はてなキーワード: 国公立大学とは
マジな話をすると、アジア危機のときに韓国みたいになる。例えば、通貨安になって、中堅以下の財閥が死ぬ。実際に、1998年の頃のヤバさを知っているけど、本当に日本が外資に乗っ取られると言われていた時期があった。実際に、北海道拓殖銀行や山一證券が無くなりましたし。アメリカ企業の GE やシティ銀行が日本のノンバンクを購入していたし、日興証券や SMBC信託銀行も外資になったしね。リーマンショックで、すっかりその勢いは無くなりましたけどね。最近は MBA とか言わないもんね。西暦が変わる頃には、香港に口座を持つのが賢いとまで言われていたし。ヘッジファンドと呼ばれている業務は、消えていっているし。そんなら、韓国みたいに一流企業が出てくるのなら良くね?って思うのなら、やめとけよ。あの頃は、日本に体力があったから、防共と戦争の贖罪を兼ねて、韓国に技術やナレッジを提供してやっても良かったとされていて、マスコミが報じないだけで、わざと技術はダダ漏れさせたんだよ。ネトウヨが「地方国立理系男性」というレッテルで煩いのも、実は根拠があるのよ。だって、地方の国公立大学が没落した理由は、本当ならケツ持ちの日本が「テメーら勝手に技術をとるな!」って言うべき政府が何にも応対しなかったからだよ。あと、半導体はアメリカも煩かったので。日本は、韓国の国家破綻に対して十分に応対してやった。だが、日本が破綻すると、誰も何もしてくれないのよ。だって、日本において競争力のある技術って、アメリカ人も韓国人も持ってないからね。そんでもって、日本がデフォルトを起こすと、金持ちはもっと金持ちになる、というだけだよ。根拠は日本円が紙くずになっても、金持ちは外貨を大量に持っているので、全く無意味っすね。
「横井利明(今年4月の名古屋市長選挙に立候補して落選)オフィシャルブログ」より
http://blog.livedoor.jp/minami758/archives/2513329.html#comments
61. Posted by 南区区民の一人 2021年08月07日 10:27
2019年の建設技術フェア(吹上ホールで開催)の開会式挨拶の冒頭で、河村市長は、開会時の音楽を演奏した女性音楽家(演奏用ドレス着用)に、「裸みたゃーなべべ着て寒にゃーの?」
来賓に国交省役人、国公立大学の総長、学長のいる前での発言。森元総理のあの発言のように、笑う人はいたけど注意した人はいなかった。
私は運がいいほうだと思う。
父親は田舎で曾祖父の時代に興した会社で役員やってた。父は次男だから社長ではないけど専務とか常務とかそんなポジション。割と従業員数も多くてコンスタントに利益も出し続け、バブル崩壊した後も頑張って存続してた。今は私の兄が同じ会社に入ってるけど社長の子どもたちが継がなそうなので兄が継ぐ方向になってるっぽい(私はかかわりがないのでよくわからない)。
3人の兄弟はそんなに頭がいいわけではないにも関わらず全員中学受験したし(私は私立、兄弟は国立)、大学は全員私立、しかも全員一人暮らし。
私が就職する頃は氷河期時代全盛期で新卒は難しそうだったので、資格の勉強をすると言って2年くらい資格取得に専念させてもらえた。まあいまだに資格は取得できてないんだけどその方面の仕事には就くことができていて、正社員としてやってる。生活に困ったことがないくらいには収入がある。これも運がいいと思う。
母親はずっと専業主婦だけど割と勉強家で何かと活動していた。今は立派な高齢者になってスマートフォン使ってLINEもやってる。高齢者になって尚、新しいことを学ぶのを嫌がらないのって大事なことだなって思う。
夫になった人は親ガチャが悪くて、親が中卒で事業やってたけどバブル崩壊のあおりで廃業。それからずっと貧乏だった。
また暴力的な人で、夫の父親の最初の記憶が腹を殴られたことらしい。
この環境ではまずいと思った夫は、奨学金で国公立大学に行き、大企業と呼ばれるところに就職した。就職してからも国家資格を取ったり努力はし続けている。
