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2013-12-29

LLF』と『果実』を比較検証する(1)

はじめに

中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され一部で話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』に続いて『天帝のはしたなき果実』を読了したので、前回(http://anond.hatelabo.jp/20131221141558)に続いて比較検証していきたいと思う。ちなみに私が読んだのは講談社ノベルス版(通称「旧訳」)である古野まほろとしては全面改稿した幻冬舎文庫版(通称「新訳」)を決定稿としたいようだが、諸事情から旧訳を参考とした。以下の比較検証おいて新訳では違ってくる部分があることをあらかじめ了承いただきたい。

古野まほろの指摘

12月7日Twitter於いて古野まほろが「関係性の説明」をした。それは大きく分けて【学校の設定】【死体発見時の言動等】【推理合戦】の3点である。今回はその中から死体発見時の言動等】について検証していきたい。古野まほろが挙げた「同一性」は以下の通りである

死体発見時の言動等】

被害者は、「世界史倫理担当の教師である

被害者の特徴は、理不尽質問悪態である

被害者は、成年男性1人である

被害者は、クローズドな施設において殺されている

発見者は生徒である

警察への通報を拒否する生徒が現れる

警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要イベント」のためである

警察通報すべきだ、と反対意見を述べる生徒が現れる

・結果、その場にいる生徒による、多数決が行われる

警察通報しないことを、倫理的糾弾する生徒が現れる

通報するかどうかの多数決が、可否同数になる

最後の一票により、イベントを優先して通報しないことが決まる

・生徒たちによる、実況見分等の捜査が行われる

現場に留まるのは危険、との判断から、無人の室に移動する


1つ1つの要素の問題ではありません(要素で見ても厳しいかな、とは思いますが・・・)。私が問題にしているのは、これらすべての要素の「組合せ」です。このような「組合せ」が、まったく別個の作家により、偶然に案出される可能性は、ゼロです。死体発見時の言動等もまた「同一性」の問題です。

被害者は、「世界史倫理担当の教師である

古野まほろ(作者)は「死体発見時の言動等」と銘打っているが、前半は被害者の特徴についてである。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、メインとなる密室殺人事件被害者となるのは「灘瀬朝臣(なだせあそん)」である。灘瀬について記述してある部分を引用したい。

ねちねちとした口調、ねめつけるような視線、四十代半ばにして既に注意信号の頭髪、加えて誰が言い出したかセクハラ疑惑まで併せ持った社会科担当教諭、灘瀬――なんとか。失礼、フルネームは存じ上げない。専門も世界史だったか倫理だったか


ロジック・ロック・フェスティバル

灘瀬朝臣社会科担当教諭であり、専門が世界史なのか倫理なのかは本文中で特定されていない。高校世界史を教えるのに必要なのは高等学校教諭一種免許状地理歴史)」であり、倫理を教えるのに必要なのは高等学校教諭一種免許状公民)」だ。それぞれ別ではあるが、実際は両方を取得しどちらも教えるというケースが多い。

天帝のはしたなき果実』におい殺人事件は何度か起こるが、メインとなる首無し殺人事件被害者となったのは「瀬尾兵太(せおひょうた)」である。瀬尾兵太は世界史担当教諭である。本文中に世界史以外の社会科科目を教えているとの記述はない。

黄昏音楽室に入ってきたのは、我が県立勁草館高等学校世界史の教師を勤めるとともに、同校吹奏楽部顧問に任じる瀬尾兵太だ。


天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、23

「要素」で判断する限りは「社会科担当教諭(専門は世界史倫理か不明)」と「世界史担当教諭」を「同一性」と表現するのは厳密な意味おいては正確ではない。だが、少なくとも数学英語のように全く関係がない教科ではなく、非常に類似している「要素」であるといえる。

被害者の特徴は、理不尽質問悪態である

ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の特徴が「理不尽質問悪態であることは、さきほど引用した文のすぐ後に書かれている。特筆すべきなのは、実際に灘瀬朝臣が生徒に理不尽質問をしたり、答えられない生徒に悪態をつくような場面が一切登場しないことだ。設定として生徒に恨まれる理由があることを示す以上のものはない。

根も葉もない噂には同情を禁じ得ないけれど、彼を生理的に受け付けない生徒は多そうだ。授業も理不尽質問を当てるし、答えられない生徒には悪態もつく。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の特徴が「理不尽質問悪態」と断言していいものかは迷う。『ロジック・ロック・フェスティバル』の灘瀬朝臣がただの記号として描かれているのに対し、瀬尾兵太ははるかに血の通ったキャラクターで、特徴として挙げるべき点が複数あるからだ。主人公たちの所属する吹奏楽部OBであるとか、東京帝大法学部出身であるとか、胸に大きな緑色宝石を付けているとか、語学の達人であるとか……。

そこで、まずは「理不尽質問悪態」に該当しそうな部分を探してみることにする。第一章から瀬尾兵太が生徒に質問するシーンを抜粋したのが以下だ。

p、って何だ」

「『弱く演奏する部分に付いた強弱記号』」

阿呆(ドゥラーク)かお前! 確かにfは『強く』でもいいが、pは『静かに』。(後略)


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、34頁)

「あと峰葉、お前は腕立て二セット追加だ――理由は?」

「歌口(マウスピース)を押さえすぎるから、です」

「唇に歌口(マッピ)の跡が付きすぎて興を削ぐな。何でそうなるんだ?」

右手の小指を深く引っかけて持っているからです」

「それは何でだ?」

ペット左手だけで支えられていないからです」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、36頁)

(前略)音がボケてる。どうしてだ?」

「舌遣い(タンギング)が柔かすぎたからでしょうか(はふう、想定の範囲内)」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、37頁)

瀬尾兵太が吹奏楽部の録音を聴いて指導する場面である。「理不尽」かどうかは判断が分かれるところだが、「質問」をすることによって生徒にどこがよくなかったのか自ら考えさせるのが瀬尾兵太のやり方のようだ。そして適切な答えを返せなかった生徒には、「阿呆かお前!」と悪態をついている。「悪態」については具体的にその言葉が出てくる箇所がある。

「まずは誰も口論当事者だって名乗りでてこないからです。瀬尾先生悪態というか音楽に関しての辛辣かつストレートな要求は今に始まったことじゃありません。誰だって何度もボコボコにされてます


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、582頁)

この発言をした登場人物は瀬尾の言動は「悪態」そのものではなく、「悪態」と表現してもいいような「音楽に関しての辛辣かつストレートな要求」と認識しているようだ。

被害者は、成年男性1人である

これまでに記述したとおりメインとなる殺人事件比較した場合、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「被害者は、成年男性1人」で間違いない。しかし『ロジック・ロック・フェスティバル』は日常の謎を解く場面がいくつかあったのち、メインとなる密室殺人事件が描かれるのに対し、『天帝のはしたなき果実』は連続殺人事件を扱っている。その被害者男子生徒、女子生徒、教師(これが「成年男性1人」に当たる)である。つまり、メインとなる事件だけを比較対象にした場合同一性」に該当するが、比較対象を物語全体に敷衍した場合同一性」には該当しないことになる。

被害者は、クローズドな施設において殺されている

クローズドな施設」という表現が、含みを持たせている。ミステリーおいては「密室」と「クローズドサークル」というふたつの閉鎖状況がある。『ロジック・ロック・フェスティバル』において描かれるのは密室殺人事件だ。文化祭開催期間中に、密室となった社会科研究室死体発見される。

「……密室

 ぼそりと言ったりり子の言葉に僕は哀しいかな反応してしまう。

 僕らが入ってきたドアは確かに鍵が掛かっていた。もう一方のドアは元よりガムテープでがちがちに封鎖されて閉め切りになっており、出入り口としての役目を完全に放棄させられている。四つある窓全てにしっかり施錠されているのが確認できるし、廊下側の壁の上部・下部にそれぞれ設けられた換気用の小窓もご丁寧に施錠がなされていた。

 現場は完全なる密室だと認めざるを得ない。


ロジック・ロック・フェスティバル

高校敷地建物文化祭期間中で一般にも広く開放されているので「クローズドサークル」ではない。しかし、社会科研究室を含む四階は、唯一の階段ふたりバスケットボール部員によって監視されている。

