はてなキーワード: 合致とは
「アリスとテレスのまぼろし工場」だけど、本作は言うに及ばず、過去作もフェミニズム、女性の政治的権利にはつながらない人だよねと、いつも見てる人には当たり前の感想を思った。
それもあり、当然ながらヒロイズム喝采な盛り上がり方もできないし、一方でポリティカルテンプレの誉め方で持ち上げようがないし、日本的な意味でも海外的な意味でも売れ筋から背を向けてて、正しく古いオタク向けの人ですよね岡田監督。この人を女性監督という取り上げ方をするのも大概バカみたいだけど、そういう戦略性も含めてオジサンにウケる人。
「少年少女」じゃない。おそらく10年以上なんなら20年近く「中学生として振る舞い続けること」をやってきた、周囲の監視の目もあって童貞処女のままの30代半ば。キモイ。似てる設定というと「スカイ・クロラ」だけど、あちらほど精神状態が終わってないのがまた煮え切らなくてキモイ。
ここで既に物語テンプレのロールや社会的ロールに沿った理解を当てはめようとする人が全員振り落とされる。「十代のドラマなら十代のドラマらしい話にしろよ」も「30代の擦れた男女のドラマならもっとそれっぽく作れよ」も適用されない。イラついて「設定がちゃんとしてないんだよ」と毒づく。
まあね、でも実際そんなだったじゃん90年前半バブル崩壊で取り残された団塊ジュニアども。
保守的な伝統社会はぶっ壊されてたし、理念先行の社会主義なんて信じてないし、経済成長に従ってれば会社が人生のレールを敷いてくれるって幻想も一瞬で消え、2、3学年上の先輩たちの話はまるで参考にならない。稼ぎがないので結婚しないし、景気が悪い上に自分たちの世代が一番人口が多いせいもあって職場に後輩も少ないなんなら後輩いない、なんなら終身雇用と派遣の狭間で企業側もフラフラと方針定まらないまま。いつまで経ってもマンガアニメから卒業しない「子供のまま」だったのが、気が付けば世間の方がマンガアニメに迎合しだしちゃって。
設定らしい設定がないので、子どもなのか親なのか、先輩なのか後輩なのか、若者なのか中年なのか、どういうロールが正しいのかわからん連中が日本の人口のマス層として取り残された。
こういう停滞感、今までも色々と表現されてきたけど、比喩としては一番ダイレクトで何のひねりもなく、分かりやすい。現実に設定がしっかりしてないから、設定ではっきりするほうが噓でしょ、って明け透けな見せ方。これが今回いちばん岡田麿里らしいとこじゃないですかね。
いわゆる岡田監督らしさについては、本人が自覚的に自分の過去作を振り返って他人から言われる評価を参照しつつ作ったってパンフで言ってるし、そこまで評価するとこでも突っかかるとこでもない気がした。上手いですけどね。女と母親とどちらでもある自己っていう振れ幅を一つの台詞に同時に込めるとか、うわーえぐーい。オジサンはこういうのやられると負けるわ。
ただまあ、今回は前よりかすっきり整理してて分かりやすいし、監督そのもの、監督らしさ、岡田マリー節炸裂、とは思わなかった。70%マリーぐらい。200%って言ってる残りの130%は作画スタッフとか役者とか視聴者の思い込みとかだと思う。
ただ、その70%で、ファンタジー世界を作り上げた神たる老人の「俺はこう生きた、君たちはどう生きるか」に対し、ファンタジー世界に囚われた住人の立場から「中年のあたしたち俺たちはこう生きてきたし、こう生きていきますが、それで、何かご質問が?」と打ち返してるのが、マリー持ってんなと。このタイミングでこのカウンターを見逃すのはホント勿体ないので見たほうがいいと思う。
その他。
なんか「あの花」とか最近作しか出てこないので、老害的に付け足し。
この人はファンタジー作家です。現実世界のリアリズムとかの人じゃない。のでリアリズムは求めないほうがいい。
ファンタジー作家としての気質は「砂沙美魔法少女クラブ」で100%発揮されてる。以降もだいたいこんな感じ。
「スカイ・クロラ」を引き合いに出したので繋がりでいうと「シムーン」の後半。シムーンは押井守と仲良しな西村純二監督が「スカイ・クロラ」とほぼ同時期にやった「モラトリアムな人たちの出てくる戦闘機乗りの話」で、シムーンの企画原作やってた人たちの手を離れて後半はマリー西村コンビへ。このコンビの流れで「true tears」に繋がり、そこから「花咲くいろは」へと。
煮詰まって先に進まない男女関係だと「とらドラ!」。原作あるけど、まったく前に進まなくてどうすんだこれ、って澱みっぷりは岡田脚本の本領発揮だと思う。秩父三部作だと長井龍雲監督の調整がけっこう入って長井節になってるので、あんま澱まない。
個人的にマリー100%だと思ってるのは「ブラックロックシューター」。ファンタジーで少女バトルでバイオレンス。別に下ネタじゃなくても100%だと思う。気に入ってしまって円盤買って家族に強制的に見せたのは、ちょっと反省している。
まあ脚本家のキャリア長いし、原作ものも当然のように多いし、普通に現場の調整の中で仕事してる人なので、なんもかんもマリーってこたない。
「引用」という言葉には、たとえこれを著作権法32条の意味に限ったとしても、「著作権者に無断で」という意味を内包しない。
「無断引用という言葉はおかしい」というデマは、もともとは(無断リンク禁止の如く)適法な無断引用に対して「無断引用だ!」と言いがかりをつけてくる輩に対する「引用は無断でやっても良い」という反論が、「引用は無断で行うものだから無断引用という言葉はおかしい」に転化したのではなかろうか。
職場に行かないとちゃんとしたコンメがないので、さしあたり手元のおぐおぐコンメから引用するけれども、
「引用」をあえて定義するならば,自己の著作等活動への利用目的(引用目的)で,自己の著作物の中に,他人の著作物を複製または無形に再生して,利用または自己の著作物等を創作,または自己の著作物等の中に複製以外の方法で利用する行為である。
とあるとおり、そこに「許諾が無いこと」は要件とされていない。許諾がある場合に引用ではなくなるということもない。
そもそも、著作権法32条はベルヌ条約10条の引き写しだ。ベルヌ条約に加盟するためにそのようにしている(条約の国内法化)。
Article 10
(1) It shall be permissible to make quotations from a work which has already been lawfully made available to the public, provided that their making is compatible with fair practice, and their extent does not exceed that justified by the purpose, including quotations from newspaper articles and periodicals in the form of press summaries.
