はてなキーワード: グーテンベルクとは
その昔、まだ読み書きの出来る人が限られていた頃。その中でもとくに、きれいな字を書ける人は神のように尊敬されたのかもしれません。その内容にかかわらず、字がきれいというだけで正しいと認められて特権を享受していた時代もあったのでしょう。
やがてグーテンベルクという人が活字を発明して、書き文字の美醜に関わらず誰もがその思想を表現できる途を開いた。もちろん、きれいな字を書ける人の中でも選りすぐりの人たちは、書道という造形芸術の高みとして尊敬され続けた。
書道という運動能力と美的感覚を兼ね備えた人のみに許された場所へは行けなかったけど、美的感覚のみの人たちがそれをテンプレ化してフォントを作った。
誰もが思想・感情を表現できる手段として活字が出来たし、その中で美的感覚を選ぶ手段としてフォントが出来た。
絵はどうなるのだろうね。選りすぐりの絵描きたちは書道のようにその技で魅せることが出来るし、センスの優れた人たちはフォントへと列聖して持たぬ者たちに施す。そして誰もが造形手段でも思想・感情を伝えられるようになるのである。
当然ですけど。書道家になりたい人もフォントとして列聖したい人も、他人から盗んだ物でそれをやってはダメですね。それはやった人に帰する成果だから。そのどちらにも権利というものは存在するべきだと考えますので。
https://anond.hatelabo.jp/20210212190921
https://anond.hatelabo.jp/20210212214154
これらの問いに対して、人類が歩んできた歴史の視点からの回答が無いので、記しておきます。
お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない?それにしてもお前らの「本を大事にしろ!本を傷つけるな!」的な反応は過敏で異常だよ。宗教なの?
それは「図書館」っていうシステムが原因だと思う。なんで本だけ特別視されて、自治体が無料で貸出しなくてはいけないのか本当に謎。
これは人類が、本そして情報を手に入れる為に、血みどろの歴史を歩んできたから。
その歴史の教訓によって培われた共通認識を ”宗教” と呼ぶならば、そうかもしれないが。とりあえずは、なぜこうなったのかを紐解いてみましょう。
古来、文字や書物(パピルスや木簡など)は特権階級の軍人や貴族や宗教家のものでした。なぜ特権階級が独占していたかというと、文字を記す為のパピルスや木簡の製造コストが高かった事や、地図や軍事情報など機密に関する内容が記されていたなどが理由です。庶民の識字率も低く、市民が文字を使うとしても帳簿や資産管理としての利用が長年続きます。
しかし15世紀にグーテンベルクの活版印刷機の発明により状況が激変します。書物が大量複製できるようになり、庶民に知識が行き渡るのです。
これまでの世界において、知識や文化とは、口伝や継承によって高いコストをかけて伝承されていく特権階級のものだったのが、複製された本を手に入れることでも誰でも知にアクセスできる時代が到来しました。
当時の特権階級の宗教家達の心情を記した言葉が残されています。
教皇は知識と印刷術を廃止しなければならない。さもなくば、印刷術が最終的には教皇を廃位に追い込むことになろう。
From the Days of Great Dedications - John Fox's Book of Martyrs
印刷術による本の普及により、知が民衆化した。それにより特権階級だったカトリック教会の力が弱まる。
そしてゆくゆくは18世紀にヨーロッパ市民革命に繋がり、ついに貴族の統治する時代が終焉し、民主主義が産声を上がった。
それまで特権階級が保存していた、価値ある美術品や博物品は、市民の手により Museum として共有される事になりました。(英語の Museum が博物館と美術館の両方の意味を備えるのは、貴族から奪った貴重品をいっしょくたに展示した為、美術品や史物の区別をつけなかった事が定着したからとも言われている) 一方、図書館は革命時代より一足はやくに制度化が進んでいたため、 Library という名前で普及していく事になります。
概ね図書館および本という存在が、市民の地道な活動により普及し、普及した成果がさらなる民衆の活動を促した。という見方ができるといえます。
日本図書館協会の「図書館について - 図書館を支える理念」を引用します。これこそが、図書と書籍の歴史を端的にあらわしています。
図書館は、それを生み出す社会の特徴や条件を色濃く反映してきました。戦時下では国家の思想を広める役割を果たすこともありましたし、一方では社会的マイノリティーの権利を守るために働くこともありました。社会の変化の中で、図書館はさまざまな状況におかれてきましたが、いくつもの波にもまれながら、いかなる状況の下でも、すべての人たちに情報を提供するのが「図書館の自由」(Intellectual freedom of libraries)なのだという理念を獲得するに至ります。アメリカでは「図書館の権利宣言」(Library bill of rights、1948年採択)、日本では「図書館の自由に関する宣言」(1954年採択)です。これはあらゆる種類の図書館が守るべき自律的規範として、広く支持を得てきました。また、この原則を守るための専門職の行動規範として、「図書館員の倫理綱領」(Code of ethics for librarians)があります。
私のシンプルな記述だと物足りず不満に思う人もいると思います。興味がある人の為に、図書館の歴史と近代ヨーロッパの歩みについての書籍を紹介するので、それで理解を深めてください(と逃げさせて頂く)
書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで
まあ総括して言える事は、本が重要だと長い歴史の中で認められてきた為、今の扱いの重さに至ってるって事ですね。
同じ理屈で、他の疑問にも答えられる。
米とかもそういう節がある気がする(平均的な食品の大事にされ方を遥かに超越して大事にされてる)けど、どういう心情からそれが発生するわけ?
お米は長らく税として徴収されてきた歴史がある。つまりお金と同じ価値でした。
宗教なの?
