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2021-03-03

ワイの受験歴に勝てるやつおる?

現役時代偏差値40→Fランしかから浪人

1浪偏差値50→日東駒専から浪人

2浪偏差値60→Marchから浪人

3浪偏差値70→早慶から浪人イマココ

偏差値に合わせて目標変えていったらこうなった

どうすればいいと思う?

次は東大目指すつもり

2021-03-02

おれの経歴を見てくれ

日生まれて1万日を迎えたので経歴を整理してみた。見てコメントくれたら嬉しい。

フェイク少な目なので、あ、あいつかもしれないと思ってもそっとしておいてくれ。

17歳 高校3年生

初めてできた彼女が躁鬱を発症し、別れる。

希望大学に受から浪人生活する。

18歳 浪人時代札幌

予備校にもいかず、ゲームフットサルバンド

滑り止めで受けた琉Q大学に進学。

19歳 大学1年生(沖縄

水泳部サッカー部軽音サークルに入るが

二つは3ヶ月でやめ塾のバイトを始める。

彼女ができるもすぐ別れる。

札幌沖縄環境の違い、彼女生活環境等コンプレックスの嵐にさいなまれる。

20歳 大学2年生

平日は単位を落とさないように大学に行き、

週末はバイトして、たまにバンドマンと飲む生活をする。

21歳 大学3年生

ツールド沖縄で完走できたら好きな子告白しよう(キモイ)としたもの

普段練習するわけでもないので見事にリタイア

冬休みに一ケ月の男二人で東南アジアバックパッカー旅行をする。

ゴーゴーガールと仲良くなる。

22歳 大学4年生

かろうじて卒業

23社会人1年目(東京

上京。朝出社して、空アポ業務中家に帰り

寝て疲れを取ってから会社に戻るのを週3でやる生活を送る。

まらない仕事の割に上司の詰めが酷く、11か月で転職

24社会人2年目

転職先でパワハラに合い退職

その間にADHD(グレー)傾向が悪化

療養をしつつ宅建士の勉強を行い無事合格する。

1ヶ月半の引きこもり生活の後、再就職

25歳 社会人3年目

業務的な負担は少なく、伸び伸び会社勤めをし、悠々自適に過ごす。

引きこもり生活を支えてくれた彼女海外留学を決める。

遠距離恋愛生活開始する前に女遊びがばれる。

26歳 社会人4年目

上記彼女と将来の結婚約束するも彼女勉強プレッシャー

フラッシュバックに悩まされるようになり、帰国

それを期に人生転落し、結婚もなしとなる。

別れてから別の女性と付き合いだすも適応障害となる。

ちなみにここで株を始める、が苦戦。

27歳 社会人5年目

筋トレを開始する。仕事量の多さに嫌になる。⇒イマココ

anond:20210301212331

東京の四流私大出て、まあまあの企業入ったけど少し理解できる。高校はいいところ出て浪人して四流私大行くのってマジで死にたくなったよ。四年間の記憶あんまりないもん。

新卒で入った会社March平均、あと国公立中心だった。ただ入っちゃえば一緒なのでまあまあ頑張ってコンプレックスは解消できたかも。今はそこから転職して財閥企業で働いてる。早慶以上じゃないとなかなか難しいっぽいけど、前職と同じく入っちゃえば一緒なのでゴリゴリ頑張ってるよ。

ここでしっかり働いて周りに認めさせて、好きな仕事できるように今は頑張ってる。ある意味学歴コンプをバネにここまで来られたような。せっかくいいところ入れたんだから頑張ってよ。佛教大の学生は変なやつ多いけどいいやつばっかりだから応援してる。

何も考えたくない

ちゃん推敲してないから読みづらいかもしれない

====


覚えている限りでは幼稚園の時から人間関係でつまずくことが多かった。

確か習い事でも同い年くらいの子に失礼なことをして泣かせたことがある。

勿論母には怒鳴られたが、

当時は何故それがいけないことなのかわからなかった。

たぶん今もはっきりした理由はわからないけど、

同じことが起きたらとりあえず取り繕うことはできる、と思う。


この辺が自閉っぽいとは思うが特に診断は下りていない。


母に勧められて絵や工作を習い始めたが、

上手く喋れないぶん作品で何かを表現するのは楽しかった。

心の中の燻りが消えていく気がした。


将来は芸術関係仕事がしたいと思っていたが、

それは難しいと母に言われた。


小学校でも中学でも対人関係が上手くいか勉強に集中しきれなかったので、

それなりに勉強して行ける高校ならどこでもいいと思っていた。

この時はまだ漠然漫画家になりたいと思っていたが

どこかに原稿投稿するとかは全然やっていなかった。


高校に入ってから母に言われるまま目標もなく予備校に通い始めた。


地元高校に進学したこと関係あるかどうかわからないが

高校でも対人関係は上手くいかなかった。

今考えると、もしかしたら地元高校じゃなくても対人関係は上手くいかなかったかもしれない。


高校卒業後の進路。

当時の学区内で上位3位くらいに入る高校に在籍していたので

大学に進学するか専門学校に行く人が多かったと思う。


予備校での3者面談で具体的に志望校を決めないといけなくなった。

スクールカウンセラーになりたいとうっすら考えていたので、心理学科のある大学希望した。


1年浪人したが、希望学科に入ることができた。

摂食障害になったりもしたが、留年することなく4年生まで進級できた。


浪人中にファーストフード店バイトをしてみた。

飲食店には向いていなかったようで受験勉強理由に3ヶ月で辞めた。

ここで働くまで、自分飲食店で働けない人間だとは知らなかった。


大学入学直後に事務というか雑用アルバイトをしたが、

電話対応と来客対応が恐怖でしかなかった。

書類確認などの軽作業も他の先輩と比べて遅かった気がする。


他にもデパート接客をやってみたが、覚えが悪く、しょっちゅう社員さんにフォローしてもらっていた。

2か月くらいで辞めたと思う。


大学卒業後の進路を考える時期になって、

大学院に進学するお金が家に無いと親に言われた。


色々な職種を受けてみたが、母には全てケチを付けられた。

母は公務員を強く薦めてきた。

母のビジョンでは、私は大学在学中に資格を取るはずだったらしい。

文学部だったのだが、司書学芸員正規採用の倍率を知らなかったのだろう。


この学科卒業生の進路はカウンセラーだけではないというのは

1年生の時に先輩から聞いて知っていたし

一度社会人になってから大学院に行ってまでスクールカウンセラーになりたいとは思わなかったので、

とりあえず就活を片付けることにした。

就活は難航した。

やりたいことがわからなくなった。

首都圏にいたのだが、東日本大震災関係あるのだろうか。


最初印刷の軽作業をする会社就職した。

電話応対や来客対応も無く(そこに居続けたらいずれ任されたのかもしれないが)

