はてなキーワード: 岩田聡とは
「本田宗一郎」はマンネリで視聴者が激減した大河ドラマの再起をかけ、2056年に主演 田中誠人で大河ドラマとしては初めて経営者を題材として製作された。
「本田宗一郎」は世界平均再生回数1億回を達成し、見事に大河ドラマの人気は復活した。
この「本田宗一郎」を皮切りに大河ドラマで歴史的な日本人経営者を取り扱うようになり、2058年「Fun to Drive」(主人公:豊田章男)、2060年「トランヂスタラヂヲ」(主人公:井深大)、2063年「Direct」(主人公:岩田聡)と立て続けに経営者シリーズが製作し、ヒットを繰り返した。
しかし、2086年「太閤記」(主人公:永守重信)で人気は急落、以降停滞が続く。
そこで、2100年に再再起をかけ、「それってあなたの感想ですよね?」(主人公:ひろゆき)では、悪役を主人公とする新たなチャレンジを実質し、2ちゃんねるが社会にもたらした悪影響、賠償金を踏み倒すスキーム等、氏の起こした数々の問題を批判的に取り上げ、空前絶後の大ヒットとなった。
また、それを受け、没後Vtuber化したAIひろゆき君が名誉毀損でNHKを訴訟する事態に発展し、世界初のAIが原告となる裁判が開かれることとなり、ドラマ内外で話題を呼んだ。
俺の言うことを信じるな。
あと一つは?
どうしても「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」ってタイトルが気に入らねえんだよ俺は
そもそもSPECIALってなんだよ
なんで任天堂は統一感皆無な言葉を毎回スマブラにくっつけたがるんだよ
素直に12345っていう風に番号を振れよ
後から振り返った時に統一感がねえなコイツってなってるだろうが
どれがどれだかわけわかんねえだろ
せめて番号を付けたうえでなんかそれっぽい副題をつけろ
英語版だとなぜか「Super Smash Bros. Ultimate」になってる
Ultimateってなんだよ
SPECIALですらねえじゃねえか
それ変える必要あったのか?
任天堂のこういう細かい気遣いしてるつもりの余計な気遣いが嫌い
英語圏の人間とスマブラの話しようとしたらお互い途中で?ってなっただろうが
マリオルイージピーチあたりはまあまあ世界共通だけど他の連中は全然違う名前になってる
たとえば英語版がこれ
キノピオ=Toad
クッパ=Bowser
クリボー=Goomba
ノコノコ=Koopa Troopa
ハナチャン=Wiggler
Bowserってなんだよ
俺の友達にもそんな名前の奴はいねえしそもそも俺には友達がいねえわ
任天堂作品のキャラっていかにも「私たち世界共通言語ですが?」みたいな顔してる連中ばっかだけど
世界共通言語になってるのは見た目だけであって名前は全然世界共通語じゃねえからな
むしろローカライズのし過ぎでごちゃごちゃしててわけがわからんわ
https://ameblo.jp/comic1993/entry-12141978691.html
この有り様だよ
同じようにローカライズしまくりのディズニーピクサーと任天堂の一番の違いはここなんだよ
ディズニーピクサーはローカライズしても映画のキャラの名前は変えたりしないだろ?
そういうところが任天堂がいまいち世界の共通言語になれない所なんだよ
でもディズニーピクサーも映画のタイトルはローカライズして変えることあるからあいこだと思う
とにかくだが
任天堂のキャラって世界展開してるくせに世界共通言語感が無さすぎるし
むしろ通じないことの方が多すぎんだよ
ABADANGOとかHARASENの方がよっぽど通じるわ
そもそも宮本茂も海外では宮本茂じゃなくて茂宮本になってるからなぁ
もういちいちナメェひっくり返す慣習やめろよめんどくせえ
あとポケモンに対してもう一つ思うところがあるんだけど
もう最初からポケットモンスターっていう名前で通せばよかったんちゃうんか?
PokemonじゃなくてPocket Monsterでよかったろ?
