はてなキーワード: 麻痺とは
まぁ、毎度毎度話題になってるけど、あれは大衆の認識としてどちらの勢力が多いか
スカートのしわが多いのをエロ認定するのも個人の主観の問題でしかない。
「麻痺しすぎ」って言ってる側も個人の主観でしかないところはしっかり押さえておこう。
最近の若年層見てるとあれを「エロイと認識しない」人は増えてるかんじするし。
この点がエロイ。
という指摘はやりすぎるとイスラム原理主義国家化するので指摘するほうも気をつけてもらいたい。
とそれぐらいかな。
あれもエロイこれもエロイだとそのうち女性がヒジャブかぶることになる。
揶揄ではなくてまじめな指摘ね。
個人的にはどっちも嫌なのでまぁほどほどに。
もう辞めてからだいぶ経って身バレする可能性が低くなったので昔勤めていた会社のことを書いてみようと思う。
以前勤めていた会社は約50人規模の地方中核都市の中小企業だった。
社長はバブル期の後半に30歳そこそこで起業をした人間で、色々途中ありつつ約20年でかなりの売上の会社にしたやり手だ。
時代もあったしたまたま始めた事業がその後世間的なニーズの波に乗れたという運もあったが、認めたくないものの仕事はできる起業家だったと思う。
私は比較的社長に近い位置に採用されており、その社長が他の社員や取引先と会合をしている様子を見てきた。
サイコパス的性格というのは他者への共感性が薄く、モラルが低く、自尊心が高く、また口が達者で一見魅力的という特徴があると言われるがこれが完全に当てはまる。
本人を目の前にしているときにはさんざん相手からの信頼を得るための美辞麗句を並べ立てておいて、相手から受けられる利益の当てがなくなるとあっさりと切る。
切って周囲から何か悪評が立ちそうになると「断腸の思いで切った」「時には経営者は嫌われ者になる覚悟が必要」とこれまた周囲をうまい具合に丸め込む。
あまりのすさまじい二枚舌に精神のバランスは大丈夫なんだろうかと最初は思ったが、何年も一緒に仕事をしているうち、二枚舌で相手を騙したり陥れたりすることにむしろ快感を覚えるタイプなんだということがわかった。
良心の呵責なんて全くなく、「バレなきゃ違法じゃない」を地で行くタイプだった。
先に精神が参ってしまったのはそんな様子を間近で見続けてきた私の方で、こればかりは匿名とはいえここに書くことはできないような事件があり「これ以上ここにいたら自分の良心も麻痺してしまう」と思い離職を決意した。
私は勤務をしていたときには社長に極力逆らわず、言われたことは言われたとおりに遂行し、従順すぎるくらいに従順だったのでかなり気に入られていたようだ。
なので私が辞めると告げた時にはもしかしたらひどい罵詈雑言を浴びせられたり離職の日まで嫌がらせを受けるようなことがあるのではないかと心配していた。
しかし予想に反してサイコパス社長は何年も勤めてきた自分に初めて涙を見せた。
いわく「お前がいたから俺はここまで会社を大きくできた」ということで、行かないでくれとまるで恋人にすがるかのような態度をとってきた。
ちなみに長年仕事をしてきたが私は社長のことが信用できなかったのでプライベートなことは出来る限り口にしてこなかったし、架空の恋人を作ったり別れたりしてきた。
私が絶対に辞める意志は覆さないと言ったところ、「せめて次の仕事を世話させてくれ」や「辞めている間何か助けをさせてくれ」とこちらが不気味に思うほどのことを提案してきた。
もうこれ以上この人とかかわり合いを持ちたくないと思っていたのでそうした提案も全部退け、逃げるようにして退職した。
退職したあと夜道を誰かにつけられているような気配がしたり、家の玄関先に社長が吸っていた銘柄のタバコの空き箱が置いてあったりということがあったが多分気にしすぎだと思う。
それも数ヶ月したらなくなった。
今考えるとサイコパスというのは悪気がないからサイコパスなのであって、良心の呵責なくバッサリ長年勤務してきた従業員を切ったり、取引先との契約を反故にしたりするのは本人の価値観からすれば全く問題ない素直なことなんだろう。
周囲から嫌われそうになったら全力で好かれようとするし、裏切られそうになったら何をしてでも関係を取り戻そうとする。
実に素直な性格だ。
直情的で自分に正直だ。
だから私を引き留めようとした涙も芝居ではなく、その瞬間は本気でそう思っていたんだろうなと思う。
あの人は会社を起こしてそれがたまたま成功したから良かったけど、人生における興味がもし殺傷とかに向かったら歴史に残る犯罪者になっていたかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20161005192648
飼って良いのは飼われる覚悟のあるヤツだけだ。
彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。
「犬のおまわりさんって困ってしまってわんわんわわんわんわんわわんだったんだって。で、メタモルフォーゼできる犬の出るカートゥーンが……」
「桃太郎に出てきた犬ってきびだんご一個で鬼退治させられたわけでしょう?それで、こんどPETAが……」
「渋谷駅の銅像のモデルになった、ハチ公っていう忠犬がいて……」
「N.W.Aてドクター・ドレーが所属してたんでしょ?それで、will.i.amのCD持ってきたんだけど……」
「『アーティスト』のアギーちゃんが出てた『俺たちスーパーポリティシャン』って映画……」
こういう「非犬好きの彼氏に勧める」「犬興味ない彼氏を」「散歩不精の」「雑種未体験の」「飼いたい犬を」みたいな、
彼女がオマエに対して「自分の犬を紹介して、できれば一緒に飼ってほしいな」という願望に対して
オレは犬にも犬にも犬にも犬にも犬邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが
次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。
アレは犬がかわいそうでとっ散らかってる上に、全体的に「神経を試す」要素が強い。
「甘え」とまでは言わないが、「科学の発展」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。
想像して欲しい。
「混合ワクチン接種は現在のペットを飼う上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」
現実世界は徳川綱吉じゃねえから、病院のベッドの上でイヤイヤされたら二度と仲良くなれねえぞ。
彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「犬出てなかったじゃん!」となっていること。
犬を嫌悪しない
犬に忌避感がない
犬なら付き合ってくれる
目標は「自分が勧めたら、アフガンハウンドでも一緒に飼ってくれる」ところに持っていくこと。
いきなり超大型犬かよ!とか言わない。
必要なのは「相手の飼いたいもの」と「自分の趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。
『アルプスの少女ハイジ』でもおなじみの犬種で、基本的に性格はおだやか。
こどもに対しては人間にも犬にもやさしくて頭のいい、よく出来た犬種だ。
大きいイヌは威圧感があった怖い……みたいなベタ先入観を茶化しつつ、ベタベタにじゃれてくる。
オタクとして観るなら「換毛期に落ちた毛をどうやって回収するか」に着目してみよう。
昨今観ることのなくなったデカい犬の一挙手一投足に注目するのもおすすめ。大型犬すげえぞ。
たまに大型犬が嫌いな女性もいるが、普通の犬なのでそこまでマイナスになることもない。
(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、イヌがのしかかってきたら配慮してあげること)
一見気品ある、気位が高そうな見た目ながら、実際飼ってみるとに(彼女にとって)親しみやすい要素を多く含む。
しなやかな肢体と、すらっとしたチャーミングな体躯で目をたのしませてくれ、
ガチャガチャとした被毛や、実は意外とヌケている性格をスッキリ見せる。
オタクとして観るなら「ロシア貴族に猟犬として愛されてたころの名残」を一つでも多く探そう。
彼女に「ボルゾイちゃんと今日も一日がんばるぞい」と言わせられれば目的達成。
オマエまた超大型犬かよ!とか言わない。
ドッグショー要素を排除しつつ、あくまで人間のパートナーとしての遺伝子を挟んでくる犬種。
親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、
転校初日の自己紹介で情緒不安定になってしまう少女ライリーちゃんにもきっとやさしくしてくれる犬だ。
人見知りやすい割に、ちゃんと身内にはなついてくれて安心できる。
「『フランダースの犬』のパトラッシュとちょっと違うけど、みてて面白い」と相手が思えば目的達成。
「ブリアード」→「ボーダーコリー」→「オールド・イングリッシュ・シープドッグ」
(コーギーを完走できれば、ほぼ教化は完了している。ペンプロークとカーディガンを一緒に飼えるだろう)
ジャックラッセルのテリアじゃないけど、かなりのガッツもある。
「『デレステ』の渋谷凛のテリアとは方向性が違うテリア」を違和感なく観てもらえればOK。
この辺で多少、飼い終わったあとに在りし日の思い出が言い合えればベストだけど、どうかな。
いまさら柴かよ!とか言わない。
偽装飼い犬になるバイトを憧れの人間から持ちかけられたわんこが、
人間の実家でかわいいかわいいと親戚一同にモミクチャにされながら
「かわいかったけど、犬は苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。
皆様おなじみシベリア生まれの雪玉野郎だけど、ちゃんと血統をつなでいるのがエライ。
前提知識が要らない、極端にじゃれにいかないけどじゃれも入れてくる、
紛れもなく犬オタ向けであり、歴史ネタ(最初に南極大陸を踏んだ犬)もちゃんと入ってる。
あとは好きにしろ。
犬から入って、犬、犬、犬、犬、そして犬。
おおよそ、20年~100年半ほどかけて、いわゆる犬オタの好む犬に寄せて行こう。
毛並みの綺麗な犬や上級者向きの野犬ばっかりの構成では意図するところが達成できず
ディンゴとの邂逅で絶縁されかねない。
ティーカッププードルとかカニンヘンダックスあたりですら「ちゃちゃい活発な犬種」ってだけで
いきなり見せたら、かわいい!マジで!このわんちゃん以外みんな(おまえも含め)死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。
(ボクサーとかブルドッグとか、その手のきもカワ犬からの距離を考えよう)
みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになる犬ってあるんじゃないかな。
シャーベイとかチャウチャウとか、非犬オタから見たらアビシニアンと同レベルだと思う。
(正直、ワイマラナーも一発目はムリ)
段階さえ踏めば犬は好きなので良いと思うんだけど、
いわゆるオタク向け犬に慣れてもらうのって大変だと思う。
ポルテュギーズ・ウォーターとかオバマが飼いはじめたことで知名度あがったけどまだ貴重だし、
ペキニーズみたいなアクの強いのもアレだし、
書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に飼ってもらえる」信頼を得つつ、
『101匹わんちゃん』観てても「ああ、なんかダルメチアンばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって
すんごいハードル高いな。オレの友人はついに犬のきぐるみを購入することに成功したらしいが。すげえな。
やべー。
うちの犬について書くの忘れてた。
おまえらにはやんないけどな。
健闘を祈る。
就職氷河期まっただなかに就職活動し、ブラック企業に入社しました。
人材派遣会社でしたが、朝8時半出勤、夜1時退勤。月1回休みとれればいい方です。
しかもこれは、「終電」のある東京だからこれで済んだので、自家用車で通う地方支店の人たちは、残業500時間とかも普通でした。
