はてなキーワード: 音楽教室とは
今どきの音楽教室には大人の初心者向けポピュラーピアノ講座はたくさんあるので、そういうところに行くとよいですよ。
中高年のおじさんおばさんたちに混じってグループレッスンするもよし、月謝は少し上がるけど個人レッスンにするもよし。
課題曲も自由に選ばせてくれるし、ひとりひとりの技量や志向に合わせた教え方をしてくれるはず。
しかしアドリブがしたいならジャズピアノ講座のほうがよいかもです。コードやスケールの理解に応じた教え方をしてくれます(譜面が読めない人でも大丈夫)。
アドリブはまずはブルース・ペンタトニックから教わるはずですが、できるようになればそこまででも十分楽しいはずだしギターなどほかの楽器への応用も十分に利きます。
コードの基礎も、それこそトニック・ドミナント・サブドミナントからきちんと教えてくれるはずです(ジャズはそれ抜きでは成立しませんから)。
どんな調でも即座にアドリブができるようになると、音楽の楽しさはぐっと広がります。よく使われる調なんてたかが知れているので、全部を覚える必要もありませんし。
あと、ギターとピアノの両方でコードやスケールを理解できているのは強みです。
ギターは調が変わっても運指が変わらないのがよいところですが、反面、構成音(ノートとルートとの関係)が直感的にわかりづらいのが弱点です。その点、鍵盤でコードや構成音やスケールがわかっていると〈ギターしかやってこなかった人〉よりもずっと上達が早いしフレーズも幅も広がると思いますよ。
数ヶ月前にケンミンSHOWで東北のウィーンが取り上げられていて思い出したので書く。
東北のウィーンでは街全体が音楽に力を入れており、特に合唱が強い。小・中・高で合唱コンクールの全国大会常連強豪校がそれぞれある。校歌を混声3部合唱にしちゃう学校もあるくらい本気だ。番組で紹介されたように、合唱サークルも多く夜の公民館では歌声がよく聴こえる。
東北のウィーンに生まれ、小学生〜中学生の時は音楽の授業といえば合唱だった。リコーダーや木琴等の楽器に触れる合奏はほとんどなかったと思う。
合唱が当たり前の環境で、合唱に関しては音楽の先生方はどの先生も本気で取り組んでいたと思う。でも、音痴で歌が下手な自分にとっては苦痛だった。
授業中に歌のテストがしょっちゅうあり、クラスメイトの前で1人で歌わされる。上手い子は褒められるが自分みたいな下手は皆の前で先生から罵倒されたり嫌味を言われることが辛かった。音楽の授業のある日は消えたくなった。クラスメイトからの白い目が怖くなった。
合唱の大会といえば、NHK合唱コンクール。通称Nコン。人数が少ない小学校だったため、4年生〜6年生は全員強制参加で練習させられていた。「Nコン金賞!!打倒!全国大会常連〇〇校!」と書かれたスローガンの前で毎日毎日練習されられたが結果は毎年銅賞(参加賞)。Nコン地区予選には全国大会常連校も勿論出場するが、めちゃくちゃ上手い。自分の学校と明らかな差があるのに、その違いを先生は説明してくれなかったし「ひたすら歌え」な練習だった。
ちょうどその頃は声変わりもしていたが、配慮もされずうまく歌えないことをよく責められた。名指しの居残り練習もよくあった。
小学校を卒業し、中学は合唱部に入らなければ回避できると思ったら大きな落とし穴があった。クラス対抗合唱コンクールだ。
合唱が当たり前の環境だったからか、クラス全員が本気になっており、歌が下手な自分を責める人間が音楽教師だけでなくクラスの女子も加わった。皆の前でヒステリックに責められ一時期は女性不信になった。歌が下手だから口パクにするともっと責められる。どうすりゃいいんだ。東北のウィーンでは音痴には人権などなく、クラスの居場所もなくなっていった。
高校は市内ではあるものの校内合唱コンクールと部活のない進学コースの私立高校に進学。美術と音楽と書道は選択制だったため、迷わず美術を選択し音楽からようやく逃げられた。
卒業後は関西の大学に進学。ふとしたことで音楽の授業の話になり、他の学校は授業で琴や三味線、ギター演奏をしたり、クラシック音楽を聴いて作者の背景を学んでいたことを知って衝撃だった。生まれが東北のウィーンだっただけで毎日毎日合唱漬けだったが、これって異常だったんだなと初めて気付いた。
社会人になった今でも歌うことがトラウマでカラオケのお誘いは断っている。音楽そのものが嫌いになっていたが、遅ればせながらOfficial髭男dismやミスチルを聴くようになり歌詞の凄さや演奏技術を感じられるようになった。楽器演奏をやってみたくてギターの音楽教室に通い始めた。練習して曲が弾けるようになった時に「これが自分のやりたかった音楽だったんだな」と気付いて講師の前で泣いてしまった。音楽って歌うだけじゃなくて他にも色んなアプローチがあったんだね。
