はてなキーワード: 武家社会とは
日本における「マンコ茶道」は、戦国時代に誕生した「女陰流」と呼ばれる茶道の一派に端を発する。
「女陰流」は室町時代の中期に誕生し、一度は豊臣秀吉の朝鮮出兵によって中断を余儀なくされたものの、江戸時代に再興されて武家社会を中心に広く広まった。
この流派の特徴は、女性器の美しさと、その香りと味を鑑賞することを芸道の基本とした点にある。
女性器の香りは、尿、愛液、汗、垢などの分泌物によって構成される。そのため、女性器が発する芳香には、尿を出してから経過した時間、かいた汗の量、性的興奮による愛液分泌など、様々な要素が関係している。さらに、女性の性器には個性があり、その持ち主によって千差万別である。
マンコ茶道では、その時々の女性器の状態と、その個性を活かした上で、最大限に魅力を引き出せるように女性器をよく研究することが重要とされた。
例えば、ある女性の性器は排卵日になるとブルーチーズのような強い臭いを放ったが、陰毛を剃って清潔にし、濃い茶と甘い菓子と共に味わうことで香りを活かして楽しむことができた。また、生理中の性器は血の味が強いが、鮮度の良い果実と香草と共に茶を点てて味わうことで、臭みを抑えて味を引き立てることができた。このように、マンコ茶道では女性器の香りと風味を引き出すため、様々な工夫が施されてきた。
また、女性器の形状についても、陰唇や陰核の形状、鮮やかな色あいなど様々な観点から評価された。
形だけでなく、質感、割れ目の開き具合、陰毛の毛質なども重要視され、どのような女性器はどのような茶や菓子と共に供するのが望ましいのかについて議論が交わされていた。
「そういや、閣僚会議で政治家が居並ぶ姿や、経営者が集うパーティーも男性ばかりだな」
そんなことを思っていた時、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の当時の男性会長が、女性が多い会議は時間がかかると述べたニュースがふと頭をよぎりました。「私どもの委員会の女性は、わきまえておられる」という発言も物議を醸しました。
「こわもて男性だらけの会議に出席するだけでも緊張するだろうに、『わきまえておられる』なんて言われたら、女性はさぞかし発言しづらいはず......」
それに対し、行きつけのスーパーで買い物をしている主婦のみなさんは、私を煙たがる様子などありません。店員さんたちは、私に何かを「わきまえる」よう求めることもなく、「いらっしゃいませっ」と毎日笑顔で迎え入れてくれます。
それどころか、ある日レジで会計を終えると、店員さんから声をかけられました。
「『いつも』ありがとうございます」
えっ、「いつも」来てるの知ってました? まあ、確かに目立ちますよね、私。こっぱずかしいけど、うれしいです。女性だらけの空間に、当初あれだけ感じていた心細さなどどこへやら。一気に吹き飛んでいってしまいました。
もちろん、店員さんは私が男性だから声をかけたわけではなく、何度も来店しているお客にはそう言ってるのでしょう。つまり、他のお客さんと同じように、私に対しても声をかけてくれたわけです。自分の存在を受け入れてもらっている感じがしました。
それに対し、会議で「わきまえる」ことを女性に求めてしまうお歴々の男性たるや......。しばらくのあいだ、平日昼間のスーパーで買い物してみてはいかがでしょう? 自分だけが異質な存在である空間が、如何に心細いものか肌でわかると思いますよ。
女性たちは会議室の中で、その何倍ものプレッシャーを感じてきたはずです。そして、改めて考えてみてください。果たして、本当に「わきまえる」べきは誰なのかを。(川上敬太郎)
一晩経ってもまだ吹き上がってるので。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ad69b58a377f90d1e1a432cc68ac54db1e1e441
要は、副総裁は名誉職だから、岸田は安倍も菅も出来なかった麻生外しをついにやってのけた、って言う事で、これは麻生嫌いは快哉を叫ぶべき話なんだよな。
というわけで、ここ20年で見ても
の3人しかいない。空席の時期がかなり長いですね。
組織のポジションにおいては、担当者がいたりいなかったりする役職は、一般論としても大事な機能は置けません。皆さんの所属する会社でも役所でも団体ならなんでもいいんですけど、「時々担当が配置されて、たまに仕事するけど、後任がいない事もある」役職、大事な仕事を任せられますかね。その点党役員の連綿と続く機能とは一線を画しています。
また、改めてさっきの3人に目を向けてみましょう。上記3つの時代、彼ら副総裁は何をしてたかご存知ですか?凄い影響力持っていましたか??どうですか????