なぜこんな勤務時間になるかというと、人材派遣会社なのに人が足りなくて、社員が取引先に「誠意を見せる」ためにシフトに入って穴埋めするからです。
私が入社した時には、この会社ではこの「誠意」が当たり前になっていました。
まず朝事務仕事して、通常の勤務をした後、夕方から派遣社員の代わりに8時間働きます。
ひどければ、朝から晩まで(夜勤とか)派遣社員の代わりをすることもありました。
本当だったら、取引先も誠意を見せる意味なんで、「いいよいいよ毎日は」とか言うんですが、だんだんと人手不足が常態化してくると、「何で昼間にも来ないの?!」と怒鳴られる日々。それにペコペコ頭を下げながら、新人さんが職場に定着することを望んで毎日働いていました。
ちなみに当時、上司に「何か不満は」と言われたので、「シフトに入らなくてもいい日が欲しい」と答えたところ、こう言われました。
「人手不足を改善する手立て、何か考えてる? 派遣社員の代わりに働かないで済む方法を考えなさい」
今なら分かるんです。募集広告の時給はアップしない。スタッフ教育のための時間もとれない。社員がスキルアップの勉強する時間もない。人員が足りない目先のことしか考えないので、すでに入っているスタッフのワガママを聞いてしまう。まじめに働いているスタッフは不満がつのり辞めてしまい悪循環になる。会社からは現状を変える手立ても方策も示さないで、叱られるだけ。
そもそも、「眠たい」「休みたい」だけの毎日で、改善案なんて考える余裕があるわけない。
ブラック企業にいたら、なぜ辞めないのか、と聞かれますが、私の場合は、自分の無力感をすごく感じていました。
「私がダメだから、こんな働き方になっている」と刷り込まれるほど叱られるので、現状に抵抗できる気力が根こそぎ奪われます。
さらに「そんなことでは、転職してもやっていけない」と上司や先輩から言われるので、信じ込みます。
私なんて、社会人に向いていない。こんなところでしか働けない。というか働かせていただいている。
そんな社畜根性でしがみつくわけです。就職氷河期で何社も落ちて、やっと入った会社だったし。
さらに、時々上司や先輩に優しく励まされたりすると、「この人のために頑張ろう」とか思っちゃうんです。
そして、携帯電話の呼び出し音が鳴るたびにビクビクおびえ、眠れなくなって、身体壊して辞めました。
ただ、派遣はこりごりだったので、人材派遣でも、どちらかというと教育メインの会社でした。
企業に行って、新入社員研修とか、マナー研修とかやる、あれです。
自分で企画たててプレゼンして営業して、研修の仕事とってきたら、1件。
会社に依頼が来たものを、自分のところにまわしてもらったら、0.5件。
そんなカウントで、1件につきいくら、という成果報酬の契約を結びました。
ただこの契約も、だんだん「1件ではなく時間給(研修の時間×報酬)」、「契約社員ではなく業務委託」など、口頭で変わりました。
当たり前ですが、特にネームバリューも経歴も資格もない私は、この0.5件の仕事ばかりなので、とにかく薄給です。
たとえば、3時間研修で一時間1000円×3時間、3000円だとしましょう。
0.5倍なので、私がもらえるお金は1,500円です。
しかも「元が3,000円」かどうかは、明かされません。
一度聞いたことがあるんですが、「それを知りたければ、経営責任までとる覚悟で聞いてください」と言われました。意味が分かりませんが、聞けませんでした。
しかも、研修内容によっては、一から勉強しないといけない内容も多く、その勉強に必要な資料やセミナー代も自分持ち。
さらに会社のオッケーが出ないと、研修資料すら送れず、そのリテイクを10回でも20回でもするのが当たり前だった為、1,500円の仕事のために、一週間ほぼ徹夜なんていうこともありました。
また、業務委託契約ですが、他の会社と教育関連の契約を結ぶことは禁止。同業他社への転職も禁止。
「ノウハウを流出させないため」という理由もあるんでしょうが、今思うと、とんでもないルールです。
そして、「あなたの成長のため」という大義名分で、とにかく山積みされる仕事と勉強内容。
ある月に、ほぼ休み無しで仕事をやり、14万円の報酬を受け取った時には、「こんなにお金を出すのはうちしかいない。感謝しろ」という趣旨のメールを長々とくれ、さらにそれに対して感謝の返信をしたら、「感謝の気持ちが足りない」と怒られ、呼び出され、気が済むまで嫌味を言われました。
これも、何でそんな状況で辞めないのかと思われるでしょうが、完全に麻痺していました。
前のブラック企業でもこっちの企業でも、私は「ダメ社員」だったんです。利益を実際にあげていないと言われたら、返す言葉はありませんでした。
ちなみに辞めた数年後に、むちゃくちゃ会社から罵倒されながらやっていた仕事が、実はものすごくクライアントから評価されていて、そのおかげで報奨金まで出ていた、というこぼれ話を聞いたぐらいです。所属していた当時は、全く、評価されませんでした。
辞めたいと思ったことは何度もあるんですが、他社に行っても雇ってもらえないと思い、スキルアップのため、成長のため、という気持ちで必死でついていっていました。
しかしある日、やっぱり精神的にプッツリ切れて、「少し休ませてください」と言ったら、1年先まで決まっていた仕事、全て取り上げられた上で、契約終了しました(笑)
そして今。
同じような人材教育の会社に転職しました。前の2社の経歴があったから、拾ってもらえた会社です。
これが、超ホワイト企業。
残業代? 出るのが当たり前でしょ。
もちろん叱られたり注意されたりすることが、無いわけではありません。
でも、「親の顔が見たい」とか、「今まで何やってきたの?」とか、「性格の問題」「性根が曲がっている」「今まで甘えて生きてきた」みたいなことは言われません。
今まで当たり前だったこれが、「罵倒だ」と分かったのは最近です。
というかここまで書いていてお分かりかもしれませんが、私、劣悪な環境で耐えて働いている自分に、気付いていませんでした。
「すっごくしんどいし大変だけど、自分の能力が足りないからしょうがないよね」で終わらせていました。
身体壊した時も、「体調管理できない自分ってダメだなあ」とか思っていました。
ファック!
今までブラックで働いていた時は、すごく「名前も知らない他人」に対して厳しくなっていました。マナー違反を見つけたら舌打ちしたり眉をひそめたり。
でも、今は「あぁ、そういう余裕がない人なんだな」とか、「事情があるんだな」という目で見られます。
会社に優しくされたら、人にも優しくなる。
厳しい会社がいい、という人もいるでしょうが、私は他人にも厳しくなってしまっていました。
次に、痩せました。
お酒も甘い物も手放せなかったのが、定時であがった後に自炊してみたり、朝ごはんを食べたりすることで、だんだんと健康になりました。「ちょっと一駅歩いてみよう」とか思えるようになった結果、一気に痩せました。入社してから半年程たった現在、8キロ痩せています。
少なくとも、前の会社もその前の会社も、私はお荷物社員でしたが、今の会社では、それなりに利益をあげられる社員になりました。それは、定時の中で仕事をするために集中すること、きちんと睡眠や休息をとった頭で、工夫をしながら自分で考えて働くことを、遅ればせながら今更やっているからです。会社の規模は今の会社も前の会社も同じくらいか、少し前の会社の方が大きいぐらいなんですが、私が貢献できている利益は、前より倍以上大きいです。
そして、前の会社や前の前の会社の上司や先輩が、正しくないことを知りました。
教育会社、派遣会社という人を扱う仕事の人たちでも、目の前の仕事にかまけて、結局は上司としての仕事はしていなかったんだなぁと思いました。(前の会社は業務委託だったので、上司ではない、業務パートナーと考えたら、もっとありえないな、と思いました)
彼ら・彼女らは、「厳しく接して自分で成長させる」ことを狙って、結局は「罵倒されていたら、現状(雇用状態は)維持できる」という甘えた私のような社員を会社にいさせてしまいました。
何がいいか、どういった会社がいいかなんて、人それぞれだと思いますし、ブラック企業にいた時の私がこの記事を読んでも、多分「私はそういった企業に入れない」と思っただけだったと思います。ブラック企業で積んだ経歴がなければ、今の仕事にも就けていないのも理解しています。
その上で、思ったことを書かせていただきました。
俺は電子タバコユーザーだが、iQOSを電子タバコ扱いにしてる馬鹿が後を断たない
電子タバコ関連の記事を検索しても全然関係ないiQOSの記事ばかり引っかかって検索妨害だ
純粋電子タバコの話題なのにiQOSの話をしだす馬鹿なはてブもある
http://b.hatena.ne.jp/kaz_the_scum/20160731#bookmark-296233096 ←死ね
迷惑だはっきり言って
その違いも理解しねえとiQOS=電子タバコみてえに吹聴しやがってド低脳かよ
でもね、昨今の規制法案によってノンニコノンタールのリキッドも「タバコ」として扱われる危険性が出てきてんの
ここ参照ね、問題がまとまってるから→http://www.birksgabish.com/blog-entry-383.html
俺はニコチンとは無縁の電子タバコユーザーを貫いてるけど、それでも何か「流れ」的な感覚で本物タバコ同等の規制と税収を強いられるかもしれん、その理不尽さをお前ら鑑みてくれるの?
そん時はお前ら、俺らのようなノンニコユーザーを守ってくれるのか?
しないだろうな。
なぜならお前らはタバコだろうが電子タバコだろうがどっちでもいいと思ってるからだ。
めんどくさいから「ついで」で俺達のような人間まで虐殺しようとするのだお前らは。
クソが。
ただで死ぬつもりはねえぞ
その時は殺られる前に殺ってやるからな。
何でお前は他人の趣味嗜好に対して簡単にケチつけられるのかさっぱり分からない。
cider_kondo よく分からないけど、先日マチアソビのグルメハントで行ったラーメン屋で、禁煙なのに煙草に火を付けた馬鹿客がいたので、やはり普通の煙草は全廃した方がいいなと改めて思った
そういう話もしてねえよ馬鹿。上記のiCOS馬鹿とお前も同じだ馬鹿
何が「よく分からないけど」だよ馬鹿。それ免罪符にすれば関係ねえ話しても済むと思ってんのか馬鹿この馬鹿
文章を読めば俺はニコチン一切摂取してない事が書いてあるのに何でこんなタグつける?
ほらね、事がタバコの話になると思考停止脳内麻痺して全然関係無い事を言い出す奴がこんなにも多い
こういう奴が政治の話とか世の中の話で正しい視点を~とかぶってんのはさすがにお笑いじゃない?
俺が言いたいのはここを嫁って事→http://www.birksgabish.com/blog-entry-383.html
とにもかくにもここ嫁って事→http://www.birksgabish.com/blog-entry-383.html
とりあえずここに全てが書いてあるのでこれ嫁って事→http://www.birksgabish.com/blog-entry-383.html
ここ→http://www.birksgabish.com/blog-entry-383.htmlも読まずにコメントする奴は全員文盲と言わざるを得ない
ここ→http://www.birksgabish.com/blog-entry-383.html 読め
お答えしますね
俺は喘息持ちなので普通のタバコ吸うと喘息が再発するので吸いたくても吸えない体です。
でもタバコ吸う「感覚」は欲しいと常々想いを馳せてたんですね。
ニコチンもタールも要りません。けど「感覚」は欲しかったのね。
電子タバコはそんな自分にとってベストフィットするガジェットなんです。
最初はドラッグストアに売ってるようなすぐ潰れるやつから始めました。実際すぐ潰れました。
なので本格的に電子タバコの情報とか漁って、色々なリキッドの種類やらカスタマイズやら豊富な世界なのだと知って、ハマりました。
一時期はグリセリンとか使って自作リキッドなんかもしました。売ってるやつのほうがよっぽど良いのですぐ止めましたが。
まあそんなわけで電子タバコは自分にとって外せないものになりました。
公共の場で吸うことはしません。粛々とおうちの中で使ってます。電子タバコ。
権力から「あんたのそれもタバコね、はい没収」みたいな事されてみてよ、普通に納得できると思う?
