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はてなキーワード: 口述とは

2020-12-03

anond:20201203160254

当たり前じゃん

叔父さんが財を成すまでと昔の生活口述筆記されていて面白かったぞ

2020-08-02

戦史叢書、各巻の概要(書きかけ)

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戦史叢書

防衛研修所戦史室(現・防衛防衛研究所)が編纂した太平洋戦争及び日中戦争大東亜戦争)に関する公刊戦史。

開戦経緯、戦争指導、個々の作戦等について、各種文書口述記録並びに外国の公刊戦史等を元として、記述するもの

1966年昭和41年から1980年昭和55年)にかけて編纂・発刊。

大本営関係34巻 · 陸軍戦史37巻 · 海軍戦史21巻 · 陸軍航空戦史9巻 · 年表1巻の全102巻で構成

戦略レベル以上の分析史料批判に欠ける。旧軍所属していた元軍人が書いているため、身内に係る批判がされにくい。陸海軍対立編纂事業にまで及ぶ。捕虜の取り扱いや占領行政に係る記述が無いか少ない。索引が無い。誤りが多い等の問題点が見られるようだ。

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戦史叢書第099巻 陸軍軍戦備

 日本陸軍の軍備及び戦備並びにこれらに関連する事項について記述官制について記述

 扱う期間は慶応3年1867年)~昭和20年1945年8月15日

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戦史叢書第008巻 大本営陸軍部<1>昭和15年5月まで

 明治元年1868年から昭和15年1940年5月までの約70年間に亘る陸軍中央部施策中、大東亜戦争関連事項につきその大綱を概説して記述国防上の政策軍令機関等の制定改廃、帝国国防方針の制定改定等について記述

 扱う期間は明治元年1868年)~昭和15年1940年5月

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戦史叢書第009巻 陸軍軍需動員<1>計画

 主として大正6~7年(1917~1918年)頃から昭和12年1937年)頃までの約20年間に亘る陸軍軍需動員の計画準備について記述徴発制度法令官制計画等について記述実施面については、戦史叢書33巻『陸軍軍需動員<2>実施編』に詳述。

 扱う期間は大正6~7年(1917~1918年から昭和12年1937年)。

戦史叢書第065巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<1>

 大本営陸軍部の立場から大東亜戦争日中戦争太平洋戦争)に至った政戦略の経緯や戦争指導について記述。主として「大本営政府連絡会議」及び「御前会議」の運営及び開催に伴う陸海軍及び外交当局の動きについて記述

 扱う期間は昭和6年1931年)~昭和16年1941年8月30日

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戦史叢書第091巻 大本営海軍部・聯合艦隊<1>開戦まで

日本海軍創設から大東亜戦争」開戦までにおける海軍中央部施策 、開戦から終戦までの大本営海軍部・連合艦隊戦争指導および作戦指導概要記述

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戦史叢書第088巻 海軍軍戦備<2>開戦以後

 日本海軍の軍備及び戦備並びにこれらに関連する事項を重点的に概述。

 扱う期間は昭和16年1941年11月昭和20年1945年8月15日

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戦史叢書第043巻 ミッドウェー海戦

 昭和17年1942年6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー海戦及びその前後海軍作戦について記述。本作戦は、戦争全般ターニングポイントとみなされている重要な戦役(戦闘)であり、本作戦の失敗(敗北)以降、開戦から常に先手を取り続けていた日本海軍は、守勢に回ることとなった。なお、本作戦は、アリューシャン列島西部要地攻略作戦と一体の作戦として計画及び実行されたものであり、戦史叢書第029巻『北東方海軍作戦』を関係して参照することが望ましい。

 明治戦争勃発前までの海軍作戦構想が概述されている。

 扱う期間は昭和17年1942年1月昭和17年1942年6月

 (但し、海軍作戦構想概略部にあっては明治以降)

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戦史叢書第046巻 海上護衛戦

 海上輸送及びその護衛について総合的かつ包括的記述

 外地特に南方占領地)から海上輸送は、戦争中の国力維持に対し極めて強い影響を与える。戦争敗因の一大要因として、わが海上輸送力の減退に基づく国力喪失が挙げられており、それらの実相並びに諸対策実態を明らかにするためにも、これらの関連分野全般に亘っての総合研究叙述が必要とされるところである

 扱う期間は明治40年(1907年4月昭和20年1945年8月

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戦史叢書第082巻 大本営陸軍部<10昭和二十年八月まで

 昭和20年1945年1月8月にかけての大本営陸軍部の作戦指導及び戦争指導の経緯を記述

 扱う期間は昭和20年1945年1月20日~昭和20年1945年8月15日

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2020-07-17

漢字検定って意味ないだろ

もちろん、趣味でやってる人はその道を極めればいいと思う。そこは否定しない。

だが、「漢検 メリット」とかでググると、はっきりと「進学や就職の役に立つ」と言っているものから、やや控えめに「大学就職先によっては役に立つ場合もある」というものまで、結構ヒットする。

いやいや、断言するが何の役にも立たねーよ。そりゃ、すげー極端な事例には当てはまるかも知れないが、普通に生きてて漢検実用的なメリットを感じる瞬間なんか無いって。

漢字知識ってのは、そりゃ重要だ。たとえば、「有終の美」の「ユウシュウ」は優れているという意味の「優秀」ではない。そういうことは日本語を使う上で知っておいた方がいい。しかし、「齟齬(ソゴ。意見事柄が食い違うこと)」とか「髣髴(ホウフツ。よく似ているものを見て、そのものを思い浮かべること)」なんて字を手書きで書けるかどうかは、全く重要ではない。意味は知ってる方がいいが。

今はコンピュータがあるから漢字が書ける必要は無いという意見がある(勿論、山とか水とか木とか、そのレベルは書けないと困るだろうが)。これは正論だが、コンピュータの無かった時代も、複雑な字や使用頻度の低い字を書ける必要は無かったんじゃないのか。「彼の振る舞いは、政治家であった彼の父をホウフツとさせる」などの用例は、今も昔もよくあると思うが、昔はこの「ホウフツ」を調べずに書けなければいけなかったかどうかは、非常に疑わしい。

今も昔も重要なのは、「漢字を知っているかどうか」ではなく、「内容のある文章口述等の中で正しく使えるかどうか」だ。その意味では、漢字検定はほとんど役に立たない。漢字検定の問題は読みと漢字対応を暗記させるだけであり、具体的な文脈からは切り離されている。また、出題される漢字は、単に使用頻度に基づいて分類されているだけであり、政治経済に関するもの文藝で用いられるもののような実用的な分類がされている訳でもない。

また、知的好奇心を満たすために漢検勉強をする人もいる。これは異論ある人もいると思うが、上に述べたような理由から漢検勉強がそういう目的に則するかどうかは微妙だと思う。本当に生き生きとした漢字知識を得たいのであれば、近代以前に書かれた文学作品とか、漢籍などを読んだ方が有意義であると思う。

2020-04-03

anond:20200402202236

たぶん行動記録とか口述録とかを編集するとあとで読み返したときに有ったことが無かったり無かったことが有ったように思える人なんだよ。

そういう人は一定数いる。

2020-03-12

いとこがガラケー健康報告してきたけど

やつはスマホもってないからこっちがいつもつかってるラインみたいに口述筆記できないし写真もおくれないし

小学生向け無料公開動画urlおくってやることもできないし

マスクメルカリで買う事ができないんだろうと思うとそれはいいんだろうけど

返信必須なのにどうにも親指がだるい

格安とsimfreeで一揃いそろえてやるから20万くらいの予算でどうにかやらせてくれないか

金ないっていいそうだなー

2019-12-08

anond:20191208104718

ノートは基本取らなくていいんやで

対象科目に関する情報の入手手段が、口述の授業しかないという極限状態の時のみ、復習のために仕方なくノートを取るだけ

仕事を教えてもらうときメモ取るみたいなね。

今や参考書がありふれているわけだから、よほど名人の授業でもない限り、ノートを取るという作業はいらんだろうと思う。

もちろん授業内で演習問題をやるならそのための紙はいるし、ノートを取ってはいけないわけではない。必要と思うなら書留めればいい

でも今の時代なら録音なり録画なりして、見返して、理解したら問題集こなせばいいと思うよね

それが禁止される学校という特殊空間からこそのスキルよ、ノートって

2019-11-03

アンチフェミのための本当の社会構築主義入門

 以下では、フェミがオタク叩きをする根幹思想”社会構築主義”とは?における主として次に挙げる2ツイート問題点の指摘と、関連して宇崎ちゃん献血ポスターについての議論を行う。

そもそも

社会構造ってなに?

どこにあるの?

どうやって見つけるの?