同じ理屈で返すなら、あなたの財布に入っている一万円札。これはただの紙切れなはずですが、破いて捨てないのはどうしてですか。社会的・歴史的に一万円札の価値と通念が形成されてるから、大切に扱うわけでしょう。ただの紙切れなのに。
本も、米も、お金も、同じことです。
図書館基準で考えるなら、体育館の施設利用自体も無料にしてほしい。図書館は法律がそうだからというのは理解している。それなら体育館もそうすればいいのにってこと。オリンピック的な勢いでそうならないかなぁ。運動する人のことも考えてほしい。
図書館にも有料のものも多くありますが、まあ置いておくとして。この理屈は分からなくはありません。
しかし図書館と同じように、社会に必要とされる意味合いが重くなるなら、きっと体育館も無料になるでしょう。
実は歴史の上でも先例が多数あります。オリンピック繋がりでスパルタの例を紹介しましょう。
古代オリンピック発祥の地にも近い、ギリシアのスパルタ。7歳になった子供はスパルタ国家の寮で生活し、毎日運動がさせられます。費用はもちろんスパルタ国家が全部負担してくれます。無料です。立派な運動教育のすえ、子供は屈強な戦士としてスパルタ国を守る存在となりました。めでたしめでたし。
これはスパルタ教育という言葉で現代にも伝わっていますね。大げさな例を出しましたが、このように社会に必要とされ価値が認められれば、無料になる例には事欠かないと言えます。
日本も高齢化社会が進んでいますし、健康寿命を気にした予算投入も珍しくありません。スパルタ国ほどオーバーな例はないにしても、無料になるところは今後増えると思いますよ。社会に必要とされていますから。
かつてグーテンベルクの活版印刷技術で、科学、思想、宗教が世界に均質に広まることとなった。
素晴らしいことである。そのおかけで、家庭の壁一面に並ぶ大きくて重い百科事典とにらめっこしたり、
図書館に出向いて書架の間を歩きまわったり、知識を得るためには、そんな肉体的運動も必要であった。
現代のネット時代は、実は、それ以上に劇的な変化がもたらされた。
世界中の、最先端の、多くの情報が小さな画面に集約されるようになった。
ポチポチと指先を動かすだけで、誰もが情報の海から情報が安泰と入手できる。
さらに、情報発信も軽々とできる。多くの情報はゴミクズなんだけど。
日記サイトもゴミクズなんだけど、100年後には当時の日常生活が見られるわけで、
資料として一級の価値を持ったりするかもしれない。というわけで、このサイトの意義は
素晴らしい物があるわけです。ヨイショ。
しかし、個別的に見てみると、ネットは自己洗脳を加速させる面を持っている。これ、イクナイ傾向。
色々な情報があるのに、それを比較考量せず無意識のうちに自分の知りたい情報だけを
見つけ出してきて、知りたくない情報は詳しく検討することはしない。
また、自分の考えを開陳してはひたすら肯定してくれる人達を探して群れてるだけ。
仲間内で自家中毒。これはもう見てられない。本人たちは自分正義を貫いている、偉いだろ、えっへん状態。
末期症状だよ。
エアコン設定温度26度より上ではほとんど何も成し遂げることができない。7月から9月下旬は大した成果が出なかった。クールビズとか言いだしたのは誰だ? あれは生産量あたりの光熱費が悪化するだけだ。消費を抑える以上に収入が下がれば、つまり利益率とかコスパというものが下がれば結局のところ意味がない。日本語ではそれに浪費という言葉を当てるだろう。
代謝が低いとか熱容量が小さいといった理由で放熱レートを抑えたいケースはあると思う。また快適な温度とも一致しない。少し暖かい方が過ごすには楽だ。
もっとも影響するのは根菜とか豆だと思う。次が葉物か。野菜の量と進捗の量には因果関係があるんではなかろうか。国が推奨する一日の必要量とかではなく野菜で腹が膨れるくらい食うとよい。穀類はあまり効果がない。コンビニ弁当サラダなら10個分くらいから効果があると思う。もちろんここにはエンゲル係数との戦いがあり供給がコンビニだと袋サラダ1袋くらいが限度ともなろうが……栄養ドリンク類も進捗への影響を分類する上では半分ここに入れたい。
茶、コーヒー、ドリンク類、ジュース。カフェインは効果がある。午後の紅茶のミルクティーなど悪くない。ただし手が震える、腹に応える、乳成分が入っていると後味が悪い、洗い物の手間が増えるといった問題はある。夜眠れなくなるというのはあまり気づいたことがない。それ以外の問題のあるものについては知らないがおそらく効果は薄いのであろう。
人間は入力情報をなんかうまいこと煮込んで出力情報とする函数である。その入力エントロピーを出力エントロピーが越えることはない。絶対にない。熱力学という規則がこれを規定しているわけではなくこれが熱力学への挑戦によっても破れなかった法則として見出されているのである。読んだだけ吐ける。そのレートは意外と良くないものである。ある文化圏の人類の出力エントロピーの総和が入力エントロピーの総和を下回るとすれば、なぜ社会は熱的に最小状態へと向かわないのか? 分からないがこれはグーテンベルクと原油のおかげであろう。原油が情報となり高尚な知的活動を支えるのである。人は……パンというエネルギーを情報に変えるのだ。個人的には核融合でも構わないのだが。
歩数ごとに言葉が浮かぶ。極めて残念なことに歩いていると電子機器に触れることができない。歩きスマホはできるが見るのも入力するのも大変だ。考える余裕がなくなる。HoloLensをつけて歩きたい。それでもタイピングの問題はある。口述筆記はこれまた手間で、なんとも遅い。やっていられないだろう。
飲酒の習慣がいつまでも付かないのでなんとも言えないが、酔いが回るまでの短い瞬間は効果がある。毒が回ったあとはやはりだめだ。酢は同じ効果があり酔わないが、胃が急速に死ぬ! これもだめだった。
ないと作業ができない。あってもできるわけではない。ないときに入れてもできるわけではないが、ないと作業ができない。
DHAがどうたら、飯を大量に食うよりは効果があるのだが腹持ちが異様に悪い。魚を食って間食をせずにする方法があったら知りたい。とてもお腹がすく。あと口が魚臭くなるのがいやだ。
腹持ちが良い。筋肉の元になる。体が丈夫になる。というわけで生残性には貢献するが生産性には貢献しない。うまいので食ったらいいと思う。野菜を合わせると食後感が大変良くなる。情報としては価値がある。
効果がない。過度の塩分は焦燥感と手足の倦怠感を生む。過度の糖質は食後に激しく知能が落ちる。
迷ったもの
長期間欠けていると影響はある。一気にたっぷりとるとデフラグ的な効果がある。日々の睡眠による効果というのは今ひとつわかりにくい。寝かせたアイディアを処理することは睡眠時間に余裕がないとできない、といったような作用の仕方がなんとなく見える。
●各報告記事へのリンク(文字数制限があるようなので複数記事に分けてあります)
・「誤字脱字等報告 20160421[548]~20161004[612]」
・「誤字脱字等報告 20161013[617]~20170125[655] および総合更新履歴等」
・「誤字脱字等報告 20170131[656]~20170303[670]」(このエントリ)
・「誤字脱字等報告 20170306[671]~完結、~SS-39、~ハンネ-7」
・「誤字脱字等報告 20170713[ハンネ-8、SS-40]~ (更新中)」
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「670 記憶 その2」
本があるとここへ行きましょう
→本があるところへ行きましょう
本のある所へ行こうと誘ったわたしの言葉は完全に無視したフェルディナンドは、
→本のある所へ行こうと誘ったわたしの言葉を完全に無視したフェルディナンドは、
フェルディナンドの心には、
→フェルディナンドの心は、
少し乱れて肩にかかっていた髪を指先で整えながら背中へと流しながら新しい髪飾りを付ける。
→少し乱れて肩にかかっていた髪を指先で整え背中へと流しながら新しい髪飾りを付ける。
最初の髪飾りが何のためにできたのか、
→最初の髪飾りが何のために作られたのか、
繋がりを自分で立ち切らなくてはならない。
→繋がりを自分で断ち切らなくてはならない。
→繋がりを自分で断ち切らなければならない。
ナイフを向けられて脅してきたシキコーザ
→ナイフを向けて脅してきたシキコーザ
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「669 記憶 その1」
神の名の元に極刑にしてやろう
→神の名の下に極刑にしてやろう
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「668 魔力散布祈念式 後編」
城から持ってきた仕事をフェルディナンドは居間で行っているようだ。
→フェルディナンドは城から持ってきた仕事を居間で行っているようだ。
店の間取りをグレッシェルのエントヴィッケルン時に提出されていた物を採用する予定だったが?
