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2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-14

anond:20200814114933

https://twitter.com/takigare3/status/1294098464180035584

滝沢ガレ

@takigare3

返信先:

@ME_GA_NECCO

さん

ちな今回の祭りの発端は、

・楠栞桜というVtuberに「自らの5chスレ自演書き込みや、他Vtuberスレへの誹謗中傷書き込み疑惑」が持ち上がる

・楠栞桜がnoteに「根も葉もない噂を書き込んだ奴には法的措置をとる」という記事をup

アンチnote脆弱性気づきIP特定自演書込も確定)

って流れです

午前11:28 · 2020年8月14日·Twitter for Android

塩鰻なんて知らない増田住まいなら支店凪な魚師(回文

オラにみんなの元気を分けてくれー!

お!お盆玉だー!

おはようございます

って日本全国一人から元気じゃなく1円もらったら0.3秒ぐらいの一瞬で億万長者ね。

あそう?

今は億万長者って言わなくて億り人って言うのね?

知らなかったわー。

知ってた?「お盆玉

お年玉の夏にもらう版の「お盆玉

私は甥っ子姪っ子にせがまれたけど、

私の地域ではそんな風習しらないわ!って突っぱねたところよ。

だってさー、

バーベキュー行って

お肉とかお野菜とか色々たくさん出てくるじゃない。

一番美味しかったのなぁに?って私は優しく聞いたのよ、優しく。

そしたらなんてみんな答えたと思う?

「タレ」だって

さすが宮殿で作られるだけある世界エバラねって思ったわ。

もれなく子どもの心も鷲掴み!

かにたれ美味しいけど、

塩とコショウでキメなさいよ!って意識高く言いたいところだけど、

やっぱり全部タレが美味しいって!

そんでさ、

野菜とかキノコとか焼いて、

お皿に入れて食べるじゃない。

すでに先にいるタレにかかっちゃうから

もう食材着地したら全部タレ味になっちゃうわけ。

こればっかりは仕方ないわね。

もっと塩!とかコショウ!とか言えるよう意識高くなりなさい!

そしてもりもり野菜を食べ野菜!って鈴木杏樹さんばりに、

肉ばかり食べるヤツらに言いたいところだけど、

ふりかけなのにお野菜食べ野菜!って言うのも殺生よね、って今気づきました。

から私は甥っ子姪っ子のほっぺたに、

ハケでタレを塗ったら姉に怒られちゃったわ。

そりゃそうよねーって。

もう先にほっぺにハケでタレ塗った時点で気づいちゃったんだけど、

バーベキューの合間にするバドミントンみたいなので、

点取られたら、

ほっぺたにタレの付いたハケバツ印をつけるゲームを考えてみたんだけど

なんだかお正月っぽくって、

それはそれでバーベキュー盛り上がると思わない?

私はホッペが焼肉のタレでベタベタにされるのが嫌だからやらないけどね!

でも甥っ子姪っ子たちに

負けたらホッペにタレつけられるんだからね!って教えると、

ちゃんと真面目に点取られた方にタレ塗られてたわ。

そしてまた私は姉に怒られたところまでが、

バーベキューセットだろ!って思ったところよ。

私は持参したホットサンド焼き器で、

自前のホットランチパック的なものを作ってたら、

甥っ子姪っ子がなになに?って寄ってくるので、

バドミントンラケット食材乗せて焼いてみたら?って冗談を言うと、

本当にそれするから

バドミントンラケット燃えしまって、

いや子どもながらにそういうことしたらラケット燃えちゃうことぐらい理解してるんじゃないの?ってところは理解なかったみたいで、

私はまた姉に怒られるという、

今回のバーベキューで姉にガチ怒られしてしまうという、

明るくて楽しい姉妹だなぁって思ってくれたら幸いよ。

そんなこんなで

甥っ子姪っ子はお盆玉のことをすっかり忘れたようで、

来年はどういった手段で忘れさせるかごまかす方法を今から考える次第よ。

やっぱりバーベキューは塩とコショウ意識高くいきたいものね!

でもさ、

今思ったんだけど、

川魚焼くときは塩じゃない、

鰻だけタレでしょ?

よく分からないブルジョアの人が、

鰻はやっぱり塩だよね!って冗談でも意識高い系のウソ路線庶民を騙すぐらいの人がいてもいいのにね。

そしてその冗談情報が浸透して、

きっと何年か先にはきっと塩鰻が夏の風物詩として

熱中症対策の一環として浸透する気がするわ。

そんでもって甲子園球場の前では塩鰻の屋台が大流行

さら高校球児がその塩鰻食べて優勝しちゃったものなら、

今までの験担ぎミールアイテムカツ丼」や「キットカット」などの地位を一瞬でもぎ取れるはずよ「塩鰻」って

柳沢慎吾さんも甲子園横浜高校ネタのくだりで「塩鰻」を人気落語の一席ぐらいな勢いでやってくれるはずよ。

塩鰻!

意識高くない?

美味しんぼとかで「塩鰻」の回の話でもやってみなさい、

これまた一瞬で意識高い系な鰻の食べ方ってなっちゃうで決まりよ。

これだから山岡くんは分かってないんだよ!山岡くんは!って

海原雄山さんが言うに決まってるわ。

そんで山岡さんも海原雄山さんが言うならってことで、

美味しんぼのなにかの回で、

「いいか若いの、塩鰻をな塩鰻をいつでも食べられるようになりなよ」って言ったり言わなかったりとか言っちゃったりして。

でも栗田ゆう子さんは実は半信半疑で、

山岡さんと海原雄山さんが美味しい!美味しい!って言うもんだから

同調圧力で美味しいと言わざるを得ない感じで挟まれちゃうくだりとか最高!

でもこれ今まで一番意識低い食べ物だなって思ったのは

とても私の口から言えないけど、

お祭り野菜最近よく見る、

屋台の冷やしきゅうりの一本刺し!

こ、こんな意識低い食べ物だなんてって初めてみたときはそう思ったけど、

実はあれ

アジア圏の国のセレブ向けにで

きゅうりは高級フルーツ感覚で召し上がるらしく、

実はすごく意識高い屋台アイテムだったって、

その地位りんごから一瞬でもぎ取った「冷やしきゅうりの一本刺し」は逆にとても意識高い系の食べ物だったのよ。

逆の逆張りを取られたってわけよ!

たから見たらちょっとアホっぽく見えるのは内緒だけど。

さて、

私はテータイムチーズティーでも頂くわ!

ね!これも無駄意識高い系でしょ?

チーズティー

今年の夏は「塩鰻」と「冷やしきゅうりの一本刺し」に「チーズティー」で決まりよ!

来月ぐらいの意識高い系の女性誌

巻頭カラー6ページぐらいで特集まれるに違いないわ!

うふふ。


今日朝ご飯

ピッツアトースト

具材たっぷりとれたて野菜をふんだんに搭載して焼いて

チーズがとろとろでぺろりと平らげちゃったわ!

黄色くなった完熟ゴーヤーを使ったスムージー意識高い系でしょ?

ゴーヤーのかけらはすっかりなくなっちゃうけど、

苦味だけは確かに存在していた、

大人スムージーね。

完熟ゴーヤーいいわよ。

デトックスウォーター

水出し緑茶ウォーラー

甘みがましてスッキリ味わえる贅沢水出し緑茶ウォーラー

ガブガブと湯水のように飲むわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

まれたことの罪悪感が抜けない

大学生になったあたりからまれてきたことが申し訳なくて、その罪悪感から「死ななければ」という気持ちになる。

父は単身赴任普段は不在、母は仕事をしながら子育てをしていた。

母は仕事で明確にやりたいことがあり、そのための勉強を欠かさなかったことを知っている。

母は努力の人であったから、きっと子供がいなければキャリアを中断することも、あんなに時間に追われることも、追い詰められながら日々を送ることも無く、もっと努力の成果が得られていたのではないかと思う。

私は母の人生荷物だったのではないか気づきらじめてからまれたことも生きていることも申し訳なく、生まれるべきではなかった≒死ななければという考えから抜け出せない。

私は駄目な人間で、父にも母にも孝行していないし苦労をかけた自覚がある。それでも父も母も私が好きであることを知っていて、邪魔だとか思ってないだろうし生まなければ良かったとも思ってない(と思う)。

でもやっぱり私を生まなかった方が良かったんじゃない?って思う。生まれた罪悪感から早く死ななければと思う人生が生きづらい。ずっと私が私に死ねと言っている。

こういう人ってどれくらいいるんだろう。みんな言わないだけで結構当たり前にいたりするんだろうか。それともこんなこと考えないんだろうか。

2020-08-13

anond:20200812234934

自己なのは承知だが・決して言えやしないが・大変失礼ながら・もうなんとでも批判非難するがいい

あなた気づき始めていると思う。「誇れる人間性」がどのようなものか。

死ぬ最後の瞬間に、こんなオレでいられて本当に良かった、って爺ちゃんちゃん子供たち、世界中の人たちに自慢できるような、そんな在り方について…

anond:20200813021204

なるほどなぁ

その発想は(気づきは)なかった は

2020-08-11

米津玄師さんを少し憎らしいと感じた話

米津玄師さんのSTRAY SHEEP Radioを聞いて改めて感じた寂しさと,少しの憎らしさについて書いていく.

私の感じている寂しさは例えるなら,大切な友人と少しずつ距離が離れて行って,その大切だった人とまた仲良くなれる夢を抱きながらも,そんな妄想現実にはもうやってこない悲しさのような寂しさのような,そんな感情だと思う.

そして,少しの憎らしさとはその大切だった人が他の人と楽しそうにしている姿を見かけたとき気持ちのようだと思う.

私は米津玄師さんのdioramaやYANKEEの時の楽曲がとても好きだった.この時代米津玄師さんも唯一無二で今聞いても魅力的な楽曲が多い.唯一無二だから代わりになるようなアーテイストジャンルが一つもない.そんな唯一無二のジャンル新曲を期待すると,当然ながら米津玄師さんの新しい楽曲を期待するしかない.けれど,そのジャンルの曲が新しく作られることはなかった.

