はてなキーワード: 研究科とは
工学研究科D3だった俺はアカデミックの厳しさと金のなさに耐えかね、修了後は大手企業に就職することにしたのだった。
自信はあった。厳しい環境に耐えて論文を投稿し、学部の成績も上位で、俺より深く理解している奴はほとんどいなかったからだ。はてなで日本の企業の古さ、非効率さは聞いていたし、そこに俺が新しい風を吹き込んでやるぜ、頭脳的にな!という感じだった。
いや、甘い、俺は甘かった。実際日本の大手の奴らはすごい。確かにアメリカや中国は勢いがあるけど、そこを相手に瞬殺されずにまあまあ戦ってる時点で偉いことですよ。
何というか、確かに全員が勉強的な意味で頭がいいとは言えないんだけど、みんな仕事と精神が共振しているというか、それほど働くのが嫌じゃないんだと思う。
俺がなんか悩んでる間に、ちょっとずつ違うパーツを10種類作って評価するし、18:30に評価がひと段落したら、今日中にもう一個データを取りに行く。分からなくても悩まない!
俺は考え込んでばっかりだし報告は遅いし上司と話すのは嫌だし毎日めちゃくちゃ帰りたいと思っている。マジか、自分がこんなに仕事をしたくないとは知らなかった。
しかし博士の肩書きと、頭良さげな話ができるおかげで何とか時々役に立って暮らしている。これがなかったら職場で役に立たない無能なおじさんとして生きていくしかなかった。
何が言いたいかというと、「ネットの大手企業エアプdisり野郎の言っている言葉に耳を傾けるな」「仕事力が低い奴は勉強やっておけ」「実際仕事をしまくるおじさんは効率が多少低くても凄い。その精神状態に洗脳してくれないか」の3本です。ンガググ!
ある年の政府による研究科学投資は、その5年後、10年後のGDPと強い相関がある。
別のいいかたすりゃ、競争力があるテーマなんて、その前の儲かると断言できないながーい科学技術の積立期間の末にできるもの。
iPSなんかだいぶ早い部類だが、それでも臨床研究まで10年かかってるし、
免疫チェックポイント阻害剤は30年かかってる。最近話題の全固体電池でも最初に取り掛かってから20年だな。
だけど、選択と集中で、すぐに実用化できるテーマばかりに国の金を集中したら、そりゃ新しいテーマも生まれんよって話。
小泉自民党の悪夢、民主党の悪夢。後、維新に政権取らせたら維新の悪夢によってさらに傷は深まるな。つーか、政府が何もしないほうが良い+すぐに成果が出るもの以外するな+不景気だろうが何だろうが財政均衡だ!の新自由主義の悪夢。
ついでに言うと、特許は20年たつと切れる。20年の間にコモディティに近い状況にしないと、海外のぽっと出のベンチャーがまずは特許切れの技術で金を大量に集め安かろう悪かろうで食い込み、売れ出したらその金でさらに研究開発をしてあっという間に市場をかっさらう。
3Dプリンタは一気に大量の新しい応用が生まれ(ただし日本は除く)、太陽電池もそれでだめになったし、リチウムイオン電池も今や世界トップは中国の会社。もう日本勢ダメだろうね。
唯一可能性があるのは、パナソニックとか、GSユアサとかが、リチウムイオン専用会社を作って、子会社から外れるのを覚悟で、専用会社として出資を募って、様々な研究に邁進することぐらいか。
リチウムイオン電池、太陽電池で市場を席巻した韓国中国メーカーみたいにね。
なので、まずは大学周り締め付けたらいいものができるってのをやめて、小泉自民の悪夢、民主党の悪夢由来のものを全部取り払い、大学の基礎研究を立て直すことだな。
ついでに、何か勝負する技術があるとしたら、専用会社にして、出資をどんどん募って邁進すること。
シャープの太陽電池と、ディスプレイも方向は正しかったけど、借金でやったがために資金が詰まってシャープ自体つぶれてしまった。
借金は返す必要がある。出資は返す必要がない。その代わりに、出資は出した金の何十倍の価値の会社にしないとならない。
これが、太陽電池専用会社、ディスプレイ専用会社を作って、その会社がシャープ子会社から外れること、かつつぶれることを覚悟して出資で金を募っていたら、案外、シャープの太陽電池、ディスプレイが世界を制覇していたのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20190519190721 の続き
首尾よくそこの院生を紹介してもらえたら、教員には聞きづらい研究室生活のリアルを存分に聞こう。就活で「残業」について聞くと嫌われるらしいが、研究室見学でこの手のことを聞いても印象が悪くなることはまずないと思う。むしろ、心象を悪くしているようだったら、今すぐ、そこから逃げた方がよい・・・。
具体的には次のようなことを聞けばどういう生活になるのか、見当がつくだろう。
(i) 教員とのやりとり
「指導教員とはどれくらいの頻度でディスカッションをしていますか」
研究室によっては完全放置というであることがあるため、自分に合ったペースで面談をしているのかを確認しよう。個人的には、二週に一度個別の面談、半期に一度くらいに研究室メンバー全員への進捗報告があるとペースがよく感じる。ただし、分野、研究内容、個人の性格で変わる部分なので、どの程度がよいペースなのはその人次第だ。まだ研究のペースについてよくわからなければ、「それくらいでちょうどいいですか?まだその辺りよくわかっていないので」と先輩に聞いてしまえばいい。
(ii) 研究の決め方
指導教員からかなりトップダウンで降りてくる場合もあるし、ある程度裁量がある場合もあるだろう。これに関しては何が正解というわけではない。私の経験したパターンは後者で「まず自分が知りたいことを見つけてこい」と放り出されたところから始まった。あなたにとって納得できる方針であるかを確認しよう。これは教員本人にも聞いた方がよい。
(iii) 労働時間
「平均して何時頃に来て、何時頃に帰っていますか」
「土日はどれくらいの頻度で来ていますか」
「ラボにコアタイム (必ずいなくてはいけない時間) はありますか」
働きすぎは人生の毒だ。必ず確認しよう。コアタイムが長い (例えば8時間) 研究室であれば、警戒した方がよい。
ただし、8時間研究室にいること自体は不思議であるとは思わないし、実験が佳境であったり学会前にはそれ以上いることだってざらだ。大学院生になる以上、それは覚悟しておく必要がある。あくまで懸念事項は、「平常時から8時間を強要している」という点にある。私が知っているケースだと、就職活動でコアタイム中これなくなったことに苦言を呈されるという事態を見たことがある。これはいくら何でも無茶苦茶だ。
どれだけ長く滞在しているのかを誇っている様子だと、やや注意した方がよい。もちろんあなたが、大学院に入ったら研究以外全てを投げ打って働きたいというのなら、それはそれで構わない。しかし、多くの人間にとって研究は人生の一部であるが人生ではない。「これは奴隷の鎖自慢なのでは?」と一歩引いた目で見るようにしておいてほしい。
博士学生やポスドクがいたら、自分よりはるかにノウハウがある先輩がいるわけなので、入学後大きな助けになる可能性がある。いる場合、「博士学生やポスドクとは議論したり、一緒に研究をしたりしていますか」と聞いてみるとよいだろう。
信じられないことに、自費で海外学会に行かせる研究室もあるのだ。博士で学振研究員に採択されているのならともかく、多くの学生にとっては経済的にこれはかなりきつい。
人件費をどれだけ重視しているのかは教員によってかなり落差があるので、聞いておいた方がよい。
「学位の取得状況はどうですか (博士号は3年で概ね取れているのか)」
「隠れた要件はあるのか (要綱には書いてないが、実質的に要求されること)」
これまた信じられないことに、博士号を頑なに出さない教員というのは実在する。理由は様々だが、中には目を覆うような酷い話もある。だが、理由など知らなくてよい。あなたがすべきなのは、人生を棒に振らないためにも、学位取得状況は早い段階で知っておくことだ。これは教員本人にも聞いておくとよい。「その人次第」としか返ってこなかったら、黄色信号だ。その人次第な部分が大きいのはその通りなのだが、これでは答えになっていないからだ。
上記にあげた質問に、先輩の博士院生や教員が明快に回答できなかったら、要注意だ。
「学生間の仲はどうですか」