→店の間取りはグレッシェルのエントヴィッケルン時に提出されていた物を採用する予定だったが?
→グレッシェルのエントヴィッケルン時に提出されていた店の間取りを採用する予定だったが?
商業ギルドなどが立ち並ぶ下町の中心部にグーテンベルク達の店や工房もエントヴィッケルンで新しく作るつもりだ
→グーテンベルク達の店や工房も、商業ギルドなどが立ち並ぶ下町の中心部にエントヴィッケルンで新しく作るつもりだ
今日はここまでよかろう。
→今日はここまででよかろう。
あの魔法陣をコピペとやらで、いくつも同時に行うことはできないか?
→あの魔法陣をコピペとやらで、いくつも同時に写すことはできないか?
あのまま利用した方がここ書かれたやり方に沿うはずだ。
→あのまま利用した方がここに書かれたやり方に沿うはずだ。
何となく口をついて疑問が出た。
→何となく疑問が口をついて出た。
真っ暗の海を写すようになった。
→真っ暗な海を映すようになった。
→わたしの中では「やっと終わった」という安心感が広がっていく。
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「667 魔力散布祈念式 中編」
レッサーくんの周囲の警戒やわたしの側近達に同行する騎士達は残されている。
→レッサーくんの周囲の警戒をしたり、わたしの側近達に同行する騎士達は残されている。
→レッサーくんの周囲の警戒をしたり、わたしの側近達に同行したりする騎士達は残されている。
と祝詞唱えながらシュツェーリアの盾を持って飛び出し、
→と祝詞を唱えながらシュツェーリアの盾を持って飛び出し、
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「666 魔力散布祈念式 前編」
『車』に見えないのですけれど……
→乗り物に見えないのですけれど……
→家にしか見えないのですけれど……
(※マインは『車(キャンピングカー)』のイメージで作ってますし、フェルディナンドも
記憶を探る際に見て『車』は知っているでしょうし、一応「馬車」もあるので
「四の鐘までもう少し間我慢しなさい」
→「四の鐘までもう少しの間我慢しなさい」
「ビンデバルトにはなかった海がカンナヴィッツは広がっていたのですもの」
→「ビンデバルトにはなかった海がカンナヴィッツには広がっていたのですもの」
→「カンナヴィッツにはビンデバルトにはなかった海が広がっていたのですもの」
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「665 金粉作りと帰還」
フェルディナンドは側近達をぐるりと見回して口を開いた。
→フェルディナンドが側近達をぐるりと見回して口を開いた。
何かに調合に使えるのかもしれないが、
→何かの調合に使えるのかもしれないが、
今はお姉様のためにカルステッドが採集場所へ騎士を率いていきましたよ
→先程お姉様のためにカルステッドが採集場所へ騎士を率いていきましたよ
→今はお姉様のためにカルステッドが騎士達を率いて採集場所へ行っていますよ
今はゆっくりともてなす余裕のもないのだ。
→今はゆっくりともてなす余裕もないのだ。
→わたしが一人乗りサイズにした虹色レッサーくんに乗り込むと、
神具に魔力をどんどん込めていく。
→神具に魔力をどんどん籠めていく。
(※今回だけでなく、過去回でも「籠め」「込め」が混在しているようなので
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読書なんて久し振りすぎる。
→(削除)
(※この前日にあたる「626 仮縫い」に
「わたしはベルティルデにお礼を言って、すぐに読み始めた。」など
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「664 魔力枯渇計画」
ゆっくりと上へ、上へ上がっていく。
→ゆっくりと上へ、上へと上がっていく。
貴族が神々の御加護を得るために他の領地はすでにお祈りを始めていることはご存知ですか?
→他の領地では、すでに貴族が神々の御加護を得るためにお祈りを始めていることはご存知ですか?
