はてなキーワード: 嫌悪感とは
元増田だよ
反応遅くなってごめんなさい
わからないけど私は違うかも、恐怖ってよりかはゾワゾワってする感じかな、嫌悪感ってほどじゃないけどそういう感じ。あと触れた後とかに触れられた箇所に感覚が残ってる気がして嫌なんだよね。
私は女子大学で働く教職員の一人だが、トランス女性を女性とみなし、入学を許可するのには反対である。
トランス女性に対しての嫌悪感があるわけではない、少なくとも自覚する限りではない。恋愛をするのも、性的欲求を感じるのも、衣服を着るのも自由にすればいいと考えている。
大学生の時だったか、ある講義の初回で「差別と区別の違い」について考えて、それを授業の最後に提出しなさいと言われたことがあった。
自分がその際どのようにミニレポートを纏めたかは覚えていないが、少なくとも私は「区別することは大事なことである」と考えている。
男性が男性に恋をするのも、化粧をしスカートを履くのも。女性が女性に対して性的欲求を抱き、身体的性別が女性である生徒が学ランを着るのも問題はないし、不思議に思わない。むしろそれに対して意を唱えるのは「差別である」と感じる。
だが、トランス女性であっても、男性であっても、身体的性別が男性である人が女性用トイレや更衣室、風呂に入ることについては反対である。
その理由として、以下の点が挙げられる。
・トランス女性の中でも見た目を限りなく身体的女性に近づけている人もいれば、そうでない人もいること。
→入って来た人の見た目が「身体的性別が男性」寄りであるほど、「身体的・精神的共に男性である」人との違いがわからない。
・トランス女性であり、同時にレズビアンである人もいること。(身体的性別は男性であり、精神の性別は女性であるが、恋愛・性的対象となるのは女性となる)
→お手洗いや更衣室、公衆浴場といった場所で自身が性的対象になりうる相手がいる状態となってしまう。
(これについては身体的女性であり、レズビアンである女性も同じではないか、という意見もあると思うが今回フォーカスを当てているのはトランス女性についてである)
「安易に女性用施設にトランス女性の使用を許可すると問題がある」と言いたいわけではない。女性相手に性加害を行うのが男性であることも女性であることも、トランス男性であることもトランス女性であることも、どんな性別でもありえることだ。だが、そういった危険に晒されにくい場所(女性専用トイレ・浴場)で身体的性別が男性である人がいるとなると、「ここは安全な場所である」とは思えなくなるのではないだろうか。
件の女子大についてもそうだ。
女性として、女子大学に入学し、女性として入寮し生活をしたいという女学生の感情を全く理解できないわけではない。だからこそ、学生には問題はないと思っている。
しかしながら、学校はどうだろうか。身体的性別が男性である学生が女子生徒として入学することについて、学生の保護者に報告をしただろうか。入寮することを報告しただろうか。学生にそれを話しただろうか。その上で皆「問題ない」と答えただろうか。無論、それらに全て「はい」と答えられるのならば、このような問題にはなっていないだろう。本件については、学校の周知不足、浅慮が招いた結果であると思っている。
まだまだトランスジェンダーというもの、LGBTQと呼ばれるものについての社会的な理解は浸透していない。区別、差別の他に人は「感情」のある生き物であるから、皆が「良い」と言えるような社会を作るのは、かなり困難な道ではないかと考えている。
職場の下足箱にちん毛が落ちている
1本2本ではなく風呂場で掴んで毟ったときのようなけっこうな量が落ちている
なぜまん毛ではなくちん毛であると断定するかというと女性社員はわたくしを含め全員がショムニの制服を着てタイツを履いているからです
タイツ履いてたら落ちねえだろ 落ちてたら嫌だな
週に1回、ウエスにかんたんマイペットを吹いて下足箱を掃除する
これ全部知ってるおっさんのちん毛なんだと改めて思っても意外と嫌悪感はない
ただおっさん達の奥様や娘さんやお母さまという会ったことのない家族を想像すると少し変な気持ちになる
知らない小娘(でもあなたの夫は少し知っている小娘だ)(おばさんかも)が夫のちん毛を拾っています
どうですか
(番付の人が十両以下を割愛したようなので今場所も引き取りました。確かに今場所は不作ですね…)→【今回の幕内】
某空や某NPO関連のニュースが棘やXで配信される度に嬉々としてコピペエントリを投稿する増田。
一掲示板に過ぎない増田が他サイトと比べてなぜか「政治・ジェンダー臭のキツい」掲示板に成り下がる元凶となった一人。
複垢フェミと並び党派性臭い増田の代表格。同一人物説もあるが詳細は不明。
詳しくはこちらを参照。すぐ投稿を消すしょーもない煽りカス増田。
死ね先生と並ぶ迷惑トラバ系増田。その名の通り「馬鹿」を連呼する。こいつもウザさでいえば幕内レベルだがキャラ被りが災いしたか?