野球に力を入れている学校でも、全校生徒が野球をするわけではないのに、なぜ合唱だけは全員に強要しているのだろう。合唱が好きな人や得意な人はどんどん取り組めばいいが、苦手な人にまで強要しないでほしかった。授業も合唱ばかりに偏っていたが学習指導要領としては問題でないのだろうか?歌が下手で音痴な自分にはあの街は脅威だった。
音楽に力を入れるのはいいが、力を入れれば入れるほど適正のない子供の逃げ場が無くなる。自治体は偏りのないフラットな教育を子供達に提供してほしいと願わずにはいられない。
仲間ができるような趣味を持つといいよ。
以下ワイの経験談。
バイク→ハーレーのサークルとか入るとジェントルな優しいオヂさまが多くてよき(自分のバイクがハーレーでなくてもアメリカンであれば女子なら入れてくれるとこ多い)完全に男の世界なので紅一点というだけで凄まじくモテるw毎晩食事に困らないレベルw 女子なら中型免の250ccで十分(というかそれ以上は重くて片足で支えられない危ない)単独ツーリングでも凄く行動範囲が広がっていろいろな経験ができていい思い出になった。ただし女子の体力で行けるのは片道100km以内と心得ること。バイクってものすごく疲れる。オヂ様たちは遠出したがるけど女子の体力で遠出は無理なので自分のバイクでついていかないこと。後ろに乗せてもらおうw。
でも命が危ないからよほど乗り物が好きでもない限りおすすめしない。アウトドア好きなアクティブ女子ならどうぞ。ワイはもう辞めたw
音楽教室→大手の音楽教室に通うことがポイント。大手の音楽教室に通うと発表会や交流会などで年齢性別職業幅広い友達ができるので社交の場としておすすめ。一人で自宅(防音なし)でできる楽器となると電子ピアノしかないけどピアノは大人になって始めるのはクッソ難しいから弾きたいと思えるような曲を弾けるようになるまで5〜6年かかる。根気がないとめげるw。子供の頃に楽器を習ったことあるならこれ一択。やったことなくても大人になって始める人も結構いる(ただし子供の頃に少しでもやってた人には絶対に敵わないから同じように演奏できるようになるとは思わないこと、でも趣味として楽しむ程度ならなんとかなるし生涯続けられるいい趣味だと思うよ。ワイは続けてる)
オンラインゲームもコミュ力あれば友達できるけどすぐオフで会いたがる奴多くてウザくて辞めた。あんまりフィーリング合う人いなかったw
仕事は管楽器の修理だ。ずっと修理をしていたわけではないが、業界には15年ほどいる。
気持ちの整理をしつつ、あわよくば誰かに聞いてもらいたいような気もするのでここに書くことにした。
この仕事をしているほとんどの人間が、専門学校を卒業して楽器店に就職する形で業務に就く。
大抵は店頭で接客販売をしながらであったり、学販営業と呼ばれる学校の音楽の先生のパシリみたいなことをしながら、手の空いたときにお客さんから預かったフルートだのトランペットだののメンテナンスや修理をしている。
因みに楽器店の売上の柱は音楽教室だ。ヤマハ音楽教室が有名だが、これは各地のヤマハの特約店がヤマハの看板を借りて運営している。もちろん自店オリジナルレッスンを展開している楽器店も多い。いずれにしろほとんどの楽器店で音楽教室が稼ぎ頭なことに変わりはなく、それ以外の部署の地位は低い。
管楽器などというものはピアノやヴァイオリンのような人気はなく、当然その修理人の扱いはカス以下の以下だ。
などという話をしておいて何だが、私はそういう一般的な楽器店では働いていない。何人もの同業者から聞いた話をまとめるとこうなる。みんな同じようなことを言うのだから、多分正しいのだろう。
私が働いているのは工房とでも呼べばいいのだろうか、管楽器の修理をメインの業務としている会社だ。管楽器は売っているような売っていないような、申し訳程度に何本か置いてはあるが売れたのを見たことがない。それどころか客が来ない。
当然音楽教室などという稼ぎ頭もいない。必死で楽器を直しまくるしかない。
客が来ないのにどうやって修理品を集めてくるかというと、下請けである。
その辺の楽器店にいる管楽器の修理ができるスタッフ、彼らが忙しいときや修理に必要な設備がお店にないとき、あるいは手に負えなさそうなヤバい壊れ方をしているときに我々が必要とされる。
そうやってたくさんの楽器店からヤバい楽器を集めてくると、薄利で地位の低い管楽器の修理だけでも食っていける。らしい。私は経理部門の人間じゃないので、バランスシートの右と左がどうなってるかは知らない。毎月給料がしっかり振り込まれればそれでOKだ。
さて、やたら前置きが長くなったがそろそろ本題に入りたい。気持ちもだいぶ落ち着いてきたし。
一般的な楽器店にしろ全国に点在する工房にしろ、とにかく労働環境が悪い。
数行前に薄利と書いたが、性質上ほとんどが技術料のはずなのに薄利なのは単純に適正価格をつけられていないからで、原因はいろいろあるがしかしとにかく労働環境は悪い。