はい、そうみたいでした。なのであたし、立ち聞きする気はなかったんですが、会話の内容が耳に入ってしまったんです。彼女たちはこう言ってましたよね、『私たちがいる間にここを通ったのは、会長副会長、あと実行補佐の四人で全部です』って」


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、メインとなる首無し殺人事件が起こるのは、アンサンブルコンテスト大会が行われている姫山市文化会館の第7楽屋である。この第7楽屋には死体発見時に鍵が掛けられていたが、オートロック式で関係者が鍵を持っていたこともあり「密室」とは呼べない。

ここの楽屋オートロック式で、カードキィを持っていなければ開かない代わりに、内側からは鍵もチェーンも掛けられない珍しい扉になっています(朝のミーティングとき瀬尾がいいましたね)。


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、648頁)

姫山市文化会館は一般に広く開放されている公共施設であるので「クローズドサークル」ではない。しかし、楽屋を含むエリア関係者以外立ち入り禁止となっている。

「非公開区域にはリボンないと入れへんし、第7楽屋のドアは専用のカードキィないと入れへんで、念のため。借りたら記録残るし」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、626頁)

鷹松学園も姫山市文化会館も一般に広く開放されている。しかし「クローズドな施設」という含みを持った表現をすれば、どちらの作品も外部との出入りが制限される場所死体発見されており、当てはまることになる。

発見者は生徒である

ここから死体発見時の状況になる。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の死体発見するのは、主人公中村あき)、山手線太郎、鋸りりこ、万亀千鶴生徒会長(衿井雪)、副会長(成宮鳴海)の6人である

 四階に辿り着くと、そこにはなんと会長までもが参席していた。

「鍵、持ってきてくれたか! 早く、嫌な予感がする」

 既に事態も把握しているようだ。

はい、これ、マスターキーです」

 走り寄って僕がポケットから鍵を取り出すと、会長が引っつかむようにしてさっさと鍵穴へ差し込んだ。

 かちり、と確かに鍵の外れる音。

 社会科研究室の扉が開くと、中から冷気が溢れ出した。エアコンがかけっ放しらしい。何か異様な雰囲気と共に、確かな臭気がその中に感じ取れた。

「うっ……なに、この臭い

 千鶴が鼻を押さえる。

「――灘瀬先生、いらっしゃいますか?」

 呼び掛けながら室内に足を踏み入れる会長。僕がその後に続いた。

 研究室入り口付近左手にすぐ壁、そして右手本棚といった配置である。そのため本棚が途切れたところで、ようやく部屋の全容が見渡せた。

 目に飛び込んでくるのは痛いほど鮮かで、残酷な色彩。

 一面の赤色

 血の海。

 赤の海。

 そこに沈む、ぐにゃりとした男の体。

 深紅に溺れる、こと切れた灘瀬がそこにいた。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の死体発見するのは、主人公古野まほろ)、峰葉詩織の2人である

 うひゃあ! 前を歩いていた瓶緑色ボトルグリーン)のブレザー着た集団も飛び上がった。彼女はず、ずいと第7楽屋の前に立つ。「キィは?」

「こちらです」

 ピ、と脳天気電子音とともに若草色(リーフグリーン)のランプが灯る。彼女は目を伏せがちにいった。

「こんどは檸檬、買ってくるのよ。古野君の勝――」

 彼女の声が思いっきり完全休止(ゲネラルパウゼ)する。

 次いで教科書どおりの、深々とした、背筋の伸びた息継ぎ(ブレス)。

「僕の、か?」

 彼女の凍てついた顔を、僕は忘れない。陸奥みちのく)の安達ケ原の姫山に、鬼籠もれりというは真実まこと)か――

 そこには、嵌め殺しの机にもたれ、ドアに背を向ける形で、瀬尾だった物体があった。

 肩からうえには、首がなく。

 それは、避けられない宿業のようだった。


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、648~649頁)

上記に引用したとおり、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「発見者が生徒である」ことは間違いない。付け加えるならどちらの作品も「死体発見者が主人公を含む集団である」と言っていいだろう。また主人公自身が鍵を開けるのではなく、別の人物に促されて主人公が鍵を渡す点も共通点と言える。

警察への通報を拒否する生徒が現れる/警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要イベント」のためである

ここからは、死体発見したもの警察通報しないという判断をするシーンである。上記ふたつについて引用部分が同じなので同時に検証する。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、通報を拒否する生徒は生徒会長(衿井雪)である。その理由は自身が実行委員長として力を注いできた文化祭最後まで終わらせたいというものである

 その時だった。

 会長がすっとみんなを置き去りにするように入り口の方に向かった。そして直後、社会科研究室の扉がぴしゃりと閉じられる音が響いたのだ。

会長……?」

 不審に思い、僕も一度灘瀬の遺体から離れ、一同の輪の方へ戻ることにする。

 そこから入り口を見ると、なんと会長は信じられないことに扉を背にしてその場で膝を折り、こちらに向かって土下座をしていたのだ。

 それだけではない。とんでもない発議がその口からなされた。

「……頼む! 文化祭が終わるまで通報を待ってくれないか

 それは誰もが理解に時間を要するほどの突飛な提案だった。

「な、何を言って……」

 ようやくどうにかして言葉を発した副会長を遮って、会長は哀願するように続けた。

「分かっているんだ、これは普通の思考じゃない……異常だ、狂ってる……そんな風に思うかもしれない……それでも! それでも私は自らの全てを鷹松祭に注ぎ込んできた……実行委員長として私にはこの祭を完成させる義務がある。それだけは誰にも邪魔させない。じきに一般公開も終わる。そこから簡単な片付けがあって後夜祭、ファイアーストーム、そしてグランドフィナーレ――鷹松祭が終了を迎えるまで残り約三時間、あとたったそれだけなんだ!」会長は喘ぐように息を継いだ。「――今一度、三顧の礼を尽くして懇望する。鷹松祭の終了まで示し合わせて黙っていてはくれないだろうか」

 総員、言葉を失ってしまった。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、最初通報を拒否する生徒は主人公古野まほろである。その理由はすでに演奏が終わったアンサンブルコンテスト大会の結果が聞きたいというものである

差し当たり重要なことは」一馬が厳かに口火を切った。「ひとつしかないわ。通報沈黙か。それが設問よ(ザットイズザクエスチョン)」

「僕は沈黙派だよ」と僕。

(中略)

「今通報すれば、会場は大混乱、大会どころじゃなくなる。あれだけの演奏ができたのは瀬尾のお陰だし、客観的にもその評価を得るのが供養だと思う」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、530頁)

どちらの作品も警察への通報を拒否する生徒が現れ、その理由は、高校生として「重要イベント」のためであるのに間違いない。

2013-12-05

特定秘密保護法案問題がよくわからない素人が2時間で考えたこと

結論から言えば、やっぱりよくわからない。

けど、「とりあえず賛成」 → 「消極的にだけど一応賛成」くらいに変わりました。

最近よく話題に上っている特定秘密保護法案

TV見てないのでネット上の反対派の意見表明的な記事を2,3本見て、なんか感情的っつーか抽象的な意見ばっかりでよくわかんなくて保留にしといた。

今日やっと、法案の本文挙げながらどのへんが問題と言われてるのか書いてくれてる記事をみつけたので、ちょっと考えてみようと思った。

特定秘密保護法案に賛成することにした

http://d.hatena.ne.jp/aliliput/20131205

で以下読んだ記事など

私はなぜ特定秘密保護法案に反対するのか

http://www.fsight.jp/22843

↑はForsightで「政治ゼロから考える」シリーズを書いてた人で、割とまっとうな感じの人。しかし記事の内容がイマイチ抽象的な感じ

秘密保護法軍事小国日本の「必要悪

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39354

↑またJBPressか。。割と普通の事しか書いてなかった。

ForeignAffairsJapanの中国防空識別圏関連特集

http://www.foreignaffairsj.co.jp/archive/focalpoints/201312.htm#4

どこかのコメント欄で「対中国防衛問題が喫緊課題となっているので多少いけないところがあっても秘密保護法を早期成立させるべき」というのを見たので、フォーリンアフェアーズの特集ページを見に行ってみた。なんか思ってたよりやばかった。冷戦時代やばいときの米ソ関係よりさらにヤバくなるかもしれないらしい。

