「スタンドプレイ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: スタンドプレイとは

2024-11-18

オールドメディア権威が云々とかクソ興味ない件

「何を信じるかの戦いだった」とか、「オールドメディアの敗北」だとか報じられてるが、的外れしか思えなくて仕方ない。

そもそも大多数の奴は、もはや普段からオールドメディアそもそも見ていない。

じゃあ何が稲村氏たちの敗北の原因なのか?

普通にReHacQとかの無編集の平場でのやりとりで、立花氏とか斎藤氏以外の人たちが頓珍漢なこと言ってただけやんな?

稲村氏とか、まったく質問の回答になってなかったやん。

もちろん立花氏のスタンドプレイ被害にあった身ではありつつも、立候補するだけの高尚な信念がある立場なら自信持って堂々と跳ね返せば良かっただけ。

別に立花氏はトリッキー質問してなかったよ?

そんな姿が一般市民には頼りなく見えただけ。

右翼とか左翼とか新とか旧とか、日常生活を生きるのに必死な俺らにはどーーーーーーでもいいのに、変な評論家拡大解釈してるのが滑稽で仕方ない。

2023-04-18

ゲームマンガで学んだことを会社で活かせられなかった

子どものころからゲームマンガアニメにふれてきた

これらの経験社会人生活で活かせそうなのに活かせられなかった経験を 2つ思い出したので書き留めておく

1. RPGパーティ構成を考えた経験

RPGパーティ構成を考える場合 物理攻撃魔法攻撃、補助や回復などキャラクターの得意不得意を考慮して役割を決めると思う

しかし実際の仕事では 役割を配属順序で決めたりと 得意不得意と役割の不一致を感じることもあった

自分ならパーティ構成を考えるようにもっとうまくできるのに と思っても 入社したての平社員がどうにかできるわけではない

プロジェクトリーダー部署長などの管理職にならないと その役目は与えられないからだ

しか管理職になるには 不満など抱かずに波風を立てず周囲の好感度を上げることに専念しないとならない

心を無にして何年も耐えたのちに 仮に管理職になれたとしても そのロールプレイングを楽しむ精神は残っているだろうか

そういえば私がいた会社では 魂の抜かれた NPC みたいな社員が多くいた

不満を見ないふりして心を無にしているうちに NPC化してしまうのかもしれない

ぼくのかんがえたりそうのかいしゃ

管理者ポケモンでいうとポケモントレーナーなので ポケモンに指示するのが仕事である

それを今までバトルをしてきたポケモンの中から選ぶのは無理があると思う

だめな管理者だと 指示はあまりせずに自ら実務してしまうが ポケモントレーナーにしたのだから

自らバトルしたくなってもしかたないか

たまに「技術上がりの社長」などのフレーズを聞くが 任天堂の故岩田社長プログラマーから

社長職に就く際 一から経営学勉強をしたらしい

やはり技術知識だけでは管理経営不可能なのだろう

2. 「仲間と協力し合う」

子ども向けのマンガアニメストーリー主人公もしくは一匹狼を気取ったキャラスタンドプレイ

走り 痛いめにあい 仲間と協力し合うことを学ぶ よくある展開がある

しかし私のいた会社では 隣や周囲の会話はあまりなく 一人ひとり課題に取り組み どつぼにはまっていたりする

しかしたら私ならその問題解決できるかも と思い 勇気を出してぐいぐい声をかけたときもあったが

迷惑踏み込みすぎ? と思い躊躇したりもした

ぼくのかんがえたりそうのかいしゃ

逆にゲームマンガアニメマイナス効果をもたらした経験

少年マンガなどでは主人公気合根性で困難を切り抜ける場面がある

そのようなシーンを山ほど見てきた私は 新卒入社した会社での初めての繁忙期で 隔日で会社に寝泊まりして

業務に向かいながら 少年マンガで見たような「負けるなああ」「やりきるんだ!」「やってやるーっ」などの