(日本語訳)
(1) 既に適法に公衆に提供された著作物からの引用(新聞雑誌の要約の形で行う新聞紙及び定期刊行物の記事からの引用を含む。)は、その引用が公正な慣行に合致し、かつ、その目的上正当な範囲内で行われることを条件として、適法とされる。
(著作権法)
(引用)
第三十二条 ① 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
したがって著作権法の条文における「引用」はベルヌ条約における「make quotations」という程度の意味しかない。
そしてベルヌ条約は、make quotations が(許諾なしに)適法化される条件を示しているに過ぎず、この条件を満たさないmake quotationsが許諾によって適法化されることを排除していない。
世界中多くの著作権者が、copyrightのあるworksをquoteするためのpermissionのガイドラインを示しているのはそのためだ。
「許諾があるならそれは引用ではなく複製だ」みたいな意味不明な主張も見られた。
上記のおぐおぐコンメの引用部分にもあるとおり、「引用」には「複製以外の方法」も含まれている。裁判例上も、たとえば複製ではない要約引用も認められている(「血液型と性格」事件など)。
ついでに、法律家が「引用」といった場合、もしかすると原著作物を書き写さない用法のほうが多いかもしれない。「本件控訴の趣意は,弁護人**作成の控訴趣意書記載のとおりであるから,これを引用する。」とか「**は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決の**の「**」に摘示のとおりであるから,これを引用する。原判決の*頁*行目の*を*に改める…」といったアレだ。
民訴規則、刑訴規則には、下の例を含めさまざまな書面の「引用」が認められているが、いずれも「他の文書に書き写さなくても、同じ内容が書いてあることにするよ」という意味だ。
第218条 地方裁判所又は簡易裁判所においては、判決書には、起訴状に記載された公訴事実又は訴因若しくは罰条を追加若しくは変更する書面に記載された事実を引用することができる。
【民事訴訟規則】
第184条 控訴審の判決書又は判決書に代わる調書における事実及び理由の記載は、第一審の判決書又は判決書に代わる調書を引用してすることができる。
元の話題が国際順位の話で国際順位の差の理論ががばがばだぞ、って話で国際順位が機能してないスポーツ例に出すのがあほだなあってこと
例出すやつの大半がなんだけど、その例が本当にわかりやすい説明になってますか、元の議題に合致してますかって確認せずに脳死して書く奴が多いんよなあ
俺は逆転が起きやすい起きにくいについては何も言ってねえのわかる?
正直親元からも切り離され兄弟も少なく祖父母も働き出してて、男の年収が少ないから共働きせざるを得なくなってるなどの子育て環境自体が大幅な悪化してる
児童の権利も強くなってて、発達障害の増加などの医療ケア必須の子が増えたり、子供を自立させるための教育費…と親の負担も増えてる
総合的に見て子供は鬱陶しい負担だと感じる要素は増えに増えまくってる
鬱陶しいと言ってる奴らの中でも、自覚してないだけで体力精神的に実は限界に来てる人相当多いだろ
そもそも虐待しないために保育園預けるって保育園の使命にも合致してると思う
真の問題は保育に正当な賃金が払われてない、人員配置が足りないことで、これについては親が協力しないとダメなんじゃないの?と思う
親も保育士の待遇改善に協力する、できることはやる、で、元増田が言ってたように、行けるならなるべく早くお迎えに行く、無理ならこっそりやるくらいの配慮あって良くね?とは思うんだが、それすら嫌らしいからどーしよーもねーわと思う
鬱陶しいから子を預ける奴が0なわけねーよ
映画を観てきた。
出てきたゲストキャラクターが3人とも背景が海原神との関係以外薄すぎて
獠達の相手になるには怖さも狡猾さもなくて、爽快感も思い入れも持てず倒れていったなあと。
もっこり部分はともかく、海坊主いじりすぎの演出が気になった。
キャラとして好きなのかもしれないが、そんなに赤面させてどうするのかというか。
あと、レギュラーメンバーの老いを感じるのは声じゃなくて演技。
ほんとに画を見て当てたのかなっていうぐらいズレがある、もったりした間の演技で聞き苦しかった。
玄田さん以外は、もう20歳は若く演じてくださいという感じ。正直「演技忘れましたか?」と思うぐらい。
いっそ続きはテレビシリーズでもやって、キャラに合致した演技を思い出してもらわないと、
このまま続編にでもなったら、ひどいことになりそうと感じたな。
独立事象って高校で習うはずのことなんだが千日手に持ち込むためにわざとあべこべの解釈してるのか?
