はてなキーワード: 曹洞宗とは
大事なのはこれを国民がちゃんと知っておくこと。統一教会はこの手順でつぶすのだと理解しておくこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E6%84%9F%E5%95%86%E6%B3%95
1984年、後に明覚寺の管長となる男性が千葉県野田市に水子菩薩を扱う訪問販売会社を設立[30]。地元の曹洞宗の寺と協力して販売していた男性が、1987年に醍醐寺の末寺として茨城県大子町に1987年に宗教法人「本覚寺」を設立し、関東一帯にそのグループを展開した[30]。1988年に真言宗 醍醐派を離脱し独立の寺として霊視鑑定を行っていたが、消費者センターに苦情が寄せられて詐欺商法だとして損害賠償請求が次々と起こったため、一時的に活動を中止した[30]。その後、休眠状態にあった和歌山県の高野山 (高野町)[31]にある「明覚寺」を買収し、関西地区で同様の活動を再開したが、こちらでも損害賠償請求が多数起こった[30]。愛知県警は明覚寺系列の満願寺(名古屋市)の僧侶らを摘発した[30]。1999年12月16日に、文化庁は「組織ぐるみの違法性が認められる」として和歌山地方裁判所に宗教法人明覚寺に対する解散命令を請求し、和歌山地裁は2002年1月24日に解散命令を出した[30]。明覚寺は最高裁まで争ったが棄却されて解散になった[32]。犯罪を理由にした宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目のできごとであった[30]。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/shuukyo/giji_list/index.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/shuukyo/gijiroku/1329788.htm
第2段落でございますが、「「修行目標」が定められていたこと自体、詐欺行為が組織的なものであったことを裏付ける事実というべきである」。その2つ下の段落でございますが、「さらに、抗告人が相談者から供養料が振込入金されることを確認し、その金員を管理していたことについては、抗告人も自認しているところ、この事実も詐欺行為が組織的なものであったことを裏付ける事実というべきである」。以上の理由から、抗告人の主張はいずれも採用できないということで、結論といたしまして、原判決は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却するという決定を行っているところでございます。これに対しまして明覚寺は、10月4日に最高裁に対しまして特別抗告を行っておりましたが、資料3-2にございますように、本件抗告理由は、民訴法第336条第1項に規定する特別抗告ができる理由で特別抗告をしていないと判断して、棄却する旨の決定を行ったところでございます。以上によりまして、明覚寺は解散をいたしまして、資料3-3の法人登記簿の3枚目の一番下にございますように、平成14年9月27日、和歌山地方裁判所の解散命令の決定の確定により解散となったわけでございます。
阪神・淡路大震災が発生し、このときばかりとオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした1995年の春のことです。和歌山県高野山に拠点を置いていた宗教法人・明覚寺グループの「霊視商法」詐欺事件が明るみに出ました。
この明覚寺グループは、茨城県大子町に本拠地を置く本覚寺グループをルーツにするもので、関東一円で霊感詐欺商法を展開していたのですが、被害者たちの訴訟が増えて1994年から1995年にかけて中部から近畿に転身して霊視詐欺事件を起こしていました。
ルーツである本覚寺時代の霊視商法というのは「相談料3000円」という宣伝文句で客を引っ張り込んで相談に来た主婦などを巧みに誘導して霊視鑑定し、祈祷料や供養料を要求するものでした。
問題視した消費者センターは「相談料という宣伝文句は、占いの見料に相当するもので商取引にあたる」と主張。すると「相談料・お布施として」という文句に変更し、あくまでも”宗教活動行為”であることを主張しました。
本覚寺の管長(宗派を管轄する長)は、西川義俊という男で、大阪府立大学経済学部を卒業したあとに大手製薬会社の営業マンとして働き、やがてコンドームなどを販売する訪問販売会社「協和」を設立しました。
1984年からは千葉県野田市を本拠地にし、地元の曹洞宗の寺と組んで、「水子菩薩」を売り出して蓄財。一方では京都の真言宗醍醐派の寺に通っては修行(笑)し、1985年「修験道教師」となりました。翌年には剃髪して得度に至たります。
これらは、”宗教は最大のビジネスである”と考えていた西川の予定の行動で、西川は日本仏教指導会という団体を開設、「仏教商法」に手を染めることになる。1987年に醍醐寺の末寺という位置づけで本覚寺を本山とし、関東一円に昇運寺、法輪寺、迎春寺、実証寺、春光寺、幸福寺、明星寺、光明寺などの”道場”を開設していきました。
いずれも宗教法人格は持っておらず、謂わば「霊感商法のための営業所」のようなものでした。それぞれの道場には霊能者はいましたが、その多くは避妊具訪問販売員が霊能者に扮していたものでした。
肛門を用いた修行も古くから伝えられており、その代表的な手法が「肛門禅」である。
これは、チベット密教の「クンダリニーヨガ」と呼ばれる秘術が元になっていると言われる。