うまれは運が悪かったようだけど、生まれてからの努力により現在のところまで昇ってきたすごい人だと思う。
自分の趣味でやっていた文筆業も商業誌連載をとった。(終了してしまったけど)
当たり前だけど親ガチャはある。私が夫と同じような環境に生まれていたら夫のように努力できたかと言われると全く自信がない。
私はとても運がいい。こんな努力家で運を自分でつかみ取る人と結婚できた。
子どもも今のところまっすぐに健康に育ってくれている。これも本当に運が良かった。
もちろん乳児の頃は大変ではあったけど、抱っこが大好きで、おかあさんだいすきだよと言ってくれる子ども。本当に幸せだなあと思う。
職業柄、生まれも育ちも田園調布、豪邸に住み、親から受け継いだ不動産も持ってて、娘三人が全員医者だし医学部だし、高島屋が外商に来るような人を知っている。
それは運がいいの最上級みたいな人で、そういう人を見ると「私なんか…」となってしまうときがある。
東京に生まれたらもっと自分は違ってたんじゃないか、と思ったりもする。
でもそれも夫を見ると違うよな、そうじゃないよな、と思いなおす。
タイトルの通りなので、大学関係者と高校教員以外はスルーしてください。
地方のFラン私大ならともかく、こちとらオープンキャンパス業務なんてやりたくないの。
オープンキャンパス業務がやりたくてたまらないなんていう終わってる教員が勝手に盛り上がってるだけだから勘違いしないで。
進学先を選ぶときにオープンキャンパスが決め手になった受験生なんて1%もいないの。ちゃんとそういうデータあるの。おたくらにも一応公表してるよね?ちゃんと見てる?
つまりこっちとしてはオープンキャンパスなんてやるだけ無駄なの。マジでリストラしたい業務ナンバーワンなの。クソどうでもいい仕事なの。
だから受けもしない大学に冷やかし半分で生徒をオープンキャンパスに行かせてレポートを書かせるのはやめてください。マジで。
高校は義務教育じゃないんだから、学力が不十分な生徒は留年させろ。
というかお前ら学習指導要領違反やらかしてるだろ。知ってるんだぞ。
ちゃんと学習指導要領に書かれてる教育内容全部やってから卒業させろよ。
何で日本語もまともに読めない奴が大学に入ってくるんだよ。現代文の教師いないの?それとも学習指導要領違反の常習犯だから大した授業しなくてもいいとか感覚麻痺してる?
時間がない?教員が足りない?知るかボケ。クソくだらない行事とか部活やめてから言え。クソどうでもいい行事とか部活で青春(爆笑)騙ってんじゃねーよ。
あのね、大学っていうのは国公立大学にせよ私立大学にせよ文部科学省が認証評価をしてるか認可してるところ「だけ」なの?わかる?
防衛大学校とか職業能力開発大学校とか水産大学校は「大学」じゃないの。わかる?
学位出るからいい?アホか。大学じゃないんだから大学進学実績に大学校を含めてんじゃねーよバカ。
お前ら政治的な問題になると何沈黙してんだよ。沈黙するブタかよ。
高校生は主権者なんだからちゃんと教育しろよ。は?中立性が保てない?バカなの?
なーにが「立場上何も言えないんだよね~」だ、バカか。なに中立ぶってんの?
いいか、これは大学教員の総意だからな?これに賛同しない大学教員なんてネット上には「自称中立」の中国研究者くらいしかいないからな?
高2だけど書くわ。
一生に一度しかない機会をこれほどまでに奪ってるという事実を、まず理解しろ。
一生に一度しかない機会を我慢しろって、それだけで謝罪ものだからな。
お前ら大人は経験してるのに、「我慢しろ」とか言えた立場じゃないからな。
ただ、コロナが収束するためならと、こっちは泣く泣く我慢してるんだ。
それなのに。
それなのに、お前らはオリンピックやるんだろ?
何のためのオリンピックだよ。
どう考えても、この1年を踏まえた対応じゃないだろ?
オリンピックが許されるならば、俺たちが自粛した期間は何だったんだ?
