「雑貨店」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 雑貨店とは

2020-07-24

♪『香水』がきらいだ

好きな人ごめんなさい。

最近よく聴く香水』、どうしても好きになれない。

別に君を求めてないけど」

まずこの歌詞が苦手。

忘れられない恋心を歌っときながら「いや俺は別にね?…」みたいな雰囲気で始まるのが嫌い。

これはダメな男だ。きっとモテるし優しいけど、好きになっちゃダメな男。そんな感じがする。

ドルチェアンドガパーナが凄い引っかかる。ステマか?

耳に残るからプチヒットするなら分かる。私個人としてはあまりきじゃないけど正直歌えるし。

でもここまで大ヒットするほどかなぁって思ってしまう。

雑貨店でも百均でも派手なライト爆音カーでも流れてるんだもん。

イヤホンの音量をあげて家を出るこの頃。

2020-07-05

引きこもり脱出した

大学卒業後7年間引きこもっていたのだが、心機一転働き始めて約1年になる。その経緯を記しておこうと思う。

子供の頃

プライドが高く、失敗や恥を極度に恐れる性格だった。

というのも、幼少の頃、一つ上の兄とは別に母方の実家で年下の従兄弟と一緒に祖父母に育てられたり、

父親無意味に脅かされたり(曲がり角や暗がりから「ワッ!」と言って脅かしてきた)、小さな失敗を蒸し返し執拗からかわれたことなどが影響したためだと思う。

自分から心を開くことはなく、相手が心を開いているかどうか疑いながら仮面を被って人と接してきた。

大学生の頃

初めての一人暮らし、滑り止めで受かった大学では周りに馴染めず(若者が怖い)、居場所2ちゃんねるだけだった。大学憂鬱不安と恐怖と怠惰にまみれた日々だったと言える。

高校の頃から長らく体調不良気味(慢性的下痢眼精疲労)だったのも関係しているかもしれない。

勉強のやる気を失い、優等生だった高校までと打って変わり落ちこぼれた。アルバイトサークルも続かず、夜ふかしによる寝坊で授業をサボった。

大学カウンセリングを受けたこともあったが効果はなかった。

人生が何かしっくりこない感じがあり、1年休学して第一志望を目指し予備校に通わせてもらったがすぐ行かなくなった。その後勇気を出して復学した。

実家から通うようになってしばらく続いたが、4年生の研究室で馴染めず、一時期登校拒否になった。

なんとか卒業の目処が立ったもの就活するのが怖かったため、作曲家を目指すと言って逃げ、就活せずそのまま無職引きこもりになった。

どうせ就職しても、責任が伴うのが怖いし、周りから浮いて仕事適応できずにうつになったり自殺したりしてしまうだろう、だったら働かない方がましだ、とも考えた。

これからビジョンがまるで浮かばなかった。ただ休みたかった。

世の中の人達と自分全然違うという意識があった(それは今も変わらない)。また、世の中嫌な奴ばっかりだとも思っていた。大学に入ってから、気が緩んで性格が悪くなったのが原因かもしれない。

引きこもりの頃

作曲について人一倍プライドがあったが(雑誌投稿して賞をもらったこともある)、独学だし楽器も得意ではないのでとんでもなく無謀だった。

人生に失敗した分を取り返そうという、ギャンブル依存症的な感情に囚われていたのだ。

高校時代友達がいたが、煩わしくて連絡を無視して縁を切ってしまった。

次第に作曲苦痛になり、ネットゲームをして過ごした。

昼夜逆転はそれほどしなかった。2時半に寝て10時に起きるという感じ。昼寝もしていた。

一歩も外に出なかったわけではない。たまに自転車で人気の少ない場所に出かけた。

また、母親と一緒に図書館に月1で自分が車を運転して通い、小説を借りて読んだ。

両親になぜ就職しないのかと問い詰められることがあったが、無視するか、人と関わりたくないからと答えた。

自分人生台無しにしたかった。

それでも、引きこもりの繰り返しの日々で、体調不良の原因がわかってきて改善していった。

また、お絵描き落書きレベル)、日記将棋ラジオ体操読書を始め、次第に心が癒やされていった。

色々なYoutuber動画を見たり、将棋藤井君や羽生さんの活躍を見て感動するときもあった。世の中に希望見出してきた。

心身ともに回復するにつれ、「そろそろ働けるかも」と思った。だが、あと一歩の勇気が出なかった。

引きこもりきっか

そうして引きこもり7年目、30歳目前になって焦りを感じた。もはやモラトリアムなどと言っていられる年齢ではない。

母親がもうすぐ退職することになり、すでに退職している父親だけでなく母親とも日中顔を付き合わせることになるのが嫌だった。

その頃、8年使っていたパソコンが壊れて起動しなくなってしまった(幸い後に復活したのだが)。

パソコンには、過去作ってきた絵や曲が合計一千点以上入っている。作曲についての考察ソフトの使い方のメモも書き残してある。

それらが失われるというのは、引きこもりの間、自分は死んでいたと言うのと同然だった。

死を意識してみると、絵も曲も自分人生においてどうでも良いものだったと悟った。ショックでベッドに横になった。如何に時間を空費していたか痛感した。

あれだけ取り組んできたのに、人生において意義のあることではなかったのだ。

人との関わり合いの中でしか大事な思い出は生まれないのだ。

そんな中、記憶の底に沈んでいた何人かのことが頭に浮かんだ。

大学生で塾講師をやっていたとき、わからないところを教えたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えてくれた中学生女の子

高校文化祭で(歌うのが好きなので)バンドボーカルやらせてもらったとき、終わったあと「良かったよ。」と声をかけてくれた先生

高校部活で、居残り練習をしていたのをお世辞で褒めたら、本気で受け取ったのか嬉しそうに微笑んだ後輩の子

その3人だけ。他愛もないことだ。人生無駄にした後悔の念と、人に少しでも喜びを与えることができた嬉しさに涙が止まらなかった。

誰かのためにならずして死ねない、死ぬ前に感謝されたい」という答えに行き着き、それが根本的に自分の求める生きがいであることに気づいた。

それからなけなしの貯金を叩いて新しいパソコンを買った。しかし運の悪いことにそれも初期不良で壊れてしまった。

さら国民年金の支払いを全額免除するかどうかの通知(よく覚えていない)も届いた。当然年金は一銭も払ってなかったためだ。

パソコン関連のゴタゴタに加え、冬の時期で冬季うつ病っぽくなっていたため、神経が参っていた。

母親パソコン年金の件を相談していたら「働いたら?」と言われ、そこで素直に頷いたのだ。

まるで、立てこもり犯が説得に折れて投降たかのようだった。それが脱引きこもりきっかけだった。

就活は半ばやけくそだった。引きこもりで自信がなかったので正社員なんぞ端から目指さなかった。

ネット求人サイト事務職の応募に電話したのがきっかけで、紆余曲折あって地元工場検査業(肉体労働)の派遣社員をすることになった。

親に反対されたが言うことを聞かなかった。流れに乗ろう、直感を信じようと腹をくくった。

働き始めてから

どうせ自分は働くのに向いてないので、続くところまで続けようというスタンスで挑んだ。

明日はどうなるかわからない、と覚悟した。おんぶに抱っこで、ずるい人間であろう、とも考えた。

始めは何も仕事がわからず、赤ん坊同然の気分だった。初日は久々に初対面の人と会話したり見知らぬところを歩き回ったので、

夕方帰宅したとき、まるで3日ぶりに家に帰ってきたかのように感じた。

出社拒否にならずに一日一日出勤できたことを自分で褒めた。3ヶ月くらいかかって次第に仕事に慣れていき、やりがいを感じるようになった。

職場人達は親切な人が多くて意外だった。ここは本当に現実世界なのか?と思ったりした。女性の多い職場(お母さん達ばかりだが)なのもツイていたかもしれない。

職場の人に前職について聞かれたが、塾講師をしていたと嘘をついた。

から近い工場なので近所にも勤めている人がいる。元引きこもりなんて言ったら噂が広まってメンツが潰れる、と親に止められたからだ。

正直に答えたかったが、職場の人に心配されると逆に面倒だったかもしれないので結果的に良かった。

週5のフルタイム勤務だが、残業したり土曜日出勤もある。仕事がきつくてストレスが溜まって週末泣くこともあった。

働いて良かったこと、変わったこ

・好きなものを好きなだけ買って食べることができるようになった。その他欲しいものが買えるようになった。

・気後れすることな病院保険証を見せることができるようになった。

・人の視線が気にならなくなった。

高校の頃から死にたいと思っていたが、徐々にそう思わなくなってきた。

肉体労働で汗をかいて、体調が良くなった。大食いになって、筋トレもするようになり、7kg体重が増えた。元々ガリガリだったので丁度いい。仕事ぶりを褒められるようになり自信がついた。