あることとあることが独立事象とはお互いが原因と結果の関係で影響を与えないこと。
その行為が原著作者に許されてるかどうかはその行為が違法かどうかには関係しない。その行為が違法かどうかは権利者の意思とは無関係に、行為自体ががどのようかものかという観点から違法とする条件の構成要件との合致具合で定まる。
もし上記を踏まえて行為が違法かどうかが、子供に真似するなとか含めなんらかの行為が虐待に当てはまるかどうかに関係するとすればそれはどういうことなのか。
虐待に当てはまるかどうかで、構成要件との合致具合が変わってくるのか?虐待に当てはまるかどうかという虐待の定義のありようが、構成要件と照らし合わせるその行為自体の内実に影響を与えるのか。支離滅裂にも程があるしやっぱお前は自分の言いたいこと言ってるだけ。論理のろの字も弁えてない
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
そうして払えなかった世帯からは親権を取り上げて、子供は税金使って公的機関が育てる様にする
その代わりに、産まれた子供を公的機関に引き渡す際に親に100万円くらい国が払う
手放す際に金銭を支払うことで、貧乏な家や望まれずに産まれた子供をその環境から引き離しやすくもする
子供が欲しい人って自己保存とかそういう本能的な要素を除くと、自分が持ってる有形無形の資産を子供に継承して欲しいから作る訳じゃん
子育て支援として子育てしてる親に金突っ込むってことは、税金を中流以上の階層に突っ込むって事
彼らにお金を突っ込んでも、彼らの将来設計に合致する人数の子供しか作らない
少子化対策を考える上で重要なのは、後先考えずに子供を作っちゃうような人達なんだよ
中流以上の層に金を突っ込むよりも虐待死したりトイレで産まれてそのまま放置死してしまう子供を、行政が強制的に買い上げる制度を作った方がよっぽど少子化対策になるよ
n=1の自分語りですまん。
でもBさんだった俺の助かった話を聞いてほしい。
君には幸せになって欲しい。
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端的に言うと、数年前の俺もBさんで、君と同じ状況だった。
A'のときには、A2の処理を
そう言われても、俺にはAとA'の振り分ける見分けがつかないんだ。
新しいBとかCの事象に思えるし、俺には俺の理解というか、論理があるのだけれどそれが仕事の流れと合致してくれないから、俺には延々と対応出来ない(教えてもらってない状況であると誤解や錯誤した)状態となり、質問しにいくと「それはもう教えたのになぜ出来ないのか?」とお互いに呆れて苛立ち、ため息をつくばかりだった。
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君のいう「内部出荷の担当がCの部署なのだから、C部署のコピー機で印刷するのがあたりまえだろ!」という場面に、俺も毎日何度も遭遇した。
俺の場合は、あぁそうだなと納得出来ることもあれば、「いや、C部署のコピー機が正常に印刷出来るか分からないではないか。次の担当者のタスクに加えられるよう漏れがない様に手渡しするべきなのではないか?そもそもC部署のコピー機を使うなど、どうやって推察すればいいのだ、言ってくれなきゃ分からないだろう」…なんて思っていたのだが、周りはこうした“職場のお約束”がすぐに察し取れて理解出来るらしい。不思議である。
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こうして俺は「気のいいお調子者」から「へらへらした無能」に転がり落ちた。
諸所省くが、適応障害を罹患して数ヶ月の引きこもりを経て退職。一年超も傷病手当金を頂戴しつつ鬱々とした日々を過ごした。2回も。
いやマジで辛かった。省くけど、辛すぎて交通事故を起こしたくらい。もう認知がだめだめよ。
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現場に立つ講師の中で俺の成績はほとんどトップで、ぐんぐん報酬は上がり、方々から誉めそやされる日々である。
Bさんとして各社(片手じゃ数えられない)を追われた俺は、超有能ホープとして大切に扱われている。不思議な話である。
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だが俺は何も変わっていない。
俺が小さいときからこんな(仕事の出来ない)性格で、こんな考え方で生きてきたことは何も変わってない。
ということで、俺は「失敗した数」「失敗した状況の内容やバリエーション」「その度に改善を試みたあれやこれやの対策」については、俺なりの理解と理論ではあるものの先駆者なのだ…と気がつくに至る。
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俺は世間一般ではクソどうでも良いことでもつまづいてきた、つまづきエリートなので、生徒さんの勉強が出来ない原因やおおよその内心が分かるし、その解決に向けたアプローチの仕方も多数に揃っている。
そんなときにスポンサーである父母様や祖父祖母様の不安や望む未来も、まあそれなりにわかる。
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と言うわけで、勉強が楽しくなって生徒もにっこり。我が子が学習に意欲的になって保護者もにっこり。会社は金を、俺は金と名誉と居場所を得られて万々歳だ。
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話は元に戻るが、
きっといろいろと考えてしまったり、職場の思考回路と一致しないせいで仕事が出来ない…そんな我々Bさんにも、やはり適職があるのではないか?
君にも、君が必要とされる職場や職種があるのではないだろうか。
落ち込む日々だろうけれど、どうか君自身の強み、自分には簡単で他者には難しい、そんな得意なことを見つけ出せることをマジ心底願ってる。
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追記。
退職した職場やその業務内容、全然興味なかったのよね。だから早く帰りたかったし、勉強やメモの見返してすら苦痛だった。
今思えば、無意識にやる気がなかったのだと思う。だから覚えられなかったのかな?覚える努力もしなくなかったのよね。