なぜ総論賛成の私が反対討論を行ったのか

http://blogos.com/article/74813/

民主党議員の方の意見。私はアンチ民主だけど、この記事はすごくまともに見える。


私は法律に関しては「ナニワ金融道読んでました」ってくらい何も知らない素人なんで、法律解釈がどうのという話はよくわかんないです。

特定秘密保護法についてどう考えていたかというと、

  • 「反対している人は全員某国人」とか思っているわけじゃないけど、ただ反対というだけじゃなくて、「スパイ防止法」的なものを作ることそのものに反対なのか、条文の一部が拙いから反対(修正されれば賛成するかも)なのか、反対している人は立場の違いを表明したほうがいいと思う。前者とは永遠にわかりあえないが、後者の主張ならば聞いてみたいと思う。
  • からといって法律を制定するプロセスを端折っていいというわけではない。だが絶対に必要法律だと思うし、安倍政権で成立させなければまた何年何十年の時を待たなければいけない気がする。

そういう認識の上で、特定秘密保護法案への反対意見なんかを小一時間見て回りました。それで反対派が一体何について反対しているのかということを把握したかったのですが、なんだかこんがらがっていて良くわかりませんでした。それでも小一時間で見つけたもののうち、重要そうな意見を挙げてみます

秘密の対象となるもの曖昧である

アメリカには大統領令13526号というのがあるらしく、秘密の対象となるものを厳密に定めているのだそう。(法律素人の私には日本の法案とどちらが曖昧なのか全く判別できませんでした。「その他」があるからダメなのか。)

さら大統領令13526号は「政府に都合の悪い情報秘密にしてはならない」という項目があるらしい。安全保障秘密にすべき事項かつ政府に都合の悪い情報だったらどうするのかしら。「政府に都合の悪い情報秘密にしてはならない」が優先するなら、スノーデンがロシア亡命する必要なかったような気もするけど(素人考えです)。

今年の6月に「ツワネ原則」(国家安全保障と情報への権利に関する国際原則)というのができたらしく、政府法案における「情報公開」はこの原則を満たすレベルにないという意見もありました。

秘密の指定や運用に対する監視機関が無い

賛成派は官庁が指定して内閣審査する?から大丈夫みたいな感じの事を言ってるけど、中学校社会科で習った三権分立からいくと、行政行政監視するというのでは心もとないような気がする。だけど独立監視機関を置くとしたら、その人材はどこが審査認定するの?行政かな?司法の方に来歴や家族関係思想を洗い出して秘密にかかわるべき人材審査してもらうなんてできるのかな?解決策がわからない問題です。

未遂の教唆でも処罰の対象になること

普通刑法では既遂の教唆処罰の対象になるらしいのですが、なぜそこが違っているのか?は小一時間ではわかりませんでした。なぜなの?


まぁほかにも「秘密にされる期間が無期限」とか「普通に生きてても逮捕されるかも怖い」的なご意見もありましたが、ちょっと曖昧で何言ってるかよくわからなかったので項目には挙げませんでした。

小一時間見て回った結果として、反対論者にも理があること(当たり前ですが)がわかり、反対するのも理解できる、と思いました。

一方で、やはり秘密保護法はどうしても無くてはならないもの(私は中学生の頃からスパイ防止法」的なもの必要だと考えてきましたのでこれはなかなか変わりません)だと思うので、成立できるうちに成立させるべきだとも思います。それで「法案を少し修正して成立すればいいなぁ」という消極的賛成の立場に落ち着きました。

最後についでにアメリカについてどうでもいい話を書いておきますアメリカはたぶんずっと前から秘密保護法みたいなのがあって、CIAとかNSA活躍してきた国です。インテリジェンスという側面で見れば、日本よりも遥かに進んだ国です。膨大な秘密を持っていますが、さすがに秘密作りすぎじゃない?ということになったのか、数年前に(オバマ大統領令13526号などが出されて、秘密の制限と情報公開の方向に向かったようです。そんな進んだ国アメリカですが、昨年から話題になっているエドワード・スノーデン氏は所謂ギークであり、思想背景も出自も真っ白とはいえない人物だったそうです。能力があるとはいえ、そういう人物を雇用しなければならなかったCIANSAは、深刻な人材不足だったのでしょうか。

2013-11-25

現代文の解法=本文中に書いてあるかを判定

nix in desertis:「ロボット東大に入れるか」発表会(11/23レポート

http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/52165212.html

・解法は,やはり社会科とほぼ同じ。もちろん,教科書ではなくて評論小説の「本文」と,選択肢に登場する単語の一致数で正誤判定を行った。小説感情表現喜怒哀楽)の文字に,重点をつける操作を追加で施した。

・そんないい加減なやり方では無理だろうと思っていたが,何年度か模試と本試を解いてみたところ,平均的な得点はなんと5割をマーク。最高点は70点弱。それでいいのかセンター試験。一致する文字数をカウントして,一番多かった選択肢を正しいとみなしているだけなんだぞ(会場爆笑)。ただ,英語同様に点数のブレが非常に激しく,今回解いた代ゼミ模試は42点(100点満点)と伸び悩んだ。安定性が必要

入試現代文特にセンター試験のようなマーク式・選択式の場合「本文と同じ内容が書いてある選択肢を見つけ出す」というのが基本であり全てだと思う。

本文中に書いていないことを記述してある選択肢は間違い。何故なら本文中に書かれていないことはどう頑張ったところで正解にしようがないから。(即ち自分勝手に本文の意味解釈するのは御法度

出題側はそれらしく解釈できるけれども本文に書いていない内容の選択肢であったり、本文の論理構成から少し外れた言い換えを用いた選択肢などを紛れさせて解答者を試すのだ。

逆に解答者目線で「どうしてこれが正解(誤り)なのか分からない」という場合自分勝手解釈した結果文意を思い込みで作り上げてしまっていたり、本文の論理構成を正しく理解できていないために言い換えであったり各種主従関係を正しく解釈できていないということが原因ではないかと思われる。

そう考えれば「単語の一致率による判定」という手法あながちデタラメものではなく、むしろ正攻法に近いと思うのだがどうだろう。

2013-11-21

いやな記憶を思い出しました

小学生に掛け算を交換法則が成立しないかのように教える文章題限定のアホ法則適用する教師の話をtogetterで読みました。

いやな記憶を思い出しましたよ。

私は肉体労働者が多く集まる学区の小学校に通っていました。ご近所の小金持ちさんたちの子息は多くが越境して隣の学区に通っていました。

私の親は目ざとい方ではないので、私が小学校入学の時にすんなり肉体労働学区の小学校に通わせました。

私は体が小さく、小学校腕力こそ正義空間で、その学区の中学校はそれに拍車をかけたような場所だそうでした。一説によるとあらゆるガラスが割られた結果全部アクリルにすげかわったとかいます

私の親はこのままいった子供死ぬと思ったらしく、中学受験をさせることにしました。塾通いが始まりました。

四年の時、社会科以外の勉強は大好きで、特に算数は好きでした。

五年の前半には、ほとんどの受験算数は問題を読んだだけで即座に回答の数値が出るようになりました。1秒とかからないのです。

しかしここでつまづきが生じます

私にはどうしても「文章題の式」がきちんと立てられなかったのです。受験算数どころか、ずっと100点以外を取っていなかった学校テストでも同じで、答えがあっていて式にバツがつくことがあいつぎました。学校算数のほうが、式については難しかったとおもいます

これによって算数は苦手科目に陥り、たいそう悩んでそれらしい式を立て、順番に計算し、「わかった回答」と異なるので何度も書き直すことを繰り返していたのです。苦手意識はずっと続き、数学に入っても長らく嫌いなままになっています

今ならわかります。足し算の順番が違うとか、掛け算の順番が違うとか、ひとかたまりにする組み合わせが間違っているとか、そういう数学ならなんの意味も持たないことを、算数からといって要求されていたのです。

