はてなキーワード: 野口悠紀雄とは
よく少子化の話題で経済問題により婚姻率が低下したと主張するとすかさず、
「バブルの頃から少子化は開始していた(から経済支援は不要、既婚者への子育て支援だけでいい)」
という反論が出てくる
でもそもそもバブルの頃って、本当に経済問題とは無縁だったの?裕福だったのは一部だけだったと考えた方が自然では?
一部上場企業だの、新卒就活だの、そういう一部の上澄みが豊かなのは令和の今だって同じじゃん
バブルも同じで、「みんなで豊かになる」という高度経済成長期成功体験の夢から覚めて、
まさに格差故に若者が未来に絶望し、婚姻率ひいては出生率が下がるという経過を辿ったんじゃないの?
私はバブルの頃には幼稚園~小学校低学年だったのであまりよく覚えてないが、それでも田舎の一般家庭にまで好景気の影響があって豊かになった記憶は全くないし
当時からテレビの中の乱痴気騒ぎは割と冷ややかな目で見られていたと思うんだよなあ
あと、当時からこの好景気は一時的なものであるとみなし、末永く続くものとは思えなかったから、慎重になって結婚しなかったのでは?
1980年代後半当時は「バブル景気」という言葉は一般に認知されていなかった[6]。「バブル景気」という語は1987年に命名されたとされる。野口悠紀雄は1987年11月に「バブルで膨らんだ地価」という論文を『週刊東洋経済・近代経済学シリーズ』に掲載しており、「私の知る限り、この時期の地価高騰を「バブル」という言葉で規定したのは、これが最初である」と述べている[7]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E6%99%AF%E6%B0%97
今の名目ドル円レートはジャパン・アズ・ナンバーワンのバブル期と大して変わらないのに、実質実効為替レートがなぜ円安なのかと言えば、日本の物価が30年近く他国に比べて上がっていないから。加藤出とか唐鎌大輔とか野口悠紀雄とか、利害関係があったり(加藤)、風見鶏だったり(唐鎌)、恥かかされた恨みを抱えている(野口)、おかしなエコノミストのコメント聞いてるとこの核心を理解できないよ。
円の実力レートが53年ぶり低水準、固定相場時代に戻った日本の購買力
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-09-21/S0HYEJDWLU6801
円の総合的な実力を示す「実質実効為替レート」が1970年以来、53年ぶりの低水準となった。円が1ドル=360円の固定相場制だった時代と同水準
日本人は国際的に低い給料の本質をわかってない | 野口悠紀雄「経済最前線の先を見る」
NightAndDay 韓国の年収4万1960ドル、一人当たりGDPより多いな(3万1497ドル[2020])https://ecodb.net/country/KR/imf_gdp2.html と思ったら、パートタイム労働者入れてない統計提出してる、これ比較しちゃダメな奴 http://japan.hani.co.kr/arti/economy/33468.html
ようするに韓国の年収4万1960ドル(購買力平価)は韓国がパートタイムとかをはじいて見栄の数字を出したという主張らしい
アホなの?
