はてなキーワード: 最前列とは
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。
参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。
3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的な自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関で受診したところ、聴力も問題なく知的障害(自閉症)との確定診断。
応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園。
「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園。
保育園の間は、ずっと会話は不成立。
3歳でビデオデッキの操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。
確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。
テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。
しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。
たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡のCDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分で操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)
テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターでDVDは視聴可)
発語はあるが会話は成立しないのですから、小学校は当然にしてストレートで特別支援学級です。
集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)
「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運。安心すると精神状態が落ち着くんですね。
特別支援学級の教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。
言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます。
予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性を最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。
伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます)
息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロの距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。
電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板と写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効だから打ち明けますが、1区分の切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります。
地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。
実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネルが最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない。
ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女の存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから。
特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから。
家族での外出のほか、JRが沿線で企画するウォーキングに猛烈に参加しました。
参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。
他の子達と同様、かならず電車の最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞの超ローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。
あと英語のナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分で英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。
10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。
食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。
ヤフーキッズをブラウザのデフォルトにしたのと、使用時間に制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。
パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿な映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんとプリキュア(笑)
年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメや芸能関係の Wikipedia の更新もやってたみたい。
基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。
時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。
まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することなく喧嘩させる選択(妹相手に喧嘩の練習をしておけ、と)
3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。
その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。
小学校の入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。
無事に一人で(同級生と)行ってきました。
プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。
養護教諭のフォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。
奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級を希望。
2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。
しかも女の子! だけど家庭の事情(引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間に見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています。
その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。
気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりにキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意
(性的なことをやったわけじゃありません)
当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります。
中学校の特別支援学級の担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。
3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生に相談。
数学や理科は進度が全く違うという理由で NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK。
7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっと(ギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。
JRのウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名(都市の位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。
理科は小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。
その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格。
たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。
9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。
ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。
4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋は売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチな登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。
温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)
よって、うちの子たちは本当に頑丈です。
中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。
小学~中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特な子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。
同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。
とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります。
年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。
迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校の保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動とかに参加したわけだけど、先生の命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子も自分の言葉で挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。
高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRのウォーキング企画に一人で参加することを許可
前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。
コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃんと自分で交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長
学校行事か何かで、家から最も近い私大(偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてものが学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。
高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後の文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。
劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。
名探偵コナンのナレーションを意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分の世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。
審査と表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラスは最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。
進路指導の先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系・理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学に出会ったからです」なのだから仕方ない。
いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格は絶望的だろう、と先生から言われ、最初で最後のチャンスということで指定校推薦に応募
そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)
第一希望の学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系の大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコンの仕事はできるのよ。
劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。
高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学を卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。
完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。
ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。
彼女たちが歌やダンスに真剣に取り組み、パフォーマンスをする姿が好きだ。
だから、PVを見たり曲を聞いたりするのは勿論、彼女たちの披露する生歌が聞けて、トークが聞けて、パフォーマンスを直で見られるライブに行くのが好きで、度々足を運んでいる。
ある時、某女性アイドルグループ(以下、Rとする)のライブに行った。
Rは最近気になり出したグループで、ライブに行くのはこれが初めてだった。
どんな雰囲気なのかドキドキしたけれど、演者のパフォーマンスは予想以上に素晴らしかったし、推しもグループの他の子もすごく可愛かった。
セトリ(セットリスト。ライブでやる曲目)も良かった。楽しかった。
ただ一点だけ不満があった。
それが、マサイの存在だ。
マサイとは、アイドルのライブやイベントで見境なくピョンピョンジャンプする人のこと。
跳躍力が優れていることで有名なマサイ族になぞらえて、そう呼ばれている。
当然、アイドル達が壇上に居る時に飛ばれたら、後ろの人は視界が遮られてしまい、せっかくのアイドルが見えなくなる。
故に、運営や会場によっては迷惑行為として禁止されたり、「マサイをしたい人は、迷惑にならないよう後方へ行くように」とアナウンスされている場合もある。
それまで行ったことのある他のアイドルのライブでは(今思うと幸運なことに)一度もマサイを見たことがなかった。
Rの姉妹グループや同じ事務所に所属するアイドルのライブには複数回行ったが、いずれも目立ったマサイ行為はなかった。
場合によってはアイドル自身がマサイ行為の禁止を呼びかけており、ファンもそれに従っていた。平和だった。
だから、いちアイドルオタクとしてマサイという言葉は知りつつも、実際にどういう行為なのかは知らなかった。
だが、実際に目にして、どれだけそれが不快な行為なのか思い知った。
整理番号が前だったり、マサイより前の位置に立っていれば問題はなかったかもしれない。
しかし、不幸なことにその時の私の整理番号は、会場キャパから考えても後ろの方だった。
そして、更に不幸なことに、その会場では最前列近くに複数人のマサイが居た。
ただでさえ後方で、人の頭の合間を縫って、ようやくアイドル達の上半身が見えたり見えなかったりするレベル。
それ自体は混雑しているから仕方ない。自分は背が高くないし、よくあることだと我慢できた。
けれど、そんな狭い視界の中で、ようやくソロパートを歌う推しが視界に見えたと思ったら、見知らぬ野郎の頭が下から飛び出して、推しの顔が見えなくなる。
これが複数回繰り返された。
その結果、私は否応無く怒りを覚えた。
腹わたが煮えくり返り、キンブレ(キングブレードという市販のサイリウム。15色発色可能で推しのメンバーカラーを点灯させるのに便利)を持つ手が震えた。
出来るならば、能天気にジャンプしているその頭をキンブレで殴り倒してカチ割ってやりたい。そんな暴力的な衝動すら浮かんだ。
だけど、私とマサイ野郎たちの距離は数メートル離れているし、人がごった返していてそこまで移動することも困難だ。
何より、もし自分のすぐ近くにマサイが居ても、注意して揉めたりするのが怖いチキンなので、実際には何か言うことすらできなかったと思う。
会場やRのメンバーからマサイが明確に禁止されていないのも、辛さに拍車をかけた。
無力さを感じながら舞台を見つめた。
誤解されそうだが、ジャンプする行為を一切やめろと言いたいわけではない。
曲によっては、演者が観客に「みんな一緒にジャンプしてね!」と呼びかけるものがあるからだ。
他にも、振り付けでアイドルが一斉にジャンプする時、観客もタイミングを合わせて一緒に飛ぶことが恒例になっているナンバーもある。
そういった、いわゆるお決まりのジャンプパートでは、私も飛ぶし周りの人も飛んでいるが、それを不快に思ったことはない。
むしろ、みんなで一斉にジャンプすることで、一体感が感じられて楽しいし、会場の雰囲気も盛り上がる。
だが、マサイは上記の「みんなで楽しむためのジャンプ」とは違い、「自分だけが楽しむためのジャンプ」だと思う。
自分が楽しければ、平気で後ろの人の視界を遮る。周囲の観客に迷惑をかけても御構いなし。
ただ、後で知ったのだが、マサイを迷惑行為だと思わずに行う人もいるようだ。
ライブが終わって憤懣やる方なかった私は、インターネット上のファンコミュニティを見ていた。そこにはライブの感想が書き込まれることがよくあったので、自分以外の観客の意見が知りたかった。
すると、自分と同じ公演に行ったと名乗っている書き込みの中に、
「ライブを盛り上げる為にマサイをした」
というものがあったのだ。
信じられない言い分に目を疑った後、沸々と怒りが湧いてきた。
あのな、お前は目の前の奴にピョンピョン飛ばれたら嬉しいか?
