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2013-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20130523202737

わかんない

いくらあっても足りない気がしてしま

そこを敢えて、「このくらいあればそこそこ安心できますよ」と誰かが言いきってあげないと

若いカップルの間で避妊の失敗以外の理由で生まれる子供の数は増えないと思う


家庭科だったか社会科の授業で、子供が一人いたら大学卒業させるまでに約ン千万円かかりますよ~大変ですね~

っての習ったじゃない

こんな不安を煽るような教育しといて、若者子供産まないとか言われても当然としか思えないんですよね

2013-05-17

ニセ科学小考

科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた

現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端科学から間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。

まりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識である標榜することだとひとまず僕は理解している。

科学的」であればすべて正しいと考えてしま市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。

後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています

科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。

ただ問題なのは、「科学から正しい」になってしまうことだ。つまりつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味科学への信頼の表れでもあるのだが。

実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である

しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育宿命かもしれない。

科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。

この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるもの認識、に近い。

こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学事実科学事実として生まれる、みたいなイメージ固定化されたら、"科学ベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ

教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから理想論ながら、理科教育科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程もっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。

科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学言葉を使うと、社会科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。

まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味重要なのはニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在日本ニセ科学のすべてが、科学者真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。

もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのとき科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学クーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。

ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。

そのためには、たとえば理科教育科学史科学哲学科学社会学エッセンスを加えてみるだとか、また理科時間に拘らず、国語社会科時間科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。

科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。

2013-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20130511121746

あんまりバカすぎてお前の将来が心配から少し説明してやるが、

会社資産よりも負債が超過して経営継続できなくなったら倒産するだけな。

今回の場合安全性偽装により重大事故が発生し本来なら経営が続けられず、そんな経営者を選んだ株主責任を取らせるために(株式価値が0になる)倒産させるべきものを、国民税金を投入して無理やり存続させている状態な。

電気というもの需要が絶対にある安定した産業なので倒産させてもいくらでも買いたい経営したいと望んでいる企業や資金を出す金融機関なんでいくらでもいるの。

少しは資本主義経済勉強しような。社会科の時寝てたのか?

2013-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20130507112833

http://anond.hatelabo.jp/20130507112833

 成人としての責任が、今の男子は昔より10年くらい遅くなってるっていうのは非常に賛同。

 で、それ以外の部分でチラッと気になったので追加記入。

 江戸時代町人男性のうち、4人に3人だか3人に2人が一生童貞だったんじゃなかったかな? 手元に資料が無いのですが、杉浦日向子さんがどこぞで書いていらしたはず。

 一方女性はほぼ全員(売り飛ばされる&強姦も含めて)生涯一度も性的経験が無いってことはほぼなかった。ぶしゃいくでも人数少ないから、それなりに需要がある。

 「結婚」という概念儀式があるのは武家武家のまねをできる金持ちだけで、町人は「一緒に住んでる」「あ、こどもができたから、夫婦ってやつ?」程度の認識

 家同士のつながり? 田舎から出てき二人にそんなものはないヨ。そもそも田畑なんて男の子ひとりしか継げないんだから、複数生まれた男子の残りは、土地所有なしの労働力としてなんとかしないと結婚どころか食い扶持もないんだし。

 働き口は女性もあって、飯炊き女だけじゃなく、レンタルふんどしふんどし洗濯する、旦那が売りさばけなかった野菜料理して惣菜を売る、などなどサービス業ならばやれることは結構あったらしい。

 だから男と暮らしてもいやなら出て行ってどうにかなっちゃったりする。

 一方こどもをたくさん生むのはたくさん「こどもが」死ぬから七五三が「その年までしななかった=あとは割りと長く生きられる」っていうお祝いなくらいだからね。3歳=数え年から今の2歳だからね。

 あと成人してもポコポコ死ぬのは病気や怪我が治らないから。風邪肺炎コース=死亡だったらすいし。特に町人と農民、貧乏士族も。戦争が無くても平均寿命50をなかなかこえられなかった、ってのは中学とき社会科先生が言っていた。

 で、江戸時代女がこどもを早く生むって話にもどると、

・男は12~15くらいで一人前になる

町人or農家の次男以下だったら賢くても12くらいで丁稚奉公に出る

・次男以下っていうけれど、子沢山だから次男以下のほうが多い。

仕事がデキても、嫁もらえるとは限らない

・男は金がなければ一生童貞もあり

乳幼児はポコポコ死ぬ

医療が受けられなくて、インフルエンザ流行ればポコポコ死ぬ、怪我でもポコポコ死ぬ

っていう時代背景もあったわけで。

 江戸時代例にだす男の人は、そういう社会でオトコとして生きてみたいのかな~って毎度のことながら思うわけです。はい

 

2013-03-08

理系文系の本当の違い

タイトルはやや釣り。既に皆が知っているような事を、ちょっと別な言葉でもう一回書くだけ。

一応最初自己申告すると、筆者は理系を自負している。

 

違うのは興味の対象

いきなり結論を書くと、これ。

理系事象や物それ自体に興味を抱き、人間同士の営みについてはあまり興味がないが、文系は基本的に人間中心主義で、人間関係に強く関心を寄せる。

興味というと話が限定的になるので、世界の捉え方と言ってもいいかもしれない。

理系は、まず銀河の中に太陽系がありその中の地球と言う惑星に棲む様々な生物のうちの一つが人間、というように、自然科学的な世界の枠組みの中に人間社会があると考える。物事の本質はそれ自身の持つ法則や性質にあり、人間がそれに与える意味は付随的な物と考える。

