はてなキーワード: サクセスストーリーとは
元増田のような神様的な出来すぎた浪人ライフを送ってる人もいれば、一方で俺みたいなガチ屑も存在する。
光があれば陰もある。当然のことだ。
現役の時、私立全滅、国立前期も落ちた俺は親から浪人をしてはいけないと釘を刺されていたので最悪就職について思いを馳せつつ毎日腹を酷く下すほどストレスを抱えていた。そんな最中、某底辺国公立大後期課程に一抹の希望を持って挑んだ。
私立全滅、国立前期落ちで一ミリたりとも自信を失っていたのでおよそ9割型落ちてるだろうと思いきや、なんと受かっていた(!)
この時はかつてないほど安堵してたが、両親から浪人してもいいよ(!?)と言われ、とても戸惑った。
ダメって言ってたじゃん。何のためにここまで酷いプレッシャーの中で受験したのか。
と思いつつも、当然合格した大学はずっと行きたかった大学ではなかったので、有り難く予備校に通わせてもらうことにした。あと一年あれば余裕だろ笑寧ろ東大受かったるわ笑と浪人を軽く捉えていた。
—————-
4-5月
このうちはやる気が滾りまくってたし、1回目の模試で第一志望校がB判定だったので、もしかしたら頑張ればマジで東大とかいけるんじゃね笑笑とさえ思っており、1回目の模試が良かったことですっかり天狗になっていた。
そう考えてた俺は手の施しようのないアホだった。浪人生は一年アドバンテージがあるので、判定が良く出るのは当然だ。それなのにそれを盾にして自分が優れていると思おうとは言語道断のアホと言えるだろう。
だが天狗になってたとはいえこの頃はかなり頑張ってた。一日9-10時間程度。
既にダレ始める。一ヶ月強ではじめの頃の炎は消え去っていた。この時点でもう辛かった。一日7-8時間程度。
空前絶後のサボり期。特別講義を受けるために、他の校舎に行き講義を受けたあとは、食べログでラーメンを調べて、食べ歩き回っていた。他の浪人生はせっせと勉強しており一秒たりとも時間を無駄にできないのにも関わらず。平気で数キロ離れた美味しいラーメン屋(★3.5↑)さんに行っていた。当然ながら時間は蛇口を全開で回しているが如くドバドバと浪費。無論このラーメンを食べるお金は昼飯のために両親が出してくれたお金だった。普通親思いの浪人生はここで一食800円や1000円も使ったりしない。浪人させてもらっているという負い目があるから、せめて昼くらいは安く済ませようと500円,600円の定食やうどんを食べるだろう。
けれども俺は屑だった。申し訳ないという思いが頭の片隅にありつつも、何か正当性のある理由をつけて勉強をしたくないという考えが自分を支配していたのと、単にラーメンに関してはグルメな一面があったので、”特別講義を頑張った自分へのご褒美”のため美味しいラーメン屋さんでお昼を食べるという理由があるから多少勉強の開始が遅れてもしょうがないという謎理論の下、ラーメンを啜っていた。
またこんなこともよくあった。勉強が嫌すぎて、両親には図書館で勉強すると言っておきながら、実際図書館では本を読み漁っていた。勉強するくらいなら今まで全く興味がなかった読書さえ何よりも楽しく輝かしいものに感じられた。
ソシャゲで徹夜なども何度かあり見本にすべきでない浪人生の象徴にほかならなかった。一日3-4時間程度の勉強だった。
9-12月
夏休みはかなりサボってしまったという自覚があったので、ちょっと頑張り直す。だが、夏で身についたさぼりぐせはなかなか抜けない。しばしば予備校後に家ではスマホに夢中になる。一日5時間程度の勉強。
センター直前
センター直前にも関わらず、過去問すら碌に解かなかった。一日4-5時間程度しかやらなかった。それ以外はソシャゲをしているというカスっぷりだった。
センター後
センターが酷すぎた俺は、両親とまじめにf欄大への進学について話し合った。両親から持ちかけられたことだったのでf欄も考えればという言葉は余計に胸に突き刺さっていた。(模試でニッコマがD判定だったので当然の対応だと思う)自業自得とはいえ現実を突きつけられるのはかなり辛かった。
話し合ってる間は、睫毛が濡れて翌日目がものもらいのように腫れあがるほどボロボロとずっと涙を零していた。
流石に危機感を感じたので、この頃から死ぬ気になって勉強した。(我ながら遅すぎるとは思ったが
サボっているのに自己評価だけは高かったので、f欄大なんて天地がひっくり返ろうが何が起きよう行きたくなかった。今思えば、アホの極みで恥ずべきことだが、俺はもっと上だ。そんなところ俺が行く大学じゃないと思ってた。めちゃくちゃ見下していた。勉強分相応のところしか行けないのだから、f欄大にしか行けないのもそれくらいの能力しかなかっただけのことのなのにプライドだけは一丁前だった。
その熱心な勉強のおかげか私大はニッコマクラスに、国公立は現役より若干上の国立大に受かった。
—————-
浪人しても俺のようにダレる奴が一定数いる事も肝に銘じてほしいと思い書いた。
決して俺の浪人話はサクセスストーリーではないだろう。それだけならばまだしも
サボってる浪人生は途轍もなく死にたくなる。頭ではやらなければならないと分かっていても行動が伴わない。だから、そんな自分に対する嫌悪が膨れあがる。結果コンナゴミイキテイテテモシカタナイナという思いが常に内在するようになる。自己評価が低くなり卑屈になる。
予備校の講師の人が言ってたが受験期に受験を苦にして自殺するなんて勿体なさすぎる。浪人時代なんて人生のごく極々一部に過ぎない。という言葉が嫌に印象に残っているが、今ではこれは本当にその通りだと思う(当時は何言ってんだ、その極々一部が死ぬほど辛いんだろうが。だから死ぬのも仕方ないだろ…。とか思ってたけど。)大学は楽しいし、自分の好きなことがたくさんできているので充実感がある。大学を卒業してもこれから楽しいことがたくさんあるだろう長い人生、あそこで死んでたら勿体なかったと思うし、今思えば浪人時代に悩んでいたことはなんて小さかったのだろうとも思う。でも、経験したからわかるがあの時はその悩みが何に替え難く切実だった。危うく人生に終止符を打ってしまうほどその悩みは大きかった。鎌を持った死神のように命を奪う機会を虎視眈々と狙っていた。実際俺は浪人時代軽く100回は死にたいと思ってた。未だによく実行しなかったなと思う。
本当にやめとけ、罪悪感と自己嫌悪で死にたくなるから死にたくなかったらやめとけ。ここまでいってやろうとするのなら止めはしないが
こういうのを書くのは蛇足なのであまりよろしくないかもしれないけれど、「なんでこれが入ってないんだ!」という異論が出てきそうなので、ベスト10選出にあたって考慮した作品とベスト10から除外した理由を挙げて供養しておく。
足の作画にこだわった実にフェチい映像化であり、映像化不可能と言われていた歯磨きプレイを完璧に原作再現してみせたのはただただスタンディングオベーションするしかない感じだったのだが、自分の中で『化物語』(2009年)のファーストインパクトを超えるものではなかったので除外。シャフト時空と「君の知らない物語」の衝撃は10年経った今でも色褪せていないんだ……
2012年に1期が放映され、2019年に完結編となる5期が放映された、まさにテン年代を駆け抜けたアニメシリーズの第1作。「急に歌うよ~♪」に代表される外連味あふれる演出はほんと好きだし悠木碧も水樹奈々も良い仕事してるなって思うしひびみくは尊いし「Synchrogazer」ほんと名曲で大好きなのだけれど、他の作品が良すぎてベスト10入りは厳しかったみたいな感じ。
アニメとしてのクオリティは確かに良いし、熱血シーンも多かったし(「改変完了…!」が好きすぎて何度も聞いてしまう)、穏乃が最高に可愛かったのでそこだけ切り取ればベスト10でもよかったのかもしれないけれど、原作改変してレジェンドを無能キャラにしてるのは許されざる感じ。原作だとレジェンドは色々裏で手を打ってたわけだけどアニメ版では控室で解説聞いて「知らなかった」みたいに驚いてるシーン付け足されちゃったところが何箇所かあって、まあアニメだけ見てるとレジェンドが無能に見えてしまうよな……なんもかんも原作改変が悪い。あと千里山の関西弁もうちょいどうにかならんかったんか……
え? 実写化? やだなあ『咲-Saki-』は実写化なんてしてないですよ何言ってるんですか冗談が下手だなあHAHAHAHAHA。
なんとも評価に困る作品である(氷菓だけに)。確かにアニメとしてのクオリティは高かったし、原作を尊重もしていたと思う。でもやっぱりあちらこちらで「ええ~……」という感じになる改変箇所があった。キャラデザの段階で原作ファンをざわざわさせていたのだが、それはまあ解釈の問題なので別にいいとして、「わたし、気になります」の謎エフェクトはいったい何なの? 『クドリャフカの順番』回で奉太郎が真相を解き明かす場に里志がいたのは個人的には微妙。その場にすら居合わせられなかった辺りが福部里志なんじゃない? ただまあその辺は宥恕できる範囲だとして、ファーストシーズンのEDは本当に許せない。なんなのあれ? 〈古典部〉シリーズにああいうEDとか人を馬鹿にしてるのかと思う。セカンドシーズンのEDはまあ良かったけど反省したのかね。OPは完成度高かったのになあ……。そして数年後に『氷菓』が実写化したときに「京アニのイメージが台無し」とか「またアニメの実写化かよ」とか言い出す連中(末代まで祟ってやる)が出てきたのでやっぱりアニメ化しなかった方がよかったんじゃない? と思ってしまった。いや、アニメ化きっかけによねぽ作品全部揃えたとかいう友達もいるから安易に否定するのはよくないのだが、高校の図書室の片隅で読んでいた僕たちの〈古典部〉シリーズを横取りされた感はなんか強い。この辺のモヤモヤがあって手放しには褒められないので除外(ところで実写どんな感じでした? よねぽ作品初の映画化なのにまだ見てないというのは忸怩たる思いがあるのだけど、ちょっと見るのが怖い)。
最後に。細かい話になっちゃうけど、時代背景は原作発行当時にしてほしかった。作中でみんながスマホ使ってるのにチャットとかサイトとかあのへんの描写がすごいスマホ以前の時代の匂いを漂わせていて、なんというか違和感があったんだよね。だったら時代を2001年とかそのへんにしてキャラには一昔前のガラケー持たせればよかったんじゃない? と思う。スマホ以前の時代に中高生活を送った者として、同時代に読んでいた小説の空気感はそのままに一部の小道具だけ現代になってるのはやっぱりなんか変な感じがするんだよな。時代考証がちぐはぐというか。この点、出来はともかくちゃんと舞台を1990年代のままにしていた『この世の果てで恋を歌う少女YU-NO』(2019年)は賢明な判断だった。
文明崩壊後世界を原作通りに丁寧に、しかも我々の予想を超える形でアニメ化してくれてチョベリグだったのだが、競争相手が多すぎてベスト10に入れなかった格好。いやーほんとね、原作で描写された未来の異形の生物たちをあそこまで丁寧にアニメ化してくださったのは素晴らしいですよ。そして浪川大輔さんの演技が最高だった。『新世界より』で一番輝いてた声優は誰って言われたら浪川さんを挙げる。ほんとすき。
ただアニメオリジナルの大歓喜帝の即位シーンはどうかと思った。「大歓喜帝となられる!」っていう台詞があったけどあれは諡号なんだから生前そう呼ばれることはありえないと思う。もちろんそれは伝統的な王号の話であって未来に適用できないのでは、という議論もありうるけれど、慈光帝にしても大歓喜帝にしても生前のおこないを皮肉る形でつけられてるんだからやっぱり諡号なんじゃないかなぁ。まぁこれは些細な点で、これ以外はケチのつけようもなかった。良アニメ化の見本みたいな感じ。
