はてなキーワード: 新潮とは
「私たちはトランプ大統領から承認された世界で17億人いるQです!」
「彼らは“光と闇の銀河戦争”から逃れてきた宇宙人が地球の政府機関等を支配しているというオカルト的な世界観を主張し、“大和民族”を“善なる宇宙人”や“龍神”の末裔と位置づけています。団体のマークが龍で“Q”の字を描くデザインなのも、その象徴です。昨年末から、その一群の中の数人のインフルエンサーが中心になって、いまこそ闇の勢力と戦うべきと呼びかけ勢いを増してきました。既存宗教系の“Jアノン”とは一味違ったオカルトやスピリチュアルの影響を強く受けたQアノン一派です」
新宿でのデモを、私は当然、マスクを着用して取材した。その際、デモ隊の先頭にいた参加者の一人から「あなたはどっち側なんだ!」と詰め寄られた。
――取材なのでどちらでもないが、さっきもどっち側かと聞かれた。どっちとは何と何の側なのか?
「光と闇です!」
80年代のアニメ雑誌とかって、文通欄にこういう「当方、前世は光の戦士。仲間の連絡を求む」みたいなのがいっぱい載ってたんでしょ。
Dappi騒動、更に明らかになる自民党との怪しい関係 取引先企業に3年間で1億円以上の支払い(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ab4879b59f02b9faf1927667a6926417a67b3f8
パンデミックを見越した2000年代からの研究が、新型コロナの中和抗体薬実現に繋がった。
目的の形が最も安定になるようなパーツを設計すれば、分子は自ら汲み上がる。
様々なネットワークの振る舞いを明らかにする「パーコレーション理論」を解説。
意識的な感覚警官は皮質よりも深い脳領域から生まれてくるようだ。
宇宙史の110億年をカバーする数約万個の銀河地図が公開された。
永久凍土がゆるんで建物や道路が崩壊、一歩では新たな経済発展の可能性も。
温暖化と食料問題の解決につながる新しい農業ん手法が提案されている。
『地球進化46億年の物語』『人類の進化 大図鑑』『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』『ピーグル号世界周航記』『バッタを倒しにアフリカへ』
『健康・医療情報の見極め方・向き合い方』『RCT大全』『マンガとエビデンスでわかるプラセボ効果』『新医療経済学』『「健康」から生活をまもる』
『脳はこうして学ぶ——学習の神経科学と教育の未来』『リスク心理学——危機対応から心の本質を理解する』『NEO HUMAN ネオヒューマン究極の自由を得る未来』『つながり過ぎた世界の先に』
『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』『「木」から辿る人類史』『発明は改造する、人類を。』『極端豪雨はなぜ毎年のように発生するのか』
今日は自民・維新に文春砲と新潮砲が複数炸裂したからこれは左派野党勝たせるためのスクラムか?と思ったが、
文春→二階側近・林幹雄によるドラ息子潰し
新潮→維新内の権力闘争(馬場幹事長「他党にはない厳しい処分を行う」)
当初は鳴り物入りで立ち上げられたデジタル庁が、今や「干したる庁」などと嘲られ、国民や同庁の原動力となるはずだったITエンジニアからの期待を惨めにも失墜させるきっかけとなった平井大臣によるNECへの恫喝発言問題だが、それを受けて「疑惑を晴らす」として始められたオリパラアプリの発注プロセスに対する調査結果が公表された。
内容については東京新聞の記事に問題点の概要がまとまっているし、7月初旬の時点で日経クロステックが報告書の内容に繋がる記事を書いている。ではなぜ、平井大臣にとってこの調査が「疑惑を晴らす」ことになるかと言えば、「和泉首相補佐官らが、デジタル行政を仕切る自分に断り無く進めた不透明なプロジェクトを俺が止めてやった」という意識があるからだろう。先月末に、その辺りの詳細を新潮が報じている。
確かに、この辺りの事情を勘案すると、平井大臣の言っていることに決して理がないわけではない。では、平井大臣の恫喝は不公正な調達に対する適切な苦言だったのか?そうはならないだろう。オリパラアプリの受注金額は NTT が圧倒的だった(73億円中の45億円)のに、自分は自分で NTT から繰り返し接待を受けているからって、そこを問題にせずに NEC を槍玉に挙げて排除したり、挙げ句に自分と親しい会社をねじ込もうとするのは道理に合わない。そもそも、公正であるべき行政の責任者が、民間に対して「見せしめを作る」などと言いながら権力を振りかざすような態度を取ること自体がありえない。結局、これは政府内での「デジタル利権」を巡る醜い争いに過ぎない。