ネットに毒されていたが、毒が抜けた。ネット距離を置けるようになった。

不安と恐怖で胸がいっぱいということがほぼなくなった。

・心に余裕が出来たためか恋愛したくなった。

変わってないこと

・せっかく大学卒業したのに非正規肉体労働の身なので自分自身を認めることができず、気持ちが楽になることがない。

人生がつまらない。引きこもっているときほとんど同じことしかしてない。

スーパー雑貨店本屋以外の店に怖くて入れない。外食も怖くてできない。

・涙ながらの決意もどこへやら、感謝されるようなことを何もしていない。

引きこもってて後悔したこと

・低収入で親と同居しているため、彼女を作る自信が出ない。まともな職についていれば良かった。

もっと早く働き始めれば良かった。

大学生の頃までは、同級生自分というのをよく比べて劣等感を感じていたが、今は、自分自分だと思うようになった。そんな心持ち大学生の頃に就活をすれば良かったかなと思う。

展望

デスクワーク転職して都会で一人暮らししてみたい。

7/7追記

たくさんのコメントありがとうございます!すべて読ませてもらいました。

真剣に読んで下さったんだなあ、としみじみ感じますアドバイス参考になりました。

皆さんに明日、嬉しいことがあるよう祈ります

騎士団長殺し1-4

サピエンス全史上下

八百万の死に様

償いの雪が降る

緒方貞子自伝

緒方貞子 私の仕事

茶室講義

コンビニたそがれ堂1、2

ふしき荘で夕食を

クローディア秘密

手術の前に死んでくれればよかったのに

オールテロリスト

国境の南 太陽の西

太陽パスタ、豆のスープ

書店主フィクリーのものがたり

ナミヤ雑貨店奇跡

エレベーター

2020-06-10

手紙市場けっこう大きい

文通やったり、ファンレター書いたり、お手紙を書く習慣がある人は世の中にたくさんいる

でもたくさんの人達の中に入るとその分手紙を書く人口が少なくなって手紙好きが視界に入らなくなる

から普段はそれほど手紙市場の大きさを気にすることはほとんどないんだけど

ロフトとか東急ハンズとか、雑貨店に並んでるたくさんのレターセットや便箋や封シールに圧倒されると

手紙書いてる人口多いんだって思う

100円ショップレターセットとか便箋に力をいれてくれて嬉しい

今、私は手紙が100通位書けそうなほどお手紙グッズを持っている

それらを使いきって、また買い足すときが待ち遠しい

手紙市場オタクが支えている」っていう人もいて、ああ、そこは文通してる人じゃなくてファンレター書くオタクなんかい!って思った

ファンレター書くオタク文通している手紙好きもたくさんいるけど手紙グッズにたくさんお金を使ってるのはどっちなんだろう?

2020-04-16

パパ活生活が豊かになって、胸が痛くなっている。

こんにちははじめまして

私は所謂パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。

私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。

お金はそんなにない家庭だった。

まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。

勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。

おまけに学校での素行は悪く高校は2年生の冬に辞めた。

両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さ大事からそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。

そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。

高校を辞めた私はバイトを始めた。

未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店バイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。

家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。

休日地元の不良仲間とカラオケプリクラ、安い古着屋で服を漁る。

今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。

ある日、ふとテレビで見た原宿に強い憧憬を抱いた。

私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。

そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。

車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。

ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎からカラフルキラキラ輝いている街を闊歩するように。

当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。

とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。

毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。

人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。

家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。

とにかく貪欲になっていく。

当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。

ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。

月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。

新宿家賃20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店ブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。

そんな生活をしていたらまあ、誰でも破綻するだろう。

働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。

つくづく私は運の良い人間だ。

いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」

なんて言われた。

その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。

金以外何も見えていなかった。

こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。

早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。

凄い。これが本当の金持ちなんだ。私の暮らし虚構だった。

詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具

夢にまで見た暮らしがあっさり手に入ってしまった。

こうして私のパパ活が始まった。

初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。

自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。

エルメスセリーヌバレンシアガディオールルブタンジバンシーフェンディヴィトンバーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。

田舎1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。

もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。

専属運転手毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから

半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。

欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。

上京して2年。私を取り巻く環境はあまりにも変わりすぎた。

しか生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。

それでも、何かが足りない。

それから私は思考を巡らせました。

あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。

只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。

そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。

みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。

...。

結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自生活の差に号泣してしまいました。

仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。

母親100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。

妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズ大事に使っている。

ショックだった。

私は、最悪だ。

金に塗れ、周りの事など見ていなかった。

思えば収入が増えた時点で実家仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分お金を使い続けた。

なぜあんなに大好きだった家族に何もできなかったんだ。

本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。

お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。

現に私はまだパパ活を続けている。

今の生活を手放すのが怖い。

ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。

本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。

20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。

この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。

もう一般的幸せは手にできないと諦観しています

私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。

お金以外で感情表現することができなくなった私は、毎月お金実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています

愛情ゆえの行為ですが、正しくはないんだろうな。

正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。

パパ活生活が豊かになって、胸が痛くなっている。

こんにちははじめまして

私は所謂パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。

私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。

お金はそんなにない家庭だった。

まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。

勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。

おまけに学校での素行は悪く高校は2年生の冬に辞めた。

両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さ大事からそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。

そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。

高校を辞めた私はバイトを始めた。

未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店バイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。

家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。

休日地元の不良仲間とカラオケプリクラ、安い古着屋で服を漁る。

今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。

ある日、ふとテレビで見た原宿に強い憧憬を抱いた。

私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。

そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。

車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。

ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎からカラフルキラキラ輝いている街を闊歩するように。

当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。

とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。

毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。

人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。

家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。

とにかく貪欲になっていく。

当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。

ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。

月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。

新宿家賃20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店ブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。

そんな生活をしていたらまあ、誰でも破綻するだろう。

働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。

つくづく私は運の良い人間だ。

いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」

なんて言われた。

その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。

金以外何も見えていなかった。

こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。

早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。

凄い。これが本当の金持ちなんだ。私の暮らし虚構だった。

詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具

夢にまで見た暮らしがあっさり手に入ってしまった。

こうして私のパパ活が始まった。

初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。

自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。

エルメスセリーヌバレンシアガディオールルブタンジバンシーフェンディヴィトンバーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。

田舎1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。

もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。

専属運転手毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから

半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。

欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。

上京して2年。私を取り巻く環境はあまりにも変わりすぎた。

しか生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。

それでも、何かが足りない。

それから私は思考を巡らせました。

あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。

只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。

そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。

みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。

...。

結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自生活の差に号泣してしまいました。

仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。

母親100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。

妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズ大事に使っている。

ショックだった。

私は、最悪だ。

金に塗れ、周りの事など見ていなかった。

思えば収入が増えた時点で実家仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分お金を使い続けた。

なぜあんなに大好きだった家族に何もできなかったんだ。

本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。

お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。

現に私はまだパパ活を続けている。

今の生活を手放すのが怖い。

ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。

本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。

20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。

この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。

もう一般的幸せは手にできないと諦観しています

私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。

お金以外で感情表現することができなくなった私は、毎月お金実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています

愛情ゆえの行為ですが、正しくはないんだろうな。

正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。

2020-01-12

アド街ック天国 蔵前 ランキング予想

1 蔵前小学校

2 コーヒー店(蕪木、en、Coffee Wrights、コフィノワ、SOL'S COFFEE、葉もれ日など)

3 ダンデライオンチョコレート

4 菓子屋しののめ

5 ペリカンカフェ

6 カキモリ、inkstand

7 花火

8 mt lab.

9 おもちゃ問屋

10 格安ホテル(Nui、OYOホテル、and hostel、フォーカス蔵前など)

11 シエロイリオ

12 KONCENT

13 カバン店(m+、THOROUGH BRACE、ファスナー店、ボタン専門店など)

14 east side tokyo

15 蔵前神社

16 ASAKUSA KURAWOOD

17 魚熊

18 浅草御蔵書房

19 結わえる本店

20 デイリーマフィン

21 トーキョーピクセル

22 アンビカショップ

23 蔵前国技館跡地

24 MOKUBA

25 皮革店

26 Weekender Shop

27 ブルーバナナスタンド、NEWOLD STOCK by オトギデザインズなど服飾・雑貨店

28 The Bridge Bar&Lounge

29 自由丁(JIYUCHO)

30 うそたばこ

2019-12-18

これはやりがい搾取なのか

愚痴らせて欲しい。

私はオタクだ。

日々推しCP小説を細々と書き、時折イベントに出て細々と本を頒布しているどこにでもいるオタクだ。

文字書きということでお察しの通り、オフ本の表紙やお品書きやポスターは全てPhotoshop自分デザインして作っている。単純に素材をあれやこれやと配置して、写真を加工したりフリーフォントを使ったり、これまたどこにでもいるオフ本の作品だ。

私には、リアルでAちゃんという友達がいる。

彼女オタクとは全く無関係世界にいて、なんならここ数年ハンドメイドアクセサリーを作ってminneやメルカリ販売したり、フリーマーケット?的な、なんたらマルシェなどのイベントに出て販売している。同じようなことをしているが、私とは天と地、陰と陽の趣味だ。

Aちゃんは私がオタクということは知っていても、まさか現実存在しない二次元少年たちの妄想号泣しながら小説を書き、それを本にして東京で売っていることなど知る由もない。それでも私たちは仲が良い。親友だ。