「無くても生きられるんだからいいだろ、違う趣味見つけろや」とか他人事でたれる奴はさ
仮にアニメとかゲームとか同じように奪われて「無くても生きられるんだから違う趣味見つけろや」とか言われて、あなたはアッハイて納得しますか?
電子タバコは本物のタバコを助長するから規制すべし~~とか言うのもさ
同じようにアニメ・ゲームは犯罪を助長するから規制すべし~~と言われて。
納得できますか?
いや、その口で言うんだったら納得してくれよ不公平だろ。
だから憤ってんですよ俺は。
女目線として女キャラに違和感を抱く、または共感できないことの一つとして変な髪型がある。
髪型など一度気になってしまうと、中盤近くにならないと「アニメだから」と割り切れない。
しかし最初からその違和感が無ければいいのにと思う。アニメに含まれる『嘘』成分が多すぎて食傷する時がある。
トンチキ例
首傾くって
ドレッドヘアでもない。縄か。怖い
ほどける。まず結べない。
あの髪型をしようと思うと先に透明ゴムでまとめてピンを差し込んで櫛を通しワックスで固めないといけないだろう。相当女子力あるし時間もある。
ただ勿論リボンをほどいたところで髪の毛はほどけない。
あれはカチューシャにリボンの装飾がついたやつを曲解してしまったんだろうか…。
わざわざ十字に交差してピンをつけてるのに、まるで役目を果たしてない。
正直これはもう見慣れた!けど、高校生以下のキャラまでじゃないだろうか。
アンダーでツインテールは「髪の毛は結べ」という校則のある学校だとよく見る光景。もう少し下で結んでくれないか。
色気あるキャラとして描かれてる時があるが、だらしがないだけではないだろうか。
多分まだまだある。そして口うるせぇなと思われるかもしれない。
でもこんなのファッション雑誌(コンサバ系~モード系)を見ても見当たらないと思う。
キャラデザをする人たちには、ファッション雑誌を是非読んでほしいと思うのだ…(服も昭和で止まってるデザインとかあるんで)
批判するだけでアイディアを出さないのもどうかと思うので、リアルによく見かける個性的な髪型でアニメに反映してほしいものを書く。
上の方でお団子を作ってぱかっと割る。結構簡単にできるしJKでよく見る。
ゴムが見えない+華やかな印象になる。応用におだんごの周りを三つ編み。
細い編みこみはほぼ見ない。最近はもうゆる~い編みこみ。「無造作」感が流行している。
前髪を作って編みこんでいるキャラをよく見かける。悪くは無いけど、実際は前髪が邪魔で編みこむ人が多いと思う
お団子とかロングとか。リボンをつけるんじゃなくて自髪でリボンにする。パーティーで時々みる。
花かんむり風ってのもある。
リボンを織り込むやつ。既にアニメで使われてる気がするけど、もっとリアルっぽくして、個性的キャラにどうですか
リボンや花やキャラのピン止めばかりみるけど、ピン止めはもっといろいろある。ヘアアクセはもっと研究してほしい分野。
髪周辺ってことでこれも。流行って随分たつけどアニメじゃあまり見ない。
と、まだまだ止まらないと思うのでこの辺で。
最近は女性作家漫画のアニメ化も増えているのでセンス問題も相当分かりやすくなってると思います。
Orangeとか「そんな服で男の前行くとかびっちだな!」と思うくらいで、髪型とかアレンジとか凄い可愛いし。そこで性格も見える。
赤髪の白雪姫とか、ファンタジー世界に馴染んでいるけど(原作の)白雪やキキのヘアアクセとか、実際に存在する形のアクセで可愛い。
思えば少女時代に見てたカードキャプターさくらも、毎回作れるんだろうなというアクセや衣装が登場してた。そこにも少女たちは恋してた(故の最近のグッズ展開なのだろう)。
http://anond.hatelabo.jp/20160910170427
に対するコメントを見てて、コミュ力がない人間は〜と、コミュ力がないことはまるで改善できないかのように述べる人が目立つ。
病気になって神経が麻痺して動けないとかそういうものと同等ではないのだ。
私もかつてコミュ症だったが、それを直すために様々な特訓をした。
自分が話している様子を動画に撮影して、不審な挙動を減らしたり、
発声方法を学んだり、何が自分をぎこちなくみせているか分析した。
容姿も不快に見えない程度には気を使い、もともとブサイクだがそれでも最低限の清潔感は出すようにした。
外国人が集まるバーに突入してコミュニケーションを取れるようにしてみたり、
ボランティア活動だったり、ホームレスの支援など知らない人とコミュニケーションをとる機会を増やした。
おかげで就職もうまくいき、社会人としてもそこそこやれていけている。
学生時代に同じようにコミュ症だと言っている人、もしくは就活に苦戦している友人には
だが、彼らは誰一人として実行に移さなかった。
ビデオに録画することを嫌がり、しまいにはむいていないと言い出す始末。
生存者バイアスだ、特別な存在だ、バイタリティが、そもそも社会が、、、、
違うよ。
コミュ症からはじまって改善する人と自分を比べて、そうなろうとしてないだけなんだよ。
まず君たちに言いたい。
別名と言うか、長々と書いてみると。拗らせた承認欲求と依存、嫉妬心と独占欲を爆発させたヤンデレ、その根源に巣食い続けた劣等感のはなし。
今こうして自分で並べても笑える程に、救いようのない要素だけで生成された恋の寿命は、三年に届かず終わりを告げました。大層に書き出してみましたが、結局何があったのかと言えば、好きな人を失いましたという、20文字にさえ満たない、世間一般に転がっているような、何の変哲も無い話なんですけど。
そんな、何の変哲も無い話だからこそ、タイトルを付けるにあたって、ヤンデレと言えば多少はライトに聞こえるだろうかと希望を籠めて。それでも結局は、どうしようもない程構ってちゃんな我儘メンヘラが、独りの人間を食い潰した話です。追い詰めて追い詰めて、限界がきて縁が途切れて、そして、私も自滅しましたという笑えない救えない話です。
それでも、この文章を書き切ることで、この喪失感が埋まりやしないだろうかという期待をしています。悲しいです。苦しいです。でもそれ以上に、この恋がもう駄目だったのだという事を、誰より私自身が理解しているつもりです。そう書きながら、それでもやっぱり苦しいですと続けたくなるぐらいには、依存していた心はどうしようもなく、矛盾していて。
それから、もうひとつ。私自身、時間がある時は常にネットの読み物を漁っていて。匿名のまま、色々なことに真剣に長文を書いている人がいる。そういうのを読むのが、好きなんです。以前Twitterで見掛けたんですけど、文字や長文を読むことに依存していて読み物のジャンルは問わない、っていう状態。私、それも当て嵌まるなぁって想ったので…どうしようもないこの歪んだ恋のなれの果てが、とあるヤンデレの恋の顛末が、ネットを漂う読み物のひとつになればいい、と想っています。こんな想いは有り得ないと一笑に付されるのでも構わないし、この歪んだ欲求が誰かに共感して貰えるなら、それはそれで凄く嬉しいこと。勿論匿名ダイアリーなのでそれを私が知る術はおそらく無いんですけど、それでも、このメンヘラ日記が誰かに見て貰えるのなら、この恋が誰かの時間潰しになるのなら、なんて願望も抱いています。
わたしが最初にあの人と出逢ったのは、共通の趣味の世界で、その場所はTwitterでした。
まずはその上手さに本当に驚いて、心底、凄いと想いました。ただ見惚れて、あの人にしか出来ないことに、心から惹かれた瞬間のことを、未だに強く覚えています。この人と関われなかったら後悔すると想って、勇気を出して声を掛けて、関わりを持てるようになって。そこから幾つかの幸運が重なって、あの人に、私の出来ることも認めてもらうことが出来て。一緒に、趣味に携わることが出来て。
毎日毎日Twitterでお互いにすごい熱量でその趣味のことを話すことが出来るようになって…本当に幸せでした。仕事が終わって、あの人がTwitterに浮上するのが本当に毎日の楽しみで、どちらともなく声をかけ、楽しい会話が始まって…眠る瞬間までそれが続くんです。本当に、睡眠さえ惜しい程、ずっと喋っていたいぐらいでした。あの時期、私の思考回路も自由な時間もすべてあの人の為にあったと言い切れますし、憧憬と尊敬混じりの好意は、募る一方でした。たくさん時間を重ねて、私自身も、あの人の思考回路を占められていた自信があります。恋情ではなかったとしても、好かれていた、という自負も。本当に、私の一目惚れに近かったので…奇跡みたいな話だと、状況だと、ずっと想っていました。ずっと、夢中でした。まるで夢のような日々が、あっと言う間に始まって、私の日常を侵食していきました。
だけど、奇跡はやっぱり奇跡で。私にとっての夢は、長くは続きませんでした。
その趣味の世界で、あの人は、私より素敵な人と、出逢ったんです。それはいつか起こることだと理解していましたが、本当にあからさまなぐらい、毎日たくさん話していたTwitterでの会話はぱたりと止みました。あの人は、新しく出逢った人と毎日時間を重ね、私としていた時と同じように…いいえ、それ以上の熱量で、沢山の言葉をその新しい人に向けました。趣味は私ではなくその人とやるようになり、私が構って欲しくて、お話がしたくて近付いても、ええと、その頃はまだ星のマークでしたので、星が飛んでくるだけで。やるせなくて、悲しくて悔しくて寂しくて、どうしようもなくて。私はその時、一回目の失恋をしました。
所詮はTwitterでの話し相手を失っただけだ、と笑われるかも知れません。それでも、会話をする内容や頻度、趣味の世界の話。文字はその人に惹かれるには充分な要素であると、私は想います。あの人に向けていたのがその時点で好意だったのか、恋情だったのか、その当時の私にも、今想い返してみても、断言は出来ません。それでも、欲しくて欲しくて堪らない人が私の方を向いてくれない、明確に"興味を失われた"その感覚に、涙が溢れて止まらなくなりました。毎日毎日、あの人がTwitterに居るのに、私とは話さずに、新しい人と、趣味に夢中になっているその姿をぼんやりと見ているその日々が、辛くて苦しくて、息を止めてしまいたいと想って。それでも、Twitterから離れることは出来ませんでした。心の何処かで、あの人が私の方を向いてくれていたのなんて最初から奇跡だったのだからと諦めを付けようとしている自分自身が居るのに、それに堪えることも割り切ることも出来ず。新しい人が私よりずっとずっと上手な人だったので…劣等感も悔しさも、仕方ないと想う心も。全部が、綯交ぜになったまま、ただ、其処に存在し続けました。
