はてなキーワード: ベルヌ条約とは
キャラクター(設定)の著作権性が争われたポパイネクタイ事件が有名だけれど
著作権が切れる時期を明確にするためにいつ著作権が発生するかを明らかにする必要がありそのなかで
1. キャラクター「設定」や「抽象的概念」は具体的表現でないから著作権がないよ
2. ではキャラクター「デザイン」の著作権はいつ発生するかとしたとき、連載漫画においては初回登場時を起点とする
3. 著作物の複製とは、完全に一致する必要はなくその特徴から当該登場人物だと判断できれば十分である。
4. ネクタイに描かれたイラストはポパイの第一回の描かれた図柄の複製であると判断できる。
5. よって、ネクタイに描いたポパイのイラストは漫画のポパイの著作権を侵害したものである。
6. ポパイの第一回の著作権はベルヌ条約、戦時加算を考慮すると著作権保護期間の満了前に販売した分の賠償の責めを負うものというべき
「引用」という言葉には、たとえこれを著作権法32条の意味に限ったとしても、「著作権者に無断で」という意味を内包しない。
「無断引用という言葉はおかしい」というデマは、もともとは(無断リンク禁止の如く)適法な無断引用に対して「無断引用だ!」と言いがかりをつけてくる輩に対する「引用は無断でやっても良い」という反論が、「引用は無断で行うものだから無断引用という言葉はおかしい」に転化したのではなかろうか。
職場に行かないとちゃんとしたコンメがないので、さしあたり手元のおぐおぐコンメから引用するけれども、
「引用」をあえて定義するならば,自己の著作等活動への利用目的(引用目的)で,自己の著作物の中に,他人の著作物を複製または無形に再生して,利用または自己の著作物等を創作,または自己の著作物等の中に複製以外の方法で利用する行為である。
とあるとおり、そこに「許諾が無いこと」は要件とされていない。許諾がある場合に引用ではなくなるということもない。
そもそも、著作権法32条はベルヌ条約10条の引き写しだ。ベルヌ条約に加盟するためにそのようにしている(条約の国内法化)。
Article 10
(1) It shall be permissible to make quotations from a work which has already been lawfully made available to the public, provided that their making is compatible with fair practice, and their extent does not exceed that justified by the purpose, including quotations from newspaper articles and periodicals in the form of press summaries.
(日本語訳)
(1) 既に適法に公衆に提供された著作物からの引用(新聞雑誌の要約の形で行う新聞紙及び定期刊行物の記事からの引用を含む。)は、その引用が公正な慣行に合致し、かつ、その目的上正当な範囲内で行われることを条件として、適法とされる。
(著作権法)
(引用)
第三十二条 ① 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
したがって著作権法の条文における「引用」はベルヌ条約における「make quotations」という程度の意味しかない。
そしてベルヌ条約は、make quotations が(許諾なしに)適法化される条件を示しているに過ぎず、この条件を満たさないmake quotationsが許諾によって適法化されることを排除していない。
世界中多くの著作権者が、copyrightのあるworksをquoteするためのpermissionのガイドラインを示しているのはそのためだ。
「許諾があるならそれは引用ではなく複製だ」みたいな意味不明な主張も見られた。
上記のおぐおぐコンメの引用部分にもあるとおり、「引用」には「複製以外の方法」も含まれている。裁判例上も、たとえば複製ではない要約引用も認められている(「血液型と性格」事件など)。
ついでに、法律家が「引用」といった場合、もしかすると原著作物を書き写さない用法のほうが多いかもしれない。「本件控訴の趣意は,弁護人**作成の控訴趣意書記載のとおりであるから,これを引用する。」とか「**は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決の**の「**」に摘示のとおりであるから,これを引用する。原判決の*頁*行目の*を*に改める…」といったアレだ。