パートタイム労働者入れてない云々の記事の話は国際比較が難しいって記事であって引用のしかたが歪曲に近い
ってか数年前くらいから抜かれて年々差が開いてるのに危機感なくて「あいつらズルしてるからー」ってコメしてスター集めてるの滑稽すぎでしょ
野口悠紀雄が「円高になったら、チョメチョメ理論」をはじめると、大概おかしくなるので、2010年初等の民主党「あのとき」の雰囲気を書いておく。
拝啓、野口先生。「超」勉強法を読んで、先生のことがファンになりました。先生の言うことは、実生活で役に立っています。しかしながら先生の本業であります『経済学』の主張は、プレジデントの連載を読む限りでは、再現性が薄いように思われます。
たとえば鳩山政権が始まったころ、先生は「円高になったら、円高に強い産業が生まれる」と主張されていましたよね。私も、そう思っておりました。先生も、私も、スティグリッツやクルーグマンのような、いわゆる富国論のアダム・スミスを起点とする「神の見えざる手」を、信用していました。神はサイコロを振らない、そう信じておりました。だから、インデックス・ファンドを買うのが天国への近道だと信じてきましたし、インフレ比率が概ね年利 7%ポイントのリターンを得ることができています。今のところはね。
野口先生、たぶん、あなたは正しい。正しくないのは、民主党を過信して、選挙に投じた国民だと思います。はっきりいうと、あのときの民主党の経済政策は「国としての」主体性を確立できていなかったのが最大の問題点だと思います。2010年にさしかかる頃、円高になるメリットは確実にありました。あの当時は BRICS を代表とする大国が消費旺盛で、化石燃料も高く、円高にすると都市部の労働者にとってはメリットがありましたし、地方にとってもメリットがありました。だから、ある程度の円高は好まれたのです。
問題なのは、日本国民はが世界に円高で勝てる価値の提供ができなかったのです。先生は、民主党の連中の支持基盤である「都市部の労働者」の実力を過信しておりましたよね?おそらく「円高にメリットのある層は、円安で抑圧されてきた」と考えておられたでしょう。実を言うと、私もそうでした。円高になると、円高のメリットのある会社があって、そういう会社が伸びるだろう、と思っていました。
今となっては、性急すぎた政策についていけた国民がいなかった、ということです。そして、民主党の支持基盤であった都市部の製造業従事者を破竹の勢いで潰れていったという事実だけでした。311 以前に戻りますと、あの頃は東芝や日産のような民間の大企業が元気でした。しかしながら、民主党の政策は「経済的メリットのないガソリン減税、高速道路無料化」「JRに再雇用されなかった組合員に総額およそ200億円を支払う」「再生エネルギーを強制購入させられる」という、ポピュリズムで場当たり的な政策にうんざりさせられましたよね。どれもこれも継続性がなかった、そんな経済政策だったわけです。
それで、あの当時、為替領域で世界では何が起きていたか適切に把握していた人は民主党にいたのでしょうか?私はわかりません。
ただ、当時はリーマンショック後の「通貨流通量マシマシ」にあって、日本以外はマネーサプライがダブダブ状態にあったことは判明しています。韓国の朴槿恵大統領が「日本は通貨安を誘導している」と、2014年頃に煩くなったのは自民党になってマネーサプライを加速したからでしょう。つまり、日本だけが通貨流通量の増量が相対的に遅かっただけでなかったのか?、それは民主党が無能だからと、当時は私は思ったのでした。そして、それは国民も、世界も、同じ感想を抱いたのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、世界は「円安にメリットのある国が円高を是正しないのは、日本は(実質)内紛状態にあって、円安にできていないだけなんじゃないか?」と思われていたわけです。そうだとしたら、マネーサプライを上昇させて円高を否定するやつがいない、つまり「円高なのは、実力と無関係」とね。
じゃあ、マネーサプライを増やすとどうなるのか?、というと民主党から自民に変わった結果どうなったか思い出しましょう。物価のインフレです。それは教科書どうりですね。いまの紙幣は兌換性が無い、信用紙幣ですから全く問題ありません。マンキューかスティグリッツでも読むほうが良いですから。
それで、タイトルに戻りましょう。実力の無い国民による『円高』は持続不可能であり、その実力は『円高から育くまれるもの』ではない、そういうことを民主党に教えてもらったし、国民は『円高に値する国民になれ』というべきなんじゃないですか?