一方文系は、まず人間社会がありその中の一団が天文学を発達させ太陽系銀河の有り方を発見した、というように、人間社会の枠組みの中に様々な知識や発見があると考える。人間社会に置いて物事がどのような意味を持つか、それこそが物事の本質であると考える。

どちらの見方もそれぞれに真理であり、当然ながら優劣をつけるような種類の事ではない。

筆者は子供の頃、理科はとても好きで教科書を隅々まで読んだりしたが、社会科殊に歴史現代社会には全く興味を感じなかった。基本的に社会科人間同士の営みの話だからである歴史の授業で出てくる○○の戦いやら××革命やらも全て、「ある時代のある場所人間同士が喧嘩した」というだけのことに見えて、個別に細かく眺める意味がさっぱり分からなかった。それに比べると理科の知識は、一つ覚えるごとに一つ新しい世界が広がるような気がしたものだった。

現在ではその頃よりもう少し歴史面白さが分かるつもりではある。

興味が違うとどうなるか

興味が向かう方面に関しては努力も苦にならず、能力が伸びる。その結果、理系は物事に入れ込むオタク気質に、文系人間関係に強いリア充になる。

逆に、興味がない分野のことについては、アプローチが下手になる。理系は、新しい知識や発明品が、人間社会においてどんなカードとして使えるかまで、気が回らない。ただその物の新奇さやスペック凄さを言うばかりで、それが金や権力にどう変換し得るか、その発見で喜ぶのは誰で困るのは誰か、そういう政治ビジョンが乏しい。文系からすれば酷くどうでもいい事に拘って人間関係を悪化させたり、他者の発言の裏にある感情政治的動機が読みとれずに見当違いな反応を返したりする。

一方文系は、人間関係の中でのみ有効方法を、それ以外の分野にまで当てはめようとして、おかしな話に引っかかってしまう事がある。例を挙げれば、自然現象相手に取引やお願いをしてみたり(「願えば叶う」式ライフハックなど)、自然に起こった出来事に誰かの作為を求めたり(ID論など)、人間価値観で物事の因果関係まで推測したり(水伝など)、と言った調子だ。最重要事項が良好な人間関係政治的な強弱関係であり、知識や情報はそのための道具にすぎないので必ずしも正確さは必要なく、より人を動かせる話に食いつく。

 

断定的に書いたが、実際は大抵の人間理系の心と文系の心を両方持ち合わせており、割合に個人差があるだけである。その割合も、置かれた環境や心理状態によって変化するであろう。

興味の方向性から、それぞれ理系分野・文系分野に進む傾向は有るかと思うが、当然当てはまらない人も多く居るだろう。

筆者は文系の心がやや乏しいため、文系の描写にはズレた点が多いかもしれない。

ツッコミ歓迎。

2013-01-23

桜宮高校の中に俺がいたらどんな気持ちになるか考えてみた

学生時代の昔語りをしてはいけないと言われているから、匿名で書く。

俺は小中学校通じていじめられっ子で、毎日他の生徒に引っ叩かれ、学ランには毎日スリッパの跡がつくような楽しい学校生活を送っていました。部活動は体育系に強制加入で、そこでもサンドバッグでした。首の神経がどうにかなる寸前だった時は、加害者の方が自宅にニヤニヤしながら謝罪に来てくれましたが。でも、すぐに元の状況に逆戻りでしたね。

体育会系の教師が生徒指導役割を担って体罰を加えて統治することは、昔はけっこうザラにあったと思うんですよ。俺はエリートが集う運動部に加入していたわけじゃないけど、桜宮高校で行われていたことが「あるある感」とともに過去記憶を蘇らせるくらいの実感があります

桜宮高校体罰事件となんで体罰いけないかとか自主性とか

http://anond.hatelabo.jp/20130122033549

その支配の構造は上記の記事と、そのブクマにある「自主性=言われなくても俺の思う通りに動け」のとおりだと思うのです。剣道部出身社会科先生担任だったけど、気に食わないことがあると授業を中断して職員室に帰っちゃうわけです。それが5回に1回はあるわけですよ。それをねー、いじめられっ子学級委員長の俺が「お願いですから帰ってきてください!」と三文芝居しなきゃいけないんですよ!俺を殴っている態度不良な生徒の不始末を抱えて、こんな幼稚な教師の筋書き通りにいい子を演じるのは耐えられないけど、そういうもんだと思ってやってました。「いい子」だったから。それが役割だもん。

大津いじめ問題でも同様のことを感じたんだけど、「学校を治める」ことは「生徒を健全な状態に保つ」こととは全く別の問題なんですよね。あたりまえか。生徒に対してプレッシャーを掛けて正しい指導をしていると思っている人が、現実を解決してくれるわけではないのです。

体罰問題】大阪市桜宮高校の生徒・OBの声 まとめ - Togetter

http://togetter.com/li/443238

 

学校の中で発言力が高い生徒が何の疑いもなくこういうことを言ってしま環境の中で、俺がいじめターゲットにされていたら、マジでやばかったんじゃないかと。学校教育方針とそれに同調する生徒が甘ったるい美学で包囲する世界じゃないですか。生徒同士の「指導」がひとつ機能として認められかねない環境ですから体罰いじめ運動部だけの問題に収まっていたとはとても思えないんですよね。

もし、俺が桜宮高校の中にいたら、あの過去よりもさらに深い絶望に陥っていただろう。もし、桜宮高校で「攻撃してもよい生徒」になったとしたら「俺をこの地獄から一刻も早く救ってくれ!」と祈ったよ。