日本では鎌倉時代に曹洞宗の僧が「肛門経」と呼ばれる経典を書き記し、それを修することを通して悟りの境地に達することができるとした。これにより、肛門禅は日本の僧侶に広く知られるところとなった。
肛門禅では、まず座禅を組み、肛門に専用の器具を挿入する。 そして、ひたすら前立腺への刺激のみに集中し、射精することなく絶頂に至ることを目指す。
射精を伴わないオーガズムは、精神をより深い自我の深淵へと導くと言われ、肛門禅はオナニー禅の中でも究極の技法であるとされている。
現実世界では新型ウイルスが猛威を振るい、緊急事態宣言まで出された中、ネットではフェミニスト(と自分では称している)とアンチフェミニスト(特にツイッター上の)が今日も今日とて喧喧囂囂とやりあっている。
やり取りを眺めていると、飛んでくるはずのない飛沫までが可視化しそうである。
かかる舌戦の最中、アンチフェミニストが偶に「ツイフェミニストは宗教のようだ」と言い出すことがある。
男女問題には大して意見もないが、これは少々いただけないと思う。
まず、我々は様々な宗教に浸かって生きている。
よく言われることかもしれないが、12/25はキリスト教に倣ってクリスマスを祝い、年が明ければ氏子の如く神社に参拝し、冬の寒さで誰かが逝去すれば寺で葬式をあげる。
日本人は無宗教などと言われることもあるが、そんなことはない。元来八百万の神と生きてきた我々は世界中の神や神秘を広く受容できており、むしろ無宗教からは程遠い。
次に、宗教には明確な教義体系がある場合が殆どであり、それは学術的な研究に裏打ちされたものでもある。
禅宗などは古来、師から弟子に相伝されるものであり、おいそれと教えを口にすることなどできないのだ。
また、宗教には派閥があり、派閥同士戦うこともあれば、穏健な論議が交わされることもある。日本の寺では、檀家の見る前で曹洞宗と浄土真宗の僧が教義について議論するなどいうイベントもよくある。現代フェミニズムの「一人一派」とは意味が違う。
そして、多くの宗教の研究は、世界中のあらゆる学府で高名な研究者たちによって、今も行われている。
つまり、宗教者の発言と誰でも片手でできるインターネット上のツイートとはそもそも質が異なるものである。
「修行に邁進し、得悟した者の教え」と「どこの馬の骨の発言かも分からないが「いいね!」が沢山付いているツイート」を並列に扱うのは冒涜に近い。
「いいね!」を付けている者が宗教信者のように見えるのかもしれない。しかし、「救いや教えを求めて日々祈りを捧げ、文献を読漁り、社会奉仕を続ける宗教信者」と「気に入らない発言に的外れな文句を垂れ、そのくせ自分へのあらゆる批判を「クソリプ」と決めつけ、自分だけが不幸そうな顔をしている強い女メーカーのアイコンの人」は同一視するべきではない。
去年
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
を書いた増田です。
去年は散々な一年でしたね。
私も、去年は個人的にも色々と散々な年だったんですが、そんな中でも「年始には半分釣りでタイトルつけたけど、ほんとに人生変わったかも」と思うところがありました。
まぁ正確には、変わってきたかも、、、?ですが。
以下つらつらと書いていますが、まとめると
「100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた」
それでいて、
それによって、去年一年で少し世界が広がったと思いますし、それでいつつ、本業で必要な知識の深化も出来たと思っています。
これが何故出来たかと言うと、一昨年本業と関係ない本を100冊読むという行為をしたメタ効果じゃないかな、と思うわけです。
以下詳細。
いきなり自分語りスイマセン。
去年もちらっと書きましたが、私は趣味の一つとして持久系スポーツをやっています。
レベルとしては社会人アマチュアでは上位1-2%くらいには入っていましたので、まぁまぁ本気の趣味です。でした。
が、一昨年(2019)の末に足をボキッとやりまして、都合4ヶ月ぐらい走れませんでした。
長い時間をかけて鍛えてきたものが為す術なく失われるのを見ているだけという喪失感は中々きつくて、だいぶメンタルやられました。
の上、御存知の通りコロナで夏以降の大会も全て中止、日常復帰後の練習モチベーションも上がらず正直一年で別人レベルまで体力落ちたと思います。
健全な肉体に健全な魂が宿る、あれは「だったらいいな」という話らしいですが、少なくとも肉体が「健全でなくなるカーブ」を描いているときには魂も降下カーブを描きますね。
振り返るとマジで生活全般にやる気の出ずやっとメンタルが上向いてきたのが晩秋ごろ、という一年でしたが、唯一分量を維持ないし増加させられた生産的アクションが読書でした。
結構これに精神的に救われていた部分もあると思います(クソみたいな1日だったが一応本は読めた。。。と言う感じ)。
春頃はもう死にたいとか思った瞬間もあった気がしますが、今は寝たきりになっても少なくとも本は読めるな、という心持ちでいます。
気持ちがどんだけ落ち込んでいても、ベッドの中でできる生産的活動がある安心感があるという感じです。
100分で名著解説本で掴んだペースを維持したかったのもあり、読書の方向性を広げる方向として去年はNHK出版のテキストを中心に選びました。
本の物理的サイズ、厚さ、章毎の分量等々が似ていたからです。(これは今まで読んでいた場所、時間、等々がそのまま続けられるということです。)
あと、NHKが好む文化人というのは大体決まっているので、百分で名著シリーズで知っている人が著者だったりして安心感あります。
結果読んだ数(下記しますが、28冊)が物語っていますが、良かったです。