民訴規則、刑訴規則には、下の例を含めさまざまな書面の「引用」が認められているが、いずれも「他の文書に書き写さなくても、同じ内容が書いてあることにするよ」という意味だ。
第218条 地方裁判所又は簡易裁判所においては、判決書には、起訴状に記載された公訴事実又は訴因若しくは罰条を追加若しくは変更する書面に記載された事実を引用することができる。
【民事訴訟規則】
第184条 控訴審の判決書又は判決書に代わる調書における事実及び理由の記載は、第一審の判決書又は判決書に代わる調書を引用してすることができる。
「やりたい放題」は無理かなぁ。
たしかに、ベルヌ条約※未締結・WTO未加盟の国かつ周辺国の商習慣を無視しても問題ない孤立国家ならば、
国内法でフリーハンドに著作物の権利に関する規定をすることは可能だよね。
しかし、それ(権利侵害による果実)を元に当該国の事業者が締結国向けにビジネスをしようとすると国際私法上管轄は締結国の法令適用となる。
ということで、ベルヌ条約準拠の法令の存在有無より、海賊版を取り締まれる状況にない破綻国家の方が「やりたい放題」には向いていると思われる。
ただ、そんな国で安定的なビジネスを目指せるかと言えば、ちょっと無理があると思う。
※ベルヌ条約 著作権に関する基本条約であり、多くの国が締結。北朝鮮も締結。ものすごく単純化すると、各国の著作権保護期間が「著作者死後50年(以上)」となっているのはこの条約によるもの。
アメリカ本国に引き渡されてアメリカの著作権法で裁かれるだろうか?
つまり日本の版権の著作権を在外の外国人が侵しても日本の法律で裁かれるという考え方が表れている。
なぜなら二次創作は原作の著作権の保護対象としていない国もあるかもしれないから。
そうだとすれば外人が日本の版権をパクるようなことがあっても「知らなかった」という言い訳は成り立たない。
著作権については世界全国で共通のルールで注意できることになる。
でもそうじゃないとしたら?
ウマ娘は海外から日本への例だが、ディズニーは日本から海外への例だ。
アメリカの法律も知らずにいると無自覚にも米国の著作権法を侵したとかで、ある日ICPOにアメリカへと連行させてしまうということも同様に考えられる。あるいは日本よりも重い刑罰を科されるかもしれない。
というか著作権についてはあらゆる国の法律を知っていないといつどこの国から警察がやってくるかもしれないを示唆する問題ではないか。
日本人なのに世界の法律知ってなきゃいけないとか大変な時代だなあ。世界中の人間が日本の著作権法を知ってなきゃいけないというのも気の毒な話だ。
売られているグッズには必ず著作権表示をつけないといけないくらい徹底されているのに、
積極的に売られなくなった作品の著作権は権利者にすら省みられなくなってしまう。
権利者の所在が分からなくなった著作物を孤児著作物というけれど、
そういったものが産まれる根本的な原因は著作権という権利が無形式主義に基づく権利、
つまりその著作物が生まれたら自動的に自然発生する権利であるからなんだよな。
企業の解散、もしくは権利者の死亡で上手く著作権が譲渡されなかった著作権は本来消滅するのだけれど、
本当に譲渡されなかったかどうかを確かめる術はあまりにも少ない。
権利者が生きているのか死んでいるのかすらわからないこともある。
そういった理由で宙に浮いたまま誰が著作権を持っているのか分からなくなってしまった孤児著作物が世の中にはたくさんある。
日本を含めたいくつかの国には一応裁定制度という「ちゃんと探したけれど権利者がどこにいるのかわからなかったらつかってもいいよ」という仕組みがあるけれど
利用された例はまだ多くない(ファミコンミニジャンプに収録された北斗の拳とかヤマジュンパーフェクトのような使用例はあるんだけど)しその上
裁定制度の根拠がベルヌ条約の途上国向けの附属書に書かれている強制許諾という仕組みなのでそもそも先進国では条約違反なのではないかという声すらあるという。
著作権がどうなっているのか、
孤児著作物を減らすにはそういう風にして誰がどの版権を持っているかという情報を公にしていくしかないと思うんだよなあ・・・
もちろん無形式主義は維持しつつ、著作権が著作者の手から離れたり著作者以外に利用されたりする時には登記を義務づけるようにして
まもなく四十路を迎えるWebクリエイティブ関連の仕事をしております。昨今、五輪関連でクリエイティブの問題が多々取りざたされているので、思うところをつらつらと書きます。