単体で見れば良い出来なのかもしれないけど割と大胆に原作の時系列を改変していて微妙な気分になるので除外。龍之介とリタの関係とかさぁ……。
アニメを使ったCMの最高峰だと個人的に思うので最後までベスト10に入れるかどうか迷った。
映像としてのクオリティ、百合作品としての密度、キャラのかわいさ、どれを取っても高品質で良い作品なのだが、原作と描写違いすぎませんかね……? という理由で除外。だって原作で完璧超人なキャラがアニメ版で脳筋おバカキャラになってるのはちょっと擁護不能じゃないです? ゆうかのかえでへの思いが全然違うものになっちゃうじゃん……
良い作品なんだけどちょくちょく原作の描写変えてるんだよね。最大の問題はなぜ標準語にしたのかという点。原作では方言で喋っててかわいいし漫画版もそれを再現してるのに! あと『2』であすか先輩の実家がなんで豪邸になってたのかがわからん。あんな豪邸じゃああすか先輩が育ててくれた母親に恩を感じる理由が微塵もなくない? どう考えてもアニメ版であすか先輩がこれまで生きてこられた理由は実家パワーであって暴力をふるう親に感謝しなければいけない理由が見えてこないよあれじゃ。あすか先輩もひとりの高校生であり、特別な人間なんかじゃない、という意味が原作のつつましやかなお宅には込められていたと思うんだけど、そこ変えちゃうかー、という残念さはあるよね。夏紀先輩が大天使だっただけにこれをベスト10に入れないのは割と断腸の思いではあるが(でも夏紀先輩の描写も原作と違う……ぐぬぬ)。
ガルパンはいいぞ。……とだけ言って終わらせるのはあまりにアレだけど、実際にそうとしか言いようのない感じはあり。とにかく戦車アクションのキレが良く、それを映画の尺で濃密にやってくれたもんで大満足の出来だった。ベスト10に入れるつもりでいたけど気づいたら11作品くらい挙がってたので泣く泣く削った感じ。
俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がるなんて予想もできなかったが、流行るだけのことはある作品だった。新海誠が『天気の子』(2019年)とかぶるからバランスを気にして外した、以上の意味はなく、もちろんテン年代アニメ映画ベスト10に余裕で入る傑作である。これぞ新海誠という感じの映像美にこれぞ新海誠という感じのガバガバSF要素が加わりやっぱり新海誠じゃねーかとなる感じの恋愛模様を前面に出しつつも東宝とかいう拘束具を得た結果オタクだけでなく一般人からも支持される作品に仕上がったのは本当にアニメ史に残るサクセスストーリーではあるまいか。いやだって『言の葉の庭』の興収とは文字通り桁が違うというか……あのセカイ系がどうたらこうたらみたいな論を立てるめんどくさいオタクに大人気だった新海誠が国民的アニメ監督になる日が来るだなんて2010年の自分に言ったら失笑されるだろうと思う。
映像表現としては素晴らしいの一語に尽きるのだが、重要なところで謎の原作改変を複数していて微妙な気分になってしまうので除外。リンさん関係の省略で妊娠を疑うシーンが意味不明になってたのもそうだし(これはこないだ公開されたバージョンではちゃんとリンさんの出番あったらしいのでそっちに期待)、なんですずさんの慟哭シーンの台詞を改変したか未だに納得がいかない。そもそも原作では、「米軍の空襲という暴力には屈しない→自分たちも暴力で他人を従えていたのか→だから暴力に屈するのか」という一連の流れになっていたのに、映画では「米軍の空襲という暴力には屈しない→植民地の食べ物を食べて生きてきた→だから暴力に屈しなければならないのか」と改変されていて流れが途切れている感。もちろん真ん中の部分も自分たちが植民地支配という暴力を振るってきたんだと気づかせる意図ゆえの改変でだというのは理解するけれど(そしてそういう気づき方の方が一主婦であるすずさんの立場からは自然だという論にも一理ある)、やっぱり「暴力に屈するものかね」という台詞を踏まえると原作の台詞を維持すべきだったと思っちゃうんだよね。というか、原作そのままの台詞にも改変後の台詞にも一定の合理性がある以上、原作を変えるべきじゃないでしょう常識的に考えて……アニメ化は原作の婢ですよ……
すごーい! 君は下馬評の低さ、1話切りの嵐からソーシャルネットワークの勢いで覇権に上り詰めた2010年代を象徴するような流行り方のアニメなんだね! 最初はなんだこれって思ったけど、普通に面白くてびっくりしちゃった! 最終話を待ってた1週間はとーっても長かったんだ! ……ということでベスト10に入れても良かったのだが、多くの人を満足させて終わった放送終了後にとんでもない騒動が(コンテンツホルダー側の責任で)巻き起こったのを思うとベスト10に入れるのを躊躇われ、最終的に外してしまった。アニメ外の要因で評価するのは邪道だろうけれど許してほしい。
で、こういう話をするなら『けものフレンズ2』(2019年)についても語る必要があるだろうけれど、途中で切っちゃったんだよな。解釈違いというかちょっとそれはどうなのって思うところが多々あったので。ただその私がどうなのって思ったところも他の人の考察とかを読む限りでは最終的に「なるほどそういう問題意識に基づいていたのか~(私と立場は違うけどそういう立場に立脚するのは理解できる)」みたいな感じに落ち着いて終わったっぽいので、完走すりゃよかったかなとちょっと後悔している(某所の感想を読んで「つまり『けものフレンズ2』は『ソラリス』だった……?」というある種の納得を得た)。でも是非以前にクオリティの問題で見ててあんまり面白くなかったんだよ『けものフレンズ2』……
あと私もたつき監督の作風は好きだけど、吉崎観音がコンセプトデザイン(≒原作)であってたつきはあくまでアニメ版の監督に過ぎないっていう前提を忘れてまるで1期が原作であるかのように振る舞う2期批判派の人は生理的に無理。実際のところはどうだか知らないが、仮に吉崎観音とたつきが対立して前者が後者を追い出したというゴシップの内容がすべて正しかったのだとしても、原作者とアニメ版の監督が対立しているのなら普通は原作者の肩を持っておくのが良識だろうと思っていたのだが……?
単体で見ればとても良い出来なのだが希美とみぞれの関係性あるいは夏紀とみぞれの関係性に関し解釈違いというか原作と違う箇所があって微妙な気分になるので除外。原作の久美子が夏紀や優子に置き換わった結果関係性が変わっちゃってるんだよなぁ……。原作で希美が久美子に弱さをさらけ出すシーンを夏紀&優子相手に変えたら原作の夏紀先輩が見せた気遣いはどこに行ってしまったの? ってなるし、クライマックスの台詞にしても原作とはニュアンスが違ってきちゃうわけで……。そもそも希美先輩はなかよし川相手にあんな弱音を吐くキャラではなかろうし(あれは相手が久美子であったことに意味があるのであり)。あと夏紀先輩が謎にみぞれ先輩に優しいのはなんでだ。原作では割と冷ややかに見てたよね……? というか原作と明らかにクライマックス後のnzmzの距離感が違うじゃないですかァーーーーーッ!!!(いや短編集まで含めての話です。希美の誘いをきっぱり断ったみぞれ先輩はどこいっちゃったの?)公開直後に「のぞみぞ添い遂げて」とか言ってる人たちを見て、はぁお前らどこに目ン玉つけてんだいったい原作のどこに添い遂げる可能性を感じられるんだ、と思ってたけど、映画見てみたらそう言いたくなる気持ちもわかってしまった……ともかく関係性が原作と違う……
キャラデザも意見が分かれるところだろうと思う。個人的に傘木希美のキャラデザはTVアニメ版の方が好き。地に足が着いてる感じがする。リズ版は軽薄さが強調された感じに見えて傘木希美のモンペとしてはこう微妙な気分になってしまうのです(二次創作その他での傘木の扱いがあんまりにもあんまりすぎてモンペ化した。リズ青の傘木が! 無神経に! 見えるのは! 原作の気遣い描写を削ってたり! 余計な改変をしてたりするからです!)。逆に鎧塚みぞれはリズ版の方が良い味出してたと思う。みぞれの儚さを引き立たせるためのキャラデザなんだなと思えば納得(いや、原作とはそもそも髪型違うんだけどさ)。みぞれ先輩の視界むっちゃ狭いな! っていうあの演出は本当に傑出した映像表現であって素晴らしいなと思うところ。これで原作に忠実ならベスト10に入れてた。
今作、耳が孕みそうになるイケボのシェーンコップや立体機動装置を使ってそうなオーベルシュタインやヤンチャしてそうなキャゼルヌといった新しいキャラデザが輝いていたし、ショタハルトさまの破壊力すごすぎてキルヒアイスが人生狂わされたのも納得してしまったし、フレデリカが一部オタクの性癖を鋭角でえぐる見た目になっていてたいへん素敵だったのだが、MVPはなんといってもアンドリュー・フォーク准将だと思う。顔立ちは整っているが陰気、という原作の描写を完璧に再現してくださっている……! しかもCV神谷浩史の流れるような詭弁も聞けて本当に耳が幸せ。3,000万将兵の命を無謀な作戦に費やす勇気。俺たちの求めていたフォークはこれだよ感が素晴らしい。
ただキルヒアイスがことごとく解釈違いで……いや、流石にカストロプ動乱はあんまりにもあんまりというかキルヒアイスがああいう策を弄せるならオーベルシュタイン要らないじゃん感がすごくないです? 戦闘は得意だけど策とか謀略とかそういうのは不得手、というのがキルヒアイスの美点であり弱点でもあったと思うのだけれど。というかなんであんな鋭い目つきなの? もっと温和な感じじゃない? ただでさえラインハルトの目つきが鋭いんだから相方であるキルヒアイスはもっと穏やかな感じにしてくれた方がバランス取れない? 道原かつみ絵で産湯を使った人間なのでキルヒアイス描写は不満が多かったけど、キャラデザの部分に関しては単に解釈が違うという話で原作と違うという話ではないのでまあ許容範囲内ではある。でもやっぱりカストロプ動乱はおかしいと思うんですよ(しつこい)。
空戦シーンは文句なしに最高の出来なのだが、やっぱりキャラもそれで動かすのは微妙というか……いや本当に空戦シーンは素晴らしいんだよ……でもキャラの顔とかが……空戦シーンは2010年代で最高なんだが……
ワイ将(2X歳男性) 関東在住 「様々なサイトで卑猥な広告が出てきて不愉快」という実感なし
この増田を書くために探し回ってもPCで広告(エロ・非エロ問わず)の存在を認識するのが難しいレベル
増田の言うことには一点だけ同意で、要するにこの槇野さんも一人の「ジョーカー」なんだよな。
実際、「病気で怪物フェイスにもなったし悲惨な介護の現場も知ってるしアーサーより全然不幸だぜ私。まあブログで承認欲求満たせてるけどな」っていうカミングアウト、ジョーカーまでもうあと一押しじゃん。ブログかSNS失ったら、もう全然ジョーカーになるでしょこの人。
「誰もがアーサーのやったことに勝手な意味づけをして、アーサーを置き去りにしてピエロフェイスで暴れ回る。でもってアーサーはそれを幸せな顔で見つめてる。」これって、あの映画の末尾に描かれる状況だよね。で、誰もがあの映画を見て勝手に解釈して暴れ回ってる。映画をネタにしながら、実際の映画を置き去りに、自分の不満だけ見つめて文句を言い回る。でもこれって全てあの映画の想定内の出来事なんだと思うんだよ。誰もが自分の不幸という棒を手にして、アーサーの姿を借りて、目に付いた社会の片隅を殴り飛ばしまくる混沌の状況……あの映画が描いていたのはそういう世界だよね。いや、これまったく今の私たちの眼の前の現実そのものやん?