NHKは番組内容とか受信料であれやこれや言われることもありますが、教育系のコンテンツは極めて良質だと思います。
前置きが長くなりましたが、特に読んでよかったのが宗教の時間シリーズです。
最初の7-8冊程度は、これは求めているレベルを超えている、九分九厘内容忘れるなと思いながら読んでいましたが、
これも何冊か読んでいうちに「知識がつながって」読めるようになってきました。
この年になっても、何かを身につける、学ぶことができる。それは読書による独学だけでもある程度可能である、ということは個人的に心強いメタ経験になっています。
逆に言うと最初の数冊はほぼわからないままなので、数年後また一気に読み返したいですね。
去年は、自発的にはまず読まないであろう本も、読んでみたいと思っていました。
そのための方法として、友人におすすめの本を聞くという方法を取りました。
また、一週間以内くらいには実際に読んで感想を伝えて内容についてやりとりするというマイルールを作りました。
これによって狙い通り、新しい関心フックが幾つか作れましたが、想定外の効果としてある程度親しくなった人とさらに距離を縮める手段としてかなり有効だったように思います。
一昨年以前の私だったら、それが有効だと知っていても負荷が大きかったでしょうが今なら別に無理せずやれる、むしろ楽しい、というところがポイントです。
今のところ猛烈につまらないものを紹介してきた人がいないのもありますが。。
何かについて知りたいと考えた時、ネットで検索するという初動は変わりませんが、さらに知りたいことがあるor体系化したいor記憶への定着率を挙げたい時、本を読むというアクションが自然に追加されました。
また、読書をするにあたって、ちょっとした障害になっていた事が怖くなくりました。例えば下記のように。
・中断:面白そうな本を見つけたらそっちを読み出してしまう。中断してもまた一週間もしたら読めるのだから。もし中身忘れていたら都度振り返ればいいのだから。とシンプルに考えられるようになりました。自由です。
・積読:いま読めなくても恐れることはない、そのうち読めると素直に考えられるようになりました。流石にそろそろ消化に一年ぐらいは掛かりそうなくらい本が積まれていますが、現在のところ三年後の自分を信じられます。
・読書履歴・読書キュー汚染:穏やかでない単語を使いました。これは要するに「話題になっているけど、こんな俗っぽい本を読む時間を~もっと重要な本が~」とか考えなくなったということです。気になったら読みます。
これらって結局全部やらない言い訳だと思うんですが、単純に読書に対する心理的ハードルを下げて読書量で解決するというパワープレイ(一昨年の私比)が可能になりました。
一昨年解説本を100冊読んだのは運動部一年生がやるような練習のための練習だと書きましたが、あれはそんなに外してないなと今でも思います。
百分で名著シリーズ:12冊(2021年1月分の「資本論」も、もう読みました)
で、個人的に出色なのは教養系の読書がたっぷりできたことより、仕事の本がたくさん読めたことです。
去年までは年間7-8冊ほど読んでるかな?という感じでした。
ところが、今年は読書に占める仕事本の割合は減ったにも関わらず、倍以上読めました。
本を読むという行為自体がスムースになったと言うか、「仕事の本は(趣味・教養の本より)重要である」という心の中の序列がどうでも良くなり、いつかは読めるのだから、になった効果だと思います。
はてなあたりで使われがちな「文化資本」「分断」あたりの用語の社会学的なバックボーンについて理解できました。
はてブ見てると「社会学者って、、、」と思うシーンも多いですが、必要な学問だと捉えなおすいい機会になりました。
面白くない話として社会を伝えて分析するのが社会学、という分類はなるほどと思いました。
逆に言えば、美しい弱者、貧者のストーリーなんかばっかり見ている人は社会学者とは言えないのだなと。こういう人はてブあたりでよく見る気もしますが。。。
年末だったのもあり、久しぶりに放送の方も全て見たのですが、やっぱりできたら放送も見るべきですね。
解説本の著者の言いたいことが、スルスル入ってきます。それと、伊集院光さんやっぱすごいなと。ああいうレスポンス返せる人間になりたい。
能楽師の安田登氏解説の古典説明本です。下記する「史記」でもそうですが、
漢字の成り立ちに纏わる深い知識(今ある漢字が成立した年代には開きがある)から独特な解釈をされています。
これが真実なのかはわかりませんが非常に興味深く、この著者の著書をあたったり、この視点で更に歴史を追ってみたいなと思わせてくれる本でした。
安田登氏の能舞台も見てみたいと思ったのですが、昨今の状況では難しいですよね、、、今年あたり何処かで見に行けるといいな。
タイトルのとおり、経典や歴史的事件ではなく残っている手紙から親鸞聖人の人物に迫ろうという趣旨の本です。
上記したとおり「何冊か読んだ効果」が大きいのでしょうが、これ読んで、はじめて浄土真宗わかった気分になりました。
ちなみにうちは曹洞宗なんですが、曹洞宗はいまのところわかったと思う瞬間がないです、、、
観無量寿経をベースに、浄土系の教えが中国~日本で花開いていった過程を追った本です。
私が読んだ中では最も単独で理解しやすく、去年おすすめした「集中講義・大乗仏教」と合わせて読むとより日本仏教の流れが理解できるかなと思いました。
宗教の時間は多くが前後編の2冊構成なのですが、1冊構成なのも読み返しやすくて良いです。
著者の釈徹宗さんには、もっといろんなお経の解説書を書いて欲しい、、、!!
