2 | 200万ドル | 1.03 | 約194.17万ドル |
3 | 200万ドル | 1.0609 | 約188.51万ドル |
4 | 200万ドル | 1.092727 | 約183.02万ドル |
5 | 200万ドル | 1.12550881 | 約177.69万ドル |
6 | 200万ドル | 1.159274074 | 約172.52万ドル |
7 | 200万ドル | 1.194052297 | 約167.49万ドル |
8 | 200万ドル | 1.229873865 | 約162.61万ドル |
9 | 200万ドル | 1.266770081 | 約157.88万ドル |
10 | 200万ドル | 1.304773184 | 約153.28万ドル |
11 | 6800万ドル | 1.343916379 | 約5059.8万ドル |
12 | 6800万ドル | 1.384233871 | 約4912.4万ドル |
13 | 6800万ドル | 1.425760887 | 約4769.3万ドル |
14 | 6800万ドル | 1.468533713 | 約4630.4万ドル |
15 | 6800万ドル | 1.512589725 | 約4495.6万ドル |
16 | 6800万ドル | 1.557967417 | 約4364.6万ドル |
17 | 6800万ドル | 1.604706439 | 約4237.5万ドル |
18 | 6800万ドル | 1.652847632 | 約4114.1万ドル |
19 | 6800万ドル | 1.702433061 | 約3994.2万ドル |
20 | 6800万ドル | 1.753506053 | 約3877.9万ドル |
ということで、合計すると大谷の契約は現在価値にして合計4億6千万ドルほどとなり、これを10で割った4600万ドルが贅沢税の対象として計上される。球団は浮いた分でほかの選手を補強でき、よりワールドチャンピオンに近づく(戦力均衡が破壊される)。
cider_kondo よーわからん。ドジャースファンが球団を批判するなら分かるがそれ以外は意味不明。将来のキャップスペース(球団の未来)を生贄に捧げて短期的な戦力確保を優先したという話であり、それ以上でもそれ以下でもなかろう
yunotanoro 大谷翔平が後払い契約をする事で、大谷翔平の現役生活中は毎年6800万ドル分他の選手を強化してドジャース最強時代を築き上げれるってバグ技が発生したってことか。引退後は暗黒期になる可能性もあるよな。
Futaro99 これって十年後に居ないオオタニの分のぜいたく税払うんだよね?それはそれで辛くないのか?
大谷の年俸が贅沢税の対象になるのは、あくまで契約が切れる10年後まで。年俸の総額を契約年数の10で割って年々支払っていくのだが、この「総額」を圧縮しているので問題となっている。
なので「将来(11年目以降)がつらい」「11年目以降を犠牲にして短期利得を得た」という話ではない。
kiki-maru ここ10数年ナリーグ西地区では一度だけ1ゲーム差で落とした以外は大抵大差で地区優勝してる金満球団のドジャースでこれをやればそりゃキレられる。
同感。ドジャースは日本でいうと現在のソフトバンク、より正確に言えば80年代後半〜90年代前半の西武ライオンズみたいなもので、そこがリーグ最強選手を補強して贅沢税の支払いも圧縮しているので、そんな契約を結んだ大谷含め叩かれている。
大谷の契約には後払い利子もないため、インフレが進むアメリカにおいてはもらえる金額が目減りするデメリットしかない。たぶん以下のような事情なのだろう。
BL作品はずっと好きで、特定の作者さんや作品はずっと読んでるんだけど、リンク集(死語)とかなくなって自分が好きな作品以外のジャンル・界隈に触れる機会がないまま10年くらい経った。
子育て落ち着いて時間できたから新しい作品に出会いたいな〜と思って出版社のサイト眺めたら、オメガバースというジャンル!!があるのにびっくりした。
古のやおいの時代からいろんなジャンルあるのは知ってるし、鬼畜・異常性癖でもショタでもフィクションはなんでも全然アリなんだけど、オメガバースはぴっくりしちゃった...
だってBLの意味がなくない??男性同士の愛の中に「妊娠」持ってきちゃったらそれはもう男女ものの女を男に置き換えただけじゃん!
