はてなキーワード: 吉野ヶ里遺跡とは
ぶっちぎりの1位は埼玉だろう。
想像してみなよ。
埼玉に住んでたこともあるが、旨いものがないわけではない。むしろけっこう多いと思う。ブランディングが下手だ。
埼玉に移り住んだ人にとってはなかなか珍しい食べ物を推さず、妙にオシャレぶった(そして客観的にみてオシャレでもない)思いつき商品を推してる。そこらへんがダサイタマだと思うんだけどな。
武蔵野うどん、いがまんじゅう、所沢だんご、すったてうどん、焼き芋、さいぼくハム、せんべい
2位は迷う。花輪がなんもないことを強調する佐賀と迷ったが、やはり埼玉同様に北関東枠の栃木が僅差で2位だろう。
どこにでも売ってる菓子(クッキーだとかチーズケーキだとか)に那須とか日光とか固有名詞をつけただけの土産物しかない。実は那須や日光の乳製品を使ってるわけじゃない。
かつては温泉地として栄えた鬼怒川、塩原が落ちぶれたのは痛い。温泉以外ブランドを作れなかった印象。温泉リゾートとしての需要は熱海箱根に取られてしまった。純粋に温泉としての知名度では群馬の草津と伊香保に敵わないしね。
ぶっちゃけ、レモン牛乳と宇都宮餃子しか集客力がない。一度は買って帰るとしても、「普通だね」という感想を持たれるから、リピーターがない。
3位は佐賀だな。
有田焼と伊万里焼と吉野ヶ里遺跡がなかったら、誰も興味ないだろう。焼き物以外で佐賀名物なんてあるのか?ムツゴロウくらい?
全国各地にある。いろんな人がいろんな気持ちで倒しそう。
伊東博文像打倒の歴史は古い。銅像はなんと生前から造られ、そして生前から銅像は暴徒によりボコボコにされていた。
そのうち急進派の奈良県民により打倒されるだろうと思っている。
俺は奈良の大仏を日本史の奈良時代で習うのはおかしいと思っている。
奈良の大仏は源平合戦の頃平重衡により、戦国時代ではおなじみ松永久秀によりぶっ壊された。
奈良の大仏は日本史のぶっ壊しの伝統を今に伝え、そして再建の歴史を今に伝える。ありがとう重源! ありがとう公慶!
これをまたぶっ壊す!! なんと爽快だろうか。
★子供が「くもん」の国語教材で悪戦苦闘している。内容は「盲導犬」。
自分の世界(大人の世界・仕事の世界)だけだと、盲導犬の話と接することがない。
子供が悪戦苦闘している「おかげで」、盲導犬の話といろいろ接することが出来る。くもんの副次効果
★そもそも、自分が子供だった頃(1970年代)は、「盲導犬」という存在が社会的に広く認知されていたとは思えない。
正確な記憶ではないが、自分が盲導犬の存在を知ったのは、中学ないし高校の頃だと思う。
つまり、今の40歳以上の人は、「義務教育課程で、盲導犬の存在を学習していない世代」じゃないか?
★「1970年代当時、盲導犬を知っている大人の割合はせいぜい10%程度で、盲導犬を知っている子供の割合もせいぜい10%」
傍証として「盲導犬の飼育頭数」を調べてみたら、「70年代当時⇒90年代末で、盲導犬の数は5倍に急増」らしい。
よって、当時の大人は、盲導犬という犬種を認知している人の方が、ごく少数だったと推定される。
★以前、「今の40歳以上は、吉野ヶ里遺跡を義務教育課程で学習していない」とツイートした。
発見が彼らの義務教育課程以降だったので、学習の機会を逸している。
盲導犬も80年代に急増したので、急増した盲導犬に関して学習する機会を、今の40歳代以上は逸している
★何が言いたいか?と言えば、
「80年代、90年代に急増した事象・覚知された事象について、社会人に再教育する制度を、なんらかの形で用意した方がいいのでは?」という話。
吉野ヶ里遺跡について知らない大人がいてもそんなに問題ないが、盲導犬に関して知らない大人がいると困る
★よく「盲導犬を連れて日本旅館に泊まろうとしたら、拒否された」的な話があって、世間の無理解を批判する人が多い。
批判する人は「盲導犬が60年代・70年代から普及して、今の中年も義務教育課程で存在認知していた筈」と誤解している。
★自分は45年間人間やってるが、今回「くもんの国語教材」で人生で初めて知った盲導犬トリビアも多い。
⇒答え「日本語で命令すると、第三者の通行人が、キツイ命令語に驚いて反応してしまい、それが犬に影響する」から
変な話だが、「子供と一緒にくもんをする」ことで、70年代に義務教育にビルドインされてなかったことも、学習してしまう格好になる。
「訓練者の命令に対し、人間に危険が及びかねない局面では、あえて盲導犬が命令に背いて人間の安全を優先させる」ようにする訓練
ウチの子が躓いていたのが、この部分。直感的には、なぜ命令違反を訓練するのか、なかなか理解が難しい
★この「飼い主の安全のため、あえて命令違反する」の部分、これが「盲導犬型ロボット」開発時の最大のポイントじゃないか?