それでもまだ「外すなら何も職につけないのが正しい」というのはあるかもしれません。それも皆さんの組織とかで起こってませんかね。例えば社長争いで負けた方を名誉職につけたり子会社社長にしたりする奴。それと同じですよ。
「役職が人を作る」ってよく言いますね。これは抜擢された時にだんだんそれらしく実力がついてくる意味で使われる事が多いですが、逆も同じです。そういう名誉職についた人間は、どんどん声が小さくなって丸くなって行きますよ。信じられないかも知れませんが、組織の構成員は誰しも勝ち馬に乗りたがるのです。河野の議員票の下馬評との差は「勝ち馬」分です。それだけ利に聡い集団ですから尚更。これからは講演で適当なこと言って失言するだけのおじいちゃんになるでしょう。
また、これ(名誉職)をしないとなると、そういうレースに負けたら即クビ、一昔前の武家社会やゲームオブスローンズの世界なら即死です。これをやると、残された部下が自分の将来に不安を抱いたり恨みを残したりするので、組織が脆くなるんですよね。それで裏切りと下剋上が頻発する。
そういう事にならないために、ソフトランディングで名誉職に上げつつ、徐々に融和させたり切り崩したりする。
麻生クラスの大物を即無役にするのは、一昔前なら斬首に相当です。今回のは楽隠居なので全然違いますね。それでも斬首にすべきというのは、ある意味麻生派の残党に恨みを抱かせて自民党組織よメタメタになってくれ!!!というある意味アンチ麻生としては正しい願いなのかも知れません。
https://anond.hatelabo.jp/20210126012231
こっちの歴史の流れをざっと説明しただけでこんなに反響があるとは思わなかった。
後で書くように、そちらとは現代の情勢がいろいろ違うのでレスポンスが遅くなってしまった。
まず、いろいろとツッコミが並んでるけど、そちらの世界線とは前提が違うからこそ西軍が勝ったわけで、そちらの物差しであーだこーだ言われても困る。
それから、ツッコミの中にそちらの世界の悪いところを全部抜いた世界だ、みたいなのもあったけど、こっちはこっちで悪いこともある。
せっかく興味を持ってくれたみたいなので、少しだけ補足しておこうと思う。
ちなみに、歴史修正主義者の悪質な書き込みだというような反応もあったけど、相手にしないでね。彼(?)のいうことも全部が全部間違いというわけではないのだけれども、彼(?)のようにいまだに野蛮な武士を崇拝するカルトがごく少数ながらこちらの世界にもいて、そちらのネトウヨと同じようにネット上でだけいろいろと騒いでるというだけのことなので。
それから、はてな記法は使えないので見づらいかもしれないのは勘弁。
じゃあ少しだけ前の記事に補足して失礼することにしようかな。
・石田三成について
前に書いた通り、そちらとは前提が違うので関ケ原の戦いも徳川家康と石田三成の戦いというわけではなかった。というわけで石田三成はこっちの世界ではそれほど目立った存在じゃない。関ケ原の戦いで勝利に貢献したのは間違いないけど、1607年に出家してからはどうなったかよくわからない。
・天皇について
小早川秀秋や豊臣秀頼が関白になったのだから、当然その時代には天皇はいた。これは間違いない。しかし、その後商業が発展していくにつれて国民代表議会から「なんで我々の収入から税金を彼らに支出しなければならないのか」という不満が高まっていった。天皇は何もしない・生み出さないわけだから。しばらくの間は国民代表の議会と貴族代表の議会との間でせめぎあいが続いたけど、APS設立後しばらくして天皇は退位した。今も天皇の子孫というか、天皇家みたいなものはあるけど、「だから何?」という程度の扱い。
関東平野が何で開拓されてないのか?というツッコミもあったけど、こちらは良くも悪くも商業中心なので、いちいちそんなくだらないことはしない。前にも書いた通りここに至るまでの前提が違うので、自然的な条件も違う。周辺の標高の高い山(名前があるのかは不明)が頻繁に噴火して灰まみれだし、あんなところを開拓する価値なんてこれっぽっちもない。それでも関東に住んでいる・住んでいた人はもちろんいる。こっちはリベラル化していったと話したけど、当初はそっちの世界でいうところの古典的リベラルであって平等主義的リベラルではなかった。というわけで、関東に住んでいる・住んでいた人に対する差別はひどいものだった。そちらの世界ではとあるアルピニストの野蛮人が外国で子猫を射殺した挙句、それをとがめた友人の脚をも撃ちぬいたという痛ましい事件があったらしいけど、こちらでは19世紀半ばころまで、関東平野に猟銃を持って出かけていく人がたくさんいた。何をしていたかは説明するまでもないと思うのでご想像にお任せする。関東地方の人間は「バン」(坂東の別称?)とか「アズマ」(東日本の別称?)とか「エビス」(これはよくわからない)とか言われて蔑まれ、わざわざ関東から連れてこられて顔にこういう差別用語を焼き印されたり、20世紀の後半くらいまで就職すらできないということもあった。今でもお年寄りがこういう言葉を使って顰蹙を買うことがある。
