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はてなキーワード: 半引きとは

2024-01-02

anond:20231230125231

誰か就職相談助けてあげてー

ついでに40後半引きこもりの履歴書とか助けて

2023-12-20

SOS

国立大学工学部を2年留年し、修士課程を無事2年で終えて社会に出た20代後半の男。

高校卒業して大学に入るまではなんとかやってこれた。

いや、その頃から兆候はあったかもしれないが自覚することも指摘されることもなかった。普通に友達に囲まれ普通に部活活躍普通に大学入試突破した。先生の指示通り、周りに合わせていれば良かった小中高は人によっては地獄だったかもしれないが俺には天国だった。

俺の問題点は「やるべきことに取り組めない」ということ。

大学を2年留年したのも、研究室問題児だったのも、職場問題児なのも全てこれが原因。

やるべきことに取り組めず、時間けが過ぎ、抱え込んでもうどうしようもなくなって塞ぎ込み、直前も直前の土壇場になってそれを周囲に吐露して、なんとかなったりならなかったりして来た。

学部では講義を履修する教員から散々叱責され或いはバッサリ切り捨てられて来た。小中高では殆ど怒られることのなかった(甘やかされていたのではなく怒られる理由がなかった)親に毎日叱責されながら2年の留年半引きこもりを経て学部事務所経由で連絡をくれた研究室教授に迎えられた。その研究室教授や先輩や年下の同期に引っ張られ怒られながらなんとか学部卒業修士課程を2年で終えられたのだ。

職場問題児でありながらもなんとか食い繋いでいられるのは我が社が巨大企業であり、人財役割分担もしっかりしているからに他ならない。現在労働法は俺のような問題児大手企業がバッサリ捨てることを認めていないのだ。ありがたいような申し訳ないような複雑な気分。

今やらなければならない仕事を抱えていると、それにどうしても手がつけられずライブスケジュールや好きなファッションブランドサイトをチェックして時間が過ぎる。

いざ友人とライブに行こうと思えば、どうしてもライブスケジュールがチェックできず仕事書類作成したり調べ物をしてしまう。

いざ服を買いに行くとなると店舗に行くのもオンラインショップを見るのも憂鬱で、なんとか店舗まで足を運んでも結局試着が億劫で何も買わずに退店。

仕事納めも近いここ最近問題を起こした。抱えていた仕事に取り組めず相談もできず放置。その間、受験日まであれほど憂鬱で手がつかず結局人生最低点を更新したTOEIC勉強をノリノリでやっていた。そしてデッドラインの前日、線路飛び込みたい衝動必死に堪えながら出社して爆弾カミングアウト。叱責され泣きながら周りに土下座し、同僚や上司業務過多に追い込んでなんとか仕事完了させた。

俺はどうすればよいのか。

社会全体の効用を考えれば仕事を辞めて引きこもることが最善だろうが、やはり親のこと考えてしまうし自分人生を捨てることができない。

かと言って今のままでは周囲に迷惑をかけ続ける。

メンタルクリニック病院に行ったとして「あなた障がい者です」と認定されても、治療によってどうにかならないなら受診する意味はない。障がい者認定されたことを踏まえて仕事を割り振られたり、或いは「そういうあなた理解のある職場」みたいな所に行って規則マニュアルに沿った作業をして生きるのは、引きこもったり自殺するのと同じくらい嫌なんだ。

周りの同僚みたいに普通にやるべきことを期限までにやって、休日には週明けに暴露しなきゃいけない爆弾なんか抱えずレジャーの予定を立てて生きたいんだ。

もうどうしようもなくて年を越せる自信がない。

2023-05-29

母親見合い話を断った架空理由一覧

母親が俺の見合い話を断った架空理由の一覧。

前提情報

レベル1「息子は東京仕事をしていて、将来的にも帰ってくる予定はない」

県内比較的離れた地域から知人伝で来た案件。概況は以下の通り

レベル2「息子は東京に住んでいて、既に結婚前提に交際している相手がいる」

県内の近隣市の遠縁から案件

レベル3「息子は外資系に勤務していて、将来海外移住可能性がある」

隣県の遠戚から案件

流石にもう来ないと思うけど、また見合いオファーが来たら「息子はゲイだ」とか「無精子症婚約破棄になった」とかガチウソをつかなければならなくなる。

2023-01-26

オススメバイト

鬱で大学中退して一年半引きこもってたけど、最近は少しずつ良くなって寛解に近づいてきた。再受験して大学に行きなおす金を貯めるために、バイトを始めようと思う。

以前はチェーンの飲食店バイトしていたが、客が途絶えず四六時中忙しいうえに、ホール厨房以外にも色々とやることが多すぎて向いてないと感じた。

引きこもり期間は最低限の人としか接していなかったため、対人スキルがだいぶ落ちている。(元からそんなにないけど)