あいうことを要求していたあいつらは全員死ぬと良い。今すぐみんな、首をつって死ぬと良いと思います

2013-11-18

高校までに勉強したことで今でも役に立っていること

数学

確率統計

ベクトル

・集合真偽

・数列配列

幾何学

理科

天文 主に暦、測量

気象

発酵

物理

国語

・作文

漢字

・読解

英語

・会話

社会科

・緯度経度の座標系

地図

気候

美術

中国書道歴史

・色彩

写真

音楽

合唱

※個人の感想です。人生いつ何が役に立つかわからないです。

2013-09-19

黄錦周さん「慰安婦になった経緯をお話します」

1「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。

  ソウル金持ちの家で小間使い。

  1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、

  その家の娘の身代わりとなって満州連行され従軍慰安婦となった」

2「17歳のとき日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、

  日本軍工場に働きに行くように命じました。

  そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」

 

3「私は19歳で学校卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、

  仕方なく慰安所に行ったんだ」

4「満18歳になったある日、男がやって来て、

  村から娘を提供するように言いました。」

5『村の班長日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、

  1941年韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』

6「14歳とき、いわゆる「少女出」で満州連行され、

  皇軍兵士セックスの道具にされた。つらい体験だった。」



嘘や詐欺のつもりなら設定ぐらい固めるもんだから

黄さんは話芸でメシ食ってる感覚だと思う。



(1)従軍慰安婦戦後補償 / 著者:高木健一

(2)国連経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日

(3)"TBS"「ここが変だよ日本人

(4)「日韓社会科教育交流韓国訪問/1997夏期

(5)旧日本軍従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日

(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて

2013-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20130906130650

もう本人、読んでないか

心療内科で気持ちが楽になって、勉強パフォーマンスが上がって

そのまま学問の道で頑張れそうなら、それならそれでよかったと思うけど・・・

多分、最初増田で悩んでたような"病"って

盲腸みたいに「散らしたら大丈夫だった」っていう類の"病"じゃなくて

腎臓病みたいに、じわじわ人間の心や生活を蝕んでいくようなものである気が、多分にするので

安易心療内科に頼らないで、若くて胆力ある時に、自分ダメさ加減や世間様が見た客観的な順位と向き合って

プライドの高そうな増田自己評価世間ギャップ対処できるようにしておいた方が、将来の糧にはなったかもね

まぁ、安易な解決方法を選んじゃう性格の人は、大学だろうが企業研究職だろうが向いてないよ

自分企業研究職をやってたこともあるけど、この増田が部下にきたら正直イヤだもの

とっとと公務員試験でも受けて、どっかそこそこの偏差値学校にもぐりこんだりとかはどうでしょう

私が通っていた公立トップ高は、そんな感じの研究者崩れの先生特に理科系とか社会科系の先生に多かった

2013-09-04

壊れた時計

http://anond.hatelabo.jp/20130904111911

その時計はあの人からの贈り物だった。私が教師になった日、当時あこがれでもあり、尊敬の対象でもあったあの人は、記念にと精巧ゼンマイ式の置き時計プレゼントしてくれた。外側が透けていて、中の歯車が動いているのが見える、アンティーク調のものだった。

「教師になるんだから時間はきちんと守るようにね。今までみたいに寝坊ばっかりしてちゃだめだよ」

あの人は目元をほころばせながら、いたずらっぽくそう言った。私は嬉しさと緊張のあまり、お礼の言葉もうまく言えなかった。

それから数年後、あの人は飲酒運転トラックが起こした事故に巻き込まれ、帰らぬ人となった。二人で結婚式での衣装を決めたその帰り道でのことだった。私はまだ学校仕事が残っていたので、貸し衣装から学校へと戻り、あの人は自宅へと帰る途中だった。巨大な鉄の塊に押しつぶされたあの人は、ほぼ原形をとどめていなかった。だから余計に、私は長い間あの人の突然の死を受け入れることができなかった。

あれから10年。何度かお付き合いをする相手はいたが、結婚にまでは至らなかった。あの人を越える女性出会えなかったからだ。いつも冷静で大人っぽいくせに、時折見せるいたずらっ子のような無垢な表情。とても聡明で賢いくせに、誰にでも優しく、生徒からも慕われ、常にまわりを穏やかに明るくしてくれる。そんな人だった。誰といても、常にあの人と比べてしまう。そんな状態で結婚なんてするのは、相手にも失礼だと思ったし、自分自身も耐えられないと思った。

あの人との思い出の品はそれほど多く残っていなかった。元々、物に執着する人ではなかったし、私も事故後の辛さからいくつかの思い出の品を処分してしまった。残っているものといえば、就職祝いでもらったこの置き時計くらいだった。手巻きのゼンマイ式だったが、あの人から貰って十数年、一度もこの時計を止めたことはなかった。職場の机の上に置き、初心を見失わぬよう、あの人からの戒めを忘れぬよう、常に自分への戒めの象徴としていた。

ある日、気がつくとその置き時計ねじ巻き部分が折れ、カバーにヒビが入っていた。古いものだが、ずっと大事にしてきた。一度も落としたことなどない。傷ひとつつけたことはなかった。しかし今その時計ねじ巻きの部分がぽっきりと折れ、カバーが無残にも傷ついてしまっていたのだ。私はあの日の事故を思い出してしまった。何気ない日常だと思っていた日が、突如として崩れ、壊され、絶望へと変わる。あの感覚を。

もちろん、たか時計のことである。あの日、あの人を失った事故と比べれば取るにらない。それに時計は完全に壊れたわけではない。ほんの一部が欠けただけだ。直して直せないことはないだろう。それでもなぜか、とても大切なものが、私のこの十数年が、あの人ととの大切な思い出が、不意に傷つけられたような気がして、目の前が真っ暗になっていった。

放課後、一人の生徒が私の元にやってきた。「社会科準備室でふざけていたら、誤って時計を落とし、壊してしまった」と告白してきた。言いづらいことを素直に告白してきた生徒の勇気は認めたかったが、一方で入る必要のない部屋に入り、ふざけて私の大切なものを壊したということに対して、抑えようのない怒りを感じていた。それでもあえて冷静に努め、私は生徒に問うた。

時計どうするんだ? どう責任を取るんだ?」

生徒は打ちひしがれた様子で答えた。

「すいません、弁償します」

簡単に言ってくれる。あの人との思い出を、私の十数年を、元の形にして弁償してくれるとでも言うのか。そうでなくとも、この時計中学生が小遣いで弁償できるような安物ではない。今では時計制作会社もなくなり、この時計を入手することさえ困難だろう。

「弁償ってこの時計高いんだぞ? そんな金持ってないだろ?」

「お、親に頼んで・・・・・」

残念な答えだった。せめて「将来働き始めたら必ず弁償します」とでも答えてくれていれば、許す気持ちも持てたかもしれない。しかし生徒は、自らの失態の尻拭いを親にさせようというのだ。私の語気は我知らずきつくなり、その後は生徒を詰問するような言い方になってしまった。私とて、何か結論や正解を持っていたわけではない。生徒がどう答えても、完全には納得できなかったかもしれない。生徒も必死で謝罪していた。それでも、もっと何か、納得できる答えを求めてしまっていた。

もちろん、教師といえどただの人間だ。感情的に大切なモノを壊された怒りをぶつけていた部分もあった。しかしそれよりも・・・加害者として人の大切なものを壊してしまうことの深刻さを、もっと知ってもらいたかった。今回はたか時計だ。しか場合によっては、飲酒運転事故を起こし、誰かの人生を、その人を大切に思う人の一生を、潰して消してしまうことがある。それは大げさな言い方かもしれない。しかし、悪ふざけや、「ちょっとくらいいいだろう」という気持ちが、そういう惨事を引き起こすということを知ってもらいたかった。わかってもらいたかった。教師というより、大切な人を失った者のエゴ、だったかもしれないが。

それから数週間の間、私はその生徒を呼び出し、詰問した。しつこかったかもしれない。加害者としての責務を知ってもらいたかった、というのは本心だったが、自分の怒りと憤りを晴らすという部分があったということも否定はしきれない。そして叱責を繰り返すたびに、後者の部分が大きくなり、生徒のためにというより、そうやって己のうさを晴らすようになっていただけだったのかもしれない。生徒は泣いていたが、それも自分境遇が辛くて泣いているようにしか見えなかった。