大人達もディッターの回数が増えたことをハンネローレから聞いた気がする。
→大人達もディッターの回数が増えたとハンネローレから聞いた気がする。
知らせが合った通り、
→知らせがあった通り、
人の身には過ぎた力で早急に一度魔力を枯渇させ、
→人の身には過ぎた力なので早急に一度魔力を枯渇させ、
成人した男性の領主候補生が城から出る時、女性の領主候補生が婚姻によって領地を出る時に昔はユーゲライゼに御加護を祈っていました
→昔は、成人した男性の領主候補生が城から出る時や、女性の領主候補生が婚姻によって領地を出る時に、ユーゲライゼに御加護を祈っていました
→成人した男性の領主候補生が城から出る時や、女性の領主候補生が婚姻によって領地を出る時に、昔はユーゲライゼに御加護を祈っていました
→神々の御力が暴れた場合は自分だけではなく、周囲にとっても危険だ。
アーレンスバッハを満たす旅に出ることになることになるのだぞ。
→アーレンスバッハを満たす旅に出ることになるのだぞ。
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「663 神々の祝福 後編」
フェルディナンドは首を振った。
→フェルディナンドは首を横に振った。
→国境門の犯罪者を捕らえに行っていただくことになっています。
その場に名を捧げた者しかいなくなった。
→この場には名を捧げた者しかいなくなった。
フェルディナンドはエグランティーヌ様を置きざりにしそうな速さで
→フェルディナンドはエグランティーヌを置きざりにしそうな速さで
クラリッサに手伝ってもらいながら鍵を手にしたグレーティアが丁寧な手つきで、手早く鍵を取った。
→クラリッサに手伝ってもらいながら、グレーティアが丁寧な手つきで手早く鍵を取った。
礎の枯渇とユルゲンシュミットの崩壊の回避を強く望んでいた神々も気が済むでしょう
→礎の枯渇によるユルゲンシュミットの崩壊の回避を強く望んでいた神々も気が済むでしょう
領地の礎をよりずっと大きな国の礎を満たさなければならない今回は、魔力が枯渇する気配が微塵もない。
→領地の礎よりずっと大きな国の礎を満たさなければならないにも関わらず、今回は魔力が枯渇する気配が微塵もない。
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「662 神々の祝福 中編」
領域を拡大しようと暴れているのに、
→領域を拡大しようと暴れているので、
人型が全く役に立たってないよ!
→人型が全く役に立ってないよ!
フェアベルッケンのお守りを身について始まりの庭に忍び込んで、
→フェアベルッケンのお守りを身につけて始まりの庭に忍び込んで、
一体どれくらい期間なのですか?
→一体どれくらいの期間なのですか?
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「661 神々の祝福 前編」
垂れ流れている女神の御力に加えて
→垂れ流されている女神の御力に加えて
祭壇前で待機してエグランティーヌが舞を見ることになっている。
→祭壇前で待機してエグランティーヌの舞を見ることになっている。
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魔力で魔法陣が空中に描き始めました。
→魔力で魔法陣を空中に描き始めました。
新たなツェントが誕生の陰には様々なことがありました……
→新たなツェント誕生の陰には様々なことがありました……
→新たなツェントの誕生に至るまでには様々な経緯がありました……
今まで碌な情報が入らなかったせいでしょう
→今まで碌に情報が入らなかったせいでしょう
(どちらでもよいような気はしますが一応)
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王族も集うような場へ連れて来られるアウブなど早々いまい。
→王族も集うような場へ連れて来られるアウブなど、そうそういまい。
→王族も集うような場へ連れて来られるアウブなど、そうはおるまい。
→王族も集うような場へ連れて来られるアウブなど、なかなかいないだろう。
本当の目的は誰に目にも明らかです。
→本当の目的は誰の目にも明らかです。
→エーレンフェストではローゼマイン様を守り切れませんでしたし、
魔王を呼ばれる男はやることが相変わらず
→魔王と呼ばれる男はやることが相変わらず
大きく扉が光れると、
→大きく扉が開かれると、
先頭で率いているのは見慣れた顔をしています。
→先頭で率いている者は見慣れた顔をしています。
それが奉納舞が終わりだと気付くのに
→それが奉納舞の終わりだと気付くのに
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鍵を使って礎に魔力を魔が仕込んでくるように促す。
→鍵を使って礎に魔力を流し込んでくるように促す。
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それらの情報を基にドレヴァンヒェルと話をする、とアドルフィーネが何度か頷く。
→そのような悪条件でドレヴァンヒェルを納得させるのは難しい、とアドルフィーネが俯く。
イマヌエルが「死なせてはない」という
それらを次期ツェント候補に最も近い者達が幼い頃からお祈りの重要性を知る良い機会だと考えます
→幼い頃からのお祈りの重要性などを、次期ツェント候補に最も近い者達が知る良い機会だと考えます
幼い頃から神事に触れあうのはとても良いことではありませんか?
→幼い頃から神事に触れるのはとても良いことではありませんか?
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ここにジェルヴァージオという名のランツェナーヴェの王らしき人物は含まれません
→ここにジェルヴァージオという名のランツェナーヴェの王族らしき人物は含まれません
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「656 ランツェナーヴェの者達の扱いと褒章」
あのような態度を取ったジギスヴァルト王子を
→あのような態度を取ったジギスヴァルトを
(トラオクヴァールのセリフなので)
それを共に背負うことが伴侶の役目であって、ツェントの重みから逃れるように唆すことではありません、
→伴侶の役目はツェントの重みを共に背負うことであって、その重みから逃れるように唆すことではないのです、
→その重みから逃れるように唆すのではなく、それを共に背負うことが伴侶の役目です、
魔力封じるための道具や
→魔力を封じるための道具や
国境門を開閉する気もありません。
→国境門を開く気もありません。
(この少し下の
アーレンスバッハでメダルの破棄を行えば命を奪うことなく貴族としての資格を剥奪できる
罪人が中央(アーレンスバッハ領地外)にいる状態でアーレンスバッハ領地内で
メダルの破棄をすれば、グラオザムのように登録抹消のみとなり命を奪うことはない
ということかと思ったのですが、私の理解不足かもしれません。)
アーレンスバッハでメダルの破棄を行えば命を奪うことなく貴族としての資格を剥奪できる
→罪人が領外にいる状態でアーレンスバッハでメダルの破棄を行えば命を奪うことなく貴族としての資格を剥奪できる
旧ベルケシュトックの北側にある旧シャルファーがまとめられた。
→旧ベルケシュトックと北側にある旧シャルファーがまとめられた。
女神の化身としてグルトリスハイトをもたらすローゼマインを、これからアウブになるトラオクヴァール様と養子縁組をさせませんが、その承認と
→女神の化身としてグルトリスハイトをもたらすローゼマインと、これからアウブになるトラオクヴァール様との養子縁組を取り消す承認と、