「研究室でのduty (研究以外での義務、例えば掃除) はどれくらいありますか」
快適に研究室ライフを過ごせるかどうかはこの辺にかなり左右される。ただしdutyがあること自体は普通なので「あるからダメ」と言いたいわけではない。あなたにとって適切な量と内容なのかが重要なのだ。
見学して好感度が高い場合、具体的に院試を受ける際の助言も聞いておいた方がよい。どの教科書を使って勉強するのか、講義の資料、院試の過去問はもらえるかといった点だ。
さて、首尾よく研究室見学ができたとする。「もうここしかない」と思うかもしれないし、決めかねて迷っているしれない。が、どちらの場合にせよ、即決するのは性急だ。最終決定するにはまだまだやることがある。
一つだけ見て、そこに決めるのは危険だ。できれば複数の研究室を見学しよう。
複数の研究室を比較することで「実はあそこは環境が悪い/良い」ということに改めて気付けるかもしれない。
劣悪な環境で研究している院生は、本人たちは「大学院はこういうもの」と思い込んでいることが多い。奴隷はいつしか、自身を縛る鎖に安心感を抱くものなのだ。そうならないためにも、早い段階で多様な研究者と話すことで、研究に対する価値観を養生していった方がよい。
「授業を受けていた」程度の間柄でも構わない。「大学院進学をしたくて、○○研究室を考えています」と言えば、よほど酷い人格の持ち主でない限りは何らかの返答はしてくれるだろう。「そこは素晴らしい」だとか、逆に「正直お勧めしない」だとか。もちろん、研究者も人間なので、その人一個人の見解だ。なので、全て鵜呑みにする必要はない。例えば、私は知り合いの研究者に「君、そこに進むと厳しいよ?」と諌められたが、(今のところは) 生き延びている。あくまで、考える材料として聞いてみるとよい。
研究には金がかかる。指導教員が研究費を取れているのかは、自身の学び、研究の質、量、そこから生じる心理的な幸福全てに絶大な影響を及ぼす。どのようなテーマで資金を獲得しているのかは、研究室のウェブページに書いてあることもあるし、そうでなくても調べようはある。
このウェブページには、 日本学術振興会が提供する科学研究費補助金 (科研費) の採択リストが載ってある。研究室の教員の名前を打ち込めば、その人がキャリアを通じて獲得した科研費を全て知ることができる。もちろん、科研費に限定なので民間の助成金は載っていないが、大きい額の研究資金は概ね科研費なので、これを見ておけば大体の資金獲得状況はわかるだろう。
Researchmap
これは、雑に例えると「研究者のFacebook」だ。研究費の獲得歴を記載してある人が多い。自分の興味のある教員の名前を打ち込んでみよう。
資金が自分の入学時も継続している場合は、どのようなテーマで教員が資金を得ているのかが、自分の研究テーマにも直結するため、必ずチェックしよう。
・博士号取得者のその後
その研究室で学位を取った人のその後のキャリアを追ってみよう。人によっては研究室のウェブページに掲載している。そうでなくとも、博士取得したであろう過去の院生の名前で検索したり、その後の業績を追いかけるとよい。著者名での論文の調べ方がわからなければ、「Google Scholar 著者名」で検索してみよう。
学振DC、あるいは学振PDとは、日本学術振興会特別研究員という制度だ。簡単に言えば博士課程や、その後のポスドクでもらえる給料と研究費制度だ。博士課程を希望していてこれを知らないのはもったいないので、知らなければすぐに調べたらよい。
博士に進む場合は、学振に採用されることはかなり重要だ。色々問題ある制度であることは否めないが、例えばDC1に採択されれば少なくとも3年間の生活が保障されるので、狙わない手はない。
学振に通る研究室は、大体固定化される傾向にある。「結局は知名度」と言われる意見も散見されるが、私はそうは思わない。学振に毎年のように通る研究室は、先輩が後輩の申請書を添削したり、後輩が採択された先輩の申請書を丹念に分析して執筆しているものだ。
従って、進学先の研究室の先輩が学振に採択されているのかはしっかりと見ておいた方がよい。学振に通っているのかは、研究室のウェブページに掲載されていることが多い。そうでなくても、学振のウェブページに採択者一覧が載っているので、教員の名前で調べるとよいだろう。
https://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_saiyoichiran.html
学振に通らなくても研究者として成功している人が大勢いるので、学振に通ることと研究者として成功することはイコールの関係ではない。だが、ある程度博士課程学生がいるのに、誰一人通ってない研究室というのは、やや危険かもしれない。個人的にはやめておいた方がよいと思う。学振が通っている研究室は、申請書を見せ合う文化がある。往々にしてそのような環境の方が、平時から学生同士が活発に議論したり、お互い批判的に語りあえる仲であることが多い。
少なくとも、学振が全く通っていない研究室では、質の良い申請書を書くノウハウを指導してもらえることはあまり期待できないだろう。
タイトル通り、大学院進学希望者が、進学先を決める際にした方がよいこと、すべきことについて助言を書いた。
既に巷に溢れている記事ではあるが、様々なところで進学先の失敗談を聞いて、改めて書こうと思った。主に博士進学を考えているものを念頭に書いたが、修士で就職する人にも参考になるかもしれない。
当方は現在ポスドクで、大学院時代はそこそこ上手くやってきた方であるとは思っている。もちろん、相応の努力はしたが、それだけではない。上手くいった大部分は指導教員、ひいては研究室選びで良いスタートを切れたことによるのだが、修士課程に上がった当時は、右も左もわからず、たまたま見つけた研究室に進んだ。つまり、運が良かったのである。
今だからこそわかることもある。また、諸所で指導教員とのトラブルの話を聞いていると「それは下調べさえしていれば避けられていた・・・」と感じることが多い。
そこで、大学院、特に博士進学まで見据えて考えている人に、今自分が学部4年、あるいは修士2年次であればこうするであろうというTipsを述べたい。
当然、部分的には当たり前であったり、逆に分野によって文化の異なるところもあるかもしれない。なので、納得のいく箇所があれば適宜参考にしてもらえれば幸いだ。
・研究室を探す
まずは自身の関心のある分野の研究室を探さないと始まらない。研究室の探し方は人それぞれで、どうしてもその時々の巡り合わせに左右されてしまう。なので、ここでは私の経験を書く。
私の場合、学部の研究室のテーマからは変える予定であった。具体的ではないにせよ、方向性を決めたのは学部3年生の頃で、大学にその分野の研究室がなかったのだった。仕方がないので、その分野で有名と思しき研究室を調べ、いくつか候補とした。
候補となる研究室は、学部時代の指導教員に当該分野のある大学を聞いたり、学外の研究会に出席することで知った。また、見学に行った先の教員から教えてもらうこともあった。ようはとにかく、行動することだ。
ただ、私の場合は、結局最終的に行き着いたのは学部2年生の頃受講した講義で知った研究者だったので、この点は運がよかったとしか言いようがない。
学会などは、学部生が無料の場合もある。絶好の機会なので参加するとよい。学会にいけば、シンポジウムで当該分野で目立っている研究者の顔ぶれを知ることもできるし、ポスター発表会場で直に会って、実働隊として研究をしている大学院生やポスドクと会話することもできる。「知識もないのに聞いても迷惑ではないのか」と不安かもしれないが、心配はいらない。大部分の研究者は、意欲的な学部生が聞いてくれることを喜んでくれる。邪険に扱ってくる者がいれば、その人の問題なので、気にしなくてよい。
研究室の見学には必ずいった方よい。大学院説明会というのもあるが、可能であれば個別にアポを取って見学にいく方おすすめだ。そちらの方が平常運行の状態の研究室を見ることができるし、個人的な質問や相談ができるチャンスが多いからだ。
多くの研究者は研究室や大学のウェブページに自身のメールアドレスを公開している。そこからコンタクトを取ればよい。大抵の場合は、返信をくれる。メールを書く際には、件名に「研究室見学のお願い」と、要件を必ず書くこと。