YANKEEの次のアルバムBremenでは曲の雰囲気が変わり,どちらかというとシンプルな曲がとても増えた.dioramaやYANKEEの時の複雑で幻想的なジャンルの曲はなくなってしまった.この頃はまだ昔の曲調が戻ってくると信じていたし,実際昔の雰囲気を少し持った曲はその後ちらほら現れた.しかし,そんな期待とは裏腹に以前とは違うジャンルの新しい楽曲たちが生まれていった.

もう距離が離れてしまったと気づかされたのは「砂の惑星」が発表された時だった.「砂の惑星」は初音ミクマジカルミライ2017のテーマソングで,米津玄師さんがハチ名義で出した今のところ最後の曲だ.この曲自体は昔の雰囲気を携えていて,この曲を聞いたときは戻ってくると期待した.しかし,歌詞MVの内容をよく見てみると,これは恐らく昔との決別の意味が強いことが察せられた.これに気が付いたとき少し泣いた.

とうとう「砂の惑星」の時の気づき確信に変わり,現実を突きつけられる瞬間が訪れた.それはF / T RADIOの時だった.このRADIOの29分ごろに,「昔の米津玄師とかハチに帰ってきてほしいって思うファンの人もいるかもしれないけど,もう戻れないから」と言っていた.もうあの時代米津玄師というジャンル消滅して,今後新しい楽曲がそのジャンルに増えることはないんだと知った.なんだか寂しいような,悲しいような,憎らしいような気持ちがないまぜになったのをよく憶えている.

最後にSTRAY SHEEP Radioで感じた少しの憎らしさについて書いて終わろうと思う.STRAY SHEEP Radioの28分ごろから,「カムパネルラ」という楽曲について語るシーンがある.そこでは「このアルバムを作るうえで3年たっていて,その時間はとてつもないと感じた.その間に自分を好きだった人が通り過ぎて,いなくなってしまった人がいるだろうと考えた.自分のことを好きだった人達を覚えておきたいと思っていて,その人たちの為の贖罪祈りの曲になっていると思う.」と語っていた.この話を聞いて少しの憎らしさを感じたのは,ここで言う「通り過ぎて行った人達」は,恐らく「昔の米津玄師ハチが好きだった人達」ではないような気がして,忘れ去られた寂しさと憎らしさが混在した気持ちになった.私は同じ場所で佇んでいるだけだから,通り過ぎていく人たちと違って,ただただ置いて行かれる存在しかないんだろうなとそう感じた.

これだけ現実を突きつけられて,置いて行かれたとしても,米津玄師さんの新しい楽曲が出るとき一喜一憂するし,アルバムCDはなぜか全て揃って手元にある.多分これからもずっとこうなんだと思う.

この文章気持ちの整理と,ちょっとした意趣返しで他意はない.憎らしさや寂しさは愛ゆえに発生するものから

2020-08-10

セックスボランティアの思い出(宗教

私はある宗教団体セックスボランティアをしていたことがある。

当時は十代で、母親に勧められるがままそういったことをしていたが、いろいろなことがきっかけでそこから抜け出せた。

あの時の思い出は私の心の傷になっているが、認めたくはないがいまの自分形成しているものでもあるし、多くの影響を与えてきた出来事ではある。

私自身もう20代も後半になったし、問題団体今はもうないので、整理の気持ちも含めてセックスボランティアの思い出について書こうと思う。

ありがちなことだが、私がその宗教団体に入ることになったのは母親きっかけだった。

母は私が物心つく前から父とは離婚しており、看護師仕事をしていたのだが、どうやら徐々に精神を病んでしまっているようだった。

子供心にも母はよくわからない理由でキレたり、かと言えばいきなり優しくなったりとよくわからない側面が疑問だった。

私が小学2年生に上がる頃、母が何やら怪しい男と付き合っていたことを覚えている。今振り返ればあの男は教団の関係者だったのだろう。

本当に典型的で笑ってしまうのだが、母は精神状態悪化とともにその宗教にのめり込んでいった。

なし崩し的に私もその宗教団体に入れられることになるのだが、うっすらとその団体施設で多くの子供たちと一緒に遊んだ記憶がある。また、合宿か何かでキャンプファイヤーをしながらアイスを食べたことを覚えている。

母の宗教へののめり込みは加速していった。流石に私が中学生になる頃にはその宗教団体の異常さに気づき始めたが、母ののめり込み様には何も言えなかった。

団体として私が知っているのは以下の通りだが、書き起こしてみるとザカルトという感じで笑ってしまう。

・ある一人の男が教祖

その男預言者?で世界が終わると予言している

信者同士はとにかく褒め合う(挨拶が褒め合いみたいな感じ)

信者同士の悪口禁止

・正教徒・準教徒・親教徒幹部教徒がいて、完全なピラミッド構造

信者の数は50人もいなかったと思う。動いてるのは20人ぐらい?

本当に洒落にならないカルトだった。徐々に私はそんな団体にのめり込んでいる母親がかわいそうに思えてきた。今思えば

思い切って母にやめてみてはどうかという話をした。しかし母は烈火の如く怒り狂って洗濯物干しで腹が青くなるまで私のことを叩いた。めちゃくちゃ痛かったが、普段からそんな調子ではあるので何も逆らえなかった。

そのうち、どこかに電話たかと思えば例のあの男が家に現れた。時々来ているのは知っていたが、直接話したことは一度もなかった。

母は怯える私の顔をぶん殴って(流石に顔をぶん殴られたのはこの時が初めてだった)、服を脱がせ始めた。私も流石に意味がわかって弱く抵抗したが、今度はその男が近づいてきたと思うと、思いっきり振りかぶって私の顔をぶん殴った。

本当に、殴られた時に星が出るって本当なんだなってその時初めて理解した。マジで今思い返すとあそこで死んでてもおかしくなかったと思う。

気がつけば犯されていたわけだが、まさにそれははじまりに過ぎなかった。

それ以前は優しい時と厳しい時があったような母であったが、それからは完全に暴力暴言をふるってくるようになった。目が合えば腹を殴られるし、タバコなんて吸わないのにわざと買ってきて押し付けてきたときはもはや笑いしかでなかった。そして定期的にあの男が来て私を犯していった。今でも漫画みたいだな、と思うし当時も自分自身でそう思っていた。

この頃になると私も微妙おかしくなっていて、そういうことをされているとき自分第三者目線で見ている様な感じになっていた。学校と家を行き来する私を上から見下ろして見ていたこともある。ここら辺、名前がつく精神病だと聞いたことはあるが詳しいことは忘れた。

そして中学生3年生ぐらいの時に、施設に呼び出されて「セックスボランティア」に就任することになったなどとほざかれた。

大真面目にそう言われたときは笑っていいのか泣いていいのか喜んでいいのかわからなかったが、ああそうですかという言葉しか出てこなかった。

それからはみなさんの想像通り、まるでデリヘルばりに謎の男(多分信者の人ではない)の元に運ばれてセックスセックスセックス。本当に辛かったし一時期は死のうと思ったけれど、意地というか意固地というか、こんなんで死んだら本当に母親にもクソみたいな男どもにも負けだな、と思って耐え続けた。

それで私が高校3年生ぐらいの頃、団体が何やら揉め始めたみたいで(詳細は不明)分裂するとかしないとかいう話になった。その機会を見計らって家を出た。

児童相談所に頼るという手も考えたけれど、今まで助けてくれなかったという謎の怒りがあって、当時の彼氏の家に匿ってもらった。

その後、あの団体がどうなったかの詳細はよくわからないけど、無くなったとだけ聞いた。教祖名前インターネットで調べてみても2ちゃんねるの端っこに書いてあるぐらいで、本当に何もなかったかのようで驚く。私の感覚では超巨大な教団だった。

今では母親和解して一緒に住んでいる。そりゃ恨んではいるけど、親だしね。今ではなんてことない昔の話だけど、こういう犯罪があったんだよっていうのはここに書いておきたかった。

2020-08-09

トレス絵に気付いた時の反応って何が正解?

どこにも吐き出し場所が無いので、とり急ぎここに書かせてくれ。

ツイッターで鍵垢ロム専している者の嘆きです。

昔、とある二次創作ジャンルものすごく上手な絵を描く人がいた。

その人はいつもは等身低めのギャグ絵を描いていて、ここぞって時にプロみたいなエロ絵をツイに投下する人だったんだけど、私も最初は“ギャグ漫画だけじゃなくてエロい絵とか漫画まで描けて多才だな。しかプロ並みに上手とかすごい”とだけ思って無邪気にふぁぼっていた。

ある日、一昔前に流行ったジャンルに私が遅れて沼落ちして支部を漁ってた。そしたら偶然見つけてしまったんだよね。

髪型以外まったく同じ構図のエロ絵。

支部投稿されてた作品は何年も前のもの支部に上げてた人は今やプロになった方。

他のイラストもいくつかツイ上で見たことのあるもので、中には反転してトレスした絵だったのかと判明したものもあった。

ツイにあがっていたのは、不自然に手の形や足の角度だけを変えたトレス絵だった。

私自身は鍵垢からフォローしてただけだったし、その人は同人誌を出している人でも無かったから、私は何もせず何も言わずにそっとフォローを外した。

ただその時の虚しさといったらない。

あんなに絶賛されていた作品ほとんどトレースだったことにがっかりしたし、それを何も知らずに賞賛している他のフォロワーさんを見ていて勝手に悲しくなってしまった。

すごいと思っていた過去の私を見ているような、やるせない気持ちに耐えられなかった。

そして何より一度トレスに気付いてから、その人の作品純粋に見ることが出来なくなってしまっていた。

えろ絵じゃない新作をアップしていても「どうせこれもトレス絵なんじゃないか」と最初から疑ってアラ探しをする自分に疲れ、フォローを外してブロックして、そのジャンルから何となく離れるようになった。

指摘する勇気も意義も、私には見出せなかったから。

実はこれ、初めてではなく似たような事例でジャンル移動を三回はしている。

そして何故この記事を書いているのかというと、今現在はまっている二次創作ジャンルで同じことが起きて参っているからだ。

概要はほぼ同じ。

普段は等身低めの絵で面白いギャグ漫画をあげてる人。私はマシュマロ面白いです!と感想を送ったこともある。絵単体だけ見ればデフォルメの絵だし、かわいいけど普通レベルマンガ面白い人。