アイドルを見に来たのに、よく分からないマサイ野郎に視界をチラチラチラチラ何度も何度も遮られて嬉しいか?
気持ちが盛り上げるか?「フゥ〜〜!」ってなるか?
なるワケねーだろ馬鹿野郎。
美味しい食事を食べたいのに小蝿がまとわりついてウザいのと同じ。邪魔で迷惑なだけ。
それなのに、まるで会場にいる観客のため、アイドルのためを思ってマサイをしたかのような恩着せがましい言い方をしないでいただきたい。
お前がマサイをしたのは、「自分の」雰囲気を盛り上げるためだろ?
だいたいな、マサイなんぞ居なくたってライブは盛り上がるんだよ。
今まで行ってた他のアイドルのライブは、マサイが居なくたって充分に盛り上がってたし楽しかった。
Rだってパフォーマンス自体は魅力的なんだし、観客だってRを見たくて来てるわけだから、仮にマサイが居なくなったところで会場の盛り上がりにそこまで影響するとは思えない。
そもそも、最前列のマサイがあまりにウザくて忘れかけてたけど、全体としてマサイなんてせずに見ている観客の方が多かったんだよ。
正確な人数比は分からないけど、300人くらい入ったライブハウスで、マサイやってたのは10人足らず程度だったと思う。
人数としては大したことないんだ。ただその10人足らずが見境なくピョンピョン飛んで視界に入ってくるからウザいだけで。
だからマサイをやる人が居なくなったところで、ライブが盛り下がるわけではない。
むしろ、マサイが居なくなった方が、余計なことに気をとられずライブに集中できて盛り上がれると断言できる。少なくとも自分はそう。
それだけマサイの存在は鬱陶しいのだ。
自分たちが盛り上げてるなんて思い上がるんじゃねえぞ、このマサイ野郎。
というわけで、結果的に、Rのパフォーマンス自体はすごく良かったものの、ライブのことを思い出すと、あの時マサイに視界を塞がれたイライラや不快さまでもが一緒に蘇ってしまい、単純に「楽しかった!」と言い切れない複雑な気持ちになる。
好きなアイドルのライブに行ったのに、アイドル以外のことに気をとられて不完全燃焼になってしまったのは、正直言って本末転倒だと思うし、こんなに気にする自分は心が狭いのかもしれないとも思う。
それでもウザいのだ。嫌なのだ。
マサイをやる奴は、ライブで前後左右を自分より身長の高いマサイに囲まれて、いくら飛び上がっても周りのマサイが壁になってステージが見えない無間マサイ地獄に落ちればいいのにと考えてしまう。
ただ、マサイが明確に禁止とされていない以上、今後もRのライブからマサイがなくなることは恐らくないだろう。
だから、私がマサイを止められるわけではない。
個人的にはマナー違反だと思うが、明確なルール違反ではない以上、マサイをやっている人に「やめろ」と言える筋合いもない(言いたいけど)。
ただ、こうやってマサイによって被ったストレスを吐き出すくらいはさせて欲しい。
というか、散々マサイに対する恨みをぶちまけておいて今更だが、そもそもマサイという名前自体がマサイ族に対する風評被害だし失礼である。
子どもと立ち寄った書店で絵本読み聞かせイベントの準備が進んでいた。
テーブルにはどこの本屋でもよくみかける人気の絵本が置いてある。
作者本人が登場して読んでくれるという。
タイミングのいいところで来たな、ラッキーくらいに思って席を取った。
図書館や他の本屋で催される読み聞かせは、子どもたちの前で絵本を広げて読み手の肉声で行われるが今回のイベントは趣が違った。
スライドとマイクが用意されていて、絵本の絵はパワポで流れる。
読み聞かせをするとアナウンスしていたのに、最初の出し物は昔話を90年代ポップス風で歌う謎のカラオケ。
作者は「一番盛り上がってくれた人にはご褒美あるから」と
「フアッ・フアッ・フーーホゥ!!」なる酒の席みたいな合いの手を観客に要望してくる。
で結局、最前列で一番頑張って合わせてた男の子を無視してご褒美は立ち見の若いお母さんへ。
席へ戻りしな男の子にもシール一枚渡してたけど、はいはい頑張ったねみたいな、犬に餌やるようなついで感。
「今のお父さんお母さんは昔話をあまり知らないから世代の曲に載せて覚えやすくしました(笑)」って
はなさか爺さんや桃太郎も知らないでしょって馬鹿にしてんのかと。知らなかったのお前なんだろと。
「アムロちゃんの曲を作曲したこともある知り合いに作ってもらいました」か知らんけど子供と一緒に歌えないからいらないよ。
一見楽しそうに作者がしゃべっているから聞いてるほうも楽しい話をしてもらっている気になってくるけど
そもそも私がここにいるのは子どもにおはなしを聞かせてあげたかったからだ。
おじさんのトークショーだったら開始前から待ったりはしなかった。
早々に辟易していたが、作者一番人気の絵本がまだ登場していないのでそこまで待とうと思った。失敗だった。
その本をスライドに映した作者は「子どもはウンコが好きなんです」と述べると
子どもたちも元気いっぱいに「「ウンコー!」」のレスポンスを返した。
最低だ。
うちの子は固まっていたのが、まだ私にとって幸いだ。
イベントに関係ないお客さんが静かに本を選んでいるど真ん中で。
何を言わせてるんだ子どもに。
フィリピンだかで現地の子どもに卑猥な言葉を言わせて遊んだバカッターのことを思い出した。
一緒にいた旦那はトークショー全体の感想として面白かったと言っていたし
ノリで言ったらみんな笑って見ていたよ。
ただあれは大人向けのイベントだった。飲み会のノリでやることが事前にわかってたら避けたのに・・・
もうすっかり作者が受け付けなくなった私がとりわけ苦々しく思うのは、
子どもが好きでもないのに、子供向けの商品でお金を儲けようとすること。
子どもが好きっていうのは、子どもの考えを尊重できたり、観察眼が優れていたり、よりよい未来を提供したいという思想を持っていること。
子どもは動物でしょ、ウンコでしょ、女の子はお洋服でしょ、お母さんは感謝でしょって
それ作者本人の実感として思って無いじゃん。いらねぇいらねぇ。
子供は動物か好き"らしい"から作る動物の絵本は、作者自身が動物好きだから作る絵本には敵わない。
金儲け主義自称絵本作家はもっと自分の趣味全開の作品作ればいい
お坊ちゃまくんや学級王ヤマザキ(あと両さん?)みたいな拝金ゲハゲハ路線も小学生は大好きだからそっちのほうで才能開花してください。ぴったり。
なんでか眠れないくらい思い出して腹が立ったので増田に投下します。