セリフ自分の頭に言い聞かせていた

その結果 繁忙期は乗り切ったものの プチうつ悪化しその後休職退職した

それからは どうも頑張り切れない体性になってしまった

10年近く 抗うつ薬は飲み続けている

春になるとよく 新社会人に向けた「つらかったら逃げてもいいんだよ」というメッセージを見かける

それに対して 逃げると逃げ癖がつく とか 逃げていいって言っても人生保証してくれないでしょ とか反対意見も見かける

私は 一生頑張れなくなってしまうくらいなら 辞めることになる会社での納期なんて気にせず

逃げればよかったとも思う(逃げ時がいつなのかは難しいが)

から マンガでは気力で困難を切り抜けるシーンばかりでなく 作戦アイデアや助力で乗り切ったり

撤退したことがいい選択とされる記憶に残るシーンももっとあったらよかったな と思った


私は ゲームマンガアニメ仕事に役立たない、マイナス作用した と言いたいのではなく

それらがかなり思考ベースに取り込まれていることを強調したい

から自分意識してないところでプラス作用している場合もあるのかもしれない

2023-01-26

anond:20230126120841

能力評価されるならまだ誠実だと思う

実際はコミュ力とか社内政治力とかスタンドプレイスキルとかコネとか運とか評価に入ってくる

2022-12-25

ブルーロック面白い

最近見始めたおっさんだが面白い

友人にすすめられて見始めた

そいつ女子なので明らかにビジュアルで見はじめたタイプだけど

普段きらら見てるような俺でも楽しめた

 

構成はデスゲームスポーツって感じ(ちょっとカイジ地下労働っぽさも入ってる)

どっかでみたなーと思ったら大運動会だった、あれ大好きなんだよね

 

理不尽なことする主催者枠の人がちゃん理屈っぽいこと言ってて笑う

主人公理屈屋っぽいか解説役が居なくても成り立っている

主人公ビジュアルの割にかなり好戦的エレンタイプ

スタンドプレイかチームプレイか、っていうクソみたいな二元論に終止してないのがいい

サッカー作画めっちゃよくてかっこいい、良質な格闘漫画みたい

BL狙ってそうな雰囲気めっちゃ感じるけど個人的に嫌な感じがしない、むしろ尊い

・デスゲームでよくある「敵」「味方」がコロコロ変わる感じもおもしろ

 

てかこの話の構成ってうまくやるとハマるよな

スポ根ってどうしても試合がメインになるけど、試合ってもう擦られすぎてて新しいものが生まれにくいんだよね

そうなると「チーム戦を一回バラす」っていう作業必要になってくる

ハイキューの強化合宿とかそういう感じ

この作品はそれをデスゲームミックスさせることで常にバラしまくりの状況を作ってる

ただデスゲームみたいな「死」を作れないからそこを「選手生命」に変えることで成立させてる

デスゲームみたいなファンタジーよりかはスポーツ立脚してるからリアリティも出せる

どんどん数が少なくなっていくからトーナメント戦みたいな「負けるキャラフォーカスを当てていく」もできる

 

この作品が向いてると思う人

・デスゲーム好き

スポ根好き

BL好き

 

向いてない人

・熱血嫌い

純愛過激派

・女キャラが出ないと発狂する人

2020-12-12

anond:20201212032815

普通はこういう演技をしてね!ってオファーにも入れるだろ

その演技がアニメ制作陣の総意なんだよ

個人スタンドプレイではない

2019-06-12

プログラマー同士は分かりあえない

同じ技術生業としているのに

書き方が人それぞれ違いすぎる

 

ある会社では40代ベテラン設計している

独特のコードに見えるがOSSを参考にしているようだ

 

ある会社ではアラサー錚々たるベンチャーテックリードが2,3人で設計している(もう居ないけど)

某人気ライブラリをいくつか使っていて、正直まるで読めないので死にそう

 