その人がある時、エロ絵を上げるための裏垢を作ったとツイした。当然のように私はフォローした。

一度パス付きで表にもエロ漫画をあげていたことがあり、その漫画が素晴らしかたからだ。この人にはえろい絵を描く才能もあるのかと驚いた。

表垢でも裏垢でも、次々と作品更新されていった。ただ私は裏垢にあがるイラスト何となく違和感が降り積もるのを感じていた。

体の描き込みやポージングが、表にあがる作品と比べてあまりにも上手すぎないか

特に裏垢が開設されて初期にあがっていたショタえろ絵がその違和感を強くしていた。

つの画像エロ複数描かれたイラストなのだが、ある一つの体位だけ受けの腕と肩がおかしい。おかしいというか、他の体の描き方と比べて妙に下手なのだ

なによりこのショタエロ絵、すべて見たことがある気がする。

可能性はほんの少しだったし、まさかねと手持ちのショタえろ同人誌を見返してみたら、そのまさかだった。

よりによって大好きな大手オリジナルサークルさんの同人誌からトレスだったのだ。

ショタえろ全て。腕と肩がおかしエロ絵は、反転してトレスして腕だけ無理やり自己流で描いたものだった。

そうすると裏垢のすべての作品がどこかの作品からトレスである可能性がぐんと高くなる。上手いからこそ、すべてトレスに見えてしまうし、実際そうなのかもしれない。

この気づきで、私は表垢のギャグ漫画も楽しく読めなくなってしまったし、その人の作品がすべて無理になってしまった。その人自体一方的に嫌いになった。

そして私は結局またフォローを外すだけにとどまっている。

ただ、今回は私もジャンル離れをしたくないほどはまっているため、いつも以上に苦しんでいるのだ。

その人の作品リツイートするフォロワーさんは本当に沢山いて、空リプ賞賛するツイを見かけると虚しさがすごい。

またトレス絵で褒められてるのかな……と薄暗く醜い気持ちになるし、そんな気持ちになる自分が嫌になる。

トレスが悪いと言っているわけじゃない。自分の実力のように振る舞って賞賛を受けている姿に、強烈な違和感嫌悪感を感じるだけ。そのトレス元が好きな作家だとしたらなおさらだ

素直に「~からトレスです」と言葉をそえたり、たとえあまり上手くなくても自分なりの努力の成果で絵をあげる人のほうが何倍も素敵だし応援したくなる。

本人は虚しくならないのか?

私は絵を描く人じゃないから分からないけど、気付いた身としてはそんな絵を手放しに凄いとか最高とか思ってた自分を思い出すと悲しいし虚しくなってしまうから、本当にやめて欲しい。

こういうのに気が付いた場合、皆はどうしているんだ?

いまだに正しい反応がわからない。指摘してあげたほうが本人のためになるのかもわからない。(ちなみに何かを察知したのか何か届いたのかは不明だが、常にあったマシュマロがいつの間にか撤去されていた)

絵でお金を貰ってるわけでもない、趣味で絵を描いてツイッターにあげているだけだし指摘するのも無意味なのかと思って、いつもただ離れて見なかったことにしてしまう。私が鍵垢でロム専というのも大きいのかもしれない。

ただし、私が離れたあと、トレスしていたあの人達同人誌を出していなければ良いなとは心底思う。そんなもの頒布して欲しくない。

トレス絵に気付いた時、どういう反応が正解なのか、答えはいまだにわからないままだ。

昨日四人でカラオケ行って私は米津玄師の「感電」を歌ったんですが、歌詞の「くたばるまで」を「くわばたりえ」にコッソリ変えて歌っても誰も気づきませんでした。

2020-08-08

『楠栞桜ストーカー問題』における、天鳳問題

追記(8/18)

8月14日note記事投稿者IPHTMLソースコードから確認できる不具合が発覚し、楠栞桜の投稿記事から確認できるIPアドレスが、本記事で取り上げているIPアドレスと同一であったことが判明した。

https://note.jp/n/n3e6451c9b147

 

これによって、少なくとも本記事で取り上げた書き込みに関しては、楠栞桜本人によるものだということがほぼほぼ間違いないものとなった。

 

ただし、少なくとも本記事で取り上げている問題に関しては、天鳳が当日の楠栞桜本人のIPアドレスと照会した結果を発表すれば、その内容次第で彼女の身の潔白を証明することが可能となる。

そしてこの状況下でもなお天鳳沈黙を貫くということは、おそらくそういうことだとは思われるが、企業としての社会的責任放棄してまで、いちユーザー名誉?を守ろうとする行動は到底理解不能である

 

noteIPアドレス流出問題に関するnote社の行動にはいくつか疑問はあるものの、企業責任として状況の説明を行おうとする姿勢は感じた。

天鳳運営は、自身の行動が天鳳セキュリティ的な問題を疑われるようなことをしている事実気づきnote社のように企業責任果たしてくれることを願いたい。

 

また、この追記記載するついでに一部の誤字等の修正を行った。基本的に主張している内容は変わらない。

 

結論だけ教えて(8/18修正

天鳳意図していない条件下において、指定したユーザーの動向を監視可能不具合バグ)の存在を知りながら隠している可能性が疑われている。

天鳳運営は、上記疑惑を持たれることをわかっていながら、特定ユーザー自作自演行為かばうという不可解な行動をしている。

 

それについて、天鳳運営は何かしらの声明を出してほしいというのが、この記事で伝えたい内容である

 

楠栞桜と天鳳開始速報問題

楠栞桜というVTuberの、いわゆる演者中の人)における家族関係や、VTuberでの活動よりさらに以前も含めた過去に関して異常に詳しい人物が、5ちゃんねるのYouTube板にある「.LIVEアイドルアンチスレ通称ドルアンスレ)」で頻繁に書き込んでいることが注目された。さらにその中には、彼女天鳳プレイし始めたという趣旨の報告が、何度か書き込まれている。

 

天鳳とはオンライン麻雀サービスひとつで、彼女デビューのために麻雀大会を開いて支援をするなど、楠栞桜と繋がりの強いところでもある。

 

バーチャルYouTuber】.LIVEアイドルアンチスレ#9768【アップランド

465 :名無しさんお腹いっぱい。 (ワッチョイWW 7fec-kAdm)[sage]:2019/12/31(火) 01:48:42.13 ID:EVMLPk1E0

玉もう段位打ってるwwww

 

天鳳の対局ログは公開されており、実際に調べると同日の1時44分に、楠栞桜がその日に最初の対局を開始していることが確認できる。

 

しかし、天鳳ログは対局結果が出てから記述されるものなので、対局開始時点ではログを使ってそれを知ることは不可能である。このログには対局時間記載されており、この時の対局時間は14分。つまり、1時58分になるまでは、同卓者以外で彼女天鳳を遊び始めたことを知るのは不可能ということが分かる。

 

このような天鳳の開始を伝える書き込みは、他の日にも行われている。

 

バーチャルYouTuber】.LIVEアイドルアンチスレ#11361【アップランド

838 :名無しさんお腹いっぱい。 (ワッチョイW 09ec-P3wQ):2020/03/21(土) 03:23:03.52 ID:YDdcdg810

【速報】

楠栞桜

6時間雀魂配信した後、そのまま段位戦を開始

 

この日も天鳳ログで、同日の3時22分に彼女天鳳を始めた記録が残っている。そして、この対局が終局まで16分経っていることも記録に残っている。つまり第三者ログから対局を知るには、最短でも3時38分まで待つ必要がある。当然ながら、この2つの対局の同卓者で共通する者はいない。

 

他にも、ログ更新時間等で考えると明らかに早い天鳳の昇段報告や、終了時のポイント変動報告などの書き込みがいくつも確認されている。それらに関しては終局直後にログを取得していれば不可能とは言えないものの、多くが終局1〜2分後に書き込まれている。

 

これらを天鳳ログで実現するためには、書き込み時間考慮すれば、1分以下の周期で天鳳ログ自動収拾するツールまたはスクリプトを用意しなければ、ほぼ不可能と言える。しかし、そのような形でログを取得することは天鳳から禁止されている。ただ禁止表記するだけで誰もが守るはずもないので、おそらくそういった不正な取得の監視システムも動いていると考えられる。

https://tenhou.net/sc/raw/

 

ここまで読んで、天鳳をある程度知っている方であれば、観戦機能で対局開始を知ることが可能ではないかと思うかもしれない。だが、報告されていた対局は、全て上卓での対局となっている。天鳳の観戦機能は特上卓と鳳凰卓には用意されているものの、上卓には用意されていない。

 

ここでひとつ可能性として、何らかの方法を用いれば上卓が観戦できるという点がある。実際にこの速報を行っていたと自称する者は、「観戦くん」という非公式ツールによって観戦していたと主張していた

 

バーチャルYouTuber】.LIVEアイドルアンチスレ#12017【アップランド

296名無しさんお腹いっぱい。 (ワッチョイW 27ec-leZ0):2020/05/04(月) 04:47:30.26 ID:xA5KhpAE0

マジレスすると塩が特上押したタイミングでなめとんの観戦くんってアプリに塩を登録するんだ😘

そうすると上卓に落ちても観戦できるからみんな試してね

 

しかしこれは、別の人物天鳳運営に問い合わせた際に「上卓の観戦はサーバ側で破棄しているので、リアルタイムの観戦は不可能である」と回答を受け取っている。そして後日、この人物上記の件を問いただされたところ、具体的な取得方法には口をつぐんでいる。

 

バーチャルYouTuber】.LIVEアイドルアンチスレ#12883【アップランド

104名無しさんお腹いっぱい。 (ワッチョイW dd58-dBQw [14.9.116.225])2020/07/19(日) 01:42:35.56ID:eGUTQkpI0

>>83

あれecじゃん

実際の所天鳳の件知れたのはなんでなの?