ある時、Aちゃん地元ハンドメイドマルシェなるもの主催することになった。彼女学生の頃からそういった企画が大得意だった。張り切ってAちゃんは準備をしていて、そして気付いた。

フライヤーがクソダサかった。

びっくりした。

インスタのストーリーズで見たアクセサリー写真ゴシック体を重ねた読みにくいものまさか配るために作られたものとは思わなかった。しかもAちゃんはそれを印刷所に入稿すると言っていた。え、待ってAちゃん、それ何枚刷るの?え、それインスタのストーリーズで作ったんだよね?そのまま入稿するの?解像度は?Aちゃん

私はそのまま、自分が作ると言ってしまった。

このマルシェは、Aちゃんの夢の始まりだった。

彼女は将来、雑貨屋を開くことを夢見ている。地元におしゃれなハンドメイド雑貨店を作り、沢山マルシェを開いて辺鄙田舎におしゃれなママさんを増やすことが夢だった。

そんな夢の始まりフライヤーゴシック体で描かれていい筈が無い。

私に出来ることと言っても手持ちの素材集から切り貼りして少し文章を整える程度だが、それでもある程度はマシなものが出来た。私が何故そんなスキルがあるのかとAちゃんは聞いてきたが、こういう仕事に興味があって、とだけ伝えた。

そして出来たものは、マルシェ会場になる施設写真(使用許可済)(ド曇りの天気を晴天に変えて緑色を明るくしてピクニック感を出した)に、マルシェ名のロゴを入れたシンプルものだった。

裏面には出店者情報も載せて、いざ入稿……と思ったが。

入稿すると言っていた日の夕方、Aちゃんから急に連絡がきた。

『出店者さんの一人が、内容修正して欲しいって連絡が来た』

私は入稿日の三日前にはデータを渡していた。その時点で一度確認して貰った筈なのに、何故入稿日に言うのか。

だが、修正くらいなら秒で出来るのでとりあえずすぐに直して再データを送った。入稿締め切りは23時だと言っていたが、その時点で18時。余裕だと思った。

しかし、待てど暮らせど入稿したという連絡が来ない。

Aちゃんにどうなったのか確認すると

『返事がない』

この時点で22時前だった。

小さいお子さんがいる人だから寝てしまたかも。

でもAちゃん、私がデータ送ったの18時じゃなかった?

最悪明日入稿でも良いし。

Aちゃん、私はね、締め切りを守るために予定をキャンセルした日があったよ。

予定では一ヶ月後だったのに、君が突然週明けには入稿したいって言い出したから、慌てて作ったよ。

それから二日後に、入稿したという連絡が来た。

Aちゃんからはお礼に、ハンドメイドアクセサリーを一つ貰った。

そして、そのイベント大成功したAちゃんはまた私にフライヤーを作って欲しいとお願いしてきた。

前回のフライヤーが大好評だったから是非またお願いと言われた。前回は初めてということもあり、私もなぁなぁにしていた部分があったから締め切りのことはかなりしっかり決めた。

今度のイベントクリスマスの夜をテーマにしたいけど、同じ施設でやるから同じようなデザインでやって欲しいと言われた。

前回は秋のピクニックイメージしたので、ならば今回は青っぽい色味でロゴも少し変えようと思って、簡単に作ったデータを送った。

返ってきたのは、前回と同じようにしてという言葉だった。

写真は同じものを使った。色味を変えてクリスマスの夜っぽくしたがダメなのか。

前回のフライヤーが好きだから前回のやつが良い。

でも前回のは明るすぎてクリスマスの夜感は0だよ。

それでも前回のやつが可愛かったからそっちが良

い。

そうだ、この子センスが無いんだった。

とりあえず、他の人に聞いてみてと返事をした翌日に、やっぱり青い方でお願いと返ってきた。そりゃそうだ。

私はこの辺りから少しAちゃんフライヤーを作ることに嫌気が差していた。

この後も三回ほど作ったが、ネットで見た『デザイナーあるある』が本当にあるあるだったと頷いてしまうようなことが山ほど起こってちょっと笑った。

はいよいよ決心してLINEを送った。

仕事が忙しくなるから、次のフライヤー最後にしたい』

これがついこの間のことだ。

私がAちゃんフライヤーを作って一年、作ったデザインは五つ。その全てが打ち合わせ通りに進んだことは無かった(割愛します)

次のフライヤーは、最初マルシェをした施設とまた同じものだ。だが、今回は別のイベントも同時開催でもっと大きなものになるというのは前から聞いていた。

そして一昨日、連絡が来た。

縁のある方にDMを送るから、今週末までにデータが欲しい。

まだ一度も打ち合わせをしていない。

イベント3月で、成人式あたりにフライヤーを配布したいという話だったからだ。

そして今日、また連絡がきた。

私が作ったフライヤーが、新聞の折り込み広告になる。

入れて欲しい文章が増えた。

サイズも変えて欲しい。

何もかも変わっても、締め切りは変わらない。

誤解なきように言うと、私はAちゃんのことは今でも大好きで親友だと思っている。今回の件で距離を置こうなどとは微塵も思っていない。

これが、一般人の認識なんだと勉強になった。

今の時代スマホがあればフライヤーデザインを作ることなんて簡単だ。スマホ写真を撮って、アプリ切り貼りして文字を入れれば完成する。

誰にでも出来るそれを、自らやりたいと申し出た私はきっと『それをやることが好きな人なんだ』。

見易さやターゲット層の視点なんて関係ない、パパパッと作れるものだ。

だって自分からやりたいと言ったのだから

最初に言った通り、私はオタクだ。

アンソロジー個人主催プチオンリーに参加した経験がある。

オタク殆どは、書き手に対して物凄い敬意を示す。それは自分もまた同じように苦戦した戦士からだ。絵描きが字書きを、字書きがグッズサークルを、グッズサークルデザイナー否定するなんてことは、私がいるジャンルではあり得ない。

だが、一般人の認識はそうではない。

自分は作れない。でも、あの人は作れる。じゃあお願いしよう。きっと作ることが上手なんだから、パパッと簡単にやってくれるわと、その程度だ。

今回、はてなダイアリーに書こうと思ったのは、職場でこの話をしたところ『でも貴方は好きでやったんでしょう?』と全会一致の意見を貰ったからだ。なんなら、これだけ愚痴って『ウチの年賀状もお願い(笑)』と言われて、この世界ダメだと絶望した。Twitter日常愚痴はあまり言いたくないため、ここに吐き出させてもらった。

もしもいつか、貴方仕事ではないプライベートの場面で似たような経験をすることになった場合、その時は辞めた方が良い。

私は『これ以上続けたらAちゃんとの友情ダメになる』と思ったから自ら辞めると言った。

やりたい、という気持ちを踏みにじられてしまう前に。

2019-04-30

抗がん剤治療中に出会って救われた作品を挙げていく -本・漫画編-

ドラマ編はこれ

https://anond.hatelabo.jp/20190429201600

思ったより需要なさそうだけどせっかく途中まで書いたしコメントもらったので続き書く。

お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。

漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。

あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。

あくま患者本人が自分意思で読むものではないかと。


漫画

アル中ワンダーランド

最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品

自身アル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。

再飲せずにこれからもいい作品を描きつづけていって欲しい。


『僕と大家さん』

2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部エッセイ漫画

アパート大家さんである婦人矢部との心温まる交流を描いている。

ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争老い介護孤独といったテーマさりげなく混ぜ込まれている。


『元気になるシカ』『元気になるシカ2』

アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。

病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。


海街diary

これもまた有名な吉田 秋生の名作。

漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。

話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。



【本編】

昨夜のカレー、明日のパン

「すいか」とかのドラマで有名な脚本家木皿泉の初の小説

夫の入院からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。

実は木皿泉夫婦ユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手シンパシーを感じていた。

もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。

『ナミヤ雑貨店奇跡

東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。

ファンタジー要素あるのはいいね現実逃避ができて。


あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル

転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。

よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。

そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。

やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。

こんなところからなあ。

よく考えたら映画が無かったけど、何でだろう。メッセージ性が強すぎるかな。

2019-04-29

抗がん剤治療中に出会って救われた作品を挙げていく

10連休暇なので書いてく。

丁度5年前癌になって手術したんだが、その後地獄抗がん剤治療8ヶ月が待っていた。

抗がん剤中でも上手に調整して出歩いてる人もいるみたいだけど、自分はずっと白血球値が低いままだったし体調も良くないし、メンタル的にもやばかったので病院に行く以外はほとんど出歩かなかった。今思うとちょっと鬱っぽかったのかもしれない。

で、その間に読んだり観たりして救われたと思う作品を挙げていく。

治療後に、これ治療中に知りたかったと思ったのも含まれているので時系列的におかしいとこもあるけど勘弁な。

治療中に下手な本読んだり映画を観たりして登場人物自分と同じ病気で死んだりするとダメージくらうし、かといって主人公が元気にはねまわってるのを観て今の自分境遇と比べて落ち込んだりするし、なかなか難しいんだよ。