単純作業のみで敵羽も悪くないと直属の上司に褒められたのが嬉しかった。


半年の試用期間が終わる頃、

社長から勤務態度の悪さを指摘され、正社員として採用されなくなってしまった。

なのでアルバイトとして約2年働き続けた。

親には、なんで正社員になれないの?と詰められた。



勤務態度の悪さというのは、気が利かないということだったと思う。

うろ覚えだが、社会人としてのマナーが身についていないということだろう。

あと乗せられて言った私の軽口を社長が真に受けていた。


そこではパワハラを受ける社員がいる一方、

ミスの尻拭いを従業員全員にやらせ社員いつまでもい座らせていた。


そこで週3日程アルバイトをしつつ正規仕事を探すと親には言ったが、

就活が怖くなった私にそんなことはできなかった。


親は私に「何かやりたいことはないのか?資格を取れ」と強く薦めた。

何を今更と思ったが、

私は職業訓練HTMLillustratorPhotoshop勉強をして、デザイン仕事を探した。

半年間の職業訓練が終わりに差し掛かった頃、正社員として希望仕事内定を頂いた。


職業訓練ではデザインについてそれほど詳しく勉強したわけではないので、

就職してからデザイン勉強をしなければならなかった。

それよりも私がこの仕事をする上で致命的だったのは、

仕事の進め方がわからない、

なにがわからないのかわからない。

それで、納品物が納期ギリギリになっても完成せず、先輩にほとんど作成してもらった。

上司に「貴方は頼まれたことはきちんとやってくれますよね」と言われたのは何だったのか。

これは裏を返せば言われたこしか出来ないということになるんだが……。

この仕事は5か月で辞めた。


そして以前通っていたメンクリで知能検査を受けたが、正常の範囲内とのことだった。

私はただの出来の悪い人だということがわかった。


色々なところに応募しては落ちてを繰り返し、1年程間を空けて受付事務パートをすることになった。

ワンオペだったので、来客対応以外にもとにかく色々やった。

しかし2週間たつ頃には違和感を覚え、4ヶ月で退職した。

私を採用した人は、なんでこんなこともできないの?と不思議に思っているようだった。

なんでって……こっちが聞きたいが。


貯金が少なく焦っていたが、半年後に、派遣社員としてOA事務仕事をすることになった。

ここが一番働きやすかった。

主な仕事エクセルへのデータ入力

手順書があって、成果物クロスチェックされ、電話は決まったところからのみ。

従業員人間関係も穏やかだった。

派遣から正社員になった人が何人かいるらしかった。


そこで働いて2年程経った頃、親に「今の職場正社員になれないのか?」と訊かれたので

それをそのまま上司に伝えた。

「誰でも勧誘しているわけではない」と回答された。


正社員になれないと親がまた詰めてくることは予測できたが、

居心地の良い職場ギリギリまでいたかったので、次の仕事は全く探していなかった。


この会社派遣期間が満了する頃になると、国内新型コロナウイルス流行り出した。

失業給付が終わっても仕事はまだ見つからない。


せめてコンビニ飲食店で働ける能力があれば良かった。


から見たらぜんぜん頑張ってるように見えないと思うけど、もう親含めて他人の機嫌うかがうの疲れた

まりにも面接に落ち続けるとちょっと無敵の人気持ちがわかってくる。

もし兄弟がいなかったら思い切ってたかもしれない。

まだ死ぬ勇気は無いけど、このまま生きててもいいことないから死んだ方が早いなと思うことはある。

2021-03-01

2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

数年前に四年制大学卒業した。名を佛教大学という。

いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。

大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトサークル活動であっという間に過ぎていった。

記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。

こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業入社できた。この業界では一流とされている。

会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。

私自身を殺したい。

子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。

大学回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学レベルの低さを。

志望していた企業説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。

うすうす分かっていた。

学際サークル所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。

どうして私はあの時、浪人選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。

あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。

もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。

朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去自分に鞭を打つ。

こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。



もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。

まらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……

エピソードひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェント見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。

その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。

課題というのは、転職希望リスト履歴書職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである

「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」

先輩が椅子腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。

昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。

納期は設定しない。ゆっくりやれ。でも、勝負からな」

勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。

「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。

私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。

でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。

4日後、私たちは小会議室に呼ばれた。

部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。

彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。

「こいつの見てみ」

こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。

「お前も」

先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。

……整然としていた。業界職種、特技、資格学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。

私は「彼」の方を見た。彼も、視線と体をこちらに向けた。

「参りました!」

芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。

「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」

そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。

「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」

声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。

「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」

彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。

「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」

ほら、やっぱり。

もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。

先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。

先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。

先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。

しかった。涙が出そうになった。手と指でごまかした。

彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。

行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手食事はできない。

彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分意思を実行する力に欠けている。

甘えたい私に負けて、自分自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。

これから自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。

私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。

転職できる可能性順だ。社内にある過去転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランクほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。

クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。

なのでこの場合優先順位は、①学歴、②社会人経験特に新卒で入った会社)、③希望する業界職種企業名になる。

学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。

②も大事だ。どんなレベル会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測やすいこともある。

③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。

この時、私が見た転職希望者の中に、佛教大学卒業生がいた。

詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。

結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。

その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。



今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。

『嘘』を吐かれたからだ。

講義とか、就職関係行事などで、大学先生事務職から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。

とある文学部先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験合格して法務省採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業必要単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。

とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。

私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校先生だった。

見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部先生から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。

相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学先生が、どうしてはるか下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。

すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。

大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格おかしい人が多かった。

常識のない人

健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会部活支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかに危険行為をしていた。

精神的に幼い人

講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人レベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。

人格おかしい人

私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルーム危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子そばで震えていた。

すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。

大学卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織所属したことはなかった。

大学だけでなく、中学高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。

数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。

高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。



このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。

学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。

私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流である認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。

飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ち抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。

嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分自分を許せない気持ちになる。

どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?

何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。

シロクマ先生ほか、有名なブロガー記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我生まれる。

私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。

今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。

満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去自分を許せないんだと思う。

最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。

だったら、この、昔の自分が許せない気持ち感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。

ここまで聞いてくれた人、ありがとう

公共の場愚痴をこぼしてごめん。

涙が止まらないんだ。

昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。

「諦めないでくれてありがとう」って。

2021-02-24

予備校食堂

浪人時代行ってた予備校食堂が併設されていて、そこがかなり好きだった

授業料?寮費?から金が出てるっぽくて、異常な安さだった

18〜20歳くらいのやつらを相手にしてることもあり、量もすごかった

以下、メニュー覚え書き

カレー ¥250

固定メニューひとつ

ジャガイモニンジンがゴロッと入っていて、そこらのレトルト食堂カレーとは違う雰囲気を出しつつ、味はわりとレトルトで、なんなら結構まずい という稀有カレーだった

福神漬けが(常識的な量なら)取り放題で、俺はわりと福神漬けをたくさん盛って食っていた 酸味が加わってうまかった

250円で若干完食がキツいくらいの量を出してくれるのでコスパは抜群 マズイのにときどき食べたくなる不思議な魅力があったように思う

うどん蕎麦 ¥150

日替わり定食が好みに合わずカレーを食べる元気もない そんなとき候補になるのがこれだった 

味はまあマジで特筆するべきところがなかったが、ワカメと天かすが取り放題なのはよかった

ワカメうどんみたいな感じにして食っていた

日替わり定食 ¥300

固定メニューあんまりうまくないのに対して、この日替わり定食はかなり明確にうまかった

うまいメニュー普通メニューの差はわりとあって、うまさの知られたメニューが出る日には普段食堂を使わないやつらも押しかけるので、食券が売り切れていることも多かった

トンポーロー定食

個人的ナンバーワンはこれ

八角が効いた本格的な味で、たしか角煮ふたつに煮卵までついていた そのどれもがうまかった

ネギ塩豚炒め定食

よくわからんけどうまかった

ペラペラの豚バラ肉ネギが、謎の塩ダレで炒められている ニンニクが効いていて雑にうまい

レモン汁をかけられるオプションがあって、かけると爽やかさも加わってまた良かった

牛焼肉定食

焼肉のタレみたいな味付けの、牛丼の具みたいなものが出てくる

これもまあハズさない感じで、ご飯が進んだ

 