単純に薄給激務の場合もあれば、パワハラとセクハラが蔓延している場合もあるし、ほぼ毎日飲み会に付き合わされて終電がなくなり、会社の近くで一人暮らしを余儀なくされたなんてパターンもある。
そのため専門学校を卒業して首尾よく楽器店に就職できたとしても、大抵の人間は20代のうちに業界を去る。
20代なら得体のしれない専門学校卒でサービス業の経験しかなくてもいくらでもやり直しできるが、私はもう30代半ばである。詰んだ。因みに理解ある彼くんも現れなかったので、死ぬまで働くしかない。
私は頭が良くないので、自分に管楽器の修理という仕事が向いていないことに気付くのにこれだけ時間が掛かってしまった。
なぜ今更こんなことを言っているかというと、最近まで営業部門にいたからだ。
営業はいい。サボり放題だ。毎日コンビニでアイス買ってお昼寝できる。
楽器などロクに直せなくても、取引先の楽器店でそこの修理スタッフの話を神妙な顔で聞いて、持って帰ってきた楽器を社内の技術者に丸投げするだけである。
たまに問題が発生することもあるがやることは一緒で、取引先で神妙な顔で頭を下げるだけである。最悪でも赤伝切ればみんな許してくれるし。
修理部門に異動になった理由は何となく想像がつく。会社は間違いなく親切でそうしてくれたのだ。そして私も一旦は受け入れて、何年ぶりかの修理をやっている。
でも一日中机に向かって黙々と作業を続けていると発狂しそうになるんだ。
担当楽器について同僚たちのように情熱を持って語ることなどできないし、かろうじて吹奏点検に支障がない程度の演奏技能から一向に上達しない。
それに思うように手が動かない。
10年前、新卒で入った工房では基本が10時間労働、繁忙期には毎日日付が変わるまで働かされていたので、早く帰りたい一心でみなとても作業が速かった。
今の会社は労務管理にとても気を遣っていて、社員に無理をさせない。仕事が終わらないなら納期を延ばそうという考え方で、そりゃたまには無理をすることもあるけど、日常的に尻を叩かれることはない。そんな環境で育ってきた社員は、そこまで忙しなく動くことはない。
転職してきたばかりのときは何てゆっくり仕事をする人たちだろうと思っていたのに、今ではその人たち以下のスピードでしか仕事が進まない。何年も営業をやっていて現場を離れてたとはいえ、あんまりだ。
今の会社に転職してきた理由は、ダブルリードの経験を積みたかったから。というのは表向きで、本音は前の会社が2年間で3度めの労働基準監督署に踏み込まれてついにタイムカードをなくすという暴挙に出たからだ。そういう会社に未来はない。と思ったけどあれから10年経っても普通に営業してる。まあ世の中そんなもんだな。
入社して半年ほどで営業に異動になった。引き抜かれた理由は「陰キャじゃなさそうだったから」。
管楽器の修理をやろうとする人間は陰キャが多い。陽キャは音大に行く。音大はヤバい。毎晩酒盛りと蘭光パーティーだ。特に金管専攻はウワバミしかいない。私は陰キャなのでこれらはもちろん聞いた話だ。本当のところは知らない。だがこの業界にたくさんいる音大出身の人間を見ていると、嘘とも言いきれなさそうではある。もちろん大学による。溝の口はやばい。ヤリチンしかいねえ。庄内もヤバい。酒の飲みすぎで本番に遅刻してくる。上品なのは上野の森だけだ。
しかし私は修理の専門学校を選んだ人間だ。すなわち陰キャだ。何なら吹奏楽部出身ですらない。
この業界には40代50代になっても高校のときに吹奏楽コンクールで全国大会金賞を取ったことを自慢してくるヤバい奴がゴロゴロいるので、吹奏楽部じゃないことには話にならない。営業なんてできるはずもないと思っていた。
しかしできたのだ。リレーション営業というものは私に向いていたらしい。楽しかった。
私を営業に連れてきた上司はとても私のことを可愛がってくれた。
泣ける。何で辞めることにしたんだっけ。
修理を今更やる気になれない。ダブルリードの経験も積めず、転職してきたとき以下の能力に落ちぶれ、業務報告以外で口を開くことは一切なく、それでも目の前にある楽器を直すために黙々と手を動かし続ける。
営業経験者の女というのは比較的引き合いがあるらしい。中小企業のアファーマティブアクション求人に応募すると、大抵は「おじさんの相手は得意か?」ということをやんわり訊かれる。
平均年齢が高く男性の多い中小企業では、新卒で女性を採用しようにもなかなか応募がない。営業職なら尚更だ。そんな訳で私のようなそれなりに歳いってて営業に抵抗がない人間は多分丁度いいのだと思う。めちゃくちゃ内定もらった。
おじさんの相手は得意だからな。楽器業界なんて未だにメールが使えなくてFAXで写真送れとか言ってくるトンチキなおじさんたちが幅を利かせてるんだぜ。楽器店も中小企業であることが多いからね。
それで、いくつか内定をくれた会社の中で一番条件の良さそうなところに転職することにした。
育成前提で業界未経験可、という求人にもかかわらず、現職より100万も年収が上がってしまうようだ。