この問題については、盗作疑惑が持ち上がる以前から、有識者から一般人まで、好きだの嫌いだの、良い悪いと倒錯(盗作ではなく)した意見・文句・罵詈雑言が飛び交っておりましたが、まず問題の整理として、いわゆる「有識者」視点からお話しておかなければいけないと感じた事を簡単にまとめます。
まず、デザインの質はどうだったかについてですが、結論から言うと一定程度のクオリティは持っていると言えます。
JOCや組織委員会の要求がどのようなものであったかについては文献が見当たりませんが、件の作品が発表された際の「パラリンピックとの並立」や「様々なメディアへの展開性」という選考基準に着目すれば、十分にそれを満たしていると言えます。また、図版的な面で言えば、黒・赤という色は白地を背景として視認性が非常に高く、かつシンプルな形状である事から、人間の認知作用的に受け入れやすい要素を持っています。キャンペーンロゴとして捉えるならば、第一の視認性・認識度は優れた機能性があると言えます。以上がクオリティにおけるプラス評価の点です。
次にマイナス評価として上げられるのが、過去の文脈からの逸脱です。詳しくはNaverまとめあたりに歴代ロゴがまとまってるのでご覧いただきながら読んでいただきたいのですが、バルセロナ・長野・シドニー・北京・バンクーバー・リオ・平昌に共通しているのは、「人間」がモチーフになっているということです。途中で切れているだろと突っ込まれると思いますが、この文脈はオリンピックの歴代ロゴの中で「スポーツイベントである」というアイデンティティを担保する大きなイニシアチブを持っています。これを逸脱するからには、それを代替するだけの文脈が必要になりますが、件の作品にある「亀倉雄策」と「鼓動(日の丸)」というモチーフではそれだけの強い文脈を感じられません。
上記の総合評価としては、「アリっちゃアリだね」という評価です。悪いとは決して言いません。
正直、分かりません。情報も錯綜し過ぎていて、どれが本当の情報か判断が付けられないので、パクリであるという明確な断言はできません。それに、展開例として上げられた書体や動画で展開していたテクスチャとしての分解要素などは「オリジナリティ」と呼べるものですし、それが仮にパクリ作品に擦り合わせられたものだとしても、その判別は難しいです。デザイナーは後から派生した要件もデザインの中にマージしていく事も仕事のうちですから。
これはもうリエージュ劇場ロゴとの「類似性」に尽きます。まず法的な論拠についてですが、先発作品は商標登録をされていなかったので、商標侵害という係争にはなりません。実際、訴訟となっているのは「著作権」の侵害についてです。「著作権」というのは、商標登録云々というのは一切関係がなく発生し、作られた作品が過去の作品に類似していた場合、過去の作品にその作家性等の支配権を有するというものです。具体的には「ベルヌ条約」という国際規程があり、条項ごとに各国が批准する形で国内法に継承されています。日本も批准しています。
次に、デザインの機能としての瑕疵が、過去作品に類似作品があるという時点で発生しているという点です。例えば、コーポレートロゴ等を制作する際に、ロゴにまつわる使用規定や細かなパラメータ(配色の具体的な数値等)、ステーショナリー類などの派生製品の制作指針をまとめますが、これを「ビジュアル・アイデンティティ」と言います。その名の通り「アイデンティティ」というくらいですから、そのデザインについては「自己同一性」が求められるわけです。簡単に言うと他のロゴマークなんかと誤認されないような工夫が必要ということです。
件の作品は、その色にもアイデンティティが込められていると思いますが、実際は白黒メディアで伝えられる場面もあり得ます。言いがかりっぽいかもしれませんが、仮にあの図式がモノクロ写真で撮影され、かつ「鼓動」の部分が何か遮蔽物で隠れてしまったとします。すると、リエージュ劇場のロゴとの判別は非常に難しくなります。つまり場合によってはその写真が印刷された情報が、リエージュ劇場の情報と誤認される可能性を否定できないわけです。この点について、このデザインには明確な瑕疵があります。
あまり一般には知られていないと思いますが、デザインの価格には業界団体がかなり具体的に指針を出しています。
内容としては、デザインの料金は「作業料」と「質」「経費」「量的指標」によって決める事が妥当ですというものです。
「量的指標」というのは曖昧ですが、デザインが利用される事業規模と捉えてもらえば大体合ってると思います。これは事業規模が大きなものはそのデザインに求められる様々な機能性や今回のような「展開性」などがより複雑になります。これについて担保するものと考えてください。その上で、以下の内容、特に事業規模の数字についてご覧下さい。