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グラフィックデザインの文脈でよく語られるデザイン史は、バウハウスから始まって、グーテンベルクの活版印刷、雑誌時代のエディトリアルデザイン、広告コミュニケーション、テクノロジーとの融合というものだ。また別軸で、グラフィックデザイナーの職能として、工業化社会における機械製品の美学的側面を整えるという歴史があった。まさにテクノロジーの隆盛と歩んできたデザインである。生活を便利にする機械製品(電話や洗濯機など)は生まれ、パーソナルコンピューターは普及した。そして、グラフィックデザインをするためのツールや思想は世の中に溢れ、誰でもグラフィックデザインの勉強ができ、誰でもデザインを作れ、誰でもそういう成果物に対して口出しできるようになった。
いつからか、総合的な計画であるはずのデザイン行為の中から「美学的側面」のみが取り出されて、それに対しての褒賞制度が整えられたのだ。日本で言えば、たとえばJAGDAの褒賞制度。特にグラフィックデザイン業界におけるそれら褒賞制度は、そのほとんどが美学的側面の評価しかしていないので、それがビジネスを支えるツールとして、実際的に機能的であるかどうか定量的に計測されていないだろうし、主催者も応募者もそういう側面でしか見てなくて、内輪で楽しく賞を送り合っている構図がよく想像される。その外に居る人がどれだけ社会に対してインパクトのある仕事(例えば新しいムーブメントを起こしたり、技術や生活基盤を進歩させたりなど)をしても評価はされないのだ。格好良くないという一言で、彼らのコミュニティから排除される。いつまでもはびこる師弟制度、ごますりが必要なコミュニティ入会の現状。
デザイナーではない人はそもそも「上位の概念としてのデザイン」に対するリテラシーがないので、デザイン=格好良くてお洒落な見た目をつくること、という短絡的な思考でしかデザインを評価できない。つまり、受賞した人間はいいものを作っていると。しかし褒賞制度がそもそも歪んでいるので、受賞者がビジネスや社会のライフサイクル的な側面に目を向けられる人間かどうかという評価の視点が抜け落ちてしまっている。僕はこういったデザイナー達を「グラフィックアーティスト」と呼んでいる。決して「デザイナー」ではない。
本来的にビジネスと協調すべきデザイン活動が、それを無視した褒賞制度によって、奇抜なことをするデザイナーこそ優秀であるという歪んだ理解が社会に溢れてしまった。そういうデザイナーたちがつくり上げるものには、機能的側面が欠落してしまうことが多いと思う。デザインの機能的側面が考慮されないデザインは、はたしてデザインと呼べるのか。社会をより進歩させ得る力があるのだろうか。
また別の観点では、現在多くの美術教育の現場にも問題があると思う。教育者自体が、旧来的なグラフィックデザインの文脈で育っているので、そのような視点でしかデザインを捉えておらず、結果的に美学的側面を整えることに教育の主眼が置かれてしまっている。デザインという手法が社会のコミュニケーションを活性化させ、より良い文化システムを構築し、ビジネスにおける利潤獲得のための手法であることが教育されていない。そうして、再び無能なグラフィックアーティストが量産されてゆくのだ。若いデザイナーの元で育ったほうが、明らかに的を射た考え方を獲得できるとおもう。
ここ数年、自分の生業であるグラフィックデザインはそろそろ終わるんじゃないかなと思ってる。コミュニティの思考が高齢化しているし、かと言って新しい考え方を積極的に取り込んで体質の健全化に取り組もうとしない。デザインをもっと価値のあるものにするためのデザイン領域を俺は見つけたからいいんだけど、変化せず進歩のないコミュニティに未来はないとだけは言っておきたい。
美しくあることは大事だと思う。美しいことは心を豊かにしてくれる。しかし、それ以外のもっと大事なことにも一緒に目を向けてほしいと思うのだ。
世紀 | ||
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前6 | 孔子(前551・儒教の祖) 孫子(前544・『孫子』著者) | |
前5 | 釈迦(?・仏教の開祖) ヘロドトス(前484・歴史の父) ヒポクラテス(前460・西洋医学の父) プラトン(前427・哲学者) | |
前4 | アリストテレス(前384・万学の祖) アレクサンドロス大王(前356・マケドニア王) | |
前3 | アルキメデス(前287・古代最大の数学者) 始皇帝(前259・最初の中華皇帝) 劉邦(前256・漢の高祖) ハンニバル(前247・包囲殲滅戦術を確立) | |
前2 | 司馬遷(前139・『史記』著者) | |
前1 | カエサル(前100・ローマの終身独裁官) ウェルギリウス(前70・ローマ最大の詩人) オクタウィアヌス(前63・ローマ帝国の初代皇帝) イエス(前4・キリスト教の開祖) | |
1 | プトレマイオス(83・天文学者) | |
2 | ガレノス(130・古代医学を確立) 張仲景(150・医聖) 曹操(155・三曹の一人) | |
3 | ||
4 | 王羲之(303・書聖) アウグスティヌス(354・古代最大の神学者) | |
5 | アッティラ(406・フン帝国の王) | |
6 | ムハンマド(570・イスラム教の開祖) 李靖(571・『李衛公問対』) 李世民(598・唐の第2代皇帝) | |
7 | ||
8 | アブー・ムスリム(700・アッバース革命の立役者) 李白(701・詩仙) 杜甫(712・詩聖) カール大帝(742・フランク王国) | |
9 | ||
10 | フェルドウスィー(934・『シャー・ナーメ』著者) イブン・ハイサム(965・光学の父) イブン・スィーナー(980・アラビア医学を体系化) | |
11 | ||
12 | 朱子(1130・儒教の中興者) サラディン(1137・アイユーブ朝の開祖) インノケンティウス3世(1161・教皇権最盛期のローマ教皇) チンギス・ハン(1162・モンゴル帝国の初代皇帝) | |
13 | トマス・アクィナス(1225・『神学大全』著者) ダンテ(1265・イタリア最大の詩人) ジョット(1267・西洋絵画の父) | |
14 | 羅貫中(?・『三国志演義』『水滸伝』編者』) イブン・ハルドゥーン(1332・『歴史序説』著者) ティムール(1336・ティムール朝の建国者) ヤン・ジシュカ(1374・マスケット銃を使用) グーテンベルク(1398・活版印刷の発明者) | |
15 | ジャンヌ・ダルク(1412・百年戦争の聖女) コロンブス(1451・アメリカの再発見者) ダ・ヴィンチ(1452・万能の天才) ヴァスコ・ダ・ガマ(1460・インド航路の開拓者) マキャヴェッリ(1469・『君主論』著者) ミケランジェロ(1475・芸術家) マルティン・ルター(1483・宗教改革) スレイマン1世(1494・オスマン帝国最盛期の皇帝) | |
16 | エリザベス1世(1533・アルマダ海戦に勝利) セルバンテス(1547・『ドン・キホーテ』著者) ガリレオ(1564・科学革命の中心人物) シェイクスピア(1564・イギリス最高の詩人、劇作家) グスタフ・アドルフ(1594・三兵戦術を確立) デカルト(1596・合理主義哲学の父) | |
17 | ルイ14世(1638・絶対王政最盛期の王) ジョン・ロック(1632・イギリス経験論の父) ニュートン(1642・科学革命の中心人物) 康熙帝(1654・清の第4代皇帝) バッハ(1685・音楽の父) | |
18 | オイラー(1707・数学者) 曹雪芹(1715・『紅楼夢』著者) アダム・スミス(1723・経済学の父) カント(1724・哲学者) ワシントン(1732・アメリカ初代大統領) ワット(1736・蒸気機関の改良) ラボアジェ(1743・近代化学の父) モーツァルト(1756・音楽家) ナポレオン(1769・初代フランス皇帝) ベートーヴェン(1770・音楽家) ガウス(1777・数学者) クラウゼヴィッツ(1780・『戦争論』著者) スチーブンソン(1781・鉄道の父) ファラデー(1791・電磁気学の父) バベッジ(1791・コンピュータの父) | |