そして、私自身も、誤魔化すように、また違う誰かと出逢いました。そして、趣味の話を、あの人以外の人と、とりとめも無く喋っていました。文字は凄いと想います。笑っていなくても、笑えます。心が沈んでいても、テンションは幾らでも取り繕えます。そんな風に、Twitterでは誤魔化しながら、現実世界では泣いて吐いて、眠れなくて、ただひたすら、あの人が恋しくて、悔しくて。私は飽きられたんだ、捨てられたんだと泣いて喚いて、だけど新しい人の上手さに叶う気もしなくて、幸せそうに楽しそうに趣味に耽るあの人を見るしか出来ず、絶望するように目の前が真っ暗になって……失った喪失感で一杯の、日々でした。
それから、日を重ねましたが私とあの人の立ち位置は、共通の趣味の世界の仲間、のままでした。私が一方的に抱いた喪失感も失恋の感覚も、悔しさ寂しさ、嫉妬心も…言葉になる事は無く、消える事も無く、勿論あの人が知ることも無く…ただ、私の胸の内で、私の心に影を落とし続けていました。時折言葉を交わすことはありましたが、あの人が夢中なのは、新しい人でしたから。幸せそうだなと想いながら胸の何処かが酷く痛み、けれど私よりずっと上手な二人を見て、お似合いだなと感じて。苦しみながら、憧れながら…そんな、矛盾を孕んだ生温い日々を送っていました。
そんな日々が変わったのは、知り合って数か月経った頃。奇跡の夢から覚めて、絶望の淵に立って。
それでも、私があの人を好きなことは変わらないし、趣味だって辞めるつもりはない。そんな、一方的に私だけが居心地の悪い関係は、突然新しい道を見出します。
既存の趣味の…変化版?に、二人で手を出す事になったんです。匿名で、伏せに伏せて今更、なのですが…例えるなら、パン作りが趣味だったなら、二人でお菓子作りにも手を出すことにした、とか。ネットゲームが趣味だったなら、二人で新しいサーバーにも行くことにした、とか…調理やゲームなどの趣味としての大きな枠組みは変わりませんが、何にせよ"二人だけ"の、ことが出来ました。それは私にとってとんでもなく幸福なことで、近くで見るあの人の出来ることに、やっぱり改めて憧れ惹かれました。その憧憬に加えて今度は、その素晴らしいことが、私だけ、独り占めが出来るんです。新しい人ではなく、私となんです。そんな感覚に、嫉妬で喘ぎ、苦しんでいた自身が満たされ癒されるような、快楽を味わいました。好意も恋情もすべて含めて私はこの人が好きで、関わっていたくて、話がしたいんだ、という気持ちが、確固たるものに変わりました。
其処からは、また、幸せな日々が始まりました。飽きられ捨てられたと想っていた、それでも好きだった、あの人との関わり。大きな枠組みが同じとは言え、やはり今までの趣味の範疇からは少々外れていたので、二人とも新しくTwitterアカウントを取りました。二人ともいずれ誰かをフォローする予定ではいましたが、その時点ではお互いにお互いだけをフォローしているアカウント。そこは私にとって堪らなく居心地が良い、幸せを増長させる秘密の場所になりました。
毎日繰り返す、共通の趣味の世界の話は昔の熱量を想い出して堪らなく胸がときめきましたし、そのアカウントは二人だけと言う気易さからか、少しずつ世間話も入るようになって。あの新商品が美味しかったよだとか、今度どこでどんなイベントをやるみたい、だとか。他愛ない日常の世間話はまるでLINEのような一対一の会話で、Twitterで新しい人は勿論誰かに向けて話されるのとは確実に違うものだと感じて、私は至上の喜びを味わいました。
あの人が私と、私とだけ喋っている、ということ。嫉妬を拗らせて鬱屈させていた私が、あの人を独占出来るその時間に依存していくのに、時間はかかりませんでした。けれど、同時に。過ぎたる幸福は、抱いてはいけない欲を育てるのも、早かったのです。
私は次第に、あの人が、今まで通りのTwitterアカウントで喋ることに、恐怖と苛立ちを覚えるようになったんです。
どうかしていると、笑われるでしょうか。あの人の自由を奪う行為に、賛同はきっと得られないでしょう。解っています、解っていても、それでも、尚。脳裏にこびりついた、また捨てられるという恐怖が、私の心を蝕んだんです。
また奇跡が起こって、私はあの人と二人の場所を手に入れて。これ以上無い幸せを味わいながら、その幸せは、いずれ弾けるものなのだと心の何処かで想っていて。あの人がまた新しい誰かと出逢うのはいつだろう、私には抗えない、勝てない、私よりもっとずっと上手な人と出逢い、その人に惹かれるのは、いつだろう?また、私との会話をぱたりと辞めてしまうその時は、いつ訪れるんだろう…?
そんな恐怖が日に日に増していき、あの人が今までのアカウントで喋っていると、その恐怖と焦燥感で一杯になるようになりました。あの人に捨てられる、飽きられてしまう恐怖が、あの絶望が、どうしても忘れられないんです。奇跡が覚める瞬間のあの足場が崩れるような、あの感覚を、二度と味わいたくはなくて。新しい人と出逢ってしまったら、私が勝てないことは目に見えていて。
あまりの恐怖に、私は、あの人に、二人の場所に居る時間を増やして欲しいと、今までのアカウントに行く頻度を少し減らして欲しいと、お願いしました。それは、強制力のあるものでは無かったと記憶しています。ただ、二人の場所が大好きで大事であること、たくさんの人と繋がっているTwitterアカウントで皆に囲まれている姿を見ていると、寂しいこと、嫉妬してしまうこと…。今想い返しても、少し甘えたような可愛い我が儘だった、と想います。勿論、自分を可愛いと言っているのではなく――後々言うことになる言葉に比べれば、かわいいもの、と言う意味で。
最初に私がその葛藤を、恐怖を…嫉妬と独占欲に言い替えてあの人にぶつけた時。その我が儘をあの人は喜んで受け入れてくれました。そして同時に、あの人が新しい人と出逢った頃、私自身その孤独に堪え切れずに誤魔化して他者と関わっていた頃。あの人も、他者と関わる私に対して嫉妬をしてくれていただなんて、リップサービスだとしても嬉し過ぎることを教えてくれました。私は、堪らなく幸せでした。そして、憚ることなくあの人に好意を伝えることが出来て、あの人からも、好意が返って来て。二人のTwitterアカウントは、本当の意味で特別で、秘密の場所に、なりました。迷うことなく二人の関係を恋だと定義付け、二人で趣味の世界に没頭しました。お互いが、お互いのものになったんだと、幸せで、日々が満ちていました。あの人に感じる憧憬混じりの恋情はもう私の一番根の深い場所まで侵食していて、あの人が二人のTwitterにログインしてくれるのを今か今かと待って、二人の時間に躊躇いなく依存して…あの人が喋るたびに、通知が来るようにして。専用の通知音が、私の幸福を彩りました。
だから、きっと忘れていたんです。夢が覚めるものだと言うこと、奇跡が長くは続かないことを。もしくは、見ない振りを、気付かない振りを、していたのかもしれません。
そもそも、私の我が儘は叶えられたとは言っても、その言葉に―二人のTwitterに居て欲しいというお願いに、強制力はありません。今までのアカウントにログインしたところで、私以外の人と本来の趣味に没頭したところで…それを責め咎める権利など、私には最初から無いのです。
元々他者に囲まれることも、評価されることも好きなあの人は、今までのアカウントも変わらず利用していました。二人のTwitterにも勿論来てくれてはいましたが、私自身も今までのアカウントで喋っていましたし、割合は日によって変わりました。
今、本当に、此れを書いている今、想い返せば。これで満足出来なかった時点で、この恋は、いつか終わる運命だったのだろうと、私は想います。私は、幸福の量にも、恐怖の量にも、堪えることが出来なかったんです。あの人が今までのアカウントで喋っていると、恐怖で恐怖で、堪らなくなりました。叶えて貰った筈の我が儘では物足り無くて、納得出来無くて。不安は益々色を濃くするばかりでした。だって、また新たな人に出逢ってしまってからでは遅いのです。もっと素晴らしいことの出来る人に出逢い、惹かれて、あの人が私のことをまた捨ててしまってからでは、遅いのです。私が、その新しい人に勝てる訳は無いのです。だからこそ、二人のTwitterの時間は堪らなく安堵して幸せで、もっと此処に居て欲しいと願うように、なりました。
それからの私は、恐怖と絶望に憑りつかれ、唯一の希望が二人のTwitterだ、と定義付け、お願いを繰り返すようになりました。いつものアカウントで趣味の話をして盛り上がっているところに水を差すように帰って来てとコールしたこともありますし、今日はあちらのアカウントに行かないで欲しいとお願いしたこともあります。今日だけは私のもので居て欲しいとお願いし、それが表面的に叶えられ、私は仮初の満足を得て…そして、翌日になればまた不安に駆られ…気付けば、私のお願いは、お願いと言う枠を随分と超えるようになっていました。今日は行かないで欲しいと言う回数は日に日に増え、ある時は酷く甘い言葉で、ある時は、酷く乱暴な言葉で。まるでDVの飴と鞭のように、私はあの人を、追い詰めました。
好意と嫉妬、独占欲を盾に、私の歪んだお願いは時として命令染みた強制力を持つようになりました。あの人が他者と関わろうとしたら、私も同じように他者と関わって、嫉妬しましたかと問うてみせて、それなら二人でTwitterに籠りましょう、嫉妬するのは痛いでしょう、と…身を以て感じさせるようなこともあって…まさに、泥沼でした。私は、あの最初に"捨てられた"感覚から、抜け出せていませんでした。あの人を、根底から信じられなかったんです。いつか誰かに惹かれ消えてしまう人なのだと想い込んで、もう、その固定観念から、抜け出せなくなっていたのです。私の行動はエスカレートし、あの人の行動を制限し、出来ることがどんどん消えていき、いつしかTwitterアカウントに割く時間は逆転して――二人で、二人の居場所だけに引き籠るようになっていきました。