東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。 | コラム | Web制作 株式会社ワンゴジュウゴ WAN55 (東京・千代田区) http://www.wan55.co.jp/column/detail/id=124
これらの全てを、このデザインが網羅するとは言いませんが、「東京オリンピック2020の収入計画」という項目、オリンピックというイベントに直接関わる事業、チケット売上とライセンシング(グッズ販売)に限って考えてもなんと911億円もあります。これを元に先のJAGDA早見表ではもう200億円以上ということで量的指数が上限いっぱいです。この表の上限でも1,200万以上と算出できます。
この金額が妥当かどうかというと、私はこのレベルのデザインを制作したことが無いので何とも言えませんが、しかし、オリンピック組織委員会が提示したデザイン費は、たったの100万円です。特別招待席のチケット(笑)も付いてますが。
オリンピックという世界規模のイベントのロゴですから、世界最高級のクオリティが求められるのですが、与えられた予算はたったの100万円です。それなりに自分の作品に対して責任を持つデザイナーであれば、この予算では受けられないと思います。ましてや、世界でも参加できる人間が300人くらいといわれているレギュレーションにあつまるデザイナーが、時間単価をどれくらいで換算すると思いますか。
以上の点から僕個人としてこのデザインは、予算と質が見事にマッチした、実に妥当なデザインだったのではないかと結論付けるに至ったわけです。
どうでもいいことだけど
1 All rights reserved の文言は国内法では無意味。
2 国内法で保護を受けるのは (c) マーク である可能性が高いが
3 日本国内においては万国著作権条約で無方式主義を採用しているので、そもそも (c) マーク表記は不必要。(公表された段階で無表示でも著作権を有する)
4 1989年に米国がベルヌ条約に加盟しているので、米国においても(c) マーク表記は不必要。
事実上 (c) 年号 All rights reserved は過去の慣習上のものであって特に現代では意味が無い
著作権者が誰だか表記されていれば問題ないし、特定できるのであれば著作権者の表記も不必要。
※1 日本はブエノスアイレス条約の非加盟国 アメリカは加盟していたが現在は上記のベルヌ条約に加盟しているので事実上特に意味はなく。過去の慣習上のもの。
※2 国内法で保護を受けるのは (c) マーク であって Copyrightという文字列ではないが ベルヌ条約に加盟しているので特に人間が読んでわかれば良いし無くても著作権は発生する。
かもしれない。
この騒動、「ディズニーが訴えないなら問題ないな」的な空気で終息しそうな気配だが、そういう問題じゃないよというおはなし。
まず、著作権とは別に存在する権利、「著作者人格権」というものがあります。
著作者人格権(ちょさくしゃじんかくけん)とは、著作者がその著作物に対して有する人格的利益の保護を目的とする権利の総称である。著作物には、著作者の思想や感情が色濃く反映されているため、第三者による著作物の利用態様によっては著作者の人格的利益を侵害する恐れがある。そこで、著作者に対し、著作者の人格的利益を侵害する態様による著作物の利用を禁止する権利を認めたものである。
今回の問題では、日本においてミッキーの著作権の一部が既に切れている可能性を以て適法であるとする意見が散見されますが、実はこの著作者人格権に関しては、保護期限に関する規定が存在しません。
ベルヌ条約6条の2(2)が著作者の死後における著作者人格権の保護を要求していることから、著作者の死亡後も、著作者が存しているならば著作者人格権の侵害となるような行為を禁止するとともに(60条)、一定範囲の遺族による差止請求権や名誉回復措置請求権の行使が認められている(116条)。
つまり、ミッキーに関する著作者人格権は現在も法的に保護されているということになります。
著作者人格権として具体的に保護される権利として、この2つが挙げられます。
同一性保持権(どういつせいほじけん)とは、著作者人格権の一種であり、著作物及びその題号につき著作者(著作権者ではないことに注意)の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利のことをいう(日本の著作権法20条1項前段。以下、特に断らない限り、引用法令は日本のもの)。
