2014-09-27

登呂遺跡リストラされ、中年の知らない遺跡が記載される歴史教科書

子供社会科教科書を見ると、堂々と「吉野ヶ里遺跡」と「三内丸山遺跡」が載っていて、

 激しく「ジェネレーションギャップ」を感じてしまった。

 というのも、われわれ世代(40歳代)にとっては、吉野ヶ里や三内丸山は「ニュース事象」であり、

 「歴史教科書事象」では絶対ない。

 吉野ヶ里の「発見」が1989、三内丸山の「発見」が1992。

 当時自分大学生ないし社会人で、これら遺跡は「ニュースで知った」ものであり、「教科書で知った」ものではない。

 たぶん、今の40代より上の世代は、教科書でこの2つは習っていないはず。

 なので、今の40代とか50代では、吉野ヶ里や三内丸山は「そもそも知らない」という人の方が多数派なんじゃないか?

 これら世代吉野ヶ里等を知っているのは、地元民または観光業界人または歴史マニア

 という訳で、

 「これらの遺跡は、昔の教科書には載っていなかった」

 「教科書記述は、世代によって変化する、常識も変化する」

 「遺跡が見つかるキッカケは、公共工事商工業開発が多い」という「生きた授業」を子供相手に展開してやった。

★我々の世代は、せいぜい「登呂遺跡」を覚えておけば、事足りたと思う。

 一方、今の子供の世代は、登呂遺跡以外にも吉野ヶ里とか三内丸山とか、覚えることが増えて大変だなあと同情してしまう。

 吉野ヶ里とか、工業団地開発を計画しなかったら、遺跡は見つからなかった=教科書の記載も減ったわけでして。

 ・・・と書こうと思ったら、「登呂遺跡は、教科書によっては、記載を外しているケースもある」らしい。

 子供記憶容量は有限だから教科書記載事項を巡る「競争」は激しく、スクラップビルドも激しいらしい

 ・・・となると、おじいちゃんおばあちゃんが、孫を連れて静岡に行って、「これが有名な登呂遺跡だよ」と案内しても、

 孫が「何それ?習ってないよ」という世代間すれ違いの悲劇が発生してしま危険性がある。

 ※というか、実際静岡の人のブログを見ると「子供教科書に載ってなくて会話すれ違い」報告有

★「一番歴史学習が大変だった」世代は、「1999頃に歴史学習していた世代」じゃないか、という気がする。

 あの頃は三内丸山も教科書掲載されたうえ、旧石器時代の記載も「充実」していた。

 →その後、毎日新聞スクープで、旧石器時代殆ど教科書から削除された

遺跡発掘数は景気や公共工事バロメーター

 吉野ヶ里や三内丸クラス遺跡発掘のニュースが、この20年間聞こえてこない、

 そのこと自体が「失われた20年」を象徴している。(公共工事激減と比例)

 ・・・或いはアベノミクスで、再び吉野ヶ里クラスのが見つかるか?

★登呂遺跡の件、もう少し調べてみたら、実は「登呂遺跡教科書記載」そのものに「政治的な意義」があったらしい。

 登呂遺跡発見の「政治的意義」とは、「日本書紀記載の年代以前に、東日本に稲作が伝わったこと」の立証。つまり日本書紀否定

 まあ、実際の学問レベルでは、日本書紀否定する研究もされていたのかもしれないが、それが義務教育教科書掲載されることがなかった。

 義務教育には日本書紀古事記掲載され、子供は歴代天皇の暗記を強要された

 つまり、「日本書紀古事記・歴代天皇暗証の「偽歴史」を教育する」、そういうナンセンス歴史教育は終了した、

 そういう「歴史教育民主化自由化」「もはや戦前ではない」のシンボルとして登呂遺跡存在した。天皇人間宣言と同趣旨

 となると、直近の「登呂遺跡教科書引退」の政治的意義は、歴史教育において「もはや戦後ではない」とアピールする効果

 登呂遺跡の「政治的役割」は、歴史的意義を終えた、ということなのかもしれない。

 ※GHQ必要以上に登呂遺跡の「意義」を強調するよう、教育介入したような気もする

縄文時代旧石器時代存在は、日本書紀古事記と真っ向対立。

 多分、戦前教育では縄文旧石器時代存在しないことになってた

 だから、最大70万年前の旧石器時代遺跡を発掘した「ゴッドハンド藤村某」などは、世が世なれば不敬罪になってたんじゃないかと心配する。

 そもそも日本書紀古事記世界では、神がイザナギイザナミを作って、それから世界が出来た。

 だから進化論世界とも、恐竜世界とも同居できない。

 →多分、戦前は「恐竜存在」は義務教育では認められなかったのではないか?

 そう考えると、恐竜モチーフとした「映画ゴジラ」は、イザナミイザナギ世界観否定する恐竜モチーフにした、ということで、極めて戦後的な気がする。

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