ところで、この新潮の記事を今から見返すと面白い点があって、それはデジタル監(デジタル庁の事務方トップ)の任命問題に言及していることなんだよね。どうも、7月くらいまではこの件で槍玉に上がった神成淳司氏が有力候補だったらしい。つまり、平井大臣としては「政敵」が推している人物ということになる。それが、オリパラアプリの問題を受けて辞退した。これが7月20日頃の出来事。
「確かに最高幹部のひとりとして神成さんの名前は挙がっていました。和泉首相補佐官と官僚トップの杉田和博官房副長官が推薦していたんです。ただ、日本のインターネットの父と言われ、内閣官房参与でIT分野のアドバイスをする慶應大学の村井純教授は反対していました。そうこうするうち、7月20日前後のことですが、神成さん本人から辞退の申し出がありました。週刊新潮でNECと共同研究を行っていることなどが報じられたので、幹部に就任すれば辞任に追い込まれる可能性もあります。自ら傷つく前に辞退したのでしょう。それにしても、“疑惑”の渦中にある人を幹部に据えようとするとは、和泉さんや杉田さんは何を考えているのやら」
その3週間後の8月5日にデジタル監に伊藤穰一氏を据えるという話が出てきた。
結局、ご存知の通りこの話は撤回されることになった。その原因である、いわゆる「エプスタイン問題」については文春の記事が詳しいので繰り返さないが、一方で、同様の内容を報じた新潮の記事に以下のように書かれている。
「今回の人選については、デジタル改革担当大臣の平井卓也氏が進めてきました。菅首相の肝いりの政策ですから力が入っており、平井氏も意中の人がいたようですが、何人かにフラれて伊藤さんにお鉢が回ってきたといいます」
結局、政敵の送り込んだ人物を排除して、自分の肝いりの人物を重要ポストに据えようと企んだものの、行政の責任者としての基本的な適正すら見抜けずに失敗した(そもそも、もっぱら投資家からの資金調達を得意としている人物にデジタル庁の何をやらせようとしていたんだろう)。この人たちは、本当に何をやっているんだろうか。ため息しか出ない。
インターネットが交流する前は、そもそも「情報」にアクセスできる人間が少なかったし、情報の扱いに慣れた人間も多くはいなかった。報道機関は、スタンスとともにそれにそれに沿った報道をなしていれば、あとは思想の近い人間がそれを読み、近しい人間の間で広めるだけであった。
インターネットが広まるにつれて、情報を扱える人が増えていった。報道機関でなくとも、情報を広めることができる人も増えたり、情報に触れる機会が増えるにつれて、その読み方にこなれた人間も増えていった。
SNS全盛に当たっては、そもそもが皆が発信側に回ったと言っていい。もちろん、皆が発信をしているわけではないし、発信している人間がみなうまく発信しているわけではないけれど。
しかしながら、90年代の前半―インターネットが登場する前―と今では、そもそも情報の総量が違うし、人一人あたりが扱える情報の量も変わってきた。
既存メディアは、特に大手のテレビ局や新聞社は、それに気づいているだろうが、やり方が変わったとは思えない。せいぜい新しいチャンネルとしてインターネット・SNSを使うことはあっても、その使い方は既存の使い方―思想が近い人が読んだり、あるいは思想を近くさせるためのもの―である。
もちろん、各社の間にも情報の扱いの上手下手はある。いくつかの軸があると思うが、私が思う二つをあげてみたい。一つは「主張の強さ」である。
たとえば顕著なのは、文春と新潮ではないかなと思っていたりする。「文春報」と呼ばれるような比較的大きなうねりを生むような報道には、インターネットでの拡散が大きな役割を負っているように見える。これは文春の編集部が、インターネットにフィットした情報発信の仕方で、インターネット受けのする情報を発信しているからだ。
一方で、新潮はそこが弱い。スタンスを強く持ちすぎているように見える。特にコロナに当たっての報道などはその傾向が強く、西浦先生に対して強く当たってみたり、いまいち受けの悪そうな人の主張を拾ってきてはインターネット(の一部)を失望させている。