学生の楽しみばっかり奪っていく日本は正真正銘のゴミ国家だよ。
こういうこと言ってたら、日本の経済を回すことが先決とか言うんだろーね。
もう誰も住まねーわこんな国。
修学支援新制度(JASSO新給付型奨学金)と各大学独自で行う入学金・授業料免除は制度そのものも予算配分もまったく違うもので、文科省が入学金・授業料免除の基準を強制してきたという話は寡聞にして聞いたことがありません。
おそらく、修学支援新制度により国公立大学の入学金・授業料免除の予算が削られたことと修学支援新制度の要件そのものを混同しているように思います。
もし具体的にそのような要件(高校卒業後2年以内入学 && 標準修業年限内)を課している国公立大学をご存知なら、要項を示してくれればありがたいです。ただ現時点では、少なくともそれは多数派でないと断言できます。
あるいはそれが勘違いであるならば、「ネットで見た」「噂で聞いた」レベルのことであり、まさにツリー元が指摘しているような落とし穴にはまっているのかもしれません。
彼女達は女性が如何に生きづらいかを主張し、社会の変革を求めていた。
「女性は賃金も低く、発言権も少なく、管理職にもなれず、家事をしない旦那の面倒を見て...」と言った彼女達の発言を見て、社会に出たら生きづらくなるのか...とやや憂鬱になった。
大学時点で、女性特有の生きづらさ、みたいなものを特に感じてなかったためである。
男女混合のサークルに入っていたが、サークル長が女性の年も普通にあったし、ゼミの論文や発言も完全に内容で判断されており性別で差別されることはなかった。
飲み会でも、男性からイジられることはあったけどこっちもイジり返してたから力関係のアンバランスさは感じてなかった。セクハラする人や本当に嫌なことを言う人はいたけど、そういう人は男にも女にもいたし、同時に男からも女からも嫌われていた。
地方の大学で、電車に乗らなかったので、痴漢にも合わなかった。
やがて社会人になり数年が経った今、やっぱり女性特有の生きづらさ、みたいなものはあまり感じていない。
給料は当然男女で別れていないし、会議中の発言が無意味に軽んじられることもない。管理職はたしかに今は男性のほうが多いが、我々が管理職になる頃には男女同じくらいになるだろうな、と思う。
産休を取っても普通に復帰できるし、育児を理由に退職した人はここ5年ではいない。
飲み会(ここ一年ほどないが)でのセクハラも、会社が厳しいので殆ど無い。彼氏の有無すら同世代以外には聞かれない。
ちなみに恋愛においても、同棲中の彼氏がいるが普通に家事をやってくれるし、生活面の不満はない。
「女性は賃金も低く、発言権も少なく、管理職にもなれず...」みたいなのって時代錯誤なんじゃないかな、と思う。
自分は、時代錯誤を指摘している気でいるが、もうそんな事実はあんまりないので、むしろ時代錯誤になっている、みたいに見える。
そして、そういう事を言っている人は大体40代以上で、今は企業に属してない人が多い。
ここまでを通して、私がひとえに差別に鈍感という可能性は大いにある。
もしそうであれば、地方の国公立大学に通い、そのまま地方の優良企業に勤めると、私のような恵まれた環境に身を置ける可能性が高いので、若い人が読んでたら参考にすると良いかもしれない。
お金の話はいざこざを招くと知っていたので、お金、例えば奨学金の話を振られても「学費は出世払いなの~~」とか適当な返事をしていたけれど、
遊びに行くような友達は自分と同じような家庭出身の子達ばかりになった。
高校時代の友人らからは「やめときなよ~」とは言われたが、某有名ファストフード店でアルバイトをした。
確かに客層は悪かった。そこを辞めてコーヒー1杯400円前後の喫茶店のバイトに変えたら、
たった数百円の差なのに客層がよくて驚いた。
お金がない生活を送っていると精神的な余裕がなくなると知った。
もうすぐ大学を卒業して就職する。親のすねかじりをさせてもらう生活も終わる。
いろいろ議論はあるけど、一つ重要な切り口は「公的病院」(公立病院、国公立大学病院等)と「民間病院」(医療法人経営の病院、開業医院)の性質の違いかな。
こうやって状況を俯瞰することは、現状の問題点や、誰がどのような意図で発言をしているのか、今後はどうすれば良いのか、等を考える際に有効なのではないか。
今回のパンデミックが起きたこと自体は誰の責任でもないし、直近は今ある制度と装備でなんとかやりくりしていくしかない。ただ今回顕在化したある種の非効率性には、積年の利益相反、不作為、あるいはモラルハザードが関与している可能性がある。今回の事態を問題点を踏まえて、改善する余地があるのではないか。