長くてすみません。
正直めちゃくちゃにキモいし酔ってるだけの文章です。ただの自己満足です。
あなたと出会ったのはもう六年も前になります。一目惚れではないけれど、二目惚れくらいだったかもしれません。全然話したこともないのに、勝手に私はあなたのことを好きになりました。世間一般的にはイケメンではないだろうけどあなたの顔も、声も、友人と話している姿も、人前でしゃべる姿も、何もかも全て好きでした。今から思えばこれはアイドルに対する気持ちと変わらなかったのかもしれません。私が初めて出会った推し、それがあなただったんだと思います。少しでもあなたと話したくていろんなことをしました。席が近くなれるように神頼みもしたし、列に並ぶときわざとタイミングを見計らって近くになれるようにしたり、ストーカーじみていたなと思います。でも何故かわからないけどそれだけ好きだったのです。話すだけでドキドキしたし、あなたの意識が私に向いてるだけで本当に嬉しかったんです。あの時以上のドキドキを、トキメキを、私は他で感じたことはありません。あれから好きな人ができても、あなた以上に心が波打つことがないんです。
それだけ好きだったあなたにうっかり告白してしまったのが私の過ちでした。話す回数だって多くないただのクラスメイトに突然好意を押し付けられて、困ったと思います。ごめんなさい。そして私はその告白すらまともにできなくて、あなたに壊れてしまいそうだったと言われるぐらいで、そうやって断りづらい状況に持っていってしまったことが本当に申し訳ないです。そして名目上付き合うことになって、でも結局私はまともに彼女をすることができませんでした。駄目でした。あなたを前にした私は、本当に駄目だった。ずっと緊張して、話せなくて、あなたも私に歩み寄ろうとしてくれてたのに、私は何もしなかった。私はあなたの全肯定オタクでもあるので、この時のあなたを責めることはできません。そして何をすることもなく別れましたね。あの時、別れようというお手紙の返事が遅くなってごめんなさい。別れたくないわけではなかったのです。ただ、返事ができなかった。手紙が書けなかった。気持ちの整理がつかなかった。付き合っているといえない状況で、何かしなきゃと焦ってて、むしろ正直ほっとしてたんです。多分このことは返事の手紙に書いたと思うけれど。なのに気持ちはぐちゃぐちゃで、本当に駄目でしたね、私は。別れるということは明確に振られたということで、それが耐えきれなかったんでしょうね。初めて明確に失恋した瞬間でした。こんなにも好きだったのに、あなたには好きになってもらえなかった。これほどつらいことはなかった。お別れの手紙を返したあと、自覚はなかったんですが相当私はメンタルをやられていたらしいです。私はいつもどおりって思ってたのがさらに厄介ですね。ここまで引きずって重い女ですよね。でもあなたはこんな重たい感情をぶつけても受け流してくれるようなそんな我の強さがあって、そこが好きなところでした。
それからずっとあなたのことを忘れたことはありません。何をするにも頭に引っかかってて、ずっとずっとファンでした。あの時の狂気と熱量はなくても、好意が薄れることはなかった。あなたが何をしてもずっと応援していたし、少しでも関われると嬉しかった。同じクラスになって劇で同じシーンに出たの、嬉しかったんです。あの時のあなたは本当にかっこよくて袖からずっと見つめてました。高校に上がって、私が文実なんてやったの、あなたが文実をやると思ったからです。文実なんて、やるような人間じゃなかったのに。でもここであなたと同じ部門を選ばなかったあたり、小心者のストーカーなのです。私たちの代の文化祭、部門は違えどあなたと一緒に作り上げれたの楽しかった。少しだけでも会話もできて、仕事自体も楽しかったし、あの三年間で何よりも頑張った。文化祭が私の青春でした。ちょうどその頃ですよね。私があなたが入っていた軽音の追っかけを始めたのは。一年の文化祭でこっそりあなたのバンドだけ見に行ったことはありましたが、本格的に軽音自体のファンをし始めたのはその頃のはずです。正々堂々とあなたのファンでいられるのが幸せでした。あなたの何もかもが好きだけれど、あなたが歌っているときほどかっこいい時はないと思います。あなたが歌う「愛はおしゃれじゃない」が、どれだけ私の心臓を掴んだか知っていますか?ずるいです。初めて聞いたとき、本当に背筋が冷えて泣きそうになりました。私はあなたにだけモテたかったのに、あなたがそれを歌うなんて。私のことなんてもう過去のことでしょうが、私にとっては過去じゃなかったのに、あなたがそう思うほどの相手がいるんじゃないかって思わされた。まあ、そのあとあなたはとある人と付き合うわけですが。あなたがその人と付き合い出したときの私の気持ちは知らないと思います。もう昇華されたと思ってたのに、ただのファンでいられると思ったのに駄目でした。付き合う前、あの人もあなたのライブを見に来ていて、私に話しかけてきて、あなたのファンだといった私に「かっこいいよね、本当にこの間のでファンになった!本当に好きかっこいい!」って。私の方がずっと前からファンなのに。ずっと前から好きなのに。でもそんな人とあなたは付き合い出して。悔しかった。過去の女である私が思っていいことじゃないのはわかっていたけれど。私にとってはそれだけ過去じゃなかったんです。その人と別れたときほっとしました。私、あなたと付き合いたいってわけじゃなくなってたんです。ただ、誰のものにもなって欲しくなかった。だって私の神様だから。ただの一人の人間にこんな重たいものを背負わせて、私は本当に最低だなと思います。それでもそうなんです。それからはそこまで苦しくなかったです。あなたのことはただの推しと認識できていたから、私も他の好きな人ができました。振られましたけど。この時悲しかったのにあなた以上に悲しくなくて引きずらなくて、恋という感情が分からなくなったこともありました。あまりにもあなたとその他の人への恋情が別物だったもので。