サウスパークでチンポコモンだのなんだの言われてバカにされても
ポケットモンスターで貫き通せば隠語の方じゃなくてゲームの意味が主流になってたろ絶対
言葉の意味を塗り替えるのに十分な影響力を持ったろうに勿体ないことしたよホント
歴史的汚点だわ
そういうところが任天堂なんだよ
mur2 確かにスマブラ64、スマブラGC、スマブラWii、スマブラ3DS、スマブラWiiU、スマブラSwitchでいいよな。
採用です
山内博の言葉だか、岩田聡が山内博に言われた言葉だったか、詳細は覚えていないがこんなことを言ってた気がする。
面白い娯楽とつまらない娯楽を並べたら、つまんない娯楽なんかいくら安くたってやらないだろ?」
と。
その一方で、勝ったら総取り、負けたら全てを失う、そういう厳しさについても山内博は語ってた。
ここでいう勝ちとか、負けとかは、売り上げの問題であって売り上げの問題ではない。
勝ち負けとは、一番面白いものをつくれるかどうかで決まるのだから、勝ち負けはあとからついてくるものなのだ。
いくらでも、簡単な例でいえばガチャにでも手をだせばいくらでも稼げた。
子供から大人までレアポケモンを求めていくらでも課金しただろう。
Amazonが稼ぐ気になればいくらでも稼げるのに、資金の回収には目もくれずに拡大路線を続けるのと同じだ。
任天堂は、自社が今やるべきことは稼ぐことではなく、面白いゲームを作ることだとわかっていた。
必要なのは、面白いソフトを作ることであって、そのために必要な資金さえあればよかった。
何度、「任天堂は終わった」と言われ続けただろうか。
スーパーファミコンの次世代機が遅れ、プレイステーションに天下を奪われたとき。
だれもがこれからは大容量の光ディスクの時代だと思ったのに、ニンテンドウ64はROMカセットにこだわり続けた。
実際、メモリーカードは快適ではなかったけれど、大容量が実現した美麗な映像に人々は流れていった。
ゲームキューブがプレイステーション2の勝負にもならなかったとき。
でも、プレイステーション2の、現行機種(プレイステーション)との互換性、DVDプレイヤー機能としての機能はお買い得すぎた。
それでも任天堂は生き残った。
何度でも生き残れる自信があったと思う。
何度でも挑戦できるだけの現金と、どこよりも面白いゲームを作れる自信があったからだ。
売るときがくるとしたらは、任天堂が出したゲームをつまらないと感じた時だ。
「品質がいいだけじゃ売れない、重要なのはマーケティング、ブランディング」
なんて言うコンサルたちはなにもわかってない。
いいものさえ作れれば、いつかは浮かぶ。
それが全てだ。
今後も、何度となく「こんどこそ任天堂は終わった」と言われ続けるだろう。
そう信じている。
続き
なにかの拍子に
「数学とか物理が1番簡単じゃん。1番教科書薄いんだから。社会科の科目とかって字も細かいし、多いし、まとまってないし、」
と言ってたことがある。
彼にとってはそうだったんだと思う。
自分も、理数系の科目ではたびたび全国模試で偏差値70くらいはとっていた。
偏差値70といえば、上位5%以上なので、ある種の陶酔感があったし、数字の神秘を感じたような気がした。
でも、彼と話すと自分の感じてるそれは違うのだと思い知らされる。
成績の問題ではない。
「数学を使いこなして、いい点を取って、偏差値70、俺sugeeeeeee!数学楽しい!」
と思ってる横で、
「数学とか物理って電卓みたいなもんでしょ。ちょっと慣れれば誰でも使いこなせる」
という風な態度にハッとさせられる。
彼は、スマートフォン教室に通う老人をみるような、不思議な気分で皆をみていたに違いない。
しかし、彼は彼で、楽しそうではあった。
それが、数学や物理の教師が、理学部物理学科、理学部数学科を勧める理由だったと思う。
例えるなら
「スマホをいじるのが楽しい。スマホでいろんなことを出来るのが便利!」
というような感情を抱いていただけで
などとは微塵も思ってなかった。
彼の思考は完全に実学向きで、今でも就職先では優秀な社員をしてると思う。
器用すぎるところが災いして、おそらく生涯、一技術者として生きると思う。
あるいは、任天堂の岩田聡社長のように、技術者としてはスタンドプレイ、典型的なパワーコーダーでも、ポジションが変われば全体最適のためにその能力を魔法使いのように発揮する人間なのかもしれない。
任天堂の岩田聡氏が亡くなったことを聞き、とある男性のことを思い出した。
初めて出会ったのは、とある武道のクラブで小学校低学年の頃だ。
明るく朗らかで、でも平凡な子供だった気がする。
顔を合わせるのは週に一度だけ。
私は、そのクラブをやめたり、もう一度再開したりを繰り返し、彼もまたそんな感じで、終わったらササッと帰っていたので、それほど多くの言葉は交わしてなかったと思う。
同じ中学になって知ったことだけど、彼は学校の勉強が出来るほうだった。