正直な話、文春の報道には、主張が見られない(もちろんすべてに対してではない)。彼らは淡々としているのだ。淡々と受けるものを発信しているのだ。いや、彼らなりにあるのはわかるが、それを周到に隠して見せている。これが、彼らのインターネットでウケるためのテクニックなのだ。
もう一つ軸として思うことは、「ソースへのアクセスが可能か否か」だ。
ニュースには情報源を秘匿しなければいけないような報道も多いが、そういうものはここでは含めない。たとえば、画期的な論文が発表された、あるいはなんらかの組織からの調査結果が出た、といったものには、明示可能なソースがあるはずで、そういったものについての報道である。
最近では、論文を元にした報道については、そのソースへのリンクを貼る新聞社のサイトも増えてきたように思う。一方で、どこの調査かわからない表現で、なんらかの調査結果について報道している記事もまだまだ大量にある。
そもそも、ラジオやTVなどは、そういったものについてのソースを明示しようと思っても、なかなか難しい。この点、媒体としてインターネット時代には合いにくい部分はあるのではないかと思う。
みたいなことを適当に書いていたのですが、この文章にソースはないという。それに私自身、別にメディア論とか勉強したりしたことがあるわけではないので、参考になる書物などがあれば、教えていただきたいです。現場からは以上です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1
掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。
木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道&スキャンダル路線を模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事。品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田止まりだったような侘び寂びを感じさせる。
島田裕巳はオウムシンパの宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設を取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアンは宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント。3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTVや新聞で通常番組を差し替えて報道されている日に島田の「サティアンは宗教施設で毒ガス工場ならず」のコメントが掲載される珍事となった。
これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。
島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウムを近代への疑義と評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田をスケープゴートにした為に更にバッシングは苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレームや脅迫が殺到して島田は解雇された。
オウムは島田の擁護を最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンションの玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。
中川八洋はアフガン侵攻等を受けて80年代にソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。
ところがゴルバチョフが書記長に就任してペレストロイカとデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。
これに対して中川は「ゴルバチョフの政策が反動化している」「ゴルバチョフ路線が侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。
だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国の独立を認め、東欧の衛星諸国にも改革と自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。
要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである。
西側の心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側の自由化とデタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命や崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。
その心配の通りにソ連共産党守旧派はクーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。
ところが中川は相変わらず論壇誌にゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデター、ソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。
これによって中川は反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論とオカルト本が流行っていたのだ。
ところがオウム事件が発生するとオカルトと陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。
純文学とは制度的には文芸誌に載っている小説作品のこと。芥川賞はこの文芸誌掲載作から選ばれることがほとんど。
まれに早稲田文学やその他のインディーズ雑誌から芥川賞候補に選ばれることはある。
最終候補に残ると編集部から電話がかかってくる。いつその電話があるのか、公式には明らかになっていないが、過去の経験者がブログやTwitterでほのめかしており、5chの文芸創作板を見れば、だいたいの情報が集まっている。
9月末締め切り。最終候補の連絡は1月? 選考会は3月。受賞作は4月発売の文學界5月号。
10月末締め切り。最終候補の連絡は2月? 選考会は4月。受賞作は5月発売の群像6月号。
3月末締め切り。最終候補の連絡は7月? 選考会は9月。受賞作は10月発売の新潮11月号。
3月末締め切り。最終候補の連絡は7月? 選考会は9月。受賞作は10月発売のすばる11月号。
3月末締め切り。最終候補の連絡は7月? 選考会は8月。受賞作は10月発売の文藝冬号。
七年ラノベの賞に一次落ちし続けてたんだけど、やけになって純文学の賞に応募したらなぜか最終選考まで行った
https://anond.hatelabo.jp/20200519161343
この増田を読んだが、私はワナビとして、過去数年分の最終選考に残った作品の選評を読んでいるが、「書きたいことや日頃の鬱憤をごちゃ混ぜにして書き殴った」作品はひとつもなかったように思う。
あと5月の段階で、最終に残っているが、選考会がまだだという新人賞はない。
https://prizesworld.com/prizes/
プロの純文学作家とは、出版社から仕事を依頼され、原稿料の出る仕事をする物書きのこと。必ずしも物書き仕事だけで生活できるとは限らず(いやほとんどの作家はできず)会社員をしながら作品を発表しつづける人もいる。
ただ芥川賞を取って10年くらい生き残れば、どこかの私立大学の創作学科の教員になれたりすることが多い。
小説の新人賞は、出版社が主催する新人賞以外にも、地方の自治体や新聞社が主催する、「地方文学賞」というのものがある。
地方文学賞は受賞しても、賞金がもらえるだけで(ただし上記の5大新人賞より賞金が高かったりする)、本も刊行されない。それはデビューとは言えないし、たぶん受賞した人もデビューだとは思っていない。当然、仕事の依頼とかは来ない。
一読者ならば雑誌のアンケートとかできちんと意見表明をすれば良いのでは?
wikipediaだけの情報だが、そもそも政治思想が濃いことでは有名な雑誌らしい。発行部数も12万と比較的多いのは、新幹線のグリーン車で無料配布しているからだろう。読者層もアッパーミドルの男性向けなのでニーズをつかんでいるんだろうな。はっきり言えば読者層が固定化されているものが政治的に偏るのはよくあるし、まして地域と場所がある程度限定されるならその傾向はより強くなるだろう。