それは反証可能性あるの?」

って、どの研究書を読んでもまともに書いてない。ただ、「ある」ってことを前提にして話をしてる。

そもそも社会構築主義」に限らず、社会学において、社会構造人間行為関係は、最も根本的なところでまったく解明されていない。

人間社会構造を作り、その社会構造人間規定するというのがどういうことなのか(ミクロマクロリンク問題)、社会学出来てから100年以上全くわかってない。

 この文章を書いた理由としては、上記Togetterがあまりに「社会学」についてのひどい誤りを書き散らしているにもかかわらず「参考になった」的なコメントが多くついておりヤベえと思ったためです(「ジェンダー論」についても誤りがありそうだけど詳しくないのであまり触れませんでした)。また、それはそれとして献血ポスター批判側にも「社会学」(同じくたぶん「ジェンダー論」も)を誤解していたり、受け手を誤解させかねない振る舞いが多く見られるのでその点についても指摘しています

 以下では最初に「反証可能性」についての話をした後に、次に「社会構造」の話をし、最後に宇崎ちゃんポスターの話をします。

 まず、反証可能性という用語を真顔で使っていいのは高校生までです。科学哲学(「なにが科学か」「そもそも科学とは何をしているのか」についての哲学)に詳しくない人のために反証可能性について一応説明しておくと、「それが間違いであると認められる可能性が無いもの科学ではない」という理論です。たとえばオカルトに対しては結構これが有効で、やつらはこれを買うと病気が治るとか言って壺を売りつけてくるわけですが、当然買っても病気は治らない。それで苦情を言いに行くと「あなた信心が足りないからです」とかなんとか言って「仮説:買うと治る 実験:買った 結果:治らなかった→仮説は棄却される」という「反証」を受け入れてもらえない。こういう状況を反証可能性が無い、といい、その状況と「まっとうな科学はすべて反証可能性を持っている」という前提からオカルト科学ではないと結論されます

 しかし、であるオカルト科学ではないのはいいのですが、すべての科学反証可能性を持っているかというと怪しい。化学物理学最先端研究だと、現状そこの施設しか営利企業だったりする)でしか検証できない実験結果がネイチャーかに載ってたりする。あれはいいのか、という話になる。「いずれ反証できる『可能性』があるからいいのだ」という人がいるかもしれないが、いまこの瞬間はまだ反証可能性が無いのにネイチャーかに載っちゃうのはどうなのそれは本当に科学なのということはまだ言える。というかそれでやばいことになった事例もあるわけで(ヘンドリック・シェーンSTAP細胞など)。まあ「可能性がある(実際先の2つは実際反証されたやろ[STAP細胞が無いと証明した人が居ないのに反証されたと言っていいのかとか問題もあるのだが省略!])」というところでそこは押し切るとしても、更に根本的な問題がある。

 反証可能性理論から出てくる規範として「科学者ならば反証された仮説にこだわっていてはならない」というものがある。例えば「STAP細胞はありまぁす」とかほざいた奴に対する科学コミュニティからまなざしを思い出してみるとまあわかる話でしょう。しかしそんないさぎよい態度が歴史上とられたことがあっただろうか。例えばニュートン万有引力を「ありまぁす」と言ったわけだが、当時の科学者(とか錬金術師とか哲学者とか、ようするに当時のインテリほぼすべて)から袋叩きにあった。ほぼ1人vs全世界の構図なわけで、それだけの物量の「反証」が寄せられると中には正しいものもあったりする(たとえばニュートンは「エーテル」を存在するものとしていたが、そんなものはない。あるいは単純な計算ミスもあっただろう)。さて、正しい反証を示されたニュートン万有引力という仮説を撤回しただろうか。皆さんご存知の通りしなかったのである。なんと卑怯にも奴は後出し理論マイナーチェンジを続けて「ありまぁす」と主張し続けたのである。壺を売ったあとに「壺は仕事をしたが信心が足りなかった」と言う宗教家と何が違うのだろうか。というのは流石に極論であるにしても、反証可能性という概念が当初思ったほど切れ味の鋭い概念では無いことは理解してもらえたと思います

 そういうのをコミコミで、普通反証可能性」という用語を教わるときは「という便利そうな概念があるけどそこまで便利でもないよ、だから次のパラダイム論が出てきて、それも思ったほど便利じゃなかったので…」というところを必ずセットで教わると思う(ので真顔で使っていいのは高校生まで)のですが、件の人は一体どのような教わり方をしたのでしょうか。

 この時点でこの問いがどうかしていることは明らかなのですが、「社会学が専門」と言った上で「社会構造ってなに?」という問いはまして頭が痛いです。

 社会学史のおさらいをしましょう。なぜ社会学なんて胡乱な学問が成立したのかと言うと、それが必要だと当時の人たちが考えたからです。どういうことか。一般的社会学の成立は、19世紀前半~中盤に活躍したコントスペンサーという人たちから19世紀後半~20世紀初頭に活躍したデュルケームウェーバーという人たちあたりが成立させたと言われています。以下ではコントデュルケームという2人の流れを説明します。スペンサーウェーバーも偉いのですが、「実証的」とか「科学的」とか言われる社会学を作ったのはやはりコントデュルケームだと思うからです。あとぶっちゃけスペンサーウェーバーには筆者が詳しくないという理由もあります

 さて、時代19世紀初頭、フランスコントという人がいました。大抵の社会学史的な文章にはこの人の名前が出てきます。逆に言えばたいてい名前しか出てこないのですが、その理由はおそらくデュルケームと比べるとぶっちゃけまりに見劣りするからです。それでも名前が出てくるのは、彼が今の意味での「社会学」という言葉を初めて使ったからです(正確に言えば彼が提唱したのは社会物理〉学でしたが、ここでの物理学physicsは明確に形而上学meta-physicsと対比される形で使われており、社会形而下学とか、社会についての実証的な学問とか、まあ要するに社会学のことでした)。19世紀初頭のフランスといえば、フランス革命の余波も大きく、社会しっちゃかめっちゃか状態でした。偉かった教会とか王様とかの権威が失墜して、ナポレオン独裁して、また昔の王朝に戻ったりしてました。多分一年ごとに自民党共産党政権を交代してもここまでの混乱はしないんじゃないかってくらいの混乱だったんだと思います。そういう中で生きてると不安になるわけです。幸せになれないわけです。じゃあどうすればええねん、と考えた人がコントでした。彼は「社会学」という言葉を初めて用いた『社会組織必要科学作業プラン』の中で次のように述べています。昔は王様とか宗教とかが社会をまとめあげてたよね。で、今もそれを復帰させようとしてる人がいる。気持ちはわかるよ、でも一度変わってしまったものは元に戻らないわけで、そういうのは無意味。新しい社会には新しいまとめあげの方法必要だよね。そのための方法社会についての実証科学を創設してみんなにそれを教育するということです!なぜならそれによって、社会のみんなで同じものを見て確認するということが可能になり、それでまたみんなの団結が可能になるからです!と。今の意味での「社会学」を全員に教育するべきかはともかくとして、社会についての科学的知見を皆が持つべきだ、というのはなんとなくわかる気がしますよね。というか200年経ってもまだ未達成なプランじゃないかと言う気がしてきますよね。「身の丈」とか言ってる人にはコントの遺灰を煎じて飲ませたいくらいじゃないでしょうか。正直天才の発想だと思います。ここで大事なのはコント王様教会権威(当時は王様神様みたいなものでしたからようするにまとめて「神学」でしょう)の代替物として、「社会学」を構想したということです。にもかかわらず「社会学は神学も同然だ!」と鬼の首を取ったように繰り返してるあたりで、ああこの人は歴史を知らないんだなと思ってしまますが、まあ確かにいまどきハンショーカノーセーのない神学のままではよろしくない。

 それをどうにかしたのがデュルケームでした。彼は19世紀末に『自殺論』という本を著しました。一般教養講義などで社会学を取ったことがある人なら聞いたことはあるはずです。この本の意義は簡単で、社会しっちゃかめっちゃかになると自殺が増えるということを統計的に明らかにしたという点に尽きます。まあわからんでもないけど何がそこまですごいの?って思いますよね。デュルケームがすごいのは統計学が未発達(というかほぼ存在しない)なかで、しかも「社会個人に影響する」という概念自体存在しないなかで、自殺という究極的に個人的だと思われた事柄と、季節や宗教といった普遍的社会事柄統計を用いて結びつけた点にあります。それまでも人の死についての統計は無いわけではありませんでしたが、それは保険のための年齢別の死亡率表のようなもので(それも当時としては画期的だったのですが)、社会と死(それも病死戦死ではなく自殺)が結びつくという発想はまったく存在しませんでした。どれくらい革新的だったかというと、「『社会がこうなると自殺が増える』って書いてるけど、自殺してないやつのほうが多いよね?」「てか社会がそうじゃなくても自殺してるやついるよね?」みたいなクソリプ殺到するほどでした。それほどに統計というものが未知のものだったのです(今でもたまにこんな人いますよね)。かくしてデュルケームは、自殺というものすごーく個人的な(と思われている)ことと、社会構造との結びつきを発見しました。現在に至るまでその後のすべての社会学は、このデュルケームの発想の上に成り立っていると言っても過言ではありません。別に学問的なものでなくても、たとえば「社会をよくして自殺率を下げるべきだ」とわれわれが当たり前に考えているのも、デュルケーム社会自殺関係を明らかにしなければありえなかったことでしょう。あるいはより学問的なことを言えば「身の丈」発言があれだけ叩かれたのも、「貧困家庭の子供の大学進学率は低くなりがちである」「大学に進学しなかった場合は、進学した場合よりも収入が低くなりがちである」といった、日本社会学がこの30年ほどで明らかにしてきたことが人口膾炙したためであると思われます(ちなみに教育社会学を専門にしている先生[竹内洋苅谷剛彦だったと思う]が公民館で講演したところ「先生のおっしゃってることって、魚屋の息子が魚屋になるってことですよね?そんなのみんな知ってますよ」と言われたというエピソード個人的に好き。みんな知ってることを統計的確認するのが大事なんです)。