 

118 :名無しさんお腹いっぱい。 (ワッチョイ 3dec-sTnA [222.4.120.217])[sage]:2020/07/19(日) 01:46:20.78 ID:GDa98++I0

>>104

すごい簡単ことなんだけどね

説明したんだけど嘘だって言われたからもうほっといてる😅

 

ワッチョイとecIPアドレスについて

ここまで読んで、そもそも今回取り上げた書き込みがなぜ同一人物という前提になっているか、気になっているかもしれない。これは、ワッチョイ(+KOROKORO)の表記と後にドルアンスレに導入されたIPアドレス表記によって、判断できるようになっている。

 

ワッチョイとは書き込み時に5ちゃんねる側が自動的に付与する自動ニックネームのようなもので、IDとは異なる仕様で生成されている。

 

フォーマット自体は 「xxxx yyyy-zzzz」となっていて、xxxx書き込みを行っている端末や回線、yyyyはIPアドレス、zzzzはUAから文字列が生成されている。さらにyyyyもzzzzも同じ環境であれば1週間は値が変化しないため、日付をまたいで同一人物であるかどうかが確認可能となっている。そしてyyyyの下2桁に関しては、使用する回線が変わらなければ常にその値が変化しないことが確認されている。

 

今回取り上げた書き込みだけでも、該当の人物ワッチョイのyyyyの下ニ桁が、常にecであることが確認できる。この下ニ桁が同一で同日に書き込みを行っていた人物は、ごくわずしかいない。

 

そしてこの下ニ桁がecとなる人物が常に早すぎる天鳳の報告を行い、あまりにも楠栞桜について詳しい書き込みをしていたため、この『楠栞桜ストーカー問題』は『ec騒動問題)』『ドルアンec騒動』と呼ばれる所以になっている。

 

そしてドルアンスレでは途中からスレッドにIP表示を行うようになり、前述の変化しないワッチョイの文字列仕様によって、特定人物は常にIPアドレスが「222.4.120.217」であることまで確認されている。

 

結局、天鳳関連の書き込みは誰が書き込んでいたのか(推測)

あくまでも推測だが、だいたい3つが考えられる。

 

楠栞桜本

書き込み可能不可能という部分で考慮すれば、最も納得がいく。

 

楠栞桜の親しい友人・知人、同居している家族など

例えばDiscordなどで対局画面の共有を受けていた友人や知人であれば、対局中でも該当スレへの報告が可能である。そうでなくても同居して彼女の行動を直接見ることができる人物であっても可能である

 

この場合前者に関しては、後述する天鳳角田氏の行動が不可解に感じる。後者は昇段やポイントの変動が確認できるほど近くの距離で対局を見ている必要があり、その行動としては違和感がある。

 

天鳳セキュリティ上の不備を突き、観戦を行っていた第三者

正直突拍子もない可能性だが、いちおう可能性の一つとしては存在する。そしてこれが、本題の天鳳問題点にもつながる。

 

天鳳側はリアルタイムで上卓での対局の観戦を行う方法がないと主張する上で、第三者が実際に観戦できてしまうのだとしたら、それは大きな不正につながる恐れがある。例えば対局中に自身の対局を観戦しているのであれば、全員の手牌を見ながら対局できてしま可能性が出てくるからである

 

通常観戦モード自体は5分遅れで表示されるのだが、これまでのec発言書き込み時間の件をまとめると、正しく5分遅延が発生する観戦かどうか怪しいためである

 

天鳳はこの自体を把握しているのか

7月31日に、楠栞桜は以下の記事掲載している。

 

現在お騒がせしている動画情報について。

https://note.com/sio_kusunoki/n/n032f17f773c6

 

現在ニコニコ動画Twitterにて、一切事実とは異なる情報が一部出回っているっていることについて、天鳳つのだ様よりご連絡を頂き、私自身も確認しております

 

(中略)

 

悪意のある動画や、事実とは異なる情報拡散目的だと捉えられる動画書き込みに関して、時間がかかるかもしれませんが、法的処置を進めさせて頂きますのでよろしくお願いいたします。

 

ここに記載されている「天鳳つのだ様」とは、天鳳開発者であり運営を行っている有限会社シー・エッグ代表取締役である角田真吾氏のことであるさら記載されている「一切事実とは異なる情報」が何をどこまで指しているのか曖昧だが、同時期に候補にあがるような情報拡散は見られないため、ストーカー問題を指していると思われる。

 

そして、この記事掲載された7月31日時点でニコニコ動画掲載されていたストーカー問題関連の動画ほとんどは、この天鳳に関する異常に早い書き込みの件を取り上げている。ここから考えて、彼女に連絡を行った角田氏が都合よく天鳳の件だけ見逃しているとは思えない。

 

なぜか問題点に触れない天鳳運営

ここまで書いた時点で、天鳳側の行動に大きな疑問が生まれる。ドルアンスレ天鳳関連の記述を行っていた人物IPアドレスは、ほぼほぼ222.4.120.217で間違いない。

 

そして天鳳運営であれば、楠栞桜が対局を行っていた当時のIPアドレスを調べることが可能なはずである。この問題彼女が該当のスレッドに書き込んだ張本人でなければ、天鳳不具合を示す重要証拠となるため、調べない理由はむしろないと言える。

 

にも関わらず、天鳳側では現在に至るまで、このnote記事についてすら触れていない状況にある。

 

天鳳側の肩を持つ形で可能性を考えると、まだ調査中であったり、本当に何かしらの不備を見つけて対応しているのかもしれない。だからといって、具体的にその手法が明らかとされているわけでもない現状で、認識している旨の声明も出さないのはやはり違和感がある。

 

まとめ

前提の説明だけで大変な長文となってしまったが、今回の一件は

 

 

という、どちらにしても天鳳の信用を損うような状況が発生しているように見える。

 

現時点ではまだ楠栞桜周辺でしか注目されていないようだが、これが天鳳ユーザー全体に広まる前に、何らかの手を打ってほしいと願っている。

 

ありそうな質問

天鳳が、わざわざ楠栞桜の身の潔白を証明する必要がないのでは

ただでさえ状況の解説で長くなるので詳しく触れていなかったが、天鳳角田氏は楠栞桜というVtuber誕生全面的支援し、かつ彼女から頼んだわけでもないのにⓋ楠栞桜という専用IDを与えるなど、かなり入れ込んでいることが知られている。

 

かに指摘するように(天鳳不具合がないのなら)わざわざ証明する必要はないが、彼女Vtuber活動に「桜の花を咲かせましょう」とまで伝えた人物が、この状況下で何もしないほうが不自然ではないだろうか。

 

楠栞桜が5ちゃんねる、それも自分とは関係ないスレッドに書き込む意味メリットはあるのか

意味はないかもしれないが、意味がないからやらないという理屈の方がおかしい。

これはメリットデメリットで考えた場合も同様と言える。

 

楠栞桜が該当のスレッドに書くことになにか問題はあるのか

今回は天鳳の不可解な行動に不信感を持ったという話がしたいだけなので、その件に関しては問題があろうがなかろうが、そもそも語る必要がない。例えばこれが彼女ファンスレッドで同様の書き込みを行っていたとしても、その答えは変わらない。

 

あなた見解はどうなんですか

天鳳書き込みは楠栞桜本人が行っていて、天鳳角田氏はIPアドレスで証明できてしまうのでこの件に関しては口をつぐんでいると思っている。というか、天鳳セキュリティに不備がない限り、それ以外考える方が無理があるように感じる。

 

あなたは楠栞桜のアンチなんですか

正直なところ、楠栞桜自体はどうでもいい。

 

天鳳はなぜダンマリを決め込んでいるのか、天鳳の信頼を損なうような行動をとってまで守る価値がこのVtuberにあるのかという怒りと疑念を持つことが彼女へのアンチということになるのなら、アンチかもしれない。

 

複数プロ麻雀団体天鳳の成績を実績として扱うこともあり、天鳳は単なるゲームにとどまら真剣に向き合って参加しているユーザーも多くいる。配牌等の運要素でクソだなんだと理不尽に罵られることもある天鳳だが、こんなしょうもないことで、本気で失望されないようにしてほしいとは思っている。

 

追記

案の定、楠栞桜の部分に焦点を当てた反応が見られるが、この記事あくまでも天鳳とその運営に焦点を当てた記事である

 

この問題に関するまとめや記事は、その名称からして当然だが、楠栞桜というVTuberに焦点が当たりすぎたものが多い。

ただ個人的には彼女のことよりも、自身の信用を損なってまで彼女を守ろうとする(もしくはあれだけ入れ込んで起きながらあっさり切り捨てようとする)天鳳の行動に疑問を感じたので、この記事を書くに至った。

 

同様に近代麻雀編集部、並びに一部のプロ雀士にも彼女絡みで思うことがあるのだが、それは書くとしても別で改めて書くことになると思う。

2020-08-07

会社を無断欠席していつまでバレないかやってみる

新卒でこの会社入社して、正社員として働き早三年が経った。

しょぼいと思われるかもしれないが、

自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。

なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。

中学生ときバスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方から練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。

私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。

そのときのことは、正直昔すぎてあまりよく覚えていない。

単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。

ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。

今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしま出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。

それ以前もちらほらと、小学校読書クラブや、公民館児童クラブ友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。

それより象徴的なエピソードは、大学受験ときのものだろう。

私は県外の国公立大が志望で、地元私立大学も併願していた。

二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大学の前期試験に挑んだ。

父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。

そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。

だけどそれはおかしい、と同時に思う。

結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学合格し、結局実家を離れることになったのだから

前期試験あの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?