双方のコードはぜんぜん違う

自分はと言えば、経歴は彼らと同じかそれ以上なんだが

愚直に公式のやり方を踏襲している

でも今はプロジェクトリードしていないので、彼らの思想に合わせて何とか書いているような感じだ

(多分ちゃんと書けては居ない)

 

正直、カッコイ設計が嫌で嫌でしょうがないんだけど

自分設計したら、彼らは不満なんだろうと思った

 

プログラマー同士は分かりあえない

チームプレイなはずなのに、スタンドプレイの殴り合いか、どちらかに合わせるしかない(合わせられるとは言っていない)

2018-09-21

anond:20180921223520

自民党員は代官で、政治を知っている分悪い野郎が沢山いる。

当時の民主党員は、農民百姓一揆で城を落としたようなもので、いざ為政者にはなってみたけど庶民理想現実にするに至る経験コネ能力も不足、なかに集落や村レベルの見識で有頂天になった勘違い野郎スタンドプレイに走ったりもした。

江戸時代身分社会はまだ終わらない。

2018-09-07

anond:20180907193753

私は当時民主党応援していたし、いまも枝野さん個人には期待している。しかし立民にまだ、俺凄い系の勘違いスタンドプレイ野郎や、有権者より特定外国人可愛い奴がいる以上、やっぱだめだな。

2016-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20160312175256

続き

なにかの拍子に

数学とか物理が1番簡単じゃん。1番教科書薄いんだから社会科の科目とかって字も細かいし、多いし、まとまってないし、」

と言ってたことがある。

彼にとってはそうだったんだと思う。

自分も、理数系の科目ではたびたび全国模試偏差値70くらいはとっていた。

偏差値70といえば、上位5%以上なので、ある種の陶酔感があったし、数字神秘を感じたような気がした。

でも、彼と話すと自分の感じてるそれは違うのだと思い知らされる。

成績の問題ではない。

数学を使いこなして、いい点を取って、偏差値70、俺sugeeeeeee!数学楽しい!」

と思ってる横で、

数学とか物理って電卓みたいなもんでしょ。ちょっと慣れれば誰でも使いこなせる」

という風な態度にハッとさせられる。

自分電卓を使いこなして電卓に憧れてるピエロなのだと。

彼は、スマートフォン教室に通う老人をみるような、不思議な気分で皆をみていたに違いない。

しかし、彼は彼で、楽しそうではあった。

それが、数学物理教師が、理学部物理学科、理学部数学科を勧める理由だったと思う。

でも、彼は数学にも物理にも興味がなかった。

例えるなら

スマホをいじるのが楽しいスマホでいろんなことを出来るのが便利!」

というような感情を抱いていただけで

スマホとはなんなのか?スマホの真髄とはなにか?」

などとは微塵も思ってなかった。

彼の思考は完全に実学向きで、今でも就職先では優秀な社員をしてると思う。

器用すぎるところが災いして、おそらく生涯、一技術者として生きると思う。

あるいは、任天堂岩田聡社長のように、技術者としてはスタンドプレイ典型的なパワーコーダーでも、ポジションが変われば全体最適のためにその能力魔法使いのように発揮する人間なのかもしれない。

