はてなキーワード: 研究科とは
①無給
好きなことやってるんだからいいだろ、なんて言われそうだけど、それってやりがい搾取じゃね?
てか、どんだけ好きだとしても見返りなしで週40時間以上出来ることってほぼないでしょ。
②長時間拘束
さっき週40時間って言ったけど、実際のところ40時間で済んでいる院生って少数だと思う。
実験系は言わずもがな長時間拘束だが、非実験系でも深夜、土日まで研究していることが美徳とされている節がある。
というか、教授になるような人は朝も夜も土日も正月も関係なくバリバリ研究できるような人ばっかりなので、無意識的に学生にもそれを押しつけているように感じる。
企業は時間外手当等(ないところあるだろうがゲフンゲフン)で多少は労われているだろうが、院生にはおいては全くない。睡眠負債によってごく僅かな研究成果を獲得しているだけ。
③村社会
大学の研究科のコースという小さな集団の中のさらに小さな研究室という集団なので、
なにもかも教授の一存で決定する。基本的に教授の圧倒的権力の前に太刀打ちできない。
あまり詳細には書きたくないが、我々は学位を人質にされていて、修論提出直前であっても教授がNOと言ったらNOなのだ。
学生には労働基準法や労働組合のような盾はなく、立ち向かう術は一切ない。
上位の大学の人は知的好奇心に溢れ、自己管理能力に長けているため、こんなことは全く問題ではないのかもしれない。
私の所属する研究室自体が特別ブラックではないと思うが、能力、知的好奇心が低いのに進学を選択してしまったばっかりにだいぶ精神をすり減らして生きている。
今が特別辛い訳ではないはずなのに、なんだか辛くてここ3日間研究室に行ってない。
研究室内の雑務、大学院の講義、修士中間発表、自分の研究、共同研究等、仕事は膨大にあるので早く研究室に行かないといけないのに明日も行ける気がしない。
あと1年半耐え切れるだろうか…いや、耐えるという考え方自体間違っているのだろうが。
私は現役で東大に受かり、新ふりを経てとある学部に入って、そこで何年か研究してました。
私が所属してたラボ(だけならまだしも研究科も...)はFラン出身の人がいました。所謂ロンダ組ですね
つか内部生を探すのが大変なんじゃないか?ってくらいロンダがうじゃうじゃいました。
奴らときたら研究室でしょうもない議論をしてたり(耳障りだった...)、授業でも○○してたり.....
もうほんとに知性の欠片も感じませんでした。
しかもどうみても身分不相応な会社に行こうとしてたり、、、(勿論はじかれてました)
こんな環境が心底嫌になってしまって..衝動的に中退してしまいました。
その後さっさと某国立大学医学部医学科(学士編入)に入って現在に至ります。
現在ですが、やっぱ国立医学部だけあって周りの学生のレベルは東大学部生並であり、非常に居心地がよろしいです。
自分と同等かそれ以上の知性を持った人間が集まった集団に属するのがbestだとつくづく感じます(勿論息苦しく思うこともなくはありませんが)。
自分の人生に妥協はできる限りしないほうがいいです(当たり前のことですが....自戒を込めて)。最初は良くてもすぐに嫌になります。
こんなことすらわかってなかった(というより考えてすらいなかった)学部時代の自分をぶん殴ってやりたいです。
とはいっても東大大学院全体でFラン勢による侵略が進行しているわけではないです。(学部時代の友人談からすると)
ですので学科選びとラボ選びさえ慎重にやれば私みたいな思いをすることはないです。
あと行きたい研究科の院試で外部性がどれだけ浸食してきてるかはホームページとかで確認できるはずですので、院進する内部生の皆さんは必ず確認しましょう!
色々な人間が居るから面白いのが早稲田なんだけれども、流石に詐欺だろう、と思う事があった。
稲門会の懇親会があると知り、数年ぶりに母校に帰った。同じ卒業年次の全学部・研究科のOBOGと飲み会だ。卒業年次は伏せるけど、当然、初対面の人達が多く、私もその一人だった。
同じ早大卒の人間と、異業種交流も兼ねて、人脈が広がれば良いかな、位のスタンスで参加したので、さほど期待値も高くなかったはずなんだけれども…思った以上に質が低くて萎えた。
話をしても、薄っぺらい。幹事達が特に、どこか感覚でモノを話すような「適当」さ。よくよく相手のバックグラウンドを聴くと、ロンダで入学してきた人、つまり、真っ当に勉強を頑張って中学・高校を卒業して入学してきた人ではないタイプが多いこと。
進路を真面目に考えず、挫折し、その後はのんべんだらりとレールから外れた人生を送ってきた人が、大学受験資格を命綱に、早稲田に入学してきた。しかも入りやすい学部に。
そして、あたかも「キチンとお勉強を頑張ってきました」と言わんばかりに早稲田に紛れ込み、そしてOBOGとして同じ空間に居る。そんな彼らと話をして、正直言って根は「チャランポラン」「適当な人達」という印象しか抱かなかった。水が合わない。
話をして、損をした。時間を返して欲しい気持ちでいっぱいになった。そんな気持ちを抱くのは、対等に有益な関係を築き上げる事が出来なかったから。ユニークなバックグランドを持っている彼らに対して魅力を全く感じなかった。彼らの具体的なバックグランドについては、ここでは明言しないけれども…中卒後は好きで進路から外れた人達が、大学というステージで人生を返り咲きを狙っても、人の質は推して知るべしだなあと。
適当・ユルい
それも結構だけれども、他人様の信頼・信用を損ねることは罪だと思う。あなたたち、本当に早稲田を卒業したんですか?と思うほど。
発達障害であるとか、決して知性や教養を感じないという訳ではないんだけれども…精神年齢が高校で止まっているかのような、精神遅延を感じた。
http://president.jp/articles/-/25434
早稲田大学の教授のセクハラ問題が記事になり、またまたハラスメント界隈が騒がしくなっている。
私もこの場で、私が受けた屈辱をネットの海に流して忘れようと思いこの増田で日記を認めることにした。
もう10年も昔の話だからもう時効だろう。私は10年間秘密を守り続けてきた。
本当はもっと早くに公開すべき情報だったことはわかっているが、自分はずっと研究を続けている身だったから、
どうしても言い出せずにここまできてしまった。
私は当時早稲田大学の学部の4年生で、院進することに決めていた。