そして卒業を迎えて、あなたとはもう二度と関わらないと思いました。最後に卒業ライブで、あなたの歌声を浴びました。卒業ライブ、とても良かったですよね。軽音の中の人間じゃなくてもあの時の良さは忘れられないです。二日目、あなたが「あなたは私の一生もの」という歌詞を歌ったの、刺さりました。私にとってあなたは一生ものでも、あなたにとって私はそうでないのでしょう。そのバンド、あなたは気づいてなかったかもしれませんが、あなたの目の前最前列ドセンで見てたんですよ。目の前のあなたは死ぬほどかっこよくて、だからこそ苦しくなりました。そして最終日、あなたの出る最後のバンド、ずるかった。私が初めてみたあなたのバンド、全員が六年の付き合いのバンド、あなたがファンを増やすきっかけにもなったバンド、そしてあなたが「愛はおしゃれじゃない」をやったバンド。あなたの歌う最後の曲がそれだったのは、あまりにも、あまりにもずるいです。それを聞いて、六年間のあなたにまつわる何もかもが、青春のすべてが頭の中を流れていって、泣きました。卒業式でも泣かなかったのに。他の人が泣いていたのとは違う理由でしょう。一人だけあなたを想って、自分を振り返って泣きました。モテたかったよ、あなたにだけに。どれだけ忘れられたと思っても、あなたを見たらこうやって気持ちが蘇ってしまう。ライブ後、わちゃわちゃとするなかで、ツーショットを撮ってくれてありがとうございました。これで本当におしまいにするつもりだったんです。最後に全てを終わらせたかった。からかってくる友人に「もう過去のことなのに」と笑うあなた、そんなあなたに笑って「私にとっては過去じゃないけど」って言ったの、きっとちゃんと冗談として受け取ってもらえたと思います。ごめんなさい。本気の本気で。
こうやって終わりだった筈なのに、何があったのか、何故なのか、卒業後かなりたってからあなたと同じ通話のグループに入ってしまいました。そして通話をして、一緒に友人の家で集まってオールしたの、今でもよくわからないです。そんなの思い出してしまうに決まってるじゃないですか。通話であなたが唯一私の髪色を褒めてくれたのも、死ぬほど嬉しかったし、あえていうならあなたが私の名前を読んでくれるだけで、あなたの話を聞けるだけで本当に幸せだったんです。あなたと会話できるだけでそれだけで。でもそんなあなたは今、1つ下の新しい彼女がいて。ちゃんと長く続いていて。先程も言ったように、私、あなたに誰のものにもなって欲しくなかった。最低なやつだけどそれが本音です。それほどまでに今でも好きなのに、この気持ちをあなたに伝えることはもう許されない。もう一度はない。
本当の私の理想は、あなたが有名になってくれること。あなたは唯一無二の人間です。そうなれると私は信じています。あなたが小さなハコから大きくなるまでずっと通って、ファンクラブにも入って、堂々とでもそっと応援してあなたと関わっていたい。あなたに花を贈る存在でいたい。匿名のファンレターを出す存在でいたい。でもきっとこんな未来はないんです。あなたのことを好きでいたい。応援していたい。でもあなたと私の関わりなんてとても薄くて、あなたがそういう大きな存在にならない限りそれができない。だったら付き合いたい。そういう関係になりたい。でもあなたは彼女がいる。友達ですらないんですよね、私達。なんなんでしょうね。
この好きは伝えられないけれど、こうやってあなたを想う人間もいるのです。気持ち悪くてごめんなさい。好きです。ずっと好きです。あなた以上の推しなんていないんです。ネットの片隅で流すことでこの気持ちが少しでもなくなることを祈ります。
・高級車ばかり、高額なナンバー代
高齢の父親とともに格安ツアーで行って来ました。大連→無錫→上海(二泊)で四泊五日。
ちょっと見てきただけで分かった気になるなと言うなかれ。現地ガイドが付きっきりなので、リアルな話が何でも聞ける。個人旅行じゃ得られない情報源。バスは最前列に座る!
自分が気づいたことを書いてるブログ記事とかがあまり無いようなので書いてみました。主に上海の事です。
別のツアー客の方が気づいてガイドさんに質問。まさかと思って、改めて道を見ると本当だったので驚愕した。確かに大きな車なんてバスぐらいなもの。ハイエースみたいな商用車さえ見かけない。
ガイドさん曰く、共産党の命令により日中は商用車の乗り入れが禁止されているとのこと(例外はあるだろうけど)。見栄えが悪いからという理由らしく、聞いたときは独裁国らしく横暴だと思ったが、よく考えるとアリだと思った。渋滞も減るし、排ガスは減るし、事故も減る。合理的!
ここは青山かと思うくらいの高級車率。5割くらい?それが上海規模。ナンバーを取るのに何年も待たされる上に、ナンバー代が180万円とのこと。日本でそれだけ出せる世帯がどれだけあるだろう。
おのずと500万円するような高級車がポンと買える人ばかりなわけで、ベンツ、Audi、レクサスなんかがゴロゴロしてる。Cセグメントなんか買うのがアホらしいわけで、そりゃスズキが撤退するわけだよ。あと、大連だとナンバー代は35万円ぐらいと言っていた気がする。
レーンごとに制限速度があるみたいで、例えば3レーンだと
120 | 100 | 80 |
となっていて、前の車が制限速度以下で走ってようなものなら後ろの車は鬼パッシング。すぐに道を譲ってくれる。
日本の追い越しルールよりずっと合理的だし、速度違反も一度も見なかった。日本でパッシングなんてやろうものなら下手したら警察沙汰。
ほぼ電動スクーター。ガソリンバイクなんてめったに見ない。2%ぐらいか。バイク専用の側道も多かった。3輪バイクとかも多くて面白い。
オレンジ色のバイク充電器が塀にとりつけられていた。お金を入れると一定時間充電できると思うのだけど、日本で見たことない。素晴らしい。
「出川哲朗の充電させてもらえませんか」なんて番組やってるけれど、それだけ日本では電動バイクはコミューターとしてまだ実用的じゃ無いってこと事。
残念なのは運転マナーで、暗くなっても無灯火ばかり。目の前で車と衝突して吹き飛ばされてたし。大ケガかと思ったけど、しばらくしたら立ち上がってまたバイクで走って行った…。
信号の設定が頭おかしくて、成人が小走りで走って青信号中にギリ渡れるかってレベル。父親なんか高齢で足が遅いので、まさに命がけのチキンゲーム。超怖かった。
ガイドさんからも「日本は歩行者優先ですが、この国は車優先ですので気をつけて」と念を押されていた。儒教の国じゃなかったの?ガイドさんによると、交通事故の年間死者数は10万人超えてるとのこと…。
ナンバー取得制限、商用車乗り入れ制限、電動バイクやシェア自転車優遇、激短い歩行者信号。あらゆる政策が、増え続ける車で交通が麻痺しないために計算されてるように思った。頭のいいテクノクラートが超頑張ってる。人権は二の次かもしれないけど!