その他の一言しかコメントしない増田たち。「シコって寝るか」「今夜もカレー」「大崎甘奈」「波打ち際に毛球あり」など。
もうめんどくさいので全部ここにまとめて終わりにさせてください。
こちらも2020年から現在まで「かるさりかんに」というトラバを延々と伸ばしまくっている謎増田。同一人物の仕業かどうかも不明。
ちなみに駐日フィンランド大使館のTwitterによると、意味はフィンランド語で「自宅でパンツ一丁になって酔っ払うこと」らしい。
同カテゴリー参照。架空のサッカークラブと思われるネタニュース記事を連載している増田。
5chのドメサカ板でも2019年頃から同名のコテハンが活動しているようだが、無関係なスレにもこのネタを書き込むため、顰蹙を買っている。
誕生日が7月らしく、タイトルは加齢に伴って「増田♂51歳の日常」→「増田♂52歳のナントカ」→「増田♂53歳のなにイよんならぁ」と変遷している。
集団ストーカーの被害者を自称し、報道や法整備を求めている増田。お察し。
SNSを目の敵にしており、「マスコミは芸能人のインスタ投稿を元にしょーもないコタツ記事書くぐらいなら集ストテク犯を特集しろ」が持論。前半部だけなら一理あるが…
「イルミナティのガブリエル」を名乗り↑の集団ストーカー増田に嬉々としてトラバを行う増田。
最近はガブリエル本人の投稿よりもファンらしき増田による「ひいまた夢でガブリエルが出た」などのエントリが目立ち始めている。
同カテゴリー参照。「自称インテリ語録」として他増田のエントリを引用している増田。
本人語りによれば障害者の就労移行施設に通っていた過去があり、それが理由でインテリや「弱者男性」という語への嫌悪感を強めたとのこと。
何かにつけて「とにかくニュージーランドに来るのはおすすめしない」増田。
この増田に限らず、ピアノマンや寿司ギャル増田など増田→note移住組は投稿が途絶える傾向にある。やっぱりあっちは注目されづらいのだろうか。
回文になっていない回文から始まる増田。水曜日以外もすいすいようび。
一見するとタイトルにタグ「アタック25」がつけられているように見えるが、最初に日付を書いてしまっているため、カテゴリーとして機能していない。
「謎増田シリーズ」と称して↑を突っ込まれた際には本人からコメントがあったらしいが、その後もこの謎スタイルを踏襲している。
今日は朝から村の溝掃除に参加したんだけど、あれは稲作の始まりを告げる重要な行事で、村全体で農業生産のインフラを支えていくぞっていう共通認識の確認作業なんだよね。
終わったら落ち着きと称して簡単な酒席があるんだけど、あれも決起集会的要素がある。
まあ、圃場整備される前の土の溝だと一日仕事だったから、その名残でもあるんだろう。
とにかく、田舎の生活は長年続いてきた稲作文化がその中心に存在する。
同じように見えて地方ごとに歴史や気候や地形の影響で全く異なる文化がある。
それを理解できない近代以降の中央主権的価値観に支配された薄っぺらい連中が、商業化された文化が無いから田舎には文化が無いとか言っちゃうの、マジで嫌悪感しかない。
それはお前がアホで見る目がないから見えないだけだぞと言いたい。
男性向けポルノを観る時、脳はモニターに映る女性を無意識のうちに物として認識しているらしいのだが、その説の真偽は置くとして、そもそも自分はポルノに限らずモニターに映る人間を人間として見てるのかという疑問が沸いてくる