※フレーズの流用や見解のサンプリングはパクりと言えないかもしれないけど、借金玉がreiにしてるパクリ認定基準を採用するとパクリ。また借金玉はパクるだけじゃなく、起源を主張して他人の流用を許さない領土化を行っている。パクリよりこちらの方が深刻な問題であり、発達障害当事者の言論が不当に制限されるのみならず、当事者が積み重ねてきた言語自体の強奪に他ならない。作家なら他人の言葉に敬意を払えよ
「フォロワーは自分に向けられた銃口の数」→元ネタはエターナル総書記の「フォロワーは自分に向けられた銃口の数だよ」と思われる。本人は自分のオリジナルと主張。本来の意味でのパクツイに近い
「お気持ち」→揶揄として使ったのはTwitterではむしが最古かつ界隈で使われていた。本人は自分のオリジナルと主張
https://i.imgur.com/vzU2ghf.jpg
「会話を独演会にする」→昔からずっと使われてた比喩表現。また同表現を使った『一流の人の話し方 二流の人の話し方』はベストセラー。本人は自分のオリジナルと主張
「やっていき」→界隈で普遍的に使われていたが借金玉が起源主張して領土化した為、ダサくなったのもあって使われなくなった。本人は自分のオリジナルと主張
「自己肯定感は塩水」→ショーペンハウアーの「富は塩水」を元ネタとして、精神科医高垣忠一郎が公演や本でよく用いていた表現。本人は自分のオリジナルと主張
「ポリコレ棒」→元ネタは砂鉄蛙の「ポリコレという棒を振り回してる」。本人は自分のオリジナルと主張
「発達障害は安易なライフハックに頼る前にまず基礎生活を整えろ」→まくるめの借金玉に対する苦言を、その翌日に自分の意見としてツイート
「奇妙な共感」→恒内
「身体にいいものばかり食べさせられた子供がマクドナルドにハマる」→まくるめが教育者の親族から聞いて借金玉に話した事であるが、本人は自分の見分としてツイート
大きな白紙にアイデアを書く→心理学者トニー・ブザンが提唱し、シリコンバレーで広まったマインドマップという手法。本人は自分のオリジナルと主張
茶番センサー→kentzが作り界隈で普及していたフレーズ。借金玉が起源主張して領土化した為、ダサくなったのもあって使われなくなった。本人は自分のオリジナルと主張
神棚ハック、本質ボックス、扉のない棚で視覚化&一覧アクセス→いずれも元財務省官僚野口悠紀雄の記したベストセラー『「超」整理法―情報検索と発想の新システム』に記載されてるライフハック。本人は自分のオリジナルと主張。ここまで一つの本から被ってるとなると本来の意味でのパクリの可能性あり
机の上の物をザーッとやる→小説家スティーブンキングが公演でよく言うジョーク。「小説の書き方」にて同じようなニュアンスのジョークを多数載せている。本人は自分のオリジナルかつ「ジョークである」と主張
生活では着る物を制限したして決断を減らせ→スティーブ・ジョブズがいつも同じ服装をしている理由として有名。本人は自分のオリジナルと主張
見えない通貨、会話のプロトコル→霊長類学者ロビン・ダイバーが「ことばの起源」で述べている考え方。ダイバー自身は言葉の交換を形のない通貨と表現。本人は自分のオリジナルと主張
就活の記事→借金玉が就活の記事案件を書けないので、まくるめが代理執筆していたような事をツイートする。また就活記事は大体本人の経験もしくは知見として語ったりTwitterで宣伝
https://i.imgur.com/zY7znRk.jpg
https://i.imgur.com/EjQdfkn.jpg
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加藤陽子の本(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』等)が参考になるかも
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>そりゃ大きく変わったのは事実だけど、ずっと前から変わっていたんじゃねーの?
そのへんを考えると、日露戦争終結あたりから歴史を見ていった方が良さそうだな
他のコメント(ブックマーク含む)を参照してみると、結節(ターニングポイント)としては例えば、以下が挙げられるようだ
・征韓論
・台湾出兵
・日清戦争
・日露戦争
・世界恐慌
・満州事変
・五一五事件
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>ここから既に国内の人材・物資徴発が始まっていたわけで、いわゆる戦時下体制で内閣は挙国一致内閣。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170809013919
>日中戦争は満州事変の帰結で、満州事変は日露戦争、ロシア革命・辛亥革命の延長線上にあり、日露戦争日清戦争は維新の不平士族の征韓論が背景にあり、維新は関ヶ原の… つまり、卑弥呼が黒幕だったんだよ!
とあるが
こういうような考え方をして、信長の時代から維新まで歴史を説き起こしたのが徳富蘇峰『近世日本国民史』だったような気がするな(ふと思い出した)
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野口悠紀雄曰く「2050年には、中国の方が日本より豊かになる」
そういう近未来だと、東北の若者は兎も角として、九州の若者は「東京じゃなく、上海を目指す」んじゃない?