小学校が別であったため、小学校当時の彼の学校での様子はわからないけれど、親経由でオール5をとったという話は聞いたことがある。
私もまた、そういう小学生によくいる、プチ秀才だったので、ふーんという感想しかなかった。
中学での彼も、明るく裏表のなく、私は彼をとても好いていた。
成績は当初、私のほうがよかった。
月並みのように思えた。
普段も、すこし昔の出来事を綺麗さっぱり忘れるし、文系科目は苦手で、記憶力がいいとはとても思えなかった。
でも、時々、ものすごく難しい数学の問題(私にはそう思えた)を解いたりして、普通とは違うかのように思える一面はあった。
学年が進んでも、彼は明るく裏表のないナイスガイだった。
でも、私だけは彼の異常性を感じていた。
人間関係における策略性のなさというべき、人に自分をよく見せようとか、他人を嫉妬するとか、そういう感情の欠如のような感じ。
決して冷たい人間ではない。
むしろ、手品とか、芸のような、みんなを笑わせようという行動はよくしていたけれど、本当にみんなを楽しませようとしか考えてない感じがあった。
クラス会などで、話し合っても答えが出そうもないような時はフラリと帰ってしまう、そういうところがあった。
ある日の授業、どういうわけか、自習になり、コンピュータ室でワープロソフトをいじらされた。
内容は覚えていない。流行ってる歌の歌詞を入力しなさいと言われてたと思う。
当時ベーマガ愛読していた私は退屈していて、その当時覚えたてのアルゴリズムを自分なりに改造して、真っ黒い画面に英単語や記号を並べていた。
幾何学模様が順に描かれていき、消えていく、そんな単純なもの。
その時となりの席だった彼に、なにをしてるのかと聞かれて、ほとんどそのまま答えた。
「ここが変数の宣言で~」「ここからここまでを何回もループさせて~」
映像として動かしたわけではなくて、当時の中学生からみたら、英語のような文字の羅列があるだけに思う、真っ黒な画面で、私はそんな解説をした。
「へー、イコールの記号は数学で使うイコール(右と左が同じ)と意味が違うんだねぇ。」
というようなことを彼が言っていたのを憶えてる。
今でも私だけが知ってる彼の秘密。彼自身も忘れてる彼の秘密だ。
同じ高校に進学して、数学や物理のテストで、彼の才は目立つようになった。
平均点30点代の試験で、1人だけ90点をとってしまったことが彼の名を校内に知らしめた。
でも、私がみる限り、彼は数学にも物理にも興味はなかったようにみえた。
彼の回答は、数学的ではないところがあった。
前提の元に解かれていて、その解が一般解である確認や他に解が存在しないかの確認がされてなかったりする。
目の前の問題を解決することに、答えに辿りくことに興味があるだけで、普遍法則には興味がないのだと思う。
そのことに気がついた時、彼の人の良さの答えがわかった。
目の前の障害をクリアすることにしか興味が無いから、他人を蹴落とそうとか、他人に嫉妬するという感情がないのだ。
問題を解決するためのアイディアを提案しあう話し合いでは強くても、参加者が気持よく賛成できる落とし所を考えるような話し合いでは帰ってしまうのだ。
彼が私に、彼の彼女に「「わかっちゃいるけどやめられない」と言われ、「それわかってないんじゃん」と笑ったら、怒られた」
と愚痴をこぼしたことがある。
私は彼のことが大好きだけど、私が女だったら絶対にこの男とゲットしたいと思うけど、世の中の女の受けは最悪だろうな、と思った。
彼が結婚披露宴に呼ばれたとき、思わず私は彼の結婚相手の女性に
「彼の良さがわかる女性がいて、本当に嬉しい。」
後に彼に、「嫁が私にかけられた言葉をとても喜んでいた」と教えてくれた。
彼自身は、その言葉がなぜ彼女を感動させたかわからず不思議そうに報告してくれた。
私の友人の話はここまで。
リーダーシップとはなんなのかを考える。
リーダーがバラバラの方向を向いた各メンバーの進行方向を、みんなの意思を、前に向ける仕事であるならば、私の大好きな彼は絶対に向かないと思う。
各セクションのメンツや気持ちを考慮して、気持よく「イエス」といえるような空気作り、そんなことは彼に出来ない。
もう中年に足を踏み入れつつある今でも、そんなことが世の中で行われていることすら気付いてない。
みんなの気持ちを調整して、みんなが気持よくイエスといえるような会議の進行は、会社の運営は出来ない。
理詰めで、冷徹に人を切るようなこともしない。
問題の本質を見抜き、凡人が、「これしかない、これが最良」と思える答えのその向こうにある、本当の答えに最速でたどり着く。
各セクションの内情など、わからなくても仕事を割り振りできる。
インプットに対するアウトプットさえわかっていれば、自分が知らない分野のスペシャリストだろうと、外部の組織だろうと、使いこなすことができたのだと思う。