第一志望を東京大学、第二志望を早稲田大学の内部進学にして院試の勉強に励んでいた。
ちょっとややこしいのだが、私が学部時代に指導を受けていた先生の所属が翌年度から他大に移るということで、
他の研究室を受験する必要が生じた。詳細は避けるが、院試では早稲田の同じ学科内の他の教授の研究室を受験することに決めた。
院試は英語と選択形式の専門科目、後日研究発表形式の面接だった。専門科目は確か7問くらいから2問を選択して回答する形式だったと思う。
過去問を見る限りでは学科のそれぞれの教授が1題ずつ出題する形式のように思われた。私は自分が比較的得意な教授の専門範囲に絞って院試の勉強をしていた。
院試の2週間前くらいだっただろうか。私の受験先の研究室のボスから、「来年からのテーマについて話がある」と呼び出された。
彼の研究の話はいつも刺激的だから、私はワクワクして教授室に行った。ひとしきり今の研究の進捗などを話した後、
彼がふと、「君はどの先生の選択問題を解くか決めた?」と聞いてきた。私はなんでこの質問を?と思いつつ、「あー、はい、今この科目とこの科目をやっています」と答えた。
彼は「ふーん、あのね、僕、今から独り言言うからね。メモは持ってるよね?」と言った後、その二科目の問題を全て読み上げたのだ。
何が起きているかわからなかった。でも、私は愚かにもそれをメモに書き取ってしまった。そして呆然としながら教授室をでた。涙が出てきた。
私が聞いてしまった問題のうちの1題は、当時のボス(受験先ではなく、学部時代の指導教員)が考えた問題に違いなかった。研究室に戻ると、彼がご機嫌で話しかけてきた。
涙が止まらなかった。ボスは教授室に私を招き、どうしたのか聞いてくれた。私はことの顛末をボスに打ち明けた。
「私、先生が院試で出題する問題を知っています。今、〇〇先生から聞いてきました。」
いつもはヘラヘラしているボスだがこの時は「なんで彼はそんな余計なことを?何もしなくたって君なら受かるでしょう?」と声を荒げていたが、
その後ひとしきり黙った後で「この話は、なかったことにしよう。君は普通に院試を受けるんだ、大丈夫、試験問題を知ってても知らなくても君なら受かってたから。こんなのバレたら大ごとになる。」と説得された。
私はもう何も考えたくなかった。ボスの指示に従うことにした。それでいい。私が黙っていれば丸く収まる。早稲田の院試の1ヶ月後には東大の院試がある。それに受かればいい話だ。
自分は自分が、カンニング行為を行うことがどうしても許せなかった。そんなことは私の人生で一度もしたことがなかった。
一度はもう早稲田を受けるのすらやめようと思った。でも東大一本に絞るのは、院試とはいえとてもリスクの高い選択に思えた。私は結局院試当日の試験会場にいた。
問題を漏らされてから2週間で、私は7人の教授の残り5人の研究範囲を勉強し直した。漏らされた問題は解かないと決めていた。これで落ちたら仕方ない。そう思った。
かくして専門科目の院試が始まり、そこには、私が教えてもらった通りの問題が一字一句違わずに並んでいた。
私はその2問には手をつけず、残りの5問から2問を選択して解いた。2週間の付け焼き刃だ。よくできたとはお世辞にも言えない。
後日の面接では、面接官の教授の一人に「これで東大受けるの?頑張ってね」と嫌味を言われた。悔しかったが黙って聞き流すしかなかった。
結局、私は早稲田大学の研究室に合格し、運よく東大の方にも合格し、未だになんだかんだアカデミックと細々とつながりを持ち続けている。
あの会場で、私は院試問題を知っていた。(おそらく、あの研究室を受けた全ての学生が知っていたと思う)。
その事実はずっと私を苦しめてきた。
もっと早くに、言うべきことだった。
院試の前に、言うべきことだった。
でも言えなかった。ずっと、後悔している。今も、後悔している。
もうすぐ院試の季節だ。彼はまだ学生に、問題を漏らし続けているだろうか?
ずっと言えずに居たから、こうして匿名ながらも辛い経験をシェアできて少し気が軽くなった。
それと同時に、「自分も漏洩された」「院試ではよくあること」というコメントが散見されるのは悲しくもあった。
私は潔癖でも真面目でもない普通の人間だ。どんな試験であれ、一部の人間だけが問題を知っている状況というのは許されてはいけないはずだ。
院試の形式でバレてしまうんだね、これは理工系研究科の院試で起きたことだ。
年度も言いたいところではあるけどさすがにこれ以上は勘弁してほしい。いや、もうこの時点でバレてしまうかもしれないけど。とにかく約10年前に起きた出来事だ。
私ともう一人、その研究室を受ける奴がいた。院試問題をバラされた日、私が教授室に入るのと入れ替わりで、彼が出て行ったのを覚えている。
私は、彼とはそんなに仲が良くなくて聞かなかったけど、なんとなく彼もあの日に院試問題をバラされたのではないかと思っている。
なんであの教授がそんなことをしたのか、それは本当のところはわからない。
教授はすごく神経質なところがあって、教授室の鍵が閉まっているかを何度も確かめたり、officeファイルのセーブを異常なほどこまめにとったりする人だったから、
念には念を入れて私が落ちないように問題を漏らしたのかもしれない。
あるいは、自分の研究室を志望する学生に好成績をとってもらって、自分のところの学生が優秀だと自慢したかったのかもしれない。
私の現在の幸せを祈ってくれた人たち。本当にどうもありがとう。
結局あの院試のあと、私は当然、早稲田を蹴って東大に院進した。
研究分野は当時とはだいぶ離れて、その教授を目にする機会も滅多にない。
今は、自分の良心を裏切らなくても良い場所で、同業者の伴侶とともに細々と研究している。
早稲田大学は、いろいろ言われてはいるけれど、私に科学者としての第一歩を踏み出させてくれ、
もし、大学院への進学や就職で悩んでいる大学生あるいは大学院生の目にこの文が届くかもしれない。
そのとき少しは参考になればと思っている。
あくまで基礎研究をする学生の偏った主観で記載していることには注意されたし。
特に工学系研究科には適応できないかもしれないことはあらかじめ言及しておく。
進学を望む大学生のモチベーションはどこからくるのだろうか、と私は常々疑問に思う。
自分の中にある知的好奇心、学問的探究心がおそらく大多数を占めるのだろうと思うが、それに一生ないし大学院生活を賭けることにどうして踏み切れるのか?