メールの文章例を載せる。この例以外にも、「研究室見学 メール」などとググれば文例はいくらでも出てくるので、自身に合った書き方を真似つつ、丁寧かつ、要件が明快なメールを送ろう。
ポイントとしては
といったところだ。
例1
————————————————————————————
○○先生
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
私は大学院進学志望でhogehogeに興味があり,○○先生の研究室を見学したくメールをさせていただきました。
もしお時間があれば研究室を訪問させていただきたいのですがいかがでしょうか。ご連絡お持ちしております。
[ここに名前]
[ここにメールアドレス]
————————————————————————————
例2
————————————————————————————
○○ 先生
突然のご連絡失礼いたします。
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
○○先生の研究室を~~~~~~~~~~をきっかけに知り、是非見学させていただきたく、メールを差し上げました。
私は現在~~~[現在の状況]~~~~~で、進学先の進路を模索している最中にあります。
それを考えるにあたり、○○先生の現在のご関心や今後の展望について一度伺いたいと思うに至りました。
つきましては、入試などでお忙しい中大変恐縮ではありますが、2, 3月中に訪問の時間をいただけませんでしょうか。
[ここに名前]
————————————————————————————
修士学生ならともかく、学部生は教員にメールを送って見学にいくのは、(他大学だと特に) ハードルが高いかもしれない。しかし、繰り返しになるが、研究室見学には絶対にいくべきだ。相手に無駄な時間を取らせてしまうかもしれないと恐縮する気持ちもわかるが、大学院に進めばあなたは少なくとも2年、場合によっては5年かそれ以上の時間をそこで費やすのだから。
さて、首尾よく研究室見学に行けたとする。何を話し、聞くべきか。こちらから聞かずとも、概ね先方が紹介してくれると思うが、必須な項目を述べておきたい。
・目下の研究について聞く
研究室は大きくなればテーマが多様であることも多いし、先端の分野であるほど研究の流行り廃りは激しい。従って、未来の指導教員が今、現在、何に関心があるのかは率直に聞くべきだ。
とはいえ、下調べは忘れずにしておくの忘れないように。具体的には、見学にいく研究室の直近の論文には目を通しておこう。目安としては、最低5年分はざっと読んでおくとよい。全部理解できなくてもよい。むしろ、理解しきれなくても「面白い」と思えればそれを実際に会ったときにぶつければ会話が弾む。これを面倒に感じるなら、そもそもその研究室はあなたに合った場所なのか考え直すべきだ。
実際に会って話すときは、回りくどい言い方はしなくて構わない。ストレートに聞きたいことを聞けばよい。
「最近の論文、例えば去年のhogehogeに掲載された研究は○○についてでしたが、今後もそのテーマは継続されるのでしょうか?」
「今後5年間では、どのような題材を扱おうとお考えでしょうか?」
「まだ実現していなくとも、先生自身が今後着手したいテーマや注目している現象などがあればお聞かせください」
など。
この手の質問への回答が、あなたの琴線に触れるかどうかが一番大事だ。指導教員が自分と明後日の方向を向いている状態で博士課程を生きるのはかなりつらい。「乗るしかない、このビッグウェーブに!」と思えることがまず重要なのだ。
自分がその研究室に進んだとしたら、どういうことをやりたいのか、興味がどこにあるのかを伝えよう。相手もあなたが何者で、何をしたくて来ているのかわからない以上、何を話せば楽しんでくれるのか探り探りなのだ。博士課程に進むつもりなら、その旨も伝えた方がよい。
興味関心を伝えれば、何を話せばいいのかも明瞭になるし、場合によっては「それを扱うことができない」ときっぱり伝えてくれて時間を無駄にしなくて済むかもしれない。
そうであっても、場合によっては当該分野の研究者を紹介してくれる可能性もある。相手は業界人なのだ。頼りまくって構わない。私自身、それで別の研究室に見学に行かせてもらったことがある。
特にまだやりたいことが明確でない場合、そう伝えればよい。ただ「○○を面白いと思った」といった、どの辺りに関心を持って見学に来ているのかは伝えよう。テーマを決めかねているのを恥ずかしく思う必要はない。多くの教員は「一緒に考えていけばいい」「今日見せたものなら何が面白かった?」「実は君が面白いと言ってくれた○○は今後こうしようかと思っていて・・・」と話を広げてくれるだろう。
余談だが、実を言うと、具体的なテーマが決まっていない方が受け入れ側からすると「楽」な場合もある。なぜなら、学部や修士の学生が独力で思いつくテーマは大抵面白くないのが現実であるからだ。なので、「こういう方向に興味があるが、具体的にはまだわからない」くらいの方が楽しく議論しながら研究を具体化できるので、指導する側からすると気が楽であったりする。最悪なのは「絶対にこれをやりたい」と熱意にあふれているが、そのアイデアがつまらない学生だ。下手に折ると熱意が萎えてしまいかねないが、そのまま受け入れると研究のリソースの無駄になってしまう恐れがある。そのため、気を遣いながら方向修正していく必要があるからだ。
研究には設備が必要だ。自分のやりたいことがある程度決まっている場合、必要な設備も自ずと定まってくる。それが研究室にあるかどうかは、確認した方がよいに決まっている。マウスの研究室でショウジョウバエの研究をしたいと言っても苦笑いされるのが関の山だろう。
また、使いたい設備がわかると、そこから指導教員と会話が広がる可能性もある。どういう方法論に興味があるかがそれで伝わるためだ。
自分が使うかもしれない設備については、研究室の人数に対して適正な規模になっているのかを見ておくとよいかもしれない。例えば解剖スペースが学生数に対して小さすぎると、なかなか自分が使えないといった事態もありうるかもしれない。これは数年の生活では結構なストレスになるので、快適に仕事ができるかどうかは十分に見ておくとよい。
また、実験設備以外にも、共用の院生室などの充実具合も確認しておいた方がよい。
作業机は個人ごとにあるのか、共用であれば十分な広さであるか。私の知っているところだと、二人で一つの机を共用で、曜日ごとに融通し合わなければいけないところがある。キャンパスに通うモチベーションがガクッと下がるのは言うまでもない。
さらに驚くべきことに、ゼミの資料の印刷費が自費という研究室も存在する。学費を払って大学院に来て、さらに雑費まで払わされるのだ。
余談だが、私はコーヒーが好きなので、研究室に上等なコーヒーマシンが置いてあったのはかなりQOLを高めてくれた。
とにかく、見学した際に、自分がそこで生活するイメージが湧くか考えてみよう。
博士院生は金銭に頓着しない人間が多いが、生きていくだけの金銭が確保できるのかはよくよく検討した方がよい。金銭というのは、あまり多くても心理学的な幸福を増加させてくれないが、ないと一瞬で人を鬱にしてしまうのだ。
学振が取れればそれでいいが、問題は修士課程と、博士で学振取れなかった場合だ。
具体的には奨学金、RA (research assistant)、TA (teaching assistant)、学費免除の制度について尋ねよう。研究室によってはRAで学費が実質的にタダであったり、そもそも博士課程に学費がかからないところもある。
一方で、無償でTAをやらせたり、年々あれこれ理由をつけて学費をジリジリと上げている研究科も、私は知っている。
博士課程であれば、学生が非常勤講師をどうの程度しているのかを聞いてみるのもよいだろう。ツテがあれば、非常勤の枠を斡旋してもらえ、収入源となるだけでなく教育歴もつく。
また、日本学生支援機構の奨学金は通常ただの学生ローンであるが、大学院生かつ、一種 (利子なし) の場合、免除制度がある。その研究室ではどの程度通っているのか聞いてみるとよいだろう。
これらのことも、率直に聞けばよい。
のように。