今は何時間でも稼働出来るし、働いている時間が楽しい。まあでも“働かなくてはいけない”のが嫌いなので一生懸命に不労所得を作ってます。
ひさびさにミリオンライブ!の楽しい話をしようと思う。どうコンテンツ消費してるかとか。結論はね、テキトーに触れてみてくれ。あとアニメ楽しいよ(ネタバレ無し)。そんだけ
アイドルマスターミリオンライブ!は、アイドルマスター系列のメディアミックスブランドだよ。765プロに52人居る世界線です。ミリシタってゲームで遊べるよ。
まず、メインゲームこと"ミリシタ"は全然起動してない。そんでコミュは読めてない。新曲はたまにプレイする。MVはすげー可愛い。稀にフルコンボする。
楽曲CDは最近買えてない。けど、毎週のラジオで聴くと急に好きになる。ラジオはよく見逃すけど、思い出したら見る。曲コーナーが後半なので大体そこ。たまに出演者の発言で外野が揉める。
よくTwitter上で学級会してる。見ないふりしてる。絵師同士で揉めて対消滅したりする。知らないふりしてる。よくスペースでアイドル論語ってる。かと思ったらただの作業配信だったりスプラやってたりする。好きに聴いて閉じる。
周年ライブは予習しない。声優MCはすげーグダグダする。身内ノリすぎて心配になる。でも歌になると超上手くて虜になる。簡単に感動して泣く。UOバキバキ折る。告知でオーバーに喜ぶ。一緒に来たオタクとその場で先行応募する。
供給はいつかあるけど担当のアイドルに限ると結構待つ。(でも周期で必ず回ってくる。)待つからといって、過去のコミュ追ったりする気力は起きん。適当にWebで探すと、担当の知らないエピソードがグリー版アプリのアーカイブ(有志サイト)から出てくる。解像度がちょっと上がる。
なんやかんやで他のアイドルも知るとちょっと楽しい。知らないアイドルに狂ってるフォロワーと話すと楽しい。公式の供給と担当フォロワーを合わせて眺めるようになる。なんか面白い。
狂った絵描きフォロワーに釣られて絵を描き始める。自分で描いたアイドルを眺めると楽しい。元気っぽさとか好きな要素が描いた絵から出てくるとテンション上がる。今見るとぎこちない絵だけど、みんな優しく褒めてくれてた。
オンリー同人イベント行くとめっちゃ人が居てびびる。本出したらフォロワーが買ってくれて嬉しかった。自分も買っちゃうし楽しいお祭り騒ぎ。担当の良いところ何回も説明して、好きな劇中劇の二次創作ずっと考えて、好きなカップリングずっと回して、好きなポーズでスクショ撮って、好きな衣装でファンアート描いて、ずっとお祭りしてる。徳川まつりもびっくり。
離れかけてたミリシタに自分の担当アイドルが来たらやっぱ一番嬉しい。暇してた雑多アカウントもガチャや4コマきっかけに顔出してくるのが楽しい。4コマ更新の時間に、可愛さにしてやられてるフォロワーを見るのが楽しい。
漫画は読んでほしい。ゲッサンならキャラ分かりやすいぞ。BCもBNSもあるぞ。大神環ちゃんは……「天色のアステリズム」にてメインを張っているぞ。かわいいですね。
ミリシタのガチャはお財布と相談。10連ガシャのスクショでプロレスするのも常識の範囲内でどうぞ。ネタツイートもコラ画像もご自由に。それが火花になっては学級会に皆いっちょ噛みして延焼、「なんか気まずいっすね」とdiscordで世間話しながらお絵描きして過ごすのも悪くない。
ちょっとTLに辟易してミリシタ立ち上げると以外と面白かったりする。いくらやっても未プレイ曲リストは埋まらない。知らない機能がいつの間にか実装されている。
TLはいつの間にか喧騒を忘れていて、ゲームのスクショ写真を愛でたり狂ったフォロワーの二次創作に息を呑んだり、担当のR18絵を光の速さでミュートしたりする空間に戻っている。クソ楽しい。
俺はこのコンテンツに本気で向き合っていないけど、好きに向き合っている。グリー版アプリ時代のアーカイブ、なんとか踏ん張ってるミリシタ、頻繁に出るドラマCD、10年声優が本気出す周年ライブ、勢いがあるミリオン同人界隈にそこそこマイペースで付き添ってきた。超のめり込んでるのかもしれないし、全然触れてないのかもしれない。
キャラクターの魅力(アイドルの個性、ストーリー)もあるけど、このコンテンツに至っては色んな展開(定期的なゲーム更新/周年ライブ/各種コミカライズ/企業コラボ等)を10年持ちこたえたという、ある種の図太さ、泥臭さも大きな魅力なのだろうと思う。ミリオンライブ!またはミリシタはコンテンツブランドでありながら、コミュニティハブのような存在になっているのだ。周期的/頻繁な供給とマルチメディア展開、そしてそれを続けられる体力。長く展開を続けたからアイドルが魅力的になったのか、アイドルが魅力的だから長く展開出来たのか、その関係はもはや分からない。でも、今は遊べて感謝してる。すげー楽しい。
こんな謎コンテンツだけど、今アニメの先行上映(4話まで)を映画館でやっている。年数で積み重なった色んな背景と世界線に合致するよう作る必要があり、大多数が心配しつつ観に行ったらしい。でもみんな笑顔で出てきた。俺もすげー楽しかった。ライブも行っててよかったかも。
ちゃんとおすすめ出来てるか分からないけど、ミリオンライブ!は面白いよ。適当に触れてみてくれ。先行上映見てつまらない時は容赦なくレビューサイトで★1付けてくれ。逆に可愛い子が一人見つかれば十分。そんだけ
同時に遊んでなさそうな雰囲気を醸し出し、これは清楚というイメージと合致する。
マン毛の手入れなんて考えないほど男遊びとは無縁と想起させられるからだ。
なお実際に男関係が清楚である必要はないし、そんなこと望んでも居ない。
一瞬、ぐおっと湧き上がる興奮。
マン毛ボーボー、じゃん、こいつは。
その発見に渦巻く思い。
以下、追記。
下の毛の処理をしているということは男遊びしてるはずだ、と決めつけすることとは
「=」ではなくて「≠」だよね。
それに気づいていないのが、いくつかの指摘の決定的にズレているところだ。
下の毛を処理するのはハイジニーナとかいう言葉が流行った頃くらいからかな?
一般に布教され始めて異性のためというより生活の質の向上のために取り入れられていることだ。
だから下の毛を処理しているからといって遊んでいるとは決して思わない。
それとは別の話になる。
別の話として、下の毛を見苦しいほどに処理していないというのは全然異性に見られること考えていないんだよな?という疑問の余地が入るスペースが生まれるという話。
そして、今の季節なら、こいつ今年は海にもプールにも行かなかったんだろうな、ってことになるでしょ?