悲しすぎる。今の会社、業界の中では結構待遇いい方だと思うんだけど。
そういえば新卒のときの月給は12万だった。地方。総支給。ナスなし。なあ楽器店でボーナス出るとこあるの?あったら教えてくれ。私の周りには一人しかいない。
つらつら書いてきたけど、終わりが見えなくなってきた。
結論としては、三度の飯より楽器が好きという変態以外はこの仕事を目指すべきじゃないよ。というところか。
そんなことより明日は休みなので阪神の優勝セールに行くんだ。好きなことを楽しむには時間とお金がいる。好きなことは仕事にするべきじゃないんだ。好きじゃなくなってしまうから。
でも私に営業の楽しさを教えてくれた上司のことは本当に尊敬していたし感謝している。ずっとこの人の下で働きたいと思っていた。自分で辞めるって決めたのに、悲しくて泣いてる。
60代の両親がラーメン屋で働いている。
父はサラリーマンだったがちょうど60で退職。母はパート主婦だった。私は一人娘で子供が生まれたばかり。
両親は現在10代20代の若者に囲まれ同じラーメン屋で働いている。早朝から仕込みのために出勤し、夜も遅い。
一度夫と食べに行ったが、強面の店主や店員から普通に怒鳴られながら一生懸命働いている。
それ自体は本人たちの選択なので構わないが、問題は2人が独立して店を持とうとしてることになる。退職金や貯金を使って。
早く目を覚まさせなければ、どうせ長持ちしないであろう飲食店にそのお金が注ぎ込まれる。お金がドブに捨てられる。
そのお金があれば、もっと余裕を持って第二子も産める。音楽教室も、グランドピアノも、幼児教室も、英会話も、受験も、塾も…生活を切り詰めることなく…
https://anond.hatelabo.jp/20230508221407
対抗手段としては、社会人向けのオーケストラか社会人吹奏楽団に入ってみることをお勧めする。
やる楽器を選んでその楽器を購入するのが最初のステップだ。なぜなら社会人向けの楽団は、「楽器を自分で持っている事」が入団の前提になるからだ。
打楽器に限ってはその前提はないが、社会人向けの楽団で打楽器メンバー募集しているところは案外少ない。オーケストラは正規団員が1人か0人で演奏会はエキストラを呼ぶ運営をしているところが多いからそもそも枠がほとんどないし、吹奏楽団でも常時募集しているところは多くない。また重い楽器運搬を確実にやらされるので体力的にも推奨しない。
また、弦楽器だと入れる団体がオーケストラに限定されてしまう。楽団数は吹奏楽団>>>越えられない壁>オーケストラなので、選択肢を広めるという観点で管楽器の方が良いだろう。
なので、「やる管楽器を選んで購入する」のが第一ステップだ。トランペット辺りが無難だが、人数が不足しやすいパートであるフレンチホルンや、頭数が必要になるが故に募集が多いフルート、クラリネット辺りも良いだろう。
特にフルートはほぼ女性パートなのでお勧めだ。男がやっているというだけで重宝される。
一方、チューバなどの大型楽器は高価かつ運搬が大変な上、せっかく楽団入団にこぎつけても「仲間がほとんど男」になるパートなのでお勧めしない。
社会人楽団は「未経験者お断り」のところがほとんどだ。練習がほぼ週末に限られる上、予算も団員からの団費だけで賄う必要があるので、初心者を教えている時間もお金もないからだ。
だから、「経験者」になるよう、音楽教室に行って演奏スキルを上げる必要がある。
通う期間は長ければ長いほどよいのは当然だが、長すぎても出会い目的から離れてしまうので、半年~1年くらいが良いであろう。
吹奏楽コンクールの課題曲レベルの曲が吹けるようになれば経験者としてみなしてもらえるだろうから、レベル的にはこのあたりを目標とすべし。
ここまで来たら手あたり次第募集中の楽団を探して見学希望を出す。
だいたいの楽団はホームページで今の在籍人数を記載しているので、そういう楽団に対してアプローチするのが良い。在籍人数が書いてない楽団は実際の人数が極端に少なかったりコンサートやコンクールでエキストラを呼びまくって体裁を整えてるなど運営に難がある団体が多いので避けた方が良い。
見学希望を出した後で楽器経歴を聞かれるが、その楽団から離れた土地にある学校で2年くらい吹いていたとかのレベルで適当に捏造するのが良い。
「離れた土地」というのがポイントで、社会人楽団は所在地域にある中学・高校のOBOG率が高いところが多いので、離れてない土地の話を捏造してもすぐに嘘がバレてしまうからだ。
また、見学と言いつつ、実態は「合奏練習にお試し参加する」だったりするので、その点は要注意だ。
いくつかの楽団を見学して、これはと思った団体に仮入団し、何度か練習に出ていけば正式入団だ。
正式入団までに狙いをターゲティングしておけば後はやりたい放題だ。
ただ、あまりに露骨だと通報されて退団の憂き目にあったりするからやりすぎ注意な。増田の観測範囲で実例が2つあってな・・・。