自信はあった。

試験範囲勉強計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。

今でも思う、あの日あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。

第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。

もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。

就職先も今の会社ではなかったかもしれない。

そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。

前期試験の日、私は試験会場の前までたどり着いた。

しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。

受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。

大学の正門前最後横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。

駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。

それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。

駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。

県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日からまり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。

好きなアーティストライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。

少しだけ後悔している。

きっと母親ホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから

私はやってしまった。

ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。

感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。

同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。

受験発表の日、ネットで番号がないのを先生確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。

月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。

結局、受験していても受かっていたかどうかはわからない。

長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。

それくらいしかあんなことをした理由は考えられない。

思い当たることがあるとすればあと一つだけ。

学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。

いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。

短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。

大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。

さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。

その最後の週だった。

作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。

いわゆる機械の非常停止ボタンだ。

大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。

他の停止ボタンと違って、プラスチックカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。

この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンス必要になり、その間はラインを停止させることになる。

一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。

そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。

これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。

班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。

からストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。

それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。

私はそれを班長そばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。

そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。

もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。

プラスチックカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。

班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。

その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。

その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。

私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。

流石に外までは追いかけてこなかった。

そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。

掛かってきた電話も全て無視して逃げた。

いわゆる「飛び」だった。

最低最悪なことをしてしまった。

その事件の後、私は罪悪感と共に、大きな不安に襲われていた。

それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。

理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。

ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。

怖かった。

とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。

実際は、適性検査タイミング不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのとき自分にはそれが奇跡に思えた。

そうして入社したのが今の会社だ。

入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。

こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。

何よりこの会社に入るとき、心に決めていたことがあった。

自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。

きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。

何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。

そして今年の四月で、見事それを達成した。

ああ治ったんだ、と私は思った。

私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。

その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってから毎日が楽しかった。

そうだ、毎日が楽しかった。

今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。

それなのに、私はまたやってしまった。

はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。

会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。

私は時間になっても、家の机に座ったままだった。

一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。

会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。

申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。

11時を過ぎて、まずい、と思った。

遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。

私は静かに時計の針が回るのを見ていた。

父親就職祝いに買ってくれた時計だ。

それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。

ほんの数時間前までは。

私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだ気づき始めていた。

怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているもの台無しにしてしまう癖。

治っていなかったのだ。

三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。

ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。

この病気は一生治らない。

発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。

たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。

ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか

ああ怖い。

恐ろしい。

いっそ死にたい

会社からはまだ連絡が来ない。

上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。

明日からお盆休みから休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。

しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。

私が「そういう人間」だということに変わりはない。

私は

私は……

2020-08-06

anond:20200806063106

反対意見自分たちで考えよ

反対のものはお前に気づきを与えるための、オプションではない。

本当に不愉快我慢我慢を重ねて我慢ができないからいいにきていると考えたほうがよい

2020-08-05

男子高校生AVもほしい

電車に乗っていて、隣の男子高校生から柔軟剤匂いがした。制服を見るとお金持ち系の私立高校だった。きっと母親が丁寧に洗濯しているのだろう。この子は大切にされている。その時ふと自分男子高校生に対する性癖が芽生えたことに気づき勃起しそうになったので慌てて漫☆画太郎ババアを思い出した。その日はネットに転がっていた男子高校生写真で抜いた。世の中エロコンテンツJK作品ばかりだが、こういう品のいい男子高校生コンテンツもほしいね。とりあえず電車乗ったら視姦している

anond:20200805100211

確認は繰り返し言うよりも、どう解釈たか相手に言わせる方が齟齬気づきやすい。既にやっているかもしれんが

2020-08-04

自分が思ってる自分創作に対するスタンスと、実際の自分創作スタンス齟齬がある気がしたから整理する。

個人的な話で読んでもなんのためにもならない。


私……生まれた時は夢豚だった腐女子夢小説デビューは某ジャンプ漫画。腐デビュー某国漫画

   昔からマイナーが好きになりがち。国漫画推しカプは露×冬将軍。ここから茨の道は始まっていた。

 小学生時代個人サイトで某ジャンプ漫画夢小説を連載してた。このころ閲覧者は0~2人くらい(多分)

 中学時代:見切り発車の連載だったから連載夢の着地点がない事に気づき始める。サイトで男同士の小説も書き始める。この時は腐という存在を知らず。

      →中2か中3の時にサイトを閉める。

  このころ位までネットの向こうに人がいるっていうのをあまり意識していなかった気がする。だから純粋小説を書いてサイトに上げるって行為を楽しんでた。

 高校時代支部活動を始める。(おそらく)初めて投稿した小説ブクマ12くらい。非公開だけど作品一覧に残ってる。

  このあたりでツイッターを始めてネットの向こうに人がいるって感覚が強くなったと思う。

 現在支部活動しつつ、時々同人誌を出す。今の主ジャンル(Aとする)で初めて同人誌を出した。20冊捌けないレベルの弱小サークルものによっては10冊でも半分くらい余ってる。

    Aの最新作のブクマは5くらい。最盛期はブクマ400は超えた。


私が小説を書くのが下手ということに関してはまったく異論がない。

でも、たまにメジャージャンルにハマった時はランキングの後ろの方にくらいは入るし、ブクマ1000を超えることもある。つまり、目も当てられないほどではないはず。

ブクマ数閲覧数はハマったものの規模の差でしかないと思って、今まで気にしていなかった。と思っている。

ここからが本題。

最近、超でっかいジャンル(Bとする)の小説息抜きに書いて上げた。そしたら長らくAで考えられなかったくらいブクマされた。

コロナで外出を自粛してるのもあってここ半月くらいでハイペースで色々上げたからそれのブクマ数、文字数コメント数を一覧にしてみる。

・Aの腐(約5000字)…ブクマ約5、コメント0(5日で)

・Bの夢(約1万字)…ブクマ約150、コメント1(1日で)

・Bの腐(約8万字)…ブクマ100、コメント7(1週間で)

参考に

・Aの腐(約6万字)…ブクマ約50、コメント0(半年で)

Bの夢>Bの腐>Aの腐って順に需要があるんだなって気づいた。

あとは8万字は長すぎて読む気が起こらないのかもなとも思った。でも、感想はたくさんもらえた。普段はもらえないのに。

二次創作関係なくジャンルだけで考えるとAの方が好き。やっぱり主ジャンルはAだと思う。

でも、次回作を書こうと思うのはB。


私は書いて投稿するだけで満足するタイプだと思っていたけど、そうではないっぽい。厳密にはそうではなくなったらしい。

中学のころまでは見られるとか評価されるとかは考えた事がなかった。

でも、今は評価されて感想までもらえるBの方を書こうとしてる。ジャンルのものはAの方が好きなのに。

しかも、8万字書いてブクマ100のBの腐ではなく、1万字でブクマが150もらえるBの夢の方。夢は腐ほどピンとこない。ピンと来ないのに手軽に褒めてもらえるから書こうとしてる。

内的動機づけがいつの間にか外的動機づけに変わってるのだ。


外的動機づけデメリットは主に二つ挙げられる。

①設定した目標に対して手段を選ばなくなることがある。

目標を達成した時に満足してその先がない。

もう既に①に陥っている。大好きという理由じゃなくて手軽に評価がもらえるからという理由で書いている。

目標特にいから②はないかもしれないけど、評価をもらえなくなったら筆を折るかもしれない。もしくは175みたいな存在になってしまうかもしれない。今はギリギリ、好きだけど一番ではないジャンルを書いているで収まっているけど。

この先も健全同人活動を続けるにはこの状態をなんとかしなければ危ない。


ずっとメジャーできゃっきゃうふふできるんならいいんだろうけど、私が好きになるのは大体マイナーから外的動機づけを求めると絶対につらい。楽しいのはたまたまメジャーにいる今だけだ。

BですらハマってるCPはBの中のマイナーCPだ。他のPCと比べると圧倒的に作品数が少ないし、ランキングでこのCPはほとんど見たことがない。

やっぱり今の状況ヤバいよなーという客観視ができたところで結論とする。

家族呪い

さいころから我が家特殊だった。幼児自分の置かれた環境を「普通」だと思い込みがちだが、思い込めないほどよその家庭とはすべてが違っていた。

特殊な点その一。母の精神状態が悪く、常に暴力暴言の嵐であった。

その二。私以外のきょうだいの仲も悪かった。私が生まれる前からいさかいは絶えなかったらしい。あるときなど喧嘩包丁と金バットを持ち出してきた。

この状況を「普通」と思い込めるほど、残念ながら私は愚かではなかった。

幼少期は夫婦喧嘩が多かった。そのたびに私はわざと泣き、二人の気をこちらにそらして仲裁の真似事をしていた。

きょうだいがなにか自慢げに「――はこれできるか?」と言いながらなにかを披露してきたときにはできないと答えた。やってみろと言われたらわざと下手に披露した。なにをきっかけに激昂されるかわからなかったからとにかくニコニコしながら過ごしていた。

怒鳴り声は嫌いだ。身体がすくんでしまう。腕を振り上げられるのも嫌い。咄嗟に顔をかばいながら縮こまってしまう。

きょうだいにはよく「――は人にかわいがられるのがうまい」と言われた。たぶん、本当にそうなのだろう。だが私が思うに、顔色を窺って相手の機嫌を損ねないような媚びたふるまいを自然とするようになったのは、絶対に家庭環境由来だ。

小学校の間は母の精神状態は治らなかった。時には下着姿で真冬ベランダに締め出され、時には土下座をさせられて背中を踏みつけられた。塾の成績が落ちた、口答えをした、単に虫の居所が悪かった……結局は暴力理由なんてない。

その状況で父は特になにもしなかった。だが、私にとっては暴力をふるってこない、怒鳴らないという時点でプラスだと感じていたので父にはなついていた。父も私をかわいがった。遊びに連れて行ってもらったり、父自身の話をしたり。父は話すことが上手だったため楽しかった。母と居るよりは何百倍も。

中学にあがると母に腕力で勝てると思う瞬間が何度かあった。逆襲を察知したのか、母自身精神状態比較的落ち着いたのかはわからないが、暴力は減った。そのころにはきょうだいも進学等で家を離れ、両親と私の三人で暮らすこととなっていた。

大学に進学した。絶対実家から離れたかったため遠方の大学を選んだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる。「今回こそは大丈夫かもしれない」とうっすら期待をもって、たまの帰省に挑んでも、毎回実家に着いて1日もたてば「帰ってこなきゃよかった」と思った。このころにはなついていた父に対しても猜疑心が生まれていた。大学学費を頻繁に滞納し、不必要な高級品はすぐに買う。支払いは父方の祖母がもっていたらしい。昔は母と比較してマシだから暴力をふるわないから、味方になってくれるから、という理由で父のことが好きだったのだが、改めて思い返せば昔から父はずっと経済DVをしていたのだ。味方だったのは口先だけ。中高の学費すらも払われておらず、祖母が払っていた。本当はずっと見えていた事実だったが、父だけは味方だと信じたいあまり私自身が見ないふりをしていたのだ。