19 | ダーウィン(1809・進化論を提唱) ポー(1809・ミステリの父) マルクス(1818・共産主義を提唱) ヴィクトリア女王(1819・帝国主義最盛期の女王) パスツール(1822・近代細菌学の父) ヴェルヌ(1828・SFの父) モネ(1840・印象派の祖) ロダン(1840・近代彫刻の父) エジソン(1847・発明王) フォード(1863・自動車の大量生産) ライト兄弟(1867・飛行機の発明) アインシュタイン(1879・相対性理論を発表) ピカソ(1881・画家) ケインズ(1883・マクロ経済学を確立) グデーリアン(1888・電撃戦を確立) ヒトラー(1889・ナチス指導者) |
「世界のルールを変える事。それこそがハックだ」「ハッカーならソース書けよ」 ・まとめ 違法DLを適用させたとは言え、しばらくは使い方として他の余罪として適用していくだけだろう。 この法案を通したのは警察が特定の個人をマークしてネットで盗聴しやすくなる所が狙いだからだ。 しかし、この法案は頭の古い連中が自分達だけが法律を好き勝手使えるという思い込みで作っているので、 穴だらけである。この法案の穴を徹底的に突いて、この連中がやろうとしている監視社会を崩す方法を述べる ・違法DLで何が変わるか? 今回の法案では普通にネット使ってる人が大量に逮捕される事にはならないだろう 違法DLが有罪になるには、大まかに言ってこの3つが成立しないと違法DLにならない http://www39.atwiki.jp/dl-ihou/ ‐DLを行う人が違法DLであると認識している ‐DLを行った後に、違法DLしたデータを手元に持っておく事 ‐コンテンツの著作権者がこの犯罪を有罪だと申請する事 1つ目は身内や特別の人を守る為の条件だ。一般人には警察で自白させる事で成立させるが 特別な人たちは、やったとしても認識して無かったと言い張る事で犯罪要件が成立しなくなる 2つ目は外部からPCやスマホの内部の動きが判らないので、PCやスマホを押収して、 データがあるかどうかを確認しないといけない。だからこそ違法DLの有罪化でいきなし 逮捕される人が急増する事はないと予想する。別件で捕まった人が押収されたPCやスマホにある 違法データを訴える形で無いと、基本いまの違法DLが有罪にならない仕組みになっている 更に3つ目の条件で、著作権者が訴えなければ有罪とならないので、警察が違法DLデータを 見つけ、著作権管理団体等に連絡して、訴えるなら訴えるという手順が必要だから、 警察と著作権管理団体等が特定の違法DLしたユーザーを犯罪者にしようとする意志が無ければ 違法DLで犯罪者になる事は無いだろうし、その手順から言って普通にネットを使ってる ユーザーが違法DLの犯罪者として沢山捕まるような事態は発生しないだろう 男性のパソコンに特殊なウイルスが感染し、 第三者が遠隔操作して書き込める状態になっていたことが判明したためで、 いったん起訴された被告が検察の判断で釈放されるのは異例なことです http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121007/t10015573441000.html こういう事件が起きた後だと特に ・では何が問題か、である 2つ目の条件が外部から確認できないというあいまいさに付け込んで、 警察が誰の通信内容でも諜報可能となりうる事である。 http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/5548940dc73732a371f9b18600918fd7 あいまいさがあるという事は、違法DLデータが手元にあるかどうかはPCやスマホを 押収しないと判らないが、対象の違法DLを行った人は被疑者とはなりうるという事である。 これは世界中にある違法の可能性のある著作物にネットで触れた場合、誰でも被疑者に出来る。 そして、それは被疑者のPCやスマホが押収された時に実際に確認されるが、確認される までは被疑者に対してずっと通信内容を検閲できるという事である ・この法案は警察と著作権管理団体のエゴによって成り立ってる 著作権管理団体は、ネットで自由にコピーされている著作物を全て自分の管理下に置きたがっている。 警察は誰のプライバシーでも自由に検閲できる名目を欲しがっている。この2つの意図によって ネットに繋がっていれば誰でも刑事罰を受ける可能性を持つというとんでもない法案が通過した。 しかし、この法案はそんな特定の人だけでなく沢山の人々に影響を受けるし、与える事も出来る。 その可能性を考えられない時点で、この法案を作り、支持した連中は滅んで良いと思う ・容易く取り締まられる例 ファイル共有ソフトを使った場合、条件の1と2が成立するので、警察がファイル共有ソフトの ノードを追跡している場合は、PC等の押収まで容易く実行できるだろう。 そこから著作権管理団体へ連絡を行えば、大量のDL違反者が犯罪者となる可能性は高い。 #そもそも暗号化されたノードを解析して検閲するのは憲法21条の違反なんだが、 #ここに対してまともに扱ってる判例を見ていないのだがどうなんだろうか? ・では、逆に何があったら訴えられるか? ‐違法DLの為のソフトを使っていた事 ‐違法DLしたという客観的事実(DLデータ、DLした履歴) ‐違法DLされたコンテンツの著作者から訴えられる事 この3つがあれば、実は警察も著作権管理団体も経由する事無く訴えられる。 著作権は別に著作権管理団体だけが管理できるモノでは無い。 と、言うよりもここ10年で起きたデジタル化、ネット化という代物は、 著作物を著作権管理団体等に任せる事無く、容易く配布やコピーできる、 グーテンベルク以来の大きな改変の時代であり、従来の法では管理できない。 出版業界、音楽業界、映画業界のようなマスから一方的に一般へ配布するメディアは もう全て歴史の過去に流されようとしている。だれでも今までより容易く 著作物を生成し、自由に配布できる(される)時代へ世界は変容している それを従来の力で束ねようとしてもそれはカソリックの法王の足掻きのようなモノで 全てを押さえる事は出来ない。中央から一方的に自分達の主張だけを押し付ける 従来のメディア、機関は滅びつつある。一手に集めていた金や権力を独占できる状況 ではなくなり、その結果としてボロを晒しながら衰退している。かつて独占されていた力は 全ての人々に開かれつつある。法もその一環だから、この法も一般人が使う事が出来る。 あらためて言おう。上の3つの条件が確保出来るのであれば、 一般人が違法DLで他の違法DLの容疑者を訴える事が可能となる ・じゃあ何が出来るの? 自分がやろうと思っていたのは、違法DLに対する反対運動の為のアプリを作ろうか、 という事だった。一般人が違法DLで他の人を訴えれるという事実は、そういう アプリを大量に配布して犯罪者予備軍を大量に用意できるという事である。 違法DLに対して、例えば一気に1万人ぐらい訴えれば世間的に大きな印象を与える事が 出来るし、そこまでやれば裁判所などの行政府をフリーズさせる事が出来る。 この法律はおかしい、という印象を周りに強く与える事が出来る まぁでも残念ながら、いくつかの理由でそれは諦めた 一つは、このアプリの配布から訴えるまでの流れにおいて、警察等にマークされた時に どんな別件逮捕の可能性があるかを読み切れなかった事である。今の世の中は 警察の邪魔をする連中はどんな名目で逮捕されるか判らない状況にある(この法案もその一環) 二つに、アプリを製作するには僕の能力では違法DL有効までに時間が足りなかった事 三つに、アプリだけでなく、著作物を用意して訴える準備をしてとすると、 手間が膨大にかかり、それを全て行うには自分の労力をかなり使ってしまうだろうという事 この辺が重なって、今回このタイミングでこういうアプリを作るという事は諦めた という訳で、この文章を書いている訳である。 実際に、このプラン通り違法DL反対化の為のムーブメントを起こしても良いし、 この文章から他のプランを考えても良いと思う。 