例えば昔のお笑い番組で、身体を動けないように拘束された出川が汚物まみれにされるのを見て強い不快感に襲われたが、そういう演出をする番組制作者に対して強い嫌悪感を覚える一方で自分はその時に出川のことを人間として見ていない
粗末な扱いをして笑いを取るために用意されたオブジェクト、というのが感覚に近い
藤井壮太や大谷翔平をテレビで観てスゲーと思うが、それはスゲー人間だと興奮するためのオブジェクトであって、ちゃんと人間として見ている感覚はない
たぶん、物もわからぬ幼児が蓋の開いた井戸に近寄っていくのをテレビで見ても、それを制止しようとは思わないだろう
じゃあモニターの外、例えば家族のことはオブジェクトに見えるのかというと、ちゃんと人間に見えている実感がある
むしろ逆で、人間として見るという感覚は家族を見ているときの感覚に近しいという認識だ
たぶん自分は、相手のことをちゃんと人間として見るためには関係を持って対話することが必要なのだ
大前提として私は女である。彼氏としたことも、アダルトな店で働いたこともある。
もちろんセックス自体もしたことがあるのだがそこまで好きじゃない。たぶん嫌い寄りなのかもしれない。
彼氏とするより、金と等価交換と考えられるお店の方がまだ割り切れるな、私にもメリットがあるな、と思ってしまう。
で、タイトル通り、セックス中の男性というのはとにかくひっつくというか密着することにこだわるなと感じる。まるでそうしないと損、みたいなレベルで。
客でならまだわかる。死ぬほど嫌だし気持ち悪いなとは思うけれど。彼氏とかはわからない。お金を払っているわけでもないのだから、たとえ私と引っ付かなくても損とかしないはずなのだ。不思議で仕方ない。
こういう話をすると、好きだから密着したいのだ、君は彼氏が好きではないのか、という回答をよくいただく。まあ確かに嫌だなとか思う時点であんまり好きではないのかもしれない。ただ個人的に嫌だなって思う理由としては、とにかく性的に引っ付きたい!と主張している時、大体の人はもうとにかく顔が気持ち悪いのだ。必死すぎるというかなんというか。そもそもそういうふれあいが苦手なのに、嫌悪感をこれ以上足してしまわれると塩対応しかできない。あと嫌がってもえーいいじゃんって言って押し切ろうとするのは全男性共通なんだろうか。全然良くないし、良くないから嫌がってるのだが。
お店とかなら、たとえば本番前後もなるべく密着して座ってとか、手を繋いでとか、バレないように太ももに手を当てたりとか、髪の毛撫でたりが嫌だ。これも接客の一環だし、それなりのお値段もらってるので耐えはするけどシャワー浴びた後は勘弁してほしい。触られたところせっかく全部洗ったんだからこれ以上仕事増やさないで欲しい。
もちろんキスも嫌だがキスでなく顔を近づけたいとかも無理だなって思う。髪の毛に顔埋めたりとか。洗う手間が無限に増える。個人的にキス>フェラ>本番の順で嫌さが違う。キス一番嫌だ。でもこれは彼氏とする時も変わらないかもしれない。
ぶっちゃけするだけなら適当に慣らして突っ込んで出したら終わり、でいいと思っちゃうのだ。キスもクンニもいらないし、最低限の前戯でいい。多少の痛さなら割り切るからサクッと短時間で終わって欲しい。
女性にも気持ちよくなってほしい、そうしたら気持ちよくなれるとかもよく聞くけどわからない。ならとっとと終わらせるか、何もしないで寝かせてくれた方がよっぽど気持ちよさを感じられるというものである。
性行為をして射精することが目的なんだからそれ以外いらなくないだろうか。最短ルートでゴール目指したらダメなのか。効率悪くないか?
