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はてなキーワード: 社会科とは

2016-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20160312175256

続き

なにかの拍子に

数学とか物理が1番簡単じゃん。1番教科書薄いんだから社会科の科目とかって字も細かいし、多いし、まとまってないし、」

と言ってたことがある。

彼にとってはそうだったんだと思う。

自分も、理数系の科目ではたびたび全国模試偏差値70くらいはとっていた。

偏差値70といえば、上位5%以上なので、ある種の陶酔感があったし、数字神秘を感じたような気がした。

でも、彼と話すと自分の感じてるそれは違うのだと思い知らされる。

成績の問題ではない。

数学を使いこなして、いい点を取って、偏差値70、俺sugeeeeeee!数学楽しい!」

と思ってる横で、

数学とか物理って電卓みたいなもんでしょ。ちょっと慣れれば誰でも使いこなせる」

という風な態度にハッとさせられる。

自分電卓を使いこなして電卓に憧れてるピエロなのだと。

彼は、スマートフォン教室に通う老人をみるような、不思議な気分で皆をみていたに違いない。

しかし、彼は彼で、楽しそうではあった。

それが、数学物理教師が、理学部物理学科、理学部数学科を勧める理由だったと思う。

でも、彼は数学にも物理にも興味がなかった。

例えるなら

スマホをいじるのが楽しいスマホでいろんなことを出来るのが便利!」

というような感情を抱いていただけで

スマホとはなんなのか?スマホの真髄とはなにか?」

などとは微塵も思ってなかった。

彼の思考は完全に実学向きで、今でも就職先では優秀な社員をしてると思う。

器用すぎるところが災いして、おそらく生涯、一技術者として生きると思う。

あるいは、任天堂岩田聡社長のように、技術者としてはスタンドプレイ典型的なパワーコーダーでも、ポジションが変われば全体最適のためにその能力魔法使いのように発揮する人間なのかもしれない。

2016-03-12

日本人が今必要なのは奨学金制度の充実じゃなくて

出来の良いSPIじゃね?

高卒のくせに面積の計算ができない人、大卒のくせに微分チンプンカンプンの人、そういう人が沢山いるならもう就活高卒大卒なんて要求してもしょうがないじゃん。

大学入試高校入試SPIの代わりになってるなんて言うならそういう人達がいるのがそもそもおかしい訳でさ。

じゃあ何が必要かと言えばそれぞれの企業必要だと思う能力を正確に測れるSPIなんじゃないかって事。

それを企業ごとにやっていたら大変だからセンター試験みたいに求職者全員で一斉に受ける仕組みにしたら良いんじゃないのって事。

その結果を見て会社は「まあうちは社会科は50点足切りでいいからこの内容の数学は90点超えてくれないと困るかな」とか「うちは営業から算数クラスができてればいいよ。でも国語は80点超えてね」とかやっていけばいいんじゃないのって事。

どうかなこのアイディア

色々いっぺんに解決出来ね?

おっと「奨学金返せない人は今泣いてるんですよ!」なんてただ過去を悔やんでばかりいるだけのネガティブ意見サンキューノーノーでごぜーますぜ。

2016-02-16

熱量警察です

おれは忘れもしない。

小学校社会科で初めて農業貿易について学んだころ、おれは調べ学習のため図書館に来ていた。

そこで手に取ったのは、たしか日本食糧事情についての本だったと思う。

その中の統計表にあった「熱量」という言葉意味が、その時のおれにはわからなかった。

だが時を同じくして国語辞典の引き方も教わったばかりのおれだ。

早速家から持ってきていた辞典で「熱量」を調べると、そこにはこう書かれていた。

カロリー」と。

えっ、カロリーってあのカロリー

あるある大辞典で忌み嫌われているあのカロリー

おれは混乱した。

作物の生産量ならキログラムとかトンとか、重量で記述するものじゃないの?

もちろん今ならわかる。

食料自給率カロリーベースで見るだとか、そういう意図の下で作られた統計だったのだろう。

だが当時は混乱した。

しかしこの事実は幼いおれの脳裏に深く刻みつけられた。

熱量とはカロリーである」と。

ところで現状を振り返ってみてほしい。

何か盛り上がっている様子や、勢いがあるさまを「すごい熱量」と表現しているのを見かけたことはないだろうか。

おれはこの表現がどうしても納得いかないのだ。

おいおい、熱量ってのはカロリーのことだぜ?

そこは「熱意」とか「熱気」とか「すごい勢い」とか、他に適切な表現があるじゃないかと。

それなのにそこを「熱量」と表現する文章最近多い気がする。

おれが思うには2012年満島ひかり中島みゆき「ファイト」を歌うカロリーメイトCMきっかけだと思っている。

とどけ、熱量

このキャッチコピーのせいではないか。

このコピー自体の出来はともかくとして、言わんとしていることはわかる。

カロリーメイトは、カロリーも含めた様々な栄養素を豊富に含んだ食品である

それを届ける大塚製薬は、人々にエネルギー(カロリーという意味でも、もっと精神的な活力という意味でも)を届けたいという思いをこのコピーに込めたのだろう。

からこのキャッチコピー自体文句はない。

しかし、それはこのコピーに限った話だ。

それ以外の文脈で「熱量」を使うと、それはもうカロリーという意味である

みんな、ちゃんと意味を把握せずに使っているんじゃないか?