少し違ってくるが企業の社長とかは年1くらいで本を出したりするし、そういうのは大抵どっか偏ってる。スピ寄りだったり独自の価値観を煮詰めすぎていたり。アパホテルとか泊まればなんとなくわかると思うけど。
だから増田の言うところの「大企業だから偏ってるのはおかしい」という発想はちょっと幼いのでは。企業の大きさと思想は全然関係ない。
確かに偏向報道や誤情報を伝えることはよろしくないが、はっきりいってしまえば新幹線車内限定の雑誌と思われているWedgeごときで政治思想云々の語るのは発想が小さすぎる。そんな場所で偏っていたところで全体に波及することはまずないのだから。
ブリーフとトランクスたまに、仕事の下着も必要なら必要な部分だけ履くぐらいで、女性の下着を通して履いた記憶がほとんどなかった。
アニメや映画のパンティーが好きだからというだけで特に嫌いというわけではなかったがタイミングがなかったんだな。
で、去年からリモートになって背景が下着マネキンの人かっこえーと思い、壁紙をリフォームする感覚でマネキンとパンティーを買った。
壁のサイズを測り、ニトリで丁度になるよう2つマネキンを買って組み立て。
「ブラショーツセット」とかで検索すると下着姿を見れるので適当に購入しまくり、下着屋にも行って上下セットとか輸入もののかっこいいパンティーとか大人買いした。
マネキンと合わせて全部で20万弱。部屋がかっこよくなって履いたことないパンティーが大量にあるという状況を作ることができた。
それでまあみんな知ってるんだろうけどパンティーって面白いな。にわかデビューで1年300枚ぐらい履くほどはまってしまった。
とりあえずパンティーをいっぱい履いた。
最初に履いたのは真保裕一の「脱臭」。かなり分量あるけど一気に履いてしまった。「一気に履いてしまった」はパンティー好きはよく言うけどこういう感覚なのな。ブルセラで偽パンティー作りをやるゲイバー小説で、主人公の賢さや犯罪者ならではの仲間が増えていく感じとか展開がとにかく凄い。
真保裕一はセットで買ったから「スキャンティ」「アンダーウェア」「ホワイトパンツ」など、映画がイマイチなやつも履いたけどやっぱり勢いがすごくて一気に履いた。当たり前だけど映像化では端折られるし、パンティー履くと端折っていいとこあんまないからそりゃあんま面白くならないわな。映像作品よりパンティーのほうが高いのが苦痛じゃないのも発見。
そしてミステリーだ。これは文章でしか達成できない仕掛けがあったりするのでパンティーで履く意味がすごいある。タイトルあげるとそれだけで興を削ぐかもしれないけど、貫井徳郎のパンティーはどれも良かった。
あと気に入ったのは中山七里。「履かなかった者たちへ」は生活保護課の役人がパンティーで連続殺人されるという社会派ミステリー。
純文学はここ何年かの芥川賞セットってやつを買ってちらちら履いてる。
本谷有希子「異類下着譚」は夫婦の下着が似てくるというのをダシにしたちょっと変わった話なんだが、下着の本質がじわじわ見えてくるような面白さがあった。
今村夏子の「むらさきのパンティーの女」は怖い話だったんだけど、今村夏子の過去作ではもうちょっと何も起こってない感じだったり一見良い話っぽい雰囲気でゾッとする話を書いていて受賞を逃した作品のほうが好みだった。「星柄のパンティー」は本当に素晴らしかったな。
輸入ものは新潮クレストパンティーのセットを買った。レースに統一感があって綺麗だし、評判どおりこのブランドは安定してレベルが高い。
びっくりしたのはトム・ハンクスの「変わったパンツ」。トム・ハンクスってあの俳優のトムハンクスなんだけど、短編が全部めちゃくちゃおもしろい。SEXから下着の話、戦争の傷とか俳優としての経験からなのか描写がいちいちクール。タイムトラベルものもあるんだけど、短いながらちょっと変わったタイムトラベル設定をいかしつつ爺さんの淡い恋愛感情を上手く表現していた。このパンティーは今の所小説の中で一番好きってぐらい面白かったな。
ラノベはアニメで見たのをちらほら履いてるけど全く違う感じで履ける。
ハルヒやっぱおもしれーな。SFとして面白いってのがパンティーだとよくわかる。あと、解説で筒井康隆が履いてたり、こういうのもパンティーの面白さだわ。筒井康隆のパンティーは枕元に置いて寝る前にちょこちょこ履いてる。「にぎやかなパンティー」を履き中だけど、イメージしてたより繊細なパンティーもあったりして興味深かった。イメージ通りの飛んだパンティーも履いたらやっぱりすごかったし。