橋下の政治手法がどーだこーだと言う人がいます学校圧力を掛けているだの、入学まで止めなくても、過去体罰を容認していただろとか、大人の責任子供押し付けているだの。そのとおりだと思います普通科への看板の掛け替えをしただけ、とも言われます根本原因を解決していない。全くそのとおり。仰せのとおりでございます

だけど、俺が追い詰められて死ぬ生徒の立場なら、そーんな政治や中・長期的な視野なんて、ク・ソ・ど・う・で・も・い・い!!こんなアホだらけの学校に自浄作用や自主性を促されて、平和環境がいつできるの?つーか、殴られ続けている最中にそんなことを周りから聞かされたら、さら絶望してビルの屋上に足がススム君だわ。

殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間じゃないんです。殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間でいなければならないからこそ絶望するんです。ミソもクソも一緒にして、生徒の自主性だの、大人が子供を騙しただの、なんていうロジックで、自殺したキャプテンTogetterに出てくるような糞餓鬼ひとつカテゴリに入れている場合か?何よりも優先して救うべきなのは、今暴力に押しつぶされようとしている生徒だろ?

この糞餓鬼共にキチンとした人権意識を持たせたり、学校に行動を改めさせるのは、乱暴に言うと今すぐじゃなくていいんです。まず、手を出せない環境を作ること、手を出したら損をするという状況を作ることです。優先順位を誤って対策をすれば、初動で効果的な対策が延び延びになるだけですよ。まず初動、そのあとで誤った教育を行わないシステムの改修をするべきです。初動対策が終わったら、視野を広げて考えればいいし、むしろそうしなければいけません。そこで初めて、生徒というカテゴリを前提とした一般論必要になるのだと思います

順序が違うのが純情、なんて歌った人もいますが、純情さを抱えているがゆえに誤った選択をしたくないものですね。

2012-08-27

彼女欲しい。高望だってことは認める

30歳サラリーマン

彼女が欲しい。

求めるのは下記スペック

高望だってことは理解してる。

デブは論外

単純に容姿の問題と、だらしないっていうイメージ

160cmないのに60kg以上はぽっちゃり系ってよかデブだと認定してる。

テレビネタをふらない女

俺がテレビを見ないから、テレビの話題とか振られても困る。

ヒップホップ好き、レゲエ好きではないこと

ヒップホップにもレゲエにも恨みはないが、なぜかヒップホップ好きの女、レゲエ好きの女は刹那的な思考してて合わないという印象。

ロック好きは認める。むしろ好印象。

ジャニーズ好きは出来れば避けたい。

だって、俺がああいうのコンプレックスなんだもん。

高校レベル社会科の知識

高卒だっていいけど、高校レベル社会科の知識がないと、話がすごく面倒くさい。

困るだろ普通に

年収400万以上

あんまり収入だとやっぱATM扱いされてるみたいで嫌だ。

そもそも、金持ち金持ち同士、貧乏人は貧乏人同士のほうがいいと思うんだ。

俺にとって贅沢が彼女にとって当然だったり、その逆って嫌だし。

財布が一緒になった時に「どっちが稼いだ金だ」「使ってるのはどっちのほうが多い」等々で揉めたくないし。

体の相性

やっぱ重要じゃね?

床上手な処女とまで贅沢は言わない。

どのくらいの頻度で、どんなふうにするかとか。

年齢

自分プラス3歳くらいまで。

下は二十歳までオッケー

悪口を言わない

なんで女って悪口と噂話ばっかなの?

2012-06-08

勉強が何の役に立つのかを全力で考えた。

前置き

先日、はてブホッテントリにこんなブログがあった。

ブコメだとネタマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。

それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、

「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」

というものだった。

で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。

上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。

勉強が役に立つ職業

『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールド仕事だと思う。だから勉強が役に立つ職業説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。

数学物理

建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理化学工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学経済学生物学などほぼすべての研究統計必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニアプログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くもの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。

物理には数学必要なのでまとめた。

化学生物学

ガソリンスタンド店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省経済産業省など。農薬、食品添加物産業廃棄物基準をきめたり色々)、医者看護師獣医畜産家、農家栄養士薬剤師保健師衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。

生物学には化学必要なのでまとめた。

英語

海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。

国語

翻訳家記者作家漫画家企画職、コピーライター検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェア利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。

自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。

自分はそういう職業にはつかないよという人へ

さて、この職業リストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。

家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。

この説明子どもを説得するに足りるか?

答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。

学力必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業一定数存在する。土木作業員コンビニ店員居酒屋店員、服屋の店員料理人バス,タクシー,トラックの運転手、芸人音楽家デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベル学力があれば学校勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力必須でない職業につくのが、学力必須仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力必須仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者多忙だし、貧困生活を送るポスドク研究者もいる。社長政治家より、責任のない立場人間のほうが気が楽かもしれない。

マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。

もう一度、勉強意味を考える

日本人みんなが勉強しなかったらどうなるだろう?