印象的な「熱量」シーンがある。

きみは三富政行というプロレスラーを知っているか

博報堂社員で、ブログ退職エントリー話題になった人だ。

彼が以前、自分の参加したプロレス興行について、その盛り上がりをもっと広めていきたいという趣旨ツイートをしていた。

その中でも「熱量」という表現が使われていたのだ。

個人的意見になるが、この三富というレスラー勘違いをしている。

熱量意味もそうだが、プロレスラーとしての在り方だ。

アントニオ猪木以降、プロレス界のスターというのはみんな見かけによらずクレバーだと言われている。

プロレスにおいては、アスリート的な能力だけでなく観客を盛り上げる能力必要とされる。

前者は練習あるのみだが、後者はかなり頭を使わないと発揮できない部分だ。

これがプロレスラークレバーと言われる所以である

そしてこの三富だが、彼はプロレスラーがみんなクレバーであるからといって「おれって考えてますよ」アピールだけをする男なのだ

頭で考え、体で発信する、これがプロレスラー仕事である。これらはどちらが欠けてもいけない。

しかし三富は頭で考えたことを、ツイッターなどで発信するだけなのである

彼はパーソナルトレーナーの資格を持っていながら、体はお世辞にもグッドシェイプとはいえない。

単に増量期なのかもしれないが、それは見る者には関係ないのだ。

そして博報堂兼業でやっていたために試合の機会は少なく、名勝負製造からは程遠い選手である

そんな彼が「俺はプロレス界を盛り上げる」などと言っていても説得力がないだろう。

ましてや「熱気」でいいところを「熱量」という誤った言葉表現してしまうという配慮の無さである

意識の高さは結構だが、その発言は勝者が行ってこそ意味のあるものである

するならするで、言葉意味には十分気を付けてほしい。

話を戻そう。

熱量」の意味は「カロリー」など熱エネルギーのことだ。

断じて「熱意」「熱気」「勢い」のような意味ではない。

もちろんおれだって言葉意味時代によって移り変わることは知っている。

他人が何と言おうが、辞書に何と書いてあろうが、言葉意味は使う人のものだ。

他者とのコミュニケーション場合でも、両者が了解しているならばどういう意味で使おうと自由である

それに、拡大解釈すればおれが誤用だと思っている「熱量」もあながち間違ってないように思えてくる。

しかしおれは認めるわけにはいかないのだ。

だって、なんか気持ち悪いじゃん。

熱量」はあくまで熱の量だ。

その場の盛り上がりとか雰囲気のすごみを伝えるなら、熱”気”とか熱”意”とか、客観的に測れないものを使う方がそれらしいじゃないか。

その場の空気を感じている人たちだって、その感動は量より質という類のものであるはずだ。

からみんな、熱量という言葉の使い方には気を付けてくれ。

熱量警察と言いつつ、おれも別に見つけるや否や指摘するような真似はしない。

上に書いた通り、言葉意味自由からだ。

しか自分がどういう意味相手に伝えたいのか、それにはどういう言葉が最適なのかをよく考えてほしい。

それが君たちの周りにいる人たち、支えてくれる人たちに真摯に向き合うということなんじゃないかな。

おれはこれを書き終わったら名もなき熱量警察に戻る。

でも忘れないでくれ、熱量意味は熱エネルギーだということを。

そして、何か感動を覚えたとき、とっさに思い付いた言葉がそれを形容するのにふさわしいかどうか、よく考えてほしい。

これがおれの「熱意」だ。

一生懸命書いたから「熱量」もすごいけどな。

2016-01-15

私とラピュタ

中学吹奏楽部で吹いたソロパートトランペットが上手な友達セーラー服。泣きそうになる演奏

家族キャンプ空き地消防車放置されていて、植物が生えて朽ちていた。私はよじ登り、兄が運転席に座った。

夢中になってプレイした、セガサターングランディア

村上春樹ねじまき鳥クロニクルの、井戸の中で生活するシーン。

北野武ソナチネ

小学校の時観た、道徳ビデオ社会科ビデオ

職場男性

長期休み兄弟でやったドンキーコング3

ピアノの発表会のコンサートホール

2016-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20160114105519

うちの親が学生だった頃、社会科の筆記問題には全て「社会情勢が不安定だったから」と答える同級生が居て、部分点くらいは貰えてたそうな

中国の歴史では「農民の不満が高まったから」とでも書いときゃ行けそうだな

2015-12-14

中学受験社会メモメモ

N能研の保護者説明会で言ってた話を増田でも開陳

1.「社会公民は、日本国憲法記憶、これに尽きます。」

  「憲法9条と、基本的人権の各条文は、それこそ丸暗記してください」

  

  これ、もし「改憲」なんてことになると、中学受験社会は大混乱するなあ。

  上の子受験は兎も角、下の子小学2年)の際は、憲法変わってそうで怖い

  「主権者天皇から国民に変わりました」と教えているが、これも雲行き怪しい。

2.N能研の社会時事問題で、「戦後70年談話」が出題されていた

3.「日本地理ポイントは、①②が農業工業、③が水産、④が林業です。」

  ・・・鉱業は、無いんかい!?

  自分子供の頃は、筑豊三池とか北炭とか、それなりに覚えさせられていたのだが、国内炭鉱全滅だから不要なのか。

  今風に言えば、「九州太陽光発電が盛ん」とか「北海道風力発電が盛ん」のような、

  自然エネルギー立地の教育は、やってもいいのでは?

4.そして「①②が農業工業、③が水産、④が林業」ということは、

 「第一次産業第二次産業の立地は覚えさせるが、第三次産業は覚えるのは不要」というだよね。

 「サービス産業の立地」は、中学受験で出ないの?

  例えば小売がどこで多いか、地方では郊外商業化しているとか、首都圏では駅前商業が隆盛とか、インバウンド商業とか。

 

 「地方中核都市札幌仙台広島福岡)には企業支店が多い」とか

 「県庁所在都市では県庁公務員地銀大学地方紙の勤務者が多く、割と高収入な人が多い」とか、

 「介護産業首都圏で不足している」とか「医療産業東京都心と西日本に多く、首都圏外縁部では少ない」とか、

 第三次産業立地論の話の方が、実生活では第一次産業よりはるか要求されていると思うのだが。

 「社会教科書記述が固まったのが(第三次産業がまだ少なかった)昭和30~40年代で、

 その後アップデートを怠っている」ということなんだろうか?

 まあ、2030年とか2040年の社会科教科書では、否が応でも介護産業立地論」を小学社会で教えているんだろうな。

2015-11-10

簿記会計の知識は大事である」ということを学校で教えろや

簿記の基本を学校で教えとけっていう増田http://anond.hatelabo.jp/20151109212125)がいて、ブコメもたくさん集まっていて、

だいたい「その通りだ」という意見とか、「そんなもん、必要になったら学べばよい」みたいな意見とか、

「何を削るんだよ。学校では基礎教養を教えるべき」とかいろいろあるけど、

多分、問題なのは、そこそこ一流という学歴を得るための日本教育カリキュラムをまっとうにこなしても、

簿記とか会計の仕組みや考え方が、世の中においてかなり大事な仕組みであり、しかも、人類知的遺産の一つである、という認識

まれにくいことなんじゃないかと思う。

で、そのまま、管理職になったり政治家になったりジャーナリストになったり評論家になったりして、

なんか、いろいろ混乱させている気がする。

必要になったら自分で身につけられる」って、それは当たり前で、必要になりゃ人は学ぶもんだ。

あと、別に実務的な帳簿のつけ方を、必ずしも全員に教える必要もなくて、

それより学校で教えるべきことは、いろいろあるとは思う。

例えば、政治の分やでは学校民主主義とか基本的人権大事ですよとか、現代につながるそういう思想

市民革命を経て生まれたんですよとか、そういうことを、学んだりする。

それは、必ずしも、いわゆる「公民」の分野だけじゃなくて、世界史とか学んでも、そういう視点がある。

なのに、会計学とか、株式会社とか、そういう概念については、あんまりそういう視点で教えない。

少なくとも、オレ自身が受けてきた教育はそうだった。

簿記起源や諸説あるらしいが、そのうちベネチアジェノバ商人に導入され、ヨーロッパで洗練されていったものらしい。

オレ自身、詳しくはないが(なにせ、学校で習わないし)、その後、株式会社というものが生まれて、

ヨーロッパ文明大航海時代から植民地支配へと、傍若無人な力を発揮するうえで、

大切な役割果たしていったんじゃないかと思う。

で、今の社会だの世界情勢だのを語るうえで、企業というもの無視するわけにはいかんだろう。

日本社会多数派がそこに属しているわけだし、一生かかわらずに生きる人は多分いない。

別に、具体的に仕分けがどうこうとか、細かく必修で教える必要はないだろうし、

そんなことして別の内容を削る必要もないと思うが、

世に複式簿記というものがあり、それがどんな重要役割をはたしているかということだけは

教えておけばいいのではないか?

その程度だったら、既存社会科の内容をちょっと手直しすりゃ、できると思う。

少なくとも、日本史で、仏像写真みて仏師名前をこたえられるようになったりするより、大事な気がするし

社会科といえば「いいくにつくろう鎌倉幕府」(最近は、年号違うらしいけど)とかを思い浮かべるばっかりとかいうより、

ましな結果になると思う。

興味が湧いたやつは、そこから深堀したり、進学先を経営学部商学部にしたりするだろう。

今のカリキュラム普通科高校に進学したやつは、

そもそも、学校で学ぶ範囲の中で「興味を持つ」ことすら難しいんじゃないか?