このような言動には、自称医者を含めて大きな反発があるかもしれない。発言権の強い医者の多くは民間病院に属しており、彼ら/彼女らの不利益になる可能性があるから。さらに言えば、医療業界内部からの自浄作用は、多数決の性質上期待できない。市民や政治から働きかけていくしか無い。
医者・医師会はこれまでコロナウイルスについて「正しく恐れる」ことが重要だとして、様々な啓蒙活動を行ってきた。
この「正しく恐れる」ための情報発信は、社会全体の感染抑制に資するものであり、重要な役割を果たしてきたと思う。
ただ、「医療崩壊」についても同様の明晰さと誠実さを兼ね備えた情報発信がなされているかというと、かなり怪しいと感じてしまう。
政府・経済側は「医療崩壊」の定義が曖昧だから良いように使う、といった批判があるけれど、同様のことは医療側にも言えるのではないか。
あいまいな定義で利益相反を無視して無駄に煽っているのは、お互い様なんじゃないか。
この辺りを整理すれば、もっと有益な議論や判断ができるのではないか。
論点を例示すると、
何かよく判らないけど「医療崩壊」とかするんですよ!
それが怖かったら愚民どもは俺たちお医者様の言うことを聞けよ!
と言うなら、それはコロナに関する無責任な情報発信と同様、利益相反の煽りでしか無い。
「正しく恐れる」ための情報発信を、それぞれの専門性のもとで貫いてほしい。
そうでなければ、専門家への信頼は地に落ち、誰も望まない混乱が今後も続いていくだろう。
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https://anond.hatelabo.jp/20210110030830
いくつか内容の理解に役立ちそうな情報をメモしておきます。...
https://anond.hatelabo.jp/20210110113704
いろいろ議論はあるけど、一つ重要な切り口は「公的病院」(公立病院、国公立大学病院等)と「民間病院」(医療法人経営の病院、開業医院)の性質の違いかな。...
一つの観点としての公的病院と民間病院の対比。どのあたりを変えると今後の効率化につながりそうか。
たくさん議論をいただいたけれど、定量的な全体の状況把握はやはり難しそうか。本当は厚生労働省あたりに頑張ってほしい。
「コロナウイルスとは」あたりまでは純粋なサイエンスコミュニケーションの問題であり、個人や行政から良質な情報提供があった。
あるいは、足りない部分は英語サイトを自分でたどれば議論もデータも豊富にあり、状況把握にも行動指針策定にも支障はなかった。
これが「医療制度とは」「医療崩壊とは」になると、やたらと強い言葉で根拠不明なことを言う人が増えて、よく判らなくなった。
しかも日本のことなので日本語の情報をたどるしかなく、もうちょっと何かないかと増田に書いた次第。
全体的なことは判らないままだけど、上記のようにもうちょっと効率的にできる要素はありそうということは判った。
煽るなと言いつつお前が煽ってるだろ、というのはそのとおりで、正直すまんかった。
が判らないと解釈できなくない?ということ。個別事象ではなく全体像を踏まえないと、状況や医療者の提言、また為政者の行為(あるいは行為しないこと)を評価できない。
日本国民は残念ながら上記のような定量的な考え方で意思決定を行う訓練を受けておらず、副作用かもしれないエピソードをニュースで見たからといってHPVワクチンを撲滅して喜ぶ人たちなので、あまり大きな期待はしていない。ただ、(あるいは左記のような国だから順接として、)個人的にはもう少し全体像を知りたいと思う。
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追記1・みなさんの反応
tobalno1 全身麻酔での手術後は数日間呼吸器管理になってICUに入室することも多いから、コロナで呼吸器や病床が埋まるとあらゆる科での重症の手術をストップしないといけなくなるんで全ての科で医療崩壊するよ。
これは公立病院については今ある脅威。一方で、コロナを受け入れていない医療法人経営の病院は大丈夫なのではないか。あるいはICUを持つような医療法人経営の病院はほとんどコロナ対応をしているということなのか。その辺の定量的な情報もあまり発信されていないように思う。
noho-sibe コロナ関係の対応が逼迫するだけでも十分医療崩壊だと思う、今コロナに感染するリスクが高くなっているわけだし