単純に、日々の話題の元ネタとして興味深くまた著者が「面白い人」であると感じてとても読みやすかった。
独立した章立てで分割した読書もしやすく、何方にもおすすめできる本だと思います。
子供向けに実施された19世紀の科学講義を書籍化したもので、科学レクチャーの傑作と言われているそうです。
当時はプロジェクター等も無いため図があまりなく、正直、本として読んだだけでは当時の雰囲気を十分に味わうことは出来ないかと思ったのですが、
ファラデーという当代最高の学者がが全力をもって子供たちに科学の楽しさを伝えようとしていることはとても良くわかりました。
去年は西欧文明というか西欧社会の限界的なものが色々見えた年かなとも思うのですが、ソロモンの指輪もそうですが、こういった本を著した方々が繋いできたものはやっぱり尊いなと思います。
100分で名著の解説本を読んでから、絶対に読もうと思っていた原典の一つ。
下記の、薩摩焼窯元めぐりと合わせて水俣に行く前に読みました。
内容については私が今更感想をいうのもあれなんですが、「読む前と後で違う自分になっているような気がする」読書体験ができる数少ない本の一冊と思います。
あとがきにある通り、書かれていることは読んだ印象より遥かに創作の比率が高い、ということを差っ引いてもこれは日本人全員が読んだほうがいいんじゃないかと。
恥ずかしながら初・司馬遼太郎でした。焼き物が好きで窯元めぐりも趣味なもので、薩摩焼の里をめぐる前にと思って読んだんですが、面白かったです。
声に出して読みたい日本語というか、何でしょう、文章がうまいと言うより文章の響きが格好いいというか、流石昭和の大作家ですね。一気に好きな作家リストに載りました。
今、ちょっと重めのものもと思って坂の上の雲もちょっとずつ読んでいます。
タイトルの付け方も最高にうまいですよね、、頭にのこるというか。
もしかしたらこのスレをきっかけに認知行動療法をしてみたい、でも本屋の店員やAmazonの配達の人などに知られたくないという人に響くかもしれないので、私がやったことのあるものを2つ上げておく。
言及してくれた人にはそれを利用したような感じで申し訳ないけど場所貸してね。
ネット依存、スマホ依存は問題になりがちだけれど、それを逆手にとってしまえば心の整理をつける習慣を手軽に身につけられる。
たとえばこちらは書籍版の『心が晴れるノート』という認知行動療法について学べる本のアプリ版
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.womanwave.kokoro
そしてこちらは上のアプリより気軽に手に取ることができるもの。
一つだけ問題点を上げると曹洞宗に関連付けてしまっているので、心が弱くなっているときに自分の宗派が先に固まってないと厳しいかもしれないという点。
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.or.sotozen_net.kokorono_note
衆院選も終わったあとにアレですけど、私の思うところを書くので、どなたか私の思想に近い政党を教えていただけないでしょうか?
消極的賛成。
そりゃ嫌だけど、後々のことを考えるとだね……
【憲法改正】
【男女別姓】
両手を挙げて賛成。
【外国人参政権】
【(追記)移民問題】
よって、成績優秀者に限り、返却の必要がない奨学金を増やすべきだと思う。
上記に関連し、Fランとかは潰して、上位の大学には助成金増やしてあげて。
どちらかといえば、大きな政府派。
だって、保育園増やしたり、保育士の給料上げたり、でもなるべく保育料を抑えようとかしたら、しゃーない支出ってあるやん?