2014-03-08

伊藤計劃キリストを超えた。わけあるか。くたばれ。

<hopelessness>

これは、どうにもならない。

</hopelessness>

伊藤計劃は偉大な作家だ。

少なくともある程度本を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。

それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、

そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。

更に法人からSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。

彼の最大の幸福早川書房との出会いである

小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。

本作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。

彼の死後、同社より、関連書籍の刊行が相次いだ。 『伊藤計劃記録』をはじめとして、ブログ及び個人ページに書きためていた映画評、

同人雑誌への寄稿が次々と出版され、多くの読者たちの手に渡った。

『記録』の主な素材は短編小説のほか、彼のブログに重ねられた書き捨ての文章である。その時既に彼の文章は死者の書物として上書きされていた。

だが、それらの文はインターネット上といえ、確かに人に見せるために彼自身の手により発信されたものだ。公開できるものとして。自らの分身として。

豚はその皮を食い破り、腸を捕まえる。裂け目から沸きだした臓物の汁の一滴まで啜り続ける。 その餌を与えたのもやはり同じ、早川書房である

文庫化を機にベストセラーとなった『虐殺器官』には、解説という名の追悼文が録されている。

近しい知人のみに公開されたmixi日記に連ねられた彼のことばが、共有される感動の実話として金を集めていく。

豚たちにとってそれは飲み込まれるのを待つだけのコンテンツ喪失という名の欲望を満たすために在るただの肉でしかない。

彼の最大の不幸もまた同社との出会いであった。

現在ブックファースト新宿店では「伊藤計劃を超えろ!フェア」が実施である

新宿駅から西口方面に足を運んでみれば、きらびやかなポップ体の横断幕がきみを出迎えてくれる。

並んでいるものを見れば何ということはない、ただの新人博覧会だ。

ただの博覧会であるからこそ、彼の名を据える必要がどこにあるのだろうと考える。

それは書店を出て左手に曲がれば見える、マクドナルドの壁に張られた新作商品広告

プリンタ限界まで引き延ばされた少女たちの、血色の粘膜をめいっぱいに広げ、バーガーかぶりつこうとする笑顔と何も変わりはしない。

意味など最初からない。それは羽虫たちを惹き寄せるだけのためのただの明かりだ。

...そんな「人間意識」だけが死んで、自分のように振舞う要素だけが

言うなれば魂なきコンテンツけが生き延びてゆく。

これこそまさに、煉獄というやつなのではないか。

「From the Nothng, With Love.」(『The Indifference Engine』(ハヤカワ文庫JA)) P.254

伊藤計劃はこれからコンテンツとして生き続ける。言及は絶えず続き、没後の節目を迎えるたびこのような商業作戦は行われ続けるだろう。

「彼の本が」ではない。「彼が」でもない。そこに掲げられるのはもはや彼ですらない、幻想としての"伊藤計劃"だ。

"それ"は新刊をさばくための道具だ。士気を煽るための墓標だ。いつでも痛みを味わえる、簡単で都合のいい薄っぺらい擦り傷だ。

またはただの便利な、ブログツイートの空白を「かんがえさせられましたにっき」で埋めるための装置だ。

伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、

あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。

虐殺文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、

ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。

彼らにとっての社会はそこで閉じている。「知っている」「考えている」ところを「他人に見せる」ことで完結している。

から少しでも話が小難しくなればWikipediaさえも読み通せはしない。

参考文献などページ数の無駄しかないと思っている。

ただ彼を善く語ることで自分を見せることしか考えていない読書人を殺せ。

売れる本を売れるときに金に換えるためだけに存在するキャンペーン書店を焼き倒せ。

故人をコンテンツフォロワーを増やし、友達にくだらない話をすることばかりしか頭にないソーシャルクソ野郎を排除しろ

創作物に死の匂いを振りかけて、クソ野郎のための新しい餌の在処を振りまくクソ書房はおとなしく無個性ライトノベルでも出していればいい。

死者の日記帳よりよっぽど健全だ。

派手な色彩の建物はまかりならん、と誰が法律で定めたわけでもないというのに、そこに広がっているのはひたすらに薄味で、

何の個性もなく、それゆえに心乱すこともない街だった。

どこまでも、ひたすらに、河の両岸を果てしなく。

彼らの漬かった沼を満たす泥は金だ。あるいは承認の欲望だ。

社会的であらねばならないこと。そのポージングが直結する意識下、無意識下のスタンドプレイ同調圧力強要

彼が稚拙ともいえる比喩で、『ハーモニー』の作中、あからさまに批難したのはこのやさしさの窒息ではなかったか

取り合う手と手に首を締められるその苦しさではなかったか

虐殺器官』に描かれた偽りの平和主義破壊に、お前は何も思うところは無いのか。

自分が何を読んだのか、何に心を動かされたのか、少しでも彼の書いたもののことを思うなら、WiFi電波オフにしてもう一度考えてほしい。

墓の上のワルツを今すぐにやめろ。

目障りでやかましいステップを停止しろ

お前は何ひとつ自分の頭で考えちゃいない。

彼は神ではない。

彼は救世主ではない。

お前を輝かせるための装飾品ではない。

お前はお姫様ではない。

ただの惨めで愚かな豚だ。

歌って踊るだけのこの世の屑だ。

臭い口を閉じろ。

キーボードを叩き割れ。生きる資格など無い。

彼が評価されるべき理由は「死んだから」ではない。

生きて、素晴らしい小説を書いたからだ。

ブックファースト新宿店様ではただいま「伊藤計劃を超えろ!」フェアを開催中です!