意外と思い出せないな

でも、よかった

anond:20210224203503

浪人大変だし結局自分次第だけど、浪人しても就職には大して響かないってことだけ伝えておく

自分希望に近づけるよう頑張るか、あまり行きたくない大学に渋々通うか悩みどころだね

明日二次試験

明日とうとう2次試験だ。正直怖い。

この一年、逃げ続けてきた。

高校入試は前日までにどでかい自信がついていた。本番も全然緊張しなかった。なんなら居眠りしたぐらい(3分ぐらいだけど)。合格発表受験番号があって当然だったか全然怖くなかった。高校第一志望に受かった。

しかし、今は真逆だ。

なんだかんだ理由をつけて勉強しなかった。休日はやって6〜7時間。酷いと全く勉強しなかった。

学校からもらったプリントに「不安になったら今までにやった(数学問題集愛称)を積み上げてみなさい。あなたはそれだけやったんだから自信を持ちなさい」的なことが書いてあった。それは私にとって提出期限ギリギリになって必死写経した問題集たちだった。自分の三年間のサボりの集積を見た。

過去問も取れない。物理数学計算とか符号とか式変形でまずミスる。変な答えになるから後の問題が解けない。自分の実力があれば計算ミスカバーできることは分かっている。でもやってこなかった。

当然の帰結だが、自分の(これまでの愚かさを生み出してきた)楽観主義太刀打ちできないほどに自信がない。高校受験の強烈な成功体験があるから尚更だ。

滑り止めの私立も行く気がないところしかからなかった。でも辛いか浪人もしたくない。落ちたら死のうかなとかアホなことも考えてみたりした。

今になって自分の三年間の愚かさを思い知っている。ちなみに勉強していない時間部活もやっていたがそれも中途半端で、あとはアマプラネットに費やすどうしようもない生活だった。友達と過ごした時間も楽しかったけど、思い切りたのしたかというとそうでもなくて、やりきれない?気持ち

本当に三年間何やってたんだろう。愚か。

とにかく明日は、明日の風が吹く(予測変換)。←楽観主義という名の後回し主義スマホにまで浸透してた、ああ。

僕も民間企業をしらない

民間企業というより会社勤めをしたことがない

大学に行こうとしたが入学金が用意できなくて働きながら浪人。そのままそこで働いている。

製造業なので物を作って現場に納めたりする。

スーツ着ている人間がどうやってお金を稼いでいるのかもよく知らないし会議で何話しているかも知らない。

パソコンを使うのはメール読んだり図面印刷したり金物調べたりするときだけ。見積書作ったりはする。pdf脚注入れたり。

報告書の作り方もしらないしそんなに毎日会社いってやることあるのかもしらない。

企画書が何かも知らないしパワーポイント高校の授業でやったきりだ。

職人みたいなことをして時給をもらって生きている

コロナ仕事が無くなったので夜のバイトで生き延びた。

この狭い世界しか知らない

緊急事態宣言明けたら人生初の就職活動を始める。

民間企業人間コンプレックスを抱くどころか全てのまともな人間に対してコンプレックス抱きまくり

これからまともな人間がどんな仕事をしているか知ることができるので今から楽しみ!

2021-02-17

日本赤十字アニメゆるキャン』とコラボした献血キャンペーンを止めるべき5つの理由

https://www.bs.jrc.or.jp/ktks/yamanashi/2021/01/post-255.html

1.女性差別を促進する可能性があるから

女子高生』という男の欲望の詰まった年齢層の『萌えアニメ』という、女性身体性的客体化したコンテンツ女性差別を促進する可能性があると牟田和恵氏や小宮友根氏によって指摘されている一方で、差別を促進しないという証明はなされていないにも関わらず、赤十字という公共性が高い機関がそのようなコンテンツ宣伝をすることは不適切から

2.多くの女性不快にさせるから

萌えアニメキャラを見るとそれに発情してハァハァしている醜いオタク想像して不快になるにも関わらず、赤十字という公共性の高い場所で「嫌だから見ない」という選択が取りづらい場所コラボすることは不適切から

3.ヘイトであるから

赤十字献血ルームはいかなる国民人種民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、

入り口ヒトラー銅像が飾られていたら「我々はナチズム肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、

イサンベッドフォードフォレストKKK創設者)の銅像が飾られていたら「我々は黒人差別肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、

ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら「我々は十字軍肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、

コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になる。

同様に、献血ルーム萌えアニメポスターがあるのは「フェミニストはここに来るな」と言っているのと同じなのであり、ヘイトスピーチをしているのと同じであるから

4.有害から

萌えキャラを見るだけで一部のフェミニスト社会学者弁護士や彼ら・彼女らを支持する人は理性を失い、自分キャラクターの区別がつかなくなり、わけのわからない主張を始めるようになるという害が明らかに存在するにも関わらず、赤十字宣伝するのは不適切から

5.人命尊重のため

女性性的な部分だけを客体化した萌えアニメキャラ赤十字という公共性の高い機関が使う

現実女性性的に扱うことも問題ないと勘違いする

性犯罪刑務所行き

出所しても生活苦

わたるが死んじゃう!

となることを未然に防ぐことが必要から

6.政治的中立ではないか

そもそも日本騎馬民族による征服者トップであった天皇に従う者が被征服者被差別部落民、サンカ隼人蝦夷アイヌ琉球民族などを近代以前から搾取し、近代以降は朝鮮人中国人などのアジア人搾取してその上に成り立ってきた世界で一番罪深い民族であるから民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人)以外の日本人は滅びるべきだという主張をする人もいるのに、そのような意見考慮せず、日本人の人命を救うことは尊いと無条件に考えることは政治的中立ではないから。

2021-02-14

合格発表見に行ったら

昔の経験談なんだけど、大学入試合格発表をわざわざ大学掲示板に見に行った。

自宅から大学までは3時間。ひとり電車に乗って気持ちはそわそわ落ち着かない気持ちの反面、期待に胸膨らましていた。

途中の駅でいったん自宅に、順調に途中駅までついたことを電話で報告しようと公衆電話へ。

母親が出たんだけど声が震えている、、「もう帰っておいで」と一言

目の前が真っ暗、時間が止まった。音が途絶えた・・・

ハガキ(=不合格の通知)がもう届いているから、、(開けなくても結果はわかるよね)」と。。。

ここで私の現役時代受験は終了。浪人時代が始まった。

いまでもこの思い出は覚えている・・・

2021-02-09

東大理Ⅲルシファー氏の謎

前提条件としてルシファー氏が何者であるかは各自ググっていただくとして

こちらの動画を見てほしい

http://www.youtube.com/watch?v=DRqMZ0kQgTA

彼はこの中で高ナトリウム血症の対応として、かなり考えたあとに「水制限ですか・・・?」と答えている。

国試直前期、国試浪人をした上で、である

この問題の正確な答えが不明であったとしても、「高ナトリウム血症の患者に水制限有効か」というyes/noクイズであったなら、

医学生でなくとも「水で体液が薄まらいから逆に悪くならないか?」と推測がつきそうなものである

そんなことがなぜ、私が100年浪人したとしてもかすりもしない東大理Ⅲ合格した彼がわからないのかが、理解できないのである

東大受験も、社会科目や英単語など暗記が必要な場面はたくさんある。

論理的思考受験生の中で高いレベル要求されるはずである

ほとんどの人が達成できない難関試験突破した彼が、なぜ高ナトリウム血症に対して水制限という答えを出したのかが、どうしても理解できない。

制限といえば国試的にはSIADHに対する治療だが、同じ電解質分野の問題で混ざってしまったのだろうか。

しかし単純に勉強不足だけでは説明がつかないように思われる。

この事が頭が一杯で、今日は全く仕事に手がつかなかった。

2021-02-07

30代無職童貞になった

仕事を辞めることとなり、30代無職童貞となった。

資格も何も無い。あるのは親が少しだけ太いくらい。

  