簡単だ。ほぼすべての仕事仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。

そもそも、学校勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやす人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明とき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。

このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。

勉強自分でやるより他人やらせるほうが得なことを踏まえると、自分勉強しないけど人には「勉強しろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命神秘すら感じる。

勉強は人にさせるには

自分でやるより他人やらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。

勉強をしている人間をほめる

子どもには勉強しろと言いつつ、官僚馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子ども勉強尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。

また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。

周りに勉強をよくしている人間を増やす

人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分勉強していることに対する疑問も持ちにくい。

勉強の質を上げてやる。

誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法テキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い

志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。

勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。

勉強をしてる人間に対してより多くの対価を支払う。

給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術お金を払うのも大切だ。消費者キャッチコピー広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社キャッチコピー広告制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。

人を勉強させるのに手っ取り早い方法

それは自分勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。

勉強の役立て方

勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベル数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。

勉強の新しい役立て方

 勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷だってテレビだって洗濯機だってパソコンだってFaceBookだってスマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。

有名な動画Did you knowによると2010年需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。

勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。

学校勉強面白くない

これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。

正直、学校勉強の質はさほど高くないと思う。歴史もっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータスお前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカアフリカ東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。

それでも、詰め込み教育ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。

自分詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率3.14計算することは小数筆算能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。

学問進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。

学校勉強以外も方法はある。

個人的意見だけど、学校勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分学校勉強より、プログラミング勉強してゲームとかつくってた。それは学校勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系会社就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。

まとめ

ちょっと長くなったのでまとめる。

自分が考えた勉強意味はこんな感じだ。勉強意味考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強意味は多い方がいい。一人の人が勉強意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。

2011-12-09

まあしかしアレですよね、早川センセが火山噴火については「逃げるかどうかの判断は個人に委ねられるべき」的な事を言ってて、

じゃあ逃げなかった人には何らかの支援がなされるべきだと考えているのかどうか分からなかったのですが、

ふくいちがぽぽぽぽーんした後の言動を見るに、逃げない人に対しては切断処理ぶちかまして呪詛を投げかけてOKてことですよねアレ。

もしくは、言い訳会見をみるに、逃げさせる為にはオウム呼ばわりしようとドンだけ脅そうとOKてことですよね。

水伝を信じるなと指図するな、というた口で自分はそれですか、どのみち全く個人の意思を尊重するだの何だのといった発想ゼロですねあのひと。

なんかもう国語社会科の成績が悪い僕ちんは「パネェっス」としか言えません

2011-11-20

自衛隊便利屋

除染自衛隊便利屋扱い? 防衛省に波紋 「民間でも十分できる」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111120/plc11112000420000-n1.htm

自衛隊の任務は国民安全財産を守るためであって、便利屋では無い。

自衛隊の特徴は、初動の「即応」と自己完結能力にあるのであって、この時期になってもはや除染自衛隊は必要無い。

恒常的に「放射性物質」を扱っている民間企業(例:東京電力原子燃料等)があり、常日頃から除染」を行っているのだから、既に自己完結能力の必要の無い今は、自衛隊を出す必要は無い。

一川保夫防衛相は18日の記者会見で「除染事業開始までに拠点場所(の除染)を早急にやるとすれば自衛隊能力が期待される。民間には難しい」

一川保夫防衛相は、自ら「素人」発言をしていなかったか? 素人なら自衛隊の活動に口出すな。

確か、同防衛相は、国賓宮中晩餐会よりも、自分政治資金の方を優先した人だったな。

先日のF-15事故でも防衛省対応について

>「直後に(地元に説明に)行くべきだった。常に国民目線で物事を判断したいといってきたが、防衛省にそういう観点が浸透していない感じを受けている」

とか言っていたが、その防衛省のトップはいったいどこの誰だよ、と問いたい。

もっとも、某党の元総理大臣閣下小学校社会科で習うはずの自分自身が自衛隊の最高指揮官である事すら知らなかった閣下もいらしたからな。

あれだ。

きっと、この某党の防衛相は、愛すべき中華人民共和国様と南朝鮮様のために、まず最初厄介者になるであろう自衛隊を潰したいに違いない。

そして後々中華人民共和国国民」と南朝鮮国民」のために、日本を潰しにかかるのだろう。

着々と日本国に対する「最大ストレス試験」を行っているのだろう。

2011-08-31

それを言うならバカな奴こそ英語をやれ

http://anond.hatelabo.jp/20110831064251

英語教育だけど国語よりも社会科よりも物理よりも重要だと思う。それは現代を生きるための情報ソースという意味で。

日本メディアも、日本ネット日本語検索しても、ある分野では左、ある分野では右に偏向が激しい。

まり日本人が得られる情報というのは日本の状況、文脈、都合によって情報一定バイアスがかかってる。

それを、google.comで英語検索すれば、そのバイアスから逃れられる時代に幸運なことに僕らは生きている。

もちろん、英語には英語圏バイアス情報にかかっている。しかし、それは日本圏内の情報バイアス重力から脱出するには十分だし

英語圏は日に日に広がりを増していて、圧倒的に情報ソースの量と広がりが違う。

例えばCNNがKPOPの偏向報道を批判したというまとめサイトが話題になってる。もちろん大部分は、その英語の元記事を読まない。

要はそれすらも日本バイアスがかかっていて、そのCNNではなくCNNgoのそのページがどの程度の重要性を持つのか、単なるフリー記者コラムかということも分からないし

KPOPがアジア世界でどのような受け取られ方をしているのかを英語でググればずいぶん違った情報を知ることができるのに英語が読めなきゃできない。

まり日本語で都合のいい言葉でググって、都合のいいバイアスのかかり方をした情報しか受け取らない。だって、それしかできないかしょうがない。

バカな奴は英語なんて学ぶ必要ないというのは、愚民化政策そのものだ。英語を教えないことによってファイアーウォールを設けているようなものだ。

あるいは、フィリピン人は日本に対してどういう感情を持っているのかなとふっと思った時に、日本語ネット上を調べたってバイアスがかかりまくりだけど、

google.com.ph英語でググれば、中国に住むフィリピン人が語る中国フィリピン日本に対して持つ感情の違いについて書かれたこの記事をたまたま読んで

思ってもいない新鮮な発見があったりする。http://propinoy.net/2011/03/20/tohoku-earthquake-and-nipponophobia/