もちろん男がいても、男を求めていても水着にならない女なんて掃いて捨てるほどいる。
でも、それとこれも別の話になる。
こちらがボーボーを見て驚いた永遠の一秒に感じ取る視覚的な匂いのようなもの。
こいつセックスひさしぶりだろ?と言葉が浮かんだ瞬間のチンチンに情欲という名の血液が注入されてグッと芯が入る刹那。
それを求めている。
付き合ってないのに一線を越える少年少女からしか啜れないものがある。
この一線とは性行為のことではない。
「お前そういうことは付き合うてからやるもんやぞ」と言いたくなるような距離の近い言動のことである。
たとえば「僕の心のヤバいやつ」における、市川と山田が付き合う前のボディタッチの数々。あれだ。
あいつら付き合ってないのに手を繋ぐし、ほっぺとか触るし、ベッドに押し倒したりする。付き合ってないのに。付き合ってないのに。
もうこれは一線越えてると言ってしまってよくないか。恋人じゃなきゃやんないだろそんなこと。でも市川と山田はやる。簡単に一線を越えてしまう。嬉しいなぁ。ありがとうなぁ。
付き合ってないのに一線を越える少年少女には危うさがある。世間一般のルールや順序を踏み越えて、彼らの間だけで通じるルールのもとに行動しているからだ。それが危なっかしくて美しい。
脈を探り、告白し、恋人という立場が確立された上で初めて手を繋ぐ。これがおおよその大人の思い描く順序だ。けれど、彼らは付き合ってないのに手を繋ぐ。シンプルに、お互いが繋ぎたいと思っているからだ。
実のところ、先述した順序は双方の合意を取るためのプロセスのひとつに過ぎない。だから、手を繋ぎたいという双方の意志さえ合致していれば順序を飛び越えて繋いじゃっても構わないのだ。その自由さこそが美しい。
彼らには彼らの間でだけ通じるルールと、言語がある。言葉にして伝えなくてもお互い手を繋ぎたがってることぐらい分かってしまう。人はそれを愛だとか絆だとか呼ぶ。
おじさんはね、そういう関係性を啜って生きている妖怪なんだ。きみたちが付き合う前に手を繋いだり、独占欲をちらつかせたり、距離を近づけたりするたびにね、おじさんの心の中のノブが大喜びで「ちょっと待てぃ!」ボタンを殴って、「付き合うとるど!!!!」と爆笑するんだ。大悟も思わず椅子を立ち上がって腰に手を当てて「これはやっとる」と空を仰ぐんだ。分かるかい、そういう瞬間だけがおじさんの人生の楽しみだったんだ。
でもね、きみたちね、付き合ってしまったね。
付き合うのはすごくいいことだ。そこまでのプロセスも本当によかった。おじさん胸が熱くなってね、きみたちが恋人になった回では人目も憚らず泣いてしまったよ。
のちにこの回のヤバさを人に説明したときにはね、「カイジの沼編で3段目のクルーンにパチンコ玉が溜まり切ってとうとう穴に落ちたんですよ、そういう回です」とまで言ったからね。感動に震えたのは確かだった。確かだったんだよ。
でもね、付き合ってしまっただろう。そうすると、きみたちはもう「付き合ってないのに一線を越える少年少女」ではないんだ。
きみたちはもう危なっかしくない。だからおじさんも、きみたちが不当に距離を詰めるたびに「オイオイオイオイ」だとか「あのねそういうことはね順序を踏んでね」だとか、慌てて口を挟む必要がなくなってしまったんだ。それがね、ほんのちょっと、ちょっとだけ寂しいよ。
でもね、きみたちの幸せが一番だからね。おじさんは祝福するよ。ひとつの時代を卒業して、晴れて恋人になったきみたちの未来を。妖怪・付き合ってないのに一線を越える少年少女の情緒啜りおじさんはここできみたちを見送ることにする。幸せにな。幸せになぁ。
おや、きみは僕ヤバから餌の取れなくなったこの哀れな妖怪を心配してくれるのかい。大丈夫だよ。「付き合ってないのに一線を越える少年少女」はまだまだ世の中に存在しているからね。
今おじさんが注目しているのは「邦キチ!映子さん」の2人だよ。あれはいいものだねぇ。あいつら本当に付き合ってないのかなぁ。一線越えまくってるのになぁ。おいしいなぁ。おいしいなぁ。
「お金がなくても作家を喜ばせる方法は図書館にリクエストすることだ」なるツイート(ポスト?)が伸びてたので https://twitter.com/jiro6663/status/1694628008366428193?t=3FxjKDajQYbjtPMwsgkrdw&s=19
現役図書館司書の視点からこの件について図書館的にどうなのか、本当に作家の為になっているのかを考えてみた
念を押しておくと田舎の小さい図書館司書視点なので一般化できるかは怪しい
①リクエストした人が必ず借りてくれるのであれば図書館は嬉しい
の2点になる
まず①から
図書館の予算は大体どこもカツカツで満足に本買えてる図書館の方が少ない
限られた予算の中で利用者が喜ぶ本を選書し、満足度の高い図書館をいかにして作るかというのは司書の腕の見せ所である
大体は児童向けや小説のシリーズ物、健康や生活の知恵に役立つ400〜500番代の本を数冊買い、余ったお金で1〜2冊ほど「これは利用されそうだな」という本をジャンル問わず選定するが、この「利用されそう」というふわっとしたものが難しい
よく動く本の傾向を見たり新聞書評や今ならYouTubeやTikTokでバズったものを選定してみたりするが、それでも買ったのに全然貸出されない本は出てくる
こういう時、誰かがリクエストをかけた本であれば確実に一回の利用は見込めるので選書会議も通りやすいし助かったりする
しかし、リクエストかけた人に借りる意思がない場合はとても困る