人と接する感覚を取り戻すために、激務すぎない接客業がしたい。

候補として、カラオケ店やたい焼き屋さんがあるのだけれど、他に何かオススメがあれば教えてほしい。

2022-12-15

anond:20221215200128

田舎商業高校を出た後美容専門学校に通うも不登校気味になり、不安になった義母が仲の良かった私の母と話をつけ、お見合いが組まれそのまま結婚した。

当時メーカー工場勤務で女っ気ゼロ童貞だった私を案じていた母と、同じく男っ気ゼロかつ半引きこもりの娘を心配した義母がウィンウィンになって上手いこと話が進んだ。

元々私達も知らん仲ではなかったし。

昭和50年くらいかタイムスリップしてきたのかという感じだ。

anond:20221215090844

はい、私の妻です。

田舎商業高校を出た後美容専門学校に通うも不登校気味になり、不安になった義母が仲の良かった私の母と話をつけ、お見合いが組まれそのまま結婚した。

当時メーカー工場勤務で女っ気ゼロ童貞だった私を案じていた母と、同じく男っ気ゼロかつ半引きこもりの娘を心配した義母がウィンウィンになって上手いこと話が進んだ。

元々私達も知らん仲ではなかったし。

妻は社会経験ナシで結婚たからずーっと専業主婦家事育児はやってくれてるから別に不満はないけど。

やはり実家同士が仲良いと夫婦関係も楽。適度に親も頼れるし。

2022-05-18

非モテに嘆く底辺男どもへ

諦めるのはまだ早い。

お前らは「顔が悪い」「金がない」の時点で諦めてるだろう。

だが、俺が童貞を捨てたとき、俺は半引きこもりのニートだった。

それからもう10年以上経ってるので流石にもうニートではないが、

半引きこもりのニートでも彼女はできるんだから、お前らもできる。

まず、前提として、「まともな女は狙うな」これだけは守れ。

まともな女が仮にお前と良い感じになったとしても、絶対破綻する。

恋をすると冷静さを失うので一瞬ぐらいはうまく行くかもしれん。

だが、まともな女はちゃんと冷静さを取り戻せるような手段を持ってる。

から、すぐにお前がしょうもない男だということがバレて、すぐにフられる。

じゃあ、どういう女がねらい目かというと、

「心の拠り所がない、女から嫌われている、かつ人生経験恋愛経験の浅いメンヘラ女」

だ。

お前らは顔と金重要と思い込んでいるだろうが、世の中には「心の拠り所になってくれれば顔も金もどうでもいい」という女は一定数いる。

そして、そういう女は大抵メンヘラだ。金なんてなくても相手に出させればいい。

メンヘラ女は大抵自己評価が低い。人は大抵自分自己評価釣り合わない相手とは付き合おうとしない。

から自己評価の低いメンヘラ女なら、そこそこにスペックがあってもお前の相手をしてくれる。

更に、女に嫌われている女は、お前がしょうもない男だということを見抜けない。

女友達というのは、友達彼氏しょうもないと、その友達が冷静になるように諭すからな。

人生経験恋愛経験もないバカなのに、誰にも諭してもらえない。するとどうなる?お前がしょうもない相手だということに気づけない。

しかも、心の拠り所はお前だけとくれば、もう状況は完璧。お前がさも素晴らしい男かのような錯覚を、させ続けられる。

言ってしまうと、カルト宗教にハマってしまいそうな孤独バカ女に、カルト宗教教祖のように接してやればいいということ。

これができればお前らにも彼女を作れるよ。

グッドラック

2022-01-26

感情の成長を感じた話

友達かにも話しにくいし、かといってインターネットにおいてでさえ友達が作れないコミュ弱なのでたまに見かけるここに。

中退して半引きこもりになって二年が経って、やっと感情の成長を感じた。というよりも、それまでデフォルトだった厭な気持が消えたというか。

こうなる前は、ずっとゲームに打ち込んでた。食事もしなくなって、数キロ減ってBMI16切りかけて、それでも飯が食えなかった。ひたすらにゲームだけをしてた。多分現実逃避だった。

親の怒鳴り声もいつからか止んで、それでもたまに幻聴みたいにしてゲームSEが親の声に聞こえては心臓を冷やしてた。ただ親のせいにしすぎだなって思うしそれなりに罪悪感はちゃんと覚えているのであんまり家族のことは言わないほうがいいのかもしれない。

布団の中でゲーム実況見ながら夜を明かして、エナジーバーのパッケを布団の外に捨てては窓の外を通る小学生の元気そうな声に頭痛がしてた。それから数日後、ふっとゲームをしなくなった。

課金もしてた。過去貯金でズンパスも買ってたし、スキン課金して取ってたし、レベル上げもしないと課金無駄になると思ってた。でも、すうと興味が消えた。代わりに学校に通えなかった悔しさと、今はもう大学に進学して授業の話をしている友人が酷く羨ましいという思いがあふれた。ついでに劣等感孤独感で吐くぐらい泣いた。勉強は好きだとずっと嘘をついてきてたと思ってきたけど、噓からたまことか本当に好きだったのか、あの勉強がしたいこれがしたい、それがしたいか大学に行きたい。でも学費が足りない。友達はみんな、大学に行っている。成人式の服を見繕っていた。教授が。課題が。今まではゲーム漬けで麻痺してたのかもしれないってぐらい泣いた。惨めだし、本当に本当に悔しかった。中退理由は、カッコよく言えば理想現実ギャップで病んで死にそうになったから。繕わずに言えば宿題ができなかったから。勉強はそこそこできたし模試も良い点とれたけど、家で勉強できなかったから。「君たちは要領がよかっただけ」という昔通っていた塾の講師言葉が今更ながら身に染みる。

泣いて、泣いて、それでも編み物かと言わんレベルメンタルは数か月かけて多分それを乗り越えた。「中退して、こんなに惨めで泣くのだって、それで諦めてないだけ強さじゃん」って思えるようになった。無根拠な自信だって、それで物事を始められるなら良いじゃないかと思えるようになった。周りから意見そもそも聞いちゃいないし、じゃあ自分の心の内で決めようって。身だしなみにも少しずつ気を遣えるようになった。まだ途中だけど、バイトも再開して学費をためつつ勉強も再開した。相変わらず楽しくはなかったけど、自分の歩みで進む、自分だけの解説ブックを作るのはとんでもなく楽しいことに気が付いた。推し配信を見れるように英語以外も勉強し始めた。

多分、時間必要だったんだと思う。それにしては失ったものが大きいし失いすぎたと思うけど、そんな自分でも友人はまだ繋がっていてくれてるし、自分に無根拠でも自信を持っていいことに気が付いた。噓からでさえ実が生まれるなら信心からまれるのは極自然だし。

オチがないな~~って思ったけどまあ日記ならこれでいいし、とにかく自分はよく頑張ったしこれから始められるというのを脳内で捏ねる以外の方法で吐き出したかたからいいや。履歴書的には絶対無駄な二年間だったけど、メンタル編み物からアルミ缶ぐらいにはなったしやりたいことの見極めもできたからいい二年だったんじゃないかな。今でこうなら多分将来は笑い飛ばせると思う。なんなら二年で済んだのが早いじゃんぐらい。

頑張るぞ~~~~~~~!!!!!

2022-01-17

大嫌いな父を見殺しにしてしまった話

私は父が大嫌いでした。

末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族旅行に行ったのもベビーカー東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。

誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りアンパンマンケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコ競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。

そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテル厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。

なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉サポートも無く、余裕がないか我慢するしかないと言われ続けました。

そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立二次募集も落ちました。父から私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)

そして在学中のバイト代は完全母管理バイト代自身お小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。

やってきました修学旅行私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。

ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いかお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。

その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。

なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。

今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています

30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。

父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。

最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生

何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。

あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。

母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。

人生ままならないですがこれからも頑張るぞ!

2022-01-10

大嫌いな父を見殺しにしてしまった話

私は父が大嫌いでした。

末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族旅行に行ったのもベビーカー東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。

誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りアンパンマンケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコ競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。

そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテル厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。

なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉サポートも無く、余裕がないか我慢するしかないと言われ続けました。

そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立二次募集も落ちました。父から私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)

そして在学中のバイト代は完全母管理バイト代自身お小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。

やってきました修学旅行私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。

ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いかお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。

その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。

なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。

今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています

30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。

父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。

最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生

何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。

あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。

母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。

人生ままならないですがこれからも頑張るぞ!

2021-06-14

親にされた教育害悪しかなかったこ

変な人と思われることをしちゃいけない、ってのを日常的に言われていた。

でもよく考えたら変な人と思われることって何だ?ってなって何もできなくなった。

そうすると自分がこうしたい、ってのがなくなって半引きこもりみたいになって

生きてる意味がわかんなくなった。今でも生きる意味を探しては死にたくなる日々

を探しているが、親の影響だったのではないだろうか。

2021-06-05

真のゴミクズ王決定戦

中学の時父親死んで高校不登校気味→大学FFランに席だけ置くもはてな村所属半引きこもりから中退薄給小企業に入るも営業成績クソで母親倒れる中4ヶ月で退職仕送り生活アル中→弟マンションへ移動し引きこもり続けて46歳。真の不燃ゴミ再利用不可。

殺人とか除けばはてな内じゃひとり勝ちだろ。

2021-02-28

いい子を演じた結果どす黒い感情が生まれた。

いい子を演じた結果どす黒い感情が生まれた。

今は31男子校中高一貫校に通っていた。

中高ではいい奴だと言われてきた。演じてきたからだ。

退学が怖かったか校則は守ったし、いじめが怖いかポジションを得るために大嫌いだった部活をまじめにやった。

発言は正解を探した。好きなもの馬鹿にされても自分ポジションとしてちょうどいい正解の返しをしていた。

相当無理をしていた。嫌な感情も抑えて押さえて押さえていた。

その結果、周りからはいい奴だと言われ、大嫌いだった部活では部長になった。

仲のいいグループでは「お前が一番先に結婚するだろうな」と言われた。

大学地方国立に入った。入ってしばらくして、うまいこと学校に行けなくなった。半分引きこもりになっていた。ここで社会全体に対する恨みつらみが膨らんだ。ガタが来たんだと思う。

留年を重ねて、やっとのこと卒業することが出来た。

大学の間も中高の仲のいいグループと会ったが、「この半引きこもり状態の奴をどうやって立ち直らせようか」みたいな空気になっていたのが辛かった。友達は楽しそうだった。楽しそうな高校生活を過ごしていたやつが、大学でも楽しそうにしていて、社会人になってすぐ結婚したやつもいた。その事実が辛かった。酔った勢いで泣きわめきながら暴言を吐いたこともある。

今は31だ。そのグループは全員結婚している。数年ぶりに会った際「人を殺しているかと思った」と言われたことは忘れられない。

自分の中のどす黒い感情コントロールできない

正確にいうとコントロールするのに疲れている。

つらい。ひたすらに寂しい。

2021-01-07

anond:20210107192712

お前がたまたま運悪く感染したら

たとえ数日に一度食材を買うだけの半引きこもり生活でもちゃんと「遊び歩いてたやつ」にカウントされるから安心しろ

2021-01-05

anond:20210105203332

うちの親父と同じだ

コミュ障若いから友達がいなかった親父は、定年退職と共に完全に外の世界との接触を絶ってしまった

今は家族けが話し相手で、ネットゴシップとそれを読んで育てた自分妄想けが話題で、昼ネット夜は酒の半引きこもり状態

定年後のアルバイト雇用ちょっと手を出してみたが、元々仕事が全くできない人で正規雇用にしがみついてなんとか定年まで漕ぎ着けた人なので、

案の定1ヶ月ほどで契約打ち切りとなり、そこで心が折れて、コロナ仕事がないを言い訳にしてバイト探しも諦めてしまった

もう今更新しい人間関係コミュニティに属するとか気力体力がなく無理なんだろうし、

新しいことに挑戦したり、自分に優しくない外の世界にわざわざ繋がりに行きたいとも思ってないんだろう

このままゆっくりと精神が立ち腐れて病気でダウンして死ぬのを待つ以外に打てる手などないのか、と絶望的な気持ちになっていたが、

世の中では、引きこもり老人問題結構珍しくはないのだなと思った。まあだからと言ってこのうんざりする気持ちが変わるわけでもないんだが

2020-12-18

人間ってめんどくさいよね

 人間ってめんどくさいよね。脳が発達したか無駄な事考えるし、文明が発達したから今までの悩まなかったことも悩むようになった気がする。

 なんて、書き始めてみたもののなんてことはない。要はただの愚痴である。誰かの目に止まって共感してくれればこの上ない喜びかもしれない。

 ネット住民一年半、それまではほとんど使わなかったTwitterにはまりこんで半引きこもりとなった私。まあたまにバイトとか大学とか行ってるから本当に半引きこもりって感じ。リアル友達よりもネット友達の方が楽と感じるようなそんな人間。実際顔見せなくていいから化粧も要らないし、外に出る必要が無いかパジャマのままで誰かと話せるというのはとても楽だった。若干メンヘラ気質な私にとって、人に構ってもらえるのは楽しい事だったし。

 ただ、自分ルールとして課していたことがある。ネットでの付き合いとはいえ、できるだけ失礼のないように、相手不快にしないようにしよう、というものだ。まあ人付き合いなのだから当たり前かもしれないけれど、最近これを守らない人が多い気がする。

 匿名、というのはとても素晴らしい。仲良くない相手特に有名人言葉を届けるのに自分名前があると恥ずかしい、気後れするというのは誰にでもあると思う。そんな時に今ではマシュマロがある。そもそもTwitter自体本名は分からないのだから匿名に近いのかもしれない。とかく匿名サービスによって人は自分意志を伝えやすく伝えやすくなってきた。それが善意であれ、悪意であれ。

 少し前に私に来たマシュマロ

『○○(私)さんって××ですよね。これって△△な人からは嫌われますよね。でも私はずっと○○さんのことをフォローし続けるので安心してください!』

 もはやホラーである。むしろブロックしてくれ。私から離れて!という感じだ。

 匿名メッセージに疲れ果てた私はマシュマロ撤去し、もくりという通話アプリ相互と話す毎日をおくることに。しかしここでも私のハートには亀裂が入る。

『○○(私)さん?10段階中3かな。』

 これは、好感度話題が出た時、とある相互が私の目の前で言い放った言葉である。その後彼女は『△△さん(共通相互)は10段階中8かな!』といってさらに私の心に傷をつけた。

 いや、貴女わたしのもくりに3日に1回は来ていたよね?わたしのもくりでめちゃくちゃ話したよね?あなた愚痴も聞いたし、あなた孤立しそうな時ちょっと助けてあげたよね?そんな私が、3?あまり話していない(Twitterに余りいない)あの人が8なのに?ふざけるなよ。

 それならわたしのもくりに二度と来なくていい。私のTwitterにも反応しなくていい。お前以外にも私には仲のいい相互はいる。そう思ってもくりをとりあえずブロックした。そうしたら何故か私が悪者にされた。

『○○(私)さん、何で××ちゃん(相手)をブロックしたんです?××ちゃん、泣いているんですけど』

 ブロックしたあともくりをひらいていたら飛び込んできた共通相互(好感度8とは別)が責めるような口調で私に言った。どうやらこの相互の部屋にいた時にわたしのもくりの通知が行ったことで、ブロックのことが発覚したらしい。めんどくさい事だ。そもそもこの相互はなぜ来たんだ?これは私と相手の間の問題だろう?お前関係ないやんけ。部外者は去ね。私の相互からもな!

 ……なんて、言う度胸は私にはなかった。

 適当に誤魔化して、結局逆戻り。あーあ、リアル人間関係に疲れてネットに逃げたのに、ここでもまた面倒事に会うなんて。

 あーあ、ほんとに、人間ってめんどくさい。

2020-09-23

8年前のメンヘラたち

宗教家毒親借金まみれの男と駆け落ち・出戻りして実家に金をせびる姉、半引きこもりの自分

そうしたコンプレックスを強く抱えていた10代後半の私が辿り着いたのが8年前のTwitterだった。

最初の頃は鬱屈した人々がこんなにもいるのだと、仲間はここにいるのだと喜びフォローをし、私も彼らと同じように「死にたい」「消えたい」を書いては誰宛でも無い文章を空に投げた。

フォロワーが増えると☆がよく飛んでくるようになり、返信もたまに来るようになった。

 

ちょうどそのころ、世間Line黎明期であり、日本中若者が挙ってアプリダウンロードした。

現実で「友達」が居なくても、Twitterで見つけた「フォロワー」は「友達」として登録され、私たち日陰者同士としての絆は更に強くなると思っていた。

 

しかし、Lineメンヘラ思想とは相性が良く、しか性質との相性は最悪と言って良かった。

 

当時のコミュニケーションツールといえば、Skypeのようにログインしないと文章が読めないとか、金を払わないと声を出して話せないとか、メールセンターに問い合わせをする必要があるとか、必ず何かしらの「返信が遅くなる理由」があったが、Lineはそれらの「不便」を一様に取り除き、あまつさえ既読」という機能を標準装備していた。

 

「読んだのになぜ返信をしないのか」

 

あなたも私のことを無視するのか」

 

「信じてたのに」

 

遠く離れた顔も名前も知らないメンヘラに、寝食に費やす時間を奪われ、私もまた誰かの時間を奪い続けた。

傷の舐め合いとは、痛みを持った人同士であれば理解できるという意味ではなく、返報性の原理を負の方面遺憾なく発揮した地獄を指していると、身を以て知った。

 

そうしていつの間にか限界が訪れ、現実ネット関係を断ち切った自分にあるのは独りの時間のみ。

 

必要に駆られて外に出て金を稼ぎ飯を食うようになったが、当時の彼らも自分と同じように、病んだ過去過去として扱っていると良いなと思った。

2020-05-18

女の機嫌をとって生きてきた

30も半ばになり振り返ってみると、ずっとそうやって生きてきた人生だった。

まりは母だった。そう言うと厳しい家庭だったのかと思われるかもしれないが、逆だ。癇癪持ちというわけでも気が強いわけでもなく、むしろ半端にお嬢様育ちの母は気が弱かったように思う。夫婦喧嘩が起こるたびに私は母についた。そうしなくては母がもたないように思えたのだ。そして、母が壊れてしまうことは私にはとても恐ろしいことに感じた。そんなことが続くたび、私は常日頃から無意識に母の機嫌を取るようになっていた。

両親が離婚たころ、私は思春期だったが特にショックは受けなかった。これで母の精神に安寧が訪れると安心したほどだった。しかそれからも私は女性の機嫌を取り続けることになった。

同級生から好意を寄せられれば、こちらも気があるようなないような、相手が気落ちしたりしないように振舞った。恋人ができれば、相手理想の私を演じてみたりした。それらは私にとってとても自動的な行動だった。自分でそうしたいと思っているとか、相手好意を得たいがためにそうしているとか、そういった感情からくる行動ではない。ただ目の前の女が気落ちすることに耐えられず、私にはそうならないように振舞うほか選択肢がなかったのだ。女が気落ちすることは、私にとって人生最大の恐怖であった。結局最後には私が限界を迎えてすべてを投げ出し、より一層彼女たちを傷つけるとしてもだ。

そんなことをしているうちに、私は現実の女が怖くなり二次元世界に引きこもるようになった。社会的活動をやめたわけではなかったが、学生時代ほとんどを引きこもってゲームに費やした。

しかし結局は一緒だった。ゲームの中で仲の良くなった女性ゲーム内で結婚システム上の優遇があった)したところ、ゲームの中でも現実と同じことをすることになった。彼女がスネれば機嫌を取り、ほかの仲間たちとの間を取り持ち、呼ばれればすぐにゲームログインした。どんどんエスカレートする彼女要求は、私のストレス限界を迎えるまで続いた。

そうこうしているうちに私は社会人となり、学生時代の穴を埋めるようにて女遊びを覚えた。半引きこもりのくらい人生を送ってきたとは言え、女の機嫌を取って生きてきた人生から、女を口説くことは難しくなかった。考慮すべきは2点、私の容姿に対してマイナス感情を抱いていない女の連絡先を得ること、その女と寝るときに行う最後の一押しをどうするかだけだ。その間にある色々なことについてあれこれ考える必要はない。私は自動的に機嫌をとり続けているのだから

その後私は引き際を誤り一人の女性結婚したが、家の中でずっと女の機嫌を取り続けることに大変な苦痛が伴うことは言うまでもない。疲れ果てた私は、結局女に頼った。女は私が機嫌をとり続けている限り私に優しいのだ。もちろんそれも長く続くものではない。ひと時の癒しを得ても、私が彼女たちの要望に応えれば応えるほど彼女たちの要求エスカレートし、私は限界を迎える。

結果、私には何も残らない。私がしてきたのは女を傷つけることだけだ。私は女たちが傷つくことを恐れるがあまり彼女たちを深く傷つけ、彼女たちは私から去っていく。全部最初から決まっているのだ。女がいる。私は彼女たちの機嫌を取る。彼女たちの要求は増大する。私は限界を迎える。彼女たちは傷つく。私は一人になる。くそったれだ。全部俺のせいだ。

2020-05-10

anond:20200510084605

コンビニバイト公務員も変わらないって言ってる時点でわかってほしい。

公務員についてても遅かれ早かれこうやって転職活動はしてたよ。

てか今はともかくとして、半ニート半引きこもりだった新卒時の俺に公務員試験の準備するようなバイタリティーもなかったし

損得勘定だけでまったくやりたくない公務員試験に真面目に取り組めたとも思わない。

もともと地元にあまり馴染めなくてそれでちょっと病んでて、今もそれを引きずってていずれ地元を離れようと考えてる口なので、

地域コミュニティ固定化された人間関係のなかで過ごすなんて当時の自分には全くもってあり得なかった。

からでも目指せるなら少し考えるかもしれないけど、準備してるうちに年齢制限引っかかるからなあ…

地域おこし協力隊とかNPOはありかもしれない。広報活動うまいこと携われるかもしれないし。

大学卒業からの2年間を日雇い労働NPOボランティアという名の雑用で潰し、

とりあえずという気持ちで始めたコンビニ夜勤フルタイムバイトも3年以上の月日が経った。

大学在学時から半引きこもりみたいな生活をしていて、自分の立ち振る舞いがときどき恥ずかしくなる。

もうアラサーど真ん中の潰しの効かない年齢に達しているが、クリエイティブ職に就くことと生まれ育った地元から離れることを未だに夢見てる。

ずっとWebデザインに関心があって、今もしこしこブログCSS弄ったり、WordPress弄ったり、借りてるサーバーにThree.jsとかで作ったもんあげたり、

そんな遊びみたいなことしながら「プロはいいよな」「俺は何やってんだろう」と悶々と考えてた。

あと通ってた学校放送技術者を目指すようなカリキュラム組んでたから、その影響でMADやらネタ動画みたいなもん気晴らしに作って配信してたりな。

で、Webサイト制作とか動画配信者のポスプロとかを黙々とこなすような仕事に就きたいって生意気に考えるようになってさ。

当時はいポートフォリオさえ作れればなんとかなるって思ってたけど、30まじかでカスみたいな経歴しかない奴どうあがいたってまともな会社相手にしないんだよな。

最近非正規雇用業界に潜りこむか、休みの日にクラウドソーシングとかやって自己満足するような生活も考えてる。

そんなこんなで悩んでても仕方ないしそろそろ身を固めないとなって思ってた矢先にコロナ世間が騒ぎ出して、俺も焦って片っ端から求人に応募するようになった。

やっぱりWebとかマスメディア関連の企業に応募する傾向にはあって、で今は運よくテレビ番組下請け会社からアシのお誘いを受けてる。

でも「それでいいのか」と思う自分もいるんだよな。俺はもまれながらテレビ番組ディレクターを目指すことなんて考えてなくて今でもWebのことばかり考えてる。

本音を言うなら弁当の買い出ししたりバミリ貼ったりする時間があるならそれを自主的サイト作ったり動画編集したりする時間に充てたい。

それならさっき言ったみたいに休みちゃんと取れる企業に入って、休みの時に家でクラウドソーシングなり自主制作すればいいんじゃんと思って、

全然違う業種受けたりもしたけど浮ついたところがにじみ出てるんだろうね、面接質疑応答でまごついてあえなく落とされた。

要領よく生きていけるようなたまじゃないことを改めて実感してる。なんか最近ますます自分に自信がなくなってきてる。もとから肯定感なんて皆無に等しいけど。

2020-04-27

anond:20200427044917

駅も利用しないっすか?

繁華街も歩かないっすか?

引きこもり界隈の人ですね 乙っす

私も出勤自粛半引きこもりみたいになっていますけど、家に引きこもり続けているってのはかなりしんどいですわ

今まで引きこもりってバカにしていましたけど、何年、何十年と引き込もれる人ってのは実は相当にスゴイのではと評価が絶賛うなぎ登り中です

それとも一番の繁華街道の駅ってレベルのド田舎住みですか

2020-04-07

自粛っても普段から半引きこもりだしほとんど代わり映えしないのであった

2020-04-03

「大切な人が亡くなったときのことを考えてくれ」

コロナで行動自粛呼びかけるのに、そんなこと言われても、もはやこの世に亡くなって困るほどの大切な人なんていないからな。

ま、呼びかけられる前から友達もいない半引きこもりだからほとんどコロナ感染を拡大させる心配もないんだが。

2020-01-04

やはり俺のソープ通いはまちがっている。

まちがい続けたソープ通いは、本物を見つける最終章

まちがいの始まり

長い間二次元しか興味がなく、しかし加齢と共に二次元をずっと好きなままでいることもできなくなったのが3年ほど前。

人並みにAVでも見てみるかとコンスタントに見るようにしたのが2年ほど前。

実写でも勃起できる程度になったのが1年ほど前。

40の節目が視界に入ってきた、平成が終わる年になってやっと一度ぐらいは経験しておくべきなのだろうかと思い始めた。

情報収集に関しては5chのソープ板に大変お世話になった。勿論最初は興味半分で実際に行く気は殆ど無かったが、質疑応答や他の童貞体験談を見ていく内に「自分も案外いけるのでは?」と思い始めた。

幸いにも(存在自体全く知らなかったが)最寄りのソープ街には容易く行ける距離で、大衆から高級まで一揃いある。体験談の傾向から妥協は後悔の元であると考え、店舗は高級店(約120分・6万円程度)に絞り、嬢はランキング掲載がある場合は上位という観点候補Excelにまとめ検討

嬢については名前google検索という試みも行ったが、後々にこれは悪手であることが分かった("お気に隠し"と呼ばれる行為が世の中には存在する)。

他人様の容姿をどうこう言える資格は無いが、傾向としてAV女優は飛び抜けた方だということはわかった。さすがファンタジーだ。

あれやこれやと聞いたり調べ、ようやく電話する勇気が出た頃にはもう既に平成は終わり令和の時代となっていた。

2019/06 A店 (通算1回目)


歯磨きシャワー爪切り、鑢掛け、直前に飯は食べない、入念な事前準備通りのはずが、緊張しすぎて降りる駅を間違えた。

ストリートビューで直前に確認した外観が「高級店…?」と不安になるものだったが入ってみるとさして見窄らしさはなく、洒落バーのような雰囲気の待合室に案内されアンケートを書いたり会員登録説明を受ける。他の客はいないがやはり緊張しているらしく、出された飲み物と茶菓子の味は全くしなかった。

予定の時間から5分ほど遅れてから名前を呼ばれ、エレベータでご対面して部屋へ。歩きながら何となく廊下の奥の方を覗き込んでみるが角度が悪いのか誘導灯は見えない。部屋は入り口から二手に分かれており、片方が浴槽で片方はベッドとソファの部屋らしい。窓はあるがしっかりと雨戸らしき扉で締め切られている。

ソファ腰掛け再度の挨拶。幸いにも写真(顔出し)とは似ても似つかない別人が出てくるということは無かった。清楚めの印象とは違っていたが、そればかりは仕方ない。

改めて挨拶的な会話な中で、この店が初めてなだけではなく、風俗店自体が、いやもっと言えば一切の経験皆無である童貞であることを告げた。言うべきか言わざるべきかは賛否あるが、選ばなかった方の選択肢の結果は神のみぞ知るのだから言う方が少なくとも自分の気は楽になるし、もしかしたら嬢にとっても気が楽なのかも知れない。

今にして思えば、このときの嬢は童貞相手したことがなく戸惑っていたのではないかドン引きというよりは、得体の知れ無さに驚きただ純粋に反応に困ったのだろう。何故を問われても相手はいないしソープに行く度胸もなかったからだとしか言えないし、「えー、、、か、格好良いのに…」と口籠もりながら言われたらいらん気を遣わせてしまってごめんなさいと謝りたくなってしまう。

話しながらいよいよ嬢が服を脱ぐ。触れた素肌は絹のように滑らかで柔らかな感触で、さらに胸には適度な硬さもあり、夢中になる人の気持ちが分かったような気がする。

取り敢えず胸を揉み乳首舐める。そして?そして、どうするんだ?この後に一体どうしたら良いのかがわからず、かといって会話するようなネタもなく、気を紛らわすように緊張を口に出してしまう。するとやはり気を遣わせたのか、先に風呂の方が良いだろうと誘導されて洗体に。あのソープものAVしかたことのない形の椅子が本当に現場でも使われていることの謎の感動を覚えてしまう。

一通り洗ったところで嬢が後ろを向き「入れて」と。心の準備も何も無く、そもそも場所さえよく分かってないのに、誘導されるがまま気が付けばバックで入っていた。分け入るような感触があるのだろうと予想していたので、特に抵抗らしい抵抗もなく入ってしまうと本当に入ったのか自分の目で見ても全く実感がない。想像よりもずっと熱く、ずっとぬるぬるっとした感触はあった。ローションみたいなものを予め膣内に仕込んでおくものらしいので、恐らくはそれなのだろう。ただ、感触はあっても何かに当たるような感覚や刺激らしい刺激は特にないように思える。

一応、嬢はそれっぽい嬌声をあげてくれてはいるが、動こうとするとすぐ抜けてしまいそうになる、抜けると何処に入れるのかよくわからない、何より心の準備がない、といった点から一旦仕切り直して浴槽へ。一緒に浴槽に入ると、潜望鏡をしてくれるという。やはりここでも想像していたような感触らしい感触はない。恐らくかなり弱く、緩くしてくれていたのだとは思うが(ほぼ)童貞にそんなものがわかるはずもなく。

数分にも満たない程度で終えて嬢はマットの準備に。マットは全身を使ったマッサージのようなもので、ソープ名物ではあるのだなと思う。そして全身リップ乳首を舐められるのってこそばゆいだけで快感とは別な気がする。あと自分が寝転がったことで部屋の天井に鏡がある意味にやっと気付いた。同時に自分が映ってしまうのは何とかして欲しい。

多少落ち着いてきたのか、常に何か喋らないといけないのではみたいな切迫感は漸く薄れてきた(コミュ障は会話が途切れることを悪いことだと考える)。

マットからの流れで背面騎乗位で二度目の挿入。勃起していたはずなのに気が緩むと萎れる感覚があり内心焦り始めていたが、嬢がスピードを上げ始めたと思った瞬間に射精感がこみ上げて無事射精時間にして1分か2分か、そのぐらいだったと思う。

シャワーでローションを流してもらい、もう一度風呂に入って嬢がマットを洗って片付けてるのをぼーっと眺める。マットの好き嫌いが分かれるというのは、この準備と片付けで時間を使ってしまうからではないだろうか。何かしらのプレイ時間なら未だしも、本当に見てるだけだし。

風呂を上がり、ベッドで飲み物を飲みながら話し、いちゃいちゃの流れに。ベッドでフェラされて、AVでよくある主観構図にはならないこと、そもそも首をかなり上げないと見ることすらできないこと、といったファンタジー特有の嘘を知った。復活したところでバックで挿入となったが、やはり刺激の物足りなさと膝立ちという不安定さ、不慣れな腰振りで全く上手くいかない。嬢が察して背面騎乗位に移行したものの、先ほどとは違い一押しが足りない。暫く試行錯誤してみるも断念し、残りは健全マッサージとなった。

マッサージを終えると何となく終わりの空気が漂って服を着る流れ。最後にもしよかったらと嬢からLINE交換を提案された。LINEはやっていないのだけど(やる相手がいないともいう)嬢とLINE交換することもあると聞いて、LINEを一応入れてみてはいたがまさか早速使うことになるとは。初めてのLINE交換相手は童卒を手伝ってくれた嬢だとは。

嬢が連絡を入れて退出待ち

実はこの時ぐらいには、キスをできていことに気付いたものの完全に終了ムードになっている中でどうしても言い出せなかった。エレベータで降りて別れ、外へ案内されて終了。高級店って確か上がり部屋というものがあると聞いたはずだが一見さんは案内されないのだろうか。

感想

いわゆる賢者タイムを迎えると自己嫌悪と虚無感で死にたくなるのではないか懸念していたが、世の中には幸せ賢者タイムもあるということを知った。

どんな形であれ、自分にも人並みのことが人並みにできたというのはプラスになるらしい。

2019/06 B店 (通算2回目)


別にやり直したかったのではなく、もう少し何かを知りたかった。もっと正直に言えばキスができなかったのが心残りだった(ソープ板で聞いたら「今時、高級店でディープキスどころか普通キスすら無いなんてあり得ない」「口臭乙」と煽られたのを根に持ったのは否定しない。歯科医にスケーリングしに行ったし一生で一番歯も磨いたというのに)。

挿入時の感触感覚は当然個人差があるそうなので、それを確かめ意味もあり候補に挙げていた別の店とした。対面した嬢は写真違和感無く、やはり高級店の顔出し写真はそれなりに信頼できる気がする(顔出しなし嬢もいるにはいるが)。ほぼ童貞だということを伝えてみたところ、嬢は何度か経験があるのか上手くできる人もそうでない人もいると。

また風俗業界についても長いのか、勉強になる話も聞かせてくれた。

曰く、

等。

さくっと脱がしてもらいベッドへ。フェラの感じは前回よりも吸われる感覚感触、舌の接触がなんとなくわかる気がする。乳首舐めもこそばゆいとはなんか違う感覚がありそうでなさそうな。よくわからないが。そして全身リップ過程で、ようやく、やっと、遂に、キスが。それも舌を入れてきて貰えて、これがディープキスとういうものか、と一番感動した。舐るような舌の動きをもっと堪能したかったものの程々のところで騎乗位での挿入に。

入れた直後、思わず声に出そうなぐらいの熱さに少し驚いた。ローション的な感触があるものの、包み込まれる熱さと感触は以前と似てるようで違う。感触が刺激というにはやや弱く、少々不安だったが高速で腰を動かされながらキスをされ無事射精に。動けるのはさっきぐらいの時間限界、と言われてしまったのでちょっと無理をさせてしまったのだと思う。

洗体後に入浴すると、ホテルにあるような歯磨きを渡され嬢と一緒に歯を磨いてうがいをする。歯は十分磨いてきたが、そりゃ目の前で磨いて貰った方がわからんでもない。でも揃って歯磨きというこの図式は相当シュールな気がする。

入浴後はマットへ。身体が冷えないよう適宜お湯をかけてくれるのが気持ち良い。途中、良い感じに復活してきたので再び騎乗位で入れようとしたものの出し切ってしまったのか硬さが足りない。自分でするときにはこの位時間が空けばできそうなものなのに、またもや二回戦ができないというのはちょっと気落ちしてしまう。聞いてみると二回戦できない人もいるにはいるらしいが。

風呂を上がりベッドで軽く雑談したところでお開き。今回も上がり部屋への案内は無し。そもそも建物内にそんな部屋があるのかすら謎だが。

感想

キスできただけで満足です。

2019/07 A店 (通算3回目)


セックスキスもでき、夢は叶った。何十年も抱いていたコンプレックスの一端は解消できた。

この辺で終わらせてもいいのだけど、「こんなものなのだろうか?」と感じたのもまた事実。そんなタイミングで、初回即ち童卒時の嬢から早速営業LINEが来ていたこともあり、また本指名となることで嬢のサービスが良くなる(こともある)らしいというのでリピートしてみることに。

ところで営業LINEというのはいざ貰ってみると非常に厄介で、来るまでは「自分が何か悪いことをしたのでは?」「面倒なだけの厄介客だったのでは?」と不安になるのに来たら来たで一体何と返せば良いのか一晩悩んでしまう。しかも悩み抜いた返信を書こうとすると、LINEキーボードが非常に使いにくく文字を打てないのもイラッとする。なんで勝手絵文字に変換したりするんだあのキーボード

リピートを決めたのが急だったこともあり、嬢の出勤予定と合わせて平日夜とした。緊張が無かったわけではないが、この時点では楽しみにしていたし期待もしていた。

約一ヶ月ぶりの再会、嬢は名前含めちゃんと覚えていてくれていた。

今回は前回できなかったことをしようと考えていたので、まずは未だに本物の女性器を見たことも触れたこともないという思春期中学生のような課題解決することにした。お願いしたら二つ返事だったので、教わりながら恐る恐る舐めてみたけど当然のように味なんて特にしない。爪はできる限り切り詰めてはいるが内臓器官に指を入れるのはまだ怖く、そのままひたすら舐めることに専念した。時間にして5分ほどでも、舌を動かして舐め続けると顎や舌はそれなりに疲れるらしい。途中何度かイッて(くれたフリをして)くれ、上手と言われはしたが何処まで真に受ければいいものなのだろうか。指示通りにしたので悪くは無かったとは思いたい。

クンニとお返しのフェラで良い感じに勃起してきているので、そのままベッドの上で挿入したものの、何かがおかしい。確かに入ったのに心が追いつかないというのか、直ぐさま勃起がなくなり完全に通常状態に。以前にも多少、萎むことはあったがそれでも入れられる程度の硬さはあった。なのに今回は何かが足りない。自分でも訳が分からないまま詫びてマットに移行した。前回気持ちよかったマットならきっと大丈夫だという目論見があった。

マットで全身を触れあわせると徐々に勃起が戻ってくる。丁度いいところで騎乗位で挿入となるはずだったのに、いざ入れようとするとやはりまた入れられない程度に萎んでしまう。何度か試すも同じ。自分も嬢も殆ど混乱状態で、クンニで満足してしまったのかもと言ったらクンニの際に出してしまったと思われたらしい。しか自分はそんな訂正をする気も起きないほど完全に心が冷めてしまい、もう無理だと悟ってしまった。諦めてしまったらその後はただただ空虚地獄時間だった。何か会話をした気がするが殆ど記憶に残らない。フェラをして貰っても今度は全く反応しない。最後はまたマッサージとなったが、別に自分マッサージを受けに来たわけじゃないんだよなあと考えてしまう始末。

エレベータを降りて別れると、前回とは違い上がり部屋に案内されアンケート用紙を渡された。ちゃんと上がり部屋あったのかここ。今回に関して嬢の側に問題は何も無く、悪いのは完全に自分なので悪くなんて書けるはずがない。相変わらずキスができなかったのは残念だけど、キス提供されるべき役務に含むものだとも言い切れないので仕方ない。むしろできるかできないかぐらいは聞くべきだった。それどころでは無かったとはいえ

申し訳なさと気まずさでその後来た営業LINEにも返せず、結局疎遠となった。

感想

ソープ板で見聞きした中折れや遅漏は自分には無関係だと思っていたがそんなことはなかったという。帰り道、一体自分は何をしに来たのかと問いたくなる。

2019/08 C店 (通算4回目)


前回をトラウマにするのは避けたいと思い、心機一転、また別の店の候補に挑むことに。自分何だかんだいって若い子が好きなのでは?という懸念もあってその系統イベント割引価格を使うため朝8時開始枠、お陰で起床は平日よりずっと早い6時過ぎとなった。

これまでの店がやや暗めの照明だったのに対して、待合室がひたすら明るく白を基調とした内装となっていた。どちらが良い悪いというものではないが、小綺麗なホテルロビーのようで怪しさが無い分落ち着ける気はする。

呼ばれてエレベータで対面して部屋へ。浴槽とベッドは同室。嬢は写真とほぼ変わらず。むしろ腰回りや手足が写真よりも細く、かなりの小柄に見える。話した感じ、半引き篭もりのような感じでソシャゲしてたり店に来たりだという。全て真に受ける気はないが大丈夫だろうかと他人事ながらやや心配になる。ゲームやるならオタトークがいけるのか…?とやや探り探りに話題を振ってみたが、どうも自分範囲とは重ならないらしかった。

そんなこんなでトークで30分近く経過。

10分過ぎた辺りからずっと、ここからどうやって服を脱ぐ流れにいくんだっけ?と考え込んでいたわけだが嬢は何もせず、かといって自分からそんなことを言えず、軽い接触まりで中身のないトークが繰り返されていた。流石にここまでくると嬢は自分からは決して手を出さない受けオンリーだということを理解するしかなく、やや開き直ってようやくクンニにこぎ着ける。パイパンらしいが当然天然なわけはなく、しかし綺麗に手入れされている(と思う)。毛がないと鼻頭あたりでじょりじょりと擦ることがないので舐めやすい気はする。

ふと外陰部の皺の端に白い粕らしきものが目に入り、今日は8時スタートから前の客との不始末ではない→むしろ今日はまだシャワーを浴びてなさそう?→それじゃあしょうがいね自分はあまり気にしないが、いややっぱり多少は気にするが、性器周辺で、しかも舐めてるときに見かけてしまうとやっぱり気になるのは否めない。舐める側のことを考えるなら、性器周りは綺麗にしておくに越したことはないことを実感する。自分は一応毎回シャワーを浴びてるが、多分大丈夫と思いたい。

程よいところでベッドへ移動し、キスして良いか確認してキス。本当に唇が触れるだけで、まあこんなもんだよなと。その後にフェラをお願いして騎乗位へ。この一連の流れは自分で誘ったが、性欲に目が眩むと人間普段絶対無理そうな行動も取れるらしい。

入れてみると今までと違って明らかにキツく狭い感触で驚いた。しかし角度の問題か動きづらく、やや萎えしまった。内心また駄目なのかと焦ったがフェラで再度立たせてもらい今度はバックで挿入。やはりキツく、抜き差しというより削ってるのでは?みたいな感触気持ちいのかと言われればいいのか…?と考える間もなく刺激に負けて射精

嬢が後始末をしてる間、この後は入浴と洗体とマット?かなり時間経ってる気がするけど残り時間は?と気にしつつ聞いてみると、マットはできないわけではないが苦手らしい。苦手な人に無理にして貰うほど拘りがあるわけでもないので簡単に洗体して入浴。冒頭のトークで浴槽内でのストレッチの話があったので、二人でそれをやったりして色っぽいことは特になし。上がって身体を拭くともう良い時間、できるかどうかはさておき2回戦なんて時間も無く軽くトークして終了。この店も上がり部屋があるという情報ネットで見た気がするが案内されることはなくそのまま退出。

感想

今度はちゃんとできた。よかった。おめでとう。

初の受けタイプ嬢で戸惑ったものの、こちらが主導権を握っていくというのも決して悪くはない(最初から分かっていれば)。ただ、時間管理まで同時にやる余裕なんて持ち合わせていないので初心者にはハードルが高い。

尚、これを書いている2019年12月現在、嬢は退店してしまったようだ。


長すぎたので切ります

2019-06-08

働き始めて5日初めての休日

1人暮らし買い物に出かけるくらいの半引きこもり

8年くらいブランクありで働き始める

初日から吐き気が止まらず1日何も食べずに働き帰ってからも食べられずゴミ箱

事前に聞いてた業務内容とギャップがあり辞めたい気持ち

疲れを取るため8時間睡眠取るため早めに寝るが3時間で起きるまた寝て3時間で起き出社まで布団で目を瞑る

2日目

食欲が出たのでお昼少し取る

業務内容ギャップが埋まら給料の割りに憶えること多くて忙しい

帰っていつもシャワー浴びて食事して少しの自由時間を楽しむ

3日目

はいものようにドリンクのみで済ます

通勤は1時間かかるが満員で無いだけマシか前職は満員電車が鬱の一因だった

残業2時間帰ってシャワーして食事してすぐ寝る

4日目

業務はまだ聞かないと進まない

吐き気はいつの間にか消えてる昼にスマホゲームをする余裕も生まれ

夕食も捨てずに済んだ睡眠も3時間で一旦起きず6時間眠れた

5日目

明日休日それだけで金曜日はすき完全週休2日祝日休めるのはこの会社のいいところか

業務繁忙期でないうえ今日は楽だが残業はある会社の内情が見えてきて嫌な感じ

昇給賞与が未だに不透明で詳しく説明無いのも怖いが失業保険もらえるまで頑張れる気がしてきた

6日目

いつもより3時間遅く起床

家事諸々やって録画してたTVを消化してもう夜

明日休みなので気分は明るいが明日夜はどうなってることやら

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