こんな些細なことだけじゃなくて、英語が読めるだけで視野が広がったり日本じゃ信じられない様々なリソースが利用できることがいくらでもある。

から、バカな奴に英語は必要ないじゃなく、バカな奴こそ英語をやれって言いたいし、かつての俺にもそれは正しかったよと言いたい。

英語ができれば金になる仕事になるといった金勘定ではなく、英語もしくは外国語ができるというのはものすごく人間の判断に広がりを持たしてくれるものだと思うし

日本圏の偏向報道偏向教育、偏向情報重力抗う武器として、外国語ネットが発達した現代において重要さをどんどん増しているように感じる。

あと、英語はもちろん外国語ができる人はもっと翻訳ネット上でしてほしいという希望がある。

もちろん、すでに色々と貴重な情報翻訳してくれる人がネット上にはいて、ものすごく感謝している。

翻訳というのは日本バイアスに包まれた人間の頭をぶち破ってくれる非常に重要ものだ。やはり母語で読めるというのは大きい。

いまメジャー翻訳サイトの大部分は「海外の反応」というジャンルにあたるものだが、これは結局「(日本に対する)海外の反応」という意味であり

海外日本のことどう見てるのかなという自意識日本アゲに用いられ、これもバイアスがかかっていることが多い。

純粋バイアスのかかっていない情報など存在しないが、僕らは日本バイアスという強大なものに否応なく囚われていて、破るべきバイアスというのはまずそれであり、

その日本バイアスを破るべくそれとは違ったバイアスがかかったものを持ってくることで盲点を探すしかない。盲点は気づかないが故に盲点なのだから

かつて必死に翻訳を行ったインテリが持っていたような日本バイアスに囚われていることへの危機感というのは、発展した日本に住む僕らには理解できない。

だけど、今でも、あるいはいつの時代でも、母国語バイアス、母国の文脈、都合、常識バイアスというのは存在している。

個人的に、もっと日本に対する反応以外の翻訳サイトが増えることを願っている。

高校からは「英語」を選択科目としてはどうだろうか?

 高校から英語は選択科目の一つとして、興味のある人だけが学べる形とする。

これに伴い、センター試験受験科目から英語を完全に排除する。

以下に理由を述べる。

英語というのは、教養としては国語社会科よりも意義が薄い。思考の練習としては数学物理よりも意義が薄く、立ち位置がとても曖昧

大学職場英語が要求されるようなインテリジェントな作業をする人は全体の数%程度しかない。

日本での英語教育は現状、TOEIC業界英会話業界お金儲けにしかなっていない。

 ただし、英語が必要な人も全国民の数%は存在するのは承知している。

彼らには論文を読んだり、インテリジェントな作業をする為の英語チカラが必要だ。

 そこで、この弱点を補うために、

旧帝大の2次試験英語を必修にしておく。

そうすれば、

底辺大学学生英語をまったく勉強しない生き方大学に入れるようになる。

彼らは生涯、英語を必要としないのでこれで問題ない。

一方、旧帝大学生は2次試験英語を必ず受験しなければならない。

彼らは将来、論文の読み書きなどインテリジェントな作業をするのに英語が必要なので英語サボる事は許されない。

旧帝大を目指すインテリ層 = 英語は必修。

底辺大学を目指す非インテリ = 高校から英語は選択科目。受験でも英語は全く不要

 どうだろうか。

英語」を選択科目としても何の不都合もない事が分かる。

2011-08-02

日本外国人に乗っ取られたって別に構わないと思ってしま自分売国奴かもしれない。

ローマ帝国ゲルマン人の流入がなかったとしても、やっぱり滅んだと思う。

外国人に乗っ取られる!」

ネットで力強く叫ぶ人たちがいるけれども、まあ、このまま行くと外国人抜きに、どのみちこの国がゆっくり沈むような。

ローマ帝国場合自作農の没落、農奴化とかいうふうに説明されたりしたけど、その説明も間違ってはいないけど正解でもない気がする。

中流層が没落しなくたって、やっぱり滅んだと思う。

社会科の教師ってマルクスにかぶれてるからそういう説明が好きだけど。

とにかくとして、今の日本にあてはめて

「中流層が没落してるからいから、中流層を復活させよう!」

も間違いだと思う。

じゃあどうすればいいんだよってとこだけど、なるようになるというか、なるようにしかならんというとこじゃないだろうか。

あいいじゃん。

昔に比べたら日本人の顔付きだって体型だって生活様式だってずいぶんと変わったけど、別に気にならないじゃん。

イスラム教国になろうが、公用語英語になろうが、中国の一つの省になろうが、住めば都だよ。

2011-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20110706113730

じゃあ民主党もそれを菅に突きつければいいんだよな。

「菅は民意を反映してない! 解散して信を問うべきだ!」って。

から

・今更に政治的混乱を増してどうするんですか?