もちろん、他の連合国家にも差別的な構造はある。そっちの世界と同じように研究は進んでいるけど、やはり周縁部の人に対する中心部の人の態度は冷たい。これは増田も心を痛めてる。
・今の社会について
こちらは母系社会で、近代ヨーロッパの父系主義と激しく対立したこともあった。というか今も対立している。ヨーロッパの人に言わせれば、ふしだらだとか家族像が理解できないとかそういうことらしい。ヨーロッパの人はそこまで潔癖なのかというとそれもよくわからないし、言いがかりなんじゃないかと思わなくもない。こちらでは割と早い時期に子どもを作って働く人が多い。大学に行く人はあまりいない。大学まで行かないと就けない仕事はそこまで多くないので。そっちの世界はどうでもいい仕事をするためにわざわざ大学に高いお金を払って行かなきゃいけないっていうのは本当にかわいそうだと思う。しかもそこまでして就職してもつまらない仕事して不味いご飯食べて結婚もできないって本当にかわいそう。しかもそっちは昔のヨーロッパの真似と武家社会の慣例をミックスしてめちゃくちゃな家族制度つくって、父親にも母親にも訳の分からない責任がのしかかってるんだよね、本当にかわいそう。あんまりかわいそうを連呼すると反感をかいそうなのでこのくらいでやめます。こっちはこっちで子どもがたくさんいて大変だし。
こちらは原発がなく、火力発電と風力発電がメイン。原子力はほとんど理論研究で、これを発電やら何かに応用する研究は全然ない。それと関係があるかどうかはよくわからないけど、そちらほど技術は発展していない。スマホもない。いろいろ反応があったのになかなか返答できなかったのはこういう事情がある。しょっちゅう停電するし、ネットはいまだにPCに回線をつながないとできないし、1人1台所有するのはちょっと厳しい。まあスマホみたいな小さい画面でネットして何が楽しいのかよくわからないけど、もう少し発展したらこちらでも同じようなものができるのかな。ネットの速度はADSLと同じくらい。今これを書いているPCは妻の母のもの。起動に3分くらいかかる。メモリは500メガ。時々接続が勝手に切れる。ちなみにこれを書いてるときも2回切れた。うっかり更新ボタンを押してしまって書いたデータも消えてしまった。
そっちの世界の人ってほんとに首都とか中心がどこなのかとか、権威的なものが好きなんだね。ちょっと理解に苦しむけど、今の首都は京都や大阪じゃない。APS設立当初は広島が首都だったけど、そっちでいうところの日本海側の方が便利ということで首都機能は福井にある。これもこっちの人間からすると「だから何?」なんだけどね。何から何まで福井に集まってるわけじゃないし。そっちの首都は昔江戸だった東京ってところなんでしょ。東京って変な地名だよね。笑える。あんなところに1000万人も密集してるとか信じられない。どうやって暮らしてるの?ブタ小屋にでも住んでるの?あ、失礼。あんまりバカにするとまた怒られちゃうね。こっちの前提が違うのと同じようにそっちの前提も違うんだもんね。ネットの接続が切れたりしてイライラしてたみたい、ごめん。
皆さん騙されてはいけません。
私も西軍が勝った世界線に住んでいますが、元記事は歴史修正主義者が書いた悪質なプロバガンダ増田です。
順を追って訂正していきます。
後述しますが、冒頭から近世日本の歴史観の中で最も悪質なミスリードです。
大名は「定着せず」ではなく「定着させなかった」が正確ですし、「関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎」は極めて恣意的な表現になります。
戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。
この部分はある意味で正しいですが、重要な事実が省かれています。確かに日本列島内での大名間の大きな争いは起きませんでしたが、関ヶ原後の豊臣氏はかつて秀吉が行った朝鮮出兵を再開したのです。
石田三成が中心になって行われたこの出兵、いわゆる「元和の唐入り」は簡単に言ってしまえば外敵を作ることによる諸大名の結束を図るものでしたが、結果として成功を収めてしまいます。
朝鮮半島を支配下に置いた豊臣政権は、万暦の三大征で国力を失っていた明との間に戦わずして講和条約を結びます。その後朝鮮半島は現在に至るまで日本の領地となっており、そのため元和の唐入りは対外戦争ではないという風潮(沖縄や北海道みたいな扱い)が強いのは事実ですが、現代人に都合のいい歴史観ではないかという議論は存在します。
こうしてアジア大陸に進出した日本が当時の国際貿易において強い存在感を発揮し商業により発展していくのも事実ですが、ここでも重要な部分の言及が省かれています。キリシタン大名と南蛮豪商の存在です。