ロボットが犬を超えられるかどうか。
今、日本精工が盲導ロボットを開発中、早ければ2016年に登場との情報
というか、難聴障害解決ベンチャーにも出資するような大和ハウス辺りが、本気で盲導犬ロボを開発しそうな予感
★で、この「盲導犬ロボット」の試作画像を見た海外人の反応が、ネガティブ反応が多数派だったらしい。
「盲導犬には癒し効果がある、ロボットは代わりになれない」云々
このあたり、ロボットに好意的な日本人、イヌに好意的な欧米人の文化差が観察されて面白い
★そもそも日本と欧米では、今でも盲導犬普及率が格段の差。70年代当時はもっと差があった。
★子供の社会科教科書を見ると、堂々と「吉野ヶ里遺跡」と「三内丸山遺跡」が載っていて、
激しく「ジェネレーションギャップ」を感じてしまった。
というのも、われわれ世代(40歳代)にとっては、吉野ヶ里や三内丸山は「ニュースの事象」であり、
吉野ヶ里の「発見」が1989、三内丸山の「発見」が1992。
当時自分は大学生ないし社会人で、これら遺跡は「ニュースで知った」ものであり、「教科書で知った」ものではない。
たぶん、今の40代より上の世代は、教科書でこの2つは習っていないはず。
なので、今の40代とか50代では、吉野ヶ里や三内丸山は「そもそも知らない」という人の方が多数派なんじゃないか?
これら世代で吉野ヶ里等を知っているのは、地元民または観光業界人または歴史マニア。
という訳で、
「遺跡が見つかるキッカケは、公共工事や商工業開発が多い」という「生きた授業」を子供相手に展開してやった。
★我々の世代は、せいぜい「登呂遺跡」を覚えておけば、事足りたと思う。
一方、今の子供の世代は、登呂遺跡以外にも吉野ヶ里とか三内丸山とか、覚えることが増えて大変だなあと同情してしまう。
吉野ヶ里とか、工業団地開発を計画しなかったら、遺跡は見つからなかった=教科書の記載も減ったわけでして。
・・・と書こうと思ったら、「登呂遺跡は、教科書によっては、記載を外しているケースもある」らしい。
子供の記憶容量は有限だから、教科書記載事項を巡る「競争」は激しく、スクラップ&ビルドも激しいらしい
・・・となると、おじいちゃんおばあちゃんが、孫を連れて静岡に行って、「これが有名な登呂遺跡だよ」と案内しても、
孫が「何それ?習ってないよ」という世代間すれ違いの悲劇が発生してしまう危険性がある。
※というか、実際静岡の人のブログを見ると「子供の教科書に載ってなくて会話すれ違い」報告有
★「一番歴史学習が大変だった」世代は、「1999頃に歴史を学習していた世代」じゃないか、という気がする。
あの頃は三内丸山も教科書に掲載されたうえ、旧石器時代の記載も「充実」していた。
→その後、毎日新聞のスクープで、旧石器時代の殆どが教科書から削除された
吉野ヶ里や三内丸山クラスの遺跡発掘のニュースが、この20年間聞こえてこない、
そのこと自体が「失われた20年」を象徴している。(公共工事激減と比例)
・・・或いはアベノミクスで、再び吉野ヶ里クラスのが見つかるか?
★登呂遺跡の件、もう少し調べてみたら、実は「登呂遺跡の教科書記載」そのものに「政治的な意義」があったらしい。
登呂遺跡発見の「政治的意義」とは、「日本書紀記載の年代以前に、東日本に稲作が伝わったこと」の立証。つまり「日本書紀の否定」
まあ、実際の学問レベルでは、日本書紀を否定する研究もされていたのかもしれないが、それが義務教育教科書に掲載されることがなかった。
義務教育には日本書紀や古事記が掲載され、子供は歴代天皇の暗記を強要された
つまり、「日本書紀・古事記・歴代天皇暗証の「偽歴史」を教育する」、そういうナンセンスな歴史教育は終了した、
そういう「歴史教育民主化・自由化」「もはや戦前ではない」のシンボルとして登呂遺跡が存在した。天皇の人間宣言と同趣旨
となると、直近の「登呂遺跡の教科書引退」の政治的意義は、歴史教育において「もはや戦後ではない」とアピールする効果。
登呂遺跡の「政治的役割」は、歴史的意義を終えた、ということなのかもしれない。
※GHQが必要以上に登呂遺跡の「意義」を強調するよう、教育介入したような気もする
★縄文時代、旧石器時代の存在は、日本書紀や古事記と真っ向対立。
多分、戦前の教育では縄文や旧石器時代は存在しないことになってた
だから、最大70万年前の旧石器時代の遺跡を発掘した「ゴッドハンド藤村某」などは、世が世なれば不敬罪になってたんじゃないかと心配する。
そもそも日本書紀や古事記の世界では、神がイザナギ・イザナミを作って、それから世界が出来た。
→多分、戦前は「恐竜の存在」は義務教育では認められなかったのではないか?
そう考えると、恐竜をモチーフとした「映画ゴジラ」は、イザナミ・イザナギの世界観を否定する恐竜をモチーフにした、ということで、極めて戦後的な気がする。