そもそもこの法案の欠点を公開した時点で、この法案はそもそも使い物にならなくなる程度の代物なので http://anond.hatelabo.jp/20121002191530 当然この程度の話はみんな考えるよね。実際こうなるだろうし、自分が書いてる手法を使えば もっと詐欺的な話ではなく実際に一般人をいきなし犯罪者に追い込む形で料金を請求できるようになる ・後は細々やろうと考えてた色んな事 ‐違法DL反対のアプリはiPhoneやスマホでやろうとしていた。アレのアプリは契約者情報が 取れるはずなので、そのまま訴えるのに容易く行えるだろう ‐このアプリは「違法DLが有罪化されて、こんな怖い事になっている」という触れ込みで 配布しようと思っていた。細かい注意点については最初のソフトウェア使用許諾契約に書いておく。 #違法DLアプリと知らなかったというのは、使用許諾契約を読んでいない被疑者の落ち度である #読まない事で損害を与えた場合、その損害は(今後の別の裁判も含め)被疑者が持つと書いておけば、 #違法DLの裁判で知らなかったから無効という流れで負けても賠償金は確保できる可能性がある #とは言え、問題のあるアプリを走らせると注意書きをしてもやはり訴えられる可能性が高いので http://matome.naver.jp/odai/2134957439215529001 #この事例を参考に対応を考える事 ‐実際に訴えるような事になると、アプリ製作者、配布者が捕まる可能性が高いので、 訴えない形でアプリ登録が増えるような仕組みにしてプレッシャーを掛けるべきだろう ‐この法案では違法DLへの訴えは十分に警告を与えてから、となっているので、 アプリDL時と、訴える前に警告を送り、反省があった場合、訴えない方が良いだろう #代わりに知人にこのアプリを紹介するか、或いはDL反対の署名に参加してもらう #この動きはもしかしたら恐喝と見られる可能性があるので注意 ‐大きな訴えを起こす前に、DL履歴とIP履歴、著作権者からの訴えを持って 被告が欠席している状態で少額訴訟を起こして、判例を作っておくべきだろう ‐大きな訴え(大量の訴訟)を行った時に相手がいなす可能性がある 少額すぎる被害だから訴訟するに値しないと訴えを受理しない可能性がある これを回避するにはJASRACの曲を持ってる人が訴訟人となれば良い。 その状態で裁判所が受理しないなら、法案は無効化したに等しいので ‐沢山の人を参加させたいのであれば、違法DL反対のサイトを作って、そこに賛成者の 著作物を登録できるようにしたら良い。アプリは一定金額の著作物を勝手にDLするように して、後は訴えるかとうかは著作権者が自由にすれば良い。アプリ配布者と訴える人が それぞれ異なるとすれば、警察はどっちを捕まえるべきか悩むはずなので ‐関係者が逮捕される危険度を落とすのであれば、賛同者が著作物を登録する時に、 むやみに訴えないとかの一定の規約を作って、なるだけ法を違反しない形で話を進める事
・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新の文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的なサーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。
・「なぜ近代の技術革新が西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類の文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。
・西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学の研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働や資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである。
・古代(B.C.500~A.D.500)。ローマ、ギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前に活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関や自動ドア、自動販売機に近い装置を発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか、破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。
・中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。
・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋→西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみ出した技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋の技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパの中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。
・近世(1500~1750)。ヨーロッパの技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトやポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩の可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルクの活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)
・近世期は技術的ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリアの専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術を奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアのベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩の奨励なんかは、イスラム社会や中国社会では到底考えられないことだった。
・近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関の発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術の機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。
・蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学と技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学や数学、物理学が技術分野に本格的に応用され始めた。
・技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新を可能にしたかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新的技術のニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズを発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である。