当初は秀吉のバテレン追放令を引き継ぐ動きを見せていた豊臣政権ですが、交易の重要性が増すにつれてキリスト教宣教師の活動を制限することに無理が生じていきます。またこの頃、日本での貿易事業で一旗揚げようとポルトガルやスペインから移住してきた事業家、いわゆる南蛮豪商が急増したこともキリスト教信仰の活発化につながっていきます。
政権はなし崩し的にキリスト教を認めていくことになりますが、そうした流れで力を付けていくのがキリシタン大名です。彼らは表立って政権や4大大名と権力争いをすることはありませんでしたが、着実に海外とのコネクションを強めていき、国内キリスト教勢力の強固な後ろ盾となります。
武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない
冒頭の部分にも関係して、ここも悪質なミスリードです。たしかに武士の消滅と神道や儒教の衰退は同時期に発生しましたが、そもそもこの2つ事柄に直接の因果関係はありません。
しかしこれらが同時に発生したのには明確な同一の原因があります。それが前述したキリシタン勢力の台頭なのです。
政権の貿易政策とキリスト教の容認に対して、元よりキリスト教と対立していた朝廷はもちろん、元東軍を中心とする従来の武家社会に重きを置く大名勢力は当然反感を高めていました。これは感情的な部分だけではなく、元西軍派が中心となった貿易事業の利益を享受できなかったという側面もあります。
そんな中、細川家、井伊家を中心として天皇を旗印に政権を打倒しようとする動きが見られるようになり、寛文になる頃には挙兵寸前まで緊張感が高まっていたと言われます。しかし、そのタイミングで寛文近江・若狭地震が発生し、天皇の住む京都も大きく被害を受け、挙兵どころではなくなってしまいます。
それに対してすかさず政権が取った対応は、表向き地震被害からの避難を理由にした江戸への遷都(寛文の遷都)でした。遷都といっても移ったのは天皇の住まいと形式上の朝廷の機能だけで、政権の機能は大阪を中心とした関西圏に残ったまま…つまり政権は目の上の単瘤だった朝廷を体よく遠ざけた形になります。元東軍はこれに乗じて江戸に集結・再度の挙兵を試みますが、キリシタン大名による牽制や南蛮豪商による経済的な妨害もあり叶うことはありませんでした。この頃から旧来の武家勢力や神道信仰は急激に衰退していくことになります。
ではこれで豊臣政権やキリシタン勢力の共同支配は盤石のものになったかといえばそういうわけでもありません。形式上の都である江戸やその近辺の関東では都野伏(みやこのぶせり)、隠れ神道といった形で反南蛮の勢力が生き残りつづけます。そして18世紀入ってしばらくした頃、天皇を不可侵の元首とする「大和帝国」として独立を果たします。その後も色々ありましたが、現代において大和帝国はの国際社会にも認められた独立国家となっています。そういう背景がありますので、現代日本の領土として残っている関東地方には「ほとんど人が住んでいないド田舎」という表現が当てはまりますが、関ヶ原当時の関東地方の大部分は現代においては大和帝国の領土となりますので、そこを隠すのは悪質で不誠実な表現であると言わざるを得ません。
忠誠ってどちらかというと「相手を見て決めるもの」ではなく「自分がこうだと決めたことに従うもの」だと思うよ。
多くの武士は生まれながらにして主君が決まっていたわけで、そこにどう折り合いをつけるかという問題なんだよ。
もちろん主君が忠義に相応しい人物であればなお良いけど、仮に尊敬できなくても「俺は彼に従うと決めたんだ」という自分自身の価値観に殉じる感じがある。
まあ生まれながらに組み込まれていた武家社会の規範を内面化しているだけとも言えるが。
翻って現代社会で言えば「どんなに発注元がクソな要求してきても応じて従うのが下請けの美学」みたいな感情とかのことじゃないかな。
某人気異世界ラノベの最新巻を読んでて、ふと、面白いんだけど何かカンに触るな・・・と思って作中人物の行動について考察してみると
・最終的には貴族になる
・現代人の知識を持っているくせに国政に影響を及ぼすようになっても家族の利益優先
というところがどうも引っかかっているポイントのようだと分かった。
あらためて見まわしてみると、どうも界隈全体が復古主義的だったりミリオタ的だったり優生思想があったり、アレな感じがする。
もちろん現実世界で上記のようなものに大多数の人が現在進行形で悩まされている以上、
作品世界中でもそういうものが描かれている方が入り込みやすいし、また自身の処世術について考えさせられる機会が得られるという意味で有益なのだが、
現実の世界で起きている類似の状況が異常だという意識を薄れさせるという点では、これはきわめて危険な図書だと言わざるをえない。
だいたい日本の良くない点は突き詰めればこれらに端を発している(というか明治政府下の日本が武家社会の名残で近代国家として微妙だったのを平成になった今でも引きずってしまっている)
ことを鑑みれば、
ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
