はてなキーワード: 祭神とは
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どんな願いも叶うらしいよ!
お気軽にどうぞ
【由来】
2006年に、ある増田が資産運用でFIREに成功し、増田の地に創建
【ご祭神】
増田大明神。通称「増神さま(ますがみさま)」として慕われています
【ご利益】
縁結び・転職成功・ブクマ増加・色星獲得・下痢防止・その他なんでも
【お守り】
カラースターがお守りです。ここで買ってください https://www.hatena.ne.jp/shop/star
【参拝の方法】
ブコメかトラバでお願いごとを伝えましょう。ブクマだけでもご利益があります
【ご食事のご案内】
【アクセス・参拝料】
スマホ・PC等で徒歩0分、入場無料(通信量はご負担ください)
【よくある質問】
・参拝時の服装は?→ユニクロやGU、ワークマンがおすすめです
・会社に神棚を建てたい→増田信仰は匿名が基本。自宅に飾りましょう
素麺といえば、個人的には島原半島産のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のものが品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。
最近では、女優の満島ひかりが南島原市の公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。
島原半島の素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府が肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内の小豆島出身の人々がいたことから、彼らが島原半島に素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。
史料の有無や民間伝承の真実性は、専門家ではないから判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。
中央部にある雲仙普賢岳や高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地が半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島は瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定の説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである。
この島原半島の南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市と半島の北部〜東部〜南部を結ぶ、左右反転のC字形に半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部の島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である。
現在は市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名・西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかったからである。
「そうめんの町」という文字が建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島の南側地帯には、海の近くで小高い丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。
別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もない小さな神社である。境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神は菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である。確認した。技術革新、すごい。
よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神・配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。
配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮の境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。
神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県・三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺の祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初に我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺は三輪山へ通ず」といったところか。
それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術が島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである。
しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである『肥前国風土記』にある、次のような記述を思い出した。
景行天皇が、現在の熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。
この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社の島原半島に分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しかし最近、自分の記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店・日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである。確認は大事。
残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。
もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山の祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代に島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社が島原半島に分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたから安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由な妄想とは魅力的なものということである。
さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳の登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。
件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前国風土記』には記されている。日本古典文学大系の注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代や御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山の神体山信仰と類似しているので、面白い話である。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。
このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島の地名「南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島が島原市・雲仙市・南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。
しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰そのものは、これからも人々の精神の地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。
【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603
It has been LDP which administration almost hadn't criminalize violent abuses of position.
躾という名の暴力をずっと犯罪化しなかった政権や、暴力的な司法の決定権・判決権、不起訴権、不捜査権、暴力的な医療業界の医療行為を放置している政権がある
自民党が監視対象外だとはウジの塊を見るほどおぞましいことである
そうやって気持ち悪いと言われて嬉しがり、他人をトリアージや株価操作に怯える従順な羊に仕立て上げるつもりではないのかね
捕鯨は文化として容認されうるとしても、人権の侵害は容認しえない
https://tetsudo-ch.com/5182813.html
”線路の南側に赤い鳥居がズラッと20本並んでいるのです。(航空写真で数えられます)踏切を渡った北側に粟津稲生(あわづいなり)神社という社があって、その参道を一畑電車が横切っているのです。鉄道ファンには有名なスポットらしいです。不思議なのは、この鳥居の東400mくらい離れた場所に立派な稲生神社社務所というのがあって、その横には大土神社という社があるのです。
「高浜駅から西へ向かうと線路に向かって赤い鳥居が続く参道が現れ参道を横切る形で電車が通過します。「粟津稲生(あわずいなり)神社」という社で、祭神は「倉稲魂神(うかのみたまのかみ)」、「稚彦霊神(わくむすびのかみ)」、「有気持神(うけもちのかみ)」で、伏見稲荷の分霊を祀ったと伝えられている。古くから衣食住の神として、また、治病・厄除けの霊験あらかただとして「粟津稲生」の名で知らています。」”
なかなかコレ!といった写真がないが
https://blog.goo.ne.jp/tibinekosan/e/17b1e41bfa0dfef255618e8dba689598
これの一番下や
https://marousagi.com/ichioshi/awazuinarizinjya-ichioshi
とか。
あと動画がいくつかある模様(未チェック)
また、各場所の初日前日に日本相撲協会の幹部、審判委員の親方などを集めて土俵祭が行われる。内容は土俵の真ん中に日本酒、米、塩などを封じ、相撲の三神(タケミカヅチほか二神)と弊束を7体祭り、立行司が祭主で介添えの行司が清祓の祝詞を奏上し、祭主が神事を行い、方屋開口を軍配団扇を手にして言上する。
で、相撲三神というのは天照大神・住吉大神(住吉三神)・戸隠大神(天手力雄命?)。
タケミカヅチどこいった?
