はてなキーワード: アルマゲドンとは
舞城王太郎の小説を読むのは初めてだった。ブックオフで著書がたくさん並んでいるのだから、面白いのだろうと長年思っていた。それで、代表作であろう阿修羅ガールを読むことにしたのだ。
面白かった。ただしそれは小説全体の中盤、具体的には第一部が終わるまでだったが。主人公(アイコ)のキャラクターがしっかりと立っていて、貞操も倫理観も欠如した主人公が感情のままに刹那的かつ本能的に振る舞うのが一人称でまくしたてられていて、読んでいて心地よかった。
ストーリーも着々と盛り上がっていき、今後の展開に目が離せなくなる。主人公と肉体関係を持った佐野が失踪した理由は何か、アルマゲドンと匿名掲示板で呼ばれる青少年の暴動に主人公が巻き込まれていきどうなっていくのだろうか、といった具合にである。
しかし、第二部が始まり芸能人や政治家が何の脈絡もなく突然に登場してストーリーをひっかきまわしていくので、作者はヤケクソになったのではないか、ストーリーを収束させるつもりは無いのだろうかと困惑する。私は、00年代初頭に2ちゃんねる上で流行したガクトスレ(『はっきり言って、ガクト気持ち悪いです。』URL→ http://news4u.blog51.fc2.com/blog-entry-1371.html )を連想した。作中の匿名掲示板(2ちゃんねるが元ネタなのは明らか)でのスラングの再現ぶりからして、舞城王太郎はガクトスレに影響された可能性は高いと思われる。その後の展開でも第一部で描かれた丁寧な描写と打って変わって、リアリティの無い夢や妄想のような世界を大型文字を交えて描かれたり、突如主人公が変わって架空の世界でのホラー調ストーリーがファンタジー風に展開されたりと、メチャクチャな展開になっていく。例えるなら、リレー小説でそれぞれの作者が我を強く押し通して話を作り、落丁などをほったらかしにしたままに話をそのまま繋げたという感じだ。連載小説なら、設定やストーリーの根幹を軽視してその場の盛り上がりを重視するというのも分かるが、どうやらこの阿修羅ガールはそういう訳ではないらしい。
そして、第三部では第二部でのハチャメチャな展開を無理やりにまとめるが、それまでの展開を夢オチとするも同然の扱いだった。そうでもしなければ、話を収束させられないから仕方がないけれども。とはいえ、失踪した佐野に関するオチが全く無いのもどうかと思ったが。そして最後まで読んで、こんな小説が賞を受賞したのかと愕然としたが、三島由紀夫賞というのを目にして納得した。三島由紀夫の著書はまだ一作も読んだことがないけれども、WikipediaやYouTube動画から読み取れる三島由紀夫の人格を推測するに、思想の根幹が弱いわりに伊達な人生を貫いた人という印象だ。伊達な人生に命を懸けたという点で、ある意味では思想が強いとも評せられるけれども。それだけに、この阿修羅ガールは三島由紀夫賞に相応しいのだろうと、読了後に感じたものだ。
まあ、文学というのはこういう物なのだろう。「文学」というよりは「文楽」だろうと思ったけれども。つまり文を「学ぶ」のではなく、文を「楽しむ」だ。音楽を論理的に作ったり分析したりしている人を見ると、「音楽」というより「音学」という言葉がふさわしいのではと思うことがある。しかし、出版社主導によって商業的評価をもってして誉めそやされている「文学」という代物は「文楽」という言葉の方がふさわしいだろう。当作『阿修羅ガール』でも同様だ。
阿修羅ガールは、作品の根幹を成すストーリー・思想・価値観よりもその場限りでの文章の修辞的な技巧に重きを置いて、その技巧を楽しむエンタメ作品だ。こうした小説こそが、出版社主導の賞にふさわしいのだろう。そして、こうした小説を生み出せる人が、商業作家として大成していくのだろう。
なんだかんだと文句を書き連ねたような感想になってしまったが、それも最後まで読み切ってしまう楽しさを持つ小説だからこそだ。楽しさの無い小説など、途中で読むのもやめてしまい感想を書く気にもなれないのだから。
あまりにひどい軍事考証、史実捏造、1950ー1960年あたりのステレオタイプ描写などで
しこたま叩かれたマイケル・ベイの『パールハーバー』って2001年の映画なんですよ
Michael Bay Should Never Have Made ‘Pearl Harbor’
ほんで、彼は当時こう言ったんです
『気取ったインテリ向けに映画を作っていない、大衆には大ウケだ』ってね
まぁ実際、アルマゲドン、タイタニック級のヒットにはならずとも、赤字にはならなかった($449,220,945) わけなんですけど、
ゴールデン・ラズベリー賞に各部門全てノミネートされるわ、当時もネット民に叩かれるわでした
でもこれ、ほぼ四半世紀前のお話なのですわ、2001年の作品だからね
隙あらばアジア系へのヘイトクライムが起こるお国柄(COVID-19然り)、扱っているテーマの重さなど、