そんなある日、夢を見た。目の前にあの人が立っていた。その横には、あの生徒がいて泣きじゃくっていた。あの人は生徒の肩に手をかけて、顔を覗きこむようにして何かを話していた。あの人はしばらくして私に向き直ると、穏やかな声で「ちゃんと反省してるから、許してあげよ」と言った。そして私の側にそっと歩み寄ってきて「ずっとありがとう。でも私は大丈夫だよ」とはにかんだ笑顔で言った。私は恥ずかしかった。あの人なら、たとえ大切なものを壊されても、生徒にあんな風に怒ったりはしなかっただろう。私はあの人のようになろうとして、まったくなれていなかった。忘れていた。ずっと覚えていたつもりでいたのに、あの人の心を忘れていたのだ。私は泣きじゃくった。夢の中のあの人の胸で、子どものように大泣きをした。目を覚ました私は、布団の中でやっぱり泣いていた。

それ以降、私はその生徒を呼び出すのをやめた。

卒業式の日、久しぶりのその生徒の姿を目にした。避けていたわけではないが、避けられてはいたのかもしれない。生徒はバツがわるそうに目を伏せていた。正直なところ、私の方もバツが悪かった。人間として未熟な部分を生徒に見せてしまった。なにか声をかけようと思ったが、いい言葉が思い浮かばなかった。何を言っても言い訳に聞こえてしまうだろうし、下手をするとまた説教めいたことを口にしてしまうかもしれない。そう思って黙ってすれ違った。

私はまだまだ未熟者だ。あの人のようになれる日はまだ遠い。

壊れた時計

中学時代掃除中社会科準備室で遊んでいたら、机の上にあった先生の置き時計を落とした。衝撃で時計の横についている細工が折れた。一瞬元々外れるようになっている造りだったんだと思い込もうとしたが、やはりどう見ても折れていた。その場に先生はいなかった。しかし、謝らなければいけないと思って放課後、緊張しながら社会科準備室へ行くと先生が怖い顔をして一人で座っていた。自分はびびりながらも正直に話した。

先生時計どうするんだ? どう責任を取るんだ?」

自分「すいません、弁償します」

先生「弁償ってこの時計高いんだぞ? そんな金持ってないだろ?」

自分「お、親に頼んで・・・・・」

先生「はあ? 自分でやったことなのに親に責任取って貰おうとするな。お前はどう責任取るんだ?」

それもそうだと思ったが、それならどうしたらいいのか判らなく黙りこくるしかなかった。とにかく先生は「責任をどう取るんだ?」と言った。

話が進まないまま1時間ほどした後、次の日も放課後社会科準備室に来るように言われた。翌日に準備屋へ行くと、また話は「どう責任を取るんだ?」ということだった。

自分宿題とか次からちゃんとやるようにします」

先生「それは関係ないだろ」

自分毎日朝来掃除します」

先生「そんなことして欲しくない」

自分実験の手伝いとかします」

先生「お前にはできないだろ」

いろいろと言ったがどれも駄目だった。もう自分責任を取る能力がないことは自分でもはっきりと自覚していたし、先生も当然判っていたと思う。

また1時間ほどした後、話は終わった。しかし、先生は「次の日にまた来い」と言わなかった。自分はこれで終わったんだと思った。結局何もできずに終わったが、安心はしたのは事実だった。

しかし、それから三日ほど経ってまた呼び出され「責任を取れ」と言われた。

もうこっちは泣くしかなかった。泣いたところで許しては貰えなかったけど。

それから断続的に呼び出されることが3週間くらい続いた後、急に呼び出されなくなった。いつかまた「責任を取れ」と言われるんじゃないかと思って眠れなくなることもあったが、それ以来何も言われることなく、卒業を向かえた。

卒業式の日、先生自分の方に向かって歩いて来た。俺は少し忘れかけていた時計のことを思い出し、身体が硬くなった。先生

先生「あの時の事件で学んだろ? 一度壊れたものは元に戻らないんだよ。責任の取れないことはするものじゃないし、責任が取れないことに繋がるようなことだってしてはいけないんだ」

と言うこともなく、ただ自分の横を通り過ぎただけだった。

先生が何故急に「責任を取れ」と言わなくなったのか判らない。

残念ながら気の利いたオチはこの話にはない。でも、責任の取れないことはするものではないとは学んだ。

あの時に感じた「責任を取る」という言葉が含む重さや怖さが今でも心に残っていて、この言葉を聞く度に身体が硬くなってしまう。

2013-08-18

Fラン大の入試ありがちなこと

・二択問題が大半。数学ですら二択

数学は九九が数題出題される

英語アルファベットの書き取りから

国語現代文)の比重が高い

社会科理科は…そもそも英国or英数以外の受験科目なし

入試自体が雨天中止→全員合格

・そもそも適切に出願できていれば入試に来なくても全員合格

2013-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20130711080103

横だけど

基本的な相続の決まりについて知らないのでは?これは中学校社会科で習った筈だけどなあ。

これって習ったけ?勿論常識として知っとかなきゃいけないことなんだけど、

ぱっと思い出して学校で習った記憶がないな。。。

民法とかってどこまでちゃんと習うもんなんだっけ?

少なくともテストとかのためにちゃんと覚えた、って記憶がないな(もう随分前だから忘れてるだけかもしれないけど)

くだらないナントカ工業地帯とかを漢字含めて必死に覚える暇があったら

こういった民法とかちゃんと勉強したいよね。。。とふと思った。

2013-06-23

入場券

投票所入場券を投票券だと思ってる人がまだまだ多いね

あんなの無くても投票できるのに。

高校の社会科公民?)で選挙の仕組みと公選法を教えるべきじゃないのかな。

参院は解散がなく3年ごと半数改選くらいは知れ渡ってるけど、

地方議員選挙区在住でないと被選挙権がないが首長国会議員選挙区在住でなくとも良いとか、

参院衆院の比例制度がどう違うかなど、知られてないことが多すぎる気がする。

2013-06-16

桑畑の地図記号より、メガソーラー地図記号新設する方が先だ。

http://anond.hatelabo.jp/20130616020650

あと、小4社会科教科書地図記号載ってたが、いまどき「桑畑」なんて地図記号、暗記する必要あるんかいな?

念のため、子供に「桑って、そもそも何なのか知ってるか?」と聞いてみたら「知らない」と言っていた。

そりゃそうだ、そもそも親である自分も桑を見たことがない。

今だと、桑の地図記号暗記するより、「メガソーラー発電所」の地図記号を新設する方が先決じゃないのか?

メガソーラー地図記号って、何だ?工場マーク発電所マーク

メガソーラー発電所マーク使うのって、極めて違和感あるからマーク新設すべきだと思うのだが・・・

不都合な真実」を教育しない、小学4年地域社会教科書

たまたま子供(小4)の社会科副読本明治図書出版の「わたしたちの東京都」という副読本を見てみた。

東京奥多摩檜原村が取り上げられ、「山間部なので農業林業が盛ん」と書いてある。

しかし、そのページに檜原村職業比率(国勢調査結果)も円グラフに載っている。

それによると、畑・林業に従事している人は、実はわずか3%しかない。

建設業が3%、工場勤務が10%、商店旅館勤務が28%、病院介護勤務が30%、その他が26%。

まり、「農林業が盛ん」と文章では書かれているが、円グラフを素直に読めば、

「農林業従事者なんて、マイナーニッチ存在」と読み解くしかない。

なのに、文章では

「畑仕事する人や、林業にたずさわる人が多いほか、建設業にたずさわる人や、商店旅館にたずさわる人が多いです」

と、円グラフ無視した解説が続いている。

確か、小学4年では、算数の授業で、円グラフの読み方も教わる筈だ。

となると、円グラフを素直に読んだ児童なら、

先生檜原村では、林業が盛ん、と書いてますが、でも円グラフを見たら、病院介護が多いんじゃないですか?」と

質問するんじゃないか

そうすると、先生はどう切り返しするのだろう?

