私の父は政令指定市で、オフィス用品の販売・リース業を営んでいる。曾祖父の代から文房具店、雑貨店、音楽楽器店など時代の変遷に応じて事業を展開していた。
現在は、市役所や企業の、例えばパソコンとかプリンターとか、そういうものを販売・リースしたり、物品の委託購入を受注したりしている(市役所や県庁は取引できる企業が限られている)。
私は幼いころから社長令嬢としていわゆる「お嬢様」として周囲に振る舞ってきたし、周囲もそう扱ってきた。
それが自他ともに一番楽だった。だから私はピアノもヴァイオリンもやったし勉強も体育もがんばった。やればできるわけだ。
取り巻きの女子と、男子。が、たくさんいた。これが一番楽だった。
研修旅行で行った「島」で遭難した際も、何故か当然のごとくリーダーシップを求められた。普段私を陰でなんやかんや言うような人々でさえだ。
私はガールスカウトでアウトドアの素養があったし、大抵のことは自衛隊の人に教えてもらったからできた。キャンプは好きだった。
こういうのは私のような「深窓の令嬢」に任せるんじゃあなくて、あなたたち「庶民」的キャラの方が、あるいは「不良」系キャラの方が得意なんじゃないの?
思いきり相手を批判したくなる感情はおくびにも出さず、「島」での27日間の遭難から救出まで振る舞っていた。明るく気丈に。
私の取り巻きの、一番のお気に入りは園池という女子だった。彼女は私の如上の「お嬢様」としての振る舞いと、裏の心性とを、物ごころついたあとかなり早い時点で看破していた。
だから彼女には、年に数回程度だけれど「素」で接することが出来たし、彼女は彼女でそれを他者に対しどうすることもなかった。名前は五位鷺という驚くべき名前だった。
東京から越してきた彼女の方が、実は真にお嬢様で、世が世なれば和歌を読んだり牛車で移動するような、そんな身分の女だった。
彼女が「島」で破傷風になったとき、私はペニシリンを精製して投与した。他の人はこういうことに対しては役に立たなかった。
二人きりになった時、死を覚悟した彼女は、彼女の家に伝わる呪文のようなものを私に伝えてくれた。
文体が学校で習った『梁塵秘抄』に似ていたから、その頃から彼女の家に伝わったのだろう。20分に及ぶ、苦しみながらの口述をノートに記した。
「島」の別の場所から救助が来て、重症の五位鷺は「島」の病院に搬送された。それ以来、誰も五位鷺の姿を見る者はない。
父から、父の仕事を聴くことがある。「島」の施設にオフィス用品を提供することもある。独立行政法人らしい。「島」に商用で出向くこともあるという。「島」ではなにか医療施設があるようだ。
彼女のあれは、本当に破傷風だったのだろうか。私は見ないようにしていた。大抵のことは知っているつもりだった。だから目を瞑った。
あの時、彼女の顔に黥面が現れたように見えた。黥面なんてみたことないんだけれど、黥面という言葉が、あの学校で習った古い中国の文章に出てくる言葉が、唐国の人が東夷の異文化を表現した時の言葉が、ぴったりだった。そして目や髪や爪なんかも、この世のものとは思えない彩色になっていた。おそらく彩色されたものではない。紋様なんだろう。紋様だ。意味のある紋様のように思えた。おそらく全身に。が、なにも考えたくなかった。とにかく私の出来ることは現実的に知っていることだけで、ペニシリンを精製して投与することくらいだった。声すらかけられなかった。いつも一緒にいてくれたのに。うわごとで紡がれた呪文を必死に書き写した。そうして彼女と別れた。
最近生体ネットを経由してデータを違法にダウンロードし、肉体を強化する人が増えている。麻薬のようなもので歯止めが効かなくなり、やがて身体をコントロールできなくなる。そんな時、不思議なことに体に黥面のようにコードが浮き出る。Java。