http://www.syounosuke.net/gallery/history/iti14.html
そして「この齋庭に、わが相撲の道の守り神と持齋く戸隠の大神、鹿島の大神、野見宿禰の命たちを、招ぎ奉り坐せ奉りてかしこみ申さく、ちはやふる……(あとは同じ)」
ということにした。
戸隠の大神は、天岩戸をあけたというアメノタヂカラオノミコトであり、鹿島の大神は、国ゆずり相撲でタケミナカタノカミに勝ったタケミカヅチノカミであるから、相勝にも大いに関係があり、もし質問をうけてもこれならだいじょうぶである。
タヂカラオ・タケミカヅチ・野見宿禰の三神ということになるな。
タケミカヅチも入っているしこちらのほうが信憑性がありそうだ。
上にあった「弊束を7体」の説明としても、
土俵中央にあらかじめ、七本の幣を安置。七本のうち正面の三本は造化の三神(天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)。東西の二本ずつは四季の神の意。
ということか。
お前みたいなのがネトウヨ批判するからサヨが馬鹿にされんだよ。
靖国の存在意義は多義的で、少なくとも第二次世界大戦以前の祭神も多数いるとか、そういう基礎知識をまずつけような。
慰安婦問題は旧日本軍による性行為の強制の問題、これは合ってる。ネトウヨと揉めるのは、すべてが強制だったわけではなく志願に近いものも居たとか、そういうグレーゾーンがあるからそれを0/1で語る馬鹿が居ると揉める。
参拝=正当化という図式をわざわざ持ち込むのは何がしたいの?参拝しつつ過去の戦争犯罪を謝罪した首相とかももちろん居るわけで(例:橋本)兵士として犠牲者になった人たちを悼むことと、戦争の謝罪を両立させなきゃいけないのに、わざわざそういう図式でそれを不可能にするのはこの問題を解決したくない馬鹿なんですかね。
判断は読者にお任せする。体験した出来事に対する主観と、憶測を記す。もしよかったら①から読んでほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20160724155200
というより半分起きて半分寝ている感じの夢うつつで神様を夢に見た。以下、見たものと感想。
稲荷神社の祭神様は赤い着物の女性だった。顔は高いところにあって見えない。後ろに白い服の爺やみたいな人が控えている。他にも何人か白い人。白い人は狐の形状をしていない。赤がなく、光のように白い。
場所は神社の鳥居の中。あの稲荷神社は狭くて物理的な場所はないけれど意味として内側の空間に入れてくれて昇殿参拝させてくれた感じ。社の中だったのかもしれない。
歓迎ムードで、うちにはこういうのもありますと石の陽物を見せてくれた。ご神体ではないようだが、この神社にはそういうご利益もあるのだろう。残念ながら今のところ、ご利益が役に立つ予定はない。
地元の神様は大きい何か。大きな本殿から虹色で透明なアメーバがはみ出している。全貌が見てとれない。
お世話になった感謝を込めて頭を下げると、右往左往していたことを笑われた気配。「そんなに心配なら」と日付を示して、この日においでと言われた。今度の休日だった。
稲荷神社の本社に当たる神社は「うちは無関係ですから」という態度。冷たいわけではなく、違う部署、違う管轄だから挨拶しなくていいよという雰囲気で、姿や様子は見えなかった。
「大丈夫」「自分で決めなさい」「危ないから大人しくして(助けられない)」
正直言うと春先のこの頃は仕事が忙しく、オカルトに関わっている余裕がなかった。
ストレスで頭が壊れた可能性は充分に高いと考えていたし、そうならば遠からず死ぬだろうと思っていた。梅雨明け前の現時点では、まだ元気に生きています。
見た・言われたという動詞を使っているが、五感で知覚しているわけではなく、視覚や聴覚は感じない。夢より不確かな、妄想めいた非言語のイメージをARのように現実へ重ねたように体感している。これが第六感や霊感なのかもしれない。