 このデュルケーム研究ひとつとってみても、あるいは「身の丈」発言に怒れるようになった日本人をとってみても、「社会構造存在する」というのは科学的に正しいし、世間的にも常識となっているとみてよいのではないでしょうか。それを否定するのは、Twitterなんかではなくそれこそ論文を世に問うことによってぐらいでしか可能にはならないでしょう。そのためには社会学の100年以上の歴史通暁していなければならないでしょうが、「反証可能性」を錦の御旗のように用いている人がそうであるとはとても思えません(社会学はその歴史最初からかなり頻繁に科学性を疑われる学問ですから何度も科学哲学の成果を吸収したりそれに反発したりしてきました)。

 まあ、件の人のおっしゃりたいことも部分的にはわかりますよ。社会構築主義うさんくさいって。まあそもそも社会構築主義というものがほぼ定義不能こんにゃく理論なのでそれに反発してもなあって感じもしますが。知らない人のために大雑把に説明しておくと、広義の意味での社会構築主義とは、何か(大抵は個人的で意外なもの)が社会的に構築されていると主張することの総称です。その意味ではデュルケーム自殺社会的に構築されているという社会構築主義者ですし、おそらくフェミニストであろうがなかろうがすべての社会学者がそうです。狭義の意味では現象学的な理論が語用論的展開の中でエスノメソロジックになんちゃらみたいなのがあるようで、一部フェミニズム的な社会学者はこの立場を取っているようですが、この書きぶりからもわかるように筆者は詳しく知りません。こんな曖昧概念を「ラディフェミ(≒社会構築主義)」と書いてしまえる胆力には脱帽しますが、その後社会学全体が神学だみたいな話もしているのでそもそもよくわかっていないのでしょう。

 それとは逆に「よくわかっている」人が社会構築主義批判した例として、イアン・ハッキング『何が社会的に構築されるのか』『何が社会的に構成されるのか』(誤字指摘感謝Twitterで「社会構築主義」と「社会構成主義」の違いを尋ねていた人がいましたが、場合によって一緒だったり違ったりします。ここではルーズにごっちゃにしていましたが流石に書名はだめですね)を挙げておくことは有用でしょう。この本は社会学を好きな人も嫌いな人も読むべき本だと思いますハッキング学者たちによって「Xの社会学的構成」とか「Xを構成する」とか言われているものリストをわざわざ並べ立てます。いわく「著者という存在、義兄弟子供テレビ視聴者感情事実ジェンダー同性愛文化、病、知識、読み書き能力、『要治療』とされた移民自然口述歴史ポストモダニズムクォーク現実連続殺人工学システム、都会における学校教育人口統計女性難民若者ホームレス現象ズールー族ナショナリズム」などが社会的に構築されるのだそうです。まあ、「若者ホームレス現象」とかは確かに社会的に構築されてそうだな、と思うけど、「クォーク社会的構築」とか「ポストモダニズム社会的構築」とかはさっぱり意味不明である。また、その種の中には「実験器具メーターを社会存在(つまり人間である)が社会の中で観測しているのだから科学社会的に構築されている!」みたいなものもあるようで、そこまで行くと「万物は流転する」みたいな悟りレベルに達してそうですげえなと思わされます

 ハッキングは中でも「ジェンダー社会的構築」について着目します。いわく、「ジェンダー」って概念そもそも生物的性」に対するカウンター概念としての「社会的性」だったのだから、「社会的性の社会的構築」と言っていることになり意味なくね、と。まあフェミニズムの側にも言い分はあってハッキングはそれも紹介しているのですが、詳しくは本を読んでください。最初20ページくらいまででまとまっているので。

長すぎたので続きます

https://anond.hatelabo.jp/20191103164229

(2021/2/7追記)書きました anond:20210207093448

2019-10-15

原子炉主任技術者口述受験資格に「実務経験指定施設での講習受講」ってあるのおかしくない?どんだけ原子炉既得権益原子力ムラの界隈で独占したいんだよ

真に原子炉民主化を達成するためには、全ての人が自由原子炉運転をできる権利を持てるような社会を築くべきでしょ

原子炉主任技術者 - Wikipedia

2019-10-07

自分の智恵をメインにトラブルを切り抜けていく系

いいのあったらおせーて

なるべく立ち向かう相手は超常的な奴のがいいんだけど

◎いい例

ハルヒ主人公人間で周りの助力はあるものの基本キョンが発想や機転で解決

俺ガイル上記アンチテーゼ的な意味合いはあると思う

青春ブタ野郎超能力といえども思春期問題に向き合っていき、心で治す主人公

バットマン→まぁそこまで好きじゃないけど金の力と体力で頑張ってて偉いよね

△違う例

とある禁書

シマコー

◎熱い例

風来忍法帖→はみ出し者の香具師聖女のために魔人のような忍者に立ち向かうやつ

ガダラの豚中島らもさん版風来。日本民俗学者が本物の黒魔術師に襲われる話。というには話が壮大すぎて。神作。

オウム事件前に新興宗教インチキにも触れてるところとかほんとイイよ

出来には満足いかなかったのか、後に空のオルゴールを発表するも口述筆記作品でかなり駄作

栁生忍法帖主人公はクソ強だけど普通女性たちに魔人を倒させねばならないというしばりプレイをしないといけない。

山田風太郎はしばりプレイ天才

縫製人間ヌイグルマー→これも多分オーケン風来忍法帖なのでは? めちゃくちゃアツイし泣ける

2019-08-28

anond:20190828184651

黄色い牙』読んでないだろ。ここ何十年かの彼は口述筆記で数書き倒してるからそう思うんだろうが、あれはあれで存在意義のある作家なのだよ。

2019-06-29

日本人中国から文化の盗用をやらかしたけど、漢字はお返しするとして、何文字を代わりに使えばいいんだろう

アイヌ語を参考に口述オンリーにすればいいのかな

2019-05-03

死にかけの声豚コンテンツミリオンライブの罪を忘れるな。

やぁ、久しぶりだね。

順調にサ終、消滅へのカウントダウンを続け、シャニマスやら他のコンテンツに逃亡を続けてるクソ声豚諸君も、荒れに荒れてるが結果(売り上げ)はきっちり残してるデレステを叩いて現実逃避をしている自称ミリシタぺー諸君も元気してるかい

田中琴葉Pだよ。

時代も令和に入り、いよいよミリシタサ終も現実味を帯びてきた。

いや、呪い続けてやるとは言っていたけどまさか本気でヤバイとは思わなかった、びっくりだねーww

やる事なす事全肯定してくれるミリシタ信者調子こいて種田梨沙推し声豚を筆頭に頑張ってエグいガチャイベントで搾り取ろうとしてみたけど金を出すことを知らない声豚の財布はついに開かなかったということで…www

まぁそんな事はいいんだ。

今日はな、そんな死にかけクソコンテンツアイマスお荷物ミリオンライブグリマス時代やらかした「田中琴葉の件」の真実を改めて日の元にさらしてミリオンライブいか運営寄生してるオタクもも気持ちいかを、アイマスペーはもちろん、その他のオタクにも触れてもらう事でミリオンライブは消えて然るべき、触れてはいけないオワコンである事を知らしめたいと思う。

まぁ私怨である事を否定はしないが、二次元コンテンツVtuberなどにも繋がる問題であり、この事案を提示する事には一定意味価値があると考える。

 まず、田中琴葉の件の概要説明する前に声を大にして伝えておきたい。

ミリオンライブ声優ゴリ押しコンテンツである。」

 ミリオンライブはとにもかくにも声優が命であり、声優の追っかけをしている声豚から金を搾り取るためにあると言っても過言ではない。

39プロジェクトだかなんだか知らんが、ミリオンライブに登場するアイドルAS以外は全て声優を担ぐための神輿、いや、踏み台レベルかも知れない。

とにかく声優の都合で性格がブレブレ、キャラ崩壊など日常茶飯事、声優のためならなんとでもなる、最悪いなくてもいい存在としてしか見ていない。

劇場版アイドルスターのそれが良い例であろう。

からさまな声優事務所の力関係が反映されたキャラクターの選抜、出番、セリフ役回りAS中心の物語を作るためのほぼ別人レベルキャラ崩壊(可奈と志保特に酷かった)

765の後輩という設定が完全に裏目に出ている。

そうでなくてもキャラクターの出番の格差や、キャラの作り込みの甘さ、ゲーム自体のつまらなさは同期のシンデレラガールズと比べても酷い物であり、声優ありきで作っているとしか思えない場面が多々あった。

最近ミリシタも口述する種田梨沙や新キャラ二人のためにイベントガチャも回っており、三人をねじ込むために散々根回しやゴリ押しがされてきた。

シンデレラガールズの1/4程度の52人しかキャラクターがいないにもかかわらず、声優の人気に応じて露骨に出番に差があり、実質その人気キャラ十数名以外はモブと大差ない。にも関わらずミリシタ信者は都合のいい数字を持ち出して「デレステに比べれば平等!」と呪文のように唱え続ける。