円グラフでは「最多勢力」である病院介護は、文章解説ではひと言も触れられていない。

あんな山奥で、病院は成立しないんじゃないか?と思うから

恐らく、「都内では立地しづらい、特別養護老人ホームの類が、檜原村に集中している」のでは?と推察される。

東京都の福祉行政の歪みが、檜原村に現出してしまった観があるが、そのような「大人の事情」「不都合な真実」を、

小学4年に説明するのは、まず無理だ。

檜原村の「実態」(介護関係者最多)を教育せず、「農林業のどかな村」というステレオタイプな像を教育したい、という

教育者の建前論」は、まあ判らなくはないが、それだったら、「下手に円グラフなんか、載せなければいい」と思う。

今度、子供にこの辺の入れ知恵をして、先生の反応を試してみようか?

2013-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20130523202737

わかんない

いくらあっても足りない気がしてしま

そこを敢えて、「このくらいあればそこそこ安心できますよ」と誰かが言いきってあげないと

若いカップルの間で避妊の失敗以外の理由で生まれる子供の数は増えないと思う


家庭科だったか社会科の授業で、子供が一人いたら大学卒業させるまでに約ン千万円かかりますよ~大変ですね~

っての習ったじゃない

こんな不安を煽るような教育しといて、若者子供産まないとか言われても当然としか思えないんですよね

2013-05-17

ニセ科学小考

科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた

現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端科学から間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。

まりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識である標榜することだとひとまず僕は理解している。

科学的」であればすべて正しいと考えてしま市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。

後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています

科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。

ただ問題なのは、「科学から正しい」になってしまうことだ。つまりつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味科学への信頼の表れでもあるのだが。

実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である

しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育宿命かもしれない。

科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。

この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるもの認識、に近い。

こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学事実科学事実として生まれる、みたいなイメージ固定化されたら、"科学ベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ

教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから理想論ながら、理科教育科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程もっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。

科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学言葉を使うと、社会科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。

まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味重要なのはニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在日本ニセ科学のすべてが、科学者真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。

もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのとき科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学クーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。

ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。

そのためには、たとえば理科教育科学史科学哲学科学社会学エッセンスを加えてみるだとか、また理科時間に拘らず、国語社会科時間科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。

科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。

2013-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20130511121746

あんまりバカすぎてお前の将来が心配から少し説明してやるが、

会社資産よりも負債が超過して経営継続できなくなったら倒産するだけな。

今回の場合安全性偽装により重大事故が発生し本来なら経営が続けられず、そんな経営者を選んだ株主責任を取らせるために(株式価値が0になる)倒産させるべきものを、国民税金を投入して無理やり存続させている状態な。

電気というもの需要が絶対にある安定した産業なので倒産させてもいくらでも買いたい経営したいと望んでいる企業や資金を出す金融機関なんでいくらでもいるの。

少しは資本主義経済勉強しような。社会科の時寝てたのか?

2013-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20130507112833

http://anond.hatelabo.jp/20130507112833

 成人としての責任が、今の男子は昔より10年くらい遅くなってるっていうのは非常に賛同。

 で、それ以外の部分でチラッと気になったので追加記入。

 江戸時代町人男性のうち、4人に3人だか3人に2人が一生童貞だったんじゃなかったかな? 手元に資料が無いのですが、杉浦日向子さんがどこぞで書いていらしたはず。

 一方女性はほぼ全員(売り飛ばされる&強姦も含めて)生涯一度も性的経験が無いってことはほぼなかった。ぶしゃいくでも人数少ないから、それなりに需要がある。

 「結婚」という概念儀式があるのは武家武家のまねをできる金持ちだけで、町人は「一緒に住んでる」「あ、こどもができたから、夫婦ってやつ?」程度の認識

 家同士のつながり? 田舎から出てき二人にそんなものはないヨ。そもそも田畑なんて男の子ひとりしか継げないんだから、複数生まれた男子の残りは、土地所有なしの労働力としてなんとかしないと結婚どころか食い扶持もないんだし。

 働き口は女性もあって、飯炊き女だけじゃなく、レンタルふんどしふんどし洗濯する、旦那が売りさばけなかった野菜料理して惣菜を売る、などなどサービス業ならばやれることは結構あったらしい。

 だから男と暮らしてもいやなら出て行ってどうにかなっちゃったりする。

 一方こどもをたくさん生むのはたくさん「こどもが」死ぬから七五三が「その年までしななかった=あとは割りと長く生きられる」っていうお祝いなくらいだからね。3歳=数え年から今の2歳だからね。

 あと成人してもポコポコ死ぬのは病気や怪我が治らないから。風邪肺炎コース=死亡だったらすいし。特に町人と農民、貧乏士族も。戦争が無くても平均寿命50をなかなかこえられなかった、ってのは中学とき社会科先生が言っていた。

 で、江戸時代女がこどもを早く生むって話にもどると、

・男は12~15くらいで一人前になる

町人or農家の次男以下だったら賢くても12くらいで丁稚奉公に出る

・次男以下っていうけれど、子沢山だから次男以下のほうが多い。

仕事がデキても、嫁もらえるとは限らない

・男は金がなければ一生童貞もあり

乳幼児はポコポコ死ぬ

医療が受けられなくて、インフルエンザ流行ればポコポコ死ぬ、怪我でもポコポコ死ぬ

っていう時代背景もあったわけで。

 江戸時代例にだす男の人は、そういう社会でオトコとして生きてみたいのかな~って毎度のことながら思うわけです。はい

 

2013-03-08

理系文系の本当の違い

タイトルはやや釣り。既に皆が知っているような事を、ちょっと別な言葉でもう一回書くだけ。

一応最初自己申告すると、筆者は理系を自負している。

 

違うのは興味の対象

いきなり結論を書くと、これ。

理系事象や物それ自体に興味を抱き、人間同士の営みについてはあまり興味がないが、文系は基本的に人間中心主義で、人間関係に強く関心を寄せる。

興味というと話が限定的になるので、世界の捉え方と言ってもいいかもしれない。

理系は、まず銀河の中に太陽系がありその中の地球と言う惑星に棲む様々な生物のうちの一つが人間、というように、自然科学的な世界の枠組みの中に人間社会があると考える。物事の本質はそれ自身の持つ法則や性質にあり、人間がそれに与える意味は付随的な物と考える。

一方文系は、まず人間社会がありその中の一団が天文学を発達させ太陽系銀河の有り方を発見した、というように、人間社会の枠組みの中に様々な知識や発見があると考える。人間社会に置いて物事がどのような意味を持つか、それこそが物事の本質であると考える。

どちらの見方もそれぞれに真理であり、当然ながら優劣をつけるような種類の事ではない。

筆者は子供の頃、理科はとても好きで教科書を隅々まで読んだりしたが、社会科殊に歴史現代社会には全く興味を感じなかった。基本的に社会科人間同士の営みの話だからである歴史の授業で出てくる○○の戦いやら××革命やらも全て、「ある時代のある場所人間同士が喧嘩した」というだけのことに見えて、個別に細かく眺める意味がさっぱり分からなかった。それに比べると理科の知識は、一つ覚えるごとに一つ新しい世界が広がるような気がしたものだった。

現在ではその頃よりもう少し歴史面白さが分かるつもりではある。

興味が違うとどうなるか

興味が向かう方面に関しては努力も苦にならず、能力が伸びる。その結果、理系は物事に入れ込むオタク気質に、文系人間関係に強いリア充になる。

逆に、興味がない分野のことについては、アプローチが下手になる。理系は、新しい知識や発明品が、人間社会においてどんなカードとして使えるかまで、気が回らない。ただその物の新奇さやスペック凄さを言うばかりで、それが金や権力にどう変換し得るか、その発見で喜ぶのは誰で困るのは誰か、そういう政治ビジョンが乏しい。文系からすれば酷くどうでもいい事に拘って人間関係を悪化させたり、他者の発言の裏にある感情政治的動機が読みとれずに見当違いな反応を返したりする。

一方文系は、人間関係の中でのみ有効方法を、それ以外の分野にまで当てはめようとして、おかしな話に引っかかってしまう事がある。例を挙げれば、自然現象相手に取引やお願いをしてみたり(「願えば叶う」式ライフハックなど)、自然に起こった出来事に誰かの作為を求めたり(ID論など)、人間価値観で物事の因果関係まで推測したり(水伝など)、と言った調子だ。最重要事項が良好な人間関係政治的な強弱関係であり、知識や情報はそのための道具にすぎないので必ずしも正確さは必要なく、より人を動かせる話に食いつく。