商用車の都市部への乗り入れ制限や高速道路の速度制限のルールなんかは、日本で取り入れても面白いかもしれない。あとバイクの充電ステーションが日本に無いのは理解できん。
前期で必修の再履修を落としたので留年が決まった。大学に入るために一年浪人していたので一浪一留の絶望大学生が生まれる。
最近悩みが尽きない。
国立大なので学費はそこまでかからないが,5年分の学費を出させてしまう。あと,50万はなんだかんだでかなりの大金である。また,私のいとこには大学生が二人いてそれぞれ医学科,国立最難関大学に通っている。彼らはストレートで卒業する見込みなので彼らより劣っている学歴にさらに一年の留年してしますというダメ人間がこの家の長男なんだと思わせてしまうことが辛い。
私は現在の専攻に興味が持てず,大学院で情報系への分野転向を考えていた。独学でプログラミングの勉強を始めたがなかなか楽しかったので将来的にエンジニアになりたいと考えていたからなのと,情報系でかなり興味がある分野があったので大学院でそれらの勉強をしたいと考えていた。
しかし,留年してしまったのである。必修の再履修は絶対に落としたくなかったので,最前列で受講し,全出席,課題も全て提出した。テスト勉強もかなり時間をかけたのに,学部内容の簡単なテストを落としてしまったのである。現在の専攻に興味がないとはいえ,自分の中では頑張ったつもりだった。テストの感触もよかった。なのに単位を落とした。
わかる。頷くしかない。
独身時代、貯金溶かしたからね!怖いよね、どれだけお金使ったとかヤボだよね!
まず役者が近い。他の劇場だと法に触れますかと心配するくらい。
あんな至近距離で猫ちゃんに見つめられたら、心臓バックバクであれ、これは恋?トゥンクくらいヤベエ体験できっから。落ちるよ。沼に。
神席は回転席だ。回転するの。めちゃくちゃわくわくするしかないでしょ。
回転席取るの本当大変だけどね。
会員先行でさえ最前列取れない。
取れた日に舞です。舞うよね。
嬉しすぎて。
もう祭り。
観劇一週間前から顔パックとかして準備。ふだんしないのにね。誰にも見られないのに謎のコンディションで臨む意気込みでさ。
当日とかもう大変。3時間前に駅ついて色々準備。
観劇中ウンコ行きたくならないように腸を調整したり、シッコ行きたくならないように水分管理したり。
5年ぶりのキャッツに号泣。まだ始まってもいないのに音楽鳴っただけで感情の振り幅マックス。
あーー好き。本当好き。素敵。素晴らしい。最高。
あーーーーほんっとキャッツ好き。
すき。
って思っていたらもうカーテンコール。
次も頑張ってとろ。席とろ。
私が社会人になってやっと余裕がでてきた時に、両親へ贈ったチケットがキャッツだった。
私も親も初めての劇団四季。C席しか取れなかったけど、一瞬で落ちた。沼に。
すぐ会員になった。
ライオンキングやウィキッドなどもたくさん行ったけど、キャッツに行き着く。
キャッツに出会えてまだ15年だけどロングランだからまだ少し安心している。
終わらないでねと。
あー好き。
イエーイ!
隣のテーブルの人が
って言ってくれるじゃない!!!
よくよく話してみるとバンドのサポートメンバーの家族の人たちでビックリよ!
アンカレッジにこんな人たちがいるんだーって!
それにも感動!
あと思ったのがライブステージ一列目でかぶりつくように観れたんだけど、
一列目に行くにも楽しむ才能が要るわね!
ファンの器量が試されるのよ!
全部一列目の人は自発的に周りを見ずにしなくちゃいけないのよ!
あと音が遅れて聞こえてくるのを感じたわ。
さすがにいっこく堂さんとまでは言わないけど、
まあ大きなスピーカーとか最前列の人に合わせて置いてるわけじゃないから、
あくまでホール全体にそのイカしたサウンドを行き渡らせられるようにって考えてると思うのね。
まあそんな些細中の些細なことは気にしすぎなんだけどね!
うふふ。
奈良の比じゃないわよ!
これは食うべきだわって!
幸せよ!
梨ウォーラー梨の季節なので、
冷やしたのを向いて食べたいところだけど、
あえて梨ウォーラーに仕立てるという贅沢さ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
5~6年前の冬、どんよりした鉛色の空、地方都市。車道だけは最低限除雪されていたが、歩道は膝下とくるぶしの中間くらいまで積もり、歩くのは難儀だった。特にこの季節は誰も徒歩で出歩かないので雪が踏み固められることもない。
地方の車社会でこんな状況で郊外をとぼとぼ歩いているのは自分くらいしかいない。雪は一時止んでいたものの、横断歩道には轍ができてツルツルに固まってたり、水溜まりでびしょびしょになってたり。少し先の踏切は遮断機が下りていて、車が渋滞の列をなしていた。
二車線の小さな交差点で横断歩道を渡り終え、次に向かう横断歩道の信号が青になるのを待っていた。ふと元いた場所を振り返ると、何と自転車にまたがった爺さんがいるではないか。
この状況で自転車?! この時点で嫌な予感しかなかった。若者でもこの路面の状態で自転車に乗るのは無謀だ。しかもせめて押して歩けばいいものを、爺さんはそのまま自転車を漕いで歩道を渡り始めた。そして案の定、歩道を半分もいかないうちに轍にハマったのか何か、盛大にコケた。しばらくしても位置的に一番近いはずの車からは誰も助けに出てこない。
そのまま立ち去ろうか迷った。はっきり言って自分は人助けするような人間でもなかったが、周りには誰もいないし、渋滞してずらっと並んだ車窓から自分がどう行動するかを注視されているようだった。CX-5とかSUVとか、そういうゴツい車が目の前にあった。そういうのに乗れるくらいの経済的に余裕のある人間が降りて助けに行けばいいのに、何で自分みたいな困窮してる底辺が……と思ったものの、無言のプレッシャーに負けるような、半ば居たたまれない形で爺さんを助けにいくことになった。まったく気乗りしなかった。
まず爺さんのところに近づき、大丈夫ですか、と声をかけながら体を起こそうとすると、「ア゛~~、アレ、、」と呻き、倒れた自転車の方に顔を向けた。自転車は後でいいだろ、と思ったが爺さんの様子からして頑固そうなので、本人の意志を尊重することにした。
そういう訳でいったん爺さんはそのままにして、先に自転車の方を起こし、辺りに散らばったカゴの中身を集め(この近辺で買い物してきたようだ)、道の脇までいったん退避させた。それから再び爺さんを起こし、肩を組んで歩道を少し歩き始めたところで30代くらいのスーツ姿の男性が駆け寄ってきた。
ボソッと「そっち(の肩を持って)……」と言われ、爺さんを真ん中にして二人で肩を抱えて運ぶ形となった。と言ってももう渡り終えてる状況だったので時間にして10秒もかからなかったと思う。正直なところ爺さんは思いのほか軽く、むしろ自転車を起こして脇によける方が大変だったので、この手助けはあまり有り難いとも思わなかった。もう少し早く誰か来て一人が爺さんを、もう一人が自転車をという風に分業できればよかったのだが。
男性は自分とは特に口もきかず、そのまま後続の車の列に戻って行った。単なるアリバイ作りだったような気がしないでもない。まあ別にいいけど。それ以外の人たちはそれさえしなかったのだから。そう、最前列の車のドライバーたちは結局見ていただけだった。どんな奴が乗っているのか、よほど少し近づいて睨んでやろうかと思ったが、小心な自分にはそんな度胸さえなかった。
もし季節が暖かい時期で、もし倒れていたのが「可愛らしい小学生」や「か弱そうな品のあるお婆ちゃん」だったなら、むしろ我先に助けようと2~3人は真っ先に車から飛び出していただろう(そしてその事を誇らしげにSNSに書き込んだりするだろう)。
でももしあなたが「いい革靴を履き、商談を急いでいるビジネスマン」で路面が「雪解けのびしょ濡れ状態」だったら、車を降りてまで「見すぼらしい底辺の人間」を助けようとするだろうか?