ライフサイエンスと化学の中間のような研究室だったことから、この研究が将来誰かの健康を守ることにつながればと考えていた。
しかし、アカデミアの世界にはこのような情熱は不一致であったように思う。
私は高学歴・知的の権化として彼らを認識していたが、それはあくまで学問という極めて内向的な世界においてのみである。
彼らは学問を中心に生活し、休みや遊びをごく少量しか要求しない。
仕事(=学問)が生活の8~9割を占めることが普通で、それを学生にも平気で要求する。
学問的な正しさに目が向くばかりであり、研究を活かして企業へ就職する事への理解は乏しい。
誤解を生みたくないがために、少し補足するがこれは私がさぼり魔であるからこのように感じているわけではないということだ。
一応大学も大学院もそれなりに努力して入るところに入ったつもりだし、この感覚が著しく逸脱しているわけではないと思う。
だからこそ、アカデミアにはびこる理不尽とそれを容認する上役に疑問があるのである。
話をもどそう。
アカデミアに残り、博士へ進学する人はこの環境下が好きだということでよいのだろうか。
あるいは、このような環境をマイナスとしてとらえていても、補ってあまりある何かモチベーションがあるのか。
私にはわかりかねる。
これは私の価値観だが、上記のような点を踏まえて、かつ運が悪ければ重要なポジションにつくことが難しいアカデミアにいるよりも、企業に行って高給取りになった方が良いのではないだろうか。
私と同じくらいの年齢の学生に問いたいのは、本当に進学(あるいは就職)するという選択が自分にとってベストなのかを十二分に考えてみたのか、ということである。
進学を希望する場合は上記のようなアカデミアの性格を十分にとらえた上でのことなのか、よく考慮してみてほしい。
幸いなことに、修士課程は二年と程よく短い。
故に、入ったことを悔いても二年だけ何とかやれば博士と違って就職するのにもなんら特殊な工夫が必要になるわけkではない。
それにつらさ以外の部分で大いに収穫になることも多々あることも事実だ。
現に私はつらいとは思うもののいまのところ何とかやっているし、大学院に来てよかったと思うこともある。
旧帝大の情報系の研究科で博士まで取った。人工知能分野の学位持ってる。30代。
今はアカデミアにいるが、正直、アカデミアを諦めれば都内のAI人材欲しがっている企業で年収1千万弱の転職できると思う。
が、全く高プロ魅力的に見えないぞ…企業に入ったら上司が誰になるかわからない。いや、そりゃ最初の1年ぐらいは上司は変わらないだろうけど、配置転換でコロコロ変わるし変えられる。
上司が人格者ならいいけど、必ずしも人格者とは限らない。AI分野は人材不足で、ただでさえ仕事量が多い。高プロには、別に業務の量について特に規定は書いていない。
例えば自分の手が回らないような量の仕事を上司から回されて、手が回らず、「与えた仕事ができなかったので評価低くしました」とか言われた時、高プロがなければ、まだ、「この仕事時間じゃ回りません!」とか「残業代払ってから言ってください!」とか反論できそうだが、高プロがあれば、反論の余地がない。
企業に行く限り、上司ガチャがついて回る…何でそんなリスク取らないといけないんだ。それだったら、任期付きでも、アカデミックでやりたいテーマをある程度自分の裁量で決められる職の方が、まだリスク少なそうだぞ。
三浦瑠麗の件。
https://buzzap.jp/news/20180420-lullymiura-law-knowledge/
東京大学大学院法学政治学研究科 総合法政専攻博士課程を修了し、法学博士を取得しているものの、三浦瑠麗さんは農学部出身で自らの肩書きも「国際政治学者」。実は政治学が主分野で、法律についてさほど知識がないのかもしれません。
なんか「法学博士なのに法律の知識がないの?」って言ってる人がそこそこいて、Buzzap! までその認識なのは流石にどうなの、って思ったのでちょっと書いてみる。
まず、日本の大学の多くでは政治学は法学部で教えられている。早稲田大学や明治大学には政治経済学部があるが、東京大学、京都大学、慶應義塾大学、北海道大学、名古屋大学、など有名どころの大学はたいてい法学部の中に政治学科あるいはそれに準ずるものを持っている。
つまり、それらの大学で政治学を専攻した人は、法学について詳しい知識がなくても「法学部卒」になる。学位も「博士(法学)」とかになる。そういうところは学部の内側で法学専攻と政治学専攻に分かれていると思うので、法学部に入学したからといって法律の教育を受けているとは限らない。
なので、「法学」の学位を持っている人が全て法律の専門家とは限らない。ひょっとしたらアメリカ政治の研究者かもしれないし、ドイツ近代史の研究者かもしれない。あるいは政治哲学を講じているかもしれない。そういった人たちが日本の実定法について一般人よりは多少詳しいよね程度の知識しか持っていなかったとして、それはまったく不思議ではない。
学部・学位の名称と専門分野がリンケージしないというのは割と多い。たとえば歴史学・哲学・心理学なんかは多くの大学では文学部で教えられている(社会学なんかもここに入るかな)。結果として、「博士(文学)」(ただし文学のことはよく知らない歴史学者)なんてものが量産される。文学の知識がないのに「博士(文学)」を名乗っているのは別に彼らの責任ではなく、日本の大学と学位授与のシステムがそうなっているんだとしか言いようがないし、三浦瑠麗の「博士(法学)」も同じことだ。
もちろん、デタラメな法知識を知ったかぶってひけらかすのは恥ずかしいことだし、著名人がtwitterでそんなことをやったら炎上するのはしごく当然であり、その点で三浦瑠麗に擁護の余地はまったくない。存分に恥をかくべきだ。