コロナに関してはそうだけど、それ以外の医療についても崩壊するというイメージ作りが行われているので、その確度が知りたい。「コロナが大変」と「コロナとその周辺が大変」と「もう何でも全部大変」はかなり違うのに、その辺りを混ぜて定性的に煽るのは不毛。
skgctom というか医療に限らず、自粛で仕事なくて死にそうな人とコロナで仕事増えまくって死にそうな人が同じ国の中で別々に苦しんでるのがほんとやるせない。中国みたいな共産国なら簡単に人員のやりくりが出来るんだろうか
一文目について同意。煽り合っている場合ではない。中国がどうなっているのかはよく判らないけれど、日本とは制度も規模も違いすぎるのであまり参考にはならないのではないか。
furseal コロナに割けるリソースが限界を超えることを医療崩壊と呼んでるのは明白。そうなると、高度医療から提供が難しくなる。医療者はそれを避けたいが、どの病院も機能しなくなるまで崩壊してないと言いたいならどうぞ
このコメントのように、「どの病院も機能しなくなる」ことまで示唆する人がいる一方、本文にも書いたようにそこにいたる機序があまり説明されていないのが問題。専門性の壁があるので全員コロナ医師・全部コロナ病院には出来ないなら、どの病院も機能しなくなるというのは単なる煽りではないか。
nmcli きのう都内では透析患者の病床が満床というニュースが出た。今日以降は透析を受けられずに死ぬ都民が出てくることになる。コロナ以外の死者が増えたらもうこれは医療崩壊だと思うが、その視点がないのはなぜ。
このニュースかな。
コロナ感染透析患者 都内は満床 https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210108/1000058672.html
基礎疾患のある人がコロナになると大変というのはよく知られているし、その近隣の医療機能が飽和するといった影響はあるだろう。ただ「どの病院も機能しなくなる」といった発言が散見されるので、もう少し粒度の高い情報発信が、建設的な議論のためには必要と考える。
yzkuma 「それは医療崩壊ですか?」そんなの今定義しても意味ないし議論してる暇もない。今どんどん「通常診療を切り崩して」コロナに充ててる。ベッドも人も資源も結構限界だって言ってる。とにかく外に出ないでください。
推奨行動指針としては「とにかく外に出ないでください」で良いのかもしれない。ただ市民としてはどのような根拠や予測の元にそうなっているのか知る必要がある。その議論や情報共有が無意味とするのは危険だし、現状の課題把握にも将来の改善にもつながらない。あなたは全知全能の独裁者か何かか?
a8888 今必要なのは公的病院の急性期病床とその人員で、私的病院の慢性期病床がいくらあっても意味がないからねぇ。そういう意味では、ずっと病床を削減してきたせいだという批判も的が外れているのよね。
このコメントのように、単なる病床数ではなく、病床の性質も踏まえた議論も必要、というのが、医療者が市民や為政者に発信できる重要な情報。これを踏まえて今後の制度改善が行われれば良い。煽りは不毛。
医療崩壊がバズワードなので、それを「否定しようとする」とか言われてもよく判りません🦁
soratansu 第1波時よりも少ない病床数で乗りきれると思っていた医療体制側は非難されて然るべき https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG041BM0U1A100C2000000
本文と少し視点は違うけど、この辺もしっかりしてほしいと思う。
大学入試センター試験(おそらく現行の大学入学共通テストも)は、近年「クラス全員受験」を義務付ける高校が増えており、問題となってるんだよね。その傾向にも地域差があることが想定され、特に国公立大学志望率が高い地方でそのような取り扱いがあることが指摘されている。そのため、センター試験志願率で比較するのはどう見ても適切ではない。センター試験志願者=大学入学志願者という構図が崩れているのだから。
学力中間層以下では「大学に進学しようとしていたけど失敗したから専門学校に切り替えた」という進路変更がある程度いるので精密な比較は難しいが、実際の進路(結果)で比較した方がまだ現実を反映していて良いと思う。素直に学校基本調査を使おう。
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&toukei=00400001&tstat=000001011528
これよく育児フェミが言ってるけど大卒者ってこれからの日本にそんなに必要か?