ライブに足を運べば害悪、厄介、キチガイの声豚ばかり。誰もキャラクターに興味などなく、ペー独自文化としてキャラグッズを身につけているが口を開けば出てくるのは声優の話ばかり。

ライブでもキャラ名ではなく声優名を呼んでクソコールオタ芸で悦に浸る者がほとんどだ。

 (アイマスPはどこにでも湧いてくる上に自分たちに都合の悪いことは隠蔽したり声高に叩く傾向にあるが「アイマス ライブ 厄介」で検索してみてほしい。某スクールアイドルファンの方がよっぽどまともに見える行為がぼろぼろ出てくる)

そしてこうした事実を口に出すオタクを身内に見つけると彼らはあの手この手排除しにかかる。某「外圧」でお馴染みの極悪ソシャゲもびっくりの新興宗教である

 

 

 そんな奴らが「田中琴葉」に何をしたか、これから話していこう。

きっかけは2016年9月1日担当声優である種田梨沙が謎の病気により、活動休止を発表したことに始まる。

種田梨沙が参加していた他のコンテンツが次々に同氏の降板、代役の起用を発表する中、アイドルスターは「種田梨沙の復帰を待つ。」という決断を下した。

当時私は愚かに英断だと感じてしまった。琴葉の声を演じられるのは種田さんしかいない、いつかまた声が聞けることを信じてその日を静かに待とう、そう考えていた。

しかし、異変はすぐに訪れた。

 The@ter Activities投票で決まっていた「普通の子」役を降板して可奈に譲ったことを皮切りに、運営は極力琴葉の話題を避け始めた。

ラジオや各種広告ではもちろん、本家ゲームイベントでも琴葉に対する言及が減ったどころか、カードにも登場する機会が減り始めた。

はいささか疑問だった。声優さんの事情と琴葉は全く関係ないのに、声優さんがいなかろうが、声が変わろうがミリオンライブ世界観に全く関係ない。なぜそんな雰囲気になるのか。

漠然と疑問を持っていたが、それを口にすることはできなかった。

それを口にしてはいけない雰囲気が既にペー共の間で確立されていたからだ。

コンテンツ内の掲示板のようなところでこの雰囲気に耐えきれず、次のライブまでに新しい声優を立ててもらおうと声を上げた者がいた。

しかし、声豚どもはその案を「運営意志に従う」事を理由に袋叩きにして叩き潰し、黙らせた。

(その「運営意志」の真意いかなるものであったか口述する)

 そして迎えた4thライブミリオンスターズにおいて最大の目標であり、ひとつの終着点、武道館でのライブ、その3日目。

私は現地で参戦した。人生においてトップ3に入るレベルの胸糞悪い一日だった。

現地における名刺交換、私が名刺差し出して「琴葉担当です」と名乗ると相手は必ず「あっ.....」と言って伏し目がちになった。

そして口々にこう言った。

「残念でしたね。」

「きっと琴葉も見てくれてますよ。」

「琴葉はいないけどその分頑張って応援しましょう」

「49人での武道館ですけど、楽しみましょう」

 腑が煮えくり返るとはこのことを言うのだろう。危うく怒りで前が見えなくなりそうだった。殴り倒してやりたかった。

ふざけるな、いないのは種田梨沙であって琴葉ではない。なぜ事情も知らない、知る気もない奴にそのようなことを言われなければいけない?

せめて同じ琴葉担当であれば気持ちはわかると思いたかった。

だが、私が名刺交換をした琴葉担当集団はお通夜だった。

比喩ではない、文字通りお通夜のような雰囲気の中上記セリフをうわごとのようにつぶやくのみだ

担当名乗っている人間が「琴葉だってここに来てます。」「俺が連れてきてるから」「奇跡はあります」その一言すら言えないのか。

お前たちが見ているのは結局種田梨沙であって琴葉ではないじゃないか

もう最早ライブどころではなかったが、チケットの金は払ってしまった。時間になれば武道館に入場し、会場を迎えていた。

案の定、まともに楽しむことができなかった。応援なんてとてもじゃないができない。

それでも、それでも最後希望だけは捨てていなかった。

きっと何か、琴葉もここにいるという意思表示パフォーマンスで示してくれるはずだ。そう信じていた。

だが、その期待は最悪の形で裏切られることになった。

ライブ後半、最後の曲

初日乙女ストーム、2日目はクレッシェンドブルーのFLOODING、圧倒的エモさを爆発させていた枠だった。

流れたのは「ジレハートに火をつけて」琴葉がセンターを務めるユニット、灼熱少女の曲だった。

琴葉以外のメンバー4人が迫真の表情で歌う中、琴葉がいるはずのセンターポッカリと空いていて、スポットライトけが煌々と照らされていた。

ふざけるな、ふざけるな。

運営お前もか。お前まで琴葉の存在否定しにかかるのか。

ジレハじゃなくたって他にもシメを飾る曲はいくらでもあるじゃないか。他に演出の仕方はいくらでもあるじゃないか

なぜ敢えてそれを選んだ!?なぜそれを選んだ?

なぜ敢えて琴葉の不在を強調させるような曲、演出を選んだのか。

鎮魂歌のつもりか?公開処刑も甚だしい。

ここで私は悟った、気づいてしまった。

運営種田梨沙の復活を待つつもりはない、田中琴葉というアイドルミリオンライブから消し去るつもりだったのだ。

今だからこそ言えるが、もうすでにこの時点でグリマスサービス終了、ミリシタへの移行は確定していたと見られる。

から運営ミリオンライブの展開についていけなくなった種田梨沙グリマスの終了に伴って琴葉ごと切り捨てようとしていたのだ。

 悪夢はなおも続いた。最後挨拶総合プロデューサーは「ミリオンライブは一歩一歩着実に前に進んでいきます。」という旨の発言をした。

しかしその直後、シアターデイズの発表である

手のひら返しというか、ダブルスタンダードというか。もう呆れて言葉も出なかった。

 一歩一歩着実に前に進んでいくなら種田さんが復帰するのを待って100%状態リリースするのが筋ではないのか?

それとも歩みについていけない者は遠慮なく切り捨てるからついていくも降りるもお前次第だとでも言いたいのだろうか。

私はサイリウムを投げ捨て、最後Thank youを聞くことなく会場を後にした。

やってられないなんてものではない。あそこで最後Thank youのあの演出を見たところで冷める一方だったと思う。

とりあえずキャラ出しとけばお茶を濁せるとでも思ったのだろうか。

後述するが運営対応は全てのメッセージが後手でちぐはぐ、声優種田梨沙自分達に火の粉がかからないためのものであり、要するに自己保身だ。

田中琴葉というキャラクターや、琴葉本人を好きで追いかけてきたPやファン気持ちをことごとく踏みにじるものだった。

 いつだったか引退したとあるPがちょうどこのブログだったかアイマス宗教である。」と言っていた。

まったくもってその通りである。下手すりゃ宗教よりタチが悪い。

あんなに堂々とアイドル存在否定しておいて、最後にちょろっとお涙ちょうだい演出をすれば大の大人が泣き喚きながら「ありがとう」アイマス最高」と狂ったように連呼するのである

気持ち悪い、宗教と言わずしてなんだというのだろう。

あの演出を持って「琴葉はいた。」「4th最高だった。」と言っているペーは田中琴葉担当ではなく種田梨沙信仰する信者であり、所詮種田梨沙しか見ていないにわか声豚である

少し話がそれてしまった。

あのライブの後、私はあらゆる窓口でバンナムグリークレームを入れた。

あれを肯定されては琴葉があまりにも浮かばれない。可哀想なんて言葉では表しきれない程に不憫だった。

だがいずれも返答が返ってきた事はなかった。

その後も琴葉の存在無視され続けた。

ミリシタに琴葉の存在確認できない、グリマス終了時も琴葉のボイスだけ追加予定はなしとされた。

田中琴葉は合流が遅れています。」などという取ってつけたような白々しい文章が踊っていた。

なぜ?琴葉自身に何かあったか?ないよな?

グリマスの方はともかく、4thの時点で3Dモデルを用意できたのならミリシタに実装するくらいわけもないはずだ。

種田梨沙はいなくても田中琴葉はここにいる。」と主張するのなら、たとえ無言でもミリシタに琴葉のモデルだけでも実装し、メイン画面で歩き回ったり、劇場メンバーと会話するモーションを用意することができたはずだ。

たとえ声がつかなくてもユニット曲で歌って踊る琴葉を見ていずれ戻ってくる種田梨沙に思いを馳せることができるならまだ前述の言葉にも説得力があった。

しかし、現実劇場で琴葉の存在確認することはできず、琴葉がここに居るという実感は皆無、そのくせTBなど中途半端タイミング中途半端に顔見せするから案の定ミリシタから入ったぺーは「誰?」状態だったわけだし、それどころか「こんな実装されてないキャラに参加権認めるのか」という不要ヘイトを貯めることになったわけだ。

 そして、今年二月、どうも違和感のある中途半端タイミングでようやく琴葉がミリシタに実装された。

完全に引退していたがようやく思いが届いた、これまでのことは水に流して改めてミリオンライブを始めよう。

そう呑気に思っていた私の心はすぐに打ち砕かれることになる。

 ツイッターに溢れかえる「琴葉おかえり」の文字

 どうして声豚はいつもこう私をイラつかせるのだろうか。

あのさあ............