いや、実際の今の学校カリキュラムを、詳しく知らないが。


オレは学校で周期律というのを習ったが、社会に出て実際に役に立ったことは、ほぼ無い。

それでも、過去にああいものが作られて、それで世の中の物質がすべて説明できて、

そういう知識が積み重なって化学が発展してったことを

学校で学んだことはムダだったとは思わない。

実際に帳簿を付けたり仕分けをしたりはしない人たちにとっても、

そういう感じで、「複式簿記というものがあり、それは大事ものなんだなあ」と知っておくべきだと思う。

社会に出て、実際に具体的な知識を身につける必要に迫られた人は、多分

「ああ、社会科時間になんかいってたのは、こういうことなんだなあ。もっと学生時代勉強しとけばよかった」

と思うはずだ。

「実務的な簿記の知識」は教養ではないだろうが、

ヨーロッパ文明が「複式簿記」という仕組みを洗練させ、それが、現代まで続く、企業会計の基礎になってきたという

そのことを知るのは「教養」だと思う。

で、「教養」を身に着けさせるのは、学校の大切な仕事だろう、と、思うのだ。

2015-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20151109213450

卒業後しばらく会社勤めしたあと、独立してから独学した。確かに独学でも何とかなる (わからないところは会計士さんに聞いたりした)。

ただ、学んでから思ったんだけど、基本のところを知ってるだけでも経済関係ニュース理解が違うなあと。ほとんどの人は働いて金を得るわけだし、給与所得者やるにしても金がどういうふうに流れて自分給料になってるか原理だけでも知ってるべきじゃないかなあ。

社会科現代社会政治経済あたりに入れられないもんかね。どれかの内容を削らなくちゃならないってのはわかるが。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-07-15

言葉に対する真摯

 国民議論という言葉は、恐ろしく空虚なくせに、どこまでも無神経なハリボテのように私には思える。あるいは、どこにも辿り着かない作りかけのジェットコースターみたいにも感じられる。そして、どこにも辿り着かない原因を、乗っている人間気持ち努力が足りないせいだと言っているように、責任放棄しているようにも聞こえることがある。

 いつからだろうか。その国民議論という非実際的な言葉が、バラの香りつきのダブルロールの糞拭き紙のように大量消費されるようになったのは。それは日々生まれ落ちていく。そして汚水に渦巻き、下水道に落ちていく。溶けていって消えていく。それが私には気に入らない。とても、激しく。

 国会議員大臣から、その反対の立場を取る論客とか文化人きどりのバカ芸能人まで、テレビラジオ新聞で、ことあるごとに、誰もが言うようになった。国民議論必要だと。ガチャガチャ、騒いでいる。なんだおまえらクツワムシか……。しかし、おそらくは、それだけではないんだろう。人前でもって何かを話すような偉い方々は、例えば、禿げ上がった社会科教師や、ぶんぷく茶釜みたいな地方議員なんかも、そのような薄い言葉を(偉そうに)使っているに違いない。

 だから、もう止めませんか。

 国民議論という言葉は、それは美しい言葉だ。それは認めます。人の精神の高貴さを讃え、鼓舞する言葉でもある。しかし同時に、それが愚かしいほどの理想論を下敷きにしなければ息ができないような都合の良い言葉だということにも気づいている筈だ。そもそも、国民議論というものは、どこでどのようにして行われて、何を成す力があるのだろうか。いや、具体的に考えてみれば、それはどのような具象的な力も持っていないことが、誰にとっても、はっきりと分かる。我々は限られた場所生活を行い、限られた人々とのみ、限られた意見をもって、差し出しあうことしかできないのだ。それは総括しあって、大小様々な結論を生むかもしれない。だが、それだけだ。何にもならない。そして現実には、それすら起こらない。起こっていない。起こったこともない。有権者全体の意識の変革など、できるわけがないのが現実だ。仮に、なんらかの技術革新に基づく発展があれば、いや、その補助があってさえ、不可能かもしれない。それは人間という生物種の、ひとつ社会的限界なのかもしれない。だが、ひとまずそれは置いておこう。

 書いていて、大分、怒りが収まってきた。とにかく、私は国民議論などという言葉を、語りかける言葉として使ってはいけないと考えていることを表現たかったのだ。そんな場当たり的で曖昧な、儀礼的でしかない誤魔化しを使うのは、互いを互いに貶めることに他ならない。そんな体裁第一主義からは、日本人は、もういい加減に卒業しなければならない。

 

2015-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20150712221455

去年社会科先生から借りた本を未だ返せていない。本って返そうと思ったタイミングを一回でも見失うとそれ以降すごく返しづらくなる。どうやって返せばいいのかわからん。難しくてまともに読んでないし。

2015-05-05

いいか中高生。史歴系の先生問答無用尊敬しろ

いいか中高生。史歴系の先生問答無用尊敬しろ

社会科しか日本史世界史地理)の先生になるには国語先生の2倍の倍率を突破しないといけないらしいんだ。

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n96202

国語先生は5人に一人受かるのに社会なんて10人に一人だぞ。

まりだな相当頭がよくて歴史地理大好きで教師になりたくて

そんなやつらだってことだよ。oh...クレイジー

経験則で言えば地理先生だけは

歴史も教えることできるはずなのにあえての地理が専門分野という変態から

センター地理取らないなら適当に相手しとけな。

うっかりすると地理オタクなっちゃうからな。気を付けろよ。

歴史先生は総じて質問されると顔があかくなっちゃったり語りだしちゃったり

眼鏡曇らせてたりかわいいから

これも適当に相手しとけ。

でもうっかりすると歴史オタクなっちゃうからな。気を付けろよ。

2015-03-26

河合塾ハイパー東大理類コースについて

 この記事東大理科類を志望して関東圏で浪人することを考えている方へ向けた記事です。筆者の経歴の都合上、河合塾ハイパー東大理類コースに関することが主となりますが、予備校やコースの選択について少しでも役に立てば幸いです。

筆者の紹介

 現役時76点差で東京大学理科二類不合格河合塾本郷校のハイパー東大理類コースを経て1浪で東京大学理科二類入学。現役時、東大即応オープンでは第1回、第2回ともに理科二類D判定、東大入試実戦模試では第1回、第2回ともに同E判定をとる。浪人時は、東大入試即応オープンでは第1回理科一類C判定、第2回同A判定、東大入試実戦模試では第1回同B判定、第2回同A判定。全統記述模試偏差値は第1回、第2回、第3回の順に国理65.0→69.9→71.2、理系67.6→72.1→73.7。

1.塾・予備校の選択

 浪人方法として自宅浪人、仮面受験も考えられますがここでは塾・予備校について筆者の経験を交えつつ書きます

 まず、浪人に当たって欲しいもの不要ものを考えました。

  欲しいもの

  ・自習室勉強に集中できる環境

  ・質問に答えてくれる人

  ・添削

  ・切磋琢磨することができる友達(話相手)

 (・テストゼミ

  不要もの

  ・センター対策講座

  ・リスニング対策の授業

 (・現代文の授業)

筆者の場合上記のような感じでした。この時点で自宅浪人の選択肢は消えました。奨学金制度を考えない場合私立大学で4年間過ごすよりも1年間浪人してから東大で4年過ごす方が安く済みます。また「切磋琢磨することができる友達」の数の点で実績のある大手予備校に絞られました。つまり、低迷している(ように感じられる)代々木ゼミナールとまだ既卒生の事業に参入して間もない東進ハイスクール選択肢から除外し、駿台予備学校河合塾から決めることにしました。この2つは学校法人でもあります。以下は駿台予備学校河合塾比較になります。※2014年度版

  駿台予備学校

費用

 入学金 100,000円

 授業料(年間)

 スーパー東大理系 700,000円

 スーパー東大理系集中 740,000円

 スーパー東大理系演習 740,000円

 プラスワンコース(センター補強)は+25,000円

・特徴

 50分授業(1日最大8時限)

 座席指定

 1日の時間割には「10分休憩」が4回、「20分休憩」が2回、「50分休憩」が1回ある

 毎朝ホームルームがあり、定期的にロングホームルームがある

 自習室の利用時間(時刻ではない)に制限がある場合がある

  河合塾

費用

 入塾金 10,0000円

 授業料(年間)

 ハイパー東大理類 570,000円

 プレミアム東大理類 750,000円

 東大理類 680,000円

 東大理類プラス 765,000円

・特徴

 90分授業(1日最大5時限)