実際、みんなに読んでほしいと言う理由でリクエストがかかり購入したが誰も読まず書架の肥やしになっている本はある
(これはその本が悪いのではなく利用者のニーズに合致しなかった、例えば世田谷や目黒といった一等地に農業指南の本を置いて借りる人がいるのか?という話)
実際そういうことが起きたのでうちの図書館ではリクエストした本を必ず借りてもらうルールが作られた
予算もスペースも限られているので、本人が借りる意思の無い布教の為の、最低一回の利用も見込めない本はリクエストされても正直困るな…というのが本音である
作家としても、折角書いた本が誰にも読まれず本棚から動かない状況は売れたとしてもあまり嬉しくはないんじゃないかと思う
②について
図書館の本は必ずしも購入した物ばかりではない
リクエストがかかった本で、どうしても予算が足りず購入が後回しになる本はどうしても出てくる
そういう時、どこからか現れた善意の市民がちょうどリクエストかかった本を寄贈してくれることがある
それを確かめる方法は図書館には無いのて、作者の利益に貢献しているかは不明だ
また、リクエストされたからといって必ず本を購入する訳では無い
相互貸借というサービスが存在し、その図書館に所蔵が無い本にリクエストがかかった時に所蔵のある別の図書館から取り寄せて貸出することもできる
リクエストがかかった本は原則自分の図書館で購入することが勧められている
それはそれとしてどこも予算は無いので出版から時間の経っている本は相互貸借で補い合うケースは多い
よって、図書館にリクエストをかけたからと言って、必ずしも作者への貢献に繋がるとは言えない
最後に
色々書いたが予算だのスペースだの利用率だのそういう小難しい事は司書が考える仕事なのであまり深く考えず読みたい本があれば気軽にリクエストしてみて欲しい
図書館はその街に住む市民の学習や読書環境を整えるのが第一の仕事だと考えているので要望があればやれる限りは応えたい
もちろん本を書いた作家や出版社があってこその図書館なのでそちらへの感謝や還元も適切に行っていく
ただ、やっぱり市民の為にあるのが図書館なので特定の個人が推し作家の応援する為に手当たり次第リクエストかけてまわるのはなんか違うのではと思う
女性のみなさん、男女同じところ、違うところあると思います。よかったら女性版も書いてね。
読んでてキモい?俺も思った。
==以下追記==
みんな読んでくれてありがとう。頑張って深夜に書いた甲斐があったな。
以下に、気になったコメント、うれしかったコメント等へ返信します。
これがすべての男性に対して正しいかはわからないけれど、女性の大多数が、性的欲求すなわち勃起、勃起すなわち性的欲求、的な認識を持っていると思う。勃起という現象についての無理解を自身について感じる
水着グラビアわりと冷静なんだ。個人差あるだろうけど。下着売り場はどう?前にエスカレーターから見える下着売り場は無配慮だという投稿を見たことある。
漫画家だけどワークライフバランスの考え方の普及に他ならない。
連載は月刊でも間に合わない時は間に合わない、週刊連載は週刊連載ペースで描けるというのがまず完全に特殊技能ってくらいキツい。
休載を許容出来る体制の整備がやっとこ追いついてきたのでそこかしこで見るようになったのが現状。
休載を埋める原稿の確保は数を打って当てる、当たった漫画でまた数を打つという方向とも合致してて、漫画業界全体で見ると成長してるってのに繋がってる。
えーっ 何を悲しむことがあるんだろう立派じゃん。
今までは 男らしさを捨てる とか言っておいて、
この覚悟は本物だと思う。いま求められてる男性像に合致してるし、
逆にメチャメチャ、モテそう。
スティール・ボール・ランでも言ってたけど、
ふつーの人より、マンガや映画見てるが、もうびっくりするくらい血肉になっていないの続き
特に血肉になってねーなって思うのは、カメラアングルとマンガのコマ割りの動線
その次に、キャラクターの性格を反映した動きによる写実的な心情表現、マンガ・アニメ的な誇張アクション
(見開きや大コマ用の見栄の切り方は、大御所になっても相当試行錯誤してるみたいなのでこっちは略)
うまいマンガはそのまんま娯楽として楽しんで『ああ面白かった』で終わるので、カメラアングルとコマ割りの動線、キャラクターのお芝居を意識するのは、
この4パターン
でもよく考えてみたら、そもそも『カメラアングルとコマ割りの動線、お芝居で魅せる』って、商業でも全員がやってるわけじゃなかったわ
そして、ワイが単行本買ってる作家の大半は、『カメラアングルとコマ割りの動線、お芝居で魅せる』に該当する作風の作家では無かったことに気づいた
ぼんやりワイの手持ちで該当しそうな作家を考えてみたが、ぴったり合致する作家の作品を買っていなくて、
ぴったりではなく、ぼんやりでも、両手で数えられるくらいしか持ってなかったわ
たぶん、ストーリーやキャラがワイの好みに合わなかったのだろう。そんで好きなの買ってたら、似たような作風の作品の所有が多くなったのだろう
(アメコミ含めた海外の作品は予算と語学力の問題でまったく買っていない。買っても作家買いでは無くて単発買い)
つまり、何を見て・・・以前にそもそもぴったり該当する作風の作家のマンガを買っていなかったわけやな・・・
『カメラアングルとコマ割りの動線、お芝居で魅せる』にぼんやりなら該当しそうな持ってたので、商業作家あげてみる
==========
前者は日本の実写映画的な作り込みしてるので画面密度高いが、マンガ力が高くてめっちゃ見易い
その上、話も好み!やったーーー!