おかえりと言うべき相手は琴葉じゃなくて種田梨沙だろうが!!

琴葉はずっと劇場にいたんだからお帰りもクソもねえよ!!バカか!!

 ただ、本当に怖いのはここからだった。

どういったわけか、琴葉の存在がまるで悲劇のヒロインであるかのように扱われ始めたのだ。

そして運営はここぞとばかりに琴葉のことを猛プッシュし始めた。

まるで今までの遅れを取り戻すように。

 思い出して欲しい、数行前の流れを

田中琴葉存在種田梨沙の不在を理由否定したのはどこのどいつだ?

お前らじゃないか!!

勝手存在を殺しておいていざ復活したら悲劇のヒロインか?

ちゃんちゃらおかしいとはこのことだ。

 何も言われなかったらミリシタに実装する気すらなかったくせに

反論があまりにも大きくて金になると嗅ぎつけたのか、復活した途端にこの扱い

復活したら、あからさまなゴリ押し

 この手のひら返し種田梨沙信者はここぞとばかりに絶賛の嵐

「琴葉おかえり」「ありがとうミリオンライブ

信仰というのはここまでも人間盲目にするのかともう、哀れみともつかぬ感情けが胸を支配していた。

 そして、私は本来であれは5thにも参加することなく、さっさとアイマスから足を洗うつもりだった。

でも、どういったわけか、ミリオンライブを昔布教してしまった後輩の声豚に無理やり連れられ、5th2日目を見させられた。

 正直言って、まあ酷い、白々しい演出だった。

あれはミリオン5thという名の「種田梨沙お帰りライブ」だった。

白々しいセトリ、4thでは見られなかった景色を完全再現、琴葉はここにいるでしょ?完全復活したでしょ?嬉しいでしょ?ほら泣けよ

と言わんばかりのサムイ演出

それ以外は前日に徹夜で組んだのかと思えるレベルのテキトーっぷり

 そんなことをするなら島原エレナにSTANDING ALIVEを歌わせてあげたほうがよっぽどよかった。

 

 そしてそれに泣き崩れ、泣き喚くキモオタの群れを見て吐きそうになった。

 もうやめてあげてくれ 田中琴葉がただただ可愛そうだ。

 何もしていないのに、声を失ったか存在否定され、忘れられ、かと思えば声優の都合で再び表舞台に引きずり出され

別に何もしたわけではないのに悲劇のヒロイン扱いされる。

そして1周年迎えたら未来ちゃを差し置いてミリオンのセンターですか。

1年で4回も限定に当てられるくらいにはお金なる子からここぞとばかりにゴリ押しですか。

なんの努力もしないでセンターに持ち上げられてしまう琴葉の表情はきっと散々なものだろう。

それで持ち上げられたが故に何も知らない別のキモオタに叩かれ、デレと比べられ、見下され.....

こんなボロボロセンターを見てもあなた脳死で「アイマス最高」「ありがとうミリオンライブ」と唱え続けるのだろうか。

 さて、話が長くなってしまったが、ここまで読んでくれたということは私の話に少しでも賛同する意思がある人か、俺を論破したくて仕方ないクソ気持ち悪いマウント取りオタクのどちらかだろう。

もうもはやキモオタにつける薬などない、正直声豚は死んでも治らないからもう何も言うまい

奴らは反省も後悔もしない、さも当たり前のようにコンテンツを食い潰し、飽きたらまた次のコンテンツに移動するだけだ。

まぁシンデレラガールズ然り、SideMしかり、どこに行っても声優の都合でキャラクターの扱いが決まり、荒れていない場所を探す方が難しい現状を見る限り、もはやアイマスというコンテンツのもの声優ゴリ押しコンテンツになってしまった今、大多数のアイマスペー(笑)に何を言っても無駄なのかもしれない。

それでも俺はこの文を投稿する。

ミリシタが2周年を前にして死にそうになっている今こそ、俺はこの文章投稿する。

もう少し、あともう少しでミリシタはくたばり、今度こそミリオンライブ死ぬ

俺の3年越しの願いがようやく叶う。

ミリシタを、ミリオンライブを殺すのは俺一人ではできなかった。この文章を読んでバカにしてる声豚どもミリタマンセーって口先だけで金を出さなキモオタども、お前ら一人一人がミリシタを殺した。俺のこの文章妄想だとバカにしているお前らは結果的に俺の思い通りお前らが大好きな(好きなコンテンツ金も出さねえお前らの愛ってよくわかんねえけどな笑)ミリオンライブを殺してくれた。

ありがとう、そしてザマァ見ろ笑

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2019-03-02

広告・アフィと「商用」について。広告=商用利用はほぼ間違いない

ちょっと色々と調べたので増田に書き捨てる

結論

結論から言うと、かなりの確率で、収入の大小にかかわらず広告アフィリエイトやっていると商用利用と見做される。だから広告貼ってアフィリエイトブログやっている人は、自分のやっている事が商用利用、営利行為だという前提で色々と動くべきだと思う。知ってさえいれば対処はいくらでもできるし。

たとえば、ソフトウエアライセンスなどには商用利用を禁止した上で安価販売しているものがあるけど(アカデミック版とか)、そう言うのを使って広告アフィリエイトを貼ったブログやそのネタを作るとライセンス違反なっちゃったりする。

はじめに

ちょっと前に、画像引用/転載/流用の件について色々と言われている件あったよね。ちょっと気になって調べてみた。

その話題では、当事者以外の人がそれをみて言っている意見

と言う見解が多く見られる。けど、これは結論から言うと間違いだと思う。一般には通用しない。ネット民、それも、サイト経営などをやっている人が多いとされるはてな周辺における感覚のズレだと思う。

いろいろな所の規約を調べたけど、収入を得る契約広告アフィリエイトを含む)があれば商用利用、営利で、少量で個人なら営利目的で無い、とする一般的な根拠は出てこなかった。ふわっとしたイメージによる解釈だと危険

というわけで、ちょっと調べたメモを載せておきたい。

あ、あと、元になった話題とは関係なく一般論ね。

一応ネット創作活動をしている1人として、自衛のためにどうするべきかを考えたって話です。

どちらの主張を支持するとかではありません。それから、どこまでが引用か、と言う話についても別ね。

辞書的な意味一般的な法律的意味

まず「商用利用」の辞書的な、そして一般的な法律用語的な意味を調べると

営利を追求して同種の行為を反復継続する活動」(大辞林より)のための利用、と言うことでよさそう。そして事業規模の大小が問題になるケースはある様だけど、基本的には旅館業法など、特定法律解釈するときに使われる例外っぽい。

辞書で調べると

商業利用」に同じ。利用者自分利益を得る目的で、営利目的で、利用すること。

実用日本語表現辞典より引用

とある。このまた「商用」とは

商売上の用事。 「 -で出張する」

商業上用いること。

三省堂 大辞林より引用

ここで気付くのは

というところ。

で、法律で言うところの営業とは?と調べると、こんなページが出てきた。

【業法の『業・事業・営業』の基本的な解釈(反復継続意思・事業規模・不特定多数)】

ざっとまとめると

ものが「営業」となる。

営利とは「金銭的な利益を得ようとすること」で「反復継続性がある」と言うのは、例えば知り合いに頼まれたから100円で買った物を1000円で売った、みたいなのは「業」にならない、と言うことのよう。

で、広告収入アフィリエイトは「金銭的な収益をえる」ための契約のものだし、違う目的のために広告必須と言うケースは少ないと思うので営利目的のものだ。設置したらそのまま継続的に行うものなので、素直に判断すると商用ってことで解釈は固いと思う。

ただ、ここで「事業規模で判断する」と言う場合もあるらしい。これは民泊解釈で出てくるものらしいのだけど、地方で大きなイベントをやるときに、年に数回、地元農家お金をいただいて旅行客を泊める、と言う場合旅行業法民泊関連の許可必要なのか? と言う場合には「社会通念的に考えて」営業では無い、と判断するらしい。ただ、古物営業法みたいに一回でもやったら営利だという厳しい解釈もあってよくわからない。

著作権法では?