菅さんは軟着陸でおやめください

与党野党も言ってる。


これさっきも書いたはずなのに変だなとおもったら

でもそっから解散総選挙とかやってる場合じゃないってのが与野党共通の認識

から菅は「解散総選挙すっぞ」を盾に居座ってる

あれれー????wwww

っていうことを書いてる部分を引用して

なにが「あれれー????wwww」なんだ…

お前は自分が何言われてるかもわかってない馬鹿だと示してるだけ。


ついでに

じゃあ民主党もそれを菅に突きつければいいんだよな。

なんで民主党がんなことやるんだよ。

民主党与党なんだから総選挙したいわけねーだろ馬鹿

菅と心中はごめんだと思ってるよ。

(菅の後釜ってもう弾ないけどな)



以上明らかに!

お前は頭が糞悪い上に基礎的な知識が欠損しまくっているともうはっきりしてるので

煽りか抜き中学社会科テキストからやり直せ。な。

http://anond.hatelabo.jp/20110706110845

不信任案提出に限らずとも与党内部からも見限られてるから菅内閣は既に終わってんの

派手なことありでいいならいつでも倒される状態

でもそっから解散総選挙とかやってる場合じゃないってのが与野党共通の認識

から菅は「解散総選挙すっぞ」を盾に居座ってる


中学社会科からコツコツやり直せ、な

2011-04-14

高校を卒業して10年以上たって、高校でなにを学ぶかを考える

国語

現代文は楽しんで教科書を読み、論理学の練習だと思って問題を解くといいと思う。

古典は少しの単語力助動詞と助詞の解釈が分かれば得点源になるからいしい。

といっても、助動詞と助詞の解釈に重きを置く文法理論受験のため以外の何者でもない。

まらんし、別にそれで多言語を学ぶ役に立つわけでもないし

漢文趣味たいなもんかな。

嫌なら学ばなくても…

数学

やっとけ。数学的思考とかそんなんじゃない。単純に受験で確実にセンター試験で点が取れるというのはおいしい。

理工系だと微積、それ以外の学部に進む場合線形代数統計をよく使う。

ま、高校の時にそれを頑張ったからって使うときになったときに使いこなせるというわけでもないから、高校生にそれを言ってもしょうがないんだけど。

理科

選択で一科目なら物理だろうな。

数学が苦手だから文系って人には物理はきついかもしれんけど。

なんだかんだいって機械系、電気系は就職に有利な印象。

就職したけりゃ物理。そっちに進まなくても、点が取れておいしいか物理

相対性理論にのめり込んだりするのは誰しも一度は通る道。

麻疹たいなもの。

役にはたたん。

同じく誰しもがかぶれる量子論のほうはまだ分野によっては関わることがあったりするが、高校生はとにかく古典力学を叩き込むべき。

化学生物のほうが人生を楽しくすると思うけどね。

調理が楽しくなったり、スポーツが楽しくなったり。

社会科

選択科目じゃ世界史かな。

高校卒業程度の世界史知識は、普通に生活する上でないとあるとじゃかなり違う。

近代史をある程度知らないと、新聞ニュースを読んでも半分も理解出来ないと思う。

中学卒業程度の日本史知識ないすごーく困ると思うんだが、高校日本史はちょっと重箱の隅をつつきすぎてる感がある。

英語

これからの時代英語重要って言われるけどさ、必要に迫られてその気になってガツガツやらないとビジネスで使えるレベルはならないし

ある程度やっときメールのやりとりや英語記事をすらすら読める程度にはなれるとは思うが、それ以上はまた別の要因がないと無理。

どの大学、どんな学部受けるにも必要だから勉強はしとくべきだとは思うけどさ。

2011-03-15

震災

夫の精神状態がヤバイ。

特に原発関連ニュースを見ては「政府情報を隠してる!」「もうヤバイ、日本終わりだ!」とかぶつぶつ言ってる。

被災地からは遠い地方に住んでるから、もうちょっと落ち着いててもいいような気がするのに、エラい落ち方をしている。

理系脳で普段はもうちょっと数字とかシステムとか客観的に判断出来る人なのに、今回に限り反応がおかしい

これはどうやら「放射能恐怖症」なのではないかと思い始めた。

プチパニックになっていて、「ニュース政府発表なんて全部ウソだ!」といいつつ毎日テレビネットにかじりつく。

自分も昔そうだった。

年代の夫同様、もっとも教育熱心で洗脳熱心だった日教組教師に反核反戦反米をたたき込まれた。

原爆関連の映画とか写真とかドキュメントとか見せられまくり修学旅行ではお決まりの広島。資料館から出てきたときには立派なPTSD当時そんな言葉しらなかったし、診断されたわけでもないけど)。

ちょうどそのころ地元原発建設問題で揺れたり、米ソ冷戦核戦争間近とか言われたりしてたから、無駄想像力のたくましかった私なんぞ夜中に窓の外が火の海になる悪夢何度見た事か。小学生時代に不眠症になり。担任の先生にどうやったら眠れるか相談したした。今考えると矛盾している気もする。

もういい加減大丈夫になったかと思った高校時代に、やっぱりそっち系社会科教師に原子力爆弾の威力とかのビデオを鑑賞させられ、一人教室貧血起こしてぶっ倒れて恥ずかしい思いもした

あの当時こんな事故が起こってたら、本当に恐怖で心を病んでいたかもしれない。

職業柄(医者だ)いつまでも怖い怖いといってられず、勉強して知識もある程度身につけ、仕事普通に放射線扱うようになって私の場合は「放射能怖い」は自然にある程度は克服されたんだけど。知識が付いた分、そして夫が先にパニクった分、ある程度客観的に情報収集できている気がするけど。