 座席自由

 休憩時間は各20分で昼の休憩が50分

 週に1度ロングホームルームがあるが、ホームルーム存在しない

 自習室の利用時間制限はない

 スカラシップ駿台予備学校と比べ取り易い

 チューター講師の間に連携がある(指導する上で重要だと思います

 通常授業は主に基礎シリーズ(4~7月)、完成シリーズ(9~11月)、実戦シリーズ(11月、12月をまたぐ2週間)からなる

 

 ○共通事

 駿台予備学校にはティーチングアドバイザー河合塾にはフェローと呼ばれる「質問に答えてくれる人」(添削指導も頼めば行ってくれる)が講師とは別にいる

 クラス担任チューター)がいる

 個人面談がある(必須のもの任意に頼むものがある)

 生活カウンセラーがいる

 自習室には解放教室(授業をする教室を自習用に開放している部屋)と個別ブースがある(ただし駿台はいずれも座席指定であるのに対し、河合塾では個別ブース指定制、解放教室基本的座席自由である

 塾生寮が存在する

 東大教授による講演会OBOGによる講演会がある

 駿台予備学校にはフロンティアホール河合塾にはスカイラウンジといったような食事の可能なスペースがあり昼食の時間には賑わう(教室でも休み時間は飲食できます

 東大クラスだが、京大東工大のような国立医学部を志望する生徒も所属している

おおまかには以上のようになります。次に東大専門校舎における各コースの特徴を見てみます。以下にざっとまとめましたが、筆者は浪人駿台に在籍していないので「スーパー東大理系」や「駿台東大クラス」等のワード検索すると駿台クラスに関するより有益情報が得られるかと思います

  駿台予備学校御茶ノ水

スーパー東大理系コース/スーパー東大理系集中コース

 この2つのコースの授業は合同で行われますスーパー東大理系コースのコマ数はおよそ31コマで、集中コースの生徒には加えて土曜日パワーアップセミナーと呼ばれる演習の授業(4コマに相当)があります。4月に実施されるプレースメントテストの出来により上から順にSA,SB,SCとクラスが振り分けられるそうです。1クラスの人数は150~200人だそうです。SAは4割程度、SBは数人が受かり、SCは滅多に受からないと聞きます

スーパー東大理系演習コース

 コース名の通り演習を重点的に行うコースです。授業は通常約32コマ土曜日テストを行うことが数回あるそうです。4月に実施されるプレースメントテストの出来により上から順にSX,SY,SZとクラスが振り分けられるそうです。1クラスの人数は30~40人らしいです。SXはほぼ全員、SYは8~9割、SZは4割程度が受かるそうです。

  河合塾本郷

ハイパー東大理類コース

 数学理科の授業が必修で英語国語センター試験対策社会科目のみ)は自由選択です。数学理科以外の授業は6つまでの選択では料金が変わらず7つ以上選択すると上で述べた料金に1つ当たり18,000円(記憶曖昧ですがこれぐらいの値段だったと思います)が加算されます。授業をすべて選択しても東大理類コースよりも安いので非常にお得です。筆者は現代文センター試験対策以外の計7つの授業を選択しました。すべての授業を選択した場合週18コマです。クラスは1つのみで、1クラス60人程度でした。説明会では7割が受かると聞いていましたがその通りだったように思います東大即応オープンにおけるクラスの平均点は第1回、第2回ともに理科一類のA判定ラインを超えていました。理三には少なくとも3人受かっていました。

プレミアム東大理類コース

 数学がSEG監修のテキストプレミアム専用です。講師もSEGで教えている先生です。筆者の在籍していた年は物理講師が苑田先生でした。授業時間の延長が大変多いが高校範囲にとどまらない面白い授業だったと聞いております。週18コマで授業はすべて必修です。クラスは1つのみで、1クラス60人程度でした。説明会では7割が受かると聞きました。東大即応オープンにおけるクラスの平均点は第1回、第2回ともに理科一類のA判定ラインを超えていました。

東大理類コース

 週18コマで授業はすべて必修です。クラスは1つのみで、1クラス70人程度だったような気がします。説明会では3割が受かると聞きました。

東大理類プラスコース

 「東大理類コース」の授業に加えて土曜日プラスゼミと呼ばれる演習の授業がありますクラスは1つのみで、1クラス60人程度だったような気がします。説明会では3割が受かると聞きました。

以上の情報と「周囲のレベルが高い方が成績は伸びる」という過去経験駿台に通っていて合格は確実と思われていたのに東大に落ちた3人の知り合いの存在(飽く迄個人的ものです)などから筆者は河合塾本郷校のハイパー東大理類コースに決めました。細かく言えば、テストゼミ添削が多いことや授業が自由選択であること、東大理科数学試験時間が150分であるため90分授業の方が都合がよいことやMEPLOの合格実績、自習室が充実していること、本郷校の校舎が綺麗であったこと、何より料金が比較的安いことが理由です。なおハイパープレミアム東大即応オープンでC判定以上をとったことがあるか全統模試の成績がそれなりに良ければ認定下りますし、認定テスト基準もおそらく緩いので認定が欲しければ臆せず認定テストを受けると良いです。

2.河合塾理系コースについて

 河合塾理系コースについてより詳しく説明します。生物現代文センター試験対策の授業については書けませんがご了承下さい。

ハイパー東大理類コース

  数学

 専用のテキストを使用します。基礎シリーズでは3週間に2回程90分4題のテストゼミを行いますテキストテスト問題レベルは市販の問題集で言うと「やさしい理系数学」程度だったように思います。完成シリーズでは3つある授業のうち2つがテストゼミのみになります。一方は150分6題の東大東大レベルテストを行い、次の週に解説という形式です。つまり2週間に1回東大模試を受けるような感じです。もう一方は毎週分野別の90分4題のテストです。こちらも東大試験レベルだったように思います。残る1つの授業は演習の授業で、テキスト問題は骨のあるものばかりなのでじっくり考えて授業に臨むと良いと思います。基礎シリーズ積分計算に重点を置いた自習用テキストハイパー専用の基本事項集が貰えます。基本事項集から学ぶことも多かったので蔑ろにしない方が良いと思います。夏前に分野別で問題掲載された自習用問題集が貰えますが授業と比べると簡単です。

  物理

 プレミアムと共用の専用テキストを用います。基礎シリーズ力学、熱、波動を扱います。各分野の確認として基礎シリーズに3回75分3題のテストゼミがあります問題レベル東大と同程度かそれ以上だったと思います。完成シリーズでは電気磁気原子を扱います。こちらも各分野の確認として2回75分3題の同様のテストゼミがありますテキストが終わると4回ほど東大形式の75分3題のテストゼミを行います。実戦シリーズでも同様にテストゼミを行いますテストには東工大早稲田問題東北大後期試験などを用いているので75分で解ききることはほぼ不可能ですが問題を解く順番や記述の仕方を工夫して得点を最大化することを目標に取り組むと良いと思いますハイパープレミアム専用の自習用テキストが貰えるのですがこれはテーマが明確で解答も極めて簡潔なので個人的に「難問題系統とその解き方」や「名門の森」よりも学習効果が高いように感じました。

  化学

 こちらもプレミアムと共用の専用テキストです。基礎シリーズでは理論、有機を扱い、完成シリーズでは無機を扱います、基礎シリーズに2回、完成シリーズに1回東大型のテストゼミがあります。そのほかに完成シリーズでは理論、有機のテストを行います。実戦シリーズでは東大型のテストゼミを行いますテキストには自習用の問題も載っているのですべて解くと良いと思います

  英語

 通常の「東大理類コース」と同じテキストです。基礎シリーズは文法・語法、英作文、英文解釈、長文読解、いわゆるネイティヴによるリスニング自由英作文の授業があります。完成シリーズは文法・語法、英作文、英文読解、東大形式の英語東大形式のリスニング・英作文の授業があります

