はてなキーワード: 内丸とは
あたりまくりだな
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13日09時42分頃地震がありました。
震源地は千葉県北西部(北緯35.7度、東経140.1度)で、
震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は3.5と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
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13日06時07分頃地震がありました。
震源地は青森県東方沖(北緯41.3度、東経141.6度)で、
震源の深さは約120km、地震の規模(マグニチュード)は3.5と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
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13日04時29分頃地震がありました。
震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は3.7と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
茨城県 震度2 日立市助川小学校* 笠間市石井* 東海村東海*
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震源の深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は3.9と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
★子供の社会科教科書を見ると、堂々と「吉野ヶ里遺跡」と「三内丸山遺跡」が載っていて、
激しく「ジェネレーションギャップ」を感じてしまった。
というのも、われわれ世代(40歳代)にとっては、吉野ヶ里や三内丸山は「ニュースの事象」であり、
吉野ヶ里の「発見」が1989、三内丸山の「発見」が1992。
当時自分は大学生ないし社会人で、これら遺跡は「ニュースで知った」ものであり、「教科書で知った」ものではない。
たぶん、今の40代より上の世代は、教科書でこの2つは習っていないはず。
なので、今の40代とか50代では、吉野ヶ里や三内丸山は「そもそも知らない」という人の方が多数派なんじゃないか?
これら世代で吉野ヶ里等を知っているのは、地元民または観光業界人または歴史マニア。
という訳で、
「遺跡が見つかるキッカケは、公共工事や商工業開発が多い」という「生きた授業」を子供相手に展開してやった。
★我々の世代は、せいぜい「登呂遺跡」を覚えておけば、事足りたと思う。
一方、今の子供の世代は、登呂遺跡以外にも吉野ヶ里とか三内丸山とか、覚えることが増えて大変だなあと同情してしまう。
吉野ヶ里とか、工業団地開発を計画しなかったら、遺跡は見つからなかった=教科書の記載も減ったわけでして。
・・・と書こうと思ったら、「登呂遺跡は、教科書によっては、記載を外しているケースもある」らしい。
子供の記憶容量は有限だから、教科書記載事項を巡る「競争」は激しく、スクラップ&ビルドも激しいらしい
・・・となると、おじいちゃんおばあちゃんが、孫を連れて静岡に行って、「これが有名な登呂遺跡だよ」と案内しても、
孫が「何それ?習ってないよ」という世代間すれ違いの悲劇が発生してしまう危険性がある。
※というか、実際静岡の人のブログを見ると「子供の教科書に載ってなくて会話すれ違い」報告有
★「一番歴史学習が大変だった」世代は、「1999頃に歴史を学習していた世代」じゃないか、という気がする。
あの頃は三内丸山も教科書に掲載されたうえ、旧石器時代の記載も「充実」していた。
→その後、毎日新聞のスクープで、旧石器時代の殆どが教科書から削除された
吉野ヶ里や三内丸山クラスの遺跡発掘のニュースが、この20年間聞こえてこない、
そのこと自体が「失われた20年」を象徴している。(公共工事激減と比例)
・・・或いはアベノミクスで、再び吉野ヶ里クラスのが見つかるか?
★登呂遺跡の件、もう少し調べてみたら、実は「登呂遺跡の教科書記載」そのものに「政治的な意義」があったらしい。
登呂遺跡発見の「政治的意義」とは、「日本書紀記載の年代以前に、東日本に稲作が伝わったこと」の立証。つまり「日本書紀の否定」
まあ、実際の学問レベルでは、日本書紀を否定する研究もされていたのかもしれないが、それが義務教育教科書に掲載されることがなかった。
義務教育には日本書紀や古事記が掲載され、子供は歴代天皇の暗記を強要された
つまり、「日本書紀・古事記・歴代天皇暗証の「偽歴史」を教育する」、そういうナンセンスな歴史教育は終了した、
そういう「歴史教育民主化・自由化」「もはや戦前ではない」のシンボルとして登呂遺跡が存在した。天皇の人間宣言と同趣旨
となると、直近の「登呂遺跡の教科書引退」の政治的意義は、歴史教育において「もはや戦後ではない」とアピールする効果。
登呂遺跡の「政治的役割」は、歴史的意義を終えた、ということなのかもしれない。
※GHQが必要以上に登呂遺跡の「意義」を強調するよう、教育介入したような気もする
★縄文時代、旧石器時代の存在は、日本書紀や古事記と真っ向対立。
多分、戦前の教育では縄文や旧石器時代は存在しないことになってた
だから、最大70万年前の旧石器時代の遺跡を発掘した「ゴッドハンド藤村某」などは、世が世なれば不敬罪になってたんじゃないかと心配する。
そもそも日本書紀や古事記の世界では、神がイザナギ・イザナミを作って、それから世界が出来た。
→多分、戦前は「恐竜の存在」は義務教育では認められなかったのではないか?
そう考えると、恐竜をモチーフとした「映画ゴジラ」は、イザナミ・イザナギの世界観を否定する恐竜をモチーフにした、ということで、極めて戦後的な気がする。
体重117キロから減量を重ねてやっと3桁時代の終わりが見えてきた…
明日はチートデイなので、死ぬほどピザを食う。デブでも流石にその量は…ってくらいピザ食う。
しかし、元々柔道をやりこんでいたので筋量には自信があったのだが
流石にこれだけ一気に絞り込むと、当然ながら筋肉も落ち始めるな…。
「いっそ、年内丸ごと増量期に当てて筋量増やしまくって半年くらいで一気にカット出した方が良いのか」
と悩み始めたが、有酸素と筋トレのバランス、それに栄養摂取量のバランスが難しい。
今は1200カロリー/dayくらいで、順調に体重は絞れているがこれほとんど筋トレ無駄になってる気もする。
つーか、プロテインと鶏肉でほぼカロリー使い切るので、炭水化物を摂取する余地がほとんどない。
必然的に常時ガス欠状態なので、高重量トレなんて結果が上がるはずもなく。
-15キロで、トレの最大重量は明確に落ち始めた。勿体無い…。
ぬー、まぁとりあえず90キロまで絞ってそこからまた再増量考える方向でいこうかな。
今別にスポーツやってるわけじゃねーし、無駄に筋肉つけても使い道ないし、見た目の方が重要だよな…。
いっそこのまま70キロ台くらいまで落としてキレッキレの身体を目指すか
しかし、筋肉の大きさと最大重量にもそれなりの魅力があるんだよなぁ…。悩む。