はてなキーワード: 相関関係とは
サヨるのはホコリが無いから。ネトサヨとか(「オルタナ左翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
ホコリが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力を引きずり落とさないと自己を保てないのである。
近年は「中国共産党」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという組織がサヨサヨしている。北朝鮮がミサイルを発射したこととは相関関係はある。けれども、戦後の混乱期の頃から既に、少なからぬ人々が共産主義に傾いた。己の不安定感から、共産主義国家を指向した。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする組織の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの組織は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからギリシャでは共産主義者が横行し政権がサヨっている。ネトサヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトサヨっていうのは、ホコリが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説を垂れ流し、それを「表現の自由」であると強弁する。
共産主義みたいに権威権力を独占する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「あかはた」とか「マルクス・レーニン主義」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴なんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己のホコリの無さを、ホコリをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
共産主義、言い換えれば社会主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。簡単にいうと、共産主義というのはファシズムである。共産主義とかいうのは本質的に、ロシア革命から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、革命中だけの問題ではない。文化大革命やポルポトの時代には、共産主義の理屈が主に都市部に浸透させられていった。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に大虐殺が行われ、総括、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、文革時代の文化を礼賛する言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。それこそ民主主義社会の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
ホコリが無いから、ホコリホコリと盛んに言うのである。自己にホコリが無いからサヨクのホコリとか言い、ホコリが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、革命だ革新だと言うようになる。そして多くの組織は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は共産主義に懐く。
ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
誇りが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力に依存しないと自己を保てないのである。
近年は「日本」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日本大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定感から、国家という概念に懐こうとしていった。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからアメリカではalt-rightが横行し政権がウヨっている。ネトウヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
マイノリティ(社会的弱者)がプライド・パレードとかやると、マジョリティ(既得権益者層)から「俺もプライド・パレードやる」とか言うバカが出てくる。なにがバカって、社会から既に尊厳を認められている奴にはアピールする意味は無いから。けど、やりたがる奴が必ず出てくる。なぜなら、そういう奴らは、誇りが無いから。
マイノリティは、誇りをもっているけれども、社会から迫害されているから、生きるためにアピールしないといけない。他方で、権威権力に依存することで既得権益をもっている奴には、誇りが無いから、「俺にもアピールさせろ」となる。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトウヨ(alt-right)っていうのは、誇りが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説(ヘイトスピーチ)を垂れ流し、それを「表現の自由」(free of speech)であると強弁する。
国家主義みたいに権威権力に依存する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「富士山」とか「東京スカイツリー」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴はナカーマなんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己の誇りの無さを、誇りをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
国家主義、言い換えれば封建主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。そして、そういう構造によって統治が実現せられている。簡単にいうと、封建主義というのはファシズムである。日本とかいうのは本質的に、江戸時代から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、戦時中だけの問題ではない。江戸時代には、武家社会の理屈が主に都市部に浸透させられていた。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に残虐刑が行われ、厳罰、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、江戸時代の文化を礼賛して日本古来の文化とかいう言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。実際には古来の文化ではない。それこそ京文化の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
誇りが無いから、誇り誇りと盛んに言うのである。自己に誇りが無いから日本人の誇りとか言い、誇りが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、オリンピックだの世界遺産だの欲しがるようになる。そして多くの企業は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は権威に懐く。
未成年に対し強制的に性的行為を行ったとされる容疑者が同人誌に影響されたと供述し、警察がその作者に「申し入れ」を行った、いわゆる「クジラックス問題」を受けてさまざまな意見が表明されている。これら議論については表現の自由を考えるにあたって当然歓迎されるべきことであるが、それらのなかには法的に根拠が薄い、もしくはないものも含まれている。そこで本稿では、こういった意見を分類して法的見地からの分析を試みる。
今回の問題にあたり、前提となるのが表現の自由である。これに対し意義を唱える人は少ないだろう。もちろん大衆には表現の自由を与えるべきでないと考える意見もあるだろうし、実際そのような国家も存在する。しかし、日本においては憲法第二十一条において一切の表現の自由が保障されている。そのため、以下では表現の自由は原則として認められるという前提で議論を進める。
さて、表現の自由については憲法で言及されているものの、無制限に保障されているわけではない。憲法第十二条、第十三条においては国民の自由・権利は濫用してはならず、公共の福祉に反しない限り最大の尊重を必要とするとされている。「公共の福祉」についてはさまざまな解釈があり、憲法で明確に定められているわけではない。しかし、憲法で制限される場合があると定めているのは事実であり、現行の憲法上「表現の自由は無制限に認められるべき」という主張はやや難しい。
表現の自由に制約を課す「公共の福祉」の解釈であるが、これは複数の説が存在するものの、現代日本においては社会や他者に損害を与えることがない限り制約されない、という考え方が主流である。これに従うと、「未成年に対し相手の意志に反し強制的に性的行為を行う姿を絵や文章で描く表現」が社会や他者に損害を与えるか否かというのが第一の争点となる。
ここで留意したいのは、「自分はこの表現に嫌悪感を感じて損害を受けたから規制しなければならない」という主張は成り立たない点である。ここで発生したという損害は精神的損害に相当すると考えられるが、現代民主社会において第三者を描いた表現による精神的損害というものが認められたケースはない。表現を見て嫌悪感を感じるかどうかは人による差異があり、かつその損害も限定的、見ないという選択肢も提供されているなどがその理由である。
また、国によって前提となる文化は異なることから、「海外ではこの表現は規制されている、だから日本でも規制しなければならない」という主張も根拠はない。たとえば熱帯地方で男女とも上半身裸で過ごすのが普通の文化圏においては、上半身が裸の女性の姿を描くことを規制する意味はない。これに対して「海外では猥褻」という理由で規制を行うのは文化侵略となってしまう。あくまで日本における表現の規制は、日本における文化背景、世俗を基準として規制すべきなのである。
さて、今回の事件で大きな議論となるのは、「犯罪行為の表現に影響されて人が犯罪行為に至るかどうか」という点であろう。これは過去にも多くの研究がされているが、統一的な見解は得られていないのが現状である。今回の事件においても、容疑者は問題の表現を見て犯行を思いついたのか、それとも元々犯意があったうえで問題の表現を見て模倣したのか、はたまた自分で思いついたが「言い訳」として問題の表現を上げたのか、本当のところは不明である。
とはいえ、表現が人間に影響を与えることはない、とは言い切れないのも事実である。実際のところはケースバイケースで、影響を及ぼすこともあればない場合もある、というのが現実であろう。こういった状況下においては、「表現と犯行の間に相関関係はなく、表現が社会に悪影響を与えることはない。そのため規制できない」という主張が認められるのは難しいと思われる。
現実としては現在「未成年に対し相手の意志に反し強制的に性的行為を行う姿を絵や文章で描く表現」は規制されていない。それは、影響を及ぼす可能性はあるがそれはレアケースであり、表現の自由を制限するほどのものではない、との意見が一般的だからであろう。そのため、もし今後同様の事件が頻発したとしたら、規制が認められるようになる可能性はある。
今回の問題の現実的な争点はここにあり、規制派は「社会に影響を及ぼす可能性があり、さらにそれが高頻度で発生する可能性がある」ことを、反規制派は「社会に及ぼされる影響は小さく、その頻度も小さい」ことを証明することを目指すべきであろう。
なお、問題の表現について「社会的利益にならない」ために規制を主張する意見もあるが、前述のとおり表現の自由への制約は社会や他者への不利益のみを根拠に課すことができるとされている。そのため、こういった主張について法的な根拠はない。
いっぽう、犯罪行為を描いた表現は一般的には規制されておらず、漫画表現だけが規制対象として挙げられるというのはおかしいという意見があるが、これについては漫画表現が画像を用いるものであることからより臨場感があり影響を与えやすいため、という一定の根拠が存在する。ただし、より影響が大きい映像という表現方法も存在するため、もし漫画が規制された場合は当然ながら映像も規制されることが妥当であろう。
今回の淫行事件については誠に遺憾であり、加害者は当然その責を負うべきである。また、これを機に表現規制に関する議論が進むことは歓迎すべきことである。しかし、その根拠となる法や慣例、文化を理解せずに思い込みで主張を行っている例も見られる。表現の自由は民主主義の根幹であり、軽んじてはならない。その原則を理解したうえでの適切な議論が望まれる。
ネトウヨは韓国を叩くけど日本も同じ。男尊女卑で年功序列(儒教のせい)で目で見てわかりやすいもの(学歴や収入や性別など)で差別して、その結果、両方とも自殺率が異様に高い病んだ国。
年功序列はもう言うほどなくね…?