『世に与える影響が段違いだろ』はありつつも、
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
政府1「中止の考えはない。強い警戒感を持って関西万博に臨む」
政府2「プレハブ方式で関西万博する。建設の遅れはないと認識している」
政府3「関西万博を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。関西万博に挑戦するのが政府の役割だ」
政府7「『関西万博するな』ではなく、『どうやったら関西万博できるか』を皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと思います」
政府8「もしこの状況で関西万博がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけて関西万博する為に僕だけじゃなく関西万博を目指す大阪維新の会はやってきている」
政府9「家族に感動を与えたい。関西万博はミャクミャク様収束の希望の光」
政府10「我々は関西万博の力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいのではないか」
政府11「(関西万博中止要請は)自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」
政府13「関西万博が借金拡大につながったエビデンスはない。中止の選択肢はない」
政府14「(関西万博について)国民は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
政府15「関西万博することで、財政難でも関西万博できるということを世界に示したい」
政府17「関西で万博するという認識。関西万博するという認識ではない」
政府19「関西万博しないのはより悲しいこと。ミャクミャク様に負けたということは世界に知らしめたくない」
政府21「実際関西万博したら、関西万博に反対していた国民もやっぱり関西万博して良かったと言い出すに違いない。」
政府22「予見できないアルマゲドンでもない限り関西万博できる」
政府23「岸田文雄首相や大阪府の吉村洋文知事を含め、オールジャパンで対応すれば何とか関西万博できると思う」
毎年この時期になると「ドラえもんの映画が酷い」というブログなり増田なりが流行るんだが
それにしても今回のは酷かった
個人的には南極が9点とすると、宝島が2点、月面探査機は8点、新恐竜は7点、宇宙小戦争は9点ぐらい
そして今回の理想郷は3点ぐらいだろうか
史実の織り交ぜや散りばめられた伏線などなかなか良作の期待感が抜群にあった
「これは良い感じで本編に絡んでくるのでは?」
という感じにも見えたし凄く良かった
ただ一切関係無かったわけだが
割と早々に理想郷に辿り着いてしまったので「あれ、これヤバイかも」とは思ったが
と思って期待してしまった
ただ中盤がダラダラしていたせいでめちゃくちゃ眠かった
周りの未就学児童とかもこのあたりでザワついていた
結局、宗教的批判だとかはなく、伏線は回収されたけれど史実介入的なのは無し
22世紀の科学者が小学生に説教されてぶち切れて全部ぶっ壊すとかいうどうしようもない展開
というかボスの野望はなんだったの?
日本誕生のギガゾンビは分かりやすく人類支配しようとしてたけど、のび太の街を支配してどうするつもりだったの?
そんなこんなで理想郷が崩れていくけれど、バトルシーンも脱出シーンも特に見所は無しで、もうひたすら眠い
宇宙小戦争にあったようなカタルシスも無いし、伏線回収も「まぁそうだろうね」というぐらいでしかない
おまけに最後はアルマゲドンオチでのお涙頂戴で、もうどうしようもなくダメダメだった
映画はアレだったけれど子供達はそこそこ満足してた(過去2番目ぐらいらしい。いつもは1番と言うのに。)
まぁ推しのグッズは買えるときに買っとけということでグッズ売り場行ったらメインキャラのソーニャのグッズが全く無い
どうやらソーニャ役はジャニーズのキンプリの誰かが演じていたらしく
ファンどもがグッズをイナゴのごとく買い漁って売り切れてしまってるとか
どことなくイケメン風のキャラ設定、序盤の中途半端な役回り、中盤での空気的扱いを経てからのやっつけ的なアルマゲドンはそういうことか、と
完全に想像だけど最初はソーニャはドラえもん映画にありがちな普通の役回りだったのに
それだと見せ場が全然無いってことでジャニーズの横槍が入って最後のアルマゲドンを適当にくっつけたんじゃなかろうか
いやぁ、そんなことないと思うけどね
最後に意味不明に自己犠牲で話を終わらせるのは罰金刑にすべきだと思うんだよね
まぁやるとしても、生死不明ぐらいの演出にしてほしいわけですよ
ああいうのが許されるのは
のどっちかの場合だけなのよ
分かったか、ペル?お前もな?