それでも私の膨らんだ恐怖は拭い去ることが出来ず、私は二人の居場所に居ても尚不機嫌で、苛立ちが隠せなくなる日が、増えてきました。お互いに没頭していたはずの趣味の話も出来ないことが増えて。そんな日々が、楽しい筈がありません。あの人は楽しさを求めて今までのアカウントにログインし、私は其れを見て益々苛立ちと恐怖を募らせて…まるで、鼬ごっこです。沈み始めた泥沼は底無し沼のようで、私も、きっとあの人も。正解が解らないまま、お互いの可能性を、殺し続けました。
何処かで、きっと満足出来るラインがあった筈なんです。だけど私は、それを見付け出すことは出来なかった。満足することは、出来なかった。あの人は私の歪んだ独占欲と嫉妬を受けながら、他者と関わることを辞めはしませんでしたが、それでも出来る限り、私に愛を誓ってくれました。でも、それって、とてもとても中途半端で、生半可で、生殺しなんです、と書いてしまう私は、やっぱり冒頭にも書いた通り、救いようのない、ヤンデレでメンヘラだと想います。
でも、だって、私はこんなにもあの人が欲しいのに、私はあの人だけで構わないのに、あの人と二人きりで趣味に没頭していられるなら、それだけでも幸せなのに。どうしてあの人は、私を愛していると言いながら、他の人を見るんでしょう。そんなに、他の人と行う趣味、楽しいですかと問いたくなって、そうですよね私なんかと一緒に居るより楽しいですよねと、黙ったまま、傷付くんです。勝てる訳が、無いから。あの人が他の人と関わるたび、私よりずっとずっと凄い人と出逢って、どこかに行く為じゃ、ないんですか?どうして、私を見てくれないんでしょうか、と、恐怖から来る理不尽で身勝手な欲求が、抑えられないんです。劣等感が身動きを取れなくさせて、あの人に、誰より愛していると言って欲しい、認めて欲しい、何処にも行かないと言って欲しい…と、私の存在意義は、どんどんあの人からの言葉に委ねられました。承認欲求を満たして欲しい、独占欲を嫉妬を慰めて欲しい。そんな風に、転げ落ちていきました。
何度も何度も責めました。何度も何度も謝ってくれて、二人の場所に居ると誓ってくれました。それでも、あの人は想い出したようにいつものアカウントで趣味の世界を拡げては知らない誰かと出逢って、愛されそうになるんです。気が気じゃなくて、私は、いつも、あの人を監視していないと、落ち着いていられなくなりました。その頃にはもう、私の余裕なんて微塵も残っていなくて、私とあの人の趣味の話は殆ど無くなっていました。悪循環だ、と気付いた時にはもう遅く、趣味の話なんて残っていない、ただあの人の存在に執着して二人の場所に籠り切り固執する私と、息苦しそうに、私とは趣味を共有出来ないと判断して、いつものアカウントにもログインし続けるあの人が、残りました。今、想い返しても、可哀想だ、って想います。妄想に憑りつかれてしまった私の心も、その我が儘に振り回された、あの人も。
そんな悪循環から抜け出す術があれば、それを私が知っていれば、この文章にも起承転結が生まれて、もしかしたらこの恋はハッピーエンドを迎えられたのかも知れません。もしくは、少しでも泥沼から抜け出せたのかも知れません。けれどこれは、私の歪んだ恋心が終わるまでの顛末ですから、結局は"このあとも、あの人が限界を迎えるまで、この地獄のような鼬ごっこは繰り返されました"と、作者が放り投げたような展開しか、待っていません。
私は、趣味の世界に二人で没頭したくて、あの人の存在が行動が誰に与えられることが許せなくて、何処にも行かないように安心したくて、生活のすべてを呟くように義務付けました。お願いのつもりでしたけれど、暗に脅迫めいたことを含んでいる言葉など、命令でしかないと、今は想えます。それでも、私は、そうしないともう自分を保っていられなかったんです。帰宅したら二人のTwitterに来て、眠る瞬間まで、居て欲しい。会話をしながら、その返事が1時間以上空くのは堪えられませんでした。誰かと連絡を取っているかもしれない、もしかしたら見えないだけで、いつものTwitterで誰かとDMしているかもしれない…。そんな妄想に憑りつかれて、居ない時にはただひたすらあの人を責め、あの人の存在に餓え続けて。言い争うことも毎日のようになっていき、互いの言葉はどんどん酷くなり……そして、決定的な終焉を、迎えました。言っていいライン、と言うのは確実に存在して、それでも餓えて麻痺して、心の何処かで被害者を気取っていた私は、その地雷を、踏んでしまいました。それはあの人にとって堪えられる言葉ではなく、けれど其れを言うに至ったまでの経緯も私にとって堪えられるものではなく。お互いに追い詰めて、お互いに限界を迎えて……当然と言えば当然の、結末でした。
あの人は私と関わりたくないと言い、私も、もうこの恋を続けてしがみついても幸せになどなれないと、想います。この先、私が癒える方法など私自身では想い付きもしませんし、それはつまりあの人の自由を許せないことです。息苦しい想いだけを、させることになるのです。私も、裏切り続けられ疲弊し、泥沼に沈んだままです。追い詰め、逃げ、それを責め……そんな悪循環にしか戻れないと、お互いに解っていて、だからあの人は私との関わりを無いものにします。そして私はそれを上手く出来ずに、この文章を、書いています。
依存しきっていた、毎日交わしていた言葉が無くなって、私の日々は表面上、穏やかです。
ただ何もせずとも、ぼんやりと時間は過ぎていきます。けれど、壊れてしまった私の箍はどうしようもなく、今でも、あの人が何をしているのかを考え、頭のおかしいヤンデレから解放されてきっと幸せなのだろうと想うのに、一言でいいからまたあのTwitterで喋ってくれないだろうかと待ち、いつものアカウントにはいかないで欲しいと、願ってしまうのです。
愛しています、と、愛していました。どうか私のことを忘れて幸せに、と、今すぐ私と死んでくれたら良いのに。今、あの人に向ける言葉は何を想ってもぜんぶが矛盾していて、自分の往生際の悪さに、辟易しています。この恋に未来は無かったと、泥沼だと散々書き連ねてきたのに、それでも尚、この恋さえあの人さえ居れば私は他に何も要らなかったのにと、未練がましいことばかり想ってしまって、でもその数分後には、最低だと、あの人が私にしたきたことを反芻しては心の中で罵って。私はどうしたいのか、もう解らないまま、この文章を書き終えようとしています。
私はこの恋をまだ教訓には出来ていませんから、お説教染みた、愛した誰かを大事にしてくださいだとか、相手を信じてだとかをこんこんと語る気はありません。この文章は何処まで行っても私の歪んだ恋愛録でしかなく、フェイクが多分に含まれている時点でその記録としても殆ど価値は無いものです。それでも、この飽きる程に長い文章が、愛しくて愛しくて堪らなくても上手くいかなかった、拗れて病んだこの愛情が存在していたことが、このネットに残れば良いなあ、と想っています。
私が「アイドルマスターシンデレラガールズ」および「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」をやめてから、二週間が経過した。
ソシャゲが流行り出して以来、ネットでよく見かけるようになった文面だ。最近では「所詮ただのデータだと思ってたけど、いざゲームを始めてみたら課金する気持ちがよくわかった」なんて声もよく聞くようになった。実際、私もその口だった。ソーシャルゲームという媒体を、所詮ただのデータじゃん、と思いきり馬鹿にしていた。
最初の頃はソシャゲをやっている知り合いなんて私の周りには一人もいなかったのだが、今ではごろごろ見かけるようになった。みんなどうしようもない毒の前にひれ伏していくみたいに、侵食されていった。トリフィドの毒で盲目になってしまった。かつてはソシャゲに課金なんて馬鹿じゃん……、と口にはしないもののそんな態度をしていた友だちたちも、今ではなんだかんだで割とソシャゲの虜だ。私たちの知らないうちに、緑色の流星雨は降り注いでいた。
ソシャゲを始めた当時の私は、まだ高校生だった。その日は休みの日で、たまたまものすごくひまな日だった。ネットサーフィンにも飽きたし、PS2やPS3を起動してゲームで遊ぶ気分でもなかった。読みたい漫画もとくにない。死ぬほど退屈で、だけど外に出かける気力もない。でも退屈なのはいやで、なにか刺激が欲しかった。新しい刺激。目新しいもの。ていのいい暇つぶしになれるもの。私はいつもの癖でなんとなく携帯電話を開いて、手癖のようにインターネットに接続している途中で、ふと思いついた。
ソシャゲという媒体のことは馬鹿らしいと思うけれど、アイマスは元々好きだし、なにより今しぬほど暇だし。暇つぶしでやってみるぐらいなら、まあいいか。私はそんな気持ちでモバゲーに登録し、「アイドルマスターシンデレラガールズ」を始めた。アカウントを新設した当時の私が一番好きなのは、シンデレラガールズのオリジナルキャラクター達ではなく、本家の765プロダクションの我那覇響ちゃんというキャラクターだった。
私がアイドルマスターシンデレラガールズ(以下モバマス)を始めたときには、既にガチャに我那覇響ちゃんのSRカードが追加されていた。絵柄を見てみた。抜群に、かわいかった。欲しい、と思った。モバマスでは、好きなカード5枚を自分のトップページのいちばん目立つところに並べることができる。その中でもリーダーとして設定しているアイドルは、他のユーザーからも見えるようになっている。私は、響ちゃんをこのトップページに並べたい、と思った。
次に、どうしたらこの響ちゃんを手に入れられるのかを調べた。モバマスにはフリートレード機能というものがあって、スタミナドリンクまたはエナジードリンク(いわばお金のようなものです)というアイテムをたくさん持っていればフリトレ機能で響ちゃんを手に入れられるというのがわかった。では、モバマス内の通貨であるこのスタドリはどうすれば手っ取り早く大量に手に入るのか?