病気療養中の人、あるいは周りに病気の人がいてお見舞いに本でも持ってこうかという人はよかったら参考にしてほしい。

ちなみに自分は以前はサスペンスとかホラーとか好きだったんだけど、癌になってからは一切受け付けなくなった。一番最初死ぬ登場人物感情移入してしまうので。

あと『きのこを食べたら癌が治った』みたいな本をお見舞いに持って行こうかと考えてるやつは自分が死んだらいいと思うよ。マジで


ドラマ編】

名探偵モンク

ちょうどHuluで公開されていてこれはマジでよかった。エミー賞も受賞したアメリカの人気ドラマ

主人公探偵モンクが重度の強迫性障害を持っているんだけど、同時にそれが事件の謎をとくヒントともなっているところがうまいモンクを取り巻く元上司警部看護師モンク強迫性障害に振り回されてうんざりしつつも暖かく見守っていくという構図になっている。

探偵ものなので当然殺人シーンはあるけどソフト表現されていて何とか大丈夫レベルシリーズになっていて話数が多いのも助かる。基本コメディ


『dinner』

江口洋介が主演の日本ドラマ

登場人物の一人ごとスポットを当てていく形式だけど、誰もスネに傷持つ訳ありの人ばかり。

さな希望を胸にまた明日も頑張ろうとする姿に励まされた。視聴率が悪くて話数が削られてしまったのは何とも残念。

ラスト一人ラジオ聞く江口洋介の姿に泣いた。サカナクション主題歌もいいよね。


カルテット

社会的には落ちこぼればかりの現実離れした夢の共同生活。明快な答えも解決策もない日々になぜかほっとして救われる。

例の前夜、ゲームやとりとめのない会話を楽しむ4人のシーンは何度も観てしまった。マキさんの「ちょっとトイレ」にも泣いた。

軽井沢に行きたくなっちゃうけどね。


鹿男あをによし

玉木 宏が鹿になっちゃうやつ。幻想的な作品なので現実逃避にもってこいだった。でも良くできてるよね。


行列48時間

國村隼主演のNHK

仕事定年退職したサラリーマンが妻と娘のため正月福袋行列に並ぶというドラマ。これも面白い


ドラマHulu配信されて入ればHuluで、なければ無料動画配信サイトで観てた。

あんまり褒められたことじゃないけど抗がん剤治療はとにかく金がかかるので大目にみてほしい。

癌の種類にもよるけど自分場合は1回あたり15000円、それを月3回8か月続けるのよ。

みんな生命保険大事だよ。元気なうちに入っとこうね。


あと漫画とか本も書こうと思ったけど以外と大変だし読んでくれる人もいるかからないのでここまでにしときます

需要ありそうなら続き書くわ。


--


漫画・本編こっちにまとめました。コメントくれた人ありがとう

あとドラマ編で『植物男子ベランダー』忘れてたわ。NHKの30分深夜ドラマおっさんマジ癒し。途中の変な小劇場飛ばしちゃうけどね。


お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。

漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。

あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。

あくま患者本人が自分意思で読むものではないかと。


漫画

アル中ワンダーランド

最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品

自身アル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。

再飲せずにこれからもいい作品を描きつづけていって欲しい。


大家さんと僕』

2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部エッセイ漫画

アパート大家さんである婦人矢部との心温まる交流を描いている。

ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争老い介護孤独といったテーマさりげなく混ぜ込まれている。


『元気になるシカ』『元気になるシカ2』

アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。

病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。


海街diary

これもまた有名な吉田 秋生の名作。

漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。

話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。


【本編】

昨夜のカレー、明日のパン

「すいか」とかのドラマで有名な脚本家木皿泉の初の小説

夫の入院からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。

実は木皿泉夫婦ユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手シンパシーを感じていた。

もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。


『ナミヤ雑貨店奇跡

東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。

ファンタジー要素あるのはいいね現実逃避ができて。


あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル

転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。

よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。

そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。

やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。

こんなところからなあ。

よく考えたら映画が無かったけど、何でだろう。メッセージ性が強すぎるかな。

2019-02-18

厳しすぎる職業倫理が「バイトテロ」を生む

バイトテロ雑感 - ←ズイショ→

http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2019/02/15/203839

しろバカッター」が少ないことに驚く - シロクマの屑籠

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190217/1550390275

 

この二人を読み比べると、自分は完全にズイショ氏の方に同感なのだけど、ブックマークだけだと書ききれないことも多いので、こっちで書いてみる。なお、id持ってるのになぜ自分ブログで書かないのかというと、ブログで書くと情と執着が移るから嫌、というだけの理由である

 

自分仕事海外出張が多く、実はこの文章日曜日の昼に外国で書いているのだが、海外接客業店員に接すると、日本と比べて驚くほど職業倫理が低いと感じる。コンビニ店員はガムを噛んでスマホを見ながら接客するのが普通であるし、ファストフードで注文をすっぽかされても"Sorry! We will do it now."の一言で終わりである。あるときなど、客の少ない時間帯の大手ドラッグストア雑貨店を兼ねている)では、店員同士が売り物のゴムボールバレーボールをして遊んでいた。微笑ましいものである

 

また、雇用者の側も、ある程度の「あそび」「緩さ」をアルバイト定員には許容している部分がある。アメリカマクドナルドCMでは、就業時間中に「俺、念願だった大学合格したんだ!!」と言ったアルバイト高校生を、クルー全員が拍手喝采してお祝い(英語で言う"Applause!"だ)するシーンがある。

  

これらは、日本であれば炎上したり、あるいは炎上を期待して「拡散」されたりしかねないことである

などと書かれてもおかしくない。

 

このような日本特殊さの元凶の一つは、「先生に言ってやろう」「世間に言いつけてやる」という日本人の多罰的傾向にあると思う。日本人は、クレーム相手に直接言えないチキン性格なので、自分が受けた不愉快や、自分が感じた不平等さ(例えば「自分職業倫理に縛られて生きているのに、なんでアルバイトあいつらは自由にしているんだ?!」という怒り)を、「先生」や「雇用者」や「世間」「マスコミ」に言いつけることで溜飲を下げる。そして、そのような「言いつけてやる」行為が、正義だと見なされている。

 

ところが、外国特に念頭に置いているのはアメリカであるが)では、そうはいかない。自分利害関係者でないのに他人の非倫理的行為告発して溜飲を下げるのは、どちらかと言えば「卑怯な」行為とみなされる。そんな「告発者」は"mind your own business!"と言われるだけである。また、自分が直接被害を受けていないことに対して、憤ったり「言いつけ」たりしてやろうという発想がそもそもないのである(逆に、直接の被害を受けたのであれば、その場で immediately に抗議すべきだ。「上」や「世間」に言いつけて叱ってもらうなんて悠長なことは言っていられない)

 

私は、実害のある「バイトテロ」と実害の無い「アルバイト店員のおふざけ」とは峻別すべきであると考えるし、今後の日本社会が今までのような窮屈な職業倫理アルバイト店員に求められるような社会はいられないと考えている。実害のある「バイトテロ」は許されるべきものではないが、それとは全く別個に自分に直接の利害が無いことにまで「世間に言いつけてやって」溜飲を下げようとするその他大勢の人々の行為意味がないと考えている。なぜなら、彼らのそのような行為は、「自分職業倫理に縛られて生きているのに、なんでアルバイトあいつらは自由にしているんだ?!」という僻みからまれる部分が大きく、自分強制されている職業倫理理不尽さについて、使用者教師に対して抗議して適正水準に是正するという正しい問題解決道筋から目をそらしてしまっているかである

 

たぶん、日本人口に占める外国人の割合が今よりずっと増えているであろう10年後には、日本流の接客過剰サービスや、サービス本質関係ない職業倫理や、感情労働の類は、今よりもだいぶ廃れているものと思われる。外国労働者は労働に対して合理的な考えを持っているので、お客に実害を与えるわけではないのに、儀式やしぐさを強制されるのは理解できない。おそらくそれらの、「お客様に気を使った」振る舞いは、ガラパゴス的な宗教儀式のようなものとして無意味ものとなっていくことだろう。そしてそうなった時代には、アルバイト店員の振る舞いにはアルバイト店員なりの「緩さ」「適当さ」が許容されるようになり、それがガス抜きとなることで、実害を生むような「バイトテロ」は減っていくのではないかと期待している。

 

追記

なお、諸外国でも「企業」や「有名人」が炎上することはままある。たとえば先日のユナイテッド航空オーバーブッキング乗客引きずり下ろし事件では、「ユナイテッド航空」が炎上し、多くのSNSユーザが「ユナイテッド航空」の非道さを告発した。だが、実際に乗客を引きずり下ろした客室乗務員警備員の氏名を特定したり、その客室乗務員警備員本人を告発したりするような流れは殆どなかったように思う。この展開は合理的であるユナイテッド航空告発したSNSユーザは、実際にユナイテッド航空顧客である場合が多く、自分たちも同じ目にあったかもしれない、ということが想像できるからである。一方、個々のSNSユーザにとって、客室乗務員警備員本人は、自身人生で直接関わる可能性が殆どない相手であるから、個々人を「特定」したり「告発」したり「言いつけ」たりしても、意味がないのである