「上海を目指す若者が多い九州」において、小学校中学校で東北北海道の地理を習ったり、日本語英語習うのは、時間の無駄なんじゃないの?
東北北海道などのオワコン地域の学習より、大陸中国の地理を教えたり、上海語教えたりした方が、2050年の若者には役立つんじゃないの?
沖縄の小学校なら、日本本土の地理教育より、「台北の地理、台中の地理、高雄の地理」を教えた方が、遥かに役立つんじゃないかと。
★ダイヤモンドオンラインによれば、「2045年には、介護業従業員数は、製造業従業員数を上回る」(計算にならざるを得ない)らしい。
(野口悠紀雄氏の試算、http://htn.to/yyz6Qk)
これって、「消滅自治体が続出」レポートに勝るとも劣らない、衝撃なレポートなんじゃないか?
日本の経済、教育、文化、すべてにおいて「製造業ファースト」だったのが、「介護業ファースト」になる、そういう時代になってしまう。
★例えば「経済界」への影響だと、現在東証一部銘柄の半分程度が製造業だと思うが、
★地方財界の盟主も、今は「地銀」「マスコミ」「電力」「バス会社」辺りだが、
これが2045には「介護業者」が地方財界の要職を占めるようになる。
日経新聞なんかも、今は紙面のうち3ページ位はメーカーについて記載しているが、これがせいぜい1ページ程度になり、
代わりに1~2ページ程度、介護業界のニュースばかり載せるようになり、そして「日経介護新聞」が創刊される。
東京ビッグサイトの展示も、今は半分程度が製造業系の展示ばかりで、介護系の展示などは数える程度だが、
2045には、これも逆転する。
★教育分野で言えば、製造業向けの人材輩出母体である大学工学部とか高専とか、今の半分で済んでしまい、
★現状、今の介護業界は、マンパワーの大半は中高年主婦に頼ってる。
逆に言えば、中高年主婦のマンパワーだけでなんとか間に合っていて、若者新卒のマンパワーはさほど投入しなくても済んでいる。
これが2045には、「新卒の数割は介護業界に入社しないと間に合わなくなる」社会になる。
就活で学生が回る先の3割4割が介護会社、という社会を想像してほしい。
★30年前などは、そもそも「介護業界」という業界そのものが存在しなかった。
それが30年後には「全業界の中で最大の業界」になる。これほどの劇的な変化は想像しづらい
現代日本人は「製造業最適」な思考パターンになっていて、その証拠に小学校4年では「製造業から見た日本地理」を教育する。
これも2045には、小学校4年の社会授業は「介護業から見た日本地理」に変わらざるを得ない
2045の小学校社会科では、「愛知県でクルマを作ってます」とか「海岸にコンビナートを作ります」なんて授業は、もう必要とされない。
2045の小学校社会科では「老人ホームとサ高住の違い」とか「なぜグループホームは少人数、木造がいいのか? 」を授業してる。
あるいは、高校あたりで必修科目で「老人心理学」「老人行動学」を学ばせる、「介護」授業が高校(或いは中学)に入ってくるんだろうなあ。
★欧米では「今の小学生の6割は、まだ世の中に出現していない新職業に就く」とされてる。社会のダイナミズムを感じる。
・・・日本じゃ「今の小学生の6割は、介護業界に就く」てなハナシになる。
まあ6割よりは少ないだろうが
「日本は工業社会を捨てよ。産業構造を転換してサービス立国を目指そう」と何の留保もなく主張する野口悠紀雄のナイーブさに思いのほか虚脱感に襲われている自分がいる。唖然としている。ダッチワイフのジェニファーちゃんぐらい開いた口が塞がらない。いったいどんな神経が、こんな大きなことをこんな不用意に言わせるのか。
まず、まったく不確かのままに留まっている論点として、今の工業中心の産業構造を転換しろという主張が経済学的にいってどのようなことを意味するのかが、わからない。私たちは政策金利や最低賃金の引き上げについて、そのありうる帰結についてかなり多様な議論を戦わせることができる。しかし、「脱工業化を進めよ」と言った場合どうなるのか、その政策を実行したときに、それが経済社会、雇用、経済成長に実証的にどのような効果・影響を与えるのかは、びっくりするほど整理されていない。