それよりは、とにかく人口増やしたほうがいいと思う。
【ここまで触れてきませんでしたが、アベノミクスをどう思ってるか】
株やってるんで儲からせて頂いてますけど、どちらかというと、それはアメリカの株高のお陰じゃね?
あと、株価については、年金問題もからむわけだが、日経平均上げるだけじゃなくて、小粒の優良企業の株も積極的に買ってあげて。
あと、企業の内部留保を研究開発や品質向上に回させるような税制とか、なんかできることないのかね。
神社仏閣は割と好き。神道のテキトーさが好き。日蓮宗系はどちらかというと嫌い。おまじない真言宗バンザイ。曹洞宗もなんかいいな。
こんな感じ。
判定お願いします!
仏教というのは釈迦の思想を勝手に発展させたものであり、ずいぶん偽書もあり、それが正統に受け継がれていたりするが、これはインド人の大雑把さなのであろう。
釈迦そのものが荒行を否定しているのは確かであり、これはだいたい枉げられずに受け継がれている。身体的な苦痛が激しい命懸けの荒行をする人間もいることはいるが、これはかなりの少数派である。
ほとんどは、快楽を減らすことで苦痛を減らすという発想を基本としている。欲しいものが手に入らなければ苦痛であるから、何も欲しがらなければいいのである。もしくは、苦しい苦しいと悪あがきするから苦しくなるのであり、平然としていれば、苦しくないこともある。
仏教でなくても、困難を前にして周章狼狽するのはみっともない。難局だからこそ、平然としていた方が、人間として好ましい。
痩せ我慢と言われるだろうが、腹を括ってこそ、この人間を縛り付ける痛みを超越できることもある。泰然自若としているのが望ましいというのは、おそらく仏教とはまた別に、人類普遍の発想でもある。
泣きたいときは泣けばいいという人もいるが、世の中はそれほど優しくないし、歴史的な偉人の末路を記録するときでも、気が動転して泣きわめく文弱な芸術家の素顔を書くこともあるが、大人物として描きたいときは、うろたえることなく無表情で腹を切るような様子を描くわけである。
禅というと臨済宗の方が有名であろうが、わたしは道元(曹洞宗)が好きなので、そちらに重きをおいて書くが、坐禅はただ座ることが大事なのである。
道元は禅問答を批判しているわけではないが、あまり重視していない。只管打坐、ただひたすら座る、それだけである。
寸陰を惜しんで生きている現代人には時間の無駄に思えるかもしれないが、挙動がおかしなパソコンは再起動したほうがいい。
なぜ仏教で坐禅をするのかというのも、いろいろ理由はあるだろうが、快楽や苦痛がわれわれをお誂え向きの弱者に仕立て上げようとする中で、ただ座っているだけというのが人生への気高い姿勢なのである。
坐禅は目を開いた状態、もしくは半眼で行うが、どちらにせよ瞼は閉じない。これは布団でゴロゴロしている朦朧とした状態とは対極である。
目を開いて、明晰な意識で身体静止することが肝要であると思うし、座り方はさほど重要でないだろう。正式な結跏趺坐でなくても、半跏坐で充分と道元禅師は述べられている。身体静止が何よりも肝心であり、座ったほうがその境地に至りやすい、という程度の気がする。
達磨大師のように九年間面壁坐禅とか、そこまでする必要はあるまい。
われわれは生まれてから死ぬまで悪魔に誘惑され、唆され、使嗾される。心が揺さぶられるからこそ、いわば耐震構造の強度を上げるため、身体を止めておかなければならない。
中枢神経に直接触って治すわけにはいかないので、身体の動きをとめることで、自分をコントロールするしかない。
ロボトミー手術みたいに、脳にノミを打ち込む方法は今の医学では効果が見込めないので、身体を静止させることで脳を落ち着かせるのである。
多動性こそが馬鹿の特徴であるという発達障害の考えは的確だが、リタリン服用への是非はともかく、身体が止まっていることが何よりも肝要であり、道元禅師には及ばないにせよ、その境地をお手本にするべきであるように思う。
仏教というのは釈迦の思想を勝手に発展させたものであり、ずいぶん偽書もあり、それが正統に受け継がれていたりするが、これはインド人の大雑把さなのであろう。
釈迦そのものが荒行を否定しているのは確かであり、これはだいたい枉げられずに受け継がれている。身体的な苦痛が激しい命懸けの荒行をする人間もいることはいるが、これはかなりの少数派である。
ほとんどは、快楽を減らすことで苦痛を減らすという発想を基本としている。欲しいものが手に入らなければ苦痛であるから、何も欲しがらなければいいのである。もしくは、苦しい苦しいと悪あがきするから苦しくなるのであり、平然としていれば、苦しくないこともある。
仏教でなくても、困難を前にして周章狼狽するのはみっともない。難局だからこそ、平然としていた方が、人間として好ましい。
痩せ我慢と言われるだろうが、腹を括ってこそ、この人間を縛り付ける痛みを超越できることもある。泰然自若としているのが望ましいというのは、おそらく仏教とはまた別に、人類普遍の発想でもある。
泣きたいときは泣けばいいという人もいるが、世の中はそれほど優しくないし、歴史的な偉人の末路を記録するときでも、気が動転して泣きわめく文弱な芸術家の素顔を書くこともあるが、大人物として描きたいときは、うろたえることなく無表情で腹を切るような様子を描くわけである。
禅というと臨済宗の方が有名であろうが、わたしは道元(曹洞宗)が好きなので、そちらに重きをおいて書くが、坐禅はただ座ることが大事なのである。
道元は禅問答を批判しているわけではないが、あまり重視していない。只管打坐、ただひたすら座る、それだけである。