まあいいや。
自分たち男が視覚に頼りすぎな生き物だからって、女もそうだと思うな。「ただしイケメンに限る」って、女はお前たち男みたいにそこまで見た目にこだわらねぇよ。
なわけねーだろw
男尊女卑が強い国ほど見た目を気にする、日本でも美しくないダメという男の理想の女であるための呪いが日々垂れ流されてるし、韓国なんかもっとひどくて整形しないといけない。
それは全部「男のせい」なの?
整形する女性自身が虚栄心や欲望を満たす為にやってることでもあるよね?
すごく男に依存しただらしない思考・実存の説明だと思うんだけどその点は?
なんで、男の欲望を満たすために女が綺麗でいなきゃいけないのか、
男の欲望の為に化粧が存在しててその押し付けも男の権力でやれてるなら
社会人より若くてかわいい学生にこそ化粧を押し付けてるはずじゃね?
男は全然女の化粧に神経向いてないしその技巧やセンスのよしあしもわからない
男を満足させる為だけならなんであんなに化粧技術が発達してアイテムが充実して流行り廃りまであるんだと思う?
化粧するもしないも自由だろ、と。
そうだよ人のせいにすんな
男に消費されるために見た目を着飾ることが気持ち悪い。男ウケってなんだよ、オシャレは自分のためにするものだろ? なんで男に媚びなきゃいけないんだ。
だからそれさあ
女が勝手にやってることじゃね?
そんなん気持ち悪いと思うならやらなけりゃいい
どんどんやれよ
アプローチが逆じゃね?
大人の価値を提示してアピールするもんじゃね?お前も大人の年齢ならば
JKビジネスなんて存在するのはごく一部だろ ブキッキオさんかおめーは
エロゲやエロ漫画のオタクはしらん あーだこーだいわずほっとけあれは絵だ
女子高校生をヒロインとした創作物が多すぎる、女子高校生と同年代の10代の少年をターゲットにした作品でそうなるのは仕方ないにしても、30代以上のおっさんをターゲットにした作品でも女子高校生のヒロインが出てくるの、病みすぎだろ。
それは勝手だろw
現実に恋人や伴侶に年はなれた若い女臨む男ってそれほど居るか?
ロリコンが多すぎるのは、実際に子供がターゲットにされる犯罪が増える危険性があるという社会的な損失もあるのに、未成年を性的な対象として見ることへのタブーがなさすぎる。
お前それ後付けだろ
ほんとに犯罪を憂いてるなら女子高生コンテンツと子供を狙う犯罪の相関関係をデータでもってこい
ほんとはそこが焦点じゃないだろうが
もっと、18歳未満をそういう対象で見る人間はクズと後ろ指さされるぐらいになればいい、これが容認されるのも、男の性欲が肯定されてるからか?
ダメだこりゃ
お前は中世の国とかのほうが向いてるよ
そんな、女ばかりに要求される社会だから子育てとかも無理、と少子化も進行。(少子化の原因には、過去の、主婦が非正規で夫が正社員でというモデルが原因の男の非正規化、それゆえの貧困化もある)
適当なことを言うな
少子化の原因をこれ!と言えるならお前はノーベル賞取れるよ 世界中が悩んでるんだ
・女嫌いな男が多い
じゃあお前に関することでお前が責任とることってなんなのよ
いい加減呆れてきたわ
お前の周囲には男嫌いな女と女嫌いな男が多いだろうけどそれはお前の人徳の賜物だよ
お前の言動は女におきるあらゆることを全部男にもとめていて
それほどまでに男は優秀だと女は足手まといだと信じているのか? 理解に苦しむ。
女には男を立てて欲しいという気持ちがある男が多いから(これは男の生まれつきなのか、社会的な背景で男の方が偉いと思っているのか)、自己主張する女じゃなく、子供っぽい女が好かれる、フィクションの登場人物とか見てても。
どんなコンテンツを見てるんだよおめーはw
お前みたいに歪んで敵意で一杯な人間と同じコンテンツを楽しむのは難しいだろw
男女以前だ
お前マジでヤベーよw
じゃあ少女漫画に出てくる男キャラも男性読者から支持される必要があるの?