人生の敗因はなんだったのか。  

2016年、浪人留年を繰り返し、なんとか大学卒業(26歳)したが就職した先では日常的な暴力が横行しており、自分暴力対象となったため半年で辞めた。

その後の転職後の職場ヌルかったが、1年半で雇用期限もあり退職

2018年、半年ニートを経て大学修士課程に入り直した(28歳)。

2020年に大学卒業し、再就職した(30歳)が、今度は就職後1日も休みがなく、本当の奴隷労働なため1年で辞めることとなった。

はれて30代無職童貞誕生した。

  

なんの資格も無い。仕事ができるわけでも無い。

流石に人生終わったと感じる。

ちなみに、童貞アピールしたんだけど、BMI33のデブ身長も160cmしかない、おまけにハゲてきている。顔も当然ブサイク

  

何より、体が終わってる。

若い頃に無理しすぎて体が全然動かない。再就職する気力も無いのかもしれないと自分自分が疑わしい。

最近は、 AM6時頃にねてPM2時頃に起きる完全な夜型。元々遺伝的に夜型なんだろうな。それもハンディキャップのような気がする。

  

そもそも流行りのADHDASDもあるように思うし、自閉症もあると思う。

どうしようもない。なぜこんな弱すぎる個体が産まれてきてしまったのか。

普通に、どっかの時点で死んでた方がましだったと思う。

  

この先人生はおそらくもっと悪くなるんだろう。

学習能力若い頃のようなものがなく、体力もない。

2021-02-06

anond:20210205181447

逆に…というほど逆ではないが、いい(公立)高校入学できるかどうかが重要で、高校受験浪人が珍しくない県もあるのじゃよ。

2021-02-05

母親が嫌い

冗談抜きで嫌い。というかもう血縁者じゃなくても嫌いになってると思う。

何をやるにしても反対意見を出さずにはいられなくて、無視して決めたら「またそうやって人の話聞かない!じゃあもう好きにすれば!」しか言わない。

学生とはいえ成人してるから貴方意見なんてなくても大抵のことは決められる。でも本当に悩んで意見がほしいから聞いたら「いつも意見言っても聞かないじゃん、だから何も言わない」って子供じみてる。

兄が理系に行ったのがそんなに嬉しかったのかな。レポートが多くて大変ってポロっとこぼしたら「だから理系に行けって言ったじゃん!ほら意見聞かないから!」て言ってきたもんね。でも私はあの時きちんと答えたよ、「理科数学も苦手だから理系になんて進めない」ってね。

私が試験でいい成績出せても「文系なんだから当たり前でしょ」だもんね。兄が浪人した挙げ句留年もしたけどそれは「理系から仕方ない」んだもんね?

ずっと昔からそう。私が思い通りに動かないと文句非難ばっかり。

あと病気になって「ここが痛いんだけど、これって皮膚科かな?」て訊いたら「私はこことこことここが痛くて、特にここなんか仕事中痛くて〜」とか自分の話ばっかり。そんなに痛いなら病院行けばいいじゃん。て言うとそんな時間ないとか言うんでしょうね。

毎日毎日ここが痛いだのここを怪我しただの聞いてどうしろってんだよ。私が頭痛いから寝かせてほしいとか言うと「医者じゃないからそういう事言われても困る」て返してくるし。日本語通じてる?ていうかそれ言うなら私も医者じゃないし痛い痛い言われても困るから

でもそうやって適当に受け流すと「親の心配も出来ないの!?」てキレるんだよね。そりゃあ出来ないよ。私が心配したって別に治るようなもんでもないでしょ。心配してほしくて言ってるなら今すぐ辞めてもらいたい。ミュンヒハウゼン症候群なのかな?

はー、本当に嫌い。早く家なんか出ていきたい。アンタには一人暮らしなんて絶対無理とか言われるし、私にも向いてないことはわかってるけど、私的にはこれ以上貴方と共に暮らす方が無理なので。

毒親って程ではないんだろうけど限界すぎる。コロナ禍で母の仕事も私の授業もリモートになってからストレスが溜まりまくってる。あ〜どうしよう、お父さん離婚してくれないかな…

静岡県東部私立高校受験事情(何十年も変わらぬ)

これを書いているのは私立高校受験が終わった頃です。

さて、ここら辺は大都会と違って、日本の多くの田舎同様「公立至上主義である

何十年も前の話であるが、カミさんは「私立名前さえ書けば受かる」と言っていた。

そんなまさか、と思ったが、自分の子供が高校受験するころになって同様の話が聞こえてきたのである

それは「中学校先生が『受けて良い』と言ったらその高校合格です」というものである

どの学校受けようが受けまいが自由じゃん、と思うのだが実態はそうではないらしい。

それと並行して、中学校担任には三者面談の時に「必ず私立はどこか受けてもらうことになっている」と言われたりもした。

「受けてもらうことになっている」とは何か。

本命公立に落ちても追加募集ということがあり、近年は少子化につき、通える範囲に数校、追加募集を行なっていることがある。

から無理やり私立受けることないだろうと思うのだが、先生がそういうからには承るしかないのだろう。

さて、晩秋になってA高校に問い合わせた。いつまで経っても受験要項がサイト掲載されないからだ。

定員は何人か。受験科目数は何科目か。それぞれ何分か。満点は何点か。

返信はごくあっさりしたものだった。

受験に関しては、中学校先生にお願いしておりますので、中学校先生にお問い合わせください」

この質問中学校先生、全く関係ないだろ!と憤慨した。

シンプルに答えてくれればいいのに私立高校のことで中学校先生の手を煩わせるのかとも思った。

んで、いろいろ調べまくって、だいたいわかったことはこうだ。

・各私立高校合格内申点目安を中学校通達する。

中学校担任は、12月内申点で生徒にどこの学校受験して良いか伝達する。

・生徒は、受けて良いと言われた学校受験。当日テストやらかしても自動合格する。

自動合格する故に「名前を書けば合格」などと言われるのである

私立高校内外でもヒエラルキーがある。同一高校内では特別クラスと進学クラスであったり、

高校外ではA高校合格目安内申33。B高校は30というようになっている。

内申30のやつは基本はA高校受験できないのである

そのハードルを少々さげるために、「単願」制度というものがある。

併願は「公立受験しますよ、受かった時はおそらくそっちでしょうね」という受験生。

単願は「公立には浮気しないで貴校一本ですので、なんとかお手柔らかに」という受験生。

高校側としても必ず来てくれる生徒を確保したいので、単願は若干内申のハードルが下がる。

併願ならB高校レベルだが、単願にすることでA高校入学できるようになったりするのである

受験倍率というのも一応出る。ここらへんでは私大付属マンモス校A高で2.41倍。

この倍率もあってないようなもので、併願が半分以上いると思われ、その者たちは合格したら公立に行く。

想定した定員よりも多い場合はA高校のほうで非常勤講師雇用対応する。

(実際に教員数が発表になっているが、マンモス校の割には少ない。普通高校レベル。相当数の非常勤がいると思われる)

試験当日。各中学校の引率の先生のもと集合し、受験する。

この問題はどうやら手強いらしい。

来たる公立本番に向けて油断するなよ、という戒めがあるものと思われる。

もちろんほとんどできなくても合格する。

(落ちた話を本当に聞いたことがない。伝説、幻レベルだと思われる)