災害なんてそれが自然災害だろうと人災だろうと防ぎきれるもんじゃない。

孫を抱えて地震倒壊家屋から逃げ出したおばあさんが、向こうから迫り来る津波絶望的に眺めたのと同様、私達が精神に異常をきたしかねないほどニュースを見て原発の事を心配しても、現時点で私達がそれに対して出来る事なんてほとんどない。何かあったらあったときにその対策を考えるのが関の山で、先回りして心配しても心を病むぐらいで良い事は一つもないんだよ。

そう言って夫をテレビネットから引きはがし、庭仕事なぞをさせたりしている。

2011-02-13

法律は怖い。みんなもっと真剣に考えるべき

ひまなので憲法判例憲法にかんする事件について裁判所が出した判断のこと、憲法というのは中学校社会科でさんざん習ったあのギョーギョーシイ条文です)をみていますと、何でこんなよくない判断が堂々と出るのかと、ふしぎに思ってしまうものがあります

一つにはポポロ事件というのがあって、大学生大学政治のことについて研究集会をしていたら、近くの警察の人が一般人のふりをしてその集会にもぐりこんだり、学生先生尾行ストーカーしたり、盗聴(!)したりして、何を考えているのか情報収集していたそうです(ちなみにポポロとは集会を開いたサークル名だそうです)。こりゃかなり怖いですよ。なぜ警察がそんなことができるのかわからない。

これについては、憲法に「第23条 学問の自由は、これを保障する。」という条文があるので、警察学問の自由を侵害しているということで、裁判になりました

しかし、裁判所は、くだいて言えば「政治集会は実社会政治問題研究であって、まじめに真理を研究する学問じゃないから、23条に当てはまらない。なので警察が活動していたとしても、憲法に反しない」と言いました

こりゃかなりひどいですね。大体、法学政治学という学問には、真理はないと言われているし、政治そのものを研究することが学問である、と言えるわけです法律政治だけじゃなくても、政治研究することが学問と言える分野はたくさんあります経済学社会学)。なのにそれを言わずに、「政治集会は実社会政治問題研究であって、まじめに真理を研究する学問じゃない」などと、誰が見てもトボけたことを言って、警察を勝たせました。これが最高裁判所裁判所の一番上で、最高のケンリョクを持っています)なのだから、あぜんとします。ちょっと考えれば、政治集会だって学問の範囲だと思い至るのに、警察を勝たせたいがために、考えないふりをして、その一歩手前で考えるのをやめているのです

憲法というのは、こういうとぼけた都合のいい判断が、判例100選などと言われて、権威のある書物に堂々と載っているような学問です

ちなみに、上の事件だと、学問の自由だけでなく、プライバシー権侵害にもなりますたかだか政治思想がどうのこうのというだけで、警察の人に尾行されたり、情報収集されたりするのでは、安心して生活も出来ません。あなたが誰にも見られていないと思っていることでも、この社会には本当はすべてお見通しということがあるようなのです。上の事件は、あなたには関係ないよその世界のことではないんですよ。言ってみれば、知らないうちにあなたの生活が(自室でやっていること、風呂トイレまで全て)全部見られていたにひとしいような事件なんです。「へー、そうなんだー」なんて言っている場合じゃありません。

どうしてこんな明らかに憲法違反なことが、この社会はまかりとおっているんでしょうか。みなさん、もっと真剣に考えてみてはどうでしょうか。

基礎科学好きは、多かれ少なかれ、変人奇人の集まりである。というか、変人奇人でないと、務まらない。そして、日本は昔から基礎科学に冷たい。そんなものが、何になるのか。そんなことしたって、食えないよ。はっきりとは言わないまでも、暗黙に社会がそういっている節があるのは、社会に敏感になれば枚挙に暇がない。しかも、変人奇人というのは、融通が利かないから、世間から疎外されると、折り合いをつけられずに怒り出す。大人しい人もいるにはいるが、たいていの人は怒っているのではないか。周りがポカポカした陽光の下で、法律や医術で順調に人を食っていて、社会でもそれが奨励される。そんなところで、独りだけ「自然対数の底の超越性の証明」などと格闘していても、今ひとつ満足が行かない。基礎科学ニコニコしているのは、生まれつき温和な性格な人で、ほとんどは、胃に穴を開けているのではないか

私も、そちらの方である。何だか世間がむかつく。もう「大人」だから、昔に比べたら我慢しているが、ときどき爆発しそうになる。あまり考えつめていると、ノイローゼになるから最近では開き直って、何事も自分に都合よく解釈し、元気があれば世間を変えてやろうなどと考えている。なに、人間は元々「自分帝国」の中で生きているものである。世間に合わせるというのが、考えてみれば異常な事態である自然社会では、「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」が正義であるし、自然たる子供の頃だって、思い出せばそんな感じだった。それが初期設定なのである社会規範を守るのは、仕方がなくてそうするのである。何も日頃から法律条文の精神を理解し、品行良くしている必要はないのだ。実害さえなければ、好きに考えていたっていい。あるときは、喧嘩も辞さない。

世間に言いたいことは、基礎科学という、変人奇人でなければ勤まらない分野があること、そうした分野が長いスパン社会根本部分を転轍(大転換)すること、金や時間といった短期的な価値ばかりに目を向けるな、ということ。

2011-02-12

歴史教育に関する提案

日本教科書第二次世界大戦記述が少ないって中韓は言うけれど、そもそも歴史の授業って中学も高校も、世界史日本史も、古代史でちんたらしすぎて一番理解が困難で時間をかけるべき、かつ現代社会常識ともいえる近代史現代史について割く時間が少なすぎる。