著作権法で、そのままずばりの商用の定義はない。ただ、営利という概念は出て来る。そして、やっぱり事業の大小は出てこないので、広告アフィリエイトを貼ったら駄目そう。

著作権法第三十八条 について

公表された著作物は、営利目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず著作物提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

まずは前項で説明した「営利」の考え方をそのまま流用できそうなのと、さらに「営利目的としない上映等」として「営利」とそれ以降を分離せず条件として扱っているケースが多いっぽい。

ということで、この解釈でも金額の大小とか、実施している人が個人である場合は可、といった解釈はでてこず、営利、あるいは金銭の授受の有無のみになっているので、広告を貼っている、アフィリエイトをやっている、と言う事は商用とみて良いと思われる。

ちなみにこれ、結構問題になるやつ。これ山ほど判例があって、かなり厳格に解釈されていてめんどくさい奴です。

https://business.bengo4.com/practices/517

イベントなんかする人は気をつけてくれ。ほぼ身内だけだけど会場費にするからと実費で入場料とったりするとひっかかる

運営費にするので、目標お一人300円募金ご協力お願いします」と紙を貼って箱置いておくのは問題無いらしい。

国税庁見解

次に、誰もが恐れる国税庁見解

これも、上記法律解釈論と同じ。広告アフィリエイト営業広告アフィリエイトを貼ったら駄目そう。

国税局はそれが商用なのかそうじゃないのかとかはあんまり関係なく、金が入ったらちゃんと申告して払え、と言うスタンスっぽい。

ただ、法律解釈すると「商用」とは「営業である」とすると、

利益を得る目的で、同種の行為継続的、反復的に行うことをいいます営利目的がある限り、現実利益を得ることができなかったとしても、また、当初、継続、反復の意思がある限り、1回でやめたとしても営業に該当します。

営業の意義 | 国税庁より引用

と言うわけで、上記法律解釈論と同じ。広告アフィリエイト営業であり、ただこちらでは「事業規模」という概念が全く出てこない所がポイントっぽい。

ちなみに、このページは印紙税法に関連する文脈から質問なので、そのあと商法上の解釈について踏み込んでいくけどそこはちょっと話が違うようだ。

この他に、NPO法人一般社団法人の「収益事業」ってやつの解釈を見たんだけど、こっちはあんまり参考になりそうに無かった。定型的に上げられた業務に入っていれば収益事業納税対象、そうじゃなけりゃいらん、みたいな感じでNPO法人以外には適応できそうにない。

ただ、ここでNPO法人場合いくらアフィリエイトをやっても納税対象にはならないっぽい解釈をみつけて、そういえば最近やたらとNPO法人がやっているアフィリエイトブログみるのはこのせいなのかなとか、これはこれで調べるとおもしろそう。

著作権管理団体はどうしてる?

JASRAC

みんな大好きWeb上のパブリックエネミーでお馴染みJASRACはこう定義していて、何らかの収入があれば営利目的と明確に書いている。

情報料または広告料等収入を得て行う配信、および収入の有無にかかわらず営利目的とする者が行う配信をいいます

株式会社等が利用する場合はすべて商用配信となります

非営利団体または個人の方が、広告収入のみを得てダウンロード配信を行う場合は、例外的に非商用配信の取扱いとなります(商用配信の特例)。

https://www.jasrac.or.jp/info/network/business/


ポイントは「何らかの収入があるWebサイトでの音楽利用」は商用配信だが「個人の人が広告のみなら特例で非商用扱いにする」と言うこと。だからどちらにしても、広告あり、アフィリエイトありは商用利用になるみたいだ。

JASRAC規約文化庁に届け出て認可を得るものなので、法解釈よりも営利目的範囲が広いということはあまり考えられないのもちょっと頭においておくといい。

JRRC 日本複製権センター

新聞や一部の雑誌などをコピーする時にまとめて窓口になってくれる団体

いろいろと調べたのだが、ここはそもそも私的利用の範囲に含まれないのならば、金を払え」というスタンスのようで、非営利だろうと営利だろうと個人だろうと、料金の別の区分がないようだった。ボリューム割引はあるようだけど。

ここで適応される私的複製の範囲とは、著作権法30条で

著作権目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。

と言うことになるんだけど、この解釈では「利益を得ようとして複製したら個人的利用では無い」という解釈普通。たとえば「限られた範囲」というのは、数人のグループのよく知った仲間うち、みたいなのも含まれるらしいのだが、そこで無料で配るならともかく、その中であっても金をとったら私的複製の範囲から超えるようだ。ここでも金額の大小は出てこない。

故に、広告あり、アフィリエイトありは商用利用になる。

実際にはWeb不特定多数で上げた時点で私的利用じゃないんで、こんなシーンが実在するかわからんけども、商用利用とはどう解釈されるか?と言うがかりとして。

ソフトウエアベンダーはどうしてる?

マイクロソフト

MicrosoftのLicenseの中には「商用利用権」という概念があって述べている。ここも営利を得る事を目的」としていて、個人などに対して特例を儲けてない

例えばOfficeなどは、Academic版などを買うと商用利用権がついてこない。これに関連して定義確認すると

商用利用とは

利用する場所時間帯、デバイス所有権を問わず業務目的または収益を得ることを目的とした活動

マイクロソフト一般消費者向け Office および 一般消費者向け Office 関連製品の商用利用権についてより引用

定義している。ここで、素直に読むと「収益を得る事を目的」たとえば「少額なら」とか「個人利用ならよい」という様な概念はない。

アフィリエイト契約は明らかに収益を得る目的になるので、営利目的とされるっぽい。

そのほかのソフトベンダー

そのほかいろいろな所を確認してみたけども、少額、あるいは広告収入のみの場合は商用利用とみなさないと言う規約がある所は見当たらなかった。いや、昔はそう言う規約があった記憶があるのだけれど、見当たらない。だれか見かけたら教えて欲しい。

Web広告収入を中心に莫大な利益を上げる時代になった今、そのような例外事項は時代遅れと見做されているみたいだった。

クリエイティブコモンズはどうしてる?

クリエイティブコモンズライセンスにはND,非営利のみ許可というライセンス存在する。で、これは非営利定義が出てきて営利を「主たる目的としない」場合には非営利とみなすことができそうだけどわざわざ特別にそうしているみたい。

非営利」とは、商業的な利得や金銭報酬を、主たる目的とせず、それらに主に向けられてもいないことを意味します。本パブリックライセンスにおいては、デジタルファイル共有または類似した手段による、ライセンス対象物と、著作権およびそれに類する権利対象となるその他のマテリアルとの交換は、その交換に関連して金銭報酬の支払いがない場合は、非営利に該当します。

クリエイティブコモンズより引用

ここでようやく「商業的な利得や金銭報酬を、主たる目的とせず、それらに主に向けられてもいないこと」と言う解釈が出てきている。おお、ついに、と思ったのだが、これについてこういう解説記事がある。

https://wiki.creativecommons.org/wiki/NonCommercial_interpretation

ざっくり言うと、意図的に柔軟に緩く解釈ができるようにしてある、グレーの領域が多くて解釈には議論がある、と言う事が書いてある。

まり一般的な解釈だと厳格になるからCCではわざと緩くした、と言う事のようだ。だからこの解釈一般的な非商用の考え方として適用は出来ないと思われる。

この他に、他の解釈では、一般的に営利団体にいる上で使用すると営利だと言う所は揺るがないのだが、ここでは営利団体にいても使用する行為営利で無ければ使える、と書かれていたりするので、ちょっと特殊っぽい。

ただ、最終的に迷ったらNCが付いてない奴にしといた方がいいよ、とも言われている。

個人的な結論

広告収入がごく僅かしか無い私のようなブロガーは、広告剥を剥がした方が色々と面倒が無くてよさそう。

ハードルや敷居が低いことと、それをまたいだ後に発生する責任義務等価じゃ無いみたい。

いくら簡単に出来たと主張しても、法的な解釈は揺るがない。

なんか流行簡単に申し込めたので貼ってるけど、もう剥がすことにするよ。

2018-07-28

口述筆記でできる仕事って何かある?

タイピングよりそっちのが速いんだけど就職に活かせないかな?

2018-01-06

会話をすると言語能力が落ちる

元々の言語能力が決して高くないせいってのもあるんだが、それにしたって人と会話をしている時の言語能力の低下っぷりと来たら目に余るものがある。

だが考えてみればそれも当たり前なのだ

私にとって人と会話をするということは思考回路をこれでもかと酷使する行為にほかならないのである

私が会話をするのには行き帰り共に3つのプロセス必要とする。

まず、私が今相手に伝えたいことを自分用の形で言語化する。

次に、普通の人(定型発達者)のするような会話をリバースエンジニアリングすることで作り出した定型発達者会話エミュレーターに一度通す。

それから、そうして出てきた会話文が定型発達者同士の会話にふさわしいものかをチェック用のシステムに通し、問題が無いと判断された場合口述の形で出力する。

そして、人から受け取るときも、相手言葉定型発達者同士の会話で使われる文脈をエミュレートした仮想OSに一度通し、それから自分なりの言葉に変換し直し、そうしてようやく内容について考えるという事が出来る様になる。

普通の人はこれを1プロセス、または2プロセスで行うのだろう。

たった1つプロセスが増えた程度で何をそんなに苦労するのだろうかと思われるだろうか、私はこの状態の時2つのOSを同時に頭のなかで走らせなければいけないという事を考慮して欲しい。

だって文章で読み書きする程度ならば、頭の中で簡単な回路を作ればいいだけなので人並みに出来るのだ。

だが、面と向かっての会話となるとそうはいかない。

あの、非言語コミュニケーションなるもの、顔の筋肉仕草、声の抑揚等だけでなくその場の雰囲気しか表現しようもないものまで交えて行うコミュニケーションを処理するのには、もはやOSをもう一つ仮想空間で動かしてしまった方が効率が良くなってしまうのだ。

それほど、私の普段思考回路からアレらの儀式はかけ離れてしまっている。

そんな訳だから、私はただ普通に会話をしたいだけでも非常に脳を酷使することになる。

挨拶のような決まりきった約束事ならば、何とかなるし、内容に自由度がある友人同士での純粋雑談や、逆に何をどう話すかが前もって決まりきっていくらでも事前練習出来るようなビジネス的な会話などであれば人並み(とはいえその底辺に触れるかどうかのレベル)に可能だ。