興味がある教員の肩書きが「准教授」である場合、博士号の主査になれないことが多い。
その場合、通常は名目上、その研究科の別の教授に主査になってもらうことになる。その際に不利益が生じることがある。
例えば
真っ当な良心を持っている人には何を言っているのかわからねー部分もあると思うが、私にもわからない。とにかく、現実にあるのだ。
ただ、そのようなことがないかを確認するのは、入学前だと極めて困難であるのが実情だ。
少なくとも、そこの准教授の学生がきちんと学位取得まで学生を育てているのかはよくよく確認した方がよい。
これは博士で、特に学振DCを取る人向け。大学によっては研究費の執行システムがかなり厳格なことがある。研究費不正をなくすためという高邁な精神は清く、正しいのだが、その結果大部分の研究者にとってはただただ煩雑であることも少なくない。将来的にDCを狙う場合は、聞いておいて損はないだろう。
まぁ、「事務は研究者にsupportiveですか?」とか。学生が聞いてきたらちょっと気味が悪いかもしれないが。
研究室の雰囲気というのは面白いもので、実際に脚を運べば必ず漂っている。アクティブな研究室は活気に溢れているし、停滞している研究室には淀んだ空気が流れている。学生が働いている様子を見れば、自分がそこに加わりたいか、実感を持って考えることができるだろう。
気の利く教員なら向こうから、所属している大学院生を紹介してくれる。そうでなくとも見学に行った際には「所属している大学院生と話がしたい」という旨を伝えるとよい。よっぽど後ろめたいことがない限りは、快諾してくれるはずだ。
日本社会は表向き実力主義、成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学進学者の割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒の肩書きのみでなく、大学の知名度や質を重視する傾向が強まり、受験競争はさらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合、学歴コンプレックスとして諸々の心理的、社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体が曖昧であるため、研究者独自の概念や言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。
学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者の学歴に関連づけることで感じる、劣等感や自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合と学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴に帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴で評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来の目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校歴主義」(野田,1996)といった学歴志向の存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意感から多浪や仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者を優遇する国公立大学至上主義下での私大進学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己を過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会的待遇でないと受け入れられない学歴保証の希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折感からくる無気力や自尊心低下、不本意感に由来する不適応や抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方そのものに関わる問題の存在も示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックスの継承や家庭内の学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。
先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自の学歴観や学歴の持つ意味、学歴が認知や思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。
安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデント・アパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.
池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識と大学の自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.
伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.
吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.
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鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.
↑ 「統計的に有意でない」というのは「差がない(=平等)」という意味ではありません。
↑意味不明
↑「医学部とそれ以外の学部で女子の入りにくさに差があるというのには、何らかの原因があるのではないか」ということ。「背景にもっと大きな差別問題はある」からこそこの祝辞は東大の入学式にふさわしい。
↑「女子が男子より優れている」とは言っていない。「女子の合格率が男子のそれより低いのは、女子が男子より劣っているから」ではないと言っている。
↑そうですね。
↑「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」はつまり「翼を折られなければ羽ばたけたはずだった」ということ。
↑突然も何も、祝辞の最初から女子学生・男子学生を一般化して取り扱ってきたでしょう。 性差別を批判する文脈では当然です。
とは言え「東大の男子学生がもてる」という言い方も差別的だというのはそうだと思います。「イカ東」みたいな言葉もありましたし。
↑東大の男子学生は「他大の女は頭が悪い」と思っていそうってことでしょう。ここの部分で何を言いたいのかは僕もよくわかりませんでした。
↑実情を知らないようですが、そんなことはありません。東大女子が入れないようにしているのは東大男子です。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
↑東大のオフィシャルな場で東大批判をするのがいいんでしょう。「東大合格おめでとう!東大万歳」なんて祝辞気持ち悪すぎます。
↑確かに
↑第1人者を自称しているんですから、そうなんじゃないですか?
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
↑私立医学部の入試不正なんて差別の一例に過ぎないってことでしょう。
↑「がんばっただけでは報われなかった。まわりの人や環境に感謝しましょう」ということでしょう。こういう趣旨の祝辞わりとよく聞きませんか?
あと毒親から逃げてきた人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう。この祝辞は最初から最後まで「大多数の」東大生に言及しています。
↑そうですね。
↑そういう人たちを助けてやれってことだよ!