高校生歴史知識、社会科知識はムバラクムシャラフを混同するくらいのレベル

ナセルもサダトも知らない人が多い。

中東戦争が第何次まであるかもわかってないと思う。

から高校進学率が95%を超えていて義務教育化しつつあったけど、無償化したこの際、中高で一貫したカリキュラムにしよう。

現在カリキュラムだと、中学校中学校古代からやって中世近代で力尽きる。

高校は高校で世界史日本史古代からやって近代手前で力尽きる。

それをやめて、中学校世界史日本史でもいいけど)、高校は日本史ってふうにして、とにかく現代史までは世界史から日本史からかどちらか一方からでもいいから通して触れるようにしたほうがいいと思うんだ。

2011-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20110118130011

高校の必履修科目でさ

地理歴史:以下の2区分にわたって必履修。括弧内は単位

世界史A」(2)または「世界史B」(4)

日本史A」(2)または「日本史B」(4)または「地理A」(2)または「地理B」(4)

公民:「現代社会」(2)1科目または、「倫理」(2)と「政治・経済」(2)の2科目

受験に必要不要を問わず世界史は必修なわけ。

したがって、最少単位数でも

世界史A,日本史Aまたは地理A,現代社会の3科目は必須。

理系でも受験社会科をつかう場合、まあ国公立を受ける場合はほぼ必然だが、このうち一科目以上をBをとっとかないといけない。

理由はしらんけど受験校では現代社会よりも倫理政治経済を履修させる傾向にある。

したがって大半の受験校では3~4科目、少なくても一つは4単位(週4日授業または2学年にわたって週に2回授業)の科目を履修する。

世界史はAかBか選べるとはいえ、全員が必修してるにも関わらず、国民の知識レベルはこんなんだからまともに守られていたとは思えないんだが、必履修科目未履修問題が起きて以来、ちょんぼは出来なくなってるはず。特に公立高校では。

コース分けが分化するまえに、受験に必要ないが単位数として必要な科目は履修させたいから、どうしても1、2年は公民現代社会倫理政治経済)の授業数が増える。

他方、理科卒業だけなら実はあんまり履修する必要はない。

理科:「理科基礎」(2)、「理科総合A」(2)、「理科総合B」(2)、「物理I」(3)、「化学I」(3)、「生物I」(3)、「地学I」(3)のうち、「理科基礎」または「理科総合A」または「理科総合B」を含むたった2科目

国立理系クラスは科目数がとにかく多い。

これは新しい指導要領だけど、このまえまでのもほとんど一緒。

やっぱ社会科受験で使わなくても世界史は受けないとならなかった。

加えて理系物理化学生物はそれぞれⅡがあって、数学もⅠ,Ⅱ,Ⅲ,A,B,Cと教科書6冊あった。

http://t.co/4CnGTxp

社会科をまとめるのが理系なのか?

http://b.hatena.ne.jp/articles/201101/2253

テスト動画コメントで「社会をまとめる辺りが理系」というコメントがあったんだけど、そうなんだろうか。というか現代社会ってなんだ?と古い記憶を辿ってみたのでここに書き記しておく。

私と高校のスペック

・1学年1000人くらいの大きさの私立高校

・稀に東大合格する生徒がいるレベル

学科商業工業、体育など色々ある

普通科には文系理系のコースがある

・私は普通科文系だった

・2年から地理コースを専攻した

私が通っていた高校の社会科は、2年生から世界史日本史地理の中からひとつだけ選択し、それを元にクラス分けを行っていた。

世界史地理はそのまま2年間継続するが、現代社会日本史を選択した場合に3年の途中から突然現れる仕組みで、日本史だけだと思っていたやつは3年で腰を抜かすことになる。

文系では、数学など理系の授業は2年の1学期までで完了する。さらに理系の授業時間もかなり少なく、数Iで言うと教科書の30%程度しか習わない。もちろん数IIなんて存在しない。

その代わり国語などは芥川龍之介夏目漱石句読点の打ち方や漢字とかなの比率など文章構造を解析して、当時の心理状況を推測するなど興味深い授業もあった。また、2万字~3万字の書き取りの宿題が出される度に徹夜していたことも懐かしい。時々この話をすると、ネタだろ?とか夏休み宿題か?と言われるが、これは一晩の宿題だ。

みなさんの通っていた高校と比べてどうだろうか。

そんなわけで何が言いたいのかというと、

理系がこんなに文系の授業やってるの?

社会科が4つもあったらテスト勉強大変じゃね?

ということ。

追記など

分かりにくくてゴメン。

書き取りは漢字の書き取りで、年数回行われる全校一斉漢字テストの対策です

ついに謎が解けた!

5年ほど前の未履修問題ですね、もはや他人事なのですっかり忘れてました

2010-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20100603021903

その東京地方バックアップを受けるゆえに存在できるんだが。

何のインフラも市街整備もなしに、いきなりあちこちに港だの農地だの発電所だのができて、東京へと物資やら食糧やらエネルギーやらが勝手に運ばれてくるんだとでも思ってるの?

それに、限界集落に費やされるコストなんて知れてるがな。

小学校社会科からやり直せよ。

2010-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20100118114739

俺がセンター受けたのももはや10年前か…。

社会科倫理を選択したんだが、結構まじめに勉強したのに60点台だったなwww

あと国語が113点だったwww古文が50点中0点だったからな…。我ながら凄いと思った。

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