爺さんは自分とは終始目を合わそうとせず、結局何のお礼の言葉も口にしなかった。爺さんの身なりは見すぼらしく、底辺老人というか、ホームレスというか、あるいはその中間だった。とても家族や親しい友人がいるようにも見えなかった。少し見ただけで他人にそこまで決めつけられたくないだろうが、そうとしか思えないオーラを放っていた。
穿った見方かも知れないが、いま思えば人を試そうとしていたのではないか。人生も終盤になろうというのに、自分が誰からも大事にされないから、あえて無理な状況で親切にされるかどうかを試すために無謀な行動をしたのではないか。この無愛想で、孤独で、見すぼらしい老人は何十年後かの自分自身だろう。そして今回とは違って、助ける人は誰もいないだろう。
※ ※ ※
地元の新聞の天地人みたいな欄ではしばしば都会の人の冷たさを指摘し、地元の人の温かさを礼賛している。下らない。地方だから温かい、都会だから冷たい、なんて関係ない。そのことがこの出来事で確定的となった。このときは周りの視線に負けて柄にもなく人助けなんかしてしまったが、この先もうこんな事をすることはないだろう。
自転車に乗った女性が赤信号を無視した車に吹き飛ばされた。彼女が立ち上がろうとそうでなかろうと、それを横目に自分はそのままそっと立ち去るだろう。他人を助ける余裕なんて残ってない。自分自身さえも助けられないのに。
今さら感がすごいけど、あの一大イベントを消化するのに丸1日ぐらいかかったと思っていただきたい。
思い返すとワンマンライブ決定が知らされた7月12日、あれほど感動するとは思っても見なかった。
理由は2つぐらいあって、一つがZepp VRがcluster.にあるということ、もう一つはVR機器の画質がそんなに良くないということ。あとVIVEとかOculusとか持ってなかったし。
あの日、動画の概要欄からcluster.のサイトに飛んだとき、あのcluster.??月ノ美兎さんの生放送を三週間延期させたcluster.??と思ったし、さらに言うとそんなcluster.よりキズナアイさんの誕生日イベントを成功させたニコファーレの方がいいんじゃない?それに家庭用のVR機器よりニコファーレの方が設備も整っているし。とも思った。
だから7月14日のチケット販売の時もテンションは低めだったのを覚えている。
どれくらいのテンションかというと、前日にアカウント登録とクレジットカードを登録してバイトを休み朝6時に起き11時からサイトを更新して待機するぐらいのテンション。
なのでチケットがとれた時は心底驚いた。関西人特有の行けたら行くわというノリだったしまさかとれるとは思ってもみなかったからだ。
せっかくだったのでHTC VIVEを買おうと検索したところ一つ誤算が。
Amazon、ヨドバシ、ビッグカメラその他もろもろ全て品切れ。いや、入荷待ち。
しかしこの時【VR】HTC Vive 入荷・販売情報(@htc_vive_info)というアカウントに助けられた。ドスパラがちょくちょく入荷しているという情報を受け、近隣の店舗である神戸店、なんば店、京都店をフォローし、タイミングよく入荷したなんば店で無事に購入成功。ついでにパソコンとモニターも欲しかったので計40万ほどの出費となった。
ご存知の通り大学生にとって40万は大金なので、もし失敗したら絶望して時間を戻しちゃうかもなぁとか、やっちまったなぁ~オイとかクソみたいなことをブツブツ言ってた気がする。
そしてViveの画質に文句を言ったりproの方がいいかなぁ~やっちまったなぁ~とか言ったりしていたらいつの間にか8月30日前夜祭。
くらすたーさんのDMに誘われてZepp VRにプラグイット。
ライブっぽい音楽とZepp VRの入口を見て予想以上の出来で驚いた。
実を言うとライブ会場まで下見できると勘違いしていて入口の扉付近でドゥン…ドゥン…ってなってた。後ろの人たちにアホちゃうかって思われてたに違いない。恥ずかしい。
そしてライブ当日。しっかりとバイト先に風邪で~すと休みの連絡をいれてcluster.にプラグイット!
と思ったが雨のせいか家の貧弱!貧弱ゥ!なwifiが超絶重くなっていてXperiaのデザリングを使用。通信制限にならないようにdocomoに課金もした。
ライブと呼ばれるリアルのイベントには一度も行ったことが無いので比較することは出来ないが、ファンとしての緊張感や高揚感がその場所で共有できている気がした。
一番の良席を探すもの、ひたすらウロウロするもの、今までくぐってきた修羅場を思い起こさせる沈黙して鎮座するもの、様々なアバターがいてそれぞれに人間味を凄く感じさせられた。
VRライブの一番の良いところは他人に邪魔されないことだと思う。
映画とかでは、もし前の席の人間がもしミソシタさんのような視界を遮るような人間だったら?もし横の席の人間がねこますさんのような脇からおにぎりを放出する人間だったら?とか頭を悩まさなければならない。
そして始まるライブ。
ラジオ体操が始まったとき、ほー いいじゃないか こういうのがいいんだよ こういうのが と頷いたがその時電流走る──
「パンツ」を見させるな───ッ
と叫んじゃいましたが杞憂でした。しっかりと下にスパッツ?短パン?を着ており一安心。
準備はオッケー!