だが、法学博士なのに法律について無知なのか、というような責め方あるいはあげつらい方をするのはおかしい。東大で政治学を専門に学んだ者の学位が「法学」になるのは彼女の責任ではなく単にそういうシステムだというだけの話であり、政治学について多少なりとも学術書を読んだことのある者なら経験的に知っている知識のはずである。そのような責め方は許容することができない。
あと農学部卒なことをあげつらうと小熊英二に返ってくるぞ。彼も学部は農学部出で修士から文系の院に入り、現在ではちゃんとその分野の学者として認知されている。学部まで理系として過ごしても、その後文転して良い業績を挙げているのなら何ら問題はないはずだ。もちろん学部教育というのは専門知のベースになるものであるから、「違う学部だったの? ああ、道理で……」みたいな事例が多々あることは否定しないが、三浦瑠麗憎しのあまり理系から文系に移ってきたという経歴を叩くなら反対する。似たような経歴を持つ別の学者のために。
なんというかもう、お前ら、流れ弾やめーや。
・ともに佳作
・他の受賞者なし
・その年でこの賞は廃止
三浦瑠麗は、東大農学部にいた時は旧姓の濱村瑠璃と名乗っていた。
1980年生まれの湘南高校出身で、東大在学中にベインキャピタル(ミット・ロムニー元共和党大統領候補が所属していたファンド)に現在務める、福岡出身の三浦清史(親族がどうもアメリカ人生物学者である)と結婚している。
湘南高校エリートといえば、石原慎太郎、岡本行夫、浜田宏一を戦後は輩出した進学校であり、戦前は海軍兵学校の予備校的な存在だった。
湘南高校出身者のネットワークとして、「湘友会」があり各地方や海外、クラブ別、企業別の支部も存在するという。
三浦女史の兄弟は金融庁勤務を経て今はシカゴに留学中の妹がおり、弟は東大で国際関係論を学んでいるようだ。
要するに、現在の日本の「東大パワーエリート」とはこういうものだ、という見本のようなファミリーである。
私が三浦女史がアメリカと日本のそのカウンターパートの受け皿としてかなり計画的に、かつ組織的に育てられた人材であることを直感したのは、
彼女と夫が東洋経済が主催した「高橋亀吉賞」という経済学論文賞を同じ年に夫婦で同時受賞していることだ。
しかもともに「佳作」。
他に受賞者がいないというのも驚きである。
この論文の審査体制に疑問が生じるが、やはりというべきか、2014年を持ってこの論文賞は廃止されている。
このように経済、安保、農政と様々な人脈があって、東大国際政治学者・三浦瑠麗は準備されていた、ということだ。
そしてイスラム国事件を論じる「ニューリベラルの論客」としてデビュー。
https://blogs.yahoo.co.jp/kinakoworks/13112404.html
三浦 瑠麗氏 法学博士、東京大学大学院法学政治学研究科 ポスト・ドクトラル・フェロー
「長期的視野に立った成長戦略 ― ワーキングマザー倍増計画」
http://www.toyokeizai.net/corp/award/takahashi/2010/
安倍マリオ「森喜朗会長が総理に提案」 五輪組織委の武藤敏郎氏が語る
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/22/abe-mario-and-mori_n_11657360.html
平成29年11月29日規制改革推進会議 大田弘子氏と安倍総理
https://www.kantei.go.jp/jp/content/29kiseikaikaku01.jpg
金融緩和に積極的なリフレ派として知られる早稲田大学の若田部昌澄教授
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-12-13/P0VQ9Q6TTDS001
古市憲寿は社会学、落合陽一は学際情報学で分野は確かに違う。だが、古市憲寿を使うほとんどの場面で、落合陽一の方が良い仕事をすると思う。
UXを専門にしているが、これほどなイベントは他に知らなかった。
恥ずかしながら、buildersconへの理解がなく、特典をみて個人スポンサーへと申し込んでしまった。
しかしながら、行ったところ、個人スポンサー特典で約束されている「別途用意の部屋での充電等が可能」というのはなかった。結局は一般参加者と変わらないし、懇親会まで立ちっぱなしが多いし、充電もできないし、何のために15,000円払ったかよくわからない。
個人スポンサー特典が契約であると仮定するなら、全く契約を遂行しないという運営にはしびれた。
◯ 会場費は最低単価であるはずなのに経費はどこにいった
私はbuilderscon tokyo 2017に、懇親会のためにいったわけでも、朝食のためにいったわけでもなく、セッションを聞きにいったわけだ。登壇者がコンテンツであり、そのコンテンツを「1. 快適に」「2. 楽しむために」個人スポンサー料金を支払った。
しかしながら、快適に、という部分は、座れる部屋どころか電源がある部屋も案内されなかった。じゃあ、楽しむために、はどうだったかというと、楽しくなかったわけではない。けれど、その登壇者ってゲスト以外は何も支払われていないんでしょ?
簡単に考えて、7,500円と15,000円の間を雑にとって1万円が100人としても100万円。スポンサーの協賛費で100万を切ることはないと思うと最低200万円。
それに対して、カンファレンスで一番お金がかかる部分は「慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科にご協賛いただけることになり」(会場費協賛)でかかったとしても会場費は最低単価なはずなのに200万円はどこに消えた。
そう思うと、懇親会の食事はおいしかった。知りうる限りのカンファレンスで一番おいしかった。フルーツもよかった。
朝食もいろいろでてたし、あれ、ん?ということは、私が受益するはずだった快適さも、コンテンツメーカーであるはずの登壇者にも支払われずに、何となくイベントの格を高めるところに使われたの?