ねーよw
女が考えて女が楽しむ女に都合よくロマンチックな男キャラでいいんだよそんなもんは
あのなー
男女だけじゃ無くて社会にはいろんな立場の人がいるのだから分断されてて当然なんだよ
そんなキャラが居るとしたら社会の方が統制されきってるってことだ
サヨクっぽい人の論考が必ずこういう統制の方向へ行くのは
幼稚で粗末な論理の正義が社会で実現するには統制しか無いからだろう
GWに実家に帰ったときに地元の友達に話したら面白がってくれたのでちょっと書いてみようと思う。
今作っているアプリは、売れていない。
二年前に開発が始まって、リリースして一年半ほどになるが、一円も稼いでいない。
エンタメ系snsのはずなんだが、アクティブユーザーが増えるはずの大型連休で、起動したユーザーがたったの三人だった日があるほど、売れていない。
売れてないが故に常駐しているエンジニアは僕一人だ。外部のエンジニアにスポットでたまにタスクベースでお願いする程度。
ディレクターっぽい人が二人(マーケティング兼任)と、デザイナーが一人いて、
ーーーーーーーーーーーーーーー
ディ「〇〇な機能が欲しいんだけど」(延々ぐらぐらのビジョンを演説する。)
僕「ビジョンはだいたいわかったんですけど、どういう仕様にするつもりですか?」
ディ「ここはこう、Facebookみたいな感じで、Instagramのこういうのも入れたくて、twitterもやってるからこれも組み合わせたい。」(ふわっとした仕様で細かくは決まってない。)
僕「(俺一人でやるってことわかってる???)納期はいつですか?」
ディ「一ヶ月後くらいにリリースしたいんだけど」
ディ「今週には決めるよ。」
僕「わかりました。待ってますね。」
~~~~数日後~~~~
ディ「できた、もう一人のディレクターと話し合ってすごいいいものができたよ、これは本当に売れるよ。大逆転できる。」(毎回言う。最初はなるほど、と思っていたが一年半言い続けられる神経が理解できない。)
ディ「そうなんだよ、ここはこうでここはこうで」(新しいぐらぐらのビジョンの演説)
僕「(まあいいか・・・)こことここは難しそうで時間かかると思うんですけど、納期は一ヶ月後のままですか?」
僕「わかりました、これだけならなんとかやってみます。デザインはもうあるんですよね?」
ディ「まだない、すごく重要な機能で本当に今後を左右するからこだわりたい。」
僕「(こだわり・・・)わかりました。じゃあ一旦機能側から作りますね。」
~~~~数日後~~~~
ディ「デザインできたよ、本当にこだわって作ったからね。デザイナーから受け取って」
デザ「どうぞ」(PDF渡される)
僕「・・・・・」(PDFだとダメって二億回くらい言うてるけど、耳がついてないんだな・・・sketchの存在知ってるはずなんだけどな。)
~~~~数日後~~~~
僕「ここ、スマホだとデバイスによって幅変わるんで、こう直しておきましたよ。割合的にずれてないので、問題ないと思います。他のサービスもだいたいこうやってますんで。」
デザ「え、なんでですか?」
僕「スマホだとデバイスによって幅変わるんで。iphone5とiphone6だと幅違うじゃないですか、解像度も違うじゃないですか。」
デザ「え?なんでですか?」
僕「え?なんでですか?」
~~~~数日後~~~~
デザ「レスポンシブデザインにしたいんですけど。」
僕「いいですよ。」
デザ「こんな感じで」
僕「レスポンシブデザインだと、html変えられないので、こういう全く違うのは難しいと思いますよ。」
デザ「え、なんでですか?やってるところありますよ。」
僕「え、だから、html自体をいじれないので、PCもSPもどちらもデザイン段階から考慮して作らないとダメなんですよ。それに言ってるサービスはレスポンシブじゃないですよ。」
デザ「え、なんでですか?」
僕「え、なんでですか?」
~~~~数日後~~~~
ディ「どう?」
ディ「どれどれ?」
ディ「え?なんでこここうなってないの?これは?ここは?これ何?これこうなってないのなんで?」(本当にくだらないボタンの位置とか、fontの微妙な大きさとか)
僕「え?仕様に書いてます?それに俺それ確認してあなた納得してましたよね?それにPDFだとこれが限界です。」
ディ「うーん、大問題だぞこれは・・・」(一円も売り上げてないサービスで大問題とか起こりえないでしょ?)
~~~~数日後~~~~
ディ「昨日考えたんだけど、やっぱりこの機能、こうなるべきだと思うんだよね。」(根本から覆す意見を振りかざす。)
僕「え、明日リリースですよね?もうそのつもりなんですけど。その修正、リリース後じゃダメなんですか?」
ディ「大丈夫だよ、本当に簡単な修正で終わるだけだから。二時間だよね?このくらい」(簡単な修正なんて、中身知らないお前がどうして言える。)
僕「いや、このレベルだと、作り直しですね。」
ディ「え?なんで?だってここチョロっと直すだけだよ?」
僕「ご存知ないかもしれませんが、あなたが途中で細かく仕様変更されたのに対応した際、説明したはずです。こことここは相関関係があるので、影響的には全部ですよ。」
ディ「なんでそんな実装になってんだよ!!!」(なんでそんな仕様にしたんですか?)
~~~~数日後~~~~
ディ「ここのこの仕様なんだけど、どうなってる?」
僕「そこはこうなってますね、どうしたんですか?」
ディ「そこ、やっぱりユーザーフレンドリーじゃないと思うんだよね、こう変更して」(中身が複雑で聞いた端から忘れるレベル。ユーザーフレンドリーとは。)
~~~~数日後~~~~
ディ「あの、前にユーザーフレンドリーにしようって変更したところだけど。」
ディ「ここの仕様ってこうだったっけ?」
僕「いや、そこはこうで、こことこことここと関係しているのでこうなっていて、コードレベルだとこんな感じですね。別のところにも影響あるのでそこもこう直してあります。」
ディ「え?そんな仕様だったっけ?」(ユーザーフレンドリーとは。シンプルイズベストとは。)
~~~~リリース後~~~~
ディ「お疲れ様ー。」
僕「お疲れ様でした。」
ディ「だいぶ遅れちゃったけど、なんとかリリースできたね。やりたいことの10%くらいしか実現できなかったけど。」(何作ろうと思ってるんだ。国か。)
僕「そうですね^^」
ーーーーーーーーーーーーーーー
もちろん売れているサービスも売れてないサービスも、同じような現場なのだとは思う。
ただレベルが違うだけで。
僕も全く優秀なエンジニアではないから、スキル不足の面も大きいのだと思う。
これがいつまで続くのか、という不安となんでも経験だろ、と突っ込んでしまった後悔しか残っていない。
~~~~~~追記~~~~~~
仕事の合間にみたら思ったより拡散されているので、ちょっと困惑しています。
多少の誇張とごまかしはもちろんあります。特定を避けるためです。
そして、現状に対してキレているわけでもどうにかしたいと思っているわけではないです。