夫は総合電機メーカー勤務、私は薬剤師(現在は子育てに専念中)で2人とも30代前半。一人息子は5歳。世帯年収も貯金も同年代の平均よりあるはずだけど、夫も私も兄弟が多く実家の支援も満足にないため常にお金が足りない。そんな中で息子の将来と、それに付随する教育のお金を考えると満足に子育て支援のない日本で2人目なんて無理。
割とお金を貰ってるので生活はできるだろうが、私の育て方が疑われる。
干されたらどうするん?売れなかったらどうするん?才能なかったらどうするん?
倒産したらどうするん?
正社員ならしばらくは大丈夫だけど、中年になってから倒産したらどうするん?
防衛大の学費無償は魅力だけど、途中で退学したり、せっかく卒業しても戦争になりそうで退官したらどうするん?
大事な息子には医師、官僚、財閥系商社、外資系コンサルのどれかに食い込んで欲しい。そしてそのためには東大(又は国立医学部)に進学しなければならない。そしてそのためには中高一貫に進む必要がある。つまり中学受験と塾が必要。体育の授業でコンプレックスを感じないように幼児教室も必要。ピアノが弾ける男子に憧れがあったのでハイハイするようになった頃から音楽教室にも通ってるし、ピアノが身についたらヴァイオリンのコースでさらに費用が増える。英会話教室と算数教室もこれからどんどん教材費やカリキュラムが増える。すぐに服を汚すけど、友達と遊ぶ時にグロバやGU、ユニクロの服や靴は着させられないので服代も馬鹿にならない。例えタワマンでも集合住宅は嫌なので戸建も建てる。とにかくお金が必要…。
別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。
https://courrier.jp/news/archives/314969/
目黒で生まれて目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。
親戚の法事の写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。
父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。
長兄である伯祖父は麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。
伯祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。
同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。
正確には、養子ではない。
そのまま実子として役所に届けたらしい。
Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木で音楽教室を開いていた。
一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。
父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校を中退した。
家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校の勉強は好きではなかったようだ。
実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。
孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。
そんな父が、自分が双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から
と言われたことに始まる。
「君そっくりな人を知ってる」
と同僚。
そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。
そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。
それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。
Kさんが真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。
それまでも寝たきりで入院していた高齢の祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。
大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母の入院していた病院に向かった。
さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。
だが、身長が父よりも5cm以上高い。
そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。
これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。
誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。
あまり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。
父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。
書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。
その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教の幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。
人生には沢山の後悔があると思うが、みんなは日々の仕事や家事に追われてそんなこと思い返す暇はないだろうし、考えることと言ったら先のことの筈だ。俺は無職で家事も母任せなので考え事をする暇が一杯ある。同時にこの先に考えることはないし、考えた所で精神衛生が害されるだけだ。そこで過去の後悔の事ばかり考えている。「あの時、塾を辞めなければ」、「あの時、あの子に告白してれば」、「あの時、セノビックを飲んでおけば」、「あの時、躓いた高校数学を放置せずに予習復習しっかりしておけば」、「あの時、唯一内定を貰った零細SIerに入っていれば」と言った具合だ。
最初は遡って大学や高校程度までだったが、段々と幼少期や小学校にまで遡り「あの時、音楽教室を辞めてなければ」、「あの時、親の勧める中学受験をモンハンやスマブラより優先してれば」などと考えるようになった。そして、生まれた日から現在に至るまで思い出せる限りのイベントや行動が全て上手くいった前提での日記を作ってみた。結果としては
・現実の俺
27歳、身長164センチ、早稲田文構卒、無職の実家暮らし、彼女いない歴10年、素人童貞、趣味や特技は無し。
・日記の中の俺
27歳、身長170センチ、地元国立大学理系院卒、ITエンジニア、既婚、沢山の趣味や特技有り。
という感じで、現実の俺と日記の中の俺には凄まじい乖離があった。とある宇宙物理学者曰く、宇宙は誕生以来常にあらゆる事が分化して無数のパラレルワールドが発生しているという説があるらしい。そうすると、日記の中の俺に限りなく近い、本物の俺もどこか別の宇宙にはいるのかもしれない。まあ、つまりこの人生は偽物だ。
僕は音楽に向かないと思って今まで生きてきた。
いつからやっていたのかわからないが、かなり長い間という印象がある。
といっても低学年の頃には通っていた記憶がないので、3年生くらいからはじめたかもしれない。
そう考えると、通っていた期間は1年も満たないかもしれない。
子供の1年は長いのだ。
なんで習い始めたかはわからないが、きっとテレビで見たとか、友達もやっているからとか、そういう軽い興味を母親に話したからだと思う。
母は「興味があるならやったほうがいいと思うよ」と言う感じで了承してくれてすぐに音楽教室に通うようになった。
しかし、通ってすぐにモチベーションは下がっていってしまった。
まず、楽譜の読み方はわかった。鍵盤と楽譜のドレミの位置はわかった。
知っているドの場所とは違う読み方だった。
ト音記号とヘ音記号の違いは何なのかわからなかった。先生に聞けばよかったんだろうが、奥手の自分は質問はなかなかできない。
先生に直された場所に音名を書いて、それの前後から音を類推して暗記しようとした。
しかしそれが今やっているレッスンの何を説明しているのか全くわからなかった
レッスンは聞いてても面白みのない単調なものをずっとひかされて、そして知らない言葉が日々増えてきた。
先生の使う言葉はわからない。当てずっぽうでやっていくしかない。という負の連鎖に陥ってしまった。
教室に向かう途中で台風や事故でも起きて行かなければ済めばいいのにというのをずっと思っていた。
レッスンが済めばとても爽やかな気持ちになった。
もう一週間教室に行かなくていいという安堵感だ。その夜のドラゴンボールZはとても嬉しい気持ちで鑑賞できる。水曜の夜の清々しさは土曜日の夜にもまさった。
だが、月曜が来るとまた水曜が近づくということで憂鬱になる。
その繰り返しだった。
発表会は絶対に失敗できないのでそれは模倣をすることでなんとか乗り切った。
むしろ発表会周辺はいい。レッスンはその曲の練習に割り当てられるので、常に同じことを繰り返すだけだったからだ。
そんなに辛いならやめたいといえばいいのだが、僕はそういうことを言えない性格だった。
自分からやりたいと言ったからと言う負い目も感じていたのかもしれない。