女性が気持ちよくなる、というのは実際男性には微塵も関係ないだろ、とはどうしても思ってしまう。
出せれば結果は変わらないし。店だともうこういう説明したら死ぬほど揉めるので、死ぬほど嫌なこと以外は黙って演技してるのだが、演技でもさほど満足度に影響は無さそうだなと思う。リピーターの人もいるし。
どうしてもあなたにも気持ちよくなってほしい!とかガンガンいうやつほどめんどくさいのはなんなのか。
正直この記事は一から十までただの愚痴である。申し訳ない。ただ本当に引っ付いたりのありなしで結果に違いはないと思うし、どーしてもっていうなら適当に乳揉んだらすればいいんじゃないのって思ってしまう。だからより不満なのかな。ベタベタ手を繋ぎたいとか顔を近づけたいとか言われるとどんな相手でもげんなりしてしまう。
小学生からの幼なじみがいる。何でも話し合える素敵な親友だった。
彼女はずっと私の憧れだった。頭が良くて、スポーツ万能で、ユーモアがある人だった。
彼女は昔からの夢を叶えて教師になり、私はなんとなく事務員として働いている。
お互い、恋人は出来ても長続きしない事が多く、二人で呑みながらそのことについてうだうだ話したものだ。
ある日、恋人を紹介するね。と言われてそこに来たのは、ミスターオクレのような冴えないおじさんだった。
年齢は57歳。妻子持ち。しかも娘は私達よりも2歳上の30歳。
二人は目の前で幸せそうにイチャイチャしていた。子供が欲しいね〜。なんて目を見つめあって言ってたので吐きそうになった。
パパ活として金をむしり取ろうとしているなら、まだ笑えたが本気で愛しているらしい。
その後、何度も彼女に別れるように言ったが、彼女は聞かない。彼の事が好きで好きでたまらなく、とても幸せなのだという。
自分の父親より年上のおじさんと不倫している。そんな彼女を生理的に物凄く気持ち悪く思ってしまった。
相手の奥さんと子供の事なんか一ミリも考えず、自分の事しか考えず、人を傷つけても平気な所にも嫌気がさした。
今まで通り、彼女と遊んでいても楽しくなく嫌悪感や生理的拒否感が出て来てしまう。
連絡が来るたび嫌な気持ちになる。
そして、親友に対してそのように思ったことへの罪悪感でいたたまれなくなる。
とても寂しいが、今まで通り仲良くする方が辛い。でも今までの関係性も好きだし、彼女と仲良くしないなんて考えられないとも思う。
数日前から「BLGL愛好家は同性婚の支持を!」「版権キャラにレインボーフラッグを持たせて何が悪いの?」等の話題が各所で散見されていますが、「当事者置いてけぼりの空中線になってるな」という印象です。こういう流れを見る度に、正直かなり腹が立っています。
ちなみに発端になった同性婚自体に関しては、「私自身は婚姻関係に興味ないけど、望んでる人たちが権利を享受できるようになったらいいよね」と思っています。
で、何がそんなに腹立つのかって話なのですが。
そもそも今世間で巻き起こっているLGBTフレンドリー活動は、お金儲けや企業のイメージアップとして利用している側面が大きい=マジョリティによるマジョリティの為のもので、そのムーブに適応できる一部の当事者しかピックアップされていない状況なんですね。
その中でも同性婚の話題は異性愛者にも感覚として伝わりやすいのでエモーショナルな注目を浴びやすく、それにより極端なセクマイ観が広まっていることに大変嫌悪感があります。
そしてタイトルの件。
人の性自認を「それはおかしい」と否定することはモラルに反しているとは思うのですが、女性オタクの中には別の問題から来る生き辛さを自分のセクシャリティに由来していると勘違いしている人が大勢いると体感しているのも事実です。
いわゆる一昔前に「生物学上は女」と言っていた人たちですね。
■ 性別違和は思い込み?実はそれ性別違和ではないかも…|https://iris-lgbt.com/blogs/gender_dysphoria
性別違和と混合されやすいのは、「男らしさ」「女らしさ」が嫌ってこと?という指摘です。性別という属性で「男らしさ」「女らしさ」を強制せずに、自分らしく生きていこうというのはもちろん望ましいことです。
ただしこのことは、性別違和のある感覚とはズレています(別の事柄ですから、同時に生じる可能性はあります)。
例えば「スカートが嫌」というとき、「スカートという女らしさを押し付けられるのが嫌」なのか、「男性なのに、女性だと見られるのが嫌」は違います。もし後者のように「本当は別の性別なのに、誤った性別で見られるのが嫌」だとしたら、きっと性別違和の強い状態なのだと思います。
上記のような混同をしている人が非常に多いように感じており、そういう人たちと我々は性質が全く異なるので残念ながら会話が噛み合わないし、SNSで見当違いの議論が発生しやすい状況になっています。
私はそれが非常にナンセンスだと思っていて、やるせない憤りを感じている訳です。
なので、「本当はセクマイではない」人たちが、共感力の高い(あえて悪く言うならば無知の)異性愛者を巻き込んで大盛り上がりしてるのは、実際の当事者は大分冷めた目で見ていますよ、ということを知ってほしいです。