寸陰を惜しんで生きている現代人には時間の無駄に思えるかもしれないが、挙動がおかしなパソコンは再起動したほうがいい。
なぜ仏教で坐禅をするのかというのも、いろいろ理由はあるだろうが、快楽や苦痛がわれわれをお誂え向きの弱者に仕立て上げようとする中で、ただ座っているだけというのが人生への気高い姿勢なのである。
坐禅は目を開いた状態、もしくは半眼で行うが、どちらにせよ瞼は閉じない。これは布団でゴロゴロしている朦朧とした状態とは対極である。
目を開いて、明晰な意識で身体静止することが肝要であると思うし、座り方はさほど重要でないだろう。正式な結跏趺坐でなくても、半跏坐で充分と道元禅師は述べられている。身体静止が何よりも肝心であり、座ったほうがその境地に至りやすい、という程度の気がする。
達磨大師のように九年間面壁坐禅とか、そこまでする必要はあるまい。
われわれは生まれてから死ぬまで悪魔に誘惑され、唆され、使嗾される。心が揺さぶられるからこそ、いわば耐震構造の強度を上げるため、身体を止めておかなければならない。
中枢神経に直接触って治すわけにはいかないので、身体の動きをとめることで、自分をコントロールするしかない。
ロボトミー手術みたいに、脳にノミを打ち込む方法は今の医学では効果が見込めないので、身体を静止させることで脳を落ち着かせるのである。
多動性こそが馬鹿の特徴であるという発達障害の考えは的確だが、リタリン服用への是非はともかく、身体が止まっていることが何よりも肝要であり、道元禅師には及ばないにせよ、その境地をお手本にするべきであるように思う。
天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。
目次 [非表示]
1.2 四宗兼学
1.3 止観行
1.4 所依
1.5.1.1 総本山
1.5.1.2 門跡寺院
1.5.1.3 大本山
1.5.1.4 別格本山
1.5.1.5 その他の寺院
1.5.2 天台寺門宗
1.5.3 天台真盛宗
1.6 その他天台系宗派
1.7 教育機関
1.7.1 大学
1.7.3 養成機関
4 社会運動
5 脚注・出典
6 関連項目
7 外部リンク
正式名称は天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後の呼び名は日蓮教学の法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。
初め、律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が日本に入った。次いで、伝教大師最澄(767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本に帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである。最澄は特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。
この時代、すでに日本には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生は成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇を設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗の僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問・修行を修めるという革新的な最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇の勅許が下り、名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。
真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。
当初、中国の天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。
しかし日本天台宗の宗祖・最澄(伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しかし最澄が帰国して一年後に空海(弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき、空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。
とはいえ、最澄自身が法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身の意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教の系譜は、円仁・円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。
なお真言密教(東密)と天台密教(台密)の違いは、東密は大日如来を本尊とする教義を展開しているのに対し、台密はあくまで法華一乗の立場を取り、法華経の本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである。
四宗兼学[編集]
また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国の天台宗とは違い、最澄が開いた日本の天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。