よっぽどのことがない限り学校を休ませてくれない親に育てられたからだからか、途中で放り投げるというのは悪いこととも思っていたからかもしれない。
とにかく、つらい水曜日を送っていた。
そんな僕に転機が訪れた。
引っ越すことになったのだ。
引っ越すときに親に「引っ越した先でも続ける?」と言われたとき僕は何も言えなかったが、伏せ目がちにはぐらかそうとしたのを察知したのか、親は「まあやらなくていいか」といってくれた。
新しい学校への不安や友達とも離れてしまう寂しさもあったが、教室からの自由はそれらに勝っていた。
しかし、この教室に通っていたことはのちの人生に禍根を残すことになった。
まず音楽教室に通う前に親に「小さいときにやっていると、音感が身につくし、ピアノや他の楽器だってすぐにひけるようになる。プロや上手い人はみんな小さいときからやってた。だからやったほうがいい」と言ってくれた。
これは『小さいときにやると、音感やピアノが身につきやすい』という話だがこれを僕は解釈を誤ってしまい『小さいときにやらないと、音感は身につかないし、ピアノや他の楽器は弾けなくなる』とそう思っていた。
でも、あんな苦しい思いをしたんだから今後ピアノや楽器はひけなくてい良い。10歳ごろのころに完全に諦めた。
学校で音楽祭という行事があるのだが、僕はなんの立候補もすることなくリコーダーをした。
ピアノや木琴などは音楽教室に通っている人の特権だと思っていた。
児童館のピアノで猫踏んじゃったなどを弾く女子がいたが、その時おもっていたのは「僕には全然わからなかったことを分かっているすごい人。あんなに弾けるまで音楽教室を続けられている。きっと勉強もできるんだろう」という尊敬の念とともに「僕はああいうふうにでできる人じゃなかった」とも感じていた。
このピアノが弾ける人は小さいときからやっている。小さい時にやりはじめないとピアノは一切弾けないという思いはクラスのピアノうまい子を見るたびに強くしていった。
通っていて何もできないなんてしられたくなかった。だから何も始めなかったことにした。
避けたといっても積極的に行かなければ関わることもないので気にならないようにしていた。
中学くらいになれば色気が出てギターを始める人、バンドに熱中する人も出てくるが、
僕はそこに入る資格はないとおもっていた。なぜなら小さいときに始めることを諦めたからだ。
そして、ギターなどを始めている子たちは小さいときから何かしらやっていたんだろうと思っていた。
そんな誤った認識は結構成長するまで続いたが、高校時代衝撃を受けたことがあった。
保育士の専門学校ではオルガンやピアノの授業があるが、「今までピアノとか触ったことなかったので、弾けるなるようなるまで毎日頑張っている。結構うまくなってきた」とバイトの休憩時間で教えてくれた。
僕は驚いた。小さいときにピアノをやったことないのにやれるのかと。
もう一つ驚いたことがあった。
同級生のあまり親しくない人が先生と雑談しているのを勝手に聞いたのだが、「最近ピアノをはじめた。近所のうちにあるから弾きにいってる。独学だけど結構ひけるようになった。」と。
これもまた衝撃だった。
小さいときに初めてないのにピアノをやっている。そして教室に通わずに自分でやっている。
僕の認識では、ピアノや楽器は小さい時から教室に通い苦しみを乗り越えたもののみが得られるすごいスキルなんだと思っていた。
でも僕はすべての弾くスキルに対してそう思っていた。
ずーっとあの単調なつまらないフレーズを練習してそれをクリアしないときれいな曲を弾く資格を得られないと思っていた。
バイト先の人のおかげで、小さいときからやらなくてもできるということ、同級生のおかげでいつでも自由に楽しむために始められるということを知った。
でも、それを聞いてもすぐには楽器に手を出すことはなかった。
大学受験だ。
そんないい大学を出てはいないが、勉強と問題集での実力の測定のPACDを回して模試での偏差値がグイグイ上がっていくのに熱中した。
おかげで自分が卒業した地元のあまり評判の良くない高校には似つかわしくないくらいの大学には入ることはできた。
これも設計、実装、バグとりのPACDを回して品質を上げていくことに熱中した。
こういった人生経験を積んだおかげだろうか。
新しいことをやるということに恐怖はわかなくなった。
息子が吹奏楽部に入部したので楽しそうと思ったからかもしれない。
ギターを始めるにあたって、CとかFとかはなにか、コードとはなにか、メジャーとはマイナーとはなにかを調べた。
ドレミファソラシドと一般的に言われる音名は英語ではCDEFGABC日本語ではハニホヘトイロハということ
ドレミは階名といって主音にしている音が何かによって相対的に変わるらしいということ。
ハ長調は主音がハで、長調だからドがハになるということらしい。
Cをギターで弾くと、ドミソの音がなっていることに気づいた。