そんなこんなで、今現在「家族」バラバラだ。両親は同居しているが、子どもたちはそれぞれ実家から離れた場所に住んでいる。盆や正月でも集まることはない。単体で会うことはあるが、全員集合など冠婚葬祭以外ではありえない、という状況だ。

今まで書き連ねてきたことを読めば、わが「家族」最初から機能不全状態だったことはよくわかるだろう。だからこそ憧れの「家族ごっこ」がしたいのかもしれない。白羽の矢が立つのは、なぜかいつも私だ。

きょうだいは私とは会いたがる。他のきょうだいとは絶対に会わないくせに。父は私と会うと酒を酌み交わしたがる。そして酒のつまみに他のきょうだいのことを「本番に弱い」「内弁慶」などと評し、嗤う。私のことは「本番に強い」「勢いがある」「いい性格をしている」と言い、ほめる。

みな私のことを「彼氏を尻にしいて振り回しているだろう」「仕事バリバリやっているだろう」「仕事場でも一番美人だろう」と言う。「どの場所にいても一番強く美しい存在であること」を、なぜか期待されている。

一度酒の勢いで「なぜ母と結婚したのか」と父に聞いたことがあった。答えは「自分の優秀な遺伝子を残したかたから、遺伝的にも本人も優秀な母と結婚した」。グラスを落とすかと思った。「結果として子どもがみんな優秀に生まれたか成功」と笑っていた。幼少期の、あの辛い暴力の日々は父のエゴからまれたのだ。だけど父は母の暴力にはほぼ無干渉だった。私を救ってくれなかった。ふざけるなと酒をぶっかけて暴れだしたかったが、20年以上培ってきた相手の機嫌を損ねないような媚びスキルが発揮され、笑ってその場をやりすごしてしまった。

父が私に固執する理由は、わかる。成功であるきょうだいたちの中で、私が一番父の性格に近いのだ。自信家で、楽しいことが好きで、したたか。父は自分クローンを作りたかった。厳選結果、私が6Vのうえに見事性格一致!厳選成功おめでとう。今までたくさん父の趣味の話も共有したし、私の媚びスキルも相まって父の好きなものは私も好きになったものね。糞くらえ。私は私だ。

きょうだいは父の毒性に気づいていない。単に向き合おうとしていないだけかもしれない。私自身「母よりマシ」という気持ちで長年覆い隠していたのだ、仕方ないという気もある。

父は話をするのが本当にうまい。実際、頭もよくて物知りだ。それに憧れを抱いてしまうのか、きょうだいは父の価値観を内在化しているように感じられる。だからこそ「父にそっくりで、父に愛されている私」を評価してしまうのだろう。私が評価されることできょうだいは確実に割を食っていたのに。そして父の思う「私」は現実の私とは若干の剥離があって、さながらファムファタルのような人物像となっている。甘えた、自由奔放、無邪気、魔性。なんと、この崩壊しきった「家族」を生きるための媚びスキルで覆われた状態こそが真の「私」だと思われているのだ。笑えてくる。わずかながら存在した、幼少期の楽しかった記憶すら今となってはむなしい。昔から家族のだれも私のことを理解していなかったのだ。

家族にまつわるもの、全部気持ちが悪い。この人生は一体なんだったんだという気にすらなる。父、きょうだいは私に対する理想化をやめてほしい。母の精神性についてはいまだに何一つ理解できず、母自身どんな歪みを持っているのか底が見えなくて気持ち悪い。

極力実家には寄り付かないようにしている。きょうだいとも関わりを持っていない。現在の住所も誰にも教えていない。実質縁切り状態とも言えるかもしれないが、お前らの行動は最悪だった!二度と会わない!と宣言したわけでもなく、しれっと無言で距離を置いているだけにすぎない。なにかあったときには連絡が来るし、実家に帰らざるを得ないこともある。

いつまで媚びスキルでやりすごす段階にいるの?と自分自身に対して思うのだ。毒親機能不全家族に対する勉強もした、今まで言語化できなかった苦しみをこうして文章化するまでに至れた。甘えたふりでかわす必要、もう無いんじゃないの?怒りの感情だって、泣いてわめいて拗ねたふりでごまかすんじゃなくて、言葉にして、ちゃんと伝えて、一回区切りをつけようよ。……そんなことはできるのだろうか。だが、家族との区切りをつけないと、私自身に成れないような気もするのだ。

家族呪いだ。血のつながっているだけの他人なのに。「良い家庭」で育った子と会話すると否応なしに私の置かれた環境がどれだけ異常だったか実感させられ、みじめな気分になる。ふとしたとき自分言動が父や母のそれと酷似していたことに気づき、ゾッとする。染みついたものは変えられない。でも変えていくしかない。

いつか死ぬまでには呪いから解き放たれることを願っている。

anond:20200803202355

昔々ある村に、浦島太郎という若者がいました。

浦島太郎釣りをしようと海辺を歩いていると、子供が3人、大きな亀をいじめているのを見つけました。

浦島太郎子どもたちに言いました。

「おいお前達、亀をいじめるのをやめないか。弱いものいじめて、恥ずかしくないのか」

「なんだお前!うるせーな!おいもう行こうぜ!げほっげほっ!」

浦島太郎子供たちから大きな亀を助けてあげました。

去っていく子供の一人が、「今日はなんだか寒気が止まらない」と言っていたのがやたら印象的でしたが、浦島太郎はすぐに忘れました。

大きな亀は助けてもらったお礼に、浦島太郎竜宮城に連れて行くと言いました。浦島太郎竜宮城がなにかわかりませんでしたが、ぜひとも連れて行ってもらうことにしました。

浦島太郎は大きな亀の背中に乗り、海の中に入りました。不思議と呼吸ができて浦島太郎は驚きました。

深く深く海の中に潜っていき、しばらくすると、この世のものとは思えないきれいなお城が見えてきました。

お城の中に案内されると、いろんな魚たちが浦島太郎を出迎えました。

竜宮城の主人である乙姫というたいそう美しい女性が現れると、大きな亀を助けたお礼として、浦島太郎をたいそうもてなしました。

もてなされるままに竜宮で過ごすうち、2週間が経ちました。そろそろ帰らねば。浦島太郎はそう思い、竜宮を発つことにしました。

竜宮を発った日、乙姫はなにやら体調を崩したので、別れの挨拶もできずに去ってしまたことが心残りでした。

浦島太郎は地上に戻ると、大きな亀から玉手箱を授けられました。乙姫から伝言です、そう言い大きな亀はこう続けました。

玉手箱あなたが竜宮で過ごした『時間』を箱に収めたものです。決して中を開けないでください」

浦島太郎はうなずき、大きな亀と別れました。

浦島太郎は村に戻ると、なにやら様子が変わっているのに気づきました。村に人が一人もいない。荒廃した家屋雑然と残されていました。

浦島太郎困惑しつつあたりをくまなく探していると、ようやく一人の男を見つけることができました。

浦島太郎はすがるような思いで男に尋ねました。

「私は浦島太郎と言います。私の家族をご存じないですか」

男も自分以外の人間がいることに驚いたのか、目を見開きました。

「浦島?あなた、この村の祖先かなにかですか?」

祖先?一体どういうことですか?私の家族は、村の人たちはどこに行ってしまったのですか?」

「落ち着いてください。私は民俗学者で、この村に関係する人間ではありません。数百年前、この村で奇病が流行って、村は全滅しました。私はフィールドワークでこの村のことを調べに来たのです」

「そんな!数百年だって!」

浦島太郎愕然とし、その場に崩れ落ちました。

どうやら竜宮で過ごした数週間は、地上では数百年経っていたらしいことに気づきました。

がっくりとうなだれ浦島太郎は、ふと持っていた玉手箱に目を落としました。

「そういえば亀は言っていたな。この箱には『時間』が収められていると。もしかしてこの箱を開けると、自分暮らしていたあの時に戻るのでは」

浦島太郎はすがるような思いで箱を開けました。すると箱から、もくもくと、おおきな煙が現れて浦島太郎を包み込むと、浦島太郎は歳をとったおじいさんに変わってしまいました。

突如、浦島太郎を襲ったのは強烈な寒気でした。咳が止まらず苦しみだし、その場に倒れ込みました。

一連の様子を見ていた民俗学者の男はあまり出来事呆然としていましたが、苦しんでいる浦島太郎にはっとして声をかけました。

大丈夫ですかあなた。一体何が起きたのかわかりませんが、すぐ近くに私の宿があります。とりあえずそこで看病をいたしましょう」

民俗学者の男はよぼよぼの老人となってしまった浦島太郎の肩を担ぐと、近くの国道タクシーを捕まえて、観光地近くのホテルへと向かっていきました。

おしまい

2020-08-03

anond:20200803222434

怒ってはならない。怒りと、自死へ至る絶望というのは表裏一体である

世の中のあらゆるものを受け入れ、自我拡散させ、宇宙と合一することによって、真理へと至ることが、救いに至る唯一の道なのだ

感情依拠することは、自我肥大へ向かう道であって、真理とは逆方向にあるのだ。気づきたまえ。

嫌なことがありすぎる

財布を忘れたのが午前中。

バスに乗ってきたのに店で忘れたのに気づき、結局予定していた事の半分しか終えることができなかった。

帰宅し、お昼を食べる。

昼のあと、先ほどの予定の残りとは別の予定があるので、準備をして家を出る。

バスに乗って駅にたどり着き、改札を潜ってペットボトルの水を買って、改札に着いて気づく。

財布忘れた……………

ご丁寧にマイバッグ定期券は新たに入れ直したのに、財布だけ忘れた。

暑さ対策で保冷剤もタオルにくるんだのに。

改札入っちゃったから、駅員さんに言って出ないといけない。

入った改札に戻ると、デブおっさん新人っぽい女性の駅員さんに詰め寄ってた。

揉めてて5分くらい待たされた。

待たされてる間に、26くらいの神経質そうな女性が、列並んでますか??って真横に来て聞いてきた。

どう見てもここに立ってくださいマークの上におるやろ。

近いんじゃ、離れろ。

そして暑くて死にそう。

私の番になって事情を話したら、小さい声で10分以上経ってるんで入場料必要ですと言われた。

いくらですか?と聞いてもボソボソと言うので分からない。

しゃーなしと思って払ったが、いや、よく考えたら5分ここで並んで待ってたよな??

その分のロスが大きすぎん?と思ったが、すでにSuicaから支払いがされたあとだったので何も言わずに出た。

とりあえず財布を取りに家に帰らねばならぬ。

バスで帰ってもいいが、さら運賃を取られるわけにはいかないと思い、タピオカを飲みながら歩こうと思った。

近場のタピオカ屋に入るが、電子マネーが使えないとのこと。

並びのスタバに入るも、ここも電子マネーが使えないという。

すると、さらに並びのファストフード店タピオカが売っている!!

しかSuicaが使える!嬉しい!!

しかテイクアウトで頼むと、なぜか番号札を渡され、席でお待ち下さい、という。

テイクアウトですが…って言ったが、お席でお待ち下さい〜と言われた。

かれこれ5分くらい待った。

なぜか遠くのカウンターからタピオカお客様ーと言われたが、番号札を貰ってるので動きたくない。

待ってたら来てくれたので安心した。

さて、飲みながら帰ります

その後

飲みながら帰っているが、最近流行りの紙ストローが2口目でヘタってきた。

帰ってきたら網戸が開いてた。泣いた。

常備のリポDをキメて、もっかい出陣。

財布は持ちました。

無事に目的地にたどり着き、コンセントのあるカフェも空いていて上々です。

あとは家に帰るだけです。

ふぅ…

追記

普段はぜんぜんこんなんじゃない。

なぜか暑い今日に限って予定が立て込んでいるにも関わらず財布を忘れて時間無駄にし、苦手なタイプ人間が何人も立て続けに関わってきたものからしんどいだけ。

これだけ見ると、自分でも相当生きづらい人間のように思うけど。

2020-08-02

anond:20200801222238

ちょっと違うけど自分かとおもった…

私はおとなになってからカウンセリングいったが、話すのも苦痛ななかどうにか伝えてみたものの、女性カウンセラーに「私もそういう経験あるけど、なんでだろう。もっと女を利用していきていけばいいじゃない」と言われて心が折れた。

こんな目にあうのは自分性別のせいだ、と毎日毎晩考えて過ごしたせいで、女であることを思春期以降ずっと呪ってきてしまっていたんだな、となんとなく気づき、ようやく折り合いつけられるかもとおもっていた最中だったので。辛かった。

今は年取ってあんまり性別意識することな生活できるようになったから楽にはなったものの、結婚恋愛という普通のことから身を遠くに置いて40も近くなってしまたこと、おそらく今後も一人で生きて、いまだにあるトラウマフラッシュバックにうなされるんだろうなと思うとやや切ない。

俺は成長している

ソシャゲプレイするより同じ時間アニメを見漁った方が有意義だということに徐々に気づきつつある

2020-07-31

旦那と愛

anond:20200731031753

を読んで徒然

金のためってか家族として円満でいるために

そんな好きでもないセッのたびに

旦那が喜ぶから喘いでいる

旦那が喜ぶからもっとして〜とか言うけど

完全に演技

さっさと終わんねーかな以外無い

酔うと甘えてくるのを

死んだ目で膝枕

家族としては好きだけど

もはや恋愛感情ではない……

が、そんなの面と向かっていうとプライドをあまりにも傷つけそうで可哀想から言えね

好きだし、傷ついて欲しくない

の子(難病持ち)の介護仕事辞めちゃって、(するほどの理由ひとつもないけど)離婚もできないし

一生共に暮らすなら、仲良くやりたいかしょうがない

旦那がどういう嗜好の人なのかは熟知してるから、完全にそれに合わせて演技してるけど

そんなの気づきもしないで

「したいでしょ?してあげるね」みたいなことを言われると、ちょっとムッとする

んで夜中に起こされたりすると蹴っ飛ばしたくなる

寝付けねーし

が、その反面、旦那が完全に自分の掌の上にいることに安堵する

2020-07-30

剣も魔法も使えない俺が大作RPG勇者パーティーに入る話

 荷物が重たかった。せめて荷物持ちだけでもと頼み込んだ手前、音を上げるわけにはいかなかった。しかし、重い。起伏のある山や視界の悪い森などでなく、平坦で見通しのよい広野を歩いているのが救いだ。

 前を進む勇者さんがこちらを見てくれた。気を遣ってくれているんだろう。大丈夫です、と元気よく返事するつもりが、声が出なかった。荷物が重い。目的地の説明は受けている。けれど、この世界地理がわからないことに加え、僕に合わせて歩くスピードを落としているため予定通りの道程はいっていないだろう。そんなことを考えるとますます情けなくなってくる。

 スマートフォンで遊びたい。クーラー温度を18度にしてダラけたい。シャワー浴びたい。そんな、ほんの少し前の当たり前を思い出して荷物の重さを忘れようとする。けれど、五分ともたず、荷物の重さで足を進めるのが辛くなってくる。あのすこし先にある、背の高い植物のところまで歩いたら水を飲もう。水を飲んだら、また、歩こう。また、クーラーのことを思い出そう。

 そうして歩き続けた。繰り返しの最中、幾度も勇者さんがこちらを心配そうに見てくれた。僕も三回に一回ぐらいは声を返すことができた、大丈夫ですと。日を遮るような影が無いので、腰を下ろしての休憩はお預けだったのが辛かった。

 ようやく木々が生茂る森の入り口までたどり着いた。視界が悪くなるのは怖かったが、木陰で休みたかった。そう、ホッとした僕の気持ちを察したかのように、その森の入り口から黒いコウモリのような生き物が飛んでき、僕らの目の前でホバリングを始めた。僕が知っているコウモリにしては目が大きく羽が小さい。もしかするとキャラクター商品になっていたら可愛いと思うのかもしれないけれど、大きな口が怖かった。あのとき、腕を噛まれたことを思い出す。怖い。勇者さんの後ろに隠れるように身を縮める。怖さを紛らわすために、彼のマントを掴んでしまっている。失礼だし、動けなくて迷惑なのはわかっているが、怖かった。

 勇者さんが僕を見て、マントを離すよう手振りをする。ごめんなさい、と謝りながら、それでも恐怖で身がすくんで中々離せなかった。そうウジウジしていると、黒いコウモリが威嚇するかのように、刃のように鋭い牙を鳴らす。僕はますます怖くなり目の端が湿ってきた。勇者さんが僕の頭を小突いた。僕は彼のマントを掴む左手を、右手必死剥がした。

 勇者さんは腰に据えた剣を抜き、そのコウモリを一目。そこから先は、怖くて目をつぶっていたが、目をあけていてもわからなかっただろう、あっという間に退治してしまった。

 それから、僕が落ち着くのをまって森を進んだ。けれど、そこから今夜の寝床を見つけ、実際に日が落ちるまでの間、都合6回も先ほどのコウモリや、水色の先がとんがったおまんじゅうのような生き物と出会った。そのたびに、僕は同じように怖がり、同じように勇者さんが退治した。

 日が落ちる前に、いい寝床を見つけられた。川の近くで水がある。汗を流せるのが嬉しい。今までのような生き物に襲われることを考えると、気が気ではない。けれど、勇者さんが透明な瓶に入った水をあたりに撒くのを見て、ホッとした。あの水は聖水といって、人以外の生き物を寄せつけなくする効果があるらしい。実際、今までこの聖水を撒いてからかに襲われたことはない。なら日中も撒いて欲しいのだが、勇者という立場上そうもいかないらしい。

 勇者さんは聖水を撒いたあとも、テントを貼ったり、火を焚いたりと色々と作業をされていた。僕も何か手伝えることはないかと尋ねると、彼は優しく夕餉ができるまで横になっているといいと返してくれた。申し訳なく、そうもいきませんよと水汲みを申し出た。しかし、聖水を撒いた外であることに気づき、僕は涙目になりながら川と寝床自分と彼の水筒と、体を拭いたりするためのバケツの三往復ほどした。明日の朝にもこれをしないといけないことを思うと、もっと近くに寝床を作ってもらうか、川までの道のりも聖水を撒いてもらえばよかった。

 水を慎重に使いながら体をふく。勇者さんと会う直前にコウモリに噛まれた左腕の傷の治りをみる。勇者さんの使う医療は薬や漢方ではない僕の知らない技術なので不安だったが、膿んだりしている様子はなく数日中には綺麗になるだろう。

 日が落ちて、夜になった。

 僕は怖くなかった。勇者さんが目の前に居てくれるからだ。もちろん、日中も目の前に居るのだけど、彼の後ろ姿を見ているのと、彼と目を合わせているのとでは、安心感が違った。焚き火に木をくべる勇者さんを見ていると、不安気持ちがなくなっていく。僕は、この時間が好きだった。

 彼もこの時間特別ものにおもってくれているのか、日中と違い雄弁になる。勇者としての今までの話、勇者として任命されるまでの少年時代の話。僕はあの重い荷物をもって歩いたことも、奇妙な生き物に怯えて涙していたことも忘れて、話に相槌をうち、会話と食事を楽しんだ。食事の内容は質素ものであったけど、美味しかった。僕は、感謝気持ちを伝えた。突然現れた何もできない自分を旅の共にしてくれていること、いつも守ってもらってばかりなこと、何もできないことの謝罪勇者さんは余計な世辞を入れることなく聞いてくれた。その優しさも嬉しかった。

 お喋りが終わったあと、テントはいり、横になる。広いテントではないので、じっとしても彼の体に触れてしまう。汗を流したといえ、いわゆるボディソープシャンプーをしたわけでもないので、彼の体臭がする。きっと、僕の匂いにも気付いているだろう。こうやって二人で寝るのは初めてではないが、その申し訳なさにまたすこし惨めな気持ちになってしまった。それを振り払うように、僕は彼にできることが何かないか考えた。

 彼だって疲れているだろうから、せめて足を揉んであげるのはどうだろうか。そう提案した。彼はあまりそういったマッサージを知らないらしかったが、物は試しにと許諾してくれた。彼の足元に移動する。そのときも、狭いテントの中なので、体が触れ合ってしまう。彼の足を触るのだから、その程度なんでもないのだけれど。足の裏や、太ももを揉むと彼は少し息をもらしながら、くすぐったそうにしていた。僕もマッサージ経験があるわけじゃないので、上手にできているとも思えなかった。けれど、彼の足を引っ張り続けていることを思うと、この程度のことでもいいから彼に何かをしたかった。

 足だけじゃなく肩もしてくれないか、と勇者さんは言った。僕はお願いされるなんてことがとても嬉しくて、もちろんですと答えて肩も揉んだ。彼がうつ伏せで横になり、そこに上からのって肩を揉む。さっきまで、少し腕や足が触れただけで申し訳ない気持ちになっていたのに、いつのまにか体が触れ合うことが当たり前になっていた。力を込めるために彼の腰を挟むようにおいている足に力を入れて、肩や背中をもむ。

 少し汗ばんできてしまった。せっかく汗を流したのにと少し後悔した。きっと彼もこうやって汗をかくほどにマッサージをされたら不快だろう。なので、勇者さんそろそろ終わりにしましょうかと声をかけた。

 ところが、彼は無言で仰向けになった。腰を足ではさんで乗っている僕の臀部に当たるものがある。僕にも付いているから、それが何を意味しているのかはわかる。けれど、彼が何を欲しているのかはわからなかった。僕なんかがと思ったからだ。汗臭い。男の臭いだ。下履きの中で苦しそうに隆起するそれがかわいそうに思え、腰を少し浮かしてもらい、外へ。暑い勇者さんの荒くなった呼吸と、僕の呼吸、それと二人のそれが放つ熱がテントの中をめぐる。そう、気づくと僕も硬くなっていた。汗が張り付く服がもどかしく、上も下も脱ぎ捨てた。彼も上を脱ぎ、僕が脱がした下のそれと重ねた。ああ、僕は今彼に求められているのだ。僕も彼を求めているのだ。そう思うだけで、もう胸がいっぱいだった。どうしたいんだろうと考える余裕もなく、彼の体に触れていて。どこに触れていないかからないぐらいたくさん触れた。手だけじゃなく、足で、腹で、胸で、首で、顔で、触れた。奇妙なことに体の前で触れているのに、背中でも触れているような気がする。そのぐらい、僕は一生懸命に彼の体を弄っていた。彼もだ。僕の右腕を噛むように顔を押し付けてくる。痛かった。嬉しかった。二人を比べるように合わせると、彼のより遥かに小さいそれが情けなかった。けれど、情けないと思う以上に、僕は嬉しかった。そんな情けなさを飲み込むような大海が二人の中にうねっていたからだ。僕は自分の情けなさをすこし、許せたような気がした。

 それから勇者さんは果てた後すぐ寝入ってしまった。

 テントの外に出て、組んであったバケツの水で体を拭こうと思った。けれど、もうバケツは空だった。夕餉の前に体をふいたり、その後お喋りをしながら飲んで空になったことをすっかり忘れていた。

 僕は、水を汲みに行こうと思い、バケツをもって川へ向かった。聖水を撒いていない道は怖く、また僕は目の端を湿らせた。ビクビクと怯えながら急いで水を汲みテントの前に戻った。

 起こして付いてきてもらえばよかった。そう後悔しながら、体を拭く。右腕が痛かった、アザになっていた。夜明けまであとどれぐらいあるのだろう。昼まで寝ていたいが、もちろんそうもいかない。

 僕と勇者さんは明日も「広野を行く」のだから

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増田でこれを書いたら、文章に起こすといいとアドバイスをもらったので書いてみました。

ワイが最近寝る前にしとる妄想が変な方向になって困っとる

https://anond.hatelabo.jp/20200726021218

とある二次創作界隈で文字書きを潰した話

とある二次創作ジャンルの、氷山の一角に私はいました。

どこにでもあるような、同人界隈でのトラブルお話です。

すでに、所謂流行り」であったそのジャンル毎日目まぐるしくイラスト漫画小説などの作品ウェブ上にアップされ、コロナ関係イベント自粛などがありながらもそれなりに盛り上がりを見せていました。

ある時、一つの小説が世にアップロードされました。その作品はそこそこ有名な絵師宣伝され、ブックマーク数を700ほどまで伸ばし、作者のフォロワー数も500近くまでのぼりました。

文字書きでフォロワー500というと、そのジャンルではまあそれなりに有名というような立ち位置で、現に私はその作品で作者を知ることになります

作品自体、とても素晴らしいものでした。原作時代背景やキャラクターの心情などを豊かに描いた、本当に素晴らしい作品でした。

それを受けて、今度はある有名絵師が、その小説漫画をつけたいと申し出ました(これはおそらくDMなどでやり取りされており、公にはなっていません)。

そして小説の作者はそれを了承し、申し出からどれほどか分かりませんがそう遠くないうちに漫画が公開されました。

有名絵師フォロワーは1万人を超えていました。瞬く間に漫画拡散され、ツリー掲載されていた小説も同じように人の目に再度触れることとなり、700ほどだったブックマーク数は数日で1300までのぼりつめました。

まり小説への宣伝効果で言えば、これ以上ないほどの成功だったと言えます

しかし、有名絵師にとって、また、のちの小説作者にとっても、タイミングが非常に悪かったのです。

小説の作者は、この小説の再録本を作る予定を控えていました。漫画公開の二日前に、表紙ができたとツイートしていたので、ああ出すんだなと思ったのを私も覚えています

そして小説の作者は、漫画が公開されたその日に「本の通販が始まりました」とツイートしました。

漫画が出たタイミングだったので、私はその有名絵師が表紙を描くのだとか挿絵をつけるのだとか、まあ何かしらに関わっているのだろうと漠然と思っていました。

しかし表紙にキャラクターイラストはなく、おそらく有名絵師は絡んでいないのだと理解するまでそう時間はかかりませんでした。

描いていないならいないで、別に構わなかったのです。迷っているうちに在庫はなくなり、なんとなく惜しいような諦めのつくような、そんな気持ちで日々の忙しさに戻って行きました。

一か月ほど経過したある日、有名絵師が気になるツイートしました。

宣伝に使われたようで不快だ」

自分には全く話がなかった」

簡潔に書くとこの二点です。

有名絵師のこともフォローしていて、イラスト漫画を逐一確認するくらいにはファンだった私には、最近活動を振り返っても宣伝になりうる要素と言うとあの小説のことしか思い浮かびませんでした。

日付を確認しても、やはり漫画の公開と小説通販開始日は一致しています

そして何より、漫画ツイートした有名絵師の呟きがしっかりと削除されていました。

なんの関係もない、第三者の私が勝手に焦るほどでした。

有名絵師アカウントに鍵をかけ、ツイートを削除したのち解放しました。

「今後描くなら相互だけにする」というツイートを残して。(現在は削除されています)

それから暫くしても、小説の作者はそのツイートに気づいた様子がありませんでした。日常的なツイートをするばかりで、もちろん当事者で話をするなりしていればいいと思いましたが、何せ絵師漫画を消していますから遅かれ早かれ読者は気づきます

そして勝手ヤキモキしているうちに、他の読者が匿名ツールを使って小説の作者に凸しました。

内容は公開されていないので細かいことは分かりませんが、作者のツイートを見て「あのことだろうな」ということは察することが出来ました。

匿名ツールでどんな風に送ったのか、私には分かりません。

けれど、当該ツイート(不快だ、話がなかったetc.)は消えている状況で、確認のしようがないこと。絵師に「不快でしたか?」と聞けるわけがないこと。自分宣伝のために同じ日に通販を開始したわけではないと証明するのが不可能であること。

それらの要素を踏まえ、「痛いところを突いてきた」「笑ってしまった」と作者はツイートし、端的に言えば「誹謗中傷の類い」のメッセージだと捉えたようでした。

どうにも、納得がいきませんでした。

絵師は、事実がどうあれ不快だと感じていました。

小説の作者には本当にそんな意図がなく、また「小説を本にします」だなんて言えばそれこそ「買ってください」というようで言いにくかった、という心情があったかもしれません。

相手は有名絵師です。時間の隙間に読んだ小説の出来が良く、漫画を描いてみたいと思ったけれどお金を出すほど好きかなんて分かりませんから、私が小説を書いた本人なら「本を作ります」とはわざわざお知らせしないと思います

からこそ、小説の作者にも思うところはあったと思うのですが、絵師不快だと思った、その証拠がないからと言ってメッセージ批判だと受け流し、あまつさえ嗤うなんてことには到底納得ができませんでした。

私は作者に、ツイートの内容に心当たりがあること、有名絵師ツイート自身も見たこと、今は消されていることを匿名ツールで送りました。信じられないのであればと、絵師が描いた小説を題材にした漫画が消されていることも付け加えて、送信しました。

それから間もなく、小説の作者はその前のメッセージを笑った、という呟きを削除し、そのうちにウェブ上に上げていた全ての小説も削除しました。

私以外にも、それが事実だと送った人がいたかもしれないけれど、間違いなく私は一人の文字書きを潰したひとりです。

絵師小説の作者は、漫画作成にあたり何度も経過を確認し、やり取りをしたそうです。そのやり取りの中で絵師小説の作者に何かモヤモヤしたものを感じていて、今回のことで爆発したのかもしれないし、なにもなかったけれど何か逆鱗に触れてしまったのかもしれません。

小説の作者は、作品を全て削除した後で「もう自分の手から作品を手放さない(誰かに手を加えさせない?)」「馬鹿げている(勝手勘違いをされたことに対して?)」とツイートしていたので、全てを明かす気はないようだし、絵師と今後関わる気もないのだろうと解釈しました。

今回、私の心情としましては絵師の味方寄りでした。絵師不快だと言っていた情報を受け止めずに批判だと笑ってしまうところや、事実が判明したあともまるで批判を受けたために筆を折ったような遠回しな言い方しかせず、現にフォロワー心配するばかりで事の顛末を知らないまま今に至るからです。

知らせる必要はないかもしれませんが、あまりに保身的だと思いました。

人は、人の何気ない行動を不快に思い、傷つき、潰れます

自分以外は信じないというのが、一番の解決策かもしれませんね。

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