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2024-04-21

中学高校時代の友人の名をGoogle検索する

友人が近況をFacebookInstagram投稿していなかったり、SNS上での繋がりがない友人の近況を探すために、Google検索で探したりする。

しかしながら、情報大学まりで、理系だと論文が見つかる事で大学院に進んで修士課程所属している情報までは辿り着けたが、卒業後の就職先までたどり着けたのはごく少数だった。

他にはLinkedIn上でも検索したが、指折り数える程度だった。

2024-03-30

25歳で死ぬつもりが大学院に進学してしまった

2024年3月、某大学大学院の修士課程を修了した。2024年4月から同大学院博士課程に進学する。

大学院では臨床心理学を学び、研究に勤しんでいる。

さてここで、折角なので、ここまでの自分人生を少しだけ振り返ってみようと思う。

俺は、地元自称進学校中学校を出て、地元商業高校に進学した。そこに行った理由は、高校卒業したらとにかく働きたかたから。

小学校高学年の頃から、家を出たくて仕方がなくて気が狂う寸前だった。そんなんだから生きることに意味なんか見出せなくて、「ちょろっと働いて小金を稼いで、趣味サッカーをそれなりに楽しみ、さっさと人生畳んでしまおう」というのが中3で進学先を考えていた時の完璧人生設計だった。

何故そんな設計かと言うと、毎日死にたくて堪らなかったから。今でも少し。本当に、死にたくて堪らなかった。生きてる意味がなかった。ほとんど毎日、親や学校教員から理不尽に責められ、侮辱され、殴られた。友人と思っていた人間から屈辱を受けた。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や友人、社会への怒りだった。大好きなサッカーだけはその感覚を少し忘れさせてくれたけど、それが続くのは90分だけだった。

本当に、死にたくて堪らなかった。今でも少し。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人社会への怒りだった。それは今でも変わらないし、たまに自分の内側から顔を覗かせる。何かがずれていたら新聞の一面を鮮やかに掻っ攫っていただろう。

から、家を出たかった。サバイブするために絶対に抜け出さなきゃいけなかった。そのために、働いて家を抜け出して1人で生きる金を稼ぐために商業高校に通った。そこなら、高卒で働くのに有利だってって聞いていたから。3年耐えれば良いんだって、少し希望が見えた気がした。

20代後半まで生きてるつもりは想定してなかったし、できなかった。やりたいことなんてあるわけがいから、どうやって生きていけばいいのか、ほとんど分からなかった。

大学進学なんて微塵も興味がなくて自分には関係のない、想像もつかない世界の話だと思っていた。現在通っている大学院が旧帝大と称され、世界で有数の教育研究機関だなんてマジで知らなかった。

仰々しいかもしれないけど、もう本当に、とにかく目の前の一日を誰にも脅かされずに、心穏やかに慎ましく生きるために必死だった。そんな一日だけがしかった。その一日を安定して手に入れて、噛み締めるためには最低限の金が必要だった。

運が良いことに、その高校自分に合ってて、自分を受け入れてくれる最高に面白い人達にも恵まれた。バイトもして、稼いだお金は家の外で過ごす時間に充てた。そのおかげで家にいる時間も少しずつ減らすことができるようになってきていた。

さて、こうなると「意外と楽しくなってきたし、もう少し長く人生やろうか」なんて考えそうだが、それでも当初のプランに変更はなかった。心の渇きは潤わず、やり場のない怒りが消えるわけもなく、遅くても30歳で終了だと漠然と考えながら日々の空虚感を味わっていた。

3年間耐えれば全ての苦しみから解放されるはずだと、そんな未来祈りながら高校時代生活サバイブしていた。高校マジで毎日が楽しくて仕方がなくて、今更すぎるけど本当に関係者に超感謝してる。

そしてどうしてか、家を出て関東大学に4年間通うことになり、入ったゼミで最高の恩師と先輩・友人・後輩に出会ってしまった。

ここで完全に人生設計が狂った。

毎日が楽しくて仕方なくて、自分の居場所が少し見つかってしまった。自分が役立てる瞬間だとか、できることに気がつく瞬間にどんどん遭遇してしまった。ここでも人間に恵まれしまい、人生を取り戻したいモードに心が傾いてしまった。大学時代出会いは、本当に、人生が変わってしまうほどのものだった。感謝してもしきれない。

本当に、大学生の時は明日が来るのが全く怖くなかった。何なら楽しみで仕方がなかった。高校生までは、あんなに嫌で堪らなかったのに。眠っている時間学校にいる時間のみが心の安寧が保たれる時間であることに心底腹が立ちながら、勘弁してくれよって思いながら、そのまま一生起き上がらないことを祈りながら床についてたのに。

働いてさっさと死ぬつもりが、気がついたら大学院まで行き、修士を修めていた。今は博士になろうとしている。こんな人間大学院に進学しているなんて、人生はわからない。本当に運が良くて、人に恵まれたと思う。