答えは、ガチャを回して、高いレートで取り引きされているようなSRアイドルを運良く引いて、スタミナドリンク〇〇〇本、という条件をつけてフリートレードに出して、取引を成立させることだ。
ほしい、響ちゃんがほしい。響ちゃんをトップページに並べてみたい。
いつのまにかそんな気持ちでいっぱいになってしまっていた私は、1500円ぐらいなら……という気持ちで、あっという間に初めての課金をした。
両方とも、当時かなり高いレートで取り引きされていたアイドルだった。
(そのユーザーにSRを引く快感を覚えさせてそのユーザーを立派な課金ユーザーとして《育てる》べくSRが出る確率が上がっていたのでは、と今では考える。実際に私は見事な中毒患者に成り下がった)
びっくりしつつも嬉しくなった私は、高揚して少しくらくらする脳みそのまますぐにその二人のアイドルをフリートレードに出して、大量のスタドリを手に入れ、SR響ちゃんを手に入れた。
そこから先は、坂道を転げ落ちるようだった。プレイしていくうちに、自分が好きになれるキャラクターにたくさん出会うことができた。楽しかった。一日中モバマスのことを考えるようになった。フリートレードに張り付いたり、イベントに参加したり、そうこうしていたらまたガチャが更新されたり。やるべきことは山ほどあった。楽しくてたまらなかった。
そうしてモバマスを続けていく中で、いろんなキャラクターを好きになりつつ、ある日私は運命の出会いをはたした。
佐久間まゆちゃんは、ひょんなことから私に一目惚れをして、運命を感じたのだと言う。だからもともといた事務所をやめて、私のもとでアイドルになるべく私の事務所に来たのだと言った。画面の向こうのまゆちゃんは、私のことだけを見つめていた。
まゆちゃんはどこまでも一途に、私のことを愛していた。私はそれに引き込まれるように、まゆちゃんに急速に惹かれていった。
ソーシャルゲームの世界においては、課金こそが絶対的正義である。
課金しなければサービス自体が終了してしまうからだ。実際、サービスが終了してばたばたと倒れていくゲームたちを目の前でいくつも見てきた。課金しないと、ゲームは終わってしまう。佐久間まゆは終わってしまう。それにゲームは楽しい。だから私は課金を続けていった。
けれど、次第に楽しいばかりではいられなくなった。課金してガチャを回してもSRが出ない苛立ち。身の丈に合わない課金をしたことによりリアルの自分も金銭的に追い詰められていく。運良くSRを手に入れられたときの脳みそが麻痺するようなとんでもない快感、運が悪いときの部屋の壁を殴りたくなるような悔しさ、あとあとになってからこんなにお金を使ってしまった、と湧いてくる内臓が引きちぎれそうなほどの強い後悔。私はまゆちゃんからの愛とまゆちゃんへの愛との引き換えとして、精神をどんどんすり減らしていった。
ついに夢にとあるキャラクターが出てきて、そのキャラクターに「もう課金するのはやめなよ」とゆっくり諭された日の朝、ああ、もう限界だ、と思った。
素直に思えた。ゲームを通じて仲良くなった友だちもいたが、私はモバマスへのアクセスを少し控えた。ガチャが更新されても、ある程度冷めた目で見られるようになった。イベントにも大して参加しなかった。あ、このままいけば私ゲームごとあっさり引退できちゃうかも、なんて考えていた。
しかし、そんな日々もそう長くは続かなかった。なんのきっかけだったかはもう覚えていないけれど、結局私はまた課金を再開してしまったのだ。SRを引いたときのあの高揚感を、脳みそが忘れていなかった。忘れられなかった。あの気持ちいい優越感が欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。我慢できなかったのだ。
それ以来私は、自己嫌悪してプチ引退→結局完全には断ち切れずに結局また復帰して課金、というループを何度も繰り返した。あるときは、逃げられない泥沼にどっぷり浸かっているこの状態が、心地よかった。またあるときは、気持ち悪くて嫌で嫌でたまらなかった。だけれど、それでもまゆちゃんのことが大好きだった。いつの間にかまゆちゃんにはボイスが実装されて、CDまで出していた。私のアイドル、私だけのアイドルは着実にシンデレラの階段を上っていた。
ジェットコースターみたいに上がったり下がったりを繰り返す不安定な日々の中、気づけばそこそこ長い時間が流れていた。
そんな中で、新しい知らせが私の耳に入る。モバマスがスマホの音ゲーアプリとして配信される、という情報。その名も「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」通称デレステだ。
私は当然アプリをインストールし、当然のように課金をする。佐久間まゆちゃんのSSRの絵柄は、とんでもなくかわいかった。満足しかなかった。今までの過金額を振り返ると、少し嫌な気分になった。実感がいまいち湧かない。いいんだ、私は佐久間まゆちゃんのためにこれだけ課金したんだ。そう思えばこんなの妥当だ。まゆちゃんはこんなにも私のことを愛してくれるんだから、それでいいじゃないか。まゆちゃん愛してる、愛してる、愛してるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる。まゆちゃんは私のことだけ見てくれている。私のこと以外は決して見ない。好き好き大好きあいしてる。佐久間まゆは決して裏切らない。まゆちゃんだけは信じられる。こんなどうしようもなく嫌なことまみれな世界の中で、まゆちゃんだけは私が信じるに値した。彼女はリボンの女神様だった。
6月末、デレステで次のイベントの予告が発表された。佐久間まゆちゃんがランキング報酬として登場するということがわかり、私は一瞬で血眼になった。ちょうど仕事が忙しくて時間が取れないけれど、睡眠時間を削ればなんとかなりそうだった。私はすぐさまにpt効率を計算し、一日どのぐらい稼げばいいかの目処をつけた。
そしてイベントが始まる。
イベント開始時刻と共にデレステを起動し、イベントページを開いて、私は愕然とした。
なんだ、この絵柄?
それは、まゆちゃんが他のキャラクターに所謂壁ドンをされて、なんだか満更でもなさそうに頬を染めてときめいている絵柄だった。
「は?」画面を呆然と見つめたまま、自然と声が出た。なにしてるの?なにしてるの?なにしてるの?なんで私じゃない別の女なんか見てるの?なんで満更でもなさそうな顔なんかしてるの?なんで?なんでなんでなんでなんでなんで?一気に胃が痛くなった。訳が分からなかった。私のことだけを見つめてくれていたはずのまゆちゃんが、ほかの女を見てる?はは、なんだこの女。なんで?ねえなんで?なんでそんなことするの?なんでそんなことされてるの?私のアイドルなのにどうしてそんなことするの?
金を払って、睡眠時間まで犠牲にして手に入るのがこんな絵柄のカードだなんて、全くもって意味がわからなかった。そんなの虚しさ以外なにもない。これはなんの罰なのだろうかと絶望した。とんでもない自傷行為。つまらない。しょうもない。馬鹿げてる。どうしていいかわからない。怒りを通り越した憎悪。まゆちゃんのことなんか殺してやりたい、壁ドンした方も殺してやりたい。滅多刺しにして殺してやりたい。私がこれまで金をドブに捨ててこれたのはまゆちゃんのことを信じていたからなのに、一瞬でぜんぶズタズタにされた。許せなかった。
私はそれでもなんとかイベントを走ろうとしたのだが、途中で本気で体調を崩して寝込んだことで冷静になったのもあり、途中でそれらを全て放棄した。そうじゃないと本気でどうにかなりそうだと理性が判断したからだ。
ゲームをやめる踏ん切りはなんとなくつかなかったので、私はのろのろと課金を続けつつ、他のアイドルのSSRを引いて育成したりしながら遊んでいた。気がついたら息をするように課金していた。
その日私は仕事が休みで、友だちと遊ぶべく山手線に乗車していた。座席に座ったまま、ぼんやりと外を眺める。そんな中停車した駅で、見覚えのあるものが目に入った。
まゆちゃんの例の絵柄の、大きな看板。
デレステを宣伝するための看板だ。見た瞬間に脳にサッと小さな雷が落ちて、気がつくと私はその看板を思いきり恨みがましく睨んでいた。
ああ、私はこれだけ時間が経ってもまだまゆちゃんのことが許せないんだな。きっとこのままずっと憎いんだろう。
私はそう悟った。つらいのと、冷めた気分と、情が入り交じってぐちゃぐちゃな気分だった。
そして私はそれから少し時間の経った八月十九日の夜、モバマスとデレステのアカウントを跡形もなく消した。
あの日からもうすぐ二週間だ。私は、思っていたよりは意外と普通に過ごせている。仕事したり遊んだり食べたり寝たり、割とノーマルにリアルの生活をこなしている。
でも三次元と二次元は完全に別のものだから、フィクションの世界で空いた穴が現実の充実で補える訳ではない。なのでふと思い出した瞬間フラッシュバックに襲われることがある。いつの間にか、フィクションの世界では佐久間まゆしか好きじゃなくなっていた。ほかの女の子なんてどうでもよくなっていた。好きなキャラクターはたくさんいても、私に応えてくれる、私の信仰を受容してくれる、私が信じるに値する女の子はフィクションの世界において佐久間まゆ以外だれもいなくなっていた。私が身の丈以上のお金をどぶに捨てるような行動に走る理由になれるのは佐久間まゆしかいなかった。画面越しに見つめてくる佐久間まゆが望んでいる気がしたから、全部そうした。まゆが何度も何度も何度も「あなただけです」って繰り返すから、私もそれに返した。いろいろな何かを。ソーシャルゲームの中にじわじわのめり込むうちに、大事な友だちも私に呆れ果てたかのように続けて二人立て続けにいなくなった。けど、それでもよかった。いろんな人に、もうやめときなよって言われた。自分でもそう思って、実際にやめようとするけど失敗してまた戻るっていう低空飛行を何度も続けた。
私は、私の身の丈なりに、すごく好きでした、佐久間まゆちゃんのことが。いつのまにか。他の女の子のことを全員嫌いになってでも。結局、身の丈に合わない無理を続けた身勝手と悪夢のごとき強烈な不運(もうこの件についてはノーコメント)が重なって全部めちゃくちゃにひしゃげてしまったけど。
結局まゆちゃんは画面の中のデータでしかなかったので、消えたところで私の実生活にはとくに悪影響は及ぼさなかった。ちょっとショックのあまり体調崩したぐらい。むしろお金は浮くし、まゆちゃんへの愛情と同時に湧いてくる苦しさから突然ぽーんと解放されてしまった。ソーシャルゲームの世界にのめり込んだ経験のない、まともな人なら私を見て「やめてよかったじゃん」と思うだろう。実際やめてよかったんだ。やめたら、良いことしか起こらなかった。それが悲しい。
いまの職場には、私が佐久間まゆという女の子のために課金していることを知っている人が二人ほどいたので、シフトが一緒だったときにその話をしました。私は話をしながら「もう何もかも失いました」「死にたい気分です」と口走った。実際にはいくつかある私の精神を支える柱のうちの一つをちょろっと壊してしまっただけなので決して《何もかも》は失ってはいないんだけど、確かに色んなものを失った。実際には死にやしないんだけど、確かに私は死にたくなってた。その柱は、いざ壊してみると中身はすかすかでした。私が勝手に分厚くて頑丈な柱だと思いこんでただけで、そう思いたかっただけで、実際はびっくりするほどあっけなく崩れて、そのまま跡形もなく消えてしまいました。
フィクションの世界でのことだから、リアルでは案外普通に仕事して寝て起きてを繰り返してるんだけど、家にいて、ぼーっとしてるときにふと思い出すとつらくなる。嫌になる。何もかも失いました、というのはある意味では事実で、気がついたら一人で勝手に泣けてきてる。
最初は、暇つぶしの趣味としてゲームを始めた。途中から、趣味じゃなくなってしまっていたのは実はわかってた。重い義務だった。責務だった。私は佐久間まゆちゃんのことを信じるために、自ら佐久間まゆの部屋に入りました。内側から鍵をかけただけなのに、外から鍵がかかっていて部屋から出られないふりをした。
