2016-07-31

午前一時、無駄にクソ暑い部屋から外へ出る。いつの間にかラインナップの入れ替わっていた、ほど近くの自販機エナジードリンク風の炭酸飲料を買った。アパートの影に紫煙を燻らせながら、スマホを手に取り、書きつくる。現在時刻は1時過ぎ。10代の頃も同じように、同じような時間家族が寝静まった頃、こっそりと家を一人抜け出し、近所の公園ジュースを飲みながら感傷にひたるというようなことをしていたことを思い出した。当時と違うのは、一人で住んでいることと、タバコを吸うようになったことだ。当時の具体的な悩みなんかはひとつひとつ定かに覚えてはいないが、あいも変わらず今同じように鬱屈とした気分でいたことに気づくと、まるで当時の10代の頃戻ったかのような錯覚を、一瞬覚えた。

明日両親が部屋にやってくる。最低限の片付けをしようと思っていたが、その手は動かない。大丈夫大丈夫と言いつつも、夜になっても眠れない日が続き、くたびれ果ててしまった情けない現状をひた隠しにしようとしている自分認識する。試験前夜なのに試験範囲にまるで手を付けられず、焦りと不安の渦に引き裂かれ、そんなことを繰り返すうちに少しずつ感覚麻痺し、気づいた頃には大学には行かなくなった。今気分はそんな今まで味わってきた感覚比較すると、断頭台へと向かう死刑囚なことにはかわりないのだが、今日自分はいくぶん、これから訪れる己の明確な死を認めつつあるという違いがあった。そんな風に思ううちに、何かも晒して助けを求めてもいいような気がしていた。そして自分が何かのためにひた隠ししようとすることを全てさらけ出し、素直に助けを求めることができれば、そのうえ、さらにその原因を己の怠惰のせいではなく、何か別の事柄のせいにしてしまえば、いくらか気が楽になるような気がした。

自分の都合よく自分を救ってくれるような他人はそうそういない。巨大な不安に押し潰されそうになりながら生きて、強く実感した。幸いにして自分の両親は頼ることができる側の人間だと思われた。むしろ頼ってほしいという意思はわかっていたが、これまでその手を跳ね除けていたのだ。

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