もちろんさ、槇野さんの感想は的外れなんだよ。だけど槇野さんには槇野さんの「ジョーカー要素」があるわけで、槇野さんは勝手なアーサー像を想像して勝手に暴れ回るという行為によって見事に「ジョーカー」が名作であることを証明してるわけ。今のこの世界って要はゴッサムシティだよね、っていうあの映画のメッセージを体現してるわけ。
それは、あの映画が半世紀以上も前の映画の要素……つまり「母一人子一人、清く貧しく正しく夢を追う青年が、世間の荒波に揉まれながら、隣人や理解者に支えられ、偶然のきっかけで表舞台に立ち、(その過程で憧れの世界との血縁もあきらかになり)、華やかなデビューを飾って無事成功する」というおとぎ話のようなサクセスストーリーの要素を完全に踏襲しつつ、それを100%裏返してみせるという手法を取っていることによっても明らかなんだよ。あの映画に「誰も悪人がいない」という指摘は槇野さんの言うとおりで、つまり、ほんの少し状況が違えば、実はこういう馬鹿みたいな「サクセスストーリー」も実は決して夢物語では無いはずのだ。なのに、結果として生まれたのはジョーカー……だとすると、悪いのは特定の誰かなのではなく、あの街であり時代であり私たち全てだとしか言いようがない。「ジョーカー」が描いているのは、特定の人間ではなく、特定の人間を生み出す「状況」や「時代」「世界」そのものなんだと私は感じる。この町では、ほんの一押しでみんながジョーカーになってしまうのだ。だから、バットマンの戦いは絶望そのものなんだよ。
というわけで、これ以上〈槇野=アーサー〉を叩かなくていいんじゃないかな、っていう。なんか普通にジョーカー化しそうな方だしさ。まあそういうこと分かった上で、かつ「いいから、もうジョーカー誕生させよ?」っていう流れで叩いているならもうどうしようもないんだけどもさ。
石鹸枠とは、主にニコニコ生放送で使用される類似の特徴を持ったアニメの作品群の呼称である。
『星刻の竜騎士』(せいこくのドラグナー)のOP「聖剣なんていらない」において流れる空耳弾幕
「石鹸なんてなくたっていい」(本来の歌詞は石鹸ではなく聖剣)
に由来しており、基本的にこの弾幕の見られるMF文庫Jアニメ化作品など(※後述)のニコニコ生放送公式配信枠を指す。転じて石鹸枠作品(いわゆる「石鹸」)そのものを大まかに指すこともあり、しばしばニコ生配信されていない作品についてもそう比喩されることもある。
なお、上記の弾幕に対して「石鹸は必要」「石鹸は大事だろ!」といった身体を清潔に保つことの大切さを説く人も一定数存在している。
他にも「ぜったぜったぜったぜった」(絶対絶対絶対絶対)などの弾幕も引き継がれており、『星刻の竜騎士』の次クールに同時刻帯(ニコ生木曜24時30分)で放送された『精霊使いの剣舞』(せいれいつかいのブレイドダンス)の時点でアリーナでは何故か本家よりも弾幕が濃くなっていた。(この頃から石鹸枠という言葉が使われ始める)
『精霊使いの剣舞』からはOP「共鳴のTrue Force」において最後に流れる空耳弾幕「グルーポン!」(True Force)が引き継がれており、ヒロインであるクレア・ルージュが事あるごとに使う「ひゃん!」という言葉もしばしば見られる。
この枠のおおよその基準を作ったのは『星刻の竜騎士』と『精霊使いの剣舞』であり、大抵はこれらと共通する要素や近しい設定が多いほど石鹸力が高いとされている。
しかし、最終的には各々の裁量次第なのでこれらの作品を見たことがない人はまず1話を視聴し、自分の中の石鹸枠を確立して欲しい。
要はある種のネタなのだが、あらゆるネタに言える事だがそういった呼び方を嫌がる人もいるため、乱用するのは控えるべきである。
ファンタジー要素を含んだ異世界または平行世界での、魔法等の異能を駆使する超常バトル路線
中二病要素が強く、作品名や能力名等には表記と異なる(主に英語の)ルビが振られる。二つ名も同様
設定が複雑で特殊な用語が多いが、気にしなければ物語自体は原作未読者にも明快な王道的展開
主人公たちの通う全寮制の学園(大抵は人外な能力を持つ異能者の養成機関)が物語の主な舞台
主人公がヒロインや他の者と違うイレギュラーな能力で勝ち上がっていくサクセスストーリー
正義という点で主人公は最初からほぼ完全で、誤った倫理を持つ者を 説教 諌めたり成敗したり
ハーレム系ラブコメ要素があり、主人公が敵味方血縁人外問わずモテたり嫉妬されたり
ラッキースケベなどのエロコメテンプレイベント(「メインヒロインが初登場時に裸」はほぼ定石)
MF文庫Jレーベル原作のアニメ化作品(他レーベル作品の台頭により弱まりつつはあるが、王座は健在)
ちなみにyoung thug自体はヘテロだが、女性用のクローズを好んで着たりする。友達のことを”bae(baby)”と呼んだりもして、色々と揶揄された過去もある。今は、こういうラッパーも珍しくなく、jaden smith(will smithの実子)やlil uzi vertなども女性用のクローズを着ている。thug(おっかない人)を自称する人が、軽く女装しているなんて実に隔世の感がある。
Jaden Smith "Icon"
https://www.youtube.com/watch?v=cmc8q2dcIMs
https://www.youtube.com/watch?v=WrsFXgQk5UI
Young Thug "Channel"
https://www.youtube.com/watch?v=yCPCqbwfe58
一般的なThugのイメージは以下の歌詞のようなものではないだろうか。
”I'm a thug, I don't play with no rap beef Fuck around, end up on the backstreet”
JPEAGMAFIA "Thug Tears"
https://www.youtube.com/watch?v=PT5mM6k9Akc
あとはhiphopの創生に携わるような大物による男児への性的虐待も告発されたりした。
Afrika Bamabaataa "Planet Rock"
https://www.youtube.com/watch?v=9J3lwZjHenA
さておき、こういった流れを牽引したのは、ゼロ年代のodd future(ofwgkta)だった。Tyler, Syd, Earl Sweatshirt, Frank Oceanなどを擁しているクルーである。主要メンバーの多くは、ゲイを告白している。楽曲は赤裸々で、セクシャリティについて悪びれる様子もなかった。当時のヒップホップシーンはまだマッチョだったので、相当なインパクトであった。
リーダーのtylerはjaden smithの彼氏だという噂も流れたりした。彼らはmixtape(今は、ネット上で公開される音源を指す。)と、SNSで成功を収めた最初の世代でもある。SNSから売れる、という今日のサクセスストーリーの定形は、彼らが作ったものである。
https://www.youtube.com/watch?v=28JAS1ZUUqw
https://www.youtube.com/watch?v=OOb7-p2FM44
OFWGKTA "sandwitches" at The Jimmy Fallon Show with The Roots
フェイク後の曲発表で「自分を批判する人=アンチ」って表現したのはおかしいと思う。間違っている。
パワハラした人を叩くってのは人間として当然の感情。それをアンチってしたら、嘘を嘘と見抜ける人間か、パワハラを許容する人しかファンになれない。
自分を盲目的に信じる信者しかファンとして認定しないってただの宗教だし、そういう上に立つ人は自己批判できない矮小な人間だ。
でも叩かれてるのは、パワハラをネタにしたこと。「パワハラをネタにしたら、その後の告発がネタだと思われて信用されなくなる」って論理。
おかしくないか。つまり、パワハラがあったら完全にそれを信用して、真実はどうかは別に考えず、兎に角パワハラした人を叩こうって事だろ。
フェイクのテーマであろう「見たものをそのまま信じる大衆への批判」っていうものに対しての反論になってないと思うんだよな。というより、そもそも「目の前の事実を疑えよ」って事だから、
DJ社長の周辺が即平謝りするのは凄くダサいというか、こいつら自分の発言や表現に対する理解も責任も無いんだなって思う。
裁判は公平公正な判断を下す事を目標としている。たとえ自白があっても、周囲の状況や聞き取り、今まで積み重なった事実、そういったものを勘案して、
より正しい判断を下せるように努力してる。そうしてまでやっても冤罪が出てしまう、難しいもの。
今回の騒動見る限り、ジャスミンの告発が出た時点で叩き、謝罪動画が出たら叩き、そもそも二人がどういう関係性か、どういう経歴があるのか調べようともしてなかった。
公平公正な判断からほど遠いジャッジを、大衆の暴力で勝手に下してたわけだろ。良くない。間違ってる。
確かに権力者に対しては個人というのは無力だ。だからこそフェミみたいな、ちょっと偏った団体も必要なんだろうけど、大衆が加担して袋叩きにする必要はない。
確かにあの商材屋みたいな薄っぺらなサクセスストーリーと宣伝法と、薄ら寒くて浅い歌詞と小学生の鼻歌みたいなメロディーには辟易するが、だからと言って叩くのは良くない。
この社会の雰囲気が続いていけば、あなたが将来身に覚えの無い冤罪を着せられても、誰も救ってくれる人が居なくなる……と思うよ。
深田えいみというAV女優がいる。彼女が今、twitterの女の間でプチブレイク中だ。垢抜けない妹系AV女優が、整形して美人になって再デビューした、というツイートが投稿されたのがきっかけだ。エロい女ではなく、サクセスストーリーの体現者として支持されはじめている。
この分野の先駆者といえばやはり明日花キララだろう。もはやカリスマといっていい。AVに出て資金を稼ぎ、整形して、美女となった。その姿は、嫌な仕事をこなしながらも頑張れば成功できるんだという力強いロールモデルに映るのだろう。薄給すぎて風俗で働いている若い女も少なくない。余計に重なるところもあるのだろうな。