これからAIが主に頭使う仕事を奪うってなって残された仕事は工場のライン工とか今は外国人実習生がやってる身体使う仕事がほとんどだと思うんだけど大卒でその仕事で満足できるのかな
大学は勉強することが目的の場所だから勉強さえできたらその後の就職はどうでもいいってこと?
確かにAIが発達してもある程度の知的職業は残るけど今より大分狭き門になるのはまちがいないよね
今ですらアメリカでも博士号持ってる人が清掃員やることもあるんだけどそれでいいの?
これから日本は安い値段で他の国から労働力として使われる国になるんだから特に頭が秀でてるわけでも志があるわけでもない人間に高等教育なんて受けさせる必要ないだろ
あと関係ないけどちょっと前まで(今も?)世帯収入低かったら国公立大学の学費って簡単に免除もらえてたのにそこスルーしてたのもムカつく
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。
歯医者の腕ってのは何も噛み合わせ調整が上手いとかだけじゃなくて、今日やる治療の説明だとか、今後リスクを抑えるにはどうすればいいかとか、そういう説明の明瞭さ、言葉の選び方、Evidenceに基づいた医療の提供などなど、論理の組み立て方も含まれてると思う
その意味では高学歴の歯科医師ほど見違えるほどに腕が良かった。増田は関西人だが、大阪大学歯学部出身の先生は、たとえば朝日大学とか九州歯科大学の先生と全く違った。あまりに違うのでわざわざ経歴を調べたくらいだ。
そして歯を削る、埋めるなどの作業もやはり高学歴の歯科医師ほど上手い傾向がある。私学より国公立大学の歯科医師、さらに旧帝大の歯科医師とうまくなっていく。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 108 | 12149 | 112.5 | 56 |
01 | 94 | 12765 | 135.8 | 54 |
02 | 35 | 4414 | 126.1 | 38 |
03 | 21 | 2200 | 104.8 | 34 |
04 | 33 | 4208 | 127.5 | 50 |
05 | 19 | 1556 | 81.9 | 40 |
06 | 28 | 1950 | 69.6 | 47.5 |
07 | 66 | 6859 | 103.9 | 49.5 |
08 | 165 | 15617 | 94.6 | 40 |
09 | 213 | 19306 | 90.6 | 52 |
10 | 215 | 18347 | 85.3 | 48 |
11 | 248 | 25601 | 103.2 | 42 |
12 | 256 | 19813 | 77.4 | 45 |
13 | 228 | 20496 | 89.9 | 41 |
14 | 192 | 26262 | 136.8 | 42.5 |
15 | 212 | 16764 | 79.1 | 42 |
16 | 268 | 27773 | 103.6 | 45 |
17 | 229 | 20522 | 89.6 | 43 |
18 | 198 | 21496 | 108.6 | 44 |
19 | 160 | 14092 | 88.1 | 43 |
20 | 177 | 16101 | 91.0 | 34 |
21 | 236 | 28939 | 122.6 | 27 |
22 | 252 | 25896 | 102.8 | 36 |
23 | 151 | 23751 | 157.3 | 40 |
1日 | 3804 | 386877 | 101.7 | 42 |
クワーッ(7), イチナナ(6), 7発(8), チュプ(21), マミーポルノ(5), 偽ブランド(4), 投げ飛ばし(6), 釣銭(7), くさくさ(3), 平成3年(3), ハンドガン(3), 特定派遣(3), プラットフォーム(14), 爺(13), 健常者(20), 男尊女卑(14), キャバクラ(19), 出生(9), クレーマー(15), VTuber(11), 警官(20), V(16), ジジイ(16), ホスト(14), ゾーニング(20), 男女平等(12), Vtuber(18), 既婚(22), 店員(39), 同人(24), 黒人(42), 垢(19), キモ(52), 作家(23), 白人(22), 障害者(16), 発達障害(17)
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国公立大学医学部医学科、それは入るだけで将来が約束される夢の学科。
私立大学の学費が数千万円という大金にも関わらず、国立大学の学費は年間52万円ほどと格安。
奨学金を借りれば、一銭もお金をかけずに入学、卒業することも可能。
医師国家試験の合格率は90%程度と卒後は医師としての道が約束される。
中には5浪というツワモノもいる、それ以上も....