(追記2)

自分が前に書いたエントリ

https://anond.hatelabo.jp/20190212141859

バイトテロ」と、「文明人」という幻想

2019-02-17

雑貨店で買い物してたら花のサンフランシスコが流れてきたんだけど、すかさず「さようならさようならこんな異国の果てでお別れするなんて」とシームレスに続けてしま自分が本当に辛い。

2019-02-09

幼稚園児を助けた思い出

ヤフトピに子供が2歳児を助けたってのが出てた

それ見て、自分が昔幼稚園児を助けたときのことを思い出した

  

俺の地元は村で

最寄りのちょっと開けた場所、今で言ったらイオンモール的なとこまで車で2時間とかで

村民はみんな知り合いだったり親戚だったりていう、そんな場所だった

  

用水路ザリガニかなんかとってたんだよ、その子

釣竿もどきをふりまわしてた

自転車でそれを横目に通り過ぎて、村唯一の雑貨店マンガ買ってきたら、その子がいない

飽きるの早いなー、と思いながら、なにげに行きより用水路の近くを通ったら、無言でおぼれてる子供と目があった

すげーびっくりした

心臓とまるかと思った

声出して助け呼べよ

さっきの子だって理解するより早く、妖怪かなんか見ちゃったみたいに感じた

顔真っ赤にしてばっしゃばっしゃしてんの

  

そのまま通り過ぎられないじゃん、さすがに

俺その時小学3年生で、そこそこ身長あったのもあって、なんとかできる気もしたし

どうやったかは覚えてないけど、なんとかその子を引き上げて放心してたら、急に超音量でそいつが泣き始めてさ

さすがにそれを聞きつけた大人がきて大騒ぎになって、それから母親にスゲー怒られたこしか覚えてない

大人を呼びなさい!ってさ

  

次の日、その子母親がうちに来て、俺と父親(こういうときだけ出てくる)に、あやまってあやまってありがとうの次にまた二回あやまって、ってのをエンドレスでやってた

  

その後もその子母親は俺を子供の命の恩人としてずーっと扱い続けて、いろいろお祝いもらったりなにかっていうと気にかけてもらった

でも、それはそれで居心地多少悪くて、大学で村から出られた時、ちょっとほっとしたのも事実

  

の子自身とは、それ以降ほとんど話すこともなかった気がする

  

今年、正月実家帰ったときに、その子が嫁さんと子供つれてうちの実家あいさつに来たんだ

こっちで暮らします、って

で、その嫁さんにまで、命の恩人扱いされて、実家に帰るのがなんかまた若干おっくうになった

感謝されるのがいやなんじゃないんだけどさ

2018-12-08

日本語散らかっててすみません雑貨店店員をしています

今日若いお母さんと娘2人(姉Aちゃん、妹Bちゃんとする)が来店。

Aちゃん小学生、Bちゃんはイヤイヤ期が抜けきっていない3,4歳くらい。

 

Bちゃんはお母さんの押すカート(よくある子供が座れるタイプの)に座っていたんだけど、そわそわしてたまに立ち上がって危ないなぁと思ってた。

流石にお会計中はお母さんが座り直させていたけど、お母さんが袋詰をしている間飽きちゃったのか立ち上がってしまった。

レジカゴがなくなり軽くなったカートはひとりでに動き出してしまい、ドア付近の窓ガラスにぶつかりそうになっていたところを私が発見して止めた。

びっくりしたね、危ないから座ろうね、座れるかな?と声をかけ、難しそうだったら抱っこして降ろそうかなと思っていた。

そしたらお母さんが飛んできてBちゃんをパシンと叩き「座れって言ったでしょ!」と一喝

子供を抱き上げたと思ったら無理やり椅子に乗せた。

こういうカートのイスって座面に2つ穴が空いていてそこから足を出して座れるようになっているんだけど、

お母さんはかなり乱暴にBちゃんを降ろしたので一度では足が入らず、何度か揺さぶるようにやり直してやっと座らせた。

突き指じゃないけど、足が捻挫?しないか心配するくらいだった。

Bちゃんはびっくりして泣き出す始末。

お母さんはまた戻って袋詰、娘2人を連れてそそくさ退店した。私には何も言わなかった。

お母さんといっしょに来たAちゃんはお母さんが他人である私の前で子供を怒鳴り散らしてヤバい空気を察したのか苦笑いでチラチラ私を見ていた。

 

①お母さんサイド

買い物中ずっとワガママを言う娘2人にイライラする気持ちわからんでもない。

Bちゃんカートにきちんと座らずそわそわしていたし。

子供サイド

怒られてもわりとヘラヘラ

でもお母さんが怒鳴り散らしてただならぬ雰囲気は察している。

Bちゃんコントロール出来ないお母さんがAちゃんに対してもキツくあたっていた。

Aちゃんは買い物中お母さんに話しかけてもまともに会話してくれずつまらなそうだった。

Aちゃんに対してBちゃん見ててって言ったでしょ!と保護者役を押し付けていた。

店員サイドだったら

どんな理由があれ子供カートに乗せたまま放置しないで欲しい。なんかあったら店の責任も問われる可能性がある。

怒り方、叩き方、カートの乗せ方が乱暴すぎて、虐待を疑うレベル

公共の場所で人目もはばからずあそこまで怒鳴るのはちょっと考えられない。

お母さんのイライラMAXになった結果であって常にあの扱い方というわけではない…と信じたい。

 

家族連れがよくくる店だから、いろんな親子を見る。

叱る光景日常茶飯事で、もちろんしつけの範疇だなと理解できるケースも有る(商品乱暴に扱う子供とか、叱ってもヘラヘラしたりね)。

でも一方であまりにも行き過ぎではないか?親の八つ当たりではないか?というようなケースも無くはない。

他人から子育てにまで口を出す権利はないんだけど、他人からこそ感じるものもあると思う。

他人の、生活一場面を見たに過ぎないからな…と自分に言い聞かせている。

Aちゃん達は普段から虐待を受けていて、私に助け舟を求めていたんじゃないか?なんて考えてしまった。考えすぎかもだけど、可能性はゼロではないし。

 

今まで虐待ニュースを見てなぜ防げなかったのか、なんて大それたことを思っていたけど、

虐待予備軍みたいな光景は意外と近くで起こっているし、それでいてどうにもできないんですよ。こういう一場面では判定が難しい。

虐待を見逃さないって結構難しいことなのかもと思いました。

2018-01-27

ミサンドリストは、なぜ自らの差別を指摘されると怒り狂うのか?

http://conia617.hatenablog.jp/entry/town-for-woman

 

この男性差別電波文に反論することが本当に可能なのか疑問だが・・

どちらかというと精神病カウンセリング必要だと思うので。

 

黒人差別メタファーがそんなにわかりづらかったですかねえ?

差別とは何か」ということを考えた事がないんだろけど・・

 

「"黒人"は私たちだ」とか意味不明の事を言ってるけど、

一部の人のしたことで、全体を判断する」という事象をもって偏見差別と言っているのだから

あんたがたの世界観がどうであろうと、この件とは無関係なんだけどね。そんな事もわからないのかな・・

 

じゃ、あんたがたに、もう少しわかりやすい例を上げようか?

 

あんたらが子どもの頃、文具店とか雑貨店とか本屋かに自分一人や、子どもだけで入った時、

店員がじろじろと不審そうな顔を向けてきたり、

自分たちが見えやす場所を移動したりして、

 「あ・・万引きを警戒されてるな」

と、ちょっと嫌な気分になった事があるだろ?

 

で、Twitterでその店主が、

 「ガキってよく万引きするからマジ不快。もうガキ入店禁止にしたいぜ。」 

と書いてるのを見たら、自分子どもだったらいやな気分になるだろ?

 

それが、あんたらのやった事。

 

そこまではまあ、偏見であり差別ではあるが、単なる気分の吐露としてまあ許せる。

問題はその後だ。

 

で、それを読んだ子どもあんたが、

 「私は万引きなんてしません。子どもみんなが泥棒みたいに言わないでください。偏見です。そういう人はごく一部です。」

とリプする。

 

で、それに対して店主が、

 「うるせえな。こっちが被害者なんだよ。実際、万引きするのはガキばっかなんだよ。偏見じゃねえだろが。

 だいたいが、自分たちが先にオレたちに迷惑をかけてるのを忘れてねえか?

 

 おまえら加害者なのを忘れて、たかが「ガキは不快」と言っただけで

 気分悪くするとか傷ついたとか言えた立場かよ。どんだけ繊細なんだよ(笑

 

 もしかして、「出入り禁止=おまえらはいらない」と言われたのが

 そんなにショックだったのか?うちの店頼り過ぎだろ(笑

 

 オレだっておまえら皆がいつも万引きするとは思ってねえよ。

 ただ、見分けがつかねえだろ? 見分けのつけかたを教えてくれってんだ。

 

 まあ、本音では、おまえら犯罪予備軍だとは思ってるよ。

 何しろ万引きはお前らガキしかしないんだからな・・

 てか、身に覚えがあるから逆上してんだろお前(笑

 

 だいたいが、万引きしたガキ、お前と同じ学校のだろ?