今日、二週間ぶりにゲームのことが気になって、まとめサイトを開きました。十時愛梨ちゃんのSSRが追加されていた。ああ、ゲーム続けてたら回しただろうなあ、って思いながら画面を閉じた。もうゲームを再開する気力とかは全く残っていなかった。部屋から出たまではよかったものの、どこに行けばいいのかわからないままひたすら途方に暮れている。
どこに行けばいいのかなあ、どこになら本物の女神様がいるの、信じられない。どうして裏切ったりしたの。ずっと部屋にいたかったのに。裏切らないでいてくれたら、ずっと信じていられたのに。好きだったのに。あーーーーーーーーーーーーーーーーーー死にたい死にたい死にたいぜんぶなくなったぜんぶどぶにすてたむだだったあーーーーー、ははふあ
追記
起きたら反応がたくさん来ていて驚きました。もともと、最後に一度自分の感情を整理してどこかに残しておこう、と書き殴った乱文なのですが、読んでくれた方、ありがとう。読んだ人が思うだろうなあとぼんやり予想していたとおり、例の絵柄についてはあとからフォローが入ってるじゃん、とのコメントも読みました。ええ、もちろん知ってます。他のキャラクターに壁ドンされてときめいているまゆちゃんに深い怒りを覚えたのは事実。あの絵柄が、私にとって大きなトリガーでした。あとからフォローが入っても、一度引かれたトリガーを戻すことはできなかったんです。それが引かれた瞬間、まゆちゃんについて、今まであえて考えないように、考えていたらどうにかなってしまいそうだから思考に蓋をしていたことが、一気に頭を過ぎりました。
以下、書くつもりのなかったことを書きます。これで終わりなのだからまあ全部ぶちまけてもいいでしょう。
上の文で明記はしなかったものの(読めばあまりの女々しさから察せられると思いますが)私は女性です。まゆちゃんは、プロデューサーさんのことが、好きでした。私はその《プロデューサー》という概念体に自己投影をしてゲームをプレイするわけですが。途中で、どうしようもない壁にぶち当たってしまいました。まゆちゃんが想定しているプロデューサーさんとは、明らかに男性のことなのです。アニメに一瞬出てきたまゆのプロデューサーも、明らかにスーツを着た男性でした。これについてはもう記憶を封印しましたが。台詞の隅々から、まゆちゃんのプロデューサーが男性なのだという事実がじわじわと追い詰めてくる。プロデューサーという概念体と、私という存在が、少しずつ乖離していく気がしました。このままではいろいろなものが駄目になってしまう。考えてはだめだ。そう思い、それについてはできるだけ考えないようにしてきました。コメントでも同じことを書いてくれた方がいましたが、まゆちゃんは、私が同僚の殿方から電話を受けても、怒りません。自分のいいように解釈して消化してしまえばいい話なのですが、どうしても「まゆちゃんが想定しているプロデューサーは男性である」という呪いのごとき一文が頭から離れませんでした。私は女性です。まゆちゃんは、私のことを好きでいてくれたんじゃなかったの?このプロデューサーさんは、私じゃなくて別の誰かなの?考えないようにしていても、ふとした瞬間そう思うことが少しずつ増えました。今思うと私はもう限界だったのかもしれません。そんな中で開催されたイベントのあの絵柄を見て、私の中の何かが完全に崩れてしまいました。あとからフォローが入っても、いちど崩れたものは、戻りませんでした。戻らないと悟ったから、私はまゆちゃんという女の子を諦めました。しょうもないきっかけだと笑う人もいるでしょう。つまらない小石に躓いた私は、もう二度とここに戻ることはありません。まゆちゃんとなら「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」と思っていました。大好きでした。私は、これからはちゃんと幸せに過ごします。それではさようなら。
>品川くんの前を横切る老人たち
いやいや、お二人ともそれは違うでしょ。「品川くんの前を横切る老人」は、まさにそこを横切ったから可視化されただけであって、実際は他にも見えてないだけで逃げ遅れの人は多数いてるということを視覚的に表現しとるんでしょ。その直前の「【危機管理官】避難完了しました」「【総理】それは確かなのか」「【危機管理官】私は、部下の報告を信じるだけです(キリッ」というやりとりを踏まえてのあのシーン(※1)。ほんで、人がいるって報告聞いてずっこけた総理は、『なんや人おるやんけ!こらアカン。信用できん。中止や中止!…』となったわけやね。
会議室の面々はここまでいかにも頼りがいありげに偉そうに振る舞ってきたが、現場を含めた行政の連絡・報告は残念ながら有効に機能していないことがこの辺りからどんどん明らかになっていくんやね。逃げ遅れてるのが、いわゆる「行政の支援からすっぽり抜け落ちてそうな老々介護の夫婦(?)」みたいな二人だったのも実に象徴的で「こういう人は行政的には『見えない』人になってるのですね」というNHKクロ現的な視点も含め、これは今の都会の下町にはこんな人がいっぱいいるんやろなあ(※2)というリアルを描いたんやと思ったで。むしろ、あんな状況であんな程度の人員であれだけの時間で「完全避難」がもし実現しましたよという話なら、そっちの方があまりにもリアリティなかったやろ? だから、分かりやすい演出ではあっても決してご都合主義ではないと思うで。
http://anond.hatelabo.jp/20160823115734
トラバの指摘受けて注
※1…危機管理官の「部下の…」はタバのときやったかの。すまんな。でも「避難は完了しています」って報告は確かあったように記憶しとるで。それを受けての武器使用許可からの「住民がいます」→総理の表情の「話が違ゃうやんけー」感、という流れは確かにあったやろ。
※2…「いっぱいはおらん」と言われたらそうかいな、と。これもすまんな。でも「確実に一定数はおる」という感覚はあるな。去年地元自治会の仕事したんやが、一見普通に暮らしとるように見えてた老夫婦がいつのまにか「爺ちゃん不整脈アンド半身麻痺気味」「婆ちゃんかなり認知症進行アンド耳遠い」となっててうすら寒かったんやで。どう考えてもあの夫婦、地震、火災、ゴジラ来たら逃げ遅れてしかも気付かれへんな、と映画見ながら重ねて考えてたもんでな。
午前一時、無駄にクソ暑い部屋から外へ出る。いつの間にかラインナップの入れ替わっていた、ほど近くの自販機でエナジードリンク風の炭酸飲料を買った。アパートの影に紫煙を燻らせながら、スマホを手に取り、書きつくる。現在時刻は1時過ぎ。10代の頃も同じように、同じような時間に家族が寝静まった頃、こっそりと家を一人抜け出し、近所の公園でジュースを飲みながら感傷にひたるというようなことをしていたことを思い出した。当時と違うのは、一人で住んでいることと、タバコを吸うようになったことだ。当時の具体的な悩みなんかはひとつひとつ定かに覚えてはいないが、あいも変わらず今同じように鬱屈とした気分でいたことに気づくと、まるで当時の10代の頃戻ったかのような錯覚を、一瞬覚えた。
明日両親が部屋にやってくる。最低限の片付けをしようと思っていたが、その手は動かない。大丈夫大丈夫と言いつつも、夜になっても眠れない日が続き、くたびれ果ててしまった情けない現状をひた隠しにしようとしている自分を認識する。試験前夜なのに試験範囲にまるで手を付けられず、焦りと不安の渦に引き裂かれ、そんなことを繰り返すうちに少しずつ感覚は麻痺し、気づいた頃には大学には行かなくなった。今気分はそんな今まで味わってきた感覚と比較すると、断頭台へと向かう死刑囚なことにはかわりないのだが、今日の自分はいくぶん、これから訪れる己の明確な死を認めつつあるという違いがあった。そんな風に思ううちに、何かも晒して助けを求めてもいいような気がしていた。そして自分が何かのためにひた隠ししようとすることを全てさらけ出し、素直に助けを求めることができれば、そのうえ、さらにその原因を己の怠惰のせいではなく、何か別の事柄のせいにしてしまえば、いくらか気が楽になるような気がした。
自分の都合よく自分を救ってくれるような他人はそうそういない。巨大な不安に押し潰されそうになりながら生きて、強く実感した。幸いにして自分の両親は頼ることができる側の人間だと思われた。むしろ頼ってほしいという意思はわかっていたが、これまでその手を跳ね除けていたのだ。
ここで家庭が壊れる元ができた。
落ち着いたときには遅かった。
精神もやられてたと今になって思う。
働くことしかできなかった。
体が壊れた自覚はなかったけれど
気がついたら勤務中に3時間寝てたとか
同僚に言われて初めて気がついた。
本当にもっともだと思う。
それは今でも思う。
転職先も似たような状況だったが
ただ一つ
終わりの見えない自転車操業だったところが違ってた。
今も同じ会社で働いてるけど
ただ、その反発心のおかげでようやく人並みの生活ができている気がする。
周りからは定時ダッシュの人と思われてるらしい。
全然思い通りにならない。
心も。体も。
思いも寄らなかった。
きっと罰があたったんだろう。
今までの心のツケが回ってきたんだと思う。
でもけっして嫌なことばかりではなかった。
やりたかったことを目指し
そのためだけに頑張れた自分がいる。
つらい時期を仲間と乗り越え
今でも一緒にお酒を飲んで笑いあえている。
本当にありがたいことだし幸せなこと。
お疲れさま。よくがんばったよ。
今はただ
頑張りすぎた自分を許して。
感謝して。
ゆっくり休ませてあげたい。
幸せであればそれでいい。
齢30、腐女子として生きてきての年数が年齢の半分に到達した私です。
腐女子といえど、様々な形態があると思う。読み専でもpixiv等の無料漫画で満足できる人、スマホや本屋さん、アニメイトや通販で本を買う人、買い漁る人。それだけじゃ満足できずコミケイベントに参加して、自分の足で同人誌の新刊を買い集める人。創作が好きで、年に何回かサークル活動をする人、オンリーイベント中心に年に何回も新刊を出す人。活動の功を奏して商業デビューを果たすものの二次創作が好きで漫画を書く合間に漫画を描くような生活をしてる人。もちろん今はコスプレ文化やゲームも個人で作ることが可能になってきたので、その世界の中で、ディープであれライトであれ、様々な「オタク」がそれぞれの形態で活動しているわけだ。
もちろん、ディープになればなるほど 知人もディープなオタクが大半を占めてくる。Twitterのリツイートで見たツイートだけど、周りがディープになっていくにつれ、世界はオタクに溢れてるような感覚になり、同人誌まで描いているようなディープなオタクは案外少ないという事実がかき消されてしまう。感覚が麻痺するのである。
私もかつて、いや、今もディープなオタクである。結婚前は年に10冊のペースで新刊を量産し、毎週末のように大阪や東京に遠征に行き、仕事から帰れば朝まで原稿を書き、Twitterに入り浸り、そこでも1日100ツイートは好きなキャラの萌え語りに明け暮れていた。それでも語り足りなくて、活動ジャンル専用のブログを作り平均5000文字程度の萌え語りやキャラ考察、ジャンル考察を繰り広げていた。それができる位の好きなキャラがいたのも大きいけれど、活動が人生の支えであり、毎日沢山の方から反応やいいねを頂き、それによって承認欲求を満たしていたのは事実だ。オフ会と称してよく近隣のオタ友と飲みにいったりもしたが、リアルでの友達はゼロ。というか原稿する時間を捻出したいがあまりに短時間で高収入のお仕事(という文章で察してほしい)をしていたため、同僚といってもお互いに関わり合うこともなく、個室待機さえ選べば空き時間にネームだってできた。集団待機でも特に話しかけなければ話しかけられることも少なかったのでTwitterやpixivを眺めることができ、妄想だってし放題だった。まともな社会人生活を放棄し、学生からストレートにその道に入り8年。私はいつからか、本名で呼ばれる機会は病院の待合室のみという悲しい状態に陥っていた。それでも、好きなキャラのことを考えている日々は幸せだったし、好きなだけ原稿ができ、締め切りがやばそうなら入れてた仕事を電話一本で休める環境に満足していた。私は結婚は一生しない。一生この生活をしていくのだと本気で考えていた。