そして、合格発表。

これも中学校先生から手渡される。封筒切手消印もない。

おそらくダンボールで持って来るのでは。

何点取ったか、何人中何番だったか知る術はない。

「おめでとうございます、何々コース合格です」と書いてあるだけである

せめて得点くらい知りたいものである

さて、競争原理からすると、悪いことのようだが、

このシステム三方良しのようなもので、

中学校=一人の浪人も出したくない

生徒と保護者=滑り止めには必ず合格してほしい

私立高校=ある程度質が担保された生徒に来てほしい

というそれぞれの思惑に合致する。

それを実現するために、中学校先生結構なご尽力をしているのである

私大付属高で内部進学コースであれば、

その私大まであまり苦労せずにエスカレーターで入ることができる。

この私大日東駒専レベルであり、

外部から入るのは結構、いやかなり大変なのである

偏差値でいえば53くらいで有名私大まで行けるわけだからそういう選択肢も良いと思う。

というわけで、内申点これくらい、模擬試験これくらい、受かりますか?と心配しなくても大丈夫、ということが結論である

2021-02-04

2020年就活をやった記録

だいぶ前になるが、21卒としての就活を終えた。

意外に就活顛末主観で書いた記事が無いなと感じていたので、今の就活こんなんやったで、というのを記録がてら共有したい。

もちろん、量産型(地方)文系大学生とはいえサンプル数1であり、むしろ大いに偏った人間な気もするので、そんなんじゃねーよという突っ込み質問もたくさんほしい。

3年夏(2019) : 就活かい会社見学ツアー

この時期自分は『就活リクルートマイナビ等の企業群が作り上げた虚構であり、滅ぼすべき邪悪』という思想を持っており、大枠は就活終了まで変わらず過ごすことになる。(就活理由に4年生の初恋相手に振られたことが切っ掛けかもしれないが、元から割とこういう思想をしていた)

それでも部活の先輩からインターンは一応行っといたほうがええで」とのお言葉いただき、一応就活らしい行動を始めることにする。

インターンは、企業名で検索して出てきた新卒採用ページからそのまま応募するか、リクナビマイナビ系のサイトに飛ばされてそこから応募する、という形がほとんど。

少し調べると、都心学生意識高く給料が出るようなインターンに参加し半年くらい切磋琢磨しているらしい。だが、田舎大学生にはそんなこと土台無理なので早々に諦め、部活合宿の都合も考慮して1day~1週間程度のインターンから見繕うことにした。地方大学に居るだけで入れなくなる差別主義企業なんてこっちから願い下げじゃボケ、とか思ってたような気がする。

この程度の短いインターンだと優遇もクソもないらしいので、とりあえず交通費宿泊費が出て、何となく入れたら面白そうだな~という企業適当に応募。たまたま受かった2、3社に参加することに。

インフラの裏側を探検したり、アナウンサー体験をしたり、所有する不動産スイートルーム見学したり、どれも会社お金見学ツアーみたいなことをさせてもらえてたのしかった(小学生)。同時にGD(グループディスカッション)みたいなことも延々やらされたが、どれも学生からマトモな案出ると思ってなさそうな内容ばかりで、ハナから"積極的に参加してる感"だけ適当に醸し出してたらまあまあ良い評価をもらえた。就活茶番、という八つ当たり確信に変わりつつあった。

3年秋~春 就活解禁(2020)

研究で忙しくなり、現実逃避のためポケモン・あつ森に没頭し就活せず。普通就活生は冬インターンに参加したり、外資コンサルマスコミ(民放)の本選考を受けている時期(らしい)。インターンに行った1社の本選考があり、一応受けるも余裕で落ちた。一か月人と喋っていない状態面接を受けるのはやめたほうがいい。

3年3月 就活解禁~ : 就活かい茶番

3月就活解禁から一か月以上遅れ、そろそろヤバいかもと重い腰を上げる。先に就活を終え就職した高校時代の友人(現役入学自分浪人)にアドバイスを貰い、とにかく数を出してみることに。業界を絞らず、適当に行けたらいいなという企業を片っ端からスプレッドシートに並べ、締め切りが近い順に心を無にしてESを投げまくった。ESの内容は一応部活研究で頑張ったこと(いわゆるガクチカ)に加え、日経ES投稿サイト検索して出てきたウケがよさそうなワードを散りばめることで、意識高い感じの文章を生成した(よかったのかはわからない)。書類はなんだかんだ半分くらい通り、その後面接一つ進むごとに半分落ち、また面接、という作業を延々とループさせていた。

印象的だった点は2つ。コロナへの対応と、Webテスト無意味っぷり。

コロナについては、各企業採用担当者さんたちもかなり手探りだったようで、面接中も何を基準に選べばいいのか戸惑っているような雰囲気さえあった。自分はいわゆる大企業ばかり受けていたため(?)ほぼ全てリモートでの面接となったが、明らかに会社側の通信状況が悪く途切れ途切れのまま面接が終わったり(みん就を覗いたら阿鼻叫喚だった)、逆に3次面接が対面だったのに最終面接が急にリモートに変更になったりと、真剣就活に向き合っていた人はかなり翻弄されてつらかったんじゃないかなと感じた。

2つ目はコロナ全然関係ないが、Webテスト(SPI-Web,玉手箱,TG-Web,CAB,GABみたいなやつ)がガチでしょうもなかった。これらのテスト、端的に言うと答えが出回っていて、その答えを見ながらポチポチするだけでだいたい切り抜けられるゴミみたいな仕組みになっている。先輩秘伝のexcelシートを貰う、とかならまだ良いほうで、なんか『自称リクルート社員を名乗る人物が売る有料回答集付きnote』みたいな魑魅魍魎が平気で跋扈しており、かつその怪しい有料excelシートで普通に答えられてしまう(らしい)。一応意味があるのは試験会場があるSPIテストセンターくらい、といった有様。自分は答えは使わなかったが、そういう現状があってもなおこれらのテスト選考に使われ、また不正できないようにテスト制作会社側(リクルートキャリア・日本SHLヒューマネージ…etc)が改良するわけでも無い理由は、単にやってる感を出すためのプロダクトでしかいから、もしくは単に人事が無能から、の二択しかないのではと思っている。

そんなこんなで、最初のほうは惨憺たる有様だった面接も回数を重ねるごとに徐々にマシになっていき、6月ごろに第一志望群に入れていた数社から内定をもらった。どれも一度も対面で面接せず、本社を直接見たことすらない企業で、コロナ渦っぽい就職活動だったな~と一瞬思ったがそんなことはどうでもよく、さっさとやめたかった就活を終えることにした。

その他の感想

就活は都会が圧倒的有利(今年は地方が若干有利?)

インターンのところでも書いたが、就活関連サイト記事(ワンキャリ・就活会議外資就活とか)では、そもそも地方にいたら到底無理な行動が平気で求められおり、学生を煽って稼ぐゴミアフィサイトはよ死ね潰れろと思っていた、が、実際就活してみるとまともな企業であればその差はある程度認識してくれていて、むしろ地方ならしゃーない的なお目こぼしを得られることのほうが多かった気がする。逆にその下駄を履かせてもらえないのにアクセスの良さも活かせなかった今年の都心就活生は大変な思いをしたのかもしれない。

オファー就活サイトはほぼ機能していない

よくわからないブラックっぽい企業から無差別爆撃のようなオファーが届くだけだった。優秀な学生はい企業からオファーがあるのかもしれないが、そういう学生は更に高いレベル企業を求めて普通選考に応募してるだろうし、気休めの内定が得られる以外の意味はなさそう。そもそもいい企業ならオファーなんてしなくてもいい学生来るやろ。

就活垢とかいう謎の存在

就活をやればこの就活垢を作っている人たちの動機もわかるかも、と思っていたが最後まで分からなかった。twitterなんて就職にとってノイズしかないと思うんだけどそうでもない空間があるんだろうか(実際外銀とかコンサル目指してた人にはまあまあ意味あったらしい)。