 なら、ガキならガキどうしで、万引きやるそいつを先に非難するのが筋ってもんだろが。

 

 まずはおまえらガキが犯罪率が高い事を反省しろ

 オレは何も悪い事は言ってねえ。ちょっとした願望を言っただけだ。」 

 

・・と、これが、あんたら女性の言ってる事。

言ってる事がわかるかな?😃

 

それに対して、子どもあんたは、

 「店主の言うことは正しい。私は犯罪率の高い"子ども"の一人だから反省しなくちゃ。

 万引き犯の仲間なんだから私も謝らなくちゃ。万引き犯に代わって謝ります。」 

と言うか?言わないだろ?😃

 「だから私は万引きしてないし、しないって言ってるでしょ。悪いのは万引きしたその子じゃないの。私が反省しなきゃいけない理由なんてない。

 それと、その子別に友達じゃないし、なんで私がその子反省させる役なのよ。」 

と言うだろ?

 

それが、僕らが言ってる事。

わかるかな?😃

2017-09-13

[]映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

東野圭吾小説原作

30年以上前、ある商店街にナミヤ雑貨店という雑貨屋があった

店主が悩みに回答してくれるということで有名な店だった

30年後、ある3人組が犯罪をした後に元ナミヤ雑貨店だったボロ家に逃げ込む

するとなぜか過去からの悩み相談手紙が投かんされる

それに回答していくうちに、自分たちとナミヤ雑貨店との奇妙な縁に気づいていく

面白かった

ありがちな話、展開といってしまえばそうだけど、じっくり描写されていて感情移入できるようになっていたから、2時間ちょいの時間もそこまで長く感じなかった

見る前、東野圭吾の内容なら2時間にするほど内容ないだろとか思ってすんませんでしたァァァァァァ!!

演技力ない人間がほぼいなくて、実力派ばっかだったか安心して見れた

BGMも主張しすぎずうまく演出として聞こえて、すごく心地よかった

主演やまだりょうすけってことだけど、にしだとしゆきのほうがでてる時間ながかったから主演って感じした

あえて苦言を呈するなら、

セリフがところどころ聞きとりづらいところがあった

時系列がわからなくなるところが少しあった

林遣都の歌とギターめっちゃ下手だった

・盛り上がりが中盤にきて、最後はなんかサラッと終わってしまった

成海璃子が出てる意味あんまりなかった

って感じ

歌がひとつキーになってるのはいいんだけど、最初オリジナルを作ったとされる林遣都ギターと歌がめっちゃ下手・・・

練習はしたんだとは思うけど、とてもギター一本のミュージシャンとは思えない下手さだった

歌もめちゃくちゃ下手で、しかボリュームがかなりでかくてめちゃくちゃひどかった

そのひどい歌の後に 子供鈴木梨央ハミングするんだけどそっちのほうがうまかった・・・

あとは門脇麦が並の歌手ってくらいうまかった

過去が結局今につながるってのは面白いなとも思ったけど、野暮なこと突っ込むなら、結局にわとりと卵どっちが先なの?ってのがちょっと気になったかなあ

やまだりょうけが手紙をかくことになったのはナミヤに逃げ込んだからだけど、そこに逃げ込むはめになった犯罪の原因となった人間過去の行動は、逃げ込んだあとの山田りょうすけによって決まったってことになってるし

そこは重要じゃないからいいんだろうけど

でも 成海璃子は出した意味わかんなかったなあ

原作でも登場してて意味のあるキャラだったのかもだけど、正直映画ではほとんど掘り下げされずに口頭でさらっと過去について一言二言あったくらいで終わったから、

かなり意味ありげに出てきた割にはほとんど意味なくて肩すかしだった

西田敏行がすげーおじいちゃんになってて、もうつりばかのじいさんの方やるレベルだよなあ・・・下手したらもっと上か?とか思ってしまった

ラストスタッフロール山下達郎の歌はやっぱり歌手うまいなって思った

でもなんかすごく歌いづらそう・弾きづらそうな歌だなとも思った

邦画のよさに久しぶりにふれた気がした

安っぽいCGとかアクションとかで無理しなくても、日本日本人しか作れない、日本人しかウケないこういう映画つくればいいんだよと思えた

俺は原作未読だったけど一緒に行った既読人間いわく、原作原作でよかったし、映画映画でよかった、とのこと

作中のセリフでもあったけど、一人の人間人生を左右するような手紙を題材にするっていうのは、やっぱり作家ってすげえなあと思った

自分なら本気で考えてしまって何も書けなさそう・・・

2017-09-12

今日ナミヤ雑貨店の奇蹟の試写会いってくる

個人的には奇跡ではなくわざわざ「奇蹟」という文字を使ってるのを見ると、上遠野浩平を思い出す

あの人も絶対後者を使うこだわりがある人で、そういう人、字があるってことをはじめて教えてくれた人だった

追記

もう、いじわるなひとですわね!修正しましたわ!これでいいんでございましょ!!!