誇りが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力に依存しないと自己を保てないのである。
近年は「日本」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日本大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定感から、国家という概念に懐こうとしていった。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからアメリカではalt-rightが横行し政権がウヨっている。ネトウヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
マイノリティ(社会的弱者)がプライド・パレードとかやると、マジョリティ(既得権益者層)から「俺もプライド・パレードやる」とか言うバカが出てくる。なにがバカって、社会から既に尊厳を認められている奴にはアピールする意味は無いから。けど、やりたがる奴が必ず出てくる。なぜなら、そういう奴らは、誇りが無いから。
マイノリティは、誇りをもっているけれども、社会から迫害されているから、生きるためにアピールしないといけない。他方で、権威権力に依存することで既得権益をもっている奴には、誇りが無いから、「俺にもアピールさせろ」となる。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトウヨ(alt-right)っていうのは、誇りが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説(ヘイトスピーチ)を垂れ流し、それを「表現の自由」(free of speech)であると強弁する。
国家主義みたいに権威権力に依存する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「富士山」とか「東京スカイツリー」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴はナカーマなんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己の誇りの無さを、誇りをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
国家主義、言い換えれば封建主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。そして、そういう構造によって統治が実現せられている。簡単にいうと、封建主義というのはファシズムである。日本とかいうのは本質的に、江戸時代から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、戦時中だけの問題ではない。江戸時代には、武家社会の理屈が主に都市部に浸透させられていた。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に残虐刑が行われ、厳罰、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、江戸時代の文化を礼賛して日本古来の文化とかいう言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。実際には古来の文化ではない。それこそ京文化の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
誇りが無いから、誇り誇りと盛んに言うのである。自己に誇りが無いから日本人の誇りとか言い、誇りが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、オリンピックだの世界遺産だの欲しがるようになる。そして多くの企業は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は権威に懐く。
安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから、論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。
近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチンも安倍もトランプも生み出されている。
自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれた人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である。