しかし、時折これらのどれにも属していないような会話が飛んでくると途端に脳が限界スレスレに陥りときには応答なしとなってしまう。

たとえば、上司から普段生活について聞かれたときなどだ。

定型文を使って対処できるうちはいいが、そこから深く踏み込まれると非常に困る。

考えるべきことは無数にあるし、内容についての精査は必須だ。

相手が何を思ってそんな事を聞いているのかも考慮しなければいけないし、どの程度のフランクさをこちらに求めているのかも完璧に近いレベルで読み取ることが求められる。

そのような状態に陥ったとき、私の言語能力ほとんど失われてしまう。

目の前で展開される定型発達的な会話(が出来る人間の振り)をやりきることに精一杯になりすぎて、脳の処理能力が許容限界に達していることに気づかないままアクセルを踏みっぱなしにした結果として、自分の頭の中で生まれ概念を、まず私に分かる言葉に直す能力すらも唐突に失われるのだ。

あの感覚はぞっとする。

言葉が消えるのだ。

概念が形を為さないのだ。

伝えたいこと、考えたいことの漠然としたイメージは浮かぶが、それを他人や、10秒後の自分に手渡せるような実態のある物に変換できないのだ。

思いつくたびにイメージは失われ、失われるたびに再生産され、そのたびに崩れ去っていく。

あの感覚を味わうのが嫌で、私は人との会話を割けるようになった。

頼む、私と会話をするのならば、本当に取り留めのない会話をするか、極めてビジネスライクな会話のみをするか、定型文の投げ合いだけをするか、その3つのどれかにしてくれ。

そのどれにも属していないような会話を私にふるな。

私にとってそれらはどれも苦痛の種でしかないのだ。

2017-10-17

個人的な進捗に影響があったものを書く

効果があったもの

  • 気温

エアコン設定温度26度より上ではほとんど何も成し遂げることができない。7月から9月下旬は大した成果が出なかった。クールビズとか言いだしたのは誰だ? あれは生産量あたりの光熱費悪化するだけだ。消費を抑える以上に収入が下がれば、つまり利益率とかコスパというものが下がれば結局のところ意味がない。日本語ではそれに浪費という言葉を当てるだろう。

代謝が低いとか熱容量が小さいといった理由で放熱レートを抑えたいケースはあると思う。また快適な温度とも一致しない。少し暖かい方が過ごすには楽だ。

もっとも影響するのは根菜とか豆だと思う。次が葉物か。野菜の量と進捗の量には因果関係があるんではなかろうか。国が推奨する一日の必要量とかではなく野菜で腹が膨れるくらい食うとよい。穀類はあまり効果がない。コンビニ弁当サラダなら10個分くらいか効果があると思う。もちろんここにはエンゲル係数との戦いがあり供給コンビニだと袋サラダ1袋くらいが限度ともなろうが……栄養ドリンク類も進捗への影響を分類する上では半分ここに入れたい。

茶、コーヒードリンク類、ジュースカフェイン効果がある。午後の紅茶ミルクティーなど悪くない。ただし手が震える、腹に応える、乳成分が入っていると後味が悪い、洗い物の手間が増えるといった問題はある。夜眠れなくなるというのはあまり気づいたことがない。それ以外の問題のあるものについては知らないがおそらく効果は薄いのであろう。

人間入力情報をなんかうまいこと煮込んで出力情報とする函数である。その入力エントロピーを出力エントロピーが越えることはない。絶対にない。熱力学という規則がこれを規定しているわけではなくこれが熱力学への挑戦によっても破れなかった法則として見出されているのである。読んだだけ吐ける。そのレートは意外と良くないものである。ある文化圏人類の出力エントロピーの総和が入力エントロピーの総和を下回るとすれば、なぜ社会は熱的に最小状態へと向かわないのか? 分からないがこれはグーテンベルク原油のおかげであろう。原油情報となり高尚な知的活動を支えるのである。人は……パンというエネルギー情報に変えるのだ。個人的には核融合でも構わないのだが。

歩数ごとに言葉が浮かぶ。極めて残念なことに歩いていると電子機器に触れることができない。歩きスマホはできるが見るのも入力するのも大変だ。考える余裕がなくなる。HoloLensをつけて歩きたい。それでもタイピング問題はある。口述筆記はこれまた手間で、なんとも遅い。やっていられないだろう。

  • 酒、酢

飲酒の習慣がいつまでも付かないのでなんとも言えないが、酔いが回るまでの短い瞬間は効果がある。毒が回ったあとはやはりだめだ。酢は同じ効果があり酔わないが、胃が急速に死ぬ! これもだめだった。

ないと作業ができない。あってもできるわけではない。ないときに入れてもできるわけではないが、ないと作業ができない。

DHAがどうたら、飯を大量に食うよりは効果があるのだが腹持ちが異様に悪い。魚を食って間食をせずにする方法があったら知りたい。とてもお腹がすく。あと口が魚臭くなるのがいやだ。

効果がないもの

腹持ちが良い。筋肉の元になる。体が丈夫になる。というわけで生残性には貢献するが生産性には貢献しない。うまいので食ったらいいと思う。野菜を合わせると食後感が大変良くなる。情報としては価値がある。

効果がない。過度の塩分焦燥感と手足の倦怠感を生む。過度の糖質は食後に激しく知能が落ちる。

迷ったもの

長期間欠けていると影響はある。一気にたっぷりとるとデフラグ的な効果がある。日々の睡眠による効果というのは今ひとつわかりにくい。寝かせたアイディアを処理することは睡眠時間に余裕がないとできない、といったような作用の仕方がなんとなく見える。

2017-10-13

anond:20171013112759

志茂田景樹小説口述筆記してるって話を聞いたけど、本人が大まかに話して、細かいところはゴーストが書いてるのを口述筆記と称してるんだろうなと想像してる。

2017-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20170529182618

会員制サイトで公開されている作品は該当しない

ダウト

著作権法4条1項によると、公表とは

著作物は、以下の場合において公表されたものとする。

ウェブでの作品の発表は、たとえ会員制サイトであっても「公衆送信方法公衆提示された場合」だからね。がっつり「公表」に該当するのよ。

公表」について

http://anond.hatelabo.jp/20170528113521

不特定多数,あるいは50人くらいの人数より多くの特定多数に公開することを公表といいます

このまとめ的には間違いとまでは言い切れないけど正確ともいえない。

著作権法4条1項によると、公表とは

著作物は、以下の場合において公表されたものとする。

なので、いずれの場合も「公衆」に対して、出版物であれば頒布、それ以外のものであれば提示されることが必要になる。

さあ、ここでJASRAC音楽教室でも話題になった「著作権法における公衆」の問題だ。

この「公衆」というのは、「特定少数の者」以外を言う。つまり不特定多数特定多数だけではなく、「不特定少数」も公衆に含まれる。いわゆるところの「一人でも公衆問題ってやつだ。

「一人でも公衆」ってのは、例えば、世間に対して所定の条件(ウェブで言えば会員になるとか、検索して探すとか、会費を払うとか)を満たせば、誰でもそれを見られる状態にしておける場合、たとえその著作物を見た人間が一人であっても(先着一名様に限ったとしても)、「誰でも見られた」ということをもって「不特定少数」になるってこと。

詳しくはhttps://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20170516-00071009/ こちらのコラムを。

ですのでここは

多数の人(数十人)または不特定の人(それが誰かわからなければ一人でも!)に公開することを公表といいます

としたほうがいいです。

2017-05-19

田代 陣基(たしろ つらもと、延宝6年(1678年) - 寛延元年(1748年))は、江戸時代武士佐賀藩士。通称左衛門。『葉隠』の筆記者口述山本常朝、その師であった湛然和尚石田一鼎等と共に「葉隠の四哲」の一人に数えられている。

略歴[編集]

延宝6年(1678年)、田代左衛門宗澄の子として生まれた。 元禄9年(1696年)19歳の時より鍋島藩3代藩主鍋島綱茂、4代吉茂のもとで祐筆役として仕えたが、宝永6年(1709年)に御役御免となった。

宝永7年(1710年)、山本常朝の庵を訪れ、同じく失意の中にあった常朝と語らい合う内に常朝の言葉口述筆記を始め、7年後の享保元年(1716年)に『葉隠』として完成させた。

5代藩主宗茂時代の享保16年(1731年)54歳で再び祐筆役となる。 寛延元年(1748年)71歳で没し、佐賀市田代の瑞龍庵に葬られた。

墓所[編集]

瑞龍庵で葬られた際の墓碑には「松盟軒期酔之墓」と刻まれていたが、後、墓所存在は忘れ去られた。(その法名から浪花節語りの墓と考えられていた。) 昭和13年に再発見され、昭和19年に有志により瑞龍庵に顕彰碑が建立された。その碑文には「田代陳基先生葉隠纂述記念之碑」と刻まれている。「陣」は「陳」の俗字で戦乱の際などに使われるものであるため、田代陣基への思いを込め本来の字を使用した。

山本常朝

山本常朝

山本常朝の墓(佐賀市

山本 常朝(やまもと じょうちょう、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日1719年11月21日)は、江戸時代武士佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。

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1 略歴

2 隠居晩年

3 史料

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

略歴[編集]