そういえば、何か顔をだして写真撮影するパネルも奥の方にあって、話を聞いたら「このために作った」と言われた。
ん?
◯ 「知らなかった、を聞く」というコンセプトはどこに
いろいろ聞いたけど、みんな「知らなかった」ってどれぐらいあった?結局はいろいろな分野の登壇者集めてしゃべってもらっただけでコンセプトとかなくない?
別に人件費とるなといわないし、ぜひ日給はとってほしいけど、スタッフって当日そんなに暇だったの?
そんな弁当食べてる時間あるなら、個人スポンサーの特典ちゃんと用意するなりやることあったよね。「すばらしいイベント」をつくりあげるために、スタッフ弁当も懇親会も朝食も最高級のものではないといけないってこと、あるの?
UXは時間軸に分けられることが多く、そういう意味では予期的UXはすばらしかった。他のカンファレンスにみられない高額な参加費、ちょっと行きにくい場所、豪華なベストスピーカー賞の用意。すばらしく予期的UXは高かったといっていい。iPhoneを買った時の開封の儀と雰囲気は似ている。
けど、実際あけたら、iPhoneどころか、文鎮が入ってた感じしかしなかった。予期的UXが高かったからこそ、「これもだめ」「あれもだめ」というすばらしいUX体験をさせてもらった。
いろいろ書きたかったけど、もう書くのも馬鹿げてるからやめておく。
とりあえず、私は来年いかないし、周りにもやめておけというつもり。箔付けをしたいなら、違うやり方の方がいいと思う。あれはスピーカーもスポンサーもみんな気の毒だ。
東大医学部の面会交流論文が、話題となっている。http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
DVを行ったとされる父親との面会交流を行っている子どものほうが、行っていない子どもよりも、ひきこもりや抑うつなど、精神的問題、行動上の問題を抱えやすい、という論文である。
この論文は、フローレンス・駒崎弘樹氏が3月末にそのブログで、面会交流によって子どもの心が壊される、という彼の主張を裏付ける「エビデンス」として紹介したことを皮切りに http://blogos.com/article/215491/ 、4月末に行われた「当事者の声を国会へ」と題する衆議院第一会館での院内集会や、「「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会」による「第20回学習会 ハーグ条約と親子断絶防止法案」 http://jinkenkankokujitsugen.blogspot.jp 等でも取り上げられたようであり、さらに5月5日には産経新聞にも紹介された。
つまり、これは、現在、国会議員らによって提出が検討されている「親子断絶防止法」の策定を左右しうる重要論文である。
日本では、別居親と子どもの面会交流は、家庭裁判所が間にはいる場合、月1〜2回、4時間程度できれば良い方で、高葛藤や面会拒否が強い場合は月1回に2時間未満のことが多いと思われる (参考: http://oyakonet.org/documents/report_h2308.pdf )。DVがあったとされる父親であれば、その頻度・時間はさらに減少するだろうし、FPICのような第三者機関の補助を得て行うことがほとんどで、面会交流時にDVあるいはそれに近いような行為をすることは稀であると考えられる。父親も子どもを愛おしく思い会うでのあるから、短い時間の中ではその子どもを喜ばせようとすることが多いであろう。そのような状況で父親に会うだけで、本当に子どものひきこもりや抑うつの危険性が高まるというような因果関係が本当にあり得るのだろうか?
そこで、研究論文を読むことのできる有識者にこの論文を読んで学術的に評価してもらった。そうしたところ、この論文は、きちんとした学術研究のレベルに達していないひどい代物であるようだ、ということがわかってきた。
研究対象としている母親の数がわずか38名、面会交流を行っている子どもの数が19名、面会交流を行っていない子どもの数が30名と、この種の簡易なアンケート形式の研究としてはNが圧倒的に少ない。混交要因の統制が全くなされていないどころか、群毎の基礎的統計の記載すらない。各群の基礎的な数値(Demographic characteristics)が両群でまとめて書かれてしまっていて、分けて記載されていないのである。つまり、母親の学歴・収入、精神疾患罹患の統計値、離婚の有無、別居からの経過年数、子どもへのDVの有無・程度などが、各群で分けて記載されていない。加えて、両親間の葛藤の強さ、裁判・調停・審判などの有無、なども混交要因として示されるべきであろう。これらの混交要因候補の指標のうちいくつかについては、この程度の少ないNであれば、各群で偏りが出てしまうことのほうがむしろ普通である。本来、これらは分けて記載すべきなのに分けてないということは、これらのどれかで差が存在してしまっているので、それを意図的に隠蔽している可能性もかなりあると推定される。対象の被験者集団は非常にヘテロな集団で、僅かなサンプル数しか取得していないにも関わらず、これらの指標について群ごとに示していないようなものは、まともな調査研究と言えるレベルのものではない。
「面会交流を行っている子ども」が父親と面会交流を行っている頻度の平均が、なんと僅か平均2.2回/年。Nもたったの19名。そのSDが2.2でレンジが0.5回~6.5回/年。年間2.2回というのは半年に一回しか会わないということであり、年間0.5回の面会交流というのは2年で一回しか会わなかったということ。しかも、この研究では、DVをしていたとされる父親との引き離しからの平均年数が6.9年も経っているのである。仮になんらかのDVがあったとして、引き離し後に7年もたったあとの、そのような僅かな回数の面会交流が、引きこもりや抑うつのリスクを統計的に有意に上げることは、常識的に極めて考えにくい。
この研究は、質問紙を使ったアンケート形式のもの。回答を行ったのは子ども本人ではなく、DVを受けたと称している母親。最近のことであるので、当然、親子断絶防止法のことも知っている母親が多いであろう。回答者が研究の(政治的な)目的を知った上でバイアスのかかった回答をしている可能性があり、そのような可能性を排除するような工夫が全くなされていない。
方法によると、リクルートされた69名の母親のうち、8名が「精神疾患に罹患している」という理由で除外されている。除外されていない回答者の中にも精神に問題がある人がいるようであるが、除外の明確な基準は何か?都合の良い恣意的な除外なのでは?また、回答した60人のうち、22人が、「質問に全部回答できていなかった」という理由で除外されている。合わせると実に35%もの被験者が除外されているのである。このような被験者数がごく僅かの調査において、全ての質問に回答しなかった、という理由のみで除外することが許容されるのか?この研究では、各質問について統計解析を行っているのみで、それらの統計を行う上で、「質問に全部回答する」ということは全く必要とは言えない。つまり、除外する必要がない人を多数除外しているのである。これは、後付で、そのように除外することによって「有意差」が得られるからではないのか?