残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織の論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから、友達(笑)である。妻や恋愛や友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会の利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。
既得権益者は、贅沢な地位を民主党政権時代に抑制され、被害妄想に陥った。恵まれた身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコントか漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)。所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金をケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。
ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)
けど実害が甚大だから困る。物凄く困る
社会の既成構造、政体があって、そのなかで権力・権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲の政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生の牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。
同様に人生の牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑で差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能にみえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会に適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。
残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。
男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。
「保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実と封建制度。この封建制度ってのも、たかだか中近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。ときに儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト的社会構造。そして、そうした構造の奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。
進化心理学だと、一夫一婦制は強者男性が自分が支配する集団(の弱者男性)を従わせるために、
「女」という資源の囲い込みをしない方向で進化した社会システムと考えているらしい。
限りある貴重な資源を男同士で平和的に分け合い、問題解決や敵と対決するときの団結力として利用する。
いいかえると、俗にいう男性社会というやつは「弱者男性を保護」する社会制度だったりするんだよね。
じゃあ、男性社会がすべての女性にマイナスの社会システムかというと、そうでもなくて
女性は(十分な魅力がなくとも)少なくとも一人の男性から養ってもらえるという意味で
弱者寄りの女性にとっては悪くない制度だったらしい。パレート最適といいますか。
(象徴的には、武家社会では上司が遊んだ女と強制的に結婚させられる部下がいたりした)
それでもあぶれる弱者女性(主に訳あり女性)は、妾制度みたいなもので吸収されていたしね。
逆に一部の強者男性がどんどん女性を囲んでいき、弱者男性は「女」という資源にアクセスすらできなくなっていく。
一方で、魅力に乏しい弱者女性は強者男性に遊ばれることはあっても、(婚姻などで)彼らの資源を独占することができにくくなる。
(だからこそ、欧米先進国では福祉制度や結婚制度の改変、養育費の強制徴収とかが行われるようになったとも言える)
こうして総合的な魅力度に基いて、強者男女と弱者男女がハッキリと二極化していく。
そういう意味では、旧態然とした社会システムは弱者に優しく強者の負担が大きい制度で
現代の男女平等社会はある意味で原始的な弱肉強食の世界に先祖返りした感じだね。
どちらが良いというわけでもなく、いいとこ取りはできないってだけ。
名付けについて、もう何度目かっていう議論が巻き起こっている。