 

断定的に書いたが、実際は大抵の人間理系の心と文系の心を両方持ち合わせており、割合に個人差があるだけである。その割合も、置かれた環境や心理状態によって変化するであろう。

興味の方向性から、それぞれ理系分野・文系分野に進む傾向は有るかと思うが、当然当てはまらない人も多く居るだろう。

筆者は文系の心がやや乏しいため、文系の描写にはズレた点が多いかもしれない。

ツッコミ歓迎。

2013-01-23

桜宮高校の中に俺がいたらどんな気持ちになるか考えてみた

学生時代の昔語りをしてはいけないと言われているから、匿名で書く。

俺は小中学校通じていじめられっ子で、毎日他の生徒に引っ叩かれ、学ランには毎日スリッパの跡がつくような楽しい学校生活を送っていました。部活動は体育系に強制加入で、そこでもサンドバッグでした。首の神経がどうにかなる寸前だった時は、加害者の方が自宅にニヤニヤしながら謝罪に来てくれましたが。でも、すぐに元の状況に逆戻りでしたね。

体育会系の教師が生徒指導役割を担って体罰を加えて統治することは、昔はけっこうザラにあったと思うんですよ。俺はエリートが集う運動部に加入していたわけじゃないけど、桜宮高校で行われていたことが「あるある感」とともに過去記憶を蘇らせるくらいの実感があります

桜宮高校体罰事件となんで体罰いけないかとか自主性とか

http://anond.hatelabo.jp/20130122033549

その支配の構造は上記の記事と、そのブクマにある「自主性=言われなくても俺の思う通りに動け」のとおりだと思うのです。剣道部出身社会科先生担任だったけど、気に食わないことがあると授業を中断して職員室に帰っちゃうわけです。それが5回に1回はあるわけですよ。それをねー、いじめられっ子学級委員長の俺が「お願いですから帰ってきてください!」と三文芝居しなきゃいけないんですよ!俺を殴っている態度不良な生徒の不始末を抱えて、こんな幼稚な教師の筋書き通りにいい子を演じるのは耐えられないけど、そういうもんだと思ってやってました。「いい子」だったから。それが役割だもん。

大津いじめ問題でも同様のことを感じたんだけど、「学校を治める」ことは「生徒を健全な状態に保つ」こととは全く別の問題なんですよね。あたりまえか。生徒に対してプレッシャーを掛けて正しい指導をしていると思っている人が、現実を解決してくれるわけではないのです。

体罰問題】大阪市桜宮高校の生徒・OBの声 まとめ - Togetter

http://togetter.com/li/443238

 

学校の中で発言力が高い生徒が何の疑いもなくこういうことを言ってしま環境の中で、俺がいじめターゲットにされていたら、マジでやばかったんじゃないかと。学校教育方針とそれに同調する生徒が甘ったるい美学で包囲する世界じゃないですか。生徒同士の「指導」がひとつ機能として認められかねない環境ですから体罰いじめ運動部だけの問題に収まっていたとはとても思えないんですよね。

もし、俺が桜宮高校の中にいたら、あの過去よりもさらに深い絶望に陥っていただろう。もし、桜宮高校で「攻撃してもよい生徒」になったとしたら「俺をこの地獄から一刻も早く救ってくれ!」と祈ったよ。

橋下の政治手法がどーだこーだと言う人がいます学校圧力を掛けているだの、入学まで止めなくても、過去体罰を容認していただろとか、大人の責任子供押し付けているだの。そのとおりだと思います普通科への看板の掛け替えをしただけ、とも言われます根本原因を解決していない。全くそのとおり。仰せのとおりでございます

だけど、俺が追い詰められて死ぬ生徒の立場なら、そーんな政治や中・長期的な視野なんて、ク・ソ・ど・う・で・も・い・い!!こんなアホだらけの学校に自浄作用や自主性を促されて、平和環境がいつできるの?つーか、殴られ続けている最中にそんなことを周りから聞かされたら、さら絶望してビルの屋上に足がススム君だわ。

殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間じゃないんです。殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間でいなければならないからこそ絶望するんです。ミソもクソも一緒にして、生徒の自主性だの、大人が子供を騙しただの、なんていうロジックで、自殺したキャプテンTogetterに出てくるような糞餓鬼ひとつカテゴリに入れている場合か?何よりも優先して救うべきなのは、今暴力に押しつぶされようとしている生徒だろ?

この糞餓鬼共にキチンとした人権意識を持たせたり、学校に行動を改めさせるのは、乱暴に言うと今すぐじゃなくていいんです。まず、手を出せない環境を作ること、手を出したら損をするという状況を作ることです。優先順位を誤って対策をすれば、初動で効果的な対策が延び延びになるだけですよ。まず初動、そのあとで誤った教育を行わないシステムの改修をするべきです。初動対策が終わったら、視野を広げて考えればいいし、むしろそうしなければいけません。そこで初めて、生徒というカテゴリを前提とした一般論必要になるのだと思います

順序が違うのが純情、なんて歌った人もいますが、純情さを抱えているがゆえに誤った選択をしたくないものですね。

2012-08-27

彼女欲しい。高望だってことは認める

30歳サラリーマン

彼女が欲しい。

求めるのは下記スペック

高望だってことは理解してる。

デブは論外

単純に容姿の問題と、だらしないっていうイメージ

160cmないのに60kg以上はぽっちゃり系ってよかデブだと認定してる。

テレビネタをふらない女

俺がテレビを見ないから、テレビの話題とか振られても困る。

ヒップホップ好き、レゲエ好きではないこと

ヒップホップにもレゲエにも恨みはないが、なぜかヒップホップ好きの女、レゲエ好きの女は刹那的な思考してて合わないという印象。

ロック好きは認める。むしろ好印象。

ジャニーズ好きは出来れば避けたい。

だって、俺がああいうのコンプレックスなんだもん。

高校レベル社会科の知識

高卒だっていいけど、高校レベル社会科の知識がないと、話がすごく面倒くさい。

困るだろ普通に

年収400万以上

あんまり収入だとやっぱATM扱いされてるみたいで嫌だ。

そもそも、金持ち金持ち同士、貧乏人は貧乏人同士のほうがいいと思うんだ。

俺にとって贅沢が彼女にとって当然だったり、その逆って嫌だし。

財布が一緒になった時に「どっちが稼いだ金だ」「使ってるのはどっちのほうが多い」等々で揉めたくないし。

体の相性

やっぱ重要じゃね?

床上手な処女とまで贅沢は言わない。

どのくらいの頻度で、どんなふうにするかとか。

年齢

自分プラス3歳くらいまで。

下は二十歳までオッケー

悪口を言わない

なんで女って悪口と噂話ばっかなの?

2012-06-08

勉強が何の役に立つのかを全力で考えた。

前置き

先日、はてブホッテントリにこんなブログがあった。

ブコメだとネタマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。

それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、

「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」

というものだった。

で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。

上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。

勉強が役に立つ職業

『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールド仕事だと思う。だから勉強が役に立つ職業説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。

数学物理

建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理化学工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学経済学生物学などほぼすべての研究統計必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニアプログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くもの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。

物理には数学必要なのでまとめた。

化学生物学

ガソリンスタンド店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省経済産業省など。農薬、食品添加物産業廃棄物基準をきめたり色々)、医者看護師獣医畜産家、農家栄養士薬剤師保健師衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。

生物学には化学必要なのでまとめた。

英語

海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。

国語

翻訳家記者作家漫画家企画職、コピーライター検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェア利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。

自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。

自分はそういう職業にはつかないよという人へ

さて、この職業リストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。

家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。

この説明子どもを説得するに足りるか?

答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。

学力必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業一定数存在する。土木作業員コンビニ店員居酒屋店員、服屋の店員料理人バス,タクシー,トラックの運転手、芸人音楽家デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベル学力があれば学校勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力必須でない職業につくのが、学力必須仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力必須仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者多忙だし、貧困生活を送るポスドク研究者もいる。社長政治家より、責任のない立場人間のほうが気が楽かもしれない。

マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。

もう一度、勉強意味を考える

日本人みんなが勉強しなかったらどうなるだろう?