↑そんなことは言ってないでしょう。ここでは「恵まれない人々を助けるための学問をやれ」ということではなく、どんな(分野に進もうとも)周りにいる恵まれない人々のことを慮る人間になれということです。たとえブラックホールやニュートリノを研究しようとも。
↑東大生には弱者もいるし恵まれた人間もいるということでしょう。またある面では恵まれていても、別のある面では弱者ということでしょう。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_06.html
学問や学説にも流行りがあります。主流の学説に乗って論を進めると、批判のリスクは減らせるかもしれません。流れに乗るのは楽なことです。しかしそれでは本当の意味での学力は身に付きません。ブレイクスルーも生まれません。たとえ一般に受け入れられている考え方であったとしても、絶えず自分の目でその拠り所を検証し、納得できなければ受け入れない勇気が必要です。乗るか乗らないかは自分の学問的良心に依り、責任を以て判断する、それが「知のプロフェッショナル」としての矜持ではないでしょうか。これは学問だけではなく、世の中の全てについて言えることだと私は思います。
これ例えば世の中の大半の学識者が褒め称えているような学説でも、統計的な計算方法や論拠の細部におかしいところがあると感じれば即座に受け入れなくともよく、検証の対象としてもよいという意味なのだろうか?
ソフトウェア開発自体に興味がある人ってかなり少数派だったと思う
結局皆その仕事に就く割に
思えばその後就職してからも、ソフトウェア開発とかプロジェクトとか、そういうものに興味がある人って少なかったように思える
世の中のプログラマーやエンジニアは、実のところ大してやりたくもないのかもしれない
そこら辺でいつも話が合わなくなるので
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
↑こっちのセリフだわ
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。
↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。
↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
↑どうやって?
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということならレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?
↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。
↑これ普通に気になるな
↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれた環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。
↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?
↑これはまあそういう意見もあるよね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
↑「環境と能力に恵まれた東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
韓国は一人あたり政府研究費も高いからな。というより、すでに日本全額より韓国全額のほうが多い。
一方日本はAIで工事したらトンネル工事本体も研究科学投資として換算しようとするような統計粉飾ばかりが盛ん。
台湾は正式な国じゃないから統計は色々整えにくいところもあるが、台湾も日本を抜く。
香港、マカオ、シンガポールは一人あたりGDPで背中すらも見えない。まあ、この国はタックスヘイブンとして、よその国の利益のうわバネ程度でやっていける程度の小国だからな。
ただ、小国は資源がない分教育や基礎研究にもガチで力を入れている。1980年代以前の日本のようにね。
韓国は日本より素晴らしいというより、日本がもう完全に衰退国家だということだ。
「下にあいつらがいるからいいんだ!それより俺の思う通りにやればくまくいくんだから弱い奴は無茶な行動をして搾取されろ!お前の幸せなぞ知るか!」
品田悦一「緊急寄稿「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」https://t.co/pJ5h6OzBpYhttps://t.co/alM7GI002L
すげぇ、品田先生ガチだな pic.twitter.com/CJ3ZW9tZvj— GEISTE (@J_geiste) April 5, 2019
品田 悦一(しなだ よしかず、1959年1月30日[1] - )は日本の日本文学研究者。東京大学総合文化研究科言語情報科学専攻教授。専門は日本古代文学(歌謡・和歌特に『万葉集』の東歌)。
群馬県出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。聖心女子大学文学部教授などを経て、2004東京大学准教授、2011年10月教授。初の単著『万葉集の発明』では、『万葉集』が近代国民国家の文化装置として「国民歌集」の地位を与えられるようになり、「創られた伝統」として成立していくことになった過程を研究。同著は中国語訳もなされた。斎藤茂吉の万葉集享受の研究でも知られる。
大学に進学した直後なのに「大学教員になりたい」という学生がいて閉口している。
こんな学生が1人だったら、「意識の高い変わり者がいる」で終わるのだけど、なぜか複数いる。
新入生なんだけど、今まで大学や研究機関の何を見て、どういう考えに至って、大学教員になりたいと言ったのだろう。
まず教員になりたい、というのがわからない。大学の教育業務をやりたいということなのか?研究をするのではなく教育をしたいということか?まだ大学の授業も受けていないのに?
細かい話をすれば、うちの教員は全員研究科所属で、研究業績がなければ採用もされないし職階も上がれない(教育業績はあまり加味されなくなった)。才能があるのにテニュアが決まらないポスドク、教育に忙殺されてテニュアトラックに乗っても論文が書けない大学教員、精神を病んで論文もかけず研究費も獲得できない研究員を山のように見てきた。
そんな多くの屍の上に、大学教員のポジションがある。そんな覚悟も現状もおそらく知らない無垢な新入生達に、天真爛漫に「大学教員になりたい!」と言われたので、面食らっている。
なるな、とは言わない。
でも、なりたいうちは、絶対になれない。
大学教員はなるものではなく、「何かに対する探究心と熱量を人一倍持った人たち」のうち、運が味方した人たちなのだ。
そしてそんな人たちも、大学教育や学内政治に関心がなければ、リタイアしてしまう。大学教員が大学を運営できなくなって、立ち行かなくなった大学もある。
だから、大学教員になりたいとか、変なことを言う前に、自分の夢中になれる大好きなことをまず探してください。
そして、それが国が税金を払って進めたいもので、あなたがそれについて国内で最もよくわかっている人間だと認められたら、研究所の研究員や、大学教員になれると思います。いや、自然にそうなるのです。
大学の講義を受けたり、学びを進める上で、大学教育に問題があって自分がぜひ解決したいと思うようなら、大学教育を研究する大学教員になってください。
そうでないなら、民間に行った方が数倍は楽です。求めている人がいるなら、お金はもらえるはずです。
肩書きの聞こえの良さだけで、何者かになりたいというエゴで、どうか自分の人生を潰さないように。
ご入学おめでとう。
本当は記事に追加するつもりでしたが文字数制限(知らなかった)に引っかかって途中で途切れたのでコメントで失礼します。長文申し訳ないです。
想像以上の反響をいただき、自分でも驚いています。増田はもっと殺伐としたところだと思って覚悟していたのですが、好意的なコメントも多く、救われた気持ちになりました。