著作物が無断で改変される結果、著作者の意に沿わない表現が施されることによる精神的苦痛から救済するため、このような制度が設けられていると理解されている。もっとも、元の著作物の表現が残存しない程度にまで改変された場合は、もはや別個の著作物であり、同一性保持権の問題は生じない(「パロディ事件」(第1次)、最高裁判所判決昭和55年3月28日)。
著作物の改変を伴わない場合でも、その利用態様によっては表現が著作者の意図と異なる意図を持つものとして受け取られる可能性がある。そのため、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者の著作者人格権を侵害する行為とみなされる(著作権法113条6項)。例として、美術品としての絵画を風俗店の看板に使用する行為などが該当するとされている。
要するに、著作物に対し、著作者が傷つくような変なイメージを付けたり改変したりしてはいけないよ、ということですね。
知財関連の権利、特に著作権に関する諸権利については、多くが親告罪であることが知られているかと思います。つまり、被害を受けた権利者が提訴しない限りは犯罪とならないし、賠償請求すらもできない。だから、ディズニーが提訴しないなら問題ないよね、という意見。これも散見されますが、誤りです。
実は、著作者人格権の侵害については刑事罰が定められており、しかも著作者死亡後の名誉声望権侵害は非親告罪なのです。(※下線部追記:著作者の生存中は親告罪です)
第60条
著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。
第120条
第123条
第119条、第120条の2第3号及び第4号、第121条の2及び前条第1項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
つまり、『その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められ』ない場合、ディズニー社の意向に関わらずお縄になるリスクがあるということです。
まぁ、実際にディズニーの意向を無視して逮捕されるかというとこれは怪しいですね。そういうケースを聞いたことがありませんし、実際のところ大丈夫なんじゃないですか。しかしだからと言って、これが合法でクリーンな行為だなんて事は決してない、というのは当然のおはなしですね。あえて非親告罪とされているというのはそういう意味です。
著作者人格権は、著作者の死後、著作権保護期間が切れた後も保護されます。作者が死んで著作権が切れているからといって、作者の意に反してキャラクタを侮辱する自由は決して「当然認められる」ような権利ではありませんし、刑事告発される可能性があります。首を刎ねるという表現が『著作者の意を害しない』と言える理由を明確に説明しなければいけないでしょう。
アニメキャラクタのファックを描くことはもはや黙認されてしまい実際の権利行使もそう簡単にはいかない状況ですが、社会通念上「殺害」という表現が「ファック」以上にキワドイのはもちろんのこと、首を刎ねるというのは特に侮辱的表現であるとされる可能性が強く考えられます。
作者は「悪いことをしていない」と言える明確なロジックをもって、それができないなら「悪いことをしている」という自覚と覚悟を持って、同人活動をした方がいいですね。認識が甘すぎます。
ディズニーからの正式な抗議ではなかっただろうことは想像できます。
著作者死亡後の差止請求権は著作者の孫までの遺族にのみ認められており、ディズニー社にはその権利が存在しません。また、今回のような場合は出版権にも関係しません。
(差止請求権)
第112条
著作者、著作権者、出版権者、実演家又は著作隣接権者は、その著作者人格権、著作権、出版権、実演家人格権又は著作隣接権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。
(著作者又は実演家の死後における人格的利益の保護のための措置)
第116条
著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹をいう。以下この条において同じ。)は、当該著作者又は実演家について第60条又は第101条の3の規定に違反する行為をする者又はするおそれがある者に対し第112条の請求を、故意又は過失により著作者人格権又は実演家人格権を侵害する行為又は第60条若しくは第101条の3の規定に違反する行為をした者に対し前条の請求をすることができる。
故に、ディズニー社からの要求としては法的根拠がなく、不可解です。(繰り返しますが、それとは別に誰かから刑事告発される可能性はあるんですよ)