2017-02-28

酔っぱらったカーチャンの語った半生がなんか割と大変そうだった

田舎の家に生まれ高校生の頃に祖母が出て行って両親が離婚した。

自立心が強く後にフェミ活動家とか市民活動とかにのめり込む祖母は常に自身人生の充実を探求しており、子育てにはまるで興味がなかった。

祖父母ともに気性が激しかったため怒鳴りあい殴り合いのケンカも頻繁にあって、

母の妹である叔母はグレにグレていたらしいので、話を聞く限り色々と機能不全な家族だったようだ。

高校卒業後、東京美大を目指して東京で絵の予備校に通っていたらしいが、田舎娘ゆえに警戒心が薄かったのか、電車毎日のように痴漢に遭いまくって、

乗る電車を変えたりしても別の痴漢に狙われるなどして解決せず、最後には恐怖で部屋から一歩も出られなくなり、予備校に通えなくなって半年もたずに帰郷

その後地方芸大に入って絵を描いたりしていたらしい。

卒業後、ファッションビル雑貨店に勤務。ポップとか描いていたそうだ。

恐らくこの頃にライブハウス飲み屋で父と知り合い、結婚し、バブルがはじけるころに俺を生む。

父の家は観光地食堂をしていたので、嫁なら当然ということで毎日無償労働

父が家に入れる分以外の収入は一切なく、雑貨店勤務時代の貯蓄を切り崩しながら生活

父方の祖父母は年金なんか馬鹿の払うものだという考えの持ち主だったため、10年近く無年金

父方祖父アル中で手が動かなくなってきていつ引退するかわからない状況になり始めるが、父が一向に調理師免許を取得しようとしないため、

営業許可に関わるので念のため父と相談して母が先に取得したところ、代々続く店に女の名を掲げて恥をかかせる気かと祖母になじられるなどする。

父は数年後に1回落ちたが調理師免許を取得し、ギリギリ祖父引退には間に合った。

その後、父が金がない景気が悪いと言って家にあまり金を入れずに、150万円規模の趣味楽器を無断で購入していたことが発覚し遂に離婚

大手眼鏡チェーンでパート店員として勤務、ようやく年金に加入。

母子二人の生活が貧しいながらも軌道に乗り始めたところで、田舎祖父があちこちガンになって手術連打。

車で片道一時間かかる病院に通うのが大変という話が出はじめ、叔母は親に反発したまま大人になっていたので、やむを得ず俺を連れて帰郷

祖父帰郷一年ほどで死没、死にかけてるくせに皿が飛び交うような言い争いを何度も見た。

飢えるとその辺の草を躊躇なく食いまくる俺の発達障害が発覚したりする中、母は調理師免許を使って公営デイサービスセンターの昼食係に契約(嘱託?)職員として就職

何年か問題なく勤務して契約年数も残っていたのだが、町が方針転換して施設食事業者委託することになったため突然クビを切られる。

かねた施設長に介護員として拾われて同じ施設介護職へ転職介護福祉士ケアマネージャー資格を取りながら何年か働くが、

町の規定契約が何年までと決まっていたらしく、契約満了となり民間の小規模施設転職

同時期に体調が悪化、後にメニエール病であることが発覚して投薬治療が開始されるまで車での送迎業務ができない状態になる。

離れて暮らす祖母とはずっと交流を持っていたが、祖母からお金をただ貯金していることを散々馬鹿にされ、

祖母利益を上げまくっていた和牛投資にコツコツ貯めた100万円を投資する決断を下したところ、一年も経たずに投資先が破綻して回収不能となる。

散々勧めた張本人で、回収不能額よりこれまでに上げた利益の方が多かった祖母からは、自己責任、見る目がないと罵られ当然ノーフォロー

家族経営だった小規模施設サービス残業や持ち帰り仕事が増え、

さら利用者クレーマー家族が発生してスケープゴートにされ続けたため、引責と体調を理由に再度転職することに。

ちょうど俺が独り立ちしたタイミングだったことから、稼ぎよりも労働環境を重視して大きな母体のある中規模デイサービスパート介護員として就職

真面目に数年間働いていたところ、組織全体で正社員登用制度を作る話が出るが、同じ介護パートが数名いる中、母のみ対象外となる。

理由制度開始の三日前に誕生日を迎えて、制度年齢制限に引っ掛かってしまうため。

母体が大きすぎたことが裏目に出て、逆に融通がきかなかった。これには流石の母も一晩でワインを三本空けるヤケ酒。

この話はその時にちょうど帰省していたので聞いたことをまとめたもの

持ち家一人暮らしはいえ、手取り11万円程度での生活がいつまで続けられるかはかなり怪しく、年金空白期間が長いので僅かしか貰えそうにない。

ボロボロ実家はあちこち傾いたり穴が開いたり、開かない扉ができたりしているが、補修のメドは立っていない。

最近の母の趣味は、電気代を前年同月よりも下げる事らしい。

2017-02-14

90%女性デートに誘い出す方法リークする

去年はかなり楽しませていただきました。

バレンタインデーということもあり、一通り満喫したのでネタを放流します。

ただ、ある程度ターゲットが絞られるので、好みに合えばどうぞといった感じで。

ターゲット

20台後半から30代中頃

女子力高め・意識高め

男性経験少なめ

軽く遊ぶというよりやや重い感じになりやす

もしくは人妻不倫(ややリスキー

◯前提条件

恋愛必勝法をまず述べておく。

それは、ライバルがいない環境を選ぶこと。

自分がどれだけイケメンで好条件が揃っていても、戦う場所を間違えれば勝利はない。

逆に、不細工で条件が揃っていなくても、自分より劣った人間ばかりか、もしくはそもそもライバルの少ない環境に行けば勝率はかなり高くなる。

まり今回は、後者ライバルの少ない狩場情報の解禁である

片思いのあの子を落とす方法ではないので、それを期待していた人は帰っていただいて構わない。

◯狩場

最近至る所で目にすることのできる、コーヒーと輸入食品ワンダショップ

理由

「ここで働いている女性は、9割が女性社会疲弊しているから」

そんな理由で?と思ったなら、まずはそれが自分モテない原因だということを自覚して欲しい。

あのお店をよく見て欲しい。

まず、店頭で働いている人は全員が女性だ。

しかもいつも高いサービス力でハキハキと働いている。サービス力の高い女性を選んで採用しているのだろう。

しかしそれでいて利用客の9割が女性でもある。

せっかく高いサービス力を発揮しても、同性特有の冷たさであしらわれている場面を数多く目にすることができる。

もしそんな中で感じのいい男性客がいたらどう映るか。童貞あなたにもわかるはずだ。

ここを選んだもう一つの理由は、コーヒーワイン調味料などの扱いが多いだけに、そういうものに興味をもった女性が働いている傾向が強いという点だ。

逆を返せば相手趣味を把握しやすいということでもある。

あとは個々の趣味に合わせるが、そのあたりに興味を持って質問をすると喜んで対応してもらえることが多い。

会話を成功させる上でこれは大きなポイントだ。

女性社会にもかかわらず男性入店しても違和感がないという点も大きなポイントと言えるだろう。

自分場合は、エスニック料理ワインにそれなりのうんちくがある。

そのあたりを、嫌味なくそれでいてこだわりがあるように伝えることができると、相手記憶に好印象に残ることができる。

からはその具体的な方法を掘り下げたい。

場所

まず間違っても、家や職場の近くを選んではいけない。

自分の行動範囲外の店舗、もしくはショッピングモールなど働いている女性居住区圏外を選ぶ。

近所ではないということが、人を恋愛に対して自由にさせてくるからだ。

時間

平日の昼間が最適。次に夜。

間違っても主婦であふれかえる平日の午後。人で店内がごった返す祝日を選んではいけない。

最初きっか

コーヒー調味料ワイン、その他専門食材の前で、しばらく悩みながら店内の様子を伺う。

品出しの女性が数名回っているので、誰かがストライクゾーンに入るようなら行動開始。

◯声掛けのパターン

類似商品比較質問する

・具体的な料理名を挙げ、適切な調味料おすすめ食材質問する

特定ジャンルの中から、贈り物にしたい商品を探していると質問する

客が少ない時間帯を選ぶ理由は、こうしたコミュニケーションの尺を長くとるため。

忙しい時間帯にこれらをやることは悪い印象にしかならない。

特におすすめなのは贈り物で、ラッピングまでのコミュニケーションや、人に贈り物をする人という好印象を残すことができる。

あとこれを書くと付き合った相手がピンと来てしまうかもしれないけど、最初の声掛けがちょっとポイントで、忙しい相手を気遣う言葉がよい。

「今お聞きしてもいいですか?」とか「ちょっと悩んでるんですけど聞いてもらえますか?」とか。

殺伐とした環境の中で、気遣いある声掛けをすることの効果は大きい。

言われた記憶あったらそれは僕かもしれません。

◯いい人の演じ方

・下心は見せず

・表情は柔らかく

姿勢良く

・立ち居振る舞いは緩やかに伸びやかに、それでいて時に力強く

・「すいません」ではなく「ありがとう」を使う

・高圧的でなく、卑屈でない

相手を思いやり尊重する

・完全に無知ではダメだけど、相手のほうがちょっと詳しいくらいを演じる

◯2回目以降の来店

1回目の来店から1週間から10日くらいの間に再度来店して、1回目の来店で教えてもらえたことの感謝と具体的な成果を報告する。

それでいて、2回目はもう少し踏み込んだ質問を用意する。

これであなた相手の大切な顧客になり、働く意欲の源になることができた。

4回、5回と繰り返していくうちに、相手はそれがないことが物足りなくなるようになる。

その見極めは、来店と同時に相手の表情を見ればわかる。

例え言葉にならなくても、疲弊眼差しから安堵や歓喜の色が見て取れるはずだ。

◯スカシのステップ

もし安堵や歓喜の色を感じることができたら、次は先に上げた忙しい時間帯を選んで来店する。

コミュニケーションを取ろうにも取れないことが相手にはストレスになるはずだ。

相手が忙しさを理由コミュニケーションを拒んだら、大人対応で店を後にする。

相手には顧客をないがしろにした罪悪感が残ることだろう。

もしそれを実感出来ないようなら、また一つ前のステップに戻って欲しい。

それで先に進まないようならターゲットチェンジ。諦める。

◯仕上げ

次に訪れるタイミングは、当然コミュニケーションに余裕がある時間帯だ。

相手は前回の罪悪感を埋めるためにより積極的コミュニケーションを求めてくるだろう。

それをしっかりと大人に受け止めることができれば、お膳立ては完了

感謝気持ちをお返ししたい」という名目のもとに、コーヒーワイン、専門料理など、今までのコミュニケーションの延長にある外食に誘い出すことのハードルはかなり下がっているはずだ。