ラブライブが流行ったのは、もちろんスクフェスがスマホ音ゲーとして成功した先駆者だったのもあるが、
アニメのもつ思想性、メッセージ力が、オタクというよりは一般寄りの価値観をもつライト層に刺さったからだ。
平たく言うと少女たちの葛藤や成長で視聴者を泣かせる作りが巧かったから。
ミュージカルくさくて飛躍や省略の多い構成が良さを理解できない人を生む原因だろうと思われるが、
高坂穂乃果や高海千歌のような、現実なら叩き潰されるような隙だらけのイノベーター型主人公が、
善良な友人の協力を得て、周囲を巻き込んで、大きなことを成し遂げるというストーリーが、不寛容な現実の息苦しさに対する救いになった。
それのみならず、アニメの中だけでなく現実でも、東京ドーム公演まで漕ぎ着けるサクセスストーリーを演出して、
リアルタイムでファンたちが成長物語に巻き込まれていった。そのオーバーラップこそが一番の肝だと思う。
加えて、キャストの方々が本当に真摯にハードなダンスや体当たりな生番組などに向き合ってくれたこと。
いい歳した声優さん達が、全力で青春を魅せつけてくれたから、ファンは作品にリスペクトを抱けているんだろう。
そういう面ではアイマス作品なども負けていないのだが、ラブライブが独特なのは、「スクールアイドル」であるというコンセプト。
営利企業の支援を受けて、ファンのために輝くアイドル像ではなくて、自分たちの問題意識から発足し、自発的に活動している。
そしてあらゆる局面での選択、決断は、「自分たちはどうなのか」を第一に置いている。
これはもう現代の若者の生き方を問うものだ。悪意に飲み込まれず、善く生きる方法論を描いていると言っていい。
そこがこの作品の粋な部分だ。
そういったラブライブismが、多くの人に、言語化されないまでも魅力として伝わった結果がこうなのだと思う。
そのismをNHKが汲んで後押ししてくれたことも大きいだろうし、純粋に曲や詞が良いのもある。
実際、複合的な要因でないと説明できないのは、スクフェス前までのアニメは特にバズらなかった事からも言える。
自分はアニメが最大要因かのように書いたが、アニメ自体の評価は、展開がアクロバティックなのもあって、
レビューをするような几帳面な人たちにとっては賛否両論となっているのが常で、表面上はアニメがすごいとは言いにくい。
何者にもなれないってさ、
何者かにならなきゃいけないって価値観から生まれる言葉だよね。
「何者」っていうのがいったい何かって言えば、
みんなご立派な人間になりたいわけだよ。
そうなることで、ちやほやしてもらえたり、
もう承認欲求満たしたい放題なわけだ。
でも、まあ、なれないよ。大半の人はそういったものには。
大昔から何者でもない人間が成功し、社会から認められるようなサクセスストーリーが作られ続けてきた。
成功し、大勢の人から、社会から承認されることがゴールだと刷り込まれてきた。
だけど、大半の人間は何者にもなれない。なれっこない。限られたパイの奪い合い。結局、人生の敗北者ってわけさ。
そんな価値観が刷り込まれているんだから、もうどうしようもない。
社会が、それを構成する人間がお互いに楽をさせないようにギチギチに縛ってんだ。まさに呪いだね。ひどいもんさ。
男らしく、女らしくしてなきゃいけない。
そういった諸々を押し付けあって、この社会は苦しむようにできているわけだ。
そんなものに縛られなくていい。
最近長続きしないゲームが多いことに気づいたのだけど、なんというか、どのゲームもキャラクターの個性がしっかりしすぎてて逆に感情移入できないんだよね。
ゲームって自分が主人公になってプレイするものだと思ってるんだけど、なんで全然知らない人間のサクセスストーリーを見るために俺の時間つかわなきゃならんのだ。
それでも今まではそのキャラになりきって楽しむことができてたけど、最近のゲームってそれさえ許してくれないほどに主人公が一人の人間みたいな個性を持ってるんだよね。
「実は皆に秘密が、、、」って、それ俺(主人公になりきってる俺)も知らねーし!
冷める。ものすごく冷める。
見えている部分が少なければ想像の余地でなんとかカバーできるけど、情報量が増えれば増えるほど、気に入らないととことん気に入らなくなってしまう。
グラフィックの向上とか、フル音声とかいいんだけど、細かく作られれば作られるほど、こちらの想像の余地がどんどん奪われていく。
奪われていった結果、許容の範囲がどんどん狭まってしまって、そこから少しでも外れるともうゲームを続ける気になれないんだよね。
現実でさえ、よっぽど話があうかよっぽど好きになれないと、他人とそんなに長く一緒にいられないじゃない。それにすごい近い感覚だと思う。
>このような主人公のキャラクター設定には、高貴な身分から落ちてしまったという悲劇、そしてその境遇に立ち向かい栄光を手にするというサクセスストーリー、といった読者の心を掴む要素があるのではないでしょうか。
>これといった目的やゴールもなくストーリーが進んでいくので、主人公を応援したい気持ちになれず、
いきあたりばったりな書き方は、「奇想天外な物語」を作ることはできても、「物語の奥深さ」を作り出すことはできないのではないでしょうか。
これは全巻一気読みの弊害というか、物語通して一つの目的が無い、終わりをチラ見しながら読んでたらそういう感想になるのも百歩譲って分かる。
ただ、「サイヤ人」「フリーザ」「セル」「魔人ブウ」など時々の目的はあるじゃん。
っていうか奥深さって何よwアクションエンタメ漫画に奥深さを求める意味が分からない。
サイヤ人とかナメック星とか、後付けで徐々に独自の世界観を作りこんでるじゃん。
最初っからカッチリとルールが設定されてないとダメなタイプなのか。
>ストーリーに関しても、当時はまだ「黄金パターン」のキャラクター設定を採用している作品がそこまで多く世に出ているわけではなく、
男塾や北斗の拳、キン肉マンや聖闘士星矢みたいな「王道の黄金パターンで行き当たりばったり」な作品は当時から山ほどある。
選択肢が今ほど多くないのは事実だが、今もそのスマホゲームや数多くの映画の中からドラゴンボールがヒットしてる理由の説明にならない
ジジイ相手の商売ならまだしも、外国人や子供も楽しんでるんですが
そもそも良かった点が見当はずれなので通じるもクソも無い
むしろ中学生時代に大量のPS2ゲームに触れてる世代ですあなたの世代は
最後の最後に「黒船を見た江戸時代の人はさぞ驚いたでしょう」みたいな逆マウンティングをかます姿勢がクソ
というか、「個性豊かなキャラクター」「みんなが真似した必殺技」みたいな要素を魅力として感じれなかったのは好き嫌い以前にマズいだろ
PSU時代からずーっと批判にさらされてるのに、未だに理解が及んでないようで本当に驚く
「気づいたら英雄(の魂)を救っていた」話だ
少しずつ地下に進んで、メッセージパックやクエストを進めて真相にたどり着く、
その過程は決して主人公を英雄として祭り上げるようなものではなかった
主人公は「行方不明だった英雄が実は敵に殺されていた、その真相を明らかにした」ことで
「英雄を超え」て見せた
MOとして最低限のストーリーラインしか求められていなかった初代で
あっさりと「英雄越え」を示して見せたのに、PSUからPSO2 EP5の今に至るまで
PSUでは色気を出して顔あり主人公とアバターキャラを併存させてしまい、
烈火のごとき非難を浴び、PSUのEP3ではNPCががんばって寸劇中に主人公へ話題を振るようになった
PSO2は一転してアバターキャラのサクセスストーリーになった
謎解きを経て英雄呼ばわりされるようになっていく
EP3~4のストーリーでは喋れもせず自分で物語を動かす力もない主人公を引き続き英雄呼ばわりして
またもや「いまのお前は英雄じゃない」をやらかしたのだ、ゲームシステム上で。何と愚かな
PSO2の運営はそのどうしようもない愚かさでもって「お前は英雄じゃない」とゲーム全体から語ってしまう
少年漫画やらジュブナイルやらで主人公の少年が父親を超えようとし、
苦労の末実際に超えていくのはその過程によって
「キミも父親=成功者(=大人)のようになれるよ」と読者たちに伝えるためだ
RPGはそのプロセス上ゲームを辞めさえしなければプレイヤーの誰しもが必ずいつか成功するわけで、
プレイヤーの化身であるアバターキャラをストーリーやシステム上で必死に英雄として認定してあげる必要がない
英雄になる過程を描くということは、とりもなおさず主人公が英雄でないと示し続けるに等しいことだ
それを初代PSOでは理解していたから「設定上の英雄を救う」という方向で「英雄越え」をしてみせたのだろう。
ゲーム側がすべきなのは「ストーリーで英雄にしてあげる」ことではなく
J-RPG全般において脚本の弱さというものは常々指摘されているが、
PSO2運営における意識の至らなさは未熟を超えて非常識の域に達している
もう2018年だぞ、いい加減学んでくれ
ワルキューレは良いし、2ndLIVEからの劇場版へのサクセスストーリーは素晴らしいよね
ただ映画チケット抱合せの3rdと劇場版積ませる次の豊洲、特典商法や4DXで頑張っても興行収入残念な劇場版、在庫少ないくせに入場自由なオシャレマクロスとか、その後がどれも酷い(オシャレマクロスは京都の初回から酷かったけど)
結局ワルキューレのファンは多くてもΔのファンは少ないみたいだし、運営もマクロスファンよりワルキューレファンを大事にしているみたいなのが残念。おまけにライブが回数増すごとに厄介増えるし
某日某動画配信サイトでマクロスデルタ映画公開記念としてマクロスシリーズ作品(超時空要塞マクロス、マクロスII、マクロスプラス、マクロス7、マクロスゼロ、マクロスフロンティア)が公開されていた。マクロスをちゃんと見たことがなかったのでマクロスII以外全部見たところ、めちゃくちゃ面白かったのでネタバレ全開で感想を書く。
なお、IIを見なかった理由は特にない(ビジュアルに惹かれなかったからだっけ?)