万治2年(1659年)に、佐賀城下片田江横小路現在佐賀市水ヶ江二丁目)で、佐賀藩山本神右衛門重澄の次男として生まれた。母は前田左衛門女。

常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が『葉隠』・聞書第二にあり、それによると、自分は父70歳のときの子で、生来ひ弱くて20歳まで生きられまいと言われたので、塩売りでもやろうと父は思ったが、名付親の多久図書(茂富、重澄の大組頭)の「父の血を受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、9歳のとき鍋島光茂(佐賀藩2代藩主)の小僧として召し使われたという。

11歳で父に死別し、14歳とき、光茂の小々姓(いわゆる児小姓・稚児小姓)となり、名を市十郎と改める。延宝6年(1678年)20歳元服して権之丞と改名、御傍役として御書物役手伝に従事する。この年に、田代陣基が生まれている。

この間、私生活面では20歳年長の甥・山本常治に厳しい訓育を受けたが、権之丞が、若殿綱茂の歌の相手もすることが光茂の不興をかい、しばらくお役御免となった。失意のこの頃、佐賀郡松瀬の華蔵庵において湛然和尚仏道を学び、21歳のとき仏法血脈けちみゃく(師から弟子に法灯が受けつがれること)と下炬念誦あこねんじゅ(生前葬儀の式、旭山常朝の法号を受けた)を申し請けている。

葉隠』で慈悲心を非常に重んじている素地はこのとき涵養されたといえよう。さらにこの前後、神・儒・仏の学をきわめ藩随一の学者といわれながら下田現在佐賀県大和町)松梅村に閑居する石田一鼎を度々訪れて薫陶を受けた。このことも後の『葉隠』の内容に大きな影響を与えている。

天和2年(1682年)24歳のとき6月山村六太夫成次の娘と結婚、同年11月御書物役を拝命。28歳のとき江戸で書写物奉行、あと京都御用を命ぜられている。帰国後の33歳のとき、再び御書物役を命じられる、命により親の名“神右衛門”を襲名した。

5年後の元禄9年(1696年)、また京都役を命ぜられ、和歌のたしなみ深い光茂の宿望であった三条西実教よりの古今伝授古今和歌集解釈の秘伝を授かること)を得ることのために、この取り次ぎの仕事京都佐賀を奔走した。古今伝授のすべてを授かることは容易ではなかった、が元禄13年(1700年)ようやくこれを受けることができ、隠居後重病の床にある光茂の枕頭に届けて喜ばせ、面目をほどこした。

隠居晩年[編集]

同年5月16日藩主の光茂が69歳の生涯を閉じるや、42歳のこの年まで30年以上「お家を我一人で荷なう」の心意気で側近として仕えた常朝は、追腹禁止により殉死もならず、願い出て出家した。5月19日藩主菩提寺たる曹洞宗高伝寺の了意和尚より受戒、剃髮して名を旭山常朝と改めた。7月初旬に佐賀城下の北10キロ山地来迎寺村(現在佐賀市金立町)黒土原に朝陽軒という草庵を結び、「尋ね入る法のりの道芝つゆぬれてころも手すずし峰の松風」と詠じて隠棲した。

田代陣基が、常朝を慕い尋ねてきたのはそれから10年後、宝永7年(1710年3月5日のことである。『葉隠』の語りと筆記がはじまる。

のち、朝陽軒は宗寿庵となり、光茂の内室がここで追善供養し、自分墓所と定めたので、常朝は遠慮して、正徳3年(1713年)黒土原から西方11キロの大小隈(現在佐賀市大和町礫石)の庵に移り住む。正徳4年(1714年)5月、川久保領主神代主膳(光茂七男、のちの佐賀藩五代藩主鍋島宗茂)のために、藩主たる者の心得を説いた『書置』を書き、翌5年、上呈する。

享保元年(1716年)9月10日田代陣基が『葉隠』全11巻の編集を了える。山居すること20年、享保4年(1719年10月10日、61歳で没した。翌日、庵前において野焼、墓所八戸龍雲寺。

辞世の歌:

重く煩ひて今はと思ふころ尋入る深山の奥の奥よりも静なるへき苔の下庵

虫の音の弱りはてぬるとはかりを兼てはよそに聞にしもの

葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。

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1 概要

1.1 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

1.2 書名の由来

2 脚注

3 刊本

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

概要[編集]

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。

文中、鍋島藩である鍋島直茂武士理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏併記しており、鍋島氏龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。

当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君浅野長矩切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別相手に突っかかることはできないのである」と評している。

この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。

明治中期以降アメリカ合衆国出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしま気概覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。

浮世から何里あらうか山桜    常朝

白雲やただ今花に尋ね合ひ    陣基

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」[編集]

葉隠記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻玉砕自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。

しか山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナー指南書や礼法マニュアルに近い記述ほとんどである。また衆道男色)の行い方を説明した記述等、一般近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。

戦後軍国主義書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術マニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書出版されている。

戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。

書名の由来[編集]

本来葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公大義とするという説。さらに、西行山家集葉隠和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。

2016-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20160711142957

著作権法第38条によれば、演奏する権利問題ない。

公表された著作物は、営利目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず著作物提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

ただ、編曲・改変している場合は、同一性保持権侵害に当たる可能性があって問題であるっていうことなのかな?

著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

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著作権法第38条によれば、演奏する権利問題ない。

公表された著作物は、営利目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず著作物提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

ただ、編曲・改変している場合は、同一性保持権侵害に当たる可能性があって問題であるっていうことなのかな?

著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

2016-04-09

*[増田お嬢島部]

私の父は政令指定市で、オフィス用品販売リース業を営んでいる。曾祖父の代から文房具店、雑貨店音楽楽器店など時代の変遷に応じて事業を展開していた。

現在は、市役所企業の、例えばパソコンとかプリンターとか、そういうもの販売リースしたり、物品の委託購入を受注したりしている(市役所県庁取引できる企業が限られている)。

私は幼いころから社長令嬢としていわゆる「お嬢様」として周囲に振る舞ってきたし、周囲もそう扱ってきた。

それが自他ともに一番楽だった。だから私はピアノヴァイオリンもやったし勉強も体育もがんばった。やればできるわけだ。

取り巻き女子と、男子。が、たくさんいた。これが一番楽だった。

研修旅行で行った「島」で遭難した際も、何故か当然のごとくリーダーシップを求められた。普段私を陰でなんやかんや言うような人々でさえだ。

私はガールスカウトアウトドア素養があったし、大抵のことは自衛隊の人に教えてもらったからできた。キャンプは好きだった。

こういうのは私のような「深窓の令嬢」に任せるんじゃあなくて、あなたたち「庶民」的キャラの方が、あるいは「不良」系キャラの方が得意なんじゃないの?

思いきり相手批判したくなる感情はおくびにも出さず、「島」での27日間の遭難から救出まで振る舞っていた。明るく気丈に。

私の取り巻きの、一番のお気に入りは園池という女子だった。彼女は私の如上の「お嬢様」としての振る舞いと、裏の心性とを、物ごころついたあとかなり早い時点で看破していた。

から彼女には、年に数回程度だけれど「素」で接することが出来たし、彼女彼女でそれを他者に対しどうすることもなかった。名前五位鷺という驚くべき名前だった。

東京から越してきた彼女の方が、実は真にお嬢様で、世が世なれば和歌を読んだり牛車で移動するような、そんな身分の女だった。

彼女が「島」で破傷風になったとき、私はペニシリンを精製して投与した。他の人はこういうことに対しては役に立たなかった。

二人きりになった時、死を覚悟した彼女は、彼女の家に伝わる呪文のようなものを私に伝えてくれた。

文体学校で習った『梁塵秘抄』に似ていたから、その頃から彼女の家に伝わったのだろう。20分に及ぶ、苦しみながらの口述ノートに記した。

「島」の別の場所から救助が来て、重症五位鷺は「島」の病院搬送された。それ以来、誰も五位鷺の姿を見る者はない。

から、父の仕事聴くことがある。「島」の施設オフィス用品提供することもある。独立行政法人らしい。「島」に商用で出向くこともあるという。「島」ではなにか医療施設があるようだ。

彼女のあれは、本当に破傷風だったのだろうか。私は見ないようにしていた。大抵のことは知っているつもりだった。だから目を瞑った。

あの時、彼女の顔に黥面が現れたように見えた。黥面なんてみたことないんだけれど、黥面という言葉が、あの学校で習った古い中国文章に出てくる言葉が、唐国の人が東夷異文化表現した時の言葉が、ぴったりだった。そして目や髪や爪なんかも、この世のものとは思えない彩色になっていた。おそらく彩色されたものではない。紋様なんだろう。紋様だ。意味のある紋様のように思えた。おそらく全身に。が、なにも考えたくなかった。とにかく私の出来ることは現実的に知っていることだけで、ペニシリンを精製して投与することくらいだった。声すらかけられなかった。いつも一緒にいてくれたのに。うわごとで紡がれた呪文必死に書き写した。そうして彼女と別れた。

最近生体ネットを経由してデータ違法ダウンロードし、肉体を強化する人が増えている。麻薬のようなもので歯止めが効かなくなり、やがて身体をコントロールできなくなる。そんな時、不思議なことに体に黥面のようにコードが浮き出る。Java

子どもの頃、私は五位鷺の抱えた秘密を何一つ知ることもなく、また尋ねることもなかった。

大人になって、数社を経たのち父の業務を手伝うようになった。仕事を作って10年ぶりに「島」に赴く。

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