ちなみに「NNT」でtwitteryoutube検索すると路頭に迷った就活生の亡骸を閲覧できる。自分たまたま見かけたのは、何故か公園で小声で歌いながらリクルートスーツ姿で踊っている就活生の動画。その次の面接後の動画では、観覧車の中で自分を責めながら泣いていた。なんもかんもリクルートが悪いんや……。

2021-02-02

anond:20210202195437

保育園はいれただけでありがたいよな。

うちは共働き子供二人だけど、下の子保育園浪人でようやく入れた。

いろんな理由で働くことが途切れたのは残念だよね。

ちなみに今回の廃止に私は該当しちゃったので、納得行かない感がすごい。

2021-01-30

心の捻くれた浪人生自己崩壊してるって話

昨日久しぶりにYouTubeオススメに出てきた林先生動画を見た。受験生に一ヶ月前に必ず話すことというもの

https://youtu.be/G4GB2dXL-5A

林先生の話の内容はざっくり言うと

受験前の一ヶ月頑張るかどうかが人生を決める

一ヶ月頑張れなかった奴は受かろうが落ちようが自分は一ヶ月も頑張れない人間なんだという思いを持って生きてかなきゃいけない

一ヶ月頑張れる奴は一年頑張れるしそうゆう奴は10年、一生頑張れる

こんな感じ

自分努力しているのだろうか、他人より努力しているのだろうかみたいな事をよく考えるのだけれど、一つの答えに辿り着く

自分は多分本気で残り一ヶ月努力出来ない  

ここまではよく考える事なのだけど、昨日は新しく考えることがあったから残しておきたい

そもそも自分短期集中みたいなのが苦手だ。テスト前日に寝ないで詰め込むみたいな事は出来ない。コツコツとやっていくタイプで、身につくまでに時間がかかる。現役の時も4月からセンター直前まで半年以上成績が全く動かなかった。(伸びなかった理由勉強方法だったり他にも沢山あるのだが) 努力なんて自分のものさしでしか計れないものだけど、目盛が狂ってる気は前からしてる。そういった自分性質理解し、言い訳にして生きてゆく。出来ない事を諦めて熱量を変えずに勉強する。現役でセンター試験後e判定で突っ込むと決めても、死に物狂いで勉強するなんて1日もしていなかったと思う。

いつから自分限界勝手に低く決めつけて、本気で取り組むことが出来なくなってしまった。だからあと一ヶ月も必死勉強なんてできずのんびり今までの積み重ねを信じてやってくしかない

と思ってた

だが最近もっと大きな理由が表面化してきた。

多分自分はこれ以上傷つく事を異様に恐れている

短い人生の中でも失敗はよくあった。自分のせいで負けて終わった部活のこととか、死ぬほどくだらないミスをして落ちた受験の事とか、もっとさな事でも、他人に話せばそんな事かよと言われるようなものバカみたいに重く引きずる癖があった。そしてそういった経験の裏には自分なりの努力があった。親は自分を良くも悪くも努力する人間に育てた。

ただ、努力すればするほど「失敗」「敗北」を強く感じるだけだった。そうした経験を嫌というほど重ね、それでも高望みをして、大した才能も無いことに気付かないフリをして努力する。結局最後に満足するような結果は残らず、とは言っても自分で考えてやってきた行動への後悔はあまり無く、変えられない過去からひたすら何が悪かったのかを探し続ける。無闇に過去を掘り下げても、その過去は悪いイメージしかならない。

そうやって過去をどんどん腐らせて、消えなくなっていく。努力→失敗という法則が出来上がってしまって良いイメージが湧かない。未来の良い想像をすることはしょっちゅうあるんだけれども、むしろイメージすることでそれは絶対叶わなくなるのではないかとさえ思い始めた。

そうして段々努力を薄めるようになってきた。今年は自分で「頑張っている」と思わないようにしようと行動してた。ストレスを与えないように日曜はゆっくり休み予備校が閉まる時間までは勉強しない。帰りの電車勉強せずにスマホをいじってる。そうした妥協をすることで「自分はまだ勉強出来る」という余裕を作り出し、辛さを軽減していた。そうやってきたことで正直今年の一年精神的には安定していた。去年以上勉強時間を割いてきたが、辛くはなかった。

しかし、残り一ヶ月になった今、受験の終わりが見えてきて、その先を想像した時に何も残らない気がしている。よくネットだったり合格体験記なんかに浪人地獄だったけど良い人生経験になった」とか「あの一年自分人間として凄く成長した」みたいなことが書かれている。それは上手くいったかから言えることなのでは?なんて思いつつ、一ヶ月先を想像したときに、自分がそんな達成感や成長を感じているとは思えなかった。

去年から志望は変えず、模試はずっとa判定。家族の中でも今年は受かるだろうというムード流れる一年かけて定着させたその雰囲気は、合格という自分にとってハードルの低い目標を薄れさせていったし、合格の喜びもきっとないだろう。そのあと推薦入試に落ちる。なんとか切り替えて勉強、判定が良く出ている自分共通テストボーダーなんて全く意識しなかった。自分目標を決め、その目標に本気で達成できると思っていた。だが本番終わってみれば、大ミスはするしもっと取れると思っていた教科の点数も低い。おまけにボーダーセンター全然変わらない。頭のいい大学を目指しているわけではないので、第一志望は受験出来そうだが、問題はそこじゃない

自分の中では

推薦、共通テストミスという下らない過ちで自分の力を発揮できないまま終わったこから不完全燃焼

ミスをする人間などもはや受験生としてどころでは無く社会に出ていく人間として致命的なのではないかという将来への不安

難化すると言われていた共通テストで点数が伸びず、判定も悪い。でもボーダー模試と比べてだいぶ上がっている。周りは伸びている。結局自分はこの一年で対して学力が伸びていないのではないかという絶望

何度も落とされた(明らかに自分が悪いが)大学への(超個人的な)イメージは今のところ圧倒的にマイナスであり、もうあのキャンパス行きたくないとまで思っている。やりたいこと、学びたいことを考えても答えはその大学しか出てこないのに、今年せっかく戦えるレベルまで来たのに、何故かあの大学行きたくない

第一志望に行きたくない

からもし今年受かることが出来ても、自分は喜べない気がする。落ちたとしても、何も感じないだろう。そして今年一年への思いも何もない。空白の一年。ただ社会に出ていく上での何か大きな問題点が表面化してきた一年

そうやって考えているうちに先が見えなくなってしまった。今シンプルに何の迷いもなく目指す先がない。

あと一ヶ月頑張って、というか頑張る意識を持つべきなのか。努力は必ず精神をすり減らす。そして合格しようがしまいが達成感はない。それでも努力するべきなのか、将来「あの時は頑張ったな」と美化できる日が来るのだろうか

思った事をひたすら書き殴っただけの芯の通ってない文章になっているが別に読む人間もいないし問題ないと思う。こんな事を話す相手もいるわけがいからなんとなく呟きたかっただけ

もし読んだ人間がいるなら意見だったり批判だったり残していってほしい。自分の言いたいことがこの文章から伝わっているとは思えないが、自分客観視できてない気がするからしてほしい。自分がどれほど馬鹿無意味で浅はかで下らない事を考えてるのか分からせて欲しい

推し、燃ゆ」を読んだ

高校二年生の冬、推し出会った。

「実はね、わたし最近○○くんにハマってて」友人にそう打ち明けると決まって「なんで今更?」と返された。私の推しは、あまりにも有名だった。

けれど、そんなことを聞かれてもわからない。推しとの出会いは運命だった。あの日、ほんの一瞬、画面越しに目が合ったあの瞬間、頭の中で何かが弾けた。私の意思とは関係なく目が否応無しに彼を追ってしまう。あの日の彼はブラックホールのようだった。それまでの私が知る彼とその日の彼は何かが違った。