慣れてくればここまでのステップを1ヶ月、5回程度の来店でこなせるようになる。

時間に余裕があるときは3店舗くらいを同時に回すこともできる。

そこから先はその時次第になるが、ワンチャンで十分というなら嘘なりおべっかなりいくらでも積み重ねてその日のうちにどうにかするくらいの可能性なら十分にある。

◯最重要ポイント

忘れてはいけないことは、相手疲弊しているということだ。

その中で、いか自己肯定感を満たしながら癒やしになるかということこそ大切だ。

そのためには、質問にある程度の手応えとやりがいがなければならない。

生半可に見透かされてしまうことのないように、事前準備、もしくはある程度得意な分野から攻めることを忘れないで欲しい。

そうして、重みのある「あなたのおかげ」という気持ちを伝えることができれば、相手自己肯定感を満たしかけがえのない癒やしになることができるのだ。

◯ちなみに

何気ない毎日を「楽しい生活」にする家具雑貨店も悪くないのだが、あそこは少し意識が高すぎて面倒くさいのと、デートに誘い出すきっかけを作るのが難しい。

同じく、あなたの“一杯”にたどり着くまでのストーリーを紡ぎ出すコーヒー店も、スタッフ男性が多いのでおすすめできない。

やはり同じ意識が高いでも、スタート時点で状況に疲弊しているというポイントは大きい。

婚活だなんてライバルの多い環境に自ら特攻するくらいなら、同じ趣味を持った相手が集まる場所に入っていったほうが成果は得られるだろう。

今の狩場に飽きたら、その内また情報リークしたい。

2017-01-13

[] #12-1「自由大国

…………

タイナイのマイブーム旅行である

普段やたら海外の良さについて熱弁をふるっていたが、興味のない俺はテキトーに相槌を打っていた。

それがタイナイの琴線に触れたらしく、俺は半ば無理やり海外の良さを体験させられる羽目になった。

そして、今回の旅行にはウサクもついてきている。

ウサクは、タイナイとは別ベクトルで“精力的”な人物であり、様々な国の政治に触れておくのも一興とついてきた。

そうして旅行する国は、タイナイも初めて来た国らしい。

「あえて下調べをしないことで、より体験を新鮮で特別ものにするのさ」

とはいえ、さすがに不安なので案内人を雇うあたり慣れている(と思われたいのだろう)。

俺たちは案内人に導かれながら観光を始める。

「ようこそ。この国は“個人意思”を尊重します。そのフレキシブルさ含めて、どうぞ観光を楽しんでください」


何はともあれアテもなく歩き出すと、早速タイナイが観光独自理論を展開させる。

基本的観光が盛んな国というのは、海外向けに首都最適化されているんだ。場合によっては地元の人が疎外感を覚えるほどにね」

こーいうのを悠々と語りたがる年頃なのだ

「だけど個人的には大通りじゃなくて、小脇の道に寄ってその世界の情勢を側面的に見るのもオツなものだよ」

「なるほど、我もこの国の情勢をしかと体験してみたいしな。よし、ちょっと寄り道しよう」

そうして目に付いた小脇の道に入ろうとすると、案内人が止めてくる。

「いけない。巻き込まれるかもしれない」

不穏なことを言ってくる。

「なんだ。治安が悪いってことか?」

「いや、取り締りはしっかりやっていますが、大事になったときに巻き込まれ可能性がある」

「そーいうの含めて治安が悪いって言うと思うのだが」

自由尊重している国なので、まあ多少は。もちろん、どうしても行くと言うなら構いませんが……」

なんだか腑に落ちない理屈だったが、とにかく危険だということで俺たちは行くのをやめた。


俺たちが立ち寄ったのは大きめの雑貨屋だった。

「俺たちの国でも海外観光客が大型雑貨店で買い物するってことは多いだろ? その国の雰囲気を感じ取るのに実は最適なんだ」

別にもっと如何にもな場所観光してもいいと思うのだが、どうもツウぶりたいらしい。

だが、確かに立ち寄った店には独特の世界観が構築されていた。

俺たちの国にもあるメーカーのものに、この国独自ブランド商品も共に並ぶ、何とも奇妙な様相を呈していた。

そして、ふと一際目立つ、異様なデザインパッケージが目についた。

次 ≫

2016-04-09

*[増田お嬢島部]

私の父は政令指定市で、オフィス用品販売リース業を営んでいる。曾祖父の代から文房具店、雑貨店音楽楽器店など時代の変遷に応じて事業を展開していた。

現在は、市役所企業の、例えばパソコンとかプリンターとか、そういうもの販売リースしたり、物品の委託購入を受注したりしている(市役所県庁取引できる企業が限られている)。

私は幼いころから社長令嬢としていわゆる「お嬢様」として周囲に振る舞ってきたし、周囲もそう扱ってきた。

それが自他ともに一番楽だった。だから私はピアノヴァイオリンもやったし勉強も体育もがんばった。やればできるわけだ。

取り巻き女子と、男子。が、たくさんいた。これが一番楽だった。

研修旅行で行った「島」で遭難した際も、何故か当然のごとくリーダーシップを求められた。普段私を陰でなんやかんや言うような人々でさえだ。

私はガールスカウトアウトドア素養があったし、大抵のことは自衛隊の人に教えてもらったからできた。キャンプは好きだった。

こういうのは私のような「深窓の令嬢」に任せるんじゃあなくて、あなたたち「庶民」的キャラの方が、あるいは「不良」系キャラの方が得意なんじゃないの?

思いきり相手批判したくなる感情はおくびにも出さず、「島」での27日間の遭難から救出まで振る舞っていた。明るく気丈に。

私の取り巻きの、一番のお気に入りは園池という女子だった。彼女は私の如上の「お嬢様」としての振る舞いと、裏の心性とを、物ごころついたあとかなり早い時点で看破していた。

から彼女には、年に数回程度だけれど「素」で接することが出来たし、彼女彼女でそれを他者に対しどうすることもなかった。名前五位鷺という驚くべき名前だった。

東京から越してきた彼女の方が、実は真にお嬢様で、世が世なれば和歌を読んだり牛車で移動するような、そんな身分の女だった。

彼女が「島」で破傷風になったとき、私はペニシリンを精製して投与した。他の人はこういうことに対しては役に立たなかった。

二人きりになった時、死を覚悟した彼女は、彼女の家に伝わる呪文のようなものを私に伝えてくれた。

文体学校で習った『梁塵秘抄』に似ていたから、その頃から彼女の家に伝わったのだろう。20分に及ぶ、苦しみながらの口述ノートに記した。

「島」の別の場所から救助が来て、重症五位鷺は「島」の病院搬送された。それ以来、誰も五位鷺の姿を見る者はない。

から、父の仕事聴くことがある。「島」の施設オフィス用品提供することもある。独立行政法人らしい。「島」に商用で出向くこともあるという。「島」ではなにか医療施設があるようだ。

彼女のあれは、本当に破傷風だったのだろうか。私は見ないようにしていた。大抵のことは知っているつもりだった。だから目を瞑った。

あの時、彼女の顔に黥面が現れたように見えた。黥面なんてみたことないんだけれど、黥面という言葉が、あの学校で習った古い中国文章に出てくる言葉が、唐国の人が東夷異文化表現した時の言葉が、ぴったりだった。そして目や髪や爪なんかも、この世のものとは思えない彩色になっていた。おそらく彩色されたものではない。紋様なんだろう。紋様だ。意味のある紋様のように思えた。おそらく全身に。が、なにも考えたくなかった。とにかく私の出来ることは現実的に知っていることだけで、ペニシリンを精製して投与することくらいだった。声すらかけられなかった。いつも一緒にいてくれたのに。うわごとで紡がれた呪文必死に書き写した。そうして彼女と別れた。

最近生体ネットを経由してデータ違法ダウンロードし、肉体を強化する人が増えている。麻薬のようなもので歯止めが効かなくなり、やがて身体をコントロールできなくなる。そんな時、不思議なことに体に黥面のようにコードが浮き出る。Java

子どもの頃、私は五位鷺の抱えた秘密を何一つ知ることもなく、また尋ねることもなかった。

大人になって、数社を経たのち父の業務を手伝うようになった。仕事を作って10年ぶりに「島」に赴く。

2015-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20151103091008

それはお前の観測範囲問題

しまむらに行ってみろ

2階建で服を売ってるスーパーに行ってろ

地方駅前雑貨店スーパーに行ってみろ

どこのデパートの話してるんだ

2015-02-11

認知症でも安心して暮らせる地域を作ろう』

米寿を迎えた祖父母を見舞った帰り道、スローガンをたたえた幟が個人雑貨店の出入り口に立てかけられていて、思わず呻いてしまった。

つくし野、という高度経済成長期に作られたニュータウンならどこにでも見かける名前に合わせるかのように、

確かにまたつくし野に戻ろうとしているのが肌に感じられたから。

近くに出来たマンション群の甲斐あってリフレッシュ成功した駅前と変わって、

かつての田畑宅地造成した住宅街はそこに住む住人とともに歳を静かに重ねていくように見えた。

住宅街を抜けると、その昔から変わらない田畑風景に変わる。

もっともその風景の半分は家庭菜園という趣味景色の一端を担っていて、

静か過ぎる平坦な休農地の隣で騒がしくしていた。

休日今日は色々な人が出入りしていたけど、それに合わせるかのように田畑もいろいろなモノが植えられている。

きっと上空からモザイク画のように見えるのだろう。

年の瀬しか来ない弁財天でお参り。楼門を支える白く塗ったコンクリを品がないと思うのはいものこと。

裏手に回って祖父母の名前確認して安心を覚えるのもいつものこと。

橋に来た。よく伸びる冬の日差し川面に落とした自分の影を辿ると、

ふと子供の背丈しさない欄干を乗り越えたい誘惑に駆られる。思わずよろけた側を、ごめんなさいと風に乗った自転車が通り過ぎていった。

長い。長すぎる。早く行きたい。ちょうど側を追い抜いていったランナーについていって十秒で息が切れた。

そしてたどり着くは辺境、もといちょっと田舎目な二郎店……時間が悪いのか開いてない。

2キロ先のスタバ時間を潰して戻ると、日も暮れて良い時間になっていたがやはり開いていなかった。

悪い予感がしてスマホ検索すると二郎botにお休みするの店長の声。結局二軒隣の吉野家で散財した。

駅までの帰り道、住宅街にありつつ、いい感じのスイーツのお店を見つけて入る。

成瀬台という郊外に住んでいた昔、キャトルというお店で、

嬉しいことがあるたびによくクッキーケーキを持ち帰ったことをつかの間思い出した。

後々、原宿で偶然入った同じ名前のお店が姉妹であることを知って、

そっちにある方が失礼ながら違和感が絶えなかったのを思い出す。

残念ながら原宿店は閉じてしまったけど成瀬の方は無事妹と同い歳を迎えたはず。

このお店はどうだろう。

軽く10キロ以上歩いた後のくたびれた気持ちをコートで軽くガードして、

カウンター横のコーナーを物色しながら、半目でチョコレートコーナーを視界からガードする。

職場への良い土産が買えた。

カウンターでお会計を待つ。

包装のセンスに、女子校を感じた。

二郎の口直しにまた買いに来よう。

GoogleMapは人を知らない。

初めての道が幹線道路を外れてついでに街灯も外れてるのだけど、どうなの。

夜道モードがあれば、良いのにと思う。

いじめのように視界から離してくれなかった、青白い葬儀場の看板が光る横を足早に駆け抜けると駅だった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん