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はてなキーワード: 気づきとは

2020-08-31

8月31日

8月の終わりが近づくたびに思い出すことがある

8月31日の朝、ラジオ体操が終わった後に近所の団地の公園に行くとあの子がいる

違うクラス同級生で、笑うと黒目がちになる女の子

普段は話すことも遊ぶこともないけど、いつのから8月31日だけは朝から日が沈むまで二人で遊んだ

近所の駄菓子屋に行ったり、公園の生ぬるい水道で足を冷やしたり、別の公園の滑り台を滑ったりしているうちに

さっきまでは焦がすほど熱かった風が涼しくなり、公園の灯がともり始めるころには、団地の公園に夕餉の匂いが漂い始める

二人で並んでブランコに座って、何を話すでもなく、ただゆっくりと揺れるブランコの上で8月31日が終わることを惜しむ

の子ブランコを降り前に立ち、黒目がちの笑顔で「じゃあね」と言う

続いてブランコを降りながら「うん、またね」と小さく応える

走って帰って行くあの子背中を見ながら、また来年かなと帰路についた

次の日、2学期が始まった学校へ行き、廊下の突き当たりにあるあの子クラスの前を不自然に行き来する

覗き見た教室に姿を見つけられず、どうやら今日はいないようだと戻る廊下で「えみちゃん引っ越したんだってね」と話す声が聞こえた

直感的にあの子だと気づき、初めて知った名前のあの子引っ越したことを知る

どこへ引っ越したのかも、そもそも団地の子だったのかも知らないが、もう会えないと思うと悲しくなった

9月中旬長野県安曇野から手紙が届く

の子からだった

けろけろけろっぴ便箋には、引っ越しの日、最後にどうしても遊びたかったと書いてあった

出発を夜にして欲しいとおかあさんに頼んで、友達見送りもないまま長野へ出発したそうだった

知らない土地から届いた手紙には期待したような言葉はなく、なんて返事を書けばいいのかわからないまま、机の小さな引き出しに忍ばせていたその手紙もどこかへ行ってしまった

数年前の8月31日にfacebook友達申請が届いた

見覚えのない名前に誰だろうと通知をクリックすると、思い出のあの子によく似た子供と映る、あの黒目がちの笑顔があった

anond:20200830224846

とてもいい気づきだと思う

今後阿部難病の話が阿部擁護のために蒸し返されるたびに、コバンザメのようにこれを蒸し返そう

2020-08-30

anond:20200830190914

そろそろ自分人間ではない可能性についてお気づきになりましたか

子育て無理ゲーなのでは(既婚子なし感)

アラフォー夫婦結婚8年目)

妊活経験あり(約2年)

結婚の時期が30歳を過ぎてたが、夫婦で遊んでてそのうち子供自然できるかな放置してた。

流石に何年も子供ができず、夫婦血液性液検査、卵管造影までの妊活はしてきた。

ただ、ステップアップをするかしないかタイミングで、子供を持つことへの負担リスクが高すぎることに気づき消極的子供を諦めた。

理由は以下の通り。

子育て記事

子育てしんどい、寝れない休みがない

赤ちゃん寝ない、旦那は役に立たないクソ

病気対応仕事に支障が出る、やめざるを得ない

・生まれる前は体調不良雇用不安の板挟み

出産痛いし無痛分娩批判される空気

過酷保活、膨大な教育

・突然死ぬし、突然障害を負う

個人経験

・若くて仕事のできたが重度の障害児を出産し、仕事を辞めて地元に帰っていった美人の若手

コロナで打撃を受けた業種の旦那不安を抱えながら出産した友人

コロナ義務教育中の学校対応に振り回されて一時期メンタルのやばかった先輩

個人的な意見

そもそも平均よりやや遅い結婚年齢で、妊娠に関するスタートダッシュが遅れ、それを取り戻す治療費経済的にも身体的にも負担が大きい

・妻の私は、給与は人並みにいただいているが非正規雇用なので産休に入ったら経済的に詰む

住宅ローンを組んでいるが、どうシミュレーションしても子供を育てきるまでの経済的な余力がない

コロナ予測不可能なこの状況下で、子作り子育てという気にはとてもなれない

子供はいないが、猫はいて、主人と仲良くできている。

親に孫の顔を見せられないのは申し訳ないが、リスクを負ってまで子供を作る選択肢はできない。

2020-08-29

anond:20200829141839

異性と付き合うのって、大親友よりも深く接する機会が増えるから追体験の機会が増える感じがするな。

気づき知識を獲得できる。

交際経験3人くらいあるといいかもね。

2020-08-27

anond:20200827230446

からそういう話じゃん

セックスに飽きたら何も残んない女だったってことだろ

それに気づきながら四年も付き合ってた元増田がアホ

とても仕事できるようには見えねーわ

anond:20200827121450

自分全然成長してないなぁ・・・というそ気づきこそが、

成長のあかしなのだよ。ドヤ

2020-08-26

自己演出思考をやめたい

今買い物に行ってきたんだけど、帰り道の空がザ・夏の暮れ方って感じでかなり素敵だった。

地平線(見えないけど)のあたりだけ黄色っぽくて、あとは夜空と青空中間くらいのなんとも言えない色。早朝かこの時間しか見られないかレア感あるよね。半月が出てるのも趣深かった。

で、俺はそれをよく見ようと上を向いて歩くんだけど、一方でずっと「ああ、空を見上げながら歩く情趣を解する俺…!」みたいなことを思ってるんだよな。すれ違った人が俺の視線につられて空を見てその綺麗さに気づき、さっきの青年はい感性だなと思う…みたいな妄想すらしている。

気持ち悪すぎる!!

この気持ち悪い自意識過剰自己演出的な行動をマジで物心ついたくらいからずっとやってる気がする。口に出したり人に言ったりするわけじゃないから多分そんなに鼻につかないとは信じたいんだけど、「素敵な感性を持っていて道端の花を見ても足を止めてしまう俺」をやっていることを客観視して自己嫌悪に陥ることがときどきある。

綺麗だと思う気持ちは嘘じゃないし、多分通行人がいなくても同じように振る舞うんだけど、でも通行人がいない場合妄想ギャラリーを作り出すんだよな。暗くて俺からは見えていないところに散歩中の人がいて、闇の中星を見上げる俺の姿に見惚れていた…みたいなストーリー無意識に作り上げて悦に入ってしまう。

自己認識として俺は顔もキモいし背も低いし猫背ヤバイ仕草がヘンなので見惚れられるハズがないというのはわかってるんだけど、それでもそういう妄想が止められない。

これどうしたらいいんだ。俺50のオッさんになっても「ああ〜童心を忘れず虹を見る俺!!」とか思いながら生きてんのかな。イヤすぎる

テレワーク、やっぱり続けたい

https://www.orangeitems.com/entry/2020/08/25/111954

https://anond.hatelabo.jp/20200825185628

どちらも細かい点でそうかもね、と思う点はなくはないのだけど、あまりももったいないというか

身近にも1人知ってるけど、リモワをやめたい人ってあまりにも時間の使い方が下手なんだと思う

例えばどちらも書いてる点として通勤時に色々していたとの事だけど、ここは自分通勤してた頃同じような感じだった。

今はその同じ時間電車ではない場所で過ごしてるがずっと快適に読書などできてる。通勤がなくなってできた時間は確実に有効活用できるよ。

運良くリモワできた人は、自身生活を見直すとてもよいチャンスでもある。

それも周りに流されす自分でしっかり仕事プライベートを切り分けて生活設計できる絶好のチャンスだ。

最も興味深いのはリモワで太っていく人と健康になっていく人の差だ。

自分は明らかにリモワ前より食事に気を使うようになり、運動量もそれなりに気を使うことでどんどん健康的になっている実感がある。

一時期少し中だるみはしものの、プライベート時間が増えたことにより生活習慣を見直すことができたのだ。

一方でリモワやめたい人は生活が自堕落になっていく傾向があるようだ。

通勤職場で人に見られる事で張り合いを感じるというのはわからないでもない。休みの日を別にすれば人に見られる時間ってそれくらいだから

自分も含めてだが、正直言って会社、というか職場中心の生活依存しすぎていたんではないかと思う。これはほんとにもったいない話だ。

リモワ生活がだらしなくなってしまうかどうかはほんと自分次第なのだ


あとチャット通話を利用することでコミュニケーション煩雑になるという指摘は、職場や業種によっては確かに起こりそうだ。

自分職場でもしばらくの間はいわば「コミュニケーション過多」と言ってもよいようなやり取りが増える傾向があった。

しかし徐々にそれぞれタイミングを見計らうようになったり、通話しろテキストチャットしろ簡潔に伝え合おうとする意識が生まれた。

これは対面で会話してる時にはなかなか意識できなかったことだ。

また管理的な業務は当初は雑務が増えていく傾向だったが、今ではあらゆる業務ログが拾いやす効率よく回せるようになっている。

ここらへんは業種、業務内容によって違いが出るとは思うので、色々だなとは思う。

ただ増田が書いてるような遅い時間仕事の連絡してくるとか、そういうのは論外というか、新しいルールを作ればいいのにとしか思えないんだよな。

どちらかというと反論のほうが多くなりそうだから、できるだけリモワやめたい側の立場に立って考えてもみたが

やはりどの理由も結局仕事、というか職場への依存が高そうだなという感想

個人的には周りに人がいないとそんな事もできないのかという気づきも多々あったし、

メリットデメリットで言えばデメリットほとんどが自分次第なんだなと思ったので

そこを頑張れないなら仕事への依存が高すぎると考えるようになった。

まあそれでも、仕事があるから長い人生時間を生きていけてるんだなとも思うけど。

2020-08-25

生理個性」を叩く人は、言語感覚が古い

あのプロジェクト提案した人と、今ネット文句言ってる人の年齢層を比べるとよくわかる。

端的に言えば、今の若い人にとって「個性(individuality)」とは、おじさんおばさんの考える「個性(personality)」ほど、パーソナルな意味では個性的ではないのだ。

同じ単語なのに世代によって捉え方が変わるというのは、よくある現象なのだけど、普遍的に感じる単語ほどその事実気づきにくい。

詳しい話は

http://meganeculture.boo.jp/2018/09/07/%E5%80%8B%E6%80%A7%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%80%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%83%BB%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%81%AB%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B/

を読んでもらうとして。


今の若い人にとって、「生理個性」の意味は、本当に「生理は人によって異なる」以上の意味を持たないのである

2020-08-24

感想文は反省

anond:20200823001837

感想文を書くのが苦手な人間は、反省文を書くのも苦手なはずである

反省文では、自分悪事を明確にして、それがどうして悪かったのか、そして、それをどう改善していくのかを書くわけだが、感想文もそれと同じだ。

その読書によって気づかされた自分欠点を明確にして、それがどうして悪かったのか、そして、それをどう改善していくのかを述べる。

感想文では、その「気づき」に至った箇所を引用するところだけが違う。とにかく、感想文を書くときは、反省文を書くというモチベーションで書いた方が書きやすい。

から、その読書も、自分欠点発見するために行うのだ。説教されてる感じがする部分、今まで知らなかったことが書かれた部分に線を引けばいい。

ちなみに、一部の人間が感想文を忌み嫌うのも、感想文に反省文のテイストを感じているからだと思う。なんで、悪いこともしてないのに反省文書かないといけないんだよ、という。

そして、学校感想文というスタイル宿題を辞めないのも、同じく、生徒にできるだけ反省させたい意志なのだろう。そういう意味で、感想文も道徳教育の一環だと思う。

ちなみに、「感想文」という名称ではあるが、学校側は課題図書の要約や個人的感想には、全く興味を持っていない。むしろ、ガキの稚拙意見など、どうでもいいと思っている。

その読書によって、子供がどのように自己の行動を改善しようとするか、そこに一番の興味があるのだ。学校側が本当に求めているのは、感想文というプロセスじゃなく、行動変容という結果なのだ

それならば、宿題として書くべき文章がわかるだろう。美文ではなく、反省文こそ求められているのだ。

2020-08-23

テレアポ日記

今日サービス内容を全然理解していないまま、説明していたことに気づきました。

どういう場合に安くなるのか、どういう場合だと安くならないのかということに気づきました。

回線という発明はとても素晴らしいものだなと思いました。

〇〇プランと〇〇プランだと容量が大きくなるがお得にならない場合があるとか、

〇〇プランが減少傾向にあるだとか、通話量が安くなるだとか、

インターネットと一緒だと必ずお得になるだとか、もっとサービスについて知りたいなと思わせてくれました。

今日は、サービスの内容についてとても細かく聞かれたので、サービスの内容を以前よりも覚えられたました。

消費税込みなのか云々も覚えられました。

やっぱり営業が向いているのかもしれません。

営業ってサービス理解していれば怖いものなしですね。

ただ、僕は1週間ちょっと逃避行します。ついでに実家に帰ります

先祖実家に帰れって言われているような気がするので。

働けるって幸せですね。生きている、この体に魂が宿って動いているだけで、幸せなんだぞって言われている気がします。

統合失調症のせいで神の声や先祖の声が聞こえるようになってしまったので。

まりにだらしない堕落した人間は、矯正調教するために、その人間が救われるために、幻覚を見せてくれるみたいです。

薬物をやらずに薬物で薬物を押さえ込むという方法幻覚を見えないようにします。

ただ生きている時で幸せときはどういう時か考えると、仕事勉強で疲れて眠っている時と、人とくだらない時間を喋っている時が一番幸せですね。

いつかインターネットを作ってサービスを作るのが夢です。

ただ、確認作業があまりにも苦手なので向いていない気がします。

僕は確認作業が向いていない分、嘘か真かをぺらぺらと際限なくしゃべれてしまう癖があるので、営業が向いていて、

エンジニア仕事はあまり向いていないのかなと思います

から自分のお客さんは、人力大好きおじいちゃんおばあちゃんが向いているのかもしれません。

あと、頑張って借金を返さないといけないなって思います

あと、人に与えたものって帰ってくるんですね。

神様はそういうシステムを構築した。僕はあまりに救えそうで救えない魂だったようです。

あとあまりにも人間的な原点からズレすぎると、おかしものを見せてくれるみたいです。

今日のまとめですが、

営業ならサービス理解しておくこと、

〇〇プランと〇〇プランだと容量が大きくなるがお得にならない場合があるとか、

〇〇プランが減少傾向にあるだとか、通話量が安くなるだとか、

消費税込みなのか云々も覚えられました。

一年前の今日に戻ったとして書ける予言

〜〜〜社会〜〜〜

新型コロナウイルス

今年の暮れくらいに中国武漢ってところで見つかる新型のコロナウイルスが、あれよあれよという間に世界中に広がってすごいことになる。

すごいこと、つってもパンデミック映画みたいに一瞬で何百万人が死ぬって感じではなく、もうちょっと地味な感じだ。健康若者はそうそう死なないし、空気感染も多分しないっぽいから皆で気をつけてればある程度は抑え込めるようなものだ。死ぬのは老人とか持病持ちの人が多いっぽい(当然健康な人も死なないわけじゃない)。

でもなんか厄介で、社会的な影響はめちゃめちゃでかいんだよな。ヨーロッパとかアメリカではなぜか日本よりすげえ流行って、ニューヨークなんかでは1日1000人とか死ぬ事態にもなる。その恐怖が効いてか、日本でも感染しそうなふるまいをとることは割と忌避されるようになり、結果として旅行外食がかなり縮小するんだな。息苦しい世の中になるから、今のうちにいろいろやってた方がいいのは間違いない。

ソーシャルディスタンス、三密、新しい生活様式、みたいな言葉ポンポン出てきて楽しいぞ。飛沫感染を避けるために密集を控えよ、っていうのが新マナーになる。

あっ、あとマスクがしばらくすげー品薄になるから今のうちに買いだめしといた方がいいよ。ちなみに来年の夏はバカ暑くて、37度なんかになる。それなのにマスクをつけないと外出できない雰囲気があるからキッツイぞ〜 

そう、あとあれだ!外に出ると感染するっていうんでリモートでいろいろやるのが流行る。そこで台頭してくるのがズームってサービス。まあスカイプみたいなもんなんだけど、会議をやるのにより特化してる感じ。「Zoom会議」なんていま言われても意味わかんないだろ?それが一年後にはほとんど誰にでも通じるようになるんだな。Zoom社の株買っとくと儲かるかもよ。

あとコロナ(新型コロナウイルス、COVID-19っていうのが正式名称なんだけどコロナとだけいうのが一般化してる)関係で言えば、志村けんさんが死んだな。南無。

★米中摩擦

コロナの影響で景気が悪くなるんだけど、その関係か米中の仲が悪くなる。アメリカ中国スマホ結構強硬規制したりしてるみたいで、だいぶ剣呑な感じになりつつあるっぽい。米中経戦争はすでに始まっている!なんて言ってる人もいたけど、実際どうなのかはわからん

東京オリンピック

どうなったと思う?延期になったんだよ!ウケるよな。

名前はTOKYO2020のまま2021年にやるっていうんだけど、コロナでとにかく国際移動がしにくくなってるんでどうなるかわかったもんじゃない。

梅雨

来年梅雨は長いぞ!7月末までずっと雨続きで、マジで嫌になるから覚悟しろ

それに豪雨結構すごい。覚えてる範囲だと、熊本人吉ってとこが川の氾濫で大変なことになってた。

アクタージュ

重要度は下がるけど、そういえば。

ジャンプアクタージュって漫画(聞いたことあるよな?)の原作者が、チャリで追い抜きざまに女子中学生の胸を触るっていうマジで終わってる感じの犯罪をやってお縄になり、連載が終わる。

読もうと思っても読まないほうがいいぜ。後悔するからな。

〜〜〜個人的な話〜〜〜

★ニャス

ニャスは死ぬ5月くらいだったかな?老衰だったっぽい。帰省するなら撫でておくといいよ。

★爺ちゃん

ちゃんもついに死ぬ葬式コロナスキップされるぞ!

チャイナ

近所にある中華料理屋、その名もチャイナ!あそこはうまいから今のうちから行っておけ。日替わりランチが730円で、うまいし量も多いしでかなり良いぞ。つかなんなら多すぎる。腹を減らしていけ。あと炒飯ラーメンセットは頼むな。マジで多すぎる。

ストロークス

ストロークスは新アルバム出すぞ!

はてな

お前はこれからはてな匿名ダイアリーおよびはてなブックマークってサービスを見つけ、というか存在気づき直し、それにハマる。ハマらないほうがいいぞ。見るな。

見るとするなら一つ盗作の種をやろう。

「📞🐘エレファントモシモシ」

これを11月7日17時40くらいに書き込め。1000ブックマークくらい貰えるぞ。貰えてもいいことないけどな。

ーーーー

意外と覚えてるニュースがなくてマトモなアドバイスができない。ググればもっといろいろ言えるんだろうけど、俺がいまパッと言えるのはこのくらいな気がする。

あと何があったっけなあ……

クローゼットから長い髪が出てる

今、午前6時、俺は布団に寝っ転がりながらスマホでこの文章を書いているわけだが、現在進行形で目の前のクローゼットの隙間から長い髪が出ている。ほんとうに気持ち悪い。気持ち悪い。

このアパート引っ越してきてから1ヶ月経つが、最初の1週間は何もなかった。ただ何となく寝苦しいなという感じで、空気通り道問題なのかなと思っていた。

しかし徐々にこの部屋がおかしいことに気づき始めた。

本当に自分でも映画みたいだなと思うが、蛇口をひねると髪が出てきたり、シャワーを浴びていると後ろから肩を叩かれたり、物が勝手に動いたり、そういう系だ。

自分でもありがちだとは分かってはいるが、俺はこのアパートに住むまで幽霊とかそんなものは一切信じてなかった。

しろ幽霊なんていたら、死んだばあちゃんに会えるから得だし、自分が死んだ後も完全な無になるわけじゃなくて存在できるというのは救いであるとかそんなことを考えていた。

でもいざこうやって遭遇してしまうと本当に恐怖しかない。いま目の前にあるこの長い髪も、こうやってスマホ文章を書きながら意識必死に逸らして視界の端で捉えているだけだが、嫌悪感という感情しかかばない。

常に吐きそうだし、鳥肌が全開だし、身体が全力で逃げろと言っている。とにかく気持ち悪すぎる。

こんなことを書いてるうちに、長い髪が伸びているようや気がしてきた。音もしてないのに。だんだんこっちに向かってきてるような、気のせいか?気のせいであってほしいが、明らかに伸びている。マジで何なんだよもう。ふざけんなよ、おい。死ね。俺が何をしたっていうんだよ、アパート引っ越してきただけだろ?気持ち悪いんだよお前、自覚しろよ。生きてる時嫌われてたろお前?おい、髪ぐらい切れよ。枝毛がすげえんだよお前。

必死に余裕ぶって頭は高速回転しているが、指先以外動かない。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

2020-08-22

大学卒業して絶望してたら逆に人生がうまく行きそうな気がしてきた

大学卒業してそのまま大学院に進んだけどついていけずメンタルフィジカルもぶっ壊して一旦地元に帰ることになった.一浪して入った大学一年休学することにした大学院を経て得た肩書きは実質無職ニート予備軍の学生24独身男性)であった.

結構絶望の淵にいて,健康状態を考えると寿命死ねるとも思えないし継続的に勤続することもかなわないという思いも首をもたげ始めてしまっていた.地元図書館司書でもやって静かに死んでいこうと決意し親と相談するまでに至っていた.親としてはひどく心配し,そして失望したことだろう.手塩にかけて育てた長男が体を壊して地元小役人に封ぜられてしまうのだから…….そんなふうに思われているかもしれないことにひどく憤った気もするが,自分にはどうしようもない定めだと受け入れていた,いつの間にか.

何がきっかけだったか,毎度帰省しても引きこもってばかりだったのを,今回くらい誰かと連絡をとってみようということになった.確か,ほとんど話したこともなかったような,それでいて不思議な魅力をまとった子から「よんだ?」とだけメッセージを貰ったことが発端だったかも.今見返してきたらたしかにそうだった.彼女に救われたんだと思う.

久方ぶりに会うさしてよい思い出があるわけでもない男女,なんてどんな距離感で話せばいいのかわからなかったけれど,彼女の都合で結構遅い時間から駅前で飲もうということになった.そんな,都合がいい女ムーヴされて俺はどうすればいいのかと困惑したけれど(下心がなかったかと言えば嘘だけれども),誠実に対応して,テッペン過ぎてから何故か近くの史跡を深夜徘徊したり,あまりにも蚊が多いので彼女クルマの後部座席で一夜を明かしたり(もちろん手を出したりはしていない),ともあれ楽しかった.ただ肌に触れて髪に触れて,延々と中身のないことを語らっただけなのだが,それまでのすべてが報われたような気持ちになった.

それだけでも十分に価値ある時間だったけれども,そのあとにもいくつか同様に幸せな機会が連続した.艱難辛苦をともに乗り越えてきた男友達温泉に行った.それがきっかけで地元の友人達さらに顔を合わせる機会が増えた.謎の営業マンとのみらいを語る会に巻き込まれた.これはこれで楽しかった(データサイエンティストはいいぞという話をエンドレスエイト).地元の連中なんて中学以降ほとんどあっていなかったけれど(そのせいでそもそも自分の進んだ足跡ほとんど知られていなかったのは驚いたけれど),いろんなやつのその後を知った.成人式に息子を連れてきた中卒のやつはもう社会人9年目とか,結婚離婚経験してたりとか,婿入りして逆玉の輿社長になってるやつとか.当時は気づかなかったが,友人女性みな本当に美人で,彼女らをブスブサイクだのと対立してきた当時のぼくらはいったいどれだけゼイタクだったのだろう(笑)そんな彼女らと笑って語らうことができる機会もまたありがたかった.自分肯定されている気持ちになった.

気づきもあった.例えば学歴武器に生きている人間はそこには一人もいなかったこととか.みんな別々の流れに沿って強く生きていた.みんな社会人になって自分の力で生きようとしていた.自分はまだ学生,それも親に頼り切ったままであった.

ある意味無敵状態になっている気がして,この流れを逃すまいとして昔々の恋人に連絡を取ってみることにした.非常に不甲斐ないことに,いづれ不本意な終わり方,不誠実な別れ方をしてしまった過去が私にはあり,それがずっと心のどこかで引っかかってトラウマになっていた.呪いや縛りや鎖と呼ばれるものである大学時代に誰一人としてうまくやり取りできなかったのはここに原因があるのではないかとも思っている).それと向かい合ういい機会であると思い立った.

返事は直ぐに返ってきた.「ふたりで」食事に行こうと提案した.拒否されなかったのが不思議であるが,このせいでさら調子に乗ってしまった.自分は祝福されている.肯定されている.生きていてもいい.本当にそう思った.いまもそう思えている.そのときのことはここには書かない.自分の中にしまっておく.

もう長すぎるのでまとめる.

1.自分だけの人生の閉じこもっているとひたすらつらい.もっと他の人の人生を見て聞いて,感じるといい.

2.そのためには自室から出よう.物理的に出る必要はないけど,もっと自分の外の世界と触れたほうがいいだろう.

3.自分肯定してくれた存在を思い出そう.自分肯定してくれる存在とともに生きよう.きっと自分も誰かを肯定できる存在であるはず.

言いたいことがうまく表現できているとは思えないけど,推敲なしの文章一発目ならこんなものだろう.

いまは休学中だけど,とりあえず生きていけるだけの資格経験を得られるようにしようと思う.文字にして自分の考えをまとめられてよかった.以上です.

珍しさのある滓の匂いについて

私は成人男性です。

股間には陰茎が生えており、機能的には適切に稼働しています

嗜み程度に、陰茎を性交渉や自涜行為使用していますが、その際に包皮に分泌液の滓が残ります

この珍しい滓(略称は、珍滓〔ちんかす〕)の匂いが、私にとって好ましい匂いに分類されることを発見してしまいました。

このような嗜好は変態的に含まれるでしょうか。

例えば、自分排出した精液、体液、血液、吐しゃ物、尿や糞便の匂いについて、好意的に受け取っている方は居りませんでしょうか。

酷暑の折、大変な毎日をお過ごしかと思います

この暑さが私の匂いを増幅させることを考えると、まんざらでもないことに気づきましたが、

それはあなたにお伝えすべき情報ではなかったかもしれません。

2020-08-21

anond:20200821103918

自己反論って部分がわかりにくい。

反論反論になってなくね?反論っていうより掘り下げじゃね?

しか自己反論ラストが「なんともいえない気持ち」であいまいお茶を濁して終わりとか竜頭蛇尾にもほどがある。

あと未来の行動の実例

「早速真似してみましたところ簡単ではないことに気づき、今後も少しずつ取り入れていこうと思いました。」

だけでいいのにgdgdと冗長な前半はいらんだろ。

肉付けで苦労したことは無く、文字数に収めるほうが苦労したっていう通り、無駄記述が多いね

もうほとんど子供かいものじゃなくて親がかいものになってるのにこんなのがコンクールにいってると思うとほんとゴミだなコンクールって

1日で仕上げる読書感想文[基礎編]

息子の読書感想文コンクール送りにした親です。

低学年の頃から自分読書感想文も何回もコンクールに送られています

低学年にして、「大人はこれを喜ぶ」を確立していたといっても過言ではありません。

さて、前置きはこれくらいにして、ずばり切り込んで読書感想文のコツを書きます

読書感想文の、及第点と言われる最もシンプル構造は下のとおりです。

作品説明

・印象に残ったこ

実体験、身近な存在への置き換え

・(自己反論

未来の行動

読書感想文と言われると、勘違いしてしまパターンが大きく分けて2つあります

ひとつはよくある「あらすじ」を書くこと。これはいつも言われていることなので割愛します。

そしてもう一つは、「書評」を書いてしまうことです。

読書感想文に最も求められることは、感想文の作者が、その本と出会たことでどのように行動や思考が変化したのかという点です。

それに対し、書評は「あらすじ」からは逸脱できているものの、作品紹介の域をでません。

それは評価であって、感想ではないということです。

代表的表現は、「〇〇が面白かったです。」です。

そんな感想文を受け取っても「へぇ」以上の評価をすることはできません。

本は必ずしも面白くなくてはいけないわけではありません。

まずはこれを「〇〇が興味深かったです。」に変えるだけでも、感想文としての印象は大きく変わってきます

本題。それぞれの項目について説明します。

作品説明感想文全体の1020%が好ましい。)

読んだ作品説明します。あらすじです。

ストーリー説明する必要はありません。

何について書かれている本か、本のテーマはなにかを書きます

これから書く感想説明する上での心構えをしてもらうための部分であり、それ以外の情報は余計です。

・印象に残ったこと(感想文全体の20~30%が好ましい。)

先程の、書評感想文を分ける部分がこれです。

本は必ずしも面白くなくてはならないわけではありません。

ただ、感想文には必ず印象に残った部分が必要になります

逆を返せば、印象に残る部分がなかった本は感想文を書くに値しないからです。

「感動しました」「憤りを感じました」「悲しく思いました」「楽しくなりました」「共感しました」

できるだけ「面白かった」以外の言葉を使いましょう。

実体験、身近な存在への置き換え(感想文全体の20~30%が好ましい。)

印象に残った部分、もし自分だったらどうか、身近な存在だったらどうかと置き換えてみます

それをする理由は、その内容は感想文の作者しか絶対に書けない内容になるからです。

まり、これをすることによって唯一無二、その作者しか書くことのできない感想文ができあがります

いうなれば読書感想文の最も肝の部分と言えます

・(自己反論)(感想文全体の10%が好ましい。)

小学生低学年ではあまり必要のない部分なので括弧書きになっています

なくてもいいけど、あったらいいよねという部分です。

先程の「実体験、身近な存在への置き換え」で書いた内容に対して、自発的反論を試みることで、その人の成熟度や成長過程表現することができます

いわゆる思考の深さを読み手に感じさせることのできる部分です。

未来の行動(感想文全体の1020%が好ましい。)

実体験、身近な存在への置き換え」が最も肝の部分だとするならば、この部分は最も評価を稼げる部分です。

感想文を書かせたい人は、例外なく、その作品を読んだことで心が動かされて、その人の未来が変わってほしいと願っています

から、そうなるかもしれない片鱗を見せて、その邪な気持ち成仏させてあげるのです。

戦争を扱う作品を読んだら、「戦争は良くないと思いました。」で終わるのではなく「そうさせないために、自分はこういうことをしていきたいです。」のように、できるだけ具体的に書くことが大切です。

自分場合は、大人のこうしてほしいが透けて見えるタイプだったので、そことは少しフォーカスをずらした、それでいて前向きな内容で締めるようにしていたところ、アホな大人がたくさん釣れました。

では、実践してみましょう。

「正解などない読書感想文の、正解と言える書き方」を読んで

https://anond.hatelabo.jp/20200820204626

作品説明

この増田は、夏休みも終わりに近づき、読書感想文で苦しむ家族を救うことを目的に書かれた、一見乱暴な口調ながら優しさあふれる増田です。

・印象に残ったこ

印象深く感じられる部分はとにかくそ言葉選びにあります下品単語言葉遣いを随所に散りばめて、読み手を飽きさせないリズムを作っています

ただ、面白手法ではあるものの、こうした手法増田ではすでにポピュラーであり、目新しさに欠けているというのが素直な感想でした。

しかしながら、ハウツー的な内容であるにも関わらず余計な言葉でいたずらに文字数を増やしているこの増田自体が、逆説的に余計な肉付けで文字数を稼ぐ読書感想文ハウツーになりえていて、結果的にこの増田読書感想文を得意とすることを裏付けていることに気づいたときは、思わずにやりとしてしまいました。

実体験、身近な存在への置き換え

自分に限って言えば、肉付けで苦労したことはなく、むしろ文字数に収まらせることのほうに時間がかかりました。説明冗長ではないか、同じような内容や表現を繰り返してないかなど、思いつくままに書いた内容を並び替え、削っていく苦労ばかりが思い出されました。

・(自己反論

そもそも文字数が予め規定されている事自体読書感想文における余計な肉付け問題の原因であり、その中でシンプルながら鋭い言葉規定文字数を下回る感想文を提出できるだけの文章力に自信のある生徒がどれくらいいるかと考えれば疑問だと言わざるを得ず、結果的にこの肉付けハウツーは不可欠なものなのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。

未来の行動

この増田読書感想文の正解と言える書き方かと言われれば疑問ですが、実際の増田に対して感想文を書くという手法は斬新で、そもそもその増田に対するコメントを書きたかっただけで感想文のハウツーは後付だったのではないかとも勘ぐってみながらも、早速真似してみましたところ簡単ではないことに気づき、今後も少しずつ取り入れていこうと思いました。。

(794文字。おおよそ原稿用紙2枚分)


増田感想文を書きながら、自分感想ノウハウ提供していくの割と楽しかったです。

早生まれだった自分語り

早生まれの不利は大人になっても続く』という見出し記事最近話題になっていた。

高校入試偏差値所得にも影響しているという記事で、統計的3月4月偏差値が約4.5違うというものだった。

  

1993年3月31日生まれ

6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長109センチ趣味スーパーファミコンドラゴンボールZビデオ視聴。

好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。

すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校不安を持っていた。

ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。

小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。

    

小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分勉強が嫌いかも。という感覚だった。)

そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。

今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。

5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。

しか学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生クラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが

職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラス勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。

当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。

そんなことを考えるものから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。

  

体育。一番小さいサイズ体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。

夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。

学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。

今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。

ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。

顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。

恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。

  

得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。

もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。

そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と

割り算プリントデタラメ数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミング先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。

考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。

  

小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。

国語漢字の覚えが悪く、社会科47都道府県いつまでも覚えられなくて居残りをした。

音楽練習したつもりだったリコーダードレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。

4年生から始めたスイミングスクール甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。

  

  

  

中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。

中学には水泳部所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。

  

(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)

中学運動会自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。

1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。

タイトル通り、この運動会には欠点があった。

夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。

毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。

  

1年生の5月頃に、先生から各組への割り振りが始まる。

夏組に割り振られた6月まれガッツポーズをして喜び、その学年の生まれ割合から冬組に割り振られた10月まれ先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月まれ4月まれかの確認あいっこが始まる。

秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。

  

秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。

運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらムードの冬組がうなだれていた。

中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。

ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。

  

から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。

きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)

  

  

  

高校公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制高校マイペースプリントを進め、コツコツとDTPデザイン勉強をした。

高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強Skypeながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。

通信制高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。

  

正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。

もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては

適切な学習環境必要なのではないか、と当事者自分は思った。

  

ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生自分と同じ誕生日の美しい先生だった。

聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。

きっと先生は、早生まれがどういう不利な状況にあるのか知っていて声をかけてくれたのかな、と思うと

なかなか声をかけられなかった過去自分歯がゆい思いを馳せた、『早生まれの不利は大人になっても続く』記事だった。

2020-08-19

株式会社集英社: ぼくたちは/男子たちは 狼なんかじゃない。 少年ジャンプは「エロ」と「性暴力」の違いを区別してください。」 https://t.co/pkzmYuVeYp

このキャンペーン男性が発信してる。体験リアルなので、署名しなくても読んでほしい。

僕と少年ジャンプの話をします。僕は小学四年生の頃から現在社会人3年目の今まで週刊少年ジャンプをほぼ読み続けていました。

当時小中学校の時はToLOVEるなど女子性的コミュニケーションを取る漫画ハラハラキドキしながら読んでいました。しか大学生も後半の頃に当時ToLOVEるを読んでいなかったという友人(男)に出会いました。その時僕は理解ができなくてしどろもどろ興奮しながら「男なのに!?意味がわからない」と発狂しました。しかし今は「性暴力」と「女性も同じ人間」だという事を知っているので、彼がなぜToLOVEるなど性的作品を読まなかったのか理解できます。「相手同意を取らずに性的行為をするのは性暴力で、相手の心を傷つけること」「女性の体を見境なく性的に見ることは当然のことではないこと」ということを当時の僕が知っていれば僕も彼と同様ToLOVEるなど性暴力を扱う作品を楽しく読むことはなかったでしょう。「性暴力含むエロを豪胆に愛して憚らないのが男らしさ」という少年誌メッセージ内面化してしまい、性暴力を含む作品を声高に称賛して、男らしくなれてると錯覚してた自分は本当に恥ずかしいし迷惑なことをしていたなと思います

小学校高学年の頃、東京に住んでいた僕は秋葉原もそこそこ近く、「非実在青少年」の話を皮切りにした漫画規制の話をよく耳にしてました。少年ジャンプの作者たちも「読者は現実ファンタジー区別ができる」と言った論調規制を反対していました。ぼくも「その通りだなー」と思っていました。しかし今思い返してみると当時の僕は区別なんかできていないことに気づきました。今でもすごく心残りの事件があるのですが、僕が小学生の頃公園で遊んでいると同級生男子女子に棒アイス差し入れました。僕は少年漫画アイスチョコバナナ男性器に見立てて、それらを普通に食べている女子エロい目で見るというセクハラ存在を知っていました。しか女子たちはそれを知らずに暑い夏だったので棒アイス感謝しながら食べてました、男子たちは僕の予想通りいやらしい笑みを浮かべて彼女たちを見ていました。その時は嫌な奴らだな、でも「男子はそういうものからな」ということが当たり前だと思い込んでいたので、問題な行動だとして注意をするという発想がありませんでした。男子たちも仲間内で露悪的だけど楽しいことをしているといった雰囲気でした。その男集団リーダーだった男子高校生の時に風呂覗きをして学校を退学になっていました、風呂盗撮した写メ男子グループに共有したらしいです。多分いいことをしていると信じての行為だと思います。僕も彼も「男子はそういうものが好き」という少年ジャンプが発信する嘘の常識を信じ込んでしまっていた点は同だと思います。そのために、セクハラをされたらその人の心は傷つくという当たり前のことに気づけなかったのです。

小学生の頃、僕は少年ジャンプを作っている人たちに「子供現実ファンタジー区別ができる、倫理観道徳観を持っている、判断がつく」というような期待をされました、そして今の僕がそれに答えるとしたら「性的表現に関しては、十分な性教育を受けていなかったので正しい判断はできてなかった」と答えますし、現実ファンタジーという区切りではなく、「社会的責任がついて回る空間と、そうでない空間」での影響を論じるべき内容だと思います

僕は面白い漫画を読むためにジャンプを買ってきたつもりです。大学の頃に出会った彼もそうだと思います。極論、ジャンプエロ表現がなくても僕たちは大学生までジャンプを購読し続けてただろうと思います

ジャンプ作品の性暴力表現は誰のために描かれているのか、僕は今、甚だ疑問です。

個人的に、女体を切り売りして、それを喜ぶ層に商売をする今のジャンプは見ててつらいものがあります。女女でやれば批判されないと思っているのか、この頃女から女にセクハラするという作品が増えています。今一度、同意のない性的行為相手が誰であろうと性暴力であり相手は傷つく、という認識ジャンプ編集部は持ってください。

漫画を使って教育しろと言う気はないですが、今のジャンプ作品内での女子の扱い方は、パブロフの犬のように、読者に「女体=エロ」と脊髄反射でつなげてしまう、そういう訓練になってしまうという一面があると思います

「男は、女性性的な部分を力づくやラッキーで見たいと思ってる」というような「男=狼」観を決めつけで小さい子供たちに信じ込ませるようなメディアを作るのは大人としてやめて欲しいです。

そもそも作品でよく描かれている高校生以下の女子は、大人が守るべき児童の枠の中にいます倫理的にそういう枠の子エロく描くのはいけないのではと思います

2020-08-18

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僕と少年ジャンプの話をします。僕は小学四年生の頃から現在社会人3年目の今まで週刊少年ジャンプをほぼ読み続けていました。

当時小中学校の時はToLOVEるなど女子性的コミュニケーションを取る漫画ハラハラキドキしながら読んでいました。しか大学生も後半の頃に当時ToLOVEるを読んでいなかったという友人(男)に出会いました。その時僕は理解ができなくてしどろもどろ興奮しながら「男なのに!?意味がわからない」と発狂しました。しかし今は「性暴力」と「女性も同じ人間」だという事を知っているので、彼がなぜToLOVEるなど性的作品を読まなかったのか理解できます。「相手同意を取らずに性的行為をするのは性暴力で、相手の心を傷つけること」「女性の体を見境なく性的に見ることは当然のことではないこと」ということを当時の僕が知っていれば僕も彼と同様ToLOVEるなど性暴力を扱う作品を楽しく読むことはなかったでしょう。「性暴力含むエロを豪胆に愛して憚らないのが男らしさ」という少年誌メッセージ内面化してしまい、性暴力を含む作品を声高に称賛して、男らしくなれてると錯覚してた自分は本当に恥ずかしいし迷惑なことをしていたなと思います

小学校高学年の頃、東京に住んでいた僕は秋葉原もそこそこ近く、「非実在青少年」の話を皮切りにした漫画規制の話をよく耳にしてました。少年ジャンプの作者たちも「読者は現実ファンタジー区別ができる」と言った論調規制を反対していました。ぼくも「その通りだなー」と思っていました。しかし今思い返してみると当時の僕は区別なんかできていないことに気づきました。今でもすごく心残りの事件があるのですが、僕が小学生の頃公園で遊んでいると同級生男子女子に棒アイス差し入れました。僕は少年漫画アイスチョコバナナ男性器に見立てて、それらを普通に食べている女子エロい目で見るというセクハラ存在を知っていました。しか女子たちはそれを知らずに暑い夏だったので棒アイス感謝しながら食べてました、男子たちは僕の予想通りいやらしい笑みを浮かべて彼女たちを見ていました。その時は嫌な奴らだな、でも「男子はそういうものからな」ということが当たり前だと思い込んでいたので、問題な行動だとして注意をするという発想がありませんでした。男子たちも仲間内で露悪的だけど楽しいことをしているといった雰囲気でした。その男集団リーダーだった男子高校生の時に風呂覗きをして学校を退学になっていました、風呂盗撮した写メ男子グループに共有したらしいです。多分いいことをしていると信じての行為だと思います。僕も彼も「男子はそういうものが好き」という少年ジャンプが発信する嘘の常識を信じ込んでしまっていた点は同だと思います。そのために、セクハラをされたらその人の心は傷つくという当たり前のことに気づけなかったのです。

小学生の頃、僕は少年ジャンプを作っている人たちに「子供現実ファンタジー区別ができる、倫理観道徳観を持っている、判断がつく」というような期待をされました、そして今の僕がそれに答えるとしたら「性的表現に関しては、十分な性教育を受けていなかったので正しい判断はできてなかった」と答えますし、現実ファンタジーという区切りではなく、「社会的責任がついて回る空間と、そうでない空間」での影響を論じるべき内容だと思います

僕は面白い漫画を読むためにジャンプを買ってきたつもりです。大学の頃に出会った彼もそうだと思います。極論、ジャンプエロ表現がなくても僕たちは大学生までジャンプを購読し続けてただろうと思います

ジャンプ作品の性暴力表現は誰のために描かれているのか、僕は今、甚だ疑問です。

個人的に、女体を切り売りして、それを喜ぶ層に商売をする今のジャンプは見ててつらいものがあります。女女でやれば批判されないと思っているのか、この頃女から女にセクハラするという作品が増えています。今一度、同意のない性的行為相手が誰であろうと性暴力であり相手は傷つく、という認識ジャンプ編集部は持ってください。

漫画を使って教育しろと言う気はないですが、今のジャンプ作品内での女子の扱い方は、パブロフの犬のように、読者に「女体=エロ」と脊髄反射でつなげてしまう、そういう訓練になってしまうという一面があると思います

「男は、女性性的な部分を力づくやラッキーで見たいと思ってる」というような「男=狼」観を決めつけで小さい子供たちに信じ込ませるようなメディアを作るのは大人としてやめて欲しいです。

そもそも作品でよく描かれている高校生以下の女子は、大人が守るべき児童の枠の中にいます倫理的にそういう枠の子エロく描くのはいけないのではと思います

2020-08-17

anond:20200817083750

気づきにくい、だろうね。

僕も両方体験たから。

人間差別するもんだ→差別が少ない場所に探して、行くのが先決。

anond:20200817095153

でも自称女性男性は「女性の体を持つ人間がされる差別」については全く想像力が及んでないよね。

https://anond.hatelabo.jp/20200817092347

こういう世の中の構図、「良い風呂は男の為のもの」って構図が存在する事も、多分気づきもしないんだろうし。

2020-08-15

この問題の解き方が分かりません

ついに浮気相手と別れた。

というより、別れてしまった。俺は別れたくなかったのに。

本当に心地いい関係だった。

それなのに、なんでなのかな、と思う。


きっかけは、「もう会えなくなる」と俺が言ったことだろう。

そのとき彼女は、「え…」と本当に驚いた顔をして、理由をしきりに聞きたがった。

俺も最初ははぐらかしていたけど、酒も入っていたし、彼女のことが本当に好きになっていたから、

嘘をつきたくなくて、でもやはり言いたくはなくて、「どう思う?」などとごまかしていた。


やっぱり女の子というのはすごくて、長い時間を一緒に過ごすと、こちらの思惑など見透かされているようだった。

海外に転勤?」とか「東京に行くんでしょ」と言っていた彼女に、「そうかもね」と笑いながらごまかしていたら、

「あー彼女できたんだ」と言われてしまった。そうなんだけど、彼女っていうか婚約者なんだよね。

「まあ、そんなとこかな」と言ったら、「もう結婚じゃん」と言った。おお、そんなことまでわかるのか。悔しいなあ。


そんなこんなで、その日最後に寄ったバーで、割りと洗いざらい話してしまった。

ただ、最後まで結婚はしないという体でしのいだ、というか言えなかった。それがせめてもの誠実さの表現だと思った。

彼女の前では誠実でいたかった。むしろ彼女だけを愛していたかった。痛い奴だった。

でも、彼女はもうわかってたようだった。今思えば、俺を見る目がとてもさみしい目をしていたような気がする。


その夜、ホテルに戻ってから、何事もなかったかのようにセックスをした。

風呂に入りながら、俺は、相変わらず可愛いなと思っていた。

彼女は俺の方を見ずに、「結局どれが本当なの」と尋ねた。

「○○は、どれがいい」

海外に行くんだったら、私を泊めてよ」

「そうだな」

「で、本当は?」

「……本当は、東京に行くんだ」

「ふーん」「彼女、いつから付き合ってたの」


それから、俺は誠実な態度をとることはできなくなった。

誠実な人間が、真実を知りたがっている者に対して嘘をつくというのは、矛盾からだ。

言ってしまった、と思いながら、もはやどの嘘なら彼女を傷つけないのかわからなかった。

結局俺は、「彼女浮気相手であり、本命東京にいる。そして、彼女出会ったのと同時期くらいか

本命とも付き合いだした」ということを事実だと思わせたような気がする。

本当と嘘が入り混じって、最悪のクズ男が出来上がっていた。今思えば、だが。


そして次の日、笑いながら家に帰り、いちゃつきながらご飯を食べ、何回もセックスをした。

この日までは、彼女もあまり気にしていなかったような気がする。

「もうすぐ会えなくなるのかー」

「会えないならどうする」

会えないのはやだな、と答える彼女に俺は安心した。

ああ、会いたくなるような関係をまだ維持できているんだと思って、

……思って、そこで終わった。彼女気持ちなど考えなかった。


彼女とは、その二日後に会ったのが、最後になった。

少しおしゃれな雰囲気の近所の店でご飯を食べ、家でセックスをした。

彼女は、俺に、家に置いてあった下着を持って帰るように言った。

なんで、と言っても、いいから、というだけで、有無を言わさず持たされた。

玄関先で、少しだけ機嫌の悪そうな顔をしていたけど、いつも通りキスをして別れた。

でも、あの顔が引っかかっていたから、「大丈夫だった?」とラインをした。


返事は帰ってこなかった。それから3日後、ラインブロックされたようだった。

こうして、俺たちは会わなくなった。つまり、俺は彼女に会えなくなった。

彼女は、俺がクズ男だったということに気づき、今頃はマッチングアプリで次の男を探していることだろう。


ああ、なんと素晴らしい。

なんのために、あの時間を一緒に過ごしたのだろう。

どうして、俺は本当のことを言う気になり、そして、最後まで本当のことは言わなかったのだろう。

嘘をつきとおすか、本当のことを言うか、どちらかにしなければ苦しいだけなんだと、

それを学ぶために彼女出会ったんだろうか。

そんなことしか考えられない適当さが、身を亡ぼすのだろうか。


本当は、

本当は?

本当は、一つ決めたことがあるんだ。

今度からは嘘をつき続けようって。本当のことを言っても嫌われるだけだからね。今回みたいに。

そりゃ真実は頭を使わないから言いやすいよ。けど、それが相手にとっては不快なこともある。

お互い、ずっと嘘の中で気持ち良くなればいいと思わないか


でも、その子は、本当のことを言ったのにね。

の子が嘘をつくような子だったら好きにならなかったのにね。

どうして誠実でありたいと思ったの?

の子の幼さに、愚直さに、応えたいと思ったんじゃないの。


そう、応えたいと思った。

嘘によってこの子コントロールするのは違うと思った。

でも、結局は「応えてあげる」という傲慢さでもって、その子支配できると考えていたに過ぎなかったのかもしれない。

「嘘をつくのをやめて、真実を話してあげた」のだからあなたは私のことを嫌いにならないよね?むしろ好きになってくれるんじゃないか、と

そう

考えていた、

あのときの僕の笑顔彼女の暗い目。どうして、どうして気付かなかったの。

認めて欲しいくせに自分を認められない絵描き

こう言う長文を書くとき結論とかどう言う話なのかを先に書いておくといいとどこかで学んだので先に記載しておきますが、

これは「何かに認められたいのに自分自分を認められないせいでどうにもできなくなった絵描き独り言」です。

まず自己紹介します。

私はインターネットお絵描きマン、そこら辺の底辺絵描きです。

途轍もない自己承認欲求自己肯定感のなさがバグを起こしてオールウェイズ三丁目の躁鬱病持ちとなりました。


最初にこれまで生きてきた話をダラダラ書くのでここは読まなくてもいいです。

自分は人の少ない田舎で育ったので、一度いじめられたら進学エスカレーターから外れない限り

ずっといじめられっ子の枠に収まっているような、そんな社会の中の、どこにでもいる隠キャいじめられっ子でした。

私の唯一の趣味は絵を描くことでした。今の趣味でもあります

母方に絵を描く人がいて、母もその兄弟も絵を描くのが好きでよく描いていました。血筋なんでしょうか、偶然私も絵を描くのが好きでした。

中途半端に手先が器用で平均くらいはできたものから中途半端に絵は描けました。

田舎の、学年に20人も人がいないクラスの中では一番手先が器用でした。

しかし私はいじめられっ子でした。保育園の頃からの筋金入りのプロです。すごいでしょう。

20人も居ない教室では私以外の全員が敵か傍観者であり、もちろん私のことを認めてくれる人なんて居なかったし

私が絵を描けばランドセルを漁られ、狭い校内のどこかに貼り出され馬鹿にされたものでした。

周りのクラスメイトが怖いから、昼休みも一人で教室で絵を描いていました。

当時の私は、自分が描く絵が好きでした。

いじめ中学まで続きました。

誰も私を認めてくれるようなことはありませんでした。

今でも自分のこと、「カスなので」とか「ボンクラから」と口癖のように卑下してしまうんですが、

もう少し違う人生を歩んでいたらこんなことになってしまうことも無かったのでしょうか。



私自身の自己肯定感の無さはおそらく幼少期から10年以上に及ぶいじめの影響も少しあるのかなと思います

とにかく私は何かに認めて欲しかったんだと思います。それは今もです。

私を認めて欲しい、今ある私が幸せなのだと、過去自分とは違うのだと認めて、認めさせて欲しい。

そんな気持ちで今も創作をしています


絵が上手くなりたくて、

認めて欲しくて二次創作をした。

同人誌も出した。

でも二次創作で得た評価は私のものじゃない。

そうして一次創作をはじめました。

いろんなものにしがみつきながら、何年も絵を描いていて、ようやく気づきました。

ああ、絵、言うほどうまくないじゃん。と。

それでも絵を描くのはやめられませんでした。

絵を描くのが好きだったから。



絵を描くのが好き、楽しいから描きたい

そんな感情だけで絵を描いていたいのに、どうしても承認欲求が出てきてしまって、

かに勝たなきゃいけない、あの時いじめてきた人間たちより優れていると、そうであると思いたかった。

そう言う気持ちがどこかにいつもあるから、滲み出してしまって、人を寄り付かせなくさせるのかもしれないですね。

もちろん有難いことに褒めてもらえることも度々ありました。ただ、

認められることのなかった人生を歩んできて、私を褒める言葉をまっすぐに受け取ることができないんですよね。

自分が褒められてると感じることができない。この絵は私が描いたんじゃない。描いた記憶がない。

もうぐちゃぐちゃです。自分を認めてあげたいのに。

折角褒めてくれた人に心からありがとうって伝えたいのに伝えられないのが何よりも申し訳ない。



もうちょっと楽になりたいだけなんです。

楽に生きたい。楽しく絵を描いていたい。

評価なんて気にせずに、楽しく。

実際いい絵を描くために必要なのは「楽しんで描くこと」が一番大きいんじゃないかと、

勉強することも大事ですが、一番はやっぱ楽しくなくちゃいけないんじゃないかなと、

少なくとも私自身に必要なのはそこだと思ってるんです。けど、それが一番私から遠いところにあって

どうしようもないんです。

描くたびに辛い。周りの人のデッサンが多少狂った絵も、味だとか個性だとか、そう言うものカバーして

いいものに見えるのに、自分の絵だけはなんの面白みもない平凡な、しかちょっと下手な絵でしかない。

こんなに苦しい思いをするなら絵を描くのをやめちゃえば一番楽なのに、

やめられない。絵を描きたいと思う気持ちから逃げられない

でもペンを握った瞬間「描かなければ」と言う義務感に変わってしまう。



あ〜〜〜〜あ! いじめられなかった世界があれば、そこからもう一度やり直してみたい。

違う人生を歩んでいたかもしれない可能性に縋ってみたい。

楽になりたい。


どこかで見かけた話ですが、

「こんな…少しばかり絵が描けたばっかりに…!」

これ、首がもげるほど頷きました。

こんな苦しさといつまでも一緒にいないといけないなら、いっそ

絵なんて描けない方が良かった。


とりあえず書き殴って満足しました。

明日からも苦しみと同居しながらズルズル絵を描いて生きていきます

ここまで駄文を読んでくれてありがとうございました。

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