まず、ひとつ訂正をさせていただきたいです。最初に公開した版では「研究室運営の問題点」という節の「事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理を」と「させられたり」の間に「(場合によっては無報酬で)」と記述していましたが、これは事実と相違があったため(職員は時間給でした)、謝罪して訂正します。申し訳ありませんでした。(「負け犬じゃん」「勝手に死んだんじゃん」と同レベルになっていて恥ずかしい限りです)
次に、相性が悪かったということに終着させようとするコメントが特にtwitterで見受けられました。相性が悪かったというのは確かにその通り(特に研究分野という点で)です。ただし、相性以上の問題点をこの研究室がはらんでいることは認識していただきたいです。確かに自分との相性は悪かったですが、それで修士初期メンバーの3人中2人が修了できない事態は起こりうるでしょうか。ほとんどの人にとって相性の悪い研究室ということならわかりますが。また、単なる放置系ラボというわけではなく、雑用(研究関連業務と言うそうですが)が多かったという点は強調しておきたいです。この点だけでも後輩たちにこの研究室は勧めづらいです。
「研究室を変えればよかった、そういう人も多い」という意見もいくつか見受けられました。全くその通りでありますし、自分もそうしたかった気持ちはありました。しかし、他研究室(多く休学者を出している曰く付きの研究室)で、指導教員と折り合いが合わず研究室を変えたいと言った学生が修士1年の夏ごろにいたのですが、「時期尚早」「院試が有名無実化する」との専攻の判断で認められず、結局中退して他の研究科の院試を受けざるを得なかったという案件がありました。これを受けて、「時期尚早」でなくなるまで待つにしても、大学院を受けなおすにしても、卒業年度が遅れてしまうなと考え、気後れしてしまいました。研究室間のつながりが強く比較的自由に行き来できると聞いていた(少なくとも教授はそう言っていた)ので、裏切られた気持ちが強かったです。結果的には自分はストレートで修了できたのでよかったですが、体調を崩してしまうことも長く続き、正しい選択だったかはわかりません。
今回インターネットへの公開を踏み切ったのは、教授・講師がいくら下の人間が言っても行動を改めようとしない(ラボの人の言葉を借りるなら「不感症」)こと、大学のハラスメント相談室などに相談しても事態を収拾させようとするばかりで根本的な解決にはつながらないと判断した(実際そういう例は多いそうで悪手と言われています)こと、当時証拠を集めて外部機関に告発する気力はなかったことからです。メディアに多く取り上げられ人気の先生に非力な自分が影響を与えるには、こちらもメディアを使うのが効果的ではないかと考えました。特定難易度はさすがに低すぎたかと思いますが、こうでもしないと黙殺されるかなと思い、刺し違える覚悟で臨みました。教授に「君にはDisる権利と義務がある」と言われたので実質公認ですしね。ネット上の怪文書という形になりましたが、これを通して少しでも教授・講師が反省して研究室運営がより良いものになることを祈っています。さすがに一年目よりはましになってくれるとは思いますが...(2019-03-30)
題名にある通り私は某旧帝大で特任助教(バイオ系)をしており、今年の3月末で任期が切れます。アラフォーです。
ここ二年の間アカデミア、民間企業等多岐にわたって職探しをずいぶんやりましたが、結局就職先は一つも見つかりませんでした。
アカデミアに関しては南は沖縄から北は北海道まで日本全国で様々な大学のバイオ系研究職に手当たり次第に応募しましたが、全て落ちました。面接では練に練った研究計画を余すことなく熱意を持って伝え、面接官からもお褒めの言葉を頂いた事も何度がありましたが、結局全滅しました。
民間企業に関しても軽く30社は応募しましたが、面接に辿り着けたのが数社で、全て不採用でした。
もうここまで来ると職探しをする気力は消え失せてしまいました。
もうアカデミアも民間企業も持ち駒は一つもなく、今はただ来月末の任期満了日を怯えながら待つのみです。
4月からどうすればいいんだろう。。。どうしよう。。。私は独身で、頼れる身内も一人もいません。人生つみました。
世間では研究者はすごく大変だけどやりがいのあるかっこいい仕事だと思われてるようです。昨今の日本人ノーベル賞受賞者の影響もあるでしょう。しかし、研究者は能力がなければ目も当てられないくらいに悲惨です。(私です。。)素質に恵まれた極少数の研究者は非常に良いですが、大半の研究者はそうではなく、早晩窮地に追い込まれることになります。(私です。。)
思い返せば、私は小さい時から研究者に憧れていました。高校では必死に勉強して、現役で東大理一に合格し、その後も理学部を経て理学系研究科で博士号を取得し、自分は将来東大教授になるんだと信じて疑いませんでした。しかし、今思うと、理学系研究科で大学院生をやってた時既に自分は研究者に向いてないという事に気付くべきタイミングが少なからずあったように思えてなりません。詳細は省きますが、当時の指導教諭や先輩(今は某旧帝大の准教授です。。)から私が研究者を目指すことをやんわりと否定するようなことがあったことを思い出します。結局研究者としてやっていけなくなっていまこのようなにっちもさっちもいかない状況になってしまったので、やはり彼ら(研究者としての素質を持ってる人たち)の指摘は正しかったし、素直に彼らの指摘を受け入れて、大学院生時代にキャリアチェンジを図るべきだった(就職、医学部編入とか)と意味のない反省をしてます。博士時代の同期は何人かいましたが、途中で中退して、医学部に編入したり、民間企業や官公庁にでていった人が結構いました。今思えば彼らの選択が正しかった思います。素直さのなさと視野の狭さが私の欠点であり、その欠点のせいで人生がこうなるとは予想してませんでした。
博士号取得後は別の研究室に移りポスドク(激務薄給労働者)として一日も休むくことなく馬車馬のように働きました。ポスドクをしてた時にも今思うとやはり研究者としての限界を思い知らされる様な出来事がありました。(ご想像のとおりです。)この時も現実を受け入れる事なく、そのままポスドクとして残ってしまいました。ひょっとしたらくだらない自尊心のせいで、自分が研究者としてやっていくのは無理だという残酷な事実から無意識的に逃避していたのかも知れません。
数年に渡るポスドク生活の後、運良く(今思うとここで自分の人生の運を全て使い果たしのかも知れません。)今の特任助教の職にありつく事ができました。しかし、研究の世界は非情なもので、才能のない人がいくら努力しても上手く行くことは決して無く在任中にたいした成果も出せずに気が付けば任期満了まで一ヶ月というところまで来てしまいました。
昨今大学の研究者を取り巻く環境は悪化の一途を辿っており、任期無しの研究職がどんどん少なくなり、その一方で任期付きの研究職の割合が日に日に高まっています。このような状況のせいで自分は研究者になれなかったのだと不平不満を述べる人が多数いますが、私はそうだとは思いません。やはり研究者になれない人(私も含めて)には素質がないのです。素質が何なのかは難しいところですが、結局任期無し大学教員という職を巡る椅子取りゲームで勝つのはやはりふさわしい人なのです。終わりのない椅子取りゲームに見えますが、研究者として生き残る人はなんとなく決まっているように思います。(ここらへんは私自身の勝手な想像です。自分は研究者になれなかった脱落組なので。。)
繰り返しますが、研究者は素質がないともうほんとに悲惨です。自分に素質があるかどうかは割と早い段階で分かるはずなので、いま大学院等で研究者を目指して奮闘している方達(特にバイオ系)には時期を逃すことのないよう気をつけてほしいと思います。
また、アカデミアのよろしくないところは、成功者の経験ばかり語られて、落伍者の声は闇に葬り去られてしまうところだと思います。成功談も大事ですが、それ以上に失敗談にこそ学ぶべきところがあるのだと悟っています。
ああ、4月からどうすればいいのやら。今後の人生はどうなることやら。任期満了日が過ぎたら、その後は社会の底辺を彷徨いつついつか年老いて死ぬ日をひっそりと待ち続けるのみです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-00009302-bengocom-soci
京都造形芸術大の公開講座で精神的苦痛を受けたとして訴訟を起こした件へのブックマークコメントだが、
「勉強不足」
「シラバス読め」
「当たり屋」
なんだこれ。地獄かよ。
こういうコメントつけている奴らは、公開講座が何なのか分かってんのか?