でも日本のメインストリームの映画の絵作りしてるので、年齢と体格とステレオイメージくらいは意識するけど、
こういう性格のキャラはこういう身体の動きするとかまではしないし、舞台装置全体で心情表情やストーリーを想像させるみたいな話作りはしていない
ただ服の動きとかマジでヤバいのよね。3DCG使ってるけど、クロスシュミレーションだけでどうこう出来るやつじゃないのよな・・・
アシスタントの人にポーズ取ってもらって写真合成か下書きにして描いてると思うんだけど、めっちゃくちゃ金掛かってそう
後者はただひたすらに絵がうまい。アニメーターでもアメコミの人でもそうそうこの人よりも上手い人いない
写実的ではなくマンガ・アニメ的な表現なので、服の動きとかはクロスシュミレーションでイケそうな範囲
けど、3DCGじゃ出来ない嘘表現(誇張表現)ガンガンしてくる
しかし、あのカメラアングル、3DCGシミュレーション無しでよく出来るよな・・・化け物じみた空間認識能力ですわ・・・
ただ、この作家も動きとカメラアングルで魅せる作家であっても、お芝居でお話作る系の作家じゃないのよな
氏は絵があまり画力は高くなくて、化け物じみた空間認識能力も無くて、おそらく予算も時間もないので、
アクションシーンや画面密度が高いシーンになると、正直何をしているかよくわからなくなることがあるし、
写実的なのに、人体も服もイマイチ(興味持って無さそう)だし、漫画的なポージングで見栄切ったりもしない(こっちも興味持って無さそう)
キャラクターの身体全体の芝居ではなく、ハイブランドの広告の不機嫌な若者みてーな表情で、コマの空間を切り取っていくパターンの作風と言えそう
でも、ここ重要なんだけど、写実的な絵作りをしているけど、現実そのものをそのままをトレースして描いていないんだよね
ここは画力や予算・時間の問題ではなく、ハッキリと氏の『作風』だと言える
雑にわかりやすく言えば、写真のHDR合成みたいな、北野ブルーみたいな、写実的だけどテーマに合わせた見せたい色が最初からある
話の流れもそんな感じ。視点があたっている人物がベラベラ気持ちをしゃべったりはしない(というか心情テキスト無し)
おそらくあっただろうやりとりセリフはガンガン削られていて、『人間が過去のことを思い出した時に思い出すだろう場面とセリフだけ』で話が構成されている
話の構成力はめっちゃ高いので、原作の方が向いてそう感あるが(実際売れたのは原作者として関わった作品)、氏の独特な空気感表現をやってくれる作画担当とタッグを組めるかは運
莫大な予算で氏に好きに描かせたらすごいの描きそう
=======
商業作家はなんかこれくらいで、『カメラアングルとコマ割りの動線、お芝居で魅せる』にばっちり一致するマンガ買ってなかったわ
アニメーターやアメコミ好きな人が、キャラクターの年齢や性格や体格に合わせた、お芝居を描いてるの見るのわくわくするので、
買ってたと思ったが買ってなかったわ、うんち!!!!!
カメラアングルとマンガのコマ割りの動線はヤバい商業作家のマンガならそれなりに持ってた。まぁびっくりするくらい血肉になっていないけどね
やっぱ面白いの読んだら『面白かった』で終わっちゃうよね (美味しいご飯食べても『美味しかった』だけで終わるタイプ)
あと、ものすごい金と時間掛かってる or 化け物じみた空間認識能力 でどうこうなるか?感ある
(前者は3DCG使って時間かければある程度は再現できそうだが・・・)
買ってる作品で多かったのは、
人情ものとギャグマンガは研究を重ねた技巧かもだが、基本的に超マンガ力!!!!よりも、エモとか重視している模様
エモとか重視してるのに『カメラアングルとコマ割りの動線、お芝居で魅せる』が何故どうこうってなったんだ?と思ったが、
やっぱ、アニメーターやアメコミ好きな人が楽しそうに描いてるからなんだろうな・・・・
まぁストーリーやキャラが好みに合わなかったのか、読むだけで殆ど買って無かった&処分したみたいだが・・・・・・うんち!!!!!
・顔は普通
→特段告白されたことなどはないが、何人かとお付き合いしたことはある。本当に平均的な見た目だと思う。
お盆に帰省していたのだが、台風のせいで公共交通機関が止まることになり、東京に戻るまでの日数を伸ばした。
とは言ってもその分予定があるわけでもなく暇な1日ができてしまったので、ふと思い立ち、かねてより気になっていたパパ活に手を出すことを決意した。
使ったサイトはラブアンというもので、初めて聞いたがアプリのインストールが不要で証拠が残らなくて良いと思い選んだ。
名前は名字を少しもじった偽名を使い、年収も1000万とした(上述の通り嘘の年収だが、特にバレたり咎められることはなかった)。
年齢だけは免許証の認証が必要だったので本当の年齢(25歳)を記載した。
顔を晒すリスクを考え、4年くらい前に撮った大学生時代の後ろ姿の写真をアイコンにした。
プランが色々とあったが、最上級のプラチナプランを3日だけ体験できて1800円というものがあったため、帰省中の短い期間と合致しておりそれを選択した。
女性を色々な条件で検索でき、最初は23~27歳くらいのレンジで探していたが、年が近いと逆に避けられるようでうまくマッチせず、最終的には20~25歳のレンジで探していた。
デートプランも選択肢に入れられ、「食事のみ」「まずは食事から」「相手に合わせる」「積極的」の4つがあったが、「相手に合わせる」を選択した。「積極的」を選んでいるギラついた人と一緒になるとカモにされそうで怖かった。
余談だが「積極的」ってもう少しいい表現はなかったのだろうか…と思ったが、絶妙な品のなさがパパ活特化のサイトらしくて面白いと思い直すことにした。
また、サイトへの登録日数を検索条件に入れられたので、登録から7日以内とした。手練れが相手だと病気のリスクも頭をよぎってしまったからだ。
最後に地域を実家のある都道府県に設定して検索すると、10人程度がヒットした。
前提として「いいね」を男女双方から送ることでマッチングが成立するシステムなのだが、とりあえずその10人にはいいねと簡単なメッセージを送った。
そのほか最初の方に検索の仕方がわからずに適当にいいねした人や向こうからメッセージをくれた人も含めて、最終的には7人とマッチした。男性目線では送ったいいねに対してマッチング成立する率は一般のマッチングアプリに比べてかなり高いなと感じた。