あ、これを書いた昨日は相当キレていましたが。
これらのことはだいたい普通だと捉えています。人間のすることですし。プロジェクトは期間が長いですから、変化が当たり前です。変化の仕方が変なだけで。
エンジニアは発信する文化があるので、結構他のエントリでも読めますが、もっといろんな業界の人の専門職のバージョンを読みたいので、見ている人がいれば、ぜひ投稿してください。
最後に、胃が痛くなった人、古傷が痛んでしまった人、思い出したくないこと思い出させてしまった人、申し訳ありません。
~~~~~~追記2~~~~~~
続編書きました。いくつか反応に返信させていただきました。
極端に頭が良かったり悪かったりしない限り、人間の頭の良さなんてものは大差がない。
始めからテキパキと仕事をこなす同僚を見て、あの人は頭が良いからなんて言葉で片付けてしまってはいないだろうか。
以下のことは頭の良さには関係ないのに人から頭が良いと思われてしまう内容だ。
頭が良くなくてもできることなのでぜひ身につけてほしい。
・準備がしてある
主に建築業などで使われる鉄則の一つに、「段取り8現場2」という言葉がある。
仕事の良し悪しに対して現場で決まるものは全体の2割程度に過ぎず、現場に入るまでの段取りでほぼ決まるというもの。
つまり何も用意せずに現場に入ったところで仕事がまともに進むわけがないということも意味している。
今日はどんな仕事を行うのか、始まるまで何も考えずに待っていたなら仕事は一瞬で準備に追われてしまうことになる。
予定を早め早めに確認することで、出来る限り先回りして準備をしておくことができれば、仕事が早い人にも簡単に追いつけるようになる。
・考え始めるのが早い
準備を大切にすることと似ているが、これはもう少しその場その場で求められる考え方でもある。
例えば、上司に「これについてどう思う?」と聞かれてから考え始めるのでは遅いということだ。
日常生活を思い返してほしい。
毎日のように繰り返される同じ動作は、次の動作に向けて最適化されているはずだ。
それはつまり、意識せずとも次のことに対する思考が開始されているということであり、しっかりと先読みが行われているから動作に無駄がないのだ。
未知なものに対して先読みを働かせることは難しいことかもしれない。
しかし、出来る限り次のことに対して考えておくことを癖づけておくことで、はたからは回転が早い人と同じに見える。
・着地点を考えて行動している
目の前の仕事を目の前の仕事だけだと考えていると、その仕事はその仕事に限ってしかパフォーマンスを発揮することがない。
新人の頃は、それでも全体のパフォーマンスにつながるような仕事の割り振りをされるのだが、だからといってその通りにやっているだけではやはり成長は遅い。
自分が受け持っている仕事が全体に対してどのような影響を持つものなのか、与えられた条件が全体に対してどのような意味を持つものなのか、そんなことを考えながら仕事に取り組むとよい。
そうして仕事の結果に一貫性を持たすことができれば、それは時に与えられた仕事以上の結果を生んだと言うことができる。
・しっかりと観察する
一見同じように見えるものでも、たった一つの条件が違うだけで真逆な答えを必要とすることが日常的にある。
そうした違いを見極めるためにも、色々なものを日頃から観察しておくことで「普通とは何か」を体感的に把握しておくことが重要だ。
そうすれば瞬間的な観察眼の鋭い人間に対しても、同等に違いを発見できるようになる。
ただし、してはいけないことは必要な内容まで端折ってしまうことだ。
プロとアマチュアの違いは、出来上がったものではなく出来上がりまでの時間だと寿司職人が語っていた。
同じ単位時間に同じ品質のものを沢山作れるのであれば、つまりそれはより高い価値を生み出しているのと同様である。
常に作業に取り掛かるときは、どうすれば無駄をなくすことができるか、手数を減らすことができるかを考えていれば、仕事が早い人間に少しずつでも近づくことができる。
これらは常に相関関係にあり、どれか一つを満たすだけでは良い仕事とは言えない。
時間を短縮させるために品質とコストを犠牲にしました→◯時間、☓品質、☓コスト=-1
時間を短縮させるために、品質はそのままに少しだけコストをかけました。→◯時間、◯品質、☓コスト=+1
どれか一つにこだわることで他二つを犠牲にすることだけは避けたい。
これらをまとめると、つまり一言で言えば頭が良く見える人間とは、日頃から考えることに時間を割いている人間と言い換えることができる。
そのちょっとした積み重ねの違いが、長い時間をかけて大きな差になってしまうのだ。
早ければもう間もなく仕事のできない人間同士による足の引っ張りあい、落伍者への引きずり込みが始まる頃だろう。
寂れた居酒屋みたいな小さなコミュニティで圧倒的正義に対して批判することでしか自我が満たせない人間になってしまう前に、予防線型頭の悪いプールからさっさと抜け出してしまおう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
レバニラはマズい。
だからといって、レバノンやレバニラが中村恭平や村中恭平と相関関係にあるわけではない。
日常系のことだ。
例えば裕福であったりだとか、争いだとか漫然とした不安の存在しない、問題のない世界。
もしも、それを享受するとするならば悦楽的だろう。
当然、そんなことを完璧にこなすことは現実的ではないので、建前だけでも目指すならば虚構を含んだり逃避する必要がある。
人々が社会と共にあるのは避けられないことではあるが、意識下においては二人三脚というわけではなかった。
それを反映させるなり、象徴的に描く媒体として、フィクションが都合のいいものであった側面は否定できないだろう。
もちろん、そこに停滞感があると恐れるが故に、それらを破壊するフィクションも一定数は好まれているが。
大別
3トランプを否定的にとらえた上でのトランプ支持者と断し、今後の日本を憂う
(前提として脱線→トランプは本当にそういった人々からしか支持されていなのか。トランプの良い面は全く見ないようにしているかのように見える。)
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htnmiki 良い悪いとは別に、この問いを無視することはトランプ誕生に繋がるよね。衣食足りて礼節を知る、貧すれば鈍する、理屈じゃない
同時にこのコメ主が貧して鈍じたとも言っているようにもとれる。
解決策を提示はしておらず、トランプの当選をネガティブと捉えている。
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rgbv お前らが結婚もできず子どもも作れず必死に働いてるのは外国人がいるせいなの?追い出したらトントン拍子に結婚できて子ども授かって給料うなぎ上りになんの??日本死ねって叫んだ方が健全なんじゃないの???