簡単に命が捨てられていく
違う僕らが
見ていたいのは
希望に満ちた光だ
https://twitter.com/taiyonoibiki/status/1618254472249225216
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
全面核戦争へ秒読み開始 1/2
「私が間違っていると、どうぞ証明してください」スコット・リッター
Scott Ritter "Prove me wrong”/ Diane Sare
※残念ですが、私の限られた翻訳の時間の関係からスコット・リッターの発言部分(0:00~15:04)のみの全訳になります。
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
21時間
返信先:
@taiyonoibiki
さん
①スコット・リッター:このフォーラムに招いてくれてありがとうございます。私はダイアンの合唱団が演奏するワグナー(モーツアルト)の『レクイエム』を聴いて、胸を打たれました。私は、ダイアンのようなクラシック音楽愛好家ではありません。
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
·
21時間
②スコット:私は労働者階級の家に育ち、労働者階級的な音楽環境の下で育ちました。しかし、現在、私たちが直面している核戦争の危機を端的に表現していると思う音楽を私はここで紹介できます。 Johnny Cashの ”The man comes around”という曲です。実際に死の床から歌ったような凄みがあります。
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
21時間
“And I heard a voice in the midst of the four beasts
And I looked, and behold, a pale(white) horse
And his name, that sat on him, was Death
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
21時間
私は目を凝らして、それを見つめた。私がそこに見たものは一頭の蒼ざめた馬であった。
それに跨る者の名を「死」という。
地獄が彼の後に付き従う。(TSSP
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@taiyonoibiki
21時間
⑤スコット:まさにこれこそが、私たちが今いる世界です。私たちはここで遠い未を話しているのではありません。ここから見える直近の未来図は地獄のような地上の有様です。こうして私たちが話をしている間にも「死」が青ざめた馬にまたがっているのです。
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
·
21時間
⑥スコット:もし、あなたがまだその事に気づかないのなら、あなたはそのまま喜び勇んでその深淵へと向かうのです。ヘルガが話したアルマゲドン、水爆核戦争の深淵へと向かうのです。私たちは今、文字通り水爆核戦争の瀬戸際にいます。
「東京は既に軍事力の大幅な増強を決定。アジアの某国を舞台にしてウクライナ工兵への訓練を支援し、ナチ・キエフに対しては日立製作所を中心とした発電機合計300余機を直送するなど、具体的にもナチ・ウクライナ支援を進める。中国への攻撃手段と準備を開始することと併せて、中、ロからの報復を覚悟してと理解するが、果たしてそれが可能であるか否かは不明だ。私は日本列島を防衛するには魔術師でさへも至難との司馬遼太郎師の警告を憶い浮かぶ」
ドイツの豹戦車など意味がない。既にイタリアの戦車は歯が立たない。
「ウクライナが勝っているとそのカルトぶりを公に晒してなんら痛くも、痒くも、頬になにも疾らない人は、間違いなく死ぬ。なぜ死ぬかはこれから火をみるよりあきらかになる。そうでない人、生き残る可能性が強い人たちに向けては次の数字は有効に働くだろう。2022年2月24日からきょうまでナチス・ウクライナが失った数字だ。航空機374機、ヘリコプター200機、戦車及び歩兵戦闘車7,569台、特殊戦闘車813台、野砲及び迫撃砲965基、多連装ロケット・システム985基。地対空ミサイル983基、無人攻撃機2,903機。ここでもう一つの指標を記す。彼らが事変前に保有していた航空機は、戦斗機が98、特殊作戦機3、輸送機59、練習機61、ヘリコプター15、無人攻撃機6だ。誰が敗北するのか?。答えはもう出ている。それでも風車に向かって突進する。その答えは更にくっきり見える」
本当に、分からない。
あなたがいいって言ってるもののナニがいいのか、僕には分からなくて、
ブラッディって、なにがカッコイイんすか? 血とか嫌じゃないすか 痛いだけじゃないすか
これのどこがカッコイイんすか?
罪深いって何すか? 罪状があると何か得するんすか? それただの犯罪者ですよね?
闇って何すか? 暗ければいいんすか
正義と悪だと、何で悪がいいんすか? 何かそういうデータあるんすか? 悪いから悪なんですよね?
ミギウデが疼くと何でカッコイイんすか
ちゃんと管理できてる方が良くないすか。おいらは立派だと思います
普段力を隠していると何か凄いんすか?
それって、ただの手抜きですよね。隠したりしないで、全力で取り組む人の方がカッコいいと思います
二つ名とか異名とか色々付ける人いますけど、正直めんどくないすか
英語でもなんでもカタカナつけられると、シンプルに見づらいと思います
ギリシャ神話とか聖書とか北欧神話とか日本神話とか、ちょっと調べたくらいでそういう話しない方がいいっすよ
内容もちゃんと教えてくれなきゃ意味がなくて、教えるならちゃんと教えた方がいいと思います
神話に出てくる武器の説明されても、あんまり、おもしろくないっすよ
グングニルも、ロンギヌスも、エクスカリバーも、デュランダルも、天叢雲剣も、意味不明過ぎ
他の用語も謎じゃないすか 原罪とか十戒とか、創世記とか黙示録とかアルマゲドンとか…。
名前がいいだろってどういうことすか。雰囲気で感じろとか言われてもそれはあなたの感想ですよね
相対性理論とかシュレディンガーの猫とか万有引力とか、今の時代ってちょっとネットで調べれば出てくるんすよね
文脈を無視して差し込まれても、何が言いたいのか全然分かりません
厨二って何すか? 厨二ってどういうことなんすか
分かんない分かんない分かんない分かんない! 分かんなーい!!ってな感じで、