いわゆる諱だったら大抵二文字で、家ごとに通字がある。源氏のある種の家系や松浦党は諱一文字で特例だ。通字は一種類のこともあれば、たまに二種類のこともある。三条家とかは二種類通字がある。諱が二文字になる以前の古代の話は省略するぞ。すまんな佐伯今毛人。
通名もある程度ルールが決まっている。江戸時代の百官名や東百官など。東百官って実はルールの逸脱なんだけど、それがルール化してしまっている。
要するに昔は名前の付き方にかなり厳格なルールがあったということ。
言い方は悪いが、キラキラネームを付ける人は教養がない人が多い(書いてて思うが、こんなこと増田じゃねーと書けないな)。
江戸時代の農民はまぁ教養はそんなにないだろう。キラキラネーム付けちゃうことはなかったのだろうか。
個人的には農民であってもある程度名前にルールがあったように思う。すなわちキラキラネームは付かない。なぜか。
彼らはほとんど名前について考える知識も素養も機会もなかったから、そこらにある名前をあまり考えずに適宜つけていたか、教養のあるお坊さんなんかに頼んだのではなかろうか。
明治時代になっても、何らかのルールはあったはずだ。次第に通名と諱の区別が無くなる。私の曽祖父の祖父は明治期茂三郎と名乗っており子孫も茂三郎じいさんと呼んでいたようだが、天保期の文書には茂三郎直俊とある。明治時代に諱を使用しなくなった世代なのだろう。あるいはこの世代の中には諱の方を名乗りに採用した人もあるだろう。とにかく、何となくルールは存続する。「~子」という、伝統的に見えてその歴史が結構浅い女子への名付けも、元は公家社会の女子名にルーツがある。要するにルールがある。
さていよいよ戦後だ。戦後の民主化。これが実はキラキラネームの直接的な引き金になっている。またその基礎部分には西洋文化の流入がある。この流入は明治維新前後から連続しているが、本格的に高度経済成長を迎えるところに画期があるように思う。服装に和服が消えるころ。このころに、名付けというか、名付け方への変化が起こる。
要するに民主化なのだ。個人個人が投票権を持つようになったのと同様に、個人個人が考えて名前を付けるようになったのだ。だからキラキラネームが続出する。とくにルールが意識されていた世代が亡くなったのち。江戸時代の農民と今のキラキラネームを付ける層(雑駁な分類だとはわかっているがあえてこうするぞ)。両者の違いは何か? それは「自分で考え行動する度合い」だ。選挙が本当にわかりやすい。江戸時代の人間は為政者を決めることはできないし決める必要もない。個人に人権が与えられ個人の権利がなんと国の根本法典にまで認められた現代では、個々人が自由に選択し思考することを全く妨げない。ここに両者の違いがある。知識のない人が自由に考えた結果どうなるか? 光宙が生まれるのだ。
これは必ずしも悪いものではない。知識や故実に詳しい人、少しでも馴染んでいる人はキラキラネームに顔をしかめることもあるだろう。しかしルールなき名付けこそが民主化の成熟とも言いうるのだ。だがここに民主化の問題点も浮き彫りになる。教養がなくてもやっていけるのだ。教養批判なんてそこらへんで見かける。確かに教養ってのは鼻につく存在で、自分がそれを知らないとバカにされたような気になって教養批判に走りがちだ。しかし、なんと、これが現代では許される。何故か。自由が憲法で保障されているから。江戸時代じゃ無理。武家社会でやってけない。今なら別に教養無くてもいい。あってもいいけど。ということで名づけのルールの消失は現代社会を占う一つの要素だ。私としてはこういう自分で考えなければならない時代だからこそ個人で努力し、考える力をこそもっとも重視して培わなければと思う。
日本人はジャップ、日本のことはジャップランドもしくは中世ジャップランドが嫌儲での基本的な呼称です
日本人や日本企業が日本に特有するような悪習で失敗すると「ジャップにお似合い」、政治や行政の不始末には「さすがジャップ」という言葉が飛び交います
政治的には原発反対、TPP反対などの主張が強いですが、殆どの住人が中道を自称しており、なによりもネトウヨと呼ばれる人種が嫌われます
政治的にはリベラルなようですが、女性の話題については近世以前の武家社会並に保守的です
女性は基本、全てにおいて男性に劣った存在であり、男性に寄生してしか生きることのできない低俗な生き物であるというのが大勢の意見です
女性という単語は殆ど見られず、日本人をジャップと呼ぶのと同様、女性のことはまんこと称するの嫌儲での日常的な風景です
嫌儲は女人禁制、紳士の社交場であり、女性であるとカミングアウトすると、ただ「ま~ん」(女性を揶揄する蔑称)や「鉄くせぇ」といったシンプルな煽りレスのみがつきます
外部から嫌儲は~嫌儲民は~と十把一絡げに嫌儲像を語られるのを嫌います
更に嫌儲という言葉の意味については非常に敏感であり、「嫌儲」=「儲けることを嫌う」という「壁ドン」=「少女漫画でよく見るリア充の求愛好意」のような
誤解、誤認識が広まることについては多少の危機感を持っていると共にドワンゴ川上社長のように上記の単語の御使用を広める輩に対しては低能の称号が送られます
地方や田舎がバカにされるよりも東京が馬鹿にされる方が圧倒的に多いのも嫌儲の特徴の一つです
嫌儲でトンキンという単語を見かけたならばそれは中華人民共和国の地名ではなく日本の首都を表しています
文脈的には政治、行政、経済、文化の中心であることから、日本や日本人をバカにする意味合いで東京をバカにするといったことが多いかもしれません
嫌儲においてツイッターはバカッターとも呼ばれ、バカが犯罪自慢や盛大な自爆を行い、定期的に話題の供給を行ってくれる優良なニュース配信サイト
もしくは延々とバカとバカが互いを褒め合い承認欲求を満たす、バカのお花畑のような場所であるというのが基本的な認識です
対して嫌儲民の間で相手の意見に同意するときは、ただ一言「ほんとこれ」とレスしシンプルに賛同を表明するのがマナーとなっています
ニコニコ動画については大方の嫌儲民がバカ、ガキ、アフィ、ネトウヨというゴミ溜めの4重奏で構成された最も卑しく下らないサイトであると考えており
興味ないといいながら内心では興味大有りなことが多い嫌儲民が本当に興味を抱くことがない、話題にされること事態が珍しいという稀有な存在となっています
他人の不幸で飯が旨いメシウマ!といったミームを生み出してきた民族とルーツを同じにする嫌儲民ですが
その攻撃性は衰えておらず、弱ったものは更に叩き死人には鞭を打つというのが基本的な不幸系ニュースへの姿勢です
ここでは単純に叩くといったよりもその不幸な出来事に至った原因を被害者自信に求め、被害者の人格を否定、日本古来からある喧嘩両成敗の精神で
加害者も悪いが被害者も悪いという超絶理論を如何に筋道立てて矛盾なく捻りだすかという技量が求められます
逆に日本に喜ばしいニュースや近年地上波テレビ等でも多い外国人が日本を褒めるといった構図のニュースは嫌われ、外国人に褒められると嬉しくなってしまう日本人の特性を
「ホルホルw」とあげつらい、不幸系ニュースとは逆に「ジャップは直ぐにホルホルしだすな」と天狗になってしまった日本人に警鐘を鳴らし、たしなめる立場に回ります
上記で女性が嫌いであると書きましたが、可愛い少女については例外で性別女としては唯一嫌儲において人権を認められた存在となっています
可愛い少女の前では道化となりバカの一つ覚えのようにカワイイと書き込むか、「詳細」とその女性についてより詳細を知りたい旨を伝えることが嫌儲での日常となっています
但し、例外の例外ともいえる特記事項が存在し、もしも対象が非処女であった場合は直ちに嫌儲においての人権が剥奪される事由と成り得ます
外部の人間が嫌儲に抱いているイメージとは違い、意外にアニメや漫画、ゲームについての話題が少ないというのが最初に嫌儲を見て驚くポイントの一つであるかと思われます
しかし、こと女性声優の話題については常日頃から活発な議論が交わされており
CMやドラマに引っ張りだこの旬な女優やタレントの名前は一切見ないのに一般的な知名度は皆無に近い女性声優の名前はよく見るといった現象が嫌儲ではよくあります
嫌儲でアニメなどサブカル系のスレッドが立つと作品や関連話題に対して否定的なレスで埋め尽くされるの常となっており
それがアニメや漫画、ゲームのスレッドがあまり立てられないことへの直接の原因となっているのではないかとも言われているわけですが
女性声優の話題については例外的に否定的なレスが少ないというのも特に書き留めておきたい事実の一つです
よく考えて見ればサブカル系スレッドに限らず嫌儲全体が否定的な意見の集合体ともいえる程ネガティブ意見ばかりなのでやはり不思議というほかありません
夜半、特に祝休日の深夜にニートや無職など底辺と呼ばれる人々が一つのスレッドに集まり延々と身のない話や自らの不幸な生い立ちを語っている場面に出くわすことがよくあります
それらのスレッドは毎回大変な盛況ぶりを見せており、上述の底辺層が嫌儲において一大勢力を築いていることは疑う予知がありません
そこでは普段の攻撃性からは思いもよらない嫌儲住民の温和な一面を垣間見ることでき
一見すると底辺同士の傷の舐め合いと誤解してしまいかねないような心温まる住民同士の触れ合いにも出会うことができます
上記に加え「前科者や犯罪者集まれー」といった直接的な文言のスレッドが立つこともままありますが、こちらも非常な盛況ぶりとなっています
ここでは多種多様な犯罪で捕まった前科者、犯罪者の方々を確認することができ、嫌儲の住民層の広さをうかがい知ることが出来ます
同種のスレッドで生活保護関連のスレッドが立つこともありますが、ここでは生活保護の貰い方に関する嫌儲住民の高い関心をうかがい知ることも出来ます
自分語りを嫌う嫌儲住民ですので、あまりその口から過去の経歴や学歴などを聞くことはありませんが一度口を開くと沢山の元神童がいることに驚かれるかと思います
それら元神童に比べて現在成功している人間が少ない、というよりも皆無であるというのもポイントの一つとなっています