彼女が飛べと言うならば飛び、手を叩けと言えば手を叩き、手を上げろというならば手を上げてサイリウム(黄色に変えたかった)を振り回す。
充実した時間だった。
あの時にどんな時に幸福を感じるか、と聞かれた。
確かに一つ言えることがある。
たとえ、明日死ぬという絶望があっても、その絶望を吹き飛ばすぐらいの幸福があった。
ライブ中の月ちゃんが桃白白のように空とぶ何かに乗って会場を飛ぶ演出も素晴らしいものだったが動き回る月ちゃんを追うことができる、これも感動した。こんなことをリアルでしたら殺されていたに違いない。
上を見上げたらエビーバーがふってくる独特の雰囲気にはたまらないものがあった。
また、ファンも動き回れるが月ちゃんも動き回れるのもVRの強み。
残念ながら月ちゃんがUPした写真では自分のアイコンは確認できなかったが、あのときカサカサと一番いい場所をいやしくも探していた。
あと爆発の後に出てきた月ちゃんの衣装が可愛いすぎてテンションは爆上がり。
そこから始まるアンコールのbeyond the moon は本当に最高だった。
打ち上げる花火、わき上がる会場、完全究極にかわいい月ちゃん。
Viveのスポンジに染み込んだ汗と涙が気持ち悪い、でもそんな事がどうでも良くなるほど、興奮した。
いつの間にかbeyond the moonを口ずさんでいた。
曲が終わり消えていく天蓋、沈み消えていく月ちゃん。
行かないでほしい。このライブがずっと続いてほしい。床が邪魔だ。
全てが終わって響くアナウンス。
放心した僕の眼球に地球が映る。
なんだか笑えてきて、最高の気分でライブ会場を背にエビーバーアバターと共に現実に還る。
物販ブースや東京タワーを見てこれから先のことを夢想しながら退出してアンケートを激甘に答えた。
今思うとあんなに激甘で大丈夫だったのだろうか。いや、多分他の人がちゃんとしてくれていると思う。
カグヤルナライブは間違いなく最高のライブだった。あの日、あの時、月にいた人は皆そう思っているに違いない。
もし、これを読んで興味を持った人は是非次のライブはVRで参加してほしい。
最後に、勝手ではありますが【VR】HTC Vive 入荷・販売情報(@htc_vive_info)さん、ドスパラさん、cluster.さん、AOさん、輝夜 月さん、このライブを成功させた全ての方に最大限の感謝を。
藤原は舞台のお芝居に適正がありすぎて、映像作品に出るとちょっと浮くんだよね。
舞台だと、生身で遠くの席の観客にも芝居を届けなきゃいけないので、やっぱり「普通」の所作、言葉と比べるとどうしても必要以上に大きくせざるを得ない。しょうがない。大きな舞台で、目線を動かすだけの芝居をしたって、最前列の観客にしかそれは伝わらないからね。顔ごと視線を向けるような動きになってしまう。
そんなわけで、日常生活を基準に考えたら大げさすぎる動きになるのさ。藤原は舞台中心にやってきた役者なんで、そっちの方向性で巧い。生身で勝負してきただけの迫力もあるし。
映像作品だと、カメラが近寄ってくれるんで、そんなに大きな芝居をしなくてもいい。逆に、舞台では映えないような小さな小さな芝居もクローズアップが可能。そういう違いはある。
私たちはどうつながっていけばいいのか<広く弱くつながって生きる>佐々木俊尚/小野美由紀 - 幻冬舎plus
佐々木 それはね、ポリティカル・コレクトネスの議論ってすごくあるんだけど、たとえばLGBT、たとえばゲイを「気持ち悪い」と内心で思ってしまう自由はあるのです。。ただ、それを口に出すのはまた別。ただし内面にあるその気持ち悪いと思う気持ちは許容する。そしてゲイの人がいることは絶対に否定しない。そこの両立をさせることがたぶん一番大事で、そこで無理矢理、いやいや、ゲイは気持ち悪くないだろ。ちゃんと理解しろよというのはやりすぎだよねというね。マイノリティに対する違和感というのはみんな持っているわけです。その違和感をなかったことにするのも、それはそれで人間の本質的には無理があるかなという、そういう話ですよね。
最前列にいたお客さん ゲイなんか普通の人間関係だったらつき合えるけど、俺に恋愛感情を抱かれたら、気持ち悪いってことですよね。
佐々木 まあ、そうでしょうね。それは個人の自由。ただ、それを口に出すのは良くないということと、そういう気持ちがあることを逆に否定するのも良くないというね。そういうことだと思います。
確かにゲイにいい印象はもっていないのかもしれませんが、発言そのものは単に佐々木氏の言ってることを確認してるだけでしょう。
「ゲイを気持ち悪いと思ってしまう理由は、俺に恋愛感情を抱かれたらと考えてしまうからですよね」と。
この場合の「俺」というのはおじさん本人ではなく、たとえ話に出てきた「ゲイを気持ち悪いと思ってしまう人」を指しているので、このおじさんが自意識過剰というわけでもありません。
そしてこれが「ゲイがいてもいいけど、好かれたらキモい」発言にキレた話(小野 美由紀) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)では、
「ゲイがいるのは勝手だけど、俺のことを好きになられたら気持ち悪いって話だよ」
目の前の初老の男性がそう叫んだのは、佐々木俊尚さんとの八重洲ブックセンターでのトークイベント終了2分前、話題が「多様性」に及んだ時のことだった。
こうなっています。
本日、数少ない休日を使って2歳の息子が最近ハマっているアンパンマンショーを観に行った。
アンパンマンショーは人気だという事前情報と、外で働いている父親の俺は貴重な親子の触れ合いのため、息子がいつ起きても良いように朝5時から起きて朝食を作り、着替えからオムツ、熱中症対策の水分などを用意し準備万端で迎えた。
今回は父と息子の2人だけの日だ。男同士の楽しい1日が始まるのだ。
アンパンマンショーの開始は午前10時半、会場に到着したのは9時で、会場入りすると既に会場が用意した最前列が埋まっているというアンパンマンへの熱意に驚きつつ、最前列から1つ後ろの2列目を確保という、なかなか良い結果を得られたと満足していた。
―――――――
○○○○ ←会場が用意した最前列
○○○○ ←会場が用意した2列目(この列の1席を確保)
○○○○ ←会場が用意した3列目(以降、列が続く)
開始まで1時間半もあるが、アンパンマンショーに喜ぶであろう息子を想像しつつ、アンパンマンの歌を歌いながら、時には持参したアンパンマンのぬいぐるみであやしつつ、三十路男は久々に父親らしいことができると笑顔で待っていた。
アンパンマンショー開始30分前に俺には到底理解できないことが起き始める。
俺は目の前で起きていることが本当に信じられなかった。会場が用意した最前列の前にレジャーシートを敷き、先に会場入りしていた最前列の方々よりも前で席取りする連中が現れ始めたのだ。
―――――――
○○○○ ←会場が用意した最前列
○○○○ ←会場が用意した2列目(この列の1席を確保)
○○○○ ←会場が用意した3列目(以降、列が続く)
歌って踊れるというアンパンマンショーのテーマもあって、比較的に席同士の間隔は広い。狭かったら踊れないしな会場の設営は正しい。
だけど何故あの連中は踊るためのスペースで席取りしてるんだろうか?しかも先に会場入りしている方々を差し置いて当たり前のようにレジャーシートを敷いているんだ?