公開講座は、あらゆる人の生涯学習を支えるために行われる大学の社会貢献的事業であり、
正課の授業とは全く性質が異なるんだよ。
専門分野に属した学生がカリキュラムに従って体系的に学ぶものではなく、
本当に60-70代のおじちゃんおばあちゃんばっかりだったりして、
講座によって参加者層は極めて多様なわけだよ。
特定の年齢層や特定分野の前提知識を有する層を対象とすることは、
今回はあくまで原告が偶然この分野を専門とする人だったというだけで、
公開講座の趣旨を鑑みれば、年齢や学歴問わず「学ぶ自由」を保障するための仕組みなんだから、
参加者層を限定していない以上、主催側たる大学が、きちんと事前に条件や詳細な内容を説明して
参加者募集をする責務がある。
そもそも「シラバス読め」と言っている皆さんは、自分でシラバス読んだんですか?
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1811318
第3回:ヌードあれこれ話
ヌード、あるいは女性像を画題にした自作を中心に話します。たぶん芸術と対立概念になりがちなポルノの話や、第二次性徴期の話、フェミニズムの話なども避けては通れないでしょうね。
会田 誠 (美術家)
1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術館研究科修了。絵画、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画など表現領域は国内外多岐に渡る。近年の主な個展に「天才でごめんなさい」(森美術館、東京、2012-13年)、「考えない人」(ブルターニュ公爵城、ナント、フランス、14年)、「世界遺産への道!!~会いにいけるアーティストAMK48歳」(霧島アートの森、鹿児島、14年)など。
この文章で、残忍で強烈な画像を見せつけられそうな雰囲気が、どこから汲み取れる???
本当に何も知らない人が読んだら、普通のアーティストさんにしか見えない文章じゃんか。
これ読んだところで内容の想定は不可能だと思うし、公開講座の受講者がシラバス以上に深い知識を
事前に自分で調べないと応募してはならない、なんて義務はどこにもないですよ。
ちなみに、シラバスを見ればわかる通り、受講条件も何も書いていない。
他の科目を見てみると、何らかの条件がある場合は「備考」に書いてあるケースも
あるので、決して書く欄が無かったわけではないことは明白である。
(例)"なお、認定の条件は、18歳以上で、"
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1823304
さらに付け加えると、↓の上部に掲載されている受講規約を見れば、
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/matter/matter/
受講資格は、満 15歳以上の藝術学舎で学びたいという意志をもち、本受講
規約を遵守することに同意される方とします。学歴等の制約や選抜試験はあ
りません。
と書いてあり、シラバスで特段の条件指定が無ければ、15歳の中学生が受講する可能性だってあるわけで、
そのような前提の講座にも関わらず、事前説明なく記事のような内容の授業が行われたとすれば、
何より、この原告の女性は、会田誠の芸術表現自体は否定してないじゃんか。
会田誠のような芸術表現が世の中に存在することは理解するとしたうえでも、
それを大学の公開講座という学問のプラットフォームにのせるのであれば、
その主催者が相応に運営上の配慮や工夫はしてよ、というお話でしょ?
そんなの当然じゃんか。それをやらないなら、大学は何のために存在してるんだ?
学問のコーディネータとしての責務を果たせていたかを問われているわけでしょ?
にも関わらず、「会田誠くらい知ってて当然。知らなかったほうが悪い」という論調のブコメばかり。
日記書いた人です。
まずはアドバイスありがとうございます。
過労ですか…いや、これまで少なくとも二年間同じハードワーク環境にいたので実感はないですが。
そういう要素と、曲がりなりにも提出できた精神的な安堵が重なってプッツリきたのかもしれません。
>それで卒業が取り消しになるだろうか?ならないんだよなあ。合理的に判断したまえ。
判断力が鈍っているのは確かですが。我が研究科は発表までが卒業要件にあるのでそれを満たさない限り卒業できないです。
なので後出しとなり申し訳ないのですが、そもそも卒業取り消しどころか卒業要件に達してすらいないのが今の現況です。
強迫観念を差し引いても前に進まざるを得ないわけでして。はい。
とりあえず来週までにあらかた作ってどこかで休む手筈をとりたいですね
ラジオ「Session-22」書き起こし。https://www.tbsradio.jp/319359
"大学生のデート経験率は過去最低" 草食化とも報道された「青少年の性行動全国調査」その結果から読み取れる本当に大事な事とは?
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南部広美:
先月、若者の性行動や性に関する意識を調査する青少年の性行動全国調査の結果が公表されました。
この調査は日本性教育協会が1974年からおよそ6年に一回行っているもので、8回目となる今回は去年、全国の中高生と大学生合わせて13000人ほどを対象に本人が記入する方式で実施しました。
今回の調査では、デートを経験したことがある大学生の割合は男子が71.8%、女子は69.3%でいずれも過去最低に。また性交の経験もピーク時の2000年代半ばに比べ大幅に減少していて、大学生の男子で47%、女子は36.7%でした。
この結果を受けて草食化が進むと報じたメディアもある一方で、調査の結果を見てみますと中学生のデート経験は男女ともに過去最高で、日本性教育協会では性に積極的な層とそうではない層の分極化が進んでいると分析しています。
今夜は調査委員会の委員として青少年の性行動全国調査に携わった社会学者の永田夏来さんをお迎えして、この調査結果から読み取るべき本当に大事なこと、そして今後の社会的なアクションについても考えていきたいと思います。
荻上チキ:
このように同じような項目について長年取り続ける調査というものは、社会の変化を浮き彫りにする上でとても重要であると同時に、いろんな社会政策の提言とか社会教育のポイントとかそんなことまで浮き彫りにしてくれるものなんですね。
だから今回の性に関する調査ではあるんですけれども、性を通じて社会が見えてくるという点もありますし、性を通じて課題が見えてくるという点もあります。なので、今回はどんな調査結果になっているかということに加えて、その報じられ方の問題や、一方で具体的なデータの読み解き方、そして課題、そのあたりをですね、今日は伺っていきたいと思います。
南部:
改めまして社会学者で兵庫教育大学大学院学校教育研究科講師の永田夏来さんです。
永田夏来:
荻上:
永田:
とっても楽しかったです。ありがとうございます。
荻上:
改めてなんですけれども、この調査というのは一体どういった調査なんですか?
永田:
この調査は、1974年から6年おきに全国の中学生高校生大学生を対象にしている、継続的な調査というところが一番のポイントですね。
継続調査であるということはどういうことかというと、調査項目を基本的に変えないっていうことです。相手は入れ替わっているんですけれども、同じ項目について、同じ訊き方で、同じ手法で、同じ選び方で訊いているので、社会の変化を見ていくっていうことを前提にした調査になっているっていうところが一番の特徴になりますね。
荻上:
最初の設計が当然大事になってくるというのはもちろんのこと、たとえば同じ調査項目でただ変化しただけでなくて、もしかしたら答える側の解釈が変わってくるかもしれないとか、単にデータの結果を文字どおりに読むわけではなくてテクニックが必要になってくるというのが、こうした継続調査の難しさでもあり面白さでもありますよね。その中で永田さん、今回の調査ではどういった役割をされたんですか?