・「化石燃料資源の豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドではまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富な石炭資源が産業革命を可能にしたという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか。
・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家に科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソンは科学的知識がなかったため、自己のインスピレーションを補強するために数学者を雇った。
・むしろ重要なのは、新技術にたいする政治や社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましい。ダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。
・中国と西欧を比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国が近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世頃から弱まっていき、清の時代になってからは中国政府は技術の進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察、道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はますます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供を官僚機構に入れたがり、天才やエリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。
・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパの技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語や宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権ではなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術の世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会は西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界の技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。
http://twitter.com/#!/zaway/status/66580272551968769
中世、本は教会内の知識層だけのものだったが、グーテンベルクの印刷技術が本を大衆にもたらした。
同じように音楽・映像の情報発信はレコード会社やテレビ会社のものだったが、ネットワーク技術が音楽・映像の情報発信を大衆にもたらした。
ソフトウェア、映像、音楽、活字などの情報は、入れ物(ハードウェア、CD/DVD、紙媒体)から解き放たれた。
それと同時にフリーライドが問題化。知的財産とは何かを考え直す時も来ている。
次の時代、ストールマンのような人物が現れて使用承諾で縛りつつ、音楽・映像をオープンソース化していったら面白いと思うが、そうもいかないか。
さて、サブジェクトで大体の内容をお察しの方もいるだろうが、ひとまず最近の話題を、ある意図を持って並べてみる。
同社は今回、JASRACが24日に発表した「動画投稿(共有)サービスにおける利用許諾条件」について、仮許諾を得ることで同意。著作権保護の取り組みを加速させている。
創作者が二次創作をおおっぴらに認めないのは著作権とか法律とかその辺の整理や線引きがめちゃくちゃ面倒だからというのが大きくて、心情的にはむしろ二次創作を奨励したいか、少なくとも気にしないという人は結構いることと思います。
誰かがリーダーシップを発揮してまとめていった創作活動でもなければ*8、明確な目標があったわけでもないのに、これだけの創作活動が行われたことには純粋に感動できる。
(今回は素晴らしい作品ができたかどうかは問題にしない。製作者のモチベーションやアイディアの連鎖反応とも言うべき現象を目の当たりにできた喜びである。)
ただ人々が自分の作品にクリエイィブ・コモンズ・ライセンスをつけていても、何かしらのコミュニティがなければ、「オープンソース文化」は育たないのではないか、という意見です。
著作権は大変だな。
あれ、使われても栗コーダーさんには1円も入ってないです。使ってるのを発見して、こちらから申告すればお金くれるらしいですけど。
著作権はむずかしいな。
いよいよ動画サイトにも、○スラック直々の魔の手が迫ってきた昨今。
ニコニコ動画組曲だったり、らき☆すたのOP曲演奏のセッションだったり。
「先行者」などがもてはやされていた時代より、くっきりと「作品」としての体裁をもった共同作業が増えてきたように思う。
共同作業じゃなくても、YouTubeには個人で多くの才能を「無駄遣い」している人たち。
だが、悔しい哉、現在の法の下ではイリーガルと見なされかねない。そもそも法律の解釈は不透明。
なんらかの規制はいつか始まるし、Yahoo!と件の団体の動きは、その一歩になるかもしれない。
以前から、著作物にもナショナルトラストのような活動が必要だ、と思っていた。
既にCreative Commonsなんかはあるけど、何かが足りなかった。
グーテンベルクのおかげで人が手に入れたモノは大きかったけど。
その大きさを支えるために成長したシステムが、今、新しい創作の可能性を妨げている。
みんなの嗜好が多様化した現代で、CDや電波のテレビなど、単なる大量生産ではニーズを満たせない。
じゃあ、一つの権利を種に今までと同じだけの利益をあげるには、どうするか。
答えは、一つの権利を種に、より多くの商品を作ること。
もちろん、キャラクターのグッズは昔からあったし、今やメディアミックス戦略は当たり前。
じゃあ、商売人にとって次に目がいくのは、2次創作からもお金を取ることかもしれない。
ただし、大きな問題がある。
この段階では放送やCDなど、大量生産・大量配信のためのシステムはおいてけぼりになる。
これから必要とされるのは、オンデマンドで小規模な需要に応えられる、限りなく無駄が少ないシステム。
この変化に、取り残され始めている企業もある。
華原朋美やモーニング娘。が泣いているのも、その逃しかもしれない。
たぶん、権利を管理している組織は、抜け駆けをする。
たとえCDが1曲1枚しか売れなくなっても、そこから100の2次創作が生まれれば利潤を得られるように。
Yahoo!との提携、そんな事を考えながら画策していた人も、例の組織にはいるはず。
でも、多分失敗する。
2次創作を行う人数が増える分、作者の数が増えて、声が大きくなるから。
作者の声が大きくなれば、著作権団体は今までの方法で商売できない。
なにより、今ニコニコ動画で作品を発表している人たちは、観客と直接コミュニケーションを取っている。
オリコン一位のアーティストさえが、ブログで不満を漏らすようになる。
観客は自分達の支払いのうち何割が作者に渡っているかを知り、システムの不透明さと無駄の多さを知る。
作者と観客が、より多くの良質な作品が生まれ、お互いに幸せになる方法を考え始めたら、間にいる人たちの仕事は確実に変わる。
その時が早く来るように、ニコニコ動画には頑張ってほしい。
同時に、何ができるのか考えたい。
必要なのはコミュニティか、それとも力の後ろ盾か。
自然保護のために活動するナショナルトラストのように、著作権のためのコミュニティが、今なら作れるはず。