止観行[編集]
天台宗の修行は法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在の日本の天台宗の修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経の読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏を本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教(台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在に仏性が宿るという天台本覚思想を確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。
所依[編集]
福王寺(熊本県山都町、宮司兼豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である)
その他天台系宗派[編集]
孝道教団
叡山学院
山本常朝
山本常朝
山本 常朝(やまもと じょうちょう、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。
目次 [非表示]
1 略歴
3 史料
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
略歴[編集]
万治2年(1659年)に、佐賀城下片田江横小路(現在の佐賀市水ヶ江二丁目)で、佐賀藩士山本神右衛門重澄の次男として生まれた。母は前田作左衛門女。
常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が『葉隠』・聞書第二にあり、それによると、自分は父70歳のときの子で、生来ひ弱くて20歳まで生きられまいと言われたので、塩売りでもやろうと父は思ったが、名付親の多久図書(茂富、重澄の大組頭)の「父の血を受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、9歳のとき、鍋島光茂(佐賀藩2代藩主)の小僧として召し使われたという。
11歳で父に死別し、14歳のとき、光茂の小々姓(いわゆる児小姓・稚児小姓)となり、名を市十郎と改める。延宝6年(1678年)20歳に元服して権之丞と改名、御傍役として御書物役手伝に従事する。この年に、田代陣基が生まれている。
この間、私生活面では20歳年長の甥・山本常治に厳しい訓育を受けたが、権之丞が、若殿綱茂の歌の相手もすることが光茂の不興をかい、しばらくお役御免となった。失意のこの頃、佐賀郡松瀬の華蔵庵において湛然和尚に仏道を学び、21歳のときに仏法の血脈けちみゃく(師から弟子に法灯が受けつがれること)と下炬念誦あこねんじゅ(生前葬儀の式、旭山常朝の法号を受けた)を申し請けている。
『葉隠』で慈悲心を非常に重んじている素地はこのとき涵養されたといえよう。さらにこの前後、神・儒・仏の学をきわめ藩随一の学者といわれながら下田(現在の佐賀県大和町)松梅村に閑居する石田一鼎を度々訪れて薫陶を受けた。このことも後の『葉隠』の内容に大きな影響を与えている。
天和2年(1682年)24歳のとき、6月、山村六太夫成次の娘と結婚、同年11月、御書物役を拝命。28歳のとき、江戸で書写物奉行、あと京都御用を命ぜられている。帰国後の33歳のとき、再び御書物役を命じられる、命により親の名“神右衛門”を襲名した。
5年後の元禄9年(1696年)、また京都役を命ぜられ、和歌のたしなみ深い光茂の宿望であった三条西実教よりの古今伝授(古今和歌集解釈の秘伝を授かること)を得ることのために、この取り次ぎの仕事に京都佐賀を奔走した。古今伝授のすべてを授かることは容易ではなかった、が元禄13年(1700年)ようやくこれを受けることができ、隠居後重病の床にある光茂の枕頭に届けて喜ばせ、面目をほどこした。
同年5月16日、藩主の光茂が69歳の生涯を閉じるや、42歳のこの年まで30年以上「お家を我一人で荷なう」の心意気で側近として仕えた常朝は、追腹禁止により殉死もならず、願い出て出家した。5月19日に藩主の菩提寺たる曹洞宗高伝寺の了意和尚より受戒、剃髮して名を旭山常朝と改めた。7月初旬に佐賀城下の北10キロの山地来迎寺村(現在の佐賀市金立町)黒土原に朝陽軒という草庵を結び、「尋ね入る法のりの道芝つゆぬれてころも手すずし峰の松風」と詠じて隠棲した。
田代陣基が、常朝を慕い尋ねてきたのはそれから10年後、宝永7年(1710年)3月5日のことである。『葉隠』の語りと筆記がはじまる。
のち、朝陽軒は宗寿庵となり、光茂の内室がここで追善供養し、自分の墓所と定めたので、常朝は遠慮して、正徳3年(1713年)黒土原から西方約11キロの大小隈(現在の佐賀市大和町礫石)の庵に移り住む。正徳4年(1714年)5月、川久保領主神代主膳(光茂七男、のちの佐賀藩五代藩主鍋島宗茂)のために、藩主たる者の心得を説いた『書置』を書き、翌5年、上呈する。
享保元年(1716年)9月10日、田代陣基が『葉隠』全11巻の編集を了える。山居すること20年、享保4年(1719年)10月10日、61歳で没した。翌日、庵前において野焼、墓所は八戸龍雲寺。
辞世の歌:
重く煩ひて今はと思ふころ尋入る深山の奥の奥よりも静なるへき苔の下庵