(2018/9/3 修正。感謝 b:id:dynamicsoar)
さすがに80年代のSF作品なので、今から見ると古臭いだろうなと覚悟していたのだが、正直なところストーリーは一番面白かったかもしれない。
外宇宙より流れ着いた高度テクノロジーを回収し、マクロスとして改修したところ、機関が暴走して地球から冥王星までワープしてしまう。 しかも開発拠点となっていた土地も、街ごとすべてマクロスと共に移動してしまう。 そして孤立無援のなか民間人を抱えたマクロスは、絶望的な戦力差のゼントラーディー軍と対峙することになる。
民間人の街を含む生活圏ごと宇宙空間に放り出される、という SF 設定がまず素晴らしい。地球を遠く離れ、マクロスに依存して生きることになる市民と、市民を抱え込みながら作戦を実行しなければならない統合軍という、対立を設定したことで生まれたドラマの重みが他の作品に無い魅力だった。マクロス艦内に街を作る流れとか、マクロスが主砲発射のため変形すると道が割れ家が崩壊し市民に甚大な被害が出るというジレンマが、作品がただのヒーロー物となるのを防いでおり実に良い。最初の数話はずっと、マクロス艦内の(一条とミンメイの)サバイバル生活や、統合軍の武力を軽蔑する一条の話であり、マクロスという作品は戦闘が全てではないということを描いているし、ロボットアニメなのに一条が統合軍に参加するまでにも紆余曲折あって一筋縄ではいかないという序盤の展開の遅さも、今から見れば一条の若者らしさが強調されているように感じる。
またゼントラーディー軍とプロトカルチャーという一つの設定から、圧倒的戦力差があるのにゼントラーディー軍がマクロスを殲滅しない理由、逆にマクロスが基幹艦隊に対抗できる理由が自然に説明されている。プロトカルチャーとは何か、なぜ敵は様子見をしているのか、その謎が作品全体の軸となっていて最後(27話)まで楽しく見れた。
個人的には早瀬少佐を陰ながら応援していたのだが、ミンメイが強すぎて三角形がほぼ直線に見えてしまうのが問題だと思う。早瀬少佐ほとんど最後まで片思いじゃないか。
まあ一条は三角関係にピリオドを打ったのでよしとしたい。しかし主人公の一条光は本当に等身大の若者として描かれている。いい雰囲気だったミンメイには袖にされるし、それまでの経験からエースパイロットとなるけど、あっさりマックスに絶対エースの座を奪われるし、超人的なところがない。この等身大の恋愛が、作品にいい意味で青くささを与えているのだろう。
世界一カッコいい兵器である戦闘機が、さらにスタイリッシュなロボットにも変形するのだ!!!最高以外のなにものでもないではないか!!!!!!
...... ふう。
某小説家によると、自動車などと違って、飛行機というのはデザインがそのまま性能に直結するため、極限まで無駄が排除された存在であるらしい。飛行機の美しさ・カッコよさというのは機能美であると。つまり戦闘機であるバルキリーは必然レベルでカッコよく、その戦闘機が変形するバトロイドはカッコよくないはずがないのだ。
バルキリーの外見以外の話をすると、基本モードがファイターであることが徹底されているのがよかった。人型ロボットが高機動戦闘に不向きなことなんて自明なので、ヒットアンドウェイはファイター、飛翔体迎撃や地上行動はバトロイド、水平移動やランディングはガウォークという役割分担がはっきりしていたのもグッドポイント。
【懺悔】はじめはガウォーク形態を、ノーズに手足が付いていてなんか不恰好だと思っていました。全話見終わってようやくガウォークのカッコよさに気がつきました。いまではファイター >> ガウォーク > バトロイド の順で好きです。不当にガウォークを貶めてしまい申し訳ありませんでした。
正直、歌にこんなにバリエーションがあるとは思っていなかった。
しかしこのストック数があったおかげであの伝説の最終決戦(ミンメイアタック)が実現したのだと思うと、マクロスと歌は不可分なのだと実感する。
「私の彼はパイロット」と映画版だけど「愛・おぼえていますか」がマクロスを象徴する曲だと思う。
最高。ミュンを中心とした三角関係とむせかえるような戦闘機野郎臭にクラクラした。また電子歌姫、AIの暴走、有人戦闘機は無人戦闘機に勝てないなどの描写は未来予測として見事だった。
冒頭の強烈なドッグファイト、ステルス機 YF-21 のお目見え、YF-19 の超マニューバと1話から戦闘機づくし(後退翼前進翼!!)!さらに地面効果やチャフグレネードといったマニア向けの細かい描写まできっちり!トドメとばかりにミサイル増しまし、サーカス全開!ファンタスティック!!!最高の戦闘機アニメだった!!!
初代の青々しい恋愛とは異なり、皆が古傷を抱えたちょっとスパイシーな恋愛だった。はじめからガルドの負けは決まっていたけどな。
シャロンのトランスするような曲(BGM)は、未来の音楽という感じで演出も含めて作品を唯一無二のものとしている。それに対してミュンの素朴な歌声が要所で差し込まれることで、全体としてメリハリがついて音楽性の幅を獲得している。つまりは菅野よう子さんすごい。
歌(というかバンド)に振ったストーリーなので戦闘描写が薄い(マクロスプラスの後に見たせい?)。バンドマンサクセスストーリー -- 熱気バサラ伝記 -- といった感じ。
サウンドパワーが出てからかなりファンタジー方面になっていくところは SF を期待していた身としては少しがっかり。面倒くさい SF 勢としては、違う次元から来たのにプロトデビルンが人間くさすぎるところがもにょる。とあるプロトデビルが「破壊美〜」とか美学を叫ぶけど、美学なんてもっとも文化に隷属しているものだろう。
ただ、移民船やマクロス艦(バトル7)の設定は、フロンティアへ繋がるマクロス世界を広げた良い設定だった。
バサラ --- ミレーヌ --- ガムリン のトライアングルだけど、バサラは何考えているのかわからないし、ミレーヌはお子ちゃまだし、ガムリンは奥手で死ぬ死ぬ詐欺だしあまり恋愛要素は無かった。というかあのよく叫ぶシビルはなんだったん? バサラのエゴ?
主人公が非戦闘員だから仕方がないのだけど、戦闘描写が薄い。バサラは戦わない設定なので、敵弾は避ける防ぐだけだし地味。基本的に、敵襲来→守備隊が壊滅→バサラ達が出てきて歌う→ガムリンが頑張る→もっと歌う→敵が逃げるのパターンでバンク処理が多いし、ファイター形態で戦うパイロットがほとんどいないのも残念。熱いドッグファイトが見たいのだ。
初代も当時のTVシリーズとしては驚きの楽曲数だったが、今作はバンドマンストーリーなのでフルアルバムが作れるくらい楽曲が生み出されている。バサラとミレーヌのツインボーカルなので、バサラの熱唱からミレーヌの透明感のあるバラードまでバラエティも豊か。特にミレーヌボーカルの曲が好き。
しかし楽曲は良いのだけど、演出が今ひとつのところがある。最終決戦など、バサラとミレーヌがそれぞれの持ち歌を歌う場合だ。それぞれ曲調が異なるのに交互で歌うので音の統一感が無くなっている。もっと DJ などのように統一感のあるミキシングをして欲しかった。
良かった。3DCG で作ったマクロスプラス。カーゴカルト的なストーリーは自然回帰にみせかけたマクロスだった。基本的にバルキリーに興奮するアニメだと思う。
果たしてサラは帰ってこれたのだろうか。後にシンの手記が出版されているのでシンは帰って来たのだろうが。特に三角無し。
3DCG になってダイナミックな絵作りができるようになったせいか、マクロスプラス並みのドッグファイトを見せてくれる。まだバルキリーが普及していない時代という理由からか、戦闘は基本的にファイター + ガウォーク形態でここぞ!というところでバトロイドに変形するのだが、そのメリハリが素晴らしい。
一番良かったのはフォッカーが初めてバトロイドに変形するシーン。ガキンガキンガキンとリアルタイムに変形するシーンは魂がふるえた。
マクロス7と歌ラッシュ比べると、サラの歌と鳥の人の歌程度なのであまり印象にない。むしろフロンティアでのランカのアイモの方が印象に残っている。
最高(2回目)。超時空要塞マクロスからマクロスゼロまでのまさに集大成。初代から久しく無かった、ゼントラーディー部隊の再登場、ミンメイアタック、マクロスアタック(旧名ダイダロスアタック)、娘娘、ミスマクロスなどなどものすごい初代リスペクト。加えて オズマが Firebomber のファンとか、マクロスゼロを劇中ドラマとして登場させるなど、過去のマクロスの引用や展開がさりげなく大量にありまさにマクロス集大成。
また SF 面も、ヴァジュラの生態やフォールド波など骨太設定がしっかりとしていて良かった。
SF 好きで、戦闘機好きで、ロマンス好きで、歌好きオタクは皆撃ち抜かれるのではないだろうか。
少しこれまでの三角関係を総括する。初代の三角関係のよくないところは、早瀬少佐よりもミンメイが強すぎるところにある。歌う姿がインパクトありすぎるのだ。逆にマクロス7はバサラは何もしないしガムリンはパッとしないので、盛り上がりに欠ける。
上記の悪かったところを念頭に置いた上に本作を見ると、ヒロインのシェリルとランカは両方ともトップアイドル(ベテランと新人)なのでその問題はない。どちらが好みかだけである(増田はシェリルに幸せになってほしい)。よってシリーズ中一番三角関係がくっきりしているし、どちらもタイプの異なるヒロインで初代のように片方が強すぎるというのはない(と思う)。
逆によくなかったところは三角関係に決着がつかないところ。アルトくんはっきりせいや!少女漫画風に見れば王子様のアルトをスターダムを駆け上がるランカ(主人公ポジ)が射止める流れだが、シェリルもそれはかわいそうな背景を背負っているので簡単には決着をつけられなかったのではないかと思う。なお個人的には、兄が二人もいて、友達(一部友人以上の愛を向けられる)もたくさんいるランカと、天涯孤独で唯一信頼していたマネージャーに裏切られ命に関わる病気を負いアルバムが投げ売りされるくらい人気がガタ落ちしたうえ、アルトと恋人になったと思いきや無意識に恋人としてのロールを演じられていただけという仕打ちを受けたシェリルでは差がありすぎるので、ランカはシェリルにアルトくんを譲ってあげてよと思う。
正直なところ少し不満がある。特に戦闘機の花である地上でのドッグファイトがほぼ無かったところが残念。
ただ、マクロスプラス以後の作品では、YF-19 以降のバルキリーの何をアップグレードするのか難しかったのだと思う。思うに現代で知られている戦闘技術はほぼプラスで描かれているので、プラス以上の何かを新たに作り出すのはそれこそ革新が必要だろう。実際マクロスゼロは時代設定を初代より前に置くことでこの問題を避けている。
それにプラスで、ゴースト X9 というシリーズ最強の敵を作ってしまい有人戦闘の可能性にリミットを設けてしまったこともある意味よく無かったのかもしれない。どれだけ高性能なバルキリーを出そうにも、それにゴーストの AI を組み込めばお手軽に最強になる。人の反射神経や視界などのセンシング能力が機械に勝つことはないのだ。
あとバルキリーでは無いけど、ケーニッヒ・モンスターがめちゃくちゃ渋い。重爆撃機のようなフォルムから恐竜みたいなデストロイド全て重量感があって良い。動きも武骨なデザイン通りの重い動きをして、背中の砲台から反応弾をドッカと撃ち出す。かっこうよすぎる。
女性ボーカル好きとして最高だった。12話の星間飛行ライブと15話のデュエット、そして最終話は4回は見直したぞ!