あれよあれよと言う間にレジャーシートを敷く輩は増えていく。
アンパンマンショー開始15分前にもなればレジャーシートで会場は一杯になった。
―――――――
○○○○ ←会場が用意した最前列
○○○○ ←会場が用意した2列目(この列の1席を確保)
○○○○ ←会場が用意した3列目(以降、列が続く)
俺か確保した前にもレジャーシートは敷かれ始め、絶句していたところ、息子の前にベビーカーが鎮座する。
今日の俺は父親で、まだ2歳の小さな息子を連れている。穏便に指摘しなくてはとニッコリ「大変申し訳ありませんが、息子はまだ小さくベビーカーで息子はステージを見ることが出来ません。畳むか、そちらの方に移動をお願いできますでしょうか?」と話しかけた。
すると父母娘3人の5人家族は「一番小さな子がまだ歩くのが下手なので無理です」と返してきた。
この父母が俺の前に居るのはまだ良い。別にアンパンマンに固執する年齢でもないからステージが見えないのは全く問題がない。俺が興味あるのはアンパンマンショーを楽しむ息子であってアンパンマンショーじゃない。
こんなイベントなのに無駄に5センチ以上は靴底あるだろうサンダル(?)に頭の上へ大きなお団子を作って背を高くし、周囲の小さな子の視界を遮る母親のファッションセンスも理解不能だが、返ってきた言葉に俺の思考は一瞬思考を停止せざる得なかった。
俺はハッと気付いて事を荒立てないように「ハハハ、奥さん、ご主人そりゃ無いでしょう。ボクたち会場が用意した席へ先に早く来て座ってるんですよ?お願いしますよぉ」と言った。
すると「は?なんで?ウチの1番下の子よりもそっちの子は大きいでしょ考えてよ」と更に理解不能な返事が。
おかしいな、俺は息子が十分にアンパンマンショーを楽しめるように早起きして準備をする努力をしたはずだ。後から来た輩が何故こんなにも態度が大きいんだ?
レジャーシートを敷く前にも「前にレジャーシート敷いてもよろしいですか?」の一言もなく、ベビーカーを指摘したら俺が常識無いように言われている。
俺はどこから間違ってたんだ?
「今日は任せとけ!」と言って息子と一緒に妻へバイバイし家を出たとき、まさかこんな沸々とした心持ちになるとは一切思わなかった。
俺は何のために努力してたんだ?この目の前にいる親子のために努力してたんだろうか?
俺はこのレジャーシートを敷いている理解不能な連中を眺めるためにアンパンマンショーへ来たんだろうか?
子育て本にも、ネットにも、俺の両親や、保健師の先生、先に親になった兄弟と友人そして先輩上司、色んなところで言われたよ「子育ては助け合い」だとな。
それは嘘じゃねえと思うし、道を譲ってくれる自動車ドライバーや、オマケを付けて頂いた商店の方々、親切にして頂いた近所の方々も居る。
でもその好意に甘え過ぎちゃいけねえとも思ってコッチは考えてんだよ。できれば同じように子育てする親を応援しようとも考えてる。
何だお前ら、本当に同じ親か?
息子が居なかったら本当にステージに上がって罵倒の限りを尽くしてやりたかったわ。
だが俺は小さな息子を抱える父親だからココに書くだけで留めておく。
息子はあまりアンパンマンショーを観ることができなかったんだよ・・・本当に悔しい。
これが会場が用意した2列目の視界
1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイWW d465-ibbf)[] 2018/02/26(月) 15:55:37.24 ID:7211LqHx0
久田将義×吉田豪のタブーなワイドショー 2018/02/25(日) 20:00
こないだ正論大賞のパーティ行きましたよ。ヤバいっすよ。正論大賞マジヤバい。人類は一回行くべき。
多分絶対呼ばれないから言うと、フジサンケイグループは威信をかけてやってるわけです。
まずこの賞の凄いところは選考委員がいないところ。今フジサンケイグループにとって今推したい奴みたいな感じ。
最初にフジのアナウンサーが「フジサンケイグループ正論大賞パーティが始まります」と挨拶する。
そこでいきなり「平昌五輪で日本はますます活躍、しかし他方韓国はそれを政治利用し・・」と始まる。
「中韓の政治的圧力がますます強くなる中、日本の論壇はそれを恐れず正しい論を作っていく」「さて発表です」
飛ばすんですよ(笑)。とにかく最初からハッキリとしたイデオロギー性、方向性なんです。
男性は着物の奥様と一緒に入場してくる。入場の時だけかなと思ったら壇上にも行き、夫が演説してる間、
奥様は一歩下がって身動ぎもせず立ってるわけ。三浦(瑠麗)さんと同時受賞したある文芸評論家(小川栄太郎)
がいるんですが、その方の演説がこれまた凄い。この人は安倍晋三は吉田松陰に並ぶ思想家なんだみたいな本を
書いて結構売れている人らしい。最近だとモリカケ問題で朝日に訴えられてる人なんですよ。
その人がいろいろ演説する。「日本は少子化で苦しんでる、このままだと日本は滅びる」ああここまではそうだと。
「だからねぇ増えるしかないんだ。女が子供産むしかないんだ。という事言うと女性の人権とかいう人がいます。
人権?もちろん大切です。しかし!」と始まる。それを横で着物を着た女性がずっと黙って聞いてるわけですよ。
凄いよ。痺れましたよ。こんな自由な言論空間はない。自由すぎる。
安倍首相からのビデオメッセージが凄く長い。受賞者一人一人に「何々さんは何々の業績があり、これからもしっかりと日本を支え」
受賞者の挨拶を見るとみんな仮想敵が朝日新聞なんですよ。これも面白くて。首相からメッセージ貰ってるんですよ。
それなのに自分たちは言論弾圧されてるって思ってるわけ。凄い良かった(笑)
俺はすごい面白くて最前列でバシバシ写真撮ってたり喜んでたんだけど、津田(大介)さんは真っ青な顔してさ「これ許せないでしょ」。
ええ、マジレス?みたいな(笑)。そうじゃないでしょこの楽しみ方さ。さすが左翼(笑)