虫の音の弱りはてぬるとはかりを兼てはよそに聞にしものを
帰り道大通り駅で地下鉄を乗り換えていたら突然女の子連れのおばさんに話しかけられた。「マインドフルネスって知ってますか?」「ヨガを習っているんですが、自分も講師になる練習がしたいので練習相手になってほしい」と。明らかに胡散臭くて面白そうな匂いがしたので連絡先を交換して別れた。
翌日連絡があってその週末市内某所のファミレスに呼び出された。まず俺とおばさんの2人(もしくはプラス子供)かと思ったら、子供に加えてもう先に一人若い男が来ている。田中さん(仮名)と呼ばれた彼は年は23歳で俺のひとつ下でパチンコ店員をしていて、一ヶ月くらい前にカレーを食べようと思って歩いていたところ俺と同じように駅で声をかけられ、その日のうちにレッスンを受けたという。なんでヨガを習っているのか尋ねると自分は頭が悪いからと言う。たしかにIQ80くらいに見えた。おばさんが「毎日10時間睡眠だったのが6時間睡眠になった」「田中さんはその日の内に実践したので効果はすぐに現れた」と重ねる。
そんな話をしたところでチャクラ診断とやらをする。いろんな「人助け」とか「ホラー映画」とか40〜50個くらいの項目に「よく当てはまる」「当てはまる」「当てはまらない」で回答していく。それぞれ2点1点0点が与えられ、各設問は5つのカテゴリに別れ、最終的に5つのスコアが現れた。
それっぽい折れ線グラフが作成され「あなたは〇〇な人ですね」みたいにいろいろ浴びせられる。詳しく覚えてないが、そのうち喉が悪くなるカテゴリの点数が高かったらしく「喉の風邪をひきませんか?」と言われたが、風邪を引いたら大抵喉は痛くなるものだと思い「普通です」と答えると「そのはずはないです」不満げになられたりしながら、本題のヨガの講義をするに前に自己紹介のスライドを見せられる。
これまで曹洞宗の父とクリスチャンの母の間に生まれて、周りの大人がみんなバカに見えて、小学生のころテストをしたら知能指数が道内一番だと言われたけど、頭良く振る舞っても損しかしなかったのでバカのふりをしてたら本当にバカになってしまって、悪さと享楽の限りを尽くしたが、ヨガの先生に出会ってヨガを学んで大切なことはお金とかそういうものじゃないと気づき、今では六年くらい経って最高に幸せだ、みたいなことを言っていた。
かつてどんな悪さをしたのか聞いたら「男遊びとか、ときには薬とかにもを手を出しました」と言う。隣に娘がいるにそんなこと言っていいのかと内心ツッコミを入れつつ「そりゃ大変でしたね」みたいな反応しかできなかった。あと三年前から姉と2人の会社の社長をやっていて、市の援助を受けた新規企業の成果発表会で、ヨガの教えを取り入れた発表をしたら一番評価された、みたいな自慢をされた。そんな感じの話を聞いたあたりで、最初のレッスンが始まった。
内容は大別して、嘘を言わないとか人に優しくしようとか極めて道徳的に当たり前なことと、チャクラとかクンダリニーとか理解不能なオカルトなものと、いかに自分の先生(ヨガの修行を30年近くしてる)がすごいか、の3種類に分かれた。1つ目に関しては、不要な言葉は削ぎ落として(あいさつでさえ)意味あることだけ言うようにしようとか賛否ありそうな点もあったが、普遍的ないわゆる良い習慣なことばかりで「なるほど、そうですね」みたいな感じだった。問題は後ろ2つで、本当に意味不明だった。チャクラは腹の中のぐるぐるしたもの(クンダリニー)から溢れ出ていくつかのゲートを通過して頭頂から突き抜けていき、これを極めると覚醒するのだという。そしてピラミッドはチャクラの装置であり、クンダリニーで覚醒して実際に訪れてみれば分かる、と言う。耐えきれなくって「いやそんなわけないでしょwww」と笑っていると、真剣に「そうやって思うのは覚醒してないからだ」「私も娘もクンダリニーで覚醒してるのでわかる」と言う。3つ目の師匠に関して本当に謎だったので「会ってみたい」と言うと「面会には1000円かかる」と言われて「さすがに金はかけたくないっす」と素で反応してしまった。こんな応酬をしたあたりでタイムアップ。「良ければあと3回くらい予定を入れましょう」と言われたがさすがにそこまで付き合えないので「とりあえず来週土曜」と時間や場所は決めなかった。最後に資料の入ったクリアファイルのプリントを抜き出して田中さんと俺の分けて渡されて、「また会うのなら」とクリアファイルごと貸し出されそうになったが、さすがに荷が重く思いプリントだけ貰って解散となった。
寝不足で朝飯も食っておらず勝手におごりだと踏んで少し高めの900円くらいのエッグマフィンプレートを頼んでいたが、まさかの割り勘でテンションだだ下がり。店を出るとおばさんと田中さんと2人はさらに用事があるのか俺だけ駅へ帰ることに。
帰り道に即座に友人に「激ヤバ資料ゲットしたwww」と連絡すると近くに居たので帰りの足で合流。近くのカフェに入って何かやばめの勧誘なのは間違いないみたいな話をしていると友人がプリントに「グル」というワードを発見。アレフと気づく。それからはいろいろと腑に落ちまくってなかなかのカタルシスだった。逆にそれまでに気づかない自分の警戒心のなさに愕然とした。
とまあ、何が言いたいかと言うと「ヨガ」というキーワードを出されて延々オカルトな話を聞かされても一般人(少なくとも俺や田中さんに至ってはおそらく今も)はそれに気づくことができないし、札幌市もそういうヤバめなおばさんのやってる会社を援助しちゃうし、未だにカルトは現代社会に息づいていて、社会勉強で、年末にして厄年っぷりを発揮したなと思ったのでした。
只管打坐って曹洞宗だっけ。なんだか大変そう。