リベラルはバカが嫌いだ。バカ、特に合理的でないことや非論理的な事など。
コメ主の言ってることはただの逆恨みだ!と言っているが、嫌いという感情によって批判しているため、他のコメントによって感情によって批判したことを批判されている。
また、バカを掘り下げて精神的貧困や、貧困によって引き起こされる問題と捉えることによって庇護の対象として組み込もうというコメントもみられる。
3
yunitaro 典型的認知の歪み。貧困から家庭を持てないならそれは経済政策の失敗であり行政の責任。責めるべきは政府であって外国人ではないし、明後日の方向へ抗議をしているから行政も変わらない
→リベラルからみたら全くもって正しい理屈だが、その実、対象者(精神的or知性的貧困者)の思考に即していないことを指摘されている
「責めるべきは政府であって」政府をどう責めるべきなのかを補足してコメ主と語り合ってほしい
→これに対する批判
netonlinejob ブコメの「経済政策の失敗であり行政の責任」とか言い出したら、外国人排斥政策を支持する政治家が台頭するだけだと何故わからないのだろう? 認知の歪みという指摘は逆ではない
→政治に転嫁した場合、己が(リベラル側からしたら間違った考えをもっている人間)がそもそも自分の考えが間違っているという前提に立たないだろうという当たり前の示唆。実際に思考実験するとおそらく正しい。
lcwin この意見を自己責任論とせずにうまく寛容とリベラリズムに沿ってゆるく導く発言をすることが今求められていることかもしれないんだよなあ。本当に難しい。
hanyan0401 「結婚も出産もしようと思えばできる」という自己責任論に、弱者男性、いわゆる「キモくて金のないおっさん」が、「金のないフィリピン国籍の妊婦」ほどには弱者として顧みられないという現実を垣間見ました。
augsUK ここに自己責任論なんだ。救うべき対象の選別をする権利が欲しい人が一定数いるなあ。さらに、救われない対象を叩くことを楽しむ人が主流派になってる。
→この人のを自己責任として切り捨てるのはちがうのではないかというリベラルの内省が垣間見られる。では自己責任とは、何が自己責任なのか。コメ主が置かれている現状がってことなのだろうか。おそらく違う。リベラルが自己責任として切り捨てるのは「知性のなさ」だ。自分は頭がいいと思っていて、バカは自分で改善されるべきものという思想が根底にあるのかもしれない。
kirifuu これを自己責任で切り捨てるのが今の日本の現実だからなぁ。セーフティネットと言っても難しいのだけど、あざ笑ったり叩いたりするような発言ではあるまいよ。
kasugano ここに自己責任論が出てくるの本当に地獄だよな。異性獲得弱者のオッサン相手になら何言ってもいいと思ってる連中がワラワラと湧いてくる
awkad まさに「キモくて金のないおっさん」問題。キモくて金のないおっさんは誰も哀れまないし、救われない。「自己責任だろ」を浴びせ続けられる。そしてどんどん歪んで沈んでいく
shira0211tama 問題切り分けるべきが正論かもだけど切り分けると自己責任論で各個撃破されるんじゃ? これだけ他を引っ張って来ないと辛いと言えないし、これだけ引っ張ってもボコボコにされる闇
dongdeng 弱者の味方を自称するリベラルがなぜキモい金のないおっさんに寄り添わないのかわからなかったが、人気のブコメを見ると差別を行なってる仮想敵に無条件に見下せるおっさんを置いてるからなのかなと思った
→確かに、、、どうやらリベラルどもには、救うべき対象者は、経済的に貧している人間であって、知性的、あるいは精神的に貧困している人間は救う対象にはなりにくいようだ。それはリベラルのアイデンティティのベースにの「批判」があるからかもしれない。そしてその批判の対象に知性的貧困をするのが手っ取り早いからだろう。
CelestialFire 努力すれば結婚できるなら誰も困らないんだけどな。普段は自己責任論を心底嫌ってるくせして、「キモくて金のないおっさん」には平気な顔して自己責任論を押し付けてくるリベラルのダブスタにはいい加減うんざり。
cloq 貧乏自己責任論者の頬を金でひっぱたいて黙らせろ案件
danaca この人を叩いてるはてブ民を見ていると、はてブ民は弱者の味方ではない事がよくわかるよね。はてブ民は「助けたいと思える綺麗で気持ち悪くない弱者」を助けたいだけで、決して弱者の味方ではない。
→ここでいう「気持ち悪くない」というところがやはりダブスタと言われる所以だろうし、リベラルの内包する自己矛盾かもしれない。
(先に断っておくが、彼はとても偉いと僕は思っている。これだけ批判されているのを認知しておいて、自分のコメントを消していないのだから)
dj_superaids 結婚もできず子どもも作れず、と必死に働いてるの相関関係が理解できなかった。かわいそうだな、とは思った。
→この指摘のとおり本来相関はない。だが文章の読み方を逆にしてある補語を補うと、「必死に働いているのに、結婚や子供を持てるほど稼ぐことができない貧困にある」
という彼の中では実際に因果が生じているのかもしれない。
しかし、フィリピン人を批判することと結びつけることで、知性的、精神的な貧困になった。なぜコメ主はそのような結びつけをしたのか。
kirifuu 結局救われる優先度の最下層に自分がいるって自覚がこの発言を生んでるんだろう。この発言を叩くのは簡単だがそれは割と社会として末期的だと思うね。
→このコメントの言うとおりだとすると、他の層が見えていない問題。これだと根深い
T_Tachibana 主 語 が で か い 。 金が無い事と結婚出来ない子供が作れない事はイコールじゃないって本当は気がついてるんでしょ。
crapman 一切同意できないがこの叫びの理由を考える必要はある。世代別の保有資産を見てもわかるけど、日本の若者世代は世界一相対的に金がない。世代間で分配が進んでないという叫び。だがフィリピーナにあたるのはよくない
→本当だとしたら興味深い話だ。
totoronoki あの人を救ったら次はおれの番だ、じゃないんだよな。他人が救われても自分は絶対に他人の手によって救われないという確信があるから露悪的になれる。
baikoku_sensei 弱者同士は連帯せず、自らの待遇改善より他人の改善を妬むのが現状。全体の格差是正より「俺たちを優遇しろ」の声を拾い上げ、扇動して支持を集めたのがヒトラーやらトランプなので、感情論を持ち込むべきではない
→慧眼なのに感情論を持ち込むべきではない、という結論ではなぁ。わかり合うためにはどうすべきかを提示してほしかった
tGsQqV この発言をした人が困っていることと、この外国人女性が困ることにまるで因果がない。 例えば、自分が別の理由で本当に困ったときに他人から難癖つけられて適切な手当てを受けられられなったら…なんて考えないの?