そんな人生保証レールだが今現在、他の大学に大差をつけて、最も入りやすいであろう国立医学部が存在する。
今回は徳島大学医学科に入りやすい理由を述べるだけで、他の大学については言及しない。
それでは始める。
まずはボーダーを見ていこう。
パスナビによるとセンターボーダーが83% 偏差値62.5であった。
2020年は900点満点中、ボーダーが779点、最低点が724点(80%)である。
2020年は400点満点中、ボーダーが276点、最低点が214点(53%)である。
ここで出したデータは正真正銘、合格者平均(ソースは徳島大学)です。
ボーダー自体は境界の意味しかないので、どの境界かは予備校ごとによって異なります。
(河合塾のいう「ボーダーライン」は、「合格と不合格の割合が50%になるセンター試験得点のライン」らしいです。)
色々ごちゃごちゃ言いましたが「ボーダー」は忘れてください、合格者平均だけ見てください。
実際の集団で考えればわかるが、
集団の半分の実力を持つというのは、大学受験を合格するに際しては必ずしも必要ではない。
逆に合格者平均に近い点数を取っていれば、大抵の場合受かると考えていい。
実際に合格、不合格を争うのは下位10%程度、合格最低点周辺の人達である。
驚くのはこれだけではない、徳島大学医学科は「国立医学部随一のセンター配点の高さである」
つまりこういうことだ
センター試験でほとんど決まってしまう大学にも関わらず、合格最低点が国立医学部随一の低さ
驚くなかれ80%に毛が生えた程度というのだ。
ここまでで十分入りやすさは伝わったと思うがまだ実は半分も紹介できていない。
センター試験は国語、英語、社会、数学1、数学2、理科1、理科2の7科目で構成される。
よって合計900点満点
徳島大学のセンター配点も900点であるため変わらないと思う人もいるかも知れない。
実は徳島大学医学科のセンター配点は社会50点、国語150点、理科300点である。
理系の人ならわかるだろうが、この配点で最低点が80%というのは医学科として考えられない低さである。
一般的に国立大学医学科の合格者は85%〜87%程度の得点率を叩き出すが
これは数学、英語、理科はほぼ満点、社会と国語で以下に落とさないかの勝負になっている。
つまり数学9割、理科9割、英語9割、社会8割、国語8割ぐらいの得点率で8割後半を叩き出しているのだ。
人によっては数学満点、理科満点なんて人も珍しくない、むしろ9割を切ってしまうと合格は厳しい、それぐらい理系科目だよりなのだ。
話を戻そう、一般的な国立大学医学部合格者が徳島大学の配点で計算すると、
数学180/200
理科270/300
英語180/200
社会40/50
国語120/150
合計790/900 →87.7%
さて、先程も述べましたが、受験はボーダーで考える必要はありません
合格最低点を超えればいいのです
どれぐらいの点数なら合格最低点になるのでしょうか。
数学180/200
理科270/300
合計750/900 →83%
国立大学医学部合格者なのに7割科目が複数あります、考えられない点数ですが受かってしまいます。
更に下げて最低点を目指します。
理科270/300
合計730/900 →81%
おわかりいただけたとおり、現在の徳島大学は国立大学でも有数の入りやすさです。
まずは得点率の低さから、400点満点というただでさえ少ない配点にも関わらず
これではセンター試験が偶然うまくいった連中に追いつくことができません。
次に科目数の少なさについてです。
なんと2科目です。
驚異的です。
考えられません。
センター試験後死ぬ気で2科目勉強すれば落ちるどおりがありません。
もうおわかりいただけたかと思いますが、更に追い打ちをかけます。
多浪であろうと、女性であろうと、差はつけられません(女性合格者が多いことからもわかります。)
いやいや、でも進級が厳しいんじゃないの?