4分の3拍子や4分の4拍子と教室ではずっと言われていてなんのことかわからなかったが、1小節に四分音符が3つ入るか4つ入るかということだということ
泊のとり方もわかった。
長調と短調のこと全然わからなかったがギターではメジャーとマイナーという言葉で帰ってきた。
ここらへんまだ調べきれていないが、長調は全全半全全全半で音が上がっていく音の並びを使い、短調では全半全全半全全で音が順番に上がっていくらしい。
ピアノでミとファ シとドの間に黒鍵がないが、これは半音しか上がっていないということに気づいた。
これピアノはハ長調を弾くときに黒鍵を触らないでも済むようにデザインされているのかもしれない。
こうやって、幼い頃に躓いたあの教室の意味不明だった理論の答え合わせをしている。
いつから始めても構わないし、やりたいときが始め時、やめたいときが止め時だなと思った。
そして、息子が僕と同じ罠にはまらないように、疑問にはなるべく二人で調べるようにして、ちゃんと解決をする道筋を自分で考えることを教えようと思う。
JASRAC vs 音楽教室 最高裁判決が二審と同様「先生の演奏は使用料徴収対象にあたる。生徒の演奏は徴収対象にならない」ということで決まったと話題でして、やはり案の定「カスラック結局金とるのかよ!」のシュプレヒコール状態となりました。
ヤフーに載ったCX系「イット!」の書き起こしには「曖昧でわからない」とか中見出しがついて、取材に応じた(たぶん個人の)音楽教室の方が「レッスンじゃ弾けないってことですか?」とか言ってて、ヤフコメだと「未来の音楽家を潰すのか!」などと書き込まれており、まあいつも通りの流れ
とりあえず「今JASRACに楽曲の管理委託してる音楽家が、著作者として正当に権利行使をして『先生の演奏ならちゃんとお金払ってね』と言った」場合にちゃんとお金を払うか、「感情論とか将来への投資論」以外の批判か、この仮定された音楽家の曲はレッスンで弾かないかという選択肢をとれないならば、結局カスラック批判もただの利権アレルギーに過ぎないのですがいかがでしょうかね
① 権利関連
生まれ落ちた瞬間から2022年の絵柄を生まれ持ったギフトテッドなど存在しない
個々人に差異はあるが、そのどれもいくつかの流れに回収できる程度の差異だ
きらら系で顕著な鼻点顔とか、亜種が沢山いるが、「私が始まりだ、私の絵柄なのだ」と言える人、いるのか?
人が行うなら許されるそれを、「AIがやるのは倫理的に許されない」と言う人の理屈が分からない
気持ちはわかるがね
② 絵師終了関連
これについては眉唾だ
漫画家で食っていける人数で考えたら、漫画家なんて目指した瞬間に終わってる
音楽教室と言っても限界あるし、場を借りてコンサートするなら、チケット売らなきゃ大赤字だ
声優はどうだ?
なんで、絵師が始まってる事になってるんだろう?
もともと絵師は終わってた
形は変わるだろうけれど終わりはしないと思う
ノートに鉛筆で描いていた時代から、PCでやり直し自由に描けるようになって
AIの出力を調整して、そのセンスがすごい人が絵師を名乗るようになるのかもしれない
頭の中にある「自分の絵」を再現するためのコストが下がって、思わぬ人が神絵師になれるかもしれない
今の「自分で描いた」ことに見出してる価値基準が変わるのなんて、すぐだと思うよ
④ 個人的総括
AIができたらからといって、脳内美丈夫や脳内益荒男の価値が失われたりしない
もうちょっと技術が進んだら、今よりアウトプットする人口が増えて表現が広がる気がしている
例えばね、絵だったらPixiv、小説だったら小説家になろうに行くと素人の酷い出来の作品に出くわすことがよくある。
でも今まで音楽ではそういうこと無かったんだ。
インディーズって言っても普通に聴けたし、地元のオーケストラのコンサートなんかも普通に聴ける出来。マイナーなアイドルの楽曲も、印象に残らなくても違和感を感じるまでではなかった。
その曲との出会いは偶然で、自分の推してる作家がMV作ってる歌のうちのひとつだった。その作家の作った新作の出来が良かったから過去の作品も見たくなったんだよね。ところが、そのうちの1作の歌が最後まで聴けない。歌手は無名で、音楽の素人の俺ではうまく説明できないが、構成が変、としか言い様がない曲だった。音痴とも違う。だが明らかに、欲しいメロディが来ないという感じで気持ち悪くなるような曲だった。
それで俺はやっと、今まで俺の耳に入っていた音楽は一定水準を超えていたんだなとわかった。考えてみれば、音楽というのは誰でも続けられるものではない。小さい頃から音楽教室に通って、楽器を弾けるようになり、正しい知識や理論を身につけた選ばれた人間だけが音楽を作れる。全身入れ墨のボカロPでもピアノを当たり前のように弾ける。それは英才教育によるものだ。
絵や小説とは、かけられている手間や金が違うのだと、俺は思ったね。