  古文と漢文

 通常の「東大理類コース」と同じテキストです。どちらも非常にわかやすい授業でした。東大問題限定されていませんが、論述に軸を置いた授業で、基礎シリーズ、完成シリーズではそれぞれ4回ずつ添削してもらえます。サブテキストが役立ちました。

プレミアム東大理類コース

  数学

 上で述べた通りSEG監修のテキストを用います。こちらもハイパーと同様にテストゼミがあるようです。内容についてはよく知りませんがテストは難しく平均点が80点満点で20~30点だと聞いたような気がします。

 他の科目はハイパーと変わりませんが物理は苑田先生化学はSEGでも教えている先生だったそうです。

東大理類コース/東大理類プラスコース

  数学

 ハイパーと比べるといくぶんか基本的な内容だったように思います。そのぶんハイパーよりも演習量は多そうです。テストゼミは実戦シリーズのみだったかと思います

  物理化学

 基礎シリーズで全分野を網羅し完成シリーズで応用問題を解くそうです。テストは通常カリキュラムにはなかったような気がします。

 他の科目はハイパーと変わりません。

 どのクラスも追加料金がかかります自然科学小論文の授業を取ることができます

3.講習について

 夏期講習、冬期講習は生活習慣の維持や自分で進んではやらない科目の演習量確保が主な目的となると思います。通常授業だけでも十分なので特に目的がない、必要を感じないのであれば取る必要はないと思います。通常授業の復習の方が大事だと思います。筆者は夏に英語、冬に英語センター地理の要点整理の授業を取りました。多少不満な点でしたがこの講習だけでセンター地理で8割取れたのでやはりセンター対策の通常授業は取らなくても良い気がしました。

 直前講習は東大形式のテストゼミが多いのでセンターぼけからの復帰(初めからセンターぼけしなければ何の問題もありませんが)などの目的で受けることを勧めます早慶対策東大対策テストをすべて受けましたが早慶対策問題形式が早慶と一致しているかしかったので効果があったかは疑問です。不安ならば受けると良いと思います

4.最後

 様々な塾・予備校、コース、クラスに入り浪人した同期の友人を見ていると合否は授業やテキスト以上に環境の影響を受けて決まっているように思われます。ぜひ塾・予備校選びの段階から慎重に考え悔いのない選択をして欲しいと思います。初めに筆者は現役時76点差で落ちたと書きましたがハイパーの友人で現役時に50点差、60点差で落ちている友人は複数人いたので環境が良ければ珍しいことでもないと思います個人的には「ハイパー東大理類コース」は最高の環境だと考えていますが、環境もまたその内部の人々によって影響を受けるので年によっても異なるでしょう。現役で合格できれば何の問題もありませんが、もし不合格となってしまったならば次で決めればよいだけです。浪人するからには点を伸ばし合格最低点を超えるために必要なことを考え、実行し、第1志望校合格しましょう。あなた最後まで油断せず悔いのない浪人生活を送ることを願います

2015-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20150315141930

リスクはね。そりゃあるよね。ネタネタからね。

でもって、指摘された部分は、確かに突っ込まれる隙だよね。筆者は言い訳してるけど、突っ込んでくる人が全て言い訳聞いてくれるとは限らないからね。

でもね。問題本質はそこじゃないのね。


要は、リスクを背負ってでも守りたいと思えるほど面白い漫画じゃないしねって。

まあそれだけのことなんだよね。

ギャグ中途半端だし、メッセージにしては底が浅いし、筆者が何が隙で好きで何を読ませたいのかよく分からんね。展開も、なんかあきれるほどアリキタリだしね。

だってそもそも論として、トランスセクシャルと、ホモセクシャルは、また違う話であって、この話が描いてるのは「男が好きだから女になって男と愛し合います」とか「男のとき意識してなかったけど女になったので意識してしまます」という、極めて『健全な』異性愛者だけであって、同性愛者の痛みとか葛藤とか、そういうヒリヒリしたもの全然描けてないと思うんだ。それをコメディタッチでやられて、そんでオッケーとかやられても、そりゃ違和感あるなあ、という。

SFものとしても中途半端でね。現実問題として、身体的な性が変更可能になったら生じるであろう社会の大きな変化とか、人々の意識の変化、教育の変化などについて、余りにも適当小学校社会科でならった、とか)なんだよね。未成年でも性別変更が許されるんだとしたら、親が子どもの性を勝手に変更する→成長した子どもが再変更する、とかそういうのも想像できるし、天然物の性が別に特権化するんじゃないかとか(たとえば整形/非整形みたいな)、ips使った身体加工がもっとフリークスな方向(たとえば人工フタナリとか、副乳、三つ眼とか)へと向かう社会とか、そういうのも想像できるんだけど、どうなの、という。その結果、社会もっと混乱してると思うのね。

まあ、そういうモロモロを無視してもいいと思えるだけのおもしろさがあれば、別にいいのよ。ハードSFじゃないんだから。でもね、言うほど面白くないしね。だから、細かい設定がいろいろ突っ込まれるわけで。

要はオモんないねという。結論としては割と詰まらない感想なんだよね。まあ、折角炎上たから、救いの手をさしのべるところもあるかもしれないけど、個人的にはもっと漫画面白くする方向で努力するか、もっと本当に書きたいことを突き詰めるかするべきだと思うね。今のままじゃ余りに中途半端だわ。たとえば、エロがやりたいならエロやれ、と。

以上。

2014-12-27

かまぼこ http://anond.hatelabo.jp/20141224125447後日談

いわきネイティブの嫁ちゃんにこの事を話してみた。

嫁「そんなの常識じゃないですかー(ドヤァ」

俺「何が日本一かとかって、やっぱり社会科の授業で習うの?」

嫁「自分の住む街の良いところって一度は探すでしょ? そういうのしかないんだわ」

俺「え……他にもっとこう……あるだろう?」

嫁「我々もそう思うんですけどねー」

2014-11-11

国語エスパーって他にもいるの?

知人の話なんだが、文章を読むと大体書いた人の年齢、性別、生きていた時代がわかるというんだ

興味深いのは、本人が言うには文章を読むときに頭のなかで声に変換されるらしく、その印象通りに特徴をいうと大体あたっているらしい

例えばテストで「これに続く文章はどれか」とかいう設問があった場合、内容よりもその声が同じかどうかで判断できると言っていった

試しにラノベから純文学まで作者を隠していくつかの作品かいつまんで読ませんたんだけど、時代はなんとなく言葉遣いでわかるとしても性別執筆当時の年齢も前後10歳くらいで言い当てやがった

ちなみに男性女性目線で書いてたりその逆の場合だったりすると、2ページくらい読むとオカマ声に聞こえてくるらしく、本人はそれが耐えられなくてすぐに読むのをやめてしまうのだそうだ

そのためか国語の成績だけはずば抜けてよいのだが、文学オタクかというと別にそういうわけでもなく、他の教科は社会科、理数、英語どれも赤点ギリギリで危うく留年しそうだったところを国語が人並み以上の理解力からという理由でセーフになったようなヤツだ

別に自閉症とかアスペっぽいわけでもない

しいていえば、ゲームは人より少し上手いかもしれない

ジャンルわずどのゲームもそつなくこなすので、協力プレイにはよく呼ばれていたが、ずば抜けて上手いゲームひとつもなかった

話が少し脱線してしまったのだけれど、実際に目の当たりにしてもやっぱり声で聞こえるという点が未だに信じられない

もし身近なエピソードをお持ちの方がいたらぜひお聞かせ願いたいのだが

2014-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20141030234015

やるんだけどね。社会科の「現代社会」「倫理」「政治経済」あたりで。

はいえ「権力者の機嫌一つで首チョンパは困るでしょ?それを防ぐのが法だよ」レベルだし

受験対策で他の科目優先して飛ばされがち。

2014-10-09

社会科教科書中学受験内容が「ドン・キホーテ」「植物工場」で揺らいでくる

★某塾のテストで、

 「スーパーマーケット店舗レイアウトで、肉や魚は店のどこに陳列されているでしょう?」

 「そして、それは何故でしょう?」という問題がでたらしい。

 (正解は、「店の一番奥まった部分」。顧客の回遊動線を考えると、結局共通の店舗レイアウトに収れんしていく)

★でも「ドンキホーテ」って、塾や社会科教科書に反した店舗レイアウトだな

 その問題解いた小学生で、「ウチの近くのドンキは、こんな教科書通りのレイアウトしてません」と反論したら、どうなんだろう?

 「キミの家は、ドンキホーテのような下品な店を使ってるのか?

 成城石井紀伊國屋スーパーのような、真っ当なスーパーを使わなきゃ、受験で落ちろぞ」と教師に叱られる?

★なぜ成城石井紀伊國屋が「中学受験に効く」のか、わかるかな?

 これらスーパーでは、ちゃんと「旬のモノ」を正しく売ってるからだね。

 中学受験では、理科社会問題食品動植物の旬を出題するから、旬を守ってるスーパーで買い物するように、お母さんにお願いしようね。

★でも、植物工場が急速に普及して、野菜の旬が無意味になった将来の、中学受験の内容が気になる。

 子供が「ウチは植物工場野菜食べてますから、年中●●が食べれます」となったら、教師はどう反論する?

 ちょっと前の教科書なら、「レタスは主に長野県とか群馬県高原地帯で採れます」と書いていたが、

 あと5年もしたら、この記載は無効になるだろうな。

 「工場の遊休スペースで、全国で広く栽培されてます」と記載が変わるのか?

★そもそもレタスという野菜自体日本に定着したのが最近(70年代以降)だからな。

 生サラダの食習慣とか、サンドイッチに挟む、という食習慣、つまりパン食の普及とセット。

 ちなみにすかいらーくの元役員が著書で「レタス日本に定着させたのはすかいらーく」と豪語してた。

 生サラダの食習慣が定着した、というのは、裏を返せば「堆肥農業から化学肥料農業に転換し、寄生虫心配がなくなったから」なんだよな。

 ぜひ、中学受験では「なぜレタス日本に定着したのか?」というテーマで、寄生虫問題とか化学肥料発明とかまで「発展学習」して欲しい。

冗談抜きで、そろそろ「植物工場」は、小学4年の社会科教科書なんかで掲載を開始してもいいレベルだと思う。

 

 あと、「どの農作物が、どの地方で、どの季節で採れますか?」を教育するより、

 「どの農作物は、気温何度で生育しますか?水量はいくらいりますか?背丈は?生育期間は?投入エネルギー量は?」を教育した方が、植物工場時代には有用

 なぜなら、将来は植物工場時代で、産地の知識より生育条件知識のほうが、はるかに役立つ

 でも、「農水省さん、植物工場社会科教科書に載せましょう」という文部科学省の提案は、

 「あれは邪道農業相談するなら経産省にしてよ」という農水省のツレナイ反応で、ボツになったのだった(※想像)

自分子供の頃(70年代)の社会科教科書では、「デパート」「商店街」は登場しても、スーパーマーケットは登場してなかった記憶がある。

 既にダイエー三越を抜いて、日本一の小売事業者になった時点(70年代)の社会科教科書でも、そんなもの

 それくらい、教科書現実に対し遅行的

 では70年代の時点で、社会科教科書は「スーパーマーケット」を大々的に取り上げるべきだったか

 たぶんそのころだと、このように教科書に書かれただろう。

 「スーパーマーケットは、駅前の立地で、広い売り場スペースを確保して、何でも買えるようにしています。」

 で、「70年代スーパーマーケット」を多数抱えていたダイエーは潰れたのは周知のとおり。

 つまり教科書の知識は30年も持続しない。

 生き残ったのは、郊外に巨大駐車場を用意し、専門店も誘致したモール型のイオン

★30年前、カイワレダイコン工場生産ブームになり、各社一斉に生産を拡大して、カイワレダイコンが大暴落して、多くの業者倒産した。

 現代の「植物工場レタスブーム」、カイワレダイコンの二の舞にならないか?少し心配

★カイワレダイコン工場生産価格下落し、植物工場レタスも後を追う展開。

 工場生産による価格破壊の「元祖」が鶏卵であることは、意外と知られていない。

 戦前鶏卵は貴重品だったんだよな。1960年代鶏卵の「生産革命(=工場生産)が起き、価格破壊が起き、食文化が変わった

食材価格ランキングって、生産体制物流全然変わるからなあ。

 今や松茸高値の花で、椎茸はフツーの食材

 戦前は全く逆で、椎茸高値松茸がフツー。

 その背景には「エネルギー革命木炭がダブつき、木炭原料を使った椎茸価格破壊された」一方で「森林管理がなされなくなり松茸高騰」という実態がある。

★おそらく、植物工場革命で、食材価格ランキングがガラッと入れ替わる。

 植物工場生産最適化される食材価格暴落し、植物工場じゃ生産できない食材は高騰する

 逆にいえば、従来型農業しかできない農家植物工場を作る資本力がない農家は、

 「絶対に植物工場化されない食材」に特化するのが勝利の方程式

 生産時間が掛かるミカンとか柿とかが、植物工場化される心配もなくて安全じゃないかな?

化学肥料が普及した時、農薬が普及した時、トラクターが普及した時の農業界(60年ほど前?)の雰囲気って、

 植物工場に沸いている今と雰囲気が似てるのかな?

 「これで農業が変わる!」と皆が夢見ていた時代

2014-09-28

介護業が製造業を追い抜く「2045」の衝撃

ダイヤモンドオンラインによれば、「2045年には、介護従業員数は、製造業従業員数を上回る」(計算にならざるを得ない)らしい。

 (野口悠紀雄氏の試算、http://htn.to/yyz6Qk

  これって、「消滅自治体が続出」レポートに勝るとも劣らない、衝撃なレポートなんじゃないか?

  日本経済教育文化、すべてにおいて「製造業ファースト」だったのが、「介護ファースト」になる、そういう時代になってしまう。

★例えば「経済界」への影響だと、現在東証一部銘柄の半分程度が製造業だと思うが、

 2045にはうち半分程度が介護銘柄に変わってしまう、

 野口悠紀雄の指摘する近未来はそういうこと

地方財界盟主も、今は「地銀」「マスコミ」「電力」「バス会社」辺りだが、

 これが2045には「介護業者」が地方財界要職を占めるようになる。

 日経新聞なんかも、今は紙面のうち3ページ位はメーカーについて記載しているが、これがせいぜい1ページ程度になり、

 代わりに1~2ページ程度、介護業界ニュースばかり載せるようになり、そして「日経介護新聞」が創刊される。

 (日経産業廃刊?)