といった感じで、俺はこんな人生を送ってきた。

俺について、周りの友人からは「よく分からない人間だ」と言われることが多い。

自分のことを基本的に話さないから当然だ。こんなことは話せないし、話すのが怖くて堪らない。話したところで何かが変わるわけでもないし誰も助けてくれないから、自分解決しなきゃいけないことだから、話す必要がないと思っていた。話してはいけないとも思っていた。それに、それでここまで上手く立ち回ってこれた。

けど、人に自分のことを話せないって超辛いんだなって最近理解できた。

俺は、自分のことを誰かに理解してほしかった。「君は悪くない」と誰かに言ってほしかった。

そんなことは人に伝えられないから、自分はタフで強いんだと言い聞かせて、そうあらねばならないと思っていた。自分1人で生きていけるように振る舞い、悩みを隠してなるべく人に頼らず生きていた。そのせいで「悩みがなさそう」とよく言われる。そんなことはない。

大学院まで進学して、完璧に強い奴はどこにもいないんだと気づいた。周りにその強さを求めていたけど、そんなの無理なんだって気がついた。自分が一番苦しい思いをしているって驕りがどこかにあった。そんなことなくて、何かしらの傷を皆が抱えていて、それでも必死に生きているんだと気がついた。反省した。そう思うと同時に、少し心が軽くなった。

今、少しずつ自分大事にして、心が充電されてきている。ようやく失った人生を取り戻せるところに来ている気がする。

博士課程に進学が決まり、少なくともあと3年間は生きてることが確定した。残りの人生設計はこれから考える。それくらいがちょうどいい。多くは望まないから、俺はそれで良いんだ。

2024-03-07

anond:20240307085903

自分で言うのもあれだが出身校を伝えたら高学歴といわれる部類(海外から見たら雑魚)でプライベートの知人友人で有名国立大院卒も何人かいるけど初耳だった。

院卒の人がいて学歴掘り下げたら修士課程とか専攻とかは聞くけど、年齢聞いて自分からM1ですD3ですなんて言う人は一人もいなかったな。

今の職場環境がど田舎大卒自体珍しいし友人たちとも会ったとき学歴云々細かく話すこともないからだろうけども。

anond:20240306193202

年齢の表現におけるM2って35歳~49歳って意味だと思ったんだけど20代からいきなり35歳ってどういうこと?

さらに言うなら20代前半の増田M2って女性から男性35歳以上になるってことかな?

 

他に意味調べるとme tooのスラングBMWの車しか出てこないかますますよくわからんくなったがようやく修士課程 2 年の意味発見

若いからなのかもともとなのかはわからんが自ら記した年齢要件学歴情報を加える辺り内面めんどくさいタイプだなと思った。

男だったら容姿がよっぽどよくなければ弱男まっしぐら

そして社会人ではなく学生なのな。

学生のうちに恋愛しておいたほうがいいか相手から発する情報をしっかり読み取ってがんばれ。

2024-02-07

anond:20240207130005

実は中退の方が優秀っていうやつやな

似た例では修士課程高卒がいることもあるね

2023-12-31

anond:20231231132650

ワイは築35年のアパートに住んでるで。

口下手やけど心は広いで。

部屋は汚いで。

高校時代帰宅部やで。

大学院修士課程出てるで。

最初就職中小企業やで。

結婚を考えた相手はいないやで。

ちなみに35歳年収750万円資産5600万円やで。

2023-12-20

SOS

国立大学工学部を2年留年し、修士課程を無事2年で終えて社会に出た20代後半の男。

高校卒業して大学に入るまではなんとかやってこれた。

いや、その頃から兆候はあったかもしれないが自覚することも指摘されることもなかった。普通に友達に囲まれ普通に部活活躍普通に大学入試突破した。先生の指示通り、周りに合わせていれば良かった小中高は人によっては地獄だったかもしれないが俺には天国だった。

俺の問題点は「やるべきことに取り組めない」ということ。

大学を2年留年したのも、研究室問題児だったのも、職場問題児なのも全てこれが原因。

やるべきことに取り組めず、時間けが過ぎ、抱え込んでもうどうしようもなくなって塞ぎ込み、直前も直前の土壇場になってそれを周囲に吐露して、なんとかなったりならなかったりして来た。

学部では講義を履修する教員から散々叱責され或いはバッサリ切り捨てられて来た。小中高では殆ど怒られることのなかった(甘やかされていたのではなく怒られる理由がなかった)親に毎日叱責されながら2年の留年半引きこもりを経て学部事務所経由で連絡をくれた研究室教授に迎えられた。その研究室教授や先輩や年下の同期に引っ張られ怒られながらなんとか学部卒業修士課程を2年で終えられたのだ。

職場問題児でありながらもなんとか食い繋いでいられるのは我が社が巨大企業であり、人財役割分担もしっかりしているからに他ならない。現在労働法は俺のような問題児大手企業がバッサリ捨てることを認めていないのだ。ありがたいような申し訳ないような複雑な気分。