ディズニーから訴えられるとすれば、商標権についての争い=商業的活動に限られると思われ、無償での同人活動には民事では関与できないものと考えられます。
孤児作品のエントリーで、池田信夫氏はCulture first blogはその団体のブログではないにもかかわらず、訂正もせず誤認の謝罪もしない。
また、国内の著作物のみを登録制にして国外の著作物よりも保護を薄くするという、国益を損なうだけの自説を開陳した。ミッキーマウスは無登録で保護するのに崖の上のポニョは登録の手間をかけなければ保護しないとは、国内のコンテンツをどれだけ軽視しているのか。
国内の著作物を登録制にしたところで、海外で30日より前に発表発行してから国内で発表発行することにより、国外の著作物の扱いになって無方式で著作権が発生する。つまり登録制は簡単に回避できるのだ。それぐらいすぐ予測できるだろうに。
国内著作物の登録制は、単に優良なコンテンツが国内発のものが無くなり、海外発になるだけだ。また、国内著作物が登録制であると、市井の名も無き著作者は、登録する手間をかけないので著作権が発生せず、パクられ放題になるだろう。結局、国内登録制は、国内コンテンツの海外流出と矮小化とを招く。
ベルヌ条約を100%守っている国がないという彼のコメントは間違いだ。池田信夫氏がいう根拠は、ベルヌ条約第七条第一項に規定された、保護期間が死後50年であることが守られていないことにある。しかし、同条第六項には「同盟国は、前記の保護期間よりも長い保護期間を許与する権能を有する。」とある。つまり、ベルヌ条約では、著作物の保護期間は最低でも死後50年ということであり、死後50年を超える保護期間を許容しているのだ。
また、ベルヌ条約には規定がない送信可能化権があることも彼の根拠となっているが、ベルヌ条約では、ベルヌ条約が許与する権利よりも広い権利を著作者に与える特別の取極を行うことができる(第二十条)。この特別な取極の一つとしてWIPO著作権条約がある。日本も加入しているWIPO著作権条約の第八条には「公衆への伝達権」を著作者が享有することが規定されている。送信可能化権は、このWIPO著作権条約を受けたものだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0801/24/news085.html
http://b.hatena.ne.jp/mine-o/20080124#bookmark-7203165
なるほどつまり
同一性保持権
同一性保持権とは、著作物及びその題号につき意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利のことをいう(著作権法 20条1項)。著作物が無断で改変される結果、著作者の意に沿わない表現が施されることによる精神的苦痛から救済するため、このような制度が設けられている。
なお、ベルヌ条約上の同一性保持権は、著作者の名誉声望を害するおそれがある改変を禁止する権利になっているのに対し、日本の著作権法では、そのような限定はされておらず、著作者の意に反する改変を禁止する権利になっている。
なお、元の著作物の表現が残存しない程度にまで改変された場合は、もはや別個の著作物であり、同一性保持権の問題は生じないと解される。
例外
(略)
翻案権との関係
(略)
(略)
か
名誉声望保持権
著作物の改変を伴わない場合でも、その利用態様によっては表現が著作者の意図と異なる意図を持つものとして受け取られる可能性がある。そのため、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者の著作者人格権を侵害する行為とみなされる(著作権法113条6項)。例として、美術品としての絵画を風俗店の看板に使用する行為などが該当するとされている。
なお、ベルヌ条約上は、「著作物の創作者であることを主張する権利及び著作物の変更、切除その他の改変又は著作物に対するその他の侵害で自己の名誉又は声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てる権利」として、同一性保持権と名誉声望保持権が一体となっているが、日本法では改変等を伴わない場合を独立して扱う規定となっている。
ということで、
国内初、ウイルス作者逮捕 CLANNAD画像の「著作権侵害」で - ITmedia News
を
か
とすればみんなスッキリなのでしょう
か。
日本の場合は、実際には技術層が悪いんじゃなくて、政治層が悪いんだと思う。
たとえば、YouTubeというものが成り立っている背景には、米国に著作権に対する極めて柔軟な考え方がある。
そう、Fair Useだ。