そもそも、脱工業化という経済現象自体、よくわからない。一般的に、どんな経済的条件下において、どんなドライバーによって、どのようなステップでそれは促進されるものなのか。そのメカニズムが不明だ。たとえば、産業革命以後の西欧の中でも、イギリスのようにあっけなく工業が衰退した国がある一方、ドイツのように競争力のある工業基盤を普通に維持できている国があるのか。
加えて、脱工業化する国がたどる道は、ざっとどのような種類のルートに分けられるのかも、よくわからない。1つの手がかりは40年前から指摘されている「知識社会」への移行だが、それは必ずしも金融やサービス産業への一本道とどまるものではない。例えば日本メーカーが出すプラズマクラスター空気清浄機や年々進化するホームベーカリーは完全に「製造業」の枠組みながら、十分に「知識社会」としての産物になっているような気がする。この辺もっと詳しくカテゴライズしてほしい。
また、各ルートに一定の基準によって優劣を付けられるとしたらルート選択は極めて重要な判断になるが、そのフラグ発生条件はどのようなものなのか。いやもっと根本的な点として、脱工業化において政策がどれだけの役割を果たせるのかもよく分からない。もし国の政策が、脱工業化の推進もしくは阻止、あるいは方向性に誘導することについて、無力にとどまるのならば(おそらくこっちの方が自然な想定だが)、野口悠紀雄のように「べき論」で脱工業化を主張する意味はない。ていうか税金の無駄だ。
つまり、指し示した指の先は真っ暗闇なのである。脱工業化への産業構造転換というのはなんなのか。そもそも政策として意味があるものなのか。YESならば、そうでない場合と比べてどのようなプラス・マイナスをもたらすのか。そもそも日本はイギリスのように脱工業化が要請される条件下にある国なのか。
もちろん、日本の製造業の閉塞感は確かだし、日本はこのままじゃまずいっていう点はわかるよ。共感する。だからって、僕たちをいったいどこへ導こうとしているの?教えてエライ人。
今後の成長産業というと、「環境、医療、福祉」だということが言われる。
「成長産業」には二つの意味合いがある。国全体の経済規模(GDP)を拡大させるという意味と、個別産業としての規模が増加するという意味だ。
「環境」が、前者の意味での成長産業ではありえないことは、野口悠紀雄氏が詳細に述べている。
私は、「医療、介護」は、後者の意味での成長産業ですらないと思う。 「医療、介護」の特殊な点は、費用の徴収と分配を政府が行っているところにある。私的医療、私的介護も禁止されてはいないが、病人や要介護者は、同時に経済的弱者でもあるので、費用を負担する資力はない。何らかの方法で、社会全体で費用負担をする必要がある。
言い方を変えると、医療、介護とは、税(社会保険料を含む)でファイナンスされる産業である。成長させるには、他の政府支出を削減して医療、介護に回すか、あるいは増税を行う必要がある。
他の財政支出を医療、介護に転用することは、事業仕分けの結果が示したように、困難である。増税に対する忌避感がこれほど強い政治状況では、財政規模の拡大も不可能だろう。つまり、「医療、介護」は、政治的理由で、成長することはない。
「環境」が、まさに政治的理由で、補助金を投入され、無理やり成長させられているのとは対照的である。もっとも、その分だけ、他の産業は縮小しているのだが。
私的医療保険や私的介護保険も一つの解決策ではあるが、先進国で成功している事例はない。なぜなら、所得が高く、健康な人々を、保険会社側が選別してしまうからだ。保険会社は、クリームスキミングするだけで、経済的、健康的弱者を相手にすることはない。それらは、結局、政府が面倒をみることになる。財源は、無論、税である。その大半は、相対的に豊かである私的保険の被保険者が払うことになる。公的医療、介護の財政支出は抑えられ、水準はひどく低下するだろう。これが米国の現状である。