でも、何事も転機が訪れる。まず普通に活動ジャンルが衰退してきた。同人誌の売り上げがなくても活動できるくらい本業で稼いではいたけど、年齢を重ねるにつれそれも厳しくなってきた。齢27、とうに旬は過ぎ、体力も落ち、体型も自分でしか気付かない範囲であれ崩れてきた。顔も急に変わるわけではないけれども徐々に衰えを感じてきて、焦り始めた。
それ以上に焦っていたのは、ここまでの活動をしてきたにも関わらず、私の同人者としての知名度はほとんどなく、若くて上手な人には絶対に敵わないという事実だった。自分の絵柄はどんどん古くなり、特にデッサンが整っているわけでもないからそれで注目をされることはまずない。その分考察を深め、原作を尊重した上で自分の最大限を込めたストーリー作りに力を入れていたのだが、これは本当にやったことのある人にしかわからないと思うけど、とても疲れる。原作が鬱傾向の話だったりすると自分の気持ちまで引きずられて、脱稿後3日くらいは死んだような気分になるし、常にストーリーの妄想を繰り広げるのは容易でない。そこまでやっても、ディープなファンがついてくれど大手作家のエロ本には勝てない。積んで積んで積み重ねても、私がそれをやめたら一瞬にして崩れ落ちるということに、疲れを感じていた。
長く同人をやっていると、諍いや嫉妬に巻き込まれることもあった。そういう人間関係にも嫌気が差していた。オタクって、言っちゃ悪いし私も人のことを言えた口ではないけど、評価の仕方が極端だし、性格に難ありの人間が多いのは確かだと思う。好きな作家が高尚様で嫌われないようなツイートをするのも必死、ジャンルの派閥問題であっちからもこっちからも悪口を聞き、そのどっちにも良い顔をしているうちに、何やってるんだろうな自分と思うことも多かった。自由な萌え語りの場はいつしか、パワーゲームの場になりつつあって、それでも自分は自分と曲がらずに立っていたかったけどそこまで精神的にも強くなくて、一時期は完全に病んでしまっていた。それでも本は作っていたのだから、今の自分からしてみればすごいなとは思うけど(笑)
そんな時、ひょんなきっかけで彼氏が出来た。私の仕事のお客さんだ。見た目が好きな声優に似ていて元々好感を持っていたのだけど、相手も気に入ってくれたこともあり、驚くほどあっさりと交際はスタートした。
彼は隠し事はしないで欲しいというので、私はバカ正直に自分の描いた同人誌(R18)を持って行った。彼は多分その段階で私にベタ惚れだったのもあると思うけど、私の描いたものを誉めてくれた。その段階で思った。「この人と結婚しよう」と。
私がやったことはまず、Twitterアカウントの消去、そしてイベントでの引退宣言だった。もう二度とこの地は踏まないつもりで参加した最後のイベントは、とても楽しかった。沢山の差し入れを貰い、沢山の感謝の言葉を頂き、大型のオフ会まで参加させて頂き、朝まで遊び呆けた。連絡先を交換している同人の知人には結婚するので辞めるが、オタクをやめるわけではないからどうかこれからも仲良くしてほしいと告げ、長年続けてきた商売も辞め、真っ当な昼の仕事に付いた。彼とも一緒に暮らしはじめ、アニメを一緒に見るようになった。そして半年後くらいにプロポーズ、結婚と相成った。その時は、もうこれ以上の幸せはないと本気で思っていたし、この人と普通に子供をつくり、将来は庭付き一戸建てに住み(これはもう既に叶ってはいるが……)幸せな家庭を作るものだと、本気で思っていた。
ここまでなら、へーよかったね、同人も若き日の思い出だし、旦那にも理解してもらえて、20代で結婚できて幸せだね、今はさぞかし平穏な日々を送ってるんじゃないの?と思う人もいると思う。私もまさかそうじゃなくなるなんて思いもしなかったし。確かに、旦那に絵を描く趣味を隠してないことはプラスに働いていて、今でもイラストを描いたりエロマンガを描いていても咎められたりはしない。それならよかったじゃん?って思う人もいるかと思うけど、違うのである。
自分は、自分が思う以上に「真性(演技性)同人者」だったのである。
今から貼るURLは、同人者と結婚についての考察を記したものなのだが、1996年に書かれたものだということにビックリした。同人文化が
オープンになり、多少世間の目的なものはこの時点よりは向上したとはいえ、まんまこの通りで笑ってしまった。
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/yellav/link4.htm
(敢えてこのページのみを貼るけれど、時間がある方は他のページも読んでほしい。色々と興味深い研究結果が纏められてます)
結論からいうと、同人をやめたはずの私は、また同人を始めているし、同人誌を作っている。旦那にはそれを煙たがられているし、私自身も今の活動では満足できていない。
どうしてこうなったかというと原因は2つある。まずは、同人関係の交友関係を断ち切れてなかったことだ。
最初に、ディープな活動をすればするほどディープな友人が集まると書いたが、その中の一人が、今沼ってるジャンルこれだからやろう?とゲームを薦めてきた。そのゲームは基本プレイ無料のもので、スマホさえあればできるものだったので、暇つぶし程度ならいいかと始めたら、存外ハマってしまったのだ。友人は、私に○●(ゲーム内のキャラクターのカップリング)を描いてほしいとお願いしてくれ、私も描くだけならいいかと1年以上封印していたペンタブレットで絵を描いて、名前を変えればバレないだろうとTwitterアカウントを別名で取り直し、そのイラストをTwitter経由で友人に送った。これが過ちその2である。
ここで私は久しぶりに経験してしまったのだ、「いいね」をもらえる快感を。自分の二次創作が沢山の人に読まれる楽しみを。
これまでだって、確かに旦那や周りの人間がいいね!と言ってくれたことは多々あれど、生命活動維持のための食事を誉められても、生命活動維持のための金の確保のための仕事内容を誉められても、嬉しくはあれ脳汁が溢れ出すような快感はなかった。でも、描いた絵を載せること、萌え語りや話を載せて得られるのは、顔も身なりも知らない人たちからの賞賛、なんの役にも立たないはずのものが誉められる快感に私はまたのめり込み、活動再開から半年足らずで地元イベントに顔を出し、本を頒布し、Twitterでの知人とオフ会を開いた。正直、結婚後には味わえなかった最高の幸せであった。私自身は、やはりこの世界が一番楽しく、充実した自分でいられると思った。
ただ、もちろん弊害は多々ある。同人活動をやめていたころ楽しかった職場の同僚とのおしゃべりは雑音になり、邪魔になり、飲み会は苦痛になった。旦那との会話や家事もそうだ。こんなに頑張っても一人にしか認めてもらえない家事や夫婦生活をする位なら、一枚でも多く絵を描きたい、友達との萌え語りに没頭したいという思いが募り、夫婦間の会話は減り、喧嘩が増えるようになった。仕事も休みがちになり、職場での評価もぐっと下がった。それでも週末のイベントがあるから楽しみで、生きるのは苦痛でなかった。
だがとうとう旦那の堪忍袋の緒が切れたようで、まず私の働いた給料は全額私が使うことが出来なくなり、何に使ったのかを逐一報告しなければいけなくなった。同人関係の出費があると、こんな無駄なことに金を使って、との小言つき。そしてとうとう月一万の小遣い制→給料の3%の小遣い制になり、通帳やカードは差し押さえられ、前のような同人誌の発行ペースは不可能になった。こうなると私は働くことに意味を感じられなくなり、今は仕事を辞めてパートのみで生活している。月1000円のお小遣いではゲームに課金すらできず、私は毎日家で荒れ狂っているが、それを旦那は幸せだという。きちんと貯金が出来、私の昼夜逆転や突然の欠勤もなくなり、ゲームに月数万も課金することがなくなり、家事も毎日してくれる。これで精神が安定してくれたらいつでも子作りができるのになぁと言う。私はとても幸せだと思えず、生活のために仕方なくやっているパートに疲れ、ゲームはログインボーナスを受け取るだけ、あんなに楽しかった絵ですらもう3ヵ月も描いていない。そもそも、また絵柄が古いことや流行りの絵でないことで劣等感を感じているし、イベントに行けないことで前みたいに作家さんと交流することもできないので仲良くもなれない。せいぜいSkypeか手紙のやりとりくらいだ。ストレスがピークに達し、毎晩自殺するか離婚するか考えているが、積んだキャリアなど何もなく、もう体型は崩れ、前のように時間に自由が利いて高収入の仕事に就くのは絶対にできない。今は奴隷のような生活を死んだ目で続けるしか、私の生命活動維持方法はないのだ。
私はクズだと叩かれてもいいので、この文章を書いた理由を話させて頂きたい。とんだ長い前置きですみません。ここからが本題です。
ここまでクズの極みの考え、人生の腐女子はそうそういないと信じたいのだけど、部分的には共感してくれた人もいると信じたい。その中で、結婚を考えていたり、今後の人生に漠然とした不安を抱えて生きている腐女子もいると思う。基本的に腐女子はディープになればなるほど孤独な生き物だと思う。生計にできるレベルまでくればちやほやされるし好きなことで飯喰ってけるわけですが、そんな腐女子は多分一握り。殆どの人が、人より中途半端に絵は描けるけどプロになるほどではなく、それなのにいっぱしのプロのつもりで漫画家ごっこ、本屋さんごっこを続けてきた方だと思う。ジャンルの話や萌え語りはできても、日常の話となると境遇が違いすぎて相談する相手も共感してくれる相手もいない人が大半で、適齢期でもあれば家族にまだ結婚しないの?なんて聞かれて蹴飛ばしてやりたくなると思う。
そんな人にただ一つ言える真実は、結婚して今の活動レベルを維持できると思うな。という事です。特に、同人活動に依存している傾向のある人ほど、よく考えてほしい。
維持したかったら、世帯収入が潤沢にあり、家政婦を雇うレベルでなおかつ妻の趣味に口を出さない人と結婚すること。子供は望んではだめです。お母さんが子供より大切なものがあるなんて、いくら自分勝手な私でもダメなのはわかります。
そして、そんな自分をダメだなんて思わないで下さい。人生一回きり、楽しむも悲しむも自分の選択次第です。同人活動以外に喜びを感じられないのだったら、後先考えず突っ込むのもまた人生です。その代わり女としての人生は失います。私はどちらも手に入れようとして、どちらもダメになりました。もはや私は旦那の思う幸せを叶える道具に過ぎません。二兎を追うものは一兎も得ないどころか、すべて奪われるのです。(まぁ、それは私のやり方やのめり込み方に問題があったからなので、旦那の言うとおり自業自得なのですが…)
そして、途中で貼ったURLを隅々まで読んで下さい。
沢山の人からの評価で生かされてきた人ほど、それを失う結婚生活に耐えられるのか、よく考えて下さい。また、続ける気なら、それができるのか、不測の事態にも耐えられるのか、精査して下さい。
誰も声を挙げないし、まだ若い人の文化だから明るみに出ていないけれど、評価への依存はアルコールやタバコに匹敵するものだと思います。断ち切るには、勇気と強い意志が必要です。
最後になりますが、私がそれでも離婚しない理由はただひとつです。
愛と趣味の共存を、私はまだまだ貪欲に探そうと思います。罪滅ぼしに。また、ちゃんとした人間になるために。自分の人生の半分を無駄にしないために。
仕事に行くために過量服薬をする。
風邪薬を30錠くらいのんで仕事にいく。少し緊張感が麻痺してぼんやりするので仕事に行けるようになる。
でも毎日そんな薬飲んで身体に良いわけがなくて、胃薬を追加して飲んだりする。
客観的に言えばそうまでして仕事に行かなくてもいいと言われるのだろうが、生活するためには働かないといけない。
納期があって、顧客のクレーム対応に追われ、上司にいびられそれでも働かなくてはならない。
PCワークが原因で軽い頸椎ヘルニアになり、痛みに耐えて仕事してるのに、仕事が原因なわけないじゃん的な反応。
この忙しいときに何勝手に体痛めて周りに迷惑かけてんの?的な雰囲気が悲しい。
もうじき50歳になるし、確かに徹夜の連続には耐えられなくなってきてるし
今の会社にしがみつくのもくやしいけれど、田舎なので転職は絶望的。
妻子もいるので大きな動きはできないし。妻は、無理なら辞めても仕方ない的なことは言ってくれるけど、
今でも経済的に厳しいのだから、会社を辞めたら立ち行かなくなる。