嫌でも現実が伝わったと思いますので、最後に私が考える徳島大学の受験計画について語ります。
まずはじめに念頭に置いてほしいのが
一方古文漢文と社会はすぐ忘れます(3ヶ月ぐらいで忘れていきます)
大体大学合格したら高校の勉強なんてしませんが、今の私ですら数学、英語、現代文はまともな点数が取れます。
一方社会、古文、漢文、理科(化学の暗記事項)は全国平均点を切るでしょう。
こんなことは進学校出身なら常識です、もし知らなかったなら理解しましょう。
あなたは1年生の社会のテストでまともな点数が取れますか?取れませんよね
じゃあ数学のテストは?取れないと困りますよね。そういうことです。
センター試験では9割は落とさないレベルまで持っていってください、
その代わり他の科目の勉強はしなくていいです。
数学英語は二次試験まで解けるように、理科はセンターの範囲だけでいいです、9割を割らないようにしましょう。
かんたんです、理科で9割超えはかんたんです。
3ヶ月で間に合うか!!って思った人、間に合います。
古文漢文は満点取らずに7~8割取れればいいです、その代わり死ぬ気でやりましょう。
社会は平均点に毛が生えた程度でいいです、1割が5点分しかありませんから、驚異的低さです。
英語170/200→85%(9割ほしかったですがリスニングで大コケしました。)
社会30/50→60%、(大コケです、全国平均点程度しかありません。)
国語105/150→70%、(大コケです、全国平均点に毛が生えた程度しかありません。)
合計点は
770/900 →85%
とにかく量をこなすだけです。
毎日長文2文以上
数学は4問中2完1半でした。(2完と言っても取らせる問題でした。)
次に英語です。詳しい点数はわかりませんが半分は取れました。
後にわかった点数によると
数学110点(2完ではありませんでしたが、部分点で稼ぎました)
英語120点(大体これぐらいだと思っていました。)
ちなみに大コケしてます、だって合格者平均が7割平均のテストですから。
さて、合計点ですが
ちょうど1000/1300点でした。
振り返りましょう
センター試験では理科数学は普通に取れました、英語は若干コケましたが耐えました、国語と社会は大コケも大コケです。
二次試験ですが、合格者平均には及ばない点数でした、半分ちょい、6割程度の得点率。
結果を発表します。
めちゃくちゃ大コケしても数学と理科さえ取れていれば受かる大学です(センター試験レベルで)。
なぜこんなに入りやすいのか疑問に思う人もいるでしょう。
答えは倍率にあります。
志望者258人に対して、定員は114人
倍率にして2.3倍、国立では考えられない倍率です。
これだけではありません、徳島大学の推薦志望者は一定数いますが
受験条件として8割があげられているので、ほとんど全員が一般にも志望しています。
実際に試験を受けた人は200人でした。
合格者数も118人に増えて、実質倍率は1.695倍です。
書きミスじゃないですよ、1.7倍です、高校入試じゃないですよ。
正確には2倍周辺ですね。
ありえないほど低いことに変わりはありませんが....
東京大学に入ったって、一橋大学に入ったって、早慶に入ったって、旧帝大学に入ったって、
でも、今年だけじゃないの?
→ここ数年はこの傾向が続いています。
多ければやめる、少なければ出願する。
ということが可能なのです(ちなみに大学でも受付はしているはずです。)
そうはいっても最終日に跳ね上がるかもしれないじゃんと思った方。
再受験サイトで、ここ数年の倍率の推移が見られるので見ましょう。
でも立地が悪いじゃん。
さあ、国公立大学医学部を目指す皆さん、徳島大学へ行きましょう。
準備はいいですか?
→傾向は変わりましたが、この配点で次年度入試も行うようです。
・医者忙しいじゃん。
楽しようとすれば幾らでも楽できます。
それで医療が成り立つかどうかは問題ではありません、医師に責任はありません。
→受験生の何人がこの記事を見ますかね、この記事の影響は限りなく0に近いです。
・医者なんてすぐに食いっぱぐれるぞ。
→いつかはそうなるでしょうが、その前に世の中の多くの仕事がなくなっているでしょう。
また、食いっぱぐれたくないなら外科医になればいいです、忙しいですが食いっぱぐれない。
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。