また、向こうから自発的に「いいね」が届くことも多く、3日で累計40件近く向こうからの「いいね」が届いた。男性が選ぶ側に回れるのは普通のマッチングアプリでは考えられないと思う。
こちらがお金を出す分だけ女性側からの需要も高いのかもしれない。
7人とマッチングしたが、序盤よく分からず手当たり次第にいいねを送っていたこともあり、見た目が夜職のような派手な方(イメージとしては、AIKAっぽいビジュアル)が数人紛れており、少し怖かったのでその子たちには返信もしなかった。
マッチングした初手の会話で条件を切り出してきた子が上記を除いて2人おり、うち1人は「大人の関係を募集しています」とまで最初から言ってくれたのだが、むしろ手慣れてそうで怖かったので返信はしないことにした。
残った3人のうち2人は後ろ姿のみで顔を出しておらず、もう1人も顔の下半分をぼかしていた。顔を出していない子もそれなりに怖かったが、むしろパパ活アプリで顔を晒さないだけのリスクマネジメントができる子なのだと思って、むしろその子達を残した。
その3人の中で、1番返信が丁寧かつ腰が低くかったことから、最終的には20歳学生の女性とお会いすることにした。
急に思い立って始めたこともあり、日程的にもカフェの予約が取れなさそうだったのだが、「全然並びましょう!」と言ってくれたのが決め手だった。
お茶で0.5万、体の関係で2.5万。カフェ代やホテル代もろもろで結果としては4万弱という形だが、それでもソープで言えば平均的な相場感だし、女性と丸一日一緒にいられたことも踏まえるとむしろ割安だなと感じた。
マッチングした後のトーク中で実際の顔も送ってもらったが、よくいる大学生という感じの見た目で、顔立ちはかなり綺麗だと思った(たぬき顔というのだと思う)。少なくとも今までの人生で関係を持った人の中では1番の見た目をしていた。また、夜の世界の方々のような嫌な派手さがなく、むしろ純朴そうな見た目で好感が持てた。
サイトで大人の関係(と界隈では表現するらしい)になるのは初めてと言っており、そんなはずはないと思ったが、騙されてあげることにした。
余談だが、アポが取れてからもドタキャンが怖くて他愛もない会話をダラダラとしていたが、これは本当はしない方が良かったのだろうか。この点は有識者の意見をお伺いしたい。
お互いに中身がなさすぎて結構グダっていたような気はするが、一方で約束だけしてそこから連絡なしで当日行く気になるのだろうか?とも思った。
当日は県で1番の繁華街で待ち合わせをした。
背が低いこともあり、5つ下になるが、正直もっと離れているんじゃないかと思うくらい幼い印象を受けた。
他愛もない話ではあったものの、あまり慣れていないのか、こちらが怖くなってしまうくらいに大学の話やサークルの話をしてくれた。夏休みの日程や大学の最寄駅にあるラーメン屋の話なんかもホイホイしてくれたので、大学は普通に特定できてしまった(地方都市でそもそも大学が少ないのもあるとは思うが)。調べてはいないが、サークルもその気になれば特定できてしまうんだろうなと思った。
少しなんでも話してしまうリテラシーの低さが気になったものの、色々と話したことで、この子が本当に20歳の大学生で、親にも大切にされながら20年間育ってきたんだなということを妙に実感できて良かった。
これだけピュアで、親からも多額のお金を投じられて育ってきた子の、いちばん輝いている瞬間をたった3万で犯せるという悪魔的な思考が頭を支配して離さなかった。
1時間程度話した後、流れでホテルへと向かった。予め合意していたため、特にやりとりもなくスムーズに移動することができた。
まずはシャワーをお互いに浴び、ベッドに入った。
近くで見ると、やはり綺麗な顔立ちだなと思った。
照明を落としたそうな素振りは見せていたが、ホテルに慣れていないのか照明を落とせずじまいだった。明るい部屋でありありと身体を眺められるので、これ幸いとそのままにしておいた。
改めて近くで見ると本当に整った顔立ちをしているなと思った。
一方でムダ毛の話にはなるが、脇はカミソリで処理していたのだろうが少し甘く、下に関してはしばらく前に1度処理しただけのようだった。
おそらく全身脱毛に通っている途中なのだろうが、リアルな"20歳"を感じて非常に良かった。
カフェでの話の中で押しに弱いんだろうなということを感じていたので、3回戦で感度も落ちたため生本番を頼んでみたら、躊躇いつつも応じてくれた。しっかり中に出したが、外出しのフリをして「3回目はもう出ないんだよね」などと言ったら普通に信じていた。
やはりこういったことに慣れていないのか、お金をもらうということに過剰な引け目を感じているようだった。
そんな感じでフリータイムを4時間フルで楽しんだ後、ホテルを出てそのまま夜ご飯を食べた。
お手当なしでも一緒に居たいと言ってくれたので、甘えることにして、その辺の寿司屋に入った。
うまく表現できないが、純粋に今日という1日を楽しんでくれているようで、本当にいい子だと思えて仕方なかったし、さすがに中出ししてしまった罪悪感も少し芽生えてしまった。ただ、この子の元だといい子に育つだろうからそこは安心だなと思い、むしろいい子の元に我が子を残せて良かったなと思った。
LINE等は交換せず、アプリもその日の夜に退会したため、この先交わることはもう一生ないと思う。
今回はかなりの当たりを引いたと思うが、それでなくても本番ありで総額4万円程度で済むのであれば非常にコスパはいいと感じた(なお、東京の相場はもっと高いらしく、ソープの方がむしろコスパがいいかもしれない)。
一方で、店と違って性病検査などもしていないし、美人局なんかも含めてハズレを引いた時のリスクも非常に高いと考えられるので一長一短でもあるのかなとは思った。
また、相手の話によると競合は30~40代で、20代で有料会員の人はほとんどいないらしいので、その意味では若いうちに始めて当たりの子を引くのがいいのだろうと感じた。ここまでのいい子でなくても、長期的な関係を1人だけ見つけたいと言っているような子は多分いい子なんだと思う。
また、個人的な仮説だが、登録から日が浅い子とプロフィールであえて顔を出していない子は、まだ経験が浅かったり慣れておらず当たりの子が多いのではないかと思った。
俺はもう2度とやらないだろうが、読んでくれた諸兄は急いで登録してみて欲しい。