 東京ビッグサイトの展示も、今は半分程度が製造業系の展示ばかりで、介護系の展示などは数える程度だが、

 2045には、これも逆転する。

教育分野で言えば、製造業向けの人材輩出母体である大学工学部とか高専とか、今の半分で済んでしまい、

 それ以上に「社会福祉学部」みたいのが必要とされる近未来

★現状、今の介護業界は、マンパワーの大半は中高年主婦に頼ってる。

 逆に言えば、中高年主婦マンパワーだけでなんとか間に合っていて、若者新卒マンパワーはさほど投入しなくても済んでいる。

 これが2045には、「新卒の数割は介護業界入社しないと間に合わなくなる」社会になる。

 就活学生が回る先の3割4割が介護会社、という社会想像してほしい。

★30年前などは、そもそも「介護業界」という業界のもの存在しなかった。

 それが30年後には「全業界の中で最大の業界」になる。これほどの劇的な変化は想像しづらい

 これはもう、日本人思考パターンを変化させることになる。

 現代日本人は「製造業最適」な思考パターンになっていて、その証拠小学校4年では「製造業から見た日本地理」を教育する。

 これも2045には、小学校4年の社会授業は「介護から見た日本地理」に変わらざるを得ない

 2045の小学校社会科では、「愛知県クルマを作ってます」とか「海岸コンビナートを作ります」なんて授業は、もう必要とされない。

 2045の小学校社会科では「老人ホームとサ高住の違い」とか「なぜグループホームは少人数、木造がいいのか? 」を授業してる。

 教育が変わる、というのは、つまりそういうこと。

 あるいは、高校あたりで必修科目で「老人心理学」「老人行動学」を学ばせる、「介護」授業が高校(或いは中学)に入ってくるんだろうなあ。

欧米では「今の小学生の6割は、まだ世の中に出現していない新職業に就く」とされてる。社会ダイナミズムを感じる。

 ・・・日本じゃ「今の小学生の6割は、介護業界に就く」てなハナシになる。

 まあ6割よりは少ないだろうが

2014-09-27

登呂遺跡リストラされ、中年の知らない遺跡が記載される歴史教科書

子供社会科教科書を見ると、堂々と「吉野ヶ里遺跡」と「三内丸山遺跡」が載っていて、

 激しく「ジェネレーションギャップ」を感じてしまった。

 というのも、われわれ世代(40歳代)にとっては、吉野ヶ里や三内丸山は「ニュース事象」であり、

 「歴史教科書事象」では絶対ない。

 吉野ヶ里の「発見」が1989、三内丸山の「発見」が1992。

 当時自分大学生ないし社会人で、これら遺跡は「ニュースで知った」ものであり、「教科書で知った」ものではない。

 たぶん、今の40代より上の世代は、教科書でこの2つは習っていないはず。

 なので、今の40代とか50代では、吉野ヶ里や三内丸山は「そもそも知らない」という人の方が多数派なんじゃないか?

 これら世代吉野ヶ里等を知っているのは、地元民または観光業界人または歴史マニア

 という訳で、

 「これらの遺跡は、昔の教科書には載っていなかった」

 「教科書記述は、世代によって変化する、常識も変化する」

 「遺跡が見つかるキッカケは、公共工事商工業開発が多い」という「生きた授業」を子供相手に展開してやった。

★我々の世代は、せいぜい「登呂遺跡」を覚えておけば、事足りたと思う。

 一方、今の子供の世代は、登呂遺跡以外にも吉野ヶ里とか三内丸山とか、覚えることが増えて大変だなあと同情してしまう。

 吉野ヶ里とか、工業団地開発を計画しなかったら、遺跡は見つからなかった=教科書の記載も減ったわけでして。

 ・・・と書こうと思ったら、「登呂遺跡は、教科書によっては、記載を外しているケースもある」らしい。

 子供記憶容量は有限だから教科書記載事項を巡る「競争」は激しく、スクラップビルドも激しいらしい

 ・・・となると、おじいちゃんおばあちゃんが、孫を連れて静岡に行って、「これが有名な登呂遺跡だよ」と案内しても、

 孫が「何それ?習ってないよ」という世代間すれ違いの悲劇が発生してしま危険性がある。

 ※というか、実際静岡の人のブログを見ると「子供教科書に載ってなくて会話すれ違い」報告有

★「一番歴史学習が大変だった」世代は、「1999頃に歴史学習していた世代」じゃないか、という気がする。

 あの頃は三内丸山も教科書掲載されたうえ、旧石器時代の記載も「充実」していた。

 →その後、毎日新聞スクープで、旧石器時代殆ど教科書から削除された

遺跡発掘数は景気や公共工事バロメーター

 吉野ヶ里や三内丸クラス遺跡発掘のニュースが、この20年間聞こえてこない、

 そのこと自体が「失われた20年」を象徴している。(公共工事激減と比例)

 ・・・或いはアベノミクスで、再び吉野ヶ里クラスのが見つかるか?

★登呂遺跡の件、もう少し調べてみたら、実は「登呂遺跡教科書記載」そのものに「政治的な意義」があったらしい。

 登呂遺跡発見の「政治的意義」とは、「日本書紀記載の年代以前に、東日本に稲作が伝わったこと」の立証。つまり日本書紀否定

 まあ、実際の学問レベルでは、日本書紀否定する研究もされていたのかもしれないが、それが義務教育教科書掲載されることがなかった。

 義務教育には日本書紀古事記掲載され、子供は歴代天皇の暗記を強要された

 つまり、「日本書紀古事記・歴代天皇暗証の「偽歴史」を教育する」、そういうナンセンス歴史教育は終了した、

 そういう「歴史教育民主化自由化」「もはや戦前ではない」のシンボルとして登呂遺跡存在した。天皇人間宣言と同趣旨

 となると、直近の「登呂遺跡教科書引退」の政治的意義は、歴史教育において「もはや戦後ではない」とアピールする効果

 登呂遺跡の「政治的役割」は、歴史的意義を終えた、ということなのかもしれない。

 ※GHQ必要以上に登呂遺跡の「意義」を強調するよう、教育介入したような気もする

縄文時代旧石器時代存在は、日本書紀古事記と真っ向対立。

 多分、戦前教育では縄文旧石器時代存在しないことになってた

 だから、最大70万年前の旧石器時代遺跡を発掘した「ゴッドハンド藤村某」などは、世が世なれば不敬罪になってたんじゃないかと心配する。

 そもそも日本書紀古事記世界では、神がイザナギイザナミを作って、それから世界が出来た。

 だから進化論世界とも、恐竜世界とも同居できない。

 →多分、戦前は「恐竜存在」は義務教育では認められなかったのではないか?

 そう考えると、恐竜モチーフとした「映画ゴジラ」は、イザナミイザナギ世界観否定する恐竜モチーフにした、ということで、極めて戦後的な気がする。

2014-08-24

少子化対応だが

http://otonanomatome.blog.jp/archives/1008110693.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/otonanomatome.blog.jp/archives/1008110693.html

代々木ゼミナールが30年前から少子化を見越して経営戦略を立てていてすごいって話だけど、45の俺が小学生のころ社会科人口ピラミッドピラミッドから釣鐘型になりますって少子化を習ったのを覚えてるくらいだから少子化予測するのは誰でもできていたはず。

(経営として目先じゃなくて長期的な戦略をたててそれを実行するのはなかなかできなさそうだけど)

しろ、なぜお役所政治家少子化対策を、少子化が目に見えて進行しだすまで放置してたかとか、年金少子化を見越して運用してなかったとかのほうが疑問に思うわ。日本官僚が優秀だなんて嘘だろ。

2014-04-13

教育関係の問題に対する意見

道徳教育について

道徳教材に「二宮金次郎」(1.2年生)、なにが問題なのか?

http://m.newsweekjapan.jp/reizei/2014/04/post-637_1.php

 「虐待児童労働」に「忍従、自助努力

→ 結局どんな内容であろうが偉人の話ばっか聞かされても「しょせん他人の話、昔の話、自分は違う」って思う生徒が出てくるはず。意味ない。

→ どうせ道徳やるならもっと違うことあるんじゃん?

- ありのまま自分を受け入れられるような価値観を教えるこそ必要なんじゃん??