永田:
今回は代表でお話しますけど、もちろん分析も含めてチームでやってるっていうのが大前提ですね。私も基本は家族社会学で若者の恋愛、妊娠、結婚、出産ぐらいのところを専門にしてますが、私以上に学校教育について詳しい方であるだとか、階層研究について詳しい方であるだとか、いろんな立場の研究者が集まってそれぞれの知恵を出し合って分析しているっていうことになります。
荻上:
永田:
そうです。
私がやった事っていうのは、その調査の設計、それから実査、それから分析ですね。入力なんかは他の研究分担者がやってくれてますけれども。
この調査、実査が非常に面白くて、実際に学校に行ってやるんですよ。
この間このニュースを22日ですか、木曜日のデイリーニュースセッションで取り上げて頂いた時に、ツイッターのハッシュタグ見てたら「どれぐらいちゃんと答えてるんだろう」って。
「なんか性行動の話とかちょっと答えにくいじゃない」「サバ読んで答えてるんじゃないの?」みたいなことがツイッターで議論になってて、そうだよね、って思いながら見てたんですけど、自分で書いてもらってるっていうのがこの調査の特徴です。
実査は学校に行って、学校の教室でやるんですけど、ちょっと席を空けてもらって、見えないようにして、封筒に入れて配布し、自分で書いて封筒に入れて回収すると。完全に匿名ですね。
学校の先生も基本教室から出てもらってますので、そこまで行ってサバ読まれたらしょうがないけど、極力サバを読まなくても大丈夫な工夫はかなりしているっていう自負はありますね。
荻上:
研究として論文にするための手続き、最低限これくらいしなきゃいけないっていうものがあるわけですけれども、そうしたことを行いながらしかも同じ方法で続けているということなので、それでどう変化するのかが見えてくるわけですね。
この研究の意義は、僕なりに解釈したものはさっき言ってみましたけれども、永田さんはこの研究の意義をどうお感じになりますか?
永田:
継続調査であることの意義は何なのかって言うとそれは時代効果、加齢効果、コーホート効果っていうふうに我々社会学者は言うんですが、この三つを分けることが可能だっていうのが継続調査の一番の強みなんですよ。
時代が変わったことによって生じる変化、たとえば携帯電話の利用率なんかそうですよね?携帯が普及すると年齢かかわらず全員が使うようになった、これが時代効果です。
それと加齢効果っていうのは、例えば通院の頻度とか。歳取ったら、どんな時代に生きている人であっても病院に歳とともに行くようになるとか。そういうのは時代関係ない年齢による効果ですよね。
それともう一つがコーホート効果。それはどんな世代によっていろんな経験の仕方や社会的背景が違うから行動に変化が出てくるコーホート効果。
この三つを分けることが可能だっていうのが継続調査の一番の強みなんですよ。
そこをどういう風に見ていくのかっていうことで議論ができるっていうところが、一番のおもしろさかなという風に思いますね。
荻上:
例えば、よく若者の政治離れ、みたいなことを言われたりするわけですけれども、今の三つの分類で言うと、本当に政治離れしてるのか?
どの世代も若者の時が一番政治離れはしてるわけだけれども、だけど二十代三十代四十代と歳を重ねていくにつれて投票に行くようになったり支持政党ができてきたりということを経験していくと。
だからこれがその世代独特のものなのか、それともこれからもずっとそうなのかというのは、加齢効果なのか、コーホート効果なのか、時代効果なのか、追って行かないと分かんない点もあるので、一個のデータだけ、その年のデータだけでは解釈できないものもたくさんあるんですよ。
永田:
そうなんですよね。その辺をやっぱりしっかり議論していくっていうことにつなげていくというところが一番の継続調査の強みかな、って私は考えてますね。
荻上:
そうした中で若者の性行動調査、ということなんですが、今回その結果が一部メディアで、6年前もそうだったと思うんですけど「草食化が進んでる」というワードで報じられたりもしていましたが、実はこの調査、数多く行われている調査で、性行動だけじゃなくていろんな調査が行われているんですよね。プラス、分析の仕方も色々あるんですけれども、まず草食化という括りと、そこが注目されることについてはどうお感じになりますか?
永田:
そうですね、あのね、若者の調査って割とそうなんですけど、レッテル貼りたがるっていうのがあるんですよね。
特に、大人にとって若者はこんな何か変わったことをしているとか、逸脱行動に走っているとか、そういうふうに、若者は変だよっていう風な話を作りたがっててるっていうのがそもそもメディアの状況として若者研究でも指摘されてるんですけど。
荻上:
ゆとり世代だとか、さとり世代だとか、お金がなくてもなんか絶望してないヤツらだとか……
永田:
そういう風なレッテル貼りに使われるんじゃないのかな、というのが一番危惧しているところです。
草食化というと草食系男子みたいに思いがちなんですけど、実際このあとデータ見ていくと思うんですけど、経験率下がっているのは女子の経験率が下がってるっていうのもあるんで、なんか単純に草食化って言われて勝手に皆さん想像されたら困るっていうことありますし、より正確なところは分極化、先ほどお話あったようにバラエティに富んできているというのが正確なところなので、そこをきちんと理解していただいた方が、社会の見取り図としては正確になるよねと思ってますね。
荻上:
今の言葉の「分極化」なんですけども、これ「二極化」ではないんですか?
永田:
ポーラライザーションの訳なんですよ。二極化と言ってもいいんですけど、分極化っていうことで意味されるのは、全然違う要素が同時に起きてるっていうことなんですよ。二極化って言うと、パカっと二つに分かれるって感じなんですけど。
荻上:
二極化のイメージは格差、分断、すごくコミットする人そうじゃない人に分かれる、みたいなイメージありますけど、分極ってもっとこうぐねぐねして、いろんな人たちがいますよねというようなものが、なんとなくでもこういった集団、こういった集団という風に見えてくるようなもの……
永田:
という感じです。
なので二つにパカっと分かれるわけではないというところがこの含意になりますね。
荻上:
今日はですね、統計、読み解き講座も兼ねられるような構成にしていますので、まず肝心のデータを見ていきたいと思います。
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ラジオ「Session-22」書き起こし。https://www.tbsradio.jp/319359
"大学生のデート経験率は過去最低" 草食化とも報道された「青少年の性行動全国調査」その結果から読み取れる本当に大事な事とは?
川添 信介(かわぞえ しんすけ、1955年 - )は、日本の哲学者、京都大学文学研究科教授。
佐賀県生まれ。佐賀県立唐津東高等学校、京都大学文学部を経て、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪市立大学助教授を経て1996年より京大助教授、教授(西洋哲学史)。2003年「西欧13世紀中葉における哲学の諸概念」で京都大学博士 (文学)。西洋中世哲学史が専門。
西洋哲学専攻で京大を出てるのに、この程度の声明文で自らの正当性が世間に伝わると考えたのならもはや救いがたい。学生側の主張が何かを一切説明しないこの、外部の人間には意味不明な「説明」とやらから唯一分かることは、「話し合いを求めた学生に一切話し合いで応じていないこの人と京都大学の姿勢」だけだ。
学生に殴られたなら遠慮無く通報すればよい。そんなものは自治とは関係ない。だが、これはどう見てもそういうレベルの問題ではない。たかだか学生ごとき口先三寸で論破できない哲学教授に、最高学府の看板を背負わせてはいけない。