本来著作権侵害だ、とか言われちゃいそうな動画でも、Fair Useという規定があるだけで、一概に侵害であるかどうかが判断できなくなる。
特にパロディ、MAD、その他なんらかの創作性を加えたものに関して、かつ、無償で提供されるものに対して、フェアユースの判断はかなり難しい。
日本だと、そもそも著作物に手を加えて発表する事が著作権の侵害となる(同一性保持権侵害)。
対して米国著作権法におけるFair Useの考え方の一つとして「transformative」であるかどうか、というものがある。日本語ではあまり適当な訳がないが「創作付加的」と略されることがある。つまり、「元の著作物からどれだけ改変され、その改変された部分に創作性が認められるか」というのが大きなポイントである。
そもそも著作権の国際条約であるベルヌ条約では、本来著作者人格権について、その名誉を汚さない事を保証することが求められているのであって、改変を含めて許可なしには一切許されない日本の著作権法というのは、時代に極めてアンマッチであるといえよう。
こういった背景があって、本質的にYouTubeは、日本では(政治的に)開発されようもないものであった。ニコニコ動画が現在成立しているのは、その前段階としてYouTubeというものがあり、そこでは他人の著作物を含めて、Fair Useの範疇であれば遊ぶ事ができる、という感覚がまず広まったからであって、その影響があってはじめて成り立つサービスであったといえる(ただし、コメントを含めたニコニコ動画のシステム自体は極めてよく出来ていると思うし、まぁそういう意味ではYouTubeに対してそこに「創作付加性」が感じられると言える。システムは著作物ではないけれど)。
もしかしたらこうなるかもしれない未来。
「ジーク・サイバー! --- 或る学者の演説」を読みながら、こんなことを考えていた。以下は創り出した未来予想図。こういう演説をもし実際に聞くことができるなら、Think Cの演説よりもっと興奮できる未来が、あるのかもね。たとえばこんな感じ。
ネットワーカーの国際組織 The World EFFと世界規模の主要な通信キャリア、家電メーカーなどは、WIPOに働きかけ、カリフォルニア州バークレイ市において、ベルヌ条約の全面改正を討議する国際会議を20XX年に催した。ここにおいて成立したのが、「20XX年の改正ベルヌ条約 (正式名称 20XX年のバークレイ条約)」。旧ベルヌ条約の根幹である「著作権はすなわち創作者の権利である」というドグマを捨て、創作者本人の知的労働の権利保障を中心とする第一部、文化の発展のための権利調整を中心とする第二部、商業利用される著作物の保護制度を中心とする第三部からなることが、大きな改正点である。
「ニュー・コモンズ」と発音する。Free Software Foundation (FSF) が200X年にリリースした、P2Pテクノロジーと利用者相互のコンテンツ・スクリーニングを組み合わせた情報の自由流通ネットワーク・アプリケーションの名称、およびそれが形成するオーバーレイ・ネットワークを指す。発表当時から、そのファイル転送の効率性と民主的なスクリーニングがネットワーカー達の熱狂的支持を集めたが、ただちに各メディア企業、とくに映画産業と音楽産業からの訴訟攻撃に直面し、ついに20XX年 米国最高裁判所において、著作権の間接侵害が認定され違法化された。さらに各国裁判所も同判決に追随し、主要先進国の大部分においてGnu-Commonsは違法化された。
これらの判決に反発奮起したネットワーカー達によって、関係団体への不買運動および猛烈なロビイングが開始された。さらに判決において著作権の間接侵害と指摘されたソフトウェア部分の改修改善が急ピッチで進められた。ロビイングが奏功して、20XX年に開始されたベルヌ条約の全面改正作業と平行して、Gnu-Commons の改修も進められ、Gnu-Commons Ver.3において、改正ベルヌ条約完全準拠のファイル共有ネットワークとして運用が開始された。以下の演説は、総統によって提唱された、条約や法律のオーバーレイ(上書き書換え)と、オーバーレイ・ネットワーク・テクノロジーによるコンテンツの自由流通の実現を目的とした、世界の著作権枠組みを一変させる運動、通称「オーバー・レイ作戦」の成功と、Gnu-Commons Ver.3 リリース祝う祝賀演説として配信されたものである。
我が忠勇なるネットワーカーたちよ。今や著作権絶対主義者どもが主張する"永久の知的財産"なる概念は「改正ベルヌ条約」の発効と「Gnu-Commons」のリリースによって完全に否定された。これらの成功の輝きこそ我らネットワーカーの正義の証である!