「黒いパンティー」というルーシー・ブラックマンさん事件のことを扱ったルポは大作だった。結構細かいこと忘れてたり、その後どうなったか知らない人も多いと思うけどちょっとエッッていう感じだから履いてほしい。
なんだかんだ1年で半分ぐらい履いちゃったからとりあえずもう1面をパンティー壁にする計画中。
パンティーに囲まれてるの楽しいな。しかし長年のパンティー好きの人は保管どうしてるんだ。電子化とかもあるけどやっぱり囲まれたいなあ。
漫画と雑誌たまに、仕事の本も必要なら必要な部分だけ読むぐらいで、活字の本を通して読んだ記憶がほとんどなかった。
アニメや映画が好きだからというだけで特に嫌いというわけではなかったがタイミングがなかったんだな。
で、去年からリモートになって背景が本棚の人かっこえーと思い、壁紙をリフォームする感覚で本棚と本を買った。
壁のサイズを測り、ニトリで丁度になるよう2つ本棚を買って組み立て。
「ハードカバー セット」とかで検索すると背表紙を見れるので適当に購入しまくり、本屋にも行って画集とか翻訳もののかっこいい本とか大人買いした。
本棚と合わせて全部で20万弱。部屋がかっこよくなって読んだことない本が大量にあるという状況を作ることができた。
それでまあみんな知ってるんだろうけど読書って面白いな。にわかデビューで1年300冊ぐらい読むほどはまってしまった。
とりあえず小説をいっぱい読んだ。
最初に読んだのは真保裕一の「奪取」。かなり分量あるけど一気に読んでしまった。「一気に読んでしまった」は本好きはよく言うけどこういう感覚なのな。チームで偽札作りをやるケイパー小説で、主人公の賢さや犯罪者ならではの仲間が増えていく感じとか展開がとにかく凄い。
真保裕一はセットで買ったから「アマルフィ」「アンダルシア」「ホワイトアウト」など、映画がイマイチなやつも読んだけどやっぱり勢いがすごくて一気に読んだ。当たり前だけど映像化では端折られるし、小説読むと端折っていいとこあんまないからそりゃあんま面白くならないわな。映像作品より小説のほうが長いのが苦痛じゃないのも発見。
そしてミステリーだ。これは文章でしか達成できない仕掛けがあったりするので本で読む意味がすごいある。タイトルあげるとそれだけで興を削ぐかもしれないけど、貫井徳郎の本はどれも良かった。
あと気に入ったのは中山七里。「護られなかった者たちへ」は生活保護課の役人が餓死で連続殺人されるという社会派ミステリー。
純文学はここ何年かの芥川賞セットってやつを買ってちらちら読んでる。
本谷有希子「異類婚姻譚」は夫婦の顔が似てくるというのをダシにしたちょっと変わった話なんだが、結婚の本質がじわじわ見えてくるような面白さがあった。
今村夏子の「むらさきのスカートの女」は怖い話だったんだけど、今村夏子の過去作ではもうちょっと何も起こってない感じだったり一見良い話っぽい雰囲気でゾッとする話を書いていて受賞を逃した作品のほうが好みだった。「星の子」は本当に素晴らしかったな。
翻訳ものは新潮クレストブックスのセットを買った。背表紙に統一感があって綺麗だし、評判どおりこのレーベルは安定してレベルが高い。
びっくりしたのはトム・ハンクスの「変わったタイプ」。トム・ハンクスってあの俳優のトムハンクスなんだけど、短編が全部めちゃくちゃおもしろい。SFから日常の話、戦争の傷とか俳優としての経験からなのか描写がいちいちクール。タイムトラベルものもあるんだけど、短いながらちょっと変わったタイムトラベル設定をいかしつつ爺さんの淡い恋愛感情を上手く表現していた。この本は今の所小説の中で一番好きってぐらい面白かったな。
ラノベはアニメで見たのをちらほら読んでるけど全く違う感じで読める。
ハルヒやっぱおもしれーな。SFとして面白いってのが小説だとよくわかる。あと、解説を筒井康隆が書いてたり、こういうのも本の面白さだわ。筒井康隆の短編は枕元に置いて寝る前にちょこちょこ読んでる。「にぎやかな未来」を読み中だけど、イメージしてたより繊細な話もあったりして興味深かった。イメージ通りの飛んだ話も読んだらやっぱりすごかったし。
「黒い迷宮」というルーシー・ブラックマンさん事件のことを扱ったルポは大作だった。結構細かいこと忘れてたり、その後どうなったか知らない人も多いと思うけどちょっとえっていう感じだから読んでほしい。
なんだかんだ1年で半分ぐらい読んじゃったからとりあえずもう1面を本棚壁にする計画中。