→実に正しくリベラルチックな考え方に見えた。
mamezou_plus2 子供作って生活保護受給すれば良いじゃん?何故出来る事をしないのに僻むのか?結婚も子作りもやろうと思えばできるよ?幸せかどうかや自分の基準を満たしてるかは別として。
→それは違うんじゃないか?社会を構成する一員として、自覚をもってる面があって、それだからこそのフィリピン人への妬みだとか恨みになってるわけで、それを取っ払えばいいじゃん?って言っちゃうと社会が崩壊するわけだから、彼の我慢が社会の安定に資するところであることは評価しなきゃ
「ん? なんだこれは」
ウサクが気になって案内人に尋ねると、俺たちの考えているものとは違う意図で話を展開させてくる。
「最近は錠剤タイプが人気なくなっているんですよね。やっぱり吸ったり注入したりしたほうが実感湧きやすいのか」
「貧困さ。貧困が原因だよ。相関関係だとか因果だとかは知らないけれども、きっと貧困が全ての元凶なんだ」
要領は得ないが、どうやらこれは薬品らしい。
気になってそのパッケージを手に取り、裏面に書かれた成分を確認する。
まさかと思い、近くに並んでいた他のパッケージも調べてみると、ほとんどが危険な麻薬だった。
なんでこんなものが、こんな大通りの雑貨屋に堂々と売っているんだ。
ウサクがぼそりとつぶやく。
それに対する案内人の答えは予想の範疇ではありつつも、俺たちはそれでも驚愕せざるをえなかった。
「ええ、合法です。というより、『合法』と表現するのも変な話だけれども」
「ああ、でも推奨はしていません。それでも買うなら自由ですが」
「ちょっと待て。推奨していないのに、なぜそんなものを売る?」
戸惑いを隠せない表情で質問をするウサクに対して、案内人は屈託のない表情で答えた。
その店を出て、その後も宿までの道中にある店を回ってみたが、当たり前のように麻薬が出回っていた。
その国には、その国のルールがあるとはいえ、俺たちはどうしても訝しい気持ちがくすぶっていた。
それが一番最初に爆発したのは、やはりというかウサクだった。
案内人の人はまるで言われ慣れているかのように、やれやれと言った反応をする。
http://anond.hatelabo.jp/20161215115056
わかってはいたことですが、そうやって人の揚げ足取りばかりをして結局わたしが言いたいことには耳を傾けてくれないんですよね。
そんなことは今までも嫌ってほど味わってきたし結局これからも変わることはないんだってことがよくわかりました。
長年務めていたパチンコ店が経営難に陥り、会社から望んでもいない若い社員たちのリストラを強いられた挙句に突然裏切られるように解雇されました。
毎日のように自分の行いを責め続け、その後うつ病になり最後には自ら死を選びました。
母は父の死が原因でアルコール依存症になり、今は地元コミュニティの回復プログラムに参加しながら生活をしていますが、知らぬ間に通販番組で商品を買い漁ってしまうことがあり目を離すことができない状況です。
母の面倒を見るためにわたしは務めていた会社を辞め、今は時間の都合が利くパートタイムを掛け持ちしています。
父のようなことは二度と起こってほしくないし、目を離すこともできないので仕方ありません。
パチンコに対する依存症問題バッシングは、父の死をきっかけに知りました。
はじめは仕方ないのかなと思う部分もありましたが、母と回復プログラムに顔を出しているうちに世間の考えと実態があまりにかけ離れていることに気が付きました。
依存症の方々は、世の中の間違った認識で理解を得られずに苦しんでいました。
依存の対象がなくならない限り治らない。自己責任だからしょうが無い。根性論を持ち出しては本人の努力が足りないだけだと責められることすらありました。
でも現実は、アルコールから距離を置くことができても、コミュニティから少し距離をおいしまうだけですぐに別のものに依存してしまう人が多くいました。
そうして別の問題が起こる度に、本人やその家族、援助する人たちに批判や陰口が囁かれ、疲弊を繰り返していくばかりの状況でした。
アルコール依存症を解決するためには、ただアルコールから切り離せばよいというだけでなく、現実逃避をしてしまう理由や自己重要感が危機にさらされる原因などを突き止める必要がありました。
しかし、そこに辿り着くには人によってあまりにも背景が異なりすぎるため、人手も時間も資金も体力も周囲からの理解も、何もかもが不足しているのが現実です。
それならば行政は何をしていたというのでしょうか。
当事者放置のまま効果のないことを繰り返した挙句にパチンコ業界をいたずらに追いやったのであれば、父は一体誰に殺されたというのでしょうか。
いらぬ話かもしれませんが、わたしの家系は日本人ですし、父が勤めていたパチンコ店もオーナーは日本人だと聞いています。
台数が横ばいという数字を持ってきて店舗が大型化しているだなんて、そんなことくらい当然知っています。
では売上高や参加人口の著しい減少に目を向けようとしないのは何故でしょうか。そこにも相関関係がないといい切るのでしょうか。
依存性患者の数について具体的な調査結果はないとしてはいますが、これについてもアルコール依存症のときと同じく、基本的には増加するはずだということだって明らかです。
なぜなら、単純に今まで依存症として認知されていなかったものに対して診断が下るようになるからです。
新規患者数の増減や相談件数の増減は、依存症に対するキャンペーンやマスコミに対する露出頻度によって容易に上下するのでそもそも簡単に測定できるものではありません。
わたしをパチンコ業界の関係者だと思うことは勝手ですが、こんなことくらいは調べればすぐにわかることですし、このあたりの話を掘り下げなかったのは議論がそちら方向にいって欲しくないからという気持ちからです。
依存症問題に対する解決というのは、今現在依存している対象がなくなれば解決するようなそんな簡単な問題ではないことをどうして理解しようとしないのでしょうか。
わたしの声なんかそもそも届いていないかもしれませんが、お願いしたいことは2つです。
政治家の方々は対策に効果が出ていないことを速やかに認めて、もっと依存症に悩む人間とそれを援助する人間の言葉に耳を傾けて下さい。
世の中の人達は、自分たちが嫌いという理由を正当化するために依存症問題を安易に口にすることは止めて、嫌いなら嫌いと素直に認めることをして下さい。
規制を強化したことで依存症対策をしたつもりになっている影で、本当に依存症を解決したいと思う人たちに必要な援助が行われていないどころか、むしろ風評を悪化させているということに気づいて下さい。
少なからずあなた方が安直に振りかざした拳で悲しんでいる人がいることは忘れないでください。
<追記>
なんだろう。言葉を伝えることってどうしてこんなにも難しいのだろう。
規制に反対だなんて言ってません。規制するなら効果ある規制をして下さいと言いたいだけです。
それもせずに無闇矢鱈に規制を続けて働いている人間を一方的に苦しめるくらいなら、そんな規制よりも先に依存症に悩む人間に直接目を向けて欲しいというのがどうして伝わらないのか不思議で仕方ありません。
もう疲れました。
身だしなみと衛生状態に相関関係があるなら防護服が清潔な身だしなみになると思うんですが、実際の”清潔”なんてどうでもよくて”清潔感”ですよね。女が言ってるのは。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
様々な芸術分野が受け手にあたえる疑似体験によって学びを与えるように、ゲームもまた芸術の域に達しているからだ。
例えばQTE。
いつ来てもおかしくないと考えていれば、そのときにどう行動すればいいかも素早く判断できるのだ。
これもいくらリアルに近づいたところで、ゲームのキャラはゲームのキャラでしかないことの遠まわしな皮肉である。
つまり人は学びとれるから学ぶのではない、学ぼうとすれば学ぶのだ。
実際のところ詳しい誕生日は分かっていないので、厳密には「誕生を祝う日」といったほうがいいかもしれないが、まあどっちでもいいか。
本気で語るなら東方の三賢者の話とかしないといけないが、こんなところで質問しているような人間にする話じゃあないしな。
そもそも私はユダヤ教徒だし。
ちなみに、ここで私が使っている「ユダヤ教徒」とは、「クリスマスにこれといった予定がないときの決まり文句」なので誤解しないように。
最近の日本のゲームがメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現のリアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCのオンラインゲームなりスマホのゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂やソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械。事実上のネトゲであるソシャゲは難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。
こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在が日本文化の繁栄を実現している場所なのだ。問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。
たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本の人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームはアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカルの拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派からの評価は高いといえない。
アジア諸国の交通が長い間道路に依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国や台湾や中国は鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国はマイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはいい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって「鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化のソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代の存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在を無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。
2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史の位置づけにおいて、バイク文化とキモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向の上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代、キモヲタは1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線と鉄道趣味の人口密度の関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。
ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的なビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者の構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネスの方向性として普遍化してしまうこと。しかし財界の都合はどうであれマイルドヤンキーの割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。
結果的にハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端なサブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージが凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年の宮崎勤ショックや2002年の西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわずか10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。
最近の都市部では駐車場や駐輪場料金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用が原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ。鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。
最近流行っている鉄道不買運動は、田舎や外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高い。しかし難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有の曖昧な道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命にしかないと思う。別に日本の大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイクは都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲で欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然でしかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人も必要悪なので、日本は本当の意味で観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道と車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道の女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客を分散させるのだ。
神奈川県の横浜の郊外はかつて、関東特有の田舎文化があった。昔の相鉄はローカル線同然だった。それが昭和時代の経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東の仙台同然だった横浜の郊外が仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。
電車男でサブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~
プログラマ「いやぁ、論理演算のパターン多すぎてマジ混乱してきた・・・」
?????「困っているようだね」
プログラマ「そうなんです。論理和 , 論理和の否定, 排他的論理和...。いくつもあって頭が混乱してきたんです。」
?????「それならこれを使いなさい」
プログラマ「ぎゃー!!!あんなにイミフだったif文が視覚的に図式化されてスラスラ書けるぅぅうううう!!!!!あばばばばば!!!!」
?????「そうだろう。君がこの仕事を続ける限り、各集合をひとつの閉曲線(例えば円)の内部で表し、相関関係をその閉曲線の交わり方によって表す図を知っているということは一生役に立つぞ。」
プログラマ「え・・?」
?????「暗黒に染まったif文をキレイに書き直す度にパワーがはるかに増す・・その更新を無限にオレは残している・・その意味がわかるな?」
プログラマ「いきなり意味がわからないことを言いやがって!!こいつ、なんかやばいぞっ!!!!」
ゴゴゴゴゴ....
プログラマ「だめだ!暗黒の力が強烈過ぎて僕のスパゲッティコードの力では太刀打ち出来無い(´・_・`)...!!」
プログラマ「きさま!まさか!!(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブル」
パチンコ店がこれほどまでに減ったにも関わらずギャンブル依存症患者の数が増えたり減っていないというのなら、パチンコとギャンブル依存症患者数との相関関係は成り立たないのですから。
相関関係が成り立たないのは、「パチンコ店総数」と「パチンコとギャンブル依存症患者数」であって、「パチンコ店が存在すること」と「パチンコとギャンブル依存症患者数」ではありません。
パチンコ店が多少減っても、パチンコ依存者の周りからゼロになるということは滅多にないため、なくなれば他店に行くようになるだけです。
依存症患者と真面目に向き合う人間として、どうしても言っておきたいことがあります。
カジノ法案に反対するのはかまいませんが、それに合わせてパチンコを規制しろという話が出てきますが、それが依存症問題にとって効果があるかは全くもって実証されていないのが現実です。
中には国会で議論されないのは業界と政治家の癒着が原因だなんて言う人もいますが、それは全くの間違いです。
なぜなら、パチンコ業界は、ここ数年でこれでもかというほどの規制を受け続けているからです。
つまり、議員がパチンコを規制しろと言わないのは、パチンコが十分なほどに規制を受け続けているからであって、規制しろということ=無知を晒してしまうことになるからです。
さて、ここで規制の詳細を事細かに話すつもりはありませんが、それによってどのような変化が訪れたかをご説明します。
2005年の時点で13,000店以上あったパチンコ店は、2014年で10,500、来年は1万店割れが確実とまで言われています。
なんと、規制によってこの10年で実に1/4のもの店舗を減らすことに成功したのです。
もちろん若者のパチンコ離れなど、規制だけが原因ではありませんが、これによって大半の悪徳店舗は姿を消すこととなりました。もしくは、営業力のない中小個人オーナーのお店なども大半が廃業に追い込まれてしまいました。
それもこれも、カジノ法案が議論されるにあたって問題となった、ギャンブル依存症に対する対策の効果といっていいわけなのです。
あなた方の嫌いなパチンコは、あなた方が声を上げる前からすでに十分な規制を受け続け、実に1/4近い数の店舗が廃業に追い込まれていたのです。
もちろんこれは、行き過ぎたギャンブル性を商品にして商売を続けてきたツケでもあります。
先日の国会の答弁でもあった通り、正しい規制の中であれば合法と認められる業界である以上、規制を超えたギャンブル性をアピールすることで集客を行えば、直ちに賭博と判断されても文句は言えません。
ところで、事の発端となったギャンブル依存症問題ですが、高いギャンブル性を規制することで果たして解決に近づけているのでしょうか。
肝心の依存症患者は、その数を減らすことに成功したのでしょうか。
なんと驚くなかれ、その答えを知る人は誰一人としていません。
なぜなら、誰も数値を測定していなかったからです。
依存症の原因をしっかりと調べず、さらに対策と結果の因果関係も測定せず、ただただギャンブル性だけが問題視されて、パチンコ業界は10年近く規制を強いられ続けました。
そうして店舗数がこれだけ激減したにも関わらず、依存症に対する効果測定が全く行われていなかったんです。
メチャクチャな話だと思いませんか?
そこにいたかなりの数の労働者も路頭に迷う結果になったはずです。
店舗だけでなく関連企業も当然で、言ってみればアニメ業界に対する影響も甚大なものだったはずです。
一部の政治家は、未だにギャンブル依存症患者が増え続けているといいます。
これでもまだパチンコ業界が悪者にされるというのだから滑稽です。
パチンコ店がこれほどまでに減ったにも関わらずギャンブル依存症患者の数が増えたり減っていないというのなら、パチンコとギャンブル依存症患者数との相関関係は成り立たないのですから。
それでも尚パチンコ業界を規制するというのであれば、それは被害者の実情を無視した魔女裁判であり、結局は被害者のことではなく、政治家が自らの体裁を考えているだけということを証明しているにほかなりません。
ただこれは、パチンコを不要だと声高に叫び続けている人たちも同様です。
原因らしいものを糾弾して、その後の経過も見ずして自分たちの勝利だけに酔う。
その行動が本当に依存症で苦しむ人間のための行動と言えるのでしょうか。
パチンコがギャンブル依存症の原因であることを否定するつもりはありません。
パチンコが嫌いなことを止めるつもりもありませんし、止めることもできません。
しかし、そのことに正当性を持たせるために、依存症で苦しむ人達を利用することが許されてよいわけではありません。
あなたが依存症問題を口にする時、それが果たして本当に依存症で苦しむ人を考えてのことなのか、それとも自分が嫌いなものに対する発言を正当化するために利用するものなのか、その点はご自身で理解しておいてもらいたいと思います。
なぜなら、一生懸命に患者と向き合って活動をしている人間にしてみれば本当に導きたい解決方法に近づくどころか、論調に押されて当事者放置の状況が加速していくばかりだからです。ご理解をお願いします。
<追記>
当然あるだろうと思っていたツッコミに対して返答をしておきますと、ここで考えてほしいのは、パチンコの残存規模がどれだけ大きいかということの問題ではなく、店舗数が激減したにも関わらず、依存性患者数の増減に全く相関関係がない、もしくはそれが数値化されていないということにあります。
例えば同じ地域にパチンコ店が残っていたとしても、業界の1/4にも達する店舗がなくなったのだとしたならば、そこには少なからず相関関係が見出されてしかるべきはずです。
それなのに依存症患者の数が減っていないどころか、もし増えていると主張するのであれば、今まで行ってきたギャンブル性を規制すること、もしくはその結果として店舗数を激減させたことは、むしろ目的に対して逆の効果が現れているということにもなりかねません。
だとしたら、それは依存症から守るという名目のもとに行われた、行政による企業の大量駆逐でしかないということになってしまいます。
そこで働いていた従業員やその家族が露頭に迷うようなことを、効果測定も行わずただの印象だけで推し進めていたということになるのです。
もしそうではないと主張する人が、一人一人の依存症患者を追跡調査したデータを持っていないとするならば、それは結局結論ありきのこじつけでしかないことに変わりはありません。
その安易な思い込みによって、多くの人が職を追われているとして、それでも全てがパチンコに携わった人間の責任だといい切っていいのどうかわたしには判断ができません。
それに残念なことに、少なからずわたしの身近にいる依存症に苦しむ人たちの多くは、行く店をなくしたあと、パチンコに限らず何かしらのものに依存し、未だに苦しんでいる状況にあります。
昨今では依存症は環境要因よりも遺伝によるものが多いという研究結果もあり、わたしから見える周囲に限ってはその研究の通りの結果が作られていますが、今はそれを掘り下げてお話するつもりはありません。
先に述べた通り、わたしの目的は依存症に悩む人間が正しく救われる社会が作られることにあります。
パチンコが害悪だと主張したいのであれば、余計な正義感で依存症問題に首を突っ込むのはおやめ下さい。
安易なプロパガンダに乗せられてその片棒を担ぐことが、結果として依存症問題の解決を遅らせることになっているからです。
<追記>
続きを書きました。
こんばんは。
親の年収が400万円を下回りつつも田舎から出させてもらった東大生の僕の立場から、ちょっと書きたい。
勢いに任せて書くから、構成も整っていないし少し読みにくいかもしれないが許してほしい。
およそ8:2。
世界各国のトップ校は、ほとんど1:1であるにもかかわらず、日本のトップ校のみがこのような数値をたたきだしている。
東大も焦っているようで、女子学生を集める努力を必死にしている様子がうかがえる。
http://www.asahi.com/articles/ASJCG4WF3JCGUTIL030.html
東大、女子学生に月3万円の家賃補助 来春に初めて導入:朝日新聞デジタル
「女子学生に限定せず、苦学生を救うのが先だ」という趣旨の意見が散見された。
うーん、まあこれとそれとは分けて考える必要があるのかなというのが私の考え。
女子学生を集めるインセンティブとして、3万円を家賃補助として出すのは、あまり効果がないように思われる。
この2つが大きな原因ではないだろうか。
私より成績のいい女の子はたくさんいたが、彼女らは地元の医学部や旧帝大を志望していた。
男子と比べると、女子の方が圧倒的に地元志向が強く、高望みも少なかった。
もしくは、③家計の問題もあったが、これは別に男女差は少ないと思うので、女子学生が東大に少ない理由としては不適当やろう。
特に①の心理は、以下の増田を読めば何となく納得できるところではないだろうか。
(彼女こそ、地方ではなく都内のいわゆる超一流進学校ではあるものの)
http://anond.hatelabo.jp/20161108222835
女と学歴 - はてな匿名ダイアリー
また、②の心理は、上の朝日新聞の記事によると、今回東大が女子学生に家賃補助を出す理由としているところでもある。
すなわち、地方の女子学生の母親は、治安の意味で娘を東京に出すのが怖い→安全性の高いマンションを東大が提供することで治安の面を解決→女子学生増加、というシナリオを東大は目論んでいるのだ。
別に、娘を上京させるのが怖いっていう心理と、親の年収が低いってことに相関関係はなくないか?
むしろ、東大に通う家庭は裕福な家庭が多いのだから、そういう家庭は多少の金を切り崩せばいくらでも安全な部屋に住める。
さらに、①のような上昇志向がもともと希薄な女子生徒に、3万円の家賃補助を出してもインセンティブになり得るか?
別に女子学生の家庭の方が男子学生の家庭よりも貧しいというわけでもないのに、なぜこのような措置をとるかなさっぱりわからん。
東大に女子学生が少ないのは、それが理由ではなくて、もっと大きな問題が背後に潜んでいるはずだ。
女性に対して機会が開かれていないことではなくて、女性が社会のエリートとして生きていこうとすることに対する違和感が、社会に存在することの問題なのだ。
家賃補助を出すというアフォーマティブアクションは、ほとんど効果を出さず終わるだろう。
私は、東大に女子学生を呼び込む努力には賛同するが、そのやり方が間違っていると主張する。
だが同時に、これはまた別の問題ではあるが、苦学生の支援を充実させてほしい。切実に。
http://www.nenshuu.net/m/sonota/contents/toudai.php
しかし、東大では年収900万円オーバーの家庭がマジョリティであるのは、肌で感じる。
田舎の普通の家庭から出てきた私は、カルチャーショックを受けた。
正直、卑屈になったこともあった。
世帯年収450万円を下回る学生は、このデータによると、約15パーセント。
②宿舎の用意
月に約12,000円で住める駒場生向けの三鷹寮、月に約1万円、36,000円でそれぞれ住める、本郷生向けの豊島寮と追分寮というものがある。
前者の三鷹寮には、ほとんどの苦学生が住めるものの、本郷生向けの2つの寮は、部屋数が少なく、かつ留学生優先のため、苦学生の中でもかなり貧しい学生しか住めない。
私は月に8万円の奨学金を借りて生活し、1、2年の頃は三鷹寮に住んでて何とかやりくりをしていた。
しかし、3年生に上がり本郷に移る際、どちらの寮にも落ち、月3万円台の風呂なしアパートに住むことを余儀なくされた。
辛い。甘えかもしれないが、やはり辛い。
もちろんこれが、私をそこから這い上がらせる原動力にもなっているが、友人との金銭感覚を実感すると、どこか悔しくなる。
どうしようもないやるせなさを感じる。
親にはもちろん感謝しているが、同時に、この社会の不公平さを少しでも改善したいと思う。
私はまだマシな方であるが、もっと厳しい友達になると、3年生から寮に移れず退学したり、せっかくの大学生活のほとんどをバイトに費やしたりしている友達もいる。彼らは、授業料の免除も受けられなかったようだ。
機会の均等をもっと増やしてほしい。
でも、少しでも定年退職間際の親のローンの額を減らしてやりたいし、退学やバイト漬けによって勉強の機会を奪われている友達を減らしたい。