好きな曲がありすぎて書ききれないのだけど、12話は伝説だった。12話はそれ自体が星間飛行の PV と言っていよいだろう。あと What 'bout my star は印象に残るシーンが多かった。ランカの路上ライブバージョンではアカペラから入って、ギター、ドラムと段々と音色が増して行く構成が見事だし、15話の What 'bout my star のヒロインズによるデュエットはとにかく破壊力が高すぎる。途中で終わってしまうのが残念でならない。それから外せないのは最終話のメドレーだろう。最終話はシェリルとランカのリレーとデュエットなのだが、二人が歌い始めた時点で勝ち確定で、実質的にも最終話は冒頭からエンディングだった。特にこの最終話で印象に残ったのは、オープニング曲であるライオンを二人で歌うシーンと、シェリルが短いフレーズだけ歌う私の彼はパイロット。前者は演出の定番だが歌詞の内容もありやっぱり盛り上がるし、後者は歌の繋ぎとしての採用だがまさかシェリルが歌うとは思っていなかったのですごく上がった。
マクロス7のところで苦言を呈した音楽のミックスについてだが、この最終決戦は完璧だった。全体のテンポを崩すことなくシェリルとランカのそれぞれの持ち歌とそのほかの歌たちが見事にメドレーとして再構成されていた(まあその完成度のせいで冒頭からエンディング状態だったのだけど)。
個人的に声優に興味が無いため個人名をほとんど覚えていない中で、中島愛さんはランカの歌声の人として覚えた(ちなみにもう一人は皆口裕子さん。この人の声は耳に優しいのに耳を捉えて話さない魔性がある)。声優としてはすごくうまいとは思わないが、歌声が満点すぎる。とにかく歌が上手い。声質も綺麗なんだが、伸びのある声と聞き取りやすい音域でうっとりする。
某日某動画配信サイトでマクロスデルタ映画公開記念としてマクロスシリーズ作品(超時空要塞マクロス、マクロスII、マクロスプラス、マクロス7、マクロスゼロ、マクロスフロンティア)が公開されていた。
マクロスをちゃんと見たことがなかったのでマクロスII以外全部見たところ、めちゃくちゃ面白かったのでネタバレ全開で感想を書く。
なお、IIを見なかった理由は特にない(ビジュアルに惹かれなかったからだっけな?)
さすがに80年代のSF作品なので、今から見ると古臭いだろうなと覚悟していたのだが、正直なところストーリーは一番面白かったかもしれない。
外宇宙より流れ着いた高度テクノロジーを回収し、マクロスとして改修したところ、機関が暴走して地球から冥王星までワープしてしまう。 しかも開発拠点となっていた土地も、街ごとすべてマクロスと共に移動してしまう。 そして、孤立無援のなか民間人を抱えたマクロスは、絶望的な戦力差のゼントラーディー軍と対峙することになる。
民間人の街を含む生活圏ごと宇宙空間に放り出される、という SF 設定がまず素晴らしい。地球を遠く離れ、マクロスに依存して生きることになる市民と、市民を抱え込みながら作戦を実行しなければならない統合軍という、対立を設定したことで生まれたドラマの重みが他の作品に無い魅力だった。マクロス艦内に街を作る流れとか、マクロスが主砲発射のため変形すると道が割れ家が崩壊し市民に甚大な被害が出るというジレンマが、作品がただのヒーロー物となるのを防いでおり実に良い。最初の数話はずっと、マクロス艦内の(一条とミンメイの)サバイバル生活や、統合軍の武力を軽蔑する一条の話であり、マクロスという作品は戦闘が全てではないということを描いているし、ロボットアニメなのに一条が統合軍に参加するまでにも紆余曲折あって一筋縄ではいかないという序盤の展開の遅さも、今から見れば一条の若者らしさが強調されているように感じる。
また、ゼントラーディー軍とプロトカルチャーという一つの設定から、圧倒的戦力差があるのにゼントラーディー軍がマクロスを殲滅しない理由、逆にマクロスが基幹艦隊に対抗できる理由が自然に説明されている。プロトカルチャーとは何か、なぜ敵は様子見をしているのか、その謎が作品全体の軸となっていて、最後(27話)まで楽しく見れた。
個人的には早瀬少佐を陰ながら応援していたのだが、ミンメイが強すぎて三角形がほぼ直線に見えてしまうのが問題だと思う。早瀬少佐ほとんど最後まで片思いじゃないか。
まあ一条は三角関係にピリオドを打ったのでよしとしたい。しかし、主人公の一条光は本当に等身大の若者として描かれている。いい雰囲気だったミンメイには袖にされるし、それまでの経験からエースパイロットとなるけど、あっさりマックスに絶対エースの座を奪われるし、超人的なところがない。この等身大の恋愛が、作品にいい意味で青くささを与えているのだろう。
世界一カッコいい兵器である戦闘機が、さらにスタイリッシュなロボットにも変形するのだ!!!最高以外のなにものでもないではないか!!!!!!
...... ふう。
某小説家によると、自動車などと違って、飛行機というのはデザインがそのまま性能に直結するため、極限まで無駄が排除された存在であるらしい。飛行機の美しさ・カッコよさというのは機能美であると。つまり戦闘機であるバルキリーは必然レベルでカッコよく、その戦闘機が変形するバトロイドはカッコよくないはずがないのだ。
バルキリーの外見以外の話をすると、基本モードがファイターであることが徹底されているのがよかった。人型ロボットが高機動戦闘に不向きなことなんて自明なので、ヒットアンドウェアはファイター、飛翔体迎撃や地上行動はバトロイド、水平移動やランディングはガウォークという役割分担がはっきりしていたのもグッドポイント。
【懺悔】はじめはガウォーク形態を、ノーズに手足が付いていてなんか不恰好だと思っていました。全話見終わってようやくガウォークのカッコよさに気がつきました。いまではファイター >> ガウォーク > バトロイド の順で好きです。不当にガウォークを貶めてしまい申し訳ありませんでした。
正直、歌にこんなにバリエーションがあるとは思っていなかった。
しかしこのストック数があったおかげであの伝説の最終決戦(ミンメイアタック)が実現したのだと思うと、マクロスと歌は不可分なのだと実感する。
「私の彼はパイロット」と映画版だけど「愛・おぼえていますか」がマクロスを象徴する曲だと思う。
最高。ミュンを中心とした三角関係とむせかえるような戦闘機野郎臭にクラクラした。また電子歌姫、AIの暴走、有人戦闘機は無人戦闘機に勝てない、などの描写は未来予測として見事だった。
冒頭の強烈なドッグファイト、ステルス機 YF-21 のお目見え、YF-19 の超マニューバと1話から戦闘機づくし(後退翼!!)!さらに地面効果やチャフグレネードといったマニア向けの細かい描写まできっちり!トドメとばかりにミサイル増しまし、サーカス全開!ファンタスティック!!!最高の戦闘機アニメだった!!!
初代の青々しい恋愛とは異なり、皆が古傷を抱えたちょっとスパイシーな恋愛だった。はじめからガルドの負けは決まっていたけどな。
シャロンのトランスするような曲(BGM)は、未来の音楽という感じで演出も含めて作品を唯一無二のものとしている。それに対してミュンの素朴な歌声が要所で差し込まれることで、全体としてメリハリがついて音楽性の幅を獲得している。つまりは菅野よう子さんすごい。
歌(というかバンド)に振ったストーリーなので戦闘描写が薄い(マクロスプラスの後に見たせい?)。バンドマンサクセスストーリー -- 熱気バサラ伝記 -- といった感じ。
サウンドパワーが出てからかなりファンタジー方面になっていくところは SF を期待していた身としては少しがっかり。面倒くさい SF 勢としては、違う次元から来たのにプロトデビルンが人間くさすぎるところがもにょる。とあるプロトデビルが「破壊美〜」とか美学を叫ぶけど、美学なんてもっとも文化に隷属しているものだろう。
ただ、移民船やマクロス艦(バトル7)の設定は、フロンティアへ繋がるマクロス世界を広げた良い設定だった。
バサラ --- ミレーヌ --- ガムリン のトライアングルだけど、バサラは何考えているのかわからないし、ミレーヌはお子ちゃまだし、ガムリンは奥手で死ぬ死ぬ詐欺だしあまり恋愛要素は無かった。というかあのよく叫ぶシビルはなんだったん? バサラのエゴ?