今やらなければならない仕事を抱えていると、それにどうしても手がつけられずライブスケジュールや好きなファッションブランドサイトをチェックして時間が過ぎる。

いざ友人とライブに行こうと思えば、どうしてもライブスケジュールがチェックできず仕事書類作成したり調べ物をしてしまう。

いざ服を買いに行くとなると店舗に行くのもオンラインショップを見るのも憂鬱で、なんとか店舗まで足を運んでも結局試着が億劫で何も買わずに退店。

仕事納めも近いここ最近問題を起こした。抱えていた仕事に取り組めず相談もできず放置。その間、受験日まであれほど憂鬱で手がつかず結局人生最低点を更新したTOEIC勉強をノリノリでやっていた。そしてデッドラインの前日、線路飛び込みたい衝動必死に堪えながら出社して爆弾カミングアウト。叱責され泣きながら周りに土下座し、同僚や上司業務過多に追い込んでなんとか仕事完了させた。

俺はどうすればよいのか。

社会全体の効用を考えれば仕事を辞めて引きこもることが最善だろうが、やはり親のこと考えてしまうし自分人生を捨てることができない。

かと言って今のままでは周囲に迷惑をかけ続ける。

メンタルクリニック病院に行ったとして「あなた障がい者です」と認定されても、治療によってどうにかならないなら受診する意味はない。障がい者認定されたことを踏まえて仕事を割り振られたり、或いは「そういうあなた理解のある職場」みたいな所に行って規則マニュアルに沿った作業をして生きるのは、引きこもったり自殺するのと同じくらい嫌なんだ。

周りの同僚みたいに普通にやるべきことを期限までにやって、休日には週明けに暴露しなきゃいけない爆弾なんか抱えずレジャーの予定を立てて生きたいんだ。

もうどうしようもなくて年を越せる自信がない。

2023-12-16

anond:20231216161537

お前は俺か

非モテ28歳まで同じ思考してて本当に辛かった

でも騎士修道会巡礼騎士団について解説された本を読んで「一生童貞で使命に生きていた人間がいたのか」と思い自分視野の狭さに恥ずかしくなった。

工学部工学研究科修士課程を終えて技術者としてメーカー工場に勤務していたけど、仕事を辞めて医工学博士課程に進学した。

博士取得後は大学研究を続けたかったが縁あって現在会社入社し「内視鏡の見落としをこの世界から撲滅する」という使命に燃え仕事している。

お前にもある日Epiphanyが起こって女性だとか非モテだとか恋愛結婚ことなんか頭の隅から吹き飛ぶような使命を手に入れられることを願う。

2023-12-15

トップレベル数学者になるには一日だいたいどのぐらいの時間インプットに割くのが理想だと思いますか?

数学というのは研究の道具として使う知識理論にしても、学びすぎても学びすぎることがないぐらい、時間が許すならいくらでも学ぶべきことはあると思います

でもそれだと、先行研究理解するだけで自分では何も発見を生み出さな人生になってしまった…なんてことになりかねませんよね。

だけどインプットせずにアウトプットなんて当然できない…できても車輪の再発明になるのがオチでしょう。

ようはこのあたり平均的なの学問以上に特に時間配分に関するバランス感覚が大切になってくると思うのです。

一体アウトプットインプットの配分についてどれぐらいが価値のある成果を残すという目的にとって最も効率的理想だと思いますか?

補足

最低でも修士課程に入って以降、あるいはポスドクの話です。受験に受かるにはみたいなどれぐらい勉強いるかみたいな話ではないので勘違いしないでいただけると幸いです。

2023-11-17

anond:20231117110147

大学院に来る人たち

院卒で初めて一人前扱い。

同じく、院卒で初めて一人前扱い。しばしば、国内修士課程踏み台にして海外博士課程に行くことを目指す。

  • 金に興味がない

前二者以外に限って言えば、興味がゼロを通り越してマイナス。私財を出して研究する人たち。

2023-11-10

キングスカレッジロンドン(KCL)には、社会科学公共政策学部戦争学科があります。この学科は、政治国際関係学科が所属する学部です。

KCLは、1829年設立されたイングランドで4番目に古い大学です。ロンドン中心部のストランドキャンパスがあり、26,000人以上の学生が在籍しています2019年度のQS世界大学ランキングでは31位にランクされています。

KCLの戦争学科修士課程では、現代戦争関連のトピックに特化したコースがあります。

KCLの学費は、大学院の場合、平均$ 21,628(1$=110円換算:約238万円)です。イギリスでの生活費居住生活費で年間で約300万円)も含めると2年間で約1076万円程度は必要です。

2023-11-03

ウェイ!な弟は彼女ができない

小学校ピアノヴァイオリン中学校では吹奏楽部高校では弓道部大学と院はバイオ系の研究室所属しながら地元市民交響楽団でも活動していた。

初めて彼女が出来たのは中学生の時で部活の先輩だった。向こうから告白されて付き合った。相手中学卒業して高校に進学した時に別れた。

次の彼女高校生の部活同級生中学吹奏楽同級生に誘われ弓道部に入った。女子が多く男子が少なかったからか向こうから告白されて付き合った。

学部生の時に所属していた研究室女子が多かったからか研究室の後輩に告白されたが前述の彼女と付き合っていたので断った。

修士課程の時に先に社会人になった彼女に振られ、そのタイミング楽団大学から告白されて付き合い、卒業してから結婚した。

一方で俺と顔や体格がほぼ同じ弟は彼女がいない。小学校ではサッカー野球、中高は野球部、大学では派手なインカレサークルに入り、現在総合商社に勤務している。

高校生の時にはヴィレヴァンで買ったゴツゴツのネックレス香水をつけて坊主頭ギャツビーでツンツンにして男女数人で夏祭りに行ったり、大学でも派手そうな男女数人で旅行に行ったり、現在合コンなんかに行ってるようだが彼女ができず「女はマジで理想高すぎんだよ」と言っている。