その日から人生が変わった。

この本の主人公あかりは、推し出会った時の私そのものだった。

あの時の私も推し生活の全てだった。

部活が終わると一目散に家に帰って推しが出ているテレビ番組を見た。お年玉をはたいて買ったライブDVDを、時間があれば何度も再生した。CDが発売される月は友達との遊びを我慢してどうにかその費用を捻出した。推しのために、生きていた。すごく楽しかった。

けれど、幾ら推し推している時間楽しいからと言っても、私にも "私の" 生活がある。

気づけば高校三年生になっていた。志望大学はどこで模試の判定は何で偏差値は幾つで… その頃からクラスメイト自分のことを "ジュケンセイ" と呼び、周りも私たちのことを "ジュケンセイ" として扱った。私もとりあえず、自分のことを "ジュケンセイ" と呼ぶようになった。

けれどいつまで経ってもやる気は出なかった。正直、自分の将来なんかよりも推しの方が大切だった。大学受験は刻一刻と迫っているのにも関わらず、推しに縋って勉強から逃げた。大学には落ちた。自業自得だと思った。自分のことを "ジュケンセイ" だと呼ぶことは出来ても、 "受験生" にはなれなかった。

「折角、良い高校に入ったのに。」

気を使って言わなかったけれど、きっとみんなそう思っていたんだと思う。「地頭が悪いわけではないのだから頑張ればそれなりの所に行けるのに、どうして頑張らないの?」担任には遠回しにそう言われた。本当にその通りだと思う。頑張りたいとは思っていた。でも、推しの方が大切だった。何で頑張れないのか、自分でもわからなかった。

推し出会って一年が経った。周りがみんな所謂「良い大学」への進学を決める中、なんて自分ダメ人間なんだろう、と自分自分に落胆した。推しに縋って生きていたそれまでの自分を心底殴ってやりたかった。

推しに縋って生きた先に待っていたのは、社会歯車に組み込まれた「わたし」の凋落だった。

しかった。このままで良いわけがないこともわかっていた。人間とは不思議もので、自分にラベル(私にとっては地元で一番の進学校に通う勉強が出来る子)が貼られると、そのラベル通りの人間になろうとするらしい。"良い大学に行くために"浪人をした。高校三年生の時よりもちょっとだけ、頑張った。ラベル通りの人間にはなれなかった。

結局、滑り止めとして出願した今の大学に拾って貰った。首の皮が一枚繋がった。私は、あかりにならずに済んだ。(と思いたいだけなのかもしれないが)

気づけば推し出会って二年が経っていた。

現実世界の私は、もう本当に、どうしようもなかった。

こんなにも自分怠惰堕落しているのに、親が私の事を見捨てず変わらず接してくれることが苦しかった。なんでこんな自分出資をしてくれるのか、わからなかった。リターンなんて何も無いのに。この先必ず廃業すると分かりきっている企業の株を親に買わせているようで、辛かった。自分詐欺師にでもなったかのような気分だった。

推し出会って四年が経った。

未だに私は推しのことは相変わらず大好きだし、推しに縋って生きていたあの時と同じように狂ったように愛を叫んでいる。けれど、何かが違う。

大学生になった。

詐欺師から普通人間になりたくて、必死にもがいた。辛い、もう辞めたい、と周りに弱音を吐きながら何が何でも良い成績が欲しくて必死に授業に喰らい付いた。二年前、私がなれなかった "受験生" になったかのような気分だった。気がついたら死ぬ気で喰らい付いた授業で優秀作品に選ばれていた。やっと人間に近づけたかもしれない。そう思った。