主人公が非戦闘員だから仕方がないのだけど、戦闘描写が薄い。バサラは戦わない設定なので、敵弾は避ける防ぐだけだし地味。基本的に、敵襲来→守備隊が壊滅→バサラ達が出てきて歌う→ガムリンが頑張る→もっと歌う→敵が逃げるのパターンでバンク処理が多いし、ファイター形態で戦うパイロットがほとんどいないのも残念。熱いドッグファイトが見たいのだ。
初代も当時のTVシリーズとしては驚きの楽曲数だったが、今作はバンドマンストーリーなのでフルアルバムが作れるくらい楽曲が生み出されている。バサラとミレーヌのツインボーカルなので、バサラの熱唱からミレーヌの透明感のあるバラードまでバラエティも豊か。特にミレーヌボーカルの曲が好き。
しかし楽曲は良いのだけど、演出が今ひとつのところがある。最終決戦など、バサラとミレーヌがそれぞれの持ち歌を歌う場合だ。それぞれ曲調が異なるのに交互で歌うので音の統一感が無くなっている。もっと DJ などのように統一感のあるミキシングをして欲しかった。
良かった。3DCG で作ったマクロスプラス。カーゴカルト的なストーリーは自然回帰にみせかけたマクロスだった。基本的にバルキリーに興奮するアニメだと思う。
果たしてサラは帰ってこれたのだろうか。後にシンの手記が出版されているのでシンは帰って来たのだろうが。特に三角無し。
3DCG になってダイナミックな絵作りができるようになったせいか、マクロスプラス並みのドッグファイトを見せてくれる。まだバルキリーが普及していない時代という理由からか、戦闘は基本的にファイター + ガウォーク形態でここぞ!というところでバトロイドに変形するのだが、そのメリハリが素晴らしい。
一番良かったのはフォッカーが初めてバトロイドに変形するシーン。ガキンガキンガキンとリアルタイムに変形するシーンは魂がふるえた。
マクロス7と歌ラッシュ比べると、サラの歌と鳥の人の歌程度なのであまり印象にない。むしろフロンティアでのランカのアイモの方が印象に残っている。
最高(2回目)。超時空要塞マクロスからマクロスゼロまでのまさに集大成。初代から久しく無かった、ゼントラーディー部隊の再登場、ミンメイアタック、マクロスアタック(旧名ダイダロスアタック)、娘娘、ミスマクロスなどなどものすごい初代リスペクト。加えて オズマが Firebomber のファンとか、マクロスゼロを劇中ドラマとして登場させるなど、過去のマクロスの引用や展開がさりげなく大量にありまさにマクロス集大成。
また SF 面も、ヴァジュラの生態やフォールド波など骨太設定がしっかりとしていて良かった。
SF 好きで、戦闘機好きで、ロマンス好きで、歌好きオタクは皆撃ち抜かれるのではないだろうか。
少しこれまでの三角関係を総括する。初代の三角関係のよくないところは、早瀬少佐よりもミンメイが強すぎるところにある。歌う姿がインパクトありすぎるのだ。逆にマクロス7はバサラは何もしないしガムリンはパッとしないので、盛り上がりに欠ける。
上記の悪かったところを念頭に置いた上に本作を見ると、ヒロインのシェリルとランカは両方ともトップアイドル(ベテランと新人)なのでその問題はない。どちらが好みかだけである(増田はシェリルに幸せになってほしい)。よってシリーズ中一番三角関係がくっきりしているし、どちらもタイプの異なるヒロインで初代のように片方が強すぎるというのはない(と思う)。
逆によくなかったところは三角関係に決着がつかないところ。アルトくんはっきりせいや!少女漫画風に見れば王子様のアルトをスターダムを駆け上がるランカ(主人公ポジ)が射止める流れだが、シェリルもそれはかわいそうな背景を背負っているので簡単には決着をつけられなかったのではないかと思う。なお個人的には、兄が二人もいて、友達(一部友人以上の愛を向けられる)もたくさんいるランカと、天涯孤独で唯一信頼していたマネージャーに裏切られ命に関わる病気を負いアルバムが投げ売りされるくらい人気がガタ落ちしたうえ、アルトと恋人になったと思いきや無意識に恋人としてのロールを演じられていただけという仕打ちを受けたシェリルでは差がありすぎるので、ランカはシェリルにアルトくんを譲ってあげてよと思う。
正直なところ少し不満がある。特に戦闘機の花である地上でのドッグファイトがほぼ無かったところが残念。
ただ、マクロスプラス以後の作品では、YF-19 以降のバルキリーの何をアップグレードするのか難しかったのだと思う。思うに現代で知られている戦闘技術はほぼプラスで描かれているので、プラス以上の何かを新たに作り出すのはそれこそ革新が必要だろう。実際マクロスゼロは時代設定を初代より前に置くことでこの問題を避けている。
それにプラスで、ゴースト X9 というシリーズ最強の敵を作ってしまい有人戦闘の可能性にリミットを設けてしまったこともある意味よく無かったのかもしれない。どれだけ高性能なバルキリーを出そうにも、それにゴーストの AI を組み込めばお手軽に最強になる。人の反射神経や視界などのセンシング能力が機械に勝つことはないのだ。
あとバルキリーでは無いけど、ケーニッヒ・モンスターがめちゃくちゃ渋い。重爆撃機のようなフォルムから恐竜みたいなデストロイド全て重量感があって良い。動きも武骨なデザイン通りの重い動きをして、背中の砲台から反応弾をドッカと撃ち出す。かっこうよすぎる。
女性ボーカル好きとして最高だった。12話の星間飛行ライブと15話のデュエット、そして最終話は4回は見直したぞ!
好きな曲がありすぎて書ききれないのだけど、12話は伝説だった。12話はそれ自体が星間飛行の PV と言っていよいだろう。あと What 'bout my star は印象に残るシーンが多かった。ランカの路上ライブバージョンではアカペラから入って、ギター、ドラムと段々と音色が増して行く構成が見事だし、15話の What 'bout my star のヒロインズによるデュエットはとにかく破壊力が高すぎる。途中で終わってしまうのが残念でならない。それから外せないのは最終話のメドレーだろう。最終話はシェリルとランカのリレーとデュエットなのだが、二人が歌い始めた時点で勝ち確定で、実質的にも最終話は冒頭からエンディングだった。特にこの最終話で印象に残ったのは、オープニング曲であるライオンを二人で歌うシーンと、シェリルが短いフレーズだけ歌う私の彼はパイロット。前者は演出の定番だが歌詞の内容もありやっぱり盛り上がるし、後者は歌の繋ぎとしての採用だがまさかシェリルが歌うとは思っていなかったのですごく上がった。
マクロス7のところで苦言を呈した音楽のミックスについてだが、この最終決戦は完璧だった。全体のテンポを崩すことなくシェリルとランカのそれぞれの持ち歌とそのほかの歌たちが見事にメドレーとして再構成されていた(まあその完成度のせいで冒頭からエンディング状態だったのだけど)。
個人的に声優に興味が無いため個人名をほとんど覚えていない中で、中島愛さんはランカの歌声の人として覚えた(ちなみにもう一人は皆口裕子さん。この人の声は耳に優しいのに耳を捉えて話さない魔性がある)。声優としてはすごくうまいとは思わないが、歌声が満点すぎる。とにかく歌が上手い。声質も綺麗なんだが、伸びのある声と聞き取りやすい音域でうっとりする。
------------------------------------------
というわけで、マクロスシリーズめちゃくちゃ面白かったのでおすすめ。初めて見るなら、超時空要塞マクロスの Permalink | 記事への反応(0) | 00:32
某日某動画配信サイトでマクロスデルタ映画公開記念としてマクロスシリーズ作品(超時空要塞マクロス、マクロスII、マクロスプラス、マクロス7、マクロスゼロ、マクロスフロンティア)が公開されていた。
マクロスをちゃんと見たことがなかったのでマクロスII以外全部見たところ、めちゃくちゃ面白かったのでネタバレ全開で感想を書く。
なお、IIを見なかった理由は特にない(ビジュアルに惹かれなかったからだっけな?)
さすがに80年代のSF作品なので、今から見ると古臭いだろうなと覚悟していたのだが、正直なところストーリーは一番面白かったかもしれない。
外宇宙より流れ着いた高度テクノロジーを回収し、マクロスとして改修したところ、機関が暴走して地球から冥王星までワープしてしまう。 しかも開発拠点となっていた土地も、街ごとすべてマクロスと共に移動してしまう。 そして、孤立無援のなか民間人を抱えたマクロスは、絶望的な戦力差のゼントラーディー軍と対峙することになる。
民間人の街を含む生活圏ごと宇宙空間に放り出される、という SF 設定がまず素晴らしい。地球を遠く離れ、マクロスに依存して生きることになる市民と、市民を抱え込みながら作戦を実行しなければならない統合軍という、対立を設定したことで生まれたドラマの重みが他の作品に無い魅力だった。マクロス艦内に街を作る流れとか、マクロスが主砲発射のため変形すると道が割れ家が崩壊し市民に甚大な被害が出るというジレンマが、作品がただのヒーロー物となるのを防いでおり実に良い。最初の数話はずっと、マクロス艦内の(一条とミンメイの)サバイバル生活や、統合軍の武力を軽蔑する一条の話であり、マクロスという作品は戦闘が全てではないということを描いているし、ロボットアニメなのに一条が統合軍に参加するまでにも紆余曲折あって一筋縄ではいかないという序盤の展開の遅さも、今から見れば一条の若者らしさが強調されているように感じる。
また、ゼントラーディー軍とプロトカルチャーという一つの設定から、圧倒的戦力差があるのにゼントラーディー軍がマクロスを殲滅しない理由、逆にマクロスが基幹艦隊に対抗できる理由が自然に説明されている。プロトカルチャーとは何か、なぜ敵は様子見をしているのか、その謎が作品全体の軸となっていて、最後(27話)まで楽しく見れた。
個人的には早瀬少佐を陰ながら応援していたのだが、ミンメイが強すぎて三角形がほぼ直線に見えてしまうのが問題だと思う。早瀬少佐ほとんど最後まで片思いじゃないか。
まあ一条は三角関係にピリオドを打ったのでよしとしたい。しかし、主人公の一条光は本当に等身大の若者として描かれている。いい雰囲気だったミンメイには袖にされるし、それまでの経験からエースパイロットとなるけど、あっさりマックスに絶対エースの座を奪われるし、超人的なところがない。この等身大の恋愛が、作品にいい意味で青くささを与えているのだろう。
世界一カッコいい兵器である戦闘機が、さらにスタイリッシュなロボットにも変形するのだ!!!最高以外のなにものでもないではないか!!!!!!