明らかに弟は俺よりもスクールカーストコミュ力で優っているはずなのに、それ以上の男がいるコミュニティの中で勝負をしてしまっているかなのだろうか。

2023-10-26

anond:20231026001954

経済学とか文学かに問題集単語帳があって、それを暗記したり問題を解いたりするの?

資格取得を目指す系の学部だとまずはここから始まることが多い。

理系大学でも、1,2年などの基礎的な科目は何があってもこれかなあ。

問題集みたいに纏まってない事が殆どだけど。

論文とやらをたくさん書くの?

これは修士大学院の博士前期課程)以上ならこれ。ただしたくさんなんて書けないので、「ちゃんと書く」の方じゃないかな。

ただ、修士課程ではない普通大学生も、卒論のために研究活動の真似事をやるので、それを自分で調べて、どうやって「答えが無い」事を調べてまとめていくかと言うやり方を学ぶ事になる。

ゼミ?を頑張ると勉強したことになるの?

ならないですね。こう言う勘違いしてるアホいるけど。

ゼミナールはあくまでも続けている研究行為の進捗会議みたいな役割である事が多いのでは。

授業に出席するだけじゃ足りないの?

足りません。大抵の大学の授業は、授業の3倍以上の自習をすることを前提にカリキュラムが組まれている(と言う建前)になっていますちゃん自習しましょうね。

会社にいるアルバイト大学生がパートのおばちゃんに「バイトばっかしてないでもっと勉強しなきゃ」って言われてて疑問に思った。

これは「大学生という身分が使えるのは4年しかないが、バイトはその後でもできるだろ」と言う意味だと思います

じゃ、大学生って何を勉強ってなるのさ

色々な説はあるだろうけど「教科書にない専門的な事を自分で調べ自分で学ぶ方法」がメインじゃなかろうか。

あるいはもう一歩進んで、「大学生」って看板を使って色々とやってみることまでいければよい。例えば若手の社会人がそれなりに名が通った人に話を聞きたいとか言っても門前払いだが、大学生だとスッと受け入れてくれたりすることがある。

地方国立大とかだと結構看板バカにできなくて、いろんな事ができるから、それを最大限利用することもできたらいいんだろうと思うけど、まぁ卒業してから気付くよねそういうのw

2023-10-09

友人にずっと見下されていたかもしれない

私には中高から仲の良い友人がいて、その内のAは私よりも頭が良く、私は高校時代はAから勉強を教わることもあった。Aとは高校卒業後もずっと交流が続いていた。

大学受験の際、私は現役で志望校に進学、Aは旧帝を目指していたもの二浪後別の大学に進学した。

その後、私は修士課程修了後就職し、Aは修士課程を修了後、博士課程からは旧帝に編入した。

Aは博士課程を4年で修了することになって今博士課程の4年生、私は社会人6年目となった。

○私とAの現状

私:学部4年間→修士2年間→社会人6年目

A:浪人2年→ 学部4年間→修士2年間→博士4年目

そして私は今年度から社会人博士として留学することになった。

そして先日、一時帰国の際に中高の友人達と会った。

その際Aは都合がつかないと言われたが、博士論文等で忙しいのだろうと思っていた。

しかし、共通の友人から、「Aが私(=増田)の社会人博士は苦労しているAへの当てつけでAをバカにしているという主旨の発言をしており、かなり私に攻撃的になっているからAへの近況の連絡やAに見れるSNS投稿は控えた方が良い」との話を聞いた。

衝撃だった。Aが博士課程修了後の進路で苦労しているのは知っていたが、まさか自分がそこまで言われているとは思わなかった。

ただ高校3年の時に私の志望校(旧帝ではない国立)を知っているはずのAが「旧帝じゃなければ意味がない」と言ったり、修士修了後就職した私の前で「今時は博士をとって本物の研究者」と言ったりしていたことを思い出した。当時はAは優秀ですごいと思っていたが、もしかしたらAからしたら自分より頭が悪いと思っていた私を心の中でずっと見下していたのかもしれないと気づいてしまった。

2023-10-02

渡邊裕子さん発言

・クオモがニューヨーク知事であることに感謝する日々。人間ブルドーザーのような機動力、機転の速さ、逆境でも負けずに戦い続けるスタミナ、明晰な説明力、人間味。

 

アメリカ社会暗黙のルールとして、人の外見に対するネガティブコメント基本的に全部アウト。それで笑いをとるのはもってのほかテレビでもやらない。

 

ジャニーズ問題で露呈した「子どもへの性犯罪」に甘い日本萌え絵カジュアルに消費される異常さ

 

プロフィール

ニューヨーク在住。1993年早稲田大学法学部卒業後、渡米。マサチューセッツ州立大学アムハースト校大学院にて政治学修士取得後、ニューヨークジャパンソサエティーに勤務。各種シンポジウム、国際会議文化講演会リーダーシップ交流プログラム企画立案運営に携わる。2006年ハーバード大学ケネディスクール大学院修士課程を修了、地政学リスク分析の分野での先駆者として知られる米コンサルティング会社ユーラシアグループに、日本スタッフ第1号として入社日本顧客担当チームの初代ディレクターとして、日本市場における顧客開拓と維持、メディアブランデング戦略商品開発、出版事業などの責任者を勤める。2017年7月ユーラシアグループを退社、11月まで同社のアドバイザーを務め、2018年約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年中東北アフリカ諸国政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社 HSWジャパン (http://hswjapan.com/index-jp.html) を2人の共同経営者と共にニューヨーク設立複数企業日本戦略アドバイザー執筆活動も行う。株式会社サイボウズ社外取締役

https://www.businessinsider.jp/author/Yuko_Watanabe/

2023-10-01

田舎の貧民が手っ取り早く人生好転させるには

から通える地元国立大学工学部情報学科

その大学大学工学研究科修士課程情報系)

就職して上京

ってなるの?

2023-09-23

地方国立工学部工学研究科修士課程→一次請けSIer勤務という経歴のしがないサラリーマン

前に携わった仕事国家公務員キャリアの方がいて、官僚なのに分析力や思考能力が高くて興味を持った。話してみると法学部卒だけど入学理科一類ということで納得。

学部関係なく、大学受験には記述式の数1A、2B、3と理科英語と同様に必須にして、文理関係なく微積分と線形代数実験を必修化したら大学卒業者の平均的な能力底上げされそう。

それが無理な人間大学から弾けるってのもあるし。

2023-09-04

anond:20230904123141

子供が「諦め」たくないなら今すぐ勉強すれば良いだけでは...?

でも文系修士課程に行こうとしたり理系でも理学系でD進しようとしたりしたら「いい加減諦めて働けよ」って言うでしょほとんどの人は。

2023-09-03

新卒で入ったJTCを辞めて博士留学を始めた。

〜はじめに〜

私は新卒入社した企業をたった2年で辞めてアカデミアの世界に戻ってしまった。

周りから見たら堪え性のない最近の若者って感じだろうな。

共感してもらえるとは思わないが、なんとなく聞いて欲しくて書いてみている。

就職するまで〜

国内国立大学修士課程卒業して新卒でJTCに入社した。

分野は特定されたくないのでぼかす。

恐らく日本人なら誰でも聞いたことがあるメーカーだ。

入社した理由は周りの多くが修士を出て大企業就職してたから、お金もらって研究続けられるならそれでいいかと深く考えずに入社した。

元々研究が好きで就活時もR&D一本で就活していたので、結果的に見れば理想通りの進路だった。

業務内容について〜

最初研修を経て研究職として地方研究所に配属され、近くの寮(一人部屋)で一人暮らしを始めた。

しか入社して半年程度で、自分仕事に全く楽しみを見出せなくなってしまった。

まず研究について。

これは企業なので仕方がないのだが、入社時に希望していた研究テーマ(仮にAとする)と大きく異なる分野に関わることになった。

Aは就活当時に海外研究が盛んになっている分野で、産業的に日本にも入ってくるかどうかというタイミングだった。

就活の時には研究所の偉い方々とAの話で盛り上がった。

事実、私が入社したタイミングでその研究も立ち上がったのだが、残念ながら自分メンバーではなかった。

正直、誰よりも興味があったし先行研究もそれなりに知っている自負があった。

勿論、新しい研究の立ち上げに加えて新卒教育なんて大変なのはわかる。

ただ自分にとって真横でAの研究が行われるのを傍観し、全く異なる別のテーマ情熱を注ぐというのは正直かなり無理があった。

上司と話す機会もあったし私がその分野に強く興味があることは知っているはずだが、どうもその上司育成方針からして私は何年経ってもその分野に関わることはないだろう事を悟った。


人間関係について〜

また入社時にはコロナ流行しており、半年たっても会ったことのない部署の先輩がいる程度に希薄人間関係が出来上がった。

元々研究所はその特殊性から人員移動がほとんど起きず、10年単位で同じ課にいる人がいる程度にはクローズドコミュニティだった。

普段なら人付き合いは得意な方なのだが、その閉鎖性とマスク越しで想像し難い同僚の表情に勝手に畏怖してしまい、必要以上に気を遣う付き合い方を始めてしまった。

気づけば半年も経つ頃には人付き合いに対して過度に気を遣って自滅してしまい、人付き合いに楽しみを見出すことが出来なくなってしまった。

家と会社を往復して酒飲んで寝るだけの生活に終止してしまい、家族や友人にも会えずなんのために会社で働いているのか分からなくなってしまった。


待遇キャリアについて〜

また、自分の周りの方々を見ていると自分キャリアがこの先どのように進んでいくか、人生が概ね見えてしまった気がした。

新卒年収が400万、3-5年ごとに100-150万ずつ上がって、40代でもし課長になれば1000万超えるとか、そんな感じの年功序列が色濃く残る給与テーブル

研究員は10年とか努めたら突然の辞令研究員ではなくなり、別部署主任になるのが大半みたいな。

大体三十歳前後結婚して、近くに家をローンで買って、子供育てながらずっと勤め上げるみたいな。

恐らく多くの人から見たら幸せ人生なんだと思う。勘違いして欲しくないのは、私はそれを全く否定していない。

それでも自分には魅力的に映らなかった。

まず第一に、自分研究が好きで博士号に憧れを持っていた。

日本では取っても食えない足の裏の米粒とか言われているが、それでも私は研究に携わる上でいつかは博士号を取得したいと思っていた。

入社当時は社会人博士等も考えたのだが、会社としては肯定的ではなかった。

研究所にも関わらず職場では実務には必要ないという考えが主流で、事実博士号を持っている方々もそれに見合った待遇は全くなかった。

しろ時間と金をかけているのにほぼ年功序列のため、同年代の同僚と加えて損しているような状況であった。

もちろん全ての会社がそうではないと思うが、私は博士号を良しとしない日本の風潮と会社に大変に失望した。

また別の理由として、人生で一度は海外生活してみたいという強い思いがあった。

元々いつかは海外駐在をと思って会社を選んだが、入社してから研究員として駐在するというポジションはなく経理営業ほとんどであることも知った。

それどころか会社研究員を続けたら海外に行く機会はなくなり、10年も腰を据えればある日突然の辞令研究員ですら無くなってしまうのだと理解した。

はいつか研究から離れるにしても、少なくともその引き際については上司裁量社内政治の巻き添えではなく、自分意思で決めたいと思った。



受験準備〜

入社半年上記のような数々のギャップを抱いた結果、海外博士号を取るという決断に至った訳である

どうやら博士号欧米では十分に評価されるらしいとか、海外大学院授業料無料生活費までくれると聞いたのが大きな理由だ。

よくも知らないのに受験して海外に来ているなんて、今思えばかなり無謀なことをしているように自分でも思う。

また研究世界はどこまでいっても英語公用語であるため、基礎的な学問母国語習得した上でなら英語研究遂行する能力必要だろうと考えた。

幸い職場ホワイトだったので、勉強する時間は存分に確保できた。

主に米国大学院に絞ったため、一年目の秋頃からそれに合わせて準備を始めた。

大学院留学には主にTOEFLIELTS使用されるため、私はIELTS選択してオーバーオール7.0まで取得した。

元々英語趣味だったので、こちらは半年程度で到達できた。

続いてGREスコアを取得した。

GREとはGraduation Record Examの略で、米国大学院受験する際に要求されるスコアだ。

ただ近年では研究能力と関連がないという意見も多く、廃止される大学も増えてきている。

こちらも半年程度で目標としていた点数(Verbal 150, M170, AW4.0) に達した。

2年目の秋頃から書類を揃えて本格的に海外大学院Ph.D.プログラム日本でいう博士後期課程)に応募を始め、三校から合格をもらった。

自分レベルに見合う中堅の州立大学をメインに受けたのでIvyのようなトップスクールではなかったが、それでも合格が来た時は本当に嬉しかった。

合格した中には修士時代に少し交流のあった先生からの誘いが含まれていて、これ幸いとそこを進学先に決定した。


退職まで〜

合格が決まったので退職職場関係者に報告した。

反応は様々だった。

新卒で2年しか勤めてないのに辞めるのかとかなり叱責してくる上司もいて辟易したりもしたが、実際会社から見たらただの不良債権なので仕方ない。

そもそも会社辞めて海外留学なんて叩き上げ管理職からしたら当てつけのように感じたかもしれないから、分かり合えないのは仕方ないと割り切った。

管理職ではない方々は割と優しくて、割と前向きに送り出していただくことが出来た。

大変に良い人が多かったので、コロナ禍でなければもっと良い交流を持つことも出来たのかなと少し残念に思った。


博士留学してみて〜

アメリカでの博士課程生活は大変に気に入っていて、現状は概ね満足している。

一度社会人経験してみて履修する講義はどれも面白いし、大学時代よりも自分に存分に投資できる時間を嬉しく思っている。

ただ給料が出るとはいえ大学院生なので、収入の面では下がってしまった。

現在給与は年間で大体$25,000くらい、日本円だと350万円くらいかと思う。この額は多分アメリカ州立大学大学院生の平均的な給与だと思う。

そもそも好きに勉強して研究するだけでお金が貰えるので、自分にとっては天国である

自分としてはむしろ授業と研究だけで350万貰えるのに、フルタイムで苦労して働いて400万しか貰えなかった日本大企業やばない?と若干思うところもある。

まあしかしアメリカ田舎なので物価は安めだが、日本の時と比べると生活費は上がってるので前より余裕はない。

大学院としては年間$30,000(約400万円)の学費免除経済支援の一部としているので、それを踏まえると待遇は上がったかと納得している。

残り2-3年で卒業を目指し、卒業後は現地就職する予定だ。

アメリカでは博士卒が民間就職した場合自分の分野では平均$80kから100kは貰えるそうなので、給与の面ではJTC時代を大きく上回る算段となっている。

周りをみても外国籍特に問題なく就職しているので、日本博士卒の就職難というような問題こちらでは無縁のようだ。景気さえ悪くならなければ大丈夫だろうと思う。

幸いビザ問題とある理由クリアできる目処があるため、卒業と現地就職を目指して今後も研究に励むつもりだ。

海外生活も日々新鮮に感じることが多く、自分にとっても成長を感じる機会が多くて楽しく過ごせている。

生魚や焼き鳥が恋しいが、日本食材自体は売ってるので思ったより食事が辛いということもない。


最後に〜

自分は体質的日本企業には合わなかったのだろうと思う。

元々人付き合いは好きだが、上下関係気遣いは得意ではないので大分ストレスに感じていたように思う。

年功序列自分には向いていない制度であったし、自分意志を介在せずに自分処遇が決まっていく組織というものにに耐えられない性分でもあった。

それでも日本大企業入社してみた経験自体は確かに生きていて、培ったマナーであったり規律等は学生上がりが多くカオスアメリカ大学院生活でも大変に役立っている。

自分別にアメリカを礼賛しているわけではないが、少なくとも私のような青二歳の外国人にも挑戦すれば機会が与えられて、能力があれば高い給与が貰える可能性があるのだとすれば、これは私にとってのアメリカドリームに違いないだろうと思う。ドリームというほど上振れてもないけれども。

同じようなことで悩む若者がいたら、少しでも参考になれば嬉しい。

2023-08-07

anond:20230806152814

言うまでもなく日本にも正規雇用図書館司書がいるわけで給料もたとえば地方公務員なら他の職員並で決して低くないですね。

正規になるのに修士課程必要なわけでもなく、むしろ日本の方がアメリカよりもハードルが低いのではないだろうか。

しかアメリカ場合専門職司書といえども雇用は安定せず、比較的安定してるのは大学図書館ぐらいだともいう。

2023-08-06

ところで欧米図書館司書専門職位は修士課程相当って知ってた?

なんか定期的に「図書館司書待遇悪すぎ!」という記事はてな村はてさ民会でバズっては

左翼新自由主義連合に「そもそも図書館司書なんてなりたいやつ多すぎ、市場価値無い、図書館自体電子化など先進技術についていけない無駄ハコモノ」とぶっ叩かれるのを繰り返し観測する。

まあそれ自体はいいんだけど、気になるのは

どっちサイドも「欧米先進国ではどうなん?」という普段大好きな切り口に全く興味がないんだよね。なんでどうして。

個人的には欧米図書館司書専門職位は修士課程相当が基準だって話が気になる。

これは労働供給過剰、市場価値低い、技術力低いという問題への対応力の差になるだろうか。



欧米図書館司書正規職になろうとすると、日本で言うと筑波とかでとれる図書館情報学の修士、要するにmaster of library and information science相当のもの必須とされている。

専門職修士要求するというのはなかなかの高水準だろう。

図書館欧米アカデミアでは歴史的にかなり重要視されていた影響で、電子化時代もとくに大学図書館を中心にけっこう独立性や利権を保っている。

たとえば理系アカデミシャンが大好きなarXivロスアラモス国立研究所物理学者が始めたが、現在コーネル大学図書館管理運営している。

ちなみに日本ではミラーサーバ京大基礎物理研にあったけど予算不足で停止。まあこれ自体きついが、図書館管理しないで研究所がやるというのはやはり差だろう。

他にも欧米では「科学芸術文学情報オープン化・電子化」という図書館情報学の重要課題について、各地の図書館プロジェクトにおいて中心的な役割果たしている。

日本場合はどうか、というとかなりしょぼい。

ちゃん予算がついてやっているのは国立国会図書館ぐらいだろう。東大図書館ですらオープン化・電子化の取り組みはまばらだ。まあ予算がないんだろう。

逆に欧米ではそういう専門性必要とするプロジェクトの実行権やポストを各地の大学図書館が握っており、それを推進するために専門性を持った職員必要としていると。

こういうでかいプロジェクトに関わることができれば技術力はつきそうではある。


しかし、じゃあ欧米圏での図書館司書専門職位の経済的待遇がいいか。というとなかなか微妙だ。

よく米国話題になる「修士学位ごとの年収中央値」では下位常連である

登録がいるが下のサイト情報を見ると2021年修士学位のなかで下から五番の年収中央値で、約5万3千ドル

https://www.statista.com/statistics/226674/worst-masters-degrees-for-jobs-in-the-united-states/

学費が高く物価も高い米国では修士としては低い。

とはいえこの年の全米の年収中央値は5万1千ドルなので、一応上回っているし、労働時間や負荷も考えたらそこまで悪くない待遇ともいえるか。

まあ日本の「司書」の平均待遇に比べたら雲泥だろう。

修士課程を取った人間でそれ以上の条件(正規職に就職してるとか、公的機関に雇われてるとか)がないサンプルの中央値なので、学位の時点で市場価値自体がある程度保証されてるということになる。




では、直ちに欧米では図書館司書年収日本より高い!といえるかというとそうではない。

アメリカ図書館協会によると図書館職員全体の年収は2万ドル-3万ドルほとんど。

図書館司書専門職位をもって「司書」を名乗れるのは修士を持っている人間だけ。

当然それだけで業務は回らないので、窓口スタッフやら配架やら、日々の業務をやるのは結局パートタイマーって感じ。

日本では「司書」としてひとくくりにされてる層が末端までやってるわけだが、この層が単に「司書」を名乗れなくなるのが米国

比較対象となる、日本図書館司書年収中央値公的データで出てこなかったのだが、求人サイト中央値を出してるところを眺めるとおおむね300万円台みたいだ。

あと、米国での図書館司書専門職位のような専門性のある仕事を確実にやってるであろう数少ない日本組織国立国会図書館常勤職の年収を見てみると

だいたい中央値500万円ぐらいらしい。国家公務員行政職と同じ給料という扱いみたいだ。昇給もするし退職金他の福利厚生もしっかりある



なんか、日本米国年収の違いを差っ引くと、大体の仮説ができそうだ。

(1)日本欧米も一部の専門職は安定雇用で、全職業中央値と同じぐらいかそれ以上にもらえる。それ以外の業務パートタイマー年収は低い。

(2)この構造自体は変わらないうえで、専門性要求するプロジェクトポストの数が欧米のほうが多い。

(3)だから日本司書制度に高度な専門性を課した場合、(1)は変わらず(2)は変わる可能性がある。



飽きてきたので仮説を検証するための詳しい定量データを集めるのはやめる。

ただ、結局のところ欧米型にすると、「図書館司書」としてそれなりの待遇を受けられる人間は増えて

その層は技術力もあり、市場価値も最低限は保証され、需給のバランスもとれるが

現在の低待遇人材は「図書館司書」ですらなくなって

待遇はそこまで変わらないという事になりそうだな。

暇なはてな民もっと調べてみてくれ。

2023-07-20

なんで数学物理やって国立大学工学部卒業して工学研究科修士課程修了した俺が予備校バカガキどもの機嫌とってチマチマ金稼いで母親から文句言われなきゃいけないんだよ。

今日も3時から馬鹿ガキどもの相手

同じ高校数学物理もやってねえ英語世界史小論文慶應経済出たエセ大卒馬鹿三菱商事で1000万もらってエロい顔した女と結婚して中出しして子供までいるのに。

あいマジで学位剥奪して増税して貧民に落とされろ。その場所と嫁を俺によこせ。

2023-07-18

32歳IT系研究開発の今後のキャリア

鬱病半年前まで休職していて高望みはできないのですが、自己好奇心を満たすためや自己実現(事業を通じて世の中を良くしたい)のために何れ大企業で働くだけでなく、キャリアを広げるか、キャリアチェンジをするか考えています

ひとつ留学です。社内の仕組みでの1年留学と、退職しての学位をとるための留学があります。どちらも同じ部署からそれらの経験をした事例があって、研究デザインスクール学位習得などされていました。

社内に残れば仕事の幅は広がる、または専門性高まるし(出世とはあまり関係なさそうですが、自己満足です。)、退職した場合も有名な学位を取れれば日本での転職は困らないようです。

私の場合英語力がネックではあります。一度三ヶ月ヨーロッパ留学したことはありますが、コミュニケーションにかなり苦労しました。

二つ目日本社会人博士課程、もしくは別の分野での修士課程専門性を極めることです。修士は多くの場合授業を日中にあるのが難しく、博士課程は単純に負荷が非常に高いです。今年も某大学にアプライしようかと考えましたが、研究テーマを考えきれず辞めました。

一つ目、二つ目は取り組む分野やテーマ重要ですね。私はITソフトウェアエンジニアですが、VRなどスマホPC以外の機器を使うことが多く、またUXデザイン機械学習についても知見があるため、何を伸ばしたいかで大きく選択肢が変わります。ちなみにまだ迷っています

また経営に関しても興味があり、国内勉強するなら夜や土日中心の経営修士もよいのではと少し考えました。(元カノが行っていました)

三つ目は、ビジョンを持つ、賢い人の近くで働くことです。主にスタートアップへの転職になります既存の私のスキルセットでは難しいものはありますが、それを望んでいますイノベーションなどの経営学に関する本を読む中で興味が高まっています。私の知人が何人もスタートアップ社長をやっていることもあり、私も彼らと同じ土俵で戦いたいなと思っています

業務負荷はとても高いだろうとは感じていますが、それ以上に好奇心や達成欲が勝っています

今とても興味のある企業一社面接にすすんだところです。

四つめに自ら起業といいたいところですが、まだ何も考えていないのでとりあえず挙げておくだけにします。

まだ鬱病の影響か、不安が襲ってくるときしょっちゅうありますが、元気な時には希望は失っていません。

私はこんなキャリアを歩んでるよ。この話に興味がある、という方はコメントいただければ嬉しいです。

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