藤井太洋さんも含めた次世代SF作家代表作がドバーッと網羅されています! 必見です! http://pic.twitter.com/soYpfhPPDn

恥じろ。 醜い。

2010-02-22

音楽におけるセンス競争について

けっこう話題になったサブカルブログ音楽何が好き?と聞かれたら

くるりと答えておけば安牌みたいな話があって、あるあるネタとして受け取ったんだけど

自分なりにそのあるある感の仕組みを考えてみてちょっとこれはいかんなと思った

その話で重要なのはくるり音楽業界におけるポジション

あまり音楽を知らない人とサブカル音楽好きの中間地点より少しサブカル寄りサブカル入り口あたりにくるりがいることじゃないかな

きっとそのブログ彼女は他にもっと好きなアーティストがいて

それを他人に説明する煩わしさとそれによって得られる成果の期待度の高さ

そしてサブカル好きの自分のセンスに対するプライドとそれに対する対外評価を計りにかけて

彼女たちの最小公倍数兼最大公約数、妥協点兼試金石として丁度いいところにいるくるり名前を出すんだと思う

それがわかるからこそ、そのあたりしか聴いてない人のことを

ミーハーサブカルやヴィレバン厨と言って揶揄する人もたくさんいるわけで

でもそれはそれを揶揄してるもっとマニアック音楽を聴く人や聞かれる側のアーティストにも当たり前のようにあるわけで

いわば音楽におけるセンス競争アーティストリスナーも驚くほど様式的な形で参加してしまっている

たとえば2ch音楽スレでよくあげられがちな面々ビートルズやフーから始まりミッシェルゆら帝ナンバガ村八分toeガスターデルソル武満徹などなど

自分の嗜好と対外評価を計りにかけその中で一番センスがいいとされる

いわば無難アーティストをこぞってあげた結果一里塚のようにぽつぽつと偏りが現れてくる

センスのよさ競争で外し要素は重要だがセンスの良い外しかたというものが漠然とあってそこからさらに外れたものは叩かれる

だんだんコツをつかむとより危険牌に近い安牌がわかるようになるから安全にスタンドプレイもできるようになる

一見このバンドは○○だが、こういう視点から見ると○○で面白い式の

当然みんな単純に好きだから聴いてる部分がほとんどだろうからそれだけに

自分も気づかないほど巧みにそういう感情が紛れ込んでしまう

自分の中のそれをやっつけるべきかどうかは未だにわからないけど

もっと自分の嗜好のプライベートな部分や俗っぽい部分、普遍的な部分も等しく大切にしないとつまらないと思う

2008-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20081205114213

結論から言うと、

月産1000行/人×10でも

月産5000-10000行/人×3でも

そんなもんどっちでもいいのヨ。

そのうちの一人が

「まともにプログラミング初めてxx年の俺ですら、設計しながら月産xx行は書けるぞ。」って言い出して、

一人でナニゴトかやりはじめさえしなければ。

人数が多すぎようが、それ(人・仕様・全体スケジュール)をとりまとめるポジションが明確で、

スタンドプレイで後はシラネ、って奴がいなければ

少なくともデグレだの、開発総入れ替えだのって話はぐんと減る。

だから、プログラマなんて「どうでもいい」んだよ。

お隣とお話して全てが解決するような規模のシステムなら、単純に人数が少なければ少ないほどいいけどネ。

ま、あと、馬鹿正直に人月計算だけで請け負うなんてアホな見積もりはありえな…