領土問題について

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-222955-storytopic-11.html


 来春から小学校で使う社会科教科書全てが、韓国中国領有権を主張する島根県竹島韓国名独島)と尖閣諸島中国名・釣魚島)について記述し、日本領土であることを明記した。

 教科書検定に際し出版社が、愛国心教育を重視する安倍政権配慮して、政府見解を紹介した格好だ。

 既に多くの中学高校教科書竹島尖閣諸島に触れ「日本領土」と記述しており、この流れに沿って小学校でも領土教育が強められることになる。

 しか教科書では、領土問題でどのような対立や見解の違いがあるかなどは触れていない。容量の限界小学校でどこまで教えるかの議論はあろうが、政府見解を教えるだけでは多角的もの見方想像力を育むことはできない。


→ いや触れろよっていう><;これじゃあ韓国中国と揉めてる現実無視で、批難されても仕方がないように思う。もともと日本のだから!って思っても、それはあっち側も思ってることだし、こんな姿勢で「スーパーグローバル大学」みたいにグローバル化推しです!とか言われてもってかんじ。近所の国と揉めて続けて解決しようとするのか分からん国が本当にグローバル化してると言えるのか?グローバル化はなにも英語が話せることじゃない。外国人コミュニケーションが取れることです。政府がそれをできてないように思う。そしてそんな国を「好きになれや!」(愛国心教育)って言われても、どうやって?と思う。

プラス領土所有権の主張から愛国心を測るって不思議なやり方。


スーパーグローバル大学について

上位大学10校に対し年間5億、グローバル型牽引制大学上位20校に年間3億の支援。(計110億)

格差拡大乙としか…。

もとからいる上位層にさらに金をつぎ込んで、上位層のレベル=国としてのレベルを引き上げたいんだろうけど、教育はそんな速足で行われるものじゃないはず!下位層どうにかするっていう長い目で取り組まないと結局、国としてはレベル上げにならない。貧困犯罪を生むのは定石じゃないの。

2014-03-30

結婚出産なんて他人事しかない

私自身やあなた自身の問題であるはずの「結婚」や「少子化」の話題にまるで他人事のようなコメントが多いような気がする。

先日私は24歳の誕生日を迎えた。

身体的には出産適齢期なのだろう。

けれど「出産」というイベント他人事に感じる。

私自身が属している団体グループ、友人、職場などでも、出産している女性にお目にかからない。

出産しているのは30過ぎあたりの方々である

インターネットなどでは「30過ぎは卵子が腐る」「ババア」などと呼ばれているのをよく見る。

インターネットのそれらの言葉はすこし暴言ではあるが、実際高齢出産が増えたため帝王切開が増えた、等という記事を見るに、30歳というのは本来なら母になるべき年なのだろう。

しかし、私個人が出産するということは全く想像できない。

年上の女性に「若いんだからいつか子供産むんだし体を大切にしなくちゃダメよ」といわれても、産むことになる未来想像できない。

理由としては「金銭面」と「精神面」なのかなあと思う。


お金の問題

子ども1人育てるのにかかるお金は3000万らしい。

http://allabout.co.jp/gm/gc/12003/

私の現在年収は300に行かないくらいである。到底無理な額だ。

20~29歳男性年収も350~400程度との統計を見た。

平均で350程度、平均なので、上もいれば下もいるのだろう。

しか若い時に貰っていても体を壊したり仕事を首になれば意味はない。

若くて給料が高いのは、周囲を見ればIT企業なのかなあと思うが、彼らは毎日終電間際、あるいは終電過ぎまで体を犠牲にして働いて、高いお金を貰っている。

安定した仕事など無いのだ。公務員若い時に一人暮らしをするのがつらいほどの低賃金高賃金な職種ほど体を壊す。

将来的に収入を得られる見通しもない。

そして、年収が高いほど子どもは好成績になるらしい。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2803S_Y4A320C1CR8000/

このご時世、自分技能けが頼りだ。「技能がない者はセーフティネットに頼らず死ね」という風潮がすくなからずあるように感じる。子ども安心して生き延びて貰うためにはまず親となる私たち自身が金を稼げる人間でなくてはならない。


結婚しなくてはならないという感覚希薄

結婚したくない男性一定数いるのはわかる、独身は良い。自分の稼いだお金人生自己のために使う。

しかし、結婚したくないのに彼女彼氏がいるというのはなぜなのかと周囲を見ていると思うのだ。

男性にとっては結婚人生墓場であり、女性にとって結婚人生プランにおいて必須なことの様な扱いをされている。なぜかと考えると、結局産む体を持ってしまった女性にとって「結婚」は「出産」を考える上で一つの到達しなくてはいけない関門だからなのではないか。

男性にとって結婚とは自分の付き合っている女性を確保する程度の意味合いしかないのではないか。親同様自立するための結婚等という考え、イマドキ、結婚が昇進に直結する大企業勤めの人しか考えないだろう。

私自身が男性ではないので男性結婚しない理由については憶測でしかない。「結婚しなくてはならない」という気持ちの人は少ないだろうと思う。男女ともに皆いつか、そのうち、3人目くらいの彼氏彼女と、落ち着けそうな雰囲気の人と30手前くらいで結婚できればいいな、くらいしか考えていないように思う。

そして女性が焦るのは28から34くらい、男性が焦るのが35過ぎなのではないか。

ちゃごちゃと意味の分からない雑感になってしまった。

男性にとって結婚必須ではなく、女性にとって結婚必須のようであるが、口に出さない人が多いのではないかと思う。



若い人(本来妊娠適齢期とされる人)ほど出産を「いつかすること」と他人事に捉えている、と私は感じている。

出生率2.0なんてあり得ないだろう、生まれてからずっと、小学校社会科少子高齢化勉強した時からずっと出生率は下がってる。毎年毎年下がり続けているので、2.07に回復する見込みの将来労働力試算なんて面白くて笑ってしまった。なるわけがないだろう、と一個人としては思う。

ただ、自分一人が生きて、ご飯を食べ、仕事にすがりつくのが精一杯。

恋愛家族は、富める者の娯楽だ。

子どもを本当に必要としているのはどこの誰なのだろう。

2014-02-27

学校で役に立つことを教えろ、ねえ…

まあ、読み書き算盤といわれたような、50音と漢字の読み方、足し算引き算掛け算割り算はできないと困るなあ。

今みたいな文学入りの国語はやめちゃっていいや。そんなものより、説明書の読み方書き方を教えるべきだと思う。テクニカルライティングな。

社会科は何県の名産が何でなんてどうでも良いから法律とその活用の仕方(区役所市役所県庁警察裁判所弁護士の使い方と商用契約の結び方)を教えるべき。

歴史は「何があったか」を全部捨てて「どうしてこういう流れになったか」に重点置いてほしい。あともっと科学史を。

数学もっとみっちり。高校物理高校微積分のへんな分離はもっと融合して欲しかったと思うけど今どうなってるのかな。

英語なんてやめちまえ。大学からやれよ。

料理はひと通り、日曜大工もひと通りできるだけやったほうがいいな。

音楽美術はいらん。滅びよ。

体育、なくしていいよ。スポーツなんていらない。そのかわりに徒手格闘ナイフ格闘を教えて下さい。現実に役に立つから

2014-01-20

地理が苦手ねえ・・・

理系だった自分は、高校2年以降は地理を学んだが、1年で必修だった世界史から解放されてせいせいしたことを覚えている。

自分感覚だと、社会科地理ほど簡単な教科なんてなくね?と思ってしまうのだが、世の中には地理が大の苦手という人が少なからずいてびっくりしてしまう。

あーでも、地図に全く興味がないとかいう人だったら難易度跳ね上がるかもね。というか地図見ないで何をどうやって覚えるんだって感じ。

逆に、言われなくてもヒマさえあれば地図帳を眺めてるような人(自分のことだけど)は、地図と結びつきにくい統計以外は楽勝になると。


歴史のほうは、当時は絵に描いたような童貞高校生だった自分としては、歴史エロゲでもやりまくれば乗り切れたかも(法律上買えないけどな!)。

今だったら、艦これをとっかかりにすれば近代史くらいは行けそう。あんま授業ではやらないらしいけど。

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