簡単だ。ほぼすべての仕事仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。

そもそも、学校勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやす人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明とき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。

このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。

勉強自分でやるより他人やらせるほうが得なことを踏まえると、自分勉強しないけど人には「勉強しろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命神秘すら感じる。

勉強は人にさせるには

自分でやるより他人やらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。

勉強をしている人間をほめる

子どもには勉強しろと言いつつ、官僚馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子ども勉強尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。

また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。

周りに勉強をよくしている人間を増やす

人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分勉強していることに対する疑問も持ちにくい。

勉強の質を上げてやる。

誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法テキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い

志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。

勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。

勉強をしてる人間に対してより多くの対価を支払う。

給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術お金を払うのも大切だ。消費者キャッチコピー広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社キャッチコピー広告制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。

人を勉強させるのに手っ取り早い方法

それは自分勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。

勉強の役立て方

勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベル数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。

勉強の新しい役立て方

 勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷だってテレビだって洗濯機だってパソコンだってFaceBookだってスマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。

有名な動画Did you knowによると2010年需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。

勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。

学校勉強面白くない

これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。

正直、学校勉強の質はさほど高くないと思う。歴史もっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータスお前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカアフリカ東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。

それでも、詰め込み教育ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。

自分詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率3.14計算することは小数筆算能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。

学問進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。

学校勉強以外も方法はある。

個人的意見だけど、学校勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分学校勉強より、プログラミング勉強してゲームとかつくってた。それは学校勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系会社就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。

まとめ

ちょっと長くなったのでまとめる。

自分が考えた勉強意味はこんな感じだ。勉強意味考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強意味は多い方がいい。一人の人が勉強意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。

2011-12-09

まあしかしアレですよね、早川センセが火山噴火については「逃げるかどうかの判断は個人に委ねられるべき」的な事を言ってて、

じゃあ逃げなかった人には何らかの支援がなされるべきだと考えているのかどうか分からなかったのですが、

ふくいちがぽぽぽぽーんした後の言動を見るに、逃げない人に対しては切断処理ぶちかまして呪詛を投げかけてOKてことですよねアレ。

もしくは、言い訳会見をみるに、逃げさせる為にはオウム呼ばわりしようとドンだけ脅そうとOKてことですよね。

水伝を信じるなと指図するな、というた口で自分はそれですか、どのみち全く個人の意思を尊重するだの何だのといった発想ゼロですねあのひと。

なんかもう国語社会科の成績が悪い僕ちんは「パネェっス」としか言えません

2011-11-20

自衛隊便利屋

除染自衛隊便利屋扱い? 防衛省に波紋 「民間でも十分できる」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111120/plc11112000420000-n1.htm

自衛隊の任務は国民安全財産を守るためであって、便利屋では無い。

自衛隊の特徴は、初動の「即応」と自己完結能力にあるのであって、この時期になってもはや除染自衛隊は必要無い。

恒常的に「放射性物質」を扱っている民間企業(例:東京電力原子燃料等)があり、常日頃から除染」を行っているのだから、既に自己完結能力の必要の無い今は、自衛隊を出す必要は無い。

一川保夫防衛相は18日の記者会見で「除染事業開始までに拠点場所(の除染)を早急にやるとすれば自衛隊能力が期待される。民間には難しい」

一川保夫防衛相は、自ら「素人」発言をしていなかったか? 素人なら自衛隊の活動に口出すな。

確か、同防衛相は、国賓宮中晩餐会よりも、自分政治資金の方を優先した人だったな。

先日のF-15事故でも防衛省対応について

>「直後に(地元に説明に)行くべきだった。常に国民目線で物事を判断したいといってきたが、防衛省にそういう観点が浸透していない感じを受けている」

とか言っていたが、その防衛省のトップはいったいどこの誰だよ、と問いたい。

もっとも、某党の元総理大臣閣下小学校社会科で習うはずの自分自身が自衛隊の最高指揮官である事すら知らなかった閣下もいらしたからな。

あれだ。

きっと、この某党の防衛相は、愛すべき中華人民共和国様と南朝鮮様のために、まず最初厄介者になるであろう自衛隊を潰したいに違いない。

そして後々中華人民共和国国民」と南朝鮮国民」のために、日本を潰しにかかるのだろう。

着々と日本国に対する「最大ストレス試験」を行っているのだろう。

2011-08-31

それを言うならバカな奴こそ英語をやれ

http://anond.hatelabo.jp/20110831064251

英語教育だけど国語よりも社会科よりも物理よりも重要だと思う。それは現代を生きるための情報ソースという意味で。

日本メディアも、日本ネット日本語検索しても、ある分野では左、ある分野では右に偏向が激しい。

まり日本人が得られる情報というのは日本の状況、文脈、都合によって情報一定バイアスがかかってる。

それを、google.comで英語検索すれば、そのバイアスから逃れられる時代に幸運なことに僕らは生きている。

もちろん、英語には英語圏バイアス情報にかかっている。しかし、それは日本圏内の情報バイアス重力から脱出するには十分だし

英語圏は日に日に広がりを増していて、圧倒的に情報ソースの量と広がりが違う。

例えばCNNがKPOPの偏向報道を批判したというまとめサイトが話題になってる。もちろん大部分は、その英語の元記事を読まない。

要はそれすらも日本バイアスがかかっていて、そのCNNではなくCNNgoのそのページがどの程度の重要性を持つのか、単なるフリー記者コラムかということも分からないし

KPOPがアジア世界でどのような受け取られ方をしているのかを英語でググればずいぶん違った情報を知ることができるのに英語が読めなきゃできない。

まり日本語で都合のいい言葉でググって、都合のいいバイアスのかかり方をした情報しか受け取らない。だって、それしかできないかしょうがない。

バカな奴は英語なんて学ぶ必要ないというのは、愚民化政策そのものだ。英語を教えないことによってファイアーウォールを設けているようなものだ。

あるいは、フィリピン人は日本に対してどういう感情を持っているのかなとふっと思った時に、日本語ネット上を調べたってバイアスがかかりまくりだけど、

google.com.ph英語でググれば、中国に住むフィリピン人が語る中国フィリピン日本に対して持つ感情の違いについて書かれたこの記事をたまたま読んで

思ってもいない新鮮な発見があったりする。http://propinoy.net/2011/03/20/tohoku-earthquake-and-nipponophobia/

こんな些細なことだけじゃなくて、英語が読めるだけで視野が広がったり日本じゃ信じられない様々なリソースが利用できることがいくらでもある。

から、バカな奴に英語は必要ないじゃなく、バカな奴こそ英語をやれって言いたいし、かつての俺にもそれは正しかったよと言いたい。

英語ができれば金になる仕事になるといった金勘定ではなく、英語もしくは外国語ができるというのはものすごく人間の判断に広がりを持たしてくれるものだと思うし

日本圏の偏向報道偏向教育、偏向情報重力抗う武器として、外国語ネットが発達した現代において重要さをどんどん増しているように感じる。

あと、英語はもちろん外国語ができる人はもっと翻訳ネット上でしてほしいという希望がある。

もちろん、すでに色々と貴重な情報翻訳してくれる人がネット上にはいて、ものすごく感謝している。

翻訳というのは日本バイアスに包まれた人間の頭をぶち破ってくれる非常に重要ものだ。やはり母語で読めるというのは大きい。

いまメジャー翻訳サイトの大部分は「海外の反応」というジャンルにあたるものだが、これは結局「(日本に対する)海外の反応」という意味であり

海外日本のことどう見てるのかなという自意識日本アゲに用いられ、これもバイアスがかかっていることが多い。

純粋バイアスのかかっていない情報など存在しないが、僕らは日本バイアスという強大なものに否応なく囚われていて、破るべきバイアスというのはまずそれであり、

その日本バイアスを破るべくそれとは違ったバイアスがかかったものを持ってくることで盲点を探すしかない。盲点は気づかないが故に盲点なのだから

かつて必死に翻訳を行ったインテリが持っていたような日本バイアスに囚われていることへの危機感というのは、発展した日本に住む僕らには理解できない。

だけど、今でも、あるいはいつの時代でも、母国語バイアス、母国の文脈、都合、常識バイアスというのは存在している。

個人的に、もっと日本に対する反応以外の翻訳サイトが増えることを願っている。

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