決定的打撃を受けた著作権絶対主義者の主張に いかほどの正当性が残っていようと、それはすでに形骸である。
あえていおう!力スであると!
知識は、我らのもっとも効率的な情報流通ネットワークたる「Gnu-Commons」によって流通伝達されて、はじめて最大限の自由と、最大限の効率と、最大限の幸福を達成することができる。これ以上、知識を独占させては、人類そのものの存亡に関わるのだ。
それら既得権者の集団が、金の力で「改正ベルヌ条約」を覆し、訴訟により「Gnu-Commons」を違法化することはできないと私は断言する。著作権絶対主義の無能なる者どもに思い知らせ、明日の未来のために、我らネットワーカーは立たねばならんのである!!
Inspired by Gihren Zab and GeetState
Special thanks and deep respect to...
Adolf Shirater http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/hideaki/indexj.htm
Lawrence Lessig http://blog.japan.cnet.com/lessig/archives/003976.html
Thank you for reading this speech...
No copyrights reserved.
Please feel free to copy and paste this speech anywhere you want.
Please feel free to create any kind of stuff, like flash, picture, novel ,so on.
著作権関連調べて昔驚いた話。
JASRACのビジネスモデルはドイツ人詐欺師から学んだものだった!
1931年に、旧制一高のドイツ人教師であったウィルヘルム・プラーゲが、主にヨーロッパの著作権管理団体より日本での代理権を取得したと主張して東京に著作権管理団体「プラーゲ機関」を設立した。そして放送局やオーケストラなど楽曲を使用するすべての事業者に楽曲使用料の請求を始めた。
日本は1899年にベルヌ条約に加盟し、著作権法も施行されていたが楽曲を演奏(いわゆる生演奏の他に録音媒体の再生も含む)するたびに使用料を支払うという概念は皆無であった。プラーゲの要求する使用料が当時の常識では法外であったことや、その態度が法的手段を含む強硬なものであったことから、事実上海外の楽曲が使用しづらい事態に陥った。日本放送協会は契約交渉が不調に終わったことから1年以上にわたって海外の楽曲を放送できなくなった。
一方でプラーゲは、日本の音楽作家に対しても著作権管理の代行を働きかけ始めた。プラーゲの目的は金銭ではなく著作権の適正運用だったとも言われているが、楽曲利用者との溝は埋めることができず、日本人作家の代理権取得は更なる反発を招いた。
この事態を打開するため、1939年に「著作権に関する仲介業務に関する法律」(仲介業務法)が施行された。著作権管理の仲介業務は内務省の許可を得た者に限るというもので、同年 JASRAC 設立、翌年1940年に業務が開始された。これに伴いプラーゲは著作権管理業務から排除され、同法違反で罰金刑を受けて1941年離日した。
これら一連の事件は「プラーゲ旋風」と呼ばれ、日本における著作権の集中管理のきっかけとなった。
こうした経緯から、文化庁は JASRAC をはじめ4団体に仲介業務の許可を与えて他の参入を認めなかったので、音楽著作権の仲介は JASRAC の独占業務となった。
ドイツ人の先輩からタカリのシノギを奪い取ったとかそんな感じの話。
例の川内-森「おふくろさん」騒動から。
まがりなりにも著作権法を含め法律が成り立っているのは、全員がそのプラットフォームの上に乗ってもいいという意識があるからで、それは騒動の当事者だけの問題じゃない。法自体を根拠に騒動が起きた以上、当事者間の力関係だけで解決すると、それがプラットフォームそのものへの影響することになり、プラットフォーム意識が崩される。その影響は他のプラットフォームにも及ぼす点からも、より広い視野からの解決をしなくてはいけない。