それはBLにおいてはファンタジーの域を超えてるよ...男同士である意味がない。
ここまで書いてて思ったけど、そういえば昔から女体化BLとかあったな。それの延長にあるのかな。オメガバースに至る歴史が知りたい。
BLって、リアルなゲイよりのジャンルと、女性を男性に置き換えたファンタジー的なジャンルに分かれるのかな?
BLはただ男同士で少女漫画やってるだけっていう批判腐るほど見てきて、実際そういう作品もある。でも、「男同士であること」から発生するいろんな葛藤や関係性の構築をじっくり書くところ、そこがBLの好きなところだった。
もうメインストリームのBLについていけない。大人しく高山真さんの「エゴイスト」とか、千葉雅也さんの「デッドライン」とか読んでたらいいんだろうな。
わざわざ国民の同情誘うような言い方で、
再発防止という大義名分をもって
感情論ばっか吹っかけて、
関係ない社会の風潮とか背景にまで話持ってって、世の中全員の責任みたいな、大問題にして騒いでもらいたがるやつが多い。
被害に遭ったのは仕方ない、
そんな人間の不幸をいちいち共有して問題にしていたらキリがない。
こういうのに同調し、
可哀想だと憐んで涙流してるやつなどは、
「自分にその不幸が降りかかったらと思うと悲しい」というだけの、想像力豊かなエゴイストという自覚を持つべき。
加害者をさっさと糾弾して、お前らもこういうことはマジで不快だからやめろって勇ましく主張すれば良い。
情に訴えかけるような言い方が何よりムカつく。
可哀想なんて本気で思ってくれる奴なんか本当はいないのを悟れ。
人の良心に働きかけて肥やしにしようとするな。
九州の片田舎から大学入学を機に上京。仕事は順調。堅実な生活しているため経済的にとても余裕がある。
結婚して家庭を作り、子どもを産み育てることこそ幸せ、それ以外の生き方に価値を見出さない田舎の両親とは
疎遠になった。仲が悪いわけではないが、帰省するたびに「なぜ結婚しないのか?歳をとって一人はさびしいぞ」
と言われ続けてきた。カミングアウトする勇気もなく、カミングアウトすることで両親を思い悩ませることもないと
ごまかしながらここまできた。田舎では独り者は変わり者。田舎の人間関係をすべて捨ててずっと一人で生きてきた。
最近歳の離れた彼と知り合った。20代半ばの彼はワーキングプア。毎日夜勤で働きづめ。海外から技能実習生として来日している。
祖国に残した大家族を養うためにひとり日本で働いている。技能実習生という制度についていま議論されているが、まさに使い捨ての調整弁。
そんな彼を金銭的にも支えている。家族と仲が良く、毎日のように国際電話で祖国の親兄弟と話している彼は自分が捨ててしまった
家族の絆を大切にしている。俺が彼に施す行為は単なる自己満足なのか愛なのか?彼が喜ぶことは何でもやってあげたいこの気持は
愛であると信じたい。
素晴らしい映画で、俳優陣の演技の凄さや、構成、ストーリー、細かな演出、ゲイ社会に対する深い解像度については既に他の人が書いてくれてるから、私は特に言うことがない。
龍太(宮沢氷魚)に自己を投影し、自分の中の闇を見て絶望した。
私は、絶世の美女ではないが、そこそこ可愛くてモテるタイプで、どうやったら男が自分に惹かれるか分かってるから、ついつい面白がって知り合った男達を次々に恋に落としてしまう。寂しさ半分、楽しさ半分で。
龍太の、自分の魅力を分かってて、出会う男達を次々と恋に落としていくあの感じ、性別は違えど私そのものじゃないか。
金銭的な動機100%でもなければ、純粋な恋心100%でもない。それらがないまぜになって、どちらが優勢なのか自分自身でも分からないまま、見ないふりをして男を手玉に取っていく様子が、まるで自分のようで見ていて苦しかった。
そんなゲームを、いつまで続ける、続けられるんだろうか。
そもそも映画館がくそ遠い&しかも上映時間が観に行ける時間帯とずれていたので。
映画の評判やネタバレを回避出来る範囲で読めたレビューから、ある程度の重さは覚悟していたけど、思いもよらない方向性で辛かった。だってこれおそらく完全なフィクションではなく著者の本当の懺悔じゃん……。