...... ふう。
某物書きによると、自動車などと違って、飛行機というのはデザインがそのまま性能に直結するため、極限まで無駄が排除された存在であるらしい。飛行機の美しさ・カッコよさというのは機能美であると。つまり戦闘機であるバルキリーは必然レベルでカッコよく、その戦闘機が変形するバトロイドはカッコよくないはずがないのだ。
バルキリーの外見以外の話をすると、基本モードがファイターであることが徹底されているのがよかった。人型ロボットが高機動戦闘に不向きなことなんて自明なので、ヒットアンドウェアはファイター、飛翔体迎撃や地上行動はバトロイド、水平移動やランディングはガウォークという役割分担がはっきりしていたのもグッドポイント。
【懺悔】はじめはガウォーク形態を、ノーズに手足が付いていてなんか不恰好だと思っていました。全話見終わってようやくガウォークのカッコよさに気がつきました。いまではファイター >> ガウォーク > バトロイド の順で好きです。不当にガウォークを貶めてしまい申し訳ありませんでした。
正直、歌にこんなにバリエーションがあるとは思っていなかった。
しかしこのストック数があったおかげであの伝説の最終決戦(ミンメイアタック)が実現したのだと思うと、マクロスと歌は不可分なのだと実感する。
「私の彼はパイロット」と映画版だけど「愛・おぼえていますか」がマクロスを象徴する曲だと思う。
最高。ミュンを中心とした三角関係とむせかえるような戦闘機野郎臭にクラクラした。また電子歌姫、AIの暴走、有人戦闘機は無人戦闘機に勝てない、などの描写は未来予測として見事だった。
冒頭の強烈なドッグファイト、ステルス機 YF-21 のお目見え、YF-19 の超マニューバと1話から戦闘機づくし(後退翼!!)!さらに地面効果やチャフグレネードといったマニア向けの細かい描写まできっちり!トドメとばかりにミサイル増しまし、サーカス全開!ファンタスティック!!!最高の戦闘機アニメだった!!!
初代の青々しい恋愛とは異なり、皆が古傷を抱えたちょっとスパイシーな恋愛だった。はじめからガルドの負けは決まっていたけどな。
シャロンのトランスするような曲(BGM)は、未来の音楽という感じで演出も含めて作品を唯一無二のものとしている。それに対してミュンの素朴な歌声が要所で差し込まれることで、全体としてメリハリがついて音楽性の幅を獲得している。つまりは菅野よう子さんすごい。
歌(というかバンド)に振ったストーリーなので戦闘描写が薄い(マクロスプラスの後に見たせい?)。バンドマンサクセスストーリー -- 熱気バサラ伝記 -- といった感じ。
サウンドパワーが出てからかなりファンタジー方面になっていくところは SF を期待していた身としては少しがっかり。面倒くさい SF 勢としては、違う次元から来たのにプロトデビルンが人間くさすぎるところがもにょる。とあるプロトデビルが「破壊美〜」とか美学を叫ぶけど、美学なんてもっとも文化に隷属しているものだろう。
ただ、移民船やマクロス艦(バトル7)の設定は、フロンティアへ繋がるマクロス世界を広げた良い設定だった。
バサラ --- ミレーヌ --- ガムリン のトライアングルだけど、バサラは何考えているのかわからないし、ミレーヌはお子ちゃまだし、ガムリンは奥手で死ぬ死ぬ詐欺だしあまり恋愛要素は無かった。というかあのよく叫ぶシビルはなんだったん? バサラのエゴ?
主人公が非戦闘員だから仕方がないのだけど、戦闘描写が薄い。バサラは戦わない設定なので、敵弾は避ける防ぐだけだし地味。基本的に、敵襲来→守備隊が壊滅→バサラ達が出てきて歌う→ガムリンが頑張る→もっと歌う→敵が逃げるのパターンでバンク処理が多いし、ファイター形態で戦うパイロットがほとんどいないのも残念。熱いドッグファイトが見たいのだ。
初代も当時のTVシリーズとしては驚きの楽曲数だったが、今作はバンドマンストーリーなのでフルアルバムが作れるくらい楽曲が生み出されている。バサラとミレーヌのツインボーカルなので、バサラの熱唱からミレーヌの透明感のあるバラードまでバラエティも豊か。特にミレーヌボーカルの曲が好き。
しかし楽曲は良いのだけど、演出が今ひとつのところがある。最終決戦など、バサラとミレーヌがそれぞれの持ち歌を歌う場合だ。それぞれ曲調が異なるのに交互で歌うので音の統一感が無くなっている。もっと DJ などのように統一感のあるミキシングをして欲しかった。
良かった。3DCG で作ったマクロスプラス。カーゴカルト的なストーリーは自然回帰にみせかけたマクロスだった。基本的にバルキリーに興奮するアニメだと思う。
果たしてサラは帰ってこれたのだろうか。後にシンの手記が出版されているのでシンは帰って来たのだろうが。特に三角無し。
3DCG になってダイナミックな絵作りができるようになったせいか、マクロスプラス並みのドッグファイトを見せてくれる。まだバルキリーが普及していない時代という理由からか、戦闘は基本的にファイター + ガウォーク形態でここぞ!というところでバトロイドに変形するのだが、そのメリハリが素晴らしい。
一番良かったのはフォッカーが初めてバトロイドに変形するシーン。ガキンガキンガキンとリアルタイムに変形するシーンは魂がふるえた。
マクロス7と歌ラッシュ比べると、サラの歌と鳥の人の歌程度なのであまり印象にない。むしろフロンティアでのランカのアイモの方が印象に残っている。
最高(2回目)。超時空要塞マクロスからマクロスゼロまでのまさに集大成。初代から久しく無かった、ゼントラーディー部隊の再登場、ミンメイアタック、マクロスアタック(旧名ダイダロスアタック)、娘娘、ミスマクロスなどなどものすごい初代リスペクト。加えて オズマが Firebomber のファンとか、マクロスゼロを劇中ドラマとして登場させるなど、過去のマクロスの引用や展開がさりげなく大量にありまさにマクロス集大成。
また SF 面も、ヴァジュラの生態やフォールド波など骨太設定がしっかりとしていて良かった。
SF 好きで、戦闘機好きで、ロマンス好きで、歌好きオタクは皆撃ち抜かれるのではないだろうか。
少しこれまでの三角関係を総括する。初代の三角関係のよくないところは、早瀬少佐よりもミンメイが強すぎるところにある。これは早瀬少佐が堅い軍人でミンメイがアイドル歌手だということにあると思う。歌う姿がインパクトありすぎるのだ。逆にマクロス7はバサラは何もしないしガムリンはパッとしないので、盛り上がりに欠ける。
上記の悪かったところを念頭に置いた上に本作を見ると、ヒロインのシェリルとランカは両方ともトップアイドル(ベテランと新人)なのでその問題はない。どちらが好みかだけである(増田はシェリルに幸せになってほしい)。よってシリーズ中一番三角関係がくっきりしているし、どちらもタイプの異なるヒロインで初代のように片方が強すぎるというのはない(と思う)。
逆によくなかったところは三角関係に決着がつかないところ。アルトくんはっきりせいや!少女漫画風に見れば王子様のアルトをスターダムを駆け上がるランカ(主人公ポジ)が射止める流れだが、シェリルもそれはかわいそうな背景を背負っているので簡単には決着をつけられなかったのではないかと思う。なお個人的には、兄が二人もいて、友達(一部友人以上の愛を向けられる)もたくさんいるランカと、天涯孤独で唯一信頼していたマネージャーに裏切られ命に関わる病気を負いアルバムが投げ売りされるくらい人気がガタ落ちしたうえ、アルトと恋人になったと思いきや無意識に恋人としてのロールを演じられていただけという仕打ちを受けたシェリルでは差がありすぎるので、ランカはシェリルにアルトくんを譲ってあげてよと思う。
正直なところ少し不満がある。特に戦闘機の花である地上でのドッグファイトがほぼ無かったところが残念。
ただ、マクロスプラス以後の作品では、YF-19 以降のバルキリーの何をアップグレードするのか難しかったのだと思う。思うに現代で知られている戦闘技術はほぼプラスで描かれているので、プラス以上の何かを新たに作り出すのはそれこそ革新が必要だろう。実際マクロスゼロは時代設定を初代より前に置くことでこの問題を避けている。
それにプラスで、ゴースト X9 というシリーズ最強の敵を作ってしまい有人戦闘の可能性にリミットを設けてしまったこともある意味よく無かったのかもしれない。どれだけ高性能なバルキリーを出そうにも、それにゴーストの AI を組み込めばお手軽に最強になる。人の反射神経や視界などのセンシング能力が機械に勝つことはないのだ。
フロンティアでは、ゴーストを軍事的に封印し、バルキリーのバリエーションをブースターパックにより広げた。これは良い選択だと思う(スナイプについては思うところもあるが)。
あとバルキリーでは無いけど、ケーニッヒ・モンスターがめちゃくちゃ渋い。重爆撃機のようなフォルムから恐竜みたいなデストロイド全て重量感があって良い。動きも武骨なデザイン通りの重い動きをして、背中の砲台から反応弾をドッカと撃ち出す。かっこうよすぎる。
女性ボーカル好きとして最高だった。12話の星間飛行ライブと15話のデュエット、そして最終話は4回は見直したぞ!
好きな曲がありすぎて書ききれないのだけど、12話は伝説だった。12話はそれ自体が星間飛行の PV と言っていよいだろう。あと What 'bout my star は印象に残るシーンが多かった。ランカの路上ライブバージョンではアカペラから入って、ギター、ドラムと段々と音色が増して行く構成が見事だし、15話の What 'bout my star のヒロインズによるデュエットはとにかく破壊力が高すぎる。途中で終わってしまうのが残念でならない。それから外せないのは最終話のメドレーだろう。最終話はシェリルとランカのリレーとデュエットなのだが、二人が歌い始めた時点で勝ち確定で、実質的にも最終話は冒頭からエンディングだった。特にこの最終話で印象に残ったのは、オープニング曲であるライオンを二人で歌うシーンと、シェリルが短いフレーズだけ歌う私の彼はパイロット。前者は演出の定番だが歌詞の内容もありやっぱり盛り上がるし、後者は歌の繋ぎとしての採用だがまさかシェリルが歌うとは思っていなかったのですごく上がった。
マクロス7のところで苦言を呈した音楽のミックスについてだが、この最終決戦は完璧だった。全体のテンポを崩すことなくシェリルとランカのそれぞれの持ち歌とそのほかの歌たちが見事にメドレーとして再構成されていた(まあその完成度のせいで冒頭からエンディング状態だったのだけど)。
個人的に声優に興味が無いため個人名をほとんど覚えていない中で、中島愛さんはランカの歌声の人として覚えた(ちなみにもう一人は皆口裕子さん。この人の声は耳に優しいのに耳を捉えて話さない魔性がある)