このジャーナルを出している出版社はいわゆるpredatory open access publisherに分類されている。以前、過去にどこかで発表された論文をたくさん集めて無断で掲載していたことをNature誌に報道されたこともあったり、意図的にでたらめな論文を作成し投稿された論文を掲載してしまったり、無断で研究者を編集長として掲載していたり、という前歴のある「ならずもの出版社」の一つ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Scientific_Research_Publishing 当該の論文を掲載しているOpen Journal of Nursingも編集長を調べると、教育しか行っていないような大学教員であり、責任著者としてはこの10年で1報しか論文を出していないような人である。このジャーナルは、医学生物学文献の権威あるデータベースPubMedにも、もちろん掲載されていない。この出版社のジャーナルではまともな査読がなされていない可能性がかなりあり、筆者らの所属大学を筆頭とする多くの日本の大学が、この出版社をうまく利用してしまっている事実が指摘されている。https://science.srad.jp/story/15/12/07/0554222/
上記の各ポイントは他の標準的査読が行われている科学雑誌では指摘されるのが当然であり、普通はこのままでは受理はされない。であるからこそ、このような出版社のジャーナルから発表している可能性が高い。
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以上のような深刻な問題を抱えている論文であるため、その有識者は、この論文の著者にデータの開示や、群毎の基礎的統計の提示を求めるなどの連絡を責任著者に対し行った。当初、責任著者からは何の返事も得られず、そのため、その責任著者の所属の学科長にも連絡を行った。それでも何の返事も得られなかったため、所属大学の「科学研究における行動規範に係る不正行為に関する窓口(本部)」に通報を行った。
文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf
「研究者に対して一定期間研究データを保存し、必要な場合に開示することを義務付ける規程を整備し、その適切かつ実効的な運用を行うこと」
を義務付けている。
「国立大学法人東京大学における研究活動上の不正行為の防止に関する規則」
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07410491.html
には
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とある。
当該論文は、国の立法に影響を及ぼすことを目的として各所で用いられているのであり、データとその解釈に科学的に正当な疑義が提出されており、また開示しない特別な理由もない以上、データ開示の必要性があるのは疑いがないところであろう。
つまり、この定義によると、再三のデータ開示の求めにも応じず拒否し続ける責任著者らが、この規則に違反しているとみなすこともできるであろう。つまり、この規則によれば、この論文の著者らは、ある種の不正行為を行っている可能性があることになるのである。
この通報後、窓口担当者らは、本件について医学部長らと議論し、その結果、この論文の責任著者はその有識者に回答のメールを送付した。しかしながら、その回答には、
・倫理委員会で承認された研究手続きを逸脱することになるのでデータは開示できない、
・混交要因の候補の変数について両群で比較した結果、有意差はなかった(実際の統計値の提示は全く無し)、
・その他は、科学者コミュニティーでオープンに議論すべきなので、当該Journalにletters to the editorとして質問せよ、
との主旨の内容があるのみで、リクエストや指摘の重要ポイントについては、実質的な回答は全く得られなかった。
その有識者は、4月26日にその論文のウェブサイト上のコメント欄に上記ポイントについて書き込みをした上、議論を行うよう著者にメールにて依頼を行ったが、著者らからは、5月9日現在、何の返事や回答も得られていないとのこと。
http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
著者らの誠実な回答と、著者らの所属大学による速やかで適切な対応が期待される。
その有識者は、こんなことを言っていた。
「科学の基本は「エビデンス」ではないのか?そしてその「エビデンス」とは、データそのもののことではないのか?そのデータがなぜ有識者にすら提示できないのか?連結不可能匿名化されたデータであれば提示はできるであろうし、すくなくとも重要な混交要因候補について各群ごとの統計数値のテーブルくらいは提示すべきではないのか?
データ不在で第三者による検証ができないような「科学」は、もはや「科学」とはいえないのではないか。それは控えめに言って疑似科学、さらに言えば、科学の名を借りたカルトである。そんなものに、国の立法が影響を受けること、そして多くの人々の生活が影響されることがあってはならない。」
・・・・・
以下、5月15日追記。
「ブログの文章を読む限り、分析の妥当性をめぐる疑問のように思われました。そういうことを、「不正」などと言ってはいけないと思います。」
との指摘をツイッター上でいただいた。
しかし、このブログで指摘した不正の可能性は「分析の妥当性」についてではない。指摘したのは、リクエストに応じてデータを開示しないことについての不正の可能性である。
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とあり、これに違反しているのではないか、という指摘である。この点、ご留意いただきたい。
・・・・・
以下、5月29日追記。
「東京大学大学院の研究グループが面会交流による子どもへの影響などを初めて調査した結果だ。」
「面会交流は子どもにとって良いことだと言われるが、DVがあった別居親との面会では、こどもたちは長期にわたり悪影響を受けている。」
などと、面会交流が子どもに悪影響を与えたと因果関係として紹介されている。
しかしながら、当該研究は単なる相関を調べた調査であり、しかも上記のように混交要因についてきちんと吟味されておらず、(仮にデータそのものが正しかった場合でも)因果関係については主張することは極めて不適切である。相関と因果関係の区別をしないという、基本的な誤りをおかしているといえる。
以下、6月28日追記。
春名氏による当該の論文サイト上での回答を受け、親⼦ネット、中部共同親権法制化運動の会、親⼦断絶防⽌法全国連絡会などが連名で、東京大学の窓口に不正疑惑の申立を正式に行った。
「全国連絡会は構成団体及び杉山弁護士、石垣臨床心理士と連名で「春名めぐみ 東京大学大学院医学系研究科准教授」の論文に対する下記申し立てを同⼤学科学研究⾏動規範委員会に対して行いました。」
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20170414-00069915/
今話題の山川PMは、京大の博士(課程)。やはり優秀だと思う。
From brain to business : 脳の環境適応戦略から企業の環境 適応戦略を紐解く 山川義徳
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/136459/1/ynink00396.pdf
Neurosci Lett. 1999 Dec 24;277(2):103-6.