過去に自分を馬鹿にし虐めた同級生に復讐するかのように都会でイケイケな暮らしぶりをしていた主人公・浩輔。彼が出会い恋に落ちたのは、ちょっと訳ありで美しく純真な好青年の龍太。実は龍太は病身の母親を養う為に売春をしていたのだ。
という、あらすじだけ書くと陳腐なBL小説のような感じだし、受けの方の性別を女性に変えると更によくある話って感じだ。だが、浩輔と龍太の出会いと恋は物語の序章に過ぎなかったのだ。
浩輔はよかれと思って、悪くいえば自己満足で、龍太に救いの手を差し伸べる。そして龍太の母親も交えて家族のように過ごし幸せな時間を共有することになる。ところが、それが結果として龍太を追い詰める事になってしまい彼の早すぎる死を招く事になってしまったのだ。
文中では浩輔の懺悔が切々と語られるけど、俯瞰してみれば浩輔だけでなく龍太も龍太の母もそれぞれのエゴや愛で行動しており、誰が悪いって話でもない。
著者本人であろう浩輔は等身大の人間として描かれている一方で、彼の恋人の龍太という人物は、美しい過去の思い出として徹底的に純真無垢な存在として描かれている。
けれども、私が思うには、龍太の死は浩輔のエゴのみが引き起こしたんじゃなくて、龍太自身のエゴというか、自分の意思で・望みであえて命を縮める方へ邁進してしまったのではないだろうか。
「恋人」という肩書きに龍太は囚われてしまったのではないかと。浩輔が龍太とその母親に金銭的な援助をしてくれた、それをビジネスと割り切って、浩輔のことをビジネスパートナーくらいに思っていたら起きなかったであろう悲劇。恋人だから、出来る事なら対等になりたい、正面から向き合いたいって思うあまりに背伸びをし過ぎてしまったのだろう。けれど、そうして頑張ったお陰で得た幸せというのが、彼にはあったんじゃないかなあ。
男女の愛人関係にもあり得る話のようでいて、男同士の恋愛だったから起きた悲劇のようにも思える。対等でありたい相手が手の届かない高みにいる事に、女だったらそこまでプライドが傷つけられはしないのではないだろうか。女ならば社会的に男と圧倒的な差があるのは自明の事として渋々でも受け入れられたかもしれない。
なんて。浩輔が悪いんじゃなくてこれはどうしようもない事だったんだよ、と、作者にとってはミリも慰めにはならないだろう事を考えた。
浩輔と龍太との出会いと死別までは三年の年月があるけれど、その蜜月の描写はあまり多くない。ページ数でいえば龍太が死んでからのエピソードが全体の四割くらいを占めていたりする。一人の人間が死んだくらいで世界は終わらないし残された人達にも容赦なく明日はやってくる。
しかも、龍太は人知れずあっさりと死んでしまうけど、その死をすぐには受け入れられず、でも受け入れるしかない浩輔の悲歎に暮れるシーンがけっこうな分量があって物凄くしんどかった。非常にリアルな心理描写なので、読んでいて自分が今まさに体験しているような気分になった。この場面、作者はどんな気持ちで書き綴ったんだろう。過去のこととして他人事のように冷静な目で書いたりとか……私だったら無理かな、つらい……。
龍太が死んで後の話。龍太の母親と浩輔とで残された者同士で実の親子のように孝行したり心を支えたりっていう話は、エピローグでもおまけでもなくむしろ本題かなっていうくらいのものだった。だからといって龍太の存在が軽い訳じゃなくて……浩輔が龍太に援助を申し出たモチベーションになったのが浩輔自身の母への思いで。それを龍太の母親が汲み取ってくれて、浩輔がこの親子を救ったと同時に浩輔もまた彼らに救われていたのだと。
だが同時に明るみになる残酷な現実というのもあって、龍太の母親は息子を喪って始めて生活保護を受けられるようになり、無料で治療を受けられるようになったという。なまじ側に扶けてくれる人がいると社会福祉は遠ざかりがち。浩輔にしろ龍太にしろしなくていい努力をしてしまったともいえるのだけど、そうしたからこそ得られた愛と幸せがあったわけで。