ってデジャヴを感じるんだが気のせいか。

2008-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20080107043717

もう一つ言うと、会社ってのは組織なんだ。

組織は個人では到底為しえないようなことができる。

組織の力は強大だし、作家芸能人や一部のカリスマ以外のほとんどの人は組織の力に頼って生活している。

もちろん学歴君の好きな官僚組織の一種だ。

そこでは個人としての特殊な人間というのは必要ではないんだ。

個人が兵士としての義務を正確にこなすことが組織としての最大の強みだ。

一部の能力のある兵士のスタンドプレイ組織全体としては逆に弱体を招くことになってしまう。

組織組織として最大の力を発揮するには、兵士が凡庸である必要があるんだ。

兵士の質は均質であるほうが全体としては有利なんだよ。

2007-11-29

これだな

演技性人格障害

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

移動: ナビゲーション, 検索

演技性人格障害(えんぎせいじんかくしょうがい)は、日常生活の中において役者の演技のような行動をし、その結果自分が注目の的とならなければ大きなストレスを受けるため、自己破壊的な行動や、或いは自己破壊的なまでに挑発的な性行動を取ったりする精神疾患である。

9割が女性であるが、これに対し反社会性人格障害では生涯罹患率がそれぞれの文化圏で本症と同程度であり、こちらは9割が男性である(他に、いずれの疾患も「他人から美化されることを望むが、自分は他人に対して関心を払わない」、「他人の心身の痛みを理解できない」などの病像が似ている)ことから、同じ疾患が性差として現れた物であるという解釈もあり、その原因となる神経伝達物質遺伝子の探索が行われている。

演技性人格障害と関連する精神疾患にプソイドロギアファンタスティカ、いわゆる病的虚言症がある。 自分を実際以上に見せるために、あらゆる妄想虚言を吐く、一群の病者である。有名人権力者と知り合いであるかのように、会話中にはネーム・ドロッピングを行う。高い知性を伴えば、スタンドプレイの好きな、権力志向の人物と言う評価内に納まる事もあるが、多くは周囲との利害を調整できず、詐欺などの犯罪を犯すこともある。

又、生育暦及び家庭環境(過干渉・虐待)により、一概に本症単独罹患ばかりではなく、 境界性人格障害(境界性パーソナリティー障害)を併発している場合もありうる。 (その場合、本症単独罹患より、本症の病像は不明瞭となる)

境界性人格障害DSM-IV-TRの診断基準の中で、 3項目以上、

特に、

見捨てられ不安

理想化とこき下ろしに特徴づけられる不安定な対人関係

怒りの制御の困難

が、周囲から客観的に判断できる場合、 境界性人格障害(境界性パーソナリティー障害)の併発を疑う(人格障害クラスターBの併発)。

又、本症罹患している者の依存者による妄想虚言の解き明かしを行った場合、 症状の悪化(境界性人格障害の急性症状に近似)する場合がある。

本症診断を、虚言性人格障害と表現する医師もあるが、 現状ICD10カテゴリF60及び、DSM-IV-TRでは定められていない。

注意点として、周囲が間違った診断をし、本人に告知した場合、 (例、境界性人格障害解離性同一性障害ないし解離性障害) 本症の特性で近似症例となる場合がある。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん