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はてなキーワード: 新潮とは

2021-03-23

anond:20210323082630

元増田は「リバタリアン」と「リベラル」というアメリカ政治思想区分を持ったほうがいいと思う。

呉座勇一や飯田泰之は「リバタリアン」ではあるが「リベラル」とは言い難い

あと、現代ビジネス母体である週刊現代は、日刊ゲンダイよりは右で、文春・新潮よりは左の位置から北村紗衣も寄稿できるが、右左の位置づけはともかく、リベラルとは言い難い

2021-03-02

このままだと新聞は10年後に消えるらしいが

調査報道は、文春や新潮のような週刊誌がやるから問題ないよね。

2021-02-07

anond:20210207002302

最初ツイート内にある「岸政彦『大阪の西は全部海』(新潮)に関しては、そういうのは川上未映子に任せておけばいいでしょ、と思った。」がその3行やで。

勝手に削除から考える文芸時評論理

 『文學界2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界公式アカウント反論ツイートをした。

 のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。

https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/

 まず騒動時系列を把握しよう。

 最初荒木氏の①【訂正のお願い】ツイート2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明ツイートを行なっている。

 ④『マガジン航』への掲載は翌日である

 では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。

 1. 問題の3行を含む原稿を『文學界』が受け取る。

 2. 『文學界』が「批評としてあまり乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。

 3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。

 4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実SNS等で吹聴する』」と返答する。

 6. 削除された状態刊行される。

 7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。

 以上である

 さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである

 先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。

 1. (略)

 2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。

 3. (略)

 4. 『文學界』が「削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。

 6. 「削除された」状態刊行される。

 7. (略)

 『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。

 荒木氏の立場としては、編集部意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。

 つまり問題はこういうことだ。

 「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?

 一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しか命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである

 では荒木氏のツイート時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。

 言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである

 これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。

 荒木氏を擁護しうるとしたら、以下の主張が妥当である場合だ。

 「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかにである。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。

 ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である

 本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評倫理から考えてみよう。

 荒木氏は「削除されなかった」場合作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。

そもそも作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家樋口恭介がしたとおりウェブ反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。

 ちょうど1年前の『文學界新人小説月評に対し、作家樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。

 樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈そもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷から不適切であったと謝罪撤回を得ることに成功している。非常に健全批評的やりとりだった。

 ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示たこの事例との比較から、「反論余地を与えない表現批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。

 荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己責任もつところの私自身にとっての大切な創造であるということだ」と述べる。結論はこうだ。

私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。

 荒木氏の論理では創造なのは「(無)感動」である解釈のものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である

 だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身から反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくそ規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。

 月評の制限字数わずであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。

 解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。

 ある意味当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。

 テキスト論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。

追記2021年2月8日

 反応をいただいたのでいくらか補います

 まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き問題はないが、合理的ではなかった」というものです。

 仮に削除せずに全文ママ掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます

 あるいはもし仮に改稿・削除提案荒木自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木自身SNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。

 それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。

 無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。

 ただし荒木自身批評を書こうとしているので(「「批評言葉」かどうかを編集部判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります

 よって、時評の存在意義や読者の需要コメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。

 最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いていますコメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます

2021-01-22

週刊誌記事って

基本うのみにはできないよなって思って読んでるので、新潮の反ワクチンタイトルつけた記事だとか、コロナ楽観論的記事とかもはいはい、みたいな感じなんだけど、真に受ける人はやっぱり少なくないんだろうか

2021-01-19

俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なものに勝てない話(追記

こうやってわざわざ文章に取り上げている時点で自分の負けをさらに引き寄せるようなものだと思うんだけど、こりゃあ敵わねえな、と思ったから書いておく。

いま話題のプペルじゃなくって、西野氏がある大学卒業式講演に来たときの話。俺も現場ではもちろん、動画を視聴したわけでもないんだけど、twitterキャプチャで見たのね。

それで、たぶん最初に登壇したとき学生たちの反応が、そこまで芳しくなかったんでしょう。西野氏がこんなことを言う(経緯は俺の推測です。念のため)。

「みなさんには二つの選択肢がある」

「今みたいなバラバラ拍手西野を迎え入れるのか、それとも全員立ち上がって、西野あらためて迎え入れるのか」

「僕自身はどっちでもいいんです」

ってやつです。

俺はこの画像を見たとき、これは敵わねえな、と思ったよ。というか、なんだろうな、この世界で「西野氏的なもの」にしてやられないように、こいつを回避し続けるのは、相当至難の業だな、と思った。

「どっちでもいいんです」と言いつつ、西野氏の希望は当然、万雷の拍手でみんなが自分を迎え入れてくれることなんだけど、西野氏はたぶん、仕切り直すことで学生たちが自身を全霊で歓迎してくれることを確信していたと思うんだ。なんでかというと、それは別に西野氏がスーパー人物からでも、彼へのはちきれそうな期待を学生たちから感じたからでもなくて、むしろ反対に、学生たちにとって西野氏なんて、特に興味もない、当初はそれこそどっちでもいい相手だったからで、西野氏もそれをよく理解していたからだと思うんだ。

たぶん、学生たちにとって西野氏なんてマジでどうでもよかった。だから最初登場してくる西野氏に拍手していたときも、自分がどんなテンションで手を叩いてるかなんて意識しないで、漠然と手を叩いていただろう。「空っぽ」だったんだ。

それが、登壇した直後の西野氏のひと言で、まず自分たちに思わぬ選択肢が与えられていることに気付かされた。西野氏をもっと歓迎してあらためて迎えるかどうか、という選択肢だ。

そして、みんなで一体になって西野氏を歓迎した方が、どっちかと言えば雰囲気的にハッピーだな、ということを、ここではじめて「想像させられた」。

悪い言い方をすれば、それまでがらんどうのまま椅子ぼんやり座ってたところに、気持ちの部分で血肉が入ったんだ。

俺はその後のことを知らないけど(動画を観たくないから)、たぶん、二度目は割れんばかりの喝采で迎え入れられたんだろう。まるで魔法のように大勢の人を操ってみせた話だけど、こんなの良くも悪くも人間を冷静に観察し続け、相手をナメてかかることができる人物なら手のひらの上の話だ。たぶん、西野氏にしてみれば楽勝だっただろう。

「どっちでもいいんです」という登壇直後の発言も上手い。これが例えば、自分から拍手を強いるような言動があれば、学生の方にも抵抗感がある。歓迎するかどうか、あくま学生の側に選ばせることで、かつ、自分たちでこの場をハッピー雰囲気で満たすことができると想像させた時点で、西野氏の勝ち確だったのだ。

そこには「ほとんどの人間は通常何も考えないで生きているし、何にも興味を持たずに生きている。だからこそ、自分たちが主役として何かを選び、決定することができる機会を与えられたとき自分たちこそこの場を盛り上げられると確信したとき、その魅力から逃れられない」という冷静な人間観がある。これは敵わねえよ。俺もその場にいたら拍手してると思う。きっとね。

そういう西野氏が『えんとつ町のプペル』をひっさげてエンターテインメント業界数字を出せるか…はまた別の話なんだけど、それは西野氏が卒業式で見せたような手法が通じないからじゃなくて、反対に、エンターテインメント世界こそ、西野氏的な方法跋扈する世界からだと思うんだ。西野氏の特異性って、そういう技法を非演芸的な空間一般ピーポーに容赦なく使用したところにあるんであって、業界としてはありふれた手法人間観だと思うんだよな。

こういっちゃなんだけど、どの作品ブームを仕掛けるのも、「人間ってやつは99%空っぽで、何も考えていなくて、でも自分には特別な見識や機会が与えられていると信じていて、自分で何かを決めることができるという幻想があって、人生を楽しむ権利があると思い込んでいて、できればそれを周りの人たちと共有できたら最高!」的な人間観で消費者を見てないと、市場になんて参戦できないんじゃねえかな。

具体的な作品名とブーム出したら不快にさせるだけだろうけど、例えば『ジョーカー』みたいなダークで暴力的作品も、文芸的な邦画作品も、屈折はしてるけど、結局はそういう手法で仕掛けられてると思うんだ。俺には『えんとつ町のプペル』をめぐるプロモーションと、他のエンターテインメントの仕掛け方の本質的な違いって正直わかんねえんだよな。

もちろん、作品としての評価は別かもしれない。でも、俺たちが感じるような「ああ、いい作品だった!」「うーん、クソだった!」が、はたして、俺たちを無意識にがんじがらめる商業的な網から、いったいどこまで自由なもんだろうな? って気もする。

商業的なアプローチから自由って話のひとつの余談として、俺が浪人とき、気まぐれで古本屋に入ったことがあった。11月ぐらいのことだ。街も全体的に灰色だったし、俺の心も灰色だった。俺はこの受験に失敗したら死のうかな、と思っていた。

たまたまカフカの『審判』という本が目に入った。新潮版だ。レア(たぶん)。

俺はカフカなんて『変身』しか知らなかったので、興味と呼ぶにも希薄感情のまま、本当にたまたま、それをレジに持ってった。200円ぐらいだったと思う。

審判』は俺の人生を完全に変えた。どちらかと言うと悪い方にだけど、とにかく、他のどんな作品とどんなかたちで出会ってもあり得ないくらい、深く俺をゆさぶった。

あれこそ、商業の魔の手から完全に自由体験だった。そして、ああい運命と呼べる体験しか、人と作品出会いは本当には成立しねえんじゃねえかな…というのはロマンチックすぎるかもしれないけど、俺は割と本気でそう思ってる。

ところで、あのとき審判』を手に取る代わりに、西野氏のオンラインサロンに参加していたらどうなっただろう?

それでも俺の人生はきっと「完全に変わった」だろうな、と思う。むしろ審判』で三日間くらい飯の味がしなくなるような体験よりよっぽどハッピーだろう。

結局、そんなもんなんだ。キングコング西野氏的なものはこの世界の至るところに、程度の差こそあるけどあふれているし、おおよそ感動はオンラインサロンの充実感で代替される。だから、俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なもの永遠に勝てないだろうと思う。

追記

トラバで、「『審判』のくだりでお前が言ってる、商業的に自由っていうのは、仕掛けられたマーケティング接点では無い出会いだった(古本屋の偶然)という意味か、『審判』の中身・題材に関連したことか?」という質問をいただいて、これは前者のつもりで書きました。

ただ、カフカという作家についても、おそらく、「再発見された天才カフカ」「俺たちの代弁者カフカ」「いま、イケてるやつはカフカを読む! カフカで他のみんなと差をつけちゃえ!」的なかたちで仕掛けられたムーブメントがきっとあだたんだと思います

審判』もきっと、その延長上で古本屋の棚に並んでいたわけで、そう考えると消費者小馬鹿にしつつも心理の隙間に入ってこようとする商業ってやつからは、千切っても千切っても完全に自由にはなれないのかな、と思いました。

ところで、上記の「『審判』の中身・題材に関連したこと」という部分で思いついたことがあるので、それを付記しておきます

審判』のネタバレになること、作品解釈あくまで俺によることをことわっておくのですが、『審判』は、「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という話です。

カフカにはたぶん、いわゆる「自分探し」を揶揄するつもりはまったくなかったことをふまえて考察するんですが、物語の冒頭でなんの脈絡もなく訴えられた結果(罪状も明かされない)、

自分はこれまで、どんな善行(悪行)を重ねてきたか

自分の将来にはどんな可能性が残されているか

そもそも自分とはこの社会世界)において何者か」

を考え、自分無罪を信じぬいた結果、得体の知れない訴訟にハマりこんでいき、破綻する話です。

自分を「信じ抜いた」結果、破滅を迎える。俺が増田に『審判』の話を書いたのは本当にたまたまですが、『プペル』のキャッチコピーを考えたとき、ああ、この対比は面白いな、と思いました。

で、この面白いという感覚には続きがあります

俺は上で、あえて「自分探し」という表現しました。なんでかというと、こう思ったからです。

審判』の「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という一つの解釈について、次のように補足・換言してみる。

自分という存在(の可能性)について徹底的に考え続けた(諦めなかった)者は、(社会的に)必ず破滅する(≒冷遇される)」

…こうしてみると、この増田でも話題にしてきた別の「作品」が見えてこねえか? ということです。

俺は何十回でも強調するつもりなんだけど、俺は『審判』と『プペル』を同列に見ているわけではなくて(『プペル』も別に、読み終わった後しばらく飯の味がわからなくなるくらい衝撃だった、って言われたくはないだろうし)、ただ、この辺ってけっこう曖昧で危ういんじゃねえか、ということです。

自己」「孤立」「理解不能なマジョリティ」「困難な戦い」、こういった要素を含む物語は、例え真逆メッセージを送っていたとしても、じゃあ全然違う別モンだぜ、と胸を張って主張できるかと言うと、「いや、うん、全然違うよ、違うんだけど…ちょっと小一時間整理させてくんねえか」というところがある気がして、それが面白いな、と思いました。

強いて言えば、俺は子供に『審判』は絶対読ませたくないし、『プペル』は別にいいんじゃねえの、という感じです。

それは、『審判』が俺にとってスペシャルなのと、あと単に理解できても暗い気持ちになるからで、自分の子供がそんなんなったらイヤだからです。

2020-12-08

宅八郎死去」を完全スルー出版業界の闇

宅八郎死去」について

宅八郎死去」について、

日刊スポーツなど新聞社や、出版社系でないネットメディアは報じているが、

ポストセブンSPA!、文春、新潮講談社など出版社メディアは一切報じていない。

噂の真相系のリテラや、朝日系のJキャス、ブブカ系のBUNKAタブー、そしてナックルズまでも無視

Twitterなどで宅八郎の思い出を語っている著名人も、宅八郎とそれほど接点がなかった人ばかり。後は、軽く付き合いがあった編集者ぐらい。

宅八郎に振り回された作家田中康夫や小峯隆生(元週刊プレイボーイ編集)、SPA編集長だったツルシカズヒコ(今は共産党シンパに)などは一切無視している。

週刊ポスト編集部への乱入事件や、田中や小峯に対するストーキングなど、香ばしいエピソードが満載なのだが、小学館集英社にとっては触れられたくない過去なのか。

文春や新潮など、宅八郎とはあまり繋がりがない社まで無視なのは異常だ。

テレビワイドショーも大々的に取り上げるか、と思ったら、出版社に倣って?取り上げず。

TBSサンジャポ」なんて、宅はほぼレギュラー出演者だったはずだが。

宅は小学館事件以降、大手出版社出禁で、書籍刊行できたのも「太田出版」。

それにしても業界ごと「完全無視なのはどうよ。田中や小峯に、当時の心境を聞きに行くメディアライターはいないのか。

2020-10-14

anond:20201014144154

文春ならともかく新潮なんて最近クソ記事とかで紙面埋めなきゃいけない状態じゃん

この東大教授コメント勝手に書いてるだけの可能性あるぞ

2020-09-26

はてな義塾塾歌」

一、

見よ

風に鳴るわがブクマ

新潮寄するあかつき

ブコメの中にはためきて

文化の護りたかかに

貫き樹てし誇りあり

樹てんかな この旗を

強く雄々しく樹てんかな

あゝわが義塾

はてな はてな はてな

二、

往け

涯なきこの道を

究めていよゝ遠くとも

わが手に執れる炬火

叡智の光あきらかに

ゆくて正しく照らすなり

往かんかな この道を

遠く遥けく往かんかな

あゝわが義塾

はてな はてな はてな

三、

起て

日はめぐる丘の上

春秋かめ揺ぎなき

はてブの城を承け嗣ぎて

執る筆かざすわが額の

徽章の誉世に布かん

生きんかな この丘に

高く新たに生きんかな

あゝわが義塾

はてな はてな はてな

2020-09-18

コロナ禍の「禍」の読み方を知らなかった。コロナについて色々と調べてたら…。

コロナ禍の「禍」をなんて読むか、わからなかったんですが、「か」と読むんですね。

恥ずかしくて、誰にも聞けませんでした。勉強が足りないって反省しています

そのコロナ緊急事態宣言で落ち着いたかと思ったら、またぶり返したりしていて。

東京都知事小池百合子さんが出していた「東京アラート」により、あのレインボーブリッジを赤くするっていうアイデア、悪くないと思うんですけれど、どうでしたかね。

東京アラートも解除され、今は少しずつ減少気味であって、少し安心しています。(まだ気は抜けませんが)

それにしても小池さん一生懸命やってますよね。

手作りマスクステキだし。「三密」もわかりやすかったし。

ちょっとカタカナが多いのはわたしみたいに勉強不足だと難しいけれど・・・

少し落ち着いてきたので、コロナ禍がわからいくら勉強が足りないということもあり、

ここ最近になってネットでいろいろ勉強しようと思っていたら、こんなツイッター発見しました。

https://twitter.com/minorucchu/status/1270568371868712960

ちょっと前のことですが、この小池さんのことを書いているツイート新潮さんの発売日前に出ていたようなんですよ。

不思議ですよね。

なぜ発売日前に記事が外部に出回ったんでしょう?これがリークというものなんでしょうか?

もしかしてリークさせて売上げを伸ばそうとしたとか?それともリークさせて小池百合子さんの悪口を広げようとしたとか?

だとしたら小池さん、かわいそうです。一生懸命やっているのに。

「三密」とか小池さんが言い始めたんじゃなかったでしたっけ?

いまはWHOとか、みんな偉い人が真似して使っているけれど。

記事が出る前にそれを見ることができる人って限られると思うのです。わたしみたいなバカでもわかりますよ!

それに友だちから広告主とか印刷会社とかの人は記事とか見れるって話を聞いたことあるんです。でも、広告主でも小さいところじゃ、きっと無理かなって。

大企業広告を扱う会社って電通みたいなところでしょうか?

じゃあ電通の人はみんな先に記事読めるのかな?

ということは嫌な記事は載せないとか、それこそフェイクニュースとかも作れるんでしょうか?

電通さんとか博報堂さんとか有名な広告代理店ってそういうことできるんでしょうか?

都知事選挙は無事に小池さんが続いて当選しましたが、小池さん応援したくないところが動いていたりしてね。

なんだかそういうのって嫌だな。

2020-09-07

https://lite-ra.com/2020/09/post-5622.html

キョンキョン共産党から出馬記事内調工作だと主張する記事

今回の一件は、小泉政治社会問題について発言してきたために狙い撃ちされたということは間違いない。

とか言いきっちゃうカオス

その根拠

この小泉企画が「取締役案件」だったらしいことだ。新潮関係者が語る。

内調がその言動をずっと監視しているといわれているからだ。内調の動きに詳しいベテラン週刊誌記者が語る。

「…らしいことだ。」「…といわれているからだ。」そのネタ元も存在するかもわからんそれっぽい存在

 

結局テメーら(LITERAも含めたマスゴミ)がやってるのは、願望と憶測と不確かな情報(中にはでっち上げられた情報源)を吐き出してるだけ

2020-08-28

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/ea85031d6e06571208f87fb0706de93fa3b57d69

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/08280557/?all=1

もうすでに競売は取り下げられてるし

大手が仮登記済ませてる

任売が成立するのと競売が始まるのとが被った感じかな

ちなみに所有権者は4人

ネタが古いですぜ新潮さんよ

2020-08-12

創価学会カルト宗教団体犯罪組織反米テロ組織です。(追記あり

大紀元時報に「中国による対日工作NPO創価学会パイプ役=米シンクタンク報告」という記事掲載されていたので、創価学会について知っていること、理解していることを書いておきます

中国による対日工作NPO創価学会パイプ役=米シンクタンク報告(大紀元時報
https://www.epochtimes.jp/p/2020/08/60384.html

まず、前提として、創価学会カルト宗教団体です。

なぜならば、カルト宗教団体定義というものがあり、創価学会実態は、その定義に多くの点が該当しているからです。

なお、カルト宗教団体定義マインドコントロールについては「マインドコントロールの恐怖」という本に詳しく掲載されています

マインド・コントロールの恐怖 (ノンフィクションブックス)
https://www.amazon.co.jp/dp/4765230716

また、創価学会は、犯罪者病人貧乏人の集合体でもあります

その内実は、イタリアメキシコマフィアギャング類似したものであり、宗教団体の名を借りて、国内最大の犯罪反社組織として君臨してきたという経緯があります

なお、その構成員の多くはマインドコントロール洗脳)されており、正常な人間としての認識判断ができない状態に陥ってもいます

1950〜80年代創価学会による強引な宗教勧誘折伏)が行われ、現在国民の1割程度が学会員創価学会信者)だと考えられています

とりわけ公務員、具体的には、警察組織消防組織自衛隊には浸透しており、警視庁職員の2〜3割が学会員であることが明らかになっています

小中高校大学クラス、そして、企業職場には必ず一定割合学会員存在し、そのため、そういったコミュニティーの中で創価学会批判することがタブーとなっています

なぜならば、各コミュニティーの中の学会員は、香港に浸透している大陸共産党員と同じように、コミュニティー構成員言動監視しており、もしも創価学会批判的な発言をする人間がいたならば、その人物ターゲットとして工作活動を開始するからです。

その工作活動は、中共香港人権活動家に対して行っている弾圧行為類似したものであり、活動妨害嫌がらせ、後をつけ回す行為を含む、集団ストーカーを言われている行為のことです。

例えば、日本で、学校クラス職場で「創価学会は、カルト宗教団体定義合致しているかカルト宗教団体だよ」とおだやかに発言すると、コミュニティー内の学会員が、(受けているマインドコントロールの程度に応じて)狂ったように怒り出したり、怒りを噛み殺したような態度でその発言否定します。

そして、そのような発言をした人間に「アンチ」というレッテルを貼り、また、創価学会員同士でアンチ情報を共有し、「仏罰が下るべき存在」として、監視対象集団攻撃する対象である認識し始めるわけです。

しかし、実際のところ、カルト宗教団体定義というものは、創価学会のために定義されたものではなく、オウム真理教人民寺院のような危険宗教団体から一般人被害を受けないことを意図して定義されたという経緯があるわけです。

創価学会が「カルト宗教団体定義」に該当するのは、創価学会カルト宗教団体的な傾向があるからです。

創価学会信者が、そういった事実を指摘され、「自分所属している宗教団体の悪いところは直していこう」と考えるのではなく、批判者(アンチ)を弾圧して沈黙させようと考えるのは、いかにもカルト宗教団体狂信者の発想・行動パターンに該当するし、サリン事件テロ)を起こした頃のオウム真理教信者類似した発想・行動のパターンだったろうと感じます

カルト宗教団体信者というものは、無自覚マインドコントロール洗脳されていますので、問題点を指摘されたか自分たちの考え方や行動を改めて行こう、という発想にならないわけです。この点では、香港人権活動家たちの要求に対する中国共産党に態度と類似しており、つまり創価学会のようなカルト宗教団体狂信者は正常な人間ではないわけです。

ところで、日本にも日本共産党という組織がありますが、こちらも実態反米テロ組織で、アメリカであれば非合法です。

また、反米組織同士で通じ合うものがあるようで、「創共協定」という契りを結び、反日反米分子工作員を融通し合うなど、この国を蝕むために協力していることはよく知られたことです。

カルト宗教団体協定を締結している時点で、日本共産党の本質反米テロ組織なのであり、また、日本共産党がカルト宗教団体であることは明らかなわけです。

なお、別の視点から見ると、信者にとっての創価学会というものは、ネズミ講ネットワークビジネスのような詐欺犯罪行為を行う巨大組織に見えるようです。ブラック企業のような要素もあり、入信した末端信者は、物的・精神的に疲弊していく一方なわけです。

そのような創価学会実態が、シニフィエ氏が運営する下記のブログで暴かれています。多くの現役の学会員・脱退した元学会員たちの証言体験談掲載されています

創価学会とは — 対話を求めて — 静かに創価学会を去るために
https://signifie.wordpress.com/

創価学会のこのような実態は、個人に心の安らぎを与えたり、精神的な支えとなるような、宗教本来役割とかけ離れたものであることは明らかです。

「類は友を呼ぶ」ということわざがあるとおり、創価学会中共と良好な関係を維持しようとすることは理の当然です。

もっとも、日本就労経験のある中国人の多くは、創価学会のことを嫌いになって帰国するようです。

創価学会オウム真理教とは異なる戦略採用しており、企業警察消防自衛隊地方公務員の様な多くの組織に浸透していますが、アメリカにとっては、霞が関官僚自衛隊に浸透している学会員危険存在であると考えられます

なぜならば、彼らは本質的に反米分子なのであり、中共に協力する工作員として活動する恐れがあるからです。

追記2021年5月25日

米欧の知識人の間では常識でも、日本ではマスコミ官僚が止めて日本国民に周知されていない知見があります

その一つは、学会員寄付創価学会本部パナマのノリエガ(元将軍現在収監中)に送り、大規模な脱税マネーロンダリングを行ってきたというものです。

ノリエガは、創価学会池田大作から大量の学会マネーを受け取り、その金を自らの麻薬ビジネスに投入、国際的レベル麻薬蔓延させてきました。

創価学会池田大作としては、学会員から巻き上げた寄付を、脱税マネロンも兼ねてノリエガの麻薬ビジネス投資運用。その運用益を国内還流させ、創価学会幹部が私腹を肥やすための資金、および、創価学会施設創価大学などを建立する資金にする一方で、同時期に外部に対しては「平和人権」などと嘯いてきた経緯があるわけです。

なお、同時期、聖教新聞で「池田大作がノリエガを持ち上げてきた」事実は、聖教新聞を購読してきた学会員の皆さんには否定できないところでしょう。

とりわけ、警察組織警視庁道府県警察レベル学会員が多く存在し、国内社会問題をひき起こしたり学会員犯罪隠蔽してきたわけですが、彼らが「このような事実をどのように解釈するか」という話にもなります

まあ、無自覚洗脳マインド・コントロールされている様な状態であれば、内容を信じないで、腹を立てたり、不機嫌になったり、書き手攻撃しようとする行動パターンを想定することが出来ます

まりオウム真理教信者のように事実を頭から否定する態度が多くの反応として予想され、それは簡単の予想されるところですが、これ(創価学会麻薬ビジネス脱税マネーロンダリング問題)はノリエガがアメリカ麻薬蔓延させて逮捕収監されたために明らかになった事実であり、米欧では常識として周知されています

このような経緯から、「創価学会犯罪組織であるという事実」を否定することは非常に難しいだろうと感じています

【参考】(2022年11月17日24追記

※「両親は創価学会に数千万寄付した」 宗教2世長井秀和告発「100万円の壺なんて安すぎて学会員にはピンとこない」 (デイリー新潮

https://www.dailyshincho.jp/article/2022/11161131/?all=1

※「実家が保管していた創価学会への財務受領証を預かってきました。※これはあくまで一部です」🌙🌟✨蘭丸✨🌟🌙@lWCBNyyAU1Wf6i0 (Twitter)

https://mobile.twitter.com/lWCBNyyAU1Wf6i0/status/1594306854217469954?cxt=HHwWhMDSyeHojqAsAAAA

※「創価学会2世小学生から富士鼓笛隊員。我が子たちには継承してません。するわけない。新宗教に親が子供勝手に入会させて過度な宗教ル―ルを押し付けるのは「精神児童虐待」です。宗教2世にこそ、信教の自由を与えてください。」🌙🌟✨蘭丸✨🌟🌙@lWCBNyyAU1Wf6i0 (Twitter)

https://mobile.twitter.com/lWCBNyyAU1Wf6i0

創価学会に"一度入ると抜けられない"理由 退会しても「統監票」に一生残る (PRESIDENT Online)

https://president.jp/articles/-/28969

創価学会嫌がらせの手口 (note

https://note.com/yamiwoterasu/n/na7fc265d1c37

2020-07-19

コロワイド株主が考える大戸屋TOBのこと

タイトルにそれほどの意味は有りません。一応中立的に書いているつもりですが、念のため立場を明確にしておいた方が良いかと)

(この手のニュースを見聞きする度に、考えをまとめておきたいなと思いつつ放置していましたが、ようやく行動に移すことができました。)

一向に正される気配のない、TOBに関する誤解

背中を押してくれたのは、こちらの記事

コロワイド「お騒がせ会長」が32億円の詐欺被害に 大戸屋買収に暗雲 | デイリー新潮

コロワイド会長が癖のある人物であることについては今更どうこう言う話ではないし、M資金詐欺に引っかかったという話も、真偽のほどを判断するほどの知見は私にはないが、「本当でも不思議ではない」と、私は思ってしまう。

私が気になっているのは、後半の有識者?によるコメント

 企業法務に詳しい高橋弘泰弁護士は、この被害による大戸屋買収への影響をこう分析する。

経営トップ詐欺に引っかかったと公にすれば、会社イメージにとって決してプラスにはなりませんし、株価が上がる要素も全くない。となれば、大戸屋HD株主が、コロワイドが呼び掛けているTOB賛同するのでは難しくなるのでは」

である

この手の話について最初に私が考えをまとめたいと思ったのは、ライブドアによるニッポン放送買収のゴタゴタがあったころなので、随分と昔のことになる。

が、今回上記記事コメントを見る限り、TOBに関する誤解(と私の考えていること)は、10年以上前から全く変わっていないと言わざるを得ない。

端的に言うと、大戸屋の(大株主ではない)一般株主立場で考えると、「株価が上がる要素も全くない」ことが真実であるなら、株主は「株式市場で売却する」か「TOBに応じる」以外の選択肢は考えにくいという事である

企業価値が向上するからTOBに賛成する」はあり得ない

言うまでもなく、TOBは「対価を出すので、株式を売ってください」と宣言する行為であり、「TOBに応じた株主株主ではなくなる」事が前提となる。

その前提で考えると、仮に大戸屋コロワイドの子会社となり、「とてつもない企業価値の向上が見込まれる」とするならば、これはステークホルダーの多くにとって大変喜ばしいことである。では、一般株主TOBに応じるべきであろうか。当然ながら答えは「NO」。TOBに応じた株主は、当然「元株主」となり、その後のTOB価格を大幅に上回って上昇を続ける大戸屋株価を、指をくわえながら見しかいかである

多くの株主がそう考えるのであれば、TOBは成立しないことが予想される。だからと言って、TOBに応じれば企業価値の向上を享受することはできない。ましてや一般株主立場では、自身TOBに応じるか否かでTOBの成否が左右されるようなものではない。自身TOBに応じず、他の株主の応募に期待をする、あるいはTOB価格が引き上げられるのを期待するのが自然対応となる。

では逆に、大戸屋コロワイドの子会社となり、「とてつもない企業価値の低下が見込まれる」とするならば、これは大戸屋経営陣、コロワイド大戸屋及びコロワイド株主等にとって極めて望ましくないことである

説明必要はないと思うが、株主にとってそのような状況は避けたいところである。が、TOBに応じて「元株主」となるのであれば、話は全く変わってくる。

企業価値を大幅に落とすであろう大戸屋の姿を残念だと思いながらも、懐が痛むわけではなく、というかむしろ懐は温まったという事で、ちょっとおいしいものでも食べようかという気分にでもなってしまうのではないだろうか。

株主ががっしりスクラムを組んでTOBを阻止できれば良い、が、失敗した場合悲惨である。ましてや一般株主立場では、自分一人の行動がTOBの成否にさしたる影響も与えないというのであれば、とりあえずTOBに応じておいて、脱出の道を確保しておくことを、道義的立場から非難できるものではないと私は考える。

TOBの成否の本質は、「買収された会社の将来が悲惨であればあるほど、TOBには応じざるを得ない」に集約されるといっても過言ではない。

まり経営権を巡って「プロキシー・ファイト」をするのであれば、双方で経営ビジョンと将来性を大いに語り合って戦いを交わせばよいのであるが、一度TOBとなれば、「TOBの対価」と「買収後の将来性」を天秤に掛ける以外に、一般株主にとって判断材料となるものなどなく、「TOBの対価」を所与とすると、「買収後の将来性」が低いほど、TOBは成立しやすく、将来のビジョンなど語っている場合ではないのである

企業法務に詳しい弁護士」の方は、別に株主へのアドバイスを求められているわけではないので上記のようなコメントでも良いのかもしれないが、私は大変的外れものだと思うし、株主の方にアドバイスするのなら、「そんなやヴぁそうな人がトップ会社に狙われているのなら、悪くない価格TOBを出してくれている間に逃げたほうがいいんじゃないの」と言うべきである

からこそ、「企業価値の向上」がM&Aお題目であり、産業政策的にも実際に求められる成果であるのに対して、TOBに関してはその本質企業価値破壊する要素を併せ持つため、産業政策としてTOB企業価値の向上に資するための適切なルールを構築することが求めらる。

(ご参考)

マイケル・ミルケン - Wikipedia

ジャンクボンドの帝王1980年代アメリカを吹き荒れたLBOの嵐の立役者の一人。

TOB破壊的な側面を最も忠実に具現化し、大金持ちになった人。一度大金持ちになれば、一時収監されようと屁でもない。そんなアメリカンドリームの体現者。

一旦おしまい

随分長くなってしまったので、一旦この辺で。タイトルを「コロワイド株主が考える大戸屋TOB顛末」としていたものの、顛末までたどり着けなかったので修正

他に書きたかたこととしては

TOBが成立してもTOBに応じた株主全ての株式が買い取ってもらえるわけではないというルールはすごくまずいという話

大戸屋経営陣がホワイトナイトを連れてくるのは難しそうだという話

・仮に大戸屋ホワイトナイトを連れてくることに成功した場合コロワイドは急転直下ホワイトナイトに株を押し付け可能性があるという話

・今後、大戸屋株価TOB価格を下回って推移し、TOBが成立する可能性が高い(と私が考えている)という話

大戸屋経営陣や、従業員有志が「TOB反対」を株主アピールするのであれば、MBO、EBO、MEBOを目指すのが筋であるという話

大戸屋経営陣の最後抵抗としては、「株主優待の異常な拡充」という禁じ手が、実現可能性は別として存在するという話

・「株主優待の異常な拡充」作戦は、コロワイドが先達であるという話(但し、守りではなく攻めに活用したという話)

・FC比率を考えると、TOBが成立してもコロワイド株主優待で大戸屋食事をすることはできないだろうという話

など。ここまで書いて何となく満足してしまったので、結局書かないことになりそう。

2020-07-13

anond:20200713124733

なんなら法律刑罰対象になっていても新潮落書きみたいに持ち上げちゃうしな

2020-07-07

女帝 小池百合子 」の感想

削除されたamazonレビューの供養として140字制限のあるSNSで以下を画像投稿したら、思わぬ反響とともにテキストにしてほしいとの要望も一部頂いたので、増田の使い方として正しいのかよく分からないが、とりあえず貼り付ける。

投稿した画像文章(=amazon投稿した内容)からタイポ1か所とamazon規約に引っかかったのではないかと思われる1か所の2点のみ修正してある。

ちなみに星は最初4をつけて、追記時点で3に落とした。

------------------------------------------

女帝 小池百合子 (文春e-book)』

レビュータイトル:逆に小池百合子凄くないか

本文:

まだ半分ほどしか読んでいないので追ってこのレビュー修正する必要があるが,小池百合子の虚飾を良く暴いたという絶賛レビューしかないことに違和感を感じる。この本の記述をそのまま受け取っていいものだろうか。

この本の記述が確かなら,小池百合子芦屋とは名ばかり(とまではいかないかもしれないが)の中流より少し上の家に生まれ,周囲のお嬢様との格差才色兼備のいとこと何かと比較されることにコンプレックスを抱え,ほら吹きで政治に散財する控えめにいってもクズ父親趣味1970年代カイロに19歳の少女の身空で体一つで放り込まれたことになる。

そこから(著者によれば)アラビア語も全くできない中で,自分の外見と若さだけで周囲の駐在日本人を誑し込んで人脈を作り,カイロ大学首席卒業という大法螺ひとつ日本社会自分を売り込み,首脳夫人通訳番組アシスタントワールドビジネスサテライトキャスター政治家への転身を決め,閣僚都知事まで上り詰めた。小池には何ら専門知識がなく,頼みの学歴すら嘘であるというなら,むしろまれているとは言えないスタート地点から自分の強烈な上昇志向だけでここまで上り詰める才覚は凄まじすぎる。よって立つものがないから法螺で戦ったのであれば,そのクソ度胸は同じ人類とは思えない。

小沢一郎からゲッベルスになれる」と称賛?された小池PR能力について著者は所詮お飾りといったような評価で冷淡だが,クールビズは実際定着したし,最近では「密」など,天然ボケ的なセンスかと思われたPRが,〇〇〇〇〇である彼女の冷静な計算に基づいていたものだったのであれば驚嘆するしかない。著者はこれをテレビセンスと片付けるが,テレビ界で数年アシスタントキャスターを務めただけの小池一人で電通博報堂と肩を並べる力がある。

田島陽子などの声を取り上げて,小池は他の女性政治家と違う名誉男性であるかのような言い振りをするのもフェアではない。そういう同調圧力女性進出を阻む最たるものなんではないだろうか。この本では,(少なくとも自分が読み進めた半分くらいのところまでは)小池がチャンスをつかむたびに,その理由は周囲の男性を誑し込んだから,ということで片づけているし,それ本当かなーという気がしてくる。

また,震災被災者陳情マニキュアを塗りながら聞き,塗り終わったらから帰れ,自分はもう選挙区変えたと言い放つ場面は,その是非はともかく,事実なら小池が並みの政治家とは一線を画す存在であることを浮き彫りにする。こんなの表に出た瞬間政治生命が終了する話であって,そういった態度を政治家が本当にとれるものなんだろうか。地盤のない小池にとっては評判が命だと思うのだが。

正直,著者の描写する小池が凄すぎて,著者の描写も一面だけを捉えた虚像なのではないかという気がしてくる。こうした悪評をすべて小池権力で抑え込んでいるというなら,小池権力総理大臣はるかに超えているんではないだろうか。証言者もナミレイの朝堂院とか,小池に劣らず胡散臭かったりする点も気になる(これはそもそも小池家が胡散臭いことをやっていたことにも起因するんだろうが)。

また,もしこれが小池実像であれば,むしろ僕は小池が凄すぎてその評価上方向に改めなければならないし,その立身出世物語は痛快な小説を読んでいるかのよう。小池豊洲無駄にした120億円を使ってこれを本人主演の映画にすれば,日本映画史に残る名作になると思うので,ぜひ小池にはスクリーンで注目を浴びてもらって,政治世界から永遠に離れて頂きたい。

6月9日追記-----------------------------------------------------------

最後まで読了したが,途中まで読んだ違和感は強まるばかりだった。著者は小池なすことすべてにケチをつけずにはいられないようで,例えば著者は核兵器使用違法性についての小池の答えを自分意見がないと批判的に述べつつ,テロ特措法の延長を努力すると述べたことについては「国内で審議も経ていないのに防衛大臣が早々に自分の考えを明かしてしまう」などと批判する。結局自分の考えを言えばいいのか言っちゃだめなのか。当然ながら防衛大臣核兵器合法性について突飛な持論を展開したら大問題だし,逆に担当閣僚法案の成立に努力することを述べるのは普通のこと。もはや小池憎けりゃ何とやらの世界おかしいのここだけではなく,後半に入るにつれてこうした強引な記述が各所に目立つようになる。多すぎてここには書けないが,終盤は一事が万事この調子。また,丸川珠代の主張はともかく,「日本人で良かった」というキャッチコピーだけで「人種差別的」と断じてしまう著者の姿勢客観的とは言えないだろう。

本書を書くことで著者は身の危険すら感じているようだが,小池裏社会のつながりが明かされるわけでもなく,小池秘書の怪しげな不動産取引を指摘するだけ(その内容は新潮が報じたものの枠をでるわけでもない)。日本ODAが入っているかエジプト小池の言いなりのような主張もエジプト舐めすぎ。日本より多くのODAエジプトに出してるドイツフランスもっとやりたい放題なんだろうか。

こう考えていくと,著者のインタビュー相手が一様に口が重いのも,小池理由なのかも怪しくなってくる。いずれにせよ,小池という一級の面白材料調理するのには著者の力量が足りてないのは間違いない。

2020-07-05

anond:20200705145201

※注

竹中平蔵氏はたびたび報道に対し反論しています

(今年6月ツイッター上で新潮東京新聞報道に対し「誹謗中傷」と主張している。

竹中平蔵公式サイト竹中平蔵氏のツイッターアカウントだとするものツイートである。)

https://twitter.com/HeizoTakenaka/status/1273806660251746305

https://twitter.com/HeizoTakenaka/status/1273175481072918528

https://www.takenaka-heizo.com/

平成29年6月利益誘導疑惑報道後には、国家戦略特別区域諮問会議、第31・32回の会議において「事実無根」と主張している。)

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/shimonkaigi.html

https://dot.asahi.com/wa/2017053100019.html

未来投資会議で現時点公開されている最新の議事録5月会議には令和2年1月会議報道について一切記載がない。

一方で、令和2年2月第35回会議では、令和元年12月を第34回の会議としたい思惑がうかがえる。

具体的には、令和2年2月会議における「首相の一日」で、昨年末12月の内容に言及しているが令和2年1月会議については一切言及がない。

また、令和2年2月会議議事録では、東京大学総長の五神議員が「前回のこの会議で、ポスト5Gの次の段階であるBeyond 5Gまたは6Gの投資戦略 が抜けていると指摘した。」

としている。

しかし五神議員が「前回」としているのは議事録を見る限り令和元年12月会議であることが示唆される。

もし五神議員存在の抹消された令和2年1月会議に参加しておきながら、令和2年2月会議でこの発言をしていたとしたら、

東大総長議事録改ざん積極的に取り組んでいた恐れが高いと言えるだろう。

その疑いを晴らすためにも令和2年1月会議議事録は公開されるべきで、コロナ禍にある中、杜撰運営会議政策に関与してはならないだろう。)

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/

http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202002/07miraitoushi.html

anond:20200705145201

※注

竹中平蔵氏はたびたび報道に対し反論しています

(今年6月ツイッター上で新潮東京新聞報道に対し「誹謗中傷」と主張している。

竹中平蔵公式サイト竹中平蔵氏のツイッターアカウントだとするものツイートである。)

https://twitter.com/HeizoTakenaka/status/1273806660251746305

https://twitter.com/HeizoTakenaka/status/1273175481072918528

https://www.takenaka-heizo.com/

平成29年6月利益誘導疑惑報道後には、国家戦略特別区域諮問会議、第31・32回の会議において「事実無根」と主張している。)

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/shimonkaigi.html

https://dot.asahi.com/wa/2017053100019.html

未来投資会議で現時点公開されている最新の議事録5月会議には令和2年1月会議報道について一切記載がない。

一方で、令和2年2月第35回会議では、令和元年12月を第34回の会議としたい思惑がうかがえる。

具体的には、令和2年2月会議における「首相の一日」で、昨年末12月の内容に言及しているが令和2年1月会議については一切言及がない。

また、令和2年2月会議議事録では、東京大学総長の五神議員が「前回のこの会議で、ポスト5Gの次の段階であるBeyond 5Gまたは6Gの投資戦略 が抜けていると指摘した。」

としている。

しかし五神議員が「前回」としているのは議事録を見る限り令和元年12月会議であることが示唆される。

もし五神議員存在の抹消された令和2年1月会議に参加しておきながら、令和2年2月会議でこの発言をしていたとしたら、

東大総長議事録改ざん積極的に取り組んでいた恐れが高いと言えるだろう。

その疑いを晴らすためにも令和2年1月会議議事録は公開されるべきで、コロナ禍にある中、杜撰運営会議政策に関与してはならないだろう。)

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/

http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202002/07miraitoushi.html

2020-05-06

最近舞城は「ほっこりディスコミュニケーションホラー」(もちろん面白い)も書いている

斗比主さんがIDINVADED(以外イド)を見たと知り、そういえばここ最近舞城は「ほっこり」的な設定、掲示板に書かれる家庭内トラブルみたいなのをテーマにしがちだよなあと思いそれらの小説を紹介。

イド見てる舞城好きは当然ディスコとか九十九十九、闇の中で子供とか好き好き大好き〜を推すと思うが、それらは既に10年以上前作品

最近の内容はシンプルで濃縮され、(さらに)読みやすいという親切?仕様

そしてその中に「平凡な家族ディスコミュニケーショントラブルを書くホラーっぽい小説」があり、それが本当に面白い

人は死なないし超展開は一切起こらず、じわじわ気持ち悪い噛み合わぬ会話、他人事に出来ない平凡な悪意と恐怖と祈りがあって、つまりやっぱり舞城


舞城ほっこりオススメ作品

●『ドナドナ不要論』(『されど私の可愛い檸檬』収録)

最近と言いつつ10年前に書かれていた。個人的に『鼻クソご飯』に匹敵する衝撃。

幼い子供のいる現実的な家庭で、本当に現実的な辛いことが起こる。

でもその悲劇凡庸さが刺さりすぎる。この先の自分に起こる悲劇の一例としてリアルすぎる…。

そして散りばめられた主張しすぎない、ナチュラルほっこり加減!完成度が高い!


●『淵の王』(2015年

舞城二人称視点は読みやすすぎて発明

「家族」要素は低めだが、やばい人間関係トラブルに「ロミオメール」というワード(めっきり聞かなくなったスラング)まで出てきて、なんとも小町的なネタに、主人公3人は正しさで立ち向かう。

結構ストレートホラー残酷だが(あ、これは人が死ぬ)わりと後味は爽やか系のもちろん傑作!悟堂もいいけど果歩が素敵だ!

カエルちゃん女子人妻)も出てきてイド好きにもオススメ


●『秘密は花になる。』(短編新潮2017年2月号)

娘を持つ母として、もう本当に怖すぎる。ゴリゴリ削られる会話達。

主人公母娘達の言葉感情をどう受け入れるか迷ってる間に「家族」のヤバさをさらっと見せつけられ翻弄され、でも行き着く単純さにはやっぱり人への肯定がある気がする。

はい素晴らしい!


●『畏れ入谷彼女柘榴』(短編群像2019年11月号)

夫婦間の気分悪くなるほど噛み合わない会話の緊張から、怒涛の説教モードしかしその説教臭さを吹き飛ばす最後祈りが響く。

あああ、あああああああ、こういう小説を、たくさん読めますように。


舞城は昔から家族の話を良く書くし本当にどれも良い。

しか最近の猛烈な濃さの話を読んでると、『スクールアタック・シンドローム』なんか可愛いというかちょろく感じますめっちゃいい話だけど)

あと『ビッチマグネット』、これたぶんタイトルイメージと内容全然違って順当な少女成長物語、めちゃくちゃ名作。ちゃんほっこり要素入り。

それとid:yunastrさんご紹介ありがとうございました。

ゼロ年代の亡霊兼舞城王太郎のガチオタです。(でも最近の『裏山の凄い猿』も『勇気は風になる。』も読んでいない。単行本未収録が多すぎる…)

友人のいない中学時代森博嗣SMシリーズ、Vシリーズ)で過ごしたスピッツ結成年生まれです。

2020-03-24

三月二十四日(火)

今日頭痛にならなかったのでよかった。ただ、仕事中に同僚から声をかけらえることが多く、ついぞんざい対応をしてしまった気がしたので、あとで少しフォローを入れておいた。というか、いつもよりも丁寧に接した(つもりだ)。

帰宅すると思った通りに妹がいない。妹はコロナウイルスのためにテレワークを導入しているのだが、職場まで遠いので普段はそれなりの距離を歩いている。一日に七千歩ほどだそうだ。その分がなくなって運動不足になることを嫌がり、朝はジョギング夕方にはテニスをしている。それだけの元気が一体どこから来るのか、自分にはよくわからない。自分だったらきっと本を読んで過ごすことだろう。

休みに行く美術館を昨日いろいろと検討したが、ツイッターで出てきた広告によればバンクシーが近所に来るらしいので、そこがいいかもしれない。九月まで開催しているとのことだが、早めにいかないと混むのが目に見えている。しかチケット制だから、どんどん予約が取りにくくなるはずだ。できたらここ二三週間のうちに行きたい。bunkamuraのほうは金曜日仕事帰りに行けばいいだろう。エゴ・オブスクラ六月までやっている。焦ることはない。

それよりも、オリンピック延期に伴って、また美術館側が判断を慎重にしてしまい、一度開いた美術館を閉めてしまうのではないかということが心配だ。そういうことも考えられるので、できたら今週の土日に二か所くらいは足を運んでおきたい。で、バンクシー横浜なので、帰りに有隣堂に寄ってハヤカワSFコンテスト新潮ファンタジー大賞の受賞作、それから漫画を数冊購入することにしよう。久しぶりに図書館を使わずに済ませる。それから、ふとベトナム料理が食べたくなってきたのだが、これは金曜日仕事帰りに行けばいいだろう。

しかし、これだけ大ごとになってくると、風俗に行く気も萎えてくる。客観的に見てリスクは非常に低いと思うのだが(性病のほうがよほど危険だ)、単純にやる気がなくなってくる。いや、そもそも道徳的に行くべきではないと判断している自分がいて、だから金曜日の帰りは美術館に寄ろうと決断している面もある。そのあとにバニーガールバーかおっぱぶくらいには寄ってしまうかもしれないが(いや、さすがにそんなことはあるまい……)。あとはウイルス潜伏させたまま、祖父母に会って感染させたりしようものなら、とんでもない罪悪感があるだろう。

あと、当分海外は無理だろう。特に欧米方面人種差別問題がある。不確実な状況が続く中で、犯人探しをしてしま心理というのは誰にでもあるものだが、わざわざ心がすさんでいるところに足を運ぶこともあるまい。平時であっても、自分旅行した時は街の人々は概して親切であったが、失礼な態度を取る人間ゼロではなかった。そういう目に合うのも社会勉強なので、いい経験にはなったのだが、留学中の後輩はさぞ大変な思いをしているのだろう。

今日の夜のティータイムアーモンドクッキーともなか、それからミルクティ

それにしても、ここで日記を書くの、いつまで続けるんだろう。小説が書けなくなったのでその気晴らしにいいのだが。

あと、タグはつけたほうがいいのだろうか。それとも、匿名の中に埋没したままのほうがいいだろうか。

追記渡仏した後輩は、関西実家にて隔離されているとのこと。まずは帰国できてよかった。

2020-02-18

anond:20200218114601

表紙は水着禁止はいけると思う。

ってか実際、昔は水着とか下着とかの女グラビアだった週刊誌の表紙が最近大人しくなってるよな

週刊現代とかポストとか

(文春・新潮は昔から大人しいし、もっと下世話な雑誌だと相変わらずエロいけど)

2020-01-10

朗報】小保方さん、完全に許される

限りなく黒に近いグレーと見做されるような状況であっても、疑惑の追求に対するまともな反証もせずかといって捏造行為を認めて謝罪することもせずのらりくらりと逃げ続けていれば一般市民は「禊はもう終わった、そっとしておいてあげるべきだ」と擁護してくれる模様

[B! いい意味で] STAP騒動「小保方晴子」さんの現在 菓子店勤務、都内でおくる同棲生活(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

2020-01-08

やっぱり女ってイージーモードじゃん

小保方晴子現在洋菓子店で働いているっていう新潮記事についたブコメ。もうほっといてやれよとか一般人とかならんでてビックリだよね。

研究不正理研ポジション不正に得てるわけで説明責任は今だって普通にあるでしょ。これがキモいおっさんだったら果たしてこんなコメが並んでたか

やっぱり女はイージーモードやん。

2020-01-06

anond:20200106150145

2018年06月08日 19時00分 公開 「現実の方がむごい」 “ヤバいマンガ枠”扱いされる“知るかバカうどん×クジラックス”の白熱対談 (1/2) - ねとらぼ 520 users

2018年06月08日 21時30分 公開 “シミがベリベリ剥がれるクリーム”はウソ 漫画村関与の代理店偽装広告作成販売元は「広告たことない」 (1/2) - ねとらぼ 319 users

2018年06月09日 10時00分 公開 「ダライアス」が好きすぎて個人メガドライブ移植 46歳から始めた3年に渡るプログラミング学習の成果 - ねとらぼ 341 users

2018年06月13日 21時35分 公開 まとめサイト保守速報から広告バナーが完全消滅 広告主に問い合わせる“広告剥がし”の動きが加速か - ねとらぼ 395 users

  • wideangle 別に今しがたひどいサイトになったわけでもなくもう4,5年くらいこんなだと思うんだけど、何で今まで広告干上がらせる方法を誰も取らなかったんだろう。いやいいことだけど。ねとらぼがえらかったのかもしれん。 2018/06/14

2018年06月15日 16時00分 公開 「アイドルマスターシリーズ初の「ガチすぎる演歌はいかにして生まれたか - ねとらぼ 342 users

2018年06月2317時45分 公開 「同人誌ならグレーだから訴えられない」「駿河屋で買って自社で裁断」 被害続く“違法同人誌サイト”、法人運営の悪質手口を関係者に聞いた (1/2) - ねとらぼ 575 users

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