Contribution of mGluR1 to the basal activity of a mouse cerebellar Purkinje neuron.
Yamakawa Y, Hirano T.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10624820
京都大学理学研究科の現在の研究科長、理学部長との共著論文。大物研究者との共著論文。しかも、著者は2名。
これは、学部、修士の時の研究を論文にしたものでしょうか。修士の時の研究が英語の原著論文になったというのがすごい(短いですが)。
京大の課程博士の審査では、違う研究科での業績も、審査の対象にできるんですね。
Biochem Biophys Res Commun. 2001 Sep 14;287(1):27-34.
Molecular cloning of Bombyx cerebral opsin (Boceropsin) and cellular localization of its expression in the silkworm brain.
Shimizu I, Yamakawa Y, Shimazaki Y, Iwasa T.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11549248
工学部出の人が、学部卒で就職せずに大学院工学研究科博士前期課程に進んだぐらいのことで
「研究者を目指す」と勝手にみなして正業を放棄しただの、リスクが高すぎるだの、人の道を踏み外しただの的なことさんざん言ってくるような人達
どうにかしてほしいんだけど。ある程度以上の理工系なら修士ぐらいは普通っていう自分の感覚は異常なの?
追記
すみません。トラバ返しで弁解したはずが、見てもらえてないようなのでこちらにも書きます。
「正業を放棄しただの、リスクが高すぎるだの、人の道を踏み外しただの」と自分が研究者に対して思ってるわけではないです。
たまにTwitterで、bioに「IS14er」「IS15er」「IS16er」と書いている人を見かけますよね。
え? 見かけない? ならあなたがその程度の人間だったまでです。
実はこれ、東京大学理学部情報科学科の学生(または元学生)を意味する言葉です。ISはInformation Scienceのことだったんですね。
例えば「IS16er」の場合、「2016年に東京大学理学部情報科学科に進学した学生」ということです。
ただし、一点注意すべき点があります。東京大学には「進学選択」という制度があり、学科に進学するのは3年生になるときです。ですから、IS16erは「2016年4月に東大に入学した学年」ではなく、「2016年4月に3年生に進学した学年」にあたります。
現在(2016年12月)はIS16erまで存在するはずですが、Twitter上にはIS17erを名乗る人達も存在します。
実は、進学選択は2年生のうちに進学先が内定する制度になっていて、既に2年生でも誰が情報科学科へ進学するのかは決まっているのです。その人達がIS17erということになります。
この時期は東京大学の1年生に向けて各学部のガイダンスが行われる時期です。1年生はそれを参考に、どこの学部・学科に進学希望を出すか決定します。
先日の理学部ガイダンスに来たひとたちの中にはまだ見ぬIS18erがいるというわけです。楽しみですね。
CSとはComputer Scienceのことで、これは東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻のことです。この大学院はISerが最も多く進学する大学院です。
博士をとってから大学で博士研究員として1年ほど働いたが、先日、民間企業から内定をいただいて大学を去ることになった。転職の活動をする中で思ったことを書き残しておきたい。自分と同じ程度に何も考えず、ちゃらんぽらんに博士課程に進もうとしている人の参考になればよいと思う。
1.スペック
男29 バイオ系 医学研究科所属(non-MD) 特筆すべき業績は無い
いわゆるピペド的な分野だけど、医学系に所属していたことが就職にプラスとなった模様。
1日6時間勤務で時給1670円。つまり日給1万円。額面20万程度なので、手取りは16~17万ほど。残業手当や休日出勤手当についての規定はいろいろ事細かに書いてあるが、残業や休日出勤は存在しないことになっている。生物相手の仕事なので6時間の中で全ての仕事を収めることが不可能である。場合によっては夜中に始めなければいけない実験もある。また、生物には曜日も関係ない。大学院生の頃、研究室に行かない日は年10日ほどだった。卒業前、ポスドクになってもそのペースで仕事ができると思っていたのだが、お金をもらう身分になるとそれができなくなった。給料が発生しないのに研究室に行くことが馬鹿らしくなってしまった。こういうことを言うと、休みがほしいと言ってるようでは研究者に向かない、と言われたりするのだが、そういう問題ではないだろう。だって、こちらは契約書を交わして雇用されている身分なのである。そういう意味では民間企業で働く人と同じだ。上の言い分がまかり通るなら、サービス残業ができないような会社員だって、その会社の仕事に向いてないと言ってよいことになるのではないか。少なくともこれまではてブ等で言われてきた基準から考えれば、即退職すべき職場と言えるはずだ。
これはうちの大学だけの問題ではなく、どこの大学でも聞いてみると似たような人が居る。教授たちはポスドクの生活について特になんとも思っていないし、月20万も出してやれば逃げていかないと思っているらしい。「サイエンスにサティスファイ」していれば飲まず食わずでやっていけると思っているのだろう。
それでも、百歩譲って、自分の好きな研究をしているなら、お金をもらわずに働いてもまだ納得がいく。しかし、雑務に追われて研究ができない大学教員同様、ポスドクも上でオーバーフローした雑用をこなしているだけで時間が過ぎていく。毎週末出張に行かされたり、インターンの学部学生の面倒を見たり、他大学の学生やスタッフに技術指導をしたり、シンポジウムの運営を手伝ったり、種々の書類を書かされたり、というのが日々の業務である。それでいて、世間からは、研究者なんて劇団員とか芸人とかそういう類なのだから待遇が悪くても仕方が無いだろう、お金がもらえるだけいいでは無いか、というようなことを言われるので腹が立つ。
活動期間はトータル4ヶ月。ただそのうち一ヶ月半ほど忙しすぎて何も動けない期間があった。覚えている限り、13社応募した。うち、3社は転職エージェントと音信不通になった。2社は転職エージェントから応募を断られた。残りのうち、4社は書類で落ちて、4社で面接に呼ばれた。最終的に2社から内定をもらった。
専門知識が活かせそうな職であれば、研究職、非研究職に関わらず応募した。そのため、最初は何がやりたいのかもはっきり固まっておらず、書類審査に通りにくかった。後半は、希望の業界や職種が絞れてきたことと、求人票から書類審査に通りそうなものがある程度わかるようになってきたので、思ってたよりもあっさり終わった。
巷では博士まで行くと就職が無い、特にバイオ系は終わっているというような話が多かったので、活動を始める前は心配していたが、別にそんなことはなかった。ただ、研究職に絞っていたらそう早く決まらなかったかもしれない。自分の実験技術はニッチな職人芸で、企業の研究で活かせるかというと微妙だったし、業績も研究職を目指すには寂しいので書類選考がかなり厳しかった。それに、やっぱり分子生物学を直接活かせる分野はまだそんなに無いというのも思った。
博士課程で身につけるべき専門性やスキルは、研究以外にも活かせる道があると思うので、研究以外のことにも興味を持てる人だったら、博士まで出たからといって特に就職で不利になることはないと思う(能力的に博士として平凡な人でも)。
4.博士進学すべきか
私は博士進学したことを全く後悔していない。ポスドク期間は精神的につらかったが、大学院生の間は、研究を通じてエキサイティングな経験ができたと思う。
博士を取るのは、学士や修士に比べたらかなり大変ではあるが、その分、達成感がある。私は基礎研究分野なので、その視点に絞って言うが、博士というのは世界で初めて誰も到達してない場所まで登り、そこから新たな景色を見せることができた人に与えられる称号だと思っている。博士課程で行う研究なんて、そうたいしたものではないけれども、でもどんな小さなことであれ、世界で一番になる経験というのはなかなかできるもんじゃない。だから、もし学部や修士課程で研究を面白いと感じているなら、その先の山まで登ってみることは悪い経験にはならないと思う。
もちろん、リスクやデメリットはいろいろあるし、向いている向いていないもあるけど、条件が合えばリスクは限りなく小さくできる。博士課程に進学しようと思ったらお金が必要であるが、親から全く援助が受けられなくても、プラス収支で博士課程を卒業することは不可能ではない。最近、貧困の原因になっているとも言われている学生支援機構の奨学金だが、大学院で借りた奨学金は3分の1の確率で半額または全額が免除されることはあまり知られていないのではないか。免除されなかったら大きな借金を背負うことになるのでハイリスクな賭けではあるが、単純なギャンブルではないので勝率を上げることはできる。免除される枠は大学ごとに割り当てられているので、学内の相対評価で勝てれば良い。背伸びして良い大学院に入ると大変かもしれないが、小さな大学でアクティビティの高いラボに入れれば免除される可能性はかなり高くなる。私もこのパターンで、日本全体では平凡な大学院生だったと思うが、所属大学では上位に入れた。それから、最近はお金を出してでも学生を囲いたい大学院もあるから、この辺をうまく使えればお金がなくても進学は可能である。卒業後の就職のことに関しては上に書いたとおりである。実感として、そんなに不利だとは思わなかった。研究を続けるか別の道を歩むかの決断はあるかもしれないが、仕事を見つけること自体は難しいことではない。
優秀な人が将来の懸念から、博士過程を避けるようになっているという話をよく聞く。それがどの程度本当なのか私はよく知らないが、本当だとすれば残念なことである。真に優秀な人はおそらく研究者として残っていけるだろうし、別の道を探すことだって難しくはないだろう。重要なのは進学前の情報収集だ。良い指導者(色々な意味で)に出会うことは極めて重要である。
5.学術界に言いたいこと
それはそうと、博士課程を卒業した後、ポスドクの待遇は酷い。なんなら、学生のころよりも生活が苦しくなったりする。私の待遇でも、社会保険と厚生年金に入れるだけ全体としてはマシだと言われるようなレベルである。
博士まで取った人なら、仕事くらい自分で見つけてこられるだろう。だから、別に今いるポスドクをみんな救済しろと言いたいわけではない。ただ、せめてルールくらい守れと言いたいだけだ。大学や予算枠の規定で仕方がないのか知らないが、秘書や実験補助員と同じ枠でポスドクを雇用し、ポスドクにだけ特別な暗黙のルールを適用することはいい加減やめた方がいい(秘書や実験補助員は定時で帰るし、定時で帰れるように配慮される)。本来、研究者を時間給で雇うのが間違いなのだが、全員を正規雇用できないというのもわかる。だから、正規雇用されなくてもいいから、パートタイムで雇うならその規定をきっちりと適用してほしい。そんな中途半端な研究者は要らないと思うなら雇わなければいい。自分だって、ボスからポスドクとして残ってほしいと言われたから残ったのである。必要だと思うなら、必要性に応じてお金を出せばいいし、出せないなら逃げられても文句は言わないでほしい。
6.まとめ
大学院は超エキサイティングだったが、ポスドクの待遇が酷いため研究をやめることにした。
博士進学および研究は人生を賭けた博打であり、勝つためには運が多大に必要である。しかし、単に運だけで決まるわけではない。そこそこ得たいものを得て降りることは可能である。研究の過程を楽しく思えてかつ優秀な人には博士進学を勧める。