推し、燃ゆ。

こうなっていたかもしれない私の、話。

私の推し今日も変わらず画面の向こうで笑顔を振りまいている。そんな推しをぼーっと眺めながら今日も私は目の前の課題に取り組む。

私の背骨はいつの間にか、推しから現実生活に変わっていた。

2021-01-29

最もおしゃれといわれる大学に入ったらガチオタクになった話

そろそろオタク歴6年になる。入学当初は、まさか自分オタクになるとは思っていなかった。

中学高校時代無趣味に近く、周りが「これ面白いよー」というもの

漫画ドラマ映画にかかわらずつまんでそれなりにハマっていたくらいだった。

今思い返せば周りにかなりの数の腐女子二次オタがおり、近しい友人もオタクだった。常に布教されているような環境だったが、

彼女たちのすすめるものいまいち私の好みに合わず深夜アニメって独特だなくらいにしか思わなかった。

今思えば、オタクになったきっかけは、大学受験に失敗して、長年入学たかった大学に入れなかったことだった。

私の家は厳しく、中学入学するまでは夜8時以降のテレビ禁止、中高時代ネットにもアクセスできなかった。

それが当たり前だったのであまり辛いと思ったことはなかったが、本当に世間知らずのまま育っていたことは確かだ。

それでも、行きたい大学があったか我慢できていたのだと思う。

しか高校卒業後、家の事情浪人が出来ず、かなりの年月あこがれてきた大学に届かなかったことで気持ちが完全に切れてしまい、

特にやりたいこともなかったので、抜け殻のような生活になってしまった。鬱の一歩手前の状態だった。

分不相応私立中学から入ってしまい、必死競争に疲れ切っていたことも理由の一つだったように思う。

本当は新歓に出席してコミュニティーを広げたりバイトを始めたりしなくてはならないと思ってはいたが、

人と話すのも面倒になるほど気力がなくなってしまい、

何とか授業にだけは出席し、帰宅する日々が続いた。

大学後期になるとさらに授業が少なくなり、完全に廃人となった。

このころになるとさすがに勉強だけはする気力が湧いてきたので

空き時間英語検定勉強をして過ごしていたが、それでもかなり暇だった。

もう一度大学を受けなおそうかなとぼんやり考えていたころ、

ほぼ見る専用に作っていたツイッターフォロワーアイコンが突然、とあるアニメ作品イラストに変化していたのに気づいた。

調べてみると最近爆発的に人気となった作品のようで、ネットで落ちていた動画を拾ってみたところかなり面白かった。

つの間にか放送分すべて視聴していて、あたりは真っ暗になっていた。

分割2クールだったので、年明け後からすべてリアルタイムで視聴した。

ツイッターはそれ専用のアカウントになり、気づけば連日連夜解釈つぶやきまくるヤバいオタクになっていた。

初めてイベントに行き、フォロワーに会い、グッツを集め、痛バを作った。

交換や整理券取得のため、寒空の下を何時間も待ったこともあった。

今思えば、私は長年の目標が消えたことで、すべてに対してどうでもよいという気持ちが先行していた。

けれど、その気持ちと同じくらい、何かにハマりたい、熱くなれるものが欲しいという思いはどこかにあったのだ。

それともう一つ、作品名前を出すつもりはないが、私はあの作品にとても救われた。

今まで、良い大学に行くことだけがすべてだと思っていた私にとって、

卑屈な心を救い上げてシュールな笑いに変えてくれるあの作品は見ていてとても気持ちが楽になった。

高校時代の友人から進学先をバカにされた辛さや、何も気力が湧かなくなった自分を何とか奮い立たせようと頑張っていた気持ちが、いい意味で切れたのだ。

私はその時、少し休みたいという自分の心にようやく向き合うことが出来た。

私の出身大学は、日本一おしゃれな大学と評判だった。

勿論、キャンパスを歩いていて一発でオタクだと思われる女子学生はいなかった。

けれど、サークルに入りそびれ、一年を棒に振った私にとって、

大学生活を頑張る糧はもはやオタク活動しかなかった。

在学中の4年間でたくさんの沼にハマりつつ、ぼっち淡々単位と専門系の資格を取り、卒業した。

ぼっち弊害はやはりあり、新卒ブラック企業に入ってしまったのでかなり神経をやられた。

今は一度転職をした。特に情熱も気力も目標もないが、なんとか分相応に食べていける分のお金を稼いで社会の片隅で働いている。

ただ、オタク活動をしていたことにより大学生活記憶ほとんどなく、大学時代の話を振られるのがとても怖い。

2021-01-25

次男っていうだけでこんなに不遇なのは普通

現在アラフォー。幼少期から大人になるまで次男だというだけでいろいろとひどい目に遭わされてきたので以下に記す。

なお、両親と兄はこれでも兄弟は公平に扱っている、贔屓などしていないの一点張り

・何も買ってもらったことがない。服はお下がり制服学用品文房具も全部お下がりバットグローブテレビゲームも全部兄のお下がりおやつは兄が食べきれなくて残したものだけ。朝と夕の食事家族の残り物。受験勉強参考書お下がりジャンプも兄の読み終わったものしか読ませてもらえない。お小遣いはなし。

・お祝いされたことがない。生まれた時から幼稚園に入った時も、七五三も、小学校入学も、中学校入学誕生日も何もお祝いされたことがない。入園入学の時に写真を1枚撮ってもらっただけ。誕生日は「あーはいはいおめでとうー」の一言のみ。生まれから成人までに撮ってもらった写真は5枚だけ。兄の写真アルバム3冊分。

・俺にまったく関心がない。幼稚園の送迎なし。幼稚園の送迎バスも金がかかるからという理由で俺だけなし。徒歩で幼稚園に通園。どんなに怖い目に遭っても、ケガをしても無関心。兄の成績が良くなかったときには塾やら進研ゼミやらなんでもやらせてもらえるのに、俺の成績が悪くなっても「なんでそんなにバカなの。恥さらし。」と罵倒されて終わり。頭に来たので高校大学私立に進学したら今の今までずっとごく潰し呼ばわり。浪人は認めない。兄は浪人でも予備校でもなんでも可。

大人になっても不遇。兄が結婚した時は結婚式の費用結婚資金に何百万円も支出したのに、俺が結婚した時は、こんな親でも一応報告しないとと思って報告したら「おめでとう」だけ。もちろんお祝いなんてしてもらってない。祖父母お葬式ときはずっと受付や雑用係。

ちなみに九州のド田舎出身。父方の祖父母からして長男贔屓。

俺があまりにも不憫でかわいそうとお小遣いをくれたり服を買ってくれるのは東京に住んでいる叔母(母の妹)だけ。しかし、叔母が俺に何かしてくれると「迷惑をかけるな」と母に怒られるわ、「甘やかすな・甘やかしてない」で叔母と母が喧嘩になるわで最悪。

努力するほど幸せから遠ざかる

昔、中学受験をやった

文字通り、起きている時間ほとんど勉強していた

別に私立中学に行きたいわけじゃなかった

ただ、親の暴力から逃れたい一心だった


勉強していないと見なされると暴力を受けた

から必死勉強していた

当然頭は良くて、小学校では授業が退屈、生活態度は最悪だった

当時の担任に「勉強だけできてもろくな人間にならない」と怒られたのを覚えている

自分もそう思うよ、畜生

だったら親に言ってくれよと、そればかり願っていた


家にいれば勉強しないといけない

学校に行くと勉強ばかりしていることを責められる

勉強から解放されるには受験するしかない

受験が終われば自由になるのだ

こんなどうしようもないジレンマからも、暴力監視の日々から


かくして受験完了

第一志望合格

第一志望に合格すれば今後はゲームをして良い、学習塾強制しない」という約束を親と交していた

やった!自由だ!


自分の横で、母親の際限ない欲望が渦巻いていた


母親約束を破り、予備校への入校手続きを済ませていた

放課後自習に使おうと思っていた時間を、身の丈に合わない高レベルな授業に費やされた

サボって連絡でも行くと後が怖い

嫌々通った

既に中学受験で無理をしていたのもあって限界が近かった


更には入学先の学校が最悪だった

偏差値に見合わない校則の厳しさ

偏差値が高いほど校則が緩いとはなんだったのか

自由が遠かった


努力は願いを叶えてくれるものだと信じていた

しかし実際は、努力をして更に自分を苦しめる状況に身を置いただけだった


勉強させるために親が使う文句が「ゲームを壊す」から学校を退学させる」になった

学校学校でクソみたいな校則精神論で溢れた受験少年院だった

辞めたい学校だったが、辞めるには費やした努力が惜しかった

手に入れたものゴミだったのに、ただただプライドからそれに縋った


死にたかった


未来を諦めることのできない自分から解放されたかった

いとも簡単約束を破る親の元に生まれ自分から解放されたかった

努力が実を結んでも、それが自分を救う結果にならない星の元に生まれ自分から解放されたかった


努力するほど幸せから遠ざかる


中学高校は自堕落に過ごした

好きな物を作らなかった

好きな物母親にバレると、自分勉強させるための脅迫材料になる

ならば何も趣味を持たなければよかった


趣味で脅せないなら、次は自分を捨てると言い出すだろうなと思った

それならそれでよかった

死んでやろうと思っていた

自分の命に価値を感じていなかった

どうせ生きていても、生きていたいという気持ちを利用されるだけなら死んだ方が幸福だった


予想に反して母親は自堕落自分放置した

そのまま自堕落に生きて、自宅から通える範囲大学に落ちた

浪人して、ろくに働かない頭でも受かった地方国立入学した

実家から飛行機距離


これは死ねると思った


死ぬ準備をしたが死ねなかった

自分が死んだら事故物件になるマンションの、その管理人があまりにいい人だった

その人を困らせる真似はしたくなかった

他にいい場所もなかった


堕落に生きた

人生の節目になりそうな場所だけ少し頑張った

派手さも名誉もないが、自分のやりたかったゲームに埋もれた幸せな日々を送れた

努力しない方がすぐ幸せに届いた


努力をするほど不幸になる星の元に生まれついたのかもしれない


こうやって一生、努力を避けて生きていくんだろうなあと思った

毎日好きなゲームをして、最低単位卒業して、目先の幸せだけ齧って生きていく生活だった

これからもきっと、子供時代幸せの追求と最低限度の努力だけで生きていくんだろう

未来展望薔薇色に甘くて、ふふふと笑いが出た

それから涙が出た


努力を信じていたかった

2021-01-21

東大理3

河野玄人といえば東大医学部在学中に司法試験合格した天才である

医学部在学中に女性中絶をさせたと一時期話題になり、多くのTwitter医学生(別名医クラ)に批判された。

東大理3にはもう1人異彩を放つ人物がいる。

本名は控えるが9浪の末、理3に合格現在国試浪人3年目のルシファーと呼ばれる人物である

9浪プラス3浪という意味のわからない経歴もあるが在学中女子学生ストーカーして大学当局から勧告を受ける、Twitterで人気女性声優に対して学歴マウントをする、彼の入学により東大面接を復活させたなど他にも彼は様々な出来事を起こしている。

疑問なのは医クラの中では河野よりルシファーの方が医師の適性があると断定する人間が多い。

医クラは元々浪人界隈などという学歴マウントと歪んだ偏差値至上主義(至上どころか偏差値が唯一の価値観である)で頭のおかし人間集団だ。

医学部内という閉鎖性もあり自浄作用がない。この常軌を逸した集団医師として